【女の子たちの魔術戦争】(その3)

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千里が名古屋に行ってしまってから1ヶ月以上たったある日、桃香はどうも気分が優れなかったので、朱音に電話した。朱音は2年前に結婚して今6ヶ月になる男の子がいる。
「ねえ、私ちょっと町に遊びに行こうかと思って」
「ああ、いいね。一緒に遊ぼう」
「じゃなくてさ、早月のお世話頼めない?」
「そういうことか。あ、千里は名古屋行っちゃったしね」
「うん」
「しょうがないなあ。でも私、千里みたいにそう頻繁にはお世話できないからね」
 
朱音の所に寄り早月を預けて町に出た。今日は少し羽目を外したい気分だった。ゲームセンターに行き、5000円ほど使ったら少しすっきりした。
 
ファミレスに入りランチを食べる。食後のお茶を飲んでいたら、いつの間にかうとうとしてしまった。夢を見る。千里が男の人と歩いている。ちょっと嫉妬。その時、千里の体に赤い点が浮かび上がり、みるみるうちに体全体に広がっていった。桃香はハッとして目を覚ました。「何だ今の?」
 
何か胸騒ぎがする。千里に電話してみようか。でも何といえばいいんだ?そんなことを考えながらスーパーの連絡通路を歩いていて、占いの看板が目に入った。あ、そういえばここで占ってもらって、千里が他の男の人と結婚することを言い当てられたんだった。千里はあの占い師の前に座った。
 
「あら?前にもいらっしゃったわね」
「よく覚えてますね」
「今日はまた恋愛のことかしら?」
「それが・・・・夢占いってできます?」
「どんな夢を見たんですか?」
桃香は先程見た夢を思い出せるだけ思い出しながら語った。
占い師さんは難しい表情をして聞いていた。
無言でタロットカードを1枚引く。
『悪魔』のカードが出た。
 
「あなたの思い人が危険です」
「何か私ができることないでしょうか」
「あなたさえよければ、夕方事務所のほうにいらっしゃいませんか?」
「詳しく占ってみるのですか?」
「いえ。これは誰かがあなたの思い人に呪いを掛けています。それを
逸らす必要があります」
桃香はその手の話を基本的には信じないのだが、この時は信じる気になった。
 
「お願いします。呪い返しとかいうんですか?」
「向こうの術がもの凄く強いので・・・・全部返すのは無理です。身代わりを作ってそこにぶつけます。彼女の愛用の品、できたら下着とかありませんか?」
千里の下着はしばしば桃香の家に放置されていたのだが、引越の際に全部片付けられてしまっていた。何枚か記念に取っておけば良かったか?
その時桃香はふと『あれ』のことを思い出した。
 
「彼女の体の一部、臓器があるんですが。以前手術を受けた時に体内から摘出したものです」
「それはかなり完全に近い身代わりになります。身代わりというより分身ですね」
「それ持ってお伺いします。住所教えて下さい」
桃香は占い師さんから名刺を頂いた。霊鵬と名前が書いてあった。儀式は夜やるということで8時に約束した。
 
桃香は自宅に戻ると『それ』を確認する。でもどっちがいいかな?
桃香の家の冷蔵庫には、千里の睾丸と陰茎が冷凍されているのである。『面倒だ。両方持って行こう』桃香は、千里の性器を両方持って行くことにした。
 
朱音に急用ができてしまったので、今夜ひとばん早月を預かって欲しいと言う。桃香のただならぬ雰囲気を感じて朱音は了承した。
 
霊鵬のオフィスを訪問すると既に準備をしていたようであった。
「身代わり」を祭壇に置くと、なにやら祝詞のようなものを唱え始めた。
 

多紀音はあれ以来何度か千里に呪いを掛けようとしていたのであったが、千里の守り?がどうも強力なようで、なかなか届かず、しばしば自分に返ってきて、痛い目にあっていた。信次が名古屋支店に転勤になるというのを聞くともう自分が抑えられなくなった。自分自身の命を掛けた、超強力な呪いを掛けてやろうと考えた。
 
今回の魔術は効果の大きなものだけに、準備が大変だった。条件に合う場所を探し出すのに時間が掛かった。日本地図を買ってきて、いろいろチェックしていく。半月ほど掛けてやっと使える場所を発見。道具をそろえるのにも時間がかかった。準備ができると使える日を選んで会社の休みをとり、作り上げた術具をバッグに隠し持って、電車とバスを乗り継ぎその場所まで辿り着いた。やがて日が落ちる。誰も周囲にいないことを確かめて儀式を始める。自分の**から**を取って術具に塗り、多紀音は事前に何度も練習して暗記した呪文を唱えた。
 
多紀音は用意してきた防寒具にくるまり、静かに朝を迎えた。朝日がまぶしい。太陽の光が自分の体に染みこんでくるようだ。
 
その時、急に多紀音は昨夜自分がしたことの重大さに気付いた。
 
「いけない。なんで私こんなことしてしまったんだろう」
 
多紀音は居ても立ってもいられなくなり、術具に火を付けて燃やした。そして燃え尽きるのを待ち、飲用に持っていたお茶を掛けて火の始末をしてから道に出て歩き出す。たまたまタクシーが通りかかったので止めて乗る。駅まで行き、名古屋までの切符を買った。
 

その夜、青葉は夢を見ていた。歩いていった先に千里がいた。あれ?ひとりなのかな?声を掛けようとした時、何かが千里に近づいてくるのを感じた。目をこらしてみる。何かの小動物の「群」であった。何だこいつら?青葉が鋭い視線を送ると、その一部がこちらに向かってきた。む?青葉はすぐに臨戦態勢に入り、自らに霊鎧をまとう。小動物達がこちらに走ってきた。印を結んで早口に真言を唱えた。
 
オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン!
 
強烈な光の壁に小動物たちが跳ね返される。小動物たちが逃げていくのを見送っていたが、青葉はハッとして目が覚めた。
 
「やばい。ちー姉が危ない」
飛び起きるとまだ早朝であるのも構わず1階まで駆け下りると、千里の所に電話を掛けた。・・・・つながらない?携帯に掛ける。やはりダメ。妨害されてる?青葉は思い直すと桃香の所に電話を掛けた。
 

 
それは信次と千里が名古屋に来てから1ヶ月半が経過した7月4日の朝だった。千里はなんとも気分の悪い目覚め方をしていた。昨夜変な夢を見たような気がするのだが、内容は思い出せない。千里の様子が変なので信次は心配して「今日は寝てるといいよ。朝御飯くらい僕が作るから」という。「大丈夫、後で少し昼寝したら治ると思う」といって、千里は朝御飯とお弁当を作り始めた。
 
その後ろ姿を見ていて、信次は「あれ?」と思う。何か千里の肩の付近に変なものがあるような気がしたのである。「何か付いてるよ」といって信次はそれを「取った」。しかし手には何も掴んでいなかった。あれ?「あ、ありがとう」と千里がいった。「うん。私も肩の付近に何かあるような気がしていたんだけど、なぜか自分では取れなかったのよね」「取れた感じ?」「うん。取れた」
「それは良かった」
 
信次は千里のキスで送られて、会社への道を歩いていたが、今度は自分の肩の付近に何かがついているような気がしてきた。何だこれ?
 

その日、霊鵬は早朝事務所に出勤してきて、祭壇の「身代わり」のケースが壊れているのに気付いた。嘘・・・ここまで強力だったなんて!
 
急いで桃香に連絡をした。
「昨夜誰かが凄まじく強力な呪いを掛けました。ごめんなさい。完全には守りきれなかったみたい」
「千里、どうなるんでしょう?」
「この呪い、たぶんかなりは身代わりに移すことできたと思います。粉々に壊れてます。でも残りが、本人と本人を守ってあげようと思っている人にも掛かります。たぶん桃香さんにも少し行きますし、彼女の旦那さんにも行きます」
「私、すぐ名古屋に行きます」
 
桃香はこの日朝から、凄まじく体調が悪かった。そうか、これは千里に掛かった呪いを一部引き受けたせいか。しかし負けるもんか。
 
霊鵬からの電話を切った桃香は千里の所に電話をする。
つながらない?
何度か掛け直していた時、着信があった。取ると青葉だった。
「もしもし、どうしたの?」
「桃姉、ちー姉が危ないよ」
「そちらも何か感じたの?」
「夢に見たの。何か変な動物みたいなのが、たくさんでちー姉を襲ってた。一部は追い返したけど、数が多すぎて」
「あんた、そんなこと出来たんだっけ?」
 
「うん。まあ。これまでも何度か似たようなことあってその時は数が1匹か2匹だったから追い返していたんだけど、今朝のは数が多すぎた。ちー姉の所に電話掛けるんだけど、つながらない。妨害されてる」
「そちらからもか。私も千里の所、家電にも携帯にもつながらないのよ。私、今からすぐ名古屋に行くから」
「お願い。こちらからは時間がかかりすぎる」
「まかせて」
 
桃香は電話を切ると早月をだっこし、電車で朱音の家に行く。「おはよう、朱音」
「おはよう。どうしたの?こんな朝早く」「ごめん、早月を頼む」「えー!?」
 
早月を朱音にだっこ紐ごと手渡すと、駅にとんぼ返りし、名古屋までの切符を買った。
 

その日の朝、康子はいつものように神社にお参りしたが、家を出る時は晴れていたのに神社に入る頃急に天気が悪くなり雨が降り出した。何か嫌な予感がする。これは何なんだ?康子は拝殿に雨宿りさせてもらいながら、一心に祈った。
 
雷が近くで鳴る。これは小降りになるまで自宅に戻れない。
落雷。
凄まじい音がした。
思わずしゃがみ込む。
 
境内の片隅に並んで立っていて、誰が言うともなく「夫婦杉」と呼ばれていた杉が2本とも炎上していた。「大変だ」康子は携帯で119番する。消防署に出火場所を報せたあと、康子は半ば呆然として燃える夫婦杉を見つめていたが、突然心配になった。
『まさか、信次と千里さんの身に何か・・・』
康子は意を決すると、再度神殿に向かいふたりの無事を祈願してから、雨の中濡れるのを構わず自宅への道を走った。
 

 
多紀音は名古屋駅で降りると支店へ急いだ。何かしなくちゃと思って来たものの何をすればいいのか分からなかった。とりあえず信次さんに会おう。奥さんは家だろうな。家の場所を教えてもらって、会えばあるいは何か呪いを回避させる方法があるかも。でも何と説明すればいいんだろう。
 
少し早く着きすぎたようで、門は閉まっている。信次の部署への直通電話を掛けるが誰も取らない。まだ出勤してきてない。中で待ったほうが良さそうと思い、多紀音は社員証を提示して、構内に入った。
 
かなり待って、向こうから信次がやってくるのを見た。駆け寄る。
「おはようございます」
「おはよう。あれ?こちらに出張?」
「いや、その・・・・奥さん大丈夫ですか?」
「え?うちのに何かあったの? まさか君、何かしたんじゃないよね?」
信次は多紀音の雰囲気から、この子が千里に何か危害を加えたのではないかという気がした。
「いや、無事ならいいんです」
「ちょっと、ちゃんと聞かせてよ。何かしたの?」
「私、何もしてない」
 
そのことばは事実上、何かしたと言っているに等しかった。
信次が問い詰めようとする。多紀音はつい逃げ出してしまった。
「待って」
信次が追いかける。
「あ、そこ入っちゃダメ!」
多紀音は工事中の棟の作業領域に侵入してしまった。その時上の方から「危ない!」という声が掛かった。
多紀音は驚くように上を見上げて悲鳴をあげた。
そこに信次が飛びついた。
 

 
何かが変わったような気がして千里は周囲を見回した。あれ?何か部屋が急に明るくなった?そういえば今日は朝から妙に家の中が暗かったような気がする。電話が鳴った。その時、千里は何かものすごく嫌な予感がした。
 
「はい。川島です」
「あ、奥さんですか。私信次君の上司の高橋と申します」
「はい」
「あの、たいへんお気の毒なのですが」
「え?」
「信次君が事故に遭いまして」
「え!?」
「それで・・・・亡くなりました」
千里は受話器を落として、その場に崩れてしまった。
 

 
千里は受話器の向こうから「もしもし」という声が聞こえるのに答えることもできず、放心状態になっていた。何か答えなきゃと思うのに体が動かない。
 
その時ドンドンと乱暴なノックの音が聞こえた。「千里、いる?」
桃香の声だ!
 
千里はやっと体が動いて、ドアを開けた。「千里?大丈夫?」と
心配そうに見つめる桃香。千里は桃香に抱きついて「信次が・・・」とだけ言った。
 
桃香は受話器が外れたままであることに気付いた。
「もしもし。私、川島千里の友人ですが」
「あ、よかった。実はですね」
桃香は信次の上司が語る話に衝撃を受けたが、すぐに千里を連れてそちらに行きますと伝えて電話を切った。
「千里、行くよ」
「うん」
 
流しのタクシーを停めて、信次が収容された病院に向かう。桃香は千里の肩をしっかり抱いて、病院の中に入った。さっき電話をしてくれた高橋さんがロビーで待っていてくれた。案内されてた部屋に向かう。千里は信次の名前を呼んで泣き崩れた。
 
少しして医師がやってきて説明する。
「運び込まれた時にはもう手の打ちようがありませんでした」と医師は語った。「建設現場での事故だったのでしょうか?」と桃香が聞く。建設会社で事故死といえば、ふつうそう考える。
「それがですね・・・」と高橋は歯切れが悪い。
「どうも状況がよく分からんのです。支店の増築作業中の場所だったのですがこの作業に本来川島君は関わってないはずなのです。しかも本来入ってはいけないはずの作業領域で、上から落ちてきた資材に当たっての死亡なのですが、そこに当社の女子社員がいましてね」
「はい」
 
「どうも彼女をかばって落下物に当たってしまったようなのです」
「なぜそんな場所にいたのでしょう?」
「そのかばわれた女子社員がパニック状態で、まだ事情を聞けないのですよ。それとですね、全部言ってしまったほうがいいと思うので言いますが」
「ええ」
「その女子社員がうちの支店の子ではなくて、川島君の先任支店の部下でして」
「出張か何かで来ていたのですか?」
「それが休暇を取って来ていたのです」
「浮気ですか?」桃香は千里には聞こえないような小さな声で尋ねた。
「そのあたりがよく分からなくて、とにかく彼女が落ち着くのを待って話を聞きます」
「その結果、分かり次第こちらに連絡してください」
といって、桃香は自分の携帯の番号をメモして、高橋に渡した。
 
千里がどうにもならない状況だったので、桃香は千里の携帯を借りると、信次の母に連絡を取った。嫌だなあ。こんな役目。
「もしもし」と言っただけで「あら、桃香さんね?」と言われた。声を覚えられているようだ。「はい。それで、ちょっと大変なことが起きていまして」と前置きして信次が事故で亡くなったことを伝える。
しばらく向こうの反応が無かった。桃香は根気よく待った。
「分かりました。そちらに行きます」
気丈な感じの康子の声が帰ってきた。
 
「お願いします。千里が取り乱しているので、連絡は私に下さい」と
いい、桃香は病院の名前と住所を連絡して、自分の携帯の番号も伝えた。
「それで千里さんの方は怪我は?」
と康子が訊いた。桃香は康子も自分と同様の不安を持ったのだろうかと思った。
「千里は無事です。まだ全然事情が分からないのですが、信次さんが千里をかばってくれたんじゃないかという気がします」
「・・・分かりました。ではまた後で」「はい」
 
事故なので警察の検視が行われた。警察も事故の時に一緒にいた女子社員に関心を持ち、事情聴取を試みたが、呪いがどうのとか語る彼女の言葉に警察も手を焼いたようであった。ただ事件性は無さそうだということと、管理上の不手際ではなく事故に遭った本人の責任だという判断になったようであった。桃香はまずいなと思った。労災にはならない雰囲気であった。
お昼に青葉から電話が入った。経緯を説明すると青葉は泣いてしまった。
「あたしが守りきれなかったのね。ごめんなさい」
「何言ってんの。青葉が助けてくれたから、千里だけでも守れたんだから」
「うん・・・あ」
「ね。まだ何か起きるかも知れないからちー姉から絶対目を離さないで」
「分かった」
 
青葉との電話を切ったあと、病室の片隅に置かれた信次の携帯に着信があった。千里がぼーっとしているので桃香が代わりに取る。「もしもし。川島の友人ですが」
「え!?」桃香はその電話の内容に驚く。なんてこった。まだ危機は去ってなかったのか。「川島の者が取り込んでおりまして。恐れ入りますがこの件の連絡は私の携帯に頂けますか?」と桃香は千里たちのアパートの大家さんに言って電話を切った。
 
「千里驚くなよ」
「なあに?」少しとろんとした目で千里が訊く。
「千里たちが住んでいた真下の部屋でガス爆発があってさ」
「え?」
「千里たちの部屋は粉々らしい」
「うそ」
「千里、アパートにいたら大怪我してたね」
「爆発のあった部屋の住人は?」
こういうのを心配するのが千里らしい。
「不在で無事。他の住人もみんなたまたま外に出ていたみたいで、この爆発で怪我した人は誰もいないみたい」
「よかったあ」
 
「何か大事な家財道具とかあった?」
「パソコンくらいかな・・・・写真データはハードディスクに入ってるからガス爆発くらいなら中身は大丈夫かも。一応バックアップを桃香の所に置いてるし。あと、私の着物はかさばるから、全部お義母さんの家に置いてきてたの」
 
桃香は外出させたほうが少し気が紛れるのではないかと考え、いったん病院を出て、千里のアパートまで行き、ふたりでがれきの中から回収できる範囲のものを回収した。回収したものは千里のミラの車内に取りあえず放り込んだ。パソコンはひどく破損していたが、LAN対応のハードディスクは無事っぽかった。
「この中にデイリーバックアップがあるからデータ消失は最小限で済みそう」
と千里は言った。
郵便受けはアパートの玄関の所に集合式であったので無事だった。千里は中身を回収したが、あとで見ると言って桃香に手渡した。桃香はなにげなく、それを自分のバッグに放り込んだ。
 
桃香は青葉の講義が終わったかなという頃合いを見て電話をして、アパートで爆発事件があったことを伝えた。青葉は驚いていたが、「最後っ屁だね。それで終わったと思う」と言った。
「じゃ、もう安心?」
「呪いは終わったと思うけど、ちー姉の精神状態が心配。気をつけてあげて」
「うん。しばらく目を離さないよ」
 
夕方くらいに康子が太一に付き添われてやってきた。その頃には千里もかなり落ち着いてきていたのだが、康子が来ると「ごめんなさい」と言ってまた泣き崩れてしまった。康子は先に泣かれてしまったのでただ涙を浮かべて息子の遺体を見つめていた。康子はアパートのガス爆発まであったと聞いて驚いていた。
 
翌日、高橋は女子社員から事情を聞いた結果を桃香に連絡してきた。結局会社側でもさっぱり分からないということであった。ただ浮気ではないということは本人が明言したということ。また自分が千里に呪いを掛けてしまったということを言っていたということであった。そして呪い返しできっと自分も死ぬ筈だったのに、それを信次がかばってくれたのだと言っていたと高橋は語った。桃香は全てがてんがいった。
 
少し落ち着きを取り戻した千里が、昨日の朝、自分の体に何かがまとわりついている感じがしたこと。それを信次が取ってくれたことを語った。
「それでね桃香、もしかしたら信次さん、私の凶運を引け受けてくれたんじゃないかな。私哀しい。私が死んでれば問題無かったのに」
「それさ、信次さんが千里を守ってくれたということだよ。だから自分が死んでればよかったとか言っちゃダメ。千里はしっかり生きないと」
「うん」
千里はそう言うとまた泣き出してしまった。
「それに、あの後も信次さんの事故の連絡受けて、桃香と一緒に家を出たからアパートの爆発に巻き込まれなくて済んだんだよね」
「ほんとに千里守られているね」
「うん」
桃香は思った。この呪いは成就していたら、たぶん千里が死に、術者の子も死んでいたのではなかろうか。信次は多分ふたり分の命を引き受けたんだ。
 
桃香と太一との話し合いで、信次の遺体は地元まで輸送して、向こうで葬儀をすることにした。信次のムラーノの荷室に遺体を乗せ、桃香と太一が交替で運転して、地元に戻った。後部座席に千里と康子を乗せた。
 
出発前に、ふと桃香は昨日つい千里から受け取った郵便物のことを思い出した。緊急のものが無いかだけチェックする。「至急・親展」と書かれた信次宛の封書があった。差出人を見ると、信次が4月に手術を受けた病院からである。。本来は千里に見せるべきものだが、今は無理だなと判断し、太一に声を掛けてふたりで開封した。それは信次の主治医の直筆の手紙のようであった。お電話がなかなかつながらないので手紙で失礼しますと断った上で、先日の手術で摘出した組織を念のため精密な検査をした所、良性と思われていた組織の中に一部悪性の腫瘍が混じっていたということで、他に転移している可能性もあるので、至急再検査を受けてほしいという手紙だった。ふたりは顔を見合わせた。
 
「そういえば信次のやつ、ちょうど1年くらい前ですが、『余命診断』とかいうネットの占いをやったらしくてですかね」
「ええ」
「その時余命1年と出たらしいのですよ。ネットの占いなんて適当だよね、などと言っていたのですが」
「うーん」
「もしかしたら、信次のやつ、ほんとに命が残り少なかったのかも知れない」
 

千里は葬儀の間もずっと泣いてばかりいた。一応喪主ではあるが実際の手配や指示は桃香が康子に意志確認しながら代行していた。北陸から駆けつけてきた青葉がずっと千里の手を握っていたが、ほんとに心配で目を離せない感じであった。康子はしばらく自分の所に置いておくと言った。
 
桃香は名古屋のアパートの解約手続きをしてきた。爆発による家財道具の損傷に関しては、大家さんのほうで爆発を起こした入居者との間で交渉し、補償金が取れたら振り込んでくれるということであった。
 
信次の会社のほうの死亡退職の手続きも千里に委任状を書かせて桃香が代行してきた。やはり労災は降りなかった。桃香は食い下がったが、難しい感じであった。
 
高校時代のクラスメイトで弁護士になっている子に電話して状況を説明すると裁判すれば勝てるかも知れないとは言われた。ただ微妙ではあるので、数年にわたる訴訟を維持するだけの金銭的な余裕があるかどうか次第と彼女は言っていた。
 
桃香はもうひとつ面倒な交渉をしに東北に赴いた。あの病院で、依頼者の夫のほうが事故死したことを報告すると、医師は桃香の予想通り、今回の代理母のプロジェクトは中止すると告げた。ただちに代理母の中絶をおこなう、と。この病院があっせんしている代理母は、特別養子縁組を使うことが大前提である。特別養子縁組は通常の養子縁組より条件が厳しく、養親は法的な夫婦でなければならない。つまり今回信次が死亡したことで、千里は単独で生まれてくる子の母親になることはできなくなってしまった。
 
特別養子を諦めて、普通の養子にする手はある。しかしそれをすると、その子の戸籍は、代理母さんの戸籍のほうにも残ってしまう。特別養子だから、産んだ母とは法的な関係が切れて、育てる親だけの子供になるのだ。代理母の契約で産んだ子との縁が完全に切れるようにすることが絶対条件として入っているので、こういう展開はまずいのである。
 
しかしこの子は信次の忘れ形見である。康子にとっても大事な孫である。また桃香自身にとっても自分の遺伝子を分けた子供である。そして、なんといってもその子は今代理母の胎内で生きているのだ。それをおとなの事情で抹消してなるものか。桃香は絶対にその子を守ろうと思い、どうしても千里の子供にできないなら最悪遺伝子上の母である自分の子供にしてもいいから何とか出産まで進めて欲しいと、必死で医師に食らいついた。あまりの必死さに根負けして医師は事情を代理母さんに説明すると約束した。
 
桃香は直接代理母さんにもお願いしたいと言ったが、それは勘弁してということで、隣室での待機になった。代理母の潘さんは思わぬ状況に驚いていたが、普通の養子にしてもいいと言ってくれた。
 
「私も自分の子3人、代理母で2人子供産んで、この子6人目の子供です。自分の戸籍にいろいろ記載が残るのは気にしません。私もこの子を中絶するの嫌です。私だって、お腹に入れているこの子が可愛いんです」
 
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