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■男の娘とりかえばや物語・ふたつの出産(4)

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涼道が宇治の邸から脱出して3ヶ月ほど経った11月、ようやく“新右大将”は左大臣宅に“帰宅”しました。右大将失踪から7ヶ月が経っています。左大臣、春姫・秋姫とは、8月以来日々連絡を取っていますし帝にも定期的に手紙を書いていたのですが、“新右大将”が、右大将の振りをするための基礎的な知識・教養を身につけるのに、どうしても3ヶ月の日々が必要だったのです。
 
連絡は取っていたとはいえ、左大臣も春姫もホッとしたご様子でした。
 
“右大将”の姿を見た、多くの左大臣家の者たちは勝手な噂をします。
 
「四の君の浮気でショックを受けて吉野宮の所で出家なさろうとしたものの、宮の姫様が右大将のお世話をなさって、深い仲になったので出家できなくなってしまった。そこに左大臣様が死にそうという報せがあり、親の顔を見るためとこちらに戻られたらしいよ」
 
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などと微かに漏れたと思われる情報を三題噺のようにつなげて物語ができてしまったようです。
 

“新右大将”はすぐに参内して、帝に拝謁します。そして長期間の不在をお詫びしました。
 
「8月以来、文をもらっていたから、安心はしていたが、よく姿を変えずに戻って来てくれた」
と帝は涙まで流しています。
 
帝の言う「姿を変えずに」とは「僧形にならずに」という意味ではあるのですが、花久としては「私本当は女から男に姿変えちゃったんだけどね」などと思っています。
 
この日、花久はひたすら謝りましたが、帝からは
 
「これからもこの国のために頑張って欲しい」
 
というお言葉を頂きました。花久は長期不在の責任を取って辞表を書いていたのですが、帝はその辞表を却下し、花久は、失踪前と同じ、中納言・右大将の仕事をすることになりました。
 
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花久は太政官と近衛府にも行き、上司の大納言(藤原宏長)、同僚の左大将(源利仲)、そして多くの部下に頭を下げて陳謝しました。
 

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いったん左大臣宅に帰宅してから、今日あったできごとを文にまとめ、涼道の腹心・高宗に託し、馬で嵯峨野の邸に持って行かせました。
 
その上で花久は右大臣宅に向かいます。
 
右大臣宅では、8月の出産以来ずっと右大将の文が届いていたので、右大臣も御機嫌です。
 
「だいぶ体調がよくなられたようですね」
と“新右大将”の顔を見て言いました。
 
「まだ本調子ではないのですが、ずっとお休みしてしまったので何とか頑張っていきます」
と彼は右大臣に言いました。
 
四の君の部屋に行きますと、久しぶりに殿がおいでになるということできれいに掃除などもし、侍女たちに良い服を着せて、香も焚いて準備しています。
 
左衛門が「お帰りなさいませ」と言うのに手を挙げて挨拶し、四の君の近くによると
 
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「御免ね。お産の時に付いていてあげられなくて」
と謝ります。
 
「でも何とか生きながらえましたので」
「ずっと生きながらえてくれ。私の大事な人なのだから」
と、花久は、涼道ならこんなこと言うかな、というのを考えながら言いました。
 

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「手紙でも書いたけど、身の宿命を思い知りつつ吉野の山に入りましたが、あなたへの思いに耐えきれず、幼い子の可愛さなど、断ち切れぬ血縁の情に人聞き悪くも思い返してきましたのがかえって罪深くなってしまいました。あなたは平穏であったようで何よりです」
 
などと言いますが、四の君は少し余裕ができてきていて、こんな歌を詠みます。
 
世を憂しと背くにはあらで吉野山、松の末吹くほどとこそ吹け
 
(私との仲を辛く思ったのではなく、吉野山の梢を吹く風のようにあなたの気を引く“松の木”があったたからとききましたが:あからさまに、吉野の女の所に籠もっていたんでしょ?と指摘している)。
 
このくらいの“言葉のジャブ”は花久でも充分返せます。頑張って涼道の字を真似て返歌します。
 
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その末を待つもことわり松山に、今はと解けて浪は寄せずや
 
(吉野山の松風に吹かれるように私に好みの“松の木”があったとしても、その結果をあなたは待っていれば良かったのですよ。なのにあなたは諦めて松山にあだ波が寄せるようにあなたの元に他の男が来たとか)
 
しかし歌を受けとった四の君は少し首をひねります。あちぉあ、やはり字の違いがバレたかなと思います。四の君はまた歌を詠みます。
 
見しままのありしそれとも覚えぬはわが身やあらぬ人や変われる
 
(かつて見たままのあなたと思えないのは私が変わったのでしょうか、あなたが変わったのでしょうか)
 
花久は「まあ気づくよな」とは思いながら開き直ったお返事を書きます。
 
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一つにもあらぬ心の乱れてやありしそれにもあらずとは思う
 
(私ひとりを愛しているでもないあなたのお心が乱れてか、昔の私ではないとお思いなのではないか)
 
しかし楽しく歌のやりとりをしている内に、お互いにかなり打ち解けていきます。
 
そして一晩過ごしますが、四の君は花久に抱かれてとても嬉しそうな顔をしています。花久も女性との体験は3月に東宮に“やられて”以来で自信が無かったのですが、何とかなった感じでした。
 

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翌朝、左衛門が2人の子供たちを連れて来ます。
 
「小夜、久しかったな。しばらく留守にして済まん」
と長女に語りかけたのですが、小夜は自分の乳母に捉まったまま、怖がるようにしてこちらに来ません。花久も「やはり子供の目は誤魔化せんな」とは思ったものの、萌子が
「まあまあ、小夜ったら、久しぶりにお父様を見たから怯えてる」
と笑っていました。
 
長男の須須の方は、まだ3ヶ月ほどです。花久を見て笑っているので、もしかして、この子たちは自分の父親をちゃんと見分けているのだろうか、などと花久は思いました。
 
しかし結局四の君は多少の違和感は感じたものの、花久と涼道の入れ替わりにまでは気付かなかったので、花久はこの入れ替わりに自信を深めました。
 
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花久と涼道は話し合って、二条堀川に土地を求め、そこに邸宅を造営し始めました。
 
邸宅の計画は2人が京に戻り、取り敢えず嵯峨野の別邸に入った時から計画し土地も買い求めさせていたのですが、具体的な建設作業は、実際に“新右大将”が参内して帝に許しを乞うた後から始めさせました。
 
これを造ることにしたのは、第1には、吉野の姫君を迎えるためです。帝の姪にあたる姫君を迎えるには、さすがに父の邸に同居という訳にはいきませんので、新たな邸宅を建てることにしたのです。そして萌子もここに引き取り、一緒に暮らそうという魂胆です。
 
そのためにふたりは本殿の周囲に3つの対(たい)を持つ邸を造ることにしました。1つが吉野の姫君のため、一つが右大臣の四の君のため、もうひとつは“尚侍”が里下がりする時のためという建前ですが、花久の内心としては、東宮との仲を公にすることができるようになったら、そこにお迎えしたいという気持ちもあります。実際この尚侍の里下がり用の対に関しては、妊娠中の東宮ご自身が、あれこれと好みをおっしゃったので、それに応じた設計にしていました。
 
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「お前さぁ、萌子ちゃん、海子様、東宮の他に妻はいないの?」
と花久は涼道に尋ねました。
 
「東宮は別に僕の妻ではないのだけど」
「まあ、私の妻だね」
と花久は認めます。
 
「でもだいぶ“やられて”いたような」
「皇女(ひめみこ)様ったら強引で。妊娠しちゃったらどうしよう?」
「女姿なら産んでもいいと思うけど」
「まさか僕妊娠してないよね?」
「出産した後、1年くらいは妊娠しないと思うよ」
「よかったぁ」
と安堵している涼道を見て、花久は「この子、どうもその方面の知識が足りないようだぞ」と思いました。
 
「恋文を交わした人は、他にもうひとりだけいるんだけどね」
と涼道は言いました。
 
(麗景殿女御の妹君のこと)
 
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「へー」
「ちょっと落ち着いた頃でいいから、その子のお世話をしてくれない?」
「お世話って、まさか寝ろってこと?」
「彼女とは歌を交わすだけで一度も“して”ないんだけどね」
「まあできなかったろうね」
「ちんちん貸してくれたら、僕がしてくるけど」
「どうやって貸せばいいのか分からない」
 

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“右大将”が現れたという報せは、翌日には筑紫の君によって、宇治の邸で失意の日々を送っていた権中納言の所にもたらされます。
 
「確かに本人であったか?」
「間違いありません」
 
「では男姿に戻ってしまったのか?」
「は?」
 
筑紫の君は涼道が女姿になって宇治の邸に居たなどということは知りません。
 
しかし権中納言は、てっきり右大将が出家して尼にでもなってしまったのではと思っていたので、出家していないのなら、男装に戻ってしまったとしても、まだ望みがあると、俄然気力が湧きました。
 
それで4ヶ月になる若君(萩の君)を乳母に抱かせて、京に急ぎ戻ったのでした。
 
「ありがとう。ここからは私だけで行く」
と言って乳母から若君を受け取り、自ら若君を抱いて宮中に入ります。
 
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今日は会議のある日なので、右大将は来るはず、と思って待っていますと、まずは前駆の人が華々しく右大将のおなりを告げ、大勢の家人を連れて参上してきました。
 
その様子を見ると権中納言は
「やはりこういうのに慣れていた人に、人目を忍んで暮らすのはつまらなかったのかなあ」
などと思ってその姿を見ていました。右大将の姿はたいそう鮮やかに、清らかに美しさを振りまきつつ、優艶ささえ加えたと見えるのも目もくらむ思いです。
 
権中納言と目が合います。
 
向こうは一瞬表情を変えました。権中納言が若君を抱え上げて右大将に見せます。しかし右大将はすぐ普通の表情に戻りました。
 
権中納言は、何とか声を掛けるタイミングを狙っていたのですが、その隙を与えません。そして仕事が終わるとさっさと帰ってしまいました。
 
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「私を全く思い捨てになったのだ。若君だけでも、そういう子がいたと、どうなったかしらと思うべきなのに」
などと権中納言は思い、恨めしくも悲しく、涙に暮れて内裏を出ました。
 

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若君を抱いて内裏を出、乳母を待たせている車の所まで戻ろうとしていた権中納言に、清原中将が気づき、声を掛けました。
 
「権中納言様、お戻りになったのですね?」
「あ、うん」
「帝がご心配なさっていましたよ。参内なさって帝にお謝りになっておいた方がいいですよ」
「すまん。今度またちゃんと服を整えて参内する」
「ああ、確かに今日は権中納言殿らしからぬ服かも知れませんね。ところでそのお子様は権中納言様のお子様ですか」
「うん」
 
「そんな立派なお子様ができていたのですね。おめでとうございます」
「ありがとう」
「母君はどなたです?」
「右大将なのだが」
「またご冗談を。男同士で子供ができる訳がないではないですか」
「確かにそうだな」
「でも身分の低い女ではないですね。高貴なお顔をしておられる」
「確かに立派な身分の女だよ」
と権中納言が言いながら、涙を流しているので、清原中将も驚いてその様子を見ていました。
 
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権中納言は若君を乳母に抱かせて宇治に戻ります。そして一晩中泣き明かしてから、右大将に歌を送りました。
 
見てもまた、袖の涙ぞせきやらぬ身を宇治川に沈み果てなで
 
(お会いしたのに私の袖の涙は堰きかねるほどです。捨てられた身を辛いと (**)思って宇治川に投ずることもできないで)
 
この手紙は左大臣宅に届けられたのですが、“新右大将”は「返事はこちらから持って行くからあなたは帰っていなさい」と使いの者に言い、自らはその手紙を持つと馬に乗って嵯峨野の別邸に行きます。そしてそれを“新尚侍”に見せました。
 
「私が男姿に戻ったと思ってるんだ!」
「そう思うだろうね。だからそう思わせておけばいいよ。私が返事を書いたら、微妙な筆跡の違いや記憶違いとかに気づくと思う。そなたが返事は書くとよい」
 
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と“新右大将”は、涼道に返事を書いてくれるように言いました。そこで涼道は返事を書きます。
 
心から浮べる船を恨みつつ身を宇治川に日をも経しかな
 
(私の心からとはいえ、あなたの浮気心を恨みつつ身を辛く思い、宇治川の傍で日を過ごしていましたの)(**)
 
(**)どちらの歌でも「身を憂」と「宇治川」が掛詞。
 
「やはりあなたの字は美しい!」
と花久は感動しています。
 
これを花久は馬に乗って右大臣宅に持っていき、そこで筑紫の君を召して、宇治の邸に届けさせました。(この日はそのまま四の君と寝る)
 
それを受けとった権中納言は、やはり自分の浮気心のせいだと後悔し、また手紙を送ります。(筑紫の君は“男女”の恋文とは思わず単純な通信と思っている)
 
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いとどしき嘆きぞ勝ることわりを思ふに尽きぬ宇治の川船
 
(いよいよ嘆きが勝る。あなたの言うのももっともだと思うけど、宇治の川船は後悔(航海)するばかりです)(**)
 
(**)「いとどし」は「いっそう増している」という意味の形容詞。源氏物語の須磨帖に「後ろめたく悲しけれどおぼし入りたるにいとどしかるべければ」というのがある。
 
(↑「とりかへばや物語」秋の巻、ここまで。↓冬の巻)
 
 
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