【春影】(1)

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川尻は給油を終えると、GSの横の通路に出ようとした。
 
ここは山の麓に沿って国道が走っており、道路より20-30mの所が高い崖になっている構造でGSの奥側も全面崖である。法面保護のためコンクリートが吹き付けてある。それでこのGS横の通路も右側は道路につながっているが左側は崖で行き止まりである。つまり左側から車などが走ってくることはない。
 
それでも川尻はその通路に出る前にきちんと規則通り一時停止し、右ウィンカーを点けて左右を確認し、右ハンドルで通路に入ろうとした。
 
ところがその時突然「プププププ!」という連続クラクションが鳴ると、一台のバイクが左側から猛スピードで走って来て、川尻の車のすぐ前を通過し、通路の端で今度は一時停止もせずに右折して走り抜けて行った。
 
嘘!?今左右確認した時は気付かなかったぞ!?と川尻は思ったが、それ以前に大きな疑問が湧いた。
 
あのバイク、どこから走って来たんだ!??
 
川尻はいったん車から降りて目視で左側を見たが、そこにはやはり崖しかなかった。 

阿倍子はその日体調が良い気がして、京平を連れてピーコックまで買物に出た。最近何度も外出中に倒れたのを貴司が心配して、外に出なくてもいいように食材の宅配サービスを契約してくれたものの、どうしてもそれだけでは足りないものもある。
 
最近買物に出られなくてあまりまともなごはんを貴司にも京平にも食べさせてあげられていないなあと少し反省して買物をしていたのだが、買物を終えてレジの所でお金を払おうとしていて、自動精算機の前で突然意識が遠のき、その場に崩れるように倒れてしまう。
 
「ママ、ママ」
と京平の呼ぶ声を認識するものの、阿倍子は起き上がれない。
 

「君、これを飲んで」
と男性の声がする。
 
水かな? 阿倍子はそれを半ば無意識のうちに飲む。すると少し意識が戻ってきた。もらって飲んだのはアクエリアスのようである。
 
「よかった。意識が戻ったかな。救急車呼びますね」
「あ、大丈夫です。わりとよく倒れるんですが、家に帰って寝ていれば治ります」
「家はお近くですか?」
「はい」
 
などと言葉を交わしていてるうちに男性が「あれ?」と声をあげた。
 
「篠田さんじゃん」
「・・・立花君?」
 
「お知り合いですか?」
とスーパーの店員さんが声を掛ける。
 
「高校の同級生なんですよ」
と立花晴安は店員に答えた。
 
「じゃ僕の車に乗る?おうちまで連れて行ってあげるよ」
「ありがとう。助かるかも」
「お嬢ちゃんかな?君、ママをおうちまで案内できる?」
と立花は尋ねたものの
 
「ぼくおとこのこだよ!」
と京平は言う。
「ごめーん」
と立花は言ったが、スカート穿いてたら女の子と思うよ!と立花は思った。 
「でもおうち、あんないできるよ。おじさん、おねがい」
「OKOK」
 
それで精算は立花が阿倍子の財布を借りて代わりにおこなった上で、がっちりした体格の中年女性の店員さんも手伝ってくれて、阿倍子を立花の車に乗せる。それで立花は京平の案内でマンションまで行った。阿倍子が持っている鍵で駐車場を開け(アウディが外に出ていたので)アウディをいつも駐めている駐車枠に駐めた。そして33階まであがる。阿倍子は立花に身体を支えてもらって何とか自分の部屋まで辿り着いた。
 

「寝てたほうがいいと思うよ」
と言って、立花は阿倍子を京平の案内で寝室まで連れて行った。
 
「京平君、ママの着換えを持ってこれる?」
「うん」
 
それで京平が阿倍子の下着とパジャマをタンスから取ってきた。それで立花がいったん寝室の外に出ている間に阿倍子は着換えたようである。着換えた服は京平が洗濯機まで持って行って、中に放り込んだ。
 
「京平君、偉いね。2歳くらいかな」
「1さい5かげつだよ」
「それでここまでできるって凄い!」
と立花はマジで京平を褒める。
 
「誰かに連絡した方がいい?妹さんとか居なかったっけ?」
「ううん。兄弟とか友だちとかいなくて」
「お母さんは?」
「名古屋に住んでいるけど、病気であまり遠出できないの」
 
「篠田さん、昔からあまり友だち作ってなかったね!」
「うん。あまり他の女の子たちと合わなくて」
と阿倍子は言う。
 
阿倍子は男の子アイドルの名前が分からないし、ファッションにもあまり興味が無いので、女の子的な話題が苦手でもあったし、そもそも“群れる”のも好きではなかった。
 
「旦那さんは夕方帰ってくるの?」
「今、出張中で。今週末には戻ると思うんだけど」
「誰か友だちは?」
 
阿倍子は迷った。
 
「最悪の場合はこの人に」
と言って、iPhoneのアドレス帳を開いて千里の電話番号とメールアドレスを示した。立花がそれをメモした。
 
「お友達?」
「ううん」
「仕事の同僚か何か?」
「旦那の不倫相手」
「え〜〜〜!?」
 
「でも色々助けてくれて」
「ふーん。不思議な関係だね」
と立花は言った。
 

「でも篠田さん、いつ結婚したの?」
「2013年の8月」
「へー。全然知らなかった」
「うん。誰も招待してないし。出席者は新郎新婦を入れて8人だったかな」
 
この時出席したのは、貴司、阿倍子、貴司の妹・理歌、貴司の父・望信、阿倍子の母・保子(やすこ)、貴司の上司・高倉部長、チームの船越監督、主将の石原、の8人である。
 
「ふーん。何だか苦労しているみたいだね。それに旦那に不倫までされているんだ?」
 
「実は私の方が不倫なんだけどね」
「へ?」
「貴司が千里さんと婚約していたのに、私が割り込んで結婚しちゃったから」
「それで、旦那は元婚約者と切れてないんだ!?」
「そういうことになるかなあ」
と阿倍子は言った。
 
「立花君は結婚したの?」
「うん。まあね。子供は今2人かな」
と言ったが、阿倍子は『まあね』という言葉が少し気になった。
 
「ふーん。その子供たち、立花君が産んだんじゃないよね?」
「僕には産めないよ!」
「そうなの?だって、立花君、お婿さんになるのかな?お嫁さんになるのかな?とみんなが噂してたし」
などと昔の話をしていると阿倍子も少し調子が良くなってきた。
 
「バイセクシャルなのは別に隠してないよ。女装もするけど、女の子になりたいわけではないからMTFでもないよ。まあ間違って性転換手術されちゃったりしたら、女で生きて行く自信くらいはあるけどね」
と彼は言った。
 
旧知の関係なので、今更隠しても仕方ないというところか。
 
「僕は男の子とも女の子ともセックスできるけど、女の子とセックスする方が好きだし」
などとも言っている。
 
「それで女の人と結婚したんだ?」
「まあ、なりゆきだけどね」
と言いつつ、立花の顔が曇った。
 
奥さんとあまりうまく行ってないのかなあ、もしかして女装癖があるからだったりして?あるいは実は男の愛人がいたりして?などと阿倍子は思ったものの、あまり突っ込んでもいけない気がした。
 
立花は結局、ごはんまで作ってくれた。立花は料理もうまい。阿倍子用に雑炊と、京平用にオムライスを作ったのだが、京平が
 
「このオムライス、ママのより、ちさとおばちゃんのより、おいしい!」
と言うので、阿倍子が苦笑していた。
 
阿倍子は立花のワイシャツにブラジャーが透けて見えるのを認識して、ああ、普段から下着女装しているのかと思った。阿倍子が人妻の身で、立花をこの家に滞在させてあまり罪悪感のようなものを感じなかったのは、なんといっても彼の性的な傾向の問題がある。実際、彼が女物の下着を着けているのを見て、ホッとしたのである。
 
立花は結局、2時間近く滞在して阿倍子の体調がよくなってきたのを見た上で帰って行った。
 

「川上!」
 
11月上旬のある日、授業が終わった後、吉田君が青葉に声を掛けてきた。 
「どうかしたの?」
「川上、確か水泳部に入っていたよな?」
「うん、まあ」
 
「俺も入れてくれ」
「いいけど、笑劇団は?」
「退団した」
「へー!」
「でも退団したまま、どこにも入らずにいるとまた勧誘されるからさ。勧誘されないようにするには、何かに入ってしまうのがいちばん良い」
 
「それは言えてるね。でもなんで退団したの?」
「だってあそこに居たら、俺ふらふらと性転換してしまいそうで自分が怖い。そもそもここ数代の部長って、みんな1年生の時にヒロイン役を演じているんだよ。それって今年の新入生なら俺じゃん」
 
「ああ、それは既に性転換コースに乗っているね」
「実際、今回アリババを演じた楡木さんが新部長になったんだけど、楡木さんは昨年のシンデレラなんだよ。学園祭まで部長を務めた桜井さんは2年前は坊ちゃんのマドンナでさ」
「ほほお」
「それでその桜井さん、新部長を決める部会に女装で出てきて、実は夏休み中に去勢手術と足のレーザー脱毛をしたと告白した」
 
「だったら、吉田の2年後の性転換はほぼ確実だ」
「だから逃げることにしたんだよ。俺、男辞めたくね〜」
 
「なるほどね〜」
 
と言ってから、青葉は念のため吉田君に尋ねた。
 
「ところで女子水泳部に入るの?男子水泳部に入るの?」
「男子だよ!」
「ちょっと手術してもらえば、女子水泳部でも入れてあげるけど」
「だからそれ絶対やだ」
 
ということで、吉田君の加入と、先日勧誘して入ってくれた奥村君とが加わり、男子水泳部は今年の夏より随分とメンツが充実することになったのである。 

彼はそのつもりでちゃんと水着も持って来ていた。それで一緒に校内のプールに行き、青葉は彼をみんなに紹介した。
 
「質問があるのだが」
と男子の高橋部長(3年)が尋ねる。
 
「はい、なんでしょう?」
「君、ブラジャー跡が付いている気がするけど、もしかして女の子になりたい男の子? だったら、性転換のステップを踏んでいくという条件で、女子部員として受け入れてもいいけど」
 
「いえ、このブラ跡はじきに消えると思いますので、男子の方に入れて下さい」
 
「ふーん。まあいいけどね。でも女子選手になりたいのなら、恥ずかしがらなくてもいいからね。男子登録でも女子水着着てていいよ。普段の練習では」
などと高橋部長は言った。
 
なお、水泳部はインカレの後で4年生が引退し、男子は高橋君、女子は香奈恵が新しい部長に就任している。
 
もっとも引退したはずの筒井さんはしばしばプールを訪れ、かなり泳いでいるようであるが。
 
「あ、そうそう。君女装するためなのか、ちゃんと足の毛は剃っているようだけど、水泳では毛が生えているとそれが水の抵抗になって速度が落ちるから、いつも剃っておくようにしてね」
 
「分かりました!」
「まあスカート穿くなら、当然足の毛は剃っているだろうけどね」
 
などと、結局高橋部長は、吉田君のセクシャリティを誤解したままのようであった。 

阿倍子が立花と10年ちょっとぶりに再会する数日前、阿倍子は唐突に思いついて京平に言った。
 
「京平、スカート穿きたかったら買ってあげようか?」
 
その日は阿倍子が自分用の服を買いに来ていたのだが、京平がじーっとスカートの所を見つめていたのである。
 
「え〜?どうしようかなあ」
などと京平は迷っている。迷っているというのは、やはりスカートに興味があるようである。
 
「別におちんちん取らなくてもいいよ」
と阿倍子は言った。
 
どうも京平は、千里さんからスカート穿いてもいいけど、スカートは女の子の服だから、おちんちん取って女の子にならないといけない、などと脅されているような気がするのである。千里さんも冗談で言ったのだろうが、子供はその手の冗談をけっこう真に受ける。
 
「ほんとに取らなくていい?」
「うん」
「じゃ、穿こうかなあ」
「よしよし」
 
それで阿倍子はガールズの服を売っている所に連れていく。あまりこの付近には連れてきていないので、京平はキョロキョロしている。
 
「京平は80サイズでは小さいだろうなあ。90サイズだろうなあ」
と言って、いくつかあまり“女の子女の子”していない、ユニセックスっぽいデザインのスカートを選んでみた。
 
「試着してみる?」
「うん」
 
それで試着室に連れて行き、今穿いているズボンを脱がせて、スカートを穿かせてみた。
 
「うーん・・・・」
 
と阿倍子はうなる。なんでこの子、こんなにスカートが似合うのよ!? 
「似合ってるよ。可愛いよ」
「そう?」
 
と言って京平は自分の姿を鏡に映してみている。
 
「じゃ、これとこれと買って帰ろうか?」
「うん!」
と京平は嬉しそうに答えた。
 
「それともこれ穿いておうちまで帰る?」
「あ、それもいいかなあ」
 
ということで阿倍子はそのスカート2着を買った上で、タグを切ってもらい、お店の人に言って試着室を借りて、スカートを穿かせた。
 
それでその日はスカート姿でおうちまで帰ることにした。
 

Wリーグの通常シーズン。出だしをサンドベージュに2連敗してしまった千里たちのレッドインパルスだが、その後は順調に白星を重ねていった。
 
10.14,16 ハイプレッシャーズ  60-85, 50-81 結城市,横須賀市
10.22,23 フリューゲルロースト 51-70,58-76 大田区
10.29,30 シグナススクイレル  54-85,63-82 上越市
11.04-05 ステラ・ストラダ   64-87,64-82 川崎市
 
そして11月12-13日には大分県でブリリアント・バニーズとの2連戦が予定されていた。
 
11.12(土) 14:00 ダイハツ九州アリーナ(中津市)
11.13(日) 14:00 コンパルホール(大分市)
 
千里は懐かしい思いがした。2008年の国体で、千里たち少年女子は中津市のダイハツ九州アリーナで戦った。また貴司たち成年男子は大分市でコンパルホールや新日鐵体育館など5つの会場で試合が行われた。あの優勝した時の感動が脳裏に蘇る。
 

この日千里は朝、新横浜駅に集まり、他のレッドインパルスのメンバーと一緒に新幹線に乗った。ところが新大阪駅を過ぎた所で乗ってきた客の姿を見て千里はギョッとする。
 
向こうから声を掛けてきた。
 
「おかあちゃん!」
「京平!?」
 
隣に座っていた渡辺純子も京平の姿を認めて
「京平ちゃん、久しぶり〜」
と言う。
 
「あ、じゅんこ・おねえちゃんだ」
と京平。ちなみに京平は最初の頃「じゅんこおばちゃん」と言って、「おねえちゃんと言わなかったら、ちんちん取るぞと言われている。
 
「そうか。やっと生まれたんだね?」
と純子が言う。
「うん、きょねん、うまれたんだよ」
と京平。
「大きくなって強いバスケット選手になれよ」
「うん、ぼくがんばる」
 
この2人の会話内容は、千里・貴司以外には理解不能だろう。
 
前の席に座っていた黒木不二子は京平は知らないものの、京平を連れている貴司は知っているので会釈をしている。貴司も見覚えがあったようで会釈を交わしている。
 

「貴司、どこ行くの?」
「従兄の結婚式で福岡県の福津市というところ。みやじごく神社とかいう所で結婚式があるんだよ」
 
「みやじごく(宮地獄)じゃなくてみやじだけ(宮地嶽)神社ね」
 
「え?そうなの!?」
「漢字が似てるから、時々誤読する人がいる。なんか怖い神社かと思っていたとか言って」
「怖い所?」
「ううん。とっても優しい神様だよ」
「へー」
「神社創建の話は勇ましいんだけどね。商売繁盛の神様としてわりと有名」
「ほほお」
 
「福津市へは日帰り?」
「いや、今日は取り敢えず博多に泊まって式は明日。明日の夕方の新幹線で大阪に戻る」
「なるほどー」
 
その時、不二子が言った。
「千里さん、立ち話してると京平ちゃんきついし、貴司さんのほうの席に移動して向こうで話したら?」
 
不二子はおそらく千里が“不倫相手”の貴司と話している所を長時間人目に曝さないほうがいいと配慮してくれたんだろうと千里は思った。
 
「ああ、そうしようかな。貴司は何号車?」
「いや、席を取ってなくて自由席なんだけど」
「今日はあまり混んでないみたいだからどこか空いてるだろうね」
 
それで千里はキャプテンの広川妙子の席に行き、友人と会ったので小倉までその友人と一緒の席にいていいかと尋ねた。
 
「まあ不倫報道されないようにね」
「大丈夫です。不倫はしてませんから。それに最近は奥さんとも仲良くしてるんですよ」
「分かった分かった。あと小倉で降り忘れないように」
「はい、それは確実に」
「あと今日の試合では25点以上取ること」
「はい、それも確実に」
と千里が答えると、妙子は「ほほぉ」と小さな声を挙げた。
 

それで貴司と一緒に隣の車両に移動する。京平は千里が抱きかかえた。 
「よく12kgを抱えるね」
「貴司と2人一緒に抱えてもいいけど」
「それはここでは恥ずかしいから勘弁して」
 
幸いにも隣の隣の車両に2席隣合せの空席があったので、そこに座り、京平は千里の膝に座らせる。京平はその《お母ちゃんの膝》が快適なようである。 
「ところで結婚するのは誰だっけ?」
「暢彦君だよ」
「ああ、彼か」
と言って、千里は礼文島での法事で会った暢彦の顔を思い浮かべた。
 
「晴子さんの長男ね」
「よく覚えてるね!」
「そりゃ親戚の関係くらい覚えるよ」
「ごめん。僕は千里の親戚の関係が把握できてない」
「まあ男の人はそんなものかもね」
 

新幹線が広島をすぎた所で貴司はトイレに立った。座っていた車両のトイレがふさがっているので、隣の車両の向こうまで行く。そこでバッタリとレッド・インパルスの広川妙子と遭遇する。
 
貴司は一礼してトイレに入ったのだが、出てくると妙子がこちらを見ている。 
「細川さん、一度少しお話しておきたかったのですが」
「はい?」
「ここだけの話にしますけど、単刀直入に、村山千里との現在の関係は?」
「過去には恋人であったこと、婚約もしていたことは認めます。でも現在は友人ですよ」
 
「ふたりだけで会ったりはしないの?」
「会います」
「それ恋愛関係ではないんですか?」
 
遠回しに肉体関係は無いのかと尋ねている。
 
「僕と千里は会いはしますけど、人の目のある所で一緒に食事しながらバスケットのことでおしゃべりして、体育館で一緒にバスケの練習をするだけの間柄なんですよ」
 
「健康的ね!」
「初期の頃、千里にセックスしたいと言ったことはあります。でも結婚している男性とセックスなんかできません、とハッキリ断られましたよ。だから僕たちは会っておしゃべりして、バスケするだけの関係ですね」
 
「へー!」
 

「それと実はここだけの話ですが・・・・」
「はい」
「私の息子は実は千里の子供なんですよ」
「へ?さっき連れていたお子さん?」
 
「私の妻が不妊症で、人工授精とか試みたのですが、どうしても受精卵が育たなくて。それで卵子を借りて体外受精したんです。その卵子を千里が提供してくれたんです。妻と血液型が同じRH+ABだったもので」
 
「うーん・・・・」
「だから、京平は私をパパ、妻をママと呼びますが、千里のこともお母ちゃんと呼ぶんですよ」
「呼んでたね!」
 
と言いながら、妙子は千里ちゃんって・・・だったら本当の女の子だったの?元男の娘というのは冗談??と考えていた。
 
「だから妻は京平の出産の母、千里は遺伝子の母なんですよ」
「最近は何だか難しいね!」
 

レッドインパルスの一行は小倉駅で在来線の特急ソニックに乗り換える。千里は博多まで乗る貴司・京平と別れてひとりで降り、チームメイトたちと合流した。
 
試合前の現地でのイベント、バスケ教室、スリーポイント合戦なども行われる。例の60秒で25個のボールをスリーポイントライン上の5ヶ所から投じるというものであるが、千里は25個全部入れて観客席からどよめきが起きていた。 
これができるのはWリーグでは千里と花園亜津子(エレクトロ・ウィッカ)の2人だけである。
 
14:00から試合が始まる。相手ブリリアント・バニーズとは実力差はあるものの、それでも相手はプロ、油断はできないので慎重に戦いを進める。みんなできるだけ近くによってシュートしようとしていたが、千里はまるで何も考えていないかのようにスリーポイントラインから、どんどん撃った。
 
結果は65-73でレッドインパルスの勝ちだが、この試合で千里はスリー6本と4本の2ポイントシュート、フリースロー6本で合計32点もひとりで稼いだ。試合前にキャプテンから言われた25点を軽く超える点数となった。
 

試合後の中津市の体育関係者とのレセプションを経て19時頃中津市内のホテルに入ったら、貴司の妹・理歌からメールが入っていることに気付く。連絡が欲しいということだったので、電話することにするが、《たいちゃん》が言った。 
「今夜は博多に移動することになるよ」
「うーん。。。」
 
それで千里は《こうちゃん》に頼む。
 
「悪いけど、ちょっと博多まで飛んでおいてくれない?」
「へいへい」
 
それで《こうちゃん》は千里の身体から飛び出すと、千里が開けたホテルの窓から外に出て、博多に向けて飛行して行った。中津と博多の距離は70kmほどなので、彼の飛行速度であれば10分程度で到着するだろう。
 
それで理歌に電話してみた。
 
「こんばんわ〜。お疲れ様です。今日の試合の勝利おめでとうございます」
と理歌は言った。
 
「ありがとう。すごーい。Wリーグのサイトか何か見てくれた?」
「レッドインパルスのブログを見ましたよ」
「あ、そうか!靖子さんが書いてくれてたから」
「明日の試合は何時からですか?」
「大分で14:00なんだけど、関連行事は13時から始まるんだよ」
「じゃ厳しいかなあ。明日の結婚式が朝11時からなんですけど、お姉さん、出席できないかなあと思ったんだけど」
 
「それ何時まで?」
「結婚式が11時から30分くらいです。13時から15時まで八仙閣で披露宴、その後、16時から18時まで市内のカフェ・サンロードで二次会です」
 
千里はそれをメモしてから少し考えて言った。
「披露宴はまともに試合とぶつかっているけど、式に出て、二次会の最後の方になら出られると思う」
「ほんとですか? 大分への移動は大丈夫?」
「うん。それは何とかするから」
「じゃ服を用意しておきますね。色留袖でいいですか?」
「色留袖になるんだっけ?」
「母は黒留袖なんですけど、梨菜さんとかが色留袖にするらしいんですよ。だから既婚の従姉妹・女性組は色留袖かなと。私と美姫は振袖です」
「なるほどー」
「肌襦袢と長襦袢も用意しておきますね」
「助かる」
 
「でもこういうのランク合わせるのが難しいですよね」
「なんかその家ごとの流儀もあるしね。洋装の方が少しは楽だけど」
 
「それが今回、お嫁さんの家が民謡の家元の家系らしくて」
「え〜!?」
「それで向こうは全員和装らしいんですよ。だからこちらも和装に合わせるというので。晴子伯母が途中で『分からない!』と言って投げ出して、美沙ちゃんはアメリカだし、結局うちのお母ちゃんがランク考えて、新婦の妹さんと話して両方の設定を突き合わせて確定させたんですよ」
 
「大変だったね!」
 
千里はふと思いついた。
 
「そうそう。私結婚式終わったらすぐ移動したいし、当日肌襦袢の代わりにバスケットのユニフォーム着るから」
 
「なるほどー!」
「だから長襦袢と色留袖だけでいいよ」
「了解です」
 

それでしばらく理歌と話していたら、唐突に京平の声が聞こえた。
 
「おかあちゃん、ぼくおかあちゃんといっしょにねたい」
 
千里は微笑んで答えた。
 
「じゃ30分くらいでそちらに行くから」
「わぁい」
 
それで理歌に30分後くらいにそちらに行くと伝えた。理歌は平然として「ではお待ちしています」
と答えた。
 

それで千里は《すーちゃん》を自分の身代わりに中津のホテルに置き、荷物をまとめると、自分は《こうちゃん》と交替で博多に飛んだ。
 
周囲を見回して、天神の親不幸通り近くのホテルの前にいることを認識する。千里は荷物を持って中に入っていく。するとロビーでばったりと貴司の母・保志絵に遭遇する。
 
「こんばんは」
「こんばんは。どうしたの?」
「理歌ちゃんに呼ばれて、厚かましく押しかけてきました。取り敢えず京平のお母ちゃんということで」
 
「おお!歓迎歓迎」
と言った上で保志絵さんは
 
「だったらちょっと、私の部屋に来て」
と言って、千里を自分の泊まっている部屋に連れて行く。
 
千里は理歌に保志絵と会っているとメールした。
 

「貴司は貴司として、私があなたにこれを渡したい」
と言って、保志絵はジュエリーケースを2つ出して来て千里に差し出した。 
千里は黙ってその2つを開けてみた。
 
1つは見覚えのあるダイヤの指輪である。2012年1月に貴司からエンゲージリングとしてもらったものだが、婚約破棄に伴い7月に保志絵さんに返却した。もうひとつは初めて見る金色の指輪である。
 
「こちらの指輪は2012年12月22日の結婚式で千里ちゃんに貴司がプレゼントする予定だったもの。当時の千里ちゃんの指に合わせてあるはずなんだけど」
と保志絵は言った。
 
「でしたら、もし今の私の指に合ったら頂きます」
「うん」
 
それで左手薬指に填めてみると、無理なくきれいに入った。
 
「入ったね」
「少し痩せたかも。入ったので頂きます」
と言って、千里はダイヤのエンゲージリングの方も重ねてつけた。
 
「これ頂いたから交換にこれを」
と言って、千里はバッグの中から小さなポーチを取りだし、その中から青いジュエリーケースを取り出して保志絵に差し出す。
 
保志絵が開けてみると、今千里がもらった指輪とお揃いの18金リングである。 
「持ってたんだ!」
「処分すべきかどうか随分悩んだんですけどね。貴司さんがあれ以来太ってなければ入るはずです」
「じゃ預かっておくね」
と言って、保志絵は笑顔でそのジュエリーケースを自分のバッグに入れた。 

その頃、豊中市のマンションで阿倍子は1人で夕食を食べようとしていた。京平は貴司と一緒に親戚の結婚式に行き、1人なので作るのも面倒くさいしと思い、ピザの宅配を頼む。もっともMサイズでもとても全部は食べきれないので半分食べて、残りは朝御飯にするつもりである。
 
やがてピザ屋さんが来たのでお金を払おうとしたら、金額が2800円なのに、財布に2600円しかない。
 
「ごめんなさい。ちょっと待って」
と言って、居間の貯金箱から取りだそうとして何か近くにあるものを落とした。あ、何か落としたと思ったものの、とりあえず放置して貯金箱の底のふたを開け、百円玉を2枚取り出す。それでピザ屋さんに支払いを済ませた。 
「参ったなあ。貴司にATMに寄っておいてもらうべきだったなあ」
などと独り言を言う。
 
阿倍子は最近しばしば外出中に倒れている。コンビニに行くのにも不安がある。保志絵さんがいまだに自分を貴司の妻として認めてくれていないので、親戚の結婚式というのは、その関係を認めてもらうチャンスとは思ったのだが、今の健康状態では、福岡まで行くなんて絶対無理である。
 
あ、そうだ。さっき何か落としたぞと思ったので棚の所に行ってみると、キティちゃんのポーチである。
 
「きゃー!こんな大事なものを」
と言って慌てて拾い上げる。
 
そして中に入っているものを取り出してみた。2つのジュエリーケースが入っている。開けて見る。ひとつは結婚指輪である。阿倍子は金属アレルギーがあるので、アレルギーの起きにくいものというのでチタンで作ったのだが、実際にはそれでもアレルギーを起こして炎症が発生したため、結局新婚当初の頃を除いては着けていない。
 
「着けてみようかな・・・」
とつぶやき填めようとしたのだが・・・
 
入らない!!
 
「えーん。私、太っちゃったのかなあ。チタンの指輪ってサイズ直しできたっけ?」(*1) 
と思わず独り言を言った。
 

(*1)チタン、イリジウム、ジルコニウムなど、またステンレスやピンクゴールドなどの指輪は素材が堅いため、一般にサイズ直しは困難である。普通のゴールドやプラチナのリングは可能である場合が多い。ただメッセージなどを刻印していたり、メレダイヤが敷き詰められていたりすると、その刻印や石の並びを分断することになる。
 

もうひとつの婚約指輪が入っているジュエリーボックスを開ける。
 
「うっそー!?」
と阿倍子は叫んだ。
 
ダイヤの石が台座から外れているのである。
 
「いや、これは多分ちゃんと直せるはず」
と声に出して言って自分を落ち着かせる。
 
「でもこれも入らなかったりして」
と言いながら指に填めようとするが、やはり入らない。
 
「えーん。サイズが入らないのはどうすればいいのよ〜?」
と声を出して阿倍子は座り込んでしまい、ピザのことは忘れつつあった。 

千里は保志絵の部屋で理歌・美姫の姉妹とも少し話した上で、2つの指輪をつけたまま、貴司と京平の居る部屋に向かった。
 
トントントンとノックをする。
 
「はい?」
「あなたの奥さんが参りましたよ」
「千里!?」
と言って貴司がドアを開ける。
 
「わあい!おかあちゃんだ!」
と京平が部屋の奥で声を挙げている。
 
「これお母さんから頂いちゃったけど、入っていい?」
と言って千里は左手薬指を見せた。
 
貴司はたっぷり30秒ほど考えてから
「入って、僕の奥さん」
と言った。
 
「じゃ入るね。私は正式に貴司の妻に復帰したから」
と千里は宣言した。
 
「ちなみに貴司の結婚指輪は保志絵さんに預けているから、後で受け取ってね」
「あ、うん」
 
「貴司、阿倍子さんと交換した結婚指輪は?」
「あれ? 僕どうしたかな?」
 
「持ってないの?」
「あれ〜〜?記憶が無い」
 
貴司はバスケット選手なので、通常指輪のような装身具をつけることができない。それで外したまま持ち歩いているはずなのだが。。。
 
「待って。荷物の中に入れてたんじゃないかな」
と言って、探している。
 
5分くらい探しても見つからない。千里はため息をついた。不本意だが教えてあげることにする。
 
「その黒いトートのポケットは?」
「え?」
と言って、貴司がそこを探すと
 
「あった!」
「良かったね。そちら着けたりしないの?」
「うーん。。。。そういえば最近つけてない気がする」
「最近って最後につけたのいつ?」
「いつだろう?記憶が無い」
「入るの?」
「待って」
 
それで填めてみようとしたのだが
「入らない!」
 
「あら残念ね。だったら今夜、私が貴司の妻になっても重婚じゃないね?」
「今夜・・・・」
 
と言って貴司はごくりと唾を飲む。
 
「パパ、おかあちゃんと、あいのいとなみ、するならぼくめをつぶっておくよ」
と京平は言った。
 
もっとも京平はそれを盗み見してみたくてたまらないような顔をしている。京平の中身は精神年齢12-13歳くらいの男の子なので、こういうものには興味津々である。
 
「京平、そのスカート可愛いよ」
「えへへ。これすき〜。でもいえのなかだけでねとママにいわれた」
「べつに外でスカート穿いてもいいと思うけどね」
「そうかな?」
 

千里はいつも持ち歩いている裁縫道具の中から糸を出して貴司の指に巻き付けてみる。それで指のサイズを確認した。
 
「64mmあるね。24号かなあ。その指輪のサイズは多分私が買ったのと同じサイズで21号だろうから入る訳ないね」
 
「よく僕のサイズまで覚えてるね。でもほぼ同じ時期に買っているからたぶん同じサイズだよ」
 
千里と貴司が結婚指輪を選んだのは結納を交わした直後の2012年6月である。但しプレゼントしあうことにしたので、相手が買った指輪はお互いに見ていない。 
一方、貴司が阿倍子と一緒に結婚指輪を買ったのは阿倍子の父が亡くなる直前の同年7月である。これは阿倍子に経済力が無いので貴司が2人分買っている。そして阿倍子の父の臨終の場で装着して見せてあげた。ふたつの指輪は1ヶ月くらいの時間差で買っているので、恐らく同じサイズと推測される。
 
「男の人はだいたい忘れちゃうから、女性側が覚えてないとね」
「そういうものなのか」
「1日の間にけっこう変動するし、明日の朝・昼・晩に再度測ってみて、それでサイズ直し頼もうよ」
 
「ああ、サイズ直しできるの?」
「私が買った指輪は18金だからサイズ直しができる。そこにある阿倍子さんと交換した指輪は、それチタンみたいだからサイズ直し不能」
 
「え?これ直せないの?」
「だからもう着けなければいいね」
と千里は言った。
 
貴司は1分くらい考えてから
 
「それについては少し考えさせて」
と言った。
 
「ふーん」
 
と千里は貴司の意図を探るように声を発した。千里としては特に意図があって「着けなければいいね」と言った訳ではなかったのだが、貴司はどうも深い意味にとってしまったようだ。まあ、それはそれでいいけどね!
 

青葉の所を訪問してきたのは、N市H地区の町内会連合委員長で荒木さんという人と、当地区で小学校の教師をしている東山さんということであった。荒木さんは65-66歳、東山さんは50歳くらいである。
 
「こちらはJ市K地区の消防署長さんから話を聞きまして。向こうの妖怪騒ぎをピタリと押さえ込んでくださった先生というので、ぜひうちの町でもお願いできないかと思いまして」
と東山さんは言った。
 
「取り敢えずお話は聞きますが、何らかの効果が得られるかどうかは保証できませんよ」
と青葉は最初に断っておく。
 
「実はこれまで3人の霊能者さんに頼んだのですが、全く効果が無くて」
と荒木さん。
 
「こういうのは相性がありますから、その人の能力とは関係無く効果のあるなしがあるんですよ」
と青葉。
 
さすがに世の中で霊能者を自称している人の9割以上は本人に霊的な力があると思い込んでいるだけの勘違い、などとは言えない。中にはむしろ有害な人さえある。青葉は既に3人入っていると聞き、その人たちが「変なこと」してなければいいけどなと思った。変なことがされている場合は、千里姉か菊枝さんあるいは瞬法さんあたりにご足労頂く必要が出る可能性もある。それも現場で確認してからだ。
 
「それでどういう怪異なのでしょう?」
 
「私たちは『幽霊バイク』と呼んでいます」
「バイクですか・・・」
 

怪異は半年くらい前から始まったという。時間は日暮れの後から明け方に掛けてで、昼間の出現例は今の所確認できていないらしい。
 
「とにかく、あり得ない場所から突然バイクが飛び出してきて猛スピードで走り去るんですよ。崖しかない所からとか、建物の壁からとか。それで遭遇した人はみんな急ブレーキとか急ハンドルで回避しているのですが、先日とうとう怪我した人が出まして」
 
「どのような状況ですか?」
「本人も発進して道路に出ようとしていた所をバイクに驚いて急ハンドルしたものだから、道路から逸脱して3mほど斜面を滑り落ちまして、全治1ヶ月です」
 
「重傷ですね!」
「まあ単純な怪我で命とかには別状は無かったのですが。本人は車を全損にしたのが痛いなどと言っています」
「自損事故扱いになるんですかね」
 
「そうなんですよ。相手が幽霊では向こうの保険を使うことができないし。せめて相手が人間で無保険車とかであれば、ノーカウント事故として処理できるのですが、幽霊では、保険会社としてはふつうの自損事故にせざるを得ないと言われたということでした」
 
「まあ保険会社としては幽霊には請求できないし」
「そうなんですよ」
 
「どのくらいの頻度で怪異は起きているんですか?」
「以前別の先生にお願いした時にこちらでまとめたのですが、5月から9月までの5ヶ月間に、町内会や学校で把握した範囲で123件発生しています」
「ほぼ毎日じゃないですか!」
 
「こちらで把握してないものまで入れると多分1日1件以上起きていると思います」
「それは多分そうだと思いますよ」
 
「発生した場所とかは分かりますか?」
「それもまとめてあります」
 
と言って報告書を見せてくれた。これは9月までの事件のまとめらしい。発生場所は様々であるが、町内を通っている国道の周辺が圧倒的に多いようである。旧国道でもある、市道の沿線でもわりと起きている。
 
「この中の事例97としてこちらに報告があるのですが」
と言って、町内会長さんが見せてくれる。
 
「この事件では遭遇した人がバイクだったので、この幽霊バイクを追尾したんですよ」
「危険ですよ」
「私もその子には注意しました。しかし追尾は数分続いて、結局このGS横の通路に突っ込んで消えたそうです」
 
「消えたというと?」
「この通路の端はコンクリートを吹き付けた崖になっているのですよ。その崖の中に突っ込んで行ったそうです」
 
「それよく追尾側は停まれましたね」
「結構危なかったと言ってました。ギリギリで停止して激突は避けられたそうです」
 
「やはりそういうのもあって危険なんですよ」
「はい。それで私たちも彼女には注意しました」
「女性ですか!」
「ええ。女性・・・と言っていいのかな」
「は?」
 
「いえ。女性だと思います。彼女は大型のバイクの持ち主で、走行技術とかにもかなりの自信があったので追尾したんでしょうね。ふつうの人は幽霊の後を追いかけるとか、思いも寄らないです」
 
「ええ。できるだけ関わらないようにした方がいいですよ。そういう妖怪の類いって、とんでもないしっぺ返ししてくることもありますから。その壁に激突しそうになったのも、向こうは多分わざとやってますよ」
 
「ああ、ありそうだ」
 

その日は休日だったので、一緒に取り敢えず現地に入ってみた。ふたりの車に同乗して現地に入る。
 
「ここが例のガソリンスタンドです。そこが幽霊が消えた崖ですが、ここから飛び出してきたことも何度もあるんですよ」
 
青葉は実際に崖のそばに寄り、壁面を触ったりもした。地面のタイヤ跡なども確認する。単車が急ブレーキを掛けた跡があるが、それが8月の大型バイクで追尾した人のものであろう。見ると壁面から5cmくらいの所で停止している。ほんとにギリギリだったようだ。
 
その後、ほぼ最初の事件になる、事例1に遭遇した川尻さんという50代の男性に話を聞いた。この事例もこのGS横の通路から飛び出してきたものらしい。更にその後、例の幽霊を追尾した40代の女性に会った。
 
「こちら繰影(くりかげ)さんといって、絵が上手いので、祭の燈籠に絵を描いたりしてもらっているんですよ」
と町内会長さんから紹介される。
 
「こんにちは。繰影と申します。よろしくお願いします」
 
ああ・・・・「女性だと思います」というのは、そういう意味だったのかと青葉は納得した。彼女はバリトンボイスで挨拶したが、むろん青葉は顔色ひとつ変えずに
 
「こんにちは。川上と申します。よろしくお願いします」
と笑顔で返事した。
 
「でもお若い方なんですね」
と彼女はニコニコした笑顔で語りかけてくる。
 
「お若い方」と言われたぞと内心喜んでいたら、衝撃の一撃をくらう。 
「30歳くらいの方かな。凄腕の霊能者というので、私、てっきり50-60代の方を想像してしまった」
などと言っている。
 
30歳〜!?
 
でも青葉はそういうのにはめげず
「物心付いた頃から、曾祖母について色々な現場を見てきたので」
と答える。
「ああ。ひいおばあさんが、霊能者さんだったのね?」
「ええ。そうなんですよ」
 

実際に幽霊を追尾したルートを見てもらった方がいいかもというので、彼女のバイクに同乗させてもらうことにする。
 
「格好良いバイクですね!隼ですか!」
「ええ。これ国内正規販売が始まる前に買った逆輸入物なんですよ」
「すごーい」
 
スズキのGSX1300R“隼”。ギネスブックに世界最高速度のバイクとして記載されているパワフルなマシンである。雑誌のテストで333.95km/hというとんでもない速度を叩きだしている(市販車は300km/hでリミッターが掛かる)車の前部側面に大きく漢字で「隼」の文字が描かれている(海外仕様も同じ)。黒と金色のツートンカラーが、また格好良い。
 
青葉は荷物は地図と筆記具をリュックに入れる以外は彼女の家に置かせてもらい、同乗者用のヘルメットと軍手を借り、髪は服の中に入れてしまう。そして彼女の後ろに乗り、まずは幽霊との遭遇ポイントまで行った。
 
「そこの倉庫の壁から飛び出して来たんですよ。びっくりしてハンドル切って衝突回避しましたが。こんにゃろと思ったから、謝らせようと思って追いかけたんですよ」
 
「なるほど、その時点では幽霊とは思っておられなかったんですね」
「そうそう。崖の中に消えてから、まさか今の・・・と思った」
 
この倉庫の壁はコピーしてきた出現場所マップでは、よく出没するポイントのひとつのようである。
 
「ここは何の倉庫なのでしょう?」
「網の倉庫ですよ。定置網をシーズン外の時期に置いておくんですが、ほかにも色々漁具を置いているようですけどね。私は漁業関係者ではないので、何度かしか入ったことないですが」
 
「この倉庫はこちら側には出入口は無いんですね」
「そうそう。この向こう側の道の方の大きな扉が開閉するようになっているんですよ。だからこちら側から出没できる訳無いんですよね」
 

「ところで先生もバイクに乗られるんですね?」
と繰影さんが言った。
 
「はい、今、練習中なんですよ。でもなぜ分かりました?」
「カーブとかでちゃんと体重移動なさるから。凄く運転しやすかったですよ」
「どちらに曲がるかは線形とかウィンカーとかで分かるし、それに合わせただけですよ」
「いや、それがバイク乗らない人には分からないんですよ。最悪、こちらの体重移動と逆に身体を傾ける人もいるから、凄く大変」
「それは危険ですよ!」
「うん。危険ということが分からず、むしろ身体が傾くのを怖がって反射的に抵抗しちゃうんですよね」
「なるほど〜」
 
「でも先生は何に乗っておられるんですか?」
「今乗っているのはヤマハのYZF-R25なんですよ。春くらいに大型免許取りたいと思って。ひたすら250ccで練習してます。毎晩50kmくらい走っているかな」
「750ccとかで練習すればいいのに」
「今持ってる免許では運転できません!」
 

ふたりはそこから当日彼女が追尾したルート通りに走り、最後はさっきも来たGSの所まで行った。
 
「その通路奥の崖に中に消えて行ったんですよ。夜中だし、こちらも少し頭に血が上ってたから、最初そこが崖とは思わなくて、でも何か違和感感じて危ない!と思う前に身体が反応してブレーキ掛けてました。少しでも遅れたら死んでて、私のほうが幽霊ライダーになっていたと思う」
 
ジョークを言う程度の余裕はあるようである。
 
「そういう時って、危険を脳が意識する前に、先に身体を動かす指令が出るんでしょうね」
「うん。こういう感覚が働かないとレーサーとかにはなれないと思いますよ。私はレースとかはしないけど、あの人達の反応速度は、脳が意識してからでは間に合ってないと思うんですよね」
 
「なるほどですね」
 

「繰影さんが追尾したバイクですが、型式とかは分かります?」
「そうそう。それお伝えするの忘れてた。あれはホンダのシャドウ750ファントムでした」
「ファントム!?」
「真っ黒いバイクですよ。でもまさに幽霊ですね」
と言って、彼女は笑っていた。
 
「あ、そうだ。もしよろしかったら電話番号かメールアドレスとか教えて頂けませんか?」
「あ、いいですよ。交換しましょう」
と言って、赤外線でお互いのデータを交換する。
 
「へー。川上青葉・かわかみあおばさん。5月くらいのお生まれですか?」
「そうなんですよ。5月22日です。
「そちらは繰影飛鳥、くりかげあすかさんですか」
「ええ。それは本名なんですが、本名の先頭と末尾から繰鳥にして、漢字を変えて『栗取子』と書き『くりとりす』と読ませるペンネームで、実は女性向けのアダルト漫画を書いているんですよ」
 
「へー!面白いですね」
と青葉が言うと
「先生の反応が面白い」
と彼女は言う。
 
「変ですか?」
「たいていの人はアダルト漫画と聞くと、顔をしかめる」
「たくさんの人がお世話になっていると思いますが」
「まあそうなんですけどね。先生も読まれます?」
「母から禁止されています」
「・・・・まさか未成年ってことは・・・」
「はい、19歳です」
「うっそー!?」
と彼女はマジで驚いていた。
 
 
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