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■夏の日の想い出・ゆうとぴあの(2)

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「最近、ここのピアノがよく鳴ってるなと思ってたけど、君が弾いてたの?」
「はい。いつも放課後、ここで弾いてます」
「音楽室のグランドピアノの方には行かないの?」
「あちらは上手な子ばっかりだから。私ピアノ習ってないし、家にもピアノ無いし」
「へー。でも家にピアノ無くて、習ってもいないにしては上手だよ」
「そうでしょうか」
 
「何か弾いてごらんよ」
「はい」
 
それで私は最近いちばんよく弾いていた曲、『カードキャプターさくら』の主題歌『Catch You Catch Me』を弾いてみせた。
 
「うん。うまいうまい」
「でも左手の弾き方で悩んでいるんです。家でエレクトーンで弾く時はこんな感じでもなんとかなるんですけど」
「ああ。エレクトーン習ってるの?」
「いえ。姉に少し教えてもらっただけで、それも教室には通ってません」
「ふーん。でも確かにエレクトーンは左手の和音を押さえっぱなしでもいいけどピアノはそういう訳にはいかないもんね。少し、ピアノ教えてあげようか」
 
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「ほんとですか!?うれしい!」
「何かやってみたいテキストとかある?」
「そのあたりもさっぱり分からなくて」
「じゃ、うちの娘が使ってた古いのを持って来てあげるよ」
 
「わあ、ありがとうございます! あ、そうだ。それでちょっと気になっていたことがあって」
「うん?」
「このピアノ、音が少し変なんです。『きらきら星』なんか弾いてみるとよく分かるんですが」
と言って私は実際にドドソソララソと弾いてみる。
 
「このソの音が低すぎる気がするんです。ドが(弾いてみる)この音ならソは多分『ソー』(声に出してみる)という音になると思うのに、このピアノのソはこんな感じ(弾いてみる)で何か変なんですよね。だいたい上のソとも音が違う。ラの音もミの音も違うし、レの音は近いんだけど、やはり少しずれてる気がします」
 
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「ああ、確かにこのソは、おかしいね。これは先生にも分かるよ」
 
「これって音の高さは調整できないんですか?」
「できるよ。ちょっと面倒だけどね。何なら唐本さん、やってみる?」
「わあ、いいんですか?」
 
「でもどうやって調整する?」と先生は訊く。
「まずドの音が分かればそれから他の音は正しく合わせられると思います」
「へー」
 
「ドの音とソの音って響き合うんですよね。これ音楽室のグランドピアノを弾いてみてもそうだし、家のエレクトーンで弾いてみてもそうです」
「ふんふん」
 
「家のエレクトーンで少し試してみていたんですけど、ドとソみたいに鍵盤の数で7個離れている所の音は響き合うんです」
「ほほお」
「それから、このドと上のド、このミと上のミ、みたいな感じで同じ名前の音は同じ音ですよね」
「うんうん」
 
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「だからドから始めて、響き合う音を重ねていくと、ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ#→ド#→ソ#→レ#→ラ#→ファ→ド で元の音に戻ってこれて、全ての音を合わせられるんじゃないかと思って」
 
「よく考えたね。じゃそれでこのピアノの音を合わせてみない?」
「やってみたいです。どうやってするんですか?」
「先生が今度道具持って来てあげるよ」
 

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翌週、先生は音叉とかハンマーとかフェルトとかいった道具を持ってきてくれた。音叉を膝に当てて鳴らしてみる。
 
「この音、ラですか?」
「そうそう。ピアノはね、ラの音を基準に合わせるんだよ」
「えっと、そしたら・・・・分かった。ラの音から下がってラ→レ→ソ→ド→ファと決めて、逆にラから上がってラ→ミ→シとすればいいんだ」
「ふーん。じゃ、それでやってみようか」
 
私と先生は協力してピアノを解体した。
 
「あれ、ピアノの線って3本ずつなんですね?」
「そうそう。最初に真ん中の1本を合わせてしまえばいいよ。それで全部の音を合わせてから、他の2本は真ん中の1本に合わせればいい」
「はい」
 
この時の合わせ方を当時書いていたノートを頼りに再現すると、私は最初A4(49A)の音を音叉に合わせた後、それから、7鍵下がったD4(42D)をちゃんと響き合うように定めてから1オクターブ上同音のD5(54D)を定め、そこから 
 
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7鍵ずつ下がってG4(47G)→C4(40C)→F3(33F)、1オクターブ上のF4(45F)まで定めた上で、
 
最初のラの音(49A)から7鍵上がってE5(56E)、1オクターブ下のE4(44E)、7鍵上のB4(51B)と定めた。
 
その後は、更にB4(51B)→F#5(58F#)/F#4(46F#)→C#5(53C#)/C#4(41C#)→G#4(48G#)、 
またF4(45F)→A#3(38A#)/A#4(50A#)→D#4(43D#)と定めていった。
 
これでC4(40C)からB4(51B)までの中央付近のオクターブ12鍵の音が決まった。
 

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ところがここで私は困惑する。きれいに調和するように決めたはずなのに、ラ(A4/49A)から始めて7鍵(5度)の輪をつないでいって両端で決めたG#4(48G#)とD#4(43D#)が響き合わないのだ!
 
「これレ#を元にするとソ#が高すぎる。半音の4分の1くらい。私、どこかで響きを間違えたのかなあ」
と私は不安げに言ったが、先生は
「いや、これはどうしても合わないのよ」と言う。
 
「これ高校生くらいの数学になるから難しい話なんだけど、冬ちゃん、5度の音で合わせて行ったから音の周波数の比率が、2対3、1.5倍なんだよね。これを12回繰り返すと、1.5の12乗という計算になって 130倍くらいになる。本当はこれが2の冪乗(べきじょう)の128になってくれればいいんだけど、そうなってくれないんだよね。だから、どこかにしわ寄せが来て、音程を狭くせざるを得なくなる。今回はしわ寄せがレ#(D#)とソ#(G#)の間に来ちゃったけど、このあたりの鍵はあまり使わない鍵だから、これでいいことにしよう」
 
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私にはその130とか128というのはよく分からなかったが、先生が「これでいいことにしよう」と言ったので、まあいっかと思った。(私は言われたことはそのまま受け入れるたちである)
 
(なおこの時49A=442Hzの音叉から合わせて行ったとすると、上記の方法で音を合わせて行くと43D#は310.4Hz, 48G#は419.6Hzになる。310.4Hzの43D#と響き合う48G#は413.9Hzなので、5.7Hz(23.5セント:半音の約4分の1)のしわ寄せが出来てしまったのであった)
 
この時私が調律した音律は、いわゆるピタゴラス音律である。上記ではしわ寄せ(ウルフと言う)をD#とG#の間に作っているが、G#をD#から5度で決めてウルフをC#とG#の間に持ってくる流儀もある。ピタゴラス音律ではドーシードとかファーミーファといったフレーズの終わりで使用される「導音」が90セントの音程差(平均律では100セント)になって、とても美しくなるのも特徴である。
 
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C#とG#の間にウルフを置く方式ではラ−ソ#−ラは110セントになるが、私が作った音律ではここも90セントになっていて、短音階も弾きやすい。
 

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実際の作業は初日はピアノのふたを開ける所からこの中心付近で12音を決めるまで。翌日この中央付近の鍵で、左右の弦を調律した真ん中の弦と同じ音になるように調整する。そしてこの付近で『きらきら星』や(シの音を使うために)『おもちゃのマーチ』などを弾いてみると、とてもきれいな音になるのを確認できた。先生が黒鍵まで使った曲も弾いてみて「うん、いい感じ」と言う。
 
(小学校の低学年で取り上げられる歌はほとんどがドレミファソラの6音で出来ていて、シの音を使う歌はとても少ない)
 
そして3日目にはこの中央付近の音からオクターブ上・オクターブ下の音を決めていき88鍵全ての音を定めた。『おもちゃのマーチ』を色々な高さで弾いてみて音が正しいことを確認する。4日目には先生が更に色々な曲を弾いてみて「大丈夫みたい」ということで、最後にきちんとふたを閉じて調律作業を終了した。
 
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「さて、きれいに調律もできたことだし、ピアノのおけいこの方をしようか」
「はい!」
 
深山先生は「こどものバイエル」という本を持って来てくれていた。バイエルという名前は私も聞いていたので、わあ本当に基礎から教えてくれるんだなと思い、私は張り切った。
 
この時期、この放課後の深山先生との時間は私にとって天国のようであった。
 
ひとつはちょっと憧れの楽器であったピアノという楽器を思いっきり触れること。そして深山先生の教え方が優しくて、とても快適であったこと。そしてもうひとつ、「自称」の問題があった。
 
「唐本さんの『ぼく』って言い方、何だか変」
「幼稚園の時までは『わたし』って言ってたんですけど、剛田先生が『ぼく』
と言いなさいというので」
「ふーん。でも自分で『わたし』と言いたかったら、それでもいいんじゃない?この部屋で私とレッスンしてる時は『わたし』と言ってもいいよ」
「ほんとですか!」
 
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ということで、1年生の時、この時間だけ、私は『わたし』という自称を使っていたのである。
 
だいたいこの時期、放課後1時間半くらい私はピアノを弾いていて、その途中30分くらい深山先生が来てレッスンをしてくれる感じであった。時々この部屋にはリナも来て、一緒に連弾してみたり、あるいはどちらかのピアノでもうひとりが歌を歌うなどということもしていた。リナは幼稚園の時はピアノを習っていたのだが、小学校に入るとやめてしまっていた。
 
「私の性に合わないみたいで」
と言っていたが、それ以上にピアノの先生と合わなかったようであった。それでリナも深山先生から少しずつ習って
「ああ、こんな感じで時々弾くのはいいなあ」
などと言っていた。
 
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「冬、この部屋では『わたし』って言うのね。ふだんの『ぼく』と言ってるの何だか違和感があるよ」
 
「剛田先生に言われたから『ぼく』と言ってるけど、深山先生からここでは『わたし』と言っていいと言われたから」
 
「ああ、冬って言われたらその通りするタイプだよね。でもそれなら授業中以外に友だち同士で話す時も幼稚園の時と同じように『わたし』でいいんじゃない?」
 
「うーん。でも深山先生から言われたのはこの部屋でだけだから」
「いや、だから先生から言われたことを忠実に守りすぎなんだよ、冬は」
 
とリナは少し呆れている雰囲気であった。
 

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1年生の時、私たちのクラスにひとりアメリカ人の男の子がいた。ノア君と言ったが、「ノア」という名前は日本では女の子の名前だし、彼が髪を長くしていたので、最初てっきり女の子と思い込んでいた子も多かった。
 
「ノアちゃんは、一瞬女の子かと思うけど、男の子なのね」
「冬は一瞬女の子かと思うけど、実はやはり女の子だよね」
 
などと言われた。とてもフランクな性格で、彼は女の子とも男の子ともよく話していた。男の子たちと野球やサッカーをしたりもしたし、女の子たちと縄跳びやしりとりなどしたりもしていた(しりとりは彼が日本語を覚えるのに良い練習になるらしかった)。でも彼が髪を長く伸ばしているのを見ると、ああ、自分もあのくらい長い髪にしたいなと、羨ましく思っていた。
 
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そんな彼がある時、パーティーがあるからみんな来てよ、とクラスメイトを誘った。あれは独立記念日だったのかも知れないと思う。
 
結局男女十数名でノア君に付いて行き、学校から歩いて700〜800mほどの所にあるイベントホールに行った。外見がヨーロッパの貴族の邸宅かと思うようなゴージャスな建物で、パーティーや室内楽などのコンサートによく使用されていた。その日は市内のアメリカ人グループで貸し切りになっていたようであった。
 
入口の所でノア君のお母さんが係の人と何か英語でしゃべっている。
「ハウメニー・ボーイズ・アンド・ガールズ?」
とか(多分)言って、子供たちの人数をワン・ツー・スリーと数え始めた。
 
「エイト・ポーイズ・アンド・セブン・ガールズ」
とお母さんは言った。
 
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私はリナと顔を見合わせた。このくらいの英語はさすがに小学1年生でも分かる。さて、ここには、私とノア君以外に、男の子が7人、女の子が6人いた。ボーイズはノア君を入れて8人。そしてガールズが7人ということは・・・・
 
「冬、女の子としてカウントされてるよ。訂正してもらう?」とリナ。
「うーん。いつものことだし、そのままでいいよ」
「確かに」
 
私が女の子と間違われるのは日常茶飯事である。
 
「でもノア君、変に思わなかったのかな」
「細かい人数まで気にしないんじゃない?」
 

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ノア君のお母さんが、係の人から青と赤のリボンフラワーをどさっともらう。そして青い花の束を近くにいた男の子にまとめて渡し、赤い花の束は傍にいる女の子にまとめて渡す。そこからリレー方式で花は配られ、私はリナから赤い花をもらった。
 
「まあいいよね」
 
私がそのまま赤い花を胸の所に付けてると、それに気付いた子が何人かあれ?という顔をしたが、すぐにまあいいかという雰囲気の顔になった。
 
それでぞろぞろ入場する。
 
パーティーの内容はあまり覚えていないが、飲み物やプティケーキなどのおやつがたくさんあり、道化師のような人が竹馬をしていたし、片隅ではヴァイオリンやチェロを持った人が4人で何かの曲を演奏していた。しかし雰囲気がとても楽しげで、私たちもたっぷり楽しんだ。
 
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