【夏の日の想い出・辞める時】(3)

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2014年正月。
 
千里は年末から三ヶ日に掛けて千葉市内のL神社で巫女として奉仕していたが、2日の午前中、鹿島信子から連絡があったので、その日の夕方、神社の仕事が終わった後で会うことにする。実際には信子は千里の奉仕時間の終わり頃にやってきて、昇殿して祈祷を受けていた。
 
「でも巫女さんしておられたんですね。それで神社のことにも詳しかったのかな」
「まあ出雲にも研修で行っているよ」
「なるほどー。ちょっと神秘的な雰囲気あるなとは思ってました」
「私たちはただの神様の使いっ走りだけどね」
と千里が言った言葉を信子は受け止めるような表情をしていた。
 

「正月に実家に帰省してきたのですが、凄い騒動でした」
「ああ。女の子になったことカムアウトしたんだ?」
「父は私が性転換手術を受けたと思ったようで、でも少しは冷静になってくれた母が、ある朝起きてみたら女の子になっていたという話を少しは理解してくれて、それが本当なら、何かの病気かも知れないから、病院の診察を受けてみなさいと言って」
 
「朝起きてみたら女の子になっていたの?」
と千里は訊く。
 
「実は出雲で松江の旅館に泊まった日、起きたら女の子になっていて仰天したんですよ」
と信子は簡単に状況を説明した上で、あの夜見た夢(?)を千里に語った。
 

「それって、やはり身体に異変が起きたのを、そういう夢という形で信子ちゃんが見たんだろうね。そこに私が出てきたのは、直前に私と冬子が性転換者だというのを聞いていたから、その象徴として夢の中に現れたんだと思う」
と千里は言った。
 
「ああ、そういうことなら何となく納得できます」
 
「それに私の造形って真似しやすいんだよね。このくらい髪が長いと、みんな私に見えちゃうみたい」
 
「確かに!」
 
「でもそれ一度病院に掛かって診てもらった方がいいよ」
「こういうのどこを受診したらいいんでしょう?何科に掛かればいいのか、考えたけど分からなかったんですよ」
 
すると千里はしばらく考えていたが言った。
 
「富山県の射水市(いみずし)って所にね、性別に関する専門のクリニックがあるんだよ。精神科の先生と外科の先生で共同運営していて。どちらも女医さんだから、話しやすいと思うよ。婦人科や泌尿器科の先生もいるよ。そこ行ってみない?」
 
「あ、はい」
「実は私の妹がそこで性転換手術を受けたんだよ」
「妹さんって、妹から弟になったんですか?弟から妹になったんですか?」
「弟から妹になった」
「じゃ兄弟から姉妹になっちゃったんですか!」
「そうそう」
 
「それは凄いなあ」
「私も高校1年で性転換手術したけど、妹は中学3年で性転換手術した」
「おふたりとも凄い若い年齢で手術してますね!」
 

千里は1月5日に自分も高岡に帰省するので、その時に良かったら一緒にその病院に行かないかと提案。それで1月6日に受診してみることにし、鞠村先生に連絡した。
 
すると途中で婦人科医の増田先生に代わり、こちらも信子が直接電話に出て詳しい状況を説明した。
 
「それと似た事例が10年ほど前に1度ドイツの方で報告されたことがありますよ」
と増田医師は言った。
 
「ほんとにあるんですか!」
と信子は電話口で驚いて言った。
 
「基本的に一種の半陰陽だと思います。思春期になってからそれまで女性の外見だったのが男性の外見に変わるのはわりとあるんですが」
 
「割とあるんですか!?」
 
「男性の外見から女性の外見に変わるのもひじょうに稀ですが、あるんですよ。過去の文書研究をした人が、その事例が過去300年ほどの間に50件ほどあったと思われるという論文を書いていました」
 
「300年に50件ですか!」
「昔だと魔女だとか言われて殺されてしまった例などもあって、そういうのは文献に残ってないんですよ。現代でも本人が恥ずかしがって受診しない場合や、悩んで自殺してしまう場合もあると思うんです。ですから実際には年に数件程度は発生しているのではと私は推測しているんですよね」
と増田は言う。
 
「それにしても稀な例なんですね」
 
「ええ。男から女に変わるのはひじょうに稀です。でもぜひ一度こちらに来院してくださいませんか? この手の変化では、場合によっては急激に発達した乳房に乳癌が発生したりする場合もあるようなので」
 
「分かりました。一度そちらにお伺いします」
 

「でも自然に性別が変わっちゃうことってあるんですね」
と信子は電話を切った後で、半ば独り言のように言った。
 
「有名な事例として5α還元酵素欠損症 5α-reductase deficiency, 5ARD というケースがある。たぶん増田先生が最初に言っていたよくある事例というのはこれだと思うんだけど、そのケースでは生まれた時は女の子なんだけど、10歳くらいになって第二次性徴が始まると、クリトリスに見えていたものが大きくなって、おちんちんになってしまい、男の子に変わってしまう」
と千里は言う。
 
「女の子で時々言う人がいる、大きくなったらおちんちんが生えてくるってやつですか!」
と信子。
 
「まさにそれ。以前テレビの番組で紹介されていたけど、ある島にこの現象が多発していて、家系を調べてみると、その全員が数世代前のある女性に辿り着いたらしい。彼らは性自認は男の子らしいよ」
 
「そういうのが起こりやすい遺伝子があるということですね」
 
「うん。5ARDは割とポピュラーで、世界的に結構多くの事例が報告されている。5ARDは本人の性自認も曖昧で、このまま男になってしまうのを受け入れるか、それとも手術を受けて女の形に戻すか、自分で決めてと言われて悩んでしまうケースもあるみたい」
 
「それ起きるのが10歳とか11歳でしょ?決めきれませんよ」
 
「だよね〜。親も本人も悩んじゃう。選択を間違うと一生後悔するし」
「ですよね〜」
「逆に男の子だったのが女の子に変わってしまう事例としては、アロマターゼ過剰症 Aromatase excess syndrome, AES というのがある」
と千里は言う。
 
「それが少ない方の事例ですか」
 
「こちらは事例が少なくてよく分からない。アロマターゼというのはテストステロン(男性ホルモン)をエストラジオール(卵胞ホルモン E2 *1)に体内で転換する酵素。男性はこの酵素の働きで、睾丸で生成されたテストステロンがエストラジオールに転換されて、微量の女性ホルモンが体内に存在する。ところがこのアロマターゼが過剰に分泌されていると、男性ホルモンの女性ホルモンへの転換が促進されて、男性ホルモンが減り、女性ホルモンが大量に存在するようになり、身体が女性化するんだよ」
 
「へー!」
 
(*1)卵胞ホルモン(Estrogen エストロゲン)には E1 estrone エストロン、E2 estradiol エストラジオール、E3 estriol エストリオールの3種類があり、これを卵胞ホルモンの三姉妹と言う。
 
「それで男の子だったはずが、思春期になるとおっぱいが膨らんで来て、おちんちんは縮んでしまうという事例がごく少数報告されている。でも消滅してしまって女性器のような形になるところまで進行する事例というのは、たぶん報告がほとんど無いと思う」
 
「うーん。やはりそういうのはあまり無いのかなあ」
 

「でも信子ちゃん、生理が来たんだって?」
「そうなんですよ。びっくりしました。数えてみると、女の子になってしまった晩からちょうど28日目だったんです」
 
「まあ多分次の28日後にもまた生理は来るだろうね」
「生まれて初めてナプキンなんて使って、凄くドキドキしました」
「嬉しかったでしょ?」
「えへへ」
 
「ナプキン買う時、ドキドキしなかった?」
「しました。恥ずかしくて恥ずかしくて」
「すぐ買えた?」
 
「それがなかなかナプキン売場の前で立ち止まれないんですよ」
「分かる分かる」
 
「うろうろしてたら、お店のお姉さんが声を掛けてきて」
「焦ったでしょ?」
「焦ったけど開き直るしかないから、女子高生のふりして、今までお母さんが買ってくれていたからよく分からないとか言って」
「あはは」
 
「ソフィのボディフィット・普通の日昼用を選びました」
「まあ最初買う時はドキドキするよね」
 
「あれ?千里さん、生理あるんですか?」
「あるけど」
「そういえば出雲でナプキン買ってましたね」
「よく観察してるね」
「すみませーん」
「いや、観察力はクリエイターとして大事。普通の人が見過ごすようなものをちゃんと捉えることができるから、創作者になれるんだよ」
 
信子は頷いていた。
 
「肝に銘じます。でもどうして生理あるんですか?」
「うん。そのあたりが私もよく分からない(ことにしとこう)」
と千里は答えた。
 

信子は実は居酒屋のバイトで学費稼ぎをしていたのだが、年末まではそこに男装で行っていた。しかし正月明け、信子は女装で勤務先に行った。
 
「えっと、どなたでしたっけ?」
「すみません。鹿島です。実は私、女の子になってしまって」
 
「え〜〜!?」
 
店長は信子の話を素直に聞いてくれた。
 
「じゃ性転換手術とか受けたんじゃなくて、病気の一種なんだ?」
「それで今度専門医の所に行って精密検査してもらいますが、電話でお医者さんと話したのではおそらく半陰陽の一種なのではないかと」
 
「なるほど」
「実は女の子の身体になってしまったのは11月中旬なのですが」
「もしかしてあの1週間ほど休んだ時?」
「そうなんです。あの時、身体が変化してしまったんです」
 
「それで休んでいたのか」
 
そういう訳ではないのだが、そういうことにしておくと話に矛盾が少ない気がした。
 
「なんかおっぱいあるように見えるけど、それ本物?」
「Dカップのブラを着けてます」
「凄い。ちんちんはどうなったの?」
「消滅しました。割れ目ちゃんも、ヴァギナもあるんですよ」
「それはまた画期的だな」
 
「それでも年内は男装していたのですが、男装がもう限界になってきて。お正月も男装していたのに、男子トイレに入ると『お姉ちゃんこっちは男子トイレ』とか言われたんですよ」
 
これは半分嘘だ。スカートを穿いたままうっかり男子トイレに入って注意されたのである。
 
「それと私、トイレは個室しか使えないから、男子トイレの個室がふさがっていると、ずっと待っていなければならないという問題もありまして」
「ああ、それは辛いね」
「スタッフの制服着ているのをいいことに、トイレ掃除するような顔して女子トイレ使っちゃったこともありました」
「あはは」
 
「でも女子トイレにも列ができているような時は困りますし」
「ああ、その列に並んだら変だよね」
「はい」
 
「じゃこれからは女子として働く?」
「もし可能ならそうさせてください。ただ」
「ただ?」
 
「実は友人と一緒にやってるバンドが芸能事務所にスカウトされちゃって」
「へー!」
 
「もしかしたらデビューということになるかも知れません。そしたら、その時点で退職させて頂きたいのですが」
 
「それ女の子としてデビューするの?」
「まだ交渉中ですが、たぶんそういうことになりそうです」
 
「それはおめでとう」
「でもこないだまで男をしてたのに、女の子ボーカルとしてデビューということになったら、なんか恥ずかしいんですけど」
 
「俺だったら、喜んで女の子歌手になるなあ。あ、ごめんね。君自身は性別のことで凄く悩んでいるだろうに」
 
「いえ。私も実はけっこう不純な動機で女の子歌手やってみたい気もしてて」
 
「やってみたい気はするよね〜」
 
店長さんは信子の気持ちにかなり理解を示してくれた。それで結局、信子は今月からこの居酒屋に女性スタッフとしてバイトすることになった。ただし、デビューが決まったら、その時点で退職することになる。
 

千里は桃香および正月中千葉に来ていた青葉・朋子と一緒に1月5日夕方の新幹線で高岡に移動した。そして6日(月)、早朝から新幹線・はくたかで移動してきた信子および北越で移動してきた信子の母と一緒に鞠村医師のクリニックを訪れた。泌尿器科医の前川先生と婦人科医の増田先生の診察を受けるが
 
「ほんとにあなた、11月中旬まで男の子だったの?」
と言われる。
 
「はい。そのことならいくらでも証人が居ます。一緒に銭湯とか行ってましたし、賭け麻雀でみんなの前で自慰するなんてのもやらされて、みんな私の男性器を目撃しているんですよ。みんなにそれ見せたのが11月3日の夜で、私自身、実は12日にも男性器で自慰しています。13日の夜11時半頃寝る前にトイレに行った時は女装していたので女子トイレを使いましたけど、ちゃんと男性器はありました。でも夜中3時頃に起きてトイレに行った時は全部無くなっていて女の子の形になっていたんです」
 
「うーん。。。。そんな急激に変化するという話は聞いたこと無い」
と行って前川先生は悩んでいた。
 
ともかくも精密検査しようというので、提携している大学病院(というよりこの病院がその大学病院の分院扱いになっている)に連れて行き、血液や尿の検査、MRI検査などをした。
 
「性染色体はXYですね。でも生殖器は完全に女性で、卵巣・子宮・膣、ちゃんとありますよ。生理があって当然ですね」
と検査結果を見て増田医師(婦人科)は言った。
 
「これだけ見たらアンドロゲン不応症(Androgen Insensitivity Syndrome AIS)の一種かと思っちゃうよね」
と前川先生(泌尿器科)。
 
「うん。でもAISの場合も、こんなにしっかり女性生殖器が発達することはあり得ない」
 
「そう。ここまでしっかり女性生殖器が発達するのは物凄く珍しい例だと思う。ところが生まれた時から、女の子の形だったのならまだAISかも知れないけど、ごく最近まで男の子の形だったのが、ほんの数時間で女の子の形に変わってしまったというのがね・・・」
 
信子はその後、心理的な性別をチェックする検査も受けたが、そちらでも女性的な傾向が強いという結果が出た。
 

医師団はこれらの結果を丁寧に本人と母親に説明した。そして信子は精神科の鞠村医師から尋ねられた。
 
「あなた自身は男に戻りたいの?このまま女として生きたいの?」
 
「私は小さい頃から、女の子だったらよかったのにと思っていました。ですから今は天国に来たような気分です。このまま女の子として生きて行きたいです」
と信子はしっかりと言った。
 
たぶん突然女の子になってしまった時は随分戸惑ったろうが、この1ヶ月半の間に、そういう気持ちに固まったのだろう。
 
信子の母も、病気であれば仕方ないし、本人が女として生きていきたいというのであれば、それをできるだけ支援したいと、信子の考え方に理解を示してくれた。
 
「でしたら、半陰陽で本来の性別は女であるという診断書を書きますよ」
「お願いします」
 
そこで医師の診断書をもとに性別の訂正(+名前の変更)を申告することにし、その作業を千里のツテで弁護士に依頼することにした。
 
信子と母は、その結果を父にも説明するため、いったん実家に向かうことにした。鞠村医師は、もしお父さんが納得しないなら自分たちからも説明するから、こちらに連れてきてと言ってくれた。
 

病院を出た後、千里は信子と母を近くの日本料理店に誘った。
 
「お魚が美味しい!」
と信子も母も言う。
「ここは富山湾の海の幸がたっぷりですから」
と千里は笑顔で答えながら、料理を味わった。
 
信子が少ししんみりとした感じで言う。
 
「ヒッチハイクの旅行に出る前に、この旅行で自分の運命が大きく変わるような予感があったのですが、こんなに劇的に変わるとは思ってもいませんでした」
 
「私たちのグループと遭遇したことから、バンドのデビューの話に進展しちゃうしね」
「あれもびっくりです。でもローズ+リリーのおふたりに、ラッキーブロッサムの鮎川さんとは全然気付かなかったです」
「まあポップスに興味無ければローズ+リリーには気付かないだろうし。そもそもローズ+リリーって露出が少ないからね。テレビには出ないし」
 
「流行歌手でテレビに出ないって珍しいですよね」
 
「マリちゃんが精神的に脆いから、長時間のリハーサルに耐えられないし、テレビ番組にありがちな、おふざけみたいな演出も苦手だし、ディレクターとかから、あれこれ指示されても、納得がいかないことはしたがらないというのもあるみたいだよ」
 
「ああ、確かに精神的なもろさは感じました」
 
「だからこそ、詩が書けるんだろうけどね。音楽業界に身を置いている人って、どこか精神的に問題点を抱えている人が多いよ。健全な精神を持っている人はわざわざこんな世界に来る必要は無い。ふつうに会社勤めすればいい」
 
「だったら、私もその業界に入っていいのかも知れないなあ」
と信子は言った。
 
「そういえば千里さんは、冬子さんたちの高校の同級生か何かですか?」
「クロスロードという集まりがあるんだよ。信子ちゃんも興味あったら、今度集まる時に声を掛けるよ。参加条件は《女湯に入れること》」
 
「へー!」
「実際は女湯を貸し切って入るから、おっぱいが無くても、女湯に入る勇気のある人なら入れる」
「あぁ。。。」
「ただし、他の女性の裸を見て、おちんちんが立っちゃうような人は困る」
「なるほど」
 
「MTFの人が多いけど、その友人の天然女性で、こういうのに興味があって集まりに参加している人もある。実は2011年6月に東北地方のある避難所で偶然遭遇したんだよ。みんな様々なボランティアとして、そこに来合わせていた。そこで意気投合しちゃったんだよね」
 
「そういう人達が偶然遭遇するというのも凄いですね」
「まあ人の出会いは面白いよ」
 
「今は学生さんですか?」
とお母さんが尋ねる。
 
「ああ、私の名刺、差し上げてなかったですね」
と言って、千里は2人に名刺を出したが
 
「うっそー!?」
とふたりは声を挙げた。
 

信子は1月から大学にも女装で出て行くようにした。
 
「えー!?鹿島君なの?」
「どうして女装?」
 
「ぼく女の子になっちゃった」
「性転換したの?」
「いや、それが朝起きたら女の子になってたんだよ」
「そんな馬鹿な」
 
などという話はしたものの、友人たちは信子が女の子になったことをそのまま受け入れてくれた。
 
「女の子の声だね」
「実はまだ短時間しか出せない。凄く疲れる」
「でもちゃんと女の子の声に聞こえる」
 
「じゃこれからはずっと女装で出てくるの?」
「うん。このまま女の子として生きて行く」
「すごーい」
 
「トイレとかどうすんの?」
「女子トイレを使わせて〜」
「そうだね。鹿島君なら、まあいいかな」
「私、鹿島君と経済学部の女子トイレで遭遇したことある」
「なんだ。以前から女子トイレ使っていたのか」
「実は法学部で行くのが恥ずかしいから隣まで行ってた」
「へー」
「じゃ、私たちと一緒に行こうよ」
「うん。助かるかも」
 
「おっぱいはこれ本物?」
「本物〜。Dカップのブラ着けてる」
「おちんちんは?」
「もう無いよ」
「取っちゃったんだ!」
「戸籍上の性別も変更予定。病院で医学的に女であるという診断書もらった。法律上の手続きは弁護士さんにお願いしてる。それが変更できたら大学にも届けを出すつもり」
 
「すごーい」
「だったら、もう普通に女の子でいいね」
 

講義の際に出席を取られた時、
「鹿島信一君」
と呼ばれて、信子が
「はい」
と返事をすると、教官がこちらを見て言った。
 
「君ふざけないで。代返?」
「本人です。性転換したんです」
「ああ。そういうこと。了解」
 
数人の教官とこういうやりとりをしたものの、どの教官も簡単に了解してくれた。
 
信子はどんどん「後戻り」ができない状況になっていっているなというのを感じていた。
 
でもなんで世の中、みんな男と女に分けられるんだろ。自分の場合、唐突に女になっちゃったから、もう女として生きていくしかないけど、無理に男女に分けなくてもいいのに。
 
信子はそんなことをふと考えた。
 

信子は大学には地下鉄東西線で通っているのだが、女子として通学し始めて数日目のことだった。帰りの電車でつり革に掴まって立っていると突然お尻に他人の手の感触を感じた。
 
え!?
 
最初は電車が揺れた勢いでぶつかったのかなと思ったのだが、その手は明らかに自分のお尻を撫でている。
 
まさかこれが痴漢ってやつ?
 
信子は怒りがこみあげた。
 
こんにゃろう!
 
ガシッとその手を掴まえると同時に
「きゃー!痴漢!」
と叫んだ。
 
振り返って睨む。50歳くらいの男だ。信子が叫んだので周囲の客もこちらを見ている。
 
「次の駅で降りて駅員さんとこに行きましょう」
「ごめーん。勘弁して。二度としないから」
とその男は言っている。
 
「常習犯じゃないの?」
 
「そんなことない。ほんの出来心なんだよ。徹夜で疲れていた所にあまりにも可愛い女の子がいて、ついふらふらとしてしまった。絶対にこんなことはもうしないと誓う。だからお願い、許して。女房と大学生の娘もいるんだ」
 
信子は迷った。ここで自分が見逃せば、また被害が出るかも知れない。しかしその大学生の娘さんというのは父親が痴漢で捕まったら経済的に困窮して、将来を断たれるかも知れない。
 
「だったら、その娘さんに免じて今日だけは見逃してやるよ。本当に1度だけだからね」
 
「ありがとう。助かる」
 
その男は次の駅で降りていったが、近くの50代くらいの女性から言われた。
 
「ああいう女の敵は、ちゃんと駅員さんに突き出すべきだったと思う」
「私も迷ったんですけどねぇ」
「きっと今までも何度もやってるよ」
「そうですねぇ」
 
信子は別のことを考えていた。女になったということは、男から襲われる可能性のある立場になったということなんだ。今まで自分は無防備すぎたかも知れない。できるだけひとりでは夜道歩かないようにして、防犯ベルとかも買っておかなくちゃ。男の子の友だちともふたりきりにはならないようにした方がいいよな。
 
そこまで考えてから、ちょっとだけ修正する。
 
もっとも正隆とか三郎とか清志が相手なら、そうなっちゃったら、恋人になってしまってもいいけどね。
 
ユーさんとのホテルでの甘い数時間が思い起こされて信子はちょっと頬を赤らめた。
 
あの時はまだ心の準備できてなかったけど、今なら男の子と恋愛してみてもいいかなという気分になれそう。
 

2014年1月11日(土)。
 
ベージュスカ+ホーン女子の契約に向けての会議がζζプロで開かれ、私と政子も成り行き上、これに参加した。
 
今日の参加者は
ベージュスカ Gt.(Leader)中村正隆 Dr.織田三郎 B1.鳴川清史 B2,Vo.鹿島信子
ホーン女子 Tb.(Leader)葛城詩葉 Tp.織田小枝 ASax.霧島花純 Euph.春日菊代
 
といった面々である。
 
これに先日から関わっている4人、私と政子、ゆま、千里が来ている。
 
年内の話し合いで、ふたつのバンドを一体化してプロバンドとして売り出すこと、音楽的にはスカを中心とすること、バンドのリーダーはベージュスカの中村さん、サブリーダーはホーン女子の葛城さんにすること、などが固まっている。また、未成年であるベージュスカの4人はいづれも親との話し合いで、口頭では芸能活動に関する同意をもらっている。
 
「学生のうちは色々やってもいいんじゃないか。卒業するまでに目が出なかったらその時点で考え直せばいいと言われました」
 
と鳴川さんなどは言っていたが、他のメンバーも親との話し合いでは、だいたいそういう線になったようである。信子の場合は性別問題で大騒動になったので、信子が「スカウトされてるんだけど」と言ったのを父が「そんなことはどうでもいい」と言ったのを同意の言葉と解釈させてもらったらしい。母はそちらにも理解を示してくれたという。
 

この場で鹿島信子から報告があり、性別変更の審判の手続きをしたことが報告され、私たちは大いに驚いた。
 
「だいたい1ヶ月くらいで結果が出るそうですが、特に問題は無いはずという弁護士さんのお話でした」
と信子。
 
「性別の変更って20歳すぎないとできないのでは?」
「性同一性障害の場合はそうですが、半陰陽の場合は何歳でもできるんです」
「半陰陽なの!?」
「半陰陽だけど、女性と判定されました。その診断書を添えて変更を申請しました」
 
「女性半陰陽ってやつ?」
「染色体的にはXYで男性だそうです。だからむしろ男性半陰陽になります。でも卵巣・子宮・膣と女性生殖器が完全に存在していて、ちゃんと機能しているので医学的には女性という診断でした」
 
「そういう話であれば、ファンの心理的抵抗は少ないだろうから、こちらもやりやすいよ」
と青嶋さんは言った。
 
「XYの女性、XXの男性ってわりと居るんだよね。ただ、普通は不妊治療とかで染色体を検査しないかぎり分からない」
と私が言う。
 
「そんな話も聞きました。でもXYの女性、XXの男性はそういう場で見つかった場合は、生殖器がきちんと機能していなくて不妊である場合が多いそうです。ただそれは元々不妊治療の時に見つかるからで、本当はちゃんと機能している生殖器を持つ、XY女性・XX男性も存在するのではと先生は言ってました」
 
「確かにそれは異常を感じないから病院も受診しないんで死ぬまで発覚しないだろうね」
 
「スポーツ関係にもXY女性は時々いるよ」
と千里が言う。
 
「それ昔はオリンピックで金メダル取った後で、あんたは男だって言われて大騒動になったりしたよね」
「今は怪しい選手は事前に検査受けてるから問題のある選手は早々に引退したりしてるのよね」
と千里は言う。
 
「でないと、金メダル取った後で性別問題を世界に報道されるって、あまりにも可哀相だよね」
 
「昔は染色体だけで性別判定してたから、結果的に性転換した選手はオリンピックに出られなかったんだけど、2003年にIOCは性転換してから2年以上経っているMTFの選手は参加してもいいと見解を出したんだよね。それ以前から半陰陽の選手については、睾丸の除去手術を受けている場合は女子選手として認めていたんだけど。柔道のエディナンシ・シルバなどはそれで女子としてオリンピックに出ている」
 
「そういう見解になっていたのか」
とゆまが感心したように言う。
 
「それで私もXY女性ということなんですが、ただ、突然男の形から数時間で女の形に変わってしまったのは謎だと先生たちも言ってました」
と信子が言う。
 
「まあ世の中には不思議なこともあるよ」
と政子が言い、この件は何となくそれで納まってしまった。
 

「ところで名前なのですが、ベージュスカに関しては、ベイジョースターというパンクバンドがййプロダクションというところに登録されていまして、また、ホーン女子に関しても、ボーン女子というのが、実はボーンチャイナを作っている会社の女性で作ったユニットらしいのですが、こちらも九州の方でライブ活動などをしておりまして、どちらも類似した名前があるのでできたら変えて頂けないかと」
 
とζζプロの法務担当者が言う。
 
「ああ、僕らは名前にはこだわりませんよ」
とベージュスカのリーダー中村正隆(Gt)は言う。
 
「元々はイエロースカという名前だったのを、ベースが重複しているということでベースじゅうふくスカ→ベージュスカという名前に変えたしね」
 
「私たちも名前にはこだわりません」
とホーン女子のリーダー葛城詩葉(Tb)も言う。
 
それでどんな名前がいいかというので、みんなで色々意見を出していたものの、あまりパッとしたものが出てこない。たまにいいかなと思うものが出ても、チェックしてもらうと類似のアーティスト名が見つかる。
 
その時、信子が
「マリさん、何かアイデアがあるみたい」
と言った。
 
マリはさっきから、何か言いたそうにしていたのだが、マリは色々問題のある発言をしやすいので、停めていたのである。しかし青嶋さんまで
 
「マリちゃん、何かアイデアがある?」
と訊いた。
 

するとマリは言った。
 
「最初リダンダンシーというのを考えたのよ」
「ほほお」
 
マリにしては随分まともな名前である。
 
「ベースが重複してたからベースジュウフクでベージュだったんでしょ。だから重複を英語で言うと redundancy。でもどうせなら、重なっているというのを強調して、リダンダンシー・リダンダンシーと重ねてみた。でもここでリズムセクションは女の子1人と男の子3人、ホーンセクションは男の子1人と女の子3人だから、その対称性を取り入れて、リダンダンシー・リダンジョッシーとする」
 
「あ、けっこういいかも」
とドラムスの織田三郎が言う。
 
「男子と女子ならリダンダンシー・リダンジョシーかも知れないけど、ジョッシーにした方がリズムがいい」
「確かに確かに」
 
「略称はリダン♂♀と書いて、これでリダンリダンと読む」
「面白いかも」
とユーフォニウムの春日菊代。
 
「ちょっと類似の名前がないか調べてみます」
と言って法務担当者があれこれ検索していたが、15分ほど掛けた検索で
 
「類似のものは無いようですね」
という結論になる。
 
「強いて言えば、リダンリダンという略称はデュランデュランと語感が似ている」
「うーん。。。そのくらいは大丈夫だと思うよ」
と青嶋さんは言う。
「そこまで言い出すと、ギランイランにも似ている」
「イランイランにも似ている」
「ロマン・ロランにも似ている」
「カランコロンにも似ている」
「ガラムマサラにも似ている」
 
「逆に似ているものが多数あるのは問題が無いということ」
 
「じゃそれで行こうか」
「なんかリズミカルでいい名前かもと思った」
 
「しかしそれなら、私は男ということで確定?」
と今日もほとんど男装に近い服装で来ている葛城詩葉(ことは)。
 
「コトちゃん性転換してもいいよ」
と霧島花純(かすみ)は言った。
 
「コトちゃんはちんちんあるという噂が昔からあった」
「でも私、普通に女湯に入っているよ」
「たぶん女湯に入る時は必死で隠している」
「それ私、小学生の頃から言われてたよ。修学旅行でみんなでお風呂入った時もちんちんあるのバレないようにしろよとか」
 
鮎川ゆまが、額を手で押さえて苦しそうにしていた。
 

「ところで、メンバーの中で女性の皆さん、もし良かったらスタイルをチェックさせてもらえないかしら?」
と青嶋さんが言う。
 
「えっと裸になればいいんですか?」
と葛城詩葉がやや不快そうに答える。
 
「あらためて日時を設定して水着姿を見せて頂いてもいいし、今下着姿でもいいし。見るのは私だけ」
 
詩葉は他の女子と視線を交わしている。
 
「青嶋さんにでしたら、下着姿くらいお見せしますよ。安物の下着しか着けてないですけど」
 
「じゃ、女子だけ残して男子はいったん部屋の外に出よう」
と中村正隆が言い、織田三郎と鳴川清史も一緒に席を立つ。私も政子・ゆま・千里を促して「関係無い私たちは出てよう」と言って席を立つ。事務所の法務担当の人も席を立つ。
 
ところが鹿島信子まで一緒に出ようとしたので
「待て、お前女だろ?」
とリーダーの中村正隆から言われている。
 
「あれ〜?私もですか?」
などと信子は言っている。
 
「むしろいちばん大事なのが信子ちゃんのスタイルだと思う」
と春日菊代。
 
「あんた、女の子になったんだから、女としての自覚を持とう」
と織田小枝。
 
「きゃー。恥ずかしい」
と信子。
 
「女同士なんだからいいじゃん」
と霧島花純が言っていた。
 

「あのバンド、信子ちゃんが女の子になったことで安定したんじゃないかなあ」
と政子はマンションに帰ってから言った。
 
「どうして?」
と私は訊く。
 
「同性4人のユニットって揉めやすいんだよ。意見が対立した時に2対2になると収拾がつかない。奇数で3人とか5人なら、対立しても残った1人が調整役になれる。偶数は危ない」
 
「ほほお」
 
「異性が入って1+3とか1+5は安定しやすい」
「1+3と言ったらLINDBERGかな。1+5といったら何と言ってもサザン・オールスターズ」
「1+2だと、1人の女の子を2人の男の子で取り合うような形になって潰れやすい」
「それで壊れたパターンは多いよね」
 
「同性4人のユニットって、4本脚の椅子のようなものなんだよ」
「面白いたとえをするね」
「4人の力量が揃っていると安定する。これはダークダックスとかボニージャックスとかがこのパターンだと思う」
 
「ふむふむ」
「でもどれか1本の脚が長すぎたり、あるいは短すぎたりすると問題が生じる」
「まあ椅子がガタガタして安定して座れないよね」
 
「3本脚の椅子は確実に安定する」
「5本脚の椅子は〜?」
「まあそれは置いといて」
「いいけど」
 
「今回の場合は信子ちゃんが脚を取っちゃって脚のあるのが3人になったから」
「何の話をしている!?」
 

「ファンにしても男女の数が等しいユニットは詰まらないんだよ。この中で誰と誰がくっつくのかな、と組み合わせを考えるくらいしか妄想できないから。信子ちゃんが男の子だったら、男女同数になってたけど、女の子になって男3女5になった。女が2人余るんだよね。すると自分があの子と・・・と妄想できる」
と政子。
 
「“余ってる”というのがこのバンドの特徴なのかもね」
と私も言う。
 
「今日の様子見てたら正隆君が女の子になっちゃった信子ちゃんにドキドキしてる雰囲気だったじゃん。三郎君は漢らしい詩葉ちゃんに憧れている雰囲気で。そもそもこの2人はホモっぽい雰囲気あるから、性別が微妙な子に惹かれるんだよ、きっと。清史君はマザコンっぽくて落ち着いた雰囲気の小枝ちゃんに甘えてる感じで、すると花純ちゃんと菊代ちゃんが余る」
 
「あのねぇ」
 

「同性4人で、ビートルズはブライアン・エプスティーン(*1)が生きている間は良かったけど、彼が死んだ後は、ポールとジョンの対立が酷くなって解散に至っている」
と政子は話を戻して言う。
 
「まあそれは典型的な例かもね」
 
(*1)一般的にはブライアン・エプスタイン(Brian Epstein)と呼ばれているが、本人は自分の名前をエプスティーンと発音していた。
 
「アン・ヴォーグは4人で活動していたけど、最初シンディが休養して3人になり、シンディが復帰したかと思ったらドーンが脱退してまた3人になって。その内マキシーンまで脱退して。いったんオリジナルメンバー4人で再結成したけど、ドーンとマキシーンが脱退して、自分たちこそ本物のアン・ヴォーグだと名乗って、分裂状態になり、名前の権利問題で裁判までやってる」
と政子。
 
「確かにきれいに2対2に分裂したけど。でも最初の8年間はまとまっていたんだけどね〜」
と私。
 
政子は他にも多数の“偶数ユニット”の分裂や脱退の例を挙げていった。
 

「でもKARIONも4人なんだけど」
 
「同性4人とか6人で安定するパターンにはいくつかあって」
と政子は言う。
 
「ビートルズがそうだけど、メンバー外のまとめ役がいるケース。この場合は実質5人なんだよね」
と政子。
 
「確かにマネージャーやプロデューサーの力が強いバンドはまとまりやすいね」
 
「メンバー全員が凄くて、優劣の差が無い場合。これはクイーンがその典型的な例だと思う。この場合《大人のグループ》になるんだよ」
 
「奇数だけどYMOも近いパターンだね」
 
「うんうん。YMOも大人のユニット。あとメンバーの中核になるリーダーあるいはメインボーカルが凄く温和な性格であるパターン」
と政子は言う。
 
「確かにバンドの分裂って多くがリーダーとフロントマンの対立や確執、あるいは他のメンバーが収入とかに不満を持ってというパターンが多いから。リーダーとボーカルのどちらかが温和なら対立が起きにくいし、他のメンバーの不満をうまく吸収してくれるだろうね」
 
「ローズクォーツもマキさんがああいう性格だから、あのバンドは4人になっても、結構長く続いていくかも」
「マキさんが怒った所って見たことないよ」
と私。
「代わりにタカさんが怒るでしょ?」
 
「まさにそう。以前、不祥事を起こしたメンバーをクビにした時もタカさんが主導でやったらしいから」
「マキさんはあまり深く考えないよね」」
「いや。彼は考えるけど、結論が永久に出ないんだ」
「ああ」
 

「で結局、マリちゃんの意見としてはKARIONの安定性は?」
「和泉と小風が対立して一瞬緊張しても、美空がとぼけたこと言って、うやむやになると思う」
「いや、それはデビュー直前にまさにそういうことがあったよ」
と私は当時のことを懐かしく思った。
 
「蘭子ちゃんも喧嘩しない人だしね」
「まあね」
 

2013年末、§§プロの海浜ひまわり が引退コンサートを行った。彼女は2011年春にデビューしたのだが、デビューCDがいきなり東日本大震災のため発売延期になるという不運に見舞われた。CDは5月になってやっと発売できたものの、当時の自粛ムードの中でイベントの中止も相次ぎ、思うように活動できず、完全に出鼻をくじかれた状態になった。
 
その後も3ヶ月程度に1度CDを出すものの、なかなか売れず、ライブチケットも売れ行きが伸び悩んだ。それで結局、全くヒット曲のないまま引退に追い込まれてしまった。
 
§§プロでは翌2012年にデビューした千葉りいな が今度は体調を崩して長期入院し、そのことで親権者と事務所の関係が悪化して、現在限定的な活動になっており、実際問題として引退は秒読み状態になっている。
 
しかしかろうじて2013年デビューの神田ひとみ は、秋風コスモスや桜野みちるに比べればセールスがずっと少ないものの、何とか売れている状態で、紅川社長もホッとしたようである。
 
そして2014年2月、昨年のフレッシュガール・コンテスト優勝者・明智ヒバリがデビューすることになった。
 

私は§§プロとの関係も深いので年末の海浜ひまわりの引退ライブのチケットも紅川社長から頂いていたものの、どうしても時間が取れず、親友の琴絵と仁恵に私と政子の代理で行ってもらい、私自身は別の日時に事務所を訪れて、本人に直接餞別を渡した。
 
「なんか分厚い〜」
と彼女は言ってから、紅川社長を見る。
 
「ご祝儀と同様だから、全額君がもらっていいけど、税務申告はきちんとするように。脱税とかで報道されると、うちも困るから」
と社長は言っている。
 
「はい、分かりました。ケイさんありがとうございます」
「それと1年遅れで住民税が掛かることを忘れないように」
「それコスモス先輩からも言われました!」
 
「引退ライブ終えて、泣いた?」
「涙が止まらなかったです。とうとう私、歌手辞めちゃったんだなあと思うと、すごく寂しい気分で」
 
紅川さんは頷いている。彼女のこんな早期の引退は紅川さんにとっても辛い思いだろう。
 
「ひまわりちゃん、この後はどうするの?」
「フリースクールに通いながら、高認(高等学校卒業程度認定試験)を受けて、その後また更に受験勉強して、3年後くらいに大学進学を目指そうかと思っています」
「うん。頑張ってね」
 
「それと同時に音楽の勉強もして、アレンジャーとかになれないかなあと思っているんですよ」
「そういうのもいいと思うよ。その手のコネだったら、きっとあるよ」
と私が言うと紅川さんも
 
「うん。そのあたりしっかり勉強した後で、声を掛けてくれたら仕事紹介するよ」
と紅川さんも笑顔で言っていた。
 

ひまわりと入れ替わるようにデビューすることになった明智ヒバリは見たところ独特の空気を持っている少女だった。
 
彼女はデビュー前の挨拶回りと言って、うちのマンションに総マネージャーの田所さんと一緒に来たのだが、その時ちょうど和実と千里も来ていた。そして2人とも言った。
 
「ヒバリちゃんって、物凄い霊感持ってるね」
 
「え?そうなんですか?私、テストの勘とかも全然当たらないのに」
と本人は驚いて言っている。
 
しかし和実と千里は顔を見合わせた上で和実が代表するように言った。
 
「そういう世俗的な勘ではなくて、もっとハイレベルな霊的素質を持っている。教祖様になれるタイプ」
 
「わあ。教祖様もいいなあ。私、30歳くらいになって歌手引退したらヒバリ教とか始めてみようか」
などとヒバリが言うと
 
「それ40歳くらいになってからにして」
と田所さんは困ったように言っていた。
 

年明けに開かれた○○プロの取締役会で、保坂早穂さんが特に発言を求め、ローズクォーツの営業成績問題について詳細な資料を提示して浦中副社長を追及した。浦中さん本人も、あれはどうにかならないか?と思っていたらしく腹心の大宮係長をUTPに副社長として送り込んできた。
 
そして大宮副社長・私・タカの三者会談で、私はとうとう正式にローズクォーツを離れることになった。ただし実質的な「名誉ボーカル」という形で、籍だけは置いておくことにした。
 
今後は年に1度くらいゲスト的にボーカルとして参加するも、制作やライブなどにも一切関わらず、ローズクォーツの営業と制作に関しては大宮さんが直接指揮を執ることになった。
 
2010年6月にマキ・タカ・サトと引き合わされて、ローズクォーツを結成して以来3年半のおつきあいになったが、実際には音羽や浜名たちに指摘された通り、実際の私のローズクォーツでの活動は結成1年後の2011年の6月の東北地方避難所の絨毯爆撃で実質終了しており、その後は、半ば名ばかりのボーカルであった。
 

私がローズクォーツを離れることになったので、このあと実質バンドの音楽面を統括することになるタカをマンションに呼んで、その日はビールやウィスキーを飲みながら、ピザとかチキンとか食べながら、ゆっくりとお話をした。途中でサトも呼び出して、私と政子とタカ・サトという4人の会話になった。
 
「ヤスさんやマキさんは呼ばなくていいの?」
と政子が心配するが
 
「ヤスは実際問題としてケイはとっくの昔にローズクォーツを辞めていると思っている」
とサト。
 
「うん。当初はサポートメンバーということにしていたのを、ほぼ1年前の2012年11月から正式メンバーになってもらった。その時、2013年はローズ+リリーのライブを年間6回やりますと発表している。その時点で自分は脱退するケイの代わりに加入することになったんだと思っていると思う。だから、こういう話をするのは今更」
とタカ。
 
「マキの場合は、ケイが辞めたと知ると、自分が頑張らねばと考え込みすぎて自滅しかねん。だから当面放置でいい」
とサトが言っている。
 
「でもすぐ知ることになるのでは?」
と政子が言うが
 
「いや、マキはたぶんケイがやめたことに30年くらい気付かない」
 
とタカは言っていたが、実際にそうなった!
 

信子の性別訂正(性転換手術に伴う変更では無く半陰陽なので訂正ということになる)は、問題無く認められ、信子は2014年2月4日(火・立春・大安)付けで戸籍上女性となった。同時に信一から信子への改名も認められている。
 
通知を受け取った信子はすぐに運転免許証を書き換えた。運転免許試験場に行き、性別変更届けを書いたが、こういう書類が試験場に置いてあるなとは以前から思っていたものの、自分がそれを書くことになるとは思いもよらなかった。
 
その日の内に女の写真で鹿島信子の名前になっている免許証を発行してもらったが、それを手にして、信子は
 
「ほんとにぼく、女の子になっちゃったんだなあ」
と独り言を言った。
 
信子は人前では意識して「わたし」とか「あたし」と言っているものの、実はまだ個人的には「ぼく」という自称の方が出やすい。
 
しかし千里に言われたように、12月12日の28日後の1月9日に2度目の生理、そして更に28日後の2月6日に3度目の生理が来て、本当に女としてのサイクルができていることが明確になった。次は恐らく3月6日頃来るのだろう。
 

信子は免許証の氏名変更・再発行の手続きが終わると、すぐにパスポートの申請をした。
 
実はデビューと同時にリダンダンシー・リダンジョッシーの写真集を発売しようということになったのである。性別の微妙な信子の女らしい写真を提示することで、信子が本当に女の子であること、そしてこのバンドが《色物》ではない正統派の音楽ユニットであることを強調しようというζζプロ側の戦略なのである。この写真集作成の話は年末に新社長になった観世さんの提案らしい。
 
他のメンバーもパスポートの申請をしており、全員のパスポートが揃ったら大学の春休みを利用して3月頭にグァムに行き、数日掛けて写真の撮影、そしてデビュー曲のPVの撮影もしようということであった。
 
なお、メンバーは全員2月末までに現在している仕事やバイトを辞めることになっている。3月からはζζプロから暫定的に税込み月15万(手取り約12万)の給料が支給される。1人だけ正社員をしていた菊代がどうしても2月では辞められず新入社員が入ってくる直前3月20日付けの退職ということになったが撮影期間中は有休をもらえることになった。
 

千里は1月下旬、40 minutesの共同設立者である河合麻依子(旧姓溝口)・秋葉夕子とともに、東京都クラブバスケットボール連盟の事務局を訪れ、新しいチームを作ったので加入したい旨を伝えた。
 
「えっと、男子ですか?女子ですか?」
「女子で〜す」
「コーチ、それから公認審判の方はおられますか」
「はい。そろえました」
「加盟料がチームに対してこれだけと、選手、コーチに対して1人あたりこれだけ掛かりますが」
「はい。問題ありません」
 
「ちなみに選手は全員女性ですよね?」
「本人が女性だと言っているし、見た目は微妙な人もいますが、たぶん女性です」
「過去に性別検査受けさせられた子が数人いますが、全員ちゃんと女性と判定されました」
「その後性転換した人はいないはずです」
 
秋葉夕子はそもそも江戸娘の創立者でもあり、クラブの登録手続きをするのは2度目になるので、何をそろえればいいかが分かっており、登録用の書類に全く不備が無かったので
 
「さすがですね!」
と事務局の人から感心されていた。
 
「では東京都協会の承認を取って問題が無ければ一週間程度以内にそちらに加入コードをお知らせしますので、それで3月10日以降にTeam JBAのシステムからチームと選手、スタッフの登録をお願いします。その後加入料・年会費をコンビニ等でお支払いください」
 
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 
「Team JBAの使い方は分かりますか?」
「はい。大丈夫です」
「今登録してしまうと今年度の会費が掛かってしまいますから、来年度からでよければ3月10日以降でお願いします」
「分かりました。ありがとうございます」
 

2月12日(水)。信子は1年弱住んだ葛西駅徒歩20分の築45年のボロアパートから、ζζプロで確保してくれた新小岩駅から歩いて5分の築15年のオートロックマンションに引っ越した。家賃は事務所が負担してくれる。
 
(実は運転免許証にはこの新しい住所を先行して登録した。結局信子はこの短期間に、名前と性別と住所が変わった。まるで別人になった気分であるが同時にこれだけ変えると、本人確認の書類が結構大変で弁護士さんにも随分助けてもらった)
 
荷物は大したことないので、軽トラを借りてきて運んだ。実は8人中5人が引越になったので(既にオートロックのマンションに住んでいた花純と小枝&三郎以外の5人)、共同で軽トラを借りてきて、お互いに協力して1日で5人の引越を終えた。
 
小枝と三郎の姉弟が暮らすマンションでお疲れ会を開く。ここだと充分な食料があるという事情もある。
 
「しかし疲れた〜!」
「5回引越やったからね〜」
 
特に重たい家具などは、男性3人が頼りなので(もとより信子は非力だし、女の身体になってから筋力が大きく低下している)、この3人はクタクタになったようである。
 
「まあビールでもと言いたい所だけど未成年飲酒は固く禁止だって、しつこく言われたからね〜」
 
ということでサイダーで乾杯した。
 
「でもどうせなら全員同じマンションなら楽なのに」
「それ万一熱狂的なファンができたりすると危険だから」
 
「でもだいたい近くに集まっている」
「正隆のマンションがわりと中央付近にある」
「うん。俺の所に全員が集まりやすいようにと配慮してくれたみたい」
 
「男女が分離されている気もする」
と地図をあらためて見ながら言う。
 
「私のマンションが緩衝地帯になってるのかも」
と信子。
 
「うん。北側から順に清史・正隆・信子と並んでいて、信子の南東に詩葉、南西に菊代のマンションがある」
 
「確かにこの5人は集まりやすい」
 
「マサちゃんのマンションと信子のマンションが駅をはさんで南北にあるから、疲れていて自分ちまで帰るのが辛い時は、キヨちゃんはマサちゃんのマンションに、詩葉と菊代は信子のマンションに泊まっちゃうといいかもね」
 
「女子のマンションには男子メンバーの立ち入り禁止って言われたから、それが無難なパターンかもね〜」
 

信子は2月28日(金)の勤務で、バイト先の居酒屋を退職した。仲の良い数人の同僚たち(男子2人女子5人!)に送別会をしてもらったが
 
「いや11月中旬の休みから復帰した時に、なんか妙に色気があるなと思ったんだよねえ」
「香料の匂いがするけど、お化粧とかしてるのかなあとか思った」
 
「こんなに可愛くなっちゃったら、デート申し込みたいくらいだと思ったけど歌手デビューするんなら、きっと人気出るよ」
 
などとこの日は随分おだてられた感じもあったが、信子は気分が良かった。
 

グアム行きは土日を避けて3月3日(月)の昼前成田発の便で出発することになり、3日朝8時に成田空港現地集合ということになった。
 
それで前日2日は美容室に行き旅の荷物の準備などをする。女としての海外旅行というので少し不安があったので、荷物を小枝さんにチェックしてもらった。
 
「下着はあと5セットくらい増やしていい」
「そんなに〜?」
「その日の気分で色々着たくなるから」
「そっかー」
 
「ナプキンが必要なんだっけ?」
「だって生理あるもん。前回2月6日だったから、次は3月6日になりそうなんだよね」
「へー!生理まであるって凄いね」
 
と小枝さんは何だか感動?していた。
 

明日は体力使うだろうから早めに寝ようと思い、お風呂に入って8時頃寝た。自宅にお風呂があるっていいなあ、と信子は思った。結局、電車に乗っての銭湯(女湯)通いは11月下旬から2月上旬まで3ヶ月弱続いたが、その間に早紀には10回くらい会い「よく会うね〜」と言い合った。
 
バンドでデビューの話が進んでいることも話したが、
「いいなあ。私も歌手やりたいなあ」
などと言っていた。
 
「早紀ちゃん、歌うの?」
「シンガーソングライターになれたらなあと思ってるんだよ」
「凄い。曲も書くんだ?」
 
それで2度ほど、お風呂の後で一緒にカラオケに行ったが早紀は本当に歌がうまかった。自作曲を見せ合ったが、お互いかなり刺激になった感じである。
 
「うちの事務所の人、紹介しようか?」
 
「今の自分の作品ではただの歌手にされそうだから。もう少し作品を洗練して作りためてから売り込んでみるよ」
「うん。頑張ってね」
 

夜12時頃目が覚めた。
 
あんまり早く寝たからかなあと思う。8時に成田に着くためにはこのマンションを5時半に出ればいいはずである。もう一眠りした方がいいと判断する。取り敢えずトイレに行ってから寝直すことにする。
 
それでトイレに行き、パジャマのズボンを下げ、ショーツを下げて便器に座る。
 
おしっこをするが、その時、物凄い違和感があった。
 
ん?
 
と思って自分の股間を見た時、信子はそこにとんでもないものを見た。
 
「え〜〜〜〜〜〜!?」
と声を挙げたまま、信子は数分間思考停止してしまった。
 
 
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【夏の日の想い出・辞める時】(3)