【夏の日の想い出・南へ北へ】(下)

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「ね、ね、青葉にさ、少し織絵のヒーリングしてもらえないかな?」
と政子が言い出す。
 
その時、龍虎がドキッとしたような顔をしたので何だろう?と私は思った。龍虎も青葉に会ったことがあるのだろうか?
 
「あの子、何だか忙しいみたいだよ。北海道まで来る余裕があるかな」
と私は心配したが
 
「私が電話してみる」
と言って千里が青葉に電話してみたのだが、どうも電源を切っているようである。
 
「ちょっと桃香に言って、桃香から連絡してもらおう」
と言い、千里は結局桃香に連絡していた。
 

お昼を食べた後、掃除を続けるが、織絵と政子は再び外出させた。また玲羅はゴミの一部を車で処理場に運んでいき、ゴミの袋が随分減った。そしてお掃除は午後5時頃になって、何とか6畳の方も物が片付き、電気カーペットを敷ける状態になった。それを敷くと思わずパチパチと拍手が起きた。
 
「でもまだゴミか何か判然としない物体群をかなり台所に押し出した」
と千里。
「そのあたりはまた追って整理します」
と玲羅。
「うん、よろしく」
 
しかし処理場に随分運んだのに、まだゴミの袋が15個もある!
 
「このゴミ一度に出したら顰蹙だから、3−4回に分けて出そう」
「その間に更にゴミの袋が出来たりして」
「うむむ」
 
5時半頃、政子から
「お腹空いた。昨日はジンギスカンだったから、今日は蟹を食べたい」
などという連絡が入る。
 
「じゃみんなで食べに行こうか」
 
「お片付けの方は後は暮らしながら掃除するということで」
「努力します」
「じゃ、あとはよろしく〜」
 
ということで、玲羅がお勧めの蟹料理店に予約の電話を入れ、そちらに行くことにする。政子たちには現地に直接行ってもらい、こちらは玲羅のセフィーロに4人乗ってそのお店に向かった。
 

政子たちが戻って来るということで、今夜中に東京に戻ることになることがほぼ確定したので、私は帰りの航空券の手配を、蟹料理店への道すがら、スマホから行った。
 
ANAのサイトにログインした上で搭乗者の名前を入れていく。
 
カラモト・フユコ 23歳・女
ナカタ・マサコ 23歳・女
ムラヤマ・チサト 23歳・女
タシロ・リュウコ 13歳・女
 
と入力する。それで確認ボタンを押そうとした時、待て、龍虎は男の子だということに気づく。それで性別を修正しようと思ったのだが・・・
 
よく考えてみると、今日の龍虎はスカート穿いているし、そもそもスカートを穿いていなくても女の子にしか見えないし!ここで性別男の航空券を作ってしまうと、かえってトラブルになる気がした。
 
じゃ女の子ということにしちゃおう!と私は思い、そのまま予約を確定させた。
 

お店に着き、予約の名前を言うと、個室に案内されるが、私たちが着いてから少しして、政子たちも到着した。
 
「どこ行ってきたの?」
「小樽(おたる)の先のね。名前の読み方が難しいんだよ。忍者の忍(にん)に道路の路(ろ)と書くんだけど、何て読むと思う?」
と政子が言うと
 
「おしょろ」
と千里・玲羅・私がほぼ同時に言った。
 
「なんで読めるの〜?」
「北海道の人なら、普通に読める地名」
「冬はどうして読めるの?」
「忍路(おしょろ)はたまたま知ってた」
 
「でも随分遠くまで行ったね!」
 
「あそこの景色はきれいなので有名だよ」
と千里が言う。
 
「最初モエレ山って所が夕日きれいだと聞いたのよね。それでモエレ山なんて言うから凄い山の上かと思ったら、池の中だし」
「あそこは池の中に山がある」
「標高62mだったかな」
「まあ大阪の天保山よりはずっと山らしい」
 
「あれって凄くきれいな形だったけど、スコリア丘?」
と織絵が訊くが
「人工的に造成したもの」
と千里は答える。
 
「なんだ!」
「札幌の町から出た不燃ゴミを積み上げて造成したんだよ」
「あれはゴミの塊なのか!」
「10万年後には全て自然のものに還ってるかもね」
 
「あそこ、丘珠空港に発着する飛行機が見えるから、結構いいショットが撮れる時もあるんですけどね」
と玲羅が言っている。
 
「うんうん。飛行機は見た」
「でももう少しへんぴな所がいいよね、と言っていたら、小樽の先に夕日のきれいな所があるよって、近くに居たおばちゃんが教えてくれて」
 
「へー!」
 
「その人に乗ってもらって往復した」
 
「わあ、そこまでしてもらって良かったのかな」
 
「その忍路(おしょろ)の出身の人なんだって。だから帰省を兼ねてと言ってた。で、現地でその人のお父さんが軽トラの荷台に乗せてくれて、こっちがきれいだよと言われて、忍路漁港の端の方まで連れて行ってもらった」
 
「へー!」
「あの道は軽トラでないと辛かったね」
「うん。スカイラインの車体サイズと私の運転の腕だと通るの辛かったと思う」
 
「教えてもらったお礼に、蟹食べていきませんか?と誘ったけど、甲殻類が苦手なんだって」
 
「あらら」
 
「それで午前中に真珠のネックレス買った時にもらった商品券1万円分とローズ+リリーのサイン、押しつけてきた」
「ちょうどいいもの持ってたね」
 
「でも凄くきれいだったよ」
「感動した」
と2人は言っている。
 
「それでこれ書いたから曲付けて」
と政子が詩を書いた紙を渡す。
 
「3篇ある」
「1つ目はモエレ山で書いたの」
「『夕日が落ちる、飛行機落ちる』って何これ?」
「飛行機の離着陸見たし。夕日は予定稿」
「夕日が落ちるはいいけど、飛行機落ちるはまずいよ」
「そうかな?」
 
「あと2つは忍路(おしょろ)で書いたもの」
「こちらはまともだ」
 

全員到着したので、料理を持って来てもらう。蟹の脚入れは最初2個置いてあったのだが、すぐにお店の人が政子専用のをもう1つ置いてくれた。
 
ここでも龍虎は
「北海道の蟹、凄く美味しいですね!」
と言ってニコニコしながら食べていた。この子は食べている時の様子が本当に気持ちいい。
 
蟹のお寿司、蟹のセイロ蒸し、蟹の天麩羅、蟹の茶碗蒸しなど蟹の料理に加えて蟹脚食べ放題というコースを頼んでいたのだが、その蟹脚の消費量が物凄いので、お店の人が結構焦っている感じだった。私は6人分では気の毒だから8人分払いますとお店の人に言ったが
 
「お心遣いは無用です。ちゃんと6人分のお値段で提供しますよ。でも見ていて気持ちいいですね。本当に美味しそうに頂いておられるし」
と店長さんはニコニコして言っていた。
 
「じゃこのお料理の写真撮って、うちのブログに載せていいですか?」
「タレントさんか何かでしたっけ?」
「歌手です。ローズ+リリーというのをやってまして」
「あなた方がローズ+リリーさんですか!はいぜひ載せてください」
と言った後で、店長は
 
「もし良かったらサインとか頂けますか?」
というので、店長さんが持って来た色紙に私と政子でサインを書いて渡した。
 

食事中に、私はトイレに行くような振りをして席を立ち、いったんお店の外に出ると、麻央に電話をした。
 
「ちょっと頼まれてくれないかなと思って。バイト代出すから」
「おお、やるやる。どんな仕事?」
「ちょっとひとり尾行して欲しいんだよね」
「彼氏が浮気してないかの調査?」
「尾行するのは女の子」
「ふむふむ」
 
「物凄いロングヘアの子だから見ればすぐ分かると思う」
「彼氏の浮気相手?」
「そういうのではないんだけどね」
「まあいいや。あまり予断は持たない方が良さそうだし」
 
「今札幌に来てて、最終便で羽田に戻る予定なんだけど、私たちと一緒に羽田に着いた後、たぶん千葉に戻ると思う。そのあと1週間くらい昼間の行動をチェックしてもらえると嬉しい」
 
「じゃ、トシとふたりでやろうかな」
「うん。それでもいい」
「車あった方がいい?」
「多分あった方がいい。向こうもインプ乗りだから」
「おおっ、それはすごい」
 
佐野君の車もインプレッサである。千里は赤いインプレッサに乗っているが、佐野君のは青いインプレッサだ。
 
「ガソリン代とか高速代とか掛かると思うし、取り敢えず20万くらい麻央の口座に振り込むから口座番号教えて」
「分かった」
「今日は日曜だから、明日の朝9時以降に引き出せると思う」
「了解」
 

私が席に戻ると、今青葉から連絡があったよということだった。一週間ほど学校を休んで札幌に来て、織絵のヒーリングをしてくれるということであった。
 
「でも一週間滞在するなら、どこに泊めるの?」
「あの部屋かな」
「布団敷ける?」
「無理〜」
「まあホテル取ってもいいし」
 
蟹料理屋さんを出た後は、玲羅と織絵をセフィーロで返し、私たち4人はスカイラインを運転して新千歳まで行く。そこで車を返却し、羽田行きの最終に搭乗する。ここの空港のトイレでまたまた龍虎は「君、こちらは男子トイレ、女子トイレはそっち」とやられていた。
 
「あの子、もしかして男の子になりたい女の子?男子トイレを使いたがってる?」
と政子が訊くが
 
「間違えたんでしょ。近眼みたいだし」
と私がいうと
「ああ、目が悪いのか!」
と納得しているようであった。
 
23:10に羽田に到着。私は到着したというのを麻央にメールで送った。到着口のところで麻央と視線を交わす。私は龍虎にタクシーチケットを渡し、タクシーに乗せて自宅に送り届けた。
 
政子は最後までアクアのことを女の子だと思っていたようである。
 
ところで龍虎がタクシーで帰った後
「あっ」
と千里が言うので何かと思ったら、龍虎が最初穿いていたスリムジーンズを入れた紙袋が手元に残っているというのである。
 
「ということは龍虎はスカート姿のまま帰宅することになるな」
と私。
「今更という気がするよ」
と千里。
 
私と千里が頷きあっていると、政子は何だろう?という感じで見ていた。ジーンズは次会った時返すと千里が言っていた。
 
私と政子は京急で品川まで出て山手線で恵比寿に帰還することにする。千里は空港連絡バスで千葉に戻ると言っていたので、ここで別れた。
 

青葉は月曜日に札幌に行き、織絵のヒーリングをしてくれたようである。織絵は毎日レポートを入れていたが、どうも玲羅と意気投合したようだ。
 
月曜日のお昼頃、唐突に鮎川ゆまがやってきて『ファイト!白雪姫』という曲のスコアとCubaseのデータを渡し、
 
「これ今作っているローズ+リリーのアルバムに入れて」
と言った。
 
聴いてみると物凄く品質の高い、そして格好いい曲である。
 
「この作品のサックス、ゆまが吹く?」
「それはナナ(七星さん)に任せた」
 
ゆまは政子に「男らしい」「格好いい」と褒められたのに気を良くして、
 
「ちんちん見せてあげるよ」
などと言って下着を脱いで、装着している《おちんちん》を見せていた。
 
「すっごーい」
「おちんちんってあると便利なんだよ。でもマリちゃんだって、ケイの付けおちんちんはいつも触ってたでしょ?」
 
「ケイはちんちん付けてみてと言っても付けてくれないんですよー。高校生時代に生のおちんちんには触ったけど」
 
「それが付けおちんちんだよ。だって私がケイと知り合ったのは、ケイが中学生の時だけど、その時、既にケイにはおちんちん無かったもん。お風呂にも何度か一緒に入っているから間違いない」
 
「そうだったのか!やはりあれは偽物だったのか。凄い情報を知ってしまった」
 
私はもう反論せずに苦笑していた。
 

その日の夕方には、千里の友人瀬戸睦子さんがマンションに来訪した。織絵の預金通帳とキャッシュカードを持って来てくれたのである。
 
口座を作るのはいいとしてキャッシュカードは郵送しかできないと銀行が言うのを、今引越作業の途中なので、郵送では受け取れないと主張して、何とかその場でキャッシュカードまで発行してもらうことができたということであった。
 
「まあ1時間ほど副支店長さんとやりとりはありましたけどね」
「お疲れ様!」
 
瀬戸さんの交通費・宿泊費に手間賃は織絵から受け取ったということだった。私はお土産代とおやつ代にと言って1万円渡した。彼女もありがたく受け取っておくと言っていた。織絵の通帳とカードはマンション内の金庫に納めたが、残高は1700万円であった。
 
この日、私は麻央からは何度か千里の尾行に関する経過報告を受けたのだが、何だか物凄く大変そうだった。
 
「あの人、いつ寝てるんでしょうかね?」
「うん。あの子はそれが謎なんだよ」
「実はアンドロイドか宇宙人ってことは?」
「ああ、そういう疑惑は昔からある」
 

21日(火)。
 
朝6時前に私は電話で起こされた。見ると静花(松原珠妃)である。
 
「おはようございます。静花さん」
「おっはよー。ね、冬、今名古屋かどこか?」
「東京ですけど」
「ストリップ劇場かどこか?」
なぜそんな所にいなければならぬ?
 
「こんな時間にストリップは開いてないと思いますが。自宅マンションですよ」
「だったら暇だよね?」
 
「忙しいです。今日中にスコア2本完成させないといけない」
「じゃ7時までに浜松町まで来て」
「忙しいんですけど!?」
 
しかし浜松町ということは、恐らく羽田に行くということなのだろうか。
 
「だから、一緒に南の島まで来て欲しいのよね。明日には解放するからさ。スコアなんて機内で書けばいいじゃん」
「機内じゃ楽器が使えませんよ!」
「じゃ待ってるからよろしくね〜」
 
というので静花は電話を切ってしまった。
 

私は首を振った。
 
南の島まで行って、それで明日解放って、なんか無茶苦茶ハードスケジュールっぽい。
 
しかしなんで私の回りにはこんなに強引な人ばかりいるんだ!? 蔵田さんに雨宮先生に静花に。Eliseもかなり無茶言うよなあ・・・。
 
しかし静花が来いというのであれば行くしかない。私は風花に電話した。
 
「朝早くからごめーん。松原珠妃さんから急に呼び出されてさ、どこか南方に行ってこないといけないんだよ。うん。あの口ぶりからすると、もしかしたら沖縄か奄美付近かも。それで明日帰ってこられるらしいけど、それまで留守にするから政子のお目付役がいなくなるんで。うん。来てくれる?ありがとう。助かる。風花が外出しないといけない時は七星さんか窓香あたりを呼び出してもらえる?ああ。麻央はちょっと別件で用事を頼んでいて、今週いっぱいは手が空かないんだよ。最悪の場合は氷川さんに連絡して仁恵か琴絵を。うん。よろしく」
 
政子の「おもり」は政子のわがままに振り回されない人物にしか務まらない。窓香ならいいが、気の弱い悠子だとダメである。うちの母や政子の母では全然抑えきれない。
 
それで後のこと(政子のこと)は風花に任せることにし、作戦行動中の麻央には自分に連絡が取れなかったら風花に連絡してというメールを送った上で、私は急いで荷物をまとめてマンションを出た。しかし福岡に行ったかと思ったら札幌、札幌から戻ったかと思ったら沖縄(かな?)。なんか移動距離がハンパ無い!
 

恵比寿駅からJRで浜松町に行き、モノレールの駅まで登って行くと、改札近くに居たのはEliseである。
 
「やっほー!ケイ」
「おはようございます。もしかして、この件、Eliseさんも絡んでるんですか?」
「そそ。私と珠妃さんとケイと麻生杏華さんの4人で美味しいものを食べに行こうという企画。同行するのは##放送の高柳記者」
 
「高柳さんは何度かお会いしたことあるな」
「今回は彼はカメラ回すだけだから、トークは私たち女4人だけ」
 
そんなことを言いながら、私は麻生杏華って誰だっけ?と一所懸命考えていた。しかしその前に気になることがあった。
 
「彼って、高柳さん、男性でしたっけ?」
「ああ。妹さんも同じ##放送でレポーターやってるんだよ。あちらは高柳あつみ、お兄さんは高柳さとみだったかな」
 
「何か男女がよく分からない名前だ」
 
「確かに確かに。高柳さんと珠妃さんはもう羽田に行っているから。私がケイを待っていた」
「ありがとうございます。じゃ行きましょうか」
 
「羽田までのチケットはこれね」
と言ってEliseが切符を渡してくれる。
 
「ありがとうございます」
 

それで改札を通って、モノレールに乗る。
 
私はEliseと3月に生まれた瑞季ちゃんのことで話した。よく動き回るので今いちばん目が離せない状態らしい。今回の仕事中はLondaが見ていてくれるということだった。
 
「というか、ひょっとしていつもLondaさんが見てくれてますよね」
「うん。私、あまり子育てしてない感じ」
「ああ」
 
私はてっきり第1ターミナルか第2ターミナルに行くものと思っていたのだが、羽田空港国際線ビル駅に到着するところでEliseが
 
「さ、降りるよ」
と言う。
 
「え?ここで降りるんですか?」
「もちろん」
 
「外国に行くんですか〜?」
「聞いてなかったの?」
「何も聞いてません。どこの国です?」
「インドネシアだけど。チケットは先に行った高柳さんが買ってくれているはず」
 
「ちょっと待ってください。私、パスポート持ってたっけ?」
と言って、モノレールから降りながら慌ててバッグの中を見る。
 
「あったぁ!良かったぁ!」
 
多分昨年イギリスに行った時のままここに入っていたのだろう。
 
「そのパスポートの期限はいつまで?」
「昨年台湾公演した時に作ったんですよ。ですから2018年3月まで」
「性別はどっち?」
「女です」
「じゃ問題無いな。たぶんケイのパスポートは女だったはず、と高柳さんには言っておいた」
 
「ああ。性別が違っていたら、乗れませんよね」
 

カウンターの前で、珠妃・高柳さんと落ち合う。係の人にパスポートを提示し、航空券を受け取る。すぐ手荷物を預けた。
 
「あまり時間無いから、すぐセキュリティ行くよ」
「はい」
 
それで私とElise,珠妃、高柳さんの4人でセキュリティを通る。
 
「あれ?女4人と記者さんの5人と言ってませんでした?」
「杏華さんは直接現地で合流するから」
「ああ、そうなんですか!」
「彼女は先行して現地に行っているらしい」
「へー」
 
セキュリティを通過し、税関・出国審査を通って、搭乗口方面に行く。
 
「でもこれどういう組み合わせなんですか?」
と私は訊いた。
 
「2003年組かな」
「へ?」
「スイートヴァニラズも、松原珠妃さんも2003年のデビュー」
「あぁ」
 
そうか。あれが2003年だったのか、と当時のことを私は懐かしく思った。あれから11年も経っているかと思うと感慨深い。
 
「麻生さんは2003年にデビューしたParking Serviceのプロデューサー」
「わっ」
 
と言ってから、その時、その麻生杏華という人のことを私はやっと思い出した。そうだ!その人って、XANFUSの事務所、&&エージェンシーの共同創立者・麻生有魅子さんの娘で、同社の大株主だ。
 
「彼女は90年代にポップピアニストとして人気を得たんだよね。歌もわりと上手いんだけど。お母さんが大歌手だったから、歌では勝負したくなかったみたい。どうしても比べられちゃうじゃん」
 
「そういうのって辛いですよね」
 
「でも2003年頃はもうあまり自身は音楽活動してなくて、何人かアイドル歌手の制作などをしていた。そんな時、Parking Serviceって4人組のボーカルを売り出したら、当たっちゃったんだよ」
 
「あれ最初4人だったんですか?」
「うん。でもその後激しく人数が変動したし。メンバーも随分入れ替わったよね。その内、そのバックで踊る子たちをPatrol Girlsと命名して、結果的にそちらはParking Serviceジュニアみたいな扱いになって、そちらからParking Serviceに昇格した子も何人か出たね」
 
「ええ。でも正直、在籍したのが何人いたかも私分かりません」
「全員知っているのは、よほどのファンだけだと思う。短期間で辞めた子もいたしね」
「ですよねー」
 
「Parking Service, Patrol Girls はメンバーも入れ替わりが激しかったけどプロデューサーもその後、何人も交代している」
 
「あれもフォローしてません」
 
「でもParking Serviceがアイドル路線に行ってしまったことに麻生さん自身は不満があったみたいね。それで新たにもっと本格志向のユニットとしてXANFUSを作ったんだよ」
 
「ああ、そういう経緯だったんですか」
 

「ところで、私が呼び出された理由は?」
 
「いや、実はもうひとり2003年組で、マリンシスタの初代リーダー辰巳鈴子が予定されていたんだよ。ところが今朝になって、熱が40度出てとても海外渡航できないと連絡があって」
 
「わっ」
「それで珠妃さんがじゃケイを呼び出すと言って」
とElise。
 
「私もケイさんなら今回の企画に出て頂くタレントさんのクラスとして全く問題無いと思いましたので、念のため部長にも確認の上、お願いすることにしました」
と高柳さん。
 
「私、2003年と何か関係あるんですか〜?」
「ケイがピコとしてデビューしたのは2003年だもん」
と静花(珠妃)は言っている。
 
「あれデビューになるの〜?」
「まあ今年はピコという名前を多くの人が知ったからね」
と静花は開き直って言っている。
 
今年静花は『ナノとピコの時間』という曲を発表して大ヒットさせている。その曲のPVには、当時小学生だった私が、ビキニの水着を着て、ナノこと静花と2人で映っている映像が使用されている。それで多くの人が私はこの時点で既に女の子の身体になっていたんだ!と思うようになったのである。あの映像使用に関しては、私には事前打診が無かったので、私は静花に抗議したのだが、兼岩さんが「使っちゃえ使っちゃえ」と言ったらしい。私もさすがに大恩がある兼岩さんには文句が言えない。
 

私たちは9:40頃、全日空NH855(B787-8)に搭乗、ビジネスクラスの座席に座った。ビジネスクラスなのは、やはりこの顔ぶれだからだろう。10:10に飛行機は羽田空港を離陸し、7時間45分の旅で15:55にジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に到着した(時差2時間)。
 
到着後、空港でビザ(VOA-Visa on Arrival)を取り、入国する。インドネシアは短期間の観光や商用の場合、到着後に空港でビザを取ることができる。
 
空港で現地放送局のスタッフさんと落ち合う。彼の運転する車でジャカルタ市内に入る。
 
高い塔が立っている公園のような所に来る。
 
「これモナスです」
と放送局のスタッフさんが片言の日本語で言う。
 
「何?これ?」
と私はそばに居る珠妃に訊いた。
 
「私も知らん」
と珠妃。
 
高柳さんが説明する。
 
「モナスはモニュメント・ナショナルの略で、インドネシアの独立記念塔なんです。1階は歴史博物館になっています」
 
ということで、その歴史博物館に入り、駆け足で中を見る。これが本当に駆け足だった!
 
普通に見るとこの博物館だけで2時間くらい掛かるらしい。しかし私たちはわずか30分でこの博物館を見て回った。特に有名な展示だけ、高柳さんが解説してくれた。
 
その後、普通は最上階の展望台に行くのだが、それも省略!して、車で10分ほど移動し、パサラヤというデパートに行く。現地放送局の人の案内でそこの民芸品コーナーに行った。
 
「おお、これは凄い」
とEliseが声をあげる。
 
それで私たちが見て回っている所を高柳さんが撮影している。ここの撮影許可は事前に現地放送局の人が取ってくれていたようである。
 
「ね、なんかこれエソテリックじゃない?」
と言ってEliseが指さしているのは、どこかで見た覚えのある人形である。
 
「その人形、ちょっとやばいです。本物の呪いの人形ですから」
「え〜〜!?」
「触ったりしない方がいいですよ」
と私は言ったのだが
 
「もう買っちゃったけど」
と言って珠妃がその人形を1個抱えている。私は頭を抱えた。
 
この他、私たちは全く無害な猫の人形、バティック(ジャワ更紗)のスカート、ガムランボール(装飾された鈴)、花の形の銀製ブローチ、陶器の湯飲みなどを買った。
 

その後、モスクとかカテドラルとかを車中から外観だけ見て、ホテルに行く。車を降りて中に入っていくと、
 
「こんにちは」
と言って笑顔でこちらに挨拶をする女性が居る。ああ、これが麻生杏華さんなのか、と私は思った。
 

今回のお仕事はジャカルタ近郊の観光地をいくつか訪問し、その感想などを話しながら、お食事をするという企画らしい。
 
でも私たちが実際に行ったのは、モナスと歴史博物館、パサラヤ・デパートの民芸品コーナーだけである。しかし麻生さんは1日早くインドネシアに入り、丸一日観光してきたらしい。そもそも麻生さんは過去に何度もインドネシアに来ているということで、インドネシア語もできるし、今回は解説者役らしい。
 
ホテルのレストランで食事となる。
 
「結構お腹空いた」
「時差が2時間あるからね」
 
ジャカルタが18時ということは日本は20時である。
 
テーブルにはスプーンとフォークが置いてある。
 
「右手でスプーン、左手でフォークですので」
と麻生さんが説明した。
 
「そういうのは知らないと間違えて、現地の人に顰蹙を買いそう」
という意見が出る。
 
「食事マナーって難しいですよね〜」
と彼女は言っている。
 
最初に出てきたのは、納豆のフライのような料理である。
 
「テンペですね。インドネシア式の納豆です」
と麻生さんが説明する。
 
「やはり納豆なんですか!」
 

その後出てきたのは、御飯のようなものとスープである。
 
「こちらはナシ・ウドゥク、ココナッツミルクで炊いた御飯、こちらはソト・アヤム、鶏肉のスープ」
と麻生さん。
 
「ほほお」
 
「インドネシアではわりと庶民的な料理なんですよ」
 
「へー」
 
「牛肉のスープだったら、ソト・ベタウィになりますね。ただジャカルタでは本当はあまりお肉は使わないんです。最初に出てきたテンペとか後は豆腐とか日本でいえば精進料理が多いです」
 
「それ宗教的な問題ですか?」
「そうです。インドネシアはイスラム教徒が多くて豚はNGですが、仏教徒やヒンズー教徒も結構多いし、結果的にあまり殺生をせずに、植物由来の食べ物だけを食べる人たちも多いんですよ」
 
「ああ」
 
「ただこれはジャカルタ付近の事情で、パダンの方だと、じゃんじゃんお肉を使いますね。牛肉とか山羊の肉とか。ただし、パダンはほぼ全ての料理がカレー味です」
 
「ほほぉ!」
 

この鶏肉のスープが物凄く美味しかった。御飯の方もリゾットの一種と思えば結構行ける感じだった。
 
その次に出てきたのが串焼き料理である。
 
「サテです。インドネシアに来るとこれが楽しみという人もいるみたい」
「これ、何のお肉ですか?」
 
「食べてから教えますから、ひとりずつ食べてみてください」
と麻生さんは意味ありげに言う。
 
私たちは顔を見合わせる。
「ケイ行ってみよう」
「はいはい」
 
適当に1本取って食べる。
 
「柔らかくて美味しいお肉ですね。何かの鳥の肉かな?」
「ケイちゃんは大当たりを出したね。それコブラね」
 
「コブラって蛇ですか〜?」
「そそ。美味しいでしょ?」
「あはは」
 
いきなりコブラが出たので、次のEliseはおそるおそる1本取って食べる。
 
「これは・・・羊かな?」
「惜しい。それは山羊の肉」
「ああ、わりとまともなので良かった」
 
次に食べた珠妃は
「あ、これは牛肉だ」
と言ったが
「近いけど、水牛だね」
と麻生さん。
 
また私の番になる。うーん。もういいや、何でもと思って1本取る。
 
「それはビアワッ」
「どういう動物ですか?」
「別名アルー、日本語ではミズオオトカゲ」
「トカゲですか!?」
「体長が2mを越えるでっかいトカゲだよ」
「それはすごい」
 
次にEliseが食べたのはウサギ、珠妃が食べたのは貝であった。
 
私の番になる。
 
もうどうでもいいやと思って1本食べる。
 
「それは亀」
「なんか今までのに比べたらまともな気がする」
 
そのあとEliseはさっき食べたテンペ、珠妃は硬い豆腐に当たった。
 
もう目を瞑って1本取る。これは食べている最中に分かった。
 
「カタツムリですよね? エスカルゴと食感が似てる」
「大正解!」
 
その後Eliseはパイナップル、珠妃は馬肉であった。
 
「ここまではお試しなので、ここまで食べた中で各人ベスト1を言ってもらったら、それをもう少しお出しします」
 
「あのぉ、私は若輩者なのでパスしていいですか?代わりに珠妃先輩が2つ推すということで」
と私が言うと、Eliseと珠妃も笑って頷いている。
 
「まあいいよ」
と麻生さんも笑って言った。
 
それでEliseは山羊、珠妃は馬と豆腐を推奨したので、その3種類をその後は味わうことができた。
 
「山羊美味しい、馬美味しい」
と私が言うと
「良かったね」
と言って珠妃が笑っていた。
 

サテの後、ミーゴレン(焼きそば)を食べ、最後に揚げバナナとマンゴーアイスのデザートを食べて食事は終わる。
 
「おごちそう様でした」
「お疲れ様でした。では空港に行きましょう」
と高柳さん。
 
「まさかもう帰るんですか?」
「羽田行きは21:35です。また全日空。来た時に乗った機体です」
「なんて慌ただしい!」
 
麻生さんはまだ数日インドネシアに滞在するらしいが、空港までは付き合って見送りしてあげると言った。
 
私はこの場にテレビ局の人がいるのは気になったものの、空港に向かう車の中で麻生さんに言った。
 
「麻生さん、場違いを承知でお話ししたいことがあります」
「何?ケイちゃん」
 
「麻生さんは、&&エージェンシーの大株主さんですよね。XANFUSの件はお聞きになっていますか?」
 
すると麻生さんはたちまち顔を曇らせるので、まずかったかなと思ったのだが彼女は思いがけないことを言った。
 
「音羽が妊娠したので、中絶させるのに休養させたんだって?」
 
私はびっくりした。
 
「それは違います。彼女は妊娠していません」
「ほんとに?」
「だって彼女はレスビアンで、男性と付き合ったりしませんから、妊娠するはずもありません」
 
「え〜〜!?」
「妊娠って誰から聞いたんですか?」
「朝道君。新社長になった」
「それは事実とは違います。もし日本に来て頂けたら、直接音羽と話してもらうこともできるのですが」
 
「もしかして、あんたが音羽を保護しているの?」
「そうです」
 
これにはEliseと珠妃、それに高柳さんもびっくりしていた。
 
「高柳さん、私も日本に行きたい。チケット取れる?お金は私が出すから」
「電話してみます」
 
それで高柳さんはすぐに旅行代理店に電話していた。
 
「1枚取れました。1席離れてしまいますが、機内で近くの席の人に交渉すれば、交換できるかも知れません」
 

私たちは出国手続きをして慌ただしく全日空機に搭乗したが、幸いにも私たちの隣の席にいたビジネスマンっぽいイギリス人男性が席を替わってくれたので、私たちは全員近くの席に座ることができた。
 
B787-8型機のビジネスクラスは左側2席、中央2席、右側2席の座席配置で、中央の座席は左右の座席に対してずれている。座席番号は左からA,C,D,G,H,Kで、ビジネスクラスは1-7列である。私たちは6A:珠妃, 6C:Elise, 7A:麻生, 7C:私, 6D:高柳 のように座った。私が左前に少し身を乗り出して小声で話すと、この5人だけに聞こえて、他の客にはほとんど聞こえない。更に幸いにも周囲に他に日本人が居ない。この状態で私はこの秋以降の&&エージェンシーの動き、そして音羽を保護した経緯について説明した。
 
「え?斉藤さん、病気で辞めたんじゃないの?」
と麻生さん。
「ピンピンしてますけど。さすがに内容は言えませんが、今アメリカで秘密の作業をしています」
 
「秘密の作業って性転換でもするとか?」
とEliseが茶々を入れる。
「斉藤さんは性転換する趣味は無いと思いますが」
と私は言ったが
「私、斉藤君の女装見たことあるよ」
と言って麻生さんが笑っている。
「ひどかったけどね」
「ああ」
 
「でも恋愛禁止なのを恋愛して同棲までしていたことは言い訳できん」
と珠妃は厳しいことを言う。
 
「それでもXANFUSに関する制作方針の変更はおかしいと思うんです。これまでXANFUSの曲は連続14曲ゴールドディスクでした。それが今回は4000枚しか売れていないんです」
 
と私は言い、
 
「取り敢えずこれを聴き比べて下さい。最初に入っているのがXANFUSが5月に出した『Rolling Gum Gathers Any Dust』、2番目に入っているのが先日出た『DANCE HEAVEN』」
 
と言ってmp3プレイヤのイヤホンの左右を1本ずつ、まずは珠妃と麻生さんに渡す。それを聴いている珠妃は最初は頷いていたものの2曲目に入った付近で顔をしかめ
 
「何じゃこりゃ」
と言った。麻生さんも
「これは酷い」
と言う。
 
「これ動画サイトの『歌ってみました』レベルじゃん。それに何よ、この素人っぽい打ち込みは?楽器やったことのない人が作ったデータだよ」
と珠妃。
 
「90年代はこのレベルでも売れたんですよ。****とか****とかが、ガラクンさんがプロデュースした歌手です」
と私は言う。
 
続いて聴いたEliseと高柳さんも顔をしかめた。
 
「ケイさん、その件、事が落ち着くまで一切内容を公開しないという条件で僕たちに取材させてもらえませんか?」
と高柳さんが言う。
 
「音羽の意向を聞く必要がありますが、すぐには公開しないのであればOKしてくれる可能性があると思います」
と私は答えた。
 

そういう訳で、私達は水曜日の朝7:00、羽田に到着すると、そのまま9時の新千歳行きに乗り継いで、5人で一緒に札幌の玲羅のアパートを訪れたのであった。
 
織絵も玲羅も物凄い顔ぶれの突然の来訪に驚愕していた。
 
織絵は高柳さんの取材申し込みに対して、今回自分をかばってくれた人に迷惑が掛からないように、自分以外は映さないという条件で取材をOKした。
 
それで全員であらためて音羽の説明を聞き、途中で何度か珠妃が光帆に電話して彼女の説明も聞いた。珠妃は玲羅のパソコンを借りてネット上のファンの声なども見ていた。
 
結果的に、珠妃も、Eliseも、そして麻生さんも、音羽たちに同情してくれたし、また朝道社長のやり方に疑問を呈した。
 
「誰か&&エージェンシーの社員の話が聞けないかな。白浜さん、私になら少し話してくれないだろうか?」
と麻生さんが言う。
 
「白浜さん、6月いっぱいで退職したんですよ」
「え〜〜!?」
 
「正直、白浜さんが居てくれたら、もう少しどうにかなってたんじゃないかという気もして」
と私は言ったが
 
「いや、朝道君の流儀なら、たぶん白浜さんも解雇されてる」
と麻生さん。
「そうかも知れません。一応白浜さんの後任は横浜網美さんという人なんです」
「ああ、あの子は知ってる。あの子と話せるかな?」
 
それで織絵が美来に連絡し、美来が横浜さんにメールしてくれた。30分ほどして本人から織絵の電話に掛かってくるので、少し織絵が話した後、麻生さんに代わった。
 
麻生さんはかなり突っ込んだことを横浜さんに聞いていた。
 
「え?ドームツアーするって?」
「7大ドームツアーです」
「誰が歌うのさ?」
「光帆さんだけで歌うことになります」
「伴奏は?」
「カラオケになると思います。ガラクンさんの作った伴奏って人間には演奏不能なんですよ」
 
「でもそんなのチケット売れるの?」
「悲惨なことになりそうで。麻生さん、何とか社長を停められませんか?」
と横浜さんは言う。
 
「いや、私が言っても聞かないだろうな。それにドームは予約済ませている訳だよね?」
「ええ。そうです」
「だったらキャンセルすると恐ろしい金額の違約金が発生する。予約してしまった以上、やった方がマシな気がする」
 
この時点では麻生さんも、まさかあそこまで悲惨な動員になるとは思ってもいなかったし、チケットが売れないのに焦って費用も考えずに大量のスポットを打ち更に赤字を拡大するというのも想定外だった。
 
結局麻生さんは、しばらく日本に滞在して、情報収集すると言っていた。
 
「そうだ。珠妃ちゃん、呪いの人形を買ってたね」
と麻生さんが言う。
 
「はい?」
「私にくれない?」
 
「いいですよ〜」
それで珠妃は人形を荷物から取り出すと彼女に渡した。
 
「でも何するんですか?」
「内緒」
と麻生さんは悪戯っぽく笑った。
 

私と珠妃はその日の最終便で東京に戻った。九州行きから始まって合計18000kmの旅であった。地球約半周だ。
 
さて、政子は先週仮免試験を2回落としたのだが、私がインドネシアに行っていた水曜日に再挑戦したものの、また落としていた。
 
「前の試験車が脱輪したから、それ避けようとして、こちらまで脱輪してアウトだったんだよ。そういう時はまずブレーキ踏めって叱られた」
「緊急時の対応は慣れてる人でも焦るからね」
 
しかし木曜日に再度見極めしてもらった上で、金曜日に4度目の挑戦でとうとう合格。土曜日からは第2段階に進んだ。
 
「やはり北海道で織絵に見てもらって少し練習したので自信付いたのよね」
などと政子は言っていた。
 
「ああ、やはり練習したんだ?」
「うん。車なんて全然通ってない道で、交差点曲がる練習とか、方向転換の練習とか頑張った。右よし・左よし・巻き込みよし」
「なるほどねー」
 

そして以下は麻央たちのレポートである。
 
日曜日の夜、私たちと分かれた千里はバス乗り場ではなく、羽田空港の駐車場の方に向かった。麻央は電話連絡で佐野君に車を出すよう言う。それで駐車場の出口の付近で待機していたら、私から聞いていたナンバーの真っ赤なインプレッサ・スポーツワゴンが出てくる。それで麻央たちは、その後を付け始めた。
 
「ナンバーも冬から聞いていたのと同じ。この車で間違い無いね」
「千葉に戻るのかな?」
 
千里の車が首都高に乗るので、佐野君たちも乗る。千里の車はそのまま千葉方面に湾岸に沿って走り出した。ところがすぐにウィンカーを付ける。
 
「あれ?分岐する?」
「千葉に戻る訳じゃないのかな?」
 
離されたらおしまいなので、多少尾行に気づかれるのも覚悟で近づいて付いていく。千里の車は大井JCTで分岐して中央環状線・五反田方面に分岐、少し走って渋谷近くの大橋JCTで3号渋谷線の東名高速方面に乗る。
 
「東名に行くのか!」
「満タンにしといて良かった!」
「これは結構ハードになりそう。麻央寝ててくれ。これ途中で交代しなきゃ」
「うん」
 
それで麻央が仮眠している間に千里の車はやがて東京ICを通って東名に乗った。佐野君の車もそれに続いた。
 

もう夜遅いので、東名もかなり空いている。その道を千里の赤いインプが爆走する。そしてその後を佐野君の青いインプが追うように走る。佐野君はもうこれは追尾しているのは絶対バレてると思ったという。
 
麻央が目を覚ましたのはもう2時半頃である。
 
「ごめーん。ちょっと寝過ぎた。ここどこ?」
「さっき名港中央をすぎた」
「伊勢湾岸道?」
「うん」
「ね、まさかノンストップ?」
「そう。もう3時間走っている。さすがに1回休憩すると思うんだけど」
「トシ眠くない?」
「眠いけど頑張る。コーヒーどっかに無い?このあたりにある奴は全部飲んでしまった」
 
「荷室にあったと思う。取ってくる」
と言って麻央はシートベルトを外し、後部座席に行って、荷室にあるコーヒーを4本持って来た。1本開けて佐野君に渡す。
 
「さんきゅ」
 

千里のインプは東名をずっと走り、豊田JCTから伊勢湾岸道に入っていた。そしてやがて東名阪・新名神と進む。ずっとノンストップである。佐野君が眠らないように麻央はたくさん話しかけ、また膝を揉んだり、腕をつねったりしていた。
 
さすがに1回くらい休むだろうと思っているのに、千里のインプは休まずにひたすら走っている。
 
「いったいどういうバイタリティなんだ?本当に女か?」
と佐野君が言っている。
 
「でもガソリンだいぶ少なくなってきたよ。もし岡山とか福岡とかまで行かれたらやばいね」
「いや。向こうもこちらと同じインプなんだから、こちらがガス欠になるなら向こうもガス欠になる」
 
「そっかー」
「たださ」
「うん」
 
「あいつ物凄く上手いんだよ。スピードが安定していて、加速度をできるだけ使わないように走っている。凄く燃費のいい走り方」
「わあ」
「だからこちらも加速度が掛からないように頑張ってる。でもガソリンタンクのギリギリくらいまで走られたら分からない」
「うーん・・・」
 
「でもそこまでギリギリになる前に給油すると思うんだよね」
「だよねー。高速でガス欠したら切符切られるもん」
 
インプは草津JCTから名神に戻り、桂川PAでやっと休憩した。羽田を出たあと4時間ノンストップであった。
 
「助かった!もう俺限界に近かった」
「交代する」
「頼む」
と言ってふたりは運転席と助手席を交代した。
 
千里が降りてトイレに行く。
 
「俺トイレ行ってくる!万一先に出たら俺は置いたまま後を追ってくれ」
「分かった」
 
大量にコーヒーを飲んでいるのでトイレも辛かったはずである。麻央もトイレに行きたいが、行っている間に向こうが出たら困る。佐野君はもう体力限界である。幸いにも千里より先に佐野君は戻ってきた。
 
千里のインプは千里が車に戻ってから10分ほどしてから発車する。麻央はこんなに停まっているのならトイレに行きたかったと思ったが仕方ない。こちらも出る。麻央の運転でフォローするが佐野君はあっという間に睡眠に落ちた。
 

千里のインプはその後、吹田ICで一般高架道路の大阪中央環状線に移った。そしてしばらく行った後、千里(せんり)ICで下道に降りた。少し行った所にある月極駐車場に入ってしまう。
 
麻央は寝ている佐野君を起こした。
 
「ここに入って行ったの?」
「ここ月極だからボクたちは入れない」
「たぶん車を置いて出てくると思う。俺が見てるから、マオ、車をどこかに駐めてきて」
「分かった」
「あ、待って。ガソリン満タンにしてきてくれ。俺のカード使って」
と言って佐野君がクレカを渡す。
「ラジャー」
 

麻央が給油&駐車に行っている間に千里が出てくる。ロングヘアが特徴的でこれなら、見間違わないなと思う。きれいにお化粧している。そうか桂川PAで10分停まってたのは、化粧するためだったのかと思い至る。
 
佐野君が後を付ける。千里は近くのホテルの早朝から開いているラウンジに入った。麻央に今居る場所をメールで報せる。ふたりもラウンジに入り、少し離れた場所に座る。
 
千里はこのラウンジで同じくらいの年齢の男性と落ち合った。
 
「彼氏かな?」
「なんかそれっぽいね」
 
ふたりは朝食を取っているので、麻央たちも朝食を取る。
 
今日は月曜日である。ラウンジには会社勤めっぽい人が結構いる。しかしさすがにホテルのラウンジで朝食を取ろうという人たちは、みんな良い服を着ている。
 
やがて千里たちが席を立つ。ふたりはホテルの玄関向かい側にある駐車場に駐めていたアウディに乗り込む。
 
「わっ!」
「この展開は考えてなかった!」
 
AUDI A4 Avantはあっという間に走り去ってしまった。
 
「どうする?」
「そのまま報告するしかない。でもさ。たぶん夕方くらいには戻って来たりしないかな」
 
「あり得るね」
「じゃ俺たちはどこかで仮眠しよう」
「そうしよう」
 

佐野君たちは状況を冬子に報告したところ
 
「お疲れ様!」
と言い、千里がインプに戻った所からをまた付けてもらえばいいと冬子は言った。
 
昨日冬子が振り込んでくれたお金をコンビニのATMで降ろしてから、ふたりは郊外のモーテルに車を駐めてベッドの上でセックスもせずにひたすら寝た。そしてお昼過ぎに千里がインプを駐めた月極駐車場の所まで戻った。お昼用に運転しながらでも食べられるおにぎりやハンバーガーを買い、缶コーヒーとクールミントガム、更に凍結されたジュースも買っておいた。
 
「中に入って見てきた。赤いインプが駐まってた」
「じゃ待つか」
 
外でずっと駐まっている訳にはいかないので、30分交代でひとりが立って見ている間にもうひとりが運転してその界隈を適当に周回しておくというのを繰り返すことにする。これを夕方くらいまで続けないといけないかもと麻央たちは思っていたのだが、千里は意外に早く戻って来た。
 
午後1時すぎ、千里が1人で歩いて戻って来て、中に入っていく。
 
「もう戻って来た!中に入った。たぶん出す」
と佐野君が麻央に連絡する。
 
「すぐ戻る」
 
麻央が車で戻ってきたので、佐野君が助手席に乗り込む。それからすぐに千里のインプは出てきた。追尾していくと、向こうは近くのガソリンスタンドに入った。こちらは道路脇に停めてハザードを焚いて待つ。
 
向こうが給油終わって出る。追尾する。
 
千里のインプは千里ICを昇って大阪中央環状線に乗った。少し離れた所で車の行方を見ていると、吹田IC方面に行ったようである。
 
「東京に帰るのかな?」
「たぶん」
「だったらまたノンストップかも。俺が運転する。代わろう」
「うん」
 
麻央の体力では東京までのノンストップ運転は無理である。
 
それでふたりは大急ぎで運転席を交代した。
 

停まっていたのでかなり距離が離れたものの、佐野君の青いインプがどんどん前の車を追い越して行くと、やがて千里の赤いインプが見えてきた。
 
「追いついた」
「良かった良かった」
 
それで佐野君のインプが千里のインプを追いかけていく。今度は千里は新名神には行かず、ひたすら名神・東名と走って東京に戻ってきた。今回はどこでも休憩しなかった。そして、首都高に入り、錦糸町で降りた。
 
「なんか高速料金がすげー」
「デートするために車で大阪まで往復したのかな」
「だとしたら凄い体力だぞ。夜中に5時間車を運転して午前中いっぱい彼氏とデートして、その後昼間に6時間ノンストップ運転して戻って来て」
 
「デート中はひたすらマグロになって寝てたりして」
「さすがにそんなデートは寂しい!」
 
やがて赤いインプは大きな体育館の駐車場に駐まった。佐野君もそこに駐める。
 
「ごめん。俺寝てる。見てきて」
と佐野君。
「OK」
と麻央は言って車を降りた。麻央は途中少し仮眠しておいたのである。
 

麻央が体育館の中に入っていくと、中ではバスケの練習をしている人たちがいた。麻央は2階席に上がってみた。すると黄色いユニフォームを来た10人ほどの女性たちがバスケの練習をしていたが、やがてそこに同じユニフォームをつけたロングヘアの千里が加わり、一緒に練習を始めた。
 
しかし・・・・6時間ノンストップで運転した後、そのままバスケの練習ができるって、一体どういう体力してるんだ!?
 
麻央は練習はしばらく続くだろうと考え、体育館のトイレを借りてから車に戻った。佐野君はいなかったが、すぐに戻って来た。彼もトイレに行っていたらしい。彼は近くのモスまで行って来たということで、ふたりでモスバーガーを食べ、ホットコーヒーを飲んだ。
 
近くのGSで満タン給油してきた後、体育館の駐車場で2時間ほど毛布をかぶって待つ内に選手たちが出てくる。地下鉄や電車で帰るのか表通りの方に歩いて行く選手もいる。駐車場に駐めた車に乗って帰って行く選手もいる。
 
やがて千里が赤いインプに乗り、車を出すので麻央はその後を追尾した。千里のインプは首都高を通って、千葉市内の駐車場まで行き、その後千里は車を降りて近くのアパートの一室に消えた。麻央はそこが冬子から聞いていた、千里の住居であることを確認した。
 

千里の尾行が大変だったのは初日だけで、その後は大学に行ったり、ファミレスのバイトに行ったり、神社のバイトに行ったりの繰り返しであった。麻央は、この子、一体いつ寝てるんだ?と疑問を感じた。大学のあと神社で2時間奉仕し、それからバスケの練習をした後、ファミレスで朝までバイト。バイトが終わるとまた大学に行って、などという恐ろしいことをしている。
 
この一週間、千里は毎日夕方には江東区の体育館に行ってバスケの練習をしていた。そのバスケの練習を見ているうち、麻央は彼女らが今週末の10月26日、大会に参加すると言っているのを耳に挟んだ。
 
そのあたりまで報告した所で冬子は
「ありがとう。大変だったね。ここまででいいよ。報酬は2人で40万くらいでいい?」
と言った。
 
「え!?うそ?」
と麻央は驚いて言う。
 
「ごめーん。少なかった?やはり100万くらい?」
 
「いや、あまりにも高額で驚いた。でもくれるなら50万くらいもらってもいい」
 
麻央はこの時、今回の調査費用が高速代とか途中で休憩するのに泊まったホテル代とかで10万くらい掛かったし、2人とも普段のバイトを休んでいるから、そのくらいはもらっていいかもと思った。
 
「うん。じゃ50万振り込むね」
「これで結婚資金ができる」
「それは良かった」
 
「じゃそれ受け取ったら、こないだの仮払い20万は返すね」
「あれは純粋な経費だから、そのままで。もし不足していたら追加で振り込むけど」
「え!? あれは高速代が3万くらいと駐車場代1万くらいに食費3-4万、ホテル代4万くらい、ガソリン代5万くらいで、えっと、だから16万くらいしか使ってないと思う」
 
「それって結構ギリギリだったね!」
「言われてみればそうかも!」
「余った分はそのまま取っておいていい。でももし再度計算してみて赤が出てたら言ってね。その分も渡すから」
 
「うん。念のため再度計算してみる!」
 
結局、麻央は再度計算してみたら純粋な費用として18万使っていたほか、着替えを洗濯している余裕が無かったので下着やトレーナーなどをカードで4万くらい買ったんだけど、と言ってきたので、私はそのオーバー分を含めて55万、麻央の口座に振り込んだ。
 
しかし麻央たちが追跡の純粋な費用として1週間で18万使ったということは千里もどう見ても10万は使っている。何だか恐ろしい生活をしているなと思った。そして千里のインプもかなり酷使されているし千里自身の体力が凄まじい。麻央も言っていたが、いったいいつ寝ているんだ?
 

この麻央たちの体力の限界まで使った調査のおかげで、私はバスケは数年前に辞めたと聞いていた千里が、実はバリバリの現役であったこと、そして大阪に男性の恋人がいることを知った。それは先日からの千里の話の中に出てきていた「不義の子」の父親なのだろうと私は判断した。
 
もっとも卵巣も卵子を持っていないはずの千里が、どうやって男性との間に「不義の子」を作ったのか(現在代理母?のお腹の中で妊娠中らしい)、私はこの時点ではどうにも不可解だった。
 
桃川さんといい、千里といい、最近は男の娘でも子供が産めるのか!??しかしそんな話が政子に知れると、おもしろがられて、私まで無理矢理妊娠させられそうだ!
 

私は11月3日、千里が出ている大会・東京都バスケットボール秋季選手権(オールジャパンの東京予選)を見に行った。
 
千里たちの40 minutesは決勝戦で敗れて残念ながら関東予選への進出はならなかったものの、ここで千里から思わぬことを頼まれる。
 
「私、今千葉のローキューツと、この東京40 minutesの両方のオーナーになっているんだよ。元々競合しないようにと思って、千葉と東京に分けて登録していたんだけど、どちらも強くなっちゃって、関東大会で両者が激突する可能性が出てきたんだよね。それでローキューツの方、もし可能だったら冬がオーナーになってくれないかな?ローキューツは結構上位の大会に進出するから、ローズ+リリーの宣伝に使ってもいいよ」
 
ローキューツには今年の苗場ロックフェスティバルに協力してもらっている。またキャプテンの歌子薫さんには制作中のアルバム『雪月花』の中の1曲のPVに出演してもらっている。
 
それで聞くとローキューツの年間の維持費は200万円くらいということだったので、そのくらいならいいよ、と言って私は引き受けることにした。それで私(正確にはサマーガールズ出版)が千葉ローキューツのオーナーになったのである。
 
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【夏の日の想い出・南へ北へ】(下)