【春心】(3)

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図書館の「呪いの本」を探すのは、結局夏休み直前の木曜日に実行された。参加したのは、純美礼・凉乃・美由紀・日香理・徳代・ヒロミ・青葉と、社文科の図書委員・彩矢、そしてその話を聞いて付き合うと言った3年生の図書委員長・佳珠子さんに図書館司書の海老川さん、という総勢10人である。
 
海老川さんもその噂は知っていたが、海老川さんがこの学校に来た5年前から今年まで、在学中に亡くなった生徒はいないから、都市伝説の類いだと思うとは言った上で、万一本当に危険な本があったら、撤去したいからと言って参加してくれた。
 
「死んでなくても性転換した生徒はいないかな?」
「在校中に性転換した子というのも知らないなあ」
「のろいで性転換することってあるの?」
「そんな話も聞いたことない」
 
「だけどこの図書館の蔵書は10万冊でしょ? どうやって探す?」
「やはりそういう危険な本は何らかのオーラが出ているのでは?」
「やはり青葉の霊感頼りかな」
 
「先生、5年前から今まで亡くなった生徒がいないなら、例えばその間に一度も帯出されたことのない本をリストアップできますよね?」
と図書委員長が訊く。
 
「できる。それ、やってみようか」
というので、委員長と海老川さんはそちらの作業に取りかかり、他の8人は取り敢えず閲覧室内の本棚を見て回った。
 
「そんな危険な本はやはり書庫の中かなあ」
「いや、書庫の中にあれば事故的に借りられる危険は少ないと思う。私は閲覧室の中という気がする」
と日香理は言う。それは一理あるなという気もした。
 

「しかし雲をつかむような話だなあ」
「魔術の本とかかな?」
「そんな本、学校の図書館には無いよ」
「意外に童話の本だったりして」
 
「それって、同じ本なら全部呪いが発生するもの? それとも特定の個体のみにそういう呪いが掛かったりするもの?」
 
「それは両方あり得る」
と青葉は答える。
 
「20年くらい前だけど、ある魔術の本でそういうの聞いたことある。古い本で当時日本に3冊くらいしか無かったらしいけど、その本を持つ人全員、怪異が起きて。やっかいなことに、その手の本って処分困難なんだよね。捨ててもいつの間にか本棚に戻るし、焼こうとしても事故が起きて焼け残る。持ってた人はみんなかなり苦労して処理したみたい」
 
「どう処理するの?」
「あまり興味を持たない方がいい。感応するから」
「うむむ」
 
「その本はじゃもう3冊とも無くなったの?」
「分からないね」
「うむむむ」
 

8人は最初まとまって歩いていたものの、その集団でおしゃべりしながら図書館の中を歩いていると、やはり本を読んでいる人たちに迷惑ということで2人ずつのペアになって行動することにする。何か違和感のあるものを見たら青葉にチェックしてもらうことにした。
 
純美礼と凉乃、美由紀と青葉、日香理とヒロミ、徳代と彩矢、という組合せになった。とりわけ勘の悪そうな子を分散させると自然にこういう組合せになった。
 
「青葉、5月から6月に掛けて毎週東京に行ってたけど、毎週彼氏と会ってたの?」
と美由紀から訊かれた。
 
「会ってたけど、したのは最初の1度だけ。後は帰りの新幹線を彼が越後湯沢まで付き合って、車内で1時間だけのデート。土曜の朝から日曜の夕方まで、私ひたすらサックス吹いてたからね」
「そのために東京に行ってたんだもんね。じゃできなくて彼氏、もやもやしてるんじゃ?」
 
「まあ夏休みになるから、今度の21日はまた彼の所に泊まるけどね」
「土日は彼バイトか何か?」
「いや、またサックスのレッスン受けてくるから。今週末からまた4週。ただし8月10日は先生が、横須賀のサマーロックフェスティバルにサポートミュージシャンとして出演するから、その週がお休みで、最後は8月17-18日になるけどね」
 
「わぁ大変そう。お金も大変そう」
「うん。お金は無茶苦茶掛かるね。でも折角良いサックス買っちゃったから、頑張って練習しないと」
 
「青葉って、何か始めると集中してそれ頑張ってものにする感じ。ピアノを中学1年の時から始めたと言ってたけど、私が最初に青葉のピアノ聴いた時、充分上手いなあと思ったよ。まあ音痴の私が言っても説得力ないかも知れないけど」
「美由紀は耳は良いと思うよ。ただその自分が感じる音を出すのが下手なだけだと思う」
「つまり下手なんだな」
「まあ、それはそうだけどね」
 

委員長と海老川さんのデータベース検索の方は対象となる本が8万冊以上あってあっけなく頓挫した。日香理や純美礼が
「この本はどう?」
と言って青葉を呼びに来た本は、特に問題無かった。
 
1時間ほど探索した所で、司書室で休憩する。
 
「やはり膨大すぎるなあ。図書館の本を学校の全員に毎週1冊ずつ借りてもらって行って、誰か死んだら、それがその本だって訳には?」
と純美礼。
 
「無茶な」
「そんなこと言ってたら、純美礼がそれに当たるよ」
 
すると青葉はハッとしたように言った。
「それ、行けるかも」
「えー!? 生徒に犠牲になってもらうの?」
「先生、こういうことしませんか?」
と青葉は海老川さんに言った。
 

18時。閉館になるのを待つ。「調達」に行ってきた、美由紀・純美礼・徳代・ヒロミの4人が戻って来た。その「調達してきたもの」を、静かに閲覧室内に解き放つ。
 
「取り敢えず放置でいいよね」
「じゃ明日、朝1番に結果を」
「今日はお疲れ様でしたー」
 

翌朝6時。青葉たち「七不思議探検隊」のメンバーが図書館に集まる。委員長と海老川さんも来ている。
 
「じゃチェックして回ろう」
「よし」
 
手分けして閲覧室内を探索した。
 
「みんな来て!」
と日香理の声がある。全員そこに集まる。
 
本棚の1ヶ所に大量に蚊の死体が落ちていた。
 
「確認できたから、蚊取り線香焚くよ!」
「お願いします」
「私もう5ヶ所くらい刺された」
 
「この場所確認するまでは蚊取り線香焚けないもんね」
 
本当は図書館の中で火を使ってはいけないのだが、今回は特別に司書教諭の許可も取って、図書館中10ヶ所で蚊取り線香を焚いた。
 

「さて、ここに大量に蚊の死体が落ちていたということは、この付近だけど青葉、分かる?」
 
「この本だね」
と言って青葉は1冊の本を手に取った。
 
「ちょっと!触っても大丈夫なの?」
「私は大丈夫だけど、他の人は触らない方がいい」
 
それはただの**幾何学の本だった。
 
しかし何て禍禍しい気を放っているんだ。どうして昨日はこれに気付かなかったのかなと思うくらいである。触っている青葉の方にも何だか細々とした攻撃をしてくる。五月蠅いなあ・・・・と思っていたら、勝手に「珠」が起動して、強い波動を本に向けて放出した。
 
え!?
 
それで本が沈黙した!
 
うっそー!
 
過去に「剣」が勝手に起動して、熟睡していた青葉を襲おうとした生き霊を撃退したことはあった。この「珠」にしても、攻撃用の「道具」にはこういう癖があるのだろうか?
 
青葉は本が沈黙した隙に急いで封印を掛けた。
 
「それ、禁帯出シールが貼ってある」
「こんな本、普通は禁帯出にする必要無いですよね」
 
「多分この本が危険だということに気付いた、昔の司書さんが禁帯出シール貼ったんですよ」
「じゃ、間違って誰かが借りることは無いんだ」
「良かった」
 
「でも危険なら、なぜ捨てなかったんだろう?」
「捨てることができなかったからだと思います。多分この本、普通に捨てても1週間程度でここに戻ってくると思う」
「嘘!」
 
「その本、どうする?」
「先生、この本は除籍してもらえますか?」
「うん」
 
すぐに司書室に行き、除籍しようとしたのだが・・・・
 
「その本、除籍済みになってる。データベース上は」
「ああ」
 
「だったら、ますます借りられませんよね。登録されてないからシステムが処理できない」
「二重に安全弁を掛けたんだね」
 
「この本の処理は私に任せて頂けますか?」
と青葉は言った。
 
「うん、お願い」
「それから、あの本が立ってた所にはこの本を置いてテープで固定して誰も取り出せないようにしてください」
 
と言って青葉は自宅から持って来た聖書を渡した。母が某教団信者の友人から付き合い半分で先日買ったものだが、こういう用途には最適と思って持って来たのである。多分この聖書はそのために青葉の家に来たのだ。
 
「1ヶ月も置いておけば後は大丈夫ですから」
「了解」
 
海老川さんはその聖書をそこに置き、ビニールテープで固定した上で
「触るべからず」と書いた紙を貼り付けた。
 

青葉は母に電話し、急用で高野山に行ってくると告げた。
 
「学校が終わってから?」
「学校は休む」
「あんた今学校にいるんじゃないの?」
「いるけど、ちょっとこれやばいから」
「またあんた危険なことしてんじゃないの?」
 
「うーん。やむにやまれぬ事情だったんだよ。大丈夫だよ。手順にのっとってやれば命に危険は無いはずだから」
「ねぇ。青葉の命は青葉だけのものじゃないから。あんたが死んだら私悲しいんだからね」
「うん。自覚してる。ごめんねー」
 
それで青葉は学校の備品のアルミホイルをもらって封印の上から三重に包み(アルミ包装→常備品の塩を振る→アルミ包装→塩を振る→アルミ包装)、海老川先生の車で高岡駅まで行って7:30のサンダーバードに飛び乗った。
 
青葉はチケットを2枚買い、隣に誰も座らないようにした。大阪で南海に乗り換え、高野山まで行く。駅から歩いて瞬醒さんのいる★★院に到着したのはもう午後3時であった。
 
青葉が持って来た本を見て、瞬醒が眉をひそめる。
 
「なんつーものを持ってくるんだい?」
「ごめんなさーい。でも他に処理できる場所の見当が付かなくて」
 
「まあ、それ処理できる所はたぶん日本国内に3ヶ所くらいしかないだろうな」
 
まずは封印を再度厳重に掛け直す。それから瞬醒が用意してくれた山歩きの装備に着替え、ふたりで歩いて高野山中のある場所まで行った。
 
「凄い場所ですね」
「青葉ちゃん。何かで人を殺したりしたら、ここに持って来て放り込めば絶対バレないから」
「そうですね。そんな必要が出た時のために覚えておこうかな」
「でも普通の人はここに来ることはできても、ここから脱出できないね」
「まあ、無理でしょうね。脱出できないまま、数日以内に自分も一緒にブラックホールに吸い込まれてしまう」
 
ふたりで真言を唱え、封印されたままの本をそのまま、そこに投入した。
 

★★院まで戻ったのは、もう19時過ぎである。
 
「あの本はなぜああいう状態になったのでしょう?」
「詮索はしない方がいいけど、誰かが他の呪いをあの本に移したんだよ、多分」
「ああ、そういうことか」
「もう元の呪いがどんなものだったかは分からないね。かなり古いものっぽい」
「古いなというのは感じました」
 
「今日はどうするの? 今から富山に戻れる?」
「無理です。今日は大阪あたりに泊まります」
「それがいいだろうね」
 
瞬醒さんが、お寺の若い僧(と言っても多分50歳くらい)醒環さんに言って、青葉を麓の駅まで車で送らせたので、それで青葉は大阪まで戻り、市内のホテルに泊まった。醒環さんは
 
「瞬葉さん、最初気付かなかったけど、何か物凄いオーラ持ってません?」
と運転しながら言った。
 
「強いオーラをそのまま見せていると怪異に付け込まれやすいから、できるだけ隠しておくんです」
「でも隠せるのが凄いです」
 
「瞬醒さんも凄いですよ。少なくとも私より遙かに大きなオーラをお持ちです。多分。私も本気の瞬醒さんはまだ見たことないですから」
「うーん。凄い世界だなあ」
 
「醒環さん、今年の回峰には参加なさいます?」
「いえ、とても無理です」
「今年はけっこう初心者も参加しますよ。ちょっとだけでも参加なさると、勉強になりますよ」
「うーん。。。師匠に相談してみようかなあ」
 

大阪に着いてから母に「作業」が無事終わったことを連絡するとホッとした様子であった。
 
「ほんとに危ないことに関わらないでよね」
「うん。でも今回は、あの高校の生徒の誰かが犠牲になる危険があったんだよ」
「まあ、古い学校には色々あるのかも知れないね」
「ところでお母ちゃん、相談があるんだけど」
「うん?」
 
翌日は本当は東京で鮎川さんのサックスのレッスンを受ける予定だった。しかし急に高野山まで来たので、そのサックスを取りに戻ることができない。
 
「分かった。じゃ、私がサックス持って東京に出るよ。ついでに桃香の所に寄ってこよう。夏休みだし」
「ごめーん。助かる」
 
それで、翌日青葉は大阪からまっすぐ東京に入る。母は朝一番の飛行機で東京に出てスタジオで直接青葉と合流した。母が鮎川さんに会って挨拶すると、かえって鮎川さんの方が恐縮していた。
 
「あれ?先生、もしかして昔ドリームボーイズのバックで踊っておられませんでした?」
 
Lucky Blossomのフロントパーソンをしていたのより、ドリームボーイズのバックダンサーだったというのを覚えているのがさすがミーハーな朋子である。
 
「ええ。1年もやってなかったんですけどね。覚えていてくださってありがたいです」
 
母は結局鮎川さんにサインをねだって、手帳に書いてもらっていた。
 

母が桃香たちに会いに千葉に行った後、1ヶ月ぶりのレッスンを受ける。
 
「青葉ちゃん、1ヶ月の間に凄く進歩してる」
「毎日吹いてただけですから」
「充分、アマチュアバンドで吹いて恥ずかしくないレベルだよ」
「でもまだまだ先は長いです。頑張ります」
「私も教え甲斐があるなあ、こんなに進歩してくれると」
 

翌日夕方のレッスンが終わった所で母から連絡があり、結局桃香・千里・彪志と青葉・母と5人で食事をすることにし、青葉も千葉市内に移動した。
 
「お母ちゃんたちはどこか行った?」
「私はこの2日間、この子たちの部屋をひたすら掃除してたよ」
「面目ない」
「ああ、桃姉たちの部屋って、物の積み方が芸術的だから」
「本棚も1個新しく買って組み立てて、床の本をかなり収納した」
 
「積み上げてある本の下の方にあるのを、上手に上のを崩さずに引き抜くもんね。桃姉って」
「まあ、あれはだいぶ練習したね」
「じゃ、だるま落としの名人ですね」
「うん、あれも得意」
 
「千里さんは、もう身体の方は大丈夫なんですか?」
「うん。だいぶ調子よくなったよ。青葉のお陰だけど。まだ手術前の6割くらいのパワーで運用している感じだけどね。全然徹夜できないし」
 
「学校出て仕事始めたら徹夜作業とかもあるだろうけど、学生やってる間はできるだけ徹夜しないようにした方がいいよ」
と母も言っている。
 
「青葉は明らかに手術前よりパワーが上がっている」
と桃香が言う。
 
「青葉は普通の人とは違うから比較しちゃダメですよ」
と彪志からまで言われる。
 

「青葉はまた毎週出てくるの?」
「うん。お盆過ぎまでは。でも東京に着いてから帰るまでひたすらサックス吹いてるから千葉まで行けないや。ごめん」
 
「彪志君とはデートしてないの?」
「帰りの新幹線で越後湯沢まで同乗してる」
 
「それお金掛かりそう」
「青葉、それ彪志さんの切符は往復青葉が買いなよ」
と桃香。
 
「買ってるよ」
「私が自分で買うと言ったんですが、学生なんだから無理しないでと言われて」
と彪志。
「青葉だって高校生なのに」
「今継続的に受けてる仕事で毎月かなりの報酬もらってるから」
「かなりもらえるって、かなり大変な仕事なのでは?」
 
「でも新幹線の中ではセックスしにくいだろ?」
「しないよー、さすがに新幹線の中では」
「トイレにふたりで入ればできないか?」
「お姉ちゃんたちしてるの?」
「1度したことあったな」
 
千里が困ったなという顔をして笑っていた。
 

その夜は母は桃香の所、青葉は彪志の所に泊まり、翌日7月22日一緒に新幹線と《はくたか》で富山に戻ることにした。
 
それで22日の朝、彪志と一緒に朝御飯を食べていたら電話が掛かってくる。
 
「おはようございます、冬子さん。台湾公演お疲れ様でした」
「ありがとう」
 
冬子たちは7月20日(土)にローズ+リリー初の海外公演を台北でしてきたのである。
 
「凄く盛り上がったみたいですね」
「毎年はできないけど、また来たいと思ったよ。私は中国語さっぱり分からないから政子がMCで何を話してるか、全然見当も付かなかったけどね。痛たたた」
 
最後のは、きっと政子さんが電話中なら悪戯し放題と思って何かしてるなと青葉は思った。
 
「それでさ、昨夜ちょっと用事があって、古い友だちの鮎川ゆまに電話したら、青葉、今ゆまさんからサックス習ってるんだって?」
 
「はい。5月から6月に掛けて集中的に習って、また今月から来月に掛けて集中的に習います」
「ゆまさん言ってたけど、もうプロ並みに吹けるらしいね。凄いね。この春から練習し始めたのに」
「まだとてもプロのレベルには遠いですよ。アマチュアバンドならやれると言われましたけど」
 
「それは青葉が調子に乗りすぎないように控えめに言ったんだな。ゆまさん、もうプロと名乗ってもいいくらい吹けてると言ってたよ」
「褒めすぎです」
 
「それでさ、そんなに吹けるなら青葉、私たちのライブにちょっと出ない?」
「へ?」
 
「来月2日に富山で私たちライブやるからさ。そのオープニングにちょっと出てくれないかと思って」
「私なんかが出て何するんですか〜?」
「一度、『聖少女』の共同作曲者・リーフさんを紹介しておきたかったんだよ。今回のツアーは私たちにとって、ここ3〜4年の総決算の意味もあるから」
 
『聖少女』は2011年夏に制作された曲であるが、冬子がこの曲を書く直前に青葉がヒーリングをしている現場を目撃し、霊感の少しある冬子はその青葉のヒーリング波動を無意識のうちに曲の中に取り入れてしまったのである。そのため、この曲を聴くと、間接的に青葉のヒーリングを受けているかのような効果が出る。
 
そのことを指摘された冬子が、青葉をこの曲の共同作曲者としてJASRACに登録。CDがミリオンセラーになったため、青葉は凄い金額の印税を受け取ったのである。
 
「そういうことでしたら出てもいいです」
「了解。じゃシナリオをまとめてそちらにメールするから」
「はい。でもそんな所で吹くんだったら、私必死に練習しなきゃ」
 
「最初に『越中おわら節』を私の胡弓で弾いて、その後青葉に『聖少女』をサックスで吹いてもらいたい」
「分かりました。頑張ります」
 
そういう訳で青葉はローズ+リリーのライブのオープニングアクトに出演することになったのである。
 

当日。指定された時刻に予め送ってもらっていたバックステージパスを持って会場裏口に行く。スタッフさんに入れてもらい楽屋に行くと、冬子と事務所スタッフの松島さん、レコード会社の担当者・氷川さんが来ていた。挨拶するが、冬子が
「昨年秋のスリファーズ・ツアーで、春奈ちゃんのヒーリングをしてくれた凄腕ヒーラーさん」
と紹介すると、驚いていた。
 
「女子大生?」と松島さん。
「いえ、高校生です」
「北川から話には聞いていたけど、こんなにお若いとは」と氷川さん。
 
「今日はマリさん・ケイさんのヒーリング?」
「それはいつも頼んでいるけど、今日の出演者。この人が《リーフ》なんです。オープニングでサックス吹いてもらいます」
と言うと、
「えーー!?」
とまた驚かれる。
 
更に冬子が
「この子4オクターブの声域持ってるんです。物凄く歌うまいですよ」
と言うと
「それは歌を聴いてみたい」
と氷川さん。
 
「青葉、松原珠妃の『硝子の迷宮』を歌ってごらんよ」
「はい」
 
超広い声域を持つ松原珠妃の実力を誇示するためにドリームボーイズの蔵田孝治が書いた曲でアルト声域の一番下より低いE3から、若くて優秀なソプラノ歌手にしか出ないA6まで使う恐ろしい曲だ。当時この曲がカラオケで歌えたら芸大の声楽科に合格するなどという伝説も生まれた曲である。しかし青葉は、そのとんでもない曲を難なく歌ってしまった。
 
本当に驚いたような顔で聴いていた★★レコードの氷川さんが
 
「ね。君、うちのレコード会社からデビューする気ない?」
と訊いた。
 

その内、今日のゲストコーナーで歌う、双子のアイドル歌手・鈴鹿美里が付き人代わりのお母さんと一緒にやってくる。冬子が、青葉をふたりに紹介するが、青葉は
「ファンなんですー」
と言って、握手をしてふたりのサインをもらっていた。
 
「この場だから言っちゃっていいよね」
と冬子は言う。
 
「えっと・・・」
「リーフちゃんはMTF。既に性転換手術済み。20歳になるまで戸籍上の性別は変更できないけど、学校では完全に女子生徒扱い」
と冬子。
 
「えーー!?」
鈴鹿美里だけではなく、ふたりのお母さんや氷川さん・松島さんもまた驚いている。
 
「で、鈴鹿美里のお姉さんの鈴鹿ちゃんの方もMTFだけど、小学5年生の時から学校では女児扱いで、今中学にも女子制服で通っている」
と冬子。
 
「ああ、やはり鈴鹿さんの方でしたか。友だちの間でもどちらが男の子だろうというので意見が真っ二つに分かれていたのですが」
と青葉。
 
「凄いね。パスしてると言うんだっけ? ケイさんもだけど、鈴鹿ちゃんも、リーフさんも、みんな元男の子だったとは思えないよね。女の子にしか見えない」
と氷川さんが本当に感心しているふうであった。
 
「鈴鹿ちゃん、このリーフちゃんがこないだ言ってた病院で手術してもらったんだよ」
「あれ?でも高校生さんですか?」
「そう。医学的にひじょうに珍しい事例ということで、特例中の特例中の特例で手術が認められたんだよ。普通は特例でも18歳以上」
「ですよね」
「公演が終わった後、その病院に行ってみる?」
「ええ、ぜひ」
と鈴鹿は自分の母の方を見ながら言う。お母さんも頷いていた。
 

「ところでマリさんは?」
と青葉が訊く。
 
「遅いね。あの子も遅刻魔というか、そもそも時間という概念の無い世界で生きてるからなあ」
と言って、冬子は携帯で事務所の『桜川さん』を呼び出した。
 
「どうですか?」
「今**まで来たところです。あと15分くらいで会場に到着します」
「すみません、よろしくお願いします」
 
普段は、冬子は政子と一緒に行動しているのだが、この日は政子が富山市内で買いたいものがあると言ったので、念のため事務所スタッフの桜川悠子さんを付けておいたのである。
 

やがて公演が始まる。今回のツアーでは各地でそれぞれその地にちなんだオープニングを工夫していた。富山公演では、最初ケイ(冬子)の胡弓でマリ(政子)が、越中おわら節を踊るという趣向になっていた。
 
おわら節の基本である「平踊り」を2回踊った後で、ケイの胡弓が『聖少女』の前奏を奏でる。マリがその歌を歌い出す。
 
そして間奏の所になった時、青葉は愛用のピンクゴールドのサックスを持ち舞台に出て行って、ソロパートを演奏した。ステージに出て行くと凄い拍手で迎えられるので気持ちが昂揚する。
 
これ気持ちいい!
 
気持ちよくなるとサックスも冴える。青葉は何だか普段以上にうまく吹けている気がした。
 
間奏が終わって、またマリが歌い始めるが、青葉はケイが胡弓で弾くメロディに音の厚みを付けるかのように、サックスを吹き続けた。
 
演奏が終わるとケイが
「『聖少女』の共同作曲家、Leafさんでした」
と紹介する。
 
それで大きな歓声と拍手をもらい、青葉は観客に向かってお辞儀をすると舞台袖に下がった。
 

青葉が下がるのと入れ替わりに、今日の伴奏に入る宝珠七星さんが出て行く。七星さんは青葉とハイタッチし
「今日の出来は凄かったよ」
と笑顔で青葉に言った。
 
「リーフさん、こういう舞台の経験はたくさんあるの?」
と氷川さんに訊かれる。
 
「中学時代に合唱コンクールで全国大会まで行きましたから」
「なるほどー。でもサックスも本当に上手いね〜」
「いやお恥ずかしいです。この春から練習し始めたばかりなので」
「うっそー! 充分プロのレベルだよ。もう3〜4年やってるのかと思った」
 
「習っている先生からは『アマチュアバンドのレベル』と言われたんですが」
「ヤマハか何かの教室に通ってるの?」
「いえ。毎週東京に出て、鮎川ゆまという先生に習っています」
 
「鮎川ゆまって、Lucky Blossom?」
「はい」
「すっごーい。鮎川さんのお弟子さんか! そりゃ鮎川さんから見たらアマチュアと言われるかも知れないけど、鮎川さんがプロと言うのは、今日の伴奏の宝珠さんとか、鮎川さんの先生の雨宮三森とか、そのレベルくらいだよ」
 
と氷川さんは言っていた。
 

中学や高校のクラスメイトで、この公演を見た人が数人いて、青葉がピンクゴールドのサックスを吹きながら出てきたのを見て仰天したらしい。
 
「青葉出演料は幾らもらったの?」
と後から美由紀に訊かれた。
 
「出演料は無し。私アマチュアだからギャラは受け取れない。受け取ると今度のコーラス部と軽音部の大会への出場権を失う」
 
「えー?じゃただ働き?」
「お金は印税で受け取っているから充分だよ。ファンの人への挨拶代わりだったしね」
 

8月9日(金)の夕方。この週は鮎川さんのサックスレッスンは無いのだが、青葉はサックスを持って高岡駅に出かける。そして越後湯沢行きの《はくたか》ではなく大阪方面行きの《サンダーバード》に乗り込んだ。
 
大阪で菊枝・瞬高さんと合流し、菊枝の車で高野山の★★院まで行った。10人ほどの回峰参加者が集まっている。結局醒環さんも青葉や菊枝同様、一週間コースに参加することにしたらしい。1ヶ月頑張るのは瞬嶺・瞬海・瞬常の3人だけだが、その間、瞬醒と醒環も回峰はしないものの庵に寝泊まりして、食事の世話と大乗経の読誦をする(転読ではなくマジに読む)。
 
山道をみんなで固まって歩いて行き、庵の方へ行くポイントに到達する。
 
「おお、道ができてる」
「今半分まで出来た。9月までに完成させる」
「凄い」
「いや10月以降は作業不能」
「だろうね」
「工事の人たちはみんな命綱付けてもらってる。お陰でまだ行方不明者は出ていない」
「出家したくなった人は?」
「工事が終わったら修行させてくれと言っている人が3人」
「やはり」
 
「この神々しい場に居たら、人生を考え直したくなるでしょうね」
 
道には手摺りが付いているが、そこにレールが付いていて、鎖が付いている。
 
「その鎖を各自自分の服に結びつけてください。この場では、一瞬の気の緩みで行方不明者の仲間になります。その防止のためです」
 
瞬醒さんはそう言うと、自ら自分の服の腰紐に鎖の端の留め金を取り付けた。事前の打ち合わせで、菊枝と青葉が先頭に行き、いちばん端の鎖に自分たちのベルトを取り付ける。そしてふたりを先頭に一行は出発した。最後尾には瞬嶺さんが付いた。
 

やがて道の終端に到達する。
 
「ここからは本当に油断ができないルートを通ります。ロープを使います」
と瞬醒さんが言って、長いロープをわたし、そのロープを各自のベルトなどに通してもらった。
 
「迷子防止のロープですが、もし足を踏み外したりして転落した場合は自主的に自分のベルトとかを切ってください。自分以外を事故に巻き込まないようにすること」
 
という瞬醒さんの言葉に全員厳しい顔で頷く。それは山に入る者の暗黙のルールだ。
 
慎重に。初心者に考慮して普段より少しゆっくりしたペースで先頭の青葉と菊枝は歩いた。そして結局★★院を出発してから4時間ほど経ったところで、庵に辿り着いた。
 
「お疲れ様」
「生きてここに辿り着けましたね」
「本当に生きているかは分からないよね」
「えー!?」
「死んでいても恐らく気付かない」
「うむむ」
「ここは生や死を越えた場所ですよ」
 
最初に師匠の名前と生年月日没年月日を書いた自然石に黙祷した後、般若心経を全員で唱えてから、食事係の瞬醒さん以外が回峰に出発する。今日はここに辿り着いたのがもうお昼過ぎ(たぶん:誰も時計など持ってない)だったので短縮ルートで歩いた。
 
ひたすら道?らしき所を歩いて行くが、あちこちに石を積んだような場所があり、それぞれの場所でそこ固有の真言を唱える。
 
「あのぉ、瞬嶺さんの真言と瞬高さんの真言とが違うんですが、どちらを真似すれば?」
と醒環さんが質問する。
 
「私や瞬葉のもまたそれぞれ違ってたね」
と菊枝が楽しそうに言う。
 
「それぞれみんな師匠から教えられたものだと思うが」
「師匠は音だけで教えてるから、それぞれ違った覚え方したのかも」
「一度突き合わせて統一見解を作るかねぇ」
などと瞬常さんが言ったが、瞬嶺さんは
 
「必要無い。瞬葉が唱えたのを覚えればいい。最後に教えられてるから、恐らくいちばんオリジナルに近い」
と言った。
 
「うんうん。こういうのは最大公約数を取るより、最新のを使った方がいい」
と瞬高さんも言う。
 
「それにそもそも真言は習うものではない。自分で見つけるもの。仏の境地に到達すれば自ずからそこで唱えるべき真言は分かる」
と瞬嶺さんは言った。
 
みんなが納得するように頷く。
 
「まあ、私も修行不足でその境地に遠いけどね」
と瞬嶺さんは付け加えるが、瞬嶺さんに修行不足と言われたら、みんなひよっこ同然だ。
 
ともかくもそれで醒環さんは青葉が唱える真言を真似することにした。
 

慣れない人もいるので、本当にゆっくりしたペースで回峰し、夜の(多分)9時頃に庵に帰着した。
 
「さあ、寝よう寝よう」
「御飯は?」
「御飯は朝1回だけ」
「ぎゃっ」
「寝ればお腹は空かない」
 
「男女混じってるけど、ゴロ寝でいいんだっけ?」
「こんなところでセックスしたくなる奴はおるまい?」
「だいたいみんな立つの?」
 
「私はそんなもの20年くらい前に卒業したな」
などと瞬嶺は言っている。瞬嶺は今年96歳だ。体力はまだ50代と言っているが男性機能はさすがに消失しているのだろう。
 
「なんだ、だらしない。僕はちゃんと毎朝立つよ」
などと瞬醒は言う。瞬醒は今年75歳だ。
 
「今年くらいが最後じゃないの? 残り僅かな男である時間を楽しみなよ」
などと瞬海に言われている。
 
「私を襲おうとしたら、明日の朝は谷底で冷たくなってるからね」
と菊枝が言う。
「ああ、瞬花は怖そうだ」
「瞬花は冗談じゃなくて本当にやりそうだ」
 
「瞬葉を襲おうとしたら、明日の朝は分子分解されてるだろうね」
と菊枝は更に付け加える。
 
「ああ、確かに瞬葉ちゃんも怖そうだ」
「あれ?瞬葉ちゃんって、身体は男の子だよね?」
「去年手術して女の子の身体になったんだよ」
「何を今更」
「知らなかった」
「情報が遅い」
 
取り敢えず菊枝と青葉が庵の奥の方で寝て、隣に瞬嶺が寝てくれた。
 

8月16日。一週間限定で回峰に参加したメンバーが食事係で残る醒環さん以外下山する。青葉は菊枝の車で大阪に出た。大阪で一泊した後、17日朝、新幹線で東京に移動する。今日は鮎川さんとの夏休み最後のレッスンである。
 
しかし鮎川さんは青葉を見るなり言った。
「青葉ちゃん、何があったの!?」
 
「何がって何が?」
「だって青葉ちゃん、光り輝いている。まるで聖者みたい」
「ああ。それに近いかも。高野山で一週間、回峰行をしてきましたから」
「かいほう?」
「山野を歩いては真言を唱える繰り返しです。1日に山道を40kmくらい歩きます」
「ひゃー!」
 
それでその日サックスを吹いていたら更に言われる。
 
「演奏が神懸かってる」
「あはは。今日明日くらいだけかも」
 

翌日夕方。今回最後のレッスンを受けた後、鮎川さんに言われる。
 
「ほんとに青葉ちゃんは物覚えが速い。もう私が教えることは無いくらいだよ」
「そんなこと、おっしゃらずにまた教えてください」
「じゃ、年に1〜2回くらいでも」
「そうですね。じゃ次は11月くらいに」
「OKOK」
 
スタジオを出ようとしたら、七星さんが来たので、練習で吹いていたスタンダードナンバーの『Stranger in Paradise』(原曲ボロディン『ダッタン人の踊り』)を吹いてみせた。
 
七星さんはじっと青葉の演奏を見ていた。
 
そして演奏が終わると大きく頷いて言った。
 
「ね、ね、今度スターキッズのアルバム作るのに、一緒にサックス吹かない?」
 
「えー!?」
 

やがて2学期が始まる。大会が近いので、部活の練習も力が入る。コーラス部の方が先なので、この時期は軽音の練習1時間にコーラスの練習2時間していた。コーラスの大会が終わると軽音の練習一色になる予定である。
 
「かなり出来てきたね」
「最初は半ば素人の寄せ集めだったからね」
「でもみんな音感が良い」
「そうそう。ちゃんとハーモニーになってる」
 
それで9月15日が来て、大会の行われる富山市まで出て行く。参加するメンツは、元々のコーラス部11人・軽音部7人・青葉が誘った助っ人3人・美滝が誘った助っ人4人の合計25人+ピアノを弾く紡希、ピアノの譜めくり係の美由紀、そして指揮をする今鏡先生である。
 
参加人数に下限は無いものの25人未満だと実質的に採点対象にしてもらえず参考参加になってしまう。25人いると「通常参加」だが、この学校のコーラス部は部員不足でここ数年ずっと参考参加だった。それが今年数年ぶりに通常参加できると部長は喜んでいた。
 

8:03の富山行きに乗るので7:40高岡駅集合になっていた。青葉は母に車で送ってもらい7:20くらいに高岡駅に着いた。日香理と空帆が来ていたので、少しおしゃべりなどしていたら理数科の吉田君が駅舎内に入って来た。
 
日香理も空帆も知っている相手なので、おしゃべりの輪に引き込む。
 
「吉田君、どこ行くの?」
「今日****の発売日なんだけど、かなり品薄っぽいんだよ。高岡じゃ買えない気がするから、津幡に行ってみる。少しは競争率が低そうだから」
 
「じゃ8:04の金沢行きに乗る?」
「いや7:41に乗る」
「8:04に乗りなよ。それまで私たちとおしゃべりしてようよ」
「なんで〜? 俺少しでも早く着きたいから。今日親父に車で送ってもらおうと思ったら急ぎの仕事とかで出て行っちゃし。それでJRに乗りに来たんだけどさ」
 
「せっかく女の子と話せるんだから、少ししゃべっていきなよ」
と空帆が強引に引き留めるので、吉田君も、まいっかという感じになる。
 
「買えなかったら責任取れよ〜」
などと吉田君は言っているが
「ゲームするより女の子と話せる方がずっといいって」
と空帆。
 
「女の子って、そんなに貴重なものか?」
「女の子との恋に命掛ける男の子だっているのに」
「俺は恋愛は20歳すぎてからでいいや」
 

やがて世梨奈が来たが、楽器のケースを持っている。
 
「世梨奈、なぜフルートを持って来た?」
「え?だって大会だから」
「軽音の大会は来週」
「今日はコーラス部の大会」
「あれ? そうだっけ?」
 
「逆に勘違いしていたらやばかったね」
「その場合はボイスフルートで」
「できるの?」
「ボイスパーカッションなら聞いたことがあるが」
 

少しずつ合唱大会に参加するメンツが集まってくる。今鏡先生やコーラス部部長の茶山さんも来て、人数を数えている。
 
「**ちゃんが来てない」
「**ちゃんも来てない」
 
美滝が誘った4人の助っ人の内、2人が来てないのである。4人は青葉が誘った3人と同様、普段の練習は任意参加で時間の取れた日だけ参加していて、後は本番には参加するということだったのだが。
 
集合時刻の7:40を過ぎても来ないので美滝が電話を掛けていたが
「えー!?分かりました。お大事に」
と言って電話を切る。
 
「何?病気?」
「**ちゃんも**ちゃんも風邪だって」
「なぜ2人も揃って」
「昨日ふたりで一緒に太閤山ランドに遊びに行ってたらしい」
「一緒に遊んでいたから、一緒に風邪引いたのか」
 
「どうする?」
「仕方無いわね。23人で歌いましょう」
と今鏡先生は言うが、青葉は何か手が無いかと考える。25人未満になると採点対象外だ。
 

その時、唐突に空帆が言った。
 
「ね。吉田。あんた参加しなさいよ」
「は?」
「ゲームくらいどうでもいいじゃん。部活に青春燃やすのって素敵だよ」
 
「ちょっと待て。お前ら女声合唱じゃねーのかよ?」
「女声合唱であれば、本人の性別は問わない。大会ルール」
「何それ?」
「ちゃんと大会規約に書かれているよ」
 
「ああ。中学の時も、男の子が混じっている女声合唱の学校あった」
「でも俺、女の声なんて出ないぞ」
「構わない、構わない。口パクでいい」
 
「でも俺部員じゃないぞ」
 
なんかとんでもないことをさせられそうなので必死に抵抗している感じだ。
 
「部員でなくても、うちの高校の生徒なら参加して問題ないですよね?」
「うん。確かに。参加者の名簿を提出している訳ではないし。提出しているのは、部長の茶山さんとピアニストの田村さんだけ」
 
「でも制服じゃないといけないのでは?」
「制服ね〜。あ、紡希ちゃーん」
と空帆が呼び掛ける。
 
「はい?」
 
「紡希ちゃんさ、その制服貸してくれない?」
「え!?」
「紡希ちゃんはピアニストだから制服を着てなくても大丈夫ですよね?」
「それは確かに」
 
「私の服を吉田君に着せるの?」
 
紡希は自分の服を男の子に着られるのを嫌がっている感じだ。そこで青葉が言う。
 
「紡希、その制服、私に貸してくれない? それで私の制服を吉田君に貸すよ」
「ああ。それなら良いよ」
と紡希。
 
「待て、俺、女の制服を着るのかよ?」
「めったに着られるもんじゃないから貴重な体験」
 
「だけど吉田君を入れても24人ですよ」
「後1人は美由紀だね」
と青葉が言う。
 
「え?」
「紡希、悪いけど譜めくりは自分でやってくれない?」
「いいよ。譜面はどっちみち暗譜してるし」
 
「だけど、私音痴だよ」
と美由紀。
「だから口パクで」
 

ということで、多目的トイレに紡希と青葉と吉田君で行き、青葉が持っていた私服を紡希が着て、紡希の女子制服を青葉が着て、青葉の女子制服を吉田君が着た。むろん紡希と青葉が着替える時は、吉田君には目を瞑っているように要求した。
 
「足の毛はソックスをしっかり上まで上げていれば、目立たないね」
「毛の濃い女の子もいるから平気だよ」
 
「でも、吉田君、女子制服着たら、けっこう女の子に見えるじゃん」
「吉田君身長は168cmくらい?」
「うん、そんなものかな」
「その程度の背の高さの女子はいるからね」
 
「でも変じゃないか?」
「可愛いよ。ね?」
「うんうん。美少女女子高生」
「これを機会に女装始めてみない?」
 
「でも俺、あそこ立ってしまいそう」
と吉田君は言っているが
「慣れれば平気になる」
と青葉は言う。
 
「吉田邦生(よしだ・ほうせい)の《邦生》を《くにお》と読むことにして今日は《くにちゃん》だね」
「あ、くにちゃん、可愛いかも」
と紡希も言っている。
 

それで、急遽徴用した吉田君と、譜めくり係から合唱の列に入れられることになった美由紀を含めて、25人+紡希+今鏡先生、という態勢で8:03の富山行きに乗った。
 
「くにちゃん、その制服着ている間は女子トイレ使ってよね」
「えーー?」
「だってその服を着て男子トイレに入ったら痴漢だよね」
「でも女子トイレの中で声は出さないように気をつけなよ」
「男声出して男とバレたら痴漢で捕まるから」
「足の毛が濃いのも気付かれないようにしなきゃね」
 
「どっちに入っても痴漢になるならトイレ行けないじゃん!」
 

富山駅に着き、バスで会場の所まで行く。参加高校は15校である。大会は10時から始まって13時くらいまで演奏が続き、そのあと結果発表があって解散である。みんなお弁当を持って来ているが吉田君は持って来ていないので青葉が「私のをそのままあげるよ」と言った。
 
「私1週間くらい何も食べなくても平気だし」と青葉。
「いや、私のお弁当を少し分けてあげるよ」と日香理。
「私のも少しあげるね」と美由紀。
 
大会が始まる前、会場そばの公園で軽く声を出して練習する。
 
アルトの列に入れられた吉田君が何だかもじもじしている。
 
「どうしたの?」
「いや、女の臭いが強烈で」
「臭い?」
 
「ああ、女の子が集まっている所に行くと、強烈に甘い香りがするんだよ」
とヒロミが言う。
 
「感じる?」
「ううん」
と女子同士で言い合っているが
 
「私も男の子だった頃は感じてたけど、今はもう分からなくなった。たぶんホルモンの関係じゃないのかなあ」
とヒロミ。
 
「ああ、ヒロミって女性ホルモン飲んでるんだっけ?」
「中3の秋頃から飲んでたよ」
「なるほどー」
 
「じゃ、くにちゃんも女性ホルモンを飲むと気にならなくなるよ」
「嫌だ!そんなの飲みたくない!」
「おっぱい大きくなるよ。自分のおっぱいなら触りたい放題」
「いやだぁ! それにチンコ立たなくなるのでは?」
「別に無くてもいいんじゃない?そんなの」
 
「ヒロミはもう取っちゃったんだよね?」
「まだ取ってないよー」
「その内取るんでしょ?」
「うん、その内」
「くにちゃんも、その内取っちゃえばいい」
「嫌だ、絶対嫌だ」
 
「だけど25人の女声合唱団の中に戸籍上男というのが3人も混ざっているというのは凄いな」
「3人?」
「誰だっけ?」
「え?くにちゃんとヒロミと青葉」
「あ、青葉忘れてた!」
「青葉のこと男の子とは思えないもんなあ」
 
「青葉、戸籍の性別、変更できないの?」
「20歳になるまでは無理」
「面倒だね〜」
 

やがて大会が始まり、5番目が青葉たちの学校であった。舞台袖の所で待機する。その時、大会の係員さんが声を掛ける。
 
「あれ、君?」
というので、一瞬、青葉達の視線が吉田君に集中する。
 
「君、制服着てないけど、同じ学校の子?」
と係員さんが声を掛けたのは紡希であった。
 
「はい、T高校の生徒です。私はピアニストなので私服でもいいと言われたので」
「ああ、了解」
 
ということで係員さんは紡希の隣に並んでいた吉田君には何も違和感を感じなかった雰囲気であった。
 

やがて前の学校が終わり、青葉たちの学校がステージに入る。アルトを先頭に、メゾ2、メゾ1、ソプラノの順に入って行き、整列する。紡希がピアノの所に就く。美由紀はメゾ1、吉田君はアルトの各々最後列に並んでいる。ソプラノ8人、メゾ1が6人、メゾ2が5人、アルト6人という並びだが、実際には美由紀と吉田君は口パクして歌わないので、本当はソプラノ8人、メゾ1が5人、メゾ2が5人、アルト5人である。
 
青葉は
「ソプラノには美滝もいるし、私、手薄なアルトに回りましょうか?」
とも部長に訊いてみたのだが、
「いや。メロディーを担当するソプラノが弱かったらどうにもならないから、青葉ちゃんはソプラノに居て。アルトは日香理ちゃん・立花ちゃんに頑張ってもらおう」
と言っていた。
 
ソプラノの青葉・美滝、メゾ1の美津穂、メゾ2の公子、アルトの立花といった「中核メンバー」は、1人で5人分くらいの声量を持っている。日香理も3人分くらいの声量を持っている。だから25人より少ない23人で歌っても、実際には40人近い合唱団くらいのパワーがある。
 
紡希のピアノ前奏に続き、まずは課題曲『ここにいる』を歌う。
 
春からずっと練習してきた曲だ。この曲はどちらかというと語るように歌う曲である。メロディアスな曲を得意とする青葉や美滝には、やや苦手な曲であるが、しっかりと言葉を明瞭に発音し歌い上げていく。
 
曲は静かに始まり、静かに終わった。
 
続いて自由曲『海を渡りて君の元へ』を歌う。
 
こちらは歌唱力をしっかり魅せる曲である。元々KARIONの美しいハーモニーを前提に作られた曲で、S1,S2,M,A → S,M1,M2,A にパート割が変更されていても美しいハーモニーが保たれている。ここは青葉も美滝も目一杯の声量で歌う。他のパートの子もしっかりと歌う。それで美しいハーモニーが演出される。
 
美由紀も吉田君も、まるで本当に歌っているかのように口パクで結構入魂歌唱していた。
 
4:30の演奏が終わった時、思わず会場から拍手が起きた。青葉は美滝と顔を見合わせて微笑んだ。
 

吉田君がトイレに行きたいというので、青葉が付いて行ってあげた。
 
「やはり女子トイレに入るの〜?」
「その方が問題起きにくい。でも中では何もしゃべるなよ」
「うん」
 
それで吉田君の手を引いて女子トイレの中に入ると、案の定列ができている。それで手を繋いだまま待つ。やがて個室が空いたので、中に入るよう促した。青葉も続いて空いた個室に入り・・・・吉田君の入った個室の音に集中する。そして向こうが個室を出た音を聞いて、青葉もそのまま個室を出た。
 
「くにちゃん、服が乱れてる」
と言って、スカートの後ろがめくれていたのを直してあげた。女装に慣れてないと、こういうのに気付きにくいんだよね〜。
 
それでまた手洗い場で並び、吉田君、そして自分と手を洗って外に出た。
 
「疲れた〜」
と小さな声で吉田君が言う。
「何だかスパイにでもなった気分だった」
 
「頻繁に女装してたらその内平気になるよ」
「俺、そんな平気になりたくない!」
 
「でも女子トイレなんて普通体験できないから、興奮しなかった?」
「とてもそんな心の余裕無いよ!」
 

やがて15校全部の歌唱が終わった。青葉たちは
「ああ、やはりうまい学校あるね〜」
などと言いながら聴いていた。
 
15校の内、実際には5校は人数不足で「参考参加」扱いになるようであった。つまり実質10校の争いである。
 
しばらくの休憩の後、審査員長が壇上に上がる。
「1位 W高校」
拍手が起きるが、代表者は騒がずにステージに行く。
 
「あそこ常連だもん」
と青葉たちの後ろに座っている部長さんが小さな声で言う。
 
「2位 Y高校」
こちらは凄い騒ぎである。富山市の公立高校だ。
「凄いね。去年は10位くらいだったよ」
と部長。青葉は頷く。10位というのは実質最下位のようなものだろう。そこから1年で入賞する所まで持って行ったというのは凄い。
 
「3位 C高校」
高岡の公立高校で奈々美が行っている高校である。おぉ、凄いと思う。こちらも何だか凄い騒ぎになって、代表者が凄く嬉しそうにしてステージに行った。
 
それぞれ審査員長から賞状をもらう。上位3校は中部大会に進出する。青葉は今年はさすがにダメだったけど、来年は行きたいなという気持ちで壇上の3校の代表を見ていた。
 
成績表を、今鏡先生がもらってきた。
「5位だったよ。頑張ったね」
と先生が言う。
 
「真ん中より上ですね」
「健闘、健闘」
「来年また頑張ろう」
「その前に来週の軽音の大会よろしく」
 
「だけど、くにちゃんほんとに違和感無いね」
「ねぇ、このままコーラス部に入らない?そのまま来年も参加」
「勘弁してくれよう」
「じゃ軽音部なら?」
「ああ。それなら入ってもいいかなあ」
 
「くにちゃん、何か楽器できる?」
「くにちゃんは中学1年の時、吹奏楽部でチューバ吹いてたね」
「チューバってホルンのでかい奴?」
「そんなの吹けるならトランペットかテナーサックス吹けない?」
「触ったことない」
 
「すぐ吹けるようになるよ」
「大会は来週だから」
「ちょっと待て」
「また女子制服着させてあげるよ」
「女子制服着たいんだよね?」
 
「俺は女装趣味は無ぇよ」
と吉田君は焦ったように言った。
 
「でも軽音部に入るともれなくコーラス部にも参加だから、来年も女子制服で大会参加だね」
「えーーーー!?」
 
 
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【春心】(3)