【夏の日の想い出・南へ北へ】(2)

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札幌に着いた後、蔵田さんと樹梨菜、江藤さん、政子の乗る車はそのまま滝川市に向かったのだが、私と千里、織絵と龍虎が乗る車は札幌市内を走っていた。
 
やがて市郊外の数棟木造アパートが並んでいる所に着き、私たちはいったん降りる。階段を上っていき、2階の真ん中の部屋のチャイムを千里が鳴らす。
 
「わあ、すごーい!音羽さんに、ケイさんまで居る!そこの美少女は私まだ知らないけど、新人アイドル歌手さん?」
と中から出てきた玲羅はドアを開けるなり言った。
 
取り敢えず中に入って6畳の部屋の真ん中に座る。かなり散らかっているが、無理矢理部屋の真ん中付近だけ荷物をどけたようである。私はここに本当に布団を2つ敷けるか?と不安を感じた。
 
「散らかってて済みません」
と玲羅。
「いえ、私もちらかすタイプだから平気です」
と織絵。
 
そういえば織絵の部屋もカオスだといつか美来(光帆)が言っていたなと私は思った。政子もかなり酷い。部屋をきれいにしているのはAYAのゆみだ。彼女の部屋に何度か行ったが、いつも塵ひとつ落ちてない感じであった。そもそも彼女の部屋には物が無い。自分の歌ったCDでさえ置かれていない!
 

私はあらためてここ数ヶ月のXANFUSに関する状況をみんなに説明した。玲羅も千里も、そして龍虎も、Purple Catsの解雇、神崎・浜名ペアの契約解除を知らなかったという。みんな驚いている様子であった。
 
「ね。その件、少し裏工作してもいい?」
と千里が言う。
 
「そうだね。それは任せる。何かお金の掛かることがあったら言って。私が出すから」
「それは大丈夫。その手のことに冬は手を染めない方がいい。必要だったら雨宮先生に出させるし」
「分かった。じゃその件は任せた」
 

「無茶苦茶散らかってはいるんですけど、ここでも良ければいくらでも滞在していいですから」
と玲羅。
 
「姉から言われたので、取り敢えず、下着とか普段着とか買ってきました。あまり好みが合わないかも知れないけど」
 
「助かります!着替えていい?」
「うん着替えて」
 
それで織絵は奥の部屋に行って服を着替えてきた。
 
「新しい下着にしたら、凄く気持ちいい」
「ああ。昨日の朝から着替えられなかったよね」
 

「それとこれも姉から頼まれてauショップに行って来ました」
と言って、玲羅がauショップの袋を渡す。
 
「わあ、ありがとう」
と言って織絵が受け取る。
 
「デザインとか好みではないかも知れませんが」
「いや、助かるよ」
 
と言って、織絵は箱から取り出したAQUOS SERIE SHL25(pink)を触っている。
 
「これ料金は事実上休眠口座だったN銀行の口座から払うようにしています。こちらの通帳とカードも取り敢えず預けておきますので。暗証番号は0333ですが、適当に変更して使って下さい」
 
「覚えやすい番号だね!」
と織絵。
「私の誕生日だね」
と千里。
 
「へー!」
 
「取り敢えず今残高は2万4千円だけ入れておいたので、たくさん使われるなら残高追加しておいてください」
 
「うん。これ携帯自体の代金は?」
「75600円でした。姉から10万円振り込んでもらったので、実は携帯本体を買った残額を口座に入れたんです」
 
「なるほどー」
 
「そして、これ」
と言って私は携帯番号のメモを渡す。
 
「氷川さんに新しい携帯を1個確保してもらって、荷物を装って美来のいるマンションに放り込んでもらってきた」
 
「わあ」
 
それで織絵はその番号を早速登録し、そこに掛けた。すると、向こう側から掛け直すと言ったようである。5分ほどの後、掛かってきた。おそらく盗聴をおそれて部屋の外に出たのだろう。
 
「うん・・・・うん・・・」
 
織絵は今にも泣き出しそうな表情をしている。
 
私たちはそっと席を立ち、全員キッチンの方に移動してふすまをしめた。
 
織絵はしばらく美来と電話で話していたが、随分泣いているようだった。たぶん電話の向こうの美来も泣いているだろうなと私たちは思った。
 

織絵と美来の電話が終わった所で、私たちも滝川市のジンギスカン屋さんに移動することにする。
 
「玲羅ちゃんも来る?」
「行っていいんですか?」
「まあ関係者ということで」
 
それで、今度は私が運転し、龍虎が助手席、後部座席に玲羅・千里・織絵と乗って滝川に向かった。
 
実はここで玲羅を乗せることになるだろうと思ったので政子は蔵田さんたちの車に乗せたのである。
 
「美来からうちの母ちゃんの電話番号も聞いて、母ちゃんにも電話した」
などと織絵は言っている。
 
「お母さんの電話番号、覚えてなかったの?」
「いやあ、アドレス帳に頼り切ってたから」
「ありがち、ありがち」
 
「既に数人記者が来て、娘は居ませんと言ったけど、どうもその後、張り込みまでしているらしいって」
 
「やはり札幌に来て良かったかもね」
「ファンの人たちにも説明しなきゃいけないとは思うけど、今はまだどう説明すればいいのか分からない」
と織絵。
 
「今の段階で下手なこというと、まずいことにもなりかねないよ。しばらくは沈黙していた方がいい」
と私は言った。
 

蔵田さんたちをあまり待たせないようにと道央自動車道に乗った。ETCカードは千里が自分のを挿していたので、あとで割り勘にしようと言っておいた。
 
1時間ほどで滝川市の松尾というお店に到着する。当然蔵田さんたちが先に着いているだろうと思ったのだが、まだ着いてない。首をひねりながらも個室に案内され、そこでしばらく待っていると「参った参った」などと言いながら、蔵田さんたちが入ってくる。
 
「下道走ってこられました?」
と私が訊く。
 
「それがこいつカーナビを松尾の新千歳店にセットしやがって」
「カーナビセットしたのはコーじゃんか」
「お前も間違いに気付よ」
「まあまあ」
 
「更にこの馬鹿、インター降りてすぐの所で切符切られやがって」
と蔵田さん。
 
「ああ・・・」
「あれはごめん。でも90しか出してなかったのにぃ」
と樹梨菜は言っている。
 
「ICの出口の近くって、結構警察が張ってるんだよね」
と千里が言う。
 
「もしかして一発免停?」
 
90km/hということは60制限だったとしても30km/hオーバーだ。
 
「うん。せっかく今回は無違反で来てたのになあ。また次回もブルーだよ」
「免停は講習受けて1日に短縮かな」
「コー、悪いけど講習代と反則金出して」
「OKOK」
 
「あら、それ私が出しますよ」
と江藤さん。
「とんでもない!こいつが悪いんですから」
と蔵田さんは言っている。
 

お肉を持って来てもらい、焼き始める。
 
「美味しいですねー!」
と龍虎が笑顔で声をあげる。
 
「あなた凄く雰囲気いい。来年デビューするんだって?」
と江藤さんが言う。
 
「はい。アクアです。よろしくお願いします」
「もっともアクアという名前は1月まで非公開だけどね」
と私は補足する。
 
「へー。でも凄く売れそう」
と江藤さんはニコニコして龍虎を見ている。
 
「ああ。そうそう。洋子、これここまで来る間に書いたから清書しといて」
と言って、蔵田さんが少女趣味なレターペーパーにABC譜で書いた曲のメモを私に渡す。タイトルは『アタックされてびっくり』と書かれている。
 
まんまじゃん!
 
蔵田さんは基本的に「それはないでしょ」という感じのタイトルを付ける。これ実際には兼岩さんが違うタイトルに変えさせてくれと言ってくるだろうなと私は思った。
 
更には蔵田さんたちの車に乗っていた政子まで「冬。これ書いたから曲をつけて」と言って歌詞を渡す。『隕石の目覚め』というタイトルだ。こちらも、まんまだ!
 
「OKOK」
といってその詩を受け取った。私も少しメロディーが浮かんでいたので、それを蔵田さんたちを待つ間に書き留めておいた。それが多分使えるだろうなと私は思った。
 
「千里も何か書いた?」
「うん。ここまで冬が運転してくれたから、その間に書いたよ」
と言って五線譜を見せる。
 
「あ、その五線紙、少し余ってたらくれない?」
「OKOK」
と言って千里は五線紙を5枚分けてくれた。
 
「洋子、なんでお前五線紙持ち歩かないの?」
と蔵田さんから言われる。
「すみませーん。なぜか知らないけど、誰かから借りた方がうまく行くんですよ」
と私は答えた。
 
「ああ、確信犯だね」
と樹梨菜が言った。
 

かなり食べた所で、龍虎がトイレに立つ。続けて政子もトイレに立つ。そのあと千里、織絵、樹梨菜、と五月雨式にみんな1度はトイレに行ってきた。
 
「でもアクアちゃん、酔ってもいないのにトイレ間違えないようにね」
と政子が言っていた。
 
「どうかしたの?」
「だってこの子、トイレで男子の方に入って行こうとするんだもん」
 
千里が吹き出している。
 
「アクアちゃん、そっち違うーと言って手を引っ張って、ちゃんと女子トイレに入れたよ」
と政子。
 
アクアは恥ずかしそうに俯いていた。
 

焼肉屋さんを出た後は、また2台の車に分乗して、札幌に戻った。帰りは樹梨菜が「うっかり?」ビールを飲んでしまったので、千里と私が運転した。千里の車は助手席に樹梨菜、後部座席に蔵田さんと江藤さん、私の車には助手席に龍虎、後部座席に、政子・玲羅・織絵である。
 
千里は江藤さんを札幌グランドホテル、蔵田さんと樹梨菜を全日空ホテルに置き、車も全日空ホテルの駐車場に入れた。私たちの車は直接全日空ホテルに入り、玲羅はタクシーでアパートまで返した(千里が事前にタクシーチケットを渡していた)。
 
織絵をホテルに泊めたのは、今日の段階では玲羅の部屋が散らかりすぎていて!とても織絵の分まで布団を敷くスペースが無いからである。
 
そういう訳で、この日のホテルの部屋は蔵田さんと樹梨菜、私と政子、千里、龍虎、織絵と、ツイン2つにシングル3つを取っている。
 
それで各々の部屋に入って休もうとしていた時、政子が
「アクアちゃん」
と言って呼び止める。
 
「はい?」
「君、突然連れてこられたから、着替えとかなかったでしょ?」
「あ、はい」
 
「ジンギスカン屋さんに行く直前に、ちょうどしまむらがまだ開いているのの前を通りかかったからさ、寄ってアクアちゃん用の下着とパジャマを買っておいたのよ。良かったら使って」
 
「あ、はい。ありがとうございます」
「サイズは、たぶんアクアちゃんSで行けそうと思ったからパンティのSとブラは少し余裕見てB70買っておいたんだけど」
「わあ」
と言って龍虎はパジャマの方の袋をいったん千里に預けて下着の方の袋を見ている。
 
「このブラもキャミも可愛い!」
「可愛いでしょ。このくらいが女子中学生の好みかなと思って」
 
「でも私、A65でも行けるんですよー」
「じゃ少し大きすぎるかな」
「でもありがとうございます。下着は替えたかったから助かります」
「うん。じゃ、明日A65を買ってあげるよ。今夜一晩我慢して」
「大きいのは寝る時は問題無いです」
「だよねー」
 
それで龍虎は政子が買ってあげた下着の袋を持って自分の部屋に入って行った。しかし「A65で行ける」って、この子、自分に合うブラのサイズを知ってるんだ!と私は思った。
 

織絵は自分の部屋に入ると、ふっと息をついた。
 
ケイにしても、マリにしても、醍醐春海さんにしても、自分のことを凄く心配してくれる。そして・・・桃香も。
 
と思ってから昨夜の桃香との夜が思い起こされる。それは美来への裏切りでもあるので罪悪感が心を責める。でも行き先を失った心を桃香は癒やしてくれた。
 
そういえば、桃香と醍醐さんの関係って何だろう?恋人というのとは違うような感じだったけど。
 
それでも昨夜の「情事」は気持ち良かっただけに、いやでも脳裏に浮かぶ。何気なくバッグの中をまさぐるようにしていたら変な感触のものに手が当たった。何だこれ?と思って取り出して吹き出す。
 
それは夏フェスで数組合同の打ち上げをした時に、醍醐春海さんが見せてくれた「おちんちん」であった。そういえば何となく最後に持っていた自分が、お持ち帰りしてしまったのだけど、別に良かったのかな?などとも思う。
 
(織絵は部屋もカオスにするが、バッグも概してカオスで、時々賞味期限の激しく過ぎたおにぎりとかが潰れた状態で発見されたりする)
 

バッグの中を見ると、これを装着するハーネスまである。
 
ちょっと・・・付けてみようかな?
 
そう思った織絵はズボンとパンティを脱いでハーネスを装着。そこの取り付け口の所に「おちんちん」を付けてみた。
 
おお! なんかすげー!
 
自分や美来が使っているのに比べて、物凄くリアルである。織絵は実は本物のおちんちんというのを長い間見たことがない。小さい頃にお父ちゃんのを見たことがある程度だ。自分が中学生くらいになった頃から、父は自分の前では裸を見せなくなった。たぶん母に注意されたのだろう、でもこれは多分、物凄く本物に近いのではという気がした。
 
いったん取り外してから、自分が持っているメディスン・スプーンを中に挿入して再度取り付けてみる。
 
よし。おしっこしてみよう。
 
そう思ってトイレに行き、立ち小便をしてみる。
 
おお、なんか本当に男になったみたいだ。
 
私、いっそ性転換しちゃおうかな?
 
そんなことを考えたら少し気が晴れる気もした。
 

織絵は結局その「おちんちん」で30分くらい遊んでいた。
 
そろそろ寝るかと思い、取り外してメディスン・スプーンはきれいに洗い、拭いていっしょにビニール袋に入れる。ハーネスも取り外す。
 
それをバッグにしまおうとして、織絵の手が別のものに触れた。
 
取り出す。
 
XANFUSの先日リリースしたシングル『DANCE HEAVEN』である。
 
(織絵のバッグはほとんど四次元ポケットである)
 
このシングルは自分としても美来としても物凄く不本意だった。ガラクンさんと社長だけ盛り上がっていたけどね。こんなんが売れる訳無いと思ったら、初動が4000枚。そしてその後全く数字は動いていない。その買ってくれた4000人のファンの人たちが凄くありがたいが、また申し訳ない思いだ。
 
織絵はじっとそれを見ていた。
 
見ている内に怒りがこみ上げてきた。
 
やがて思い切ったような表情で織絵はバッグからゴミ減量用に持ち歩いているハサミを取り出すと、そのシングルのディスクを取り出し、ハサミではさむ。
 
「サヨナラ」
と言って織絵は指に力を入れた。
 
パリッという軽い音を立ててディスクに切れ目が入り、印刷などが剥離する。そのまま力を入れてきれいにディスクを切ってしまった。
 
そしてそのまま部屋のゴミ箱に捨てると、パッケージも一緒にゴミ箱に放りこんだ。
 
「ああ、すっきりした」
と言って、織絵はベッドに入り
 
「ミルル、おやすみ。昨夜はちょっとだけ浮気しちゃったけど、もうしないから勘弁してね〜」
と言って目を瞑り、すやすやと眠ってしまった。
 

タクシーでアパートに戻った玲羅は階段を上っていった所で自分の部屋の前に女性が立っているのを見てビクッとした。その女性が手を振る。
 
「お姉ちゃん!?」
「部屋があそこまで酷いとは思わなかったよ」
と千里が言う。
 
「ごめーん」
「朝までに私が少し片付けるから鍵貸して」
「あ、うん。えっと鍵って・・・私は?」
「近くのCホテル予約だけしたから、今晩はそこで泊まって」
と言って玲羅に1万円札を渡す。
 
「分かった!でも着替えとかだけ持ってく」
 
それで玲羅は鍵を開け、その鍵を姉に渡した後、部屋の中から荷物の中に埋もれている!パンティとブラジャー、キャミソールとトレーナーを引っ張り出してその付近に埋もれていたコンビニの袋に詰めると、後を姉に任せてCホテルに向かった。
 

玲羅が立ち去るのを見送ってから、千里は階段の下で待機していた《せいちゃん》たちに声を掛けた。
 
「じゃ持って来て」
「OK」
 
先ほど玲羅のアパートに寄った時、想像を絶する!散らかりように呆れ、すぐに数人の眷属をホームセンターに行かせて、収納用品その他を買ってこさせていたのである。本棚、新書用本棚(コミックスも収納可能)、エレクターのスティールラック、4段のプラスチック製衣装ケース6個、整理ダンス2つ、衣装ロッカー2つ、モスボックス10個、食器棚2つ、中型冷蔵庫!ファンヒーター2個と灯油、電気カーペット、配線用の電気コード、そして段ボール箱30枚!と運び込む。
 
そして眷属総出で片付け始めた。
 
最初に寒いからと思ってエアコンのスイッチを入れたら凄まじいほこりを含んだ空気が吹き出してくる。
 
「これは酷い」
と言って停める。
 
「フィルター掃除してくるよ」
「よろしく」
 
「ファンヒーター入れよう」
 
買ってきたファンヒーターのひとつを台所に部屋側に向けて置き、灯油を入れてスイッチを入れる。
 
「これで何とかなるな」
 

4畳半の内容物、そして押し入れの中の物を、男の眷属たちが「えいや」と取り敢えずまるごと6畳の方に移動させ、床を掃除した上で、衣装ケースを4個は押し入れの中、2個は部屋に重ねて置く。整理ダンスや本棚を置き、まずは荷物の中の本を取り出しては本棚に立てていく。電気の配線がたこ足になっていて危険な感じだったのを、整理する。もうひとつのファンヒーターを4畳半側に置き、こちらも灯油を入れて点火する。
 
「服はコインランドリーに持って行く」
「よろしく」
 
とてもそのままタンスに入れられないので洗濯乾燥させてから収納するのである。
 
ゴミ袋も大量に買ってきたので、明らかなゴミは分別してそこに入れていく。
 
「千里、割れたティーカップとかは要らないよな?」
「うん。ゴミだね」
「千里、破れたキャミソールは要らないよね?」
「うん。捨てていいと思う」
「散らばってる未使用っぽい生理用品どうする?」
「捨てよう!」
「漫画雑誌とかどうする?」
「取り敢えず紐で縛っておいて。必要なのがあったらそこから取り出すだろうし」
 
「生ゴミ関係は明日朝回収のある地区のゴミステーションにこっそり出してくるよ」
「ああ、いけないことだけど、今回は仕方ない。これ酷すぎるもん」
 
「千里は寝てろよ。明日があるだろ?」
「じゃそっちで毛布かぶって寝てるから、何かあったら起こして」
「OK」
 

龍虎は、友人の彩佳としばしLINEのやりとりをした後、そろそろ寝ようかと思ったが、マリが買ってくれたパジャマが手元にないことに気づいた。
 
あれ〜?と思って考えてみると、さっき渡された時、量が多かったので、千里さんがいったん持ってくれたような気がする。もしかして、千里さんうっかりそのまま自分の部屋に持ってっちゃった?
 
龍虎は千里がとっても「うっかり」の多い人であることに、ここ数年の付き合いで気づいている。
 
千里さんに電話する。
「どうしたの?龍ちゃん」
「すみません。ボクのパジャマそちらに行ってませんよね?」
「ちょっと待って」
と言って調べて?いるようだ。しかし背景に何だかたくさんの人が動いているかのような音が聞こえる。テレビでも見てるのかな?
 
「あったよ。こちらの部屋まで取りに来て」
「はい。すみません」
 

それで、龍虎は自分の部屋の鍵を持って廊下に出て、千里さんの部屋のドアをノックする。ドアが開けられる。
 
「え!?」
「まあ入りなよ」
「あ、はい!」
 
龍虎を招き入れた人物は千里ではなかった。しかし見覚えのある人物だった。
 
「久しぶりだな」
とその人物は言った。
 
「こうちゃんおじさんでしたっけ?」
「そこで『おにいさん』と言っておけば、褒美に何か望みをひとつ叶えてやっていたのに」
と《こうちゃん》は言った。
 
「望み?」
「女の子にしてあげてもいいぞ」
「それはまだいいです」
「ふむふむ」
 
「やはり、あれって夢じゃ無かったのね?」
「夢と思っていた方がいいよ。人には説明できないだろ?」
「そうですよねー」
 
「でも可愛くなったな」
「そうですかぁ?」
 
龍虎は彼と話していて凄くリラックスする気分になった。今日は蔵田先生とかケイ先生とかとずっと一緒でかなり緊張していたのである。このリラックス感は・・・そうだ、川南さんとおしゃべりする時みたいな気楽さだ。
 

「今、中学生?」
「はい、そうです」
「じゃセーラー服の女子中学生か」
「学生服の男子中学生ですよ!」
 
「なんだ。女の子になったんじゃなかったの?」
「なってません。ボク男ですよ」
「でも女の子になりたいんだろ?」
「なりたくないです!」
「だって女物の服着てるじゃん」
「これ、アルトお姉さんに着せられちゃったんですよ」
「なんで?」
 
「朝は学生服着て、上島のおじさんの家に行ったんですよ。でもアルトお姉さんが、その服は可愛くない。それにケイ先生のマンションは男子禁制だから学生服では入れないよとか言われて、この服を着せられちゃったんですよ。ついでに下着も女の子パンティとキャミソール着せられて。ブラジャーは拒否しましたけど」
 
「ブラジャーくらいつければいいのに。俺もブラジャー好きでよくつけるぞ」
「それは変態なのでは?」
 
《こうちゃん》は龍虎の至近距離まで顔を近づけた。
 
「でもお前、顔の作りが女顔だよ」
「あ、それは言われたことあります」
「ほんとにチンコ付いてるんだっけ?」
「付いてますよー」
「じゃ見せてみー」
「なんでですかぁ?」
「男同士だし見られても構わんだろ?俺のも見せてやるぞ」
「見せてもらわなくてもいいです!」
 
ともかくもそれで龍虎はスリムジーンズとパンティを脱いでその付近を《こうちゃん》に見せた。
 
「まだ毛が生えてないのか」
「ボク発達遅いみたい」
「金玉小さいな」
 
「ちょっとぉ、触るのやめてください」
「これまだ幼稚園生並みの金玉だ。チンコもやはり小学校低学年並みだ」
 
龍虎はドキっとした。確かに自分のは凄く小さいような気がしていたのである。
 
「医者に診せたことある?」
「こんなの見せません」
「男になりたいのなら、男性ホルモンとか処方してもらえばいい。俺が調達してきて渡してもいいけど」
 
「男性ホルモンは・・・・打ちたくない気分なんです」
「んじゃ女性ホルモン打つ?」
「え〜〜!?」
 
「まだお前の骨格とか、脂肪の付き方は、性的に未分化だよ。今ならまだ女性ホルモン打ってれば、完璧に女らしい身体になれるぞ」
 
「それ、どうなるんですか?」
「女性ホルモン打って女性的に身体を発達させて、18歳くらいになったら、ちゃんと手術して女になればいい」
 
「手術かぁ・・・」
「やはり女になる手術受けたい?」
 
龍虎は少し悩むようにして言った。
 
「ボクまだ自分がよく分からないんです」
「ふーん」
 
「自分が男か女かと言われたら、男だと言えます。別に女の子になりたい気持ちは無いつもりです」
「でも女の子になっちゃってもいい気もするのか」
「うーん。そうかも知れない気もするんですよね。積極的に女の子になりたい訳じゃ無いけど、何かの間違いで女の子になってしまったら、それでも何とかなるような気がして」
 
「お前、友達とか、男の友達が多い?女の友達が多い?」
「女の子の友達ばかりです。ボク身体があまり強くないし、体育もいつも1ばかりで、男の子はあまり相手にしてくれない感じ。でも女の子とおしゃべりしてるのは楽しいんですよね」
 
「恋人作るなら、男?女?」
「女の子です」
「女の子への友情と恋愛感情って区別つく?」
 
「実は・・・」
と言って龍虎は悩むように言った。
 
「ボク本当は恋愛って分からないんです」
「だろうな。お前、性的に未発達だから、恋愛感情もまだ出てこないんだよ」
「もう少し発達したら出てきますか?」
 
「男性ホルモン投与してたら、女の子が好きになると思う。女性ホルモン投与してたら、男の子が好きになると思う。あれって結構ホルモンの影響が強いみたいだぞ」
 
「そっかー」
と言ってから龍虎は少し考える。
 
「千里さんは最初から男の人が好きだったんですか?」
「あいつは小さい頃から女性ホルモンに曝されてるからな」
「へー!」
「あいつは本当は6歳で死んでしまう運命だったんだよ。でも色々な偶然と神様の気まぐれのお陰で、生きながらえてきた。但し女としてな。男の千里は12歳で死んでしまったんだよ。でも女の千里は多分100歳まで生きる」
 
「思うんですけど、ボクももしかしたらあの時死ぬはずだったということは?」
「うん。お前は本当はあの手術の最中に死ぬはずだったんだよ。だから死ぬ前にお前が空を飛びたいと言っていたからというので、空を飛ばせてやったんだよ。でも偶然の作用でお前の寿命は延びた」
 
「ボクいつ死ぬんですか?ボク20歳まで生きられないような気がしていて」
「少なくとも20歳や30歳で死ぬことはないから安心して生きな」
「こうちゃんおじさん。ボクの寿命を知っているんですか?」
「知っているが言ってはいけないことになってる。でも寿命なんて気にすることないよ。死んでみれば分かるしさ」
 
「そうですよね!でも取り敢えず20歳までは生きられるんだったら、少し頑張ってみようなかあ」
 
「ああ、日々自分ができるベストのことをしていくことが、良い人生につながるんだよ。日々後悔ばかりしてたらダメだぞ」
 
「はい!」
と龍虎は明るく答えた。
 

「そうだ。サービスでその金玉取ってやろうか?」
「え〜〜!?」
「だってその金玉、ほぼ死んでるぞ。そのままだといつまでもこれ以上大きくならないし、結果的にお前いつまでも男らしい身体にはならないぞ」
 
「取っちゃったらどうなるんですか?」
「その先は男性ホルモン摂るか、女性ホルモン摂るか次第だな。どっちみちその金玉は男性ホルモンを生産する力は無い。恐らくは放置しておいたら、お前が中学卒業する頃までには腐ってしまって、結局手術して摘出することになると思う」
 
「ボク、子供は作れない? 自分には無理かなという気はしてたけど」
「今男性ホルモンを摂れば父親にもなれる」
「はぁ・・・」
「今女性ホルモンを摂れば母親にもなれる」
「え〜!?だってボク子宮とか無いのに」
「そのくらい何とかなるさ」
「そういうもんですか?」
 
《こうちゃん》はいきなり、龍虎の袋の中央の縫い目に沿って鋭い刃物のようなものを当てた。
 

「きゃっ」
 
「ふーん。大きくならないな」
「え?」
「普通の男の子だったら、ここに刃物突きつけられると、大きくなる」
「そうなんですか?」
「そもそもこれ、大きくなる?」
「なりますよー」
「オナニーしてる?」
「何度かしたことあります」
「ああ、普段はあまりしないんだ?」
 
「オナニーって気持ちいいらしいけど、よく分からなかった」
「それが性的に未発達ってことさ」
 
というと、《こうちゃん》はそこをスッと縦に切ってしまった。
 
「え〜?」
「痛くないだろ?」
「痛くないです。切られて血も出てるのに」
「これは夢だからさ」
「本当に夢なんですか〜?」
「そうだよ。ほら、これがお前の金玉」
と言って、《こうちゃん》はそれを袋から引き出してしまう。
 
龍虎はそれを見てドキドキした。
 
「それどうするんですか?」
「よければこのまま取っちゃうけど」
「取ったら元に戻せませんよね?」
「普通は無理」
「だったら、まだ取りたくないです」
 
「『まだ』取りたくないねぇ」
と言って《こうちゃん》は笑うと、それを2個とも切り離してしまった!
 

「ちょっとぉ、まだ嫌だって言ったのに!」
 
と言いつつ、龍虎は玉が無くなってしまった以上、ボクやはり女の子になるのかな?などと思った。しかし《こうちゃん》は
 
「この金玉、さっきも言ったように、このままだと腐ってしまうと思う。もうほとんど死んでる。だから俺が治療してやるから」
と言った。
 
「あ、はい」
 
「これ治療に数年かかると思う。20歳になった時に、まだお前が男になりたいと思っていたら、その治療が終わった金玉を返してやるよ」
 
「はい」
「それまではお前はほぼ中性だから、男にも女にもなれる状態のまま。そんな感じがいいんだろ?」
「そうかも」
 
「女の子になりたいなら、今すぐ、チンコも切ってやるけど」
と言って、《こうちゃん》は龍虎のおちんちんの根本に刃物を当てた。
 
「切られると困ります!」
と慌てて言う。
 
「そうか。困るか」
と言うと、彼はそれを切り落としてしまう。
 

「いやー!」
 
と言って龍虎は突起物が無くなってしまった股間を見て、ドキドキしていた。袋はあるものの、中身が無いのでピタリと身体に吸い付いているような状態である。タマタマもおちんちん無くなっちゃったら、もうボク女の子かな?でも女の子だと本当は割れ目ちゃんがあるよね?
 
「じゃこのチンコも20歳になった時、お前が男になりたいと思っていたら返してやるよ。金玉と一緒に治療するから、多分14-15cmくらいまで成長する」
 
「14-15cm?」
「このくらいだな」
と言って、《こうちゃん》は龍虎のバッグの中から勝手に生徒手帳を取り出した。
 
「この生徒手帳の縦が8cmくらいだよ。だからこの倍くらい」
 
「おちんちんって、そんなに大きくなるの?邪魔じゃないですか?」
「あくまでそれは立った時だから。普段は6-7cm。この生徒手帳の横幅程度だよ」
 
「それでも結構大きそう」
「ああ。お前のこのチンコ、今は4cmくらいしか無いもんな」
 
と言って《こうちゃん》は切り離してしまった龍虎のおちんちんを弄んでいる。
 

「でも、20歳になるまで、ボク、おちんちん無しですか?」
 
「チンコ無い方が女の子パンティ穿くのには楽だぞ」
「おちんちん無いと男湯に入れないです」
「女湯に入ればいいじゃん。お前、小学校の修学旅行の時は女湯に入ってたじゃん」
「あれはうまく友達に乗せられちゃって」
 
「あ、そうそう。どっちみちお前、人工的にホルモンのコントロールした方がいい。そうしないと骨粗鬆症とかになるんだよ」
 
「あ、はい」
 
「それ、千里の妹が得意だから、頼んでみな」
「妹って玲羅さんですか?」
「あ、そうか。玲羅じゃなくて、もうひとり青葉ってのがいるんだよ」
「へー」
 
「俺のことは言うなよ」
「誰にも言いませんよ。言ったって誰も信じないだろうし」
 
「千里よりむしろケイから紹介してもらうといい。千里はお前があまり女性化するのは好まないと思うし」
「千里さんだけなんですよ!ボクを普通の男の子として扱ってくれるのは!みんなボクに女の子になりたいんだろ?とか言うんです」
 
「だから千里から頼まれたらきっと青葉はお前を男らしくしてくれる」
「いやだあ」
「ああ、やはり男になりたくないんだ?女になりたいんだ?」
「そういう訳じゃないんですけど」
「何なら割れ目ちゃんも作ってやろうか?」
「え〜?どうしよう」
 
「まあいいや。あまり親切にしすぎると千里から俺が叱られそうだし。青葉はケイから頼まれたら、お前をちゃんと女らしい体つきになるようにしてくれるよ」
 
「それもちょっと困ります」
「ちゃんと、おっぱい大きくしてもらえるぞ」
「おっぱい・・・・」
 
「じゃまた7年後に。可愛い女の子アイドルになれよ」
「男の子アイドルですぅ!」
 
「女の子の方が売れるのに」
「でも男の俳優になりたいんです。だから、おちんちんが無いのは困るんですけど」
「そんなの、人に見せるもんでもないし、無くたってバレないって」
「付いてないと困ります」
 
「じゃ、しょうがないな。だったら・・・」
 

龍虎はハッとして目が覚めた。ベッドの中で寝ている。
 
あれ〜?まさか今のって夢?
 
そっとあそこに手をやる。
 
おちんちんある!
 
良かったぁ!!
 
でもなんか小さくなってない?
 
でもおちんちんあるってことは、やはりあれ夢だったんだ。
 
タマタマは。。。無い!こちらは無くなっちゃった?
 
と思ったが、体内に入り込んでいることに気づく。これは時々、寝ている間にこうなってしまうことがある。放置しておいても起きて動いている間に自然に下に降りてくる。指でそっと押し出すようにする。感触を確かめる。あれれ?こちらは少し大きくなった気がする。何でだろ?
 
パジャマの入った紙袋がベッドのそばにあった。
 

龍虎は今のは夢と現実が混じっているのかも知れない気がした。でも久しぶりに会った(?)のに、ちゃんとこうちゃんさんの名前を思い出せたな、というのが不思議な気持ちだった。
 
カッターを出してきてパジャマや下着のタグを切るが、その時、自分のアレとかアレとかを切る所を一瞬想像してしまった。女の子パンティのタグを切る時も、何だか物凄くドキドキした。
 
女の子パンティは小さい頃から川南さんに乗せられて結構穿いていたから今更なのに今日はこのタグを切るのに何だか凄く変な気分がする。
 
さっきの夢?の中で、おちんちんもタマタマも無くなった状態のお股を見たのを思い出す。ああいうお股なら、このパンティが無理なく穿けるよなあ。あれいいなあ、と一瞬思ってから、でもまだおちんちん無くしたくはないと思い直す。
 
おちんちん付けたまま女の子になるってのは無理だよなあ。
 
龍虎は自分が普通の男の子ではないみたいという気はしていたので、そのあたりのことも結構自分で調べていた。女になりたい男の人は自分の性器をとても醜悪な奇形と思っているとか書かれていたけど、そこまで嫌悪はしてない。むしろおちんちんは良いものだと思っている。いじると気持ちいいし。
 

龍虎は気分転換するのも兼ねてシャワーを浴びてきた。シャワーであの付近も洗っている時、これ女の子の形だったら、どういうふうに洗うのかな、などと想像したりした。
 
でも・・・このおちんちん、何だか自分のじゃないみたい!?
 
やはり少し小さいし、何より途中1ヶ所ほくろみたいな黒い部分があったのに、これにはその黒いのが無い。自分のちんちんの代わりに別の人のおちんちんをくっつけられたんだったりして!?
 
身体を拭いて、部屋に戻る。パンティを穿き、ブラをつけてキャミを着る。
 
その時、もしおちんちんが無くて、おっぱいがあったら、こういう下着にもっと合うのかな、などと思った。
 
でも、おちんちん無くすのは嫌だ!
 
だから多分自分は女の子になりたい訳ではないのだと思う。結婚するなら、相手は女の子の方がいいと思うし。男の人と結婚するなんて想像ができない。
 
このあたりが龍虎が心の中に抱える矛盾である。
 
パジャマを広げてみる。
 
可愛い!さすがマリさんが選んだだけある。値段のタグは切ってあったけど、これ結構するよね?
 
こういうの着れるのが、女の子のいい所だよなあ。男の子の服って詰まらないんだもん。龍虎は小学生の頃は、スカートこそ(彩佳とか少数の親友以外の)人前では穿かないものの、結構左前袷の上着とか女の子用のズボンとかで学校に出て行ったりもしていた。中学になると学生服になったので、ちょっと詰まらない思いである。セーラー服とか着てみたい気もしないではないが、そんなこととてもお母さんには言えないと思う。
 
誰かセーラー服買ってくれたりしないかなあ。。。
 
そんなことを考えながらベッドに入ったが、東京から大移動してきたので疲れていたのだろう。すぐ眠ってしまった。
 
夢の中で龍虎はウェディングドレスを着て、なぜかタキシードを着た彩佳にお姫様だっこされていた。
 

江藤さんは札幌に3〜4日滞在してから東京に戻るらしかった。蔵田さんから耳にしたのでは、どうも札幌で会社のお得意様をキャッチして、東京までのビジネスジェットの旅を楽しんでもらう予定を入れているようである。
 
その蔵田さんたちは夜中過ぎに「もう酔いは覚めたから出発するね」と私の携帯にメールしてきて、スカイラインに乗って、美幌町のマウンテンフット牧場に向かった。
 
チェリーツインが拠点としている牧場である。マウンテンフットというのはオーナーの山本さんの苗字を英語に直訳したものである。
 

チェリーツインの“ツイン”こと気良星子・気良虹子の姉妹は言語障碍だが、あそこの牧場には、発達障碍や自閉症などの人が50人ほど泊まり込みあるいは通所で勤めている。積極的にそういう人たちを雇用しており、障害者自立支援施設としての指定も受けているのだが、その人たちのお世話係として介護士や臨床心理士・言語聴覚士、作業療法士、看護師など、またPECS, ポーテージなどの社会復帰訓練の指導者の資格を持った人などが常勤や非常勤で詰めていて、訓練をしてあげている。この部門は福祉法人として別運営になっている。
 
チェリーツインの“チェリー”こと、桜川陽子(少女X)・桜木八雲(少女Y)は各々の事情により高校を中退した。しかし彼女らはここで勤めながら通信制の高校に入り、時間は掛かったものの、最終的に高校卒業の資格を取得した。この牧場には一般の社会の「コース」から外れてしまった人も多数勤めている。
 
なお、八雲は実はこのバンドの事実上のマネージャーで、スケジュール管理やお金の分配、備品の管理、対外交渉などを行なっている。陽子や桃川さんはむしろ彼女を「影のリーダー」と呼んでいる。実際プロダクションやレコード会社との交渉・打ち合わせで頻繁に東京と美幌を往復している。
 
チェリーツインの伴奏者?兼ソングライトペアの紅ゆたか(秋月義高.Gt)・紅さやか(大宅夏音.B)は《自称ニート》である。彼らは札幌市内の私立大学を出た後、一度も会社勤めをしたことがないらしい。親の金で遊んでいる状態で、この牧場にも勤めている訳ではなく、いつもはあちこちの山登りなどをしつつ、たまにふらりと牧場に来ては、滞在中は配達とか草刈りとかの作業をして日銭をもらっていたという。
 
しかしチェリーツインを始めてからは、CDの売上やライブの出演料などで結構な収入が得られており、初めて親に仕送りをして、親が泣いたという話も桃川さんから聞いた。ふたりはいつも一緒にいるので「ホモのカップル?」と思われることもあるが、実際には恋愛関係は無いし、ふたりとも女の子が好きですと本人たちは言っていた。
 
もっともその手の話が好きな政子などは
「あの2人どちらが女役かなあ。やはり《さやか》という女っぽい芸名の大宅さん?」
などと、テカテカした目で言っていた。
 
大宅さんの名前は「夏音」と書いて「なつお」と読むのだが、時々「なつねさんですか?」「かのんさんですか?」と言われることもあり、名前だけ見られると女性と誤認されることもある(選挙の投票所でトラブったこともあるらしい)。しかし女装などの趣味も無いと、少なくとも本人は言っていた。
 
もっとも私は実は美空から大宅さんの女装写真を見せてもらったことがある(陽子経由の流出だと思う)。宴会の余興の罰ゲームでやらされたということだったが、充分女に見える、きれいな女装だった。
 
チェリーツインの事実上のサウンド・プロデューサーでピアニスト(ライブではサポートの人にキーボードを弾いてもらい自分はドラムスを打つ場合もある)桃川さんは、音楽系の大学を出ていて歌も楽器もうまいし、音楽理論に物凄く強い。チェリーツインのスコアは最終的には桃川さんが監修している。
 
彼女は自殺未遂者で、偶然通りかかった秋月・大宅に助けられ、しばらく牧場で過ごすといいと言って連れてこられたまま、居座ってしまった。
 
桃川さんはMTFで高校の時からずっと女性として過ごしてきたという。高校時代に去勢して、その後陰茎も切除したらしいが、少なくとも2014年夏の段階ではまだ造膣はしていないと(本人は)言っていた。
 
ただ彼女は小学校高学年の女の子を連れていて、自分の娘だと言っていた。この子は実はチェリーツインのPVに何度か出演したこともあり、いつも顔は隠していることから、チェリーツインのファンの間では『少女Z』とも呼ばれている。私は一度彼女に
 
「それ桃川さんが誰か他の女性との間に作った子供ですか?」
と訊いたことがあるのだが
 
「私が産んだのよ。この子の父親も一応生きてるよ。まあたまにこの子の顔を見に来るけどね」
と彼女は笑顔で言っていた。実際その娘さんも桃川さんのことを「ママ」と呼んでいた。
 
そのあたりの経緯については、私もよく分からない。チェリーツインに初期の頃から関わっていた千里は知っているようだが「ひ・み・つ」と言っていた。
 
「まああれは実際問題として簡単には説明できない複雑な話なんだよ。でも、しずかちゃんは本当に春美さんの遺伝子上の娘だよ」
とも千里は言っていた。
 

翌19日(日)はホテルで一緒に朝御飯を食べてから、玲羅のアパートに行き、まずは部屋の掃除をすることにした!
 
ここで政子は戦力外というか、むしろ邪魔なので織絵の気分転換も兼ねてドライブでもしておいで、と言って送り出した。この時期、政子は自動車学校に通っていたが、先週仮免試験に2回続けて落ちて、今週再挑戦という状態でまだ路上練習も出来ないのだが、織絵は免許を持っているということだったので、スカイラインの鍵を織絵に預けた。
 
そして、私と千里、玲羅、龍虎というメンツでお掃除をする!
 
「龍ちゃん、ごめんね。こんなの手伝わせて」
と千里。
「いえ。ボクもよく部屋を散らかしてると言われてお片付けしてます」
と龍虎。
「部屋って散らかるよねー」
と玲羅。
「いや、これはさすがに散らかりすぎ」
と千里。
 
「でも昨日来た時より少し片付いている気がする」
と私は言う。
 
「さすがに酷すぎると思って、昨夜頑張って掃除しました」
「それは大変だったね!」
「それでゴミがあれだけ出ちゃったんですよ」
「なるほどー」
 
仕分けされたゴミの袋がいくつも台所の隅に置かれている。
 
「それ不燃ゴミとかは回収日まで時間あるし、あとで車で処理場まで持っていこうか。お金はかかるけど」
「ああ、それでもいいか」
 
「でも布団買って来なくちゃね」
と私が言う。
 
「私行ってきます」
と玲羅が言い、車で出かける。玲羅の車は何だかあちこち凹んだり傷付いたりしているセフィーロ・ワゴンである。色は上品なゴールドだ。
 
「これかなり昔のモデルだね」
と私は言った。
 
「1997年型ですよ。1万円で買ったんです。傷も半分は元々なんですよ」
と玲羅。
「1万円は凄い!」
と私。
「動かなかったのを、私の友達に整備してもらったら動くようになった」
と千里。
 
「でも大きな車だから、これなら布団とか充分乗りそうだね」
「ええ。でも1度には無理かも知れないから、2往復します」
 
それで玲羅は出かけるが、何かメモを持っているので、それ何?と聞くと、織絵から頼まれた買物メモと政子から!?頼まれた買物メモらしい。
 
「お疲れ様!」
 
それで私は彼女に念のため5万円渡しておいた。玲羅は結局3往復した。1度目が敷き布団とマットレス、2度目が毛布2枚と掛け布団、枕やシーツ、3度目が織絵と政子の買物メモであった。
 

昨夜玲羅が頑張って片付けたということで、奥の4畳半の部屋はかなりすっきりしていたので、そちらに電気カーペットを敷いた。そして6畳の部屋の掃除をしていく。基本的には奥の四畳半に織絵を寝せて、6畳の方に玲羅が寝るというのでいいだろうと千里は言っていた。
 
「でも真新しいタンスとか衣装ケースとか本棚とかあるね」
と私。
 
「こないだ私が来た時、あまり散らかってるからと思って買ってあげたんだよ」
と千里。
 
「なるほどー」
「でもそれを使わずに散らかしてたんです。昨夜頑張ってだいぶ収納しました」
と玲羅。
 
「本は今日の午前中だけでも随分本棚に収納したね」
 
お昼になるので玲羅が(千里に頼まれて)3回目の買物の時に買ってきてくれたお総菜でお昼にしようとしていたら、政子から
 
「お腹空いてきたから、いったん戻る」
という連絡が入る。
 
「政子が戻るなら、食料が足りない!」
「ピザでも頼もう!」
 
ということで千里がピザの宅配を頼んでいた。Lサイズ5枚なんて注文をしている。そのピザが届く前に政子たちが戻って来る。
 
「織絵ちゃんたち、どこ行ってきたの?」
と千里が訊くと
 
「取り敢えず市内で買物してた」
と言う。
 
「買物も結構気が晴れるでしょ?」
「うん。カードで100万円の真珠のネックレス買っちゃったよ」
と言って、大型の青いジュエリーケースに入った大粒のネックレスを見せる。
 
「きゃー。100万円?」
と玲羅が悲鳴をあげる。
 
千里がそのネックレスを見て
「これ国産だね。伊勢湾?」
と言う。
 
「うん。そう言われた。伊勢志摩のアクア貝だって」
と政子が言うので、龍虎が一瞬ビクッとする。
 
「アコヤ貝ね」
と織絵が訂正した。
 
「そういう大きな買物すると、結構気が晴れるよね」
と私は言う。
 
「でもどうしよう。私もらった退職金2000万をあっという間に使ってしまいそう」
 
「それ1500万円くらい、別口座に移して、そのカードを誰かに預けた方がいい」
と千里が言う。
 
「そうしようかな」
 
「玲羅、月曜日に一緒に銀行に行って手続きしてさ、その通帳とカードを睦子に預けてくれない?あ、いや最初から睦子を呼び出して、睦子にも一緒に銀行に行ってもらった方がいいかな。あの子結構押しが強いから、住所問題とかで何か言われた時にあの子なら何とかすると思う。それで睦子に東京に持って来てもらって、冬に預かってもらう。というのでどう?」
 
と千里は提案する。
 
「ああ。ケイに管理してもらうと安心かも。美来も危ないし、うちの母ちゃんはもっと危ない」
と織絵。
 
「じゃ、そうしよう」
と私は言った。
 
それで千里が高校時代の友人で札幌在住の瀬戸睦子に電話していた。
 

「そうだ、これ買ってきたのよ」
と言って政子が何だかとても可愛いスカートを取り出す。
 
「これアクアちゃんにプレゼント。君、ジーンズもいいけど、スカートの方が絶対似合うよ。昨日はあまり可愛いの見つけられなかったんだよね〜」
などと言い出す。
 
「え〜?私、スカート苦手です」
と龍虎。
 
「だって中学の制服はどうせセーラー服か何かでしょ?君のように可愛い女の子はスカートの方が絶対いいって」
と政子。
 
私も千里も苦しくてたまらなかったのだが、龍虎は困ったような顔をしながらそのスカートを受け取る。
 
「下着もまた買ってきたよ。パンティは、イチゴ模様、水玉模様に、キティちゃんのバックプリント、ブラジャーは、ぷりりのB65を2枚」
 
「ありがとうございます」
と言って、龍虎はそれも少し困ったような顔をしながら受け取った。
 
「じゃ着換えて来ます」
と言って、バスルームに行き、スリムジーンズの代わりに可愛いミディのプリーツスカートを穿いて来た。どうも下着も交換したようである。
 
「おお、可愛い!」
と織絵が声をあげる。
 
「ほんと可愛い。アクアちゃん、絶対スカートの方が似合ってるよ」
と玲羅も言った。
 
そういう訳で、この日アクアは後半はスカートで過ごすことになった。なお、脱いだ服とかを入れるのに玲羅が、紙袋と旅行用バッグを出してあげた。
 
「この旅行用バッグはアクアちゃんにあげるよ。500円で買った安物だけど」
「じゃ頂きます」
と言って、アクアは下着の交換したのと未使用分をバッグの中に左右に分けて入れ、穿いて来たスリムジーンズは紙袋に入れていた。
 

やがてピザが届く。まずはピザの箱3つを政子の前に積み上げ、残り2つを他の5人でシェアする。
 
掃除がほぼ終わっている4畳半の方でピザとお総菜、コーラなどを取り囲んで座ったのだが、この中でスカートを穿いているのが政子と龍虎で、他は全員ズボンである。政子は足を前にまっすぐ伸ばした状態で座っているが、龍虎は足をそろえて曲げて片側に出し、いわゆるお姉さん座りをしている。やはりこの子スカートに慣れてるじゃん!と私は思う。
 
「でもピザの宅配なんて頼んだのは初めて」
と玲羅が言っている。
 
「あまり出前とか頼まない?」
と私は訊く。
 
「そういう習慣が無いもので」
と玲羅。
 
「留萌は出前とかしてくれる店無かったんだっけ?」
と政子。
 
「あったと思うけど、うちは超貧乏だったから」
と千里。
 
「あぁぁ」
 
「うちの両親が結婚した頃は、とりあえず市営住宅に入るけどお金貯めて5年後くらいには家を建てようなんて景気のいい話してたらしい。でも北海道の西側の海域で獲れる魚が毎年減っていって、私たちが小学校中学校の頃は、どんどん家が貧乏になっていったんだよ」
 
と千里。
 
「大変だったね」
 
「ついに私が中学3年の時に船団が廃止になって、父が失業。お前は高校には行かせてやれないから中学出たら就職してと言われて」
 
「ほんとに大変だ」
 
「そんな時に、私の出たバスケットの試合を偶然見た旭川N高校の宇田先生が私を授業料の要らない特待生として取ってくれたんだよ。おかげで私は高校に進学することができた」
 
「そういう経緯だったのか」
 
「それで高校の友人たちと一緒にDRKというバンドを組んでほんとに余暇に活動していたら、それを∞∞プロの谷津さんが偶然見て、あんたたちCD作らない?とか言われて」
 
「へー」
「でもうちは進学校だし、そんなのできないじゃん。それで私たちよりもっといいバンドがどこどこで見つかりますよと私が占った」
 
「欲が無い!」
と織絵が言う。
 
「それで谷津さんが、私が占いで出した場所と日時で見つけたのがラッキーブロッサムだったんだよね」
 
「おぉ!」
 
「ラッキーブロッサムは実際には、ラッキートリッパーとレッドブロッサムという2つのバンドで、∞∞プロではこれを合体してひとつのバンドとして売り出すことにした。ここで問題が2つ生じた」
 
「ふむふむ」
 
「ひとつはパートが重なるという問題」
「ああ」
「もうひとつは鮎川ゆまが、サクソフォーンを吹いた方がいいかボーカルに転向した方がいいのかという問題」
 
「あれはゆまさんがサックスだから良かったんだと思う」
と織絵が言う。
 
「それをどうすべきか占ってくれと言われて、私が東京まで呼ばれたんだよ。彼女たちを見つけてくれた占い師さんの意見を聞きたいと言われて」
「へー!」
 
「そしてその時、ゆまさんの先生である雨宮先生と遭遇して、気に入られちゃったというのが、私が音楽業界にどっぷり片足突っ込んでしまったきっかけ」
と千里は言った。
 
「なんか物凄い巡り合わせだね」
 
「宇田先生、谷津さん、雨宮先生、その誰か1人でもいなければ今の私は無い。そして雨宮先生のお手伝いして色々曲を書いたり編曲したりとしていたおかげで私自身の学費が稼げたし、妹の学費も出してあげることができた」
 
「自分の学費を全部自分で稼いだんだ!」
 
「親からは高校入学の時の費用を出してもらった以降は全く仕送りが無かったから」
「わあ・・・」
 
その話を聞きながら私は唐突に疑問を感じた。授業料の要らない特待生って、それは物凄く枠が少ないのではということ。そしてそんな枠を持っている学校って、物凄く強い所なのではということ。すると千里ってひょっとしたら強豪高の超凄い選手?そしたら、そしたら、まさか千里って今でも超凄い選手なんだったりして!?
 
「あの時期、この家はどうなっちゃうんだろうと思ってた。お姉ちゃんのお陰で私も高校、大学と入ることができた。私も中学出たら働いてくれと言われていたし、私はむしろその前にこの家は一家離散になるのではと思ってたよ」
と玲羅は言う。
 
「まあどん底を経験した人間は強いよね」
と政子が言うが、政子自身、2009年から2010年に掛けて、精神的に深い底に沈んでいた。
 
「だから織絵ちゃんもしばらくここで心を休めてからまた再起すればいいよ」
と千里は言う。
 
「でもその時、私ソロ歌手になるのかなあ」
と織絵。
 
「今は考える必要無い。いづれなるようになる」
と私は言う。
 
「そうだね。今は考えないことにしよう」
 
 
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