【女たちの復活の日】(下)

前頁次頁目次

 
2019年の春は慌ただしかった。
 
1月4日、代理母さんに妊娠してもらっていた信次の子供が生まれる。女の子で生前に信次と千里が話し合っていた内容(「男なら幸祐、女なら由美」)にもとづき、由美と名付けられた。代理母さんが突然病院から姿を消し(実際は中国に帰国した)捨て子として戸籍に登録された上で千里が養女にするという、極めてトリッキーな法的処理により千里の娘となったが、信次の忘れ形見である。遺伝子上の母は桃香なのだが、由美の父親欄・母親欄はいづれも空白であった(千里との養子縁組が認められた後で、千里が代理人となり死後認知訴訟を行って父親が信次であることは認められ戸籍にも掲載された)。
 
2月3日、政子(マリ)の最初の子供・あやめが生まれた。政子は妊娠を公表して以来、多数のマスコミなどの憶測や追及にもめげず、誰が父親かというのは一切口をつぐんでいた。実は冬子(ケイ)の冷凍精子によって生まれた子供なのだが、そのことをこの時点で知っていたのは青葉くらいであった。あやめの母親欄は政子だが父親欄は空白である。
 
3月11日、和実が帝王切開で女の子・明香里を出産した。母子ともに無事で、精密検査もしたが、幸いにも子供に先天性異常の類いは見られなかった。医師は母・月山和実、父・月山淳(淳は永年使用を根拠に名前を淳平から淳に改名している)という出生証明書を書いたので、それによって明香里は2人の子供として入籍された。
 
そして3月29日。作曲家協会の会長が定例の記者会見の席上、特に上島雷太の件に触れ、才能ある作曲家なので、また頑張って良い作品を生み出して欲しいと述べ、事実上、上島は不祥事による謹慎を解かれた。
 

2019年4月上旬。千里は思わぬ人物から呼び出された。それは青葉の事実上の霊的指導者である、山園菊枝であった。
 
「千里さんさあ。そろそろ復活してくれないかなあ。千里さんが稼働してないと、私まで仕事がやりにくいんだよ」
 
「復活!? 何のことでしょうか」
 
千里は作曲のことかと思ったが、菊枝に自分が作曲家としての活動を持っていることを言ってたっけ?と考えたが分からなかった。しかし青葉から聞いているかも知れない。確かに作曲はまだ充分昔の感覚が戻っていなかった。
 
「ああ。あんた今、自分が、以前物凄い霊感人間だったことも忘れてるでしょ?」
「霊感ですか? 私、ほとんど霊感無いですよ。幽霊とかも見たことないし」
 
と言ってから千里は
「あの人の幽霊でも見られたらいいのに」
と独り言のように付け加えた。
 
「うん。あんたは昔からそんなこと言ってたけど、そんなこと言いつつ、実は青葉に負けないくらいの強い霊感を持っていたんだよ」
 
「嘘。青葉って、私よく分からないけど、日本で五指に入るほどの霊能者なんでしょ? それに負けないくらいって」
 
「正確には、あんたは今でもその強い霊感を持っている。ただ使い方を忘れてしまっているんだな」
「そんなのあるんですか? 私、修行とかもしたことないし」
 
「とんでもない。あんたは私も裸足で逃げ出したくなるほどの厳しい修行を積んでいるよ」
「まさか」
 
「落ち着いて考えてみるといい。自分に実は物凄いパワーがあることを。そしてそのパワーは、あんたが作曲活動に復帰するのにも必要なんだよ」
 
千里はその言葉を聞いて、初めてどこか遠い記憶の中に、何か心が震えるような感覚があったような気がした。
 
「でもその力はあんたが自分で取り戻すしかない。ひとつだけ私がしてあげられることは、あんたの身体の中に眠っている、小さな記憶のかけらを呼び起こすことだけ」
 
そう言うと、菊枝は数珠を握り、何か真言のようなものを唱えた。
 
すると先程感じた「小さな記憶のかけら」が明らかに強く震えるのを感じた。
 
「自分がいちばん輝いていたと思う時代を思い出すといい。そこにきっと千里さんの霊的な力の《鍵》も眠っているから」
 
「輝いていた時代・・・・」
「あんた、バスケット選手でしょ? 日本代表にもなったんだっけ?」
「候補にされただけ。実際には代表にはなってない」
「また、パスケットやってみるのもいいんじゃない?」
 
千里は菊枝を見詰めた。
 
「私、また昔みたいに作曲ができるかな?」
「力を取り戻せばできるだろうね」
 
千里は高校時代、インターハイやウィンターカップに向けて日々物凄い練習をしていた頃のことを思い出していた。
 

中旬。★★レコードの町添専務に呼び出された千里はそこで、冬子(ケイ)が絶不調に陥っているという話を聞く。
 
上島雷太の謹慎で浮いてしまった大量の楽曲の需要をこなすため、冬子はこの1年、物凄いペースで楽曲を書いてきた。そして上島の謹慎が解けた途端、今度は冬子自身が絶不調に陥り、全く楽曲が書けなくなってしまったというのである。
 
「肩の荷が下りたところで糸が切れてしまったようなんだよ」
と町添さんは苦渋の表情で言う。
 
「なーんにも思いつかないらしい」
と政子。
「キーボードとか触ってても、既存曲にしかならないんだって」
と和泉。
 
「そりゃ700曲も書いたら、基本的な音の組合せはもう使い尽くしてますよ」
と千里は言う。
 
ともかくも、当面の間、そこに集まったメンツ(千里・ゆま・七星)の3人でケイを当てにして進行していたプロジェクトに必要な作曲ノルマを何とかしようということになったのである。
 

その会議から帰る時、政子から捜し物の手伝いを頼まれた千里は一緒にハイヤーで恵比寿の冬子のマンションに向かったのだが、政子の道案内が適当なので車は迷走する。何となく降りた東京体育館前で、政子がお人形さん用みたいな小さな手鏡を拾った。
 
それを見た千里は自分が何か思い出さなければならないことがあることを再自覚する。政子の捜し物を手伝った後、何かに引かれるようにして行った本庄で千里は《剣》を見つけた。千里はいったん自宅に戻ると、由美と早月のお世話を桃香に頼み、信次の遺品・ムラーノを繰って高速に乗る。
 
辿り着いたのは唐津であった。そこの鏡山神社にお参りした時、千里の体内から突然白い勾玉が飛び出した。
 
その勾玉を身につけて半ば確信に近い感覚で車を走らせた千里は翌朝伊勢の二見浦で朝日を見て、その時、自分の眷属のひとり《りくちゃん》との交信を回復する。千里はその瞬間まで、眷属のことどころか、自分に霊感があったこと自体を本当に忘れていたのであった。
 
《りくちゃん》との再会で自分が「巫女」に戻らなければならないことを自覚した千里は、その後、紀伊半島南端の串本、北上して和歌山の加太、能登半島まで北上して北東端の狼煙、それから新潟の五ヶ浜、宮城県牡鹿半島の鮎川、南下して愛知県渥美半島の伊良湖岬、そして琵琶湖の竹生島と回って12人の眷属全員とのコネクションを取り戻した。
 
しかしまだ千里本来の巫女の力は戻っていない。それを取り戻すためには自分は信次の奥さんをやめなければならないということに千里は思い至った。
 
そこで千里はいったん東京に戻ると、ムラーノを置いて、自分の車アテンザ・ワゴンに乗って東北の沿岸を北上し、旧知の詩人・櫛紀香さんや親友の和実にも助けられる中、出羽三山まで行く。そしてその道々、自分を支援してくれている《八乙女》とひとりずつ再会し、千里はついに巫女の力を取り戻したのであった。それは信次が亡くなって三百箇日の日であった。
 

千里が出羽三山で巫女の力を取り戻したというのを聞いた政子は、冬子にも、どこかゆったりとした時間の流れる所に身を置くとよいのではないかと勧める。それでふたりが選んだのが宮古島であった。
 
政子と冬子は、あやめを伴い、羽田から2時間半掛けて那覇に飛ぶ。そして玉泉洞や美ら海水族館・首里城などをのんびりと見学して那覇市内で2泊した後、那覇空港からまた1時間掛けて宮古島に飛ぶ。
 
冬子はこの日窓際の席に座っていた。いつもはだいたい政子を窓側に乗せて、冬子は通路側に座るのだが、政子が「景色眺めるのもいいよ」と言って窓側に座らせたのである。冬子が通路側にいつも座っていたのは、パソコンを使っていたからというのもあった。窓側だと外からの光のせいで液晶画面が見にくいのである。
 
那覇を離陸してすぐ、すぐそばに美しい環礁が見えた。
 
「ね、あれ何?」
「ああ。なんだか宮古島に行く時はいつも見えてたね。なんか珍しいもの?」
「あんなにきれいな環礁は珍しいよ!」
 
それで冬子はちょうど近くまで来た客席乗務員さんをつかまえて尋ねてみた。
 
「あれはルカン礁です」
と客席乗務員さんは教えてくれた。
 
航路のすぐそばにあるので、みるみるうちに後方に行ってしまうのだが、冬子はその環礁と礁湖の碧色の水に見とれていた。
 

宮古島空港で、3人は宮古島在住の元芸能プロ社長・紅川勘四郎さんに迎えられる。紅川さんは「歌の下手なアイドル」を量産したことで知られる§§プロの創業者社長で、同プロからは、立川ピアノ・春風アルト・秋風コスモス・川崎ゆりこなど、多数の人気アイドルを輩出したが、昨年桜野みちるが引退したのを機に、在籍中の歌手・タレントを担当マネージャーごと∞∞プロに引き受けてもらって会社を畳み、母の実家があった宮古島に移住したのである。
 
冬子はまだローズ+リリーとしてデビューする以前に、紅川さんから「君の性別のことは承知の上で可愛いアイドルとして売り出してあげるから。性別のことでも君が恥を掻かないようにうまく処理するから」などと随分熱心に勧誘されていたし、ローズ+リリーが「公式には活動停止中」であった2009-2011年には何度も仲介してもらって、あちこちのイベントに「こっそり出演」して、政子の「ステージ恐怖症」のリハビリに協力してもらったのである。
 
「その節はほんとうにお世話になりました」
と政子も冬子もあらためて御礼を言う。
 
「マリちゃんが名も無き歌い手として歌った数々のステージが懐かしいね」
と紅川さんは本当に昔を懐かしむようであった。
 

紅川さんの家は大きな家で、紅川さん夫妻、紅川さんのお母さん、紅川さんの娘夫婦に、その子供2人(5歳と3歳)、という4世代が同居している。以前紅川さんの息子夫婦が住んでいたという離れが空いていたので、そこにしばらく冬子と政子・あやめは、居候させてもらうことにしていた。
 
「この島って南の島らしからぬ、何か普通っぽい雰囲気ですね。気持ちいい。お散歩したい」
と政子は言った。
 
「宮古八重山地方というのは、沖縄本土とは別の文化圏に属しているんだよ。だから、やまとんちゅーの人たちには沖縄本島より過ごしやすいと思うよ」
と紅川さんは言う。
 
「この島ってハブは居るんでしたっけ?」
と冬子は確認する。
 
「居ないよ」
と紅川さん。
 
「もしかしてハブの居る島と居ない島があるんだっけ?」
「そうそう。色々原因は言われているけど、だいたい1つおきにハブが居るとか、地形のなだらかな島には居ないとか、土壌の性質の問題とか色々説はあるね」
「へー」
 
「宮古島にはハブは居ないけど、石垣島には居る。でも与那国島には居ない」
「面白いですね」
 

6月27日(木)。株主総会の集中日だが、★★レコードもこの日株主総会を行った。この日は基本的に大きな議題は無く、インディーズの音源配信会社・TKRの経営統合の件、似鳥取締役の退任と後任に黒岩氏の取締役就任の提案、あとは前年度の決算と配当の報告、来年度の事業計画が村上社長から報告された。
 
「第一号議案、TKRの経営統合の件、ネット投票では既に約31%の賛成票を頂いておりますが、ご承認頂ける場合は拍手をお願いします」
という村上社長の発言に会場内から拍手が湧く。
 
「ご承認ありがとうございます。では次に第二号議案、取締役の退任・選任の件。ネット投票では約20%の賛成を頂いておりますが」
と村上社長が発言したところで質問する株主が居る。
 
「ネット投票の数字をちゃんと出してください」
 
事務方に照会する。
「ネットでは35.8%の投票権が行使されております。賛成票が19.6%、反対票が16.2%ございます」
 
この数字に会場がざわめく。
 
「それかなり拮抗しているのではないでしょうか?」
 
ここでひとりの株主が意見を述べる。
「私は反対票を投じるつもりでこの会場に来ました」
と述べたのは某プロダクションの社長で、★★レコードの0.5%もの株を持つ大株主さんである。音楽業界への影響力も結構ある人なので、この発言に、ざわめきが起きる。
 
「★★レコードは村上さんが社長になられて以来、年々売上を落としています。音楽業界全体の売上が落ちているからという説明もありましたが、その中でも新興のЮЮレコードのようにかえって売上を伸ばしている所もあります。私は村上さんのやり方は、古いやり方にこだわりすぎだと思う。ЮЮレコードの売上の主力はモバイル機器のBGM配信事業です。そういう中で★★レコードの成長期を担った松前相談役に近い似鳥さんが退任し、営業成績を落としている村上社長に近い黒岩さんの選任という提案には賛成しかねます」
 
この株主の意見陳述に始まり、他にも意見を述べる株主が出てくる。中には村上社長を擁護する発言もあったが、批判する発言の方が多い。そしてとうとう3%もの株を持つ創業者の娘・鈴木片子さんから動議(株主提案)が提出される。
 
「私、この提案を出そうと根回しをしていたら妨害されて、直接私を説得する方もあり、私も昨日の段階ではいったんは矛を収めたのですが、やはり提出します。村上社長と佐田副社長を解任し、新たに現在No.3である町添専務を社長に、経営統合するTKRの社長の朝田さんを専務に推します。以下、取締役の案は下記です」
 
と言って、名前を読み上げる。村上派の取締役全員を含む8名もの取締役を退任させ、松前派・町添派、また通信会社出身の人などで経営陣を固める案であった。取締役の人数自体も12人から9人へと減量、平均年齢も10歳若返ることになる。昨日いったん断念したなどと言っていたので新任になる社外の人の了解は全て取っていたのであろう。
 
そして出席している株主でその場で投票した所、この提案が通ってしまったのである。村上氏は顔面蒼白であった。村上社長、佐田副社長など、解任された取締役、新取締役になる予定だった黒岩さんらが退場し、緊張した顔の町添さんが代わって議長席に就く。
 
「思いがけないことで社長を拝命し、まだ戸惑っておりますが、社長になりましたからには、★★レコードの売上を3年で倍増させ、★★レコードを復活させるべく取り組んで行きたいと思います。新しい事業計画については早急にまとめたいと思いします」
 
と述べ、大きな拍手をもらった。
 

「へー!町添さんが社長になっちゃったんですか!」
 
氷川係長から連絡を受けて、宮古島でのんびりとお茶を飲んでいた冬子は驚いて言った。
 
「それで加藤さんが取締役制作部長になった」
 
「まあ部長になっていいくらい加藤さんは仕事してましたよ」
「うん。加藤さんは凄い。私も入社以来ずっとお手本にしてたもん。加藤さんが独身なら、結婚したいくらい尊敬してた」
と氷川さんは言う。
 
「氷川さん、結婚とかの予定は?」
「まあ彼氏が居ないからね。セックスはたまにするけど、恋人にしたいと思うほどの男は居ないなあ。実は加藤さん、直接の上司では無くなった時に誘惑してみたけどうまく逃げられた」
「あはは」
 
恋愛はしないがセックスはする、などとは大胆だが、氷川さんほどの女性を魅了できる男性は、そうそう居ないのでは冬子は思った。
 
「氷川さん、漢らしいし、いっそ女の子と結婚したらどうですか?」
と横から政子が言う。
 
「ああ。うちの母からは『あんたには奥さんが必要かも』と言われたことあるよ。実際私料理はするけど洗濯とか掃除とか苦手だし。でも女の子と寝たこともあるけど、私は男の人とする方が好きかなと思った。女同士って、お互いの舞台裏が全部見えちゃう感じでさ」
「氷川さんが誰と寝たのか興味あります」
 
「友だちからも、私、漢らしいとか、男みたいと言われるし、若い社員の中には私が性転換した元男と思ってたという人も居たよ」
と氷川さん。
 
「性転換した元男性なら、きっともっと女っぽいですよ」
と政子。
 
「ケイちゃんとか春奈ちゃんとか見てると、そんな気もするね」
と氷川さんは言った。
 

結局この町添新体制による社内改革で氷川さんはJPOP部門の課長に就任することになる。
 
解任された村上社長・佐田副社長らや黒岩さんたちは別途新しいレコード会社MSMを立ち上げた。元々村上さんにスカウトされて★★レコードに入ったKARIONの元担当・滝口さんや、滝口さんが外れた後担当をしてくれていた土居さんもそちらに移籍した。他にも結構そちらに移籍する社員も居たし、最近売上を落としていてレコード会社の営業体制に不満を持っていたアーティストが10組ほどそちらに移籍し、昨年RC大賞最優秀新人賞を取ったアイドル歌手まで移籍して、★★レコード社内は動揺した。
 
しかし町添さんが関連会社も含めて全社員を都内の体育館に集め、新しい会社のあり方について熱弁を振るうと、賛同する声が多数あがり、★★レコードは熱気あふれる会社に生まれ変わる。
 
なお、新しいKARIONの担当は、元スリファーズや遠上笑美子の担当で、系列のイベント会社に出向していた鷲尾さんが出戻りして就任した。
 
この時点で町添新社長が会社再構築の柱として考えていたのは昨年デビューして2枚目のシングル『恋の八高線』が80万DLの大ヒットを飛ばし(最優秀新人賞ではないものの)RC大賞の新人賞も取った17-18歳の女性トリオ Trine Bubble であった。このヒットは売上こそ80万DLでも、八高線の乗車率が5倍になったという伝説を生み出し、実質ミリオン並みの反響があった。
 
そしてその『恋の八高線』は元々、ローズ+リリーが過去のアルバムに入れていた曲のカバーであり、この時点で売っていた3枚目のシングル『ダイヤモンド千里浜』はマリ&ケイが2月に超多忙状態の中で書いて提供した曲で、4月に発売して6月末時点で45万DL売れておりダブルプラチナは確実の情勢だった。これも千里浜に大量の観光客が押し寄せる騒ぎになっていた。関東ドームのライブチケットは事前のリサーチでは瞬殺で売り切れることが予想されていた。
 
当然次の曲もマリ&ケイでとプロジェクト側では考えている。その意味で★★レコードの社運はケイが復活できるかどうかに掛かっていた。
 

6月29日(土)、信次の一周忌の法要が行われた。
 
信次の母康子、兄太一、、数人の親戚、千里の両親と妹、叔母の美輪子夫妻、千里の友人たちのほか、信次の元上司の人と元同僚が数人来てくれた。太一の離婚した元妻・亜矢芽も息子の翔和(信次の甥にあたる)の付き添いと称して来てくれた。
 
お坊さんの読経・焼香などが終わった後で、みんなで会食(御斎−おとき)をする。仕出し屋さんに頼んでいた料理を並べ、頂きながら、いろいろ語りあったのだが・・・・・。
 
故人のことをよく知る人が居ない!ことが判明する。
 
「実はあまり兄弟仲がよくなかったので、あいつのことはあまりよく分からんのですよ」
と太一。
 
「仕事はほんとに真面目にする男だったけど、実は個人的に話したことは全然無くって」
と元同僚。
 
千里も
「喪主がこんなんで申し訳ないですが、電撃結婚に近くて、結婚前のデートは数回しかしてないし、結婚生活もあっという間だったし、その前半は私自身の仕事で忙しくて、まともに御飯も作ってあげられなくて何だか申し訳なくて」
などと言っていた。
 
すると太一が爆弾発言をする。
「いや、千里さんと婚約時代を含めて1年も関係が続いたのが凄い。あいつ女性関係が半年ともったことなかったから」
 
「それ、どうやって破綻してたんですか?」
と桃香が尋ねると
 
「あいつ浮気性なんですよ。ひとのこと言えんけど」
と太一は言う。
 
すると元同僚の人がこんなことを言った。
 
「あいつ結婚後も間違い無く浮気してましたよ」
「水鳥ちゃんだよな? ホテルにも数回行ったはず」
 
さすがに元所長さんが
「やめなさい」
とたしなめたが、千里は
「私全然気付かなかった!」
と言った。
 
「あいつ、土日も《出勤》してませんでした?」
「ええ。それは千葉支店でも名古屋支店でも」
「実際には、うちの会社、よほどのことがない限り、休日出勤は禁止ですから」
「えーーー!?」
 
「まあ休日出勤と称して、彼女の所に出勤してたんだろうね」
と太一は言うが。
「あんたもよくやってたね」
と亜矢芽から突っ込まれている。
 
「うっそー!?」
 

一周忌の弔問客は夕方まで続いたので千里はその日、康子の家に泊まったのだが、その翌日のことであった。
 
午前中康子が買物してきたいといったので、千里は私が由美と留守番してますよと言って家に残り、昨日の法要の後片付けなどをしていた。
 
そこに若い女性が訪問してきた。まだ小さい赤ちゃんをスリングで抱いている。
 
「奥様ですよね? あのぉ、私、信次さんの元同僚なのですが、よかったら、お線香あげさせていただけないかと思って」
「はい、どうぞ、どうぞ。お願いします」
 
と言って千里は彼女を上げる。
 
仏檀に水鳥波留と書かれた香典袋を出してロウソクに火をつけ、線香に火を点けて鈴(りん)を鳴らすと彼女は般若心経を唱えた。千里は片手で由美を抱いたまま片手を合掌するかのように立てて、その心経を聞いていた。
 
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそありがとうございます。生前信次さんにはお世話になったのでお線香をあげたくて。でも正式な法要に顔を出すのは差し出がましいかなと思って」
 
「そんなことないですよ。どなたでも歓迎です。水鳥さん、アクセントが関東の人じゃないみたい」
「はい、関西にも住んでましたし、名古屋支店で信次さんと一緒だったので」
「もしかして、わざわざ名古屋からいらしたんですか?」
 
「いえ。一応名古屋生まれで、高校出た後4-5年兵庫県にいてから名古屋に舞い戻って、あの会社に勤めていたのですが、今は埼玉県の久喜市に住む姉の所に居候してるんですよ」
 
「あちこち移動してますね! でも引越たいへんだったでしょう。赤ちゃん連れてだと」
「実はこの子を出産するのに姉に世話になったので。そのまま居座っている状態で」
 
「ああ、なるほど。でも赤ちゃん可愛いですね。何ヶ月ですか?」
「あ、はい、4月に生まれたのでまだ2ヶ月半くらいなんですよ」
「へー。だったら、いろいろ手がかかって大変な時期ですよね。まだ首が座ってないでしょ?」
「ええ。それで外出の時はスリングで」
「うちも最初スリングでしたよ。この姿勢が赤ちゃんには楽らしいですね」
「そうみたいです」
 
とふたりの会話はしばし赤ちゃんの話題になる。
 
「赤ちゃん、名前は何て言うんですか?」
「あ、えっと、こうすけと言います」
「へー。どんな字ですか?」
「幸いの幸に、祐天寺の祐で」
「・・・・」
 
千里はしばし考えた。ハッとして仏壇に置かれた香典袋の名前を見る。水鳥って・・・・昨日御斎(おとき)の時に信次の同僚が言っていた、信次の浮気相手の名前では? そして幸祐って・・・・それ、私と信次が生まれてくる子供の名前として決めていたものだぞ!?
 
「あの、大変ぶしつけは承知なのですが」
と千里は言った。
「もしかして、その子、信次の子供ですか?」
 
すると彼女は突然
「ごめんなさい」
と言って、床に頭を付けるようにした。
 
「私、やはりここに来たの間違ってました。姉にも行くなと言われたんですけど、どうしても自分を抑えられなくてきてしまったけど。もう帰ります。二度と顔を見せませんから」
 
「違います! ぜひ康子さんに会っていって。信次の子供だと聞いたら絶対喜びますから」
と千里は言った。
 

康子が戻ってくる前に、青葉が顔を出した。
 
「ちー姉、何か手伝うことない〜?」
「ああ、ちょうど良かった。仏檀にどれをどう置いていいかさっぱり分からなくて。私、仏様のほうは全然分からないから」
と千里。
 
「OKOK。私が並べるよ」
と言って、仏檀の前に机を置いて並べていた灯明や線香立てなどを、きちんと仏檀内に納めていく。
 
「あれ、そちらは?」
などというので、千里が双方を紹介する。
 
「こちらは私の妹の青葉」
「初めまして」
「こちらは信次の彼女の波留さんと、その子供の幸祐くん」
「あ、えっと初めまして」
 
青葉はその紹介に一瞬驚いた感じだが、すぐ平然として
「こうすけくん、可愛いね。耳の形が信次さんにそっくり」
などと言って幸祐の頭をなでている。
 
「信次さんの子供なんて言ってないのに」
と波留はいうが、青葉は
 
「見れば分かりますよ」
と言って笑顔である。
 
かえって波留のほうが
「私、こんなに奥様にもその妹さんにも優しくして頂いていいのかしら?」
などと恐縮している。
 
「ああ。私ももう信次の奥さんじゃないから構いませんよ」
と千里。
 
「あれ?籍を抜いたんですか?」
「ううん。でも霊的に切れちゃったんですよ」
「へー」
 
「そうそう。おやつ買って来たんだった」
と青葉が言ってロールケーキを出すので、切り分けて、千里がお茶を入れて、一緒に頂く。
 

それで3人で楽しくおしゃべりしていた所に康子が帰宅した。
 
「コロッケ買って来たけど食べない? あれ?お客様?」
と康子。
 
「あ、すみません、お邪魔してます」
と波留。
 
「あ、お母さん、お帰りなさい。こちら信次さんの彼女だった水鳥波留さん。そしてこの赤ちゃん・幸祐くんは4月に生まれた、信次さんのもうひとりの忘れ形見です」
と千里が言うと
 
「えーーーー!?」
と康子は驚愕していた。
 

「信次さん、亡くなる直前の7月1日に波留さんとデートしてたらしいです。信次さんって毎週土日に休日出勤と称してうちを出ては、いつも波留さんと会っていたらしい」
と千里。
 
「ごめんなさい。いけないこととは思っていたのですが、信次さんからは妻とは別れるからなんて言われて」
と波留。
 
「全くなんて子だろうね!」
と康子は怒っている。
 
「それでこの幸祐くんは、その最後の日のデートでできちゃった子みたい」
と千里。
 
「妊娠が分かってから逆算してみると、排卵日が7月1日頃だったんです。いつも避妊していたのが、その日たまたま避妊具がきれちゃって、1度くらい大丈夫だよとか言われて、付けずにしちゃったんですよね。私も生理が終わってすぐだったから安全日と思い込んでいたのですが」
と波留。
 
「生理周期は乱れることもあるからね」
と千里。
 
「中絶すべきかどうか、かなり悩んだのですが、信次さんの忘れ形見だし、産もうと決意して。姉に精神的にも経済的にも依存してしまいましたが」
と波留は言う。
 
「だけど幸祐という名前は・・・」
と康子は戸惑うように言う。
 
「信次さんが、自分に子供ができたら、男の子なら幸祐、女の子なら由美だなって生前言っておられたもので」
と波留。
 
「ひどいと思いません?お母さん。信次さんったら、同じことを私と波留さんの両方に言ってたんですよ」
と千里。
 
「呆れた子だね!」
「片方が男の子で、片方が女の子だったから、良かったけど、性別が同じなら両方、同じ名前になっちゃうところでしたよ」
 
「全く!」
 
波留が久喜市に住んでいると言うと、康子はぜひ時々でも訪問させて幸祐の顔を見せてと言い、波留も快諾した。
 

「だけど、波留さん、髪が短いですね」
と康子が言う。
 
「私が髪長いの好きだから、好対照な感じですよね」
と千里。
 
「実はあの会社に入る前、宝塚歌劇団に居たんです」
「凄い!」
「端役ばかりで、セリフのあるような役はめったに当たらなかったのですが。それで25になったのを機に見切りを付けて退団して、地元の名古屋に戻って就職したんです」
 
「ああいうの、競争激しいもんね」
「でも当時男役だったから髪も短くしてて。退団して性転換して女に戻りましたけど、男役だった頃の習慣が抜けないんですよ」
「なるほど」
「男役やめること、よく性転換って言うみたいですね」
 
「ええ。でも歩き方とかも男みたいってよくいわれます」
「いや、そのタイプは結構同性の友人ができやすい」
「さばさばしてる感じで、話してて気持ちいいもんね」
「でも彼氏が全然できなかったんです!」
「うーん・・・」
 
「だから信次さんに誘われた時は嬉しくて。奥さんが居るのは最初から知ってはいたんですけど。ほんとにごめんなさい」
 
「うむむむ」
 
やはり信次って、こういう子が好きなのか!?
 

波留と幸祐を送り出した後で、千里も青葉の運転する車で東京の桃香のアパートに戻る。その車中で青葉が言った。
 
「信次さんの居場所が分かったよ」
「ん?」
 
信次の霊は青葉が以前見た2月の段階では、千里と由美の後ろに付いていた。しかし4月に千里は信次との関係を切ってしまったので、その後は由美の後ろにだけ付いていたはすが、昨日、一周忌法要の時、青葉は今は由美の後ろにも居ないと言った。
 
「信次さん、波留さんの後ろと、幸祐君の後ろに居たよ」
と青葉。
 
「浮気者!」
と千里は本当に怒ったように言った。
 

青葉は桃香のアパートで一息つくと「子供連れは大変だから見送り不要」と言って、ひとりで成田空港に出かけた。夕方のロサンゼルス行きに搭乗する。
 
約10時間のフライトで同じ日付6月30日のお昼、ロサンゼルスに到着。そこからペルーのリマ行きに乗り継ぎ8時間半のフライトで真夜中リマに着く。更にトランジットで、チリのサンティアゴ行きの便に乗り継ぎ、3時間半のフライトで7月1日の朝、サンティアゴのアルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港に到着。更にここからチリの国内便に乗り継ぎ、1時間のフライトで7月1日のお昼に、ラ・セレナのラ・フロリダ空港に到着した。
 
飛行機を4つ乗り継ぎ、滞空時間だけでも23時間に及ぶ長旅である。ラ・セレナは観光地で、元々ある程度の乗客はいるのだが、今回の旅ではロサンゼルスから先は全部満員だった。実は個人では飛行機もホテルも予約が取れなかったので、ロケハンに必要といって、★★レコードに頼んで旅行代理店のVIP枠を押さえてもらったのである。その代わり帰ってくるまでに5曲書かないといけない!
 
市内のホテルはどこも満杯で、体育館に簡易宿泊所が設置されたりしていた。青葉はその日はぐっすり寝て、翌日ゆったりと朝御飯を食べた後、西側が開けている海岸に出かけた。
 

ラ・セレナは南緯30度。日本の屋久島が北緯30度なので、夏は暑い都市のような気がするのだが、実はここは夏でも摂氏20度くらいにしかならない涼しい町である。気候だけでいえば北海道並みの涼しさだ。しかも今は7月で真冬である。最高気温は15度くらいなので、青葉はしっかり防寒用のコートを着て行った。
 
こういう涼しい都市の冬の海岸には、ふつう人は居ないのだが、今日はここが人、人、人で埋まっていた。みると、やはり距離的なものか、北米から来た人が多い雰囲気だったが近くで大阪弁でしゃべっている、おばちゃん4人のグループが居て青葉は微笑んだ。
 
そのグループが青葉を見つけて寄ってきた。
「ね、ね、もしかしてあんた日本人?」
「そうですけど」
 
「なんでここ、こんなに寒いの? 南米なんて、ずっと南にあるから無茶苦茶暑いと思ったのに」
「それに7月だと真夏だから、ビキニの水着でも着ちゃおうかと思ってたのに」
 
「赤道を過ぎると、南の方にいくほど寒くなりますから。南極は極寒でしょ?」
「あ、確かにそうだ!」
「でもなんでだろ?」
「それに南半球は7月8月が真冬で、1月2月が真夏ですよ」
「え?うそ!?」
 
青葉は日本の理科や社会の教育は改善しなければならないのではと思った。
 

半袖で来ている女性が2人いる。何か防寒具持ってない?などというので、予備に持っていた折り畳みのレインコートとカーディガンを貸してあげると
「だいぶまし!」「助かった!ありがとう」と言っていた。
 
「そうだ? あんたチリ語できる?」
「チリ語というよりスペイン語ですよ、ここは」
「へー?ここスペインなの?」
「今は独立国ですけど、昔はスペインの植民地だったからスペイン語が通じるんですよ」
「へー! 実はあそこの屋台で売ってる餃子みたいなの欲しいんだけど、あの人日本語分からないみたいで」
 
青葉は笑いたいのをこらえて
 
「エンパナーダですね。買ってあげますよ。4つでいいですか?」
「2個ずつ!」
 
青葉はそれでその出店に行って、エンパナーダを10個買った。その内2個取り8個をおばちゃんたちに渡す。
 
「ね、ね、今の屋台の人、男か女か分からなかったんだけど、どっちだと思う?」
「声を聞いた感じでは男の人だと思いましたよ」
 
確かにやや性別が曖昧な声だったよなと青葉は思った。
 
「えー! そうだったんだ」
「なんか意見が別れてたんだよね」
「ひょっとしたら、女の子になりたい男の子かも」
「ああ、最近そういうの多いもんね」
「うちの隣んちの娘さんの従姉の友だちの先輩の同級生の子のお兄さんがこないだ手術して女の子になっちゃったらしいよ」
 
何だか限りなく無関係な人のような気がする。
 
「まあ性別なんて自分で選べばいいですから」
「そういう時代かもね」
「私も男になっちゃおうかなあ」
「ああ、いいんじゃないですか?」
「でもちんちん、どうやって作るんだろ?」
「腕の皮膚から作ったりするみたいですよ」
「へー」
 
「あ、そうそういくら?」
「1個2000ペソでしたから、8個で16000ペソです」
「ごめん。千円札とか1万円札とかしか持ってないんだけど」
 
日本円で日本語で、チリの地方都市の出店で買物しようとした根性はなかなか大したものだと青葉は思った。
 
「1ペソはだいたい18銭ですから、16000ペソは2880円ですね」
「あ、じゃ3000円でいい?」
「はいはい。じゃ、お釣り120円」
と言って青葉はバッグの底に入れていた小銭入れから日本の硬貨を出して渡した。まさかここで日本円を使うことになるとは思わなかった。
 

結局そのおばちゃんたちと、あれこれおしゃべりしながら「その時」を待つことになる。青葉は自分をアルファ状態にしてこの天体ショーを見たかったのだが、無理なようである。
 
「Antes de treinta minutos!」
という声が近くで掛かる。
 
「何て言った?」
「あと30分です」
 
それは青葉は自分の時計を見ても認識できる。
 

突如ざわめきが大きくなる。
 
「始まった!」
 
太陽の左下がわずかに欠け始めたのが分かる。時計を見るとチリ時刻で15:23である。予定通りだ。
 
青葉は太陽観測グラスを使ってじっと太陽を見詰める。おばちゃんたちも、ちゃんと観測グラスを使っている。これをまともに見続けたら目がやられる。
 
「そんなに急に欠けていくもんでもないのね」
「そうですね。皆既になるまであと70分くらいありますよ」
「そんなに!」
 

お腹が空いたという声が掛かり、今度は「あそこのおでんが食べたい」という声が掛かるので、青葉が、クラントを5人分買って来た。
 
それを一緒に食べながら太陽が欠けていくのを時々眺める。周囲もけっこうがやがやしていて、笛を吹いたり踊ったりしている人もいる。カメラでずっと撮影している人もいるが、青葉たちは写真も撮らずにじっと太陽を眺めていた。
 
1時間ほどたった16:25頃。太陽は三日月のような形になる。そして16:38。一瞬ダイヤモンドリングが光ったあと、太陽は完全に欠けてしまった。
 
鳥が騒ぐ。
 
あたりは夕方のように真っ暗である。南北の空を見ると、遠くの方に明るい部分がある。あのあたりは日食が無いのだろう。
 

皆既はわずか2分ほどで終わり、再びダイヤモンドリングが光った後、左下に三日月のような太陽が現れる。
 
そして太陽はどんどん太くなっていく。周囲も明るさを取り戻す。
 
「すごかった」
「なんか感動した」
とおばちゃんたちが言う。
 
青葉も感動していた。日食を見たのは2012年に日本国内で見られた金環食以来だが、金環食と皆既食は別物だと思った。「金環食は部分食にすぎないから」と言っていた人がいたが、その言葉に納得する思いだった。
 
次第に欠けの小さくなっていく太陽はどんどん水平線に近づいて行く。そして西の海に沈む直前、完全に丸い形を取り戻した。
 

チリで日食が始まった時刻の7月2日15:23は、日本時刻では7月3日朝4:23になる。
 
その夜、宮古島に居た冬子は夢を見ていた。
 
何やら難しい字がスーパーインポーズのように脳裏を流れていく。
 
故於是天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理坐也。爾高天原皆暗、葦原中国悉闇、因此而常夜往。
 
冬子はどこか物凄く暗い場所に居た。どこだろう?ここは。
 
「マーサ?」
と政子を呼ぶが声は無い。
 
「真央?」
「若葉?」
「コト?」
と親友の名前を数人呼んでみた(後で恋人である正望の名前を呼ばなかったことに気付き、少し悩んだ)。
 
誰も返事をしない。
 
その時、ふと思いついて「青葉?」と呼んだら
「冬子さんこっち」
という声がする。
 
見ると、なぜかセーラー服を着た青葉が立っていて
「外の世界に連れて行ってあげる」
と言い、冬子の手を引く。それで冬子が行きかけた時、その青葉を押しのける人物がある。
 
「千里!?」
 
千里は、一糸まとわぬ姿で立っていた。そして唐突にサンバを踊り出す。すると青葉もアゴゴを打ちながら、一緒にセーラー服のまま踊り出す。が、踊りながら唐突にスカートを脱いでしまう!?
 
冬子は目をパチクリさせてその姿を見ていた。
 
天宇受売命、為神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共笑。
 

北海道育ちの千里も、岩手育ちの青葉も、ふたりとも肌が白い。その白さが暗闇の中でまるで太陽のように光っていた。全裸の千里は下半身だけ裸の青葉の伴奏でサンバを踊りながら、円を描くように目の前を動き回っていた。冬子はその千里の動く軌跡を見ているうち、宮古島に来る時に機内で見たルカン礁を連想した。
 
するとそこにルカン礁が見えているような気がしてくる。
 
美しい円形の環礁。そして碧色の海。
 
冬子はまるでその礁湖に吸い込まれていくような気がした。ああ。私はここに還(かえ)っていってもいいのかな?
 
そう思った時、後ろからガシッと抱きしめられる。
 
千里である。
 
千里は今度は巫女の衣装を着ていた。
 
「そっちに行ってはダメ。そこから引き出すんだよ。大自然と一体化してもいいけど、主導権を取るのは自分」
 
そう言うと千里は冬子に小さな鈴を渡してくれた。
 
「これ、冬子の落とし物」
 
冬子がその鈴を受け取り、いつ落としたんだろうと考えていたら、千里は、いきなり冬子の唇にキスをした。
 
え〜〜〜〜〜〜〜〜!?
 
と思ったが、良く見ると冬子にキスしたのは政子であった。
 
「私はいつもここにいるよ」
と政子は言った。
 
その途端、天から大量の星が降ってくるような感覚があった。
 

冬子はハッとして目を覚ました。時計を見ると4時すぎである。隣で寝ている政子を起こす。
 
「なに?」
「ちょっと外に出てみない?」
「ん?」
 
2人が外に出てみると、天文薄明が近いようで東の空が少し明るくなりかけているが、西の空はまだ暗いし、星がけっこう見える。
 
その時、その西の空で星がひとつ流れた。
 
「あ、流れ星だ! 願い事、願い事」
と言って政子は何やら唱えている。
 
更に星が流れる。
「あ、また流れ星」
 
そしてまた星が流れる。
「何?何が起きてるの? 流れ星がいっぱい」
 
西の空には、その後もどんどん流れ星が生まれ、一度に3〜4個同時に流れることもあった。冬子と政子は、ずっとその天体ショーを言葉も発しないまま見詰めていた。それはまさに星降る夜という感じであった。
 
次第に空が明るくなってくると、さすがに見られる流れ星の数は減るがそれでもけっこう流れているのを見る。やがて東の空から太陽が登ってくると、その天体ショーはもう見ることができなくなった。しかしその後もふたりはじっと西の空を眺めていた。
 
(宮古島のこの日の天文薄明は4:25, 夜明けは5:21、日出は5:54 つまりチリで日食が始まった頃宮古島では天文薄明が始まり、宮古島の夜明け後すぐにチリでは皆既日食が起きている)
 

於是天照大御神、以為怪、細開天石屋戸而、内告者。因吾隠坐而、以為天原自闇、亦葦原中国皆闇矣、何由以天宇受売者為樂、亦八百萬神諸笑。天照大御神逾思奇而、稍自戸出而。臨坐之時、其所隠立之天手力男神、取其御手引出。故天照大御神出坐之時、高天原及葦原中国自得照明。
 
紅川さんの娘さんが
「お早うございます」
 
と言って離れに顔を出して、朝食の用意ができたことを告げた時、そこには、冬子が一心不乱に五線紙に音符を書き綴っていて、政子が隣でのんびりと朝のコーヒーを飲んでいる姿があった。
 
この朝、流星群を見た人は冬子たちの他には誰もいなかったようである。冬子は後にこの朝のことを思い出す度に、あれは現実だったのか、それとも夢だったのか、分からなくなってしまう。
 

青葉は7月2日は、夕食を大阪のおばちゃんたちと賑やかに取り、ホテルで休んでから、翌3日にラ・フロリダ空港を飛び立った。来た時と逆にサンティアゴ・リマ・ロサンゼルスと乗り継ぎ、7月5日(金)の夕方、成田空港に戻ってきた。課題になっていた曲は6曲書き上げていた。
 
入国手続きをして、ロビーに出て来る。ちょっとだけ何かを期待したのだが、誰もいないので「ふう」と大きくため息をつくと、京成の乗り場へと降りて行く。するとエスカレーターを降りてすぐの所に千里と彪志の姿があった。
 
戸惑った顔をする青葉に、彪志は
「何時頃、どこに出てくるかというのを千里さんが予測してくれたんだ」
と言った。
 
千里は
「じゃね」
と言って手を振り、ひとりで先に帰る。
 
青葉は彪志と見つめ合った。
 
彪志は黙って青いビロードのジュエリーケースを差し出す。青葉は戸惑いながら受け取る。
 
「葉っぱの模様がついてるんだ?」
「スペシャルオーダー。青い箱に葉の模様で青葉」
「へー!!」
 
青葉は笑顔でケースを開けた。燦然と輝くダイヤのプラチナリングが入っている。
 
「高かったでしょ?」
「今月出るはずのボーナスでちょうど決済できる予定」
 
「期待した額出なかったら?」
「霊障相談の助手して返済する」
 
「他のローンとかは大丈夫?」
「青葉の忠告で借金はしてないから」
「お母さんにはあげなくていいの?」
「勘弁してもらう」
「ふふ」
 
「受け取ってくれる?」
と彪志は訊いた。
 
「うん」
と青葉は可愛く頷いた。
 
青葉は指輪を手に取って左手薬指に填める。
 
ふたりは静かにキスをした。
 

青葉がチリから成田に帰国した日、東京の∴∴ミュージックでは、KARIONの次のアルバムに向けて、畠山社長とKARIONのリーダー和泉、トラベリングベルズの黒木信司、作曲家の花畑恵三、それに★★レコードの鷲尾さんが打ち合わせをしていた。
 
ここ数年、KARIONの楽曲は、和泉と冬子(水沢歌月)のペアで半分くらいを書き、残りを広田純子・花畑恵三、櫛紀香・黒木信司、葵照子・醍醐春海といった3組のペアの作品で構成していた。
 
ところが冬子は昨年は上島雷太の代理で大量の楽曲を書いていたのでKARION用の曲まで書く余力が無く、やっと上島の件から解放されたと思ったら今度は自身が絶不調に陥ってKARION用どころか普通の曲も書けなくなってしまった。
 
また、醍醐春海こと千里は一昨年の夏頃から不調に陥り、なかなか良い曲が書けなくなっていた所で、昨年夏に新婚ほやほやの夫の急死という事態によるショックで全く楽曲が書けなくなっていた。こちらは春に何とか復活したものの、まだ完全な復調ではない上に、彼女自身が現在、不調に陥っている冬子の代理で結構な数の楽曲を書いていて、つまり冬子が復活するまではKARION向けの楽曲まで手が回らない状況である。
 
それで昨年の年末に出したアルバムは『1212』というタイトルで12組のソングライターから提供された12曲で構成するという企画物的な作りにして何とか乗り切った。また昨年の春以降のシングルでは、歌月が過去に書いた未発表曲を使ってきたのだが、そろそろそのストックが切れつつある。
 
それで、要するに、アルバムは作りたいものの、楽曲を揃えられないのである!
 
「非常事態なんで僕も頑張るけど、実際問題として年内に用意できる曲は3曲だと思う。KARION楽曲は要求水準が高いんだよ」
と花畑さんは言う。
 
「福留彰さんが心配して1〜2曲なら、またこちら向けに書いてもいいと言ってくれている」
「Voice of Heartのアユちゃんが、昨年も1曲書いたし、また良かったら使ってくださいと言ってきている」
「そのおふたりの曲は、他で楽曲調達のメドが立っても利用させてもらいたいですね」
 
「それにしても2年続けて歌月・春海が共に稼働できない状況下では楽曲の品質を確保するのは難しい」
 
そういった意見の中で和泉は
「どうしても《KARION品質》のアルバムが作れない場合、いっそ今年は制作を見送るのもひとつの選択肢だと思っています」
と言った。
 
「しかし活動があまり停滞すると、KARIONは実質活動停止しているのではなどと言われかねない。ライブも結局昨年1月の10周年ツアー以降、1年半にわたって停止している状態だし」
と黒木さんは心配して言う。
 
昨年は冬子があまりにも多忙すぎてKARIONのライブが全くできなかったのである。上島雷太問題はこういうところにも波及していた。
 
「美空が暇なんで食べてばかりいたら体重が65kgまで行ってしまったというので今栄養士さんを常駐させて厳しくダイエット中。毎日2時間水泳やってるから泳ぐのだいぶ上手くなったみたい」
「それは良いことだ。でも美空ちゃんはさすがにそろそろ食習慣を改めるべきだったと思う」
 
「小風も暇だ暇だと言っている。親が心配して見合いの話を持って来たらしいけど、まだ結婚はする気無いと言って断って、最近は日々カルチャースクール通い」
「カルチャースクールで何習ってるの?」
「陶芸。結構はまっている感じ」
「へー」
 

その時、突然会議室のドアが開く。
 
「今重要会議中だから、入って来ないでと言ったろ?」
と反射的に畠山社長は言ってしまったが、入って来た人物を見て驚く。
 
「蘭子ちゃん!?」
 
「はーい。みなさん、お久しぶり〜」
と冬子の表情は明るい。
 
「宮古島に行っていると聞いたけど」
「今日戻って来ました。これお土産」
 
と言って冬子は五線紙を出した。
 
和泉が譜面を読む。
 
「水沢歌月が復活したね」
 
そして冬子は社長に言った。
 
「KARIONの全国ツアーやりましょうよ」
「えっと、いつ?」
「来月」
「えーーーー!?」
 
「鷲尾さん、会場取れますよね?」
と冬子は★★レコードの新担当に訊く。
 
「何とかする。でも来月はローズ+リリーもツアーするんじゃないの? マリちゃんは今月までが(妊娠出産による)休養期間なんでしょ?」
 
「会場が近くなら掛け持ちで」
「昔それよくやったね!」
「同じ会場の昼と夜でKARIONとローズ+リリーをやってもいいし」
「幾つかの会場はホントにそれになるかも」
 
「でもツアーをやるのに使う楽曲は?」
「1曲はこの『星降る朝』で。岡崎天音(マリの別名義)作詞で悪いけど。他にも今から3〜4曲書くよ」
と冬子は笑顔で言った。
 
「だから和泉、3〜4本、詩を書いてよ」
と冬子は和泉に言ったが、和泉はキリリとした表情で
 
「曲を書いてもらうのを待ってる詩が30個くらいあるよ」
と答えた。
 
「じゃ、ツアータイトルは《Reborn》で」
「まるでメンバーチェンジでもしたかのようなタイトルだ」
「私が変わったからいいんだよ」
と冬子。
「私も変わろうかな」
と和泉。
 
「和泉ちゃん、何を変えるの?」
「そうだなあ。性別を変えるとか」
「それは勘弁して!」
 

2020年春。
 
まだ雪に閉ざされている湯殿山の温泉の中で千里は美鳳から言われた。
 
「今日で修行1000日目」
 
周囲の女性修行者たちから拍手をされて、千里は静かにお辞儀をした。
 
「今年の参加者は上級者が多かったからハードなコースが多かったけど、よく付いてきた」
「行方不明者も2人しか出なかったし」
 
例年だと150日間の冬季修行(その内参加可能な100日に出れば良い)の間に5〜6人は脱落者が出る。
 
「千里もほんとに力を付けてきたね」
「始めた時はまだ高校生だったからね」
「始めた時はまだ男の子だったね」
「2007年2月からだから、13年がかりだね」
「巫女の記憶を失っていた2年間があるからね」
「受験と震災でも日程が一部パスされた」
 
「1000日の御褒美は最初の年に言った通り」
「もっとも千里は実質それを先取りしてるんだけどね」
「先に商品を受け取るというのはローンみたいなもんだな」
 
「私何をもらえたんですか?」
「ああ、まだその記憶までは戻ってないのか」
「まあそのうち分かる」
 
「じゃ次は2000日を目指して」
「はい。また今年の冬も頑張ります」
「夏の間にもやってもいいよ」
「毎年200日余分に寿命を使ったらさすがに早く老け込みます」
 
千里は高1の冬以来、毎年時間の流れの外で100日分の修行をしているので、千里の1年は実は465日ある。千里は今歴史的には29歳だが、体内的には約32歳になっている。
 
「いっそ、もう人間の身体は放棄しちゃうとか?」
「私、現世で赤ちゃん育てないといけないし」
 
「まあ千里は687年後まで修行の予約が入っているから」
と佳穂さんが言う。
 
「いつの間に700年って話になったんですか!?」
と千里はしかめ面で言った。
 
前頁次頁目次