【寒里】(上)

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それは青葉が小学1年生の夏休み。例によって一家は食べるものが無く、学校は夏休みなので給食も無いため、未雨・青葉の姉妹は連日お腹を空かせていた。 
発端は曾祖母・賀壽子の古い友人で北海道に住む霊能者の北畠が、賀壽子を集会に誘ったことであった。
 
千壽子は大船渡の出身で、賀壽子とは隣の尋常小学校に通っていた。しかし当時からふたりとも「ライバル」意識を持っていたらしい。ふたりとも霊感が強かったが、見えるものの傾向が少し違い、賀壽子は「この世のものではないもの」が見える人で、親戚の人が宮司をしていた神社で巫女としてスカウトされて活動していたが、千壽子は「この世のものが見える人」いわゆる透視が得意で、親戚の人が住職を務めるお寺で失せ物探しや病気の診断などに借り出されていた。 
名前の「壽子」の所が同じなので、ふたりをしばしば混同する人もあり、それでよけいライバル心があったという。戦時中に結婚した夫が、戦後好況であった北海道の炭鉱で働くため北海道に渡ったが、その後もずっと賀壽子とは手紙のやりとりをしていた。
 
賀壽子は最初弟子の佐竹を連れていくつもりだったのが、佐竹が、また山形に住む父の調子が悪いようなので様子を見に行くといい、代わりに孫の真穂が夏休みだしということで付き添いで行くことになった。真穂は小学6年生である。 
そして、曾祖母は当然の如く、青葉も連れていくことにした。当時賀壽子のパワーはかなり衰えていて、「動力供給源」になってくれる青葉が一緒でないと霊的な仕事ができない状態であった。
 
賀壽子が青葉の家に来て、母の礼子に「青葉を借りていっていい?」と言うと礼子は「うん。連れてって、御飯食べさせてあげて」と言い「ついでに未雨も連れて行かない?」と言った。未雨も「わあ!北海道?行きたい、行きたい」
というので、ついでに連れていくことにした。母はたぶん娘2人がいない間はボーイフレンドの所に行っておくつもりなのだろう。母は父が不在がちでお金も家に入れないため、2年くらい前から彼氏を作っており、経済的にも依存していたが、子供とはあまり会わせないようにしていた。
 
そういう訳で、賀壽子は小学生3人(小1の青葉・小5の未雨・小6の真穂)を連れ、北海道に渡ったのである。
 
集会は元々、千壽子の友人で道内に住む「教組様」の神殿落成20周年で内輪の知り合いを招待して、ささやかな記念行事をしたのに伴うもので、折角遠くから来た人も多いからということで、その記念行事の翌日、札幌で改めて友人同士で食事会でもということになったのである。賀壽子はその教祖様とは面識が無かったのだが、「これだけメンツが集まるなら、あの人も呼びたいね」
といったリストに入れられて、招待が掛かった。交通費と宿泊費は教祖様が、付き添いの3人の分まで含めて出してくれた。
 
記念行事は、信者さんたちが100人くらい集まっていた他、千壽子たち霊能者関係が10人ほど来ていた。未雨は霊感ゼロなので「わあ、龍の像が格好良い」
などといってはしゃいでいたが、多少の霊感を持っている真穂は少し緊張した顔をしていた。
 
「ねえ、青葉ちゃん、私あまりよく分からないけど、色々いるよね?」
と真穂は尋ねる。
「うん。怖いなら閉じておくといいよ、真穂お姉ちゃん」
と青葉は笑顔で答えた。
「閉じるって?」
「あ。じゃ閉じてあげるよ」
と言って青葉は、真穂の「開いたまま」になっている心の目をそっと閉じさせてあげた。
 
ふだんは普通に「女の子」している青葉であったが、霊能者さんたちの目に掛かると、性別を見破られてしまう。
 
「坊や、可愛いね。スカート好きなの?でも坊やみたいに可愛いとスカートも似合うね」
などと言われてしまう。賀壽子と一緒に居た時
「可愛いお坊ちゃんですね。お孫さんですか?」
とも言われたし
「最近は男の子でもスカート穿くんですね」
とも言われた。
 
「あれ、君男の子なのに、なんで女の子の格好してるの?余興?」
などと、小学4〜5年生くらいの女の子にまで声を掛けられた。向こうも霊能者の付き添いで来ているっぽい。
 
「私女の子だから」と青葉は答える。
「ふーん」と相手の女の子は言った。
「君、もしかして、女の子になりたい男の子?」
「うーん。そういう見解もあるかもね」
 
「私は女に生まれたけど、男に生まれたかったよ」
「へー」
「私は力が欲しい。君、凄いパワー持ってるね。それだけ力を持っていて、むしろ女の子になりたいってよく分からないなあ。私、もっともっと強くなりたい」
「そういう女の子も多いかもね」
と言って青葉は微笑んだ。ただ、彼女が連れている「眷属」には少し緊張した。しかもどうも彼女はこの眷属を充分コントロールできていない雰囲気があった。それは体長5mはあるだろうかという感じの巨大な虎だった。その虎は青葉が見ている前で、そのあたりをふらふら飛んでいた小さな龍を食べちゃった! 
虎を連れてるから、力を持ちたいと思うのだろうか、あるいは力を持ちたいと願ったから、虎が眷属に付いたのだろうか、などと青葉は少し考えたが、その虎とは目を合わせないように気をつけた。
 
「私、あの子とは合わない」
と彼女が虎を連れて向こうの方に行ってから、真穂が言った。
「ふふ、あの子と合う子は少ないかもね」
と青葉も微笑んで言った。
 
「でも礼讃者の男の子をたくさん作るかも」と未雨。
「ああ、そうかも」と真穂も同意する。
確かに「女王様」になるタイプの女の子かもね、と青葉も思った。
 

もうひとり、別の女の子にも似たことを言われた。その子は小学2〜3年生くらいだった。虎少女はとげとげしい雰囲気ではあるものの、一応青葉が女の子の服を着ていることを是認してくれたのだが、その子は
 
「なあに?男の癖に女の服着て、変な感じ」
と敵対的な言い方をした。
「いいじゃん。どんな服着たって」
と青葉が言うと
「こういう変態がその内犯罪者になるんだよなあ。早い内にこういう悪い芽は摘んでおかないと」などと言う。
青葉はもうその子のことは黙殺することにして、後は何も返事をしなかった。しかし青葉が黙っているのをいいことに、かなり悪態をついてから向こうに行った。
 
「感じ悪い子がいるね。気にすることないよ」
と真穂がフォローして言った。
「うん。大丈夫。気にしないよ」
と青葉は笑顔で言った。
 
「でもさあ」と未雨。
「青葉が自分の身内だから言うわけじゃないけど、あの子の方がよほど男っぽくない?」
「あ、私も思った。実は最初男の子かと思ったのよね」
と言って真穂は笑った。
 

千壽子も賀壽子も記念行事の儀式に来賓として出ていて、祭壇の近くの来賓席に座っているのだが、「付き添い」の青葉たちは後ろの方で適当にしていた。 
やがて儀式は前半の教組様の祈祷が終わり、後半、信者さんたちに灌頂をすることになるが、その前にいったん休憩が入った。トイレなどに行くのに信者さんたちがぞろぞろと移動する。来賓席の千壽子と賀壽子は何やら話し込んでいたが来賓の中にも何人か中座する人がいた。
 
彼女とは目が合った瞬間、衝撃があった。
 
そして向こうもそんな感じであった。来賓席を立ってこちらに来た白いブラウスにチェックのスカート、リボンタイという、高校?の夏制服を着た16〜17歳くらいという雰囲気の女子は初め青葉を見てびっくりした様子だったが、やがてこちらにまっすぐにやってきた。
 
「名前は?」と彼女は訊いた。
「川上青葉です」
「私は山園菊枝。高校1年生」
「高校1年生!?2〜3年生かと思った。私は小学1年生です」
「1年生〜!? うっそー。4〜5年生かと思ったよ。既に風格がある」
「山園さんには遠く及びません」
「及んでたら私、今すぐ死ぬよ。でも大人になったら分からないな」
と菊枝は笑顔で言った。
 
「私、こんな凄い人がこの世にいるとは思わなかった」と青葉は言う。「それはこちらの台詞だわ。あなた、末恐ろしい。。。。あら? 何だか私たちの後ろのお姉さんたち、知り合いみたいね」
「あ、そんな感じですね」
「ね、お姉さんたちが知り合いなら、苗字で呼び合うのも他人行儀だわ。名前で呼び合おうよ」
「はい、菊枝さん」
「うん。青葉ちゃん」
 
ふたりは硬く握手をした。
 
未雨と真穂が何事が起きているのかよく分からないまま、ふたりのやりとりを眺めていた。
 

「ところで君、女の子の服を着てるのは何か宗教的な理由?」と菊枝は訊いた。「いえ。私が女の子だからです」と青葉は笑顔で答える。今日はこんな感じのやりとりを既に5回くらいしている。
 
「ああ・・・確かに、君、魂が女の子だもんね」と菊枝は納得したように言った。これも既に3回くらい言われている。
 
「魂の性別って見えるもんなんですか?」と真穂が訊いた。
「見える人には見えるよ。青葉ちゃんの魂はね。ちょっと古風でさ。江戸時代くらいかなって感じの巫女の衣装を着てるよ」
「へー」
「後ろのお姉さんがどうのって言ってましたが、それって私たちのことじゃないですよね?」
「うん。私や青葉ちゃんを護ってくれてる人。ふつうの人には見えない」
「それって、私にもいるんですか?」
と真穂が訊くと菊枝は微笑んで
 
「いるけど、居眠りしてるね」
と言った。
「居眠り〜?」
と真穂は顔をしかめる。
 
「起こす?」
「いえ、いいです。私、お化けとか見たら怖いから」
「ふふふ。でも見えるんでしょ?」
「ええ。時々。疲れてる時とか」と真穂は真顔で答える。
 
「あのぉ、私にもその後ろのお姉さんっています?」と未雨が訊くと、菊枝は一瞬考えるようにしたが、。
「付いてるけど、今日はお休みみたい」
と言った。
 
「お休み!?」と未雨は言うが、青葉も笑って
「守護霊って別にいつも付いてる訳じゃ無いよ。寝てる時もあればお休みの日もあるよ」
と言った。ただ、未雨の守護霊はお休みの日が多いんだよな、とは思ったものの、その事は言わなかった。
 

その日は当初の予定では、札幌に移動して泊まると言っていたのだが、賀壽子と千壽子が、教団の旭川支部長の人と意気投合してしまい、うちに来ませんかという話になったため、今夜は旭川に行き支部長さん所に泊まって、それから明日のお昼の札幌の食事会に行くという変則日程に変更された。
 
その旭川支部長さんの孫というのが例の虎を連れた少女だった。
 
旭川へはその支部長さんのワゴン車で移動した。運転席に支部長さんの娘さん、助手席に虎の少女(天津子)が座り、2列目に賀壽子と千壽子、そして3列目に真穂・未雨と青葉が乗った。虎は荷室に無理矢理その巨体を押し込んだ。青葉はできるだけそちらを見ないようにしていたが、未雨は何か気配を感じたのかそちらに目をやり「なんか荷室が怖い気がする」と言う。青葉は「後ろ見ない方がいいよ」と言ったが、助手席の天津子が一瞬こちらを睨むようにした。 
旭川についたのは夕方17時前だったので、まだ晩御飯には少し早いかなといい市内でお茶でも飲むことになる。ショッピングモールの駐車場で車から降りて甘味処に入るが、虎は車から降りると勝手にモールの裏手にある林に走り込んで行った。
 
「あれ、いいの?」と青葉が天津子に訊くと
「何が?」と言う。
 
この子、虎を飼っていることを自覚してないのかしら?と青葉は疑問を感じた。 
賀壽子、千壽子に旭川支部長さんは何だか話が盛り上がっている。天津子は無言だったが、支部長の娘さん(天津子の母)が、真穂や未雨に北海道の話題を色々提供してくれて、青葉もその話に聞き入っていた。
 
話が長くなっているので、青葉はちょっと中座してトイレに行く。。。。。が迷ってしまった! こんな広いショッピングモールは不慣れである。
 
青葉は神社の場所なら地図とか無しでも辿り着けるのだが、生憎トイレセンサーは持っていなかった。結局、お店の人らしい人を捕まえて場所を訊き、何とかトイレに辿り着き用を済ませる。ふっと息をつき個室から出て手を洗っていた時、未雨や真穂と同じくらいの感じの年の少女がトイレに入って来た。しかし、その後を例の虎が付いてトイレの中に侵入してきた。青葉はぎょっとしてその虎の方を見ている。少女は気付いていないようだが、少女の守護霊がおびえた様子をしていた。
 
そして虎は、その守護霊を食べようとした! 守護霊が悲鳴を上げる。守護霊が悲鳴をあげたので、釣られて少女も悲鳴をあげた。青葉はキッと虎を睨んだ。 
その気配に虎がこちらを見る。青葉はここではもう目を逸らさない。目を逸らしたら、こちらがやられる。
 
『おい、坊主、なんでお前、男のくせに女トイレにいるんだ?』
『私は女の子だからね。あんたこそ、ここは人間のトイレだよ』
『ふん。面白くない奴だな。お前まるごと食ってやろうか』
『ふーん。できるかい?』
『俺は人間丸ごと、何度か食ったことあるぞ。女の子の方が美味いんだが、男でも食う。あまり好き嫌いするのは良くないからな』
 
青葉は虎を睨み付けている。もし格闘になったら勝てる自信は無かった。問題は気合いで勝てるかだ。少しでも怖がれば、虎は襲いかかってくるだろう。 
その時だった。
 
女子トイレのドアが開いて、中学生くらいの女の子が入って来た。そして個室の扉の前で立ち尽くしている少女を見てから、手洗所のそばに置いてあったモップを手に取る。そして、虎めがけて思いっきりモップを振り下ろした。 
『ギャッ』と言って虎は逃げて行った。
 
「お兄ちゃん」と怯えていた少女は言った。
 
お兄ちゃん??
 
「大丈夫?」
「うん」
 
「でも千里お兄ちゃん、ここ女子トイレ」
「玲羅の悲鳴が聞こえた気がしたから来た」
「ふーん。。。でも千里お兄ちゃん、私の見てない所で結構女子トイレに入ってない?」
「えっとまあ・・・」
 
と千里と呼ばれた男の子??は照れている様子。そしてその時初めて、青葉にも気付いた。
 
「あ、君も大丈夫だった?」
「はい、ありがとうございます。あの、今の見えたんですか?」
「見えてないけど、何か居るなとは思った。だから、その居そうな所めがけて殴ってみた」
「凄い勘ですね」
「君、イントネーションがこの辺の子じゃないね?」
「あ、はい。岩手から来ました」
「そう。気をつけてね」
「はい」
 
青葉は千里に微笑んで返事をした。青葉はその男の子?の魂を見てみる。魂は女の子だ!なんか凄く可愛い、お雛様みたいな雰囲気。この子も私と同じように女の子の魂を持つ男の子なのか。そう思うと、青葉は今まで持っていたある種の孤独感が緩む思いだった。そして「千里」という名前を覚えていたつもりが・・・・2年くらい後にはきれいに忘れてしまっていた! ただ、北海道で、自分と同じような立場の子と出会ったことだけは覚えていた。
 

賀壽子たちの話は盛り上がって19時くらいまで続いたが、虎少女の天津子が「お腹空いた」と言ったので「あら、子供たちに御飯食べさせなきゃ」ということで支部長さんの家(旭川教会)に移動する。虎は車には乗って来ず、少女は何か探すような目をしていた。
 
晩御飯はカレーだった。信者さんからの奉納物のお下がりを使っているということで、お肉も入っているがお魚も入っている。しかし未雨は蛋白質を食べるのが久しぶりだったので「わーい、お肉の入ってるカレーだ」と喜んでいた。その言葉に真穂は吹き出したが、天津子は不思議そうな顔をしていた。 
お風呂も頂いて22時頃、寝室に提供してもらった客間に入る。ここは泊り込みで祈祷をする信者さんなどもいるため、客間というより宿泊室という感じの部屋が4つもある。その1室を賀壽子と千壽子、1室を真穂、1室を未雨と青葉が使った。
 
この日は朝から賀壽子の運転する車で花巻まで行き、飛行機で新千歳に飛んで、それからJRで教団本部に移動。記念行事が終わった後ワゴン車で旭川までということで、大移動でさすがに疲れていた。未雨も青葉もすぐ眠ってしまった。 
青葉は熟睡していたが、ふと雰囲気に気付いた。
 
これは・・・・夢の中?
 
青葉は時々夢の中でまるで起きている時のように行動できる時があった。その夢の中で友だちと遊ぶと、そのことをその友だちも翌日覚えていたりすることもあった。早紀や咲良とはよくそうやって遊んでいた。
 
しかし今夜は何か空気が違っていた。
 
青葉はそちらを見た。
 
例の虎がこちらを睨んでいた。
 
『まだやるつもり?』
『さっきは邪魔が入ったからな。続きだ』
『しつこいね。しつこいのはもてないよ』
『もて?・・・・』
『可愛い雌虎とかどこかでつかまえなよ』
『はあ?』
 
虎は思わぬことを言われて、何だか照れていたが、やがて
『うるさい。やはりお前、気にいらん。食っちまう』と言う。
『また負けるくせに』
『さっきのはお前に負けた訳じゃない』
『だいたいここは夢の中だよ』
『夢の中で死んだら現実でも死ぬんだぜ』
『へー』
 
そう言えば、こいつ何人か人間を食ったなんて言ってたな。悪い虎だ。やはり「おしおき」が必要だ。
 
睨み合いが続く。視線を逸らしたら即負け。食われてしまうだろう。こういう時は弱気もいけないが「負けるものか」といった気持ちも危ない。心はあくまでニュートラルに保たなければならない。青葉は曾祖母から、そう教えられていた。曾祖母は霊的なものと、そういう対峙を80年の人生の中で30〜40回経験したという。しかし青葉にとって、こういうシビアな対峙は初体験だった。
 
睨み合いは青葉的感覚で5分くらい続いただろうか。
 
やがて我慢しきれなくなった虎は青葉に向かって飛びかかってきた。その瞬間、青葉はコネクションだけ取って準備していた「鏡」を発動させた。
 
虎のエネルギーが青葉にぶつかる。
 
瞬間、鏡の作用でそのエネルギーは跳ね返された。
 
『ぐぁっ』
 
そんな声を立てて、虎は地面?に叩き付けられ、ぺしゃんこになってしまった。あぁ、なんだか虎の皮の敷物だね。回復には数時間掛かるかな? 凄い勢いで飛びかかった分、凄い勢いで自分自身が叩き付けられてしまったのだ。 
そこで目が覚めた。
 
起き上がって隣を見ると、未雨はすやすやと寝ている。青葉は微笑んで布団を抜け、カーテンをめくって窓の外を見た。明るい満月が優しい光を放っていた。 

翌朝、食事の席で虎の飼い主の少女が青葉に尋ねた。
 
「ねえ、あんた私のチビに何かした?」
「ペットの躾は、きちんとしなきゃ駄目だよ」
 
チビねぇ。体長5mでチビという名前も何だか。最初は小さかったのかな? 
「どうやったら躾けられるの?」
「君自身がバージョンアップすればいいんだよ」
「そっかぁ。分かった、私頑張る」
「うん、頑張ってね」
と言って青葉は微笑んだ。
 
支部を出る時、虎は天津子の陰でこそこそとした感じで、青葉の方を見ていた。心持ち体長が少し縮んだ感もあった。虎にとっても昨日千里にやられて、夜中に青葉にやられたのは、良い勉強になったであろう。
 

JRで札幌に移動し、お昼前に着いた。千壽子の孫で東京に住んでいる、中村晃湖(あきこ)さんが帰省していて札幌市内を少し案内してくれだ、彼女も青葉を見るなり「あんた末恐ろしい子だ」と言った。
 
「あ、なんか凄い子だとは思ったけど、そんなに凄いかね」と千壽子。「だって、この子、まるで普通の霊感少女みたいな顔して猫かぶってるもん。隠してるオーラをまともに見せたら、みんなびっくりするよ」と晃湖。「えへへ」と青葉は笑った。
 
それを言われたのは晃湖で3人目だ。2人目が昨日会った菊枝。そして1人目が、昨日の記念行事にも来ていたものの、忙しそうにしていて言葉を交わす時間が無かった神戸の竹田宗聖さんだった。今日の食事会にも来ていて、青葉を見るなり頭を撫でてくれた。彼はよく曾祖母の家を訪問していたのである。その度に飴とかチョコとかをもらったりしていた。
 
「青葉ちゃん、1年ぶりくらいかな」
「はい。ご無沙汰してました」
「もう小学校に入ったんだっけ?」
「ええ、1年生になりました」
「何だか、凄くバージョンアップしてるし、また可愛くなってる。そのスカートも可愛いよ」
「ありがとうございます」
 
「学校でも女の子してるの?」
「あ、いえ。学校には男の子の服を着て行ってますけど、下校したら女の子です」
「ああ、学校は色々難しいかもね。でも学校でも女の子で通しちゃえばいいのに」
「そうですね」
「でもきっと君が大人になる頃には、僕のパワーを超えてるだろうなあ」
と竹田は言った。
 
「でしょ、凄いですよね、この子」
と菊枝も寄ってきて、話しかけた。菊枝は竹田と面識があったようだ。 
「ここに日本の三大霊能者が集まってるのかも」と晃湖。
「三大霊能者?僕は当然入るけど、あと2人を君たち3人の中から選ぶのは難しいね。パワー的には中村君が2番目だろうけど、山園君も成長著しいし、青葉ちゃんは末恐ろしいし」と竹田。
「あ、いや・・・竹田さんと菊枝ちゃんと、青葉ちゃんの意味で言ったんだけど」
「アキさんを外して三大霊能者とは言えませんよ」と菊枝は笑っていた。 
「晃湖さんはヒーリングが凄いのよ。日本一かも。青葉ちゃん、色々教えてもらいなよ」
と菊枝は言う。
 
「ああ、私で教えられることあったら教えてあげるよ」
と晃湖も言ってくれて、青葉は「よろしくお願いします」と答える。実際、千壽子の縁もあって、この後度々晃湖にはヒーリングのことで教えてもらうことになる。 
「だけど三大霊能者考えようとすると、出雲の藤原さんもいるし、博多の渡辺さんもいるしね」と菊枝。
「いや。実は別格で超凄い人がいるんだよ」と竹田さん。
「別格?」
「会ったことのある人自体が少なくて、実態がよく分からないんだけどね。僕も2回しか会ってないが、エベレストを見上げるような気持ちになった」
「へー。何ていう人ですか?」
「高野山の山奥に住んでいる人で瞬嶽というんだ」と竹田さん。
「へー」と菊枝も晃湖も青葉も言った。
 
その時は、菊枝も青葉も2年後に自分たちがその瞬嶽の弟子になるとは思いもしなかった。
 

食事会は話が盛り上がった。出席したのは、千壽子・賀壽子、竹田、晃湖、菊枝のほか、千壽子の友人で、主として東日本在住の霊能者さん・拝み屋さんが5人、そして青葉たち3人であった。例によって未雨は食事にお肉が出ているので嬉しい悲鳴をあげながら食べていた。
 
「出席者が13人って、なんかいい数字ですね」と晃湖。
「最後の晩餐ですか?」と真穂が訊いたが、
「13は易では天下同人といって、みんなで仲良く協力しようって意味なんだよ」
と菊枝が教えてくれた。
「へー。西洋では不吉な数なのに、東洋では良い数なんですね」
 
「うーん。13を不吉とするのは俗説であって、必ずしも悪い数とは思われてない気もするんだけどね」と竹田。
「へー」
「12というのが凄く安定した数なんだよ。でも安定しているから発展しない。13はそこから1歩踏み出す。踏み出した途端、危険がたくさん待ってる。そういう意味では不吉かも知れないけど、覚悟して臨めば自分を更に鍛え上げる数なんだ」
そう竹田が解説した。
 
晃湖や千壽子・賀壽子も頷いていた。
 
話があまりに盛り上がり過ぎたので、その日帰る予定だったのをもう1泊しましょうということになる。忙しい竹田に、同じく予定が詰まっている晃湖は帰ることにしたが、千壽子の友人で道内に住む2人、菊枝、そして賀壽子と付き添いの3人の合計8人で登別温泉に行くことになった。
 

今日帰る5人を見送りに、みんなで新千歳空港まで行く。未雨は昨日から何度も飛行機とか電車とか、普段乗ったことのない乗り物にたくさん乗れて、それも喜んでいた。
 
その様子を見て竹田がふと青葉に小さな声で言った。
 
「君たち姉妹は面白いねえ。4つ違い?」
「はい」
「君がこんなに凄い霊的な力を持っているのに、お姉さんは霊感ゼロなんだね」
「そうですね」
と青葉は微笑んで答える。
 
「天真爛漫なお姉さんに対して、君はまだ小学1年生だというのに、既に様々なものを見て来て、人生を達観しているかのようだ」
「ああ、子供らしくないとは良く言われます」
「君を知っている人は、みんな君のこと大人と同様に扱うだろうしね。僕もだけど」
「ふふ」
 
竹田は先日ベルギーに行った時に買ったというチョコをくれた。
 
ロビーで竹田や晃湖たちと色々話していた時、青葉はふと何かの気配を感じて、席を立ち、気配に誘われるようにして、売店の方に行った。
 
雑誌コーナーに見知った女性が居て、手を振っていた。
 
「こんにちは、美鳳さん」
「こんにちは、青葉ちゃん」
 
それは5月に羽黒山で会った「八乙女」のひとり、美鳳(みお)だった。青葉に「鏡」をくれた佳穂の姉である。美鳳は最初会った時は女性神職の服、2度目に会った時は巫女の服を着ていたが、今日は何だかCAさんっぽい服を着ている。 
青葉がそれを言うと
「うん。私、CAなんだよ」
と言う。
「えー!?」
 
「今日は庄内空港から飛んできた」
「神職さんもしてるんですよね?」
「うん。まあ、私同時に複数のエイリアス出せるから」
「エイリアス??」
「ま、いいわ。でも、なんかあそこ凄いメンツね」
「ええ。物凄いです」
「他の人に気付かれないように青葉ちゃんだけに気を送るの苦労した」
「わあ」
 
「それでね、これ5月に一緒にあげたかったんだけど、鏡をちゃんと使いこなせるようになってからでないと、これあげても使えないだろうと思って、いったん保留にしてたんだけど、ちゃんと使いこなせてるみたいだから」
「もしかして昨夜の見てました?」
「うん。美事な虎退治だったよ」
「恐れ入ります」
「じゃ、あげるね」
 
と美鳳が言うと。何か光るものが美鳳の身体から飛び出し、青葉の体内に飛び込んだ。
 
「わっ」
「使い方は、鏡とだいたい同じだから、少し練習してみて」
「ありがとうございます。試してみます」
「じゃ、頑張ってね」
 
と言って美鳳は手を振り、向こうへ歩いて行った。
 
頑張ってね・・・・と言ったなと思い青葉は気を引き締めた。
それって・・・何かあるってことだよね?
 

登別温泉へは、千壽子の友人2人の運転する車に乗って移動した。1台の車に賀壽子・千壽子・真穂、もう1台に菊枝・青葉・未雨という組合せになった。真穂と菊枝が「助手席係」で地図を手許に置いて道案内を務めた。菊枝がいちばん信頼できるので、そちらの車が先行し、もう1台の車がその後を付いていく形になった。車内では菊枝が北海道の伝説をたくさん話してくれたが、道内在住でドライバーを務める50代の女性霊能者さんは「そんな伝説、今初めて知った」などと言っていた。
 
「私、全国各地の伝説や昔話の類を蒐集してますから」
と菊枝は笑顔で応えていた。
 
到着して札幌で予約していた温泉宿にチェックインする。食事の前にお風呂に行こうということになるが、青葉は「ごめーん。私、今日はお風呂パス」と言う。
 
「なんでー?汗流した方が気持ちいいよ」と真穂。
「いや、私、ちょっと身体に不自由があって」と青葉は頭を掻きながら言う。「ああ、青葉ちゃん男湯に入る訳じゃないのね?」
「それは絶対入りたくない」
 
「うーん。。。でも、まだ小学1年生だもん。混浴構わないと思うよ。女湯においでよ」
「えっと・・・その場合も、みんなに身体見られたくないから、後で入ろうかな」
 
すると未雨が言った。
「あ、じゃ私と一緒に行かない? ここの大浴場、凄く広いらしくて浴槽も何種類もあるっていうから、他の人たちと離れた湯に入ってればいいよ」
「そう? じゃ、そうしようかな」
 
という訳で、青葉は他の人たちと少し時間差を置いてから未雨と一緒に大浴場に行く。しかし髪が長く、スカートを穿いている青葉を、男の子と思う人はまずいない感じであった。菊枝や晃湖たちが一目で青葉の性別に気付いたのは、彼女たちが「特別」だからである。
 
いったん一階に降りて、それから廊下を通って大浴場の方に行く。この旅館自慢の巨大な浴場が広がる。青葉は未雨に手を引かれて、女湯の暖簾をくぐった。ちょっとドキドキ。幼稚園の時には何度か友だちと一緒にお風呂などに入ったことはあったが、温泉は青葉の記憶の中では初めてであったので、青葉も少し緊張していた。
 
脱衣場で、ブラウスとスカートを脱ぎ、女の子シャツとショーツを脱ぐ。青葉はタオルで上手にあの付近を隠していた。胸はもちろん無いが、小学1年生で既にバストがあったら、その方が変である。未雨に手を引かれて一緒に浴室に入る。きゃー、女の人がみんな裸だよぉ(当然だ)。
 
「ああ。ひいばあたちは向こうに居るよ。こっちにおいで」
と未雨は青葉の手を引いて別の方角に行く。いつもは頼りない感じの未雨をこんなに頼りがいがあるように感じたのは青葉は初めてだった。
 
洗い場で身体を洗ってから「美人の湯」などと看板の立っている湯に浸かった。 
「美人の湯だって。青葉、きっと美人になれるよ」
「だといいなあ。お姉ちゃんも美人になるよ」
「ふふ。ありがと」
 
青葉は湯の中ではタオルが使えないので、あれとあれは足で挟んで隠していた。 
しばらくふたりであれこれ話していた所に、未雨より少し年上くらいの感じの女の子が入って来た。何となく目が合ったので会釈すると、向こうも会釈を返した。
 
「どちらからですか?」と彼女が訊くので未雨が
「岩手県です」と言うと
「わあ、旅行ですか?」と彼女は笑顔で話しかける。
「いえ。曾祖母のお仕事のお供で来たんです。そちらも旅行ですか?」
「あら、大変でしたね。こちらは近所なんでちょっと湯に浸かりに来たんですよ」
と彼女は答えた。
 
これが青葉と舞花の初対面であった。舞花は中学1年生ということであった。 
何となく3人は気が合う感じだったので話し込む。未雨と舞花が何だかジャニーズ系の話で盛り上がっていたが、そういう「世俗」の話題に疎い青葉にはチンプンカンプンだった。だいたい「嵐」というのがグループの名前とは知らず、天候の話かと思って、話に付いて行けず悩んだりしたほどであった。
 
「えー?君、男の子なの?」と舞花が驚いたように言う。
未雨が早々にバラしてしまったのである。
「ほとんど女の子に見えますよね。自分の弟ながら変態で困ったもんで」
「あはは」
「でも君、凄く可愛いもんね。いっそ性転換して女の子になっちゃう?」
「せいてんかん?」
 
それが青葉が「性転換」ということばを聞いた最初だったかも知れない。 
舞花も含めて3人で何度か浴槽を移動したが、青葉はしっかりあの付近は隠していた。それで舞花に言われる。
 
「青葉ちゃん、隠し方がうまい」
「えー。そんなの絶対、人に見られたくないです」
「だって、まだ小学1年生でしょ。男の子が女湯に入ってたって構わないよ。まだ今年くらいまではね」
「えへへ」
 
3人の話題は学校や親族のことまで及ぶ。舞花のお父さんは会社の社長さんということだった。
 
「ふーん。青葉ちゃんたちのひいおばあさんって拝み屋さんなんだ」
「うん。それで江別市で拝み屋さんしてる北畠千壽子さんってのがひいばあちゃんの古い友だちだったらしくて、招待されてこちらに来たんだ」
と未雨は完全に友だち口調になっている。
 
「北畠千壽子さん!?」
「知ってる?」
「知ってるも何も北海道内では凄く有名だよ」
「へー」
「もしかして、北畠さんもここに来てる?」
「うん。あっちの方でお湯に浸かってると思うけど」
 
「さすがにお風呂の中で込み入った話はできないな。上がった頃にそちらの部屋に行ってもいい?」
「ああ、いいと思うよ」
と未雨は気軽に答えた。まさかそれが大変なことに巻き込まれる元になるとは知らずに。
 

温泉からあがり、食事も済んで部屋で少しくつろいでいた頃、舞花が両親と兄と一緒に、青葉たちの部屋(8人部屋)を訪問してきた。北畠千壽子への霊障相談ということを聞き
 
「じゃ、私は席を外しますね」
と言って、菊枝が真穂と未雨を促して外に出る。
「それじゃ私も」
と言って賀壽子が席を立ったので、青葉も一緒に部屋の外に出た。千壽子の2人の友人は、千壽子と一緒に話を聞く体勢のようであった。
 
「ああ、やはり賀壽子さんの『本体』は青葉ちゃんでしたか」
と菊枝が廊下で言った。
 
「お恥ずかしい。お察しの通りです。さすがにこの年になると昔のパワーは無くて」
と賀壽子は素直に答える。
 
「竹田さんから、賀壽子さんは若い頃は物凄い人だったと聞いています」
「山園さん、お願いがあるのですが」
「はい?」
「私は老い先短い。正直な所、今度の正月を越せるかどうかも怪しい。今回私が北海道まで来たのも、お迎えが来る前に昔の友だちに会っておきたかったからですよ」
と賀壽子。
 
それは青葉も感じていた。賀壽子はここ1〜2年、急激な体力の衰えを見せていた。おそらくは長年張り切った状態で仕事をしてきていたのが、何か支えるものが途切れて、本来の年相応の体力に向かおうとしているのだろうかとも思ったが、それ以上に何かありそうな気もしていた。
 
「それで山園さん」
「ええ」
「私が死んだ後、時々でもいいので、この子を。青葉の面倒を見てやってもらえないでしょうか。この子にはまだまだたくさん教えないといけないことがあるのに、私では間に合わない」
 
菊枝は頷いた。
「いいですよ。私がこの子の先生になります。もっともいつまで先生でいられるかは分かりませんが。きっと、青葉ちゃんはその内、私の先生になりそうだから」
と菊枝は微笑んで答えた。
 
「恩に着ます。私ももし死んだ後、そういうことができるものなら、この子とそして山園さんを護る力の一端にもなれたらと思います」
「はい」
 
真穂と未雨が不思議そうな顔をして、こちらを見ていた。菊枝はそんな顔をしている真穂に尋ねた。
 
「真穂ちゃん。あなたもその内拝み屋さんの仕事を継ぐのだろうから知っておいて欲しいんだけど、なぜ私たちが席を外したか分かる?」
「えー?私は拝み屋さんになるつもりは無いけど、やはり個人情報保護法とかの関係ですか?」
 
「うん。それもあるよ」と菊枝は笑顔で答えた。
 
「私たちが席を外した理由は大きく分けて3つ。ひとつは、クライアントが霊能者に相談事を持ちかけてきたのに、関係無い人がその場に居るのは失礼だという社会的マナーの問題」
「ああ」
「それからひとつは今真穂ちゃんが言ったように、プライバシー保護の問題。そもそも個人情報保護法が無くても、私たち祈祷師は刑法第134条の2で守秘義務が課されているからね。そして3つ目がいちばん大事なんだけど」
「はい」
 
「この手の相談というのは、しばしば相談を受けた側が問題に巻き込まれる。医師だって患者を診るのに感染の危険を冒しているし、消防士も火事を消すのに自分が火傷を負ったり場合によっては焼死する危険も冒している。祈祷師も、霊的な相談を受ける場合、自分が問題の霊によって霊障を受ける危険を冒す。だから、関係無い相談にはできるだけ近寄らないのが、この世界で長生きする秘訣だよ」
 
青葉もそのことはきちんと認識していなかったので菊枝の言葉に「確かにそうだな」と思ったのだが、真穂は「わあ、そうですよね。私、絶対拝み屋さんにはならないわ」などと言った。
 
「あれ。でも私と青葉、さっきお風呂の中で舞花さんと話しましたよ」
と未雨が言った。
 
「舞花さんって、さっきの娘さん?」
「ええ」
「具体的な話まで聞いた?」
「いえ。ただ、北畠千壽子さんの話をしたら、ぜひ相談したいって言って。それで部屋番号を教えたので、来られたのだと思います」
「そっか・・・関わってなければいいけど」
と菊枝は心配そうに言った。
 
しかし結局関わらざるを得なくなったのである。
 

ロビーで5人がお茶を飲んでいた時、千壽子の友人のひとりが賀壽子を呼びに来た。
 
「賀壽子さん、千壽子さんがちょっと頼みたいって」
 
賀壽子は菊枝と顔を見合わせたが、
「青葉はここに居なさい」と言って菊枝に預けてひとりで部屋の方に行った。 
賀壽子が部屋の方に行ってから30分ほどした時、突然館内に非常ベルが鳴った。「火災警報、火災警報、本館8階で火災発生」
と自動音声が流れる。
 
一瞬ロビーがパニックになりかかった。その時菊枝が
「落ち着いて!」
と大きな声で叫ぶ。それでみんなの動きが止まった。
 
「8階だって言ってますよ。すぐには燃え広がりません。ゆっくりと整然と外に出ましょう」
 
「5階におばあちゃんが。助けに行かなきゃ」
と言った女性がいたが
「大丈夫ですよ。5階なら火元からも遠いし。自分で出てくるか、スタッフが連れ出しますよ。それより今から行けば行き違いになるだけです」
と菊枝が言うと、そばにいた男性(多分夫か)が
「確かにそうだ。僕たちが行くのは混乱を増すだけだよ」
と言うので、女性も納得して、みんなと一緒に列を作って外に出た。
 

ロビーにいた人たちは菊枝のお陰で、静かに表に出たのだが、館内では結構あちこちでパニックが起きたようであった。それでも何とか泊まり客がみんな出てきたかなと思う頃、番頭さん?という感じの人が出てきて、ハンドマイクを持って話す。
 
「大変お騒がせしました。火災は消化器で従業員が消し止めました。怪我人も出ていませんし、延焼もしておりません。念のため本館7階と8階を今日は使用停止にしますので、該当のお部屋の方には別のお部屋をご案内いたします。本館の他の階の方、新館・別館の方は、もう大丈夫ですのでお部屋にお戻り下さい。なお、キャンセルなさる方、他の宿に振り替えて欲しい方はお申し出下さい。また宿代は、今日お泊まりになる方もキャンセルなさる方も全額お返し致します」
 
泊まる客にも宿代返却というのは、なかなか太っ腹である。大きな旅館ゆえのゆとりであろうか。
 
庭に大量に人が出ているので、連れを探すのもお互い大変そうであった。青葉たちは、庭に居た人数が半分くらいになった所で、ようやく賀壽子たちと合流できた。近くでは若い夫婦とお婆さんが手を取り合っていた。ロビーでおばあちゃん助けに行かなきゃなどといっていた女性である。無事合流できたようだ。 
一行は舞花たちの家族4人も含めて12人でぞろぞろと館内に戻った。すると女将という感じの人が舞花の父に声を掛けた。
 
「越智様、ちょっとお話が」
「はい?」
 
しかし数百人の客が泊まっているのに、VIPとはいえ、客の顔をしっかり覚えているのは凄い。
 
そして成り行きで青葉たちも話を聞いてしまった。
 
「実は火元が越智様の部屋でして」
「え?」
「原因は消防署の調査を待たないといけませんが、ガス漏れが発生していたようです。大変申し訳ありません。それに消火活動でけっこう消化液がお荷物にも掛かってしまいまして。弁済はきちんといたしますので」
「あ、いえ。それは全然問題ありません」と舞花の父は答える。
 

越智一家は新館の最上階のスイートルームを新たに割り当ててもらった。着替えが無いというので、サイズを聞き、ホテルスタッフが町内の洋服屋さんに走った。もう営業時間外だが、顔見知りなので無理を言って買ってくると言っていた。 
そして青葉たち8人もなんとなくそのスイートルームまで付いていった。菊枝がやれやれという顔をしている。自分も含めて青葉たちもこの件に巻き込まれてしまったのは確実である。こんなきちんと管理されているっぽいホテルでのガス漏れ火災というのが、霊障と関わっていない訳が無い!
 
「少しお話を聞かせて頂けませんか?」と菊枝は言った。
関わってしまった以上、速やかに解決する必要がある。
 
「はい。先ほど北畠さんや八島さんにもお話ししたのですが、2年ほど前から私たち一家の周囲でやたらと事故が多発してまして」
「ああ」
 
越智さんは札幌に本社を置く食品関係の会社のオーナー社長で、会社の規模としては中堅の部類ではあるものの、元々の個人的資産が多く、それでこの不況でも安定した経営をしているため同業他社からねたまれることもあり、過去にも恐喝事件のようなものは経験していたらしい。ただ今回の事件は過去のものとは明らかに性質が違うという。
 
「最初は身を狙われているのかと思い、ボディガードを雇って、妻と子供たちにも付けたのですが、その警備会社の社長さんが、これはどうも『人間の仕業』
ではない気がする。警備会社より、拝み屋さんに頼んだ方がいいかも知れないと言い出しまして」
 
「ああ」
「本当に不思議なんです。車に轢かれそうになったことも何度もありますし、工事現場の近くで物が落ちてきたこと、商店の看板が倒れて来たこと。今回みたいなガスの事故も実はこの3年で実は4回目です」
「きゃー」
「舞花が歩いていて突然めまいが来て、倒れそうになった所をあやうくボディガードの女性に抱き留められたこともありました。そばが崖だったので倒れてたら大変でした。しかしめまいなんて、意図して誰かが仕掛けられるものではないし」
「私、それまで貧血とかも起こしたこと無かったんですよね」と舞花。 
「そして決定的と思ったのが、家内が昨年子宮筋腫をやりまして。それまで病気なんてしたこともなかったのに」
「奥さん、お体はもう大丈夫なんですか?」
「はい。何とか。まだ通院はしていますが、お医者様は問題無いと言っています」
「息子の方も、商店街のガラス戸に激突して怪我をしまして」
「まあ、あれは俺が不注意だったからかも知れないけどね」
「以前から何度かぶつかる人がいて危険かも知れない、交換しようかという話は出ていたらしいです。でも戸が割れて実際に怪我したのは息子が初めてだったみたいで。まあ、そんな感じの事件が続発しているんです」
 
「なるほど。誰かの呪詛ではないかと」
「はい」
 
「しかし、舞花がお風呂の中でそちらのお嬢さんたちと偶然会って、それで私たちがこちらにご相談に来ていなかったら、今日は危ない所でした」
 
舞花が青葉たちに会ったことで、運命の歯車が変わったのであろう。
 
「それでね。私も見てみたんだけど、私にはどうも見通せなくてね」と千壽子。「それで賀壽子ちゃんを呼んできて、話をして見てもらって、どうも生き霊絡みのようだということまでは分かったけど、その先がなかなか見えない。どうしようか、などと言っていた所で、さっきの火事騒ぎで」
「そうなんだよ。相手の正体が私の力ではよく見えない。この犯人は巧妙だよ」
と賀壽子。青葉はその探索に自分のパワーだけ使われていた。
 
「私が見るしかないみたいね」と菊枝が言った。
 
「皆さん、この部屋にいてもらえますか? 千壽子さんに賀壽子さんまでいるし、千壽子さんのお友だち2人もいれば、ここでは相手も手が出せないでしょう。青葉ちゃん、一緒に来て」
「はい」
 
「私たちは?」と真穂が訊くと、菊枝は
「真穂ちゃんと未雨ちゃんもここにいて。真穂ちゃん、みんなを護ってね」
と言って意味ありげに微笑む。
 
その瞬間、菊枝が真穂の心の目を開けたのを青葉は見た。
 
「えー?私が何するの?」
「変なのが来たら騒いで。そうしたら千壽子さんか賀壽子さんが何とかするよ」
と菊枝は言った。
 
『だってここにいるメンツの中では真穂ちゃんがいちばん力あるもん』
と菊枝が心の中でとても小さな声でつぶやいたのを青葉は聞いた。それはとても小さな声だったので、青葉以外には聞こえなかったであろう。
 

菊枝と青葉は本館3階の自分たちの部屋に戻った。
 
「何をするんですか?」
「霊視をするけど、その前にまず潔斎するから、青葉ちゃん見張ってて欲しいの。潔斎している間は私無防備になっちゃうから」
「分かりました」
 
部屋には一応小型の浴室が付いている。菊枝はここで水垢離をするつもりなのだろう。
 
菊枝が青葉の見ている所で服を脱いだ。
 
女子高校生の引き締まった肉体を青葉は憧れの目で見た。菊枝は何か言おうとしたがやめて、そのまま浴室に入る。青葉は正座して目を瞑って心のセンサーの感度を上げた。
 
感度をあげたせいか、浴室にいる菊枝の様子まで見える。豊かなバスト、くびれたウェスト。そして股間の茂み。そこにはもちろん変なものはぶら下がっていない。いいなあ。私も高校生頃にあんな身体になっていたい。そんな気持ちがした。菊枝が微笑んだ気がした。
 
その時、青葉はハッとして、その方向に注意を払った。
 
何かの触手のようなものが、目立たないように天井の鉄骨に沿ってやってくる。行くか?いやまだだ。青葉は心を無にして静かにその触手の動きを追った。 
触手はやはり菊枝を狙っているようだ。
 
水垢離する菊枝の方を目指して伸びていく。
 
青葉はすっくと立ち上がった。
 
その動きに触手がビクっとした動きをする。青葉はそれまでオーラを消していたので、幼女でもあるし、気付かなかったか、あるいは無視して良い存在と思っていたのだろう。しかし青葉はわざとオーラを最大限に放出した。 
突然現れた強烈な存在に触手は先にこちらを攻撃すべきと判断したようであった。向かってくる。
 
その瞬間、青葉はイメージの中で昼間美鳳から受け取ったばかりの「剣」を取り出し思いっきり振り下ろした。その時、昨日千里が虎をモップで殴った時の様子を思い描いていた。
 
悲鳴に似た痙攣を起こして、触手は、引き延ばしたゴムが戻るような感じで戻って行った。切り落とされた先端がブルブルっと震えている。
 
「そいつは私に任せて」
と浴室から出てきた菊枝が言った。
 
菊枝は氷の容器のようなものを両手の上に作り、その中に触手の先端を閉じ込めてしまった。
 
「捕獲完了。しかし青葉ちゃん、凄いもの持ってるね」
「ある所で頂きました」
 
「でも手間が省けたよ。これで呪詛を掛けた奴が分かる」
 
菊枝は正座して何かの印を結ぶとその結界に閉じ込めた触手の先端に向かって何かを念じていた。
 
「分析終了」
と言って菊枝は笑顔になる。そして持っていた荷物の中からブリキの箱のようなものを出すと、その中に触手を結界ごと収めた。結界は50cm四方ほどあったのに対してブリキの箱は5cm程度しかなかったが、結界がちゃんと箱の中に入るのを見て「へー」と思う。
 
「これはお茶の箱だよ。お茶の葉の香りが抜けないように入れておくんだけど、霊的なものが漏れないように入れておくのにも便利」
と菊枝が微笑んで言う。
 
「あ、いいな」
「じゃ、青葉ちゃんにも何個か送ってあげる」
「あ、お願いします」
 
 
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