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■十二夜(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2011-12-25

 
その夜私は最悪の精神状態の中で車を運転していた。年末までに完了させることになっていた設計で、先週、突然の仕様変更を顧客から要求された。設計はほぼ完成していたのだが、それを変えるとなるとかなり根本から見直さなければならない。向こうはその変更もした上で年末までに設計を終わらせてくれと言ったが、それはいくら何でも無茶でしょというので、かなり激しいやりとりをした上で1月末まで納期を延ばすことと、設計料金の1割り増しを勝ち取った。
 
しかしそれにしても、かなりギリギリのスケジュールになる。ここの所ずっと夜遅くまで残業していたし、クリスマスも正月も無いなというのは覚悟していた。
 
昨日は私が通販で頼んでいた品で欠品が生じるという連絡が会社の電話宛にあった。私が仕事が忙しくてほとんど自宅に戻らないので、連絡先を会社にしていたのだが、最初事務の糸崎さんが電話を取ったのを、向こうは本人か家族と思い込んでしまったようで
 
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「ご注文頂いた品の中で『エンジェルフルート・フロントホックブラジャー』がただいま品薄になっておりまして、年明けのご配送になってしまうのですが」
などというのを彼女に言ってしまったのである。
 
糸崎さんは変な顔をして、私に電話を回した。そりゃそうだ。27歳の独身男がブラジャーを注文したって、何の目的で?と思われてしまったろう。まあ、いいけどね。もうこの会社に勤め始めて5年。今まで自分の趣味が知られずに来たのが、半ば奇跡のようなものである。そろそろカムアウトしちゃってもいいくらいだ。
 
私は会社には背広を着て出て来ているものの、私生活は完全に女性の服で過ごしている。下着はそもそも女物しか持っておらず、背広とワイシャツの下には実はいつもブラジャーを付けているし、パンティも常時女物である。残業でひとりになってしまった場合は、会社で女性の服に着替えて仕事をしている時もある。どちらかというとそういう服装をしている時の方が効率良く仕事ができる気がしていた。今も女性仕様のズボンと上着を着て、ピンクのダウンジャケットを着て、この車を運転している。ウィッグも付けて、お化粧もしている。
 
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しかしここ数日の残業ではほんとに私は疲労がたまっていた。一番中核部分の変更はとにかくも年内に終わらせてしまわないと、部下に変更作業をしてもらう部分の指示が出せない。年明け一番にそのあたりの作業を始めないと1月末までに設計作業を完了させることができない。
 
そういう状況の中で、3日前にうちの部署の責任者である課長と、古株の係長とが会社で衝突してしまった。立場的には課長が上司であっても係長はこの仕事を30年やっており、顧客の覚えも良いし、様々な関連会社との強力なパイプを持っている。簡単には折れない。そこで私がふたりの仲介役になり、何とか仲直りさせようと苦労していた。
 
更にこの夕方、40代のベテラン社員が信じられないことにホストマシンの重要なファイルを誤って削除してしまった。幸いにもデータはバックアップがあるので復旧したが、復旧作業が21時すぎまで掛かった。クリスマスイブで予定があるといって嫌がる部下たちを説き伏せて、何とか復旧したが、こちらも正直クタクタになった。
 
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みんなを帰してから残務整理をし、やっと会社を出たのが23時だったが、日本列島は強烈な寒波が押し寄せていて、かなりの雪が降っている。会社から自宅までは山を越えて20km。車で30〜40分なのだが、この雪では慎重に運転しなければならない。私は精神状態はかなりひどかったが、自分をなだめながらゆっくりとした速度で車を進めていた。
 
年末なので道は混んでいる。しかし雪が凄いのでみんなスローペースで走っているようだ。私は前の車のテールランプを見ながら、だいたい前の車と同じペースで車を運転し続けた。こういう時は脇から人が飛び出してきたりした場合に気付くのが遅れがちである。そこで意識して両側に目をやりながら運転をしていた。
 
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しかしそれにしても今日は何だか時間が掛かる。この車にはカーナビを付けていないし雪がひどいので、正確な場所は分からないが、感覚的にはもうそろそろ自分が住む町の街灯りが見えてきてもいいと思うのだが、車はまだずっと山道を走っている感じだ。
 
私は突然眠気が込み上げてきた。やばい。これはやばい。こういうスローペースで走っている時はそもそも眠くなりやすいのだ。疲れも溜まっているこの状態で運転していると事故を起こす危険がある。
 
私はちょうどうまい具合に左脇に小さな駐車帯があるのを見ると、そこに車を寄せて駐めた。一度降りてワイパーを立ててくる。車に戻ってきちんとロック。後部座席に移り、荷室から毛布と布団を出してきてかぶって、取り敢えず寝た。
 
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起きてみると、夜2時であった。雪はますますひどく降っているようだ。しかし車の行き来は途絶えてしまったようである。
 
かなり冷えていることもありトイレに行きたくなった。。。。でもこの道にはトイレのある休憩場所は無い。幸いにも車の通りは無い。私は車から降りると道の脇に行き、ズボンをさげパンティもおろして、しゃがんでおしっこをした。
 
こんな時、男の人は便利だよなと思う。自分もまだ手術はしていないので立っておしっこをする機能自体は存在しているが、自分のアイデンティティとして、そんなことはできないと思っていた。会社でトイレに行く時もいつも個室を使っている。
 
しかしこの雪の中、お尻を出して用を達するのはマジで寒かった。車に戻ってから、車内に常備しているカセットコンロでお湯を沸かし、コーヒーを入れて飲んだ。それで人心地付く。さあ、出発だ。
 
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相変わらず雪が激しいので、ほんとにどのあたりを走っているのかがよく分からない。ただ会社のある町から自宅のある町までは大きな分かれ道は無く、実質的に1本道なので迷ったりする心配は無いはずだ。雪が激しいので一応時速30kmくらいのゆっくりした速度で走る。もし道のちょうど真ん中付近であったとしても20分も走れば着くはずだ・・・・・
 
と思ったのに30分走っても町灯りが見えてこない!
 
迷った?どこかで道を間違った??しかし間違うような道は無いぞ。
 
私はいったん車を脇に寄せた。場合によってはもう下手に動かず、朝になるのを待った方がいいかも知れない。今3時。どこか邪魔にならない場所で朝まで寝ようか?
 
そう思っていた時、後ろから車のヘッドライトが近づいてきた。私はその車に付いていってみようと思った。通り過ぎるのを待ち車をスタートさせ、その車の後を同じペースで走った。この雪道なのに向こうは50km/hも出している。かなりこの道に慣れている人だろうか。そしたら、とりあえずどこかの町まで行けそうだと思う。
 
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ところがその車は5分も走ると、脇にそれて道の駅のような所に入って行ってしまった。え?近所にこんな施設あったろうか?もしかして最近出来た?新しい施設ができてれば気付くはずなのに。やはり根本的に道を間違っているのだろう。私は道の駅ならそこで朝まで過ごしてもいいと思い、前の車に続いてそこの中に入っていく。
 
前の車はトイレのそばに駐めて、乗っていた人が男子トイレの中に入っていった。私は少し離れた場所に駐めて様子を伺っていたら、その人はトイレから出て来て車に乗ってまた出発してしまった。
 
私はトイレから少し離れた場所の端の方に駐め、車を降りてトイレの建物まで行き、女子トイレに足を向けた。私は会社では背広を着ているので男子トイレを使うが、ふだんは基本的に女子トイレを使っている。入口の前まで行く。入口の上に何か文字が書いてあった。何だろう?
 
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《Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate》
 
イタリア語っぽいなと思ったが、私はイタリア語は分からないので意味が分からない。intrateが英語のenterに似てるので『入る』だろうか?入ってくつろいでねとでも書いてある?まあ最近は意味が分かってるのか分かってないか、適当な横文字を書いてる所ってあるからなあ、と思っていたら自動でドアが開いた。私は中に入った。
 
中はきれいだ!どうもここは最近できた施設のようである。でもこれどこの付近なのだろう。やはりカーナビ買おうかなあ。車はほとんど通勤にしか使わないしと思って買っていなかったのだが・・・などと思いながら個室に入った。さっき道の脇でしたばかりだったが結構出る。やはり雪の中では身体が緊張してたからだよな、などと思いながら、ほっと一息ついた。
 
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手を洗い車に戻ろうとドアを通った・・・・ところで戸惑った。あれ?
 
外に出たつもりが、別の間に出てしまった。道の駅の施設の一部かな?間違って出入口と反対に出てしまったんだろうと思うが、そこは不思議な間だった。
 
無機質な何も無い部屋の中にテーブルがひとつあり、パソコンが置かれていた。のぞいてみると、自分が今している設計の図面が表示されている。え!?
 
ここに来て私は自分は今夢を見ているのかも知れないと思い至る。そうだ、夢だからいつまでたっても町に辿り着かず、こんな道の駅が突然できているのを見たりしているのだろう。じゃ、夢なら目を覚ませるはず・・・と思うが目を覚ますことができない。あれ?
 
取り敢えず私はパソコンの前に座る。設計をしながら悩んでいた部分があった。一応の解決策は考えたのだが、我ながらスマートではないと思っていた。もう少し何か美しい方法がないものかと思っていたが、思いつかない。時間も無いし、今考えている方式で行こうかと思っていたのだが・・・・・
 
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その時1羽の鳥がどこからともなく飛んできた。パソコンのモニタの上に留まって鳴いている。こんなに人のそばまで寄ってくるというのは珍しい。それとも人によく餌をもらっているのだろうか?道の駅のトイレに雀が住み着いているのは旅に出た時に見ることはあるが、この鳥は雀とは違うようである。そのさえずりを聞いていた時、あ!と私はあることを思いついた。
 
パソコンを操作して、設計図に変更を加えていく。私は夢中になって作業していた。多少の試行錯誤の末、とてもうまいやり方に到達した。使用する建材もそう多くないし、強度は仕様の変更前よりかえって強くなる。見た目も美しい。こんなやり方があるとは思わなかった。
 
満足していた時、パソコンの向こう側にドアがあるのに気付く。私がそのドアの前に行くと、ドアは自動で開く。私はそこを通った。
 
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ここは倉庫か何かだろうか?と思った。箱がたくさん積み上げられている。その中央に畳が一枚あり、そのそばに鳩が2羽いた。私が近寄っていっても鳩は逃げずにそのあたりを歩いている。私は畳の上に置かれた1枚のスカートに目が吸い寄せられた。畳の傍にコート掛けが1本立っていたので、私はダウンコートを脱ぎ、そのコート掛けに掛けた。
 
このスカート・・・と思って畳に斜め座りし、触ってみる。このスカートには覚えがある。私が買わなかったというか買えなかったスカートだ。あれはまだ女装して外を歩く勇気が無かったころ。私は旅先の札幌で、地下街のお店のショーウィンドウにとても魅力的なスカートがあるのを見つけた。可愛い!でも男の自分がスカートなんて買ったら変に思われるかな、と思ってどうしても店に入ることができなかった。
 
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でも「いいなあ」「穿きたいなあ」という思いが強くて、お店の前を何度も往復した。今の自分なら堂々とお店に入って即買っているだろうけど、当時はそんな勇気が無かった。
 
穿いてみようかな?と思う。どうせこれ夢みたいだし、好きにしていいだろう。私は穿いていたジーンズを脱ぐと、そのスカートを穿いてみた。ウェストはぴったりである。ああ、でも足の毛はちゃんと剃ってて良かったなと思った。冬になると、ついサボりがちだし、ここのところ忙しかったが、昨日たまたまお風呂に入ることができて、その時ちゃんと処理したのである。
 
姿見があったので映してみる。コートを脱いで上半身もセーターになっているので、バストが目立つ。髪も長いし、お化粧もしているし、スカートを穿いたら一応ちゃんと年齢相応の女には見えるよなと思う。でも10代の頃に女の子の服を着て外を出歩く勇気があったらな、などと昔のことを思い出す。特に中学・高校で6年間学生服を着て通学したのは、ほんとに辛い時代だった。あの時代の自分の歴史を抹消してしまいたい気分だ。同級生が着ている女子制服に本当に憧れていた時代だった。
 
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畳の上に座ったことで、少し睡魔が呼び起こされてしまった感じだ。部屋は暖かいし、このまま寝ても風邪を引くことはあるまいと思った。いやそもそも今夢を見てるんだっけ?とにかく私は少し寝ることにした。
 

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