【春空】(下)

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説明会では、校長から「合格おめでとう」といったお祝いのメッセージがあった後、教務主任から、この高校での学習の仕方についての説明、生徒指導の先生から校則の簡単な説明(バイトの禁止、バイク使用の禁止、髪染め・パーマ・ピアスの禁止、女子のスカート丈についてなど)と男女交際に関して節度ある交際をするようにという話が合った。明言はしてないが、要するにセックスはまだ控えようということのようだった。
 
「青葉、節度ある交際だってよ」と明日香。
「えっと・・・」
「青葉は遠距離だから、なかなかHできないんじゃない?」と世梨奈。「あ、日香理は彼氏としたの? なんか卒業したらするとか言ってなかった?」
と美由紀。
「『高校を』卒業したらね」と日香理は苦笑しながら言う。もう。。。青葉と美由紀だけにその話はしてたのにバラしちゃうなんて・・・と思う。
 
「あと3年我慢させるんだ!」と明日香。
「ちょっと彼氏可哀想な気がしてきた」と世梨奈。
 
実際には日香理は高校合格のお祝いにフェラチオをしてあげたらしい。彼が物凄く感激していて、何だか可愛く思えたと青葉には言っていた。
 
更には進路指導の先生から、大学受験に関する基本的な説明が行われた。美由紀はセンター試験とかも知らなかったようで「へー」などと感心して聞いていた。 
そして「おお、MARCH,関関同立出てきた!」などと喜んでもいた。
 
なお校則では「バイト禁止」になっているが、青葉の「霊的なお仕事」に関しては、事前に特別承認済みである。他にも家が神社で巫女さんをしている子だとか家が商店で接客や配達を手伝う子などは、学校に届け出ればだいたい承認されるらしい(配達にバイクを使うのもOK)。承認される条件はその生徒の作業がそのビジネスの遂行に必要不可欠あるいは後継者である場合、また経済的な事情でどうしても必要な場合だと先生は言っていた。過去に民謡歌手を小さい頃からしていた子がその活動を承認されたケースもあったらしい。青葉はこれに近い。 
様々な説明が終わった後は、部活動の紹介があり、各部の代表が壇上に立って、各々の部の説明・勧誘をした。運動部では、野球・サッカー・柔道・剣道・陸上・テニス・バドミントン・バスケ・バレー・卓球・ラグビー・弓道・体操などといったところが紹介され、文化部では美術・書道・写真・囲碁・将棋・演劇・放送・英語・茶道・パソコン・科学・家庭・JRCなどがあり、特に音楽関係では以前学校訪問した時にも聞いた通り、コーラス部、吹奏楽部、軽音学部、弦楽部が紹介された。 
しかしふと青葉は思った。紹介された部は30以上だ。パンフレットで数えてみると38個あった。この学校の全校生徒は840人。進学校だから、勉強に集中するため部活はしていない生徒が恐らく半数くらい。特に3年生の部活率は低いのではなかろうか。そうなると、300〜400人を38の部で取り合うと平均10人以下。実際には事実上2〜3人で運営されている部もあったりして・・・
 
部の紹介が終わってから、教科書・辞書類・体操服・通学鞄などの購入になる。教科書は当然必須だが、辞書は任意である。青葉は並べられている辞書を見て不要だと判断した(英和・和英・国語・漢和・古語とも、今使っているものの方が大きい)。体操服は男女共通でSS,S,M,L,LL,XLなどと書かれている。青葉は念のためメジャーで測ってもらって「Sでいいですね」と言われ、それを購入した。通学鞄は一応標準のがあるものの、常識的な範囲のものであれば自由ということだったので、中学で使っていた鞄を使うことにして、購入しなかった。 
「ダメなものの例が笑えるね」と世梨奈が言う。
「うんうん。小学校のランドセル、高級ブランドのバッグ、登山用リュック、海外旅行用大型スーツケース。まあちょっと非常識だね」
「でも人の常識ってそれぞれだから」
「まあ、それは言える。エルメスのバッグを上履き入れにしてるような人もあるかも知れない」
「そんなお金持ちはこの高校に来ないかも」と世梨奈
「まあ、それは言える」
 
「ね、ね、制服いつできるか聞いてる?」
「私聞いてなーい。明日香分からないかな?」
と言って近くにいた明日香に聞いてみると
「あ。問い合わせてみた。20日に頼んだ人は27日にできるらしいよ」
と言う。
 
「ああ。速いね」
「それでさ、28日に合格お祝いパーティーしない?みんな制服持参で」
「なるほど。記念撮影ね」
 
その近くにいた、美由紀・日香理・紡希・呉羽を呼び寄せる。
 
「28日に合格のお祝いパーティーしよって」
「場所は?」
「勉強会のメンツ+α集まるだけだし、私んちでいいよ」
と明日香が言うので、紡希も含めて明日香の家に集まることになった。 
「その時点で制服出来てる人は持って来てね。みんなで記念撮影しよう」
「OKOK」
 
その辺に見当たらない美津穂と星衣良には明日香がメールしておくと言った。 

青葉は27日の昼間に洋服屋さんに電話し、制服が出来ていることを確認して、町に出て取りに行った。代金は自分で払うつもりだったのだが、母が朝「これ制服代ね」と言って渡してくれたので「ありがとう」と言ってもらった。 
早速母が夕方帰宅してから着てみせる。
「おお!可愛い。やはり女の子はいいわねえ」
などと言って喜んでいた。桃香はC高校を出ているので、T高校の制服を青葉が着たことで、母は2種類の女子高生制服を見ることができた。
 
母に自分の携帯で写真を撮ってもらい、友人たちとメールで交換したりした。 

翌28日の朝。青葉は明け方変な夢を見た。五輪塔の前に師匠である瞬嶽が立っていて、いちばん上の「空輪」の所(宝珠形の石)を指さしていた。
 
青葉は胸騒ぎを感じた。
 

28日の朝、両親が出かけてしまった後、呉羽が自分の部屋でZ会のテキストをしていたら10時頃電話がある。洋服屋さんからで、T高校の制服が出来たということであった。母にメールしたら昼休みに取って来てあげるということだった。 
母は夕方帰る時にそれを持ち帰るだろうから、今日の合格お祝いパーティーには間に合わないなと思い、呉羽は私服で出かけることにして、少し春っぽい感じでパステルカラーのセーターとスカートをお出かけ用にチョイスした。それに・・・みんな女子制服着ているのに、自分だけ男子制服着て写真に写るのは辛い気もした。私服ででもいいから、女の子の格好で写真には収まりたい。 
12時半になったので、そろそろ出かけようとしていた時、母が帰宅した。「あれ?今日はどうしたの?」
母は呉羽が凄く可愛い女の子の格好をしているので、一瞬ことばを見つけきれないような顔をした。
 
「うん・・・お前の制服受け取ったから、持って来てあげようと思って」
「わあ、ありがとう! これから友だちと合格お祝いパーティーするのに、制服出来てる人は持って来てみんなで記念写真撮ろうと言ってたんだよね。じゃもらって行くね」
「お前。。。この制服着て通うの?」
「え? だって制服だし」
「そうか。。。もし先生から何か言われたら、私出て行って話してあげるから」
「う。うん」
呉羽は何かよく分からないまま返事した。
 
「あ。。。会場まで送っていくよ」
「そう? ありがとう」
 
母は呉羽を後部座席に乗せて、明日香の家に向かった。
 
「そういえば最近、お前、女の子の友だちとばかり付き合ってる感じだね」
「うん。何となくそうなっちゃった感じで」
「そう・・・」
母は言葉少なかった。
 
すぐに明日香の家の前に着く。呉羽が母に礼を言って降りようとした時。「あ、待って」
と母が言う。
「なあに?」
 
「お前、前髪が長いから・・・これで留めるといいよ」
と言って、可愛いサクラの花の髪留めを渡してくれた。
 
「ありがとう・・・」と言って受け取り、呉羽は突然涙が出てきた。
すると母は微笑んで
「あらあら。泣いちゃダメよ。女の子は笑顔でなくちゃ」
「うん」
 
母がハンカチで涙を拭いてくれて、そのハンカチをそのまま呉羽に渡した。花柄のハンカチで、何か良い匂いがした。
 
「じゃ行ってきます」
「うん。楽しんでおいで」
「ありがとう」
 

呉羽が明日香の家の玄関でベルを鳴らすと、美由紀が出てきて
「あ、呉羽、入って入って」
と言って招き入れる。呉羽が
「お邪魔します」
と言って美由紀と一緒に入って行くと既に日香理・青葉・紡希も来ていた。みんなもうT高校の制服を着ている。
 
「わあ、みんな可愛い。いいなあ」
「ほんとこの制服可愛いね。呉羽もこれ着れたら良かったのにね」
「うん。何だかとてもそれ着たい気分」
「後でちょっと着せてあげようか?」と青葉が言う。
「ほんと? じゃ後でちょっと貸して」
 
「あれ? 呉羽は何持って来たの?」
「ああ。これは男子の制服。今朝できたと連絡あって、さっきお母ちゃんが取って来てくれた」
「男子の制服??」
「つまり学生服?」
「え? 男子の制服って学生服なの?」
「ん?知らなかったの?」
「じゃこれって学生服なのかな?」
「出してみたら?」
 
呉羽が袋から服を取り出す。それはT高校の女子制服であった。
 

みんな何を言っていいのか分からない雰囲気だった。しかしいちばん戸惑うような顔をしていたのは呉羽であった。
 
「うーん・・・」と推理力のある日香理が最初に声を出した。
 
「ちょっと整理してみようか。呉羽はなぜ制服を作ろうと思ったのかな?」
「えっと、みんなが制服はお店で頼むと言ってたから・・・合格者に配布された紙に制服を頼める店のリストが出てたから、その中のひとつに頼んだ」
と呉羽が言う。
 
「そこで既に誤解が生じてる」と紡希。
「制服作るのは女子だけであって、男子は学生服って・・・書類にも書いてあったと思うんだけどね」と明日香。
「えー!?」
 
「採寸してもらった?」と日香理が訊く。
「うん」
「なんか変だと思わなかった?」
「あ、そういえばスカート丈は膝より少し上でいいですか?と聞かれた気がする」
と呉羽。
 
「普通そこで変だと考える」と青葉。
「いや、お店を出てから『あれ?』と思ったんだけど、きっと自分がスカート穿きたいから、スカート丈って聞こえた気がして、ズボン丈を聞かれたんだろうと思い込んだ」と呉羽は言う。
 
「ズボン丈が膝より上だったら、ショートパンツじゃん。小学生じゃあるまいし」
などと美由紀に言われる。
「そういえばそうだよね」と呉羽は悩んでいる。
 
「でもお母さんが受け取ってくれたんでしょ? お母さんは絶対変だと思ったはず」
と紡希。
「それが実は・・・合格した日にお母ちゃんにスカート穿いてる所見られちゃって」
「ああ」
「それで自分は女の子になりたいってお母ちゃんに言った」
「おお!とうとうカムアウトしたのか」
 
「お母さん、何て言った?」
「何も。その件については全然会話が進んでない。でも、さっき『女の子は笑顔でなくちゃ』とか言われて、この髪留め付けてくれた」
 
「おお!」
「いや、可愛い髪留めしてるなとは思った」
「へー。お母さんが付けてくれたんだ」
「それはつまり呉羽のことを認めてくれたってことじゃない?」
 
「あ・・・」と呉羽が突然声を出す。
「どうしたの?」
「いやね。お母ちゃんが、お前この制服着て通うの?って訊いたんだよね」
「ああ、そりゃ訊くよね」
「それで?」
「もちろんって私が言ったら、だったら先生から何か言われたら、出て行って話してあげると言われた」
と呉羽が言う。
 
「つ・ま・り、それはお母さんは呉羽が女子制服を着て高校に通うことを認めてくれたってことじゃない」と紡希。
 
「そういうことになるかな?」と呉羽。
「なる」とその場にいる女子全員。
 
「要するに呉羽が誤解したのと、お母さんが呉羽のことを配慮してあげすぎたのとが重なった偶然の産物か」と明日香。
 
「でもまだ分からないことがある」と日香理。
「T高校の制服は関係無い人が勝手に作ったりしないように、在校生のリスト、新規合格者のリストが指定店に渡されていて、指定店ではそのリストにある名前の子からの注文しか受け付けないんだけどね。なぜ呉羽が女子制服を作ることができたんだろう?」
 
「あ、それ分かる気がする」と青葉と紡希がほぼ同時に言った。ふたりは顔を見合わせるが、青葉が代表して言う。
 
「呉羽さ、合格発表に女の子の服着て来てたでしょ。それで書類を受け取る時に『ご家族ですか?』とか言われちゃったのよ。それで近くにいた私と紡希が『確かに本人です』と証言したんだよね。それで高校の先生、呉羽は女子だと思い込んでしまったのではないかと思う」
 
「要するに、それで呉羽は女子の名簿に入れられちゃったんだ、多分」
と紡希が補足する。
 
「ちょっと待て。私の頭ではよく理解できんが」と美由紀。
「要するに、今呉羽は、高校には女子として登録されていて、女子制服を所有していて、お母さんは呉羽が女子制服を来て高校に通うつもりだと思っている、ということかな」
 
「ついでに呉羽本人は女子制服を着て通いたいと思っている」
と明日香が付け加える。
 
「これってどこにも問題が無いような気がするんだけど」と青葉。
「うん。何にも問題が無い」と紡希。
「だね。もし問題があるとしたら、呉羽におっぱいが無くて、お股にちょっと変な物が付いていることくらいかな」と日香理。
 
すると青葉が
「呉羽、けっこうおっぱいあるよ」
と言った。
 
「えーーー!?」
 
「本当はクライアントの秘密を勝手にバラしちゃいけないんだけど、これはもういいよね?」
と青葉は呉羽に問いかける。
 
呉羽は恥ずかしそうに頷いた。
 
「ほんとにおっぱい作っちゃったの?」
「ちょっと触らせろ」と言って明日香が呉羽の胸に触る。
 
「これバストパッド入れてるの?」
「入れてない」
「入れてないのに、この感触って・・・」
 
「どれどれ」と言って美由紀も触る。
「おお。Aカップはあるぞ、これ」
 
「青葉、ヒーリングしてあげたの?」
「ヒーリングというよりトリートメントだね。バストメイクの」
「わあ」
 
「ちなみに今のサイズなら、まだ逆トリートメントすることで胸を消せる。これ以上大きくしたらもう消せない。それと、今乳房だけじゃなくて、乳頭・乳輪も少し大きくなってるけど、これはもう元には戻せない」
と青葉は説明する。
 
「実は秋頃から女性ホルモン飲んでたの。でもなかなか胸が大きくならないから、青葉に頼んでトリートメントしてもらった」
と呉羽。
 
「わあ、女性ホルモン飲んでたのか。じゃ、もしかしてもう男の子ではなくなっちゃった?」
「うん」
と言って呉羽は頷くが恥ずかしがるというより嬉しがっている雰囲気だ。こういう呉羽の表情も、みんなは初めて見た。
 
「そうか・・・じゃ。もう呉羽は本当に女の子なんだね」
 
「呉羽が高校の先生から何か言われたら、味方してあげようよ」
「うんうん。私も味方する」
 

そんなことをしている内に、世梨奈と星衣良が一緒にやってきた。呉羽が女子制服を手にしているのに気付き
 
「あ、誰か貸してあげるの?」
と訊くと
「本人が作った」
というので
「へー、凄い! じゃ女子制服で通うわけ?」
「本人そのつもり」
「おお、頑張れ頑張れ!」
と応援する。
 
それで結局、女子全員が注目する中で、生着替えすることになる。
 
さすがにちょっと恥ずかしそうにしていたが、着て来た服を脱いで下着姿になり、ブラウス(制服の一部ではないが母が買ってきてくれていた)を着てセーラー服の上下を身につけ、スカーフを付けた。結び方が分からないみたいだったが、明日香がしてあげた。
 
「可愛い〜」
「似合ってる〜」
「誰がどう見ても、ふつうに女子高生だね」
 
世梨奈と星衣良も「別室で」着替えてくる。
 
「これで全員だっけ?」
「いや、まだ美津穂が・・・」
 
と言っていたら、美津穂もやってきた。
「ごめん、ごめん。遅刻〜」
と言ってから部屋の中を見回し、全員T高校女子制服を着ているので、
「あれ、呉羽がまだ?」
と訊く。
 
「呉羽ならここにいる」とみんなが指さす先を見ると確かに呉羽なので「わあ、呉羽も女子制服を着たんだ。誰か貸してあげたの?」
と訊く。
「本人が作った」とみんなが言うので
「えー! 凄い。とうとうその気になったか!」
と何だか喜んでいた。
 
美津穂も別室で着替えて来て、9人がT高校女子制服で揃った所で、明日香のお姉さんに頼んで記念写真を撮ってもらった。
 

その日パーティーが終わって呉羽が(制服は脱いで普段着の女の子の服に戻って)帰宅すると、もう母が帰っていた。
 
「ただいま。おかえり」
「うん。おかえり。楽しめた?」
「うん。凄く楽しかった。お母ちゃん、ありがとう」
「うん」
「それで制服のことなんだけどね」
 
と言って呉羽は自分の勘違いで間違って女子制服を作ってしまったことをきちんと説明した。
 
「なーんだ、そうだったの?」
と言って母は大笑いした。
 
「でもそうしたら、その制服どうするの?」
「お母ちゃん、私この制服で通いたい」
「うん」
と言って母は笑顔で頷く。
 
「でもお父ちゃんに何て言おうか・・・」と母。
「お父ちゃんには・・・・しばらく内緒にできない?」と呉羽。
「そうだね。そうしようかなあ・・・。私もまだ心の整理が付かなくて。でもそれで通うなら、学校に言わなくちゃ」
 
「それなんだけどね・・・私、女子として学校に登録されてるみたい」
と言って呉羽は状況を説明する。
「うーん。それも偶然の重なりか。でもそれでもちゃんと学校には話さないといけないよ。私一緒に学校に行ってあげるから」
「うん」
 

翌29日金曜日。呉羽の母は仕事を休んで呉羽を連れてT高校に一緒に行った。母は決算前で忙しくて仕事は休めないと言っていたのに、それを休んで自分のために高校に行ってくれたことで、呉羽はちょっと泣いてしまった。母の愛情と優しさをあらためて感じた。
 
呉羽の母は、様々な偶然で息子が女子として登録され、うっかり勘違いで女子制服を作ってしまったという経緯を説明するとともに、実際問題として本人は女の子になりたいと思っており、女子制服での通学を希望しているとして、できたらそれを認めてもらえないだろうかと頼んだ。
 
学校側は驚き、緊急に校長・教頭・保健主事・生徒指導主事・新1年生学年主任・新1年生理数科の担任などで話し合いを持った。その結果(青葉のことで色々話し合って事前の下地ができていたこともあり)、本人が女性になることを望んでおり、保護者も認めているのであれば、女子制服での通学は構わないとのことで回答があった。
 
そういう訳で呉羽は女子生徒に準じて扱われることになった。
 
「女子生徒として扱う場合、名前はどうしましょうか? 大政(ひろまさ)さんの普段使っている女性名は?」
「あ。ヒロミとか・・・カタカナで」と本人。
 
「では名簿などでは呉羽ヒロミさんということで登録しましょうか?」
「はい、お願いします」
 
こうして呉羽は様々な偶然・勘違いなどの積み重ねもあり、結果的に「ヒロミ」
の名前で女子制服を着て4月からT高校に通うことになったのである。
 

呉羽がT高校に母と一緒に出かけて行き、性別問題で先生たちと話し合った日の早朝、青葉は難しい顔をして、サンダーバードの座席に身体を埋めていた。8時半に新大阪に付き、駅の玄関に出て電話をすると5分ほどで菊枝の車が来て青葉はすばやく助手席に乗り込んだ。
 
菊枝は無言だった。青葉も無言だった。
 
車は2時間ほど走って、和歌山県の山奥、ある寺院の前に駐まる。ふたりが車を降りた時、そのお寺の建物から瞬醒がやはり難しい顔をして出てきた。寺の中に入ると、ほかに2人の兄弟子、瞬嶺・瞬高も来ていた。寺の若い僧が入れてくれたお茶をみんなで頂きながら話す。
 
「今朝も、あったよな?」と弟子の中で筆頭格の瞬嶺が言う。
「ありました」と全員。
「だからお元気だと思ったんですが」と瞬高。
「それでも・・・だと言うのか?瞬花」と瞬嶺。
「はい。だと思います」と菊枝は答えた。「瞬花」は師匠から頂いた名前である。ちなみに青葉は「瞬葉」の名前を頂いている。
 
「行ってみれば分かる」と瞬醒が言う。全員が同意する。
 
5人は瞬醒が用意してくれたお湯入り水筒とおにぎりを各自持ち、雪山用のシェルを着て、登山靴にはアイゼンを付け、ヒートグローブを付け、ピッケルに雪掻き、ハンマーなども持って重装備で師匠の庵へ向けて歩き出した。
 
雪で覆われた山道を1時間ほど歩いた後、道無き道に入る。道無き道というより冬山なので、雪を掻き分けながら氷を砕きながらの行程である。そもそもこの道が分かるのはここにいる5人くらいだが、冬期にここを突破したことのあるのは瞬嶺だけで、彼が居なければ勘の鋭い菊枝でも道に迷ったり崖に落ちたりしていたかも知れなかった。5人は日が落ちても雪山行程を続けて、21時頃にやっと瞬嶽の庵に辿り着いた。なお、この5人の場合は、視覚より超感覚的知覚で歩いているので、計器飛行する航空機と同じで、昼と夜の行動能力にはほとんど差が無い。 
「おぉ、待ってたぞ」と瞬嶽は言った。
「ご無沙汰しておりました」と代表して瞬嶺が言う。
 
そこにはこれまで何度も見た瞬嶽の姿が普通通りあった。
 
「ちょっと失礼します」と菊枝が言い、瞬嶽の身体に向けて手を伸ばす。その手は瞬嶽の身体を突き抜けてしまった。
 
「ん?物理的な接触を試みないと分からない?」と瞬嶽が訊く。
「済みません。修行不足なもので」と菊枝。
 
「いつ頃・・・こういう状態になられたのでしょうか?」と瞬嶺。
 
「今月上旬、上巳(3月3日)に師匠からの念で※※院大僧正へのお手紙を書きましたし、その頃は恐らくまだ普通の状態だったのではないかと思いますが」
と瞬醒。
 
瞬醒は夏期の間は瞬嶽との連絡係を務め頻繁に瞬嶽の庵を訪問しているが、さすがに冬期はここには来られないので、どうしても必要な場合、師匠からのテレパシーで外部への連絡などを受けている。毎冬3〜4通の手紙を書くらしい。 
「3月20日朝の師匠の気配と21日朝の師匠の気配が微妙に違っていた。だからその間だと思う」と菊枝が言う。
「気配の違い・・・分からなかった」と瞬嶺。
「右に同じ」と瞬高。
 
兄弟子たちの手前言わなかったが、気配の違いは瞬醒と青葉も感じた。3人で電話で話し合い、どうもこれは師匠に異変があったのではと考えたのだが、翌22日朝は20日の朝と同じような気配だったので、21日のは一時的な不調だったのかもとも思った。しかし28日の朝、菊枝が天を駈ける馬車に師匠が乗っている夢を見たことで、菊枝はやはり師匠は既に死んでいると確信した。そして瞬醒と青葉に連絡すると、それぞれ師匠の夢を見たというので、瞬醒も事態を確信した。そこで弟子筆頭の瞬嶺に連絡した結果、瞬高も含めて5人で行ってみることになったのである。
 
「暦も時計も無いし日付は分からないけど、寝た時は地水火風に属していたが、起きた時は空に属していたよ」と瞬嶽。
 
「あの。。。。その地水火風に属していた身体はこの庵、あるいは回峰の路上にありますでしょうか?」
「念のため庵の周りも探したし回峰もしてみたけど見当たらないね。純粋にこの身体に移行したんじゃないかな?」
 
「師匠は長らく霞を食べて暮らしておられたので、きっと身体が徐々に地水火風から空に移行していたのだと思います。20日の夜にその移行が完了したのでは」
と瞬醒が言うと
「ああ、そうかも知れないね」
と言って瞬嶽は笑った。
 
瞬嶽はどうも生とか死というものを超越しているようだ。
 
「しかしこの身体は少々不便だね。依代が無いから、きちんと身体をまとめておくのにパワーを使う。寝てると少し霧散するから起きてから再度まとめるのがなかなか大変。回峰する時は素早く歩けるけど」
 
「ああ。物理的な肉体は精神の良き依代ですから」
と瞬高が言う。瞬嶽の高弟の中で、理論的なことはこの人がいちばん見解が深い。 

弟子たちは瞬嶽と夜通し色々な話をした。
 
「ひとつ。師匠の誕生日を教えて頂けませんか?」
「古い話だなあ。僕はね。長谷川角行の没後ちょうど240年後に生まれたんだよ」
 
弟子たちは顔を見合わせた。
「明治19年(1886)6月3日であらせられますか?」
「ああ。僕は双子座。谷崎潤一郎と尋常小学校で同級生だったよ」
 
1886年生まれであれば祖母と同級生だった大船渡のお寺の住職が22歳で大学を出て住職になるための修行に入った時に81歳だったことになる。
 
「谷崎潤一郎、ということは東京の御出身ですか?」
「生まれたのは熊本県の宇土って所。御船千鶴子って超能力者として有名になった子がいたけど、あの子とは近所でね。同い年でもあったし小さい頃はよく一緒に遊んでいたよ。有名になりすぎて超能力を疑う世間の批判を苦に若くして自殺してしまった。あの子、繊細すぎたからなあ。僕は小学校1年の時に親が東京に出てきて東京市内で育ったんだよ。尋常小学校を出た年にその父親が亡くなってね。それで市内のお寺に預けられた。すぐに八王子の寺に移って、10代の頃は高尾山を走り回っていたよ。20歳過ぎてから比叡山に行って30歳過ぎてから高野山に移った。この庵に入ったのは88歳の時だね」
 
「兵隊とかには行かれなかったんですか?」
「ああ。僕は目が見えないから丁種(事実上の不合格)だった」
「師匠・・・目が見えないんでしたっけ?」
 
「うん。僕は生まれつき目が見えないよ。御船千鶴子と遊んでた頃は、僕は目が見えないし、向こうは耳が聞こえないしで、周囲から見たら吹き出しそうなこともしてたらしいね」
「はあ・・・」
 
弟子たちは顔を見合わせた。弟子たちの誰もが瞬嶽が目が見えないなんて知らなかった。これだけの霊感を持っていれば、目が見えないことなど大したことなかったのかも知れない。
 
「目は見えなくてもお経とか紙に書いてある字や活版印刷の文字は指でなぞると読めるんだよね。オフセット印刷は読めないことないけど苦手。あと真言とかの類は一度聴けば覚えるから字は不要」
 
瞬嶽の持つ物凄い知識というのは、あるいは目が見えないというハンディを補う類い希な記憶力によって積み上げられたものなのだろう。
 
「しかしお前たちが集まってくれて、少しだけ嬉しかったぞ。そろそろ行こうと思う。みんなで送ってくれるか?」
「はい」
 
弟子全員で観音経を唱えた。唱えている間に師匠の存在感は少しずつ薄くなっていった。
 
そして唱え終わった時、師匠は消えてしまった。
 
青葉は涙が出てきた。菊枝がそっと手を伸ばしてきて、ふたりは手を握りあった。 

庵の前に立ててあった自然石(瞬嶺によれば20年以上前からあるらしい)に、5人の弟子が1文字ずつ交替で顔料系墨汁を使って師匠の名前と誕生日・命日を書いた。
 
《長谷川瞬嶽(俗名光太郎)明治十九年六月三日生・平成二十五年三月二十一日没》 
みんなで手を合わせて般若心経を唱えた。
 
「師匠の葬儀はあらためて★★院の方で」
「いつになりますか?」
「ゴールデンウィークは多分、みんな忙しいよね。その前がいいかな」
「じゃ4月21日・日曜日にしましょうか」
 
「そういえば、師匠が使っていた鉢と法衣はどうしたんだろう?」
と庵の中で遺品を整理していて瞬嶺が言った。
 
「法衣は私が昨年頂きました」と菊枝。
「鉢は私が昨年頂きました」と青葉。
 
「瞬嶺さんに渡した方が良いですか?」
と菊枝が訊くと
 
「いや。君たちふたりが頂いたのであればそれで良い。君たちがいちばん若い弟子だから、衣鉢を伝えたのだろう。文句言う奴がいたら僕が睨みを効かせるよ。それに僕は鈴(りん)を頂いてるしね。やはり去年だけど」
と瞬嶺は言った。
 
「僕は自分が死んだら庵にある経本を全部持って行けと言われた。去年」と瞬高。「僕は自分が死んだらこの庵とか寝具をやると言われた。やはり去年」と瞬醒。「もっともやると言われても、ここに籠もって回峰行する気にはなれないな」
 
「しかしみんな去年それぞれ何か頂いたってことは、やはり自分の寿命を予測しておられたんですね」
「だろうね」
 
その時、瞬嶺が言った。
「ねね、瞬醒君。使わないのなら、この庵、僕がもらった鈴(りん)と交換しない?」
「いいですよ。瞬嶺さん、ここで回峰行するの?」
「夏の間だけでもできないかなと思っている。君たちも参加しない?」
瞬嶺は90歳を越えている。その年で回峰行をしようというのは凄い意欲だ。 
「一ヶ月くらいなら」と瞬高。
「一週間くらいなら」と菊枝。
「右に同じ」と青葉。
「僕は回峰はしないけど、みんなの食事係で」と瞬醒。
「霞の食事も悪くないけどね」
「ああ。せめてお粥くらい食べたいね。できたら」と瞬高。
 
「提案」と菊枝。
「ここ、道付けません?」
「うん。僕も付けたい。山道でいいからね」と瞬嶺。
「ええ」
「僕の弟子たちを動員して道を作っちゃおう」
「おお」
「数年がかりだろうけどね」
 
「お弟子さんたちをそういうのに使っていいんですか?」
「作務だよ。回峰行付きで」
「いや、回峰行は遠慮する人が多いと思う」
 
「それにここ土木業者に頼んだりしたら、行方不明者続出するよ」
「確かに」
「ある程度の修行をしている人でないとここでは作業ができない」
 
ここは磁界が特殊なので、人間の方向感覚がくるいがちなのである(富士の樹海に似ているがもっときつい)。工事現場からほんの数m離れただけで、普通の人は元の場所に戻れなくなるだろう。
 

庵からの帰りは、来る時に切り開いた道を逆に辿れば良いので3時間ほどで★★院まで辿り着くことができた。
 
その後、瞬高さんが自分のお寺で休んで行かないかと菊枝と青葉を誘ったので、結局菊枝の車に瞬高さんを乗せて、瞬高さんのお寺がある大阪に移動した。 
「菊枝徹夜明けで運転大丈夫?」
「青葉先に寝てて。来る時みたいに途中で運転代わって」
「あれはまずいよぉ」
 
瞬高さんのお寺は敷地も広く、大勢の参拝客が途切れない感じであった。 
「君たち、因果はもらったんだよね?」
「はい」
「どこかの住職になる?紹介するよ。まあ川上は大学を卒業した後だろうけど」
「いえ。今のところ肩書きとか無くてもいいし」と菊枝。
「私は神仏混淆だしなあ」と青葉。
 
「なんか、あの祭壇凄いよね。いや仏壇なのかな?」
「ああ。私もよく分かりません。中央に金色の阿弥陀如来像があって、その後ろに天照皇大神宮の大麻が置いてあります」
「なかなか面白いね」
 
「榊を供えてるよね?」
「ええ。だから多分基本は神道系だと思います。朝晩は祝詞を奏上してますし」
「へー」
「曾祖母は実は鈴(りん)を打って、木魚を叩きながら祝詞奏上していたのですが」
「面白い!」
「曾祖母が亡くなった後、私と公式後継者の佐竹さん(慶子の父)とで話し合って、鈴と木魚はやめました。今は普通に太鼓を叩いてから祝詞を上げます」
「うん。その方がしっくりくるな」
 
「でも左右に、南無阿弥陀仏・南無観世音菩薩の額が掛かっています」
「うむむ」
「元の額は震災で失われたので、今掲げているのは、地元のお寺の住職に書いていただいたものですが」
「自分で書けばいいのに」と瞬高さん。
「えーっと・・・」
「私もそう言ったんだけどね」と菊枝。
「でもいろんな人の協力で作り上げたかったし」と青葉。
「まあ、それは一理あるかもね」
 
「でもあの阿弥陀様はきれいだよね。金ピカだから一瞬菩薩像かと思っちゃう」
と菊枝が言う。
 
「ええ。ひょっとして法蔵菩薩、もしかしたら観音菩薩かとも思ったことありますが、竹田宗聖さんは確かに阿弥陀如来像だと言ってました。装身具付けた如来像は大日如来は普通だけど阿弥陀如来では珍しいそうです。あの像は震災の時、祭壇を管理している佐竹さん(慶子)が、これだけは絶対持って逃げなきゃと思って抱えて高台まで走ったらしいんです」
「ああ」
 
「左に大黒様の像、右手に招き猫があったのは震災で失われました。どちらも大きすぎて持って逃げることは困難だったと言ってましたが、人間の命が優先ですから」
「そうそう。それでいい」
と瞬高さん。
 
「どこかで買ってきて補充しようかとも思ったけど、縁があれば必ず向こうからやってくるだろうと思って、そのままにしていたら、招き猫は震災から1年たった時に、知り合いの方から常滑焼の招き猫を頂きました。震災でやられたのは白い招き猫だったのですが、頂いたものは黒い招き猫で、黒いのもなかなか可愛いね、なんて言ってます。大黒様もその内どこかから持ち込まれるのかも知れません」
 
「ふーん」
と言って、瞬高さんは
「ちょっとこちらに来て」
と言って、ふたりを別の部屋に連れて行く。そこは倉庫のような感じの部屋だった。
 
「確かこのあたりに・・・・」と言って瞬高さんは何かを探していたが「あったあった」
と言って、古い木箱を取り出す。
 
「これ、君にあげる」
「はい?」
 
元の部屋に戻ってから、箱を開けてみた。高さ10cmくらいの古い大黒様の木像が入っている。かなりの年代物のようである。
 
「これは・・・・」
「知ってるでしょ?」
「この形、備前焼では見たことあるけど、木像では初めてです」
「うんうん」
 
それは前から見ると大黒様なのだが、後ろから見ると男性器に見える。頭巾が亀頭、大黒様が乗る2つの俵が睾丸、大黒様本体が剥けた陰茎本体に見えるのである。衣服の襟の部分が後ろから見ると包皮に見える。
 
「その像、下から見てごらん」
「ん?これは!?」
「へー。面白い」と菊枝も楽しそうな声を挙げた。
 
この像は下から見ると今度は2つの俵の間の窪みが女性器のように見えるようになっていた。
 
「両性具有ですか!」
「そそ。僕は神道の方はあまり詳しくないのだけど、大黒様って、仏教では大黒天・マハーカーラだけど、神道では大国主命(おおくにぬしのみこと)になるよね。その大国主命の別名で大物主神(おおものぬしのかみ)・大穴持神(おおあなもちのかみ)というのがあって、大物主ってのは大きな陰茎の主、大穴持ってのは大きなヴァギナを持っている、ってことで元々両性具有的な性格を持っている・・・と神道家から聞いたことあるんだけどね」
と瞬高さん。
 
自身が仏教の僧であることから控えめな言い方をしているが、瞬高さんは神道に関する知識もひじょうに深い。瞬高さんの部屋には大正大蔵経全100巻の隣に神道大系全120巻が並んでいる。
 
「一般的には大穴持というのは、多くの女性を所有している。つまり妻が多いという意味だと言われています。でも、実際に立派な女性器を持っているという意味ではという説もあるにはあります」
と青葉は補足した。
 
「これ以前何か入ってたみたい」と菊枝が言う。
「うん。もう抜いてある。川上君、自分で何か降ろせば良いよ。できるでしょ?」
「あ、はい」
 
「この像は、元々堺の大店(おおだな)に祭られていたんだけど、戦時中の空襲で店も蔵も焼けてね。この大黒像だけは主(あるじ)が店の宝だからと言って、持って逃げたので無事だった。でも戦後のハイパーインフレで資産を全て失い店を再建することはできず、この像は知り合いのお寺に収められた。その商家は息子さんが次男さんは戦死、長男さんは広島の原爆で亡くなり、頼りにしていた三男さんも戦後に交通事故で亡くなってね。親戚とかにも継ぐ人が無くて家系は途絶えてしまったので、帰るべき所が無くなってしまって、それで、そのお寺からこちらに回されてきた。それがもう1960年代の話で、それから50年ほどこの大黒様はこのお寺で眠っていたんだよ」
 
「ああ」
 
「ところが先月になって、この像が僕を呼んでね。近々自分の行くべき所が定まるので、長年このお寺にお世話になったことで御礼を言いたい、なんて言ってた。さっき川上君から大黒様の話を聞いてピンと来たんだよね。川上君は性別を越えちゃった人だから、この両性具有の大黒様をもらい受けるのに最適だと思う」
 
青葉は深く礼をした。
 

お寺で夕食を頂き、菊枝はそれから車中泊しながら高知に帰ると言って寺を出た。青葉はその晩、お寺に泊めてもらった。翌31日朝、帰ろうとしていると、瞬高さんが「あ、これも持って行きなさい」と言って何か出して来た。 
「袈裟?」
「山園君は師匠から袈裟をもらったみたいだから、君には僕からあげるよ」
「ありがとうございます。拝受します」
と言って受け取る。
 
大船渡のお寺で法衣を作ってもらったし、瞬高さんから袈裟をもらって、これですっかり、尼さんになれるじゃん!!
 

午前中のサンダーバードで富山に戻った。帰宅すると母が
「あ、美由紀ちゃんから電話あったよ」
と言う。
 
電話すると「あ、青葉帰ったの?ちょうど良かった。お昼御飯を兼ねて今から合格祝賀会するからおいで」と言う。
「つい数日前にもした気が・・・」
 
「こないだのはT高校に合格した女子の祝賀パーティー。今日のはうちの勉強会と奈々美の勉強会の合同の祝賀会」
 
まあ要するに何か食べながらおしゃべりしようということのようだ。
 
「制服着てきてね」
「どっちの?」
「もちろん高校の」
「了解」
 

出て行くと結構な人数がファミレスのパーティールームに集結していた。T高校、C高校、M高校と3種類の高校の女子制服が入り乱れている。呉羽もちゃんとT高校女子制服を着て来ているので、青葉は微笑んだ。
 
「でも呉羽の女子制服姿には驚いたよ」と奈々美が言う。
「呉羽、ちゃんと高校に行って状況を説明して、女子制服での通学許可をもらったんだって」
「おお、それはめでたい! 良かったね」
「でも呉羽がこんなに急速に女の子になっちゃうというのは予想を遥かに超えてた」
「うんうん。たくさん唆してれば高校卒業頃までに女子高生になるかなと思ってたのに、もう入学前に女子高生になっちゃったね」
 
「これはきっと高校在学中に性転換しちゃうね」
「ああ、しちゃいそう」
 
「でも高校では、名前は大政のままなの?」と奈々美が訊く。
「それはやはり姓と名前を入れ替えて・・・・」などと明日香は言うが「一応、ヒロミということで。ヒロミはカタカナ」と呉羽。
 
「呉羽ヒロミ?」
「うん」
「へー」
「ヒロマサからヒロミだから、愛称はそのままヒロちゃんで」
 
「でも私たちヒロちゃんなんて呼んでない」
「そのまま呉羽でいいんじゃない?」
「うん。それでいいことにしよう」
 
青葉は画数を暗算してみた。
 
「ああ。呉羽ヒロミは凄く良い名前」
「へー」
「天格13, 地格8, 人格8, 外格13, 総格21 全部大吉」
「おお、すごい」
「呉羽、これで運気が上がるよ」
「それは良かった」
 
「じゃ、温泉オフには女湯に入れるね」と奈々美。
「でも女湯に入るには女の子の身体にならなくちゃ」
「ああ、呉羽はもうおっぱいを作っちゃったのだよ」
「へー。いつの間に」
「秋頃から女性ホルモン飲んでたんだって」
「なんとまあ。じゃ、もう男の子は辞めちゃったんだ」
「うん、もう男性機能は無いって」
「じゃ、女湯問題無いね」
 
「あれ、もうおちんちんも無いの?」
「それは別に大したことじゃないよ」
「大したことないんだっけ?」
「立たないおちんちんは無いのと同じ」
「青葉だって、付いてても女湯に入ってたよ」
「まあ付いてたら隠せばいいことね」
「ああ。青葉におちんちんタックしてもらえばいいよ」
 
「付いてたら、取っちゃうともっと良い」
「確かに。じゃヒロミはもしまだおちんちんが付いてたら4月18日までにちゃんと取っておくように」
「ああ。青葉におちんちん取ってもらえばいいよ」
「私たちなんか凄いこと言ってる気が」
「うーんと・・・」と呉羽は反応に困っている。
 
「ああ、温泉オフは18日になった?」
「うん。それで確定。木曜日ね」
「メンツは?」
「今いる子+若干名かも。過去に青葉鑑賞会に出た子には声掛けてるから」
「今回は呉羽鑑賞会かな」
「あ、そうかも」
 
「あ、でも呉羽は温泉オフの前に新入生合宿でも女湯に入らなきゃいけないよ。女子生徒として通学するなら」
「どっちみち、もうおっぱいあるなら、男湯には入れないしね」
「あ・・・合宿では特別に個室の浴室を使わせてくれるって学校から言われた」
「へー」
 
「トイレとか更衣室とかは?」
「トイレは女子トイレ使っていいと言われた。更衣室は個室を用意するって」
「まあ、それは女子更衣室に拉致して行けばいいね」
「うん、そうしよう」
 

翌日。4月1日。青葉はお昼過ぎ、T高校から「ちょっと相談したいことがある」
と連絡があり、T高校の制服を着て出て行った。校長室に案内されると、そこには、美由紀と日香理が来て居た。美由紀・日香理に軽く手を振って席につく。 
「もうひとり来るはずだから」
と言われて少し待つ。その時、美由紀が校長室に掛かっている水墨画に目を留め「あのお坊さんの絵、何て書いてあるんだろう?」
 
と言うので、校長が
「これは一休禅師の絵です。トンチの一休さんで有名な人ですね。書いてあるのは、亡くなる直前の句で『借用いたす昨日昨日、返済申す今日今日、借り置きし五つの物を四つ返し、本来空に今ぞ基づく』というものです。何か難しい意味があるみたいですが」
と校長は草書体の字は読めても、句の意味までは知らないようだ。青葉が口を開いた。 
「五つの物というのは、地水火風空といって、五大という物です。地水火風はヨーロッパとかインドで四大とか四元素と言って、この世界のものは全てこの4つでできているとされていたもので、占星術の星座も地の星座・水の星座・火の星座・風の星座に分類されます。現代物理学的な解釈だと地はアップクォーク、水はダウンクォーク、火は電子、風はニュートリノみたいなものですね。この世の物質のほとんどはこの4つで出来てるから、古代の人の思考は結構的を得てました」
校長や日香理がなるほどという顔をしているが美由紀はよく分からないような顔をしている。
 
「空はこの四つに更に付け加えられるべき要素として考えられたものですが、地水火風で物質的なものは全てできてるから空に属すのは、物質的に捉えられない世界のものですね。現代物理学ならグルーオンとかフォトンとか」
「幽霊みたいな?」と美由紀。
「そうだね〜、まあ霊的なものは空かもね」
 
と言って、青葉は数日前の夢の中で瞬嶽が五輪塔の空輪を指さしていたことを思い出した。
 
「この五大を表すのが五輪塔で、下から順に地を表す四角い石、水を表す丸い石、火を表す三角の石、風を表す半球形の石、そして空を表す宝珠形の石を積み重ねたものです」
「ああ、それ見たことある。古いお墓にあるよね」
 
「一休禅師の言葉も、自分は天から地水火風空の五大をお借りしたが、その内、地水火風はお返しして、空だけの存在になります、という意味。授かった物理的な肉体はお返ししますということで、もうすぐ自分は死ぬということを表しているんですよね」
「へー。さすが一休さんだね。『もう死ぬ〜』と言えば済むことをわざわざ分かりにくく書く」
と美由紀が言うと、日香理は吹き出した。
 
校長が感心したように
「そういえば、神さんか仏さんかしておられるんでしたね?」と言う。 
「ええ。実はその神様か仏様かよく分からないのが困ったもので。うちの祭壇は両側に阿弥陀仏・観音菩薩の額が掛けられていて、中央にも阿弥陀如来像がありますが、その前に伊勢の神宮で拝領した鏡が置かれ、後ろにも天照皇大神宮の大麻が置いてあり、太鼓叩いて祝詞上げますから」
「ああ、江戸時代頃まではそういうの結構あったんでしょ?」
 
「ええ。今は太鼓叩いてますが、曾祖母の代には木魚打ちながら祝詞をあげていて、それが江戸時代頃の神社での標準的なスタイルだったらしいです」
「へー。何だか不思議な世界だね」
「明治の神仏分離で、両者が分けられましたからね。でも田舎だとこんな感じの所は結構残ってたみたいですよ」
 

そんなことを言っている内に、ひとり見知らぬ少女が入ってくる。やはりT高校の制服を着ている。こちらに会釈して座った。
 
校長がおもむろに言った。
「みなさん、来てくれてありがとう。実は、みなさんに今年一緒に入学する呉羽大政さんのことで、念のため相談しておきたくて。みなさん、呉羽大政さんを知っているのではないかと思ったので」
全員が頷く。
 
「私たち3人と彼女と自己紹介しあった方がいいですかね?」
と青葉が尋ねる。
「ですねー」
と彼女の方も言う。
 
「うんうん」
「じゃ、私から。◎◎中学出身、社文科に合格した川上青葉です」
「同じく◎◎中学、社文科、石井美由紀です」
「同じく◎◎中学、社文科、大谷日香理です。私たち3人は呉羽さんと中3の時の同級生です」
「私は§§中学出身、理数科に合格した清原空帆(うつほ)です。私は小学校の時の呉羽さんと同級生ですが、呉羽さん、どうかしたんですか?」
 
そこで校長が、呉羽が女性になりたいという意志を持っており、この高校には女子制服を着て通学したいと希望し、保護者もそれを認めているので学校側も彼女を女子生徒として受けれることにしたという経緯を説明する。そんな話を全然知らなかったらしい清原さんは「え−!?」と驚いていた。
 
「呉羽さん、小学校の頃から、そういう傾向あったんですか?」
「私、全然知らなかったです。あ、でも男の子より女の子の友だちが多かったですね」
「なるほど。でも当時は自分の性別傾向は隠してたんでしょうね」
「私たちも3年の1学期までは知らなかったもんね」
「うん。2学期から急速に女らしくなって行ったね」
「きっと性別意識を確立していく時期なんだろうね、この時期って」
 
「それで一応『呉羽ヒロミ』の名前で学籍簿には登録します」
「ああ。じゃ、ヒロちゃんのままでいいんですね」と清原さん。
「そちら、ヒロちゃんと言ってたんですか?」
「そうそう。小学1〜2年生の頃から付き合いのある子同士では、男の子でも名前で呼び合うことが多くて。彼は女子たちから『ヒロちゃん』と呼ばれてました」
 
「うちの中学では猫をかぶってたのかな。彼、中1の時にこちらの中学に転校してきたからな」と日香理が言う。
 
校長は呉羽の扱いについて、教室の名簿では女子の列に入れ、出席番号も女子の並びの番号にすること、トイレは女子トイレを使用するが更衣室は男子とも女子とも分けて個室を用意すること、体育の授業は女子と一緒に受けてもらうが、身体測定などはひとり単独でおこなうことなどを説明する。
 
「体育の授業は社文科の女子と理数科の女子が合同になるのですが、柔軟体操などで組む場合はどうしようかとこちらで言ってたのですが」
と校長が言いよどむと
 
「ああ、私と組めばいいです」と青葉が言う。校長が頷くが
「私も組んでいいですよ」と日香理が言い
「あ、私もOK。呉羽、ほとんど女の子だから全然構いません」と美由紀も言う。 
校長は微笑んで「ではその辺りでうまく回してください」と言った。
 
「結局、この集まりって、呉羽さんが女の子になったので、特に以前から知っている私たちに仲良くしてあげてってことですかね?」
と清原さんが訊く。
 
「ええ。だいたいそういう趣旨です」
と校長は頷いた。
 
「じゃ私も昔の友だちのよしみで、女の子同士の会話の輪に引きずりこんだりします。特に同じクラスになるのは私だけみたいだし」
と清原さんが言うと
 
「ええ、よろしくお願いします」
と校長は言った。
 
その後、校長が他にも微妙な点として先生たちの会議で議題にあげられたことを言うが、青葉たちの方は全然問題無いとして回答した。
 
美由紀たちが呉羽が中学の文化祭でチアガールをしたり、女子と一緒にダンスをしたりしたこと、また生徒たちの間で自主的におこなっていた勉強会には女の子の格好で参加していたことなどを話すと、校長も清原さんも「へー」と言って感心していた。
 

校長室を出た後で日香理が清原さんに「少し情報交換しません?」と持ちかけ、校内の食堂に行って(食堂自体は春休みで営業していないものの)自販機のジュースを飲みながら少し話した。
 
「苗字で呼び合うの面倒だから、名前の呼び捨てにしません?」
と日香理が言って、お互い了承する。
 
「じゃ、あらためて自己紹介。私は埼玉生まれ・岩手育ちの青葉」
「私は長野生まれ・高岡育ちの日香理」
「あ、えっと。私は高岡生まれ・高岡育ちの美由紀」
「私は、輪島生まれ・高岡育ちの空帆」
 
「名前が空帆(うつほ)で苗字が清原だと、宇津保物語だね」
と日香理が言うと
「ええ。私の名前、宇津保物語から採ったそうです」
「へー」
 
「宇津保物語って何だっけ?」と美由紀が言うので日香理が解説する。 
「『うつほ』というのは空洞って意味でさ。ふたつの意味を掛けてあるんだよ。ひとつは主人公の子供たちが、貧乏で家も無くて大きな木の洞の中で育ったこと。もうひとつは主人公たちにまつわる波斯(ペルシャ)由来の琵琶が大きなテーマになってて、その琵琶の胴体が中空であること」
「ふーん」
 
「私も宇津補物語のことは結構小さい頃から親に聞かされていて、それで何となく小学4年生の頃からギター始めたんですよね。さすがに琵琶じゃないけど」
「ああ、だったらギターうまいんだ!」
 
「いや、うまいかどうかはそれぞれの見解があるので」
とは言うが、空帆はどうもかなり自信を持っている雰囲気だ。
 
「それでこの物語、主人公は途中で代替わりするけど、最初の巻の主人公の名前が清原俊蔭なんだよね。内容的には特に第2巻以降は平安時代初期の宮廷が舞台になってて、そこでの様々な人間模様が描かれていて、源氏物語に先行する長編宮廷文学なんだよ」
 
「源氏物語って、源平の合戦の話?」
「それは平家物語!」
「美由紀。よく入試通ったね」
「まあギリギリの滑り込みだし」
 
「でも実は私、宇津保物語、最初の俊蔭の巻しか読んでないのよね」と空帆。「ああ、たいていみんなそんなもの」
「源氏物語だって、須磨明石までって言うしね」
 
「だけど、あの呉羽君が女の子になっちゃったのか。早く彼の姿が見てみたいな」
「あ。じゃどこかに呼び出そうか。春休みだしきっと来れるよ」
というので美由紀が携帯で呉羽に掛ける。それで、15時にイオンのフードコートで待ち合わせることにした。
 
「でも学校も多分青葉のことで色々準備していたものを結果的に呉羽のために転用できるんじゃないかな」
と美由紀。
「ああ、たぶんそうだと思う。私は『何の配慮もしません。単純に女子として扱います』と言われたから」
と言って青葉は笑う。
 
「へ?女子として扱うって?」と空帆。
「ああ。私、戸籍上は男だから」
「えーー!?」
と空帆は驚くような声を上げる。
 
「全然そうは見えない」
「この子、幼稚園の時からずっと女の子としてしか学校に通学してないし、男の子の服を着たことがほとんど無いんだよね」
「へー!」
「もう性転換手術も終わっちゃったから、あとは20歳になったら戸籍上の性別を変更するだけだよ」
「凄い!もう手術もしちゃったんだ」
 
美由紀が言う。
「私とか、最初、青葉が転校して来た頃は、青葉をふつうに《女の子》と考える見方と、《女の子になりたい男の子》と考える見方とが、ミュンヒハウゼンの猫みたいに重なってたんだけどね」
 
日香理が一瞬考えてから訂正する。
「シュレディンガーの猫?」
「あ、それそれ。何か言ってて自分でも違うような気がした。ミュンヒハウゼンって何だっけ?」
「ほらふき男爵の名前だよ」
「へー!ほらふき男爵に名前があったんだ?」
「実在の人物だし」
 
「えー!? あ、で話を戻して、シューマッハの猫だったのは最初の内だけでね」
 
日香理もそして青葉も、もう訂正しなくてもいいやと思った。
 
「その内、普通に女の子としか思わなくなった。だって青葉には男の子の痕跡すら見当たらなかったから。触った感触も体臭とかも女の子だし、生理まであるし、だいたい話していて他の女の子と感覚の違いが全く無い」
「そりゃ、私は普通に女の子だもん」
と青葉は笑顔で答える。
 
「少し足が不自由だったり耳が不自由だったり頭が不自由だったりしても、友だちであるのに何も支障は無いでしょ。青葉の場合も多少お股の付近が不自由だったかも知れないけど、それは個々の個性の範囲だよ。もうその不自由だった部分も手術して修正したから完璧だね。あとは妊娠できないくらいかな。あ、でも青葉って生理があるから本当は妊娠できるのかも」
と美由紀。
 
青葉は「頭が不自由」ってどんなんだろ?と一瞬考えてしまったが
「あ、私、結構妊娠出産するつもりでいるから」
と言う。
 
「ほほお」と日香理が感心するように言った。
 
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