【春影】(2)

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「実は昔、別のペンネームで割と有名な少女雑誌にふつうの恋愛漫画を書いたこともあるんですよ。でも全然売れなくてすぐ打ち切りになって。他の漫画家さんのアシスタントとかしている内に、こういうの書いてみない?と誘われて、小遣い稼ぎのつもりで書いたら、けっこう売れちゃって」
と飛鳥は語った。
 
「まあ何が売れるかなんて分かりませんからね」
「それでそういう漫画をもう20年書いているんですよ」
「浮き沈みの激しい漫画の世界で20年続いたらかなり凄いと思います」
 
彼女は頷いていたが唐突に
 
「ところで、先生は私の性別のことは何も訊かないんですね」
と言った。
 
「事件の解決に必要なこととは思えないので」
「そう割り切ってくださる人って、好きですよ。結構好奇の目で見られたりするので」
「田舎だと色々大変でしょうけど、頑張ってください」
 
「ええ。この町に最初に来た頃はまだフルタイムでは無かったもので、あ、フルタイムって分かりますか?」
「分かりますよ。24 hours, 7 days woman ってことですね」
「そうそう。それで、当時は微妙な風体(ふうてい)だったから、自粛して男子トイレに入ったら、女は向こうだよと言われて、やはりこちらかなと思って女子トイレに入ったら、今度は中に居たおばちゃんが、一度外に出て男女表示の所をわざとらしく見上げてからまた戻ってくるんですよ」
 
「気にしなければいいと思いますよ。繰影さんは自分は女性だと思っておられるんでしょう?」
「ええ」
 
「だったら、女性用トイレ、女子更衣室、女湯を堂々と使えばいいと思います」
「ありがとうございます。今ではフルタイムになっちゃったし、ソーセージも無くなっちゃったし、堂々と女湯にも入ってますけどね」
 
と彼女は明るく言った。
 

青葉は荒木さんに連絡を取り、過去10年くらいのこの町周辺での交通事故の類いの一覧とかが確認できるような所はないかと尋ねた。すると警察署なら分かると思う、というので警察署で落ち合うことにした。それでそこまで繰影さんのバイクで送ってもらった。
 
町の名士である荒木さんが一緒だったこともあるだろうが、警察の人は調査に協力的で、事故のデータベースを閲覧させてくれた。「幽霊バイクには本当に困っているんですよ」と警察の人も言っていた。パトカーで追跡したこともあるものの細い路地に入って行かれて追尾断念したらしい。
 
しかし、J市の事件の時も思ったが、田舎の警察は、霊的な問題に結構な理解があるように思える。田舎にはやはり、都会では忘れられている「闇」との接触を認識する機会が多いからではないかと青葉は思ったりもする。
 
小さな町ではあるが、田舎だけにみんなが車に依存している。それ故にどうしても交通事故も起きる。昨年1年間でも地区内で3件の死亡事故があり、今年も既に2件死亡事故が起きている。バイク絡みの事故はこの10年間に4件あった。青葉はその事件の詳細を、許可を取ってプリントしてもらった。
 

ともかくも今日の段階ではいったん引き上げることにする。繰影さんの家に置かせてもらっていた荷物を回収し、荒木さんの娘・容子さんの運転する車で伏木まで戻った。戻る前に、一度町内を一周、車で走ってもらい、その風景と空気をしっかり感じ取っておいた。
 
容子さんは当地で生命保険の外交をしているらしいが、どうも噂好きっぽい。個人情報を扱う仕事をしていて口が軽いのは問題だぞと青葉は思ったものの、彼女の話に乗る形で、町の色々な噂を引き出した。
 
「ああ。この地区の舁山(かきやま)祭といったら有名ですね」
「勇壮な祭というので、けっこう観光客も来るんですよ。外人さんの観光客もいますよ」
「でも最近は山の舁き手の確保も大変なんじゃないですか?」
「そうなんですよね〜。昔は漁師する人多かったから、海で鍛えた頑強な若衆がたくさんいたんですけど、今は漁業自体が後継者不足で」
 
「どこもそうみたいですね」
 
ちー姉とかもお父さんから漁師を継げと言われたのを都会に逃げ出した組だったなと青葉は思い起こしていた。
 
「それで町出身の女が都会で結婚した婿さんとか駆り出されるんだけど、力仕事なんかしたことのない都会育ちの人にはきついみたいで」
「そりゃ網とか引いていた人とは身体の造りが違いますよ」
 
「どこの町内も人手不足だから、ふらふらした運行になることもあって今年の春とか、川渡りの最中に強風に煽られて山が倒れて、下敷きになって舁き手が1人亡くなったんですよ」
 
「あらぁ」
 
青葉は内心はピクッとしたものの顔色も変えずに話を聞く。
 
「お若い方だったんですか?」
 
「50歳くらいかなあ。仕事はプログラマーとかで。この近くの集落出身の女性と結婚してこちらに引っ越してきてたんですよ。仕事は週に2回富山の会社まで出勤するほかは在宅勤務とかで。よそ者だから早く地元に溶け込もうというので、積極的に町の行事に参加していたみたいですが、その人も力仕事なんてやったことないし、学生時代も美術部だったとかで、細い感じの人でしたね。絵が上手いから舁山の燈籠の絵とかも描いてましたよ」
 
「へー!でも慣れてなくて運動もしてない人には辛かったかも知れないですね」
 
「この人、生命保険が降りなかったんですよね〜」
「どうしてですか?」
「川渡りは川に渡した丸太の上を歩いて2トンの舁き山を移動させるので、それ自体が危険行為ということで」
「うーん・・・・」
 
「一応祭の実行委員会で入っている保険からお見舞金で20万円出たんですけどね」
「働き盛りの旦那さんに死なれて20万では辛いですね」
 
「全くですね。葬式代にもならなかったと思います。子供も2人いて高校生だったんですが、今奥さんがパートに出ていますよ。子供は奨学金で大学に行けるみたいですが」
「それは良かった」
 
「このお祭りでは過去10年、毎年のように怪我人が出ていて、5年くらい前にも死者が出ているんですよ。それでもっと高額の保険に入るべきではいう議論もあるんですが、逆に保険会社の方は、今の条件でも保険料を上げさせてくれと言っているらしくて」
 
「毎年怪我人が出ていたら、そうなるでしょうね」
 
「でも実は昔は毎年死者が出ていたらしいですね」
「ああ。そういう祭は結構あります」
「有名な**の**祭とか、あまりにも死者が出るから、とうとう保険会社が引き受け拒否しているらしいです」
「あそこは激しすぎますね」
 
「ネットとかでは、好きでやってて死ぬのは本望だろうとか、神様が人柱を求めているんだとか、書く人も居ますけど、全員が好きでやってる訳では無いし」
と容子さんは言う。
 
ああ、この人は割と第三者的に見ているなと青葉は思う。たぶん都会の合理的な世界に身を置いたことのあるUターン組なのだろう。
 
「でしょうね。地域の付き合いで、やりたくないけど仕方なく参加している人も多いと思いますよ」
と青葉。
 
「私の個人的な見解ですけど、そういう人に限って怪我したり亡くなったりするんですよ」
と容子さんは言うが、青葉はその見解にはコメントができないと思った。
 

11月13日(日)大安。
 
千里は福岡市内のホテルの一室でさわやかに目が覚めた。大きく伸びをしてベッドから出る。今日は午前中貴司の従兄・暢彦の結婚式に出る予定である。大分ではレッドインパルスのメンバーは中津市のホテルを出て今日試合のある大分市に移動し、午前中に軽い練習をする予定だが、そちらは《すーちゃん》に代役をしてくれるよう頼んでいる。
 
貴司が幸せそうな顔で熟睡しているのにキスだけして放置。京平と一緒に朝食に行った。貴司の親戚とはこれまで法事その他で顔を合わせているので、知っている人が多い。その人たちは千里はもう8年くらい前から貴司の妻であると思っている。
 
「あら、お子さん生まれたのね」
などと言われる。
 
「ええ。去年の6月に生まれたんですよ。ですから1歳5ヶ月ですね」
「へー。もう2歳くらいかと思った」
「わりと成長早い部類みたい。ことばもよくしゃべるんですよ」
「女の子はわりと言葉が早いけど、男の子は遅い子もいるね」
などと言っていると
 
「ぼくおとこのこだよ」
と京平は抗議している。今日の京平はズボンを穿いているが、実はガールズのズボンなので、女の子に見えないこともない。
 
「名前は?」
「ぼく、きょうへい」
 
「偉い、偉い、ちゃんと自分の名前言えるね」
「でもこの子可愛いよね」
「スカートとか穿かせてみたい」
という声も出る。
 
「ぼくスカートもすき」
「へー。スカートも穿くんだ?」
「この子、けっこうスカートが似合うんですよ」
「へー。でも別に男の子がスカート穿いてもいいよね」
「ええ。そう言って、けっこう穿かせているんですけどね」
 

9時頃、保志絵さんから結婚式に出る時の衣装が届いているからという連絡があり、京平を連れて取りに行く。受け取って着換えようとしていたら
 
「バスケットウェアの上に着るんだ!?」
と驚かれる。
 
「結婚式が終わって少ししたら、試合に行くので」
「へー。この近く?」
「ええ。20分くらいかな」
 
福岡市から大分市までは120kmほどあるが《りくちゃん》に乗せてもらったら20分くらいで行くよなあ、などとも考える。もっとも今日は《きーちゃん》に転送してもらうから一瞬である。
 
そういう訳で千里はレッドインパルスのユニフォームの上に長襦袢を着て、色留袖を着た。
 
「お姉さん、ひとりで着られるのが凄い」
などと隣で振袖の着付けをしてもらっている理歌・美姫から言われる。
 
「なんか結構着る機会が多かったから覚えちゃったのよね〜」
「へー。凄ーい」
「海外で振袖着ると、かなりもてるよ」
「海外に行く機会が無い!」
と理歌は言っているが、保志絵は
「それで外人さんに見初められて国際結婚とかなったら、それがまた大変そう」
などと言っていた。
 

なお保志絵には貴司の結婚指輪はサイズ直しが必要であることを伝えている。指のサイズは昨夜測った時は64mm, 今朝測ったら63mmであった。たぶん24号でいいとは思ったが、念のため今日の昼と夕方くらいにも測ってみる。
 
京平には100サイズのフォーマルスーツが用意されているので着せる。
 
「少し大きかったかな?」
と保志絵さんが言う。
「小さいと辛いけど、大きいのは問題無いですよ」
と千里。
 

9:40頃、新郎の妹・美沙が入って来て
「みなさん、お疲れ様です。今日の披露宴・二次会の席次表でーす」
と言って、その場にいた親戚たちに配る。
 
披露宴・二次会の席次表の新郎側親族席の所に、細川貴司・千里・京平という文字があるのを見て、千里は目に涙が浮かんだ。
 
なお、披露宴の時間帯には外せない仕事があり、披露宴は欠席して二次会だけに出席することは、この場で親族たちに話しておいた。
 
「結婚式でも休めないんだ?」
「実はバスケットの試合があるんですよ」
「なるほど!」
「それはさすがに休む訳にはいかないね」
 
と親族達は理解してくれたようである。
 

そろそろチェックアウトかなというので部屋に戻ると貴司はまだ寝ている!さすがに起こす。
 
「朝御飯食べてないよね?」
「完璧に寝てた!」
「もうチェックアウトだけど、貴司まだ着換えてないね」
「5分で着換える!」
と言って急いで白いワイシャツを着て白いネクタイを締め、ブラックフォーマを身につける。もう朝御飯を食べる時間は無いので、そのまま玄関に出る。千里が念のため用意していたサンドイッチの詰め合わせを渡すと「助かる助かる」と言って貴司は美味しそうに食べていた。
 
10時にホテル前からバスが出るので結婚式場のある福津市(旧津屋崎町)の宮地嶽(みやじだけ)神社に移動する。
 
しばらく控室で待つ。結婚式場の間は、子供たちは新婦の母の友人女性が数人でまとめて見ていてくれるということだった。京平と年が近い子では、美沙(新郎の妹)の娘の満理(3)・絵里(1)がいるが、2人とも可愛いフォーマル・ドレスを着ている。
 
「ドレス可愛いね」
などと言って京平が見ている。
 
「京平もドレス着たかった?」
「うーん。。。このタキシードもかっこよくていいんだけど」
などと悩んでいるようだ。
 
絵里ちゃんとは年齢が近いだけあってすぐ仲良くなったようで、一緒に遊んでいる。向こうは昨年の4月生まれで1歳7ヶ月。京平より少し月齢が高いし、女の子でもあるし、よくしゃべるので、京平とたくさんおしゃべりしていた。向こうはアメリカ育ちでバイリンガルなので、時々英語が混じるものの、京平は中身の実年齢が高いだけあって簡単な英語なら理解するので、結果的に絵里と京平は日英ミックス会話になっていた。お母さんの美沙が「京平君、私より英語うまい」などと言って感心していた。
 

やがて11時が近くなるので、子供たちはお世話係の人にお願いして結婚式場に移動する。千里はむろん貴司と並んで歩いて行く。その時千里は新婦側の親族の中に冬子(ローズ+リリーのケイ)がいるのにびっくりする。向こうはこちらに気付いていないようである。
 
そういえば新婦は民謡の家元の家系と言っていたが、冬子の伯母が民謡の一派の主宰者だったなというのを思い起こす。冬子も名取りさんだが、むろん彼女は民謡家になる意志は全く無い。それでもローズクォーツの初期のシングルには随分民謡が吹き込まれていたので、冬子の趣味なんだろうなと千里は理解していた。
 
巫女さんに先導されて真っ赤な色に満ちた式場内に入る。千里は本職の巫女だけあってこういう仕様の結婚式場も過去に見ているが、結構驚いている人や戸惑っている人もあるようだ。冬子はその驚いている組のようで、しばし見とれていたが、やがて何かを探している感じだ。
 
千里は近くに居た美姫に頼んだ。
 
「あそこの青い東京友禅の振袖着ている女の子にさ、これを渡してきてくれない?」
と言って、五線紙とボールペン(サラサ・クリップ)を渡す。
 
「あれ・・・ローズ+リリーのケイさん?」
「そうそう。曲を書きたがっているみたいだけど、あの人五線紙を自分では持ち歩かない癖があるんだよ。誰かに紙をもらって書くのがスタイル」
「へー」
と言って、美姫はその紙とボールペンを持って行き、
「どうぞ」
と言って笑顔で差し出す。冬子はびっくりしていたようだが、御礼を言うと紙とペンを受け取り、一心に何かを書き出したようである。
 

3分くらいして、祭主を務める神職が入場し、2人の巫女に先導された新郎・新婦が入場して結婚式は始まる。
 
結婚式は厳かであった。舞も笛も充分うまい人がしている。
 
三三九度も最近多い略式ではなく、ちゃんと本則通りに行われる。ただ事前に千里はその話を聞いていたのだが、新婦が妊娠4ヶ月らしく、お酒が飲めないので、新婦は全部口を付けるだけで中身は全部新郎が飲んでいた。おかげで最後には新郎の足がややふらついていた。三三九度のお酒を全部ひとりで飲むと2-3合になるはずで、これを短時間に飲むのは結構利くはずだ。
 
出席者が多いので、親族固めの杯では杯とお酒を全員に配るのにけっこう時間が掛かっていた。新郎新婦が一緒に誓いの言葉を述べ、祭主の言葉があってお開きとなる。退場した後、広い部屋に行き、記念撮影をしてから、男女別の控室に入る。京平が「おっぱいだめだよね?」などと言うので、別室に連れて行って少し飲ませたら、満足したような顔をしていた。
 

男性用控室に行き貴司を呼び出して指のサイズを再度測定した。今度は62mmであった。また夕方測定することにする。
 
女性用控室に戻る。京平はすっかり仲良くなった絵里と遊んでいる。千里は手帳を見ながら、大分にいる《すーちゃん》と少しリモートで話していたのだが、そこに冬子がこちらに気付いたようで寄ってくる。
 
「千里? もしかして布施さんの親戚?」
「冬が琴岡さんの親戚とは知らなかった」
 
「しかし千里と親戚になるのも悪くない」
と言って千里と冬子は握手した。
 

「でもそっちはどういうつながり?」
と千里が訊くと
 
「私と花嫁は従姉妹なんだよ。母同士が姉妹。そちらは?」
と冬子。
 
若山鶴乃(荒川都留子)の5人の娘が若山鶴音(水野乙女:現在の鶴派主宰者)・若山鶴風(田淵風帆)・若山鶴声(和代清香)・若山鶴里(琴岡里美)・若山鶴絵(唐本春絵)で、冬子は五女・春絵の次女(元長男)、新婦の純奈は四女・里美の長女である。
 
「花婿と貴司が従兄弟なんだよ。花婿のお母さんと貴司のお父さんが実の姉弟。戸籍上は腹違いの姉弟ということになっているけど、本当は実の姉弟」
と千里は少し面倒な説明をした。
 
実は晴子を産んだとき、淑子はまだ高校生だったので、出産がバレたら高校を退学になるというので、正妻の貞子さんが産んだことにしたのである。実際には貞子さんは当時病床にあり、淑子さんに後事を託して亡くなっていった。しかし、冬子はその面倒な説明より、もっと根本的な問題に当惑したようである。
 
「千里、もしかして貴司さんの親戚の結婚式に出席してるの〜?」
と冬子が本当に困惑したような顔で訊く。
 
「だって私、貴司の妻だし」
と言って千里は昨夜保志絵さんから渡された結婚指輪をした左手薬指を見せた。
 

そこに京平が駆け寄ってくる。
「おかあさーん、しっこした」
「はいはい」
「もらさずにできたよ」
「よしよし。おむつ卒業できる日も近いね」
「うん。ぼくがんばる」
 
杏梨が京平に訊いている。
「京平君、おしっこは立ってするの?」
「たってするの、うまくできないから、すわってしてる」
「うん、小さい内はそれでいいだろうね」
 
桜花がからかう。
「女の子になるなら、ずっと座ってしててもいいよ」
「おんなのこにはならないよ!」
「京平ちゃん、可愛いから女の子になってもいいと思うのに」
「ちんちん、なくしたくないもん」
 
京平を見て、冬子は更に戸惑っている。
 
「その子は?」
「京平だよ。この子が生まれる時は冬にも助けてもらったね。京平、お前が生まれる時に、このお姉さんに助けてもらったんだよ」
 
「おねえさん、ありがとう」
と京平。
「ううん。いいんだよ」
と冬子は答えながらも、本当に困惑しきっている。
 

そこに理歌と美姫が寄ってくる。
 
「ごぶさたしてます。冬子さん」
と理歌が冬子に挨拶する。理歌は京平が生まれた時に大阪で冬子と会っている。
「どもども」
と美姫も挨拶(?)している。
 
「こちら、貴司の妹の理歌ちゃんと美姫ちゃんね」
「どうも。さっきはありがとうございました」
 
千里は冬子の疑問を解決するために今回こうなってしまった経緯を説明する。
 
「実は昨日の朝、私は大分県の中津市で試合があるんで、新幹線で移動していたんだよ。そしたら大阪で貴司と京平が乗ってきてさ」
「へー」
 
「『あかあさんだ!』と京平が言うから、キャプテンの許可もらって、小倉まで一緒にいたんだよ」
「ああ・・・」
「それで試合終わってから、こちらに来た。だから私は実は京平のお世話係。今日もさっき言ったように後少ししたら試合会場に移動する」
 
「そういうことだったのか」
と冬子はやっと納得したように言った。
 
「阿部子さんは身体が弱いから、こういう長距離の旅行ができないしね」
「あの人、新幹線で福岡まで来るだけでもダメなの?」
 
「買物に出ただけでも途中で気分が悪くなってしまったりする人だから。最近はコンビニまで行くのも怖がっているみたい。実際コンビニの店内で倒れたこともあるんだよ。だから買物に行かなくても何とかなるように貴司に言ってオイシックス契約させた」
 
「それ、どこか身体が悪いのでは?」
 
「私も心配で、この夏に1度人間ドックに行かせたんだけど、人間ドックでは虚弱体質ではあるけど、どこかに病気があるという訳では無いということだった」
 
「千里が行かせたんだ?」
「だって貴司は、こういうの考えてくれるような人じゃないからさ」
「うーん・・・・」
 
冬子は、もしかして貴司さんと阿倍子さんの家庭って、千里が維持してあげているのでは?という不思議な認識をし始めていた。
 

「でも私たちも好都合でした。私たちや母とかも、貴司兄のお嫁さんは千里さんだと思っていますから」
と理歌が言う。
 
理歌は披露宴・二次会の席次表に細川貴司・千里・京平とあるのも指さしてみせる。冬子はそれにも驚いている。まさかそんなに堂々と「貴司の妻」を演じているとは思いもよらなかったようだ。
 
「千里集合写真に写った?」
「写ったよ」
「それ阿部子さんが見たら何か思わない?」
「それは貴司が見せる訳無いから平気」
「うーん・・・・」
と今日の冬子は悩んでばかりである。
 
「実際問題として、親戚はみんなそもそも貴司兄さんの奥さんは千里さんだと思ってますよ。元々千里姉さんは昔から親戚関係の集まりに兄さんの奥さんとして出ていたし。兄さんと阿倍子さんの結婚式にはこちらの親族は誰も出席してないし、結婚の通知も連名の年賀状も親戚関係には出してないし」
と理歌は言う。
 
「そうなの!?」
と冬子は驚いている。
 
「母が禁止しましたから」
「うむむむ」
 
「ですから兄から親戚への年賀状はずっと兄の単独名義ですね。それも千里姉さんが代筆しているし」
「え〜!?」
 
「私、貴司がチームや会社の関係者に配った貴司と阿倍子さんの連名の結婚通知や年賀状も代筆したよ」
と千里は言っている。
 
「平気だったの〜?」
と冬子は少し呆れている。
 
「平気な訳ないけどさ。貴司が、他に頼める人いないからと泣きついてくるし。阿倍子さんは凄い悪筆なんだよね。貴司の字は問題外だし」
と千里。
 
「私だったらふざけるな!と言って蹴りを入れると思うけど、千里姉さんは凄いです。包容力があるというか」
と理歌。
 
「高校生の頃、私、貴司に言ったんだよね。貴司が例えば子供を作りたいからと言って、他の女性と結婚したいと言ったら認めてあげる。そして貴司が誰かを法的な妻にしたとしても、私はずっと貴司の妻であり続ける。何人legal wifeを作ったとしても、私は貴司のarch wife(*1)であり続けるとね。まさか本当に他の女と結婚するとは思わなかったけどね」
 
と千里は言った。
 
冬子はその言葉を聞くと意識が少し飛びかけた状態で何か考えているようだった。
 
「五線紙要る?」
と言って五線紙を取り出す。
 
「ちょうだい」
と言って、冬子は何か曲を書き始めた。
 

(*1) archは上位のという意味で、arch-angelは大天使。arch-fiendは大悪魔。RPG関係ではしばしば親玉の魔物にarchという接頭辞を付けたりしている。ギリシャ語のarkhos(指導者)が語源。
 
archは母音の前では「アーク」、子音の前では「アーチ」と読むのでarchmasterは本来「アーチマスター」だが、日本の漫画などでは「アークマスター」という表現も見られる。
 
archは接頭辞以外で使われることもある。monarchなどがその例。これはmono(1人)+arch(主たる)で「君主」の意味になる。
 
一方、ラテン語のarcus(弓)を語源とするarch(アーチ)もあり、主として建築物の上辺が弓状になっているものを指す。
 
「アーチ(arch)」と「アーク(arc)」はしばしば混同されており、ホームランのことを日本では「アーチ」と言うが、あれは和製英語であり、英語ではarc(アーク.円弧)という。arc sin, arc tan などの「逆三角関数」のarcと同じ。arcの語源も↑と同じラテン語のarcusである。
 
もっともホームランの軌跡は円弧ではなく放物線(パラボラ parabola)である!
 

やがて12時半になったので、千里は着ている色留袖を脱ぎ出す。
 
「披露宴は洋装で出席?」
と冬子が訊く。
 
「いや。私は試合があるから、そろそろ行く」
「あっそう言ってた!」
「京平、また夕方会いに来るから、お昼は理歌お姉さんや美姫お姉さんの言うこと聞いて良い子してろよ」
「うん。おかあさん、いってらっしゃい」
 
千里が色留袖・長襦袢を脱ぐと、下にレッドインパルスのユニフォームを着ているので
 
「そういう構造になっていたのか!」
と驚いている人たちがいる。
 
「その格好で会場まで行くの?」
「平気だよ」
「会場はどこ?」
「大分市のコンパルホール」
「大分!?試合は何時から?」
「2時からだけど」
「間に合うの〜!?」
「大丈夫、大丈夫。じゃね」
 
と言って、千里は京平にキスした後で控室を出た。
 

そのまま《きーちゃん》に転送してもらって《すーちゃん》と入れ替わる。
 
《すーちゃん》大分←→東京《きーちゃん》
《千里》福岡←→大分《きーちゃん》
《すーちゃん》東京←→福岡《きーちゃん》
 
《すーちゃん》はすぐに不可視状態になり、例によっていつも京平に付いている伏見の人に挨拶した上で、京平のガードに入った。
 
また《きーちゃん》には「体調が良くないので」と言って早退してもらう。そして用賀のアパートに入って、二次会用の適当な服を選んでおいてくれるよう頼んでおいた。
 
一方、千里が大分に来た時、レッドインパルスのメンバーは今ホテルで昼食を終えて会場に向けて出発するところであった。
 
しまったぁ!私お昼食べてない!と思うものの、仕方ない。
 
そのまま会場に入る。移動のバスの中で千里は結婚指輪を外し、携帯と一緒にポーチに入れた。このポーチはベンチにも持ち込む。また常時《たいちゃん》に見ておいてもらう。会場に着くので、観客に手を振って挨拶した上で、地元の小中学生にバスケの指導をする。その後スリーポイント合戦をする。
 
ブリリアント・バニーズから田代三智子(PG) 大秋メイ(SF) 桑名依子(SG)の3人、レッドインパルスからは広川妙子(SF) 渡辺純子(SF)に千里(SG)の3人が出て、1人ずつ60秒以内にスリーポイントライン上の5ヶ所から5個ずつボールをシュートし、入ったらオレンジボール1点、カラーボール2点の合計30点で点数を計算する。
 
田代は7本入れて8点、妙子は8本入れて9点、大秋は10本入れて10点、純子は9本入れて12点、桑名は14本入れて16点と来た所で千里が25本全部入れて30点となるので、会場がどよめく。観客席から凄い拍手が送られた。
 
「今千里さんのファンが100人はできましたね」
 
と結果的に3位になった渡辺純子が笑顔で言った。純子はメイより入れた数は少なかったものの、カラーボールを3個入れているので点数では上回っている。メイはカラーボールがひとつも入ってない。
 

14:00から試合になるが、レッドインパルスは終始ブリリアント・バニーズを圧倒し、50-73の大差でレッドインパルスが勝つ。千里は昨日はスリー6本を含む32点を取ったが、今日もスリー7本を含む34点を取った。
 
試合終了後、ミーティングを経て、16時すぎにレセプション会場へ移動する。千里はこの時点で福岡に転送してもらうことにする。
 
《千里》大分←→東京《きーちゃん》
 
まず東京の自分のアパートに転送してもらって、いったんシャワーを浴び、用意してもらっていた服に着替える。それで福岡に転送してもらおうと思った時、青葉から電話が掛かってきた。
 
「ふーん。じゃ、その町の地図をこちらにFAXしてくれない?」
「いいけど、ちー姉、今どこに居るの?」
「用賀のアパート。ここの電話番号知ってたっけ?」
「あ、分かるはず」
「じゃ、よろしく〜。そちらのFAX番号は?」
「FAXの中に書いておく」
 
千里は送られて来た地図を見ると、しばらく眺めていたが、やがてその地図上のあるポイントに★印を付け、19:57という時刻も記入した上で、送られて来た番号に返送した。
 
現在の時刻を見ると17:02だ。ああ、結構時間取ったかなと思うが、ここで福岡に転送してもらう。結果的に大分に居る《きーちゃん》はレセプションの会場に入り、市長さんや当地の体育連盟の会長さんなどのお話を聞く所まで千里の代理を務めた。
 
《すーちゃん》福岡←→大分《きーちゃん》
《千里》東京←→福岡《きーちゃん》
 
《きーちゃん》はもしかして料理食べる所まで行くかなと思ったのを直前で交替になったので、ぶつぶつ言いながら、渋谷に出て少し贅沢なごはんを食べることにした。
 
大分に来た《すーちゃん》はレッドインパルスのメンバーと一緒にレセプションの食事をした後、大分で1泊して、翌日の午前中に東京に戻った。
 
そして千里は結婚式の二次会に出席する!
 

《きーちゃん》が選んでくれた服は、和実に勧められて買ったホワイトロリータのドレスである。結婚指輪を填めてから二次会会場になっているカフェに入っていく。すると京平が千里を見つけて
 
「おかあちゃん、かわいい」
と言うので、千里は思わず顔がほころんだ。
 
京平は結局冬子に遊んでもらっていたらしい。
 
「ふゆおねえさん、おもしろいよ」
「そう、良かった、良かった」
「試合どうだった?」
「勝ったよ。まあ負けるような相手ではなかったんだけどね」
 
お昼を食べ損ねた後で試合をして、ともかくもお腹が空いているので、店員さんをつかまえて、茄子とベーコンのスパゲティ、クラブハウスサンドイッチ、粗挽き和風ハンバーグ、たっぷりオニオンのホットドッグ、クロックマダム、と頼むと冬子がびっくりしていた。店員さんは数人分のオーダーと思ったようだが、むろん千里1人で食べる!
 
京平が
「それおいしそう」
と言うので、ハンバーグを少しとホットドッグを少し分けてあげた。
 

千里は貴司がかなり酔っていることに気付く。
「なぜここまで飲んだ?」
「いや、挨拶回りしてたら大量に飲むことになって」
などと貴司は言い訳している。
 
「これでは危なくて京平を預けられないなあ」
「ごめーん」
 
千里は近くに居る理歌に頼んだ。
 
「理歌ちゃん、悪いけど、京平を千里(せんり)のマンションまで連れて行ってくれない?チケットはこのカードで買って」
と言って、千里は貴司のVISAカードを理歌に渡した。
 
「うん。OKOK」
と言って、理歌もそのカードを受け取る。
 
「飲んべえさんはそこら辺に放置しといていいから」
「当然」
 

「千里、そのカードはいつも千里が持ってるの?」
と冬子が千里に尋ねる。
 
「こないだ貴司はちょっと悪いことしたから、変なことができないように、キャッシュカードもクレカも全部私が預かっている」
「えー!?」
 
「阿倍子さんの口座には日常の食費・生活費用に月15万円入れているけど貴司は1日500円のお小遣い制」
「厳しー」
 
「千里、せめて千円にしてよ」
などと貴司は言っている。
 
「年明けたら再検討してもいいよ。あとリーグ戦は優勝してよね。それとも、ちんちん預かってた方がいい?」
 
「ちんちん無いと立っておしっこできなくて不便だから、それは勘弁して」
と貴司。
「別におしっこなんて座ってすればいいし」
と千里。
「ああ、それ取り上げるのがいいかも」
などと理歌が言う。
 
そんなことを言っていたら、京平が訊く。
「パパ、ちんちんなくなったの?」
「今の所は付いてるよ」
「なくなったらこまるよね?」
「おお、ここに理解者がひとり居た」
「じゃ京平に免じて、ちんちんは勘弁してやろう」
 
「よかった。前取り上げられた時は本当に困った」
などと貴司が言っているので、冬子が首をひねっていた。
 

「じゃ用事が済んだらこのカードは千里姉さんに送ればいい?」
と理歌が訊く。
「淑子おばあちゃんに預けといて。また近い内に京平を会わせに行くから、その時に回収するよ」
「了解了解」
 
千里が京平をしばしば淑子に会わせに行っているのは保志絵には言っていないが、理歌と美姫は承知である。むしろその2人に協力者になってもらっている。ついでにビットキャッシュのお土産付きである。淑子が最近どんどん体力を回復させてきているのは、京平と遊ぶという目的があるためである。
 

N市に行ってきた翌日の日曜日、青葉は精力的にN市関連の情報を検索していたが、やはりネットで調べるには限度があると感じた。アクアで出かけようかとも思ったのだが、あの車は目立ち過ぎる!それに・・・
 
「お母さん、ちょっとバイクで出かけたいんだけど」
と母に相談する。
 
青葉はバイク絡みの事件なので、バイクの視線で調べてみたいという趣旨を説明した。
 
「あんた、ここまで何km走った?」
「1500kmくらい」
「結構走ったね!」
「毎晩練習してたから」
 
「だったら、今日は特別にOKするけど、ほんとに慎重にね。周囲をよく見て、無理せずに。できるだけ交通量の少ない所を走って」
 
「うん。気をつけて行ってくる」
 

それで、青葉は地図や水筒、筆記具などをリュックに入れると、ライダースーツに身を包み、YZF-R25をスタートさせた。高岡市内の安いGSで満タン給油してから、国道を走りN市まで行く。N市中心部を過ぎてから番号の大きな細い国道をかなり走り、H地区に入る。
 
例のGSの所まで行って問題の通路と崖を見る。その後、少し手前に戻って旧道を走ってみる。こちらが昔は国道だったのだが、道が細いので、40年くらい前に町並みの背面に大きな道が作られてそちらが国道になり、こちらは市道に格下げされている。もっとも現在は国道沿いに多くの住宅・商店ができており、旧道側は少しずつ寂れてきて、空き家も目立つという。
 
見ていると、家と家の間にちょうど1〜2軒分の空き地があったりする。昔はそこにも家が建っていたのだろう。中には家の基礎部分のコンクリートがそのまま残っているような所もあった。
 
青葉は例の網倉庫の表側にも行ってみた。見上げてみるが、何の変哲もない倉庫である。特に怪しい雰囲気もない。
 
最初依頼を受けた時に心配した「先に来た霊能者がやった変な操作」に関しては全く心配無かった。多少の「跡」はあるものの、全く利いていないので放置していても構わない。1つだけ妖怪を排除する仕掛けがしてあって、この人凄いじゃんと思ったが、幽霊バイクには利いていないようである。つまり、これで妖怪のしわざという可能性が排除される。(ただしこの仕掛けはせいぜい1年程度しか持ちそうにない)
 

青葉は報告書にあった幽霊の出入りしたポイント全てをバイクで走り回り、全ヶ所デジカメとスマホで撮影した。青葉はこういう撮影の時は必ずこの2つのカメラで撮影する。デジカメはCCD, スマホはCMOSなので、しばしば両者は霊的なものに対する反応が異なる。そのため、どちらか片方だけに怪しいものが写っていることがよくあるのである。
 
3時間ほど掛けて全ての撮影を終えて少し疲れたなと思い、旧道沿いにある**飯店と書かれた食堂に入る。店の前にバイクを駐め、ヘルメットはワイヤーで留める。グローブも脱いでお店の中に入っていく。
 
「いらっしゃいませ」
という明るい声がする。こういう店で即反応があるのは凄い・・・と思ったら先客があった。それで店頭に出ていたわけだ。
 
「あら、川上さんじゃないの?」
と声を掛けた先客は昨日バイクに同乗させたくれた繰影さんである。
 
「こんにちは、繰影さん」
と青葉も挨拶して隣に座る。
 
「ちょっと詰まっちゃってね。ここで半分ボーっとしてアイデア考えてた」
「ごめんなさい!だったら邪魔ですよね?」
「平気平気。人とおしゃべりするのもアイデアの元」
 
「飛鳥さんって、中華丼食べながらエッチな話を考えたりするんですよ」
とお店の女の子が言っている。24-25歳くらいであろうか。
 
「そうそう。天津丼とか、ちゃんぽんとかから、壮絶テクニカルな体位を思いついたりする」
と本人。
 
「いや、創作の舞台裏ってそういうものですよ」
と青葉も言う。
 

繰影さんお勧めの天津丼を頼んだが、これが絶品だった。半熟の卵が素晴らしいし、味付けがまた天然の魚介系の出汁を使っているようで穏やかな美味しさである。
 
「美代さんでしたっけ?凄い美味しいです、これ。どこで覚えられたんですか?」
と青葉は訊いた。
 
「出汁はうちのお父ちゃんが作ってストックしているのよ。卵の加熱の仕方はむしろお母ちゃんから仕込まれた」
「へー」
「ふたりとも夜になったら出てくるけど、日中は私の担当」
「なるほどー」
 
その美代さんと繰影さんと3人でしばらくおしゃべりしていたら、繰影さんのスマホに着信がある。
 
「今大丈夫だよ。**飯店に居るから」
と言っている。
 
「お友達ですか?」
「うん。東京時代の友だち」
「へー」
 
やがて、大きなバイクのエンジン音がして店の前に駐まると、
 
「こんにちは〜」
という野太い声がして、身長170cmくらいの女性(?)が入ってくる。
 
「いらっしゃい、折江さん」
と美代ちゃんが声を掛ける。
 
青葉はその人を見てびっくりした。向こうもこちらを認識したようである。
 
「あら、川上さん、その節はどうも」
「こんにちは、月見里(やまなし)さん」
と青葉も笑顔で返事する。
 
「知り合い?」
と繰影さんが訊く。
 
「死人が10人以上出た、凄い呪いの事件をこの人、解決したのよ」
と月見里折江。
 
「え〜!?そんな凄い人だったのか」
と繰影飛鳥は驚いていた。
 

話を聞くと、2人は20年ほど前、東京の女装者が多く集まるナイトクラブの常連で、一時期バンドを組んでライブハウスのステージに出たこともあるという。
 
「どういう担当だったんですか?」
「折江がギターで、私がベース。銀子って子がドラムスで」
「へー」
「でも問題はボーカルだったのよね〜」
と折江が言っている。
 
「20年前って、女の子の声出せるニューハーフなんて、ほとんど居なかったのよ」
「そうでしょうね。女声で話せるニューハーフさんがこんなに増えたのはごく最近ですよ」
「あんた詳しいね。それで私が裏声で歌っていたんだけど、問題は私は音痴だということで」
と飛鳥は言っている。
 
「うーん・・・」
「折江は歌がうまいけど、高音が全く出せない」
「だいぶ練習したけど、いまだに出ない」
と折江は言っている。
 
「まあそれであまり受けなくて、数回出演しただけで自然消滅しちゃったね」
「いや、音楽業界はそもそも多くのバンドが生まれては消えて行きますから」
「うん。元々そういう世界だよね」
 

「でも折江さんは、よくこちらにおいでになるんですか?」
と青葉は訊いた。
 
「よく来てたけど、今年は色々しばらく立て込んでたから、春に亡くなった友だちの葬式とかに出られなかったんで、線香あげようと思って」
 
青葉はハッとした。
 
「それまさか春のお祭りで亡くなった方じゃないですよね?」
「うん、そうだけど・・・」
 
「ああ、さすがですね。もうその事件のことはキャッチなさいましたか」
と飛鳥は言った。
 

「私はしばらく奥に居ますから用事がある時は呼んで下さい」
と言って美代さんが下がった後、私たちは話し始めた。
 
「春の祭で亡くなった隆守なんだけど、私と折江と彼は東京時代の知り合いだったんですよ」
「そうだったんですか!」
 
「彼も若い頃は随分女装してたんだけど『普通の男の娘に戻りたい』と言ってナイトクラブの女装パーティーとかには出てこなくなって、その内結婚したというから『相手は男の子?女の子?男の娘?』なんて言ったら『女の子』とかいうから『それはおめでとう!頑張れよ』とか言って。それでその後子供も2人作ったから男性機能を捨ててなかったのか!って、またまた驚いたんですよ。女装すると凄い美人だったし、おっぱいも大きくしていたし」
 
「女性ホルモンはしてなかったんでしょうね」
 
「そういうことだと思う。おっぱいも多分シリコン入れてたのを抜いたんじゃないかな。実は私がこの町に流れて来たのも、彼から誘われたからなのよ。都会から来てここに10年住んだら家と土地をあげるという制度があるんだけどと言われて。私の仕事は場所を選ばないから。電話とメールさえできたら、どこに居てもいいのよ」
 
「なるほど」
 
「祭の燈籠の絵とかも、彼から誘われて私も描くようになったのよね」
「そういう経緯だったんですか。実は昨日、飛鳥さんが祭の燈籠の絵を描いていたと聞いて、亡くなった方と、もしかして一緒だったのかなと思ったのですが。それでその方のことを少しお伺いできないかとも思ってたんですよ」
 
「やはり、隆守と幽霊バイクが関係あると思った?」
と飛鳥は訊いた。
 
「分かりません。可能性はひとつずつ検討して潰して行くだけです」
と青葉は答える。
 
「実は町では、この幽霊バイクって、あいつの幽霊なんじゃないかという噂も立っているのよ」
と飛鳥。
 
「あいつが死んだ後から怪異が始まっていることと、あいつもバイク好きだったことがあって」
 
「バイクに乗っておられたんですか?」
「ああ、そこまではまだ調べてなかったか」
「どういうバイクに乗られていたんですか?」
「ヤマハのFJR1300AS」
「1300というと、かなり大きなバイクですかね?」
「見てみる?」
「あ、はい?」
 

それで美代さんを呼び出して、お会計をしてもらう。それで店の外に出たが、青葉は外に出るなり
 
「わっ」
と声をあげた。
 
「凄いバイクでしょ?」
と飛鳥が言う。
 
「ゴールドウィングですか!」
「うん。ホンダ Goldwing GL1800 SC68。日本国内生産に移行した初号機。個人的には世界最高のツーリングマシンだと思っている」
と折江は言っている。
 
「ハーレーですか?と言われなかったね」
と飛鳥が笑って言っている。
 
「へ?」
 
「そうなのよ。これに乗ってて道の駅とかに駐めると、人が寄ってくるんだけどさ、『凄いハーレーですね』と言われるのよ」
と折江。
 
「それ、大型バイク=ハーレーダビッドソンと思っている人たちでは?」
と青葉が言う。
 
「そうそう。そういう層がいるみたいなのよね」
 
先日バイクのこと勉強してゴールドウィングのことも知ってて良かった!と青葉は思った。
 

このゴールドウィングに予備のヘルメットも用意されていたので、それを飛鳥が借りてGL1800に同乗。青葉のYZF-R25がそれに続く形で、亡くなった穴川さんのご自宅まで行った。
 
「こんにちは〜。恵子ちゃん、いる〜?」
などと言いながら、勝手に上がり込んでいる!
 
いいのか?と思いながら青葉もそれに続いた。台所で慌てて水を停めてこちらに出てきたのは40代くらいの女性である。
 
「お邪魔します」
と青葉は挨拶した。
 
「取り敢えずお線香あげていい?」
と飛鳥。
「はい、どうぞ。お願いします」
と言って、恵子と呼ばれた女性は3人を仏間に案内した。
 
折江が香典の袋を置き、ロウソクに火を点け、線香を3本取ってロウソクの火に当てて線香に火を点ける。手で扇いで火を消し、線香立てに立てる。鈴(りん)をチーンと鳴らして合掌する。飛鳥と青葉もそれに合わせて合掌した。
 
あ・・・。
 
その瞬間、青葉はこの事件解決の大きなヒントを得たのであった。
 

居間の方に移る。恵子さんがお茶を入れてくれた。娘さん2人は今図書館に行っているらしい。この家に初顔である青葉を飛鳥が紹介する。
 
「こちら凄腕の霊能者の先生で川上さん。実は春頃からこの町で起きている幽霊バイクの件を調べておられるんですかよ」
と飛鳥が言うと、恵子の顔がこわばる。
 
「恵子ちゃんが警戒するのは無理もないと思うけど、川上先生はまだニュートラルの状態のようなんだ。だから、私たちでちょっとこの件を話し合わない?」
 
「取り敢えず話をお伺いしたいですし、私の分かる範囲のことでしたら、お答えすることもできると思います」
と恵子は言った。
 
「それで話を始める前に、隆守が乗っていたバイクをちょっと見せてもらえない?」
「いいですよ」
 
それで全員でガレージに見に行く。ガレージにはトヨタ・ウィッシュが置かれているが、その後方に大型のバイクが置かれている。青葉は傍に寄らせてもらって、その青いボディのバイクをじっくり観察した。
 
「きれいなバイクですね」
と青葉は言った。
 
「あの人、乗っている時間よりこのバイクを磨いたりメンテしたりしている時間のほうが長かったと思います」
と恵子。
 
「プログラマーなんて忙しいから、だいたい常時寝不足だし。寝不足状態では絶対に乗らないと決めていたからさ、あいつ。だから乗りたくても乗れなかったんだよ」
と折江が言う。
 
「だからそれ走行距離も大したことないと思う」
「オドメーター見ていいですか?」
「はい。ちょっと待って下さい」
と言って恵子はバイクのキーを取ってきた。飛鳥がキーを借りてエンジンを掛ける。それで情報ディスプレイにオドメーターを表示させた。
 
「51961kmか」
「このバイクはいつ購入なさったんですか?」
「2008年だったと思う。新車で買っている」
「じゃ8年間で5万kmですか」
 
「私なんか年間3万km走っているのに」
などと折江が言う。
 
「恵子ちゃん、このバイクどうするの?」
「最初は1周忌まで取っておいて、そのあと処分しようかと思っていたんです。ところが今、娘の学資が厳しくて」
 
「ああ、大学入試だもんな」
「奨学金は受ける方向で申し込みなどもしたのですが、入学時にどうしてもある程度の現金を用意しないといけないんですよ。それで奨学金は入学した後にしか出ないし」
 
「じゃ、このバイクを売ってその資金を作る?」
「そうしようかと思って、バイク屋さんに来て見積もりしてもらったのですが、35万くらいにしかならないと言われて」
「あぁ・・・」
「それでちょっと保留にしているんです」
「その程度じゃ足りないんでしょ?」
「そうなんですよ。どうしても150万くらい来年の2月か3月の時点で必要で」
 
「このバイクの定価はいくらくらいですか?」
「160万くらいだったと思う」
「しかし8年経っているからなあ」
「年式が古いことで評価が低くなるんだろうね」
「メンテがいいから、実際には2〜3年乗ったバイク並みだと思うんだけどね」
 

居間に戻る。恵子さんはお煎餅を出して来た。それを頂く。
 
飛鳥が状況を解説する。
 
「この春の祭で隆守が亡くなった。そしてその祭の終わった直後くらいから幽霊オートバイの怪異が始まっている。それで、この町の中には、あの幽霊バイクの正体は隆守なんじゃないかと噂している人がある。みんな隆守がバイク好きで大型のバイクに乗ってたのを知ってるからさ。でも私はそれはあり得ないと思っている」
 
と飛鳥は言った。
 
「隆守はそもそもこの町に溶け込んでいたし、祭をとても楽しみにしていた。燈籠の絵を描くのも好きで、腕力が無いから、普段の年は舁き手には参加していなかったけど裏方の仕事とかで協力していた。元々女性の中に溶け込める性格だから、炊き出しにも参加してたよ。そんなに祭を楽しんでいた奴が、祭で死んだからと言って幽霊になって暴れたりする訳が無いんだよ」
と飛鳥は熱く語る。
 
「今年はなぜ舁き手になられたんですか?」
と青葉は尋ねる。
 
「それが今年は人手が少なくてさ。特にここの町では、予定していた若い衆で祭の1日目に間に合わない奴が多くて、それで1日目だけでもいいからと言われて、もう引退していたような年寄りも結構駆り出されたんだよ。それであいつも微力ながら参加したんだと思う。実際1日目の舁き手には女性も5-6人入っていた」
 
「隆守も女のカウントだったりしてね」
と折江。
「うん。そういう気もするよ」
と飛鳥。
 
「そういう舁き手構成だったから、ふらついたとか?」
と青葉は訊く。
 
「うん。根本的な原因はそこだと思うんだよ」
と飛鳥は言う。
 

「それともうひとつはバイクの問題がある」
「はい?」
 
「あいつが乗っていたバイクは今見てもらった通り、ヤマハのツアラータイプFJR1300。それに対して幽霊バイク野郎が乗っているのは、ホンダのクルーザータイプのシャドウ。あいつがシャドウに乗る訳がないんだよ」
と飛鳥が言う。
 
「すみません。今のお話、もう少し詳しく教えて頂けませんか?」
 
「まずメーカーの話をした方がいい」
と折江が言う。
 
「まず隆守は若い頃からヤマハのファンだったんだよ。最初に乗ったのがヤマハのジョグ(50cc)だった。その後、確かTZR250R, TDM900, そしてこのFJR1300と乗り換えてきた。ひたすらヤマハに乗っていた隆守がなにが悲しくて死んだ後ホンダに乗らないといけないのか?」
と飛鳥が言うと
 
「なんかホンダ好きな奴に喧嘩売ってるような言い方なんだけど」
と折江が言っている。
 
「それともうひとつバイクのタイプの問題がある。あいつは一貫して取り回しのしやすいバイクを選んでいるんだよ。以前乗ってたバイクもだいたい機動性が高くて乗りやすいタイプ。FJR1300にしても、ひとつ前に乗っていたTDM900にしてもツアラー。それに対してシャドウはクルーザー。好みが違うんだよ」
と飛鳥は説明するが、青葉には理解できない。
 
「このお嬢さんはそのバイクのタイプというのが分かっていないようだ」
と折江が言っている。
 
「えっとね。基本的にオンロードバイク、路上を走るのに特化したバイクには主として、スーパースポーツ型、ツアラー型、クルーザー型、ストリート型、そしてネイキッドというのがある」
と飛鳥は言う。
 
「まずネイキッドというのは、カウルといってバイク全体を覆うようなカバーが全く付いてないタイプ。いわばバイクの原型だね。スーパースポーツ型というのはオートレース用に開発されたマシンをそのまま一般道でも走れるようにしたような感じのもので昔はレーサーレプリカと言っていた。ストリート型というのは市街地などの走行に適したもの」
 
「そしてツアラーというのはツーリングなど長時間の走行で疲れないタイプ。隆守のFJR1300とか、スズキのパンディッド1200Sとか、ホンダならVFR1200Fとか、あとカワサキのNinja ZZR1400もこれに入れていいかな。まあそういうマシン。基本的に身体を起こした状態で乗ることができるし、ボディが大きいわりに小回りが利く。これに対してクルーザーあるいはアメリカンというのはアメリカによくあるひたすら直線が続くような道で安定して走れるように設計されたバイクで、旋回性を犠牲にして直進の安定性を取っている。概して車高が低いこともあって、細長いバイクという感じになる。ツアラーも結構身体を起こした状態で乗るけど、クルーザーはほぼ直立状態で乗る」
 
と飛鳥はまだまだ説明が続きそうだったが、青葉は途中で打ち切らせてもらった。
 
「要するに、隆守さんの好みじゃないんですね?」
 
「そういうことなのよ」
と飛鳥は言った。
 
「それで隆守が幽霊バイクの幽霊のはずがないということ納得してもらった?」
と飛鳥は訊くが、青葉としてはまだ判断が出来ない。
 
「お話は承りましたので、色々総合的に判断させて下さい」
と言って、この場での結論は回避させてもらった。
 
 
 
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