【春秋】(2)

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8時半頃、風花が昨日の内に借りていたプリウスαを運転して女満別空港にケイとマリを迎えに行った。少し遅れて、千里や青葉たち、チェリーツインのメンバーも数台の車に分乗して網走市内のスタジオに向かう。10時前にケイたちが到着して『赤い玉・白い玉』の制作を始めた。
 
スコアは既に1週間前に演奏者全員に配られており、みんな練習しているので合わせると1発で合う。取り敢えずそれを録音したものを聴いて検討する。
 
なお、今回は青葉・千里・天津子・七美花と“破壊力”のあるメンツが4人もそろっているので、録音用の機器などが壊れたり、窓ガラスが割れたりするが、気にしない! 録音を担当するケイの友人・有咲は平然として破損した電子チップやスピーカーを交換するし、ガラス屋さんまで待機していて、すぐにガラスを交換する。割れたガラスは助手の近藤妃美貴さんが掃除機を掛けて片付ける。ケイたちと一緒に飛んできた、ローズ+リリー専任ドライバーの佐良さんも「これ凄いですね」と驚いていた。
 
かなり難しい曲であったにも関わらず、お昼過ぎには演奏部分が完成した。そして午後からは歌唱の収録に入る。伴奏者はみんな暇なので、おやつを食べたりして、音楽談義をしている。
 
ただしその間、千里・青葉・天津子の3人は別室に入り、これまでにお互いが得た情報を交換し、例の問題について議論した(今日明日はスタジオ全体を丸ごと借りている。そうしないと他の利用者に迷惑が掛かる可能性があるからである)。この結果、これまで3人があるいはと考えていたことが、事実として認定された。また、一連の問題で最も根本的なものについても、お互いが想像した内容を突き合わせた。3人の想像が一致したことから、証拠は無いものの、多分そういうことであったろうと意見がまとまった。
 
録音の方はマリの歌も4時前には完成し、ケイの歌と合わせて、伴奏に乗せ、『赤い玉・白い玉』の録音は完成した。
 
一応2日間の予定だったのだが、案外簡単に済んだね〜と言いながら撤収。牧場に引き上げることにする。スタジオも明日まで借りていたのだが、もしかしたら明日は来ないかもとスタジオの人には言って出る。念のためキャンセルはせずに、明日いっぱいスタジオ丸ごとリザーブしておくことにする。
 

牧場に戻り、少しした所で、枝幸町に住む真枝亜記宏が到着する。
 
亜記宏は物凄く可愛いチュニックに女子大生でも穿きそうなまた可愛いプリーツスカートを穿いていて、春美が顔をしかめていたが
 
「ごめん。僕の男物の服無い?」
などと言って、出してもらい着換えていた。
 
しかし、あの服でここまでドライブしてきたのか?途中でのトイレとかどうしたんだ???
 
それで春美、亜記宏、千里、青葉、天津子の5人はE棟の千里と青葉が泊まっている部屋に入り、春美から依頼されていた問題について報告をすることにした。食事をしながらが良いだろうということで、この5人の分の食事をこちらの部屋に用意してもらっていた。
 
お酒もあった方がいいということで、富良野ワインと網走ビールも用意してもらっている。春美と亜記宏には最初からビールを1本くらい飲むことを勧めた。2人にとって結構シビアな話し合いになることが予想されるからである。
 

少しお腹が満ちた所で、青葉が説明を始めた。
 
「私たちの疑問の出発点は、多津美ちゃんと織羽ちゃんが、あまりにも似ているということだったんです」
 
■戸籍上の関係
 

 
■遺伝子上の関係
 

 
「実際には、織羽ちゃんと多津美ちゃんは、どちらも有稀子さんを遺伝子上の母とする子供なので、似てておかしいことはないのですが、ふたりはまるで双子のように似ている。父違いの姉妹とは思えなかったんです」
 
「それで私たちは関係者の血液型を調べさせて頂きました。これがこの結果です」
と言って青葉は血液型を書き込んだ系図を見せる。
 

 
「理香子ちゃん、しずかちゃん、織羽ちゃん、多津美ちゃんはいづれも不妊治療で生まれているので、血液型が明確です。理香子ちゃんたちを妊娠した実音子さん、多津美ちゃんを妊娠した有稀子さんもきちんと血液型が調べられています。実音子さんは交通事故で半年にわたって入院した時に輸血の血液の確保に苦労したそうです。ただこの時、亜記宏さんも同じRH-B型だったので、かなり大量に血液を提供したらしいです。そういう訳で亜記宏さんの血液型も間違いありません。春美さんは献血の常連さんで献血カードの持ち主で、春美さんの血液型もRH+ABで間違い無いです」
 
「洲真子さんは長期間施設に入っていたので、血液型が記録に残っていてRH-AB型は間違いないのですが、騨亥介さんの血液型については誰も知りませんでした」
と言って青葉は一度言葉を切る。
 
「ところが、今回調査していてあらためて有稀子さんに照会した所、何か資料が残ってないか調べて下さいまして。すると騨亥介さんの遺品の中から古い献血手帳が見つかりました。それで騨亥介さんはRH-AB型であったことが確認されました」
と言って青葉は系図の騨亥介の所にRH-ABと書き加える。
 
「2000人に1人しか居ないと言われるRH-ABがこんなに居るなんて」
「凄いですね」
 
「あれ?」
と亜記宏が声を挙げる。
 
「駆志男さんの血液型が変なのでは?」
 
「そうなんです。騨亥介さんも洲真子さんもRH-であった以上、駆志男さんが2人の間の子供であれば、彼もRH-でなければおかしいです」
 
「RH+B型というのは、医療機関か血液センターで調べたものですか?」
「それが、本人がRH+B型だと、周囲に言っていたらしいのですが、どこで確認したものかは分からないようです。有稀子さんも本人がそう言っていたのでそれを信じていたということなのですが」
 
「少なくともRH型は違いますね。あっ・・・・。それなら多津美の血液型もおかしい」
 
「そうなんです。有稀子さんがRH-、駆志男さんも今回の推論からRH-であるなら多津美ちゃんもRH-であるはずです。ところが多津美ちゃんはRH+なんです」
 
「そういうわけで2つの結論が導かれます」
と千里が言う。
 
「駆志男さんが騨亥介・洲真子夫妻の子供であるなら、血液型RH-であるはず。そして多津美ちゃんは駆志男さんの子供ではない」
 

ここで春美が発言した。
 
「前からひょっとしてと思っていたのですが、多津美はもしかしたら私の子供なんでしょうか?」
 
「その可能性が高いと思います。だから織羽ちゃんと多津美ちゃんは、同父同母の姉妹だから、双子のように似ているのだと思います」
と青葉。
 

「それから、これは亜記宏さんは認識しておられたと思うのですが、理香子・しずか・織羽を産んだのは実音子さんじゃないですよね?」
と青葉が言うと
 
「え〜〜!?」
と春美が声を挙げる。
 
亜記宏は疲れたような顔で頷いた。
 
「どうして分かりました?」
「3人の誕生日ですよ」
と青葉は言った。
 
「理香子ちゃんの誕生日は2002年11月21日、しずかちゃんは2003年9月24日。間隔が307日しかない。しずかちゃんが予定日通り産まれたとしたら受精したのは、2003年1月6日になります。出産して2ヶ月も経たない内に次の体外受精をやるなんて、あり得ない。更に織羽ちゃんの誕生日は2004年6月18日。しずかちゃんとの日数差は268日。逆算すると受精日は2003年9月26日です。しずかちゃんが生まれた2日後。こんなの物理的に不可能ですよ」
 
「全然気付かなかった。それどうなってるの?」
と春美が訊く。
 
こういう問題に全く気付かないのは、のんきな春美らしい。
 
「代理母ですよね?」
と青葉は訊いた。
 
「そうです」
と亜記宏はため息をつくように言った。
 

「これ明らかになると、法的な問題も出てくるので、内緒にしてください。僕と実音子は2001年夏に結婚したのですが、僕が彼女と婚約した2000年暮以降、ぼくは全然立たなくなってしまって。それで実音子も『人工授精すれば問題無いよ』と言っていました。当時、勃起はしなくても、刺激すれば射精はしたので。ただ、この時点で実音子が実は閉経しているという話を聞きました。更に僕の精液は調べてみると精子が含まれていないことが分かった。それで生殖細胞を借りることになった」
 
そのあたりは過去に亜記宏が春美たちに説明していた内容である。
 
「ところが、借りた精子と卵子から作った胚を実際に実音子の子宮に投入しても全く育たなかった。仕方ないので人工流産させたのですが、実音子はRH-なので、次に妊娠した時に血液型不適合によるアナフィラキシーショックを起こさないように、ガンマグロブリン注射をしました。ところが、この注射自体でショック症状を起こしまして」
 
「うわぁ」
「これはマジで危なかったんですよ。それでもう妊娠するのは無理だということになって・・・・」
 
「それで代理母を使うことにしたんですね?」
「はい」
 
と言って亜記宏は小さく頷いた。
 

「ただ、現在国内では代理母の法制度ができていないので、治療を行った医師が処分される可能性もあるし、子供はいったん代理母さんの子供として戸籍に登録され、その後、特別養子縁組でこちらの子供にしなければならない。その法的な手続きもひじょうに大変だということでした。それで内緒で実行することにしたんですよ」
と亜記宏は説明する。
 
「ということは、結局、理香子・しずか・織羽は、実音子さんの遺伝子上の子でもなければ、自分が産んだ子でも無かったのか・・・」
 
と春美が厳しい顔で言う。
 
「僕たちは当時、その精子と卵子が誰の物かというのも説明されてなかったけど、結局、第三者の精子と第三者の卵子を使い、代理母さんが産む。僕も実音子も、あの3人の誕生には全く関係無い」
 
「うーん・・・・」
 
「要するにほとんど普通の養子に近いよね」
と天津子が言った。
 
「それも実音子が、あの3人に愛情をもてなかった原因かも知れません」
と亜記宏は言う。
 
「アキはちゃんとあの3人を最初から愛してた?」
 
「もちろん。そもそも男って『あなたが父親よ』と女から言われたらそれを信じるしかない存在なんだよ。だから、これは自分の子供、といったん思えば、ちゃんと愛情を持てる仕組みになっているんだと思う」
 
「そのあたりは男と女の感覚の違いかもね」
と天津子が言った。
 
青葉はその問題は自分には分からない気がした。やはり私、根本的には女ではないのかなぁ、などとまで思ってしまう。
 

「当時、卵子は近々採取予定のものが数個確保できるという話だった。ところが、精子は冷凍のものが2個だけ残っていると言われた。それで卵子提供者がホルモン剤で調整して代理母さんの生理周期に合わせ、排卵直前の状態にした卵子を提供者の卵巣から取得する。これがこの時5個あったらしい。この卵子が入ったシャーレに、解凍した精液を流し込み、受精して分裂し始めるのを待った」
 
「実際にはこの1回目の5個の卵子が全て受精したものの、実際には4個だけが胚まで育ったので、2個を代理母さんの子宮に投入し、2個は冷凍保存したそうです。2個投入したものの1個だけが着床し、それで産まれたのが理香子だということでした」
 
「理香子が生まれて1ヶ月くらいした所で、次の子を作ろうと言って、冷凍保存していた2個の胚を別の代理母さんの子宮に投入しましたが1個はそもそも冷凍か解凍時に壊れてしまっていたようで、1個だけが着床し、それで産まれたのが、しずかです」
 
「そしてしずかが産まれてすぐに、次の体外受精を行いました。僕たちは子供は2人も居れば充分だからと言ったのですが、当時、母たちは有稀子さん自身が妊娠できなかった時のための《予備》の子供が必要だったんですね」
 
「この精子提供者の精子はこれが最後になるので、体外受精もこれが最後ということでした。卵子は7個採取して、やはり同様にシャーレの中に解凍した精液を流し込んで受精させました」
 

「それはタイミング的に2003年9月下旬ですよね?」
「そうです」
「もしかして十勝沖地震の時期ではありませんか?」
と青葉が訊くと、亜記宏は難しい顔をし、小さな声で言った。
 
「川上さん、織羽が性分化障害を起こしたことと、地震は関係あるでしょうか?」
「やはり、地震の時、胚を育てている最中だったんですね?」
 
「そうなんですよ。胚はシャーレの中で人工授精させてから5日ほど育てるのですが、その途中で十勝沖地震が起きました。その衝撃で7個の卵子の内3個が死んでしまったらしいんです」
 
2003年9月26日に十勝沖地震が起きて、北海道は大きな震度に見舞われている。実際にはこの時の人工授精を実施したのが9月24日、胚移植をしたのは29日らしい。
 
「じゃ残った胚も傷付いた可能性がある訳ですね」
「お医者さんを含めて誰にも言ったことが無かったのですが、個人的にはひょっとしてという思いはありました」
 

しばらく何も言っていなかった千里が発言する。
 
「今回出てきた仮説、多津美ちゃんも実は春美さんの子供なのではないかというのを説明するためには、多津美ちゃんはこの時、移植されずに冷凍保存された胚を織羽ちゃんが生まれた1年後に解凍して有稀子さんの子宮に投入したことになりますよね」
 
「そうなると思います」
と亜記宏は考えながら言った。
 
「その場合に疑問があるのは、障害のある子供が産まれた時と、一緒に人工授精させておいた胚を、よく使う気になったなという点なのですが」
と千里は指摘する。
 
この問題はみんな悩んだ。
 
「当時、この体外受精を主導していたうちの母と洲真子さんがふたりとも既に亡いので、実情は分かりませんけど、織羽は確かに性分化障害だけど、遺伝子には異常が無いので、だったら問題無いと考えた可能性はあります」
 
「なるほど」
 
「そして一方で、たぶん駆志男さんの精子では受精卵が育たないということがほぼ明確になって、有稀子さんの年齢の問題もあったから、この残っている胚を使っちゃおうという話になった可能性もあります」
 
「ああ」
 
2005年当時、有稀子は既に35歳である。多津美の妊娠はまさにラストチャンスに近かったであろう。
 
「でも性分化障害は織羽ちゃんが産まれた時に分かったと思うのですが、当時その子供の受け取り拒否みたいなトラブルは無かったんですか?」
と千里は尋ねる。
 
「私たちは代理母の契約をする時、産まれてくる子供がどんな状態であったとしても受け取り拒否しませんし、代理母さんには一切迷惑を掛けませんという契約書に署名していました。それに性別の曖昧な子の扱いには、あんた慣れているだろうから、何とかなるよとうちの母が私に言ったんですよ」
 
と亜記宏が言うと、春美は苦笑している。
 

「次に明らかにしておきたいのが、2007年のできごとです」
と天津子は言った。
 
「この年は実に様々なイベントが起きています。表にまとめてみました」
と言って、天津子はプリントした表を示す。
 
2007.04 交通事故で駆志男死亡・実音子入院。
2007.06 弓恵死亡。
2007.07 四十九日。亜記宏は稚内に修行に行く。
2007.08 春美の会社倒産。
2007.11 春美の自殺未遂
2007.11 実音子死亡
 
「イベントはこの後、2008年に食堂の爆発、騨亥介さんの自殺、洲真子さんの認知症発症、そして亜記宏さんと子供たちの逃避行開始と続きます。一連の出来事は、2009年2月初旬、織羽ちゃんが私に保護されたことでひととおり終了しますが、ここで片付いた背景には、織羽ちゃんが、実音子さんの描いた呪いの呪符を無効にしてしまったことがあることは、以前お話しした通りです」
 
と天津子は説明した。
 
「あれ?」
と亜記宏が表を見ながら言った。
 
「春美の自殺未遂と、実音子が亡くなったのって、同じ頃ですか?」
 
「その話をしようと思いました」
と天津子は言った。
 
「実音子さんが亡くなった日時は戸籍上に記録が残っています。11月12日の夕方17:52です。そして、春美さんが自殺未遂した日時なのですが」
と天津子は言葉を切って
 
「千里さんどうぞ」
と言った。
 
「春美さん、その日付は覚えておられないでしょう?」
 
「はい。後で訊かれたのですが、私自身記憶が無かったし、私を助けてくれた紅姉妹にしても、そういうの何かに記録しているような人じゃないし、私は最初の頃、ただここに滞在していただけなので、牧場にも記録が残ってないんですよ」
 
「春美さん、自殺未遂の直前にペニスの切断手術を受けましたよね?」
と千里は訊いた。
 
「あ、はい」
「それで退院する時に、同様の手術を受けようとしていた高校生に声を掛けましたでしょう?」
「あ、はい。それ私言ったの・・・かな?」
と春美はそれも不確かなようだが
 
「私が以前聞きましたよ」
と天津子が言っている。
 
「ああ、私ってホントに記憶が無い」
と春美。
 
「その声を掛けられたのが私の友人なんですよ」
と千里は言った。
 
「え〜〜!?」
 
「彼女はその手術を受けに行ったものの、春美さんに唆されて逃亡してしまった。手術を予約した日は彼女は手帳に書いていました。当時の手帳を探してもらい、おかげで日付が11月12日と確定しました」
 
春美も亜記宏も、厳しい目をしている。この2つの日付が同じ日だというのは偶然とは考えられない。
 
「春美さんは旭岳に登って、美しい山の景色を見ながらここで死のうと思ったということです。つまりこれは日没前なんです。当日の日没は16:09です。しかし大宅さんたちが駅員さんから不審な女性がいたと聞き、探しに行ったのはもう日が暮れた後だったそうです。当日の日暮れは16:48です。つまり春美さんが自殺しようとしたのは16:00頃で、おそらく17:00頃に救出されたものと考えられます」
 
と千里は説明した。
 

「もしかして、春美が自殺を図ったのは実音子の呪いで、実音子が死んだのは、春美が生還し呪いが失敗したので、その呪い返しにやられたとか?」
と亜記宏が言った。
 
天津子も青葉も千里もその質問には答えなかった。
 
「僕は春美が自殺を図ったというのに少し違和感を持っていたんです。こいつ自殺なんてものからはいちばん遠い存在だし」
と亜記宏が言うと
「私だって死にたくなることくらいあるよ、こういう浮気者を恋人に持ったら」
と春美が抗議している。
「ごめーん」
と亜記宏は謝っている。
 
「実音子さんは、おそらく自分の死期をだいたい悟っていたのだと思います」
と千里は言った。
 
一同が暗い顔をする。
 
「それで自分が死んでしまったら、きっと亜記宏さんは喜んで春美さんと再婚するんだろうと思った。結局自分が亜記宏さんと結婚している間も、亜記宏さんの気持ちはずっと春美さんに向いていた。実音子さんとしては、それがきっと許せない思いだったんでしょうね」
 
と千里は静かに語った。
 
場の雰囲気は、それ以上の説明を求めていないと青葉は感じ取った。
 
しかし・・・千里姉は自分のこと棚に上げているよなあとも思う。
 

「さて、ここまではまだ前哨戦です。いよいよ問題の核心に迫りたいと思います」
と天津子は言った。
 
「私たちは以前『ボタンの掛け違え』的に、亜記宏さんが実音子さんと急接近し、結果的に亜記宏さんと春美さんの関係が壊れてしまった経緯について話し合いました」
 
それはもう5年も前のことになる。あれ以降、天津子はずっとこの問題について考えていたものの、どうにも「パズル」がうまく組み立てられなかったのだと言った。
 
「それで亜記宏さんって、結局実音子さんとは1度しかセックスしてないんですよね?」
と天津子が言う。
 
「はい、そういうことになります。2001年1月6日のことです」
「それ本当にセックスしたの実音子さんでした?」
「え!?」
 
「例えばですね。部屋を暗くして、その間に別の女性と交替していたとか」
 
「え〜?そこまで疑われると自信ありません」
「実際、その1度しかセックスしたことがないのであれば、間違い無くその人だと断言するのは難しいかもね。比較のしようがないから」
と春美は言う。
 
「そしてもし本当にそれが実音子さんだとしてもですよ。間違い無くヴァギナに入れましたか?」
と天津子は訊く。
 
「え〜〜〜!?」
と亜記宏は思わぬ質問に声を挙げる。
 
「それも、そう言われたら、自信が無くなってくる・・・・」
「アキって、それまで女の子のヴァギナに入れた経験が無いよね?まあ、私以外にも昔から恋人がいたのなら分からないけど」
と春美が言う。
 
「春美以外では付き合った子はいない」
「つまりセックスしたのは実音子さんと1度、有稀子さんと3度以外は私としかしてないということかな?」
「うん」
 

「実はですね。私もあまり呪(のろ)いを掛ける類いの魔術には必ずしも詳しくなかったのですが、例の春美さんの写真の裏に書かれた呪符ですが、あれを最近になって呪い関係に詳しい人に見せたところ、あの呪符は性交の経験の無い人が書かないと効果が無いという話だったのですよ」
 
「へ?」
 
「ですから、あの呪符が効果を発揮していたということは、実音子さんは性交の経験が無かったとしか考えられないのです」
と天津子は言った。
 
「後ろ使っていてもアウトだよね?」
と千里が言う。
 
「うん。後ろはアウト。お口ならセーフ。すまたや脇の下もセーフ」
 
と天津子は言った。さすが千里さんはそのあたり詳しいなと天津子は思う。一方、青葉は、ちー姉っていつも素人を装うくせにこういう知識が凄すぎるんだよなあと思っていた。きっとちー姉は「表」も「裏」もかなりの経験を積んでいる、と青葉は思った。
 
しかし・・・タネを明かすと、実は千里は天津子の思考を無意識に読んだだけである!千里は実は無意識に他人の思考を読んでしまい、結果的に勝手に相手から「この人凄い」と思われている部分が大きい。
 

「あと、実音子さんの子宮に胚を投入したという話、それから育たなかった胚を人工流産させたという話、それは実際に亜記宏さんが見た話ですか?」
 
「あ、いえ。その時期、ちょうど僕はやむを得ぬ仕事上の急用で海外に出張していたので、本人と本人のお母さんから聞いたのですが・・・まさか」
 
「それも嘘という気がします」
と天津子は言う。
 
「私はですね。そもそも実音子さんが生物学的には女性ではなかったのではと考えているんですけどね」
と天津子が言うと
 
「え〜〜〜〜!??」
と亜記宏と春美が叫ぶ。
 

「だってぼくは実音子と法的に結婚しましたよ」
と亜記宏は言う。
 
「実音子さんの卒業アルバムを最近、ある筋から入手しました」
と言って、天津子はバッグの中から分厚い本を取り出した。
 
「実は実音子さんたちが育った町は1983年の日本海中部地震で甚大な被害を受けまして。それで実音子さん一家も新天地を求めて北海道**町に引っ越したのですが、その関係で卒業アルバムを持っていた人もひじょうに少なかったんですよ。他の町に移住した人も多かったし、その町に留まった人たちでも、みんなあの時の地震で失ったという話で。このアルバムもある方から一時的にお借りしたものです。後で返却します」
 
と天津子は言った。
 
今回の事件はやたらと地震に絡んでいるよなと青葉は思った。春美自身が北海道南西沖地震(1993)の被災者だ。織羽の性分化障碍は2003年十勝沖地震が原因である可能性がある。そして実音子たちは1983年日本海中部地震に遭っている。
 

天津子は
 
「これを見てください」
と言って卒業アルバムを開き、個人別の写真が並んでいるページの**実音子と書かれている写真を見せた。
 
「誰です?これ」
と亜記宏は戸惑うように言った。
 
「実音子さんと全然似てないんでしょ?」
「はい」
 
「むしろ駆志男さんに似てません?」
と天津子が言う。
「あれ?そういえば」
と亜記宏。
 
「どういうことですか?」
と春美が訊く。
 
「要するにですね。実音子さんと、駆志男さんは実は入れ替わっていたのではないかと」
 
「え〜〜〜!?」
 

「駆志男さんは男に生まれたけど女になりたかった。実音子さんは女に生まれたけど、男になりたかった。それである時点から入れ替わって生きて来た」
 
「じゃ・・・僕が結婚していたのは、実は駆志男さんなんですか?」
 
「ふたりとも性転換手術を受けていたのだと思います。ふたりは両親とともに秋田県の####で育っている。でも地震で大きな被害を受け、北海道に移住することにして、***町にラーメン屋を開いてそこで新しい生活を始めた。その時点で息子と娘は性別を入れ替えてしまった。やがて2人とも結婚するが、当初から体外受精・代理母を使うつもりだったのだと思います。一応、駆志男さんの精子、実音子さんの卵子は多分性転換手術前に冷凍保存しておいた」
 
「ちょっと待って。それだと過去の議論が全部ひっくり返る」
と春美が言う。
 
「だから、有稀子さんと駆志男さん=元・実音子さんとの不妊治療は実音子として生きている駆志男さんの精液で始めた。もしかしたらこの時点ではまだ駆志男さんは性転換手術をしていなくて、生の精液が提供できたのかも知れません」
 
「物凄い回数、人工授精していると思うから、入れ替わっていたのなら、そうだと思います」
と亜記宏が言う。
 
「しかしやがて駆志男さんも性転換手術を受けて、精液のストックが少なくなっていく。それで尽きてしまった所で、ちょうど余っていた春美さんの精液を使った受精卵で有稀子さんは妊娠して出産に成功する。そもそも駆志男さんの精液の品質が悪かったんでしょうね」
と天津子は語る。
 
「たぶん女性ホルモンやっていたのでは?だから精子の品質が落ちてたんですよ。私の精液はまだ何もその手の治療をしてない高校生の時に採取したものだから、精子がまともだったんだと思う」
と春美。
 
「ありえますね」
 
「その場合、理香子やしずかを作った卵子は、駆志男になってしまった元実音子のものということはないんですか?」
と亜記宏が尋ねる。
 
「ふたりが入れ替わっていたのが事実であればですね。駆志男の名前で生きていた元実音子さんの血液型は実音子の名前で生きていた元駆志男さんの血液型と同じRH-Bと断定できます。亜記宏さんと実音子さんは不妊治療のため血液型を確認されていますよね?」
 
「あ、確かに」
「その場合、元実音子さんの卵子を使うには、その血液型を申告しておかなければ生まれて来た子供に矛盾が生じます。ですから、RH-B型と申告したということは、その卵子はRH-B型の人から提供されたもののはず。ところが実音子として生きていた駆志男さんは交通事故で入院し、この時、輸血の必要性から血液型が再確認されRH-Bということが判明している。だから、実音子・駆志男の兄妹はふたりともRH-Bだったと推定されるのです。しかも両親がRH-ABだからこれはRH-BBでなければなりません」
と天津子は説明した。
 
「だとすると、理香子の母親ではあり得ないですね」
 
実音子と駆志男はRH-ABとRH-ABの子供なのでB型とするとRH-BBであることになる。RH-BBの人がどういう血液型の人と結婚してもA型の理香子は生まれないのである。
 
「そうなります。理香子ちゃんとしずかちゃんが同時期に人工授精した受精卵から生まれた以上、ふたりとも元・実音子さんの子供ではないです」
 
「その卵子も問題があったのかもね」
と千里が言う。
 
「おそらくふたりとも生殖細胞に問題があって、結局有稀子さんの卵子と春美さんの精子を使うという線に辿り着いたんでしょうね」
と天津子は言った。
 

「ふたりが入れ替わっていたとすると、ホントに色々な前提がひっくり返ってしまいますよね」
と春美は再度悩むように言って左手を唇の所に当てている。
 
「ふたりが入れ替わって生きて行くことを決めた時から、生殖細胞をお互いに融通することにしていたのだと思います。ところがひょっとするとふたりともそれ以前にホルモンをやっていたせいか何かで、精子・卵子ともに品質がよくなく、人工授精がうまく行かなかった。それで結局、精子・卵子ともに他の人から借りることになってしまった」
と千里。
 
「その前提では、実音子さんが亜記宏さんを誘惑していた時点では実音子さんは多分まだ女の身体にはなっていなかったのではないかと思います。そうすると、亜記宏さんは別の身代わりの女性とセックスしたか、相手が実音子さんだったのなら、スマタなどのVもAも使わない方法でセックスしたとしか考えられません」
と天津子は言う。
 

「こういう前提に立った場合、実音子さんが、半分詐欺のような手段で亜記宏さんと結婚し、更に強引に子供を作ろうとした訳が分かるような気がするのです」
と青葉が言った。
 
「それは自分に子供を産む力が無いから。その絶対的な不利を少しでも克服するため、物凄く積極的に亜記宏さんを誘惑した。自分がちゃんと男性とセックスもできることも提示しておきたかった。ただ、亜記宏さんが立たなくなってしまったのは誤算だったのでしょうけど。そして子供を作ることで自分と亜記宏さんの関係を普通の男女の夫婦と同様の状態にしたかった」
と青葉は厳しい顔で言う。
 
これは青葉・千里・天津子の3人の結論なのだが、このことは青葉が自分に言わせてくれと言ったので言わせたのである。
 

しばらく誰も発言しなかった。千里が全員の前にワイングラスを配り、富良野ワインを注いだ。
 
少し「フッ」と息を抜くような音も出て、全員ワインを飲んだ。その後で春美が言った。
 
「私、今となっては、実音子さんを許してもいい気がしてきた」
 
春美はずっと実音子に対して怒りの感情を持っていたであろう。そしてそのことで、春美は亜記宏のことも許していなかったのではないかと、青葉たち3人は話していた。しかし結局実音子は春美と似たような立場だったのである。実音子が、春美も性転換者であることを知っていたかどうかは分からない。むしろ普通の女性だと思っていたからこそ、かなり大胆な手で、亜記宏を奪い取ったのではなかろうか。
 

「じゃ、春美さん、実音子さんを許してあげる?そして亜記宏さんも許してあげる?」
と千里が訊いた。
 
「うん。そういう気分になっちゃった」
 
「だったらここに、実音子さんと亜記宏さんを許す、桃川春美って書いて」
と言って千里は春美に便せんと筆ペンを渡す。
 
「何だろう?でもいいよ。私そう書く」
と苦笑しながら言って春美はそこに確かにふたりを許すということばを書き、自分の名前を《真枝春美》と署名した。
 
すると青葉と天津子と千里がパチパチパチと拍手をした。
 
「何ですか!?」
春美も亜記宏も戸惑っている。
 
「これで亜記宏さんの男性機能は復活すると思います」
「え〜〜〜〜!?」
 

「つまりですね。亜記宏さんの男性器が立たなくなったのは、亜記宏さん自身が、春美さんという恋人がいるのに、別の女性・実音子さんとセックスしてしまった罪悪感から来た、自己暗示が中心なんですよ」
と青葉は説明する。
 
「亜記宏さんがそもそも自己暗示を掛けてしまい、それに春美さんの不満が重なる形になった。だから亜記宏さんの自己暗示に加えて、春美さんが無意識に掛けた『あの浮気者、許さないんだから』といった思いも作用して、ずっと亜記宏さんの性器は機能停止していたんです。有稀子さんとセックスできたのは、それは呪いの対象じゃないからですよ」
と青葉は説明した。
 
「ですから・・・」
と言って青葉はニコッと笑う。
 
「今春美さんは亜記宏さんを許しましたから、春美さんの暗示は消えました。そして春美さんに許されたという気持ちから亜記宏さんの自己暗示も消えました。ですから、今夜おふたりはちゃんとセックスできるはずです」
 
思わず亜記宏と春美はお互いの顔を見た。
 
「なんでしたら、今から確かめてもいいですよ。私たち席を外しますし」
「いえ後で確かめます!」
とふたりは焦ったように返事をした。
 

3人の分析は更に細かい点に及んでいった。2001年1月6日の夜の出来事については色々な解釈があるものの、千里は「たぶん灯りを消した所で別の女性と交替したのだと思う」と言った。
 
「でもそんなデートのセックス部分だけを代行してくれる人がいます?友だちから頼まれても私なら絶対断りますよ」
と春美は言う。
 
「ですから友だち以上の人でないとあり得ません。私はそれは駆志男として生きていた、元の実音子さんだと思います」
と千里は言った。
 
「あぁ・・・・」
「それならあり得る気がする」
 
「ということは、私が初めてセックスした相手こそが本来の実音子だったと」
「まあ私の想像ですけどね」
 
千里の「想像」というのは実際にはチャネリングで得られたものだろう、と青葉は思っている。今回の事件の解決にあたっては、多くのヒントを千里の「想像」から得ている。真相を知っていそうな関係者がほとんど死んでしまっているので、尋常な方法では真相を追究できないのである。
 

ある程度話が進んだところで唐突に春美は言った。
 
「私、今日録音した『赤い玉・白い玉』を録音し直したい」
 
「え!?」
と今度は青葉が驚く番であった。
 
驚いてしまってから、青葉はハッとして天津子と千里を見る。ふたりともポーカーフェイスである。くっそー!私はまだ修行がなってない!!
 
「物事に対する意欲が高まってきたでしょ?」
と千里が言う。
「はい。もっともっと頑張れそうな気がする」
 
「じゃ、その件だけでも、ケイさんたちに言いに行きましょう。向こうも準備が必要なはずです」
 
「そうしましょう」
 

それで5人はE棟を出るとケイたちがいると思われるA棟へ向かった。春美か゜『赤い玉・白い玉』の録り直しを提案すると、ケイは「え〜〜〜!?」と言って驚いていた。
 
しかし春美がその趣旨を説明すると、七星さんなどはその方針に理解を示した。一方で大宅などは難しすぎるとして反対した。議論は10分以上に及んだが、最後はケイの決断で録り直しが決定。大宅と秋月は少し練習するといい、ケイは今のメンツだけでは演奏者が足りないとして、スターキッズの近藤と鷹野を呼び出した。2人は明日朝1番の飛行機で女満別に飛んできてくれることになった。八雲と陽子がスコアの調整をしてくれることになった。
 
曲の録り直しは翌朝から行われた。新しいアレンジでギターやベースが二重化されたので、楽器の担当はこのようになった。
 
■洋楽器セクション
Gt.秋月義高(紅ゆたか)+近藤嶺児 B.大宅夏音(紅さやか)+鷹野繁樹 Dr.桃川春美 Pf.古城美野里 Vn.鈴木真知子+ケイ Fl.秋乃風花+村山千里 AltoSax. 近藤七星・今田七美花 SopSax.鮎川ゆま
 
■和楽器セクション
笙.今田七美花(若山鶴海) 龍笛.村山千里・川上青葉・海藤天津子 篠笛 秋乃風花
 
■ボーカル
MainVocal ケイ・マリ Chorus 桜木八雲(少女Y)・桜川陽子(少女X)
応援! 気良星子・気良虹子 鑑賞! 真枝しずか・真枝織羽
 
洋楽器部分と和楽器部分を別録りすることにして、一部の楽器を兼任することにした。最初ギターとベースだけ二重化の予定だったのだが、ヴァイオリン、フルート、アルトサックスも二重化した方がよいという結論になり、このような編成がまとまった。ここまでに2時間ほど試行錯誤をしている。
 

二重化する楽器は同じ物を使用しなければならない。ギターとベースは秋月と近藤、大宅と鷹野の話し合いで、いづれもレスポールを使用することにした。ヴァイオリンは普通のヴァイオリンでは個性が強すぎるので、ヤマハの電気ヴァイオリンSV250を使用することにした。
 
ところがフルートで少しトラブった。
 
そもそもフルートのレンタルというのは、楽器の性質上、あまり無い。しかし昨夜の段階では、★★レコードの札幌支店の担当者が、こちらからのムラマツDSが1本借りられないかという照会に対して、用意しますと回答していた。DSは風花の愛用楽器で、同じ楽器を千里が使えば、というケイの計画であった。
 
ところが、25日の昼前に支店の若い人が網走に持って来てくれた楽器の中にムラマツDSが入ってない。それで尋ねると
「すみません。どうしてもムラマツDSのレンタルができなかったらしいんです」
と言う。
 
「困るよ。そういうのはもっと早い段階で言ってもらわなくちゃ」
と氷川さんが怒っている。
「すみません」
と若い人は謝っているが、この人はお使いだけだろうから、この人に怒ってもどうにもならない。
 

千里が言った。
 
「ギターとかは同じ楽器を使えば確かに似た音が出る。でも既にヴァイオリンとかでも、同じ楽器を使っても人によってかなり音が変わるよね」
 
「それは確かにそうだ」
とケイ。
 
「フルートだと、その違いが極端だと思う。同じ楽器使っても、プロの風花と素人の私ではそもそも同じ音にはならない」
 
「・・・するとこの編曲の前提が割と崩れるんだけど」
とケイは困ったような顔で言う。
 
「だから、少し編曲変えようよ」
 
と言うと、千里はスコア譜のフルート1,2のパートの所に赤いマーカーと黄色いマーカーで色を塗り始めた。
 
「この赤い所が秋乃さんのパート、黄色い所が私のパートというのでどうよ?」
 
「え〜〜〜!?」
と風花は言っているが、ケイはその色分けされたスコアを5分くらい見つめてから言った。
 
「こちらの方がうまく行く。でももう少し調整させて」
と言って、千里からマーカーを借りると、少し微妙な組み替えをした。
 
「ああ、その方がいい」
と千里も言っている。
 
「だったらヴァイオリンも同様に変えた方がいいかもね」
と七星さんが言う。
 
「ヴァイオリンの所はこうしようよ」
と言って、ケイはやはり赤と黄のマーカーで色分けしてしまう。
 
「赤が真知子ちゃん、黄色が私でいい?」
とケイ。
「まあ上手い人が赤を弾いた方がいいね」
と千里。
 
「私よりケイさんの方が上手いですよ!」
と真知子は言うが
「情緒性はケイがあるけど、技術は鈴木さんの方がある」
と千里が言う。
 
「はっきり言ってくれるなあ」
とケイは苦笑していた。
 
「ギターとベースのパート分けはどうしましょう? こういう感じに再編しますか?」
とケイがギターとベース担当の4人に尋ねた。
 
「だったら少し修正させて」
と近藤が言い、マーカーを借りて、ギターとベースのパート分けの調整をした。鷹野も頷いている。
 
「確かにその方が自然な流れになりますね」
「同じ楽器を使っても完全に同じ音が出る訳じゃ無いから『砂漠の薔薇』のような実験曲とは違うし、こういうパート分けの方が自然な演奏になると思う」
と近藤も言った。
 
「これならライブでの演奏もできるよ」
「うん。行ける行ける。最初のスコアではライブ演奏は厳しかった」
 

そういう訳で、二重化する楽器は必ずしも完全に同じものを使わなくても何とかなることにはなったものの、話し合いの結果、やはりギターとベースは同じ楽器で弾こうということになる。ヴァイオリンに関しては各々の自分の楽器に戻すことにした。真知子は愛用の《Monica》(1500万円の19世紀の楽器)、ケイも愛用の《Angela》(6000万円の18世紀の楽器)を使用する。但し弦は同じ物を使うことにした(プロユースのナイロン弦として標準的なドミナントを使用)。弦の予備はそもそも大量に持って来ているので、即張り替えた。
 
そしてフルートも風花と千里が各々の愛用楽器を使うことにする。風花の楽器は問題のムラマツDS (Ag925 inline ring-key E-mecha Drawn 695,000円)である。そして千里が取り出した楽器を見て、青葉は「え!?」と声を出した。
 
「その楽器は見てない」
「この楽器は音源制作の時だけ使うんだよ。デリケートな楽器だから、ライブとかには持ち出さない。だから青葉は見たこと無かったかもね」
 
「ちょっと貸してください」
と七星さんが言うので、千里が手渡している。
 
「こんな良い楽器を持っていたんだ?」
「それ何?」
とケイが尋ねるので、七星さんが解説した。
「サンキョウのAg950-ST inline ring-key new-E-mecha Soldered 確か90万円くらい」
 
こないだ千里が見せたArtistなら55万円くらいである。
 
「千里、ソルダードのフルートも持ってたんだ?」
とケイが驚いている。
 
「音源制作専用だよ。以前は同じシリーズのAg925のSTモデル使っていたんだけどね。こちらAg950の方が音の広がりがいいから最近こちらに変えた」
 
「以前から使ってたっけ?」
「これ、ケイの前でも何度か使っているけど、ケイはたぶん楽器の種類にはわりと無頓着」
 
「うん、実はそうかも」
とケイも認めている。
 
「だけど、千里さん、こないだ青葉ちゃんのフルート選びの時はそれ見せなかったのね?」
と七星さんが言う。
 
「まあ、青葉にソルダードが吹きこなせる訳無いと思ったし、自分のメイン楽器は妹といえどもあまり人に貸したくない」
と千里は言っている。
 
「うんうん。それある。だから私もあの時、自分の楽器は持ってこなかった」
と七星さんは言っていた。
 
うーん。。。自分は結構見くびられているようだと青葉は思ったが、それは実際プロのレベルには遠いんだから、そう見られても仕方ない、と青葉は考えた。
 
「ちなみに千里ちゃん、金のフルートは持ってないの?」
「さすがに高すぎますよ」
 
金のフルートは銀のフルートの10倍の値段がする。
 
「うん。ほんとに高いよね。私もサマーガールズ出版で買ってもらったのを貸与してもらっているけど」
と七星さんは言っていた。
 

実際には千里は風花がムラマツDSで吹いたのと、似たような雰囲気の音を自分のサンキョウAg950(ST)で出してみせた。メーカーも違うし、材質も違うし、ドローンとソルダードも違うのに似た感じにしてみせる、というのはそれがひとつの「芸」という感じである。
 
「村山さんの吹き方が、俺たちに何をしなければならないかというのを教えてくれた」
と近藤さんが言い、鷹野さんも頷いた。
 
それで近藤さん・鷹野さんは秋月さん・大宅さんが出す音にひじょうに近い感じの音を出してみせたのである。
 
これでこの曲はとても統一感のある演奏にまとまった。
 

「ヴァイオリンだけは2つ使っているのがよく分かるなあ」
と鷹野さんが収録された演奏を聴きながら言っている。
 
「ごめーん。そういう合わせるのって、わりと苦手かも」
とケイ。
「ケイはまあトゥッティ奏者にはなれない」
と鷹野さん。
「それは中学生の頃から言われた」
と本人。
 
「ごめんなさい。私がケイさんの弾き方に合わせるべきですよね」
と真知子が言っているが
 
「気にしない気にしない。真知子ちゃんがメイン奏者なんだから、真知子ちゃんはフルパワーの演奏をすべき。それに合わせられないケイが悪い」
と七星さんは言っていた。
 

その会話を聞きながら青葉は考えていた。近藤さんや鷹野さんがきちんと秋月さん・大宅さんの演奏に合わせられたのは近藤さん・鷹野さんの技術がとても高いからではないか?
 
上から下は見えるが、下から上は見えない。
 
昔、師匠からそんなことを言われたことを青葉は思い出していた。ケイさんが真知子ちゃんの演奏に合わせきれないのは、真知子ちゃんの方が遙かにうまいので、技術的に追いつけないからだ。
 
ということは。。。。
 
ちー姉のフルートの技術って、音大の管楽器科を出ている秋乃さんより上ってこと!??
 

『赤い玉・白い玉』の録り直しが終わった後で、青葉・千里・天津子は今後のことについて、軽く打合せをしておいた。
 
実は今回の「解決」内容として3人が想定していたストーリーは実は複数あったのだが、それを春美と亜記宏の反応を見ながら、選択と微調整をしたのであった。それでいくつか没と決まったストーリーについても確認した。
 
「じゃ、亜記宏さんが立たなくなったのは、そもそも春美さんが意識して掛けていた呪いのせいという説はボツで」
 
「春美さんの表情を見ていて、ああ、この人は人を恨むような人ではないと思ったよ」
 
「亜記宏さんに精子が無かったのは、亜記宏さんが実はFTMで元女だからという説もボツで」
「結果的に、4人の子供を作った卵子は実は亜記宏さんの女性時代のものという説もボツで」
 
「どうも亜記宏さんのおちんちんは以前はちゃんと立っていたみたいだからね」
「春美さんわりとウブだし、ぼんやりさんだから、偽物のおちんちんでも誤魔化されそうでもあるけどね」
「実際昨夜はちゃんとあのふたり夫婦になれたみたいだし」
「朝の2人の顔が物凄く充実していたので分かった」
「それからすると、亜記宏さんのおちんちんは本物と考えた方が良さそうだもんね」
 

「織羽と多津美が本当に一卵性双生児なのでは?という話はどうする?」
「地震が生み出した、時間差一卵性双生児という説だよね」
 
つまりシャーレの中で培養中だった受精卵が、地震のショックで分裂し、そのひとつが織羽になり、もうひとつは2年間凍結された上で子宮に投入され多津美になったのではという仮説なのである。
 
「結婚式の時に気付いたけど、あの2人の波動は同一人物かと思うほど似てるんだよね」
と千里が言う。
 
「多津美ちゃんも物凄い霊感を持っている。だからあの子にはかなり気を掛けて変なものに染まらないようにしてる。ここだけの話、常時私の眷属のひとりをあの子に付けてガードさせてるんだよ」
と天津子。
 
「そういうの考えても、一卵性双生児という可能性が8割くらいあると思うけど、やはり言わなくていい気がする」
「うん。知る必要は無いと思う」
「じゃそれは取り敢えず当面はパスということで」
 
「交通事故は実は駆志男さんの実質的な無理心中未遂だったのでは?という説は?」
「駆志男さんと有稀子さんは離婚調停中だったからね」
 
「亜記宏さん、凄く優しいからその件を言わないけど、亜記宏さんと実音子さんの関係もほぼ破綻状態だったみたい」
 
「だから有稀子さんは亜記宏さんを誘惑したんだと思うよ」
「それと本物の男とのセックスを体験して、駆志男さんとのセックスと比較してみたかったのもあったと思う」
「子供たちの件もあるから、この人と結婚してもいいかもと思っていたかもね」
「うん。私が最初あの2人を見た時、夫婦だと思ったのよ。やはりあの2人には恋愛関係ができていたと思う」
 
「でも亜記宏さんが、やはり春美さんのことをずっと思っていることを認識したから、有稀子さんは別行動を取ることにしたんだと思う」
 
「その付近の話は蒸し返すと春美さんが有稀子さんに嫉妬してややこしくなるし、話さないのが花だね」
 
「事故の件も確証無いし、そうだったからといって誰かが救われる訳でもないからパスしよう」
「OK。じゃこれにも触れないことにして」
 
そういう感じで3人は春美たちに言うべきことと言わないことを若干仕分けしていたのである。
 
 
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【春秋】(2)