【女たちの羽衣伝説】(2)

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信次が千里と婚約したことにより信次に振られてしまった(と思い込んでいる)多紀音は千里を排除すべく、邪法を使おうと考えた。
 
友人の若くして亡くなった霊能者が持っていた黒魔術の本を読み、身体の特定の箇所がダメージを受ける呪いを掛けることにする。
 
まず通販で手に入れた古い羊皮紙に**液をたっぷり染み込ませて乾かす。そして72時間徹夜した上で、**の血で特殊な図形を描いた。そして図形の中で女性器に相当する部分にナイフを突き立て、更に恨みをぶつけるかのようにぐりぐりとナイフを回した。紙の女性器の部分に丸い穴が開いていた。
 
「もう女ではなくしてやる」
と血走った目でつぶやく多紀音はもう自分が女を見失っていることには気付いてなかった。
 
これを本人に触らせれば呪いは完了するはずである。
 
それで千里が会社に来訪して信次と打ち合わせしている時、お茶を持って会議室に入って行くと、さり気なくその紙を千里のそばで落とす。「落ちましたよ」と言って千里がその紙を拾って多紀音に渡した。多紀音は「ありがとうございます」と言って受け取った。
 

多紀音はこの術具を作る時は慎重に手袋をして作った。それをスカートのポケットに入れて会社に持ち込み、落とす時も自分が触らないようにスカートの内側から押すようにして落とした。
 
千里は素手で触った。
 
それで術は作動したものと思ったので、多紀音は千里が拾って渡した紙を自分の素手で触った。
 
さて、そもそも本来の千里であれば、多紀音のような「にわか呪者」の制作した呪具などものともしない。触った瞬間、跳ね返して呪い返しが起きたはずであった。しかしこの時期、千里は霊的な力を失っていた。
 
それでも千里の後ろでは、千里とのコネクションを取れないまま、守護神たちが千里のガードをしている。
 
千里がその呪具に触ろうとした瞬間《いんちゃん》が千里の指と紙との間に薄い防御壁を作った。
 
そのため千里は直接は紙に触らなかったのである。
 
そしてそれを受け取った多紀音はまともに触った。
 
従ってこの呪いは千里ではなく多紀音自身に対して作動してしまった。
 
それで結局、多紀音は自分が掛けた魔術の作用により、生理が止まり閉経してしまったのであった。
 

ところで貴司は9月に千里から結婚するという手紙を受け取ってから、しばらくは法的な妻である阿倍子だけに気持ちを集中しようとしたものの、どうしても浮気の虫が騒いでしまう。
 
そして貴司は気づいた。
 
浮気を邪魔されない!
 
貴司は千里とつきあい始めた中学2年の時以来、浮気しようとすると高確率で千里がデートを邪魔しに来るので、まずデートそのものができないし、まんまと1度目のデートに成功しても、絶対に2回以上デートはできなかった。
 
考えてみると、3回以上デート出来た子は聖道芦耶、藤原緋那、そして今の妻である篠田阿倍子の3人しかいないし、セックスできたのは緋那のみである!
 
(貴司は阿倍子と1度もセックスしていない。実は貴司のあまりの浮気の多さに呆れ返った千里が“2度までは他の女とのセックスを許す”という呪を掛けてしまったせいである。その2度を緋那が行使してしまったので阿倍子は貴司と結婚していたにもかかわらずセックスできなかった。ちなみに千里は例によって、そんな呪を掛けたことはきれいさっぱり忘れている)
 
ところがこの時期、貴司は18歳の女子高生と3回カフェでおしゃべりに成功。さすがに女子高生には手を出さなかったものの、36歳のニューハーフ(手術済)の子とは4回デートして4度目には「お互い遊び」と割り切る約束でホテルに行った。例によって立ったり出したりすることはできなかったものの、シックスナインの快感に興奮し、彼女のフィンガーテクによりドライでの到達まで体験した。
 
そして貴司は三善美映と出会った。
 

彼女は自身も中学高校とバスケット部に所属し、ずっとバスケットは好きだったと言っていた。大学に入ってからは大学のバスケ部をちょっと覗いてみたものの、全然物足りないと思い、地域のバスケットサークルに入って活動していた。大学卒業後は航空会社に入り、グランドホステスとして数年間勤めたあと、ブティックなどにも勤めたが、この当時は退職してコンビニスタッフのバイトをしながら、また地域のバスケットクラブに入り活動していた。
 
グランドホステス時代の貯金があるので、バイトはかなりサボり気味ではあったものの生活には困っておらず、むしろ週末の度にバスケの試合を見に行っていた。彼女は自分は女子バスケット選手ではあっても女子の試合はあまり見ていない。
 
「女子の試合って動きが遅くて、かったるーい」
と友人には言っていた。
 
主として男子プロのBリーグの試合を見ていたものの、ある日実業団の試合を偶然見て、そこにプロ級の選手がいるのに気付いた。
 
その日の試合は彼の大活躍で勝利する。それで試合後、下に降りて行ってフロアに出てきた彼をキャッチする。
 
「細川さん、今日の試合凄かったですね。あのトリックプレイにしびれました」
と美映は笑顔で彼に話しかけた。
 
「ありがとう。たまたま決まったんだけど、あれが試合の転換点になったね」
と貴司も笑顔で答えた。
 

それを機会に美映はよく貴司の所属するサウザンド・ケミストラーズの試合を見るようになり、差し入れなどもするようになった。彼が元日本代表であることにも気づき、以前写真集が発売されたことがあることも知りヤフオクで落として眺めてみた。これほどの選手が、なぜプロチームに行かないのだろうと思い、本人に聞いてみると
 
「プロになってバスケ1本で生活していく自信がないから」
 
などと言っていた。確かにプロバスケ選手の年俸は頂点のごく一部を除くと悲惨だとは聞く。社員選手なら一応生活は保障されているのだろう。
 
「奥さんいるんでしたっけ?」
「うん。いるよ」
「お子さんは?」
「1人、男の子」
「バスケ選手に育てるんですか?」
「あの子には産まれる前からバスケを教えていたんだよ」
「すごーい」
 
ふたりは次第に親しく話すようになり、とうとうある日、緋那は貴司をデートに誘った。
 
「僕結婚しているから君とはあまり深入りできないけど」
「私も貴司さんが結婚していることは承知ですよ」
 
それで数回(健全な)デートをしたものの、貴司は言った。
 
「このあたりでこういう付き合いは止めない?僕は君に失恋の思いを味合わせたくない」
 
「私既にもう止められなくなってる」
と美映は言った。
 
「ホテル行きません?」
「ごめん。悪いけど、僕は妻を裏切られない」
「この一夜のことを思い出に、この恋は諦めるから」
 
そう美映から言われて、貴司は彼女と一緒にホテルに行ってしまったのである。
 

ふたりはシャワーで汗を流してからベッドに入ったのだが、貴司のが全然大きくならないので美映は拍子抜けする。
 
「これって我慢してるの?それともED?」
「妻とはしてるよ。でもボクは他の女性の前では立たないんだよ」
 
ここで貴司の言う“妻”は千里のことで、“他の女性”とは阿倍子のことである!
 
「へー!」
 
それで美映は貴司って奥さんとだけセックスできるって、なんて堅物男なの!?と思った。
 
「でもせっかくホテルに来たんだもん。遊んで遊んで」
と言って美映は貴司のそれを盛んに触り
 
「私のここにはさんでよ」
「柔らかくて入らないよ」
「うん。だから挟んであげる」
 
それで美映のそこにはさんでもらい、それで腰を動かすと、お互い結構気持ちよいことを発見し、かなり興奮して快楽を味わうことができた。
 

美映と貴司がホテルでデートした日、千里は信次とデートしていた。平日ではあったが、システム完成前の最終的な調整や、システムの導入・教育手順などについて話し合い、打ち合わせが夜12時近くまで及んだ。
 
ふたりは婚約者ということで帰りのタクシーに一緒に乗車したのだが、車内で信次が言い出す。
 
「ね、ホテル寄ってかない?」
「うーん、まあいっか」
 
それで当初は信次の自宅(千葉市内)経由、千里が泊まる予定のホテルというコースの予定だったのを、自宅を経由せず直接ホテルに行ってもらう。泊まるのが1人ではなく2人になったとフロントに言い、シングルをダブルに変更してもらって宿泊する。
 
この時、当初「村山千里」名義で予約していたので「村山信次・村山千里」の名義で宿泊カードには記入した。
 
「信次さんが私の所にお婿さんにきたみたい」
「お嫁さんでもいいよ」
「信次さん、ウェディングドレス着る?」
などと千里が言ったら信次は真っ赤になっていた(まさか本当に着たいのだとは思わない!)
 
「私疲れてるから眠っちゃったらごめんね」
「その時は好きにしていい?」
「うん。好きにして」
 
それで睦みごとを始めようとしたのだが、その段になってから信次はそのことに気づいた。
 
「ごめーん。避妊具を忘れてきた」
「あらら」
「いつも使うバッグに3〜4個入れてたんだけど、あれ会社に置いてきてしまった」
「じゃ残念ね。今夜はセックス無しで、一緒に並んで寝ようか」
と千里は言う。
 
「え〜〜!?」
と言ってから信次は提案する。
 
「だったらさ、千里ちゃんが僕に入れてくれない?」
「はぁ!?」
「これ知ってる?」
と言って信次はカバンの中から“おちんちん”を取り出す。
 
「変なもの持ってるね」
「じゃんけんしてさ。僕が勝ったら生で入れさせてよ。僕が負けたら千里ちゃんが僕に入れていいから」
 
よほど生で入れたいのねと思って千里も妥協し、ジャンケンすることにした。信次が勝った。
 
「じゃ仕方ないね。今日は生で入れていいよ」
と千里は言ったのだが、信次は戸惑っている。
 
「どうしたの?」
「いや・・・」
と言ったまま、なぜか悩んでいる。
 
「じゃ特別サービス」
と言って千里は信次のを舐めてあげた。
 
「ま、待って逝きそう。中で逝かせてほしい」
「OKOK」
 
それで信次は千里に生で入れたのであった。信次はとても気持ち良さそうだったので、千里も微笑んだ(千里は自分が妊娠可能であることをこの時点では忘れてしまっている)
 

一休みした後で信次は言った。
 
「凄く気持ち良かった」
「よかったね」
「今は僕が気持ちよかったから、次は千里ちゃんが僕に入れていいよ」
「いや別にいいけど」
「だって、僕だけ気持ちいいのは悪いもん」
 
千里は考えた。もしかしてこの人、入れられるほうが好きなのか?
 
それで千里はハーネスを装着して、“おちんちん”を取り付け、信次に入れてあげた。
 
「千里ちゃん、やっぱりこれ凄く上手いね。気持ちいい」
と信次は言って、何だかさっきのより気持ち良さそうにしている。千里は桃香には「男役は下手糞すぎる」といつも言われているのだが、この日は千里としても何だかスムーズに入って、結構楽しかった。
 
まるで女の子に入れているみたいに入るじゃん。つまりこの人、物凄く開発しているんだ!、と千里も思い、結局信次と千里はこれ以降、千里のほうが男役になるのが定着する。それは千里にとっても、自分のヴァギナを使わないことで、桃香や貴司に対する罪悪感が小さく済んだ。
 

美映は11月30日の夜のできごとで、貴司とは別れるつもりでいた。貴司にしても美映にしてもお互い電話やメールするのは控えていた。
 
ところが年末、美映は生理がなかなか来ないことに当惑していた。前回の生理は11月16日に来ていた。本来なら12月14日頃生理が来るべきなのに来ないのである。少し遅れているのかな思ったものの年末になっても来ない。美映は焦った。
 
まさかと思い、ドラッグストアで妊娠検査薬を買ってきて試してみると反応はプラスである。
 
うっそー!?
 
美映は考えた。
 
私、誰ともセックスしてないよね??
 
それでなんで妊娠するのさ、と思ったのだが、ハッと気づく。
 
貴司との一夜、彼のおちんちんを割れ目ちゃんにはさんで、腰を動かしたりした。彼のは最後まで大きくもならなかったのだが、おちんちんって・・・・射精に至る前でも、先走り液って出るよね?
 
だから普通は性的な接触をする前にコンちゃんは付けろというのだけど、彼のが全然大きくならなかったから油断してた!
 

美映は貴司に連絡を取った。彼は驚いていた。
 
「でもセックスしなかったよね?」
「うん。でもおちんちんを割れ目ちゃんの中に入れて遊んだじゃん。あの時、精液が若干漏れて、それがヴァギナに進入したのかも」
 
「それはあり得ることだけど・・・・」
「ね。悪いけど中絶するのに立ち会ってくれない?」
「分かった。手術代も僕が払うよ」
 

それで貴司と美映は一緒に産婦人科に行き、確かに妊娠していることを確認された後、中絶手術を申し込んだ。
 
「ごめんね。僕があれする前にちゃんと付けないといけなかった」
と貴司は謝る。
「いや、私も油断してた。まさかあれで妊娠するとは思いもしなかったし」
と美映。
 
「ね、美映ちゃん、ヴァージンだった?」
「もしヴァージンだったら?」
「そしたら処女のまま子供産むことになっちゃうから」
「うふふ。そしたら私はマリア様で、生まれてくる子供は聖者になったりしてね」
「ほんとにヴァージンだったの?」
「内緒」
「うーん・・・」
 
「でも私も一応バスケット選手だったし、貴司はプロ級のバスケット選手だし。この子産んじゃったら、凄いバスケット選手になるかもね」
と美映は言う。
 
「うん。ちょっともったいない気もするね」
と貴司も答える。
 
その時、唐突に美映は言ってしまった。
 
「私、この子、産んじゃおうかなあ」
「え〜〜〜!?」
 
「ダメ?」
「でも、僕君と結婚できないよ」
 
そんなことを言われた時、美映はもっと強い思いが込み上げてきた。
 
「奥さんと別れればいいじゃん」
「それは・・・・」
 
「貴司、けっこう奥さんのグチ言ってたじゃん。そんなに不満があるなら別れて私と結婚してくれない?」
「いや、それはさすがに・・・」
 
「私と結婚してくれないのなら、このこと私マスコミに垂れ込もうかなあ。元日本代表バスケット選手のスキャンダルとか、マスコミは飛び付いてくれそう」
「ちょっと待って」
 
「それで慰謝料1億円と、この子の養育費用で月100万円くらい要求しようかな」
「そんなに払えないよ!」
「だったら結婚してよ」
「う・・・・」
 

ともかくもその日は結局中絶手術を受けるのはやめて帰宅することになる。ふたりは電話やメールで話し合ったが話はまとまらなかった。むしろ次第にこじれて行った。そして貴司は「そもそもそれ僕の子供だとは認められない。セックスしてないのに子供ができる訳が無い」と言い出す。これで態度を硬化させた美映は貴司を無責任だと非難し、弁護士名で内容証明を送りつけてきた。
 
奥さんと離婚して自分と結婚してくれない場合、この件を公開し、損害賠償の請求を起こす予定であると明記してあった。
 
貴司はほとほと困り、とうとう1月中旬のある日、阿倍子の前で土下座した。
 
「すまない。実は恋人を妊娠させてしまって。その子と結婚したいので離婚してもらえないだろうか?」
 
阿倍子は最初何を言われたのか分からなかった。
 
「恋人って千里さん?」
 
「いや違う。千里とは阿倍子と婚約して以来、一度もセックスしてない。あの子、奥さんのいる男性とはできないと言って。そもそも千里は前にも言ったと思うけど、元々が男の娘で妊娠能力は無いんだよ」
 
千里が男の娘だという話は何度か聞いた。しかし阿倍子はそれを信用していなかった。男の娘にしては全然男っぽい所が無い。そもそもあの人、バスケットの女子日本代表とかもしてるし。元男ならそんなのになれるわけがない。それに阿倍子は疑っていた。京平を作った時の卵子って実は千里の卵子だったのではないかということを。
 
「じゃ誰なの?」
 
「えっと・・・三善さんといって年齢は僕より2つ上かな。結婚してくれなかったら1億円の慰謝料を請求すると言われて」
 
「私はどうなるのよ?」
「すまん。本当にすまん」
 
あまりにも唐突に、しかも極めて理不尽な理由で離婚を求められたことで阿倍子は冷めてしまった。
 
もういいや。1億円の慰謝料、私がもらいたいわ。
 
それで阿倍子は貴司との離婚に応じることにした。
 
慰謝料と養育費については、慰謝料1000万円・京平の養育費は彼が20歳になるか大学を卒業するまで月10万円という線で妥協。離婚届を提出した。
 

それで阿倍子は一時的に空き家になっていた神戸の実家に引き上げることにした。実はこの実家は所有権を巡って親族と揉めていて、それで空き家になっていたのだが、阿倍子は貴司からもらった慰謝料1000万円の内800万円をその親族に支払うことで、相手はこの問題に手を打ってくれた。そもそも道路にも面していない資産価値の怪しいボロ家でもあったし、阿倍子が現金を持っているこの機会に手を打った方がマシと妥協してくれたようである。
 
ただお陰で阿倍子は当面の生活資金がわずか200万円しか残らないことになる。自己名義の家で家賃は要らないし、京平の養育費の分はあるものの経済的な不安のある新生活スタートとなった。
 
それでともかくも引っ越すことにするのだが、引越の作業をしている最中に貴司と喧嘩してしまう。それで貴司は「すまん。でも君ひとりだけでは作業できないだろうし、誰か来させる」と言って出て行った。
 
ところが数時間後にやってきたのが、千里だったので阿倍子は不快感を露わにする。しかし千里は自分も結婚するので来たくなかったけど「京平の顔を見たいでしょ?」なんて言われたから来たと言う。千里が結婚するというのは初耳だった。それで結果的に千里に対して親近感を持ってしまった。そして千里の目的が京平だと知り、やはりこの子の卵子上の母は千里なのではという疑いをまた深くした。
 
これまで千里とは敵だった。しかし敵ではあっても千里は思えばいつも自分に親切にしてくれていた。貴司が合宿で留守にしている時、妊婦教室に行くのに車で送り迎えしてくれたこともあった(不愉快だったけど)。出産の時も千里が来なかったらやばかった。下手したらお腹の中の京平もろとも死んでいたところだ。
 
京平が熱を出した時に一緒に看病してくれたこともあった。自分が病気であった時に京平を遊びに連れて行ってくれたりとか。更に貴司の浮気をことごとく潰して、結果的に自分と貴司の結婚生活を守ってくれていた。
 
引越の荷造り作業を彼女としながら、ここ5年ほどのことを考えていた時、阿倍子はハッと気づいた。
 
そうか。千里さん自身が結婚することにしたから、貴司に干渉しなくなった。それで貴司は深みにハマるほどの恋人ができてしまったのか! しかし悔しいなあ。自分は一度も貴司とセックスできなかった。その恋人は貴司の子供を妊娠したのだからセックスしたのだろう。
 
「千里さん、貴司が私と婚約する前は貴司とセックスしてたよね?」
唐突に阿倍子が訊くので千里は「へ?」という顔をするが
「それは普通にしてたけど」
と笑顔で答える。
「緋那さんって貴司とセックスしたのかなあ」
「ああ、それは確か2-3回したはず。すっごく悔しかったけどね」
 
じゃセックスできなかったの、私だけ〜? やはり私は女として不完全なのだろうか。不妊治療の時染色体検査もされて一応XXだとは言われてたけど。
 
そんなことを考えた時、千里が唐突に阿倍子の下腹部に手を当てた。
 
「阿倍子さん。卵巣が物凄く不調」
と言う。
「うん。私それで妊娠しにくかったんだよ」
「実家、神戸だったよね?」
「うん」
「***稲荷神社にお参りしてみるといい。京平を連れて」
「へー」
「たぶん・・・色々といいことがあるよ」
と千里は笑顔で言った。
 
「そう?行ってみようかな」
 
その時、阿倍子はなんだか素直な気持ちになることができた。
 

この時期、千里はまだ巫女の力は戻っていなかったものの、以前のように結構霊感が働くことを感じていた。それは実は羽衣が美鳳に「叱られて」頑張って修復作業をしていた千里の「霊的な羽衣」がようやく機能回復し始めていたからであった。
 
千里は巫女の力を失っていた時期もずっと雨宮派の作曲家のひとりとして曲を書いていたのだが、2017年8月から11月頃までは品質が落ちていた。しかし、12月頃から、やや品質が回復してきていた。またバスケの方でも1月頃からまた調子が上向いてきて、監督が「今度の春シーズンから1軍にあげようか」と言った。ただ千里は来年春に結婚するのでそれでいったん引退させて欲しいと申し入れており、監督も主将も残念がっていた。
 
しかし千里がまだ完全ではなかったことから、千里は信次の体内で進行中であった異変に気づくことができなかったのである。
 
その時期、信次は職場の健康診断でひっかかり、精密検査の結果、腫瘍ができていると言われ、組織検査の結果良性なので少し経過観察してから対処法を考えましょうと言われた。
 
しかし信次の母・康子は不安を感じ「他の病院でも見てもらった方がいい」と主張した。それで東京の、癌治療で定評のある病院の医師に診せたところ、確かに良性ではあるが、悪性化の危険もあるので、早い時期に摘出手術した方がいいと言われた。しかし信次が手がけているビルの建設が進行中であったし、結婚の予定もあったので、4月に手術を受けることを決めた。
 

また、この時期、千里と信次の間の子供を作る計画が進行中だった。千里は子宮や卵巣を持っていない(建前である)ものの、桃香から卵子を提供してもらい仙台で代理母の斡旋をしている医師のもとで体外受精を行って妊娠出産してもらい、その子供を特別養子縁組によって千里と信次の実子にするという計画である。
 
これは千里と桃香の古い約束にもとづくもので、桃香が子供を産みたくなった時に千里が提供した精子を使用する代わりに、千里が他の男性との間に子供を作りたくなった場合は、桃香の卵子を提供するという話をしていたのである。桃香はこの件をあらためて快諾し、この体外受精を4月4日に実行することにした。
 
そして信次の手術は翌週4月11日に行うことにしていた。
 
腫瘍の手術後、再発防止のため放射線療法もおこなう。性器には放射線が当たらないように防御するのだが、その治療の結果不妊になる可能性が無いこともないと医者側からは言われていたので、手術の前に体外受精という選択になった。
 

2018年3月17日、千里と信次は結婚した。
 
直後、信次は名古屋支店への転勤を命じられる。千里はこれに付いていくことにし、2015年春から3年間勤めたJソフトウェアをとうとう退職した。この3年間で千里は実に10回以上退職願を書いていたのだが、なかなか辞めさせてもらえなかった。しかし夫の転勤ということで、とうとう山口社長も退職願を受け取ってくれたのである。
 
実は千里は結婚後も仕事の都合でほとんど用賀のアパートに住んでいるに等しい状態で、新婚なのに別居生活をしていたのだが、名古屋への引越で用賀のアパートも引き払うことにした。このアパートにあったものの内、生活用品は一部は名古屋のアパートへ、一部は桃香のアパートへ。書籍などは桃香のアパートへ。洋服は名古屋に持って行き、和服は千葉の信次の実家におかせてもらうことにした。音楽関係の古いデータや、その他の一部の誰にも見られたくない「秘密の品物」は雨宮先生の家の倉庫に置かせてもらった。
 
千里はバスケの活動についても悩んだ。
 
「名古屋でしょ? 新幹線で毎日川崎まで来て練習に参加しなよ」
と監督や主将からは言われたものの、いったん引退ということにさせてもらう。それでもチーム側は
「じゃ、籍だけは残させてよ」
というので妥協した。
 
それでこの年も千里(66.村山十里)はレッドインパルスの選手として2軍(実業団)登録されバスケット協会の選手としての籍も残ることになった。
 

ちなみに名古屋で暮らしていた時期、千里は専業主婦をしていたのだが、身体を動かしていないと「なまる」ので地元のクラブチームの練習に参加させてもらっていた。千里はバスケ関係のコネには困らない。特に名古屋周辺にはバスケ関係の知り合いが大量に居るので、その中のひとりに声を掛けて協力してもらった。
 
「千里、なんか調子悪い」
と彼女からは言われた。
 
「うん。昨年の夏頃からずっと不調なんだよ。それで昨年は日本代表からも落とされたし」
「リオデジャネイロ・オリンピックを花道に引退したという噂は違うよね?」
「引退したつもりはないけど、実質それに近い状態になってる」
 
「いや、今の川島さんの力でも充分Wリーグでなら活躍できる」
と別の選手が言う。
 
「実はそんなこと言われてレッドインパルスから籍を抜かせてもらえなかったんです」
「そりゃ、こんな選手を手放したくないよ」
 
「つーか、1on1でうちの誰も川島さんに勝てないし」
 
「そちらの籍が抜けてるんなら、うちのチームに正式加入してもらいたかったほどだよね」
 
「すみませーん。今主婦してるから、あまり練習時間取れなくて」
「旦那くらい放っておけばいいよ」
「とりあえず新婚なので」
「夫の教育は新婚期間中が鍵だよ」
「そうそう。最初から甘やかすと後が大変」
「あははは」
 

2018年7月3日。
 
その日富山県高岡市に住む青葉は朝から物凄い頭痛にみまわれていた。これはきっとかなり良くないことの前兆だと青葉は思った。天変地異だろうか?と考えて自分の「気」のアンテナをずっと天地に広げていくものの、それらしき兆候が感じられない。
 
それで青葉はこれは自分の親しい誰かに重大な事態が起きようとしているのではないかと考え、自分の眷属の《海坊主》を彪志の所に、《笹竹》を桃香の所に、そして《雪娘》を名古屋の千里の所に派遣し、会社に出る朋子には《蜻蛉》をガードに付けた。4人からは「今の所異常は感じられない」という報告があった。
 
この4人を出してしまうと自分のガードにあまり強い子が残らないのだが(ゆう姫は自分の所に居候しているだけで、守護してくれる訳ではない)、千里がずっと巫女の力を失ったままの状態の今、自分が頑張るしかないと青葉は思っていた。菊枝さんもリハビリ明けでまだ本調子ではないようだ。万一の時に助けてくれる人は誰も居ない。
 
いちばん霊的なパワーのある《雪娘》を千里の所にやったのも、その含みがあったのだが、それはやはり最良の選択だった。
 

桃香はなんだか嫌な夢を見たことから、以前相談したことのある占い師さんにその夢の話を聞いてもらった。
 
すると占い師さんはタロットを引いていたが
「これはあなたの恋人に重大な危険が迫っている」
と言った。
 
彼女を守るために何か身代わりにできるようなものがないかと訊かれた桃香は自宅の冷蔵庫にずっと冷凍保存していた千里の男性器(去勢手術で取った睾丸と性転換手術で取った陰茎海綿体)を身代わりに使うことを考えた。それを占い師さんの事務所に持参し、占い師さんは祭壇にその千里の男性器を入れた容器を置き、霊的防御の祈祷をしてくれた。
 

多紀音は何ヶ月も掛けて準備した呪法をその日実行しようとしていた。通販で取り寄せたり、オークションで落としたり、いくつかの道具は古い教会から盗んできてそろえた。
 
その呪法を実行する場所を探すのも大変だった。様々な条件がありそれに合う場所を見つけるのに半月かかった。更にこれは満月から新月に至る陰暦の後半に行わなければならない。その期間は6月28日から7月13日までの間であった。これを逃すとまた1ヶ月待たなければならない。
 
電車やバスに乗り継いでその場所まで行き、日が落ちてから周囲に人がいないことを確認して呪法を開始した。
 
その作業自体は1時間ほどで終わる。多紀音は防寒具にくるまってその場で眠った。この呪法は月が南中する午前4時頃に発動するはずだ。
 

その夜、青葉は夢を見た。
 
青葉はしばしば夢の中で他人の夢に無断進入する癖がある(青葉が進入できないのは菊枝と桃香くらいである)。その夜の夢には千里が出てきた。つまり自分が千里の夢の中に入り込んでいるのだろう。
 
「ちー姉、何か変わったことない?」
と声を掛けようとした時、青葉は何かの小動物の群れが大量に千里のそばに行こうとしているのに気づいた。
 
青葉は臨戦態勢に入る。
 
青葉がその小動物たちに敵意のある視線を送ったことで一部の小動物たちがこちらに向かってきた。青葉はそいつらを光明真言を唱えて一気に打破した。
 
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
 
青葉はそこで目が覚めた。
 
やはりちー姉が狙われている!!
 
青葉は名古屋の千里に電話しようとしたのだが、妨害されているようで電話が通じない。そこで青葉は東京の桃香に電話した。
 

桃香は早朝、昨日頼んだ占い師さんから、こちらの防御が破られてしまった。敵は無茶苦茶強い相手だと連絡を受けた。そこに青葉からも連絡があり、千里に危険が迫っていることを知る。
 
そこで桃香は早月を友人の朱音の家に「この子頼む」と言って押しつけるようにして置くと、急いで東京駅に行き、名古屋に向かう新幹線に飛び乗った。
 

その日千里の後ろの子たちは千里の周囲で激しい霊的な戦闘が行われるのを冷静に見守っていた。
 
名古屋から100kmほど離れたある場所で、千里に対して呪者自身の生命を犠牲(いけにえ)として捧げる強烈な呪いを掛けたのが確認できた。
 
それは最初桃香が頼んだ占い師が作った霊的な防御壁で1割くらいが跳ね返された。しかし防御壁自体も完璧に破壊された。
 
その後、青葉が介入して、3分の1くらいを消滅させた。
 
つまり千里の所に向かってきた呪いは当初呪者が放った呪いの6割程度である。
 
千里が巫女の力を回復させていたら、青葉は千里の力を使って呪いを打破できたので、その場合全部消滅させていたろうと、《きーちゃん》は考えた。しかし千里が今、力を失っているために青葉のパワーまで落ちているのである。
 
『さて。迎え撃つか』
と《こうちゃん》がみんなに声を掛ける。
 
『一匹たりとも逃すなよ』
と《とうちゃん》が言う。
 
この呪いは多数の霊獣に分割して送り込まれてきている。1匹でも逃すと、巫女の力が無い千里はそいつにやられる可能性がある。
 
眷属たちは緊張した。千里のそばには青葉が派遣してきた《雪娘》もいるが、彼女にはこちらの12人の姿は見えない。しかし彼女も一緒に戦ってくれるだろう。
 

ところがここで思わぬ事態が起きてしまう。
 
信次が台所に立っている千里の肩を触り
 
「何か付いているよ」
と言って、《マーカー》を外してしまったのである。
 
そしてその《マーカー》はそのまま信次に付いてしまった。
 

『どうする?』
と《りくちゃん》が戸惑うように言う。
 
『放置』
と《こうちゃん》。
 
『でもそしたら呪いが信次君に掛かってしまう』
と《せいちゃん》は指摘する。
 
『それで構わん気がする』
と《げんちゃん》は言う。
 
『だってみんな気づいているだろ?信次君はあと10時間くらいでどっちみち死亡するよ』
と《げんちゃん》
 
『信次君は今でも瀕死の状態。それが元気に動けるのは千里のそばにいるからだよ』
 
『千里って基本的に放射型だからなあ』
『うん。千里のそばに居るとみんな活性化する』
『バスケ選手はみんな強くなる』
『貴司君が昨年夏から不調なのも千里が信次君に乗り換えてしまったからだと思う』
 
『霊感人間は霊感が発達する』
『音楽家は感性が研ぎ澄まされる』
『男の娘は女性化が進む』
 
『本人は無自覚だけどな』
 
『まあ千里と会ってなかったら信次君は8月くらいには倒れて病院に運び込まれ年末くらいに既に死んでいたろうな』
『うん。千里がそばにいたおかげで、信次君は寿命を半年ちょっと伸ばすことができたんだよ』
『千里がそばに居て生命力が活性化されたのプラス食生活が改善されたからな』
 
『いや、そもそも信次君は癌で死ぬ前に昨年7月に電車にはねられて死んでいたはずの所を千里に助けられたんだけどね』
『そういえばそうだった』
『あの時、ふらふらとしてホームから転落したの自体、もう病気がかなり酷くなっていたからだと思う』
 
『あの病気、見つけられる医者はめったに居ないからなあ』
 
しかし《いんちゃん》などは言う。
『どっちみち死ぬかも知れないけど、千里の思い人が素人の呪いにやられて死ぬのを、私たちがそのまま見過ごすのはどうかと思う。あんたたちプライドが傷つかない?』
 
『確かにあんな素人娘にやられるのは不愉快だな』
 
『仕方ない。助けるか』
『まあ半日寿命を延ばすだけだけどな』
 
実際《雪娘》も守る対象を信次に切り替えて臨戦態勢のままである。
 

千里が「行ってらっしゃい」と笑顔で言い、キスをして信次を見送った。
 
どっちみち信次は帰宅するまで生きていないので、これがふたりの永久(とわ)の別れとなってしまう。それを見ていて《いんちゃん》や《すーちゃん》など女の眷属たちが一様に涙を流した。
 
そして千里の守りに《いんちゃん》を残して、他の11人は信次の後を追う。《雪娘》も信次を追おうとしたが、《きーちゃん》が彼女に声を掛けた。
 
『信次君は私たちができるだけ守るから、君は千里に付いてて』
 
《雪娘》は唐突に12人もの眷属が現れたのに驚いた。
 
『どこにおられたんです?』
『内緒』
『信次さんを助けてくれます?』
『ああ。君は気づかなかったね。信次君はどっちみちあと半日の命なんだよ。病気がきわめて深刻。でも呪いで死なせることはしないから』
 
と《きーちゃん》は《雪娘》に言った。
 
それで結局《いんちゃん》と《雪娘》が千里の守護に残った。
 

呪者が放った小動物たちが信次のそばまで到達したのは、信次がちょうど会社に到着し、門を通った時であった。その時、呪者自身が門の向こう、社内にいるのを見て、《りくちゃん》などは仰天する。
 
『おい、まだ更に何か術を掛けるつもりでは?』
『そこまでやられたら、さすがに手が回らん』
『貴人、あいつを見てろ。この小動物たちは他の者でやる』
『分かった』
 
眷属たちは戦うが、なにしろ数が多い。時々彼らの隙間を抜いて信次に迫る者もあるが、それは信次の傍でガードしている《すーちゃん》が倒した。
 
戦闘は5分近く掛かった。一匹一匹は大したことないものの、数が無茶苦茶多いので手間取ったのである。
 
『倒した〜』
『けっこう神経使った〜』
『これで信次君は夕方まで無事だな』
 
と眷属たちはホッと胸をなで下ろしていた。
 
『しかし俺らが10人がかりで5分も掛けて倒したのの半分くらいの量の敵を一撃で潰した青葉はすげーな』
『いや、青葉は数を減らす目的でやってる。俺らは1匹たりとも逃す訳にはいかなかったから戦い方が限定された』
『千里のパワー自体がかなり回復してるからな』
『うん。既にふつうの霊能者程度の力はあるから。実際問題として千里自身でもあの程度の霊獣は倒せたかもしれん』
 
その間、多紀音は信次と口論になっていた。
 
多紀音が千里に何かしたようだと察した信次が多紀音を詰問したのである。多紀音は逃げ出した。それを信次が追う。
 
「あ、そこ入っちゃダメ!」
「危ない!」
「きゃー!」
 
多紀音は上を見上げて悲鳴をあげたが、信次が彼女に飛び付くようにして向こうに押した。
 

『貴人!』
 
と言って眷属たちは「事故」の起きた現場に近寄った。
 
《きーちゃん》は泣いていた。
『ごめーん。両方は助けきれなかった』
 
多紀音をずっと見張っていたため結果的に事故発生ポイントのすぐそばに居ることになった《きーちゃん》は信次が多紀音に飛び付いた時、もうほんの数m上まで迫っている巨大な建材を見て、体勢が崩れている上に建材の真下に居る信次は助けきれないと判断した。それで信次が押して危険領域から出かけていて、一応立ったままであった多紀音の腕をグイと引っ張って助けたのである。
 
『いや、俺も突然のことで反応できなかった。すまん』
と《りくちゃん》が言う。
 
『いや、俺たちの位置からは遠すぎた。誰も間に合わなかったよ。貴人はよくあの女だけでも助けたと思う』
とリーダーの《とうちゃん》は《きーちゃん》をかばうように言った。
 
『千里を殺そうとした張本人だけどな』
『いや千里がこの場に居て俺たちとコネクト取れてれば絶対助けろと言ったよ』
『なんか俺たちって千里の考え方にけっこう感化されてるもんなあ』
 
『本来はその女が自分の命を犠牲(いけにえ)として千里を殺そうとした。青葉や俺たちがいなかったら、どちらも死んでいた。ところが信次君がまず千里の身代わりになってターゲットを引き受けた上で、恐らく呪い返しで落ちてきた建材から女を守った。つまり信次君は自分の命を使って2人の命を救ってしまったんだ』
と《げんちゃん》が状況を解説するかのように言った。
 
『しかし信次君が死んで千里悲しむだろうなあ』
と《てんちゃん》が言うと、みんな一様に辛い顔をした。
 
ひとり《くうちゃん》だけは目を瞑って何かを考えているようであった。
 

信次を追って行った眷属たちは結果的に見落としてしまったのだが、呪いの小動物のごく一部は《呪いマーカー》の付いている信次の方ではなく、本来の呪いのターゲットである千里のそばに寄ってきていた。
 
雪娘と《いんちゃん》は2人だけでは対処できそうに無いと思い、これどうしよう?と思っていたのだが、そこにちょうど桃香が到着した。
 
そして桃香がアパートの中に入った来た瞬間、千里に迫っていた小動物たちがパッと散ってしまったのである。
 
『桃香さんの力?』
と《いんちゃん》が独り言のようにつぶやく。
 
『まさか。桃香さんって霊感というものとは最も縁遠い存在』
と《雪娘》は言う。
 
『でもこんなに分散してたら1匹1匹は潰せる』
『よし。やろう』
と言ってふたりは数十メートル四方に散らばった霊獣たちと戦い始めた。
 
その時、千里は信次の上司から信次が事故死したという連絡を受け、ショックで茫然自失状態になっていたのだが、そこに桃香が到着すると桃香は千里を励まして、一緒に病院へと向かった。
 
『あ、移動した』
『私たちも千里に付いていこう』
と言ってふたりが戦いを中止して、桃香と千里に付いていった時、残っていた霊獣たちがみんな千里たちのアパートの中に飛び込んでしまった。
 
『どうする?』
『取り敢えず放置』
 

病院で千里は信次の遺体に対面し、激しく泣いて、自分を失ってしまったかのようであった。そこに千里たちの住んでいたアパートがガス爆発で崩壊したという報せまで入る。
 
千里の眷属たちと《雪娘》が顔を見合わせた。
 
『いや残った霊獣たちがアパートの中に全部飛び込んで行ったんですよ』
『たぶん千里が持っていた何かにも元々マーカーが付けられていたのだと思う』
『そこに霊獣が作用してガス爆発を誘発したんだろうな』
 
『じゃこれで呪いは終わり?』
『どうだろう?まだどこかでスタンバイしてる奴らがいるかな?』
などと眷属たちは言っていたが
 
『これで終わったよ』
と《くうちゃん》が言うので、それで眷属たちも戦闘モードを解除した。
 

信次の遺体は千葉に運んで、向こうで葬儀をおこなうことになった。爆発事故のあったアパートは桃香と太一(信次の兄)で、特に重要そうなものだけ回収した。そして信次の遺体を彼の愛車ムラーノの荷室に乗せ、桃香と太一で交代で運転して千葉に戻った(もっとも桃香が運転したのは1回だけである)。
 
(最終的な回収作業は青葉から連絡を受けた新島さんが自身名古屋に向かい、名古屋で千里が参加していたバスケチームの友人、そして千葉に向かう前にいったん名古屋入りした青葉の3人で行なった。信次の会社の人も手伝ってくれた)
 
事故の翌日7月5日が友引だったので、6日(先負)に通夜、その翌7日(仏滅)に葬儀が行われたが、千里は喪主は務めたものの、実際にはまるでお人形のような状態、何を聞かれても無反応で、実際の様々な手配は桃香と康子が主となり、青葉や太一とも相談して進めた。
 
その後、桃香は半月掛けて名古屋から仙台まで駆け回り、信次の会社との交渉、アパートのガス爆発問題、そして仙台で代理母さんのお腹の中で育っている子供の問題などを精力的に話し合った。
 
父親が死亡した以上(特別養子縁組ができないので)代理母のプロジェクトも中止して中絶すると主張する医師に対して、桃香はその子を守るため必死に医師を説得した。なお中絶は法的には21週まではできるが当時15週であった。元々押しが強く交渉事の上手い桃香の勢いに負けた医師は代理母さん本人とも相談の上、プロジェクトは続行し、出産後子供を千里たちに普通の養子として引き渡すことを約束してくれた。但し最終的にこの子の法的な扱いは変則的な手法をとることになる。
 
会社との労災交渉などもシビアだったのだが、この代理母問題が桃香としても一番たいへんだったと後に桃香は語った。
 

信次の四十九日は8月21日(火)であったが、実際の法要は日曜日の19日に行われた。千里は再度喪主として法要に出席したものの、相変わらず心ここにあらずという状態であった。
 
康子・太一・桃香は、ひょっとして千里はしばらく精神科に入院させた方がいいのでは、とまで話し合ったが、結論は「もう少し様子を見る」ということであった。
 
「千里さんは強い人です。きっと自分を取り戻せます」
と太一が言った。
 
「お母さん、百ヶ日法要が過ぎたら、千里を私のアパートに連れて行っていいですか?私と千里は20歳の時から7年くらい一緒に暮らしていたから、私と暮らしていれば自分を取り戻せると思う」
と桃香は言った。
 

8月23日(木)。
 
朝御飯の後、川島家に訪問者があった。
 
「羽衣さんでしたっけ?」
 
と千里は言ったが、彼女とどこで会ったのか思い出せなかった。
 
「お線香あげさせてもらっていい?」
「はい。お願いします」
 
それで羽衣は仏檀にお参りして香典を供え、阿弥陀経をまるごと暗誦した。千里と康子は後ろで合掌していたが、康子はこんな長いお経をそらで唱えることができるって、この人はもしかしたら凄い尼さんなのだろうか、と思い合掌していた。
 
やがて長い長いお経が終わってから羽衣は康子に言った。
 
「お母さん。今日1日、千里さんをちょっと借りられますか?」
 
「ええ。連れ出してください。きっと気分転換にもなりますし」
と言って康子は千里を送り出してくれた。
 

羽衣は赤いアテンザワゴンを持って来ていた。千里はぼーっとしたまま助手席に乗り、羽衣が運転席に座って車をスタートさせる。
 
かなり走ってから千里はやっと気づく。
「あれ?これもしかして私の車?」
「そうだよ。ちょっと借りた」
「あ、いいですよ」
 
赤いアテンザの中で千里はぼーっとしたまま景色を眺めていた。羽衣は千葉北ICから高速に乗ると、東関東道/首都高/東名(新東名)/名神と走り、やがて吹田ICで降りると、小さな病院の前で車を駐めた。
 
「ここどこですか?」
と千里は尋ねた。ここに至るまで千里はずっと景色に目をやっていただけで、一言もしゃべっていなかったのである。
 
「今日ここで赤ちゃんが生まれるの。それを見せてあげたくて」
「誰の赤ちゃん?」
「千里ちゃん、あなたの子供だよ」
「え!?」
 
それで羽衣に導かれて千里が病院の中に入っていくと、貴司が廊下に居るのでびっくりする。
 
「貴司、何してんの?産婦人科で」
「あ、いや子供が生まれそうなんで」
「貴司が産むの?」
「なんで僕が産まないといけない? 産むのは美映だよ」
「いつの間に貴司、女の子になったのかなと思った」
 
千里は貴司と会話していて、なんだか自分の調子が出てくるのを感じていた。
 
「性転換して女の子になっても子供は産めないよ」
「あら。私は男の子から女の子になったけど子供産んだよ」
 
「千里、いつの間に産んだの?」
「内緒」
 
羽衣がいつの間にか姿を消しているので、結局千里は貴司とこのあと2時間ほど話しながら、美映の出産を待った。
 
15時頃、分娩室から「おぎゃーおぎゃー」という声が聞こえてきた。
 
千里と貴司は「わぁ」と声を挙げ、うっかりキスしてしまった。
 
「あ、ごめん」
「今のは無かったことに」
「OKOK」
 
分娩室から看護婦さんが出てきて告げる。
「産まれましたよ。女の子ですよ」
「すごーい。貴司、今度は女の子のパパになったね」
と千里は貴司を祝福した。
 
「中に入って赤ちゃん見て下さい」
と看護婦さんが言うが
「私はさすがにまずいだろうから帰るね」
と千里は貴司に告げて、その場を離れた。
 
病院の外で羽衣が待っていた。
 
「千里ちゃん、帰りは自分で運転する?」
「じゃちょっと気分転換に運転します」
 
それで千里がアテンザの運転席に乗り、羽衣が助手席に乗った状態で車は出発する。
 
「千里ちゃんの身体、あと少しで治るの。あと半年ちょっとかな」
と羽衣は言った。
「治す?私やはり病気なのかなあ。なんか最近記憶が全然残らないの」
と千里。
 
「そうだね。あなた自身というより、あなたが持っていた天女の羽衣を私が預かってちょっと修理していたんだよ。あなたって実は天女だから」
 
「すみません。よく分かりません」
「あなたはそもそも大天女様のしもべだからね。千里ちゃんや京平君は豊受大神(とようけのおおかみ)別名・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が統括するグループに所属している。豊受大神は若い頃、但馬国でまだ並みの天女として暮らしていた頃、水浴びをしている時に、羽衣を近くに住む男に隠されてしまったのよ(*1,*2)」
 
「あ、それで結婚したんでしたっけ?」
「そうそう。でも何年も暮らした末に、男がもう返してもいいだろうと思って隠していた羽衣を出すと、天女はその羽衣を身につけ子供たちも連れて男の元から飛び去った」
 
「そのヒロインが豊受大神だったんですか?」
「そうそう。私も豊受大神を信奉しているから、広く見れば私も千里ちゃんや京平君と同系統。まあ3人とも別の支社の社員同士って感じだね」
 
「へー」
 
「だから千里ちゃんも天女の羽衣を持っているんだよ。でもちょっと私がうっかり壊しちゃったの」
「あら?そうだったんですか」
「きっちり修理して返すからね」
 
「はい、それはそれで構いません」
 
(*1)羽衣伝説には男が隠すパターンと老夫婦が隠すパターンがあり、豊受大神(豊宇賀能売神)に関わる伝説は本来は老夫婦が隠す方のパターンである。羽衣がここでなぜ男と結婚する方の物語を語ったのかは不明。
 
(*2)千里が所属している羽黒山山伏集団を統括する羽黒山大神は倉稲魂神と同体であるとされる。一般に倉稲魂神は稲荷神社の神、豊受大神は伊勢外宮の神として認識されている。京平は稲荷大神のしもべであり、羽衣は豊受大神のしもべである。これが羽衣の言う「別の支社の社員」の意味である。
 

「でもあなたには京平君もいるし早月ちゃんもいるし、仙台の潘さんのお腹の中にいる女の子もいるんだから、あまりうちひしがれている時間無いよ」
 
千里は運転しながら考えていた。
 
「あの子、女の子なんですか?」
「そうだよ。あなた子供3人のお母さんなんだからね。頑張らなくちゃ」
 
羽衣は今3人の母と言った。しかし千里は自分は京平や、潘さんのお腹の中の子の母親かも知れないけど、早月にとっては母ではなく父だけどなあと思った。でも早月の親で女だから母親でもいいのかなと思い直す。
 
「ほんとにそうですね。私信次のことがショックでぼーっとしてたけど、ボーっとしてる暇なんて無かった。私また頑張ります」
と千里は答える。
 
「東京に戻ってきたんだし、バスケの練習もまた再開するといいよ」
「ほんとだ!そうしよう」
 
「その山子ちゃんはもうしばらく千里ちゃんに預けておくから」
と言って千里が携帯に付けているリスの形のストラップに触る。
 
「あ、この子、羽衣さんから頂いたんでしたっけ?」
「うん」
「すみません。全然覚えてなかった」
「ちょっと択捉島で拾ったリスなんだよ」
「あ、リスのこと、北海道では山子っていいますね。ヤマゴってそういう意味だったのか」
 
「ほら、ちょっとおいで」
と羽衣が声を掛けるとヤマゴは千里の携帯から離れて生きているリスの姿になり、羽衣の掌に載った。
 
「わ、生きてる!?」
「うん。生きてるよ。お腹空いたから食べちゃおうかと思ったんだけど、あまりお肉無いみたいだし、ちょっと眷属にさせてもらった」
 
「へー」
「はい。千里ちゃんの所に戻って」
と言うと、ヤマゴはまた千里の携帯のストラップに擬態した。
 
「なんかこの子の言う通りに動いていると、不思議と物事がうまく行くんです」
「実は千里ちゃん自身が本当は分かっていることを伝えているだけ」
「え〜?そうなんですか」
 
「あなたの天の羽衣の修理が終わったら、それ自分で分かるようになるから、その時はまたヤマゴを回収にくるね」
「はい」
 

千里は名神を運転していて、ふと思い返すように言った。
 
「でも私なんだか変」
と千里は言った。
 
「何が変なの?」
「貴司の奥さんが子供産んだら、私、嫉妬してもおかしくないのに、今日はすごく嬉しいの。やはり私もう貴司のこと、思い切ることができたから、純粋に祝福する気持ちになれるのかなあ」
 
「千里ちゃん、信次さんのこと好きだった?」
と羽衣が訊くので千里は涙を流しながら
「はい」
と答える。
 
「今日生まれた子、緩菜(かんな)ちゃんと名付けられるんだけどね」
「わあ、かわいい名前」
 
「あなたが嬉しかったのは、あの子があなたの子供だからよ」
 
千里は首をかしげた。
「でも貴司と美映さんの子供ですよね?」
 
「その内分かるわ」
と羽衣は優しく千里に言った。
 
「あ、そうそう。これ使うと思うから取り敢えず1袋、用意しといた」
と言って羽衣が見せてくれたものを見て、千里はギョッとした。
 
「これ3年前にも使ってるから分かるよね?」
「あ、はい」
 
それで千里はやっと羽衣がなぜ自分を大阪まで連れて来たのかを理解した。
 
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【女たちの羽衣伝説】(2)