【男の娘とりかえばや物語・最初の事件】(1)
(C)Eriko Kawaguchi 2019-03-09
涼道はこれまで女性からのラブレターに返事など出したことがないのですが、新嘗祭の夜にもらった手紙はどうも気になってしまいました。風雅な紙に書かれた手紙だったこともあり、放置するのは悪い気がして、新嘗祭の終わった後の深夜に涼道は麗景殿に行ってみました。
涼道は公卿(くぎょう)でもありますし、花子が隣の宣耀殿に住んでいる関係で、夜中にこの界隈をうろついていても誰にも怪しまれません。
それで小声で
《逢ふことは、まだ遠山の摺り目にも、静心なく見ける誰なり》
などと歌を詠んでみます。
しかし反応も無いようなので
「誰もいないかな」
などと言って帰ろうとしていたら
《珍しと見つる心は紛はねど何ならぬ身の名乗りをばせじ》
というお答えがあります。それで涼道はその近くに寄り
《名乗らずは誰と知りてか朝倉やこの世のままも契り交さむ》
と答えます。
(涼道としては随分と積極的に誘っています。やはり四の君との夫婦生活で女性との恋愛に慣れた??)
それでふたりはしばらく言葉を交わしたのですが、楽しい会話となりました。お互いにかなり際どい言葉のやりとりをするので向こうとしてはこのまま・・・してもいいけどという雰囲気ではありましたが、涼道としては少し特殊事情があるので、女性を押し倒すことができません。
(雪子も***など持っていないのに花子を押し倒していたが)
それでもまた文のやりとりくらいしてもいいかな、という雰囲気でこの夜は余韻を残して別れました。彼女は結局、麗景殿女御の妹で楠子という人でした。
後に涼道は彼女に大いに助けられることとなります。
新嘗祭の翌日は豊明節会(とよあかりのせちえ)が行われます。これは帝が主宰するパーティーで、多数の人々が参加します。この席で舞姫たちの舞の本番が行われます。
昔は庭に舞舞台を設営して舞ったらしいのですが、雨や雪が降るとできないので、最近は紫宸殿の殿上でおこなうようになっていました。大勢の前での披露ですが、もう3度目ですので、結構リラックスして舞うことができました。
全部終わった後の舞姫たちの控室。
着換えていたら、殿上人の娘2人が何か話しています。
「どうかした?」
と右大臣の女(むすめ)・充子が訊くと
「いえ。この4人の中で誰がいちばんおっぱい大きいかなという話になって」
などと言っています。
すると充子は
「触って比べてみればいい」
などと言い出します。
「え〜〜〜!?」
「誰が触るんですか?」
「誰か1人が判者(はんじゃ)になったら恨まれそうだから、全員他の3人の胸に触ってみて、順位を書くというのはどうよ?」
「あ、それならいいかも」
ということで、花子は他の3人から胸を触られ、花子も他の3人の胸を触ってみたのでした。花子は日々の雪子の教育?のおかげで女性の胸に触るのは平気です。迷ったら2度触り直したりしている人もありました。
結果発表!
参加者:大膳大夫の女・朝顔、蔵人頭の女・百合、右大臣の女・充子、左大臣の女・花子
朝顔の判定 充子>百合>花子
百合の判定 充子>花子>朝顔
充子の判定 百合>朝顔>花子
花子の判定 充子>百合>朝顔
「1位が充子ちゃんで、2位が百合ちゃんは確定」
と花子は言いました。
「花子ちゃんと朝顔ちゃんの順序が意見分かれた」
というのでその2人は再判定!になり、花子と朝顔本人も自分のと相手のとを触り比べてみます。すると花子だけが「朝顔ちゃんのが大きい」と言ったものの、他の3人はさっき朝顔が大きいと言った充子も含めて「花子ちゃんが大きい」と判定。花子は3位ということになりました。
(おっぱい偽装してて良かったぁ!と花子は思いました)
「でも朝顔ちゃん、まだ13歳(満でいえば12歳)だもん。これから大きくなるよ」
とみんな言います。
「おっぱい大きくするのってどうすればいいんですかね?」
「大豆が効くらしいよ。豆腐(*1)食べているとおっぱい大きくなるという話がある」
「豆腐ですか!」
「朝顔ちゃんのおうちなら普通に入手できるでしょう。食べてみるといいよ」
「聞いてみようかなあ」
そしてこの話を聞いた雪子は花子に
「花ちゃんはおっぱいが大きくなるように毎日豆腐を食べるように」
と言います。
「え〜〜?」
と花子は言ったものの、その日から花子の朝晩の食事には豆腐が加えられました。それで
『ボク、ほんとに胸が大きくなったらどうしよう?』
と悩むことになります。
「あと、この薬茶も飲んでね」
と言って腹心の女房・小内侍に煎れさせた薬茶を飲ませました。花子はそれを飲んでみて
「なんか癖がある」
と言います。
「それは暹羅(しゃむろ:現在のタイ)で若い娘たちがおっぱいを大きくするために飲んでいる、蔓草(つるくさ)の根をすりつぶしたものだよ」
「え〜〜?」
「早くおっぱいが大きくなるように、これも毎日飲むこと」
「あのぉ、渡来品なら、これ高いものということは?」
「そんなに高いものではない。唐茶より少し高い程度だよ。君のお小遣いでも楽に代える。でもこれは私からのプレゼント」
「その程度の値段ならいいかなあ」
と答えた花子は“おっぱいが大きくなる”という問題は、うっかり失念したのでした!
(*1)豆腐は鎌倉時代の帰化僧により湯葉などとともに伝来したという説と、平安初期に空海によって持ち込まれたという説があるが、(空海かどうかは置いておいて)遣唐使により平安時代にもたらされたという説が今の所有力である。昔は「唐府」と書かれていたとも。
なお大豆は日本を含む東アジアが原産地であり、縄文時代に既に国内で栽培が行われていたことが分かっている。
大豆は連作障害を起こすので、他の作物との輪作が必須である。現代ではホウレンソウなどと輪作するが、昔は稲や麦などと輪作したのではないかと思われる(ホウレンソウの日本への伝来は江戸時代頃)。現代でも
稲−麦−大豆−麦などという2年4作なども行われている。
年末(新嘗祭の翌月末)、右大臣の三の君・充子が結婚しました。
実を言うと話は秋頃に決まっていたのですが、新嘗祭の五節舞姫の話が舞い込んできたので、それが終わるまでは話を伏せていたのでした(万一明らかになってしまった場合は、女御になっている二の君にさせる手も考えていました。女御が五節の舞姫になった例は過去にあります)。
それで充子の相手は右近大将を務める源利仲とおっしゃる方で、向こうから是非にと望まれての結婚でした。右大臣としては充子は場合によっては、追加で帝の女御にすることも考えていたのですが、二の君・虹子が帝によく愛されているようなので、そちらに賭けることにしました。源大将は帝の又従兄弟にあたる方で、現状ではひょっとしたら将来天皇になる可能性も無きにしもあらずというお方です。
以前右近中将の地位にあったのですが、大将をしていた重治が関白左大臣になった時の補充で右近大将に昇進しました。まだ20代で大将ということは、将来大臣になり、自分や弟、および甥で婿でもある涼道のライバルになっていく可能性もある人で、そういう人と姻戚関係を結ぶのは右大臣としても望ましいことでした。
花子は五節舞の練習をしていた時「内緒だけど」と言って本人から聞いていたのですが、あらためてお祝いを贈っておきました。涼道は義姉の結婚ということで、結婚式の宴にも出席し、直接お祝いをしました。仕事場のひとつである近衛府でも直接上司にあたる人なので、実は涼道は新郎新婦双方に縁りがあったのです。もちろん宴には父・左大臣も出席しています。
年明けて花子と涼道は17歳になりました。左大臣が新年の行事に出た後、花子の居る宣耀殿に行ってみると、涼道もこちらに寄っていました。
左大臣は言いました。
「里の住まい(左大臣宅)では、お互いの母同士の張り合いもあってあまり交流できなかったかも知れないが(と左大臣は思っている)、お前たちは私のたったふたりの子供だ。色々大変なことがあるかも知れないが、ふたりで助けあって生きて行ってほしい」
この日の尚侍の服は薄い紅梅色のお召し物の上に濃い紅色の掻練襲(かいねりがさね)を着て、一番上には桜色の織物の小袿を着ています。カジュアルな格好なのに配色のセンスが良く、顔色もお邸に居た頃より随分良くなっていました。髪はつややかで乱れなく、背丈より2尺(60cm)ほど余っていて白い下着(肌着の上に着ている服)と対照的でそれがまた美を演出しています。左大臣はそのまるで絵のような美しさを見て、思わず自分の娘であることを一瞬忘れてしまうほどでした(その前に息子であることはきれいに忘れている)。
またお付きの侍女たちにしても、単衣(ひとえ)の上に五枚重ねの梅襲(うめがさね)を着せたり、紅梅の唐衣(からぎぬ)を着せたりして、配色の美を演出していました。
また中納言は紫の織物の指貫(さしぬき)に紅色の下着を出衣にして、きちんと座っている様子が凜々しくて、こちらも一時期よりは顔色が良く頼もしい感じです。それを見て左大臣は立派になったなあと思い、これも既に実は娘だということを忘れてしまっています。
それで左大臣も先のことはもう考えないことにして、このふたりを僧や尼にでもするしかないと思っていたことはいったん忘れることにしました。
せっかく2人が揃っているから、合奏しましょうということになり、涼道の笛と花子の箏で合奏を始めました。
するとその音色を聞きつけて大勢の人たちが花子の部屋に集まってきます。ふたりはリクエストに応じて色々な曲を演奏し、聴いている人たちは
「素敵だ」
と言って感動しています。その中には2ヶ月ほど前に雪子東宮の部屋で行われた合奏を聴いていた人も多かったのですが、
「何度聴いても素晴らしい」
と言っています。
宰相中将もその音を聞きつけ、やってきました。彼は東宮の部屋での合奏を見逃してしまったので、今度こそはとやってきました。尚侍の顔を見られて喜んだのも束の間、左大臣がいかめしい顔をして座っているのを見るとガッカリします。しかし宰相中将は、花子と涼道の演奏に圧倒されました。
間近で聴くと、こんなに物凄いのか・・・・と彼はあらためてふたりの技術の高さを思い知ります。涼道が気付き、
「宰相中将も琵琶で参加しませんか?」
と誘いますが
「いや、遠慮しておく」
と言いました。
ふたりの演奏が凄すぎて、自分ではとても太刀打ちできないと彼は思ったのです。そして涼道のこんな素晴らしい演奏を日常的に耳にしていたら、尚侍は自分の琵琶には興味を持ってくれないかもとも思ったのです。
ある夜、またまた宣耀殿のそばまで来ていた宰相中将は尚侍が弾いていると思われる箏の音を聴き、どうにも寂しい気持ちになりました。結局自分の彼女への思いは叶えられないのかなあ、などと諦め気分になります。それで兄の中納言にグチでも言おうなどと思って、宮中を出て、右大臣宅に行ってみました。
ところが中納言は宿直(とのい)に出られましたと言います。ありゃあ、行き違いになったか。だったら自分も宮中に戻ろうかと思った時、邸の奥の方から箏の音が聞こえてきました。
奥方(四の君・萌子)が弾いているのかなと思い、勝手に庭から侵入して、音を頼りに進んでいきます。確かに音は涼道と萌子が暮らしている桐の対から聞こえてきていました。
「この部屋だ」
木の陰に隠れて、こっそりと覗き見をします。
すると、たまたま萌子が箏の手を休めて、簾(みす)を巻き上げました。それで宰相中将は彼女の美貌を目にしてしまいます。彼は花子を諦めようと思っていた時だったこともあり、たちまちかねて抱いていた萌子への恋心が復活してしまいました。そして我慢できずにそのまま部屋に侵入してしまうのです。
侍女たちは、男性が入って行く気配があったので、てっきり中納言が帰宅したものと思い、みんな下がってしまいました。それで結果的に宰相中将はやすやすと中に入ることができました。
1人だけ、乳母子(萌子の乳母の子供。つまり乳姉)の左衛門という侍女が、入って来たのが中納言ではないことに気付きました。それで
「おやめください。殿はご不在です。お帰り下さい」
と言うものの、男の腕力にはかないません。簡単に退けられてしまい、宰相中将は萌子の御簾の中に侵入してしまいました。
萌子は突然知らない男が入って来たので、びっくりしています。
「だ、だれ?」
という質問には答えず、宰相中将は
「君が好きだ」
と言って、萌子に襲いかかったのです。
左衛門は狼狽しました。大声をあげて人を呼ぶ手はあります。しかしそうなると、姫様が見知らぬ男に陵辱されたことを多くの人が知ることになります。そうなれば中納言からは離婚され、へたすると右大臣からも勘当されてしまう可能性もあります(昔はレイプ事件では女が一方的に損する時代)。
姫様をそんな恥ずかしい目に遭わせる訳にはいかない、と判断した左衛門は他の侍女たちには
「姫様はもうお休みになりました。私が付いてますからみんなはもう下がっていいよ」
と言って部屋に近づけないようにしたのです。
結果的に宰相中将はやすやすと自分の思いを遂げてしまいました。
萌子は怖かった以上に混乱していました。
萌子は「男女の交わり」というのは、傍に座って一緒におしゃべりして、最後は敏感な部分を刺激されて気持ち良くなることと思っていました。しかし今宰相中将にされたことは、どうも日々夫としていることより、更に深い「交わり」のように思えたのです。
それで彼女は泣いてしまいました。
宰相中将も乱暴なことをしたことを謝り、あらためて自分はずっと君のことを思っていたのだと語ります。その言葉を萌子は当惑しつつ、そして呆然として聞いていました。
やがて夜が明けます。
左衛門は宰相中将に言いました。
「このままでは騒ぎになります。密かに退出なさってください」
それで彼も萌子が愛おしくて離れがたい気分ではありましたが、左衛門に諭されて他の人には見られないように邸を出たのです。
朝、宿直を追えた中納言が帰宅します。それで萌子の所に行くと、萌子は夫を裏切ってしまったという罪悪感から
「ごめんなさい。今顔を合わせられない」
などと言って引っ込んでしまいます。
当惑した中納言が
「どうしたの?」
と侍女に訊くと、侍女が
「昨夜から気分があまりよろしくないようです」
と言うので涼道は心配して
「大丈夫かい?昨日僕が出かける前はそんなでもなかったのに」
と言って、衾をかぶって寝ている萌子のそばに添い寝していたわります。しかしその優しさが、萌子の心を苛みます。
そして萌子は疑問を感じていました。
多分昨夜宰相中将にされたのは、男女の契のいちばん深い形だ。
なぜそれを夫は自分にしてくれないのだろう?
まさか本当は自分のことが好きではないのだろうか?
萌子は罪悪感と疑問とで頭の中が混乱の極致で、それでまた体調も悪化してしまう感じだったのです。
一方の宰相中将の方も自宅に戻ってから思い悩んでいました。
萌子のことが好きで好きでたまらなくなったので、長い文を書いて届けさせましたが、左衛門はもちろんそんな文を女君に見せたりはしません。
「姫様はあの後、とても体調が悪く寝込んでおられますし、心配して中納言がずっとそばについておられます。お手紙はお渡しできません」
という手紙を自分で書いて返しました。
宰相中将もそれを見て、やはり無茶なことしてしまったよなあと反省しつつ、それでもこの事件で復活した萌子への思いをどうにもできずにいます。いっそ彼女を盗み出してしまおうかとも思うのですが、その後のことを考えるととてもそんな大それたことはできません。
(この時代は光源氏が若紫を誘拐し、右近少将が落窪姫を(本人の了承の上で)盗み出したように、誘拐結婚はわりと横行していたと思われるが、さすがに右大臣の娘でしかも既婚者を誘拐したとあれば、バレればただではすまない)
そして、彼は考えていました。
どうも中納言は萌子と普通の男女の交わりをしていなかったようだ。もしかしたら、萌子は凄くあどけない性格なので、そういう女には無理にセックスはせず、優しく接してあげる方がいいのかも知れない。それは肉体的愛情を超越した高度に精神的な愛(洋風に言えばプラトニックラブ)なのかも知れない。
(さすがに考えすぎである)
ひょっとすると中納言は彼女がもう少しおとなになるまで、手をつけずに待っていたのかも知れない、などと考えると、彼との友情を裏切る行為であっただけに、ますます罪悪感が強くなって、心が安定に保てない感じだったのです。
こうして、レイプ事件は、萌子・中納言・宰相中将に三者三様の悩みを生むことになったのでした。
中納言がずっと付いていても、萌子の気分が良くなさそうな様子には変化がありません。彼もずっと家に籠もっている訳にはいかないので、仕事に出かけることにします。
「こんなに気分がよくない状態で私が外出すると不安でしょう。ずっと寝てばかりいないで少し起き上がってみないかい?何事も僕と君は一心同体だと思っている。いつまで自分が今のままでいられるか不安な今世であなたがいるからこそ僕は頑張れると思っている。あなたが沈んでいると私まで生きる気力が無くなってしまうよ」
などと言いながら萌子の髪を撫でてあげています。萌子は
『この人が自分に一切乱暴なことをせずにずっと優しく扱ってくれるだけで月日を過ごしてきたけど、その中でお互いの心はいつも一緒だった。それが自分が巻き込まれたできごとのせいで、それを隠し立てすることで、この人との間に溝ができてしまうなんて』
と考えると申し訳無い気持ちで顔を隠して泣いてしまいます。
涼道はそういう彼女の様子に困惑しながらも
「できるだけ早く帰ってくるからね」
と優しく声を掛けると、侍女たちに
「多数付いているように」
と声を掛けて、出勤して行ったのでした。
このようにして、中納言(涼道)と萌子の気持ちは、たった1度の過ちから波紋が広がるように、次第に離れていったのでした。それはお互いを愛しているからなお、気持ちがすれ違っていくのです。
宮中に出た中納言は、溜まっていた仕事を頑張って片付け、3日ほどして、少し落ち着いた所で妹(実は兄)の所を訪れました。
「しばらく来なかったね。忙しかった?」
と花子が尋ねますと、
「実は萌子があまり気分がすぐれないようなんだよ。それでしばらく付いていた」
「あら、風邪か何か?」
「それがどうもよく分からなくて」
「ひょっとしてご懐妊ということは?」
と長谷という女房が言ったのに対して涼道は思わず
「まさか」
と言ってしまいました。
「まさかということはないのでは?結婚すればお子ができるものですよ。若様はまだお若いので実感が無いかも知れませんが」
と長谷。
「そ、そうだよね」
と言いながら涼道は焦っていました。花子はおかしくてたまらない感じです。
但馬という女房が言います。
「そういえばここの所、宰相中将様もこちらにあまりお見えになりませんね。私は姫様への手紙は取り次がないと言うのにしつこくて、それで閉口して宰相様の応対役を代わってもらった筑紫の君は本人が宰相様を好きになってしまったようですが」
すると弁の君という女房が言いました。
「宰相中将はご病気らしいですよ。それでここしばらくこちらにもお顔を見せておられなくて。いつもうるさい人が来ないので、こちらも随分静かでした」
「宰相中将が病気?どうしたんだろう?」
「どこぞの娘に無理なことをしようとして家人に追い払われて怪我していたりして」
(当たらずしも遠からずである)
「あいつなら、あり得るなあ」
と涼道も言っています。
「ちょっと見舞いに行ってくるかな」
と涼道が言うと
「放っておけばいいのに」
と長谷は言っていました。
それでともかくもその日の仕事が終わってから、涼道は彼の自宅に病気見舞いに行きました。
中納言が来て仰天した宰相中将でしたが、彼が自分を心配している様子に、この人は本当になんて素晴らしい人なのだと再認識し、それと比べて自分の罪を後悔していました。あまりにも申し訳無くて、自分の罪を告白してしまおうかとも思ったのですが、それでは大騒動になりそうと思い、告白は思い留まります。
結局この時点では密通のことはバレず、そのまま爆弾を抱えたまま時は過ぎていくのです。
一方で宰相中将はやはり萌子のことが忘れがたく、度々文を書きました。それに左衛門も根負けして、また彼に会えば萌子の気分も少し晴れるかもとも思い、中納言が宮中で宿直する晩を狙って、密かに宰相中将の手引きをするようになります。
それで宰相中将と萌子は逢瀬を重ね、ふたりの関係はもはやお互いにとって欠かせないものになっていくのですが、その結果、左衛門が期待したように萌子の気持ちは次第に安定して元気さを取り戻していきます。
それでも彼女は優しくしてくれる夫への思いと、次第に宰相中将にも心引かれていく自分の気持ちとの対立に悩んでいました。
夫の中納言が全く知らない間に物事は進行していきます。
2月。東宮は九州に行啓することにしました。右近大将・源利仲(充子の夫)および1000名もの兵士を連れての西行です。
実は太宰府で少し不穏な動きがあったので、引き締めに行くのです。
これに花子も腹心の式部と長谷の2名だけ連れて同行します。涼道も同行の話があったのですが(彼は近衛中将である)、ここの所あまり体調がよくないようだと主上が心配し、右近大将が遠征中の右近衛府の留守番を命じられました。
当時九州までの行程は瀬戸内海または日本海の水路で行くと1ヶ月、山陽道を陸路で行くと半月程度掛かりました。
(歴史的には日本海ルートの方が古い。瀬戸内海は潮流の速い所があり、古代の非力な船では航行不能だった)
兵士たちは歩きます。
東宮や右大将などは馬に乗ります。東宮の護衛たちと同行する侍女5名も乗馬です。そして花子と式部・長谷も乗馬です。
花子は里の住まいに居た頃は乗馬は苦手だったのですが、宮中に仕えて東宮の助手のような仕事をしている内に練習してかなり覚えました。そして式部と長谷は乗馬が元々得意です。それで乗馬の得意なこの2名を花子の従者にしたのです。
花子たちが同行するのは、東宮が女性なので、できるだけ多くの女性を傍につけておきたかったというのもあります。
そういう訳で半月かけて太宰府の政庁(都府楼)まで辿り着いたのですが、太宰の帥(そち)は本当に東宮本人が来たのに驚愕しました。
そもそも皇太子が都を離れて九州までやってくること自体が異例です。しかも女性の皇太子が厳しい旅をして来訪するというのは、手紙で伝え聞いてはいたものの「まさか」と思っていました。おそらくは、東宮の代理の男が来るのだろうと思っていたのですが、本当に本人が来たので、思わず地面に手と頭を付けて平伏しました。
「面(おもて)をあげよ」
「はい」
「本当は帝がおいでになりたいとおっしゃっていたのだが、さすがに帝は1ヶ月も都を離れられないゆえ、私が代理で来た」
「ありがたきことにございます」
「そなたの祖父は先々帝(さきのさきのみかど:雪子の祖父)の折、蝦夷(えにし)討伐で功があったな。帝が感謝していたぞ」
「もったいのうございます」
「これからもぜひ帝を助けてこの九州の地を守ってくれ」
「はい。張り切って守ります」
「うん。よろしく」
これで基本的な用事はほぼ済んでしまいました。
雪子東宮は、太宰帥に命じて、都府楼の全職員、そして近くの防人(さきもり)たちを前庭に集めました。そして帝からの手紙を代読しました。職員たちは男も女も、美人の皇太子の顔を拝見して興奮しています。しかも傍には美人の秘書(花子)も付いています。帝の姪である女性皇太子の顔を見られるなどというのは、まず二度と無い事態です。そのお顔を見ただけで、東宮のファンになってしまった職員が多数でした。
それで帝の詔(みことのり)を聞き、最後に雪子本人の言葉で
「唐土(もろこし)は今、国が乱れている。そのせいで新羅(しらぎ)の海賊まで出没している。太宰府の役目は大きい。毎日大変な仕事かも知れないが、私たちの国土が荒らされないように守るのは君たちの仕事だ。ぜひ帝のためというより、日本(ひのもと)の国の多くの人民のため頑張ってほしい」
と言うと、
「頑張ります!」
「春宮(はるのみや)様のためにも頑張ります」
「命を棄てても頑張ります」
「皇女(ひめみこ)様、好きです」
といった声まであがっていました。
近衛大将は「女御子(ひめみこ)様の前で畏れ多い」と顔をしかめていたものの、花子は笑って「まあまあ」と大将に声を掛けていました。
東宮が費用を出して、職員全員が楽しめる宴を催しました。花子は東宮から「舞って」と言われ、唐衣まで付けて舞を披露します。するとまた歓声があがっていました。
そしてその夜。
夜遅くまで太宰帥と雪子・大将の3人だけで腹を割って話し合っていたのですが、子の刻になった所で解散。雪子は都府楼内に用意してもらった部屋に戻ってきました。兵士たちは(大将も含めて)野営しているのですが、雪子と5人の侍女、花子たち3人の合計女性9人だけは、室内に部屋を用意してもらいました。
(大将など近衛兵の幹部にも部屋は用意されたが大将は兵士達と一緒に野営する選択をした)
部屋は雪子と花子に雪子付きの腹心女房・敷島で1室、他の女性6人で一室です。
「疲れたねぇ」
と雪子は部屋に入ってくるなり言いました。
「お疲れ様でした。深夜まで話し合いご苦労様です」
と言って花子の侍女・式部が麦湯を入れて雪子に勧めました。
「あれ?うちの敷島は?」
「長旅の疲れが出て眠そうでしたので、私が代わりました」
と式部が言っています。
「ああ、よいよい。あの子は私の代わりに色々簡単な交渉とかもしてもらっていたし、いちばん疲れたろう」
「お話し合いはうまく行きましたか?」
「まあ向こうもタヌキだからね。でも私がわざわざここまで来たことには本当に恐れ入っていたよ。帝にというより、私に従うなんて言ってた」
「まあよいのではないですか?結果的に同じ事でしょう?」
「私が女だからそこがうまく行く。私が男だったら、帝と私の対立という図が生まれかねない。東宮というのはなまじ権限が大きいから危険なんだよ」
「それは過去に多数の皇太子が陥った危険な道ですね」
「そうなのだよ。私はそういう争いごとには興味が無い」
「帝も女御子(ひめみこ)様を信頼しておられると思いますよ」
都府楼の女官が来て、お風呂(蒸し風呂のこと)が使えますが、どうなさいますか?と訊いた。
「隣のお付きの方の部屋でも声を掛けたのですが、反応が無くて」
「ああ、みんな疲れたろう」
と雪子は言う。
「私たち3人だけで頂こうか」
「そうですね」
この3人であれば、花子の身体の秘密がバレなくて済みます。それで3人でお風呂を頂くことにしました。都府楼の女官には手伝い不要と伝え、花子と式部の2人で雪子の風呂を手伝います。
蒸し風呂は充分蒸気が出ていて、そのスチームを浴びると長旅の疲れが溶けていくような感覚がありました。
「花子、すまんな。そなたも姫様なのに」
「いえ。私は女御子様の下僕です」
雪子の身体を充分洗った後、雪子が許すというので式部は花子の身体も洗ってくれました。最後に式部が自分の身体を洗ってから3人とも風呂殿を出ます。式部と花子で東宮の身体を拭き、式部が花子の身体を拭き、最後に式部は自分の身体を拭きます。
「それ、外れてしまったな」
と雪子が言います。
風呂殿の蒸気で股間の偽装に使用した膠(にかわ)が溶けて外れてしまっているのです。風呂の中では身体を洗うのを優先で放置していたのですが、今は布で隠しています。
「姫様、私が膠で留めます」
と式部が言いますが
「風呂殿を長時間占有してはいけない。部屋に帰ってからにしよう」
と雪子が言うので、そのまま服だけ着て部屋に戻りました。
それで花子と式部で東宮の御髪(おぐし)を拭き、その後式部が花子の髪を拭きます。しかしそんなことをしている内に、式部がうっかりあくびをしてしまいました。
「申し訳ありません!」
と言いますが
「いや、そなたも疲れたであろう。私たちはもう少し起きているから、そなたは寝なさい」
と雪子が言います。
「うん。そうしなさい。御子様のお世話は私がするよ」
と花子も言うので、式部は休むことにして、部屋の隅の方で衾を掛けて横になりました。すぐ寝入ってしまったようです。
「御子様、ちょっと失礼して、あそこの処置をしますね」
と花子は言ったのですが、雪子は
「それよりも私の夜伽に今夜は『土佐日記』(とさのにき)を読んでよ」
と言いました。
「分かりました。では処置は後で」
と言って花子は荷物の中から土佐日記の写本を取り出すと、小さな声で読み始めます。
「をとこ(男)もすなるにき(日記)といふものを、をむな(女)もしてみむとてするなり。それのとし(某年)のしはす(師走)のはつかあまりひとひ(21日)のひ(日)のいぬ(戌)のとき(時)にかどで(門出)す。そのよし、いさゝかものにか(書)きつく」
「女もすなる懐妊というものを、そなた男もしてみむ、と思わぬか?」
「また、お戯れを」
「今あそこ出てるよね?」
「え!?」
「僕の愛しい花子ちゃん、僕の子供を産んでよ」
などと言って、雪子は花子に襲いかかりました。
「ちょっとおやめ下さい」
「大きな声出さないでよね。人が見たら、花ちゃんが僕を襲っているように見えて、花ちゃん、死刑になるかもよ」
「そんなぁ」
雪子は花子が抵抗できないのをいいことに、自分の下に組み敷き、どんどん服を脱がせていって裸にしてしまいました(いつものパワハラ+セクハラ)。むろん偽装のおっぱいも外されてしまっています。そしてお股の所には女にはあってはいけないものが、偽装前の状態でそのままです。
「ふふふ。花子ちゃんのこれで遊びたかったんだよ」
「御子様、**少将ので遊んでおられるのに」
「それ誰にも言わないでよね」
「もちろんです」
「私は普通の男にはあまり興味が無い。女の子が好きなんだよ」
「そうだったんですか!?」
「特に花ちゃんは遊び甲斐のある女の子だ」
「ちょっと待ってください」
雪子は花子を組み敷いたまま、女にはあるはずのない器官をいじります。花子は男としては未熟ですし、雪子の前では特に自分の性欲が出ないように抑制しているのですが、この夜は旅疲れもあって“男の反応”をしてしまいました。
「おお、花子ちゃん、男の機能があるんじゃないの?」
「すみません。ちょっと疲れているせいかな」
「僕が処女(おとめ)ではないことは知ってるでしょ?だから気にせずやっちゃおうよ」
「いけません、いけません」
「大きな声を出すと式部が起きるよ」
それで雪子は花子のその器官を大きくして自分の中に入れてしまったのです。雪子が腰を動かします。花子は男性機能がひじょうに弱いので、かなり時間が掛かったのですが、雪子は結局思いを遂げてしまいました。
花子はこれまで自慰や夢精の経験もなく、これが初めての男性機能発動になりました。なんて気持ちいいんだろうと驚いたのですが、それより事は重大な気がします。それで事が終わった後で、花子は狼狽しています。
「これで万一のことがあったら」
「うん。花子ちゃん、僕の赤ちゃん産んでよね」
「私が産むんですか〜?」
「当然。でも気持ちよかった。普通の男とするより気持ちいい。時々しようよ」
「いけませんったら!」
雪子は実はシビアな太宰帥との交渉をした後の緊張感をこれで解くことができたようです。そのまま眠ってしまうので、花子はひとりで頑張って雪子に服を着せてやり、そのあと衾も掛けました。
「疲れたぁ!」
と言って、花子はひとりでお股の処置を膠でした後、自分も服を着て(おっぱいもちゃんと着ける)、東宮のそばで添い寝しました。
東宮たちは太宰府に一週間滞在しました。
2日目以降は実務的な内容の打合せ(主として待遇改善問題や防人増員問題、都府楼と水城(みずき*2)の改修問題を含む予算増額要求への対応)になり、これには花子と東宮の秘書で達筆な越前という女房が記録係として同席しました。東宮は水城の改修は急務なのですぐ予算を取ると約束しました。海賊対策のための防人増員や大型船建造については、都に持ち帰り検討することにします。
打合せがだいたい終わった所で帰ることにしますが、近衛府の兵を清原和成少将の指揮下50人程だけ(当然精鋭)残します。彼らは1ヶ月後に帰還させることにしました。
(*2)水城(みずき)は白村江(はくすきのえ)の戦い(663)で敗戦した後、唐・新羅が万一日本に攻めてきた時のための防衛線として築いたもの。海岸から12kmほどの山と山の間の狭い部分に築かれている。その後、唐・新羅とは国交が回復するが、使節をわざわざ水城を通過させて太宰府の都府楼に招き、日本の防衛体制を見せて、簡単には攻撃できないぞとアピールしていた。
なお福岡市の海岸線に残る“防塁”は鎌倉時代の元寇・文永の役(1274)の後で構築された同様の構造物で、このおかげで弘安の役(1281)ではモンゴル軍の博多上陸を防ぐことができた。
それで帰路ですが、兵士たちはまたひたすら歩き、東宮や花子たちは馬での行程をして、半月掛けて3月10日頃に都に帰り着きました。
遠征の一団は帝から直接ねぎらいの言葉を掛けてもらい、ご褒美ももらうと、兵士たちの間には笑顔が出ていました。
「九州までの往復は大変だったけど、実戦は無かったからいいことにしよう」
と兵士たちは言っていました。彼らは場合によっては太宰府の兵と一戦交える可能性もあったのです。それ故の1000人もの人数でした。
もう上巳(じょうし:3月3日)も終わっていますが、平安時代は上巳の節句はふつうに節句として祝うだけで、雛人形で遊ぶようなこともありませんし、女の子の節句という考え方もありません。現代につながる雛祭りは江戸時代に始まったものです。
なお、雪子は都に帰り着いてからまもなく月のものが訪れ
「花子ちゃんを妊娠させる計画失敗!」
などと言っていました。
一方、右大臣の四の君ですが、こちらは4月に入った頃、妊娠しているのが発覚しました。
四の君に付いている侍女たちがそのことに気付き、右大臣にも報告しますが、右大臣は物凄い喜びようでした。
「そうか。ここしばらく体調がすぐれないでいたのは、妊娠だったのか!」
とこれまでの心配が歓喜に変わります。
「安産の祈祷をしなければ」
などといって大騒ぎです。右大臣は四の君に言いました。
「中納言の愛情はひたすらだったよ。あれほどの男なら何人も女を作ってもいいだろうに、そのような浮気もせず(**1)少しの迷いもなく、お前を愛してくれていた。あのように真面目な男はみんなの手本にしたいくらいだ。これであの男に似た子供が生まれれば、わが家の光となるだろう」
(**1.麗景殿の女のことは誰にも知られていない)
しかし四の君は自分で妊娠に気付いていなかったので(彼女はやはりウブである)、これを夫が知ったらどう思うだろうと青くなっています。顔を伏せているので
「全くお前はあきれた恥ずかしがり屋さんだね」
などと右大臣は言い、フルーツなども取り寄せたりして舞い上がっています。
四の君の母が
「少し騒ぎすぎですよ」
とたしなめても
「お前も女御になった娘や大将の妻になった娘のことが気になっていただろうが、今度はお前の娘の番だぞ。まさに我が世の春が来た気分だ」
と右大臣は言っています。何といっても右大臣にとっては初孫なのです。男の子であれば涼道の跡継ぎとして出世街道に、女の子であればその時の帝に女御として差し上げて、と右大臣の頭の中はかなり先のことまで計画が練られているのでした。
やがて中納言が帰宅します。右大臣は有頂天で言いました。
「おめでとう。萌子が妊娠したんだね」
(右大臣は涼道はとっくに知っていたと思っている)
「娘を帝の妃にしたって大したことない。君のようなしっかりした男の妻になるのが幸せなんだよ」
などと言っています。
涼道は萌子が妊娠したと聞いて仰天しますが、顔色が変わったのをみんなはまだ若いから恥ずかしがっているのだろうと思ったようです。
ふたりは同じ部屋でいつものように一緒に夜を過ごしますが、萌子はとうとう自分の裏切りが夫にバレたことで、申し訳ない気持ちで寝具をかぶっています。しかし中納言は妻を責めたりする気持ちは全くありません。むしろ自分を責めています。自分に男としての機能がないばかりに妻を苦しめてしまった。申し訳無いと思っているのです。
それで涼道が萌子を責めたりせず、むしろ「ごめんな。僕が君をちゃんと普通に愛してあげることができなくて」などと自分に謝っているのを聞き、萌子はなぜ夫は自分に謝るのだ?と理解できずに悩んでしまいました。
ふたりの会話は続きますがお互いへの思いやりがすれ違ったまま、夜は更けていきました。
中納言は悩んでいました。自分はやはり父上が昔言っていたように出家してしまった方がいいのだろうかと。そして気持ちを静めるように彼は読経をしました。その声を聞いて、萌子はますます気持ちが辛くなっていくのでした。
中納言は父の左大臣にも妻の妊娠の報告をしますが、左大臣は大いに困惑しました。しかし世間体もあるので、普通の親のように喜んでいるふりをしていました。
左大臣は秋姫に相談しました。秋姫はあっさりと言いました。
「あの子が女と交われないから、奥方が寂しくなって、間男をしたんでしょ。でも好都合じゃないですか。これで奥方が出産すれば、桔梗(涼道)は一人前の男として世間にも認知されます。間男だって、萌子さんの子供が自分の種か涼道の種かはきっと判断しかねますから、何も行動は起こせませんよ。結果的に丸く収まるんじゃないですか?」
「だったら、奥方が産んだ子供を涼道の子、わしの孫として受け入れろと?」
「それで何か問題あります?世の中、奥方が子供を産んだからといって、その夫の種かどうかなんて、分からないですよ」
「それでいいのか?」
秋姫が開き直っているのに対して、左大臣はそこまで割り切れない気分でした。
左大臣は宮中に行き、花子に相談してみました。花子は大笑いします。
「笑うことか?」
「いいじゃん、いいじゃん、きっとあの子ちんちんが生えて来たんだよ」
「そうなのか!?」
「それとも間男されたかね」
「そっちだという気がするんだけど」
「まあこうなった以上は開き直ればいいんじゃない?萌子さんの気持ち次第だけど、彼女が橘(涼道)を夫のままにしてくれているのであれば、そのまま自分の子供として育てて行けばいいし。これまでも夫のふりしていたのだから、これからも普通に夫、そして父親だという顔をしていればいいんだよ」
「お前、宮中に出仕してから大胆になったな」
「東宮は凄い人だよ。まあさすがに帝になる気は無いと思うけどね。皇太子が不在では、よからぬことを企む人も出るから名前だけの皇太子をしている。今の人臣が納まっているのは、東宮の力が大きいと思う」
「そうなんだよ。今東宮様の力が大きいから、騒ぎを起こしそうな連中も静かにしている。あれだけ荒れていた太宰府も鎮まったし、それを聞いて関東で騒ぎ掛けてた連中も静かになった。私はまだ大殿(左大臣・右大臣の父)ほどの力が無いよ。それを東宮様がしっかり睨みを利かせているんだよ」
と左大臣は言っています。
「でも東宮は優秀な副官であって、自ら頂点(帝)に立つつもりは無い。政治的な野心も無いし、帝に男の子ができたら、東宮の地位はさっさと譲るつもりでいるよ」
と花子。
「ああ、そういうことか」
「梅壺女御も弘徽殿女御も熱心だから、たぶん遠くない内にどちらかは妊娠すると思うけどなあ。私が妊娠してもいいけど」
「お前、妊娠できるの!?」
「橘が父親になれるんだもん。私だって母親になるよ」
「わしは頭が痛くなってきた・・・」
「東宮からも僕の赤ちゃん産んでねと言われてるし。そうなったら私は東宮の妻かな」
「え?まさか、御子様にはちんちんがあるの?」
「私だいぶ抵抗したんだけどねぇ。何度かやられちゃったよ。私が妊娠したらちゃんと自分の子供だと言うから心配するなと言われている」
左大臣は訳が分からず
「すまん。頭が痛くなってきた」
「風邪じゃないの?季節の変わり目は体調崩しやすいよ」
それで左大臣は訳が分からない思いのまま退出して帰宅したのです。
そういう訳でこの問題について悩んでいるのは、涼道>萌子>宰相中将>左大臣>左衛門で、浮かれているのが右大臣、何とかなるのではと楽天的に見ているのが秋姫と花子だったのです。ちなみに萌子の母は、何かおかしい気がするものの、何がおかしいのか分からない状態でした。
また左衛門は全部自分の責任だから死んでお詫びをしたいと言ったものの、萌子から
「死ぬことは許さん。全ての事情を知っているあなたがいなかったら、私はどうにもできなくなる。一生、私の傍に付いていて欲しい」
と乞われ、彼女は泣いて
「どんなに非難されようとも生きて姫様のために一生を献げます」
と誓いました。
そこには1年ほど前のウブで無知なお姫様の姿はありませんでした。彼女もこの妊娠という事態で精神的に成長したのです。
涼道は宮中に出仕して仕事をしながらも、どこかにただ1人真実を知っている男がいて、自分のことを笑っているのかも知れないなどと思います。そしてどんどん気持ちは出家に傾いていくのでした。
そして中納言は自分は萌子にとって不要な存在なのかも、萌子はその子供の父親と契りたいのかも、などと思い悩み、萌子の所にあまり顔を出さなくなってしまいます。進んで宿直をして宮中に留まっていたり、あるいは実家に行ったり、あるいはお寺で読経していたりして、なかなか右大臣宅に来ません。右大臣は子供ができたのだから、愛情は深まると思っていたのに、反応が逆であることに大いに困惑しました。
一方の宰相中将は萌子が妊娠したことを知り、ますます萌子への思いは熱くなります。いっそのこと萌子を盗み出してしまおうかとも思いますが、そこまで軽はずみなことはしてはいけないと自制します
涼道は、ここの所、宰相中将が随分思い悩んでいる様子、そして自分と目を合わせたがらないのを感じ、そういえばこいつは元々萌子のことが好きだったなと思い至ります。
それで涼道は、ひょっとして、妻を妊娠させたのは彼ではないのかと考えました。しかし彼に対して不思議と怒りなどの気持ちは起きません。「やはり私が男ではないからだ」と自分自身を責める気持ちの方が強く、涼道の心中で「出家」の2文字が強くなっていくのです。
【男の娘とりかえばや物語・最初の事件】(1)