【春対】(3)

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12月14日からK大学法学類の推薦入試の出願期間が始まったので青葉はすぐに願書を提出した。
 
しかしこの時期、推薦入試組では、既に合格を決めている子もいる。凉乃が茨城県のTS大学に推薦で12月9日に合格を決めた。今年の国立合格者第一号であった。その前に純美礼が東京の私立、□□大学の推薦合格を11月27日に決めている。純美礼は高校3年間テニスに明け暮れていたが、結果的にはそのテニスでの活動が評価されて、合格に至ったようである。
 
「えーん、純美礼って私のお仲間かと思ってたのに〜」
などと、そもそも大学というものに行けるのかどうかも微妙な美由紀が羨ましそうに言っていた。
 
徳代は東大文一を受けるということで、ここは推薦は無いので一般入試でのチャレンジである。
 
理数科の方では、ヒロミは青葉と同じK大学の医学類を受験するのでまずは推薦で受験し、それで落ちたら一般入試で再チャレンジするということであった。彼女も12月14日に推薦の願書を提出した。
 
「ヒロミは大学から事前面接とかされなかった?」
「されてない」
「ヒロミは願書の性別はどうしたの?」
「戸籍通りじゃないとまずいかなと思って男に○付けた」
「センター試験の願書は?」
「そちらも男にしておいた」
「ヒロミ、試験は男装して受けるの?」
「私、もう男装しようにも男物の服を持ってないよ!」
 
「それって絶対試験場で揉めるよね」
「うんうん。性別詐称の詐欺罪で逮捕されたりして」
「え〜〜〜!?」
 
空帆は東京工業大学を受けるということで、12月15-17日が推薦の願書出願期間ということで願書を提出したが、推薦は枠が小さいから難しいかもと言っていた。彼女も推薦で落ちたら一般入試を受けることにしている。
 
美津穂は富山市のT大学志望だが、推薦の条件を満たしていないということで一般入試での挑戦である。明日香と世梨奈は金沢の私立H大学、須美と真梨奈はやはり金沢の私立S大学と言っていた。
 
「青葉、K大学まで車で通学するなら乗せてってよ」
と明日香と世梨奈は言った。
 
「杜の里までは乗せて行けるけど、その先は道が違うよ」
「その先はバスかな」
「ああ、それならいいよ」
「自転車で行くことも考えたけど、あの坂を見て諦めた」
「あの坂を毎日自転車で上がっていたら、スポーツ選手になれるかも」
「それに冬の間は自転車無理だよね」
「うん。北陸の冬は自転車もバイクも無理」
 
「でも青葉のお姉さん、太股も凄いよね」
「ちー姉ならあの坂を自転車で楽々上がれるだろうな」
「やはり元男の子だから足が太いの?」
「男の子時代は凄く細かったみたいだよ。女みたいな奴だなと言われていたと」
「ふむふむ」
 
「ちー姉は女の子になった後で、無茶苦茶身体を鍛えて筋肉を付けたんだよ。それで男にも負けない身体を獲得した」
 
「それは別の意味で凄い」
 
「でもお陰で繰り返し何度も何度も性別検査をされたみたい」
「ああ、それも大変そう」
 
「実は睾丸をこっそり体内のどこかに温存していないかと疑われたみたいだよ」
「なるほどー」
「でも医学的な検査をすれば頭の先から足の先までMRI取っても睾丸なんてどこにも無いし、そもそも骨格が女の骨格だし、脂肪の付き方とかが明かに女の付き方だから」
 
「いや、青葉のお姉さん、どう見ても生まれながらの女にしか見えないもん」
「それ私もそちらの方を疑いたくなる感じなんだけどねー。実は天然女だってことはないかって」
 
千里がその「全身くまなく」MRIで検査され身体のどこにも睾丸は温存されていないことを確認されたのは2009年、つまり千里が大学1年生の夏のことらしい。つまり、その時点では間違いなく千里は性転換済みであったことが確実である。
 

紡希は第1希望が京都大学で、落ちた場合は後期の神戸大学を受けるが、その他、滑り止めに立命館を受けると言っていた。いづれも一般入試での挑戦である。関西に出て行きたいということのようだが、彼女はお母さんとうまく行っていない様子なので、親元から離れたいのだろうと青葉は想像していた。
 
日香理は何年にもわたる交渉でとうとう親を説得し、東京外国語大学の受験を認めてもらったが、ここは推薦枠が(実質)無いので、一般入試でのチャレンジとなる。一応模試ではB判定である。万一落ちた場合は金沢のK大学の後期試験を受けるということで、お母さんとの妥協が成立している。経済的な問題で私立は考えられないので、彼女は東京に出て行くためには前期試験でしっかり合格する必要がある。
 
「ねえ、青葉、万一K大学に行くことになったら、通学の時、青葉の車に乗せてよ。私も頑張って免許取るから交代で運転できるようにするし」
 
などと彼女は言っていた。
 
「それはいいけど、前期試験頑張りなよ」
「うん。頑張って頑張って頑張って、最後は運頼みだけどね」
「グッドラック」
「サンクス」
 

千里たち40 mintesは12月の土日は、東京都クラブバスケット選手権に参加していた。この大会は12月6,13日に1回戦が行われたが、40 minutesも江戸娘もシードされているので12月20日(日)の準々決勝から参加した。どちらも順当に勝ち上がり、12月23日(祝)の午前中の準決勝にも快勝して、13:00からの決勝はこの2チームで争われることになった。
 
なお、この両チームはどちらもお正月のオールジャパンの出場を決めている。40 minutesは11月1日に社会人選手権で準優勝して出場権を取ったが、江戸娘はその社会人選手権では上位に入れなかったものの、直後に行われた11月3日のオールジャパン東京都予選で優勝、更に11月21-22日に横浜で行われた関東総合選手権でも優勝して、オールジャパン初出場を決めたのである(40 minutesも初出場)。
 
両者のここ1年ほどの対戦成績は拮抗している。
 
2014.10 オールジャパン東京都予選・決勝 江戸娘の勝ち
2014.12 東京都クラブ選手権・決勝 江戸娘の勝ち
2015.02 関東クラブ選手権・決勝 40 minutesの勝ち
2015.03 全日本クラブ選手権・準決勝 40 minutesの勝ち
2015.07 東京都夏季選手権・決勝 江戸娘の勝ち
 
(今年のオールジャパン東京都予選は40 minutesが先にオールジャパン出場を決め準決勝を辞退したので、両者の対戦は発生しなかった)
 
こういういつも競っている相手だけに、江戸娘のテンションは無茶苦茶高かった。特に7月に江戸娘が勝った時は千里と雪子がユニバーシアード代表の活動で欠場しており、フルメンバーの40 minutesが江戸娘と対戦するのは3月の全日本クラブ選手権の準決勝以来なので、ここで勝って東京No.1をアピールしておきたいところだ。
 
しかしこの日の千里は凄すぎた。江戸娘のメンバーは誰も千里を止めきれない。マーカーを付けていても千里はほとんどフリーに近い状態で動き回る。そしてどんどんスリーを放り込む。更に司令塔の雪子も10月以来修士論文を書く以外は「バスケ専業」になって練習時間が大幅に増えたこともあり一皮剥けたプレイをする。
 
結果はまさかのダブルスコアで40 minutesが優勝した。
 
「強ぇ〜!さすが実業団1位と接戦をするだけのことがある」
と江戸娘キャプテンの青山さんは完敗の弁であった。
 
「でも千里は3月までだから」
と40 minutes次期キャプテンの星乃が明かす。
 
「あれ、どうして?性転換して男にでもなる?」
「いや、Wリーグのチームに移籍しちゃうんですよ」
「ああ、これだけ強かったら行けるだろうね。じゃ来年度は江戸娘の天下だな」
「4月からは私がキャプテンやれと言われてるから、きっと40 minutesはお笑いチームになるから期待してて」
 
「お笑いって何やるの?」
「そうだなあ。例えば逆立ちしてシュートするとか」
「それで入ったらマジ凄いね」
 
なお、この大会は2位以上が関東クラブ選手権に出場するので江戸娘も40 minutesも1月末さいたま市で行われる関東クラブ選手権に行くことができる。
 

さて、千里が東京都クラブ選手権に出たのは12月20日の準々決勝と23日の準決勝および決勝である。その合間の12月22日(火)、千里は朝から新幹線で大阪に入った。
 
新大阪から御堂筋線で千里中央に入る。駅前で貴司と落ち合う。
 
一応周囲に人がいるのでキスは自粛してハイタッチした上で貴司が
「そうそう。今年も年賀状ありがとね」
と言う。
「まあ毎年の行事だからね。自分の年賀状も書かないといけないし、ついでだよ」
と千里。
 

千里は実は2011年の年賀状(2010年末に発送)以降毎年貴司の年賀状の宛名書きをしてあげている。貴司も悪筆だし、阿倍子も悪筆だが、バスケ関係者への年賀状は表裏両面ともを印刷して配るのが禁止らしいのである。それで貴司は裏面だけ印刷した年賀状を千里に渡して千里が宛名を書いているのである。裏面に少し加筆する場合もある。
 
ただ、貴司も千里も年賀状を送っている留萌S中学のバスケ部顧問をしていた伊藤先生(現在は道内の別の中学でバスケ部顧問をしている)などは
「君たちの年賀状は同じ字で書いてあるね」
などと指摘していた。他にも数人これに気づいている人がいる。
 
千里として辛かったのは婚約破棄された後の2013年の年賀状(2012年末に発送)だったが、2012年12月22日の「結婚式になるはずだった日」に貴司と会った時、貴司に土下座して頼まれて書いてあげた。千里としてはかえって2014年の年賀状で結婚報告を兼ねる文面になっていたものの方がまだ気楽だった。婚約破棄以降、更に阿倍子との結婚以降も貴司と千里のデートは毎月続いていたことが千里の心を支えていた。
 

「でも私たちも大胆だね。こういう場所で待ち合わせするなんて」
と千里は言う。
「阿倍子は今日は神戸の実家に行っているから」
と貴司。
 
貴司は今日は有休を取っている。ふたりは駅を出て歩きながら話した。
 
「神戸の実家って、結局今誰が住んでいるんだっけ?」
「誰も住んでない。実質空き家になっている」
「親戚と揉めてると言ってた?」
 
「そうなんだよ。その話し合いで今日も行っているんだよ。あの家の名義は阿倍子が『お祖父さん』と呼んでいた龍造さんという人の名義になっていたんだけど、龍造さんは一度も結婚していないし子供も居なかった」
「うん」
 
「阿倍子のお母さんは、龍造さんの妹の子供なんだけど、その妹さんが子供を残して失踪してしまったことから、ずっと小さい頃から龍造さんに育てられている。ところが龍造さんには実は他に養女にしていた女性がいて、その人は確かに養女にはしたんだけど、龍造さんと折り合いが悪くて早い時期に家を出て、もう長いこと音信不通になっていた」
 
「ややこしいね」
 
「龍造さんは亡くなる時、阿倍子のお母さんに遺産は全て譲るという遺言書を残していた。でも養女さんは龍造さんが亡くなった後で連絡してきて、自分にも取り分があるはずと主張した。確かに遺留分は主張できるよね。更にその遺言書は本物か?とイチャモン付けてきた」
 
「それで揉めている訳か」
「他にもいろいろ積年の恨みみたいなのもあるみたいで、正直関わり合いになりたくない気分」
「ああ、貴司って面倒な話が嫌いだもんね」
 

20分ほど歩いてふたりが辿り着いたのはトヨペットのお店である。
 
先日貴司のアウディが事故に遭って廃車になってしまったので、新しい車を買うことにしたのである。
 
「でもやはり車って丈夫なものでないといけないと思ったよ」
と貴司は言う。
 
「あの事故、軽とかだったら、貴司たち大怪我してたかもね」
「うん。さすがアウディと思った」
 
実際には京平と「京平を守っている存在」が貴司と阿倍子まで守ってくれたのもあるのではないかと千里は想像している。京平の近くにはいつも千里の眷属の誰かが付いているものの、それ以外にも京平のそばにどうも「誰か」が付いている雰囲気なのである。千里は伏見の香りを感じていた。
 
「でも今度はトヨタにするんだ?」
 
「やはりさあ、外車はメンテに金がかかるんだよ」
「それはいえるね」
 

そういう訳で貴司は新しい車を買うことにしたのだが、その車選びで阿倍子は車とか全然分からないと言ったので、ひとりで決めると見落としがあるかもといって千里が呼び出されたのである。
 
貴司はアウディに450万円の車両保険を掛けていて、そこまでは保険で出るのでそれに少し足して600万円程度までが許容範囲かなあ、などと言っていた。(車の時価額までは向こうの保険で出て、差額はこちらの保険で出るが、この場合、こちらの等級は下がらない)
 
ふたりがお店に入っていき、車を選びに来たと言うと、
「新型が発売されたばかりのプリウスはいかがですか?」
と勧められる。
 
しかし貴司は「あの形がどうにもむずかゆくて嫌い」と言い、千里は「CVT車は嫌い」と言って、まず除外する。
 
「私別にあの形は嫌いじゃないけど」
と千里。
「そう?僕はエスティマの曲線も嫌い」
と貴司。
「エスティマ可愛いのに」
「うーん。意見が一致しないな」
 
「CVTがお嫌いでしたら、ATでしょうか?」
とお店の人が訊く。
 
「私はMTが好き」
と千里は言うが
「僕はATが良い」
と貴司は言って、またまたふたりの意見は一致しない。
 
「ATなんて女の車だよ。男はMTだよ」
と千里は言う。
「千里、女じゃないの?」
と貴司。
 
「確かめてみる?」
「確かめてみたい。でも千里が男だったら世界中が大騒動になるぞ」
「貴司は女なんだっけ?」
「僕が女だったら千里が一番困ると思うけど、確かめてみるかい?」
 
お店の人が困っているようなので千里が
「あ、すみません。ATかMTならいいです」
と告げる。
 
「分かりました。CVT以外でしたら、アルファード、86、マークX、ラッシュ、ランドクルーザー、ランドクルーザー・プラドといった所ですね」
 
CVTが除外されたことで車種はぐっと絞られてしまった。
 
「ラッシュはさすがに小さすぎる」
「86は楽しいけど実用性が低いよね」
「セダンは使い勝手が悪い。荷物の出し入れ考えると荷室と居室は一体化していて欲しい」
 
とふたりは言い、あっという間に対象はアルファード、ランドクルーザー、ランドクルーザー・プラドの3つに絞られてしまった。
 

「結構大きな車が残ったね」
と貴司。
「うーん。その内子供が4人くらいできたらそのくらいの車があった方がいいかも」
と千里。
 
「4人も作るの!?」
と貴司が言うのでお店の人が
「今お子さんは何人ですか?」
と訊く。
 
「今年1人目が生まれたばかりだから、これからですけどねー」
と千里は言った。
 

結局試乗してみることにする。各々の車を車屋さんから1kmほど離れた地点まで貴司が運転して行き、運転交代して千里が車屋さんまで運転して戻る。
 
「奥様、凄く運転がお上手ですね。さすがMTが好きとおっしゃるだけありますね」
と同乗しているお店の人が感心していた。
 
「千里結局国際C級ライセンスは取ったんだっけ?」
「取ったよ。そこのバッグに入っているよ」
「ライセンスをお持ちですか!凄いですね!」
 

3台とも試乗してから検討する。
 
「アルファードは取り回しが楽って感じがしたね」
「うん。使い勝手もいいと思う。子供がいる家庭ならアルファードって感じ」
 
とふたりが言うのでお店の人が
 
「それではアルファードになさいますか?」
と訊くと。
 
「いいえ」
と千里と貴司が同時に言った。お店の人が戸惑っている。
 
「やはり使いやすいからと言ってそれを選択するのは女の選択だよね」
と千里。
「女か男かは分からないけど、僕もアルファードは使いやすすぎて却下という感じがした。もっと冒険がしたい」
と貴司。
 
「なるほどですね」
とお店の人は言っているが、ふたりの論理が理解できてない感じだ。
 
「じゃプラドで」
「うん。賛成」
 
「意見が一致したね」
「愛し合ってるからね」
 
ということで、貴司はランドクルーザー・プラド(TZ-G Diesel 7人乗り)を買うことにした。
 

事務所に入って手続きをする。
 
オプション関係を選択していくと価格は563万円ということであった。
 
「お支払いはローンになさいますか?」
「あ、いえ。前の車の保険金が近い内に入るはずなのでそらにプラスして現金で払うつもりです」
と貴司。
 
「それはいつ頃、入金するのでしょうか?」
「あれどのくらい掛かるのかなあ?」
などと貴司は千里を見て言っている。
 
ちょっと待て。まだ入金してなかったのか〜?と千里は突っ込みたくなった。それで千里は笑顔で言う。
 
「じゃ取り敢えず私がへそくりで払っておくから、後で貴司私に返してよ」
 
「千里、そんなにへそくりあるの?」
「利子はトイチで」
「え〜?」
 
それで千里はお店の人に口座番号を聞き、即代金を振り込んだ。
 
「ホソカワ・チサトの名前で振り込みました」
 
お店の人が口座を確認している。
 
「確かに頂きました。それではお車は一週間ほどでお届けできると思います」
と言った上で提案してくる。
 
「即金で頂きましたので、サービスでナビはスタンダードではなくて通信機能付き、地図自動更新・フローティングカーシステム付きのデラックスタイプに致しましょうか?」
 
「あ、それいいですね。よろしく」
と千里は笑顔で答えた。
 
お店の人は他にもいろいろサービス品をくれたが、今日は荷物になるのでと言い、納車の時に一緒に持って来てもらうことにした。向こうはどうも即金で560万円を奥さんのへそくりから払えるような客は大事にしたいと思った感じもあった。
 

車を選んだ後、ふたりはタクシーに乗って大阪市内のNホテルに行った。ふたりがいつも会っている場所である。
 
いつものようにランチとモエ・エ・シャンドンのシャンパンを頼む。顔なじみのソムリエさんが
 
「本日はおふたりの結婚記念日でしたよね。おめでとうございます」
 
と笑顔で言ってシャンパンを開け、ふたりのグラスに注いでくれた。こういうのをちゃんと情報整理しておいてくれるというのは偉い。ふたりはグラスを合わせて、楽しくおしゃべりしながらランチを食べた。
 
食事の後、いつものようにいったん市内の体育館でバスケの練習をして汗を流した。これは実は2013年秋以降会う度にほぼ毎回しているふたりにとって一番楽しい時間である。貴司も千里と会ってHなことをするのも楽しみではあるものの、ふたりでバスケする時間がもっと楽しいと言っていた。
 
ここまでの流れは先月阿倍子に尾行された時と似たようなパターンだが、その先が今日は違った。タクシーで再びNホテルに戻り、客室に入る。シャワーを浴びてバスケ練習で出た汗を流す。先日は銭湯で汗を流したが、今日はホテルのバスルームを使った。
 
ふたりはホテルのガウンを羽織っただけの状態でベッドに腰掛けて会話をする。
 
「3年目は皮婚式と聞いたから」
と言って貴司は革製のバスケットシューズを出してくる。
 
「ありがとう。まあこれは持っていても怪しまれないよね。消耗品だし」
と言って受け取る。
 
「これでオールジャパンに出ようかなあ」
「オールジャパンか。一度出てみたいなあ」
「貴司はプロに行けばいいのに。今の貴司が売り込めば絶対取ってくれる所あるよ」
「そうだなあ」
 
「でも私も貴司と同じ発想しちゃった」
と言って千里は革製のバスケットボールを出してくる。男性用の7号ボールである。
 
「これも新しいの持ってても全く怪しまれないね」
と言って貴司も笑った。
 
ちなみに昨年の12月22日には、綿婚式だからと言って、お互いに練習用の靴下のセットを贈っている。その前の年は紙婚式と言ってメモ帳だった。いづれも普段に使ってしまっている。
 
「ちなみにセックスはできないよね?」
「結婚している男性とセックスなんてできません」
「でも今日は結婚記念日だよ」
「そうだね。非結婚記念日だね」
「ちゃんと付けるからさあ」
「そりゃ付けずにはできないよね」
「1回だけでいいから」
「じゃ、じゃんけんで貴司が勝ったらしていいよ」
 
「よし、じゃんけん・・・ポイ」
 
結果は貴司がグーで千里がチョキである。
 
「やった!」
「仕方ないな。じゃ1回だけね」
「うん」
 
貴司は嬉しそうに千里のガウンを脱がせる。千里がガウンの下に何も着ていなかったので、少し驚いている。自分もガウンを脱ぎ、下着を脱いで千里を押し倒すようにベッドに寝せた。
 

貴司は逝った後、そのまま眠ってしまった。何だか凄く幸せそうな顔で寝ているのを見て千里は微笑む。貴司の下から身体を抜いて自分も少し寝た。ジャンケンはわざと負けた。貴司はジャンケンで最初にグーを出す癖があるので、こちらが勝ちたい時はパー、負けたい時はチョキを出すと高確率でこちらの思い通りになるのである。
 
結局1時間ほど寝たようである。目を覚ましてキスを交わす。
 
「そうだ。こないだ久しぶりにこの指輪つけてみたんだよ」
 
と言って千里は枕元のポーチの中からジュエリーケースを取り出し、大粒のアクアマリンの指輪を取り出した。そして左手薬指につける。千里が左手の薬指にそれを付けた時、貴司がドキッとした顔をした。
 
これは実は6年前、大学1年の時に貴司からもらった指輪である。アクアマリンは千里の誕生石(3月)だ。貴司はそれをエンゲージリングとして千里に渡そうとしたものの、当時貴司が緋那と二股状態であったことから、緋那ときちんと切れるまでは受け取れないと千里は拒否した。それで貴司はファッションリングとして受け取って欲しいと言い、千里はそれを了承して受け取ったのである。
 
この指輪には Takashi to Chisato Love Forever という文字が内側に、バスケットボール3個の模様が外側に、いづれもレーザー刻印で入っている。
 
「この指輪は私が持ってていいんだよね?」
 
と千里はまじめな顔で訊く。貴司は一瞬考えたが、すぐに言った。
 
「うん。それはあくまでファッションリングとしてあげたものだから」
 
「じゃ遠慮無く持ってて、時々つける」
「ごめんね」
 
そしてまたキスした。
 

12月24日(木)、青葉が学校から帰ると彪志が来ていた。
 
「お帰り」
と彪志が言うと、青葉も
「お帰り」
と言った。
 
「あら?挨拶変わった?」
と朋子が訊くので
「私、もう彪志の奥さんだと思うことにしたんだよね。だから私が彪志のアパートに行った時は『ただいま』と言うことにしたから、彪志がここに来た時も『お帰り』『ただいま』にしていい?」
 
と青葉は言う。
 
朋子は笑顔で
「うん。いいよ。じゃ次からは彪志君に私も『お帰り』と言うことにするね」
と言ってくれた。
 

青葉は受験勉強してなさい、ということでクリスマスの料理を朋子と彪志で協力して作っていたようである。
 
「フライドチキンできたよ。青葉、手を休められそうなら一緒に食べよう」
と彪志が声を掛けるので、青葉も勉強道具を置いて、
 
「じゃ食べよう」
と笑顔で答えた。
 
クリスマスケーキとして朋子がショートケーキを3つ買ってきていたので、それを1人ずつ取った上でシャンメリーを開けて乾杯する。
 
「メリークリスマス!」
 
と言ってグラスを合わせる。
 
「あんたたちキスしてもいいよ」
と朋子が煽るので、彪志が青葉の唇にキスする。青葉は心が高揚して凄く幸せな気分になった。
 
「何かあんたたたちの様子を見ているだけでお腹いっぱいになっちゃうけど、まあ食べよう食べよう」
と朋子が言い、クリスマスイブの食事が始まった。
 

12月24日(木)東京では、千里と桃香が経堂のアパートで
 
「メリークリスマス!」
と言い合って、よく冷やした日本酒を入れたワイングラスをチンと合わせた。
 
これは先日J市の事件を解決した時に水城さんから頂いたお酒セットの中の大吟醸である。本生酒は既に桃香が全部飲んでしまっている。
 
「いや、ワインとかウィスキーとか洋酒もいいけど、やはり日本のお酒が私はいちばん好きだ」
などと桃香は言っている。
 
この日は千里がチキンを丸ごと1匹オーブンで焼いた他、ビーフストロガノフ、マカロニサラダ、それにホームベーカリーで焼いた全粒粉パンを並べている。
 
「今日は桃香がたくさん食べてくれること期待してたくさん作ってるから食べてね」
と千里は言う。
 
「心配しなくてもたくさん食べるよ。でもチキンも美味しい、ストロガノフも美味しい」
と言いながら、ほんとによく食べてくれるので千里も笑顔である。その千里も結構食べている。
 
「ごはん終わったら千里も食べていい?」
「もちろん。クリスマスだしね」
「それが楽しみだ」
「うふふ」
 

同日、都内のホテル。
 
信次と優子はこのホテルのレストランでディナーを食べた後、お部屋に入って既に受けと攻めを交代しながら4回した後、少し休憩してビールを飲みながら買っておいたハンバーガーを食べている所であった。
 
「ね、ね、ね、ね。クリスマスだしさ。生でやらせてよ」
と信次。
「幼子(おさなご)が生まれたりしてね」
と優子。
 
「養育費の問題は妥結したしさ」
「月6万ってけっこうきついよ。大丈夫?」
 
「いや、正直な話さ。俺、子供作るなんてチャンスは優子と別れたら2度と無い気がしてさ。多分妊娠能力のある女と付き合うことはもう無いと思う。だからもし優子が妊娠しちゃったら、マジでちゃんとするよ」
 
信次はこれまでに付き合って性的な関係まで築いた相手は、女装男性、性別移行中のニューハーフ、そして男性ホルモンをしていて妊娠能力を喪失済みの男装女性しかいなかったことを告白している。好きになる相手は普通の女性が多いものの、ある程度親しくなると怖くなってしまい、告白まで辿り着かないのだと言う。信次は自分はやはり女性恐怖症なのだと思うと、優子には言っていた。
 
「まあそれは私も同じだな。根本的に男には興味が無いから、信次と別れたら2度と生物学的な男と付き合うこと無いだろうし。うちの母ちゃんも私には孫はできないものと諦めてるよ」
 
「じゃ、やっちゃう?」
「そうだなあ。養育費はもらえるとしても私自身としては、あまり妊娠したく無いんだけど、今日は安全日だし、しちゃおうか」
 
「やった!」
 
それで信次は優子と生でしたのである。
 
「凄く気持ち良かった」
「そう?よかったね」
 
と言いながら優子は、少し眠そうな顔をしている信次の背中を撫でてあげていた。
 

12月30日(水)、高岡。
 
今年の年末は桃香がひとりで帰省してきた。ゴールデンウィークの時は切符を買っていなかったため、普通列車乗り継ぎで苦労して帰省したのだが、今回はちゃんと1ヶ月前に新幹線の往復を予約していたので、無事座席に座って帰ってくることができた(今年の夏は桃香は仕事が忙しくて帰省していない)。
 
「千里は会社の仕事で年末年始全く無いらしい」
 
と桃香は言っていたが、実際には千里が12月31日にローズ+リリーの年越しライブに出演した後、お正月にはオールジャパン(皇后杯)に出場することを青葉は聞いている。
 
千里が音楽活動のことをあまり桃香に言っていないのはまだいいとして、なぜバスケ活動のことも全ては桃香に伝えていないのか、青葉はどうにも不思議に思っている。
 
あるいはバスケ活動のことを全て言うと、細川さんとの関わりまでバレてしまうので、敢えてその付近から隠しているのだろうか?
 
もうひとつ不思議なのが千里が桃香の浮気をほとんど放置していることである。千里は細川さんの浮気は徹底して邪魔しているらしいことを青葉は冬子から聞いた。それほど徹底的に細川さんの浮気を潰すのに、桃香の浮気は、なぜ潰しに行かないのか。
 
あるいはひょっとしたら、桃香が他の女の子とデートしている時間に自分も細川さんと密会したいからだろうか??
 
もっとも千里は桃香の浮気相手全ての写真を密かに撮って名前も記録しているっぽい。その写真の束を見かけた青葉は
 
「もしかして、ちー姉、この女の子たちに呪いとか掛けてないねよ?」
 
と訊いてみたことはあるが
 
「私、そんな『おいた』はしないよぉ」
と笑って言っていた。
 

「でもちー姉、2012年のお正月のオールジャパンにも出たんだよね?」
「出たよ」
「でもその年の年末年始って、高岡に帰省してきてるよね?」
 
青葉は手帳を確認してみたのだが、その年は千里と桃香は2011年12月28日に高岡に来て、2012年1月1日の夕方に車(「友人から借りた」と千里が言っていたAudi A4 - 実際は細川さんの車だったようである。インプレッサだとMTで桃香が運転できないので借りてきたのではと青葉は推測した)で東京に向けて帰りの途に就いている。しかしバスケ協会のサイトを調べてみると、千里の所属していた千葉ローキューツは1月1日夕方に四国代表のチームと試合をしているのである。ボックススコアで千里がちゃんとその試合に出てたくさん得点もしているのが確認できた。夕方高岡を出た車はたぶん東京には翌1月2日の朝にしか到着しない。
 
「うん。だから私、あの年はF15イーグルで高岡から東京まで戻ったんだよ。超音速で飛んだから6分で着いたよ」
「嘘!?」
 
青葉はひょっとしてあの時、高岡に帰省してきたのは、千里の身代わりの式神だったのではとも疑ってみたのだが、どんなに千里の技術が凄かったとしても、さすがに4日間も青葉が千里の身代わりに気づかない訳が無いと、その説を自分で否定した。
 

12月31日(木)、東京。
 
千里は明日からのオールジャパンに向けて江東区の40 minutesの専用練習場でたっぶり汗を流した後、夕方の上越新幹線(東京19:44-20:44安中榛名)に乗り、安中榛名駅前から観客用のシャトルバスに乗ってローズ+リリーのカウントダウンライブの行われるショッピングモール予定地に行った。
 
アーティスト控室に顔パス!で入り、
「おはようございます」
と挨拶する。
 
ちょうど近くにいた鮎川ゆまが
「おっはよー!」
と元気に挨拶。千里とハイタッチした。
 
仮眠していたというケイとマリもじきに起きてきて、軽食におでんを食べている。千里も1パックもらい、椅子に座って食べた。
 
「飲み物もここにありますから自由に取って下さいね」
と★★レコードの奥村さんが言っている。
 
「はい、頂きます」
と言いながら持って来た2Lのお茶ペットボトルをテーブルに置いた。
 
「大きいの持って来たね」
とゆま。
「今日は朝から夕方までひたすらバスケしてたから水分補給もたっぷりしておかないと」
「ああ、あす皇后杯に出るんでしょ。凄いね」
「3度目の皇后杯ですよ」
「凄いね。千里のチーム強いんだね」
 
「毎回違うチームでの出場なんですけどね。2008年は旭川N高校、2012年は千葉ローキューツ、そして今回2016年は東京40 minutesです。でも実は4月に移籍するから次回はまた別のチームで出てきます」
 
「それもまた凄い。でも4年に一度出てるなら次は2020年だったりして」
「あはは。それは勘弁して欲しいです。この後は毎回出たいですよ」
 

ローズ+リリーのステージは22:00に始まる。
 
千里はワンタッチで着られる振袖風の化繊製の衣装を着て冒頭の『振袖』、2曲目の『灯海』で龍笛を演奏した後はいったん下がる。
 
『振袖』の演奏では今田七美花が高校生で22時からのステージには出られないので笙は鮎川ゆまが吹いたが、それでも上空に龍が5体・鳳凰が2体集まり、落雷があるとともに、霰(あられ)まで降った。千里はその天候を見ながら、衣装が本物の振袖じゃなくて良かったと思った。龍笛もこういう場所なので神社の儀式や音源制作などで使用している煤竹のものではなく、安価な花梨製のものを使用している。
 
その後、40 minutesのユニフォームを着て、ゲストコーナーで出たKARIONの『皿飛ぶ夕暮れ時』で焼きそば投げのパフォーマンスをする。その後今度はそのユニフォームの上に羽織袴を着て、ゴールデンシックスのキーボード奏者として演奏に参加した。
 
つまり今回千里は、振袖と羽織袴の両方を着たことになる。
 
なお、今日のゴールデンシックスのベースは美空である。
 
やがて後半のステージが始まるが、その間に美空以外の5人は金ぴかの衣装(ゴールデンシックスの定番ライブ衣装のひとつ)に着替える。そして2015年最後の曲『雪を割る鈴』の演奏中に、5人で大きな鈴をステージ中央に運んで行く。そして侍の姿で出てきたKARIONの4人(蘭子は夢美が代役を務めている)と一緒に待機。0時の時報で小風が鈴を割った後は、KARIONと一緒に9人で『雪を割る鈴』の後半を歌った。
 
その曲の次、つまり新年最初にローズ+リリーが歌ったのが千里が書いた『門出』であるが、この曲の演奏には千里は今日は参加していない。千里が明日の試合に備えて早く帰ってもいいように、この曲の龍笛は鮎川ゆまに吹いてもらうことにしていた。
 
実際には千里はステージの最後まで付き合ったのだが、千里はこの曲をローズ+リリーが歌っている間、じっと舞台袖からケイとマリを見つめていた。色々な思いが頭をよぎって行く。
 
4年ぶりのオールジャパン出場を決めて帰る途中、貴司のマンションで保志絵と会い、保志絵の前で事実上の嫁復帰宣言をしたあと書いた作品である。
 
この曲の音源制作をしたのは11月25-27日なのだが、その直前、千里は11月22日に貴司とデートした(阿倍子に尾行された日)。そして12月22日には貴司と「(非)結婚3周年」のデートをして婚約破棄以来2度目のセックスもした。自分と貴司はこのあとどうなるのだろう?という不安はあるが、しかし紛うことなき自分と貴司の間の子供である京平の誕生は明らかに自分たちを新しいステージに立たせた。この『門出』の歌に歌ったように、もう過去のことを考えるのはよそう。自分は未来を見つめて歩いて行こう。
 
熱唱する冬子の姿を見詰めながら千里はそんなことを考えていた。
 

ライブ終了後、出演者用のバスに乗って宿舎に移動する。
 
雪道なので時間が掛かって到着したのはもう2時前である。宴会場に入って打ち上げが始まるが、千里は最初の乾杯だけですぐ引き上げる。宴会場を出ようとしたら★★レコードの奥村さんが
 
「良かったらどうぞ」
と料理を折り詰めにしたものと勝月堂の「湯乃花まんじゅう」1箱に地酒っぽい日本酒の四合瓶を渡してくれる。
 
「頂きます。でもお酒は飲まないので」
と言うと、代わりにお茶のペットボトルを2本渡してくれた。
 

千里は部屋に入ると、取り敢えず寝た。
 
5時頃起き出して温泉に入ってくる。部屋に置かれているバスタオル、持参のシャンプーセットを持って下に降りて行く。渡り廊下を行った先に左右に別れる所があり、左が男湯・右が女湯になっている。千里はふっと微笑むと右側の女湯の方に行った。
 
実際問題として千里は男湯に入ったことは数えるくらいしかない。でも小学校の頃って、この男湯と女湯の別れている所でたっぷり1分くらい悩んでいた。女湯に入るのに物凄い勇気が必要だった。小学4年生の時にキャンプ場に行った時も、どうしよう?と悩んでいる内に「女の子はこちらだよ」とスタッフの人に言われて、言われたからいいよね?と自分を納得させて女湯に入ったのである。中学生の頃にはかなり開き直っていたものの、やはり結構な心理的抵抗を押し切って女湯に入っていた。
 
脱衣場で服を脱いであらためて自分の身体を見て、おっぱいがまだ大して無かった頃、そしてお股に変なものが付いてて、それを誤魔化していた頃をちょっと懐かしく思った。あらためて本当の女の身体になれた喜びを感じつつ、千里は浴室に入った。
 
のんびりと浸かっていたら、花野子が入ってくる。
 
「お疲れ〜」
「お疲れ〜」
と声を掛け合う。
 

「こんな感じで温泉で千里と一緒になったのは高校の修学旅行の時以来かな」
と花野子が言う。
「そうだね。京都の旅館の温泉で一緒になったよね」
と千里も笑顔で返事する。
 
「修学旅行中は女子制服を着てたけど、あの時期は結構まだ授業中は男子制服を着たりしてたね」
「うん。2年生の1学期あたりから、女子制服を着てくる日が多くなった気がする。たぶん2年生の夏休み以降はほとんど男子制服着てないんじゃないかな」
 
「千里は高校に入った最初から女子制服を着ておけば良かったんだよ」
「何かそれみんなから言われる」
「千里、最近では高校1年の夏休みに性転換手術を受けたなんて主張しているみたいだけど」
「そうだね。大学4年の時に手術したって話を誰も信用してくれないから」
「それはさすがに嘘が酷すぎる。でも高校1年の6月くらいに、千里のお股におちんちんが無かったのを鳴美が目撃しているから」
「ああ、あれ鳴美だったっけ」
「私は直接見てないけど、その場にいたからね」
「花野子もいたのか。蓮菜が居たのは覚えているけど」
 
学校のトイレの個室ロックが壊れていて、千里が入っているのを知らずに鳴美が開けてしまったのである。それで鳴美は千里のお股を目撃してしまったのであった。あれは男子制服を着ていてズボンだったがゆえに見られてしまった。女子制服を着ていてスカートなら直接お股が見えることは無かったろう。
 
「だから少なくとも高校1年の6月の段階では性転換済みだったことになる。となると、性転換手術を受けたのは恐らくは中学2年か3年の夏休みということになりそうな気がするんだよね」
 
「こないだ貴司からも実は中学2年の時に性転換したんじゃないのか?と言われた。でも実際問題として、私も自分が本当は一体いつ性転換したのか、自分でも分からなくなっちゃってるんだけどね」
 
「その分からないという話がいちばん分からない」
 
「だけど考えてみると、私、立っておしっこしたこともないし、ちんちんでオナニーしたこともないから、ちんちんを『使った』ことって一度も無いんだよね」
「だとすると、最初から無かったのと同じかもね」
 
「うん。まだ付いていたころも、これは自分の身体の一部ではないという感覚だったんだよね。寄生獣みたいなもん」
「なるほどー。ちんちんに寄生されていたわけか」
「そうそう」
 

「でも修学旅行の温泉で見た時はまだまだおっぱい小さかったけど、あれからけっこう成長したよね。それEカップくらいない?」
 
「授乳しているから膨らんでいるんだよ。授乳が終了したらたぶんCカップくらいに戻ると思う」
 
「授乳?」
「お乳出るよ」
 
と言って千里は乳首をつまんでお乳を出してみせる。出したお乳は掌で受けて自分で舐めてしまう。自分で舐めても美味しくないが、これが多分京平には美味しく感じられるのだろう。
 
「うっそー!? なんでお乳が出る?」
「赤ちゃん産んだから」
 
花野子は少し考えていた。
 
「まさか、細川君の子供って千里が産んだ訳?」
 
「あの場も混乱していてさ、何がどうなったのかよく分からなかったんだけどね。とにかく京平が産まれた後、阿倍子さんはあの付近の傷がほとんど残っていなかったのに対して私は1ヶ月くらいドーナツ座布団を使わざるを得なかった。そして阿倍子さんは全くお乳が出ないのに対して私はこんな感じでお乳が出る。実は私が毎日数本ボトルに搾乳したのを、阿倍子さんちに持ち込んで、それを京平は飲んでいる。ここだけの話」
 
「だったらそれは間違いなく産んだのは千里だ」
 
「そんな気がするんだよね〜。そもそもあの子を作った卵子は私から採卵したし」
「採卵できたんだ!?」
 
「なりゆきで採卵台に寝せられてさ。私に卵巣がある訳無いし採卵できる訳無いと思っていたのに、ちゃんと卵子が採れたの見て、うっそー!と思ったんだけどね。そして私の身体から取った卵子に貴司の精子を受精させて、それが育ったのが京平だよ」
 
「じゃ千里の卵子で千里が妊娠して千里が出産したということ?」
「妊娠していたのは間違いなく阿倍子さんだと思う。だって妊娠中にユニバーシアードの合宿なんてできないよ」
「それは確かだ」
「だから私は採卵と出産だけして、妊娠していたのが阿倍子さんだと思うんだよね」
 
「何か不思議な話だけど、でもやはり採卵できたということは千里は本当は生まれながらの女だってことでOK?」
 
「まさか。私は少なくとも小学校の3〜4年生までは間違いなく男の子だったよ」
 
「だったら、女性半陰陽だったのでは?」
「それも無いと思う。実際私は2007年から2009年に掛けて何度も性別検査を受けさせられて、陰茎や睾丸が無く、膣が存在していること。でも卵巣や子宮も無いことを確認されている。卵巣が無いというのは重要でさ。もし卵巣が存在していたら、それは私ではなく誰か身代わりの天然女性が受診している可能性があるから」
 
「なるほどー」
 
「実際この付近のこと考えて行くと自分でもさっぱり訳が分からなくなっていくんだよねー」
 
「うーん・・・」
 
「まあ今の話は冗談ととっておいて」
 
「冗談と取るのはいいが、冗談であった場合、千里からお乳が出ることを説明できん」
 
「うん、それだけが困っている」
と千里は本当に困っているような顔で言った。
 

「ところで結局細川君とはどうなってるわけ?」
と花野子は少し小さい声で訊いた。
 
「あいつといちばん長く会っていなかったのは、婚約破棄された2012年7月からその年の12月までの5ヶ月間」
 
「ほほお」
「その後はだいたい月に1度は会っている」
「へー!」
 
「最初の内はレストランとか体育館とか、人が周囲にいる所でしか会ってなかったんだよね」
「ふむふむ」
 
「あいつが結婚する半月くらい前に初めてホテルの一室で一晩一緒に過ごした」
「結婚する半月前!?」
「うん」
「なんつー大胆な」
 
「でもその時はほんとに一緒に過ごしただけでお互いの身体にタッチもしてないんだよ」
「一晩ホテルで一緒に過ごして何もしてない訳?」
「ずっとおしゃべりしてたよ。あとベッドに並んで寝たけど、お互いの身体には触らない約束で」
 
「なんか中学生みたいだ」
「うん。中学生頃に戻ってみたいな気がした。でも次に会って以降は毎回ちょっとだけHなことするようになった」
「それってABCのB?」
 
「そうそう。Bの範囲。結局婚約破棄されて以降、セックスは1度もしてないんだよ(ということにしておこう)」
 
「ほんとに中高生の交際みたいだ。って、いや待て。千里たち高校生の頃にはセックスしてたよね?」
「してたよ」
 
「確か大会中に体育館の裏でしてたの見つかって厳重注意されたんだっけ?」
「あれは別人だったんだよ。私たちは抱き合ってキスしてただけで」
「それでも大胆だ」
「さすがにその後はそういうのは控えるようになった」
 
「当然。でも今は、結局細川君とはセックスしてないんだ?」
「してない。あいつが結婚している限り、こちらは許さない」
 
「妙に道徳的だ」
「でも別の友だちに言われたんだよね。それだけの頻度で会ってHなことをしているのなら、私は今でも貴司の奥さんだって」
 
花野子は少し考えるようにしたが言った。
「私もその意見に賛成」
 
「だから私は貴司の妻、京平の母としての自覚を持つことにした。11月に貴司のお母さんと偶然会ってさ。話している内にそういうこと言ったら賛成してくれた。実はお母さんはいまだに阿倍子さんをお嫁さんとして認めてないんだよ」
 
「そのあたり、蓮菜からもちょっと聞いたけど、ややこしくなってるみたいね」
 
「それでそのあたりの気持ちの整理がついたら、凄くすっきりしちゃって」
 
「その心情を書いたのが『門出』か」
と花野子が言う。
 
「うん、実はそうなんだよ。花野子に歌ってもらおうかなとも思ったんだけど」
 
「あの曲は音域が広すぎて私には無理。私2オクターブ半しか出ないもん」
 
「実はその広い声域を花野子と梨乃で分担して歌うスコアもいったん書いたんだけどね。ただその場合、音域を私の頭の中にあった音より下げないといけない。でもやはりF6の音を使いたいなと思ってさ。それで結局冬子の所に持ち込んだ」
 
「そういう経緯だったのか」
「カラオケ屋さんの音源は最高音をD6まで下げてるね」
「それがふつうの人の限度だもん。私もD#6までしか出ない。その音でもオクターブ下げてしか歌えない人が多いと思う」
 
「でも結局、去年鴨乃清見の名前で作ったのは、津島瑤子に渡した『白い足跡』、『吊り橋を渡って』とこの『門出』の3曲のみ」
 
「寡作だね」
 
「大西典香が2013年末に引退して。でも私もあの時期からずっと貴司とのことで悩んでいたから、色々なものがパワーダウンしていた。でもまた頑張れると思ったから、ケイに私の歌を歌ってくれる歌手募集なんて話をしてもらったんだよ。実はまだ作品の形にはまとめてない書き掛けの曲も15-16曲ある」
 
「それは凄い」
 
「歌手募集の話には既に100通くらい写真と履歴書の応募があったらしい。デモ音源送ってきた子もいる。写真と履歴書だけの子にも、みなデモ音源を送ってくるように指示している」
 
「本格的なオーディションだね」
「うん。大西典香クラスの歌唱力がある子が欲しいんだよ」
 
「大西典香も千里が見い出たんでしょ?」
 
「見い出したというかね。履歴書が大量にテーブルの上にばらまかれている所に連れて行かれて、この中から有望な子を選んでと言われたんだよ。それで私が選んだ履歴書が大西典香の履歴書だったらしい。彼女の履歴書はアピールポイントが少なくて、普通なら書類選考の時点で落選していたというんだよね」
 
「じゃ、今度もそういうのやるの?」
「鈴木さん(花野子たちが属している∞∞プロの社長)からはそう言われてる」
 
「ちょっと楽しみにしておこう。私たちや丸山アイとかを脅かすような子に出てきて欲しいよ」
 
「いいの?同じ事務所内にそういう強力な子が出てきても?」
と千里は訊いてみる。
 
「平気平気。私たちは楽しんで音楽しているだけだから、もし契約切られたらインディーズに戻るだけのことだし」
と花野子は明るい笑顔で答えた。
 

「そういえば結局ソフト会社はどうしてる訳?」
とも花野子は訊いた。
 
「花野子だから言うけど、実はほとんど出社してない」
と千里は正直に答える。
 
「やはりねー」
「私は4月以降、音楽活動とバスケしかしてないよ」
「だと思った」
 
「何度も退職願い出してるんだけど、受け取ってもらえない」
「退職願いじゃなくて、退職届け出しちゃえばいいんだよ。必要なら内容証明で送りつければいい。そしたら民法の規定で2週間後には自動的に退職になる」
 
「最後の手段はそれだけどね。でもあまり強引なことすると後輩に悪いから」
 
「千里は時々優しすぎるな」
 

花野子とけっこう長話してしまったので、お風呂を出たのは既に6時半くらいである。起きてきた梨乃・京子と4人で朝御飯に行った。蓮菜はまだ寝ているということであった。
 
「やはり研修医の仕事、無茶苦茶ハードみたいね」
「だろうね。でもそれを乗り越えないと一人立ちさせてもらえないし」
「コネを作る期間でもあるしね」
「そうそう。医者はコネを持たないとお仕事できない」
「医者同士のネットワークが無いと、難しい病気や怪我に対処できないもんね」
 
「そういえば千里は朝一番の新幹線で東京に戻るとか言ってなかった?」
「起きたらもう5時だったんだよね。伊香保温泉に来て温泉に入らずに帰るのもしゃくだから、開き直った」
「なるほどー」
 
朝一番の新幹線で帰るには渋川5:43-6:08高崎6:17-7:16東京の連絡になるが伊香保温泉から渋川駅まで約8kmあり、タクシーで15分くらい見ておく必要があるので旅館を5時過ぎに出る必要があった。
 
「インターハイで泊まったんでしょ?」
と京子が言う。
「そうそう。別の旅館だけどね。あの時は毎日あの長い階段を登り降りしてたよ。暢子がやるぞーと言って」
 
「へー。あれ360段だっけ?」
「現在は365段。でも当時は315段だった」
 
「どっちみち凄い階段だ」
「私なら途中10回くらい休憩しないと無理」
 
「じゃ千里はその階段を往復してから東京に帰るといい」
と京子が言い出す。
 
「試合前にはやりたくない」
と千里。
 
「試合は何時から?」
 
「13:40。だから高崎駅10:50のには乗らないと。それで東京に11:40に着く。それに乗るには渋川駅9:37発(10:02高崎着)には乗らないとまずい」
 
「でもそんなにギリギリで帰ったら試合前に練習する時間が無いのでは?」
「うん、それは仕方ない」
「じゃ、やはり練習を兼ねて365段の階段を往復で」
「え〜〜!?」
 

花野子と梨乃が付き合うよと言って365段の階段を(休み休み)一緒に登り、伊香保神社にお参りした。お正月なので初詣客も結構いる。おみくじを引いたら大吉であった。
 
「心を硬くして対処せよか。気持ちをぐらつかせるなってことだよね」
と言っていたら、花野子が覗き込んでくる。
 
「縁談は悪しだね」
「これ以上恋人が現れても困るもん」
「それは言えてる」
 
「花野子は?」
「私は中吉。私も縁談は悪し。売買は利ありだから、お仕事は順調ということかな」
「たぶんゴールデンシックスは今年あたりが勝負の年だと思うよ。頑張ろう」
 
「梨乃は?」
「私は末吉。縁談悪しだから、ボーイフレンドは望めないな。まあ今あまり恋愛するつもりもないけどね。売買は遅く利ありだから後半勝負かなぁ。神仏に帰依せよなんて書いてある。芸能関係の神仏って何だろう?」
 
「仏様なら弁天様でしょ。琵琶持ってるもん」
「あっ、そうか!」
「神様なら、天宇受売神(あめのうずめのかみ)だよ。天岩戸の前で踊ったんだから」
「ほほお」
 
「ちなみにうちの妹の青葉が設置した千葉の玉依姫神社も弦楽器の神様」
「おお、それは行かねば」
 
「あそこの神様は、お参りしてきた子が気に入ったら、神様直々にお稽古を付けてくれるらしいよ」
「それは楽しみなような、怖いような」
 
その時千里は青葉の後ろに普段は常駐している《ゆう姫》がこちらをチラッと見たような気がした。
 

階段を降りてから旅館に戻ると、蓮菜も降りてきていて一応朝御飯を食べたと言っていたので、5人で一緒に旅館を出た。旅館の送迎バスで渋川駅まで送ってもらい、渋川8:58-9:26高崎9:38-10:32東京という連絡で帰還した。
 
千里はそのまま大手町駅から半蔵門線−東急という「いつもの」電車に乗り、いつも乗り降りしている用賀よりずっと手前、駒沢大学前で下車する。但し大手町で乗車する時から、《きーちゃん》を分離しており、楽器・楽譜・パソコン、お土産にもらった温泉饅頭などの荷物は《きーちゃん》に用賀のアパートまで持っていってもらい、身軽になった。
 
千里本人は駒澤大学前駅から会場まで1kmほどの道をジョギングして会場入りした。
 
いよいよ2016年オールジャパン(皇后杯・全日本総合バスケットボール選手権大会)の開幕である。
 
 
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