【神婚伝説・神社創始編】(1)

前頁次頁目次

1  2 

 
志摩が葛城の里で生まれたのは644年(皇極天皇3年)のことである。その地の村長(むらおさ)の第四子で、上に兄の都利(とり)・久真(くま)、姉の夏衣(かい)がいた。
 
志摩が生まれる前年643年に山背大兄王(聖徳太子と蘇我刀自古の子)が討たれ上宮王家が断絶するという大事件が起きていたが、その首謀者であり、もう誰も逆らう者が居なくなった筈の時の権力者・蘇我入鹿自身が、646年、中大兄王子(*)と中臣鎌足に暗殺され排除されてしまい蘇我本家も断絶した。乙巳の変(きのとみのへん)と呼ばれる古代のクーデターであり、この事件からいわゆる「大化の改新」
が始まる。
 
(*.「王子」と書いて「みこ」と読む。現代では「皇子」と書かれるが、その呼称はそれまでの「大王(おおきみ)」に代わり「天皇(てんのう/すめらみこと)」
の名称が確立する天武朝以降であるとされる)
 
この中央の大事件は葛城のような田舎にも波及した。蘇我本家と関わりの深かった者があるいは失脚し、あるいは殺害されたりする事件が相次ぐ中、志摩の両親も身の危険を感じ、その地の役職を辞して吉野の山奥に隠棲した。志摩の祖父が聖徳太子や蘇我蝦夷の傍に仕えていて、色々「やばいこと」にも関わっていたためである。祖父自身は家族に累が及ばないよう、ひとりで道奥(みちのく)方面へと旅立って行った。
 
この移住が志摩三歳の時だったので、志摩は葛城での暮らしの記憶は無い。物心付いた頃から、山奥で鳥の声や鹿の啼き声などを聴きながら育った。
 
志摩の兄たちは山の中を走り回って遊んでいた。それで志摩も最初の頃はよく兄たちに連れられて山道を歩いたりしていたが、そのうち姉と一緒に近所の川縁や神社の境内などで遊ぶことの方が多くなった。
 
この時期の神社というのは今のように社殿は無い。純粋に神に祈る場所であり、祭事の時などに使用される、磐座(いわくら)と呼ばれる大きな石があり、そのそばに神籬(ひもろぎ)と呼ばれる棒が2本立てられているだけであった。しかし境内はいつも綺麗に整えられているので、子供たちが遊ぶのにも良い場所であった。そしてむしろ子供たちがそこで元気に遊ぶことにより神様の力は盛んになると言われていた。
 
川縁や神社などで遊んでいるのは、ごく小さな子を除くと女の子が多かったが、志摩はその中に埋没していた。
 
「志摩ちゃんって、夏衣ちゃんの妹みたい」
「ああ、この子可愛いから、私の妹ということでもいいよ」
 
本人も優しい性格で、男の子たちがするような戦ごっこや、弓矢遊びのようなことより、女の子たちがするようなお手玉や石並べのような遊びを好んだ。特にお手玉は小さい頃から上手で、上の年齢の子からも
 
「志摩ちゃん、教えて、教えて」
と言われて、要領を教えたりしていた。
 
志摩が葛城で村長の息子として育てられていたら、馬の乗り方、弓矢や剣の使い方などを教えられ、官僚や軍人として立派になるよう教育されていたのであろうが、父はむしろ政治的な野心が無いことを示しておきたかったこともあって、長男次男にも剣や弓などは扱わせていなかったし、志摩が女の子たちとそういう「軟弱な」遊びをするのも許容していた。そもそも三男ともなれば、扱いもかなり適当になったという面もあった。
 
それでいつしか志摩がしばしば姉のお下がりの女の子の服を着たりするようになっていったのも両親は許容していた。
 
「志摩ちゃん、可愛いからお嫁さんに行けるかもね」
などと遊び友だちの女の子たちからも言われる。
 
「お嫁さんか。いいなあ。なりたいなあ」
などと志摩は言っていた。
 

志摩が女の子の服を着ていることを許容されたのには、もうひとつ理由があった。それは志摩が幼い頃からしばしば示していた霊感である。
 
最初は小さな事だった。
 
まだ志摩が物心も付かない頃。志摩の母は志摩を抱いて友人の家を訪問していた。葛城では上流階級の女は家の中に籠もっているものであったので、吉野に来て、最初その生活環境には絶句したものの、身分の上下にかかわらず女が自由に外を歩き回り、気易い同士でおしゃべりしたりできる雰囲気には感激したらしい。
 
その日、友人宅に行くと、友人は何かを探していた。
「どうかしました?」
「いえ、私ったら愛用の筆をどこかに置きっ放しにしたみたいで見つからなくて」
 
その時、まだ言葉もまともにしゃべれない志摩が「神棚」と言った。
 
「へ?」と言った友人は、言われたので神棚を見ると、そこに筆があった!
 
「そうだった。書をしたためている最中に、神棚のお水を交換してなかったことに気付いて交換してて、その時、ひょいとここに置いたんだった!」
 
志摩が失せ物をよく見つけてくれるというのは、母の友人の間ではその後結構有名になり、あちこちで「ちょっと頼む」と言われて母はよくそれで出かけていたという。
 
やがて志摩が5歳の時、志摩はとんでもないものを見つけてしまう。
 

その年は雨が降らず、旱(ひでり)の様相を見せていた。川の比較的上流域に当たり元々水に乏しい志摩たちの村では、6月くらいの時点で水争いがしばしば起きるようになり、その喧嘩の仲裁役に志摩の父も借り出されていたが、そもそも絶対的に少ないものをどう分けるかは、お互いに命が掛かっているだけに双方簡単には譲らず、苦悩の毎日であった。
 
そんなある日、志摩の母が志摩と夏衣の2人を連れて神社にお参りに行き、雨祈願をしてから帰ろうとしていた時、志摩が神社の入口の所にある「蛙岩」
と呼ばれていた、蛙の形にも見える5尺(1m)ほどの岩の所を指し
「ここを掘って」
と言った。
 
「ここを掘ると何かあるの?」
と母は言ったが、志摩にもそれは分からないようである。
 
これは御神託かも知れないと思った母は夫に相談し、志摩がしばしば失せ物を見つけていたことから、何かあると考えた夫も、村の主だった人に相談した。
 
そこでその蛙岩を動かし、少しその下を掘ってみた。
 
すると岩の下を1mも掘ると、妙に土が湿っていることに気付く。
「もっと掘ってみよう」
ということで更に掘ると、2m近く掘った所で豊かな水が湧き出してきた。
 
「地下水だ!」
 
その地下水は物凄い湧出量があり、急遽村人総出の普請でそこから村の水田への水路が作られた。
 
そしてこの水によりその年、村は救われたのであった。
 
この事件により、志摩は「神に愛された子供」とみなされるようになり、そのため志摩が他の子と少し違った趣向を持っていても容認される雰囲気が形成されていったのであった。
 

この山間(やまあい)の村では毎年春と秋に大きなお祭りが行われていた。春はその年の作物がよく出来て、狩猟でもたくさん獲物が獲れるように祈り、秋はその年の自然の恵みに感謝するお祭りである。
 
その祭には6歳以上のまだ初潮が来ていない女子による巫女舞が奉納されていた。6歳になった年から、先輩の女の子たちに教えられて舞を覚える。志摩が6歳になった年(649年:この物語の年齢は全て数え年)、同い年の女の子たちが舞を教えられているのを見て、志摩は
 
「私もそれ習いたいなあ」
と言った。
 
すると先輩の女の子たちも
「志摩ちゃんなら、覚えてもいいかもね」
 
と言って一緒に教えてくれた。志摩は舞を覚えるのも得意で、すぐきれいに舞うことができるようになり、巫女服も夏衣のお下がりのをもらって楽しそうに舞っていた。
 
志摩が女の子たちに混じって巫女舞を舞っているのを見た、神社の禰宜(ねぎ)は、この子を本番でも舞わせてよいものか、神にお伺いを立ててみた。すると大吉の御神託が得られたので、志摩の両親とも話し合い、そのまま舞わせることにした。
 

やがて志摩が12歳になった年。
 
巫女舞は少女たちが扇の形に並んで舞うのだが、その扇の要(かなめ)の位置で舞う少女はいわば舞全体のリーダー格であり、最も重要なポジションである。春の巫女舞でその要の位置で舞った12歳の少女が、6月初潮が来て巫女舞を引退することになった。
 
12歳の少女の中で、まだ初潮が来ていないのは志摩だけになった。志摩は初潮が来ることはないであろうから、このままだと秋の巫女舞では扇の要の位置で舞う役をさせなければならない。しかしさすがにこの子に要の位置で舞わせてよいものなのだろうか。
 
禰宜は神社の世話役、そして志摩の父とこの問題について話し合った。
 
「志摩ちゃんは永久に初潮が来ないと思うので、引退の際で悩みます」と禰宜。「志摩ちゃん、精通は来ているのですか?」と世話役。
「まだのようです」と志摩の父。
 
「精通が来たら引退させます?」と禰宜。
「いや、同い年の女の子たちがみんな引退しているから、もう引退ということにして11歳の子に扇の要を舞わせては?」と父。
 
「しかし本来要を担うべき子を勝手に引退させると神の怒りを買うかも知れない」
と世話役。
 
古代は人々が本当に神を身近に感じ、神の意志を大事に生活していた時代である。3人はしばらく悩んだ。そして志摩の父は言った。
 
「禰宜、神意を問いましょう」
 

禰宜の従姉で、神に仕えるために独身を通している巫女体質の女性が普段詰めている天河村の神社からやってきた。
 
深夜、立会人として同席する禰宜、志摩の父、神社の世話役が見守る中、巫女は磐座の前で半裸で祝詞を唱え、やがて神懸かりになった。
 
「その娘に、奥宮に奉納されている鏡を取って来させよ。神の加護あれば、無事持ち帰るであろう」
 
と巫女は言った。
 

「奥宮って、もう数十年誰も行っていないのでは?」と世話役。
「鏡が奉納されているのですか?」と志摩の父。
 
「私の父から聞いております。遠い百済(くだら)の国より奉納された鏡を、数代前の村長が訳語田大王(おさたのおおきみ:敏達天皇.在位572-585)より拝領し、村宝として奥宮の船岩と呼ばれる磐座の前の地面の中に埋めたのだそうです」と禰宜は説明する。
 
「訳語田大王とはまた、随分昔の話ですね」と志摩の父。
「それを取ってこいと? 12歳の娘に?」と世話役。
「志摩ちゃんって、あまり山歩きしてませんよね?」と禰宜。
 
「しかし神託があった以上、行かせねばならない。そのためにもし志摩が命を落としたとしても、それが神意だと思う」
と志摩の父は厳しい顔で言った。
 
禰宜は少し考えてから言った。
「巫女は『神の加護あれば』と言いました。『神の加護あらば』ではなく『あれば』なので、神の加護は本当にあるのだと思います」
 
3人は志摩にその「試験」をさせることで合意した。
 

自宅に帰って、鏡の話をする。
 
志摩の母は驚き
「この子にそんな危険なことはさせられません」
と言った。
 
しかし志摩は表情を変えることもなく言った。
「私行ってくるよ。神様がそれを取ってこいと行ったんだもん。ちゃんと神様は守ってくれるよ」
 
姉の夏衣も
「志摩は神様に愛されている子供だもん。ちゃんと無事に帰って来れるよ」
と言った。
 
そこで志摩は禰宜の指示によって作られた特製の衣装を着せられ、神社でお祓いを受けた上で、おにぎりと水を持ち
「行って来ます」
と明るく言って、山道に入っていった。
 
両親もあまりにも志摩が明るいので、これは無事帰ってくるのではという気がした。
 

志摩はそんな両親たちの心配をよそに、気軽にお散歩でもするような感じで、禰宜から渡された地図を見ながら山道を歩いて行った。
 
最初はけっこうしっかりした道であったが、次第に長く誰も通ったことがないような感じで、道としては存在するものの雑草やよく分からない花などが生い茂っていて、それを踏みながらでないと進めないような道になってしまう。志摩は最初はその花を踏むのは可哀想だと思って、花を踏まないように歩いていたが、そのうち花を踏んでしか先に進めなくなった。
 
「お花さんたち、ごめんねー」
と言いながら志摩は歩いて行った。
 
そしてかなり歩いた所で、志摩が歩いていた道は行き止まりになってしまう。
 
うーん。。。。
 
さすがの志摩も悩んだ。
 
少し考えてみる。要するに私は道に迷ったんだ!
 
どこかで地図を読み間違うか、あるいは分かれ道を間違ったのだろう。地図を眺めてみるものの、眺めた所で、どこで間違ったかなんて分からない。困った。
 
取り敢えず志摩は一休みすることにして、椛の木の根元に座ると水を少し飲み、おにぎりを1個だけ食べた。
 
しかし行き止まりということは戻るしかない!
 
そう楽観的に考えた志摩は今来た道を戻り始めた。ところが、見たことの無い分かれ道に遭遇する。私、こんな所通ったっけ?
 
どうも戻ろうとして、また別の道に迷い込んだようである。
 
少し休んでから考えよう。
 
そう思った志摩はその分かれ道の所で取り敢えず座りまた少し水を飲んだ。そして、木々の葉が風で触れ合う音や、小鳥の鳴き声などを聞いていた。ここ何だか気持ちいいなあ。そんなことを考えている内、志摩は眠ってしまった!
 

ふと目を覚ますともう日が暮れかかっていた。ちょっとやばいかなあ、と志摩は初めて考えた。取り敢えずどちらかに行ってみよう。こういう時、右に行ったり左に行ったりしていたら収拾がつかないから、分からないと思ったら、どちらか片方だけに決めて歩いた方がいい、と以前兄の都利が言っていたのを思い出した。
 
そこで志摩は分かれ道に来たら右に行くということを決めた。取り敢えずその分かれ道を右に歩いて行く。そして10分も歩いていたら水の音が聞こえてきた。わあ!川がある。行ってみよう。単純にそう思った志摩はその音が聞こえる方へと歩いて行った。地面が少し低くなっていて、わりとしっかりした流れがそこにあった。
 
志摩は川のそばまで行き、取り敢えず水をたくさん飲んだ。そして半分くらいになっていた竹の水筒にも水を補充する。
 
何だか水をたくさん飲んだら元気になった! 夜道だけど気をつけて歩けば大丈夫だよね。そう自分に言い聞かせた志摩は道を戻ろうとした。
 
その時、自分が来た道を見てギョッとした。
 
そこに犬に似た動物が居て、こちらを見ていた。
 
これ・・・・もしかして狼!?
 
きゃー。どうしよう?
 
しかし狼は特に志摩には興味が無いようで、川辺に来て水を飲み始めた。
 
なーんだ。喉が渇いたのね。うん。たくさん水を飲むといいよ。優しい志摩はそう考えて、狼のそばに寄り背中を撫でてやった。狼は最初ビクッとした感じであったが、志摩が優しく背中を撫でているとキューンとかいった声を挙げ、撫でられるに任せている。そしてやがて自分の舌で志摩の顔を舐め始めた。
 
「わあ、くすぐったいよ」
と志摩は笑いながら言う。そして狼は向こうに歩いて行く。
 
「あ、待って。狼ちゃん、一緒に行こうよ」
そんなことを言って志摩は狼に付いていく。
 
すると狼は時々こちらを見返るようにして、ゆっくりと山道を歩いて行った。
 

しばらく狼が前を歩き、志摩がその後を付いていくという不思議な構図が続いた。
 
狼は少しずつ山道を上の方へ歩いて行く。道の傾斜は次第に大きくなる。結構ペースも速く山歩きに慣れていない志摩にはきつかったが、それでも頑張って付いていった。日が落ちてからしばらくは真っ暗で狼の姿を見分けるのが辛かったが、やがて月が昇ってくると、また容易に見分けられるようになる。
 
そういう行程は1時間以上続いた。そしてやがて少し開けた所に出る。そこに大きな杉の木が1本立っていた。そこで狼は再度志摩を見ると「じゃね」という感じの視線を送った後、さっと走って木々の中に消えて行った。
 
「あ・・・」
と思ったが、かなり疲れているので、とても狼を追えない。取り敢えず志摩はその杉の木の下に座り込んだが、ハッとして禰宜から渡された地図を見る。
 
「一本杉」というのが描かれている! わあ、奥宮に行く道に私戻れたんだ!
 
「狼さん、ありがとう!」
と志摩は狼の走り去った方角に向かって叫んだ。ずっと向こうからそれに返事するかのように狼の遠吠えが聞こえた。
 

正しい道に戻れたので嬉しくなった志摩は取り敢えず、おにぎりをまた1個食べた。おにぎりは3個もらってきている。残り1個は明日に取っておこうと思い、取り敢えず志摩はその杉の木の下で寝た。
 

朝爽快に目が覚める。少し足が痛いが、手で少し揉んでほぐしてから、また地図を頼りに歩き始める。
 
例によって道は雑草や名前も知らない花で覆われているが、逆に花で覆われていることで、そこが道であることを判別できた。
 
吉野では山は「里山・内山・奥・岳」と分類される。里山は人が住んでいる界隈、内山はキノコや山菜を採りに行く範囲で、この内山が人と、狼や熊との生活領域の緩衝地帯でもある。奥は狼や熊の世界、そして奥宮はその更に先の「岳」の領域にある。
 
志摩は本人は意識していなかったが、その時「奥」の領域から「岳」の領域にさしかかる付近を歩いていた。
 
このあたりの道になると、もう正しい道を歩いているのか迷っているのか判別が付かない感じでもあった。そもそも本当にここは道なんだろうかと疑問を感じることもあった。でも、とにかく歩くしかないという感じで歩いていく。時々休憩しては水を少し飲む。お腹は空いていたが、おにぎりは食べない。それは何かの時のために取っておいた方がいいと志摩は思った。いざとなったら、おにぎりを食べられると思っていれば、活力が出る。
 
お昼を過ぎたかなという頃に、小さな滝を見た。やった!これも地図にある!すごーい。私、道を間違えずにここまで来たんだ。
 
嬉しくなった志摩はその滝の所でまた水をたくさん飲み、竹の水筒に水を補給した。少し休んで行くことにする。
 
滝の音が心地良い。滝から吹いてくる風が涼しくて気持ちいい。滝は二条になって落ちていた。
 
その時ふいに「ねえ、君」という声を聞いた。
 
驚いて振り返ると、17〜18歳くらいかな?という感じの男の子が2人立っていた。志摩はこんな所で人間に会うとは思ってもいなかったので本当に驚く。
 
「君、どこから来たの?」
と少しがっちりした感じの方の子が訊く。
 
「K村から来ました」
「ひとりで来たの?」
「はい」
「よくここまで歩いて来たね」
 
「あれ? 君女の子かと思ったら、男の子なんだね。どうして女物の巫女衣装着てるの?」
と優しい感じの方の子から訊かれた。
 
「私、こういうのが好きで。いつも女の子の服を着てるの」
「ふーん。女の子になりたいの?」
 
「なれたらいいなって思ってる。そのうち、お嫁さんに行けたらなとかも」
「へー。でもたまにそういう子はいるね。構わないと思うよ。君可愛いから、君くらい可愛ければお嫁さんにしてもいいかなと思う男の人もいるかも」
「そう?だったら嬉しいな」
 
「でも君、どこに行くの?」
 
「なんか御神託があって。私に奥宮にある鏡を取ってくるように言われたの」
「君ひとりで?」
「うん」
 
「あそこまで行くのは、大人の男の人でも相当屈強な人でないと無理だよ。君、華奢な感じだから崖も登れないでしょ?」
「崖とか登るの?」
「うん。何ヶ所もそういう所がある」
 
「でも私行かなきゃ。神様から言われたんだもん」
「本当に神様から言われたのかなあ。神様はそんな無茶なこと言わないけど」
「そうですか?」
 
「でもここまでもよく登ってきたね」
とふたりは言った後、ちょっと顔を見合わせて
 
「この子、手伝ってあげようか」
などと言う。
「そうだね」
ともうひとりも言う。
 
「ほんとですか?助かります!」
と志摩は言った。
 

それで、ふたりの男の子に先導されて志摩は歩き始めた。
 
ふたりは、がっちりした感じの方が「愛命(あめい)」、優しい感じの方が「光理(ひかり)」と名乗った。
 
「私、志摩(しま)です。よろしくお願いします。光理(ひかり)さんと愛命(あめい)さんはこんな山奥で暮らしているんですか?」
 
「ここに来て2年くらいかな。結構ふたりであちこち旅して回ってるけど。僕たち、こういう高い所が好きだから」
「へー!凄い!」
 
しかしそこからの道は本当に険しかった。傾斜が急でしばしば志摩はふたりに遅れそうになったが、ふたりが少し待ってくれたりしたので何とか追いついて行った。道幅が1尺程度(20cm程度)しかなく、両側は絶壁などという凄い所も歩いた。
 
「自分を信じて。まっすぐ歩けば落ちることはない」
と愛命(あめい)は言った。志摩も両側が絶壁ということを忘れて歩いた。
 
そして、本当に壁としか言えないような崖もあった。
 
「僕が先に登ってみせるから、真似して登っておいでよ」
と光理(ひかり)が言った。
 
それで光理(ひかり)が登っていくのに使っている足場、手を掛ける場所を良く見てそれを真似して志摩も登っていく。すると意外にそんなに体力も使わずに登ることができた。但し登った後は「少し休ませて」と言って5分くらいその場に座り込み、体力(というより筋力)を回復させた。そのような崖を結局5回登った。
 

そして2日目ももう暮れようかという頃、3人はとうとう奥宮に辿り着いた。禰宜から聞いたように、美しい船の形をした磐座(いわくら)があった。
 
しめ縄がもうボロボロになっている。志摩は持参してきた新しいしめ縄をそこに張って、二拝二拍一拝した。
 
「今夜は遅いから、鏡を掘り出すのは明日の朝にした方がいい」
と光理(ひかり)が言った。
 
「そうですね。そうしようかな」
「君、お腹空いたでしょ?」
「あ、でもおにぎり持って来てるから」
「ああ、じゃそれ食べちゃうといいよ」
 
「そうですね。目的地に辿り着いたし食べちゃおうかな。でも光理(ひかり)さんと愛命(あめい)さんは?」
 
「ああ。僕たちは適当に調達する」
「僕が採ってくるよ」
と愛命(あめい)が言ってどこかに出かける。10分もしないうちに、真っ赤な果実を数個持って来た。
 
「山桃だよ。君にもひとつあげる」
と言って志摩にもくれた。食べると甘酸っぱい味覚が口の中に広がる。
 
「美味しい!」
「良かったね」
 
3人でしばらくおしゃべりした。志摩は村での暮らしや友だちとの遊びの話をした。
 
「へー。君、女の子とばかり遊んでるんだ?」
「うん。男の子とはあまり話さない。でも光理(ひかり)さん、愛命(あめい)さん話しやすい」
 
「まあ、僕たち本当は性別が無いから」
「え?」
「取り敢えず男の子の格好してるけど、女の子にもなれるよ」
「うっそー!」
 
「じゃ、女の子になっちゃおうか」
と光理(ひかり)が言うと、愛命(あめい)も「そうだね」と頷き、次の瞬間ふたりは女の子の姿になった。
 
「えー!? 信じられない」
「本当は人はみんな男にも女にもなれるんだよ。ただ、その機能は普通封印されている」
「そうなんだ!」
 
「君も女の子にしてあげようか?」と光理(ひかり)。
「わあ、なれたらいいなあ」
「でもむやみに性別を変えると、叱られるよ」と愛命(あめい)。
 
「そうだなあ。じゃ、取り敢えず、君がこのあと男っぽくならないように、タマタマだけ取っちゃおうか? タマタマ必要?」
「ううん。無ければいいのにと思ってた」
 
「じゃ取っちゃおう」
と光理(ひかり)が言うと、次の瞬間、志摩はお股の感覚が変わったのを感じる。
 
「これで君、男の子みたいな声になることもないし、ヒゲとか生えてくることもないよ」
「わあ!嬉しい」
「もっとも、御婿さんには行けないけどね」
「それは構わないなあ。どちらかというとお嫁さんに行きたいし」
 
「そうだね。何なら私のお嫁さんにしてあげてもいいかな」
と光理(ひかり)がいう。
 
「ほんと?」
「まあ、それは君がお嫁さんに行けるような年齢になってから考えよう」
と光理(ひかり)は笑顔で言った。
 
その晩は結局、光理(ひかり)と愛命(あめい)は女の子の姿のまま、一緒に身を寄せ合うようにして寝た。
 

3日目の朝、愛命(あめい)が草の実を採って来てくれたので、それを食べて朝ご飯にする。ふたりはまた男の子の姿に戻っていた。
 
志摩は持参してきた道具を使って、船岩の前、光理(ひかり)に言われた場所を掘った。かなり掘って、30cmほど掘ったところで、硬い金属に当たる。そこからは慎重に掘る。そして結局2時間近く掛けて、やっとその鏡を掘り出すことができた。
 
「きれーい。でも重ーい」
 
「青銅だからね。重いよね。それ結構大型だから、重さ8斤(約5kg)くらいある」
「持てる?」
「頑張る」
と言って志摩は背中に背負ってきた袋に入れる。肩に掛けるとずっしり重みが身体に掛かる。結構辛いかも。でも頑張らなくちゃ。
 
掘った穴を埋め戻し、光理(ひかり)と愛命(あめい)に導かれて山を降りた。
 

絶壁を降りる所だけ、荷物を光理(ひかり)が持ってくれた。
 
やがてふたりと出会った滝の所まで戻るが、ふたりは更にずっと下の一本杉の所まで送ってくれた。
 
「ここから先はひとりで帰れる?」
「はい。多分何とかなります」
 
「もし道に迷ったら、僕たちを呼ぶといいよ。僕たちは君が呼んだらどこにでも行ってあげるから。この先ずっとね」
「はい!」
 
「僕たちを呼ぶ時の呪文を教える。覚えて」
 
と言ってふたりは難しい呪文を教えてくれた。復唱してきちんと言えるようにする。
 
するとふたりは「じゃ、またね」と言って、ふっと姿が消えた。
 
志摩は目をパチクリさせた。それでやっと、ふたりが人間では無かったことに気付いた。
 
「きっと、光理(ひかり)さんと愛命(あめい)さん、本物の神様だったんだ!」
と呟くと、「ふふふ」という感じの光理(ひかり)の笑い声を聞いたような気がした。
 

志摩が山道を下っていくと、どこからともなく、2日前に道案内をしてくれた狼が出てきた。
 
「狼さんこんにちは」
と志摩が言うと、狼はちょっと微笑んだような気がした。
 
その狼に付いていくと、志摩はかなり短時間で明らかに記憶がある道まで来ることが出来た。
 
「ここまで来れば大丈夫かな。狼さん、ありがとう」
と志摩は言った。狼はどこへともなく走り去った。
 
そして3日目の夕方近く、志摩は村に帰還した。
 

「志摩、戻って来たのね」
と言って母が泣いて抱きしめてくれた。
 
「待って、待って。お使いを完了させないと」
と言って、神社まで行き、禰宜や村長が見守る中、磐座の前に奥宮から持って来た鏡を奉った。
 
「なんて美しい鏡なんだ!」
「志摩、でかしたぞ」
 
「これはこの磐座の下に埋めればよいのでしょうか?」と志摩の父。
「鏡を安置するのに、祠(ほこら)を建てましょう」と禰宜。
 
「祠?何です?それは」
「最近、仏教の影響もあって、神を祀る建物を建る神社が出てきているのです」
「そんなものを神社の土地の中に建てていいんですか?」
 
それまで神社の敷地内では造作の類いは基本的にしないことになっていた。
 
「御神託によって定められた様式があります。それに従って建てます」
「御神託で定められたのなら大丈夫なのでしょうね」
「それまでこの鏡は私の家で預かりましょう」
 
それで禰宜の指導のもと、神社の磐座の前に小さな祠が建てられた。志摩はその祠の形が美しいと思い、絵に描き写した。そして鏡がその中に納められた。
 

その鏡が祠の中に納められた晩、志摩は夢を見た。
 
貴婦人のような出で立ちの女性が志摩の前に現れ、
「分霊を取ってきてくれてありがとう」
と言った。
 
「いえ。私はなすべきことをしただけです」
「あなたのような、か弱い娘に大変なことをさせてしまってごめんなさい。誰かに取ってきて欲しいとは思っていたのですが。この分霊が近くにあることで、私も力を発揮しやすくなります」
 
「わ?もしかしてこの村の神様ですか?」
 
「まあ、そのようなものかな。ところで、鏡を取ってきてくれる時に、ちょっと面白いふたりに出会ったようですね」
「ええ。楽しい兄弟でした」
「ああ、兄弟では無い。仲の良い友だち」
「そうだったんですか! 凄く仲が良さそうだから、兄弟とばかり」
 
「兄弟ではないけど、あのふたりは那智の山奥でほとんど一緒に生まれたのですよ」
「那智って、山の向こうの」
「そうそう。あれこれ悪戯とかもして回っているようだけどね。そなた、あのふたりと関わりができたみたいだから頼みがあるのですが」
 
「はい」
「7年前ほどではないのだが、今年は雨が少ない。このままでは水不足になる。あなたが見つけてくれた地下水があるから、絶望的なことにはならないけど、それでも結構辛い。それであのふたりに、雨を降らせてもらえないだろうか」
 
「そんなことができるんですか?」
「あのふたりなら出来る。生憎、私は天候を操るような力は弱いのですよ」
 

目が覚めてから志摩は夜中、念のため神社に行ってみた。夢の中に出てきた女性が微笑みかけるような気がした。
 
志摩は光理(ひかり)と愛命(あめい)を呼ぶ呪文を唱えた。
 
ふたりが姿を現した。
 
「こんばんは」
「こんばんはー。夜中にどうしたの?」
「女の子の身体になりたくなった?」
「おっぱい付けてあげようか?」
 
「うーん。それはその内頼みたいけど、今日はそういうことじゃなくて」
 
志摩は村が水不足になりそうなので、少し雨を降らせてもらえないかと頼んだ。
 
「あ、お安い御用」
「僕たち雨を降らせるの大好き」
 
「見物させてあげるよ」
と言って光理(ひかり)は志摩を抱き抱えた。そして一緒に天空へと昇って行った。きゃー!と志摩は思わず叫びそうになった。
 
二人は龍の姿になっていて、志摩は光理(ひかり)の肩くらいの位置に跨がる格好になっていた。
 
「雲を呼ぶよ」
 
天空で大きな気の塊が動くのを感じた。凄い!
 
これは光理(ひかり)たちが動かしているのではない。気の塊を支配する節理の波動に働きかけているんだ。志摩はそう感じた。すると光理(ひかり)が
 
「正解。こういうものは強引に動かせるものではない。自然に動くように働き掛けるんだよ。物事って強引にしようとしてもダメ。自然にそうなるように促すものなんだよ」
 
やがて遠くから雲の塊が押し寄せて来た。雨が降る。凄い!
 
光理(ひかり)たちの下で雨雲から音を立てて雨が降っている。月の光に照らされて映し出される雨雲の上の様子が幻想的だ。何て美しいんだろうと志摩は思った。
 
(そういう景色は現代になって飛行機が発明されるまでは、高山に登った修験者以外、誰も見ることのできなかった風景である)
 
「おお、かなり強く降ってるね」と愛命(あめい)。
「うん。これなら川が氾濫して、家や田畑も結構流されるかな」と光理(ひかり)。
「100人くらいは死ぬかなあ」
「もう少し行くかも」
 
志摩はびっくりした。
 
「ちょっとぉ、そんな田畑が流されたり、人が死ぬのはダメ〜!」
「なんで? 楽しいのに」
 
その時、志摩は神様には「善悪」というのが無いんだということに気付いた。神様というのは大宇宙の節理そのものなんだ。
 
「お願い、田畑や家が流されたり、人が死なない程度に弱めて下さい」
と志摩はふたりにお願いした。
 
「そう?」
「じゃ、今度また一緒に遊んでよ」
「うん。遊ぶから、雨は少し弱めて」
「仕方無い。志摩が言うんなら、少し弱くするか」
「そうだね」
 
二人は大気の節理に再度働き掛け始めた。雨脚が弱くなるのを感じる。
 
「これで人は死なないはずだよ」
「まあ、家が1個流れるけど」
「その程度は愛嬌ということで」
 
うーん。まあそのくらいはいっかと志摩も思った。少しは「破壊」もしないと神様も楽しくないのだろう。
 
「この雨、どのくらいまで降るの?」
「7日降ったら止むよ」
「ありがとう」
 
「じゃ、志摩、ちょっと空を飛び回るのに付き合ってよ」
「うん」
「行くよ。飛ばすからしっかり掴まってて」
 
その夜、志摩はふたりに付き合って、北は天橋立、南は潮岬まで飛び回った。そして朝を二見浦で迎えた。夫婦岩の方向から朝日が昇るのを見た志摩は、ここは何て美しい景色なんだろうと感激した。光理(ひかり)と愛命(あめい)も見とれていた感じであった。
 
「さ、帰ろうか。村まで送ってあげる」
「うん」
 

結構日が高くなり始めた頃に志摩が家に戻って来たので、母は
「お前、どこに行ってたの?」
と訊いた。
 
「あ、えっと・・・友だちと一緒に居た」
「友だちって・・・・女の子?男の子?」
「うーんと・・・・男の子かな」
 
「へー!」
と母は何だか嬉しそうな顔をした。
「まあ、あんたくらい可愛ければ、それもありだよね。その子から何か言われた?」
 
「あ、えっと、今夜は何も言われてないけど、こないだ会った時は、私がお嫁さんに行けるくらいの年になったら、お嫁さんにしてあげてもいいよって」
「へー、それは目出度い。志摩、きっとお嫁さんになっちゃうかもと私は思ってたよ」
「えへへ」
 
「でも、凄い雨だよね。濡れなかった?」と朝食の席で母は言った。
「うん。濡れないような所で遊んでたから」
「そう。それは良かった」
 
母はどこかの屋根の下にいたのだろうと思ったようであった。まさか雲の上にいたとは思うまい。
 
「しかしこの雨は助かる。また旱(ひでり)になるのではと少し心配していた」と父。
「でも昨夜は一時期凄い降り方でしたね」
 
「うん。今朝連絡があったけど、**さんの家が流されたらしい。家族は全員逃げて無事だったらしいけど」
「無事だったら良かったですね」と母。
 
「でもこの雨、いつまで降り続くんだろう。数日止みそうにもないけど」と父。
 
「7日たったら止むよ」と志摩は言った。
「へー!」
 

「鏡をきちんと祠に納めたとたんのこの慈雨。やはり鏡を持って来たのが良かったのでしょうね」
 
村の主だったものの集まりで世話役の一人が言った。
 
「7年前の旱の時も志摩ちゃんが地下水を見つけてくれた。今度は鏡を取ってきて、雨を呼んでくれた。志摩ちゃんはこの村の守り神ですね」
 
「それでですね」
と禰宜(ねぎ)が言う。
 
「御神託で言われたことを志摩ちゃんは成就したので、秋の祭の巫女舞では扇の要(かなめ)を舞ってもらいますが、要を舞った子はどっちみちその年で巫女舞からは引退する決まりになっています。その後なのですが、年明けてからでもいいので、志摩ちゃんに神社の成年巫女になってはもらえないかと思うのですが」
 
「ああ、それは良い」
「志摩ちゃん、失せ物とか見つけるのも得意だし」
「うんうん。うちも何度かお世話になった」
「あの子、病気を治したりもできますよね。うちの婆さんが昨年危なかったのを志摩ちゃんのお陰で乗り切った」
 
集会で、志摩の巫女就任には異論が出なかった。もはや誰も志摩が男の子だとは考えていなかった。
 
「あの子、声変わりも来る気配が無いし」
「むしろ女らしくなって来た感じですよね」
「いや、私でさえあの子、本当は女の子なのではと思いたくなる感じです」
と志摩の父まで言う。
 
「ところでこの雨、どのくらい続くのでしょうね。あんまり良く降ってるから、降りすぎると、今度は日照不足にならないかと心配で」
 
と一人が言った。すると志摩の父は答えた。
 
「志摩は7日で止むと言っています」
「ほほぉ!」
 
そして雨は本当に7日で止み、またまた村人の志摩に対する信頼は高まった。
 

それで秋のお祭りでは、志摩は扇の要(かなめ)の位置で巫女舞を舞った。要を舞った娘はその年限りで引退する決まりなので、これが志摩の最後の巫女舞ということになる。
 
その年、志摩が舞う姿はとても神々しく、見物していた村人たちは思わずひざまずいて、その姿に見とれていた。
 
「あんな美しい舞は、生まれて初めて見た」
「やはり志摩ちゃんって、神に愛された子なんだ」
 
志摩は巫女舞からは引退したものの、年明けて13歳になったのを機に、村人たちの同意にもとづき、神社に成年巫女として奉職することになった。志摩が日々の儀式をこなしていると、「神様のご機嫌が良い」ことに禰宜は気付いた。この娘、本当に神様に愛されているんだなと彼は思った。
 
志摩のことは村の青年達の間でもしばしば話題になった。
 
「志摩ちゃん、本当に女らしい」
「全然男っぽくならないよね」
「志摩ちゃん、まだあそこの毛も生えてないらしいよ」
「神様に愛されて、娘の姿のまま留め置かれているのかも」
「志摩ちゃん、美人だし、いっそお嫁さんに欲しいかも」
 
実際に志摩の所に夜這いに来る男たちも居たが、志摩はごめんなさい。心に決めた人がいるのでと言って断っていた。しかしラブレターの返事は丁寧に書いていたので、その文の交換だけを楽しみにしている男達もいた。志摩もそういう交流では少し心が火照るような気分であった。
 

2年後658年、斉明天皇4年。志摩は十五歳になる。当時としては成人年齢である。男子であれば冠を付け男子の礼服である袍(ほう)を着て、親戚や村の顔役たちに挨拶に回るところであるが、志摩は他の女子と同様、髪に笄(こうがい)を付け、女子の礼服である裳(も)を着て、挨拶回りをした。
 
そして内輪の宴などもした。二人の兄も奥さんや子供を連れて来て祝ってくれたし、昨年お嫁に行っていた姉の夏衣も夫と伴に実家に戻り「妹」の成人を祝ってくれた。
 
「いや、志摩ちゃん、袍を着るのか裳を着るのかって、疑問に思ってたけど、裳でいいと思うよ」
と夏衣の夫も言ってくれた。
 
「まあ、この子はこういう子なんでしょうね。志摩に袍を着せた所を想像したら私笑っちゃった」
などと母は言っていた。
 
ふたりの兄の奥さんたちは小さい頃の志摩と一緒に神社などで遊んだ仲であったが、「志摩ちゃん可愛い。やはり志摩ちゃんは女の子として成人しちゃったね」
と優しく言ってくれた。
 

その成人式の夜、宴が終わって、裳を脱ぎ、普段着になってから自分の部屋に戻ると、光理(ひかり)が来ていた。
 
「いつ来たの?」
「さっき。これ男たちから来た恋文?」
 
と言って、志摩に言い寄ってきた男達からのラブレターを読んでいる。
 
「勝手に見ないでよ。人の手紙を」
「志摩、こんなのに返事書いてたの?」
「だって折角お手紙くれたのに返事しないのは悪いと思って」
 
「もう返事する必要はない。これ全部燃やしちゃうよ」
と言った次の瞬間、恋文の束は一瞬にして燃え上がり、灰になってしまう。
 
「あ・・・・」
「必要だった? 僕が居るというのに」
 
志摩は微笑んで首を振った。
 
「ううん。要らない。ひかちゃんがいれば何も要らない」
 
「志摩、今日大人の女になったんだろ? もう結婚できるんだよね?」
「うん」
「じゃ、僕と結婚してよ」
 
「私・・・の身体があれであることを承知で?」
「どうせ僕、マグワイ(性交)できないからね」
「ああ、そんなこと言ってたね!」
 
「返事は?」
 
志摩は微笑んで光理(ひかり)の目を見つめて答えた。
 
「謹んで、お受けします。あなたの妻にしてください」
「よし」
 
ふたりは抱き合った。
 

「ね、ね、志摩さ。おっぱい欲しくない?」
「ふふ。私より、ひかちゃんが私のおっぱい欲しいんじゃない?」
「じゃ、付けちゃっていい?」
 
「うん、私も大人の女になったし。おっぱいくらい無いと恥ずかしいかな」
「じゃ付けちゃおっと。大きさは僕の好みでいいよね?」
「お任せしますわ、わが背(せ:夫のこと)」
 
その次の瞬間、志摩は胸に物凄い重量感を感じた。
 
「どうしたの?」
「これ重いよぉ」
「まあ、慣れると平気になるよ、たぶん」
「そうかな」
 
「じゃ、寝ようか」
「うん」
 
ふたりは抱き合って寝具の中に入った。
 
光理(ひかり)は「時が来るまで」男性機能が封印されている。志摩には女性機能が無い。だからふたりは抱き合うだけなのだけど、志摩はとても幸せだと思った。
 

志摩の部屋に頻繁に男性が忍んできていることに、両親は気付いた。しかし両親はどうしてもその男性の姿を見ることができなかった。
 
(光理は堂々と玄関から出入りしているのだが両親には見えないのである)
 
「最近、お前の所に殿方が来ている気がするけど、同じ人?」
「同じ人だよ。私、浮気性じゃないし。今はもう他の男の人からの文には返事はしないようにした」
 
「そのお方、どういう方なの? 一度挨拶させて」と母は言った。
「ごめーん。あまり公にできない人なの」と志摩は答えた。
 
それで志摩の両親はどこぞの貴人、恐らくは皇族か大臣、あるいは大豪族クラスなのではと思ったようであった。きっと多数の妻がいる故に、ひとりくらいはこういう妻がいても構わないのだろうと両親は解釈したようであった。
 
「その人とは確かに契っているのね?」
「私、契る機能が無いから、普通の男女がするようなことはできないんだけどね。でも私とあの人との間では、契っているのに等しい気持ちだよ」
 
「じゃ、お前の夫ということでいいのね?」
「うん。そういうことにさせて」
と志摩は少しはにかむようにして言った。
 
それで両親はふたりの仲を認めてくれた。
 

数年間平和な時が過ぎていった。志摩がこの神社の巫女をしていた間、特に旱や台風などの被害もなく、豊作が続いていた。この時期、日本で初めての戸籍が作られたが、戸籍に登録する際、志摩の父は志摩を女として登録した。
 
志摩のふたりの兄の所にはそれぞれ子供が男の子2人ずつ出来たが、夏衣には女の子が一人(佐都:さと)できただけであった。昔は結婚して数年経っても男子ができないと離縁されてしまうことも多かったが、夏衣の夫は「自分は夏衣が好きだから」と言って離縁したりはせずに、大事にしてくれていた。
 

671年。中央の政界で大きな動きがある。病に倒れ死期を悟った大王(天智天皇)は、後継者として自分の息子である大友王子を立てようとし、最大のライバルである弟の大海人王子(おおあまのみこ・後の天武天皇)を排除しようとする。危険を察した大海人王子は先手を打って「私は大王の病気平癒を祈るため出家します」と称し、頭を丸めてごく僅かの側近や后(後の持統天皇)だけを連れて吉野に隠棲する。
 
中央政界から超大物がやってきたことで、吉野の里もにわかに殺気を帯びた雰囲気になり、村人たちも浮き足だった。実際大王が放った刺客がしばしば吉野宮を急襲したようで、大海人王子を守護する舎人(とねり)に倒され、死体がしばしば山中に打ち捨てられていた。争いの巻き添えになり命を落とす村民もあった。
 
そしてその年の12月3日。大王(おおきみ)はお崩(かく)れになった。次の大王の地位を巡り、大友王子と大海人王子の間に明確な対立が発生する。戦乱は避けられないという空気が流れ始めていた。
 

2月。志摩は吉野の宮に召された。近くの村に優秀な巫女がいると聞き、お呼びが掛かったのであった。
 
御簾(みす)が降りている。その向こうに貴人が居る雰囲気である。取次の者が志摩に「王子(みこ)様の今後を占え」と言われた。
 
志摩は持参した筮竹を使い易を立てた。
 
「風火家人で変爻は五爻のみでございます。王は家にありて吉です」
「動く時ではないと申すか?」
「今は動く時ではありません。しかしやがて動く時が参ります。之卦(しか)は山火賁。山の下に火が燃えましょう」
「それはいつか?」
 
と取次の者は志摩に問うたが、御簾の向こうの貴人から「待て」という声が掛かる。何か話している。
 
「しかし・・・」
と取次の者は抵抗しているが、やがて「分かりました」と言って、
 
「王子(みこ)様がそなたとふたりだけで話したいと申されている。我々はしばらく離れている」
 
と言い、控えていた舎人(とねり)・采女(うねめ)たちも促して部屋から出て行った。志摩はむしろその舎人や采女たちの中に間者(スパイ)がいることを懸念したのではないかと思った。戦争は情報戦でかなりの部分が決する。近江朝も大海人王子側もお互い相当間者を潜入させているハズである。
 
御簾を開けて、僧形の貴人が姿を現した。
 

「そなた、美しいな。年はいくつじゃ?」と貴人は訊いた。
「29歳にございます」と志摩は答える。
 
「まだ22-23歳に見える。ん?そなた・・・もしや男か?」
「はい。よくおわかりで」
 
志摩は初対面の「人」に性別を見破られたことは無かった。この王子、結構な霊感があるなと志摩は思った。
 
「声変わりしていないのか?」
「神の思し召しのようでございます」
「ヒゲは生えるか?」
「生えません」
「お主・・・・胸があるような」
「はい。ございます。波斯(はし:ペルシャのこと)由来の秘薬のお陰です」
 
胸について人から聞かれたらそう答えろと志摩は光理から言われていた。実際に胸を大きくする秘薬は存在するらしい。
 
「面白い。お主が女ならば私の更衣にでも欲しい所だが、男では仕方無いな」
「お傍に仕えられる若さではございませんので」
と志摩は微笑んで答える。昔は女御や更衣といった大王の夜の相手をする女は24-25歳で御役御免である。
 
「ふふふ。まあ、よい。私が活路を見いだすのはどの方角だと思うか?」
 
志摩は静かに式盤(ちょくばん)を回して見定める。
 
「東の方位にございます」
と言った時、志摩の脳裏に、いつか光理(ひかり)たちと行った二見浦の風景が唐突に再生された。
 
「ここから東方に行かれますと、古(いにしえ)に倭姫命(やまとひめのみこと)が開かれました神宮がございます。そこで王子(みこ)様は御加護を得られますでしょう」
 
と志摩は言った。半分は自分の意志ではなく。何かにしゃべらされている感覚だった。
 
「東か・・・なるほど。いつがよいと思うか?」
 
志摩は式盤を見ながら答える。
 
「王子(みこ)様は大津の宮から南方の吉野にお越しになられました。これによって既に南の方位を表す五行の火の属性をまとっておられます。王子(みこ)様はこの方面に詳しいと伺っておりますし、私が今動かしている式盤もちゃんと読んでおられるようなので、説明の必要もないかも知れませんが、火剋金。赤をもって白を制する。金は西の方位です。そして火は夏の気でございます故、立夏すぎから内々の準備、夏至の頃から本格的な準備をなさるのがよろしいかと。しかし、火の気が強すぎる内は行動が目立ちます故、実際に御自身が動かれるのはむしろ土用を過ぎてからがよいかと」
 
「今年の立夏、夏至と土用はいつじゃ?」
 
志摩は暦を確認する。
 
「立夏は4月2日、夏至は5月18日、土用は6月16日にございます」
 
「ふむ。ところで、こういう機密に関わる話をして、お主生きて帰れると思うか?」
と王子は言う。試すような口調だと志摩は感じた。
 
「王子(みこ)様が私に手を掛けられるのでございましたら、それも運命でございましょう」と志摩は静かに答えた。手に掛けられるものならね〜。
 
王子の言葉に志摩はそばで姿を隠して待機している光理が緊張するのを感じた。しかし王子はその光理の緊張を敏感に感じ取ったような顔をした。この人は本当に霊感が強いようだ。女に生まれていたらきっと斎宮になっていたであろう。
 
「お主、もし大友に召されていたら、大友に有利な話をしたか?」
「託宣を求められた方のために必要なことを言うのが巫女の務めでございます」
 
「では大友に訊かれたら、どのようなことを言ったか話してみよ」
「それは太政大臣殿(大友王子)にしか申し上げられません。巫女は相談された方の秘密を守る義務があります。それを犯せば、直ちに神罰が下り、私の命は無くなるでしょう」
 
「面白い奴だ。下がって良いぞ」
「はい。では失礼致します。ご武運を」
「うむ」
 
王子が取次の男を呼ぶ。
 
「この巫女に充分な謝礼をして、安全に村までお届けしろ。万が一にもこの巫女に禍がある時は、私の命脈も尽きるであろう。このお方は私の守り神じゃ」
 
男は王子の言葉に「御意」と答え、腹心っぽい男に、更に人夫を付け、大量の絹・布・酒などを持たせて、志摩を村に送り届けてくれた。(この時代にはまだ「貨幣」は存在しない。貨幣ができるのはこの半世紀ほど後であり、当時は絹・布や塩・米などが貨幣に準じるものであった)
 
帰り道、王子との会見の間もずっと姿を消したまま傍に付いていてくれた光理(ひかり)と志摩は密かに手を握り合った。
 
志摩の身を案じていた両親や禰宜・村長たちは無事に戻って来た志摩を見てホッとした。
 

夏、大海人王子は挙兵した。古代の天下分け目の決戦、壬申の乱である。
 
王子はこの吉野の里でも兵を集めた。
 
「志摩、この戦いはどちらが勝つ?」
と父は訊いた。
 
「大海人王子が勝たれるでしょう」
「だったら、わしは大海人王子に荷担するぞ」
「父上がそのおつもりのようだというのは感じていました。どうかご無事で」
「うん」
 
父は志摩のふたりの兄、都利・久真を連れて大海人王子の軍に参加した。夏衣の夫もまた別途参加した。
 
4月の内に王子を支援してくれる勢力がいる美濃との連絡は取れていて、向こうでも密かに武器が目立たないように集積場所を分散して集められていた。そして土用が過ぎた6月24日、一行は東に向けて移動し始めた。都を攻めるので当然北上するのだろうと思っていた兵士たちは驚いたが、王子の一行はいったん東に出て、伊勢の鈴鹿方面に抜け、神宮の方面を見て戦勝祈願をした。更に北上して美濃から来た軍勢と関ヶ原付近に集結する。そして西に向かって攻める形で大津宮の勢力と激突した。
 
激しい戦いであったが、大海人王子の軍は志気が高く比較的統制が取れていた上に、同士討ちが発生しないように兵たちに(火の象徴である)赤い布を付けさせたこともあり、やがて勝利。大津宮は落ちて大友王子も倒れた。しかし大海人王子は大津宮は無視して古い飛鳥の岡本宮(斉明天皇が使用した宮)に入り、そこで新体制を築いた。
 
結局大津宮(近江朝)は天智天皇一代のみで終了した。
 

志摩の父とふたりの兄はこの戦役では無事でかすり傷程度で済み、戦功により新政府の役人として取り立てられた。しかし夏衣の夫は亡くなってしまった。
 
夏衣が泣いているのを志摩は慰めるすべも無かった。ふたりがとても仲良かった故に、その悲しみもまた大きいのであろう。
 
父が村に戻ってきて言った。
「大王(大海人王子)が志摩に褒美をくださると言っている。一緒に都に来ないか?」
 
恐らく大王は自分を「お抱え占い師」のような存在にしたいのだろうと感じた。しかし志摩は中央の政府にはあまり関わりたくない気分だった。
 
「私はあくまで民間の巫女。大事な託宣は伊勢の神宮をお使いになるよう申しあげて頂けませんか? 私は山中で、父上・兄上たちの平穏と繁栄、新しい大王の幸運を祈願します。ご褒美は父上が代わりに受け取ってください」
 
「そうか。確かに権謀術数の渦巻く都は、お前のような純粋な者には辛いかも知れないな」
そう父は言った。
 
ただ実際にはその後もしばしば大王は志摩に腹心の特使を派遣して手紙で色々な物事を相談してきてそれに対して志摩も手紙でお返事を書くということをして、志摩と大王、更にはその皇后であった讚良皇女(さららのひめみこ:持統天皇)、更にその妹の阿閇皇女(あへのひめみこ:元明天皇)との交流は長く続くことになった。志摩が亡くなるのは元明天皇が亡くなった翌々年である。
 
「ところでお前の夫君は、この戦乱ではどちらに付いたのだ?」
と父は訊いた。
 
「どちらにも付いてません。中立です」
「そうか。ご無事であったか?」
「ピンピンしてる」
 
と言って微笑む。志摩はつい数日前にも「夜の散歩」に付き合わされて、遥か西方、筑紫の壱岐という島まで行ってきたところである。(「夜」の散歩と言われたのに、さすがに筑紫までの往復は2日がかりであった)
 
「それは良かった」
 
父は姉の夏衣を志摩の元に残して「志摩とふたりで助け合え」と言い、両親と兄2人(およびその妻子)とで都へと出て行った。
 
父としては夏衣に「志摩のお世話係」という仕事を与えることで、立ち直れるようにしようと配慮したのである。
 
夏衣は自分の娘、佐都を義母に預けて実家に戻って来ていた。夏衣の夫が居たからこそ離縁されずに済んでいた状態だったので、夫の死によってそちらの家とは事実上縁が切れてしまったようであった。娘と引き離されたことも、また夏衣の心を沈ませていた。
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【神婚伝説・神社創始編】(1)