【春心】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-10-11
「ほら、よくあるじゃん、学校の七不思議って」
その日の放課後、社文科同級生の純美礼は言った。
「ああ。初代校長の像が走り回るとか、音楽室のベートーヴェンの肖像画が笑うとか?」
と美由紀が応じる。
「テニス部の先輩から聞いたんだけど、こんな感じらしいよ」
と言って純美礼は七不思議を言い始めた。
「1.校舎裏手の枯滝に夜中行くと水が落ちている」
「2.旧校舎の左端の3階から4階に行く階段が夜通ると1段多い」
「3.体育館の用具室に放置されているピアノが勝手に鳴る」
「4.体育館横の使用されてない女子更衣室から人の声がする」
「5.研修館4階のいちばん奥の女子トイレに使用禁止の個室がある」
「ちょっと、ちょっと、そこのトイレ、こないだの合宿の時使ったじゃん」
「ああ、確かに使用禁止って貼り紙のある個室があったね」
「その個室がどうかしたの?」
「分からないけど、七不思議に入ってるってことは、何か出るんじゃないの?」
「きゃー!」
青葉は微笑んでいた。こういう噂が広まれば、女子高生たちの恐怖心が雑多な霊を呼び寄せる場合もある。そもそも「空き部屋」というのは、色々なモノが溜まりやすいのである。今聞いた1〜4も、だいたいあまり人が行かない場所、風通しの悪い場所が多い。そういう場所も浮遊霊の溜まり場になりやすい。
「6.図書館に呪われた本があって、それを帯出した子は死ぬ」
「それ、怖い! なんて本なの?」
「分からない。それ知るのも多分ヤバイかも?」
「でも、うっかりそれ借りたらどうなるのよ!?」
「でもうちの図書館、蔵書が10万冊くらいあるから、そう簡単には当たらないんじゃない?」
「そして最後の7.夜中の0時に旧校舎玄関の大きな鏡の前に立つと、鏡の世界に引き込まれる」
「すると、次にその前に誰か立つまで出られないっての?」
と青葉は笑いながら言った。
「そうそう!それそれ!」
「まあ、ありがちな話だよね」
「ね、ね、その七不思議探訪しようよ」
と美由紀が言い出す。
「そういうの関わるの良くないよ。運気落とすから、止めとこうよ」
と日香理。
「運気が落ちる?」
と、話の輪には入っていなかったものの、傍で聞いていたふうの凉乃が訊く。
「だよね?」
と日香理が青葉に振るので、青葉は説明する。
「その手の怪談のある場所って、要するに浮遊霊が溜まりやすい場所なんだよ。うかつにそういう場所に行くと浮遊霊を拾っちゃったりすることもあるから、基本的には近寄らない方がいい。『触らぬ神に祟り無し』」
「へー。なんか、青葉ちゃんだっけ? そういうの詳しそう」
「そりゃ、この子、日本で五指に入る霊能者だもん」
「えーーー!?」
「東北大震災で亡くなった人の遺体を1000体くらい霊査で発見したんだよ」
「1000人も見つけてないよ」
「500人くらい?」
「まあ、300人くらいかな」
「すっごーい!」
「じゃ、青葉ちゃん、連れて行けば大丈夫だよね?」
と凉乃は乗り気になっちゃってる。
「よし、行こう!」
と美由紀が言って、結局七不思議探訪に駆り出されることになってしまった。
参加したメンツは、言いだしっぺの純美礼に、楽しそうな顔をしている美由紀と凉乃、美由紀と青葉が行くので結果的に付いてくることになった日香理、学級委員の徳代、そして行く途中で遭遇して「あんたも来い」と美由紀が徴用したヒロミである。
「ヒロミはこうしてると普通に女子高生だけど、実は男の子なんだよ。男の子がひとりくらい居た方が心強いじゃん」
と美由紀。
「えーー!? うっそー」
と純美礼と凉乃が驚いている。ヒロミは恥ずかしそうに俯いている。
「あれ?今気付いたけど、私たちも7人いるね」
「七不思議のそれぞれの場所でひとりずつ居なくなっていったりして」
「7ヶ所目で『そして誰もいなくなった』?」
「そういう怖いことは言わないようにしようよぉ」
と日香理がマジで注意している。
最初に校舎裏の枯滝に行った。学校の裏は崖になっているのだが、ここに確かにかつて滝が落ちていたというのは分かる。しかし今は水は流れていない。
青葉はそばに寄って滝の跡に指を当てて触ってみた。
「ね、日香理、これ実際時々水が流れてると思わない?」
「どれどれ」
日香理も寄って触ってみる。
「うん。私もそう思う」
「ほんとに水が流れてる?」
「そもそも。ここ少し湿気ってる。それに、枯れたままの滝なら、ここに砂とか細かい泥とかが付着してると思うんだ。でもここ岩肌がきれいにしてる。ということは時々水が流れて砂の類いを洗い落としているんだよ。この湿気の雰囲気からすると、1日以内に流れたことがある」
「きゃー!」
「やはり夜中に?」
「上に回ってみない?」
青葉たちはいったん学校の外に出て、回り道をして、崖の上の方に出る道に入った。10分くらい歩いて、枯滝の上の所に辿り着く。
「こうなってたのか!」
枯滝の上の部分は、小さな川がある。水は流れていない。しかし、その川の少し上流側に、豆腐屋さんの看板が出ていた。青葉は先頭に立ってそちらに行く。お店の人に声を掛けた。
「こんにちは。済みません、客ではないのですが、ちょっと教えて頂けませんか?」
「はい?」
「そこの川、水は流れてないようですが、もしかしてこのお店の排水とか流れてます?」
「ええ。毎朝、早朝から豆腐作りをするので、その時、排水をそこに流します。でも、環境基準が厳しいから、きちんと浄化して、ほとんど無害の状態にしたものを排水してるんですよ」
「ここの川は昔はそもそも水が流れていたんですか?」
「ええ。昔は流れていたんですが、20年くらい前の大きな地震で水源が涸れてしまって、水無川になっちゃったんですよ」
そういう訳で、枯滝は、毎日早朝にこの豆腐屋さんの排水が流れているだけだということが判明した。
「あぁ、七不思議のひとつが消えちゃった!」
「豆腐屋さんが元だったとは」
「純美礼の苗字も豆腐だし」
「あら、あなた、豆腐さん?」
と豆腐屋さんの奥さんが尋ねる。
「そうなんですよね。名前が《スミレ》だから、小学生の頃は《豆腐ツミレ》って呼ばれてました」
「じゃ、豆腐さんが折角ここまで来てくれたし、あなたたちに豆腐デザートの試食品をあげるよ」
「わぁ、いいんですか!」
遠慮するような子もいないので、ありがたく頂いた。
「美味しい!」
「プリンみたいー」
「これ、今度買いに来よう」
「よろしく〜」
その日は坂道を登るので燃え尽きたので、他の探訪は後回しになった。
それで翌日の昼休み、旧校舎に行ってみる。ここは玄関の鏡と3階から4階に上がる階段に七不思議がある。
「鍵掛かってる?」
「掛かってないみたい」
「でも勝手に入っていいのかなあ」
「立入禁止とは書いてないし」
などと言いながら、玄関のドアを開けて中に入った。確かに正面に大きな鏡がある。
「ここに夜中の0時に立つと、引き込まれるってのね?」
「青葉、何か感じる?」
「ああ。ここは確かに異世界の出入口だよ。深夜0時とは限らないけど悪いタイミングでここに立つと、ちょっとやばい」
と青葉は言った。
「じゃ、これ本物?」
「きゃー!」
「何か対策ある?」
と日香理が尋ねる。
「そうだねぇ」
と言いながら青葉は周囲を見渡す。
「あ、これだ。ちゃーんと対策されてたんじゃん」
と言って、玄関すぐの所の棚に倒れていた、小さな鏡を起こして、角度を調整した。
「これで怪異は起きなくなるよ」
「何?何?」
「多分、誰かこういうの分かってる人が、この空間やばいってんで、問題が起きないようにするために、この小さな鏡をここに置いたんだよ。この鏡がここにこの向きに立っている限りは、ここは安全」
「じゃ、これでこの不思議は消滅?」
「うん」
「でも、そしたらこの鏡に最後に閉じ込められた人はもう永久に出られないの?」
「閉じ込められるってのはさすがに無い。ちょっと頭がおかしくなるだけ」
「重大事故じゃん!」
夜中に来ると段数が1段増えるという階段にも行ってみる。
「どう?ここ」
「うーん。。。。」
「段が増えるって、どこに増えるのかなあ」
などと言って美由紀が行きかけたので
「美由紀、ストップ!」
と言って青葉は停める。
「何、ヤバイの?」
「ここさ。まともに霊道が通ってるんだよ」
「わぁ」
「踊り場の所から4階に掛けての部分だよね?」
と日香理が言う。
「そうそう。良く分かるね」
「だって見るからに雰囲気が怪しい。よく美由紀、近寄ろうとしたと思った」
「むむ」
「お友だちでこういうの動かすの得意な人がいるから、頼めば動かしてくれるけど、動かしても何年かしたら勝手に元に戻っちゃうよ」
と青葉は言う。
「じゃ放置?」
「どうせ、ここ誰も通らないし、放置でいいと思う」
「じゃ、この七不思議は消えないね?」
「消えないけど、霊道には関わらない方がいいよ〜」
その日の放課後は、また7人で体育館に向かった。体育館では卓球部の人たちが半分、バスケット部とバレー部の人たちが残り半分を使って練習していた。
「体育用具室のピアノって、入学式の時に使ったピアノだっけ?」
「それはエントランスの所に置いてあるグランドピアノ。七不思議で言ってるのは用具庫の奥にはまり込んでるアップライトピアノだと思う」
ここの体育館は入口の所に小さなエントランスホールがあり、大会などの会場になる場合はここに机を置いて受付をしたりする。エントランスホールには、男女トイレ、多目的トイレ、和室(事実上女子更衣室と化している)、教官室などもあるが、体育教官室の前に、大きなグランドピアノが置かれている。確かにこれが入学式の時に使ったピアノかなという気がした。
部活の人たちの練習を横目に、ステージ隣の用具室の中にぞろぞろと7人で入る。
飛び箱、マット、バスケットボール・バレーボールやバドミントンラケットなどの類いが無秩序に置かれている。その向こう、奥の壁際に確かにアップライトピアノが置かれていた。
「どう?青葉」
「そうだねぇ」
青葉はマットの上を乗り越えて、そのピアノまで到達するが、ピアノは背中をこちらに向けている。つまりこのピアノを弾くためには、ピアノの裏側に回り込む必要がある。となりに飛び箱があるので、青葉はその飛び箱の上を通って向こう側に入り込んだ。
椅子があり、ちょうど人が座れる程度の隙間がある。青葉はその椅子に座り、ピアノの蓋を開けて『エリーゼのために』を弾き始めた。
「へー、青葉、けっこうピアノ弾くんだね?」
と呉羽が感心したように言う。
「中学1年の時から練習しはじめたんだって」
「それで、ここまで弾けるようになるんだ!凄い」
「随分練習頑張ったんだろうね」
結局青葉は『エリーゼのために』を全曲弾いてしまう。それからピアノのふたを閉じて、また飛び箱を越え、マットを越えて出てきた。
「どうだった?」
「何も怪しい所は無いよ」
「じゃ七不思議は?」
「単に誰かがここでピアノ練習してたんじゃない? ここなら誰にも邪魔されずに心ゆくまで弾けるだろうし。でも長年調律してない感じ。音が結構狂ってるし、音の出ない鍵盤もあってちょっと焦った」
「確かにここでピアノ弾いてると、演奏者は外からは見えないよね」
「じゃ、そもそも怪談ではない?」
「だと思うけどなあ」
「ふーん」
それから体育館を出て、廊下の途中にある古い更衣室に行く。男子更衣室・女子更衣室が両側に設置されているが、ここは誰も使っていない。女子生徒はだいたいエントランスホールの和室で着替えるし、男子生徒はそこら辺で適当に着替えるか教室で着替えている。
しかし、青葉たちが行った時、その使われていないはずの女子更衣室から明らかに物音がした。
「きゃー」
と美由紀が声をあげたが、青葉は
「静かに」
と言った。
更衣室の引戸を開ける。
中で着替えている子がひとり居た。
「あ、済みません。お着替え中でしたか?」
と青葉はわざと声を掛けた。
彼女は無言で頷く。
「2年生さんですね?」
と体育館シューズの色を見て言う。彼女が頷く。
「でもどうして、ここを使っておられるんですか? 女の子はみんな向こうの和室で着替えているのに」
美由紀は青葉が妙にしつこくこの着替えている子にこだわるなという気がした。
「いや、ちょっと」
とその子はとうとう返事をしたが
「え?」
と美由紀が逆に声をあげる。
「あの・・・・もしかして男子ですか?」
「ごめんなさい」
7人は中に入って、戸を閉めた。
「痴漢・・・じゃないですよね? 他の子が着替えてない所に侵入したって、意味無いもん」
「わたし、女の子になりたいの」
と彼?彼女?は男声で言った。
「でもカムアウトする勇気とかなくて。着替えも男子更衣室で着替えるのは抵抗感があって、それでここなら他の人に見られないからと思って。お願い、変な事するつもりは無いから先生には言わないで」
「大丈夫ですよ。ここにも、女の子になりたい男の子がいるから」
と言って、美由紀はヒロミを引っ張り出す。
「え?あなた、男の子なの?」
「うん。戸籍上は男の子」
とヒロミが女声で言うと
「すごーい。女の子の声が出るんだ?」
「練習するといいですよ。私もこれ出せるようになるまで、かなり時間がかかりました。でもある日突然出るようになったんですよ」
「へー!」
彼女は2年生の平田ゆかりと名乗った。本名は雄太らしいが、オンラインゲームとかに登録する時は、ゆかり・女で登録するようにしているらしい。
「ああ、私も随分それやってました」
とヒロミが言う。
しばしはヒロミと平田さんとで色々話していたが、また普通に話しましょう、などと言ってその日は引き上げた。
「じゃ、使われてない女子更衣室で音がするというのは・・・・」
「ほんとに誰かが使っていたのではないかと」
「なぁんだ!」
「だけど性別問題をあれだけ話していても、誰も青葉のことは言わなかったね」
「まあ、青葉は100%女の子だからね」
「青葉の場合は、女の子になりたい男の子でも、間違って男の子に生まれた女の子でもなくて、女の子に生まれた女の子だったね」
「女の子に生まれた女の子なら、完全な女の子じゃん」
「だから、青葉は完全な女の子なんだよ」
「なるほどー」
特に中学から青葉を知っている子はみな納得していた。
5月14日の夕方、作曲家の田中鈴厨子(すずくりこ)さんが青葉の自宅を訪問した。聞こえない耳のヒーリングを受けるためであるが、青葉の母は有名人だからといって、お寿司か何かでも取るとかはせず、普通にスーパーで買ってきたお魚のお刺身、小松菜の味噌汁といった「普通の料理」でもてなした。
「青葉に相談したら、唐本さんがいらっしゃった時も、だいたいこんなものなので、その方がいいのではないかということになって。お口に合わないかも知れませんが」
と朋子は言うが
「いえ、こういうローカロリーのお料理が助かります。医者から血糖値のことかなりうるさく言われているので」
と田中さんは言う。
「しばしば地方に行った時に歓迎する気持ちは分かるのですが超高カロリーの料理が出てきて、困ってしまうんですよ。全然食べられないので」
「ああ、昔風の接待だとありがちですね。ケイさんの場合はだいたいマリさんと一緒だから、マリさんが全部食べてくれるので、ケイさんは血糖値をあまり心配しなくて済むみたい」
「ああ、ああいう子がひとりいると便利よね」
と言って田中さんも微笑んでいる。
「でも、このお魚、美味しい! 凄く新鮮。これハマチですよね?」
「そうです。北陸ではフクラギと言うんですけどね」
青葉は田中さんが聞き慣れない単語をしっかり(唇の動きから)読み取れるようにゆっくりと「フ・ク・ラ・ギ」と発音した。田中さんが唇を読みやすいように、青葉と母が並び、田中さんに向かい合うように座っている。
「へー! フクラギですか?確かに地域によって随分名前が違うみたいですね」
「たいていの地域で最後はブリ(鰤)になりますけど、途中経過は様々なパターンがあるみたいですね」
「この近辺では、隣の氷見市が鰤の産地として有名なんですよ。このフクラギも氷見で獲れたものって、パックに書いてありました。朝獲れシールの貼ってあるものを買ってきましたから」
「わあ、そういうの良いなあ。そういうお魚を普通に入手できるのが素敵ですね」
食後、少し休憩を兼ねてお茶を飲みながら、音楽関係のことを話した。
「青葉さん、楽器なさる感じ」
「小さい頃からやってたのは、横笛と法螺貝ですね」
「法螺貝!」
「私の兄弟子が出羽山の元修験者だったので、その人からの直伝です」
「すごーい」
「中学1年の時にボーイフレンドに唆されてピアノを練習しはじめて、今年は学校の部活でアルトサックスを吹くことになって、その練習中です」
「青葉、こないだ東京に行った時、ケイさんからフルートとヴァイオリンも頂いてきたね」
と母が言う。
「うん。ケイさんとマリさん、震災直後から東北ゲリラ・ライブをたくさんしていたということで、その時に使っていたフルートとヴァイオリンらしい」
「へー」
「フルートにヴァイオリンか・・・。私の耳ではヴァイオリンは無理だけどフルートは練習したら吹けるようになるかも知れないなあ」
「やってみるといいと思いますよ」
と青葉は言った。
「でも最初音が出ているのかどうかを確認する方法が無い」
「音を視覚化する装置を置いておけばいいんです」
「あ。そうか! あのソフト、うちのパソコンにも入れられないか、則竹さんに相談してみよう」
と田中さんは楽しそうに言っていた。
食事後1時間ほど歓談したところで、今夜お泊めする桃香の部屋に連れて行き、下着姿になってもらってヒーリングをする。服を着ているのより、身体が弛緩するので青葉としても作業がしやすいのである。
ヒーリングはやはり聴力がほとんど無い耳、そして声質が落ちている喉を中心にする。
「眠ってていいですから」
と声を掛けて始めたが、田中さんはホントに寝てしまった。作曲家として忙しく行動しているので、やはり疲れが溜まっているのであろう。
青葉は2時間ほど掛けてヒーリングをしてから、毛布と布団を掛けて自分の部屋に戻ろうとしたが、ふと目にもかなり疲れが溜まっているのに気付き、これは本人が寝ている時にするのが最適なので、目のヒーリングも30分ほどしてから自室に戻った。
翌朝も青葉が学校に出かける前、朝5時半から7時半に掛けてヒーリングをした。
「耳の感覚が昨夜眠ってしまう前とは全然違います」
「良かったです。ヒーリングって相性もあるから。私たちはお医者さんなどとは違って、全てのクライアントを助けることはできないんですよ」
「じゃ、私は青葉さんと相性がいいのかな」
「だといいですね」
「喉も調子がいいし、なんか目も楽な感じで」
「はい。目もかなり疲れている感じでしたのでヒーリングしました」
「そういうのが分かるのが凄いです」
「・・・飛蚊症とかは無いですよね?」
「一時期けっこうあったのですが、最近は収まっています」
「田中さん、血糖値コントロール、結構うまく行ってますね」
「そうかしら」
「HbA1c は 7 くらい?」
「そうそう。こないだ診てもらった時は7.2で叱られた」
「充分、コントロールが効いている範囲だと思いますけどね。気を緩めないようにすればいいですよ。恐らく血糖値の制御がうまく行っているので目の調子も良くなってきたんだと思います」
「ああ、やっぱり」
と言ってから田中さんは訊く。
「私の耳の病気も糖尿病からきたのかなあ」
「私は医者じゃないので、その手の話をすると法令違反になりますけど、その可能性は高いと思います」
「そうだよねぇ。不摂生な生活を送ってたから」
「忙しいと体力の維持を優先してしまいますからね。すると糖尿をやりやすいんです。特に痩せてる人は危ない。糖尿なんて太っている人の病気と思い込んでいるから。実は痩せててもやるんですよ」
「うん。私も病気で倒れるまでそれ知らなかったんだよ。ほんと健康は難しい」
その週の週末。金曜日の授業が終わってから、青葉は《はくたか》に飛び乗り、越後湯沢で新幹線に乗り継いで東京に出た。
青葉はコーラス部なのだが、人数が少なくてまともな合唱にならない。一方で軽音部も人数が少なくて本格的なバンドを組めない。そこでコーラス部と軽音部がお互い協力して、両方の大会に出ることになったのである。
それで青葉はアルトサックスの担当になり練習を始めたのだが、確かにすぐ音は出るようになったものの、吹きこなすには相当の練習が必要だと感じた。ところが、軽音部にはそもそもサックスの経験者が居ない!
分からない同士で練習していても、どうも迷走しているような気がしてならない。そこで、青葉は先日東京に出た時に、青葉の「マイ・サックス」を選んでくれた宝珠七星さんに連絡して、アルトサックスの勉強をするのに適当な所は無いだろうかと相談してみた。
「ちょっと東京に出てくる?」
と言われて、出て行くことにしたのである。
金曜日の夜はそのままホテルに泊まり、翌朝七星さんと落ち合う。
「お忙しいのに済みません!」
「大丈夫、大丈夫。音楽関係の仕事は、夜更かし・朝寝坊さんのアーティストばかりだから、今日も仕事入っているけど、お昼過ぎからなんだよね。午前中は動けるから」
と言って、七星さんは青葉を都内のスタジオに連れていく。青葉はそこに居た人物を見て、びっくりした。
「鮎川ゆまさん!? ラッキー・ブロッサムの?」
「うん。解散しちゃったけどね。だから私は今失業中」
と言って鮎川さんは笑顔で頷く。
「私と大学の同級生なんだよ」
と七星さんは言う。
「一応スタジオミュージシャンという看板は掲げているけど、今の時期みんな打ち込みで音源作っちゃうから仕事が無いんだよね。だから私はサックス教室がメイン」
と鮎川さん。
「わぁ、大変ですね」
「ゆまちゃん、教え方がとっても上手いし、軽音部のサックスだからポップス吹きの練習を徹底的にした方がいいだろうから、そうすると彼女は最適の先生だと思ってね」
「わあ、ありがとうございます。あの・・・・謝礼は?」
「御厚志で」
「相場が分かりません!」
「じゃ、これから毎週土日で4週間、あわせて8回のレッスンで10万というのではどう?」
と鮎川さん。
「それはさすがに安すぎます。その回数で25万円ではどうでしょうか?」
「うーん。まいっか」
ということで、青葉はそれから4週にわたって、週末には東京に出てきて、鮎川さんからサックスの特別レッスンを受けることになったのである。
一応鮎川さんのレッスンは土曜の朝9時と、日曜の夕方18時からということにしてもらった。土曜の朝レッスンを受けて、その結果を受けて自分で土日ひたすら練習をし、日曜の夕方のレッスンでチェックしてもらうということになる。青葉はその後、20時の新幹線で高岡に帰還する。
青葉の負担は、往復の交通費、宿泊費(2泊)、練習用のスタジオ代、そして鮎川さんへの謝礼で、かなりの金額になる。ちなみに往復の交通を高速バスにしようかなあなどと言ったら、母に叱られた。
なお七星さんにも謝礼を渡そうとしたら「ゆまからバックマージンもらうから不要」などと言われた。
日曜日の夕方、レッスンが終わって東京駅まで来たら、いきなり後ろから抱きしめられる。
思わず「きゃー」と声を出してしまったが、見ると彪志だった。
「びっくりしたぁ!」
なんて言ってたら、青葉の悲鳴を聞いて、近くにいた警備員さんが近づいてくる。
「どうかしましたか?」
「すみません。ちょっとふざけてただけです。ごめんなさい」
と青葉は言う。
「恋人同士?」
「はい」
とふたりで答える。
「人前であまり迷惑なことしないでね」
「申し訳ありませんでした」
ということで、彪志が荷物を少し持ってくれて、新幹線乗り場へと行く。これから越後湯沢まで、1時間ほどの車内デートなのである。
「せっかく東京に来るのに、ごめんねー。緊張感を持ってレッスンを受けたいから、レッスン前にはデートしたくないのよね」
「うん。分かってるつもりだけど、俺セックスしたい」
「あはは。夏休みくらいには」
「そこまでお預け〜?」
夕食代わりに構内でパンを買い、一緒に新幹線ホームまで行った。
「ちょっと早いけど誕生日おめでとう」
と言って彪志が小さな箱をくれる。
「ありがとう。開けていい?」
「うん」
「わっ、可愛い!」
それはピンクゴールドのハートのネックレスだった。
「つけていい?」
「もちろん」
「あ!これ、左手で引き輪の爪が押さえられるようになってる!」
「うん。普通と逆にチェーンを通してもらった」
「すごーい!」
青葉はいったんウェットティッシュで首回りを拭いてから、ネックレスの金具を両手で持ち、引き輪の爪を利き手である左手の指で開いた状態で左耳の下で合わせ、引き輪をダルマカンに通した。爪を押さえていた指を放すときれいにチェーンがつながる。位置を調節して、ハートが正面に来るようにする。
「青葉、ピンクゴールドのサックス買ったって言ってたからさ、お揃いにと思って」
「ありがとう! キスしたいくらい」
「歓迎」
青葉は周囲を見回すと、素早く彪志の唇にキスした。
「これなんだよねー」
と言って、青葉はケースからサックスを出してみせる。
「可愛いね!」
「でしょ! それでつい買っちゃったのよ」
「高そう〜」
「このネックレスも高そう〜。これ本物のピンクゴールドだもん」
「分かる?」
「分かるよ〜」
「フルートやヴァイオリンの練習もしてる?」
「今はほとんどしてない。取り敢えずサックス優先」
「確かに同時にいくつもやっても、どれも中途半端になるだろうしね」
「そうそう」
20番線で20:12発の《とき347号》を待っていたのだが、その《とき347号》になる予定の東京着20:00の《とき342号》が20:05になっても到着しない。この金沢方面に連絡できる最終便は常連客が多いので入線時刻を知っている人も多く、ざわざわとした雰囲気になる。
そこにアナウンスがあった。
「《とき342号》が大宮駅構内での人身事故のため遅れております。その車両が折り返し20:12発《とき347号》になる予定ですので、《とき347号》に乗車ご予定の方、しばらくお待ち下さい」
待っている客のざわめきがもっと酷くなる。
「人身事故って、やだなあ」と彪志。
「そう? そんなの気にしてたら鉄道には乗れないよ」
と青葉は言う。
「青葉って時々、唯物論者じゃないかと思う」
「あ、私って割とそうだよ」
「日本で五指に入る霊能者の言葉とは思えん」
「うふふ。でもこれが遅れると、彪志帰りの新幹線に間に合わないかも」
本来なら《とき347》が21:20に越後湯沢に着くので、そこから22:24の東京行き《Maxとき352》に乗ると、千葉に0:43に帰着できるのである。しかし万一こちらが遅れてしまうと、その乗り継ぎがうまく行かない可能性もある。新幹線の遅れに、越後湯沢で青葉が乗り継ぐ《はくたか》は待っていてくれる可能性が高いが逆向きの新幹線は絶対に待ってはくれない。
既に時計は21:30を回っていた。
「間に合わなかったら、適当な駅で野宿だな」
「田舎の駅だと野宿可能だよね。都会の駅は全員追い出されちゃうけど」
「でも事故ってばさ、俺の大学の近くによく事故が起きる踏切があるんだよ。そこ遮断機が最近まで付いてなかったんで毎年誰かはねられてたんだけど、やっと付いたかと思ったら、やはりこないだも子供がはねられて」
「ああ、そういう所は一種のダークスポットになりやすいから危険なんだよ」
「やはりそうか」
「引き込まれちゃうんだよね。特に心が弱っている人とか」
「あの手の事故って、時々事故なのか自殺なのか曖昧なのあるからなあ」
「本当は死ぬ気が無くても、フラフラと引かれて入り込むことあるんだよね」
「怖いなあ」
「彪志も徹夜明けとかの時は、そういう場所通らない方がいい。遠回りしてでも他の踏切とか、できたら陸橋を渡った方がいい。彪志、守護は強いけど、霊的な力を持っている人は、逆にそれを付け込まれることもあるから」
「うん、気をつけるよ。あそこはうちの大学の闇スポットのひとつだって先輩が言ってた」
「ああ、そちらもその手の話あるんだ?」
「青葉の学校にもある?」
「あるある。T高校の七不思議とか言われて。こないだからその内の5つまで友だちと探訪したよ」
「へー! まあ青葉が付いてれば安全だろうな」
「いや、私だって相手が悪ければやばいことになる」
「こっちは、その踏切とか、工学部内の池とか、医学部のそばの立入禁止になっている煙突のある煉瓦の建物とか、文学部の女子トイレとか、幻の教官とか、理学部放射線実験施設前の噴水とか、大学の東門とか」
「女子トイレは、トイレの花子さんみたいな?」
「似たようなものかも知れないけど、女子トイレの中で学生服の男の子を見るというんだよ」
「それ痴漢じゃないの?」
「鏡の中にしか見えないというんだよね」
「ふーん。それ多分ただの雑霊だと思う。気にしない方がいいよ」
「そっか」
「幻の教官ってのは?」
「その講義を取ると、実際に講義のあるはずの教室に行っても誰も学生が居ないっていうんだよね。それで待っていても教官も来ない。それで学期末の試験も無いけど、ちゃんとCが付いて単位はもらえる」
「なんて素敵な教官。彪志も受けた?」
「いや、どの講義がその幻の教官の講義なのか先輩も知らんと言ってた」
「ただの都市伝説っぽい」
「かも知れん」
「東門って何かあるの?」
「いや、うちの大学には東門は無いはず」
「ふーん」
「正門、南門、北門はある。そして知らない奴も多いけど実は西門も存在する。でも東門は無いはずなんだ」
「でも見たことのある人がいると?」
「そうそう。東側の門を通ったとしか思えない状況に遭遇したと主張する奴がいるらしい」
「いるらしい、という所が怪しい」
「それはある。この手のって伝聞の伝聞だから」
「オリジナルに辿り着けないこと多いよね」
「全く全く」
「噴水ってのは、出ない噴水?」
「そうそう。去年通ってたピザ屋のバイトを終えて大学に行く時にはよくそばを通ってた。水はきれいなんだよ。鯉も泳いでる。でも噴水はあるのに水が出てない」
「水がきれいってことは、ちゃんと水は供給されているってことね?」
「だと思う」
青葉は唐突にその話が気になった。
「でも、使用されてない噴水なんて、珍しくもないのに何でそれが闇スポットってことになってるの?」
「それがさ。その出ない筈の噴水から水が出てるのを見た奴ってのが今まで何人かいるらしい」
「うん」
「その噴水を見た奴が全員、その後、聴覚を失ったというんだ」
その話を聞いた瞬間、青葉は背筋がゾクっとするのを感じた。
「・・・・彪志、まだその噴水の傍を通る可能性ある?」
「えっと・・・無いことは無い。あのピザ屋は潰れてしまったけど、友だちのアパートとかに泊まった後、大学に行く場合は通る可能性ある」
「そこ見せて」
「え?」
「千葉に戻ろう。今夜泊めてよ」
「もちろん、大歓迎!」
そのまま新幹線の改札口を出ようとしたら切符が引っかかる。駅員さんが来て取り出してくれたが、東京駅始発なので、戸惑った表情。
それで青葉が、乗る予定の新幹線が事故で遅れているので、《はくたか》が待っていてくれても高岡から先の連絡ができないので、今日の旅行を中止して、明日乗車するつもりだと説明すると、
「ああ、それは申し訳ありません」
と言って、入場取消の処理をしてくれた。
「明日乗る時は、念のため、駅員のいる所で説明して通ってください」
と言って特急券を返してもらう。
乗車券は途中下車扱いで大丈夫だろうけど新幹線の特急券は放棄になるだろうと思っていたので、ちょっと儲けた気分だった。
母に連絡し、急用ができたので明日帰ると告げると、気をつけてと言われた。母は青葉が何か危険なことに関わろうとしているのを敏感に感じ取ったような気もした。明日朝の学校への連絡を頼んでおく。
そのまま総武線に移動して千葉まで行き、その夜は彪志のアパートに泊まった。何だか彪志が物凄く嬉しそうだった。3月以来2ヶ月ぶりだ。以前はもっと長い期間会えなかった時もあるのだが、夏休みまで「できない」と言われていたのが、今夜は「できそう」なので、そわそわしている感じ。青葉はそんな彪志を微笑ましく思った。
彪志とちょっと気持ちいいこと(これってやっぱり女側も快感だよなあと思う)をしてから、まどろんでいた時、ビクッとした。
これ夢の中だよね?
そう自分の「定位」を確認してから、静かに、その気配のあった方を見る。
古風な貴族の女性のような服を着た、怖そうなお姉様がこちらを見ている。
『お呼びになりましたか?』
『私の所に来なくてもいいぞ』
とその女性は言った。
『姫様と事を構えるつもりは決してございません。むしろ姫様が、安寧に居られますように、調整できたらと思っています』
するとその女性はじっと青葉を見つめるようにしていたが、ふっと消えた。
翌朝。自分と彪志に充分清めの塩を振ってから出かける。これは本体との対峙のためではなく、むしろ他の雑霊を遠ざけて、よけいな手間を掛けないためである。
大学構内に入ったが「ああ、乱れてるなあ」と感じた。高校以下の学校でこういう場が形成されることは稀だが、大学というのは、どうも変なスポットが出来やすい面を持っている気がする。
あまり気にしないように、また変な「もの」と目が合ったりしないように、気をつけて歩く。
やがて、その問題の噴水の所に辿り着いた。
「ああ、なるほどね」
「鯉とかもいるんだよね」
と言って彪志が池に近づこうとするのを手で制止する。
普通の場所なら彪志は危険な所には近寄らない勘を持っているが、その彪志でさえ、この場所ではその勘が狂うのであろう。しかしやっかいな場所だ!
さて、何から手を付けようかとマジで青葉は悩んだ。
取り敢えず踵を返す。慌てて彪志が後に続く。
青葉は大学の外に出て、問題の場所のほぼ真東付近にある小さな神社まで来た。青葉は無言だが、彪志は何も言わずに付いてくる。
青葉はその神社にお参りし、それからさきほどの池に戻った。
「あれ?雰囲気変わった」
青葉がニコリと微笑む。
「あと2回、ここに来るよ。彪志、車を借りてくれる?」
「うん」
大学の近くのレンタカー屋さんに行く。経費節減で軽を借りる。今回は誰かから依頼料とかもらえる訳でもないし!
青葉は携帯を取り出し、この付近の地図を出すと
「ここに行って」
と場所を示した。
「OK」
ということで、その店から30分ほどドライブして、とある神社まで来る。
「ああ、神社があったのか」
と青葉が言ったので彪志が驚く。
「どこに来るか知らなかったの!?」
「うん。場所だけ教えてもらった」
「教えてもらったって誰に?」
「ふふ。秘密。でも彪志は考えればきっと分かる」
「うーん」
青葉が彪志にその神社の境内で「これと思った石」を5個拾ってと言い、それを拾うと、また大学構内に戻る。池のそばに車で乗り付けた。青葉は彪志に車から降りないように言い、青葉が5つの石を持って降りる。
そして、池の中の5ヶ所に、慎重に場所を選ぶようにして石を沈めた。
「ごめん、今度はちょっと私に運転させて」
と青葉は言う。
「捕まっても知らないよ」
「まあ警察に会った時は会った時で」
「じゃ会わないことを祈って」
ということで、今度は青葉が運転してまた30分ほど走って車を停めた。そこには大きな沼か湖かがあった。
「これ**沼だっけ?」
「どうだろう。まあ詮索する必要は無いけど。貝殻が無いかなあ。3つ欲しい」
「探してみる」
彪志が水際をかなり歩き回る。
「あ、あった」
と言って拾ってくれる。
10分ほど掛けて、小さな貝殻で、それも少し割れているものだったが3つ確保した。
「こんなんでいいかな?」
青葉はじっと見ていたが
「行ける」
と言い、ふたりは車に戻る。
レンタカー屋さんに車を返してから、大学構内の池に戻る。青葉は池の周りの選んだ場所3ヶ所に、その3つの貝殻を1つずつ埋めた。
「なんか今急にここ明るくならなかった?」
と彪志は訊いたが、青葉はニコっと笑っただけで、何も答えない。
そして自分の携帯で電話をする。
「こんにちは〜。あ、私が電話してくるの分かりました? すっごーい。やはり私たち愛し合っているのね」
などと、彪志が聞き過ごせないようなことを言っている。
「うん。そうそう。これだとあれでしょ? だから、5mくらい上空に移動できます? わ!動いた! ありがとう!!! 御礼は振り込んでおくね。うんまた。愛してるよ!」
と言って電話を切る。
「出雲の直美さん?」
と彪志が訊くと
「うん」
と青葉は笑顔で頷いた。
「解決した?」
「そうだなあ。彪志が大学院を出る頃まではもつと思うよ」
「その先は?」
「彪志が関わる可能性無いなら放置」
「うむむ」
「こんなの根本的な解決は無理だもん」
「ああ」
「じゃ、お姫さま、またねー」
と青葉は池の方に向かって手を振り、大学を後にした。
その夜、昨日から1日遅れで新幹線デートを楽しんだ後、越後湯沢から金沢方面への《はくたか26号》の座席に揺られながら眠っていたら、夢の中に昨夜の姫様が現れた。
『こんばんは』
『確かに少し楽になった。ここ40年ほどちょっときつかった』
『40年前にあの噴水の池が出来たんですか?』
『噴水の水が止まったんだよ。石油ショックとか省エネとか言われて。あの水が流れていれば、あのあたりの気は悪くなかったのだが。それに放射線施設の方から怪しい気がたくさん流れてくるから』
『放射線自体はしっかり遮蔽されているだろうけど、気までは調整できないかもね。そういうこと分かる人が設計してない限り』
『礼にこれを取らせる』
と言って、姫様が青葉の方に手を伸ばした。受け取る。真珠のような珠だった。ふと気付くと姫様の姿は消えていた。
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【春心】(1)