【男の娘とりかえばや物語・吉野の宮】(1)

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“妻が間男をして妊娠した”。
 
あまりにもショックなできごとに、これも自分が男ではないからだと思い悩んだ涼道は、前々から脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる「出家」ということばに惹かれ始めました。
 
しかし出家するとなると、適当な導師が必要です。誰か適当な人がいないかと思って、取り敢えず家司(けいし)の泰明という者に尋ねてみると
 
「中将様は吉野の宮のことはご存知ですか?」
と言います。
 
「誰だっけ?宮様なの?」
と涼道。
 
「帝のお兄様なのですが(*1)」
「そんな方がおられたの!?」
 
と涼道は驚きます。帝と上皇は男の兄弟はそのお2人だけと思っていたので、他にも男の兄弟がいるとは知らなかったのです。そういう人がいるなら、なぜ雪子内親王を皇太子にしたのだろう?と疑問を感じます。
 
「ご生母様が、五道大納言様の姫様でして。あまり強い後ろ盾が無かったのですよ。それで親王宣下も受けられず、上皇様が日嗣御子(ひつぎのみこ)になられたんですよ」
「なるほど。こういうのは後ろ盾がなければ難しいからな」
 
それで泰明は“吉野宮”のことを語りました。
 

その方は、道潟王というお方でした。
 
ご生母様の家の勢力が衰えてしまい、適当な後ろ盾もなかったことから親王宣下が受けられず、年下の夢成親王(現在の上皇)が春宮となられました。先帝はいっそ臣籍降下させて源姓を与えようかとも思われたようです。
 
しかし御本人はあまり政治的なことには興味が無く、むしろ学問に熱心で、陰陽道・天文学などもよく学び、もっと詳しいことを中国に渡って学びたいと考えておられました。当時はもう遣唐使は絶えて久しかったのですが、特に願い出て渡航なさいました。この時、王はもう日本に帰ってくることはあるまいという気持ちでお渡りになったとも聞きます。
 
それで行ってみると唐では「日本人留学生はこれまで多数来たが、あなたのように優秀な人が来たのは初めてだ」と言われ、たくさんの学問を習いました。唐の国の筆頭大臣にも目を留められ、ぜひわが婿にといわれて、大臣の娘と結婚し、ふたりの子供も生まれます。しかしその妻が間もなく亡くなってしまいました。
 
道潟王はその奥さんを深く愛していたので、もう日本には帰らずこの国で出家してしまおうと思ったのですが、間もなく義父の大臣が亡くなり、自分が出家してしまうと子供たちを育てる者が居なくなってしまいます。それで出家できずにいました。しかし日本の帝の皇子で、唐の大臣の娘との間に子供を2人作った人というのは、政治的にあまりにも危険な存在です。折しも唐の国は乱れ始めていました。
 
自分の娘と再婚して欲しいという申し出もあります。しかし亡き妻のことを忘れられない王は断りました。すると味方にならないなら消去しようという訳で、王の命を狙う者も現れ始めました。本当に身の危険を感じたので、亡き妻のお兄さんに頼み込んで、何とか日本に帰る船に乗り込ませてもらい2人の幼い子供とともに日本に戻ってきたのです。
 
ところが日本で子供2人の成長だけを楽しみにしていたら
「道潟王は次の皇位をねらっているようだ」
「唐の大臣の娘と結婚してお子を設けておられる。きっと帰化人勢力を背景に謀反を起こすおつもりだ」
 
などと讒言するものがあります。それで王は他意が無いことを示すため髪を落とし、吉野の山に隠棲してしまったのです。
 
それがもう12-13年ほど前のことで、ふたりの子供もそろそろ年頃に成長してきていました。
 

(*1)原作では吉野宮は「先帝の三の御子」と書かれている。素直に読むと今上の弟かとも思うのだが、それでは年齢が合わないのである。
 
主人公(兄と称して実は妹)が侍従になった頃、朱雀院は「四十歳余り」、帝は二十七・八と書かれていた。もしその更に弟であれば、せいぜい25-26歳ということになり、主人公たちと結婚出来るような年齢の娘がいる訳が無い。
 
もし仮に吉野宮の娘たちの年齢を15-16歳と考えると、吉野宮の年齢は最低でも40歳くらいということになる。そうすると少なくとも今上よりは年上のはずである。学問を究めてしまいもっと勉強するために唐に行きたいとまで望んだという状況はその当時既に25-26歳だったことを想像させられる。また皇位継承に絡むような人であれば絶対に大陸渡航など認められない。
 
そうなると、母の出自の問題で皇位継承にはあまり関わらないと思われた人ではないかと考えられ、年齢も朱雀院と大差無い年齢と思われることから、この物語では朱雀院の兄ということにした。
 
すると25歳くらいで渡唐して、30歳くらいで唐大臣の娘と結婚し、2人の子供を授かり、その後奥さんが亡くなり、その後の混乱の中で日本に帰国したのが35歳くらいで当時子供が2歳と4歳くらい。それから12年くらい経ったとすると、宮は47歳、子供は14歳と16歳くらいとなって、不自然さが無くなる。
 
これだとやはり朱雀院の兄ということになるのである。
 

「そういうお方があったのか」
と涼道は感慨深く言いました。
 
「この吉野宮のご邸宅が結構な構えでして」
「へぇ」
 
「身一つで仏道に励むのであれば粗末な庵でもあればよいのですが、姫様2人は普通の人、といっても宮様としては、できれば適当な皇族か公卿の家の男と結婚させてやりたいとお考えになり、楽や学問、礼儀作法や詩歌なども学ばせているのですよ。それで姫様方たちのためにしっかりした邸宅を営んでおられるんですよね」
 
「自分の身は棄てても、子供は棄てられないだろうね」
 
と涼道は言いながら、自分は四の君のお腹の中の子供について、夫である以上責任があるぞ、と思い起こされました。
 
「でもよくその方の状況を知っていたね」
「実は私の伯父が宮様の弟子にして頂いて、ずっとおそばに付いているのですよ」
「おお、そうであったか」
 
「もし中将様が仏道について少し詳しく学びたいと思われる場合でも、どこぞの山伏とかに弟子入りするのは気が引けるでしょう。ですから、こういう方と少しお話ししてみられたらいかがてしょう?」
 
「それは興味がある。その人と一度会えないだろうか?その人に漢籍や管弦についても少し教えて頂きたい」
「分かりました。それで連絡を取ってみます」
 

吉野宮は謀反の疑いを掛けられたりしたこともあったのもあり、あまり人を近づけようとしませんでしたた。しかし泰明から中納言のことを聞き、一度管弦など習いたいと言っていると言うと、興味を示しました。それで一度、中納言が吉野宮に赴くことにしたのでした。
 
この時点で中納言としては、出家して隠棲するために吉野宮に接触しようとしています。逆に吉野宮としては、娘が嫁ぐ相手として、関白の息子で中納言という男は魅力的に映ったのです。つまり娘を世間に戻してあげるための手立てとして中納言に興味を持っています。
 
涼道と吉野宮はお互い全く逆の動機で、一度会うことになったのでした。
 

涼道は、一気に出家したいと言っても、お引き受けしてはもらえないだろう。今回は宮のご様子を拝見して、来世までお便りできる人かどうかを見た所でいったん帰京しようと考えます。それでその年の9月、右大臣宅で涼道は
 
「夢見が悪いので7〜8日ほど山寺で潔斎します」
 
とだけ言いました。かつては2〜3日仕事で帰宅しない時でも、しみじみと萌子に「君の顔を見られないのは寂しい」と言ってから出かけていたのが、彼女の裏切りが明らかになった後は、あまり言葉も交わせない気分でした。
 
ここで誤解されやすいのは、涼道は妻に対する愛情が冷めたから言葉を交わさないのではなく、妻のことを思いやっているから言葉が出ないのです。
 
涼道は、自分が男ではないために妻に辛い思いをさせているという気持ちでいっぱいです。しかし性別を打ち明けられない身では、今何も言えないと思いました。また萌子は夫を裏切ってしまって申し訳無いという気持ちでいっぱいで、その一方何度も逢瀬を重ねた宰相中将のことも、自分と何か縁があったのではないかという気持ちにもなり、そのふたつの気持ちの間で苦しんでいました。
 
結局涼道も萌子もお互いをいたわって大事に思っているのですが、それを素直に相手に伝えられない状況にありました。
 

それで涼道は仲介してくれた泰明、乳兄弟の高宗、他には側近の俊秋、小さい頃からの女房の少納言の君、少輔命婦、加賀の君、と従者5人だけを伴って、吉野の宮に向かったのです。もうひとりの側近の兼充は何かあった時のための連絡役として都に残しました。
 
9月(現代の暦では10月くらい)なので、紅葉がきれいです。その美しい様を見るにつけ、私が7〜8日も不在にしたら、母上や父上はどうお思いになるだろう?と悩み、こんなことでは本当に出家する時はどういう気持ちになるのだろうか?と涼道は不安になりました。
 

涼道が宮の邸宅に到着したのを見て、宮は
「全てが衰えていく末世に、いまだにこのような素晴らしい人がいたのか」
と感嘆します。
一方の涼道は宮を見て
「修行でおやつれにはなっているものの、上品でさっぱりした感じであり、思ったより若々しい」
と思いました。
 
漢籍の話などしている内に熱が入ってきます。お互い、ここまで詳しい人に初めて会ったなどと感じ、話は盛り上がっていきました。
 
そして専門的な話が一段落した所で、宮はこれまでの自分の人生について語りました。内容はだいたい泰明から聞いていた話と重なりはするのですが、涙無しには聞けない話でした。そしてふたりの娘を世に出してあげたいという気持ちがあるので、更に山奥に入って遁世するわけにはいかないと語る宮を見て、この人は行きすぎた聖人という訳ではないんだと思い、親しみを感じたのです。
 
その話を聞いてから、涼道は自分の身の上を宮に打ち明けました。
 
最初に涼道が自分は実は女なのだと言うと
「それは最初見た時に分かりましたよ」
と宮が言うので驚きます。
 
「でも生まれながらの性別と違う性別で生きる人というのは時々いるんですよ」
と宮が言うと
 
「そうなんですか!?」
と涼道は驚きました。自分以外にそんな人が存在するとは、涼道は今まで思いもよらなかったのです。
 
「遙か昔、天竺(てんじく:インド)よりも波斯(はし:ペルシャ)よりも更に遠い埃及(あいじ:エジプト)という国の王に哈特謝普蘇特(はとしぇふすと:ハトシェプスト BC1508-1458)という人があったのですが、この人は本当は女だったそうです。しかし男の服をつけ、鬚(ひげ)までつけて男の国王として君臨し、絶大な権力を持っていたそうですよ」
 
「そんな人がいたのか・・・・」
 
「中将殿は牟世(モーゼ)法王をご存知ですか?」
「偉大なる王であったと聞いています。その法力は凄まじく、牟世法王が『海よ、道を開け』と命じたら、海が自ら2つに割れて道を作ったとか」
 
「そうです、そうです。その人の育ての親がこの人ですよ」
「そんな古い時代から性別を変えて生きた人がいたのですか」
 
「中将殿。私は予言します。中将殿も、きっとこの世の人臣の極みに到達なさいますよ」
 
涼道は今にもこの世から離れたいと思っている自分がそんな地位を得られるとは思いもよらず、この時は吉野宮のことばを信じることができなかったのでした。しかしこれまで絶望の底にあった涼道は吉野宮との話し合いで、自分が生きて行く道はあるのかも知れないと考え直したのです。
 

宮がふたりの娘の行く末を心配していることについて涼道は言いました。
 
「私が生きている限りはご後見いたしましょう。そのことについては心配なさらないでください」
と明言しました。
 
結果的にこれで涼道はもう出家できなくなってしまったのですが、本人はそのことをあまり意識していません。
 
ふたりは中国・朝鮮の現況についても語り、また日本ではまだ知られていない本などを宮が見せてくれるのを読んで感嘆し、結局朝まで語り明かしたのでした。
 

ふたりは夢中になって話をしていたので、あっという間に2〜3日が経過します。
 
「そういえば楽を習いたいとおっしゃっていましたね」
と言って、最近日本では弾く人がいなくなってしまった琴(きん*3)を取り出して弾いてくださいました。それはとても美しい調べでした。しかし宮は少しだけ弾いてやめて、涼道に
「弾いてみますか?」
 
と言って勧めます。すると涼道は琴に触るのは初めてであったにも関わらず、今、宮が弾いたのと同じように弾いてみせ、彼の音楽的な才能が高いことを宮も感心していました。
 
(*3)「琴(きん)」あるいは「琴の琴(きんのこと)」とは、7弦の弦楽器で、琴柱を使わず、フレットも無いが徽(き**1)という線が引かれていてそこを目安として指で弦を押さえて演奏する楽器である。弦は絹糸を使用する。左右の小指以外の4本ずつの指を使って演奏し、軽く押さえてフラジオレットを出したり、指を動かしてポルタメントをしたりもする。徽はピタゴラス音階が出るように引かれているが、徽と徽の間の中間を押さえて間音(四分音)を出す場合もある。演奏法が難しいことから演奏できる者はあまり多くなかったし、音量が小さいため雅楽ではあまり使用されなかった。正倉院と法隆寺に古い時代の“琴の琴”が伝わる。
 
(**1)徽は「徽章(きしょう)」の徽で、印のこと。徽章(=バッヂ)は戦後は当用漢字を使って記章と書かれることが多い。
 

「琴は娘たちにも教えております。色々な曲は耳が衰えた私が教えるより、音感の若い娘たちが伝えた方が間違いないでしょう」
と言って、宮は娘たちの部屋に涼道を案内します。
 
もちろん娘たちに対面させるのが目的です!
 
(この時点で宮は涼道の性別を認識しているにも関わらずまるで男を娘たちに引き合わせるかのような行動を取っている。その意図は不明)
 
それで涼道は宮に付いていくのですが、“娘たちの部屋”に行ってみて、涼道は困惑します。
 
娘2人と聞いていたのですが、そこには少年と少女の姿がありました。
 
「海、そなたまたそんな格好してるのか?」
と宮がしかめっ面で言います。
 
「女の服はかったるいしさあ」
などと“海”と言われた息子(?)は言っています。
 
「お客様だぞ」
「ごめんごめん。着換える」
と言って、奥の部屋に入ると、一刻(15分)ほどで着換えて出てきました。彼女(?)の姿を見て、涼道はまた戸惑いました。
 
「東宮様にそっくり!」
「あ、それは言われたことあります」
と彼女(?)は女性的な話し方で言いました。
 
「春宮様のお父上と私が兄弟だから、海子と春宮様は従姉妹になるんですよ。それもあって似た顔立ちになったようですね」
と吉野宮はおっしゃいました。
 
しかしさっきまで男の服を着ていた海子に、涼道は親近感を感じました。
 

吉野宮は涼道の性別を聞いていて、それ故の悩みの相談に乗っていたので、当然娘たちを涼道と結婚させることは考えていません。
 
しかし宮が娘たちを紹介する様は、まるで双方を見合いでもさせるかのような感じでした。涼道が男であれば「2人の内好きな方と寝て下さい」という感じです。実際、涼道と海子は、つい歌のやりとりまでしてしまいます。それで涼道も「まるで結婚するみたいだ」と苦笑し、こういう場面で宰相中将ならどんな風に反応するかな?などと考えると、少し楽しい気分になってきました。
 
宮が「後は若い人同士で」などと言って自分の部屋に戻ってしまったので、涼道は姉妹(兄妹?)に琴の琴を習いながら、色々おしゃべりもしました。やがて遅い時間になりますが、どこか他の部屋に案内される気配もありません。
 
それで涼道は自分で退出して、少納言の君が休んでいる部屋を探していこうと思ったのですが、姉君(海子)は言いました。
 
「父は中納言様には、こちらでそのままお休み下さいということだったようですよ」
 
「そうですか?ではこのまま適当な隅で休ませて頂きましょう」
と言って、涼道は部屋の隅で寝ようとします。
 
ところが海子は
「あなたのような高貴なお方が、そんな所では寝るのも辛いでしょう。私の御簾の中においでになりませんか?」
と言いました。
 
「確かに私はあまり御帳の外で寝るのに慣れていないので。ではそちらに失礼してよろしいですか?」
「どうぞ」
 
それで涼道は御帳の中に入らせてもらいました。
 
姉君(海子)は堂々としていますが、妹君(浜子)はこんなに近くで男性と相対する経験が無いようで恥ずかしがって顔を隠しています。
 
その妹君の様子に涼道は微笑んで
 
「心配なさらないで下さい。同性なのですから、変なこともしませんよ」
と言いました。
 
そして姫君たちが座っている茵(しとね*4)の傍の、畳の上に横にならせてもらいました。
 

(*4)帳台の中には、まず土敷(つちしき)という繧繝縁(うんげんべり:高級畳)の畳を敷き、その上に敷物を敷いた上に、茵(しとね)という座布団のようなものを置きます。貴人はこの茵の上に座っているのですが、涼道はその横の畳(正確には畳の上に敷かれた敷物)の上に横になりました。
 

さて、ここで実は姫君たちと涼道との間には微妙な認識の違いがありました。
 
涼道は姫君たちは自分が女だと宮から聞いていると思っています。それで、同性のよしみで一緒に帳台の中で休ませてもらったつもりです。
 
ところが、姫君たちはその話を聞いていません!
 
それで妹君などはこの男と“寝る”ことになるのか?この男と結婚しろという意味か?などと思って恥ずかしがっているのですが、姉君の場合は男が襲ってきても撃退できる自信(?)があったので、帳台の中に入れても構わないと判断し、父の言動から今夜は一緒に休めということのようだと考えて敢えて涼道に「帳台の中に入って下さい」と声を掛けたのでした。
 
涼道が先に眠ってしまったようなので、姉君は妹に
 
「大丈夫だから、浜も寝なさい」
と言って、自分も横になり、お休みになりました。しかし半分眠りながらも月明かりで間近に涼道を見ると「いい男じゃん」と思えて、こういう人なら少し付き合ってみてもいいかなという気分になりました。
 
まあ私と寝ることができたらね!
 

涼道は明け方、少納言の君に導かれて用意されていた部屋に戻りますが、海子に文(後朝の文?)を届けさせます。それを取り次いだ海子付きの女房・山背は
「お返事はどうしますか?」
と訊きました。
 
「昨夜は別に何も無かったから不要」
と海子が言うと
「何も無かったんですか!?」
と山背は驚きます。
 
山背は、涼道が帳台の中に入って寝たので、当然海子と結ばれたものと思い込んでいたのです。
 
「まあ同性同士で何か起きる訳無い」
と海子は笑って言いましたが、山背は意味が分からず困惑した顔をしました。
 

翌日、涼道は日中はまた宮とたくさん漢籍のことや仏道のことなどで語らい合い、夕方また姫君たちの部屋に行きました。昨夜“成らなかった”ということは決裂したのだろうか?と思っていた多くの女房は涼道の来訪に困惑したのですが、海子は
 
「お疲れ様。いらっしゃい」
などと言ってにこやかに応対し、琴の琴の楽曲の伝授をしてあげました。妹君のほうもおそるおそるですが、ふたりの会話や演奏に加わりました。
 
そして夜が更けると、また海子の方から
 
「じゃこちらにいらして。一緒に休みましょう」
と誘い、涼道は海子たちのそばで寝るのです。今日は妹君も涼道と姉をはさんで反対側でスヤスヤと寝ました。
 
このようにして、涼道は海子に受け入れられ、ふたりの間には奇妙な関係が成立しました。それは性的なことをしないという点を除けば、涼道と萌子の新婚時期の関係にも似たものでした。
 

さて、涼道が吉野に行ったまま、なかなか帰って来ないので、実は宮中では涼道がしていた仕事が滞り困っていました。
 
話を聞いた源大将(充子の夫)が、宣耀殿に花子を訪ね
「兄上はいつ頃、戻られますか?」
と尋ねます。
 
「あの子、どこに行ったの?」
「いや、それがよく分からなくて。妹(充子の妹・萌子)の話では夢見が悪いので山寺で数日潔斎してくるということだったのですが」
 
「ちょっと確認します。仕事を滞らせてごめんなさい」
 
それで花子は腹心の伊勢を実家と右大臣宅に行かせて状況を確認します。すると左大臣もそのことを知らなかったようですが、右大臣宅で涼道の側近の兼充から「あまり他人には言うなと言われているのですが」という前提で、涼道が吉野宮に行っていることを聞き出しました。
 
「兼充様。これは放置しておいて帝の耳にでも入ったりお叱りを受けかねません。お手数ですが、殿様を呼びに行ってもらえませんか?」
と伊勢は言いました。
 
「分かりました。行ってきます」
と行って兼充は涼道を呼び戻すために吉野に向かったのです。
 

伊勢は花子の所に戻り、報告しますが、
 
「何やってんのよ、あの子。自分が重職にあるという認識が無い」
と言って花子は怒っています。
 
そこに東宮が入って来たので、花子はびっくりしました。
 
「兄上に少し頼みたいことがあるのだが、休んでいると聞いた。月の物が重い?」
などとおっしゃいます。
 
「いやそれが・・・」
と言って、理由は分からないが吉野宮を訪ねていることを打ち明けました。
 
「実は明後日、上総国・常陸国・上野国の国介がこちらに来るのよ。帝や私、式部卿宮(宰相中将の父)、兵部卿宮、それに左大臣・右大臣・大納言なども一堂に会して関東の状況について説明してもらい、処置が必要なら速やかに対応しなければならない。涼道君にも出席してもらいたい」
 
と東宮。
 
「うーん。。。どうしましょう?」
「欠席すれば涼道君がしばらく休んでいることもバレてどうしたの?という話になるよ」
 
「今、手の者を派遣して連れ戻そうとしているのですが、明後日では間に合いませんね」
と花子も困ったように言います。
 

その時、花子の腹心の女房・式部が言いました。
 
「昔はよく橘姫様がお出かけの最中に舞や箏の先生が来ると、桜君様がその身代わりになっておられましたけどね。さすがに今回は無理ですよね」
 
「ん?」
「え?」
 
「それだ!」
と雪子が言いました。
 
「花子、お前、涼道の代理をしろ」
「え〜〜〜!?」
と花子は驚きます。
 
「だって顔がそっくりなんだから、お前が男の服を着れば涼道に見える」
「私が男の服を着るんですか〜?」
と花子は情けなさそうに言います。男の服なんて、裳着をして以来、一度も着たことがありません。
 
「でも私、漢字も分からないし、政治的なことも分かりませんよ」
「私が隣に座るから必要なことは教える。漢字はお前、かなり読めるようになっているはず。涼道は私の後ろ盾なのだから、隣に座るのは全く不自然でない」
 
「本来なら橘様が女御子様のご助言をするはずが、その逆をする訳ですね」
「そういうこと」
 
「でも花子さんは髪が長いですよ。男装できます?」
とふたりの“入れ替わり”事情を知らない、雪子の腹心・越前が言う。
 
「大丈夫です。やり方があるんです」
と伊勢が言いました。
 

それで伊勢が急遽、左大臣宅まで往復して来て、涼道の服を一式持って来ました。それで花子は4年ぶりに男物の服を着ることになります。
 
いったん裸にされますが、胸が偽装だったことに越前が驚いています。
 
「花子様、どうしてそんなに胸が無いんですか?」
「こいつ男だし」
「うっそー!?でも男の印は付いていませんね」
「ああ、取っちゃったからね」
「そうだったんですか!」
 
面倒なので股間の偽装のことは話しません。
 
褌を締めさせようとしたら「男物の下着なんて着けるの嫌」と花子が抵抗したので(もう何年も女装生活をしているので既に感覚が女性的になっている)、結局下着は女物のままでいいことにしました。それでいったん全部服を脱がされたものの、下着は元の女物の下着を着け直しました。その上に男物の服を着せますが、雪子の趣味で胸の偽装帯もそのまま着けました!
 
「胸を触られたら女だと思われるかもね」
「普通は触らないから大丈夫でしょう」
 
それで髪の大半を服の中に隠し、左右の髪だけを巻き上げ、冠の巾子の中に押し込みます。それで指貫を穿き直衣を着ると普通に男の姿に見える状態になります。
 
「中納言殿に見えます!」
と越前が感心したように言いました。
 
「花子、その姿で右大臣宅に帰って、奥方を抱いてくるといい」
と雪子は言います。
 
「無理です〜」
 
「いや、涼道の方が無理なのであって、そなたは女が抱けるはず」
「でも萌子さんは涼道の奥方なのに」
「うん。だから左大臣の息子の奥方だろ?つまり君の奥方でもあるんだよ」
「えーっと・・・」
 
「涼道君が戻って来たら女装させて僕がもらっちゃおうかな」
「どうやって抱くんです?」
「やり方はあるのだよ。それを彼には伝授したいけどなあ」
 
「何だか訳が分からなくなってきました」
 

ともかくもそれで“涼道”(実は花子)は関東の国介たちとの会談に出て、雪子の指示通りの発言などもしました。花子も雪子の助手をして色々な人との打合せに出ていたので、結構話の内容は理解し、雪子の意図を汲んで必要な発言をし、帝なども頷いておられました。
 
それで国介たちとの会談はうまく行き、関東での揉め事についても解決の方向が定まりました。その日の夜は帝が主宰して宴などもしますが、これにも花子は“涼道”として出席し、関東の人たちとの交流を深めました。
 
宴が終わった後、右大臣から言われました。
 
「婿殿、心配しておりましたよ。やっとお戻りになったんですね」
「ええ、まあ」
「娘が心細そうにしております。今夜はうちに来てお休み下さい」
 
と右大臣が言うのに“涼道”はためらいますが東宮が背中を押します。
 
「中納言、例の書類なら私がまとめておくから。君は帰って休みなさい」
 
雪子からまで言われると仕方ありません。花子は覚悟を決めて右大臣宅に戻りました。
 

右大臣は宴が始まる前に邸に使いをやり、
 
「掃除をしろ。調度を整えよ。女房たちは良い服を着て化粧しろ」
と指示を出しています。それで右大臣宅では四の君やその母君付きの女房たちが総出で、大掃除をして、部屋を飾り立て、待ち構えていました。
 
“涼道”は右大臣と一緒に帰宅します。それで萌子の部屋まで行きました。
 
「長く留守にして済まなかったね」
と“涼道”は言います。萌子は不安そうな顔をしています。ここで“涼道”は右大臣が裏側の部屋に入り、こちらに聞き耳を立てているのを意識していました。うかつなことは話せません。萌子と本当にふたりきりなら話せることもあるのですが、ここは無難な会話にしておきます。
 
「疲れたので休みたいが、君の隣で寝ていいよね?」
「・・・はい」
 
それで“涼道”は萌子の帳台の中に入りました。
 

そこには6-7年前に松尾大社の秘祭で見た時と、あまり変わらない雰囲気の萌子の姿がありました。
 
「4-5日のつもりだったのだけど、宮と話が弾んでしまってね。音楽の話も沢山したから、また落ち着いたら聞かせてあげるよ(きっと涼道は習ってきているだろうから)」
などと言います。
 
「放置して申し訳なかったが、赤ちゃんは順調?」
「はい。何とか」
「だいぶ大きくなってきたね」
と言って“涼道”は萌子のお腹に触ります。萌子がドキっとした顔をします。実は本物の涼道は直接お腹を触ったりもしなかったのです。でも花子は日常の雪子の“教育”のおかげで女性の身体に触ることに抵抗がありません。
 
「元気な赤ちゃんが生まれるといいな。男の子かな、女の子かな」
などと明るく話す“涼道”を萌子は不思議そうに見ていました。
 
「じゃおやすみ」
と言って、“涼道”は萌子にキスをしました。これも萌子はドキッとした顔をします。以前は涼道はよくキスしてくれていたのですが、妊娠が判明した後は1度もしてくれなかったのです。
 
萌子は思いあまって涼道に小さな声で言いました。
 
「殿は私に目合(まぐわい)はしてくださらないんですか?」
 
すると“涼道”は微笑んでやはり小さな声で言いました。
 
「そうだね。目合をしないと子供はできる訳無いから、順序が後先になるけどやっちゃおうか」
「え!?」
 
それで“涼道”は妊娠中の萌子の身体に障らないように、上半身の服はそのままにして、下半身の長袴だけ脱がせた上で、彼女の身体に負担にならないように、横になったまま彼女の敏感な部分を刺激します。
 
「あ・・」
 
これは実は宰相中将はやってくれないので、中納言との関係が途絶えてから半年ほど体験していなかった快感を感じることができました。
 
「じゃ行くよ」
と言って、“涼道”は萌子の身体を4分の1回転させてこちらに向け、こちらも横になったまま、それを入れてしまいました。
 
実はこのやり方は雪子に(実地に!)教わったのです。
 
「あ・・・・」
 
萌子は初めて自分の夫からこれをされて感動しました。
 
やはり殿は私を愛してくれているんだ。そう思うと萌子は涙が出てきました。それで結果的には自分が宰相中将とずっと会っていたこと、その子供を宿してしまったことに対する物凄い罪悪感を感じます。
 
もっとも花子は男性的な機能が完璧に未発達なので、到達するのに物凄い時間が掛かりました(実際問題としてまだ射精できない)。しかし長時間掛けてすることで、逆に萌子は自身が到達することができました。それは(本物の)涼道とも経験したことがないし、宰相中将とも経験したことのない(宰相中将は自分だけ勝手に逝ってしまう)、物凄い到達感だったのです。
 
凄い。。。こんな凄い境地があったのかと萌子は驚き、そして涼道への愛が再度燃え上がる思いでした。萌子は夢中になって“涼道”の身体を吸いましたが、しばらくの後「お腹の子に障るからこのくらいで寝ようね」と言われ、素直に「はい」と言いました。
 
それで“涼道”は萌子の服を直し、袴も再度穿かせてあげました。
 

萌子が少し落ち着いて昂揚も鎮まってきた所で萌子は素直に“涼道”に尋ねました。
 
「殿、私の子供のことについては責めないのですか?」
 
“涼道”はもう右大臣が傍に居ないことを感じ取ってから言いました。
 
「実は吉野でずっと考えていた。それでさ」
「はい」
「古来、婚(くながい)というものはね。女が産んだ子供は男が育てるという契(ちぎり)のことなのだよ。だから君が僕の妻である以上、君が産んだ子供は全部僕のものだから」
 
「・・・」
 
「元気な子供を産んでね」
「はい!」
 
萌子はこの一夜のできごとで、涼道への信頼を回復し、涼道から許されたのだということを認識し、精神的なバランスも回復させたのです。
 
「まあ次は僕の種でも産んでよ」
「ごめんなさい!」
 
萌子にとっては、それは久しぶりに“涼道”と心を通わせた会話になったのです。
 
“涼道”はその後しばらく「仕事が溜まっていたから」と言って帰宅しませんでしたが、萌子の心はもはや少しも揺れることがありませんでした。
 

一方の(本物の)涼道のほうは、兼充がやってきて、早く帰京しなければ騒ぎになりかねないことを認識しました。
 
「済まなかった。帰る」
 
涼道の気持ちはまだ定まらないのですが、取り敢えずは帰らなければならないと考え、宮にそのことを言いました。宮は
「私もあなたを長期間引き留めて済まなかった」
とおっしゃい、ふたりはお互いに贈り物を交わし、歌なども贈り合います。
 
ここしばらく友情なのかプラトニックな恋愛なのか微妙な関係を続けていた姫君もいざ中納言が帰京するとなると寂しい気持ちになるのでした。
 

帰京すると、涼道は、まず実家の左大臣の家に行きます。
 
「何日も留守にして済みませんでした」
「ああ。溜まっていた仕事も片付いたかい?」
「あ、いえまだ・・・」
 
「お前は朝廷の重職にあることを忘れてはいけない。こういうのは軽はずみな行為だよ」
と苦言を言われます。
 
「申し訳ありませんでした」
と涼道も素直に謝りました。
 
「右大臣もお前が最近すっかり離れてしまって落胆している。お前の苦悩は分かるが世間的には無難にふるまうようにした方がいい」
と忠告します。
 
「向こうにも行って来ます」
 

それで涼道が右大臣宅に行くと
 
「お帰りなさいませ」
と家の者が妙に明るいです。涼道は長期間留守にしてしまい、何か言われるかと思っていたのですが少し拍子抜けした気分でした。右大臣自身も
 
「ああ、お疲れ様。少し落ち着きましたか?」
と言い、笑顔です。
 
「あ、えっと。これは吉野のお土産です」
と言って、唐伝来の品などを差し上げると、右大臣は
「これは珍しい物だ」
と喜んでおられました。
 

おそるおそる萌子の部屋に行くと萌子も笑顔で
「あなた、お帰りなさい」
と言う。
「あ、えっと長期間留守にしてしまってごめんね」
と涼道も謝ります。
 
「なんかここ数日、この子ったら凄く元気なのよ。触って触って」
と言うので涼道もお腹に触ります。
 
そういえばこの膨らんだ腹に触るのは初めてだなと涼道は思いました。もっと触ってあげなければいけなかったと自省します。
 
その夜は一緒に寝ますが、涼道が萌子の身体に触らないので、萌子からおねだりします。
 
「えっと。でもお腹の子に障るよ」
「あ、そうかもね。だったら、赤ちゃん産まれたら、してね」
「うん。僕でできることなら」
「それでいいよ」
 
萌子もこないだのは、ずっとしてなかったお詫びにしてくれたのかなと思います。それで今夜は自分の身体を心配して我慢してくれるのかなと思うと、それもまた喜びとなったのです。
 
そういう訳で、涼道と萌子の関係は、萌子が花子の活躍(?)で涼道への信頼を回復させたのに対して、涼道の方はまだもやもやとしたものが残るものの、萌子を愛する気持ちだけは変わらない状態で、臨月へと進んでいくのです。
 

翌日、朝御飯を食べてから宮中に出仕します。まずは中納言の執務場所である太政官に行きます。
 
「長期間休んでたいへん申し訳ありませんでした」
と上司である大納言に謝ると
 
「ああ。今度からはちゃんと行き先とかも言っておいてね。でもだいぶ溜まっていた仕事は片付いてきたかな」
などと言われます。
 
「えーっと・・・」
 
涼道がよく分からないままでいると、部下から
 
「中納言様、この書類の決裁お願いします」
と言われるので、自分の執務机に行き、書類を読んで署名(*3)をして渡しました。
 
(*3)書類の決裁に印鑑が使われ始めたのは室町時代に渡来僧たちが中国から持ち込んだものが一般化してからである。それ以前にも印鑑は存在したが、普通は花押(デザイン化された署名)を使用していた。
 

それで机の上に溜まっている書類を見たら随分少ないので、同僚の中納言に
 
「もしかして代行して処理して下さいました?」
などと訊くと
 
「何言ってんの?半月も休んで仕事が溜まっていたけど、4日前から精力的に処理して、そこまで滞留書類を減らしたじゃん。さっすが涼道君と思ったよ」
などと言っています。
 
「私が4日前から出仕していた?」
「まさか忘れたとか。ボケるには早すぎるよ」
 
それで涼道は首をひねりながらも書類の処理を進めたのです。午後になってから近衛府の方に行きますと、そちらも同じ状況で、書類は溜まっていたものの4日前から自分が出仕して大方片付けてしまったと聞き、再び涼道は首をひねりました。
 

涼道はそのまま数日作業を続け、やっと落ち着いた所で宣耀殿の花子の所を訪れます。
 
「あんた無責任!」
といきなり言われました。
 
「中納言というのが、どんなに大事な仕事が分かってない。個人的な悩みはあるだろうけど、仕事を放置したらダメじゃん」
と叱られます。
 
「ごめーん」
 
「おかげで、ここ数日、私があんたの振りして、会議には出席するわ、地方から来た国守や国介とかと会うわ、宴会に出席してお酒とかも飲むわ、溜まっている書類の決裁したり、企画書書いたり、大変だったんだから」
 
「桜が私の身代わりしたの!?」
「昔から私はあんたの身代わりさせられてたけどね。でも久しぶりに男物の服を着たらなんかすごーく変な気分だった」
 
「ごめーん、というかありがとう」
「企画書は本当は東宮の秘書の敷島さんが書いてくれた」
「わ。申し訳無い」
「中納言ともあろうものが長期間休むと大変なんだよ」
「肝に銘じる」
 
「右大臣からも帰ってきてと言われるから帰って、ついでに奥方をちゃんと抱いてきたからね」
 
「え〜〜〜〜!?」
 
(↑「とりかへばや物語」春の巻、ここまで。↓夏の巻)

 
その後、涼道はそれまでよりは右大臣宅に帰る日も多くなり、萌子が明るいので、心中は必ずしも安定しないものの、優しいことばだけは萌子に掛けてあげていました。
 
吉野宮の姫君とは頻繁に文をやりとりし、1度は物忌みの期間(60日間に6日ほど天一神の運行により出仕できない日が発生する)を利用して吉野まで往復してきました。右大臣は(きっと別の妻と会っているのだろうと思い)良い顔をしないものの、それ以外では萌子のお世話はちゃんとしているようなので、前よりは良くなったかなと大臣も思っていました。
 
(涼道はそれ以外に実は麗景殿の女とも文をやりとりしているが、それには右大臣も気付いていない)
 
やがて11月、萌子は可愛い女の子を産み落としました。涼道が見ると、その子には宰相中将の面影があるような気がします。
 
『やはりあいつの子供か』
と思いましたが、涼道は悩みながらも萌子に言いました。
 
「この世に自分がある限りは、この子は僕の子供だから」
萌子も
「うん。ごめんね」
と謝りました。
 
このやりとりを聞いたのは産婆だけですが、むろん産婆はそんな会話は誰にも話しません。
 
「名前はどうしようか?」
「小夜(さよ)というのを考えたんだけど」
「ああ。可愛い。いいと思うよ」
 
それで女の子の名前は“小夜”と決まりました。
 
右大臣は
「この子はきっと皇后になる」
と大喜びしています。
 
萌子の母は産湯を用意し、姉の充子も迎え湯を用意して、家中総出で姫君の誕生を祝いました。
 

お七夜には、大将(充子の夫)が主宰になって宴を開きましたが、左大臣の息子と右大臣の娘との間の子供が産まれたというので多数の上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじょうびと)がお祝いの宴にやってきました。
 
涼道は揺れる心を押さえ込み、やってきてくれた人に笑顔で御礼を言って回っていましたが、ふと宰相中将が来ていないことに気付きました。さすがにバツが悪いのかな?などと思いながら、来客たちと歓談します。
 
その宰相中将は実は左衛門を呼び出していました。
 
「ここの所ずっと安産を願って祈祷していた。会ってはいけない人と自分に言い聞かせていた。でもどうしても思いが募ってしまう。一目だけでも見ることはできないだろうか?」
 
「姫様は殿様を裏切ったことを後悔しています。最近は殿様との仲も良好ですよ。会わせる訳にはいきません」
と左衛門は答えます。
 
宰相中将は、どうやってあいつは奥方との仲を修復したのだろうと疑問に思いながらも、やはり自分の血を分けた子供のことは気になります。それで左衛門を必死で口説きます。そして左衛門はとうとう根負けしてしまい、宴が盛んで人がみんな表の方に行っているのをいいことに、再度宰相中将を手引きしてしまいます。
 
萌子は不機嫌です。
「今後この人を案内(あない)しないように」
と左衛門に言います。
「申し訳ありません」
そして萌子は宰相中将にも
 
「話すことはありませんから帰って下さい」
と言いました。
 

それでも何とか萌子を口説こうとする宰相中将でしたが、人が来る気配があります。左衛門が慌てました。どうも中納言がこちらに来る様子なのです。
 
「見つかったら大変です。すぐお帰り下さい」
「分かった」
 
それで宰相中将は慌てて逃げ出しました。
 
「夏代(萌子の本名)ちゃん、具合は悪くない?」
と言いながら涼道は御帳の中に入ってきましたが、雰囲気がおかしいのに気付きます。左衛門が青くなっています。
 
涼道は腕を組むと帳台の中を見回しました。
 
扇が落ちています。拾い上げるとそこには明らかに宰相中将の字で手習いのような言葉が書かれていました。それで子供の父親が宰相中将であることを涼道は再確認することになります。あいつ、恥ずかしくて姿を見せないのではなく、萌子の所に忍んで来たいから表には来なかったのかと思うと、さすがに不快な気分になりました。萌子は無表情です。
 
涼道は言いました。
 
「あのさあ。僕も他の女の所にも行ったりしてるから文句言えないけど、産後間もない内、しかもたくさんの客が来ている日に男を引き入れるのは、さすがに、はしたないよ」
 
この付近の感覚は涼道は“同性として”忠告しているのですが、萌子としては“男である夫から”叱られていると感じています。しかしふたりの関係が以前に比べると改善されていることから素直に謝ります。
 
「ごめん」
 
謝りはしたものの、萌子はどういう表情をしていいか分からず無表情のままです。左衛門はもう顔面蒼白で今にも倒れそうです。
 
「左衛門」
「はい!」
「萌子を守るように。それがそなたの役目だ」
「はい。大変申し訳ありませんでした」
と言って、左衛門はわざわざ庭に降りて土下座して涼道に謝りました。
 
「夏代」
「はい」
「君は僕の愛する妻なのだから、それを忘れないように」
と言って涼道は彼女にキスをしました。
 
すると萌子は感極まって涙を流しました。
 
「ちょっと服を取りに来たんだよ。祝儀に服をたくさん配っちゃったもんだから自分が寒くなっちゃって」
などと言って涼道は自分の服を着ると宰相中将が残した扇を懐に入れて、また表の方に行きました。
 
 
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【男の娘とりかえばや物語・吉野の宮】(1)