【春牛】(3)
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(C) Eriki Kawaguchi 2020-02-07/改2020-04-18
青葉と千里は“幻のワゴン車”を見た夜、そのまま一緒に高岡の自宅に戻ったのだが、翌朝起きた時、青葉は
「あっ」
と声をあげた。部屋を出て、隣の桃香の部屋で寝ていた千里姉に声を掛ける。
「ねぇ、ちー姉、火牛だったらさ、火牛神社に何かヒントが無いかな?」
「それ行ってみる価値があるね」
それはまだ北陸新幹線が開業する前のこと、倶利伽羅峠を抜ける新幹線トンネルで色々異変があったのが、“正しく移転されていなかった”神社から漏れてきていた霊のせいであることが分かり、青葉と千里できちんと移転し直してあげたのである。そこはきれいに整備され、道路も整備されて、受験や商売繁盛に利く神社として、けっこう参拝客も来るようになったと聞いていた。
その神社を管理している巫女さん(?)が感謝して「何か御礼をするぞ」と言い、朋子が「まだ就職の決まらない千里を助けてあげて」などと言ったので、千里は大学院を出たらバスケと作曲に専念するつもりが、Jソフトに就職するハメになってしまったのだが、そういう流れを把握しているのは《姫様》だけで、千里も青葉も気づいていない。
それで青葉は朝御飯を食べた後で出かけようとしたのだが、千里は
「ちょっと待って」
と言ってどこかに電話していた。
「除雪車が必要だから、ムーラン建設に持って来てもらう」
「もしかして道は積雪してる?」
「冬山登山してもいいけど」
「除雪車に1票」
それで青葉たちは自宅で2時間ほど待ってから現地に行った。ちょうどムーラン建設の人が除雪車を運転して降りてくる所だった。
「村山さん! ちょうど今除雪が終わった所です。連絡しようと思っていました」
と言う。
「ありがとうございます。助かりました」
「神社の入口の所の杉が1本倒れて通行できなかったので、その杉は動かしておきましたよ」
「ありがとう。ちょっと待って」
と千里は作業してくれた技師に声を掛けると
「青葉」
と促す。
「うん」
青葉は車から降りて、その技師さんの“除霊”をした!
技師さんは除雪車をトラックに乗せて帰っていったが、青葉たちは“杉が倒れていた”というので、今回の事件の原因が分かってしまった。
青葉の車で除雪された道路を上っていく。神社の前に車を駐める。
「応急処置をしようよ」
「OK」
千里が、倒れて脇に除けられた杉の木の枝を1本“持って来ていた”ノコギリで切り取ると青葉に渡す。青葉はそれを受けとると、倒れた杉の根元の所に置いた。ローズクォーツの数珠を持つ。千里姉も藤雲石の数珠を持つ。一緒に真言を唱える。
「封印掛かったよね?」
「まあ5-6日は持つかな」
そんなことを言っていたら、唐突に“例の巫女さん”が現れた。
「おお、お主たち、助かったぞ。その封印が壊れて困っていたのじゃ」
青葉と千里は顔を見合わせた。
「取り敢えずの封印はしたのですが、これだけではあまり長くもたないので、JR西の人に連絡して再度、杉を植えてもらうようにしますので」
「そうか。助かる。それはお願いしておく。どうも**様の一部がどこかに出て行ったようで。呼び戻したいのだが、どこまで行ったのやら」
などと巫女さんは言っている。
「それ、白いワゴン車の姿になって、このところ近辺の道路を走り回ってちょっと困っているのですが」
「そうか。すまなかった。妾(わらわ)をそこに連れていってくれ。妾が呼び戻してやる」
「何なら、私たちの車に同乗して、夜中の国道に出てみますか?」
と千里は言った。
ちょっと待って。私の車にこの人(?)を乗せるの〜?と青葉は思ったが千里は『私の車を使うから大丈夫』と青葉に思念を送ってきた。
「うん、頼む。妾(わらわ)をそなたたちの車に乗せてくれ」
と巫女さんは言った。
千里姉はどこかに電話していた。すると30分ほどもしない内に、千里3!がアテンザを運転して神社まで登ってきた。
「これはどうしたことか?お主たちは双子か?」
「九つ子ですが、何か?」
と千里姉は言う。
ちー姉、本当に9人くらい居ない?と青葉はマジで思った。
それで巫女さんはアテンザに乗せて千里2がそちらを運転し、青葉のマーチには千里3が乗って、一緒に道の駅・倶利伽羅峠に移動した。
「ここで夜まで待ちましょう。ワゴン車は夜中に出没するんですよ」
と千里は言った。
「この牛は美事な造形じゃな」
と巫女さんは褒めている。
(2020.1.10撮影)
それで夜になるまで、この道の駅で4人でおしゃべりしながら過ごすことにした。千里3がお弁当なども買ってきてくれたので、一緒に食べたりする。巫女さんは「この弁当はなかなかな美味しい」と、鮭弁当が気に入ったようである。青葉も長時間話している内に結構この巫女さんが好きになった。
どうも数百年前に生きていた人という感じだが、現代の日本語は通じるので、それなりに適応してきたのだろう。ただ英語などの外来語には弱いようだし、海外文化や現代的なもの、例えば野球やサッカー、コンピュータや電話などはよく分からないようである。青葉と千里がZoomを使ってビデオ会議をしてみせると、魔法のようだ!と言って驚いている。しかし千里2が端末を貸してあげると、面白がってスマホに向かって手を振ったりしていた。
午後になって、デファイユ津幡でアクアゾーンの建設を進めているムーラン建設の大矢副社長から電話があり、ちょっと見てもらえないかということだった。そちらは山吹若葉さんの担当なのだが、若葉さんがつかまらないらしい。あの人も全国どころか世界中飛び回っているからなあと思う。だいたいパスポートのビザ欄が3年で満杯になるらしい。ドイツに住んでいる彼氏(事実上の夫)に会うのにも頻繁に渡欧していたようだし。
それでデファイユ津幡に移動することにする。またアテンザの後部座席に巫女さんを乗せ、千里2が運転。マーチ・ニスモに青葉と千里3が乗る。それで7分ほどで、デファイユ津幡に到着した。千里3は「体育館の方に行ってる」というので、青葉・千里2・巫女さんで建設現場に行く。
大矢さんの相談というのは、設計書通りに作ろうとすると階段が急すぎる気がするというものであった。法令上の基準は満たしているのだが、一般的な商業施設の階段よりは、かなり急になると言う。確かに現場で見上げてみると、かなりきつい階段になりそうだった。
「水平距離を少し長くしましょうよ。これではお年寄りが辛い」
「変更しても大丈夫ですかね?」
「誤差の範囲ということで。山吹もこれなら追認してくれますよ」
「では緩やかにします」
「うん、よろしく」
それで建築現場を離れて駐車場に出る。すると赤いアクアが駐車場に入ってきて、青葉たちのそばに停まる。
「ごめーん、青葉、勝手に借りた」
と運転席の窓を開けて明日香が言うが
「全然問題無い。自由に使って」
と青葉は言う。最近は金沢と高岡の往復を明日香が運転することが多いので、そもそも明日香の家の近くの空き地に駐めていることが多いのである。アクアにはほかに、世梨奈と美由紀に中学時代の同級生で京都の大学に通っていた紡希が乗っていた。
「紡希ちゃん、お久〜、こちらに帰ってきてたんだ?」
「うん。私、富山県の教員採用試験に通ったから、4月からは富山県内のどこかの高校で英語の先生になる予定」
「それは凄い。頑張ってね」
「紡希がここを知らないらしかったから連れてきた。ムーランで御飯でも食べようかと思って。青葉たちも一緒に食べない?」
青葉は千里(千里2)と視線を交わした。
「うん。一緒に食べよう。何なら私がおごってあげようか」
と千里が言うので
「ごちになります!」
と世梨奈は言った。
それで青葉・千里2・巫女さん、それに明日香・世梨奈・美由紀・紡希の合計7人で体育館の地下のムーランに行った。
「地面の下に町がある。こんな大きな車も駐まっている」
と巫女さんが驚いている。
「そういえばこのトレーラーって、どうやってここに入れているんだっけ?どこかに進入路があるの?」
と美由紀が尋ねる。
ムーランはトレーラー・レストランで、毎日違うトレーラーがやってくるが、ここは地下である。
「スロープを作る案もあったけど、トレーラーが曲がれるようするには、かなり面積を必要とするから、ここはリフトで上下するようにしたんだよ」
と青葉が説明する。
「へー!」
「このトレーラーが駐まっている部分の床が上下するんだよね。この体育館は選手控室とかも上下する仕様だけど(ライブ会場とバスケコートを兼用させるための苦肉の策)、ここの場合、朝はこれを1階の高さまで上昇させて、そこにトレーラーを入れて、トラクターと分離した上でトレーラーだけリフトで下に降ろすようになっている」
「トラクター?なんで農機が出てくるの?」
と美由紀が訊くが
「農業用のトラクターとは違うよ。トレーラーを牽引している運転台の付いている部分をトラクターと言うんだよ」
と明日香が説明してあげた。
「あれトラックじゃないんだ?」
「トラックは荷台までセットになったものだね」
「運転台と荷室が分離できること知らない人も結構居るよね」
「トレーラーというのは引っ張られる物という意味だから荷室のみ。自分では動けない」
「朝8時頃にここに来れば、入れているところ、見られると思うよ」
「しかしそうか。リフトだったのか? これどうやってここに入れているんだろう?って、こないだも別の子と話していたんだよ」
と世梨奈が言っている。
他の子たちはハンバーグ定食とか、焼き肉定食とかを食べていたが、千里は「唐揚げ定食3つ」と青葉の分まで含めてオーダーした。どうも牛肉を避けているなと青葉は思った。火牛様(?)に仕えている巫女さんだからかな?
食事が終わってから「ごちそうさまでしたー」などと言いながら体育館を出る。その時、体育館とアクアゾーンの間の空間の奥にブルーシートで覆われた場所があるのに美由紀が目を留めた。
「あそこは何建てるんだっけ?」
と尋ねる。
「ここの氏神様を祀る神社だよ。その奥に温泉源があって、それをご神体代わりのようにして建てることになる。アクアゾーンの建築が終わってから建て始める」
と青葉は答える。
「神社の名前は?」
「まだ決まってない」
と言っていたら、世梨奈が
「ここ町長さんが火牛アリーナって名前付けちゃったから、神社の名前も火牛神社になったりしてね」
と言った。
すると、その言葉に巫女さんが反応した。
「火牛神社を建てるだと?それなら、当然**様が主神であろうな?」
ところが、巫女さんがそんなことを言った途端、いつも青葉の後ろに居る《姫様》が唐突に示現した。
「ふざけるな。神社の主神は妾(わらわ)じゃ」
と《姫様》が通告する。
明日香たちは「この人どこにいたっけ?」みたいな顔をしている。
巫女さんはさすがにギョッとしたようだ。
「大変失礼致しました。このような尊い神様がいらっしゃるとは」
「妾(わらわ)が正殿に座る。地主神の津幡姫殿を左殿に入れる。小枝殿、そなたの主(あるじ)を入れたければ、右殿なら良いぞ」
と《姫様》は言った。
「なんと!私の名前までご存じであったとは。恐れ入りました。それで良いです。ではぜひ右殿に**様をお祀りください」
と巫女さんは、かしこまって答えた。
「そういう訳だ。青葉、神社は三殿構成で頼む」
と《姫様》は言った。
青葉は溜息をついて
「分かりました。それで建てさせます」
と答えた。
「巫女さんの名前は小枝さん?」
と美由紀が訊いた。
「そうだが」
と巫女さん。
「かっわいぃ!!」
と女子たちの間から声があがる。
「小枝は英語で言えばツイッギーかな」
と千里が言う。
「それ、ミニスカの女王と言われた人ですよね?」
と紡希が言う。
「この人にミニスカ穿かせてみたいね」
と千里は悪ノリして言っている。
巫女さんの方は照れている。
「可愛いなんて、何百年ぶりに聞いたか」
「その可愛いって言ってくれた人とはどうなったんですか?」
と明日香が訊く。
「契りを交わして、男の子2人と女の子1人産んだよ」
「へー。3人って理想的かも」
などと世梨奈は言っている。
「1人では寂しいし、4〜5人だと大変だし、2〜3人がちょうどいいかもね」
と紡希も言う。
「お子さんたちはどうなさったんですか?」
「男の子2人は戦争で死んでしまったが、女の子は長生きしてくれて、私もその子にだいぶ助けてもらったよ」
「ああ、昔は男の子は戦争で死んじゃいますよね」
と紡希は小枝に同情するように言っていた。
明日香たちと別れて、青葉たちは“アテンザに4人”(青葉・千里・小枝・ゆう姫)で乗って、道の峠・倶利伽羅源平の郷に戻った。道の駅に着いてから5分ほどで千里3が青葉のマーチ・ニスモを運転して道の駅に来た。
「今出て行くとまずそうと思って遠くで見てた。車置いてってくれてありかとう」
「御飯は食べた?」
「うん。ムーランで食べてきた。“跡”は消しておいたから」
「さんきゅ」
小枝が座った付近に残る“雰囲気”を消してくれたのだろう。青葉は明日にも高岡のムーランに行って処理しておこうと思っていたのだが(今日津幡に居たトレーラーは明日は高岡で営業する)、手間が省けたようだ。
結局、この後《姫様》はずっと示現したままで、千里3は夕食に5人分のお弁当を買ってきた。今度は酢豚弁当だったが、これも小枝は「美味しい美味しい」と言って食べていた。千里3が弁当買いなどの雑用を引き受けているのは、どうも小枝の力を押さえつけるためにパワーのある千里2は絶対に席を外せないためのようである(姫様はどうせ何もしてくれない)。2番はトイレに行く時も“気配を置いたまま”行って短時間で戻って来ていた。
夜中23時を過ぎてから、千里のアテンザに、青葉・千里2・小枝の3人で乗って出発する(姫様は青葉の後ろに戻った)。千里3はマーチ・ニスモでお留守番で、何かあった時のために待機である。アテンザは運転席が青葉、助手席に千里、後部座席の右側に小枝と乗る。青葉としてはあまり自分の後ろに乗られたくないが、こちらを追い越す車を見えやすくするには右側に乗ってもらわなければならない。
この道の駅は旧国道8号線=石川県道215号沿いにあるのだが、その道をまっすぐ金沢方面に進み、浅田交差点を右斜めに進行。8号線方面に向かう。中橋ICに至るが、ここで千里2は「右方向」と言ったので、右方向へのランプを上って国道8号津幡バイパスの本線下りに合流する。
「右車線?左車線?」
と尋ねながら、こないだの出没地点に行くなら右だよなと青葉は思った。しかし千里姉は「左」と言った。「へー!」と思ったものの、そのまま左車線を走り、舟橋ジャンクションで左へ進行、津幡バイパスを走り続ける(右車線なら、津幡北バイパスに進行することになる)。
「右?左?」
と再度訊く。
「右車線」
と千里姉が言うので、青葉は舟橋ジャンクションを過ぎてすぐに右車線に移動した。これは、のと里山海道方面に進行するルートである。
実際、内日角ICで右側《月浦白尾インターチェンジ連絡道路》に分岐する。1km弱走った所で、白尾ICに至り、のと里山海道下り・羽咋方面に進行。
本線に合流した後は、左車線を90km/hほどで走って行く(ここは80km/hの道)。速度超過して走らないとワゴン車には逢えない。もう深夜0時すぎなので車が少ない。みんな好きな速度で走っている。80-100km/hくらいの車が多いが50km/h程でのんびり走る車も居るから注意していないと怖い。ポルシェが140km/hほどの速度で走り抜けて行った。
「あんなのこそ捕まえればいいのに」
「140km/hのポルシェをアルファードで追い越すのは辛いよ」
「それはそうだ」
それで10分ほど走っていた時、千里が
「来たね」
と言った。青葉もほとんど同時に気づいていたが小枝に
「来ますよ」
と言った。
「この窓はどうやって開けるのじゃ」
「ああ、開けますよ」
と言って青葉はボタンを操作して右後の窓を開けた。
「そなた、凄いな。触らずに開けるとは」
などと巫女さんは言っている。
後方から白いアルファードがどんどん迫ってきたかと思うと、右車線に移動して、追越を掛ける。そしてその車が青葉の運転するアテンザに並んだ時、小枝は、その車に向かって叫んだ。
「こら、お主ら、何をここで遊んでいる!?妾(わらわ)と一緒に帰ろうぞ」
すると、その白いワゴン車が、すっと姿を消した。
同時に巫女さんの姿も消えていた。
「わっ」
と叫んで青葉は一瞬ハンドル操作を誤りそうになったが、必死でこらえて、体勢を立て直した。
「青葉、修行が足りない」
「ごめん」
「でもこれで多分解決したね」
「解決した。後は杉かな」
「あ、そうだ。あれを何とかしないと」
「朝になってから魚重さんに連絡しようよ」
「そうだね」
青葉は高松SAまで走り、そこで休憩・仮眠した。
(北陸には高松もあれば福岡もあり、八尾もある)
前座席に青葉が寝て、後部座席に千里が寝た。この車には常に毛布が2枚積んであるらしいが、今は冬季なので掛け布団も2枚積んであり、それを使用した。
車中泊する人には布団派と寝袋派がいるが、千里姉は布団派らしい。むろんエンジンは切る。アイドリングしたまま寝るのは、一酸化炭素中毒の危険があるし、ガス欠の恐れもある。
仮眠するつもりが、結局朝まで眠ってしまったので、(2/25)朝7時に出発。次の米出ICで降りて、近くのコンビニで朝御飯を買って食べる。それから、のと里山海道の上り線に乗り直し、8時半頃、高岡に帰還した。なお、千里3のほうはそのまま倶利伽羅峠の道の駅で車中泊したらしい。
青葉は9時になってからJR西日本に電話して魚重さんに連絡を取ろうとしたのだが、魚重さんは3年前に神戸に転勤したということだった。しかし他の人に説明するのは困難なので、その神戸の部署を教えてもらって、そこに電話を入れた。
「あの杉が倒れていたんですか。分かりました。金沢支店の誰かに動いてもらうことにしますよ」
「それでですね。これをテレビ局に取材させてもいいですか?」
「神社の杉が倒れたのが、そんなにテレビ局が興味を持つようなことですかね?」
「今、お時間あります?」
「じゃちょっと待って下さい。1時間後くらいに電話します」
魚重さんは本当に1時間後に電話してきてくれた。それで青葉は“幻のワゴン車”という事件が起きていたこと、その原因が杉が倒れたことにより、封印が弛んで漏れ出た霊団の一部が悪戯をしていたことを説明した。
「そんな大事(おおごと)になっていたとは。だったら、私もそちらに行きますよ」
と魚重さんは言った。
魚重さんからの連絡でJR西日本の金沢支店は、すぐに杉を植え直してくれることになった。植え替えは2月28日に行われることになった。
ところで、デファイユ津幡(通称?火牛スポーツセンター)の周囲に確保された道路用地は敷地南側の拡張部分とともに、12月下旬に青葉に売却されたら、播磨工務店はその夜の内に、スポーツセンター敷地自体の拡張部分と周囲の樹木を伐採してしまった(いったん千里が所有している山林に置いておく)。
そしてそのあと3日ほどでアスファルト舗装もされ、100mごとに距離を示す数字が道路用白塗料でペイントされた。デファイユ津幡の西入口の所を0/1200として、100/1100 200/1000 と進んでいき、最後は1100/100 である。更に数字のある所の中点50m地点には、津幡町のシンボルである白鳥の絵を(町の許可を取り)描いている。これで一周1.2kmを数字を頼りに自分のペースを保ってウォーキング・ジョギングすることができる。
ここまでできた所で町長さんが視察に来た。
「もう舗装ができたんですか。早いですね」
「まだ外壁を作ってないんですけどね。それができたら、風の強い日でもジョギングしやすくなると思います」
とこの日、多忙な青葉に代わって町長の応対をした千里(千里2)は言った。
「今日なんかも風が冷たいですからね。こういう日に壁だけでもあればだいぶ違うでしょうね」
と町長さんは言ってから
「屋根まではつけないんですかね?」
と言った。
「屋根つけたら建造物ということなって建蔽率やばくないですか?」
「道路は屋根があっても道路であって、建物ではないと思うなあ」
「それ法的に問題なければ屋根くらいつけてもいいですよ。大して費用も掛からないと思うし(千里や若葉の感覚で)」
「ほんとですか?ぜひつけましょう。道路上の屋根はスノーシェッドにすぎないと思いますよ」
この問題は町長さんの方から建設局に確認を取ってくれた。すると町長からの伺いということもあったのか、建設局はそれを雪除けとして認めてくれた。そこでこの周囲の道路には屋根がつくことになり、ここは雨の日も雪の日もウォーキングやジョギングができる場所となった。
屋根の高さは道路の“建築限界”4.5mとした。また、消防車の活動を妨げないようにするため、屋根の内側上部は“めくる”ことのできるカーテン状のものにすることにし、不燃シートを垂らすことになった(風が吹くと“鳴る”かもと言っていたが、実際にはカーテンに錘(おもり)を付けたこともあり、ほとんど音は発生しなかった)。外壁および屋根は超難燃性のポリカーボネート樹脂板を使用する。実はカーテンもポリカ板も千里が所有するPhoniex Chemical 草津工場の生産物である!
外壁と屋根のフレームはむろんH型鋼であるが、千里はその屋根の上に町長の承認を得て太陽光パネルを並べることにした。これは物凄い量の電気を生み出すものと思われた。
また千里は外壁に50mごと(道路に数字または白鳥マークがペイントされた場所)に出入りできるドアを設けた。これは非常時の脱出路とメンテ用を兼ねる。このドアは、万が一熊などは侵入できないように、半自動ドアとし、人間は入口付近にあるカバーを開けて、中の取手をねじると開くようにした。押せば開く方式なら熊でも偶然開けてしまうかも知れないが、ひねるという動作までは熊には無理だろう。
もっとも熊ならそもそもポリカーボネート板を破壊して中に入り込まないかとまで言われると微妙である。力のある熊が出ないことを祈ろう。
またこの周回道路には200m置きに6ヶ所のトイレを設置した。これは男子の立ちション防止の意味もあり、途中箇所には「WC←50m」「WC←100m 100m→WC」、「50m→WC」という表示までつけている。地元の中学校に呼びかけて、このトイレ案内の板に自由にメッセージを書かせた。
・立ちション禁止
・犬じゃなかったらトイレまで行け
・トイレに向かって走れ
・トイレまであと少し。頑張れ
などといったものから、
・防犯カメラにあなたの***が写る
・立ちションしたら切っちゃうぞ
などというものまであった。
「何を切るんですかね?」
と女形ズの福石さんがわざわざ訊くので
「縁を切るんじゃない?」
と答えておいたら感心していた。
なおこのトイレは汗を掻いた後のアンダーウェア交換に使う人も結構あったようである。
この外周道路の外壁は2月に、屋根は3月下旬に、内側の壁とカーテンは4月上旬に完成し、早速ここでウォーキングやジョギングをする人が見られるようになった。なおこの外周道路の数カ所に傘立てを置き、雨の中ジョギングなどに来た人が駐車場に駐めた車からこの外周道路まで傘を差してこれるようにするとともに「レンタル傘」も大量に置いて、急に雨が降ってきた場合に濡れずに車まで行けるようにした。レンタル傘は町で呼びかけて、家庭で余っている100円傘を大量に提供してもらった。
この外周道路の街灯(33.3mおきに設置)はセンサーライトとし、前後50m以内に人がいれば点灯するようにして、夜間のジョギングをする人の便になるとともに、周囲への光害にはならないよう配慮した。
なお、この道路は通常は車両乗り入れ禁止で、ウォーキング・ジョギングする人とせいぜい伴走する自転車の専用道路である。出入口の所には車止めポールも設置している。ここに入れる車は消防車・救急車などの緊急自動車とメンテ作業の車両のみである。
デファイユ津幡の“臨時プール”には長野での高地合宿が終わった後の11月22日から、日本代表候補女子長距離陣の6名と水野コーチが“自主合宿”をしていたのだが、まず12月1日(日)に学校に出なければならない金堂さん(仙台在住)と自分のクラブに戻らなければならない水野コーチが離脱した。その後も、青葉と竹下リルは主として夜間、ジャネは主として朝から晩まで、大学生の南野と永井は泊まり込みで卒論を書きながら随時泳いでいたが、永井は卒論のまとめに入るとして12月15日に地元に戻った。
南野さんがずっと居るので青葉は
「卒論大丈夫ですか?」
と訊いたら
「うちは提出2月だからもうしばらくここに居る」
と言って、どうも実際には論文など書かずに、ひたすら泳いでいるようだったので、大丈夫かな?と心配した。
なお、ここに滞在している間の食事は若葉さんが「日本代表を応援したい」と言って無償で提供してくれている。朝昼晩の食事が届けられる他、ムーランの“パス”を渡されているので、行けばいつでも好きな物が無料で食べられる。プールの維持管理費は青葉が出しているし、宿泊は播磨工務店の建築用宿舎に泊まっているので、お小遣い程度の費用で滞在可能である。泊まり込んでいる技師たちのためコインランドリーも設置しているので、洗濯もそこでできる。
南野さんは2月になってから、1週間だけ地元に戻り、また来てひたすら泳いでいた。それで2-3月にここで泳いでいたのは、日本代表候補組では、青葉・ジャネ・竹下・南野の4人である。他に希美・夏鈴・月見里姉妹も来ていたし、杏里や管理人の布恋まで監視しながら?泳いでいた。
和実たちは盛岡から出て来てくれた梓たちや、仙台在住の伊藤君たちと一緒に金曜夜から月曜朝まで泊まり込みで企画会議を続けていた。
「淳さんは、いつこちらに来られるの?」
「一応3月一杯で退職させてもらうことになっているけど、具体的な日にちはまだ確定していない。今関わっているシステムの仕様書を整備したり、後任の人に引き継ぎしたりして、ひょっとしたら、3月37日の月曜日くらいまでは、ずれ込むかもね」
「3月に37日があるのか?」
「僕が以前勤めていた信用金庫には、伝票入れが35日と書かれたものまで並んでいたよ」
「日本の暦が分からない」
「31日の取引より、理論的に後でなければおかしい伝票を32日の所に入れる。それより後でなければならない伝票を33日の所に入れる」
「それで35日までできちゃうんだ」
「大抵はそのあたりで何とかなる」
「でも3月に決済したことになるのね」
「淳さんは3月3700日くらいまでずれ込んだりして」
「そこまで延びたらさすがに離婚だな」
と和実。
「和実、淳さんと別れたら、俺が結婚してやってもいいぞ」
「おお、大胆なプロポーズだ」
「じゃ、3月3700日になってから検討しよう」
(2020年3月3700日は“普通の言い方”に直せば2030年4月17日になる)
「ライブだけどさ、相互中継しない?」
「中継?」
「若林店青葉通り店の両方でライブやってる時は別にいいけど、片方だけでライブやってて、片方ではやってない時は、生中継してプロジェクターに向こうの映像を流して音も流すんだよ」
「ああ、それはアーティストさん側の同意があればできると思う。コスモスさんや山崎さんと話してみるよ」
「それ時間帯がぶつかった場合も時間差中継できない?」
「それは適当な権利料を払えばできると思う」
「権利料が要るんだっけ?」
「当然でしょ。テレビの再放送だって、ちゃんと著作権料払っているはず」
「権利料払うという前提に立てば常に録画を流していてもいいんじゃない?そして概ね夕方くらいからは生ライブ」
「採算を度外視すれば可能だな」
「録画じゃなくてCD流しておけば著作権使用料は安いよね」
「うん。CDは安い。有線だともっと安い、FM放送流しておくだけならタダ」
「でもそれだと普通のカフェだもん。何か特徴が無ければみんなスタバに行ってしまうから、少し費用掛かっても、ライブにこだわらない?」
「ちょっと収支計算してみるよ」
「そうだ!特徴出すんだったらさ、男の娘メイドをずらっと並べたりするのは?」
「それは全く趣旨が変わってしまうから却下。ハルがメイドの服を着てここで働きたいというのなら、やってもらってもいいけど」
と和実は言ったのだが
「給料次第ではやってもいいかな」
と伊藤が言うと
「俺がクビにする」
と小野寺君が言った。
録画放映の件に関しては、(クレールのスタッフではないのだが)冬子がTKRの松前社長と交渉してくれて“プロモーション”ということで、無料で録画を流してよいことになった。また冬子とコスモスの話し合いで、§§ミュージックのタレントさんたちについても、やはりプロモーションの名目で無料で流せることになった。ボニアート・アサドに関しても最初は有料と言われたのだが、兼岩会長が「クレールはボニアート・アサドのホームグラウンドみたいなもんだもん。録画くらい無料でいいじゃん」と言って、これも(クレールでのライブ映像に限り)無料で流せることになった。
ちなみに原則として毎月1回行われるボニアート・アサドのライブのギャラはこれまで1回60万円だったが、これをどうせ仙台まで帰って来たついでに若林店と青葉通り店で1回ずつ出演して2回で100万ということにしようという話になっている。
そういう訳で、中継および録画が無料でできることになり、生ライブもしくはその録画を常時流すというのが、クレールの“売り”になることになった。
のと里山海道で2月24日深夜(25日早朝)白いワゴン車を封印した青葉は同日お昼に神谷内さんに連絡してデファイユ津幡地下の小会議室に来てもらった。ムーランでテイクアウトしたランチ(今日は和食店なので天麩羅定食:千里のおごり)を食べながら青葉・千里・神谷内の3人だけの会議である。
「何か密談という感じだね」
「そうなんです。悪い相談をしましょう」
と青葉は言った。そして「幻のワゴン車」事件が今朝解決したことを語った。
そして実際の解決に至った経緯を青葉はこのように説明した。
・8号線でパトカーや白バイの後を走っていれば、事件に遭遇するのではないかと考え、何度か夜中に8号線に出てパトカーにうまく遭遇したのでその後を追尾してみた。
・その結果、うまくパトカーが速度違反の車を捕まえる所に遭遇することができた。警官はその車が先頭と思ったようだが、青葉と千里の目にはその先に実体の無い車の影を確かに認めた。
・その“幻の車”を見た瞬間、青葉にも千里にもその車が炎上しているように見えた。それでこれはこの道路で事故死した多数の死者の集合体なのではという気がした。
・死者の集合体は速度違反の車が積極的に捕まるようにすることで、事故が減ることを祈り、自らおとりを務めていたのではないか。
・そこでこの道路で死んだ人たちの供養を再度することで怪異は納まると判断した。
・8号線は実際には沿線のいくつかの寺社に分担して守護されている。そこで、これらの神社・お寺を巡礼して祈願をすることにした。
・ところが下見をしている内、守護している神社のひとつである火牛神社の御神木が折れていることに気づいた。これではこの神社は充分な守護力を発揮できない。
・そこで杉の植え替えをしてもらうことにした。これで火牛神社のパワーは復活するはずである。
「その巡礼というのは?」
「明日やりますからそれを撮影してください。それから28日に杉の植え替えをしますので、それも撮影してください」
「なんか“作った話”という臭いがプンプンするんだけど」
「その付近はあまり深く追求しないということで。今回の事件では“悪者”を作りたくないんですよ」
「だったらさ、こういう話にしない?」
と言って神谷内さんは少し違うストーリーを語り始めた。
・金沢ドイル・コイル姉妹は深夜巡回しているパトカーを追尾するという手法でついに幻のワゴン車の出現現場を捉えた。
・パトカーが捕まえた車の前方に、実体の無い車の影を確かに認めた。その車を見た時、ドイル・コイル姉妹には、多数の交通事故の映像がイメージされた。それでこれは多くの事故の死者の集合体ではないかとドイルは推察した。
・昨年秋頃から突然“ワゴン車”が現れるようになったということは、何か死者を供養している寺社などに異変があったのではと考え、沿線の寺社やお地蔵さん、慰霊碑などの類いを調べてみた。
・火牛神社にも多数の交通事故の死者が祀られているからということで、そこもチェックしに行こうとしたら、途中で倒木によって折れた慰霊碑を発見した。この慰霊碑は元は8号線にあったのが道路工事のため火牛神社の旧社傍に移されていたが、6年前に火牛神社が移転した時、移転されそこねて旧社近くに取り残されていた。倒木は昨年秋の大雨で発生したのかも。
・それでこれをきちんと移転して供養すれば怪異は収まると判断した。
・移転しようとしていた時、火牛神社の杉が1本折れているのを発見。これも植え替えをすることにした。
「神谷内さん、小説家になれますよ」
と千里が言ったが、要するに原因のメインを慰霊碑ということにして火牛神社の杉の植え替えは“ついで”にすることで、火牛神社には責任が無いことにできる、ということで、神谷内案でいくことにした。
“壊れた慰霊碑”はどうしようと言ったら、千里が「そのくらい調達してくるよ」と言うので、お任せすることにして、杉の植え替えをする前日の2月27日に、この撮影もすることにした。
2020年2月25日(火)、青葉・千里(高岡)、冬子・若葉(東京)、和実(仙台)はZoomを使用した緊急会議を開いた。
冬子にしても千里しても1月の段階では今回の新型コロナは2002-2003年に大流行し、旅行業界に多数の倒産を出したSARSクラスのものと認識していた(それでもかなり大変なものだと考えていた)。しかし2月上旬の札幌雪まつりでクラスターが発生し、2/13には国内で初の死者が出た段階で、これは100年前のスペイン風邪レベルの人類存亡にも関わる、凶悪なウィルスかも知れないという認識を持った。
(2月14日時点での中国の感染者は63865人・死者は1381人、当時国別第2位の患者数であった日本は患者数253人・死者1人である。ちなみにSARSの時は世界の患者数8096人・死者774人で、これを既に大きく上回っている)
2月15日福島、2月16日東京のローズ+リリー公演では入場者全員にマスクとポケットティッシュを配布するとともに、入場ゲートに赤外線サーモグラフィシステムを設置して、体温の高い人の入場をお断りした。咳をしている人は、たとえ喘息や花粉症だと本人が主張してもお帰り頂いた(強面の社員を並べて対応)。また、公演中は声援禁止・私語禁止・手拍子禁止・立ち上がり禁止でクラシックコンサートのように、静かに聴いてもらうことにした。
2月23日の津幡公演に関しては、同様の入場管理をするとともに、会場に次のような改造をすることで実施しようと考えていた。
・防音を犠牲にして大量の窓を壁に開け、換気扇を設置して強制的に空気を入れ換える。
・トイレの扉は自動開閉・自動ロックに。トイレットペーパーのホルダーカバー撤去
・入口にゲートを作り1人ずつ通過してもらって、赤外線で高温を検知したら自動的に閉まる
この改造は2月12日に発注した。改造費用としてムーラン建設には無理を言う分のお詫び料を含めて冬子が1億円支払った。播磨工務店・ムーラン建設はアクアゾーンの建設を一時中断してこの改造をわずか10日間でやってくれた。
このほか座席にビニール製のついたてを大量に並べて飛沫感染を防止することにした。特に座席の後ろには全てついたてを並べることにして、必死についたての確保に走った。
しかし、2月21日に石川県でも初の感染者が出たことで、冬子たちは断腸の思いで23日のローズ+リリー津幡公演の中止、そして以降の全ての公演中止を決定した。そして一段落した2月25日午後にネット会議をしたのである。
この日の会議では、津幡アリーナ、クレール青葉通り店、若林公園の感染対策について話し合った。
「取り敢えず津幡のアクアゾーンは開業を無期延期することにした」
「若林公園の体育館その他の建設も適当な時期まで延期することにした」
「津幡の屋内テニスコートと屋内グラウンドゴルフ場も建設延期」
「火牛アリーナでやったようなトイレ改造を、クレール本店でもやってもらったんだよ」
「津幡のジョギングコースは、安全確保のため、壁の上部と床部に空気の通る場所を作ることにした。雨風避けは天井から50cm下に新設した棒の下から垂らす。あと、猪避けの扉は全開放することにした」
「それ若林公園でも同じことしたい。そちらの工事が終わったらその工事した人たちを仙台に回してくれない?」
「OKOK」
「ムーラン津幡店はトレーラーを地下に入れずに体育館の前で営業しようかな」
「ああ、それがいいね」
その他4人は感染防止のため様々な対策を話し合った。ローズ+リリーの公演で使用する予定で大量に調達したビニールのついたてが余っているのは、若葉が全国のムーランで使いたいと言って取り敢えず200枚購入、和実もクレールとテナントさんで使いたいと言って300枚購入した。
またクレール若林店は大幅に座席数を減らして“ソーシャル・ディスタンス”仕様にした。クレールでこれがすぐできたのは、元々客室の広さに対して客が極端に少ない!というこの店の特性(?)が幸いした。
さて『霊界探訪』の撮影だが、2月27日、うまい具合に前夜雪が降ったので、“雪を掻き分けて進む決死隊”を撮影するのには、とてもいい具合になった。
「で、その決死隊って私たち?」
と明恵と真珠が言っている。
「若さで頑張ろう」
と幸花が言い、2人が頑張って雪掻きをして道を作っていく所を撮影する。
「これじゃ日の明るい内にはとても目的地まで辿り着きませんよ。文明の利器を使いましょうよ」
と明恵が言い
「仕方ないなあ。費用は君のギャラから引くのは可哀想だから、神谷内さんの給料をピンハネしよう」
などと幸花が言い、デファイユ津幡で待機してもらっていたムーラン建設の人に連絡する。除雪車を乗せたトラックがくるのをカメラは撮影する。
「わーい!文明の利器だ」
と明恵と真珠が騒いでいる。こういうのは19歳の役所である。幸花や青葉では無理がある。
それでムーラン建設の人に神社までの道(300m)と旧神社に行く枝道(100m)を除雪してもらった。枝道は舗装されていないので大変だったようである。
「ありがとうございました!」
とみんなで御礼して送り出してから除雪された道路を歩いて登っていく。途中の枝道の所で金沢ドイル(青葉)が
「あ、こちらに何かを感じる」(台本)
と言い、みんなでそちらに向かう。今ドイルが気づいたように言ったのに、ちゃんと除雪されているというのは、テレビ番組ならではの予定調和?である。
旧神社の近くで明恵が
「あ、あそこに何かある!」
と言う(むろん台本)。
倒木(実はたくさんある)の下敷きになって折れている御影石の慰霊碑っぽいものがある(昨日の内に千里が仕込んでおいたもの)。
林の中の雪を掻き分け、慰霊碑の所まできて
「あ、慰霊碑が折れてる!」
「去年秋の大雨でこの木が倒れたんじゃないの?」
「その頃からだもんね。幻のワゴン車が現れたのは」
などと会話するシーンを撮影する(全て台本)。
「苔むしていて、もう字が全然読めませんね」
などと幸花は言っている。青葉は悩みながら
「《交通事故撲滅》と書かれているように思います」
と言った。
(本当は“○○ゴルフ場落成記念”と書かれている。潰れたゴルフ場から調達してきたらしいが、よくそんなのを知っていたものだ)
「交通事故撲滅だから、スピード違反の車を、おとり捜査で捕まえようとしたのかな」
「まあちょっとやりすぎだったかもね」
この“慰霊碑”の場所は旧神社の境内から10mほど離れた林の中で、そこへ行く道も存在しない場所である。つまりこんな所に慰霊碑があったとしても誰も気づかなかったであろうと思われる場所に仕込んだのである。
それで金沢ドイル(青葉)がその古い“慰霊碑”の所で祝詞をあげるところを撮影する。現在のこの神社の主(あるじ)である《ゆう姫》は大笑いしている。笑っているということは、こういうお芝居も許してくれているのだろう。
それで、この壊れた“慰霊碑”を新神社まで運ぼうということになる。青葉たちには無理なので。再度ムーラン建設の人に来てもらった。彼らは2人がかりでこの“折れた慰霊碑”の半分ずつを一輪車に乗せて道路に駐めた軽トラまで運び出してくれた。
そしてみんなで新神社の所まで移動する。
千里姉が「ここ」と指定した場所(神社の結界の外)にその古い“慰霊碑”を埋めた。
「取り敢えず印をつけておきます」
と千里姉が言い、そこに100円のビニール傘を差した。
ここで明恵が
「あっ!」
と声をあげる。
「ドイルさん、神社の横の杉が倒れていますけど、いいんですかね」
「これはいけませんね。杉の植え替えをしましょう。ここを管理しているJR西日本の人に言っておきますよ」
とドイルは言った。
倒れた杉がきちんと除けられていることは気にしない!
ここからは“翌日”という設定にして撮影を続ける。
「私たちは昨日古い慰霊碑を埋めた場所に再びやってきました」
と幸花がカメラに向かって言うが、実は5分も経っていない。ムーラン建設の人が麓に置いていた新しい慰霊碑を軽トラで持って来てくれる。
そして目印に挿していたビニール傘を抜くと、そこに新しい慰霊碑を置き、セメントで固定した。この慰霊碑は昨日の内に千里が作らせておいたものである。
「新しい慰霊碑は“慰霊”と刻まれていますね」
「ただ安らかに眠ってくださいということですね」
青葉が再び祝詞を唱える所を撮影する。小枝さんが不思議そうな顔をして出て来た。
「これは何じゃ?」
「交通事故の死者を供養する慰霊碑です。先にお伝えするべきでしたが、ここに設置してもいいですか?」
「ああ、構わん構わん。この神社には交通事故の死者がたくさん祀られているから、その者たちの供養になるだろう」
と小枝さんは言っていた。これも森下さんは撮影していたが、この人カメラに写るのかなぁと青葉は疑問を感じた。
青葉が小枝に明日折れている杉の植え替えをしますのでと言うと「よろしく頼む」と小枝は言った。
この日は8号線沿線にある他の慰霊碑・お地蔵さんの類いに霊界探訪のクルーが巡っていくシーンも撮影した(結構たくさんあった)のだが、途中でお地蔵さんがあったのが、首がもげているのを発見してしまった。
地元の人に尋ねると、元々は10年以上前に、夜間交通事故の処理をしていた警官2名が事故に気づかなかった後続車にはねられて死亡した後、誰かがお地蔵さんを置いたものらしい。首が取れたのは2-3年前(夜間車が衝突してそのまま逃げたものと思われる)だが、へたに触ると怖いので放置していたという。どこかのお寺の管理という訳でもなく、そもそも誰が置いたかも不明ということだったので、青葉の判断(千里も追認)で新しいお地蔵さんを置くことにし、古いお地蔵さんは近くのお寺に納めることにした。この部分は3月の中旬になって追加撮影した(実は放送前ギリギリ)。
しかし元々警官が死亡したのの供養で置かれた地蔵というのが出て来たのは今回の番組には好都合だった。警官ならおとり捜査に絡んでも不思議ではない。
この日は夜になってから、幻のワゴン車を金沢ドイル・コイル姉妹が発見して死者の集合体と判断するシーンの“再現ドラマ”も撮影した。
そして翌日2月28日には杉の植え替えを撮影する。
この日、神社の前に集まってきたのはこういうメンツである。
JR西日本金沢支店の松崎さん、わざわざ神戸から駆けつけて来てくれた魚重さん、金沢ドイル(青葉)・金沢コイル(千里2)、神谷内さん、幸花、明恵、真珠、森下カメラマン、新しい杉(立山森の輝き)の苗木を積んだ軽トラを運転してきた造園業者さん。
「では始めますか」
青葉が神社の神殿前で祝詞を唱える。そして青葉は、杉の1本が倒れた所に杉の枝を置いていたのを取り除いた。
「ここにお願いします」
「この折れた後の株は掘り起こしてもいい?」
「はい。大丈夫なようにしましたから」
などと言っていたら、小枝も出て来て、
「妾(わらわ)が抑えておくから大丈夫じゃ。安心して作業をなされよ」
と言った。
それで青葉と千里、更には小枝まで見守る中、造園業者さんは倒れた杉の根を掘り起こし、そこに新しい杉の苗を植えた。
青葉が祝詞を唱えると、そこで“うごめいていた”ものが鎮まる。小枝が
「あんたホントに凄いね」
と感心するように言っている。
「もうこれで大丈夫ですよ」
と青葉は笑顔で言った。
すると小枝は唐突に歌い出した。
Key:F-Major
C>DE|G>EE>D |C>DE>G |Dz|
E>DC>D|C>A,C|G,>A,C>D|Ez|
G>GE>G|A>AG |E>DC>A |Gz|
A>AG>E|G>AG |E>DG>C |Dz|
E>FG>G|A>GE |C>DE>E |A,z|
G,>G,A,|C>CD|E>CD>E |Cz|
木々の若葉に風かおる
寿永二年の夏のころ
燧ヶ城をおとしいれ
幸先よしと勇み立つ
維盛の軍七万騎
砺波山にぞ陣をとる
埴生の宮に祈願こめ
必勝期せる木曽が勢
七手のいくさ所々に伏せ
義仲万騎の将として
八幡林あとに見つ
黒坂口にぞ陣を取る
陣と陣とは程近し
矢合わせの時到りぬと
源氏方より三十騎
楯の面にあらわれて
上矢の鏑一どきに
平家の陣へ射入れたり
鏑のひびき空に消え
矢叫びの声静まれば
平家方より三十騎
楯の面にあらわれて
上矢の鏑、一どきに
源氏の陣へ射入れたり
源氏方より五十騎出せば
平家方にも五十騎出し
源氏方より百騎出せば
平家方にも百騎出し
互いに鏑射交わしつ
かくて此の日は暮れにけり
時こそ来つれと木曽が勢
四百の火牛先立てて
七手に伏せし五万余騎
箙の方立打ちたたき
一度にあぐる鬨の声
山もどよみておびただし
すわこそ夜討と平家勢
弓取る者は矢を知らず
矢を取る者は弓知らず
人の馬には我乗りつ
我が馬、人にのらせつつ
右往左往に乱れ立つ
如法深夜の五月闇
くりから谷の谷底へ
親が落つれば子も落つる
馬が落つれば人も落ち
さばかり深き谷一つ
平家の軍もてうめにけり
平家は亡ぶ壇ノ浦
源氏は絶えぬ鶴が岡
七百年の夢のあと
倶利伽羅峠弔えば
古りし石ふみ義仲の
ねざめの山か月悲し
作詞:八波則吉(1876-1943)
作曲:大西安世(1887頃?-1947)
(倶利伽羅峠の戦いが行われたのは寿永2年5月11日夜で、月没は5/12 1:23(JST)である。恐らく義仲は月が沈んだ後、奇襲を掛けたものと思われる)
小枝が歌っている間、青葉たちは何も言葉を発せないまま、じっとその歌を聞いていた。
そして、歌を歌い終わると、小枝は忽然と姿を消した。
「あれ?巫女さん、どこに行きました?」
と造園業者さんが言った。
「帰られましたよ」
と千里が笑顔で言った。
「私はどうも疲れているようだ。今日はこのあと休むことにしよう」
などと言って、50代っぽい造園業者さんは軽トラを運転して帰っていった。事故起こさなきゃいいけどな、と青葉は心配になり、笹竹を付けてやって、帰り着くまで守護するよう言った。
JR西日本の松崎さんも
「どうも私も疲れているようです」
などと言っている。
「休んだ方がいいかもね」
と魚重さんは笑顔で言い、魚重さんが車を運転して帰っていった。
青葉たち霊界探訪の撮影クルーだけが残った。
「突然消えたよね?」
と幸花が言うと、神谷内さんは
「君も今日は休んだ方がいいかもよ」
と言った。
明恵と真珠はもとより小枝が“この世”の存在ではないことに気づいているので、何も言わない。
「今、巫女さんが歌った歌、青葉は譜面書けるよね?」
と千里が訊く。
「うん」
「私も書くから、それで突き合わせてチェックしようよ」
「何かに使うの?」
「リセエンヌ・ドオに歌わせる」
「へー!」
「木曽義仲、巴御前、四天王を演じた、白鳥リズム・石川ポルカ、それに桜井真理子・悠木恵美・左蔵真未・今川容子の6人に歌わせるのもありだけどね」
「ああ、リズムちゃんの木曽義仲は格好良かったね」
「あの子男装似合うよね」
「あの子が実は男の娘だという噂は?」
「小学生時代は男の子みたいな格好して通学していたし、男子のサッカーチーム入っていたんだよ。それで中学に入る時にセーラー服で学校に行ったら『性転換したの?』と驚かれたらしい。実際にはサッカーでは男子のチームに女子が入るのはルール上問題無い。中学とかでも男子チームに入っている女子選手は全国的に数十人存在する」
とその件を聞いていた千里が解説する。
「じゃ天然女子?」
「間違い無く天然女子」
「さっきのは倶利伽羅峠の戦いを歌った歌だよね?」
「そうだと思う。800年も経ったら著作権は切れてるんじゃないかな」
と千里は言ったが、この歌の本当の作詞者・作曲者は上にも記したように1943,1947年に亡くなっていて70年以上経っているので、やはり著作権切れである。
小枝さんはこの地で小学生たちが愛唱しているのを聞いて覚えたのだろう。「源氏は絶えぬ鶴ヶ岡」というくだりが栄枯盛衰を表していて悲しい。木曽義仲は平家を京から追い出し、その義仲は義経に倒され、その義経が平家を滅亡させたが、兄・頼朝に倒され、その頼朝の家系は子供の代で鶴ヶ岡八幡で消滅した。驕れる者久しからず、猛き者もついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。
この歌の額は青葉たちが先日、半日ほど滞在した倶利伽羅峠の道の駅にも掲示されているのだが、そのことは青葉も千里も気づかなかったようである。
(ちゃんと正面から撮影していなかったのを強引に補正したものの、きれいに長方形にできませんでした。陳謝。偏光フィルタとかも持っていなかったので、ライトが一部額縁のガラスに反射しています。それも陳謝)
昨日撮影した内容とあわせて、これで“神谷内シナリオ”による番組の構成ができるはずである。
神谷内さんは言った。
「シナリオが多少嘘くさくても構わないと思う。要は事件は金沢ドイルが解決して、もう幻のワゴン車は出没しないということが、視聴者に伝わればいいんだよ」
「まあこの番組は報道番組ではなく、基本的にはバラエティだからね」
と幸花は言っている。
「バラエティだったのか!」
「明恵ちゃんと真珠ちゃんの漫才を放送してもいいけど」
「幸花さんと明恵ちゃんじゃなかったんですか?」
「若い子に譲っておく」
撮影クルーはこの撮影か終わった後、アルプラザ津幡でケンタッキーを神谷内さんのおごりで食べてから解散した。青葉と千里はしばらく高岡に滞在することにした。
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【春牛】(3)