【寒里】(下)

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菊枝は服を着ると青葉と一緒に新館のスイートルームに戻った。そして舞花の父とふたりだけで和室の方に籠もり、しばらく話をしていたが、やがて一緒に出てくる。舞花の父は何やら難しい顔をしていた。
 
「全部納得行きました」と越智純之介は言った。
「それでこの件の処理は、山園菊枝さんと川上青葉さんに全面的にお任せすることにしました。協力して頂きました皆様にも、きちんと御礼を致します」
と続けて語る。
 
菊枝は笑顔で賀壽子に言う。
「そういう訳で、この件の処理には、青葉ちゃんが必要なので、3日ほど貸してください」
「分かりました。よろしくお願いします」
 
自分も含めて青葉も関わってしまった以上、きちんと処理を終えないとやばいことを賀壽子も認識していた。
 
菊枝は今度は青葉を連れて和室に入り、今回の件について説明した。
 
「今度の事件は、社長一家が狙われているから、会社の業績を妬むとか越智さんの会社に仕事を取られた会社の経営者から恨まれたりとか、そういうのを想像していたのだけど、よく考えてみると被害は女性、特に奥さんに集中しているんだよね」
「恋愛ですか?」
 
「そ。奥さんにも言えないけど、社長には2年ほど前まで付き合っていた愛人がいたんだよ。こんなこと小学1年生に話していいのかな、私」
「あ、だいたい分かります」
「そして妊娠していたんだけど、中絶してくれと言われて中絶して。でもその経過が良くなくって。その人、子供が産めない身体になっちゃったの。って、こういう話、分かる?」
「えっと、あんまりよく分からないけど、何となく。そんな感じのドラマを母がテレビで見てたから」
「ああ。メロドラマにありがちだよね」
 
「じゃ、その元愛人さんが恨んで?」
「そういうこと。だから奥さんにいちばん被害が来た。それと自分が子供を産めなくなったことで、その子供たちにも」
「そんなの悪いの社長さんなんだから、社長さんを恨めばいいのに」
「だよねー。でも理不尽なんだよ、恋愛って」
 
「でさ。この件は女が集中的に攻撃されるから、私この件の処理をする間、男装するから」
「ああ。菊枝さんの男装って格好よくなりそう」
「だから、青葉ちゃんも男装して」
「えーーーー!?」
 
「女の子の格好のままじゃ、私も青葉ちゃんを守り切る自信が無いんだよ」
「分かりました。まさか北海道で男装するハメになるとは・・・」
 

翌朝、青葉は午前中に菊枝と一緒に町の洋服屋さんに行き、男物の服を調達した。いったん旅館に戻ってから着替える。長い髪は菊枝がまとめてアップにしてくれて、それで帽子をかぶって誤魔化した。
 
「男の子としても格好いいじゃん」
と菊枝に言われる。
「やだなあ、こんな格好」
と青葉は本当に嫌そうな顔をしている。
 
真穂や未雨は学校で男装の青葉を見ているが、それでも学校では髪を長くしているので、髪をまとめて本当に男の子に見えるようにした青葉を見るのは初めてである。
 
「へー。可愛い男の子だ」
などと言って真穂は青葉にさかんにタッチしていた。
 
「下着も男の子?」
「うん」と言って青葉はうつむく。
男物の下着を着けているのは菊枝も同様だが、青葉は今までそれだけは絶対嫌と言って拒否していた男物の下着を着けて少し落ち込み気味である。
 

越智さん一家は夕方札幌に戻るということであったが、青葉たち一行は旅館をお昼前に出発する。2台の車に分乗して、まずは岩手に帰る賀壽子・未雨・真穂を送って新千歳に向かう。
 
菊枝・青葉に未雨が乗っている車が先行し、真穂に賀壽子・千壽子が乗っている車が後ろを走っていたのだが、途中、苫小牧付近まで来た時であった。未雨が「あれ?後ろの車が来てない」というので、脇に寄せて停めて少し待つのだが、なかなか来ない。
 
「まさか道に迷ったとか?」
と言って菊枝が真穂の携帯に電話してみた。
 
「あ、菊枝さん。今電話しようと思ってました。ちょっと事故っちゃって」
「えー!?」
 
向こうの車のドライバーの女性によると、目の前に突然何かが飛び出してきたような気がして急ハンドルを切ったため、道路脇のクッションドラムにぶつかって止まったらしい。
 
「怪我は?」
「誰も怪我してないです。クッションドラムだから何も壊してないけど、車の方は、前がへこんで、左の前照灯がカバーごと割れちゃいました。修理しないと夜間走れない」
「昼間は走れる?」
「ええ。この程度の修理は保険使うと、等級下げられてよけい損だから自費で修理するって言ってますけど、とりあえずの走行には問題無いみたいです」
「その修理費用は越智さんに出させるからって言ってあげて」
「えー? これもしかして、呪詛絡み?」
「当然」
「怖〜。やはり拝み屋なんてするもんじゃないですね」
 
と真穂は言ったが、菊枝はきっとこの子は良い拝み屋さんになりそうと思って微笑んだ。
 

後続の車は15分ほどで追いついてきたので、その後また2台で新千歳まで行く。そして駐車場に入れようとした時。
 
「あれ?」と菊枝や青葉が乗った方の車のドライバー。
「バーが上がりませんね」
「ええ」
 
駐車場のゲートの所で駐車券を取ったものの、バーが上がらず、中に入れないのである。
 
「やれやれ」と菊枝は溜息を付いた。スタッフを呼んだら、どうも故障のようだということであった。ここでまた15分くらい食ってしまった。
 
賀壽子たちが乗る飛行機には充分時間的余裕があったので良かったが、やはりかなりの妨害が入っている感じだ。
 
「賀壽子さん、花巻空港からは自動車でお帰りになるんでしたね」
「ええ」
「慎重運転で行って下さい」
「うん。これはどうもかなり来てるね」
「なんか見境無く攻撃してきてる感じですよ」
 
菊枝は真穂にも声を掛ける。
「真穂ちゃん、助手席に乗って気をつけてあげて。こういう時、助手席に人がいるのといないのとでは、注意できる範囲が全然違うから」
「分かりました」
「それとこれ。御守り」
 
と言って菊枝は鈴をひとつ真穂に渡した。
「ありがとうございます」
 

千壽子の友人2人は、ひとりは釧路の人、ひとりは函館の人である。函館の人はそのまま帰ることにするが、車が事故で壊れた釧路の人は、いったん千壽子と一緒に千壽子の家がある江別に行き、そこで車を修理してから帰ることにした。 
(この付近の地理を簡単に説明すると、札幌の南方に千歳・苫小牧(とまこまい)
があり、登別(のぼりべつ)温泉は苫小牧の西南西50kmの所にある。札幌から旭川方面に向かう途中に江別・岩見沢などがある。ちなみに千里は留萌(るもい)に住んでいて、あの日はたまたま一家で旭川まで出てきていた。留萌は旭川から西北西80kmほどである) 
それで菊枝と青葉、千壽子は釧路の人の車に乗って札幌方面に向かった。市内のとある神社で降ろしてもらう。青葉は菊枝と一緒にその神社にお参りした。 
「うまい具合にここの神社の御祭神が、私が高知で良く行っている神社の御祭神と同じなんだよ。ここで少し力を借りる。こういう呪いの類いは霊能者個人の力では無理。神仏の力を借りないと」
 
「これ、向こうは独力で呪いを掛けたんですか?」
「そうだと思う。賀壽子さんは巧妙だと言ってたけど、それは道具立ての問題で、呪いの掛け方自体は素人っぽいんだよね」
「へー」
「それでも強力なのは、たぶん元々霊的な力のある人だからだよ」
「ああ」
 

この日はもう夕方近くになってしまったので本格的な調査は明日にしようということになったが、それでも菊枝はまだ一家が帰宅していない越智さんの家の所に行ったり、愛人さんが以前住んでいたという場所、越智さんの会社の本社、そして工場とタクシーを使ってまわり、最後は越智さんが愛人さんと度々会っていたというホテルにも行った。菊枝はそれぞれの場所で何かしていたようであった。青葉はそのことについては質問などはせずにじっと見守っていた。 
しかし男の格好で行動していると、困ることもある。
 
取り敢えずトイレをどうするかは問題だった。菊枝は堂々と男子トイレに入って(個室で)用を達していたが、青葉は男子トイレに入るのが躊躇われた。菊枝からは「女子トイレに入って、痴漢だって通報されても知らないよ」と言われたものの地下街で晩御飯を食べた後、トイレに入りたくなり中座した時、トイレの男女表示の前で迷った末、『だって私は本当はこっちだもん』と思い、女子トイレに入ってしまった。
 
ちょっとドキドキする。ふだんは普通に女子トイレを使っているものの、男装している状態で入るのは初体験だ。しかも、もし咎められたりして服を脱がされたら、下着も男物だし、身体も男なのだから、言い訳のしようもない。
 
でも、幸い?中には誰もいなかったので、いつも通り個室に入り、ズボンを下げ、男物のブリーフを下げて便器に腰掛ける。ふっと溜息を付いた。こんな格好で何日過ごさなきゃいけないのかなあ。今日だけで終わるといいなあと思う。用を達してから、いつも通りあの付近をペーパーで拭く。それからあれとあれを普通に収納してブリーフを上げ、ズボンを上げた。
 
流して個室を出て手を洗っていたら、女の子がひとり入って来た。いや実は最初男の子が入って来たかと思ってギョッとしたのだが、よく見ると女の子のようであった。彼女はパンツルックだし、髪もショートカットである。
 
「あれ?」
「あ」
 
それは一昨日集会で会って、青葉のことを変態とか犯罪者予備軍とか言っていた少女だった。
「へー。あんた、今日は女の子の服着てないのね」
「ちょっと都合があってね」
「しかも女子トイレ使ってるし」
「それはいつものことだよ」
「ふーん。常習犯なのか」
「<犯>じゃないけど」
 
すると少女はトイレの入口のドアを開けるといきなり叫んだ。
「きゃー!! 女子トイレに男がいます!!」
 
ちょっとぉ!
 
青葉もさすがに焦った。菊枝と連絡を取ればフォローしてくれるだろうけど、結構面倒な目に遭いそうだ。困ったな。こんなことで足を引っ張ることになったら叱られる。だいたいトイレの件については注意されていたことだ。 
すぐに女性の警備員の人が飛んできた。
 
そして中にいる、変態呼ばわりした少女と、青葉を見比べる。
 
そして・・・・警備員さんは、変態呼ばわりした少女の手を取ると
「君、ちょっと来なさい」
と言って連行していった。
 
「違う、私違う。男はあっちだよぉ」と少女は言うが「話は事務所で聞くから」
などと言われている。
 
あぁ。。。こういうのを人を呪わば罠ふたつとか言うんだっけ?それとも天に向かってツバメだっけ?などと思いながら、青葉は微笑んでトイレを出て、食事をしていたお店に戻った。
 

その日は市中心部付近のホテルに泊まるが、宿泊者カードに菊枝は、原田菊雄・葉助と書いた。あはは。男名前で宿泊することになるとは。
 
菊枝が男っぽい声でフロントとやりとりをしていると、フロントの人が「ご兄弟ですか?可愛い弟さんですね」などと言う。うーん。未雨の「弟」というのは良く言われていることだが、ここでは菊枝の弟になってしまった。
 
「そうだ。坊や、お菓子あげるね」
と言って、フロントの人はウェルカムスイーツっぽい、チョコ菓子をくれた。「ありがとうございます」
と言って青葉は受け取った。
 
部屋に入ると、フロントでもらったのと姉妹品かなという感じのお菓子が置かれていた。とりあえずお茶を入れてお菓子を頂く。
 
「だけど全然無関係の偽名使うんじゃなくて、菊枝さんの菊の字と私の葉の字は残したんですね」
「そうそう。だから、今夜もまたきっとあいつがここに来るよ」
「じゃ、これ罠なんですか?」
「うん。私と青葉ちゃんはその罠の餌」
「きゃー」
 
「そもそもこの件、青葉ちゃんと一緒にすることにしたのは、ひとつは青葉ちゃんのその凄まじいパワーが援軍に欲しいからだけど、もうひとつは一度私たちを狙ってきた以上、きっとまた来るから、その時青葉ちゃんひとりだけだったら、対処できないかも知れないと思ったからだよ」
「できません」
と青葉は答えた。
 
「現に昼間も車にいろいろ仕掛けて来たしね。私たちのグループは完全にあいつの標的の一部になってる。手っ取り早く解決したいとところだよ。今日夕方から調べただけでも、かなり相手の居場所を絞り込めたんだけど、向こうからアクセスして来てくれたら、その後の手間が省けるから」
 
入浴中は無警戒になることから、交替で入浴することになる。先に青葉が入る。男物の服を脱いで裸になると、青葉はふっと息をついた。男物の服にまるで自分が拘束されていたかのような気分だ。肉体も男の子の肉体だけど、これはまあ今は仕方が無い。
 
小学4〜5年生くらいになったら、自然とおちんちんとタマタマがポロリと身体から取れて、割れ目ちゃんができて、おっぱいも膨らんで来ないかなあ。青葉はそんなことを夢想しながら入浴した。
 
お風呂から上がり、渋々また男物の下着、男物の服を身につけて部屋に戻る。今度は交替で菊枝が入浴する。青葉は昨日と同様に気配を消して正座していた。 
そして、例の奴がやってきた。センサーの感度を上げているので、100mくらい向こうに来たあたりで青葉は気付いた。ゆっくりと待つ。50m...30m...10m...5m...3m...そして1mくらいの距離まで来た所で青葉はオーラを戻す。さすがに相手がビクっとする。そしてどうしよう?と悩んでいる様子。そこに菊枝がお風呂から出てきた。裸のままだ。雫も落ちている。浴槽から飛び出してきたのだろう。
 
菊枝は昨日とは別の印を結ぶと「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」と早口で光明真言を唱えた。 
天から雷(いかづち)のような光が落ちてきて、触手に当たる。触手はそのままの状態で完全に沈黙した。そして灰でも崩れるかのように崩れて消えてしまった。 
「終わったの?」
と青葉は恐る恐る訊いた。
 
「まだ。でも向こうの道具立ては失われた。今ので相手の居る場所も分かった。この後仕上げをする」
と菊枝は厳しい顔で言った。
 

何か手伝えることはありませんか?と青葉が訊くと、菊枝は「青葉ちゃん、般若心経書ける?」と訊く。「書けます」と答えると、「6枚書いて」と言われた。
 
菊枝と一緒にホテル近くのコンビニに行き、半紙と筆・墨汁を調達した。それで青葉が左手で般若心経を書き出すと、菊枝は「きれいな字を書くねぇ」
と感心したように言った。
 
心経を昼間の内に書いておかなかったのは、あくまでこちらが無防備であることを装い、相手に手の内をさらけ出させるためである。
 
菊枝はお風呂がまだ途中だったから入り直すと言って浴室に戻った。
 
青葉が1枚目の般若心経を書き上げた頃、菊枝はお風呂から出てきた。すぐに服を着ずに、裸のまま青葉の目の前をうろちょろするので気が散りそうになるが、心を乱さずに筆を進めていく。しかし菊枝の均整の取れた女子高生の裸体を見るにつけ、青葉は「いいなあ」という気持ちになる。自分もこういう身体になりたい。
 
菊枝は賀壽子・千壽子とも連絡を取っていた。函館に帰った千壽子の友人は無事だったようだが、賀壽子の方は空港から大船渡に帰る途中、鼠捕りに引っかかって、スピード違反で切符を切られたらしい。
 
「この反則金、経費に出来ないかしら?」
などと言っていたが、菊枝は
「経理上は経費として落とせないですけど、そのお金は越智さんに出させますよ」
と言って笑っていた。しかし賀壽子は
 
「私、免許取って以来49年半無事故無違反だったのに。あとちょっとで50年間無事故無違反で表彰される所だったのに。あの警官呪ってやりたいわ」
などと悔しがっていた。
「呪いは不毛ですよ。今からまた50年間、無事故・無違反を続けましょうよ」
と菊枝は言った。賀壽子が本気で呪ったら、それこそ怖い。
「そっか。頑張ってみるかなあ」
 

青葉が般若心経を6枚書き上げたのは22時頃だった。その間菊枝はパソコンをネットにつないで何やら色々と調べているようであった。どうも越智さんともメールでやりとりをしているようだ。そして青葉が心経を書き上げたのを見て「遅いけど出かけるよ」と言う。
 
「はい」
ふたりは男装のままホテルから外出する。タクシーをつかまえて、菊枝は「○○区まで」と言った。
 
「こんな遅く、塾か何かですか?」
と運転手から話しかけられる。この時間帯に小学1年生を連れていたら不審がられるだろう。
「ええ。ちょっと遅くなってしまって。特別授業を受けてたんです」
と菊枝は男っぽい声で答えた。
「大変ですね〜。最近は幼稚園に入るための塾なんてのもあるらしいですね」
などと運転手は言っていた。
 
○○区まで来ると、菊枝は「そこ左に」とか「あそこの角を右に」などと指示を出した。そしてあるアパートに辿り着いた。
 
タクシーを降りる。菊枝は青葉の手を取り鉄製の階段を昇る。そしていちばん奥の部屋のドアをノックした。
 
「どうぞ」という女性の声がした。菊枝は青葉に外で待っているように言い、ドアを開けて玄関に入る。その時、菊枝が超強力な霊鎧をまとい、青葉にも同じくらい強力なのを着せた。
 
菊枝は玄関口で「お話を聞かせてください」と言う。女性は覚悟していたかのように「はい」と言った。菊枝がドアを閉めて中に入る。青葉はそのまま1時間ほど待った。きっと『子供には聞かせられない話』をしてるんだろうなと思う。やがて「青葉ちゃん、ちょっと来て」と言われ、中に入る。
 
アパートの主の35〜36歳くらいの女性は青ざめた顔をしていた。物凄い「負の気」
をまとっている。絶対に霊鎧を緩められない。緩めたら影響を受けて回復に一週間くらいかかるだろう。青葉は緊張を新たにした。
 
「子宮と卵巣の様子を見てあげて欲しいの」と菊枝から言われた。青葉は「鏡」
を起動させて、その付近の様子をしっかりと見た。
 
「卵管が詰まってる。左右とも」
「治せる?」
「左は治せると思う。時間は掛かるけど」
「どのくらい?」
「うーん。6時間コースかな」
「よし、治そう」
「本当に治せるの?お医者さんには無理と言われたのに」
「私たちは医者じゃないからね」
 
女性には眠ってていいと言い、菊枝とふたりで女性のヒーリングをした。青葉が主として詰まっている卵管を治療し、菊枝は身体全体の内分泌系の調整をした。菊枝が全体の調整をしていくと次第に彼女の「負の気」が和らいでいくのも感じた。
 
ふたりの作業は朝まで続いた。北海道の夜明けは早い。4時過ぎには明るくなってしまうが、ふたりの作業が終わったのは朝8時くらいだった。夜12時近くに始めたので8時間ちょっとの作業になった。さすがに青葉も疲れ切っていた。途中何度か菊枝が分けてくれたカロリーメイトでエネルギー補給をした。 
しかし確かに「治した」という感覚があった。
 
女性が目を覚まし、何だか身体が燃えているようだと言った。身体全体を活性化させているから、今までと体温からして違うだろう。菊枝も自分で彼女の生殖器の様子を見ている感じだったが、やがて頷くように言う。
 
「たぶん2〜3ヶ月の内には生理が再開しますよ」
「ほんとに?」
「イソフラボンをしっかり取って。豆腐とか納豆とか、ザクロもいいですよ」
「私、豆腐も納豆も嫌い。でも生理再開するなら頑張って食べる」
と初めて女性は笑顔を見せた。
 
菊枝は青葉と手分けして、女性の部屋から様々な「呪具」を回収した。本人も素直に、これとこれと・・・と言って渡すが、
「これで全部かな」と言った後で、菊枝が
「そのヘアドレッサーの引き出しの中のも出して」と言う。
 
「ああ。忘れてた、ごめん」
と言って出したが、隠しておくつもりだったのだろう。
 
「中には凄いのもあるけど、どうやって調達したの?」と菊枝が訊くと「だいたい通信販売」と答える。
世の中にはとんでもない物を売っている所があるようだ。
 
「今お仕事はしてるの?」
「生活保護を受けてる」
「働く気無い?」
「私、何の資格も持ってないから」
「行政書士とか宅建とかの資格でも取らない?」
「お金全然無くて」
「ケースワーカーさんに相談してごらんよ。就労のための支援はしてくれるはずだよ」
「そうだね。。。話してみるかなあ」
 
そんな話や雑談などもして、午前9時頃、アパートを辞した。
 

「お腹空いたでしょ?」
「うん。それより眠たい」
「だよね。でも、もう少し我慢して」
と言って菊枝はタクシーを拾うと、江別市まで行って欲しいと言った。 
「千壽子さんとこ行くの?」
「うん」
とだけ菊枝は答えた。菊枝は呪具を入れた袋の周りに結界を張っている。このタクシーやその運転手さんに悪影響が及ばないようにするためだ。公共交通機関を使わないのは、周囲に人が多すぎると守り切れないためである。そして今眠ってはいけないのは、こんなものの傍で眠ると、無防備になって、影響を受ける危険があるからである。
 
「ご兄弟ですか?」とまた運転手さんに言われる。
「ええ。四国から夏休みを使って祖母の家に来たんです」と菊枝は男声で答える。「弟さん、可愛いね。女の子にしちゃってもいいくらい」と言ってから「あ、御免ね、坊や。きっと格好いい美男子になれるよ」などと自分でフォローする。 
しかし今回は坊やとか坊ちゃんとか坊主とか、散々言われ放題だ。
 
「ああ、この子、よくそう言われるんですよ。本人もまんざらでもないみたい」
と菊枝が言うと
「へー。いっそ、スカート穿いて女装しちゃうのもいいかもね」
などと言われた。
 
「ああ、何度かスカート穿かせてみたら、本当に女の子みたいになりましたよ」
「あはは。あんまりそんなことしてると本当にニューハーフになっちゃいますよ」
「まあ、本人がそれでよければそれもいいかもね」
「そういや、こないだニューハーフのタレントさん、乗せましたよ」
「へー」
「凄くきれいな人でねえ。でも声が男なんですよ」
「ああ」
 
ニューハーフというのが、どうも女性みたいな男性ということのようだと青葉は話を聞きながら思ったが、声が男というのが気になった。私・・・声は男になっちゃったりするのだろうか・・・嫌だな、それ。
 

千壽子は大量の呪具の山を見てびっくりしていたが、祭壇で祈祷をしてくれて菊枝・青葉と一緒に庭でお焚き上げをした。登別で青葉が切り落とした「触手の先端」も金属製茶箱の中から結界ごと取りだして、火の中に投じた。そして青葉が書いた般若心経の写経6枚も一緒にお焚き上げする。
 
「6枚というのはどういう意味なんですか?」
「呪いを掛けられた越智さん一家4人、そして主として対峙した私と青葉ちゃん」
「なるほど」
 
3人は燃え尽きるまでお焚き上げの炎を見ていた。菊枝が今一度、般若心経を唱え、青葉と千壽子も唱和した。
 
「千壽子さん、お願いがあるのですが」と菊枝。
「はい」
「私たち昨夜から一睡もしてないので、部屋の隅っこでいいから寝せて」
「うちの寝室で寝て!」
 
菊枝とふたりで寝室に案内され、ベッドを借りてそのまま眠りに就いた。 

起きたのはもう夕方であった。
「あなたたちお腹空いてない?」
と言う千壽子に、ペコペコですと菊枝が答える。
 
千壽子は野菜たっぷりの石狩鍋をふるまってくれて、菊枝と青葉はたくさん食べた。
 
「でもね、青葉ちゃん」と千壽子が言う。
「はい」
「今回は賀壽子ちゃんに会えて嬉しかったわ。私ももう長くないと思うし、今回会ったのがきっと最後になるんだろうなあ。私、もう正月を越せないかも知れないと思ってて」
 
「あと5年くらいは大丈夫だと思いますよ」
と青葉は言ったが、千壽子はチッチと指を横に振った。
「自分の寿命はだいたい分かるよ。賀壽子ちゃんも年だね。向こうもこれが最後かもと思って、来てくれたんじゃないかねぇ」
そう言って、千壽子は遠くを見る目をした。
 
「賀壽子ちゃんによろしくね」
「はい」
「最後に一緒に仕事ができて良かったわ。仕上げは賀壽子ちゃんの曾孫さんにしてもらったしね」
と言って千壽子は微笑んだ。
 
その後、千壽子の家でお風呂を頂き、そのまま泊めてもらった。お風呂から上がったあとで女物の下着を身につけ、女の子の服を着ると、青葉はホッとした。やっぱり私これでなくちゃ。
 
千壽子からも
「やっぱり、青葉ちゃんはその方が似合ってるね」
と言われた。
 

翌日。8月4日(水)。菊枝と青葉は、最初越智の会社に行ってこの件の報告をした。 
「そうでしたか。。。。ありがとうございます。彼女が自立するための資金とか提供した方がいいのかな・・・」
「それは止めましょう。また関わりを作ることは、結局前の状態を繰り返すだけですよ。前回手切金を払って別れた。もうそれでおふたりの関係は終わっています。新たな関わりを作るのは問題を複雑にするだけです」
「そうですね。分かりました。一切関わらないことにします」
 
「それと、彼女からもらったものとか、彼女と一緒に使ったものが御自宅や会社にあったりしませんか?それを全部処分して頂きたいのですが」
「心当たりあります。山園さんにお渡しすれば良いですか」
「はい。回収していきます」
 
越智は自分の机の引出しから、ボールペンやフォトフレームなど何点かを菊枝に渡した。その後、御自宅へ一緒に行き、ハンカチやネクタイ、などを渡した上で奥さんに
「済まん。悦子、悪いけどいつも使っている****のバッグを出して欲しい。新しいの買ってあげるから」
と言った。
 
「えーー!?」
と奥さんは言ったが、
「もしかして、これあなた『彼女』と一緒に選んだの?」
と訊いた。
 
どうもこの件が夫の愛人絡みではないかと疑っていたのだろう。
 
「申し訳無い」
と越智は頭を床に付けて謝った。
 
「いや、その・・・お前の誕生日のプレゼントするのに、どんなの選んだらいいのか分からなくて、それでつい相談してしまって・・・」
「分かった。じゃ、山園さん、処分お願いします」
と言って、奥さんはバッグから中身を出して菊枝に渡す。
 
「バッグはいいから、ダイヤの指輪とか欲しいな」
「分かった。買ってあげるよ。お前と一緒に見に行こう」
「うん」
 
というので妥協が成立したようであった。
 

その後、菊枝とふたりで奥さんのヒーリングをした。分泌系にかなりの乱れがある。菊枝はその修復をしていたが、ハッと気付いたように、青葉に
 
『ね。子宮のあたり、何か変じゃない?』
と心の声で訊く。
 
青葉は肉眼ではその付近がよく分からなかったので鏡を起動してよくよく観察した。
『小さいけど癌が出来てる。数ヶ所。これ多分MRIでもまだ発見できない』
『治せる?』
『この程度なら焼き切る』
『やって』
『うん』
『あ、ちょっと待って』
 
菊枝は奥さんに声を掛けた。
「奥様、子宮の付近に色々毒素が溜まっているようで。こういうの得意な川上にそれを絞り出させます。一時的に体調が悪くなるかも知れませんが、それを超えたら、確実に今までより良くなりますので」
 
「分かった。お願いします」
 
菊枝がいったん奥さんの身体から離れ、青葉は鏡を起動したまま、病変の箇所を再度しっかり確認する。そして光を照射!
「う」
と奥さんが声を立てる。しかし構わず連続照射して、病変のできていた箇所全ての癌細胞を退治した。
「終わりました」
 
「ごめん。ほんとに少し気分が悪い」と奥さん。
「では30分ほど休憩しましょう。そのあとまた普通のヒーリングをします」
 
紅茶でも入れましょうかと言ったら、奥さんはローズヒップティーを飲みたいと言ったので、菊枝が御主人に場所など尋ねてお茶を入れ、奥さんに飲ませる。それで少し気分が良くなってきたようだ。
 
「このヒーリング、今日だけじゃなくて後何度か続けた方がいいのですが」
「良かったら月に1度くらいでも来て頂けないかしら。高知から大変かも知れないけど」
「いいですよ。では今年いっぱい、毎月1度こちらを訪問させて頂きます。私の学校があるので、土日とかでもよろしいでしょうか」
「はいはい。あ、大学生だっけ?」
 
「いえ。高校1年です」
「うっそー!? 20歳くらいかと思ってた。とても若い霊能者さんだなとは思ってたけど」
「恐れ入ります。だいたい私年齢が結構上に見られるみたいです。ちなみに川上は何年生くらいだと思いますか」
「えっと、小学4〜5年生くらいかなと思ってたけど・・・まさか2〜3年生とか」
「小学1年生ですよ」
「えーーー!?」
 
「それと」と言って菊枝は青葉に意味ありげに笑いかけてから
「この子、実は男の子なんですよ」
と言うと
「うっそーーーー!?」
と本当に驚いたような声を上げた。
 
「何か呪術的な意味で女装してるの?」
「あ、いえ、私は自分では女の子と思っているので。ただ戸籍が男になってるんですよね」
「ああ。それは別にいいんじゃない。戸籍なんて割とどうでもいいものよ」
と言って、奥さんは微笑んだ。
 
「可愛いお嬢さんだと思うよ」
と奥さんが言ってくれたので青葉は嬉しかった。今回はとにかく男の子として扱われることが多くて、参っていたのである。
 

結局1時間の休憩をはさんでヒーリングを再開した。ホルモンを分泌する主体は女性器にあるのだが、指令を出しているのは脳下垂体である。菊枝は悦子の身体の波動の調整をしていて、脳下垂体から女性器につながるリンクが分断されていることに気付いた。
 
『ね、ね、青葉ちゃん。ここの付近で気が通りにくくなってるでしょ』
『ええ』
『これ通せるようにできないかなあ』
『あ、多分できると思います。菊枝さん、ちょっと下がって』
『うん』
 
先ほどは病巣を「焼き切る」のに鏡を使ったのだが今度は壁をぶち抜いて道を通すのだから剣だと青葉は思った。剣を起動する。先を細くしてミクロの世界で働くようにする。そして鏡で気の経路をしっかり見定め、壁が出来ている所を 
貫いた!
 
奥さんが「え?」という声を立てた。
 
菊枝が近寄って観察する。
『おお、凄い。通ってる、通ってる。青葉ちゃん、あんた、とっても優秀』
『えへ』
 
「奥様どうですか?」
「何だか、今凄く気分が良くなった」
「ヒーリングが終わったらお風呂に入って下さい。ゆっくり1時間くらい掛けてぬるめのお風呂に入ると、更に回復しますよ」
「ほんと? ありがとう」
 

その後、御主人のヒーリングをしたが、こちらはそう大きな問題は無かった。肝臓が少し疲れているようなので、お酒の量を減らした方がいいですとアドバイスした。本人も自覚しているようで気をつけると言っていた。
 
やがて中学生の舞花、高校生の虎之介が帰宅する。ふたりにもヒーリングをしたが、虎之介はそれほど問題無かったものの、舞花はやはりホルモン系の乱れが見られたので、奥さんの方と一緒に今年いっぱいヒーリングすることにした。本当にこの呪いは女性中心に掛かっていたのだ。
 
「私、けっこう生理の周期が不安定なんですけど、それ治ります?」
「ええ。治りますよ」
と菊枝は微笑んで言った。
 
ふたりの持ち物の中にも、例の彼女に関わるものがあったので回収して19時ころ、越智邸を辞した。そして、回収したものの処分はやはり千壽子の所である。ふたりは今度は電車で江別市に移動した。昨日の呪具とは違い、今日のは周囲に悪影響を及ぼすようなものではない。ただひとつ、****のバッグを除いては! 菊枝はそれを保冷用のアルミのバッグの中に収めていた。 
「それいいですね」
「うん。ホームセンターで売ってるし。折りたたんでコンパクトにできるし。金属製のものは遮蔽効果が強いね」
「私も用意しておこう」
「うんうん」
 
また千壽子の家で祈祷をし、それから庭でお焚き上げである。
 
「ご近所では芋でも焼いてるのかと思われてるかもね」
「この火で焼き芋したらどうなるんでしょ?」
「そうだね。呪いの芋の出来上がりかな」
「ちょっと嫌かも」
 

ふたりはその日も千壽子の家に泊めてもらい、翌日北海道を発つことにした。 
新千歳空港に行き、トイレに入ったら、またまた例の「変態呼ばわり」少女と遭遇した。彼女は今日もパンツルックだ。パンツの方が好きなのだろう。 
「また女子トイレに入ってるし」と彼女。
「私は男子トイレに入ったことなんてないよ」と青葉。
「ふーん。生まれつきなのか。今日はまたスカート穿いてるし」
「そうだね。生まれつきの変態かな。スカートはいつも穿いてるよ。でも、こないだは無事だった?」
「ああ。ちんちん付いてないことを確認してもらって、お陰で警察には行かずに済んだよ」
 
「ちんちん付いて無くて良かったね」
「あんたもちんちん付いてなければ良かったのかな」
「そうだね。いつもそう思ってるよ」
「私はホントは、ちんちん欲しかったよ。これも変態かな」
「ああ、そういう女の子は時々いるよ。別に変態じゃないと思うよ」
 
その時、警備員さんが女子トイレに入って来た。40歳くらいの女性だ。そして青葉たちを見ると「ちょっとあんた男の子じゃないの?」と、変態呼ばわり少女の方に声を掛けた。
 
青葉と少女は顔を見合わせる。
 
「違います。私、女です」と少女。
「この子、時々間違えられるけど、女の子なんですよ」と青葉。
「ほんとに? あんたこの子をかばってるんじゃないよね」
「一緒にお風呂入ったこともありますよ。確かに女の子でした」
「そう? ならいいけど」
 
というと、警備員さんは個室の列を見て回ってから、外に出て行った。 
青葉と少女は顔を見合わせて笑った。
 
「あんた、でもお風呂はどっちに入るのさ?」と少女。
「こないだは登別温泉に泊まったけど、女湯に入ったよ。私、今まで男湯には入ったことないよ」
 
「へー。でもまだ小学校の低学年くらいまでは、男の子が女湯に入ってもとがめられないだろうね」
「私は大きくなっても男湯に入るつもりはないけど」
「逮捕されても知らないよ」
と少女は言ったが、目が笑っていた。
 
ふたりは何となく握手をして別れた。
 

菊枝と合流した時、青葉が楽しそうな顔をしていたので、菊枝から
「何かあったの?」
と訊かれたが、青葉は「いえ、別に」と答えた。
 
「でも菊枝さん」
「ん?」
「こないだ、タクシーに乗った時、運転手さんがニューハーフのタレントさんとか言ってたでしょ」
「うん。ニューハーフって、女の人の格好してる男の人?」
「そうだね。生まれた時は男だったけど、女になっちゃった人かな」
「声が男だったと言ってましたよね」
「そうだね」
「声って・・・どうにもならないの?」
「そうだね・・・」
菊枝は少し考えるようにした。
 
「私少し練習したからさ、こんな感じで男っぽい声出せるよ」
と菊枝は男装していた時に使っていた男声を出してみせた。
「男の子はみんな11歳くらいになったら声変わりして男の声になっちゃうけどたぶん練習すれば、女声も出せるよ。私、個人的に女声で話すニューハーフさん知ってるよ。普通に女の人の声にしか聞こえないよ」
「わあ・・・」
 
「あるいは声変わり自体がしないようにしちゃうかだね」
「できるの?」
「声変わりが来る前に、睾丸を取っちゃえばいいのよ」
「あ・・・」
「睾丸から男性ホルモンが出て、声変わりを起こすからね。睾丸を取っちゃえば声変わりは来ない。昔、カストラートっていって、声変わりが来ないように、ボーイソプラノを保つために、睾丸を取っちゃった男性歌手がいたんだよ」
 
「カストラート・・・・。それ、女の子になりたかったの?」
「違うと思うよ。単に声変わりが来ないようにするためよ。昔は教会で女性が歌うのが禁止されていたから、女性の代わりにソプラノを歌うために睾丸を取ってたのね」
「歌うためだけに?」
「歌の上手な子には、カストラートにならないかって、随分誘ってたらしいよ」
 
「きゃー」と言ってから青葉は
「それって、今でもするんですか?」
と尋ねる。
 
「もう今はカストラートは禁止されてるよ。でも青葉ちゃんは逆に睾丸取って欲しかったりしてね。ついでに歌もたくさん練習して、ソプラノ歌手を目指す?今からしっかり高音の発声を鍛えていれば、声変わりしちゃった場合でも、ソプラノひょっとして出るかもよ」
「あ、いいな。それは本当に練習しよう」
 
「あと、睾丸を取れば、ヒゲとか生えてくることもないし、身体が男っぽくなることもない。ただし、子供は作れなくなるよ。睾丸に子供を作る元が入ってるから」
「へー」
 
「でも逆に今は小学生の睾丸を取ってくれる所なんてないよ。むしろ女の子になりたくて睾丸を取る人はいるけど、手術は20歳以上でないと、してくれない。とっくに声変わりも済んで、身体つきもかなり男っぽくなってしまってからしか手術してくれないって、理不尽だけどね」
「ああ・・・・」
 
「まあ声変わりなんて、まだ4年くらい先のことだしね。それまでゆっくりと自分の生き方を考えるといいよ」
「はい」
 

青葉は花巻空港、菊枝は高松空港への便に乗るので、空港で握手をして別れる。花巻空港へは賀壽子が迎えに来てくれて、青葉は千壽子から託されたお土産を渡した。結局6日間の北海道の旅になった。
 
「あおば、しばらくどこかにいってたの?」
帰宅して翌日、早紀の家に遊びに行ったら言われた。
 
「うん。北海道に行ってきたよ」
「わあ、いいなあ。1しゅうかん?」
「ああ。6日間かな」
「どこどこ回ったの?」とお母さんから聞かれる。
 
「えっと・・・旭川と登別で1晩泊まった他はもっぱら札幌周辺に居ました」
 
「へー。親戚の家か何か? 6日なら、釧路・知床・摩周湖とかにも行けたろうし、あるいは函館に行くとか」
「そういう所は行かなかったなあ」
 
そういえば観光的なものは全然してないなと我ながら思った。2日目に晃湖さんに案内されて、札幌の時計台を見ただけだ。
 
「早紀はどこか行った?」
「せんだいにいってマックたべてきた」
「ああ。マックもいいよね」
 
そういえば札幌にもマクドナルドの店はあったが入らなかったな、と青葉は思った。お年寄りが多いメンツだったので、和食の店とかばかりだったし、菊枝はファーストフードがあまり好きでないみたいで、菊枝と一緒に行動している間も、お蕎麦屋さんとか、天麩羅屋さんとかに入っていた。そういえば札幌のラーメンも食べてない!
 
ああ、また北海道行きたいなあ、という気分になる。
 

今回の件の報酬について数日後、青葉は賀壽子の家に寄って聞かされて驚愕した。
 
「越智さんがね。。。報酬は500万円くらいでいいかって言って来たんだけど」
「500円じゃなくて?」
「500円はさすがにない」
「それって、500万円をみんなで山分け?」
「私と千壽子に30万円、同席していた千壽子のお友だちの2人の霊能者に各々10万円、そして菊枝さんと青葉に500万円ずつ」
「えーー!?」
「釧路の人の自動車の修理代に、私のスピード違反の反則金、それから菊枝さんと青葉の調査に掛かった費用・宿泊費・交通費とかは別途プラスね」
「ああ」
 
「まあお金持ちなんだから、もらっておけばいいんじゃない?」
「そうだねー。でも私が持ってたら、お母ちゃんにとりあげられてパチンコ代になっちゃうから、ひいばあ持っててよ」
「じゃ、お前名義の銀行口座を作って、そこに振り込んでもらうことにするよ」
「うん」
 
青葉はその口座の管理を菊枝に頼むことにした。最初賀壽子に頼みたいと言ったら自分はそんなに長生きできないから、死んだ後荷物の中に通帳が見つかったら取り上げられてしまうから、ということでできるだけ無縁の人に頼むことにしたのである。菊枝は税務申告もこちらでやるから、交通費とか道具の購入とか経費関係が発生したら、伝票書いて送ってと言っていた。
 

6日、7日は地元の七夕祭りであった。
 
様々な「行灯山車」や「行灯神輿」が出て、町を練り歩く。青葉も女の子の祭り衣装を着て、早紀や咲良たちと一緒に祭りに参加した。
 
「ああ、やはり川上はそっちの衣装か」
と同級生の男の子に言われるが
「当然」
と言って微笑んだ。北海道で散々男の子扱いされたし、もう坊主とか坊やとか言われるのはこりごりだ。
 
「たなばたって、おりひめとひこぼしが年に1どのデートする日なんだってね」
「うん。いちゃいちゃしてて、仕事全然しないってんで、叱られて年に1度だけ会えることになったんだって」
「かわいそう。でんわとかメールとかできないのかな」と咲良。
「うーん。天上には携帯電話は無いかも」
 
「そんなにあえなかったら、うわ気とかしないのかな?」と早紀。
「よく浮気なんてことば知ってるね」
「お母ちゃんが見てたテレビドラマでやってた」
「ああ、やってたね。でも浮気って悲惨になるから、やめといた方がいいよ」
 
「うちのおかあちゃんがいってたよ。うわ気って、気のまよいでする人と、なんどでもする人といるんだって」と早紀。
「へー」
「うちのお父ちゃんは、うわ気したことないらしい」
「よかったね」
 
そんな生々しい?話をしながら、越智さんの浮気は「気の迷い」だったのか、あるいは「常習」なのか、どっちだろうと考えたりしていた。
 
自分の父は1ヶ月くらい帰宅していない。今日は祭りで自分も未雨も町に出ているので、母はボーイフレンドの所に行っているだろう。これも浮気なんだろうけど、いいのかな・・・・父の方は浮気はしてないのだろうか? 青葉は何か釈然としない思いで両親のことを考えていた。
 

その父はお盆直前、8月13日に帰宅した。
「盆休みで、どこも休んでるから商売にならん」
と言っていたが、父が何の商売をしているのかは、母も知らないようだ。 
しかし父は1万円札を5枚母に渡して「お盆の準備してくれ」と言った。父が母にお金を渡すところなんて、滅多に見られない。
「あ、うん」と言って戸惑いがちにお金を受け取った母は、それでお供え物などを買ってきて、仏檀に供えた。
 
その日は久しぶりにお肉の入った焼きそばを食べた。昔はお盆には精進料理だったらしいが、いつも精進料理状態のうちで、お盆にお肉が食卓に乗るのも面白いと青葉は思った。未雨は嬉しそうにお肉を食べていた。
 
青葉と未雨は赤い浴衣を着た。未雨は金魚の柄、青葉は未雨のお下がりの朝顔の柄の浴衣だった。
 
「ふーん。お前、女の浴衣着るのか」と父。
「私、女の子だから」と青葉もいつもの返事をする。
 
「おい、未雨、青葉、ちょっと並べ」と言って父はふたりを並ばせ、写真を撮った。どうも今日は父は機嫌が良いようである。今回は父が帰宅してからまだ殴られていない。普通なら、父が在宅中は1日1回は殴られる。 
夕方早紀が青葉を誘いに来たら、母が「花火代」をあげていた。早紀はこちらの家庭の経済事情を知っているので「えー?もらっていいの?」などと言ったが、母は笑って「お金のある時だけね」と言った。早紀は青い小鳥の柄の浴衣を着ていた。
 
誘われて早紀の家に行く。途中、咲良の家にも寄って誘った。咲良の家では早紀と青葉が「花火代」を頂いた。咲良は黄色い紅葉柄の浴衣を着ていた。3人の浴衣の色が赤・青・黄になるので「信号機みたい」と咲良の母にも早紀の母にも言われた。
 
早紀の家で、用意してあった花火をして楽しむ。そのあと、家の中でスイカをもらって食べた。スイカの甘い蜜が青葉の心を優しくしてくれた。
 
猫のミーが寄ってきて身体をすりつける。いつも早紀の家に来ているので、この猫もお馴染みだ。
 
「あ、そういえばミーちゃん、おちんちんとっちゃったんだよね」と咲良。「そうそう。でもとくにこまってないみたいよ」と早紀。
「べつになくてもいいのかなあ」
「女の子はおちんちん無くても困ってないでしょ」と青葉。
「うんたしかに」
「ついてたらじゃまそう」
 
「ミーちゃんは、タマタマは小さいころにとっちゃってるしね」と早紀。「子どものうちにタマタマをとっておけば、マーキングしたりとか、おとなのネコみたいなことしないんだって」
「へー。ミーちゃん、なきごえもかわいいし。タマタマを子どものうちにとっておくと、こえもかわいいままなのかな」と咲良。
 
青葉はドキっとした。子供の内にタマタマを取るか・・・・それで可愛い声・・・ 
「あ、ここでタマタマとってほしそうなかおしてる子がいる」と早紀に指摘される。「うん、まあね」と青葉は図星だったので、素直に頷く。
「モンゴルとかでは、女の子になりたい男の子は、あらっぽいウマに、下ぎをつけずにのって、タマタマをつぶしたんだって」
「なんだかいたそうね」と咲良。
「馬か・・・うち、馬飼ってないしな」と青葉が言うと
「ほんとにタマタマ取りたいのね」と早紀が同情するように言った。
 

その夜、青葉は夢を見ていた。
 
青葉は母に連れられて病院に行った。
「この子、おしっこが出にくいみたいなんですけど」
どれどれと言って、お医者さんが診察をしてくれる。お医者さんは菊枝の顔をしていた。
「ああ。おしっこの管が詰まってるんですね。おちんちんを切ればいいですよ」
「じゃ、お願いします」
 
青葉はベッドに寝せられ、麻酔の注射を打たれた。菊枝の顔をしたお医者さんがメスを使って、おちんちんを切ってしまう。
 
「これどうしますか?」
と言ってお医者さんが切ったおちんちんを持っている。
「あ、捨てていいです」
と青葉が言うと、おちんちんはゴミ箱にポイと捨てられた。
 
「はい、治療は終わったよ。おしっこ出やすくなったはずだよ」
と言われて起き上がると、お股の所にはおちんちんもタマタマも無くなり、代りに割れ目ちゃんができていた。わあ、と思って触ってみる。ちょっと不思議な感じ。 
「おしっこの仕方が、おちんちん付いてた時とは少し違うから、試してごらん」
と言われトイレに行く。
 
たぶん・・・この割れ目ちゃんの中に、おしっこが出てくる所があるんだよね?青葉は割れ目ちゃんを開くと、ふだん座っておしっこをしている時と似た感覚で身体の前半分の筋肉を緩める。すると、ふつうにおしっこが割れ目ちゃんの中から飛び出してきた。なーんだ。特に変わらないじゃん。
 
放出が終わった後、ペーパーでその付近を拭いている内に目が覚めた。 
青葉は夢だったのか・・・と思い、あの付近を触ってみた。
 
付いてる。
 
ちょっと悲しくなった。
 

8月16日。お盆の送り火を焚く。
 
炎の前で少しぼんやりしていたら、早紀に肩をトントンと叩かれた。
「どうしたの?あおばらしくない。ぼんやりして」
「私、女の子になりたい」と青葉は言った。
 
「うーん。。。あおばはいまでも女の子だとおもうよ」
「私、女の子の身体になる手術受ける」
「ああ、いいんじゃない? あおばはじゅうぶん女の子だとおもうけど、ちょっとまちがってついてるものがあるから、それをとっちゃえばいいのよ」
「うん」
と言って青葉は頷いた。
 
「女の子の身体になれたら、女湯に入るんだ」
「ふーん」
と言ってから早紀は少し考えていた。そして言った。
 
「あおば、女ゆに入ったことないの?」
「え? あ、それは・・・えへへ」
青葉は照れ笑いをした。
 
「でもとつぜんどうしたの?」
「うん・・・2〜3日前に、夢見てて。夢の中で手術されて女の子の身体になっちゃったんだよね」
「へー」
「でも起きてみると、やっぱり、あれ付いてるの」
「ふーん。。。でもゆめで見たとおもったほうがホントで、ついてるほうがゆめだったりしてね」
「へ?」
 
「こないだ、せんだいにいったときに、いとこがいってたんだよね。むかし、そうしという人が、ゆめを見て、ゆめの中でチョウチョになってたんだって。でもおきたらにんげんだったって。それで、じぶんはにんげんでチョウになったゆめを見たのか、それともじつはじぶんはチョウでいま、にんげんになっているゆめを見ているのか、わからないとおもったって」
 
「なんか深い話だなあ・・・・」
 
青葉はふと、天津子の連れていた虎が言ったことばを思い出した。
「夢の中で死んだら現実でも死ぬ」
 
自分が死んだら、もう夢を見ることもないだろう。でも夢の中と思っている方が本当で、この世界の方が実は夢だったら。本当の世界で死んだら、こちらが夢である以上、この現実と思っている世界からも自分の存在は消えてしまう。 
ひょっとしたら手術されて女の子になっちゃった方が現実で、いまだに男の身体でいる「現実」と思っている方が、悪い夢なのかも知れない。
 

数ヶ月後、菊枝から連絡が入った。
 
「例の彼女、妊娠したって」
「わあ、良かったですね。回復したんですね」
「それがさあ。相手の男は妻子持ちらしいのよ」
青葉は呆れた。
 
「なんで懲りないんですか?」
「ね?」
と言う菊枝も呆れている感じだ。
 
「でも彼氏には何も言わずにひとりで産むつもりだって」
「ああ。それがいいかもね」
「今、生活保護の方は辞退して、コンビニのパートで頑張ってるらしいよ」
「いいことだと思います」
「私、見かねて、病院代にって10万円あげたよ。ちゃんと診察受けなきゃ駄目だからね、と念を押しといた」
「わあ」
「出産前後は働けないけど、その間は実家に戻ってるって」
「頑張ってくれるといいですね」
「今度は頑張るでしょ。子供がいたら女は頑張るよ」
 
「私も子供産んで頑張りたいなあ」
「小学1年生ではまださすがに早いよ。20歳すぎて産むといいよ」
「はい」
と電話の先の菊枝に答えて、青葉は顔を赤らめた。
 
 
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