【神様のお陰・神育て】(3)

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誕生日の翌日、命(めい)は星を連れて7ヶ月健診を受けに総合病院に行った。理彩も付いて行きたそうだったが、9月からの授業再開を前に、まとめておかなければならないレポートがあって、時間が取れないなどと言っていたら、最近朝御飯を一緒に取るのがデフォルトになっているまどかが「あ、私が付いてっちゃおうかな」などというので、付いてきてもらった。
 
「僕病院って苦手」と命(めい)。
「この独特の臭いをかいだだけで憂鬱な気分になる」
 
「ふーん。小さい頃病院の常連だった人にしては」とまどか。
「トラウマになってるんだよ。病院に行くってのは死の予感だったし。ああ今度こそ僕死んじゃうのかな、とよく思ってた。去年・今年は妊娠出産、それに星の健診や予防接種で頻繁に来てるけど、本当は逃げ出したい気分」
「私はこの臭い嗅ぐと、気が引き締まるな」
 
「・・・・・僕が出産した時、まどかさん、助産師さんと何か難しい言葉で会話してたよね。理彩くらいしか分かってなかった感じだけど。もしかして病院関係の仕事とかしてたことあるの?あの時は産婆の助手してたなんて言ってたけど、助手でそんなに専門的な知識あるのかな、と少し引っかかってたんだよね」
 
「うん、まあそんなことしてた時期もあったかな。でも産婆の助手もやってたよ。中高生の頃から」
 
「まどかさん、中学や高校に通ったの!?」
「なんで?私だって、そんな時期はあるさ」
 
「まどかさん赤ちゃんの時に死んじゃったと言ってたから、その後はずっと霊体だったのかと思ってたのに」
「まあ、人間の振りすることだって出来るからね。今だってそうだ」
「なるほどね。へー。セーラー服姿のまどかさん見てみたい。写真無いの?」
「あはは、いいじゃん、そんなの」
命(めい)は、はにかむようなまどかの顔を初めて見た。
 
「命(めい)のセーラー服姿なら、私も写真何枚か持ってるけどね」
「僕の学生服の写真、お母ちゃんも持ってないと言ってた。中学の入学式の時の写真でさえ、友だちにふざけてセーラー服を着せられた所が写ってるし」
「なんなら、命(めい)が男だったという歴史を消しちゃおうか?」
「いや、いい」
 

健診の方は、体重・身長なども標準で、見た目も聴診器での診断でも健康そのものと言われる。
 
「お乳は出てますか?」
「ええ。よく出るので、ミルクはほとんど使わず9割以上母乳で育ててます。ミルクは、ミルクにも慣らしておかないとという程度にあげている感じです」
 
「そうですね。あなた自身の体調が悪い時とかに困りますからね。離乳食食べてます?」
「ええ。先月、ちょうど生まれて6ヶ月目から少しずつ始めました。手作りしたり、市販のものを利用したりしてますが、どちらもよく食べます。でも今の段階では、おっぱいの方が好みのようで」
 
「うんうん。まだそんなものでしょう。時期も昔は2ヶ月くらいから始めろなんて意見もあったけど、最近は早く始めるとアレルギーの元になるから、遅い方がいいという意見の方が多いですね。私も5〜6ヶ月からとお勧めしてますよ」
 

9月の上旬。命(めい)は理彩に吹田の家の留守番を頼んで星を連れて村に戻った。不動産屋さんに頼んでいた空家の買い取り契約のためである。これまで何件かの候補を伝えてもらったのを地図上でチェックしていたが、この物件は良さそうなので実際に現地に行って確認することにした。
 
「5年ほど空き家になっていたんですけどね」
「あまり痛んでない感じですね」
命(めい)は不動産屋さんに案内されて実際の物件を見てまわった。命(めい)がいちばん重視したのが「気の流れ」である。山の地形との関係、神社との位置関係からおそらく良好な状態にあることは想像していたが、現地で確認して、間違いなくここは良い場所だと確信した。空き家になっていたのにあまり痛んでいないのも、そのせいだろう。星の顔を見るが、星もニコニコしている。
 
「ええ。廊下の板が少しぐらぐらしていたり、畳がけっこう痛んでいたりしますが、気になるようでしたら、大工さんに頼んで少し補修してもらったり、畳も新しいのに取り替えるといいかも知れないですね」
「ああ。それ、頼めます? 仲介手数料も払いますので」
「了解です。補修の範囲は?」
 
「廊下の板のぐらぐらする所。それから座敷の所で雨漏りしますよね、この家」
「ああ、それ言い忘れてました。すみません」
「その補修かな。必要なら瓦の交換も。それとトイレを洋式に交換して下水道に接続してもらえませんか? それから畳と障子の張り替えを。傷んでいるものは畳ごと交換してください」
「分かりました。じゃ、見積りを作らせてそちらにFAXします」
「お願いします」
 
この一連の補修作業は下水道工事を除いては1ヶ月半ほどで終了し、10月の中旬には入居可能な状態になった。
 

理彩の医学部は9月から授業再開だが、命(めい)の理学部は10月からである。
 
9月の下旬。命(めい)は翌月から1年間の休学を終えて学校に復帰するため、モノレールの定期券を買うのに、通学証明書を取りに学校に出て行った。
 
「それでは後期はもう休学せずに復学するんですね?」
と学生課の人から訊かれて
「はい。また頑張りますのでよろしくお願いします」
と命(めい)は答える。この係の人は初めて見たので今年から入った人かな。
 
係の人は書類を見ながら
「ああ、出産のために休学していたんですね」
「ええ。今年の1月に産まれて、もうかなり手が離れるようになってきたので」
「なるほど・・・・あれ? あなた学籍簿上は男性になってますよ」
「ああ」
「あれれ? でも健康診断カードではちゃんと女性になってますね」
「えっと・・・」
 
「赤ちゃんを産んだんだから、あなた女性ですよね?」
「そうですね」
命(めい)はもう何か性別なんかどっちでもいいやと思い答えた。
 
「じゃ、学籍簿を修正したいので、記載事項の変更届けを書いてもらえませんか?」
「あ、はい」
「念のため、性別を確認できる書類、健康保険証か何か持っておられますか?」
「あ、健康保険証ならあります」
 
といって命(めい)はバッグの中から健康保険証を取り出す。その時、ちょうど学生課に麻矢が入ってきた。
 
「ハーイ!麻矢」
「ハーイ!命(めい)」
 
「ああ、通学証明書取りに来たのか。ん?性別変更届け?」
 
係の人が氏名変更届の用紙の「氏名」というところを消して「性別」と書き直した用紙を渡してくれたので、命(めい)はそれに記入していた。
 
「ああ、僕の学籍簿がなぜか男性になってるから女性に直しましょうって」
「へー。でもこんな書類書いてたら、まるで性転換でもしたみたいね」
と麻矢が笑う。
 
命(めい)は性別変更届に、健康保険証を添えて係の人に提出する。性別・女と記された健康保険証を麻矢も眺めて
「やっぱり、命(めい)って女の子だよね〜」
と言う。
「なんで〜?」
と言って、命(めい)は笑う。
「男の子が妊娠出産できる訳無いしね」
「そうだね」
 
係の人は健康保険証の「氏名:斎藤命 性別:女」という記載を目で確認して、学生データベースの修正を掛ける。その上で、通学証明書を発行してくれた。
 
通学証明書と健康保険証を受け取る。命(めい)は「性別:男」と印刷されている健康保険証を麻矢の目に触れないよう、上に通学証明書を重ねてバッグにしまった。
 
『ありがとう、まどかさん』と心の中で言いながら『あぁ、でもこれで僕って完全に女子大生になっちゃった!』と思った。
 
もちろん通学証明書にも「斎藤命・女」と印刷されていた。
 

翌日の土曜日、理彩が「ちょっとデートしよ」と言うので、星のお世話は母に任せて、一緒に梅田に出た。
 
「命(めい)の通学服を買おうよ」と理彩が言う。
「え? 通学ならふつうにポロシャツかカットソーにジーンズとかでいいと思うけど」
チッチッチと理彩が指で否定の仕草をする。
 
「命(めい)、妊娠出産でしばらく実用的なママの服ばかり着てたでしょ。やはり大学に行く時は、可愛いの着なきゃ。まだ20歳の女子大生なんだから。まさか男物の服で出て行こうなどとは思ってないよね」
「ああ、さすがにその気は無くなった」
「よし。それでは可愛いの買おう」
 
理彩は「命(めい)は若く見えるから、ハイティーン向けの服で行けるよ」と言い、その手のショップを連れ回す。
 
「このライトグリーンのカットソー可愛い!ちょっと合わせてみて」
「こ、こんな可愛いの、僕が着るの?」
「絶対合うって。ほら、鏡見てごらんよ」
「う・・・可愛いけど」
「よし、これ決まりね」
「わあ・・・」
 
「ね、ね、このスカート可愛くない?」
「えー、こんなに丈が短いの、恥ずかしいよ」
「その恥ずかしさを克服してこそ、可愛い格好ができるんだよ。ちょっと試着してみる?」
理彩は、めぼしいのを3着持って試着室に命(めい)を連れていく。
「おお、やっぱり、これがいちばん可愛いね」
「パンツ見えるよ〜」
「見えるくらい気にしない、気にしない」
「えーん」
 
そんな感じで、理彩は3軒ほどの店を回り、命(めい)の可愛い「通学服」を、取り敢えず1週間分買ったのであった。
 
「来週の分は、また来週の土日に買いに行こうね」
「あはは」
 

10月1日。命(めい)が学校に、理彩に乗せられて買った服を着て出て行くと、昨年同じクラスだった友人たちから
 
「(ずっと休んでて)どうしてたの?」
「(その格好って)どうなっちゃったの?」
という質問が入る。
 
しかし昨年命(めい)の女装を見ている女子の友人たちは
「おお、ちゃんと女の子の格好で出てきたね」
「ちょっと可愛すぎるけどね。女子高生にも見えちゃう」
などと言っている。
 
「こいつ、こういう傾向だったの?」と女装の命(めい)を知らない男子の友人たち。「こんな格好で私たちと一緒に遊んだりしてたよ」と女子の友人。
「去年はここまで可愛い格好じゃなかったけどね」
 
「えー!?知らなかった」
「いや、斎藤は何か女っぽいとは思ってた」
 
「やっぱり、こういう格好をするのが、もう癖になっちゃって」と命(めい)。
 
「まさか性転換手術のために1年間休んでいたとか?」と男子。
「ああ、別に手術はしてないよ」と命(めい)。
「いや、去年の春の段階で既に性転換手術済みだったよね」と女子。
「えー、やはりあの時点でもうチンコ無かったのか!」
「脱がせてみなくて良かった」
 
「でも1年間も休学してどうしてたの?病気」
「ああ、赤ちゃん作ってたから」と命(めい)が言うと
「赤ちゃん!?」と全員が驚きの声をあげる。
 

見学希望者が多数いたものの、バイトなどの都合で男子3人と女子3人だけがその日は自宅にやってきた。ちょうどその日は先に理彩が戻っていた。
 
「奥さんですか? いつの間に結婚したの?」
「婚姻届けを出したのは年末なんですよ。この子が1月16日に生まれたから、もうギリギリ直前」
「斎藤君ってアバウトなのね」
「いや、ごめんごめん。僕自身男性能力が無くなっちゃったから結婚してなんて言えないと思ってたんだけど、彼女がそれでも結婚しようと言ってくれたから」
 
「でも男性能力が無くなることは承知で手術したんでしょう?」
「やっぱり無責任〜」
「まあ、おちんちんが無くても精液ちゃんと冷凍してるから大丈夫。あと3人か4人くらい産むつもりだから」と理彩。
「おお、たくましい!」
 
「精液あるんなら、おちんちんは別に要らないよね」とひとりの女子が言うと「ちょっと待て。精液冷凍保存してたら、チンコは用済み?」と男子。
「もちろん」
「結婚したら精液5〜6本冷凍して、去勢させちゃうのもいいかもね」とひとりの女子。「怖い時代になったもんだ」とひとりの男子。
 

そんな雑談をしながら、星の部屋にみんなを案内すると、みんな一斉に「可愛い〜!」と言う。
 
「何ヶ月だっけ?」
「1月16日に生まれたから8ヶ月半。おっぱいだけじゃなくて離乳食も結構食べるし。最近少しハイハイしたりもするし」
「わあ、もうそこまでするんだ!」
 
「抱っこしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
という訳で、女子3人が、代わる代わる星を抱っこした。星はご機嫌で笑っていた。
 
「人見知りしないんですね」
「ああ、田舎に連れ帰って、村の人たちにも抱っこされてたけど、誰に対してもご機嫌なのよね」
 
「でも、そしたら奥さんとしては、彼氏がこんな格好してて、性転換しちゃったのも、構わないんですか?」
 
「あ、それは平気。むしろ昔から私が命(めい)には女装を唆してたし、私は医学部だから、その内私が性転換手術してあげようか?なんて言ってたんだけど、私が医師免許取る前に女の身体になっちゃいましたね」
 
「へー。でも奥さん公認で女装・性転換できて、良かったじゃん」
「うん、まあね」
 
なんか自分の性転換は既成事実になっちゃってるなあ、と命(めい)は頭を掻きながら思った。
 
星の「見学会」はその後4日間続き、去年のクラスメイトだけでなく、今年のクラスメイトの友人男女までやってきた。そして抱っこしてくれた女子全員に星は愛想を振りまいていた。
 

復学した翌日、命(めい)は保健センターから呼び出しを受けた。休学していたため今年春の健康診断を受けていないので、受けるように言われたのであった。
 
朝の内にネット上で問診票に記入しておき、尿を持参して身長・体重・血圧などを計られる。問診票で「妊娠したことがありますか」に「はい」、「いちばん最近の月経は」に「2012年6月20日」と書いたので、健診医から声を掛けられた。
 
「1年以上月経が無いのですか?」
「はい。昨年妊娠して今年の1月に出産したので。出産のために休学していたんです」
「ああ、そういうことですか。だったら問題無いですね。悪露は止まりました?」
「ええ。2ヶ月ほどで出尽くした感じです。まだ、おりものが、妊娠前のふだんの頃より多いかなという感じで、パンティライナーはずっとしていますが」
 
「うんうん。そのくらいは普通でしょう。赤ちゃんは元気ですか?」
「ええ。もう元気で元気で。調子がいいとハイハイして回るので、家の中をしっかり掃除させられています」
 
「あはは。いいことですね。あなた自身の体調の方はどうですか?」
「ホルモンの関係か、時々ブルーな気分になりますが、母からはそのくらい普通と言われています」
「うんうん。御主人や親御さんは子育てに協力的ですか?」
 
「ええ。いろいろしてくれて助かってます。双方の母が私たちの子育ての方針に基本的に口出しせずに私たち夫婦の方針を追認してくれているのでストレスが小さいです」
 
「それは恵まれた環境ですね」
「それで私が学校に出ている間も、双方の母が交替で見ていてくれるんですよ」
「良かったですね。じゃ、勉強も頑張って下さい」
「ありがとうございます」
 
去年の健康診断を受けた時に、こんなやりとりを1年半後にすることになるとは夢にも思わなかったなと命(めい)は思った。なんか自分って戸籍以外はほぼ完全に女になっている気がする・・・・
 

この時期命(めい)は、このような健診などの場ではふつうに出産した女として扱われ、大学や高校の同級生たちには性転換して男から女に変わった人と思われていた。麻矢は命(めい)のことを元々女の子だと思っていたし、妙香や菜摘たち、また浩香や玖美たちは(おそらく高校時代に)性転換したのだろうと思っていた。
 
ただ友人たちの共通認識として「命(めい)は身体的に女性」というのがあった。
 
この時期、命(めい)にひょっとしたらまだ男性器があるのかも知れないと思っていたのは、春代くらいである。理彩でさえ、本当に命(めい)はまだ男性器を持っているのか疑心暗鬼であった。「Hしよう」と言ってから脱がせると確かに付いているのだが・・・・
 
ただ、当時の命(めい)の男性器は女性ホルモンの影響でかなり萎縮していた。ペニスは長さ2cmほどで刺激しても大きくなることはなく、睾丸も小学生並みのサイズになっていて、理彩がサイズを測定して『6mlくらいだね』と言っていた。成人男性の普通の睾丸のサイズは22mlくらいらしい。陰嚢も萎縮して「袋」としては認識できない状態であった(ただの色素の濃い肌の部分に見えた)。小さい陰茎は陰毛の中に埋もれてしまっているので、理彩は
「これって何も偽装工作しなくても女湯に入れるかも」などと言っていた。
 
「短すぎて、お股に挟んで隠すことができないよね」
「タックするのも無理だね」
「性転換手術しようとしても小さすぎて女性器を作る材料にできないね」
「これ性転換手術の必要が無いって言われるかもね」
 
「性別変更に必要な診断書がもらえたりして」
「いや、それはさすがに無茶でしょ。陰茎も陰嚢も睾丸も存在するし」
「この陰茎は陰核だと主張できそう。陰嚢も陰唇と主張できるかも。睾丸は30分もあれば私が摘出してあげるよ。ついでに割れ目ちゃん作ってあげてもいいし」
「結局切りたいのか!」
 

10月12日(土)は今度は理彩の誕生日であった。理彩が「お寿司が食べたい」と言うので、理彩の母、星と一緒に4人で、くら寿司に行った。
 
「僕が授乳中だから、お刺身とか最近買ってきてなかったもんね〜」
「命(めい)、青魚はお乳の味が落ちるって言うから、白身魚系を食べるといいよ」
「どれなら食べていいんだろ?」
「鮭(さけ)とか、鯛(たい)とか、平目とかかな」
「鰤(ぶり)は?」
「鰤は青魚だよ」
「鰻(うなぎ)は?」
「鰻は白身魚には分類されるけど、お乳には良くない」
「鰯(いわし)は青魚?」
「鰯は青魚だけど、わりとお乳には良い」
「鮪(まぐろ)は?」
「鮪は油脂分が多いからNG」
「概して、美味しいネタはNGかも」
「うーん。。。。」
 
ちなみに星は搾乳しておいたものを哺乳瓶で飲んでいる。
 
「今日も命(めい)には可愛い服を着せようとしたのになあ」
「赤ちゃん抱っこしてミニスカとかはあり得ないから」
 

食事の後、理彩の母が「水入らずで少し楽しんでおいで」と言って、星を連れて帰ったので、命(めい)と理彩は、しばし夜の大阪の町を散歩する。
 
「ね、寄りたい所があるんだけど」と命(めい)。
「どこ行くの?」という理彩を連れて行ったのは宝石店である。
 
「こないだ理彩が言ってたファッションリングを、誕生日プレゼントに」
「えー!? ホントに買ってくれるの? 命(めい)、だーいすき!」
と言って、理彩は人目を無視して命(めい)に飛びつきキスをした。
 
女性同士でキスをしているので周囲がギョッとしている。
 
「あ、えーっと、それでサファイアのリングを選びたいのですが」
と命(めい)は冷静にお店の人に言った。
 
「サファイアは誕生石か何かでございますか?」とお店の人。
「いえ、私の誕生石って、オパールにトルマリンにローズクォーツにと安い石ばかりだから、隣の月のサファイアに浮気を」
「なるほど。ご予算はどのくらいでしょう?」
「命(めい)、どのくらいまでいいの?」
「うーん。まあ20万くらいまでかなあ」
「よし」
 
理彩がお店の人と、話ながら店頭の指輪を品定めし、何個かは手に取って眺めたりした。
 
「あ、これ何か好きだ」
と言って理彩が手にしたのは、やや紫がかった淡い色のスターサファイアの指輪だ。指輪本体はホワイトゴールドである。理彩は良さそうな指輪に「Oリングテスト」をしてみていたが、この指輪はOリングが離れず、しっかり指がくっついたままであった。
 
「これ産地はどこですか?」と命(めい)は訊く。
「スリランカです」
「こんな淡い色のスターサファイアは珍しいですね」
命(めい)はしばらくその石を見つめていた。
 
「へー。この石、熱加工されてないみたい」
「よくお分かりですね。確かにこの石は熱処理をしておりません。完全に天然のスターサファイアです。そのため、サファイアの色合いとしては多少劣る面もありますし、またそれにも関わらず、このお値段になっております」
「なるほど」
 
「ねえ、命(めい)、これ買って〜。ちょっと予算オーバーだけど」
「うん。いいよ」
と命(めい)は笑顔で言った。
 

「嬉し〜い。今夜はたっぷりサービスしてあげるね」
 
宝石店の後入ったスタバで、理彩は今買ったサファイアリングを、左手薬指に、結婚指輪と重ねて付けて、ほんとに嬉しそうにしていた。
 
「やっぱりあれかな。石の中に星が入ってるから惹かれたのかな」
「うん。僕もそれ思った」
 
「早くうちに帰ってHしたいなあ」
「ふふ。でもお母さんにお土産買ってかなくちゃ」
「たこ焼きでも買ってく?」
「ケンタッキーにしない?」
「あ、いいネ!」
 
家に帰って指輪をお母さんに見せると
「わあ、いいわね〜。ここで親孝行な娘が私にも指輪を買ってくれないかしら。そんな高いのでなくてもいいから」
などと言っている。
「あ、それはこちらにいる義理の娘に言ってください」
 
「僕って、義理の娘なんだっけ?」
「義理の子供で女の子だから、義理の娘だよ」と理彩は言う。
 
「じゃ、来週また出て来られた時にでも」と命(めい)。
「やったね。やっぱり命(めい)ちゃんって、いい娘だわあ」と理彩の母。
 
指輪をちょうど起きてきた星に見せると、何か不思議な顔をして眺めていた。首を右にやったり左にやったりして、スターが動くのを見つめている感じだった。
 

10月19日(土)。命(めい)は6時すぎに朝の祝詞をあげてから理彩・星と一緒に村に戻った。この日はまどかの「お引越し」の手伝いなのである。
 
まどかが東京の住まいから引越し屋さんに頼んで送ってもらった荷物が届いていた。ふたりは双方の両親にも手伝ってもらい、その荷物をほどいては、まどかの指定の場所に設置していく。
 
「けっこう荷物がありますね」と命(めい)の父。
「東京でかなり長期間暮らしましたからね〜」とまどか。
「向こうは引き払ったんですか?」
「ああ。向こうに行った時に泊まれるように、寝具と冷蔵庫だけ残して来ました。こちら用には、その分新たに買ったんですよ」
 
理彩がぽつりと
「なんか普通の引越しだ」
と言うので、理彩の母から
「普通じゃない引越しって何よ?」
と訊かれている。命(めい)は微笑んだ。理彩は神様の引越しというので何か不可思議なものを想像していたのだろう。
 
まどかまで入れて7人で作業したので、お昼頃までにはかなり片付いた。カップ麺でお昼にしていた時、どこからか黒猫が迷い込んできた。
 
「あら、可愛い」
「何かお腹空かせてる感じ」
「何か猫が食べられそうなものないかな?」
 
結局「サトウの御飯」をチンして、鰹節と混ぜてあげたら、凄い勢いで食べている。
 
「まだ生まれて2ヶ月くらいの雰囲気だね」
「この子、どこかのおうちの猫かな?」
「じゃ無さそうな感じ。捨てられたのかも」
「だったら私飼ってもいいかな」とまどかが言うので
「あ、いいんじゃない? 女の一人暮らしだもん。猫がいると寂しくないよ」
「そうだねー」
 
「名前付けなきゃ」と理彩が言うが
「待った。理彩に任せると変な名前を付けそうだ」
「シュヴァルツェ・カッツェ(ドイツ語で黒猫の意味)って付けようと思ったのに」
「まんまじゃん!」
 
「ロデム(バビル2世に出てくる黒豹)なんてどうだろ?」と理彩の母が言った。「ああ、私ロデム好き」とまどか。
へー。神様も漫画を読むのかと命(めい)は思った。
 
「ロデム、結構いいなあ。ね、ロデム」
とまどかが黒猫に呼びかけると、猫は「ニャー」と可愛く鳴いた。
「あ、本猫も気に入ってるみたい。ロデムにしちゃおう」
と、まどかは微笑んで言った。
 
その日の午後には辛島宮司に来てもらって、神棚を設置した。辛島宮司はまどかの正体を知らない。ただこの村で生まれてしばらく東京や和歌山に行っていて、久しぶりに村に戻ってきた女性と紹介した。それで宮司もふつうに家庭の神棚として設置し、家の守り神を降ろしてくれた。
 
降りてきた守り神たちが神棚に納まってから、まどかを見てギョッとした様子を見せたので、命(めい)は微笑んだ。出先に行ったら社長がいた、などという感覚だろう、
 

10月の下旬。吹田の家で夕食の後で星にお乳をあげていたら、星が『あっ』
と脳内直伝で命(めい)と理彩にだけ聞こえるように言った。
 
「どうしたの?」と命(めい)。
『えっとね、こないだ僕を抱っこしてくれたお姉さんの一人が死のうとしてる』
「何?」
『こういうのも、ただ見てればいいんだっけ?』
「助けなきゃ! どのお姉さん?」
『紗麒さんって言ったかな。あ、今お薬たくさん飲んだ』
「彼女の住所分かる?」
『《住所》ってよく分からないや』
 
命(めい)は少し考えて紗麒と親しそうな元クラスメイト、柚花の携帯に電話を掛けた。
 
「ごめん。緊急事態なんだけど、紗麒ちゃんの住所知ってる?」
「うん。分かるけど」
「紗麒ちゃんが今自殺しようとして薬を飲んだみたいなんだ」
「えー!?」
「救急車を呼びたいから住所教えて」
「うん」
 
柚花から聞いた住所をメモする。
「じゃ、いったん切るね。すぐ119するから」
「お願い。私、7〜8分くらいで行けると思うから、駆けつけてみる」
「うん。頼む」
 
命(めい)は119して、友人が薬を大量に飲んで自殺を図ったようなので助け出して欲しいと連絡し、その住所を伝えた。「すぐ手配します」という応答で命(めい)は電話を切る。
 
そばで聞いていた理彩が言う。
「でもその部屋、鍵開いてるのかな?」
「ああ。星、その部屋の鍵を解除できる?」
『うん・・・外したよ』
「ありがとう」
『助かるといいね』
「うん」
 
『それとも助けた方がいい?』と星。
「そうだね。。。。ここまでしたら、後は本人の運に任せようか」
『やっぱり人助けって難しいなあ』
 
「命(めい)って結構ドライなんだね」と理彩が言った。
「そう?」
「私なら、すぐ飲んじゃった薬を外に移動させて、とか言いそう」
「そういう自然の摂理に反することはしてはいけないんだよ」
と命(めい)は言う。
 
「神様だって、ちゃんと宇宙の法則に従って行動しないといけない。ただ、選択や偶然によって、あり得る未来に誘導することはできるんだ」
 
「例えばお金が無くて困っている人に現金100万を目の前に積み上げるようなことはしてはいけない。でもその人が仕事を成功させて100万儲けることができるように誘導するのは良いんだよ」
「難しい」と理彩が言ったが、『難しいよぉ』と星も言った。
 
様子を眺めていたまどかは微笑んで、東京時代の友人としていたトランプの方に意識を戻した。《私も西沢のおばちゃんに昔似たようなこと言われたな》と思う。そして、しばらくしてから、ふと思い出すかのように、星の意識がそちらを向いてない隙を狙って紗麒に吐き気を催させた。
 
その後、柚花からの連絡で命(めい)も病院に駆けつけたが
 
「大量に飲みすぎたせいか、自分で吐いちゃって、それで助かったみたい」
という柚花のことばに、命(めい)は『ありがとう』と、例の方角に向かって言った。
 

その年の村の収穫は、ふだんの年よりは落ちたものの、凶作というほどではなく、村人はホッとした。
 
「真祭が10分で終わったにしては上出来です。これも命(めい)さんたちの毎日のお勤めのお陰ですよ」
と辛島和雄宮司が言った。
 
「宮司さん、かなり滝行なさってたでしょう。あれも大きいですよ」
と命(めい)は言う。
 
「今の神様は、宮司さんのお父さんに恩があるから、宮司さんが色々すると、効くんですよ」
「親父が何かしたんでしょうか?」
 
「今の神様が生まれた時に、お父さん、辛島利雄さんが赤ちゃんとそのお母さんを守ってくれたんです」
「そうだったんですか」
「他にもいろいろあったみたいで。あまり詳しくは聞いてないですけど」
 
命(めい)は、理から聞いた範囲のことだけを話した。まどかから直接聞いた話は、基本的に理彩以外には話さないことにしている。特に利雄が自分の寿命と引き替えに、まどかを村の神社に召喚したことはとても話せないと思った。利雄が持っていた召喚法のメモ(元々は命理が書いたもの)は、危険なので命(めい)がまどかに頼み密かに回収して他人の目に触れないよう厳重に保管している。
 
「でもそのお母さんはどうしたのでしょうか」
「村を追い出された後、名古屋にしばらく居て、それから東京で暮らしていたようですが、10年ほど前に亡くなったようです。亡くなる時に、お前は私も村も恨んでるかも知れないけど、私はとうに村の男たちへの怨みは消えてるから、お前が神様なら、あの村を守ってくれと言い残したそうです」
 
「そうですか。神様にも色々葛藤があるのでしょうね」
 

半年ほど前、命(めい)はまどかに訊いた。
 
「そもそもあの真祭の踊りって、何のためのものなの?」
「あの禁足地に湧出している吉野の山のパワーを取り出して村に広めるためだよ」
「ああ、あそこってパワースポットなんだ?」
「うん。第一級の強烈なパワースポットだよ。その気になれば天下を取れるだろうね」
「ふーん」
 
「真祭で踊る踊りは、古い田楽踊りがベースで、農作業の色々な型が組み込まれているんだよ。踊りが短いと取り出す量が少ないから、作物の実りが落ちる」
「だったら来年からはせめて1時間踊ってよ」
「やだ。疲れる」
「じゃ40分」
「15分。これ以上は嫌だ」
「30分」
 
「そうだなあ。巫女舞にも効果があるよ」
「へー」
「だから祈年祭の朝には巫女舞をするのさ。あの巫女舞自体に大地のパワーを取り出す力があるし、舞う場所はパワースポットの力を利用できる特殊ポイントなんだ。まあ、そんな所を撮影しようとしたら、そのパワーがそこに漏れ出て、とんでもないことになるわ。死んでもおかしくない」
 
「ああ。そしたら、僕が吹田の家の分社で巫女舞を奉納したら、少し効果出る?」
 
「出るだろうね。あの分社の前は村の神社の拝殿と空間的に同質。そこで命(めい)みたいな超優秀な霊媒が舞えば、村にエネルギーが放出されるよ。但し舞うのは祝詞を唱えてからだよ。それで霊的なチャンネルがつながるから。理彩でも効果ある。効力としては命(めい)の半分くらいになっちゃうけど」
 
「じゃ、朝時間がある限り、巫女舞を踊ることにするよ」
「命(めい)、舞と踊りは違う」
「へ?」
 
それからまどかの「舞と踊り」に関する講義は実技指導まで含めて1時間ほど続いたのであった。
 

2014年のお正月。命(めい)と理彩は星を連れて村に帰る。留守の間は、大阪在住で、神社の息子という友人に、朝晩の祝詞をあげてもらうことにしている。
 
初詣は、命(めい)も理彩も振袖を着て、星にも和服を着せて神社にお参りした。参拝していたら、まどかも振袖を着てやってきて、一緒にお参りした。
 
「ここの御祭神まどかさんが今主神でしょ? 自分で自分に参拝するの?」
と理彩が訊く。
「コックさんも自分が作った料理食べるでしょ?」
「ああ、そういうものか!」
と理彩は納得したようだが、命(めい)は微笑んでいた。
 
「でもその振袖、5月に買ったのと違いますよね」
「うん。若い頃作った振袖。でも成人式には5月に買ったの着て来るよ」
「へー」
 

その成人式は翌1月2日に行われた。田舎ではお正月にみんなが帰省したタイミングで成人式をやってしまう所が大多数である。理彩と命(めい)は昨日着た振袖を今日も理彩の母に着付けしてもらって着た。
 
「あんたが高校生の頃、成人式には振袖着る?なんて冗談言ってたけど、本当に振袖着ちゃったね」
などと、その日の朝、命(めい)の母は言った。
 
「あれ冗談だったの? 凄く本気に聞こえたけど」
と命(めい)は笑って言う。
 
「まあ、あの頃から本人、振袖着る気が満々でしたからね」
と理彩。
「命(めい)ちゃんの振袖姿、高校時代に何度か見たけど、ほんとに可愛かったね」
と理彩の母。
 
成人式の会場に行っても、誰も命(めい)が振袖を着ていることに突っ込みを入れない。ただ
 
「上等な振袖着てるね〜。高かったでしょう?」とか
「あれ、理彩と命(めい)ってお揃いの振袖着てるんだね」
などと言われたりする程度である。
 
「私たち結婚したからお揃いの振袖着たんだよ」
と理彩が言って左手薬指のマリッジリングを見せると
「おお、いつの間に。でも既婚でも振袖でいいんだっけ?」
と言われる。
「成人式なんて着たい服を着ればいいからね〜。ほら。あそこの河合君なんて好きな服着てる」
 
と言われた河合君は、仮面ライダー風のコスプレをしている。
 
「これ割と格好いいだろ?」などと本人は言っているが、
「仮面ライダーやるなら顔も全部覆っておけば良かったのに」
などと浩香に言われている。
 
正美は振袖姿を男子の友人にも女子の友人にも褒められて、少し恥ずかしそうな顔をしながらも、嬉しそうにしていた。
 
「あ、そういえば西川君は?」
「ああ、西川は東京の方の成人式に出るって言ってた。こちらの中学には3年生途中から半年くらいしか居なかったしな。元々東京生まれで東京が長かったから」
「ああ」
 
西川君は電気通信大学に通っている。お父さんが元々東京の人なのだが大阪や九州・仙台などを経て中3の夏に隣町に引越してきて、高校は3年間一緒になった。
 
しかし同じ中学の出身で違う高校に行った子などとは久しぶりの再会なので、みんな話が弾んでいた頃に、豪華な振袖を着たまどかがやってくる。
 
「あつかましくやってきたよ〜」
と少しはにかんだ顔でまどかが言うと、
「いらっしゃーい。一緒に楽しみましょう」
と言って理彩がまどかにハグすると、まどかは続けて、命(めい)、春代ともハグした。
 
「理彩、そちらはどなた?」
と質問が入る。
 
「この村出身のお姉さんで、私と命(めい)が子供の頃からよくお世話になった人なのよね〜。でも20歳の時に成人式をしそこなったというから、今回一緒にやりましょうって誘ったの」
 
「うん。この年で振袖着るの少し恥ずかしかったが頑張ってみた」
「お姉さんなら、振袖まだまだ行けますよ」
「ってか、豪華な振袖。すごーい」
「お仕事は何しておられるんですか?」
 
「えーっと」とまどかが少し躊躇っていると、「お医者さんだよ」と命(めい)が言った。
「へー。凄い。さすが高収入さんの着物!」などと言われている。
 
そして命(めい)が突然
「今から5分間限定。まどかさんとハグした女子は、宝くじが1万円以上当たるよ」
と言うと
「えー!?」
と言って、ハグ希望者が相次ぐ。
 
「は〜い、ここまでで終了」
と携帯のタイマーで時間を計っていた命(めい)が宣言して、イベントは終了した。しかし、これがきっかけで、まどかはみんなに和やかに受け入れられた感じであった。
 
記念写真を中学の時のクラス単位で撮ったが、まどかは理彩と春代の両方に引っ張っていかれて、2回写っていた。まどかはひじょうにご機嫌であった。
 

成人式からの帰り道、まどかが言った。
 
「私、来週から祈年祭の準備で忙しくなるから、しばらく出てこられないと思う」
「あれ?でも去年はけっこう僕のお見舞いに来てくれたよね?」
「あんたが神様の子供を産むってんで特に忙しい所出てきてたんだよ」
「そうだったのか。ありがとう」
 
「それに去年はまだ私とコーちゃんの共同主催だったけど、今年はもう私ひとりでしないといけないからね」
「ああ、大変そう」
「まあ、何かあった時は何とかするよ」
「よろしくー」
 

お正月休みが終わり大阪に戻ると、年賀状に混じって星の「12ヶ月健診のお知らせ」
のハガキが来ていた。
 
「ああ。いつ頃連れて行こうかな」
「お誕生日過ぎてからでいいんじゃない?」
「そうだねー」
などとその日は言っていた。
 

そして1月16日。星の誕生日なので、双方の母も出てきてくれて星も含めて5人で誕生祝いをした。成長を祝って大きなお餅を星に踏ませ。星本人は食べられないがケーキをみんなで食べて、お寿司とピザもつまんだ。理彩はワインを飲んでいた。
 
そして夕食後のおっぱいをあげたら星が寝たので、ベビーベッドに寝せ、みんなでお茶を飲みながらくつろいでいた時、隣の星の部屋に突然光が射した。
 
え?何事?と思って、一同は星のそばに寄る。
 
するとそれまでベビーベッドで寝ていた星が突然立ち上がった。そして口を開いてこう言った。
 
「お父さん、お母さん、そしておばあちゃんたち。これまで僕を育ててくれて、ありがとうございました。僕も神様になる日が来たので、これから父のいる国に向かいます」
 
一同は夢でもみているかと、目をパチクリさせていた。しかし星は
「では、さようなら」
と言うと、そのまま天井を突き抜けて、空高く飛んで行ってしまった。
 
みな呆然としていた。
 
かなり長い沈黙が続いた後、理彩が
「星、天に還っちゃったのかな。賀茂の玉依姫伝説みたいに」
と言う。
 
命(めい)は涙があふれてきた。
「そんなの嫌だよお。寂しいよ。もっともっと育てたかったのに」
 
理彩が命(めい)をガッチリ抱きしめた。
 

翌日の昼。理彩は学校を休んで村に行き、まどかの家を訪問した。誰もいない。
 
「まどかさん」
と呼びかけてみるが返事は無い。
 
本当はまどかとのつながりは命(めい)の方が強いので、命(めい)にさせた方が良いのだろうが、命(めい)が茫然自失の状態なので、理彩が代わりにここに来たのである。命(めい)が万が一にも自殺したりしないように、自分の母と命(めい)の母に、しっかり命(めい)を見ていてくれるよう頼んできた。
 
命(めい)と理彩の関係では基本的に理彩が行動の指針を決めて命(めい)はそれに付いてくる感じだ。しかし精神的には理彩はけっこう全てを達観した感じのある命(めい)を支えにしている傾向が強かった。
 
しかしその命(めい)が今うちひしがれている。
 
星が天に帰って行ってしまった。その星の様子を知ることができるのは、まどかだけだし、星にどんな形ででもいいから戻って来てというメッセージを伝えることができるのも、まどかだけである。
 
命(めい)は何も考える気力が無いようであったが、理彩は微かな希望を持っていた。それは、まどかという先輩神様が、自分たちの前に人間の姿でしばしば現れているという事実である。天に帰って行っても、星はまどかと同じような形でなら、きっと自分たちの前に現れることができるはずだ、と理彩は思った。
 
しかし自宅の祭壇でまどかに呼びかけても返事は無かった。単身車を運転して村に戻り、神社でも反応が無かったので、このまどかの自宅まで来たのである。
 
黒猫のロデムが奥の方の部屋から出てきて「ニャー」と鳴き、理彩を心配するように見た。そうだ。この子の餌はどうなっているのだろう? 見ていると、ロデムは土間の方へ歩いて行き、そこに置かれた餌入れから餌を食べている。自動給餌機能の付いたものだ。セットされている餌の量からすると、かなり長期間不在にしても、猫は餌と水には困らない感じである。
 
郵便物が結構たまっている。やはりかなり帰宅していない感じだ。理彩は郵便受けの下に落ちていたものを台所のテーブルの上に移しておいた。DMが大半だが西川春貴と書かれた人からの封書もあった。お友だちだろうか。
 
「ロデム、お前、餌はもらってても、ひとりじゃ寂しくない? ちょっとうちに来ない?」
と言って、理彩は猫を抱いて車に乗せた。そして吹田の自宅にロデムを連れて行った。理彩が戻って来たので、双方の母はふたりを気遣い、2階の部屋に移動した。
 
「あ、ロデム。元気かい?」
とそれまで焦点の定まらない目をしていた命(めい)がロデムを見て言う。
 
「ニャー」とロデムが鳴く。
「ねぇ、ロデム、まどかさんに連絡してよ。話がしたいって」
と命(めい)が言う。
 
すると、ロデムは座敷の祭壇の所まで歩いて行くと、ニャーと鳴いた。まどかが現れた。
 

「まどかさん、星はどうなったの?」と理彩が訊く。
 
まどかは厳しい顔をしていた。
「本人が言ったろ? 神様としての修行を始めたんだよ。だから、あんたたちによる子育ては終了」
 
「そんな!」
「ね、星に会えないの?」と理彩。
 
「神様が修行している空間に人間は近寄れないよ。そもそも次元が違うからね」
「修行ってどのくらい続くの?」
「10年くらいかな」
「10年!」
「それが終わってからも、あんたたちの所に戻るとは限らないよ。あちこち武者修行に出る人もいるしね」
 
「まどかさん」と命(めい)が初めて発言する。
「お願い。星に伝えて。僕も理彩も星のこと、愛してるって」
 
「いいよ。伝えてあげる。あ、そうそう。あんたたちは、星の成人式は見ることができると思うよ。じゃね」
と言って、まどかは姿を消した。
 

成人式を見ることができるって・・・・20年後には戻ってくるってこと?
 
星が神様であり、自分たちとは違う生き方をしていく存在であることは充分承知していたつもりだった。しかし自分がお腹を痛めて産んだ子供、1年ほど育てて来た親として、今星と引き裂かれるのはあまりにも辛すぎる。せめて20年か30年一緒に過ごしてからなら、気持ちの整理も付いたろうけど。
 
こんな思いのままあと20年過ごさなきゃいけないのなら、むしろ今死にたい。。。。命(めい)は辛い思いで心臓が締め付けられるようであった。
 
そしてその後、命(めい)はずっと放心状態であった。
 
学校にも出て行かず、家でボーっとしている。買物したり料理したりも理彩が全部するようにした。御飯ができて命(めい)を呼ぶと一応食べるが、心ここにあらずという感じである。
 
ロデムが命(めい)の膝が気に入ったようで、よく乗っていたので、命(めい)はしばしばロデムを優しく撫でていた。何かさせた方がいいなと思ったので理彩は命(めい)に、ロデムの餌・水をあげるのとトイレの始末をしてくれるよう言った。
 
星がいなくなっても、おっぱいは張るので、理彩が乳を搾ってくれた。
「ねえ、星が帰って来た時のために、それ冷凍しておいてくれる?」
「うん。いいよ」と理彩は優しく言って、命(めい)にキスをした。
「じゃ、冷蔵庫1台買っていい?」
「うん。2台でも3台でも買って」
「OK」
 
理彩は本当に冷蔵庫をもう1台買い、その冷凍室が搾乳パックで埋まっていった。
 
命(めい)は放心状態になっているが、理学部も後期の試験が始まる。理彩は強い抗鬱剤を入手して、無理矢理命(めい)に飲ませた。それでやっと命(めい)も学校に出て行って試験を受けたようだが、おそらくまともな点数にはなるまいと思った。追試やレポート提出などで救済してくれる先生ばかりだといいのだが・・・・と理彩は思う。
 
なお、抗鬱剤を飲ませている間に搾乳したものは、理彩は命(めい)が気付かないように廃棄していた。
 

最初の頃、ほんとに放心状態で理彩や命(めい)の母が話しかけても何も答えない状況だったのが、抗鬱剤の作用で、多少口を聞く時もあった。
 
「赤ちゃんが突然いなくなったら、私たちが殺したかと思われたりしてね」
と理彩は言ってみた。
 
「あはは。その時は僕が殺したと言って警察に引き渡してよ。このまま死刑になっても構わないや」と命(めい)は言う。
 
「死刑になった後で、星が戻って来たら、寂しがるよ」
「そっかー」
 
「だから少し頑張ろうよ。今日はちょっと美容院にでも行って来ない?」
「うん。そうだね。ごめんね。なんだか何をする気力も出なくて」
と言いながらも、命(めい)は美容院に行ってパーマを掛けてきた。理彩は「あ、その髪型可愛いよ」と褒め、お化粧もしてあげた。命(めい)が少しだけ笑みを見せた。
 

その年の祈年祭。真祭の夜が明けた2月14日の朝、踊りは30分続いたという報告を神職さんから受けた。去年の10分からすると大進歩である。
 
理彩が命(めい)に言う。
「きっと星がまどかさんに干渉してるんだよ。理さんからも星からも言われちゃ、面倒臭がり屋のまどかさんも、しゃーねーな、という感じになるんじゃない?」
 
「じゃ、星は頑張ってるんだね」
「うん。神様だもん。あの子は頑張る子だよ」
「そうだね」
 
そんな会話をして、命(めい)も少しだけ元気が出た様子であった。
 
「よし。レポート書こう」
「私も少し手伝ってあげるよ」
 
その日は理彩も少し手伝ってあげて、落とした試験の追試代わりに課されたレポートを3本仕上げて翌土曜日、大学まで提出しに行った。月曜日には追試も4つ受けなければならない。理彩はその4つは落として再履修になってしまうかもなあ、と思っていた。場合によっては卒業が更に1年遅れそうだが仕方ない。
 

週末は、理彩が命(めい)にハッパを掛けて追試の分の勉強をさせたが必ずしも頭に入っていってない雰囲気である。ただ、星が元気に頑張っているようだというのが分かったことで、命(めい)も少しだけ気力が回復した感もあったので抗鬱剤の服用も控え、様子を見ておいた。
 
そんな感じで迎えた17日月曜日の朝。
 
命(めい)が日出の祝詞を唱え、巫女舞を奉納してから、理彩とふたりで朝御飯を食べていた時、突然、星の部屋にまた光の柱ができた。
 
ふたりがびっくりして飛んで行くと、その光柱の中をゆっくりと星が降りてきて
「ただいま」
と言った。
 
「星?」
「帰って来てくれたの?」
 
「うん。本当は神様としては生まれて1年もたてば1人前だから、神様としての修行をしないといけないんだけど、お前のお父さん・お母さんが寂しがってるから当面は、ふたりの子供として人間の世界にいなさいって言われた。それで、祈年祭が終わった所で戻って来た」
 
「それ、誰に言われたの?」
「うーんとね。。。。それ人間の言葉では表現する単語が存在しないかも」
「当面ってどのくらい?」
「そうだなあ。50年くらいかな。その間は、一応人間界にはいるけど、時々神様の国に行って修行もするね」
 
「嬉しい!」
命(めい)は駆け寄って星を抱きしめた。
「お母ちゃん、ちょっと強すぎるよ」
 
その日行われた追試で、命(めい)はしっかりとした解答を書き、全科目で合格となった。これで命(めい)の留年は回避された。
 

星が戻って来たと聞いて、その日の午後には双方の両親に神職さんも駆けつけてきてくれた。
 
命(めい)があまりにも衝撃を受けて沈み込んでいたので、両親は何も言わなかったものの、両親も相応の衝撃を受け悲しんでいたので、星の姿を見ると、命(めい)の母も理彩の母も泣いて喜んで星をかわるがわる抱きしめていた。
 
辛島宮司も星に向かって「よろしくお願いしますね」と言った。すると星はニコっとしてウィンクをした。
 
宮司が驚いて、「この子、言葉が分かるのでしょうか?」と訊く。
 
「神様ですからね。分かるかも知れませんね」
と理彩は言って微笑んだ。
 

星が戻って来た翌日。まだ少し怪しげな雰囲気の命(めい)に代わって理彩が星を12ヶ月健診に連れて行った。予定の日程から大幅に遅れたことを叱られたが、風邪を引いていたのでと答えておいた。
 
健診が終わって帰ろうとしていた所にまどかが現れた。
 
「理彩、あんたこの1ヶ月くらいずっと自分が泣きたいのに泣かずに頑張ったね」
「だって・・・」
 
まどかは理彩をハグした。
「あんただって泣いていいんだよ」
「うん」
理彩はそれから10分くらい泣き続けた。
 
「まどかさん、もう星はいなくなったりしないよね?」
と理彩が涙声で言う。
 
「50年後。星が51歳になるまではね」
「またこんなことあったら、私が死にたいよ」
「大丈夫だよ」
まどかは優しく理彩の背中を撫でてあげていた。
 
 
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【神様のお陰・神育て】(3)