【女の子たちの魔術戦争】(その2)

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ふたりはその後も仕事の合間を縫って週に1度くらいのデートを続けた。そして4回目のデートの時、信次は千里をホテルに誘った。
誘った信次のほうが不安がっている感じだったので千里はしょうがないなと思い、優しくキスした。そうしたら信次も少し落ち着き、ふたりは優しく結合をした。最初はおそるおそるだったものの、ふつうにできるようだと分かると、向こうも調子に乗ってきて、結局その日は朝まで10回ほど結合をした。 
信次は今度母に紹介したいから、来週の日曜時間を取って欲しいと言った。 

 
その日千里が茶道教室に行った時、康子が折り入って相談があると言ってきた。教室が終わったあとで、ふたりで近くの小料理屋に入り、個室で話をする。 
「実はね。うちの息子が恋人を紹介したいと言ってきて」
「あら、よかったじゃないですか!早々にお孫さんが見られるかも知れないし」
「それがね、どうも色々問題のある女の人みたいで」
「あら」
「息子は騙されていると思うんですよ。何とかそれ破談にしたくて」
「うーん。でもこういう問題は、本人の意志を優先してあげたほうがいいのでは」
 
「でも、あまり変な人と結婚しても破綻するの目に見えているから。それでね、あなたにお願いなの。うちの息子と見合いしてくれないかしら?」
「えー!?それはまずいのでは。息子さんは、その好きな方がいるんでしょう?」
「だから形だけでもいいのよ。あなたみたいな素敵な女性を見たら、息子も考え方変わるだろうし」
「でも困ります。私も実は交際している人がいるので」
「あら、そうだったの。でもお願い、息子に素敵な女性のサンプルを見せるだけでもいいから」
千里は康子の熱心かつ強引な頼み込みに負けてしまい、明日お見合いに行くことを承諾した。
 
会社に電話して急用ができたので明日休むということを伝える。参ったなあと思いながらその日は早めに寝て、翌朝は美容液パックでしっかりお肌のメンテをした。康子から頼まれたとおり、上等の訪問着を着る。ゴム糸目の普及品ではあるが京友禅の品で、千里としてはけっこう気に入っている服のひとつである。髪の毛も自分できれいにまとめ、長い髪を巻いてかんざしで留める。
 
愛用のミラに乗って、康子に教えられた住所に行った。
 
康子のうちでは、康子が次男が言い争いをしていた。
「だからね、素敵な女の子がいるのよ。ちょっと会ってみてほしいの」
「そんなの困るって。俺会わないよ。俺こないだ言った人と付き合っているんだから。今度ここに来させるからさ。その人に会ってよ」
「だって、その人は問題外でしょ。少し目を覚ましなさい」
 
そんな争いをしているうちに玄関のベルが鳴る。
「あら、いらしたみたい」
息子は困ったなという表情で、パジャマのままテープルの所に座っていた。背広を着ろと言われたのだが反抗してパジャマのまま。ひげも剃っていない。 
「さあ、いらして、いらして」と康子が千里を部屋の中に案内してくる。「でも千里ちゃん、きょうはとてもいいお召し物ね」
ん?ちさと??
「ありがとうございます。京友禅ではありますけど、ゴム糸目の安物なんですよ」
え?この声は。
 
信次は棒立ちになった。
千里は部屋の中に入り信次を見てびっくりして立ち止まってしまった。康子は何が起きたのか分からず、ふたりの顔を見比べている。
 

 
ひどくガックリしている様子の康子に千里が遠慮がちに声を掛ける。
 
「私の性別のこと言ってなくてごめんなさい。でもまさかこういうことになってるとは。私、自分の性別問題については、ふつうの結婚ができる立場ではないと自覚しています。今回の話は私、身を引きますから、康子さん、信次さんにいいお嫁さん探してあげてください」
すると信次が反論する。
「ちょっと待って。身を引いたりしないでよ。僕は千里の性別なんか気にしないし、結婚したいと思っているんだから。子供作れないのはしょうがないけど」
 
康子が何も発言できないまま、身を引くと言う千里と、結婚したいと言う信次がしばらく言い争っていた。それを眺めていた康子がやがてこう言った。 
「千里ちゃん、もしよかったら、身を引いたりせずに信次と結婚してやってくれない?」
「え?でも」
「信次のところでは孫は諦めるわ。太一のほうに賭けるから」
「うん、兄貴に期待しよう」
「だって千里ちゃん、ほんとに良くできた女の子なんだもの。立ち居振る舞いがすごく優美で、言葉遣いもきれいだし、行儀作法もしっかりしてるし。和服をこんなにきれいに着こなせるお嬢さんなんて、いまどきなかなかいないしね。私、千里ちゃんをお嫁さんにしたい」
「康子さん・・・・」
 
こうしてふたりは婚約者になってしまったのであった。
 
話がまとまってしまったところで、3人でお食事に行きましょうということになり、信次はちゃんとヒゲを剃り背広に着替えてきて、康子も上品な友禅の訪問着を着た。「凄い!糊糸目ですね」と千里が言ったが信次は「その糸目って何?」などと言っている。
 
信次のムラーノを車庫から出し、代わりに千里のミラをそこに収納した。信次の運転で郊外の海岸沿いにある料亭に入った。
 
お食事をしながら今後のことを話していく。
「今回、信次さんの会社から受注したシステムの完成予定が12月ですが、システムの開発は、これ発注者を前にこんなこと言ってはいけないのですが絶対予定通りには行かないので、少し余裕を見て、3月くらいの結婚式というのではどうでしょうか?」
「春に結婚式っていいわね。新しい生活のスタートという感じで」
「それで、私、おふたりに言っておかなければならないことがあります」
「え?まだ何かあるの?」
 
「子供のことなんですが・・・実は孫の顔、見せてあげられるかもです」
「どういうこと?」
「私の大学時代の親友で、大学時代はずっとルームシェアして暮らしていた、とっても仲の良い子がいるのですが、私のこといろいろ心配してくれて、私が手術受けた時とかも、タイまで付き添ってくれたりした子なんですが、その子が、私がもし結婚した場合は、卵子を提供すると言ってくれてるんです」
「体外受精?」
「ええ。それで私、卵巣も無いけど、子宮もないので、卵子だけもらっても妊娠できないのですが、これも学生時代のツテで、国内で代理母の斡旋をしているお医者さんがいまして、ですから、彼女からもらった卵子を、信次さんの精子と体外受精させて、代理母さんに産んでもらえば、信次さんの子供、康子さんの孫を授かることができます。もちろんたくさん費用かかりますがそんな時のために私、頑張って貯金しましたから、お金でご迷惑は掛けないと思います」
「それはとっても嬉しい話だわ、私」
「そんなことができるなんて」
ふたりは思ってもいなかった話に感動し、ぜひその話を進めて欲しいと言った。康子はその費用は自分が出すから、貯金は新生活のために使ってとも言った。 

千里は少し不安な気持ちを心に秘めながら、ミラを桃香のアパートに着けた。今日は静かだ。「こんばんは。早月ちゃん寝てるかな?」「あ、お帰り、千里」
桃香は千里がここを訪れると「お帰り」という。千里も出かける時は
「行ってきます」と言う常になっていた。しかしこの日桃香は千里の顔を見るなり「どうしたの?」と聞く。やはりふだんと違う顔をしていたのだろう。 
千里は今日起きたことをそのまま語り、ほんとに突然だけど結婚することになってしまったこと、そしてもしよかったら以前言っていた卵子の提供をお願いできないかということを頼んだ。また今している経済的な支援は結婚したあとも続けるから心配しないで欲しいとも言った。
 
桃香はじっと千里の話を聞いていた。縁談を壊すための見合いを頼まれて行ってみたら、それが本人だったという件に関しては大笑いしていたが、結婚が決まったということについては「おめでとう!」といってキスをされた。どさくさ紛れにディープキスに持ち込み更に押し倒そうとしたので、千里はふりほどいて「ストップ、ストップ」という。
 
「こないだから、男できたみたいだな、とは思ってたんだよね」
「ごめん、言ってなくて。でも親に認めてもらえるわけないからすぐ破談になるだろうと思ってたのよ」
「ああ、悔しいなあ。千里の処女は私がいただこうと思ってたのに。ほかの男に取られるんだったら、千里レイプしとけばよかったなあ」
「もう、桃香ったら」
「卵子の件はOKだよ。何個でも何回でも採取していいから」
「ありがとう」
「だって私も千里の精子もらったからね。交換で私の卵子あげるんだもん」
早月は千里が去勢前に採取し冷凍保存しておいた精子で桃香が妊娠して産んだ子である。
 
「それでさ、経済支援だけど、千里が結婚するまでは続けて。お願い。でも結婚したあとは、さすがに旦那に悪いよ。こちらで何とかするから、中止して」
「でも、まだ早月小さいから、仕事見つけられないよ」
「結婚式3月にするのなら、それまでには早月もだいぶ手が離れるようになってると思うから。託児所に預けて働くから」
「うん」
「体外受精と代理母の費用、私が払うつもりだったのだけど、お義母さんが自分が出すからと言っているの。だから、その分、卵子提供代ということで桃香にあげる」
「んー。それはダメ。卵子の提供は無償」
「そう?じゃどこかでつじつま合わせするかなあ・・・・」
 
その時、トントンと可愛いノックがした。桃香が行ってドアを開けると「ただいま」といって、まだ可愛いといっていいくらいの女性が入ってきた。 
「あ、青葉、こっちに来てたんだ!
「ごめん、言ってなかった」と桃香。
「あ、ちー姉も久しぶり」といって青葉は千里とハグする。
 
「青葉、千里が結婚するのよ」と桃香が言うと
「うっそー!おめでとう」と言って凄い喜びようである。
相手は仕事で知り合った男性で、千里の性別のことも知った上でお義母さんともども千里のことを気に入ってくれるというと、
「やはり世の中にはちゃんと受け入れてくれる人もいるんだね」
としみじみの様子。桃香はこの子もずいぶん色々な表情を見せるようになったなと思った。知り合った頃はほんとに無表情な子だった。
 
「ね、ね、それなら私に披露宴の司会させて」
青葉はちょっと事情があって桃香と千里が保護している子で、ふたりは「妹」
とみなしており、青葉もふたりを「もも姉」「ちー姉」と言って慕っている。北陸にある桃香の母の家に身を寄せているのだが、現在当地の国立大学2年生で、将来アナウンサーを目指しており、地元のアナウンススクールにも通っている。「うん。じゃ、向こうに話してみる」
と千里は笑顔で言った。
 

 
信次が☆☆システムの女性SEと婚約したということを職場で聞いた多紀音はショックを覚えた。多紀音はまたあの黒魔術の本を開き、これを使ってやると決断した。
 
多紀音は本の記載通りに作った液を染みこませた紙に、72時間睡眠を取らない状態で、**の血で特殊な図形を描いた。それをポケットに忍ばせて、その日信次と打ち合わせをしている女性のそばにお茶を持って近寄る。にこやかな笑顔でお茶を置き、その時さりげなくその紙を落とした。「あら?」彼女はそれに気付いて「落ちましたよ」といって、その紙を拾って多紀音に渡した。「すみません、ありがとうございます」
 
多紀音はオフィスの外に出て「魔術」の仕上げをする。図形は女性の体を表していた。『不妊にしてやる。思い知るがいい』そう思いながらその体の子宮の付近にレシピ通りに作った特殊なマッチで火を付けた。掌の上で紙が燃えていく。熱いのを構わず紙が最後まで燃え尽きるのを待った。残った灰を風に飛ばし、儀式を終了した。
 

翌月。多紀音は自分の生理が遅れているのに懸念を持った。調子悪いのかなと思いしばらく様子を見たが、いつまでも来ない。不安を感じた多紀音は婦人科を受診した。いろいろ調べられる。少し間隔をあけて来て下さいと言われ、何度か受診した。その結果について、医師は難しい顔をして言った。
 
「ショックだと思うので気を確かにして聞いてください。これは閉経しています」
 
多紀音はショックを受けて、医師から説明を受けたあとしばらく立てず、診察室の隅でしばらく休ませてもらった。あまりにもその症状が酷いようだったので、そのまま病室に運ばれ1時間ほど点滴を受け、やっと立てるようになって帰宅した。 
『呪いが帰ってきたんだ』と多紀音は思った。あの女に呪いを掛けたつもりだったのに、何らかの事情で呪いが跳ね返されてしまった。実は子宮に呪いを掛けたのに千里にそういう器官が無かったために術者に帰ってきたのだが、その事は多紀音は知るよしもなかった。『悔しい。このままで済ませるものか』
 

システムの開発は思った以上に順調に進んでいた。その年新卒で入った女性が天才プログラマーという感じで、難しいプログラムをどんどん組んでくれるので、千里はそれまでの開発では自分で書いていたようなプログラムも彼女に書いてもらい、自身はプロジェクトの管理のほうに専念した。
 
信次との交際も順調に進んでいた。千里は性転換した直後に実家から絶縁されていたのだが、連絡をすると母が喜んでくれて、こちらに出てきてくれ、信次の母に挨拶した。結婚式は市内のホテルで神式ですることにしていた。父は何を言っても『ふん』としか答えないということだったが、母と妹が結婚式に出席することを約束してくれた。
 
なお、信次達の披露宴の司会を青葉がしたいという件は信次と康子から快諾を得た。 
康子は毎朝、神社へのお参りを続けていた。ただ祈願する内容が少し変わっていた。「どうか太一によいお嫁さんが来ますように。どうか信次と千里さんが幸せな結婚をしますように。そして良き孫が授かりますように」
 
信次は職場の健康診断で「要精密検査」と言われ、あらためて病院を訪れて、様々な検査を受けた。医師は無表情でそのことを告げた。「腫瘍が出来ています。見た感じは良性のものにみえますが、念のため組織検査をさせてください」
 
改めて病院を訪れ1日入院して、部分麻酔で組織採取をされた。後日また病院に行き検査結果を聞く。「やはり良性でした。手術して取り除くか、あるいは薬などで対処するかは、経過を見て判断しましょう」という。信次はふと以前見た「余命診断」サイトで、余命1年と出たのを思い出したが、まさかね・・・と思った。信次は千里や母に心配を掛けないように、この病気の件はふたりには当面言わずにおくことにした。
 
信次の兄、太一が突然女性を家に連れてきて、結婚すると言った。康子は驚いたが、既に彼女が妊娠していると聞き、「それじゃ私が承認するとかしないとかの問題じゃないじゃないの」と文句を言った。その翌週、康子と太一カップル、信次カップルの5人で、簡単なお食事会をして、お互いの前途を祝した。 
太一は最初結婚式は面倒だからしない、入籍だけでいいとも言っていたが説得して、3月、信次たちの結婚式の予定が入っている翌日に挙げることにした。土曜日に信次の結婚式、日曜日に太一の結婚式である。連続してやれば、遠くから来てくれる親戚が助かる!信次たちは結婚式の翌日から新婚旅行に出かける予定だったが、これを受けて旅行日程を1日ずらすことにして、宿泊関係の予約変更手続きをした。
 
なお、太一の婚約者、亜矢芽の出産予定日は7月ということであった。信次たちのほうは結婚式をあげた翌月に体外受精をする予定でその出産予定日は再来年の1月になる(その子を代理母に産んでもらうことは太一たちにも明かしたが、千里が子宮の病気のためということにしておいた)。息子が2人とも結婚する上に、半年間隔で孫が2人できるとあって康子はもう手放しでうれしがっていた。 
康子は神社への参拝で感謝の祈りを捧げていた。その時、突然朝日が雲に遮られ、しかもそこを黒い鳥が横切っていった。康子は小さな不安を感じた。康子はこれは信次のほうに何かトラブルが起きつつあると感じ、問い糾した。信次は良性腫瘍ができていて経過観察中であることを明かした。康子は悪い予感がするから、念のため別の医者にも診てもらったほうがいいと言った。 
翌週、信次は癌関係の治療で定評のある病院を訪れ、あらためて検査を受けた。そこの医師の判断は「良性ではあるが、このままにしておくのは危険」ということで、手術を勧められた。信次は仕事の日程が詰まっていたことと目前に結婚式を控えていることから治療を渋った。医師との話し合いで、すぐ進行するものでもないからということで、結婚式のあと、4月頃に手術を受けることにして、病院にスケジュールを入れてもらった。
 
信次は康子と千里に腫瘍の手術の件を報告した。ふたりとも心配したが良性だから大丈夫と言った。細かい日程として、4月4日に体外受精をおこなうことになっていたが、その翌週11日に腫瘍の手術を受けることにしていた。手術の前々日に入院し、手術後5日ほど病院で過ごして退院するというスケジュールだ。 
様々なことが進んでいく中、その年は暮れた。システムの開発は納期直前になってやむを得ない仕様の変更が生じ、結局年内納品は断念された。本当はゆっくりと年末年始を過ごしたいところであったが、千里はそれどころではなかった。システムは結局、1月中旬に納品することができた。本番が始まり、しばらく千里は数人のプログラマーと一緒に信次の会社に貼り付いていたが、大したトラブルもなく、システムは稼働してくれた。
 
1月下旬、千里は3日間の休暇をもらって束の間の休息を取った。1日目はひたすら寝た。システムの立ち上げの前後というのは、ほんとに寝る時間がなく慢性的な睡眠不足になっている。夕方くらいに桃香に電話してお腹すいたなどと言ったら、桃香が早月とまたまたこちらに出てきていた青葉を連れて食料持参でやってきてくれた。
 
「たまに買い物すると、ついついおやつばかり買っちゃう」と桃香。
「ダイエット中なんだけどな・・・こんなにおやつあると自信無い」と青葉。「おやつ大歓迎」と千里。
 
早月が生まれて以来、ほぼ毎日のように千里が必要な買い物をして桃香の家に持参していたので、桃香はあまり自分では買い物に行ってなかった。11月頃以降はシステムの仕上げのため会社に貼り付いていて、あまり桃香の家に行けなかったのだが、行ける時に一週間分くらいのまとめ買いをしていたので、桃香は多少不足するものを近くのコンビニで調達するくらいで済んでいた。 
3人の話は弾んだが、おしゃべりに夢中になっていると青葉は3人の中でいちばん食べている感じであった。若さが食欲を求めている感じだ。かなり食べてから「あれ〜、私かなり食べちゃったみたい」などと言っている。そんな青葉に早月もじゃれついていて、青葉は片手で遊んであげていた。 
千里が毎日のように桃香の家に行っていたのは、むろん友人として支援する意味もあったが、それ以上に千里にとっても自分の遺伝子上の子供である早月と触れ合いたいためであった。ただし早月の戸籍上の父親欄は空白で千里は認知もしていないので、法的な親子関係は無い(千里の結婚の障害とならないよう、桃香の主張でこういう処置をとっている)。来年代理母さんに産んでもらう予定の子供は千里の法的な子供になるが(特別養子縁組をすることになる)、遺伝子上は千里と親子関係は無い。桃香はその件を考えるたびにややこしいなと思ったが、桃香と千里がお互い納得して選択した道である。
 

2月。システムは安定していた。信次と千里は結婚式を目前にして衣装選びをしたり、披露宴に呼ぶ友人達のリスト作りなどをしていた。信次に会社から名古屋支店への転勤の話が出された。千里は会社を退職して名古屋に同行することにした。「そんな寂しいわあ」と康子は言っていた。本来は4月2日(月)付けの異動になる予定だったが、腫瘍の手術の件があったので、転勤は5月の連休明け、5月14日付けということになった。千里もその日で会社を退職することにした。
 
桃香はその頃から、科学関係のコラムを雑誌に書く仕事にありついていた。物理学や天文学に関して桃香が初心者向けに書いていたブログに雑誌社が注目し、うちの雑誌に記事を書いて欲しいと頼まれたのである。原稿料はわずかではあったが、切り詰めれば母娘2人くらい何とかやっていけるかもという気がした。「あとはパート探すからさ、今後のことは心配しないで」
と桃香は千里に言った。それでも千里が会社を退職する5月までは桃香の家の家賃・光熱費は千里の口座から引き落とすことで、ふたりは合意した。 
「ねえ、お母ちゃんが桃姉のこと心配してたよ。少しお金支援しようかって」
と就職活動を兼ねて遊びに来ていた青葉が早月をあやしながら言ったが、桃香は「うーん。どうにもならなくなったら頼むかも知れないけど、今の所千里とふたりで何とかなっているから」と桃香は青葉に言った。
 

3月になった。千里は本当に忙しい日々を送っていた。5月で退職するということで、新規のプロジェクトからは外してもらい、稼働中のシステムのメンテや小さな改造などの仕事を主にやっていたが、結果的に様々な客先に出かけることになり、どこの顧客も千里を頼もしく感じてくれたようで、色々お呼びが掛かり、新しい案件の提案をしてくれと頼まれることも多々あった。5月で退職する予定なので自分は担当できないけどもと断った上で、たくさんシステムの企画書を書いた。3月だけで3件の新規受注を得た。
 
結婚式には信次側の親族・同僚、学生時代の友人、千里の母と妹、急遽参加してくれた叔母、千里の会社の同僚、そして大学時代の友人たちが出席して、華やかなものとなった。青葉は千里から借りた京友禅のシックな振袖を着て、そつなく司会をこなした。桃香は友人代表でスピーチをした。むろん太一と亜矢芽も信次の親族として参列した。信次の親族代表挨拶は康子の兄がしたが、千里の親族代表挨拶については千里の叔母が無難に務めてくれた。
 
翌日は、信次側の親族はそのまま連チャンになって、太一の同僚や友人たち、亜矢芽の親族・同僚・友人たちが出席しての式となる。信次と千里は太一の親族として出席した。
 
その日の夜は場所を移して、太一夫妻・信次夫妻のふた組を雛壇に並べて、親族一同の内輪の宴会がおこなわれた。亜矢芽の親族も半分くらいが残って出席し、千里の母と妹も出席した。本来親族だけの集まりだったのだが、桃香は青葉を連れてちゃっかり出席していた。向こうの親族は千里の姉妹と思っていたようであった。ちなみに早月は、友人の朱音がその日は家で面倒を見てくれていた。
 
「だって青葉は千里の妹だから出席する権利あるでしょ。私は青葉の姉だからやはり出席する権利あるのよ」などと桃香は言っていた。
 
4月になり、信次と千里は一緒に東北地方のある病院を訪れた。7年前の東日本大震災の爪痕がまだ残っていたが、各地で新しい家やビルの建築なども見かけ、確実に東北は復興してきていることをふたりは感じ取った。その病院も震災で被災し、新しく立て直したということで、真新しい建物である。ふたりは婚約者時代から何度もこの病院を訪れて院長と話をしているが、今回はいよいよプロジェクトの起動になる。
 
実際の体外受精は来週やるのであるが、今日はその前に代理母さんとの面会であった。ふたりは緊張したが、向こうがとても朗らかな感じの人で心がゆるんだ。30代の中国人女性で、自分の子供を既に3人産んでいて、それ以外に代理母も過去2回しているということだった。自分の子供は中国で母(子供達の祖母)に育ててられているらしく、彼女は日本に出稼ぎに来ているということだった。ずっと宮城県内のレストランでウェイトレスをしているらしい。出産前後は休業することになるので、代理母の報酬はその期間の生活費も含むものである。医師は代理母のプログラムについて双方の前で再度細かい問題をきちんと説明した。信次は一週間の禁欲をするよう言われていた。
 
「一週間禁欲とかしたことないから自信無いなあ・・・」と信次は言っていた。ふたりは結婚以来毎日夜の営みをしていた。「私が我慢すればいいのかな。信ちゃん、ひとりではしてないでしょ?最近」「それはちーちゃんとしてるからひとりではしてなかっただけで」「まあ、頑張ろう」「うん」
 
千里は小学生の高学年の頃、オナニーというものを「発見」した頃はけっこうしていたものの、その後、女の子になりたい自分がこういうのをいじるのは、良くないと思うようになり、あまりしなくなっていた。それでも学校で男の子たちが毎日オナニーしているというのは聞いていたので、男の子って毎日しないと我慢できない生理現象のようなものなのかな、などとは思っていた。ただ自分では「我慢する」という経験が無かったので、どのくらい辛いのかなというのは、あまり想像できなかった。信次が夕食時などに明らかに淫らなことを考えている雰囲気だったりした時、少し慰めてあげようと思ってキスしたら「やめて、やりたくなっちゃうから」と言われ、キスも控えるようにした。 
一週間後、またあの病院を訪れる。千里も協力してふたりで信次の精液を採取したあと、信次がとてもすっきりした顔をしていたので千里は微笑んでキスしてあげた。桃香も来ているのだが病院の方針で当日は別行動して欲しいと言われていたので、この日は会わずじまいになった。しかし桃香はメールで逐次現況を伝えていたので、桃香が千里たちより早めに病院に入り、卵子の採取を受けていたのは分かっていた。受精はただちに行われ、別途待機していた代理母さんの子宮に入れる。医師の方針で子宮に入れる受精卵は1個のみなので、妊娠が失敗した場合は、再度やることになっていた。
 
信次の精子が桃香の卵子と受精させられたということを医師から聞いたとき、千里は軽い嫉妬を覚えたが、桃香だから許せるよねとすぐに思い直した。桃香とは結局翌日、千葉に戻ってから会い、3人で食事をした。
 
翌週は信次の腫瘍の手術であった。千里は良性のものだから心配することはないとは言われたものの、いろいろ不安で有休を取りずっと付き添っていた。手術は成功ですと言われ、千里はほっとした。入院はその週いっぱいですぐに退院できたが、傷跡がけっこう痛むようだったので、結局翌週も一週間会社を休んだ。もっとも千里は退職までに片付けなければならない仕事が大量にあり、とても休んでおられず、「ごめんね」といって会社に出かけていた。
 
4月下旬、例の病院から、代理母さんの妊娠が成功したという連絡があった。これで自分も母かと千里は感慨深く思う。桃香が一足先に母親になったので千里も母親になりたいなと思っていたのであった。ただ千里の場合出産するのは代理母さんなので、いったん代理母さんの子供として届け出がなされる。それを特別養子縁組で、信次と千里の子供にするのである。手続きには1年ほど掛かるので、正式に自分がその子の法的な母親になれるのは今から2年ほど先ということになる。
 
ゴールデンウィークは千里は休みたかったのであるが、仕事がそれを許してくれなかった。退職を目前にしても、書いてほしいと言われる企画書が多数あったし、過去のシステムのメンテなどもかなりあった。結局ゴールデンウィークはずっと会社に行きっぱなしで、自宅にも桃香の所にもいけずじまい。信次からさすがに文句を言われたが「ごめんね」とひたすら謝った。
 
しかし嵐のような大量の仕事をこなして5月14日、千里は会社を退職した。実は前日も徹夜で仕事をしていて、この日の朝やっと仕上げたのであった。千里は社長に「私みたいに性別変更した人を雇ってくれてたくさん仕事をさせてくれてありがとうございました」と言ったが社長は「まだ君は自分が性別を変更したことに負い目を持っているの?そんなこと気にすることはない。君はもう間違いなく女性なのだから、自分が女性であることに自信を持ちなさい」
と言った。千里はほんとうにそうだなと思い、社長に深くお礼をした。 
退職金はびっくりするくらいもらったので「3年しか勤めてないのに」と言ったが社長は「いや、その金額では全然足りないくらい会社に貢献してもらったから」
とにこやかに言っていた。千里は退職金の一部を桃香にお裾分けしようとしたが「何かの時のためにとっときなよ」と受け取りを拒否された。青葉に3割渡したら「ありがたくもらっておくね。結婚資金にしようかな」などと言っていた。彼女が無駄遣いする性格ではないのは知っているので千里は微笑ましく見ていた。 
千里が退職した同日信次は名古屋支店に転勤になり、千里よりひとあし先に名古屋入りして、新しい職場での挨拶に回っていた。千里は会社での送別会などを終えて翌15日の朝に名古屋に行き、朝食を作って信次を会社に送り出した。前日14日の晩は桃香の家に泊まり、桃香と早月と束の間の触れ合いをしてきた。早月も1歳になっていたが、早月の遺伝子上の父が千里であることは千里は信次にも言っていない。「要するに隠し子だよな」と桃香は時々言っていた。「私も千里の愛人だったりして」
「うーん。その説については後日検討するということで」
と千里は答えた。
 
千里を送り出した桃香は、寂しいなという思いがした。これでしばらく千里とは会えない。千里が行く前に強引にでもHしちゃえば良かったかなという気もしたが、千里も配偶者のある身だ。あまり無茶はできないよなと思う。桃香はしばしば千里に「好きだよ」とは言ってきたが、千里は返事をいつも誤魔化していた。だから千里からの愛の言葉というものを聞いたことがない。キスして拒まれたことはほとんどないが、千里からキスされた記憶もほとんど無い。片思いのようなものだけど、千里が自分の愛を拒否はしていないことは感じていた。
 
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