【夏の日の想い出・君に届け】(2)

前頁次頁時間索引目次

1  2  3 
 
2月4日の夜、スマホのメールチェックをしていたら、千里と桃香から“引越のご連絡”というメールが来ていたのでびっくりした。2人の連名で送ってきたということは千里1(+3)だろうと思った。私は(千里は(人数が減ったのでよけい)忙しいだろうと思い)桃香に電話してみた。
 
「何かあったの?」
「実は、千里が京平君を引き取ることになったんだよ」
「ほんと?それは良かったけど、よく阿倍子さんが手放したね」
「阿倍子さんが再婚するんだけど、京平君が再婚相手の子供と相性が悪くて」
「へー」
「それで千里に預かってくれないかということになったんだよ。本来は自分が世話できないなら、細川さんに渡すべきかも知れないけど、阿倍子さんとしては美映さんには委ねたくないじゃん」
 
「それは分かる」
 
「それなら遺伝子上の母である千里の方がまだマシという判断になったみたいだよ」
 
京平君の遺伝子上の母が千里だというのは、もう確定事項になっているようだなと私は思った。
 

「まあそれで、子供が3人になるし、男の子と女の子が混じっていては同じ部屋に寝せる訳にもいかないし、引っ越そうということになったんだよ」
 
「なるほどー」
 
「面倒くさいから京平君、性転換して女の子にしちゃおうよと言ってみたけど、ダメだと言うし」
 
「それは無茶でしょ」
「あの子、女装させたら女の子でも通ると思うけどなあ」
 
「じゃ、引越祝いに素麺でも送るよ」
「素麺よりお酒がいいな」
「じゃ、うちに来て、棚にあふれてるの適当に持ってってくれない?」
「行く!」
 
と言って桃香は翌2月5日に恵比寿のマンションまで来て、ウィスキーや日本酒を持てるだけ!お持ち帰りしていった。
 

2月10-14日の週に、ローズ+リリーのシングルの音源はほぼ完成の域に到達し、シングルの制作作業はPVの制作に主軸を移す。
 
『君に届け』は鈴鹿美里に出演してもらった。彼女たちは1月はローズクォーツのアルバム(『Rose Quarts The Best』)制作に参加していたのだが、それが終わった所でこちらに来てもらい、彼女たちの出身地である、宮古八重山列島の小浜島(こはまじま)沿岸で撮影したビデオをベースに編集している。鈴鹿がボトルメールを船から海に投じる所、浜辺に流れ着いた瓶を美里が拾って中を開け、鈴鹿の手紙を見る所などが映っている。
 
この映像は、公開後、レスビアンもいいですよね、などという声が結構出たのは正直驚いた。
 
「あのぉ、鈴鹿美里の2人は姉妹なんですけど」
「姉妹でも愛さえあればいいと思う」
 
いいのか!?
 
「でもどうせ結婚するなら、美里ちゃん、おちんちん切らなくても良かったのにね」
などという声まであり、美里本人はお腹を抱えて大笑いしていたらしい。
 
でも鈴鹿美里のお母さんはそれをネットで見て
「あんたたち愛し合っているんだっけ?」
などと2人に電話してきて聞いたらしい。
 
「まさか」
「だいたい私たち2人ともストレートだし」
 
「双子の男の子と結婚できたらいいな」
「それで同日結婚して、同日出産して」
「そしたら子供たちも履歴書1枚で済むね」
「性別は?」
「違っていたら性転換させて統一するということで」
「生まれてすぐ性転換してその性別で出生届出すといいよね」
「どちらが性転換するかはジャンケンね」
 
お母さんはどこまでジョークなのか分からず困惑していたらしい。
 
しかし履歴書が1枚で済むというのはXANFUSの黒井由妃姉妹もそうであった。あの2人は同じ日に生まれ、同じ学校に行き、同じコンテストで同時優勝し、というので経歴が完全に同じなのである。
 

この曲のPVには、2月1日の沖縄公演の際に、宜野湾市のビーチで私とマリの映像を撮影したものも混ぜている。2月なのでさすがにビーチでは普通の服で歩いているが、プールで水着になっている所も撮影した。美原さんに乗せられて2人ともビキニを着ているが、ファンの人たちからは
 
「体型が崩れていないのが凄い」
 
と言われた。マリはたくさん食べる割にウェストは細いのである。食べたものがいったいどこに収納されているのかが不思議である。
 
「ローザ+リリンがビキニになるから、本家が体型で負ける訳にはいかないし」
などと私はコメントしておいたが
「ローザ+リリンのビキニ姿は結構セクシーらしいね」
などとネットにも書かれていた。
 
2人のビキニ姿は、この後発売されるローズクォーツの『Rose Quarts plays Pops』のPVで披露され、
「35歳,36歳のビキニ姿とは思えん」
「2人ともまだ27-28歳に見える。すげー」
などと書かれていた。(ちなみに私とマリは28歳である)
 
本当に彼女たち(“彼ら”ではなくもう“彼女ら”でいいだろう)には負けられないな、と私は思った。私もそのビデオは(発売前に)見せてもらったが、取り敢えず性転換したマリナだけでなく、まだ(?)性転換していないはずのケイナも“男のビキニ姿”には全然見えないのが凄い。ケイナは自分は結構肩が張ってるからとは言っていたのだが、自身がMTFのメイクアップ・アーティスト・小林マユミさんがメイクを担当し、やはり自身がMTFの映像作家・深中加奈美さんが撮影したビデオでは、その付近がうまくカバーされていて、肩の張りなどは特に感じられないようになっていた。
 
(「ファンデーションによる陰影付けとアングルとか考慮した視覚マジックなんですよ」とマリナが私には言っていた。映像加工は一切していないらしい)
 
なお、小林さん・深中さんを担ぎ出したのは、大宮副社長である。
 

『Burning Snow』は、千里が滋賀県に所有している化学工場で撮影させてもらった、化学繊維で作られた“雪”が実験室内で本当に燃え上がる様子と、北海道で美原さんが撮影してきてくれた、猛吹雪の映像を、則竹さんがうまくつなぎ合わせている。それでクライマックスの所では本当に降っていた雪が燃え上がっていくような映像にすることができた。雪の中で戯れている未来的?衣装を着た女の子たちは、UFOの3人である(北海道に行ってもらった)。
 
前述のように11日に札幌に私たちが行った時に撮影した映像も入っている。
 
『心の手をつないで』は、UFOのライバル、スパイス・ミッションに出演してもらっている。セーラー服を着たタイムと、学生服で男装したミントが手を繋ごうとするのだが、お互いに恥ずかしがって手をつなげない。2人もじもじしながら、たくさんお散歩するのだが、最後は女性用ビジネススーツで女教師に扮したクミンが、2人の間に入り、双方の手を握って、女装のタイムと男装のミントは“間接的に”手をつなぐことになる。これは可愛い!といって結構話題になった。中学生でないと成立しない映像であった。撮影は、早朝、開園前の八景島シーパラダイスで行っている。撮影は柳川裕希である(美原は北海道に吹雪の撮影に行っていた)。
 
「柳川さん、なんならうちの社員として登録して、健康保険証とかも発行しましょうか?国保は保険料高いでしょ?」
 
「それやると、ますます全国的に飛び回ることになりそうだから、今の所はフリーでいいです」
 
彼女は本来、近畿・北陸周辺の撮影のみ協力してもらう約束だったのである)
 
この曲のPVでは、私とマリは、八景島シーパラダイスのメリーゴーランドやバイキングに乗っている映像も入っている(マリも、同乗して撮影した柳川さんも平気そうだったが、私はバイキングに乗ったあと5分間立ち上がれなかった)。
 

2月11日、WHO(世界保健機構)およびICTV(国際ウイルス分類委員会)は今回のコロナウイルスによる疾患をCOVID-19 (COrona VIrus Disease 2019), ウイルス単体の名称をSARS-CoV-2と決定した。
 
状況はどんどん深刻化していく。2月13日にはとうとう国内で最初の死者が発生した(神奈川県の80代の女性)。
 
2月15日(土)の福島、16日の東京(日)では、かなりの不安の中の公演となった。
 
福島は若葉の会社ムーランが所有する福島ムーランパーク、東京は私と千里、雨宮先生、KL銀行の合弁会社JER4が所有している91Club体育館(愛称・深川アリーナ)である。どちらも津幡同様無理が利くので、緊急対策を施した。
 
・トイレは自動ドアまでは間に合わなかったので、ペーパーホルダーのカバーを撤去、便座除菌クリーナーとアルコールジェルの設置、男子小便器の飛散防止ドームの投入まで行った。トイレ自体の出入口は開放したままにした。
 
・工事して換気用の窓(建物の強度を落とさないよう鉄骨で補強しながら窓穴を空ける)をたくさん設置した。この窓もホールのドアも開放した状態で演奏する。どちらもホールの外側は廊下なので、ここを開けたままにしても外部にはあまり音が漏れないのである。廊下は大型扇風機で強制換気する。
 
(元々防音効果を高めるため面積を犠牲にして二重壁構造にしていたのが役だった)
 
・椅子に緊急対策で、背もたれの上にプラスチックの板(千里と若葉が協力して調達してくれた)を全部貼り付けた。これで後方からの唾や咳などから頭を守ることができる。若葉の会社の人とイベンターのスタッフまで動員して人海戦術で工作をしている。作業してもらった人たちもマスクとゴム手袋の着用をしてもらっている。
 
・椅子を並べる時にスタッガードに並べた。結果的に観客は前後にはほぼ2mおきに並ぶことになり“ソーシャル・ディスタンス”を確保できた。
 
むろん入場時に赤外線による体温検査をし、手はアルコールジェルで消毒してもらい、全員にマスク+ポケットティッシュ・ゴミ入れのビニール袋を無料配布している。ライブ中は歓声・手拍子禁止、立ち上がり禁止である。無料配布したサイリュームを振るのが声援代わりとする。扇風機を回して換気をおこなう。物販はPaypayとクレカのみにして現金の受け渡しは原則無しとした。
 
例によって物販の売上が普段より明らかに多かった。やはりみんな現金でない場合は、コスト意識が低くなり?多めに買ってしまうようである。
 
スタッフはバイトさんたちを含めて、全員マスクとゴム手袋着用、検温に加えて前日に医師による健診まで実施している。また最近海外に旅行した人は除外。家族に風邪症状のある人がいる人もバイト代は8割払うから休めと言って休ませた。
 

2月16日、東京の屋形船で1月18日にクラスターが発生していたことが報道され、急速に不安が広まった。
 
「密閉した室内で空調利かせてたから、ウィルスが室内で広まったみたいね。しかも大皿料理だし」
と丸山アイは言った。どうも最悪の条件が揃っていたようである。
 
「エアコンのフィルターくらいは、ウィルスは通過するから」
とアイは言う。
 
「エアコンのフィルターの浄化能力ってどのくらいなんだっけ?」
と私は尋ねてみた。
 
「エアコンに取り付けられる業務用のフィルターだと、だいたい0.1-2.5μm程度以上の粒子は除去する。PM2.5というのが2.5μm」
 
「ああ、PM2.5って単位がμm(マイクロメートル)だったのか」
 
(PM = Particulate Matter 粒子状物質)
 
「花粉が10-100μm、タバコの煙が0.1-0.5μm。だからタバコの煙までは30分くらいで除去してくれる。カビの菌は20μm程度だから楽勝」
 
「ああ」
 
「でもコロナウィルスはジャスト0.1μm程度だから、たぶん微妙に通り抜けるんじゃないかと思う」
 
「惜しいね」
 

「ちなみにそういう付加フィルターを取り付けずに、エアコン付属のフィルターしか使っていなければ100μm程度以下は素通り」
 
「それは、そういう運用の所が多い気がする」
 
「一時期、某メーカーが盛んに宣伝していたHEPAは0.3μm以上の粒子をキャッチする。むろんコロナウィルスは素通り」
 
「高級機種でもその程度か!」
 
「空気清浄機も多くはHEPA程度のフィルターしか使っていない」
「アウトじゃん」
 
「中にはULPAといって、HEPAより細かい粒子までキャッチするフィルターを使う空気清浄機もあるけど、それでも0.1μm程度」
 
「うーん・・・」
 
「ついでにエアコンの付加フィルターにしても、空気清浄機のフィルターにしても寿命は2年程度。それ以上使っていたら能力が落ちる」
 
「それは耐用年数を遙かに超えて使っている所が大半という気がするよ」
 
「よく10年持つと書いてあったりするけど、それって1日にタバコ5本の煙を処理した場合だから」
 
「負荷が小さすぎる」
 
「あと油の煙を吸うと劣化が激しい」
「飲食店とか屋形船はそれ多い気がする」
「まあ焼肉とかやれば、あっという間にダメになるだろうね」
「ああ」
 

この後、札幌の雪まつり(2/4-11)でもクラスターが発生していたことが判明した。更に2月14-15日には北見市の住宅設備の展示会でクラスターが発生した。
 
2月18日、大阪府の吉村洋文知事が、府主催のイベントを取り敢えず1ヶ月間は中止することを発表した。この時点での国内の感染者数は73人・死者1人である。
 

私は、大阪知事の発言を受けて、2月18日深夜、千里・氷川さんと3人でZoomを使用した緊急会議を開くことにしたのだが、この18日の日中、私は大林亮平から都内の料亭に呼び出された。
 
「お忙しい所、本当に申し訳ないのですが」
と亮平は恐縮した様子で、実は避妊に失敗して、政子を妊娠させてしまったことを報告して謝った。私は政子からその話を聞いていなかったので驚いたのだが、
 
「どうせ結婚するんだから構いませんよ」
と言ってあげた。
 
鱒渕さんもその場に呼んで説明したが、鱒渕さんは
「困りますよ」
と強い調子で亮平に苦情を言った。
 
「ほんとに申し訳ありません」
と亮平はひたすら謝っていた。
 
「どっちみち結婚するんだから、いいことにしましょうよ。この後のツアーライブではマリは椅子に座って歌わせて」
と私は言った。
 
「仕方ないですね。じゃ、そのあたりの演出を七星さん・古城さん・氷川さんと4人で詰めますから」
と鱒渕さんも言った。
 
しかし実際には“この後のライブ”は行われなかったのである。
 

その日の深夜のZoom会議なのだが、氷川課長が体調不良ということで、八雲礼江係長が
 
「私が代わります。内容は全部(氷川)課長に伝えて処理しますので」
といって代行出席した。
 
今の状況では、氷川さんの負荷は凄まじいのではという気がした。多分、色々なアーティストのライブの開催可否判断を迫られているはずだ。
 
八雲さんは最初男装で画面に映っていたのだが、千里が
「今夜の会議は遠慮無い意見の交換をしたいんです。本音トークだから、礼江さん、男装とかやめて、ちゃんと普通の女の格好してください」
と言った。
 
すると彼、というより彼女は「分かりました。着替えます」と言って、本当に素直に女物のチュニックに着替えて画面に再登場した!
 
それで、私と千里・八雲さんは遠慮無く突っ込んだ意見の交換をした。この3人でなければ言えないようなこともかなり話した。
 
「まだ石川・富山では感染者は出てない。津幡は行けると思う。かなりの対策をしてるし。多分津幡アリーナは今国内で最も安全なイベント会場だよ」
と千里は言った。
 
八雲さんも、北陸は多分まだ安全圏ではないかと言った。
 

「じゃ津幡は実施しようか。その他はどうする?」
 
23日の津幡の前日22日は愛知、その後、29日に大阪、3月1日に大宮が残っている。
 
「津幡の前日22日の名古屋は厳しい。貸し会場だからあまり強い対策が打てない」
 
「実は今日の夕方、会場側に遮音ドアを開けたまま演奏できないかと打診してみたんですよ。でも、騒音問題でそれはできかねると言われたんです」
と八雲さん。
 
「じゃ名古屋は中止しよう」
「やむを得ないね」
 
「大阪は知事さんがイベント自粛を呼びかけている。大阪も中止の方向で検討したほうがいい」
 
「だね。仕方ない。八雲さん、名古屋と大阪は中止・払い戻しの方向で準備を進めてもらえませんか?会場のキャンセル料は請求書を送ってもらえたら、すみやかに振り込みます」
 
「分かった。仕方ないよね」
 
「大宮はどうしようか?」
「東京近辺は大阪以上にやばい気がするなあ。深川でやった時とは既に状況が変わってしまったと思う。それにここも会場を勝手に改造できないし」
 
「よし。大宮も中止の方向で考えよう」
 
それでこの時点で、愛知・大阪と大宮の公演中止が決まったのである。休養している氷川課長、更には加藤制作部長の承認も取って、この日の深夜にホームページ上で告知した。
 
ローズ+リリーのホームページ、★★レコードのサイトでは深夜2時に告知したが、イベンターのサイト、ぴあ・イープラスのサイトでも翌日の午後までには告知してもらった。
 

つまりこの夜の時点で、今回のツアーは残り、津幡のみを実施して終了する予定だった。
 
ところが2月21日、石川県で初の感染者が確認された。
 
今回のコロナ対策の会場改造では、津幡だけでも1.5億円使っているのだが、私は21日夜、千里・八雲さんと再度話し合いの上で、断腸の思いで、2月23日の津幡公演の中止を決定した。
 
津幡・愛知・大阪・大宮ともにチケットは全額払い戻しである。
 

私たちは次の問題として、3月7-8日の東北復興支援ライブについて話しあった。これは2月22日の朝から、コスモス・若葉・和泉も入れ、丸山アイにも参加してもらって、私・千里・若葉・コスモス・和泉・氷川・アイと7者会談になった。私は氷川さんの体調を心配したが、氷川さんも昼間は大丈夫ということだった。
 
「中止だよね?」
と和泉が言う。
 
「お客さんは入れられないけど、無観客公演ができないかと思うんだよ」
と私は言った。
 
「ほぉ」
と丸山アイが感心したように言う。
 
「今回の震災イベントは、そもそもキャパの小さい会場を使うから、ライブビューイングで、東北各地の会場でも見られるようにしていたんだよ。だからその中継用の設備を使ってストリーミング配信できないだろうかと思って」
と私は説明した。
 
「できると思う。ストリーミングの会社と話し合う必要があるけど」
と和泉が言うと
「それは★★チャンネルを使って下さい」
と氷川さん。
 
「あ、そうか。あそこでできるか」
ということで、私は親友の笛吹琴絵を呼び出した。彼女は★★チャンネルの配信部門の係長である。彼女にもzoomの会議に参加してもらう。
 
(琴絵は昨年結婚して苗字が笛吹になった。笛吹琴絵なんて、物凄く音楽が得意そうな名前だが、実は絶望的な音痴である)
 
「本当は2〜3ヶ月前に話が欲しい所だけど、ローズ+リリーの名前で無理矢理ぶち込む。一般の人が視聴できるようにするよ。元々中継用の設備が手配されていたのなら、ストリーミングは容易だと思う。後で技術者を現地に行かせるよ」
と彼女は言った。
 
「仙台のTKRで進めてもらっていたんだけど」
「ああ。じゃ仙台に行かせよう」
 
「チケットを買った人は無料で見られるようにする、というのはできる?」
「全然問題無い。チケットの座席番号と発行番号を入力してもらえたら、それで無料で見られるようにする。持ってない人は課金する」
 
「見るのに必要な設備は?」
「2005年頃以降に発売されたWindows PCかマッキントッシュ、またはWifi環境にあるAndroidスマホかiPhone/iPad」
「なら大丈夫かな」
 
「あとパソコンの場合は、ADSL以上の速度の回線」
「それも問題無さそうだな。そういう回線入れてない人はスマホで見るだろうし」
「Wifi持ってない人はマクドナルドとかに行けばいいよ。NTTとかとの契約は必要だけど」
 
「なるほど。契約はすぐできるよね?」
 
「できる。料金は確か月500円くらい。あと、店内に入らなくても駐車場とかに居れば使える」
 
「それあまり大きな声で言わないで」
 

私は出演者について個別に話し合った。
 
コスモスと話し合いの結果、アクアおよび§§ミュージックの歌手については、北区の研修所(兼女子寮)内のスタジオからの中継にしようということになった。
 
本来の復興支援イベントの出演者は↓である。
 
3月7日(土)
AM アクア(9:00-11:00)
PM §§ミュージックオールスター
12:40今井葉月 13:10リセエンヌ・ドオ 13:30東雲はるこ+町田朱美 13:50桜野レイア、14:10山下ルンバ、14:30原町カペラ、14:50石川ポルカ 15:10桜木ワルツ、15:30花咲ロンド、16:00白鳥リズム、16:30姫路スピカ、17:00西宮ネオン、17:30高崎ひろか、18:00品川ありさ、18:30川崎ゆりこ (19:00終了)
 
(全員東京のスタジオから中継)
 
3.8(日)
AM アクア(9:00-11:00)
 
(昨日の映像を再ストリーミング)
 
PM 08年組+α
13 Golden Six/ 14 Olive Lemon/ 15 Flower Four/ 16 KARION/ 17 XANFUS/ 18 Rose+Lily (19:00終了)
 

まずゴールデンシックスだが
「無人でもいいから現地で演奏したい」
 
とカノンは言った。それで私はカノンにできるだけ移動が発生しないように、できるだけ仙台周辺で追加演奏者を確保してほしいと要望し、それは大丈夫だと思うという返事だった。
 
オリーブ・レモンについては丸山アイが「ボクたちも現地で演奏したい」というので、アイが付いていれば大丈夫だろうと考え、それでやってもらうことにした。
 
Flower Fourについては、亮平に電話してみたのだが、
「東京のスタジオでもいい?正直恐い」
というので、それでやってもらうことにした。4人には女装で!北区の§§ミュージックの研修所に入ってもらい、そこで撮影・ストリーミング配信する。このため“1日だけ女子”パスを発行することにした。本来は男子禁制の場所である。
 
(女子でなくても入れるのは西宮ネオンくらいだが、彼がいつも所持しているidカードではスタジオや研修室のある階には入れるものの、居住階には立ち寄れない。なおアクア・西湖は女子扱い!で部屋に泊まることもある。この2人や門脇真悠などは最初から女子のidカードを持っていた。これに対してネオンはどんなに遅くなっても部屋には泊めずマンションに帰す)
 
KARIONは和泉とも話し合った上で、KARIONの4人、トラベリングベルズの基本構成のみで仙台に行くことにした。つまりこのメンツである。
 
KARION いづみ・みそら・らんこ・こかぜ
Travelling Bells Sax.黒木信司(SHIN) Gt.相沢海香(MIKA) B.木月春孝(Haru) Dr.鐘崎大地(DAI) Tp.児玉実(MINO)
 
美空は当然ゴールデンシックスとしてもカウントされている。
 

XANFUSはリーダーのMIKEが産休中なので、音羽と話し合った(光帆は脱線しやすい)。
 
XANFUSのメンツはこのようになっている。
Vocal 音羽(桂木織絵)・光帆(吉野美来)
Gt.キャロル前田(友情出演)
B.kiji(鶴田貴子) KB.noir(谷川黒美) Dr.yuki(黒井由妃) Pf.浜名麻梨奈(山下鏡子) Sax.神崎美恩(石田日登美)
 
XANFUSのメンツはここ数年でバタバタと結婚したので、苗字が随分変わっている。独身は音羽・光帆・由妃の4人!だけである。
 
由妃(由妃子・由妃絵)は実は2人で1人の彼氏(夫)を共有しており、「2人共とは婚姻できないから籍は入れない」と言って、法的には独身を保っている。彼氏はもちろん子供は認知し養子縁組もして自分の健康保険の被扶養者にしている。そして2人の子供を含めて5人で一緒に暮らしている。セックスは由妃と由妃が、各々好きな時に彼氏とするらしいが、2人ともセックスしたくなった場合は結果的に3Pになってしまうこともあるらしい(大変そうだ)。ちなみに夫側にはセックスしたいと言う権利が無い!らしい(やはり大変そうだ)。したいよぉと言われたらテンガを渡すと言っていた(本当に大変そうだ)。
 
音羽と光帆は女同士で結婚するつもりらしいので、この2人も法的には独身のままなのだろう。近い内にパートナー宣言すると言っていた。
 
mike(尾花美紀子)の代役をキャロル前田が務めると発表した時はかなりの話題になった。
 
キャロル前田は例の「将来は女性になりたい」という発言の後、所属していた事務所を離れ(事実上解雇)たが、XANFUSのyukiの紹介(MTFつながり?)で@@エンタテーメントと契約していたので、元々XANFUSとは関わりがあったのである。元の事務所も∞∞プロの直系である@@エンタテーメント(∞∞プロの100%子会社)には文句を言えないので、キャロル前田はまたテレビ局で使ってもらえるようになったという経緯があった。こういうのは古くは郷ひろみの移籍(ジャニーズ→バーニング)に見られるように“寄らば大樹の陰”なのである。
 
@@エンタテーメントはアーティストの活動内容には介入しないので、彼は前からやりたかったロックを志すことになった。それで“楽器のできる男の娘”を集めて、キャロル前田とアドベンチャーを結成するに至る。
 
浜名麻梨奈と神崎美恩は、めったに演奏に参加することはないのだが、どっちみち現地に行くので、今回は特別に演奏にも参加することにした。浜名麻梨奈は元々ピアノが物凄くうまい。KARIONの初期の作品にある超絶プレイを初見で弾いちゃった数少ないひとりである。神崎美恩は特に楽器はしてなくて、前回ステージに立った時はタンバリンだったが、サックス吹きの夫に誘われて最近かなりサックスの練習をしており、ステージでは初披露となる。
 

「無観客で演奏するのはいいけど、声援が欲しいなあ」
と音羽は言った。確かに彼女たちの音楽は、観客と一体となることで成立している。
 
「いや、それは唾が飛んでエアロゾルが発生して感染の元になりやすいから」
「だからさあ、観客席に液晶パネルか何かずらっと並べてさ、そこにリモートで見て居る人の映像を映すんだよ」
 
「ほほぉ」
「あと中継中の映像見て居る人に声援ボタンとか配っておいてさ、それ押したら録音されている声援が再生されるの。そしたら、演奏してる側もたくさん声援されて演奏している気分になれる」
 
私は検討に値すると思った。それで則竹さん、★★チャンネルの技術者さんにもZoomの会議に参加してもらって打ち合わせた結果、この音羽が提案した方式が導入されることになったのである。
 

客席に並べるのは、プロジェクタとスクリーンということにした。
 
モニターの数だが、深川アリーナに椅子を並べてもらい、そこにモニターに見立てたボール紙!をずらっと並べてみた。その結果、モニターは最低でも500個+書き割りの観客500くらいは欲しいということになった。モニターのサイズとしては、70cm×100cm程度は欲しい。対角線は三平方の定理で√(1002+702)=122cmでインチに直すと49インチということになる。
 
このくらいの液晶モニターは安いものでも20万円くらいするので500個買うと1億円ということになる。それはいいのだが、問題は3月7日までにそんな大きなサイズのモニターを500個も調達できるのかという点であった。
 
「2-3ヶ月あれば何とかなるんだけど」
「半月しかないからなあ」
 
それで代わりにプロジェクタとスクリーンということにしたのである。スクリーンは実験で使ったようなボール紙でも行ける。プロジェクタは1個4-5万円と安価であるが、それより、プロジェクタなら半月で500個買い集めるのは可能だと思われた。
 
若葉は大手メーカーに、余った分も全部買い取るから、可能な限りプロジェクタを売ってくれと頼み、結局2月中に778個のプロジェクタを調達してくれた。調達単価は平均3.5万円で、私は若葉に彼女のマージンを含めて4000万円払った。若葉、というより彼女の伯母の会社のネームバリューが無ければ調達は不可能だったろう。
 
しかし同じシリーズで揃えることができたので(機種自体は数ランクある)、セッティングは全部同じパターンですることができて、会場の設営が楽だった。これが電器店の店頭などで買いあさっていたら、色々なメーカー・機種が混じって現場は大混乱になっていたであろう。
 
売ってくれたメーカーは一時的にプロジェクターの在庫が足りなくなり、工場に増産させたらしいが、それが4月以降、ますます売れて特需となることになる。
 
なお、これらのモニターを制御するパソコン800台はコスモスが台湾で調達してくれた。現在中国からの荷物はほとんど停止しているが、台湾は大丈夫である。調達単価は関税を含めて平均2万円で私はコスモスにマージンを含めて3000万円払った。こちらはメーカーが数社にまたがったが、全てwindowsマシンなので大きな問題は起きなかった。
 
この他に書き割りを全座席!に置こうということになり、書き割りは7000枚くらいブリントして作ることにした。ファンから自画像を募集したら2万個くらい画像が送られて来たので、抽選で7000枚選ばせてもらった。
 

声援ボタンについては、ストリーミングを視聴するソフトにその機能を組み込むことができるということだったので、入れてもらうことにした。教育テレビや民放のバラエティなどでよくやっているように、投票数に応じたグラフが会場のモニタに表示されるようにし、それに応じて予め録音していた(過去のライブの録音から切り取った)様々な声の声援が会場のスピーカーから流れるようにした。テストでスターキッズに(深川アリーナで)演奏してもらったが、かなりの臨場感があって、これは凄いと思った。
 
こういった準備があったので、愛知・大阪・大宮の公演中止は2月18日、津幡は津幡は2月21日に中止を発表したのだが、払い戻しは3月上旬から行うと発表しておいた。資金繰りの関係かとも思われたようだが、実はこれらの準備をしてから払い戻しを実施したかったのである。
 
震災復興イベントのチケットを買った人だけでなく、津幡・愛知・大阪・大宮のローズ+リリー公演のチケットを買っていた人にも、震災復興イベントのステージ(8日午後分)を無料で見られるようにした。
 
それで、チケットの座席番号と発行idを控えてから払い戻しをしてくださいと呼びかけたのである(ただしファンクラブを通してチケットを買った人は、控えておかなくても、ファンクラブの認証を通ればチケット購入履歴がデータベースに記録されているので、無料で試聴できる)。
 

なお、ローズ+リリーのライブの演奏者は次のように決めた。
 
Rose+Lily マリ・ケイ
Star Kids & Friends Gt.近藤嶺児 Sax.近藤七星 Bass.鷹野繁樹 Dr.酒向芳知 Mar/Vib.月丘晃靖 Tp.香月康宏 Gt/Tb.宮本越雄
お友達 Pf.古城美野里 Cla/KB.近藤詩津紅 Vn/龍笛.醍醐春海 Sax/Fl/篠笛.大宮万葉
 
シングルの音源制作で東京まで出て来て参加してもらった青葉のお友達、田中世梨奈さんと上野美津穂さんは、感染の危険をおかしてまで(しかも自腹で:実際には青葉が交通費を出すと言っていた)仙台まで来てもらうのは気の毒なのでキャンセルとした。
 
音源制作の時にヴァイオリンは大崎志乃舞ちゃんに弾いてもらったのだが、今回は感染リスクを考えて“身内”で固めたかったので、彼女にも8日の演奏をお願いしていたのだがキャンセルとし、代わりにヴァイオリンは千里に弾いてもらうことにした。
 
風花は妊娠中なので休ませることにした。それでフルートは青葉に頼むことにした。
 
千里はどっちみちゴールデンシックスにもカウントされているらしかったが、青葉も結局、この機会に“ゴールデンシックスと愉快な仲間たち”のバッヂを渡されていた!
 
結局、ゴールデンシックスはこのようなメンバーになったらしい
 
Gt.リノン KB.カノン B.美空 Dr.由妃 Fl.千里 Sax.青葉
 
黒井由妃はXANFUSのドラムスなので、どっちみち仙台に行くから徴用したのである。結局、今回のゴールデンシックスは、同時に出場する他のユニットから全員調達してしまった。
 
ちなみに由妃は2人で分担して出演すると思われるが、どちらがどちらに出演するかは“企業秘密”らしい。この2人を見分けることができるのは親友の noir だけである。XANFUSの他のメンツには見分けがつかないという。
 

震災復興支援イベントを目前にした3月3日、政子は大林亮平とデートをしたので、私は朝帰りになるだろうと思っていたのだが、夜12時前に恵比寿のマンションに帰って来た。
 
「どうしたの?亮平さんと朝まで一緒かと思ってた」
「別れた。婚約解消」
「嘘。なんで?」
 
「私が男と別れるのに理由はない。冷めちゃったし」
とマリは言った。私はそれでも理由を問い糾したのだが、政子は言いたくないようであった。
 
取り敢えず赤ちゃんは産むし、亮平は認知するし出産費用も養育費も払うと言っているらしい。養育費については最初政子は要らないと言ったものの、亮平君は
「これはマサリンに払うんじゃない。そのお腹の中の子供に払うんだから」
と主張したので、子供が生まれたらその子の名義で口座を作りそこに亮平が毎月振込むことにしたらしい。
 
「先に口座作っておこうかな。私、この子に輝絵(てるえ)と名前付けちゃったし」
「男の子だったらどうするのさ」
「性転換しちゃえばいいよ。生まれてみて、もしちんちん付いてたら、お医者さんに頼んで取ってもらおう」
「そんな手術は拒否されると思うなあ」
 
なお、亮平君と一緒に住む予定だった、実家の離れもそのまま建設するという。政子によると“ボーイフレンドと泊まるのに便利”という話である。
 

その翌日、3月4日はローズ+リリーの30枚目のシングル『君に届け』が発売された。時節柄、発売記者会見はリモートで開いた。
 
中継施設を備えたスタジオとして、§§ミュージック研修所のスタジオを使用した。加藤部長は、早急に★★スタジオから中継できるようにすると言っていたが、現時点ではまだできない。需要が急速に高まって資材が調達できないし、設定する技術者も不足しているらしい。
 
ここで私とマリは予め録音していたスターキッズの伴奏に合わせて2人だけでシングルに収録した3曲をいづれもショートバージョンで歌唱した後、マスクをして、記者会見のテーブルに就いた。ここで私とマリは1mの距離を空けて座る。
 
私の隣に、氷川課長が映された液晶パネル、マリの隣には鱒渕さんが映された液晶パネルがある。氷川さんは★★レコードの技術部、鱒渕さんは研修所の隣の部屋に居て、各々そこからリモートで参加する(鱒渕さんの映像はLANでつないでいる)。このスタジオに居るのは、私とマリの他は、中継用のカメラを扱う§§ミュージックの技術者・山元凛奈さん(女性)だけである。山元さんもマスクを付けている。
 
この様子は★★チャンネルを通して、インターネットで無料で視聴できるのでこれを見た人の数が物凄かった。記者たちもこのチャンネルを通して見ているのだが、予め選んでいた10人の記者が直接こちらのスタジオに問いかけて質問ができるようにしていた。
 

私たちはここで、マリの妊娠を発表したのだが、事前に情報が全く漏れていなかったので、かなり驚かれた。公開した情報はこのようなものである。
 
・出産予定日は10月である。
 
・父親は公表しない。その人とは結婚もしない。出産費用や養育費は払うと言っている。実は結婚するつもりで婚約記者会見の準備もし、結婚式祝賀会の予約も済ませていたのだが別れた。婚約指輪は返却した。
 
・あやめの父親とは別の人である。
 
・コロナの影響で、どっちみちしばらくライブはできないので、特に休業期間は設けない。
 
・子供は現在ケイと一緒に暮らしているマンションで、あやめと一緒に育てる。さすがに子供2人の世話をずっとしていると仕事に差し支えるのでベビーシッターを雇うつもりでいる。
 
結局楽曲のことより、このマリの赤ちゃんのことで質問が集中し、記者会見は予定を大きくオーバーして、2時間も続いた。記者たちは赤ちゃんの父親について質問したものの、マリは頑として口を割らないし、鱒渕さんがジョークを交えて、やわらかに記者たちの質問をさばいてくれた。鱒渕さんのおかげで、場の雰囲気は終止明るく笑いに満ちていて、結果的には記者たちも毒気を抜かれてあまり強い追及ができなかった。
 
そして、この2時間の会見の間に、ダウンロードサイトでのダウンロードが80万件にも達し、Amazonでの購入申し込みも50万件に達して、元々予約されていた件数および、昨日の夕方以降店頭で既に購入されていた枚数も含めると、売上がいきなり180万件に到達。翌日には200万件を突破して、ローズ+リリー最大のヒット曲になってしまったのである。
 
(販売件数を公表しない契約の『神様お願い』を除く)
 

ネットの反応は、父親探しでいろいろ憶測をする人たちもあったが
「妊娠おめでとう」
「元気な赤ちゃん産んでね」
といった声が大半であった。
 
どうも「結婚しない」とマリが明言したことで、男性ファンがほとんど離れなかったようなのである。
 
マリが結婚すれば“誰かのもの”になってしまうが、赤ちゃんを産んだとしても“未婚”であれば、マリは“誰の物でもない”ので、男性ファンの“心の恋人”で居続けられるようであった。
 
ちなみに父親候補としてあげられた中に、大林亮平の名前は無かった。∞∞プロによる情報封鎖が物凄くうまく行っているようである。
 
例によってまたまた名前を挙げられてしまった松山貴昭は、またまたDNA鑑定をして親子関係を否定する鑑定書を奥さんに提示する羽目になった。ネットで具体的な名前まで挙げられてしまったので、彼はその鑑定書をわざわざネットに公開した。そして結果的にマリが妊娠している胎児は男の子であることも判明し、政子が赤ちゃんに「照絵」と名付ける考えは挫折した。
 
「性転換したらダメ?」
「ダメ」
 
結局赤ちゃんの名前については、政子自身が亮平君と電話で話して“大輝”と決定した。早速銀行で“中田大輝”名義の口座を作ろうとしたが「胎児の口座は作れませんから生まれてからにして下さい」と言われたらしい。
 
「女の子下着を着せてスカート穿かせて育てようかなあ」
「やめなよ、そういうの」
 

これは後から“亮平君”から聞いた話である。
 
3月4日の記者会見で政子は“婚約指輪は返却した”と言ったのだが、実はあの時点ではまだ返却していなかった。亮平君が受取りを拒否したからである。それで政子は取り敢えず持っていた。しかしすぐ手放すことになったのである。
 
それは記者会見をした翌日、3月5日のことであった。私は震災復興イベントの件で、和泉・音羽・カノンと4人だけで打ち合わせしようと、カノンのマンションに行っていた。カノンのマンションが選ばれたのは、あまりマリに口出ししてほしくなかったこと、音羽のマンションはゴミの山で座る場所もないこと、和泉のマンションには食料が無く(和泉は基本的に外食か出前である。和泉は料理はしない人)長時間の滞在には不便であることで、消去法でカノンのマンションになったのである。
 
それでマリが1人で恵比寿のマンションにいた時のことである(妃美貴が来ることになっていたが、まだ来ていなかった)。マリのスマホが鳴るので見たら、原野妃登美であった。
 
「ちょっと話したいことがあるの。入れてくれない?」
「いいよ」
と言って、政子は彼女を上げた。
 

「マリちゃん、亮平と別れたの?」
と彼女は尋ねた。
 
「うん。別れた。結婚しない」
と政子は答える。
 
2年ほど前の2018年5月、政子が亮平と一度別れた後、原野妃登美は亮平と付き合っていた、というより実は一時期亮平のマンションに同棲していたのである。当時妃登美は事務所との契約を解除され、郷里に帰る費用もなく途方に暮れていた。
 
しかし妃登美はその後、郷里に帰って結婚すると言い、亮平のマンションの鍵を政子に渡して本当に帰ってしまった(結局引越の費用は亮平が出してあげた)。それで亮平は妃登美に振られてしまった。そして数ヶ月後、政子との関係は復活してしまった。
 
一方原野妃登美は本当に郷里で元同級生の男性と結婚したのだが、その男性との結婚生活は数ヶ月で破綻してしまった。だいたい妃登美みたいに華やかな生活をしていた(一時期は年収が億を超えていたはず)都会的女性が、保守的な田舎でサラリーマンの主婦など務まるはずが無かった。それに彼女は料理音痴で、カレーやスパケディどころか、スクランブルエッグさえも作れない。亮平の話によると、結婚生活中に夫から日本酒の燗を付けてと言われ、アルコール分が全て抜けてしまうほど日本酒を沸騰させてしまったらしい。亮平との同棲中は、御飯は全て亮平が作っていた。
 
それで離婚後、妃登美は亮平を頼って東京にまた出て来て、ケイの紹介で@@エンタテーメントと契約し、歌手としてカムバックしたのである。アパートもケイが保証人になってあげて借りた。
 

「昨日の記者会見見てびっくりして。お腹の中の子供って亮平の子供でしょ?」
「そうだよ。でも他の人には言わないでね」
「まあマリちゃんが亮平と付き合ってたこと知ってる人自体が少ないよね」
「多分ね」
 
「それでさ、相談だけど」
「うん」
「マリちゃんが亮平と別れるなら、私に譲ってくれない?」
と原野妃登美は言った。
 
「うーん。まだちょっと惜しい気はするけど、妃登美ちゃんならいいよ。譲ってあげる」
 
と政子は言った。妃登美に亮平を譲ってしまえば、亮平と再度恋人になることは多分永久にないだろう。しかし政子はこの時点で、亮平にまだ怒っていたので、それでもいい気がした。
 
「だったら、このくらいの代金でいい?」
と言って、妃登美は政子の前に、日本銀行の封印がされた札束を5つも並べた。
 
政子が目を丸くする。
 
「お金は要らないよ」
 
「でも無償トレードは悪いからさ、金銭トレードにしない?」
と妃登美は言う。
 
「トレードか。それもいいかもね」
と政子はその“トレード”というのが気に入ったようである。
 
「交換できるような彼氏がいたら交換でゆずってもいいけど、あいにくそういう人がいないし」
 
「そういうのも面白いね。でも亮平は妃登美ちゃんに売っちゃおう」
「買い取り成立ね」
「成立、成立」
と言って、2人は笑顔で握手した。
 

「だったら妃登美ちゃんに、これあげるよ」
と言って、政子は亮平のマンションの鍵、そして亮平が受けとらなかったエンゲージリングの入ったジュエリーケースを出した。
 
「あれ?指輪は返却したんじゃなかったんだ?」
「返そうとしたけど、受けとってくれなかったんだよ」
「じゃ私がもらっちゃおう。入るかなあ」
「妃登美ちゃん細いから入ると思うよ」
「あ。入った」
「でも少し余ってる感じ。やはり妃登美ちゃん細いから。宝石店で直してもらいなよ」
「そうしようかな」
 
そういう訳で、政子と妃登美の間で“亮平のトレード”の話がまとまったのであった。妃登美は実際この後宝石店に行き、指輪のサイズ直しをしてもらった。サイズを小さくする調整だったし、調整量も小さかったので、その日の夕方までには、サイズ調整は完了した。
 
なお、指輪の内側には" FROM R TO M" と刻印されていたのだが、原野妃登美も本名が幡多野富(はたの・みつる)でイニシャルが政子と同じMなので、流用可能なのである!
 
彼女の芸名は“富”の字がたいてい“とみ”と誤読されるので開き直って“ひ”を付けて“ひとみ”にしてしまい、“はたの”という苗字もしばしば“はらの”と聞き間違われるので、それも開き直って“原野”にしてしまったものである。
 
亮平は、政子のことは“まさりん”、富のことは“みつりん”と呼んでいた。どうも“りん”を付けるのが好きなようだ。
 

「マリちゃんにはこれも言っちゃおう」
と言って、妃登美は重大な秘密を打ち明けた。
 
「実は私妊娠してるの」
「え?亮平の子供?」
「違うよ。彼とは、2年前に別れた時以来してないよ」
「じゃ誰の子供?」
「名前は言えないけど、ある若手作詩家さんなんだよ」
「へー。その人と結婚しないの?」
「ところが彼は、二股しててさ」
「ああ。悪い男だ。そういう男は去勢しちゃおうよ」
「賛成。でもそのライバルの女がさ」
「うん」
「音楽業界の大物さんの娘なのよ」
「ああ」
 
「だから彼はその人を振っちゃうと、この業界で仕事ができなくなる」
「それで妃登美ちゃんが振られちゃったの?」
 

「そういうこと。彼は私が妊娠している子供は認知もするし、出産費用や養育費も出すと言ったけど断った。だって、彼がその娘さんと結婚した場合、彼が認知した子供を私が産んだら、私、その女に睨まれて、この業界で仕事ができなくなる」
 
「ああ、妃登美ちゃんは子供産んでもお仕事やめないよね」
 
「当然。男のタレントが結婚するからとか妻が妊娠したので引退しますなんて言ったら、何ふざけてるんだと言われるじゃん。女だけ引退を要求されるのは男女差別だよ」
 
「そうそう。私もそれ不愉快だった」
と政子はこの点では妃登美と意気投合する。
 
「それにマリちゃんも昨日の記者会見で言ってたけど、今年はコロナの影響でどっちみちライブができない。だから妊娠していても、活動を停止する必要がない」
 
「そうそう、そうなのよ!せいぜい出産した後1ヶ月くらい休ませてもらえばいいかも」
「私もその方式でいくつもり」
「予定日は?」
「9月10日」
「私より1ヶ月くらい前か」
「マリちゃんは10月?」
「うん。10月18日が予定日」
 
「じゃママ同士また仲良くやっていこうよ」
「うん。そうしよう」
 

「実はそれで認知とか養育費とか断ったら、せめてものお詫びと言われて、500万円もらっちゃったのよ」
 
「それがこの500万円か!」
「何かで使ってしまいたかったしね」
「それがスッキリでいいよね。だったら出産費用や養育費は亮平に払わせなよ」
「それを期待している」
 
政子は亮平の優しい性格なら、自分の種で無かったとしても、そういう費用はちゃんと出してあげるだろうと想像したのである。
 
その優しすぎるのが欠点なのだが・・・・・
 
「だったら亮平は今年の秋には2児の父になるね」
「マリちゃんの子供と私の子供のね」
と言って、ふたりはジュースのグラスを合わせて乾杯し声に出して笑った。
 

その日、大林亮平は、次のWooden FourのCDの音源制作の作業が終わり、23時頃、帰宅した。一堂に介して制作が出来ないから、4人が別々のボックスに入り、各々歌って収録する。しかしこういうのは譜面通りに歌えばいいというものではない。お互いの呼吸を感じあって調整していく必要がある。その作業が、別々のボックスで歌っているとお互いの呼吸や空気を感じ取りにくく、なかなか大変である。亮平は普段の倍疲れたような気がした。
 
「疲れたなあ。今日はもう何も作る気力無いから、カップ麺でいいかな」
などと独り言を言ったら
 
「あなた、お帰りなさい」
という声があるので、びっくりする。
 
思わず「まさりん?」と声を出して振り返ると、そこに居たのは政子ではなく富(みつる)である。
 
「みつりん!!」
 
「お腹空かせて帰ってくると思って、ビーフシチュー作っておいたよ」
「みつりんが作ったんだ!?」
と言って驚く。臭いだけ嗅ぐと美味しそうな匂いがしている。
 
「鍋ちょっと焦がしちゃった。ごめん」
「そのくらい平気。でも、どうしたの?」
「マリちゃんから、鍵をもらっちゃった」
と言いながら、富(みつる)はスープ皿にビーフシチューを盛り、亮平の前に置いた。一口食べて見ると美味しい。随分料理が進歩してるじゃん!
 
「マリちゃんから言われてレシピ本見て頑張ってその通り正確に作ってみた」
 
そうそう料理下手な人は、勝手なアレンジをして味を壊してしまうのである。しかし政子の料理もかなり怪しいのだが!
 

「マリから鍵をもらったのならいいよ。みつりんなら、自由にここに入ってもいいよ」
 
「じゃ、今日から私ここに住んでもいい?」
 
「うーん。まあいっか」
 
と亮平は言った。政子がいたら嫉妬されるだろうが、政子とは別れてしまったし、政子から富(みつる)が鍵をもらったというのであれば、富(みつる)が自分に再度アタックすることは、政子も承知の上なのだろう。
 
「じゃ、私、りょうの奥さんということでいいよね?」
と言って、富(みつる)は左手薬指を見せた。そこには政子に贈ったはずの大粒のダイヤを載せた指輪が輝いている。
 
「うそ?それもマリからもらったの?」
「うん。実は私、りょうをマリちゃんから500万円で買い取っちゃった」
「え〜〜!?僕、売られちゃったの?」
「金銭トレードかな」
「そんなあ」
 
「だから、私今日から、マリちゃんに代わって、りょうの奥さんということでいいよね?」
 
亮平は少し考えたが、富(みつる)の申し出を断る理由は思いつかなかった。
 
「まあいいか。じゃ取り敢えずしばらく一緒に暮らそうよ。その後のことはまた後でゆっくり話し合わない?」
 
「それでいいよ」
と富(みつる)は言った。
 
「じゃ御飯が終わったら、私を抱いてね」
「その前にお風呂入っていい?」
 

それでその夜亮平は、富(みつる)が作ってくれたビーフシチューとトーストしてくれたバゲットを食べた後、お風呂に入ってから寝室に行った。富(みつる)は既に布団の中に入っている。
 
「お疲れ様、マイダーリン」
と富(みつる)が目を開けて言う。
 
可愛い!と亮平は思った。
 
一昨日政子と別れたばかりで節操が無い気はしたのだが、富(みつる)と政子の間で話がまとまってしまっているのなら、してもいいかなと思った。
 
それで亮平は布団の中に潜り込み、避妊具を装着してから、既に裸になっていた富(みつる)を抱いた。
 
そして抱いてみて、やはり自分はこの子とも相性がいいなと思った。過去に付き合った他の恋人、ほつみ、さやか、りかこ、との間では亮平は実は完全な絶頂に到達することができなかった。完全に満足できたのは、今まで付き合った女性の中では、政子と富(みつる)だけなのである。
 
それで、亮平は、今すぐ結婚は考えられないにしても、しばらくこの子と一緒に暮らすのは悪くないよなと思ったのである。
 

疲れて仕事から帰ってきているし、そのあと美味しい御飯を食べ、お風呂に入り、そして満足するセックスをしたので、亮平は眠くなった。
 
その亮平に富(みつる)が話しかける。
 
「ねぇ、りょう、お願いがあるの」
「何だい?」
「あのね、あのね、りょう怒ると思うんだけど」
 
何だか可愛いじゃん。
 
「聞いてあげるから、言ってごらんよ」
「実はね。私のお腹の中にいる赤ちゃんのパパになって欲しいの」
 
「なんだとぉ!?」
と亮平は一気に目が覚めて叫んだ。
 

3月6日、この日、私は夕方から政子と一緒に車で仙台に移動する予定だったのだが、お昼過ぎ、氷川課長が八雲礼江係長と一緒にマンションに来訪した。八雲さんは女装である!
 
私は2人を入れて、応接セットに案内し、取り敢えず暖かい紅茶(千里からもらったニルギリ)を出した。
 
「珍しい組合せですね。でもこないだから、八雲さん、何度も氷川課長のフォローをしてましたもんね」
と私は言った。
 
「実は私たち、結婚することにしたんで、その報告を先にケイさんにしておこうと思って」
と氷川さんは言った。
 
「それはおめでとうございます。しかし氷川さんも、八雲さんも、おふたりとも結婚するんですか?」
と私は尋ねた。
 
ところが氷川さんが言った答えは、私を仰天させた。
 
「あ、違うんです。私と礼江が各々別の人と結婚するのではなくて、私と礼江が結婚するんですよ」
と氷川さんは笑顔で言った。
 
私の想像の範囲を超えた発言に、私は思わず
「嘘!?」
と叫んで、手に持っていたXperiaを床に落としてしまった。
 
 
前頁次頁時間索引目次

1  2  3 
【夏の日の想い出・君に届け】(2)