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目次]
(C)Eriko Kawaguchi 2004-02-25
休日限りの性転換体験を終えて、元に戻してもらうつもりで病院に行った所、そこは何もなく、ただ焼け野原だけが広がっていた。
私も高田さんもしばらくその景色を呆然として眺めていたが、とにかく何があったのか知る必要があるというので活動しはじめた。近所の人に近くの警察署を教えてもらい訪問して、病院が土曜日の夕方火事で焼けてしまったということを知らされた。私が受けたショックは並大抵のものではなかった。そこの先生の治療を受けることになっていたのでとにかく事情を知る人を教えて欲しいと頼む。治療が必要なら、総合病院を教えるからそちらへ行ってはと警察の人は言ったが、資料などが必要なのだと高田さんが食い下がる。警察の人は「そういうのは焼けてしまってるんじゃないかな」と渋っていたが、やがて、病院の事務の人に電話をしてくれた。途中から高田さんに代わってもらえて高田さんが「ODSの復元手術が必要」と訴えると、病院の焼け跡で会いましょうということになった。警察の人が付いてくるかな、それだと説明が面倒と思ったのだが、警察も忙しいのか「じゃ、後はよろしく」で済んでしまった。警察の人もこちらが女二人ということで、変なことは起きないだろうと考えたのかも知れない。
焼け跡に再び行くと、すぐに電話で話していた事務の人−村田さんといった−がやってきた。村田さんが、先生も婦長さんも火事に巻き込まれて一酸化炭素中毒になり、まだ意識が戻っていないということを告げた。私はあらためてショックを受けたが、村田さんは「とにかくアレの保存箱を探しましょう」と言ってくれた。「土曜日はキャンセルの連絡が入っていたから、手術した人がいたなんて私も知らなかったんですよ」と彼女が言う。確かにあれは急遽その場で決めたものであった。「山梨の佐藤医院というところでもODSをやっています。保存箱を持ってそちらに駆け込めば、何とかなるかも知れません」と村田さんが言うと、私は突然大きな希望が湧いてきた思いがした。
「いつも保存箱は検体保管室に置かれていたので、たぶんその界隈だと思うのですが」と村田さんが言うので、3人でその近辺を探すが、がれきの山の中で捜し物はひじょうに大変だった。「道具がいりますね」と高田さんは言うと、車で近くのホームセンターまで行ってスコップを買ってきた。そして2時間以上の奮戦の結果、保存箱は見つかった。しかしひどい火事だったのだろう。箱は完全に黒こげだった。しかもまだ外側は熱いくらいだった。
「熱にはこの箱は耐えるっていつか先生が言っていましたよ。でも問題はこちらですね」と村田さんが指摘するのは電池ボックスだ。カバーが外れ電池もどこかに行ってしまったようである。「短時間なら別に内蔵されているリチウム電池でバックアップされるのですがこの電池が外れたのがいつかが問題ですね」と村田さんが悩んだ表情をする。「でもともかく山梨に行きましょう」
村田さんは自分の車を近くの駐車場に入れ、高田さんの車で山梨へ向かった。車の中から村田さんが向こうの病院に連絡を入れる。向こうでは驚いたようであったが、到着するまで待っているから、とにかく来なさいと言ってくれた。
山梨のその病院に着いたのはもう夜8時すぎだった。ベルを鳴らして中に入れてもらうと、先生が出てきた。60歳くらいと思える白髪の男性の先生だった。「オペの準備はしておいたが、とにかくその箱を見せて下さい」と言うので大事に抱えてきた保存箱を渡す。「うーん。電池が。火事が起きたのはいつ?」
「3日の夕方です」「丸2日たってるな」と先生が難しい顔をする。「あのお内蔵のリチウム電池というのはどのくらい持つんですか?」「電池を交換する際に電源が途絶えないようにするためだけのものだからね。だいたい2〜3時間が限界だろうね」という。ということはこれは電源の入っていない状態で50時間ほど放置されていたことになる。
「とにかく中を確認します」と言って先生は箱をドライバを使って開けた。普通の開け方ができない状態になっていたのである。箱は断熱材?などで何層にもなっている。そのいちばん内側に、私の身体に2日前の昼間でつながっていた器官が収納されていた。「うん」先生は難しい顔をしたまま手を消毒し、手袋をはめて中を確認。付け根の付近の皮膚の一部を切り取ると、顕微鏡に置いて見ていた。
「完全に壊死しています。これは諦めてください」
その言葉を聞いて私はそのまま気を失った。
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その後のことは少し記憶が曖昧だ。あとで高田さんに教えてもらったことなども総合してみるとだいたいこんな感じで進んだ。
私が気を失ってしまったのでその晩は病院の空いている部屋に私は寝かせられていた。翌朝近くのホテルに泊まって迎えに来た高田さんと村田さんに連れられ私は病院を後にした。会社には高田さんが「体調が悪いので今週いっぱい休ませます」と連絡をしていた。確かにこのショックから立ち直るにはその程度の時間は欲しかった。
高田さんはこうなってしまった以上、もう完全に女の子になってしまってはと提案した。「だからさ、私の奥さんになってくれない?」と高田さんから言われた時は最初何を言われているのか理解できなかった。そして半ば放心状態のままで、高田さんに勧められるまま、脱毛の治療を受け、その週の水曜日には喉仏除去と豊胸の手術を受けてしまった。豊胸手術が無茶苦茶痛かったのだけはハッキリ記憶が残っている。私はずっと高田さんのマンションで寝ていた。土曜日頃になってやっと身体も心も落ち着いてきて、お風呂に入り、初めてひとりで鏡に全身を映してみた。
白くすべすべとした肌。脱毛の跡がまだ少し残っているがこれも数日の内には消えてしまうだろう。のど仏のないスッキリした首、豊かなDカップのバスト。以前は付け乳でこんな感じを味わったが今あるのは本物だ。そしてくびれたウェスト。これは元からのもの。そして股間にはぶら下がるものは無く手術のために沿った陰毛が生えかかっているところに縦の筋が確認できる。私は鏡に映したまま身体のあちこちを自分の手で触ってみた。そして触っているうちに何だか楽しい気分になってきた。「きれいな身体。こんな身体で生きていけるというのもいいかも」私は急に女としてやっていける気がしてきた。
その晩、私は積極的に高田さんと愛し合った。
私が元気になってきたと見た高田さんは私を女の子の格好のまま月曜日会社に連れて行った。中に入る時に恥ずかしくてもう逃げだしたい気分だったが高田さんは手を離してくれなかった。朝早くで来ていたのはまだ社長だけだった。
社長は最初私のことが分からなかったようであった。しかし高田さんから私が性転換して女になったと聞かされると、本当にびっくりしたようだった。そして高田さんが、これは異常な趣味とか変態とかいうのではなく、私が精神的に本当は女であったのが、男の身体に誤って生まれてきただけであると力説。このまま私を社員として置いて欲しいと頼んだ。社長はかなり迷っている風であったが、やがて高田さんの熱心さにほだされ、また高田さんが私のことは全て自分が責任を持つからと言うので、とうとう「じゃ女子社員として改めて入社してもらおう」と言い出した。
かくして佐藤和馬は5月11日付けで退職。代わりに佐藤和子が5月12日で入社ということになってしまった。給料は専門学校卒の女子の給料ということになったので、今までより少し安くなるようだ。しかし社長は「腕を上げたら男子並みの給料払うから頑張れ」と言ってくれた。
同僚の反応は概ね悪くなかった。「実は、おまえ何だか女みたいな奴だなと思ってたんだよ」と言う人もあった。おもしろがってスカートの中を触ったりする人もいたが、高田さんが「あまりするとセクハラになるぞ」と言ったのでそういうのは初日で沈静化した。お茶汲みの専用係ができたことも嬉しがられた。私が入れたお茶は昨年までいた女性社員のよりおいしいと言われた。宴会ではもっぱら酌をして回る役になったので、おかげであまりアルコールを飲まずに済むようになった。実はお酒はあまり好きではなかったので良かった。
声はかなり練習したので女らしい声が出るようになっていた。そういうことで私はこの会社で唯一の女性社員として電話受付兼お茶くみ兼雑用係兼イラストレーターとして働くようになった。明らかに男性社員よりたくさん働いているのに給料は安かったがそれは気にしないことにした。私の絵の傾向自体が女になってしまってから明らかに変わった。常時服用している女性ホルモンの影響もあるのかも知れないが、専門学校時代に書いていたようなメカニック系の絵は書きたくなくなり、ファッション系の絵、半ば少女漫画的な絵が好きになっていた。そしてその傾向の絵に関しては才能があると褒められたおかげで、私はすっかりそちらの系統専門になってしまった。
その年の暮れ、私は高田さんと結婚式を挙げた。戸籍が男のままなので入籍はできないが、そんなことは構わない。アパートはもう5月の段階で引き払い、ずっと高田さんのマンションで暮らしていたので、結婚で何かが変わった訳ではないが、少なくともそれで世間的には私は「奥さん」の部類に入ることになった。むろん会社にはそのまま勤めている。
いちばん拍子抜けしたのは親の反応だった。親には秋頃打ち明けた。かなり揉めることを覚悟の上でカムアウトしに行ったのだが母親は「きれいじゃん。電話で聞いた時は変なオカマになっているのかと思ったけど、これだけ美人の女の子になったのなら問題ないわ。それにうちは息子ばかりだったからね。娘がひとり欲しかったなと思っていたのよ」などと言ってくれた。父親は最初は渋い顔をしていたが、母親がむしろ私が娘に変身したことを喜んでいるかのようであったこともあり、結局文句はいわずただひとこと「今晩は泊まっていけよ」と言った。そして翌日父親は私を自分の車に乗せてデパートに連れて行きひまわりの柄のスカーフを買ってくれた。父親なりに私を許してくれたのだろう。
ふたりの兄も「妹って欲しかったんだよね」などと言った。そして実は私が小さい頃、兄たちで図って私に女の子の服を着せて連れ回したりしていたことがあったなどと言った。私にはそんな記憶は全然無かった。まだ高校生の弟の反応が心配だったのだが、彼は今時の高校生らしく冷めた表情でこう言った。「変態のひとりくらいいてもいいか」そして少し心配そうに付け加えた。
「和兄ちゃんが和姉ちゃんになってしまったとすると、俺は四男から三男になるわけ?」と尋ねた。うーん、これは私もよく分からない。世間ではこういう場合どうなるのだろうか。
ODSの性器は長くもつものではないとは言われていたが、実際に使っていてどこかが痛んだり調子が悪くなるようなことはなかった。ひょっとしたら10年後くらいに手術が必要なのかも知れないが、新しいのに変えればそれからまた10年くらいもつだろうから気にしなくても良いだろう。
ただとにかく今私は、女としての生活、OLとしての生活、主婦としての生活をたっぷり楽しんでいる。
主婦とはいっても高田さんもプライベートではいつも女性の格好だからセックスの時以外はほとんどレズの夫婦という感じではあるが。その高田さんも私の身体を日々見ていて、完全な女になりたいという気持ちがつのったようでとうとうタイの性転換手術をしている病院に予約を入れた。1年後くらいには手術を受けて女の子になってしまう。するとどういう夫婦生活になるのかよく分からないが、でもきっと多分何とかなっていくのだろう。