【少女たちの基礎教育】(1)

前頁次頁目次

1  2 
 
少年は慎重に狙いを定めた。
 
これまでカエル、ネズミ、スズメ、などは撃ってきたが、人間を狙うのは初めてだ。25-26歳だろうか。若い女だ。あの女が悲鳴をあげる所を想像するとわくわくする。少年は今まで女にもてたことがない。一度だけ高校時代にラブレターを送ったことがあるが「受け取れない」と言われて突き返された。それ以来少年は女というもの自体に憎悪を抱いていた。
 
引き金を引く。
 
パン!という高い音が響き、女が倒れる。足を押さえている。腹付近に当てるつもりだったのだが、やはり距離が遠いから外れたか?しかし女が苦痛の表情を見せているのに満足して、少年はゆっくりとその場から立ち去った。
 

津気子が出席したその日の町内会で、荒れ放題になっている神社の件が議題に上った。そこは2年ほど前まではちゃんと宮司さんが居て、上の子供が生まれて33日目にはここにお宮参りして、宮司さんが祝詞をあげてくれた。しかしその宮司さんはその年の末に急死し、後を継ぐ息子などもいなかったことから、宮司不在が続いているのである。それで社務所兼宮司宅の窓ガラスが割れたままになり、どうも野犬が出入りしたりしているようで、衛生上も治安上もよくないのではと、地元の住民は言っていた。
 
「ではこの件、町内会長から神社庁の留萌支部の方に再度陳情してみて、埒があかないようであれば、**議員から札幌の本庁の方にも言ってもらうという線でいきましょう」
 
と3班の班長さんは締めくくった。
 
「ところで他の班からは、**台の空気銃持ち歩いている男の子の件で何か聞いていませんか?」
とひとりの住民が班長さんに尋ねた。
 
「****君ですよね。船の上で他の船員を殴って首になった後、どうもぶらぶらして暮らしているみたいで」
「あの子、生活費はどうしてるんですか?」
「どうもそれが謎で」
「カツアゲとか盗みとかしてるのではと危惧してるのですが」
 
「だいたい、あの銃、公安委員会の許可取ってるんですか?」
「どうも許可の必要無いエアソフトガンというタイプのようで」
「それ殺傷能力とかは無いんですよね?」
「未改造であれば、そこまでの威力は無いはずなんですけど・・・」
 

注.エアソフトガンにもかなりの威力のあるものがあったことから2007年の法改正で威力の強い物は規制対象になることになった。この物語はそれ以前の時期である。
 

「でも空気銃で小学生の男の子も襲われそうになったらしいですね」
「そうなんです。4班の**君が空気銃で狙われたらしいです。大きな声をあげて、その声で近所の**さんが飛び出してきたので、それを見て逃げたので何事もなかったらしいのですが」
 
「最近何度か猫の死体が転がっていたことありましたよね。あれ、あの子に撃たれたんじゃないでしょうか? 証拠は無いけど」
 
「警察の方にも言ったんですけどね。猫が殺されたというのでいちいち警察は捜査できないと言われて」
 
「しかし人間が襲われてからでは遅いですよ」
 
「ちょっとその件こそ議員さんの方から少し圧力掛けてもらえませんかね」
 

1994年4月。
 
「間もなく着陸態勢に入ります」という機内アナウンスを夢うつつで聞いていた藍川真璃子は、機内の何やら異様な雰囲気で目を覚ました。
 
「何だこれ?」
 
機体が異様に上向きに傾斜している。まるで風神雷神にでも乗ったかのようである。フライトアテンダントが自分の座席の横を悲鳴をあげながら機体後方に滑落していった。
 
そしていきなり浮遊感のようなものを感じる。
 
墜落する!死ぬ!!!
 
と感じた真璃子は反射的に逃げようとして、寝ぼけていたものでうっかり身体を置いたまま幽体だけその場から逃げ出してしまった。
 
「あ、私の肉体が置いてけぼり!」
と思ったものの飛行機は真璃子の目の前で地面に激突。凄まじい爆発音があり、物凄い炎が立ち上がる。
 
慌てて真璃子は飛行機からできるだけ遠ざかる。
 
「やだー!私の肉体が燃えちゃうよぉ! 私肉体に戻れないじゃん!!」
 
と思いながら、真璃子は目の前で激しく燃える飛行機を見詰めていた。
 

当時38歳の真璃子は台湾のバスケット女子チームに招かれて2ヶ月ほど合宿の指導をしていたのだが、ちょうど合宿と合宿の合間になっていたので札幌に住むバスケット元日本代表仲間の結婚式に出るため一時帰国した所であった。結婚式が終わったらまた台湾に戻り、5月頭からまた1ヶ月ほど、6月の世界選手権直前まで指導を続ける予定である。
 
真璃子は現役を引退してから10年以上たつも、特にどこかのチームのスタッフなどになったりもせず、現役時代の蓄財を株で運用しながら悠々自適の生活を送っており、たまに今回のようにあちこちの知り合いから頼まれると臨時コーチのようなことをしていた。
 
取り敢えず空港ターミナルで消防車や救急車が走り回っているのを見ながら、真璃子は「さてどうしたものか?」と思っていた。
 
なぜか手にしているハンドバッグの中にはパスポート、航空券、財布などが入っているし、財布の中にはキャッシュカードやクレジットカードも入っている。真璃子は事故の後、普通に入国審査でパスポートにスタンプを押してもらい、税関も通って空港の中に入った。
 
事故で混乱していてチェックもおざなりだった気もするけどね!
 
だけど預け荷物の中に台湾で友人からもらった紹興酒と凍頂烏龍茶が入ってたのに、などと思うが、どう考えても飛行機と一緒に燃えてしまっている。
 
いやそもそも自分の肉体が燃えてしまっている!
 
しかしふと考えた。
 
私、入国審査も税関も普通に通ったよね。私って今幽体だけのはずなのに、もしかして他人にもちゃんと見えてる?
 
それで真璃子は空港内の飲食店に入ってみた。適当な席に座るとウェイトレスが来て注文を取る。それでなんかお腹が空いた気がしたので味噌カツ丼ときしめんのセットを頼む。10分ほどで持って来てくれたので食べる。
 
あ、美味しい。
 
と思う。あれ〜?私、幽体だけのはずなのに、ちゃんと御飯食べられるじゃん。そもそも私が他人の目に見えていることは確かだよなあ。
 

食事のあと財布を出して会計の所でお金を払って出る。そのあとトイレに行ってみた。
 
うーん。。。。
 
真璃子は悩んでしまう。
 
別にお股に変な物が付いていたりはしない。普通に見慣れた女のお股ではあるものの・・・・
 
ちゃんとおしっこも出るじゃん。
 
と思う。幽体だけなのになぜおしっこが出るのだろう??取り敢えずきちんと拭いて流してトイレを出る。そしてしばらく考えてみたものの、やがて独り言のように声を出した。
 
「よし、予定通り札幌に行こう!」
 

そういう訳で真璃子は自分の肉体が(多分)死んだことは取り敢えず忘れることにして!友人の結婚式に行くことにする。
 
「しかし40歳で初婚というのは凄いなあ。私も再婚とか考えてもいいかなあ」
 
などと考えたりもする。夫が死んでから既に4年である。夫はいい人ではあったものの元々が人気スポーツ選手だったので浮気に悩まされた。死んでしまうと、その問題では悩まなくてよくなったものの、張り合いも消えてしまった気がしていた。
 
空港が閉鎖されているので、札幌行きの航空券を航空会社のカウンターで払戻しの手続きをする。連絡バスでいったん市内に出て新幹線で東京(*1)まで移動し、山手線とモノレールで羽田まで行った。
 

(*1)この時代はまだ新幹線の品川駅は開業していません。なおこの事故のモデルにしているリアルの事故が起きたのは夜ですが、この物語では朝起きたことにしています。新千歳空港の開港は1988年です。
 

羽田空港のカウンターで新千歳行きの航空券をクレジットカードで購入し、搭乗手続きをしてからまた考える。
 
私ってひょっとしてまだ生きてるということは?
 
それで試してみたくなったので真璃子は機内でシートベルトサインが消えた後でトイレに行ってみる。中に入り用を達した後で、内部の「ロックを解除」してからドアを閉めたまますり抜けてみた。
 
あ、すり抜けられる!
 
やはり私実体無いんだ。じゃ私ってもしかして幽霊??
 
でもなぜ幽霊が御飯を食べたりおしっこしたりできるのかはよく分からない。一瞬考えそうになったものの「考えること」自体がヤバい気がして、考えるのはやめることにした。
 
まあいいや。私生きているのか死んでいるのかよく分からないけど、こうして普通に行動できているんだから気にしないことにしよう。
 
生来楽天的な真璃子はそう考えて自分の席に戻ると機内誌を開いて読み始めた。
 

札幌まで来たものの、真璃子は自分が服とかを全く持っていないことに気づいた。着替えが入っている旅行用バッグは飛行機の中である。えーん、あそこに入れていたフォーマルドレス、3万台幣(約12万円)もしたのになどと思うが仕方ない。下着とかも必要だし、化粧品もバッグの中に入っているのは、リップ・マスカラなど少数である。色々買っておく必要がある。
 
「とんだ出費だよなあ」
と思いながら、真璃子は札幌市内のショッピングセンターに行った。
 

取り敢えず下着を少し買おうと思い、売場を探して歩いていたら、プレイコーナーがあり、未就学児という感じの子供が7〜8人遊んでいた。その時真璃子がなぜその子に目を留めたのかは自分でも分からない。
 
その女の子は3歳くらいだろうか。白いブラウスに黄色いキュロットを穿いている。それで輪投げをしているのだが、全然入らない。それが悔しいようで、何度も何度も投げるものの、近すぎたり遠すぎたりしてどうしてもピンの所に行かないのである。
 
真璃子はその女の子に近づくと言った。
 
「ねえ君、輪を投げる時にちゃんとピンを見てないでしょ。単に投げてるだけでは入らないよ。輪を手から離す瞬間までピンをしっかり見ていてごらん。それとね。ピンは上からしか入らないから、ピンの少し上のあたりに当てるつもりで投げるといいんだよ」
 
女の子はキョトンとした顔をしていたが、思い直したように輪を左手で握るとしっかりピンを見詰めて投げた。すると輪はきれいに入った。
 
「やった!」
「うん。うまくできたね」
 
「おねえさん、ありがとう」
「良かったね。そんな感じでたくさん練習するといいよ」
「うん」
 
真璃子はその子から「おねえさん」と呼ばれてちょっと気を良くした。
 
その女の子はそれで輪を拾ってくるとまたしっかりピンを見詰めて投げる。また入る。
 
「やったやった」
「うん、その調子」
 
それで真璃子は結局その子に5分くらい付き合っていたが、その間彼女は1本も外さずに輪をピンに入れ続けた。
 
ちょっとこの子凄いじゃん。
 
と内心真璃子は思う。
 
「君、輪投げの選手になれるかもね。ねえ、名前教えてよ。私はマリコ」
と言うと
「わたし、ちさと」
と小さい女の子は答えた。
 

その時、その子は唐突に言った。
 
「おねえさん、かげがない」
 
へ?
 
真璃子は慌てて床を見る。店内の照明に照らされて「ちさと」と名乗った女の子の影は出来ているのに真璃子の影は無い。ありゃ〜、やはり私って幽霊だもんね。それで真璃子は影がちゃんとできるように意識をした。すると影ができる。
 
「うっかり出し忘れちゃった」
と真璃子が言うと
「かげ、だしたりけせるの?」
と女の子は言う。
 
「たくさん修行したらね」
と真璃子は開き直って言ったが、さすがに修行の意味は解らないだろうと思う。そして真璃子はこの時、どこかで「カチッ」という音がしたのに気づいたものの、何の音だろう?といぶかった。
 
しかしそれより真璃子はこの子供が凄まじいオーラを持っていることに気づいた。
 
この子末恐ろしいぞ。私に影が無いことに気づいたのも、その霊感ゆえだろう、と思う。しかし真璃子は同時にこの子このままでは「危険」だと思った。
 
こういう子は「あちら」に取り込まれやすいのである。それで真璃子は余計なお世話とは思ったのだが彼女にアドバイスした。
 
「君ね、例えばあそこの柱の陰にいる女の子見える?」
「うん。あそばないのかな」
 
とその子は「そちらを見ずに」答えた。それを見て真璃子はこの子は最低限の自分を守るすべを持っていることを認識する。
 
「でもそういうのいちいち見てたら疲れるでしょ?」
「みちゃいけないっていわれた」
「だれに?」
「おばあさん」
 
ああ、この子のおばあさんがきっと「見える人」なんだなと真璃子は思う。そのおばあさんに色々教えられているのか?その人からの遺伝もあるのだろう。霊感は遺伝的なものが大きい。
 
「うん。だから普段は見ないようにするといいんだよ」
「どうすればいいの?」
 
「このあたりを閉じる感覚なんだけど、分かるかな」
と言って真璃子はその子のある部分を指で触った。するとその子のオーラが嘘のように小さくなった。
 
と思ったのだが、真璃子はそれが「小さくなったように装っただけ」であることに気づいた。この状態では恐らく「並みの霊能者」や「並みの霊」にはこの子のオーラは普通の少し霊感のある人程度にしか見えないだろう。
 
すげー、この子。
 
「あ、みえなくなった」
柱の陰にいる子の姿がちさとには見えなくなったのである。
 
「じゃ開けてごらん」
と真璃子が言うと、オーラが元のように巨大になる。
「みえるようになった」
 
「うん。それで普段は閉じておいて、使う時だけ開ければいいんだよ」
「つかうとき?」
「なんか危ないなと思った時とか、何か変な感じがした時だよ」
「ふーん。やってみる」
「うん」
 

真璃子が立ち去った後もしばらく千里は輪投げをしていたが、さっきから柱の影でずっとこちらを見ている女の子が気になる。どうしてあの子、見えたり見えなかったりするのかなあと思ったものの、とうとうその子に声を掛けた。
 
「きょうこちゃん、あそぼうよ」
 
するとその子はおそるおそる近づいてきた。
 
「わなげしよう」
と言って千里は微笑んでその子に輪を渡した。
 
「うん、でもでもどうしてわたしのなまえ、わかったの?」
と言ってその子も輪を取ると投げるが入らない。
 
「なまえはみればわかるよ。わたしは、ちさと」
と言って千里が投げるとまた入る。
 
「すごいね。でもちさとちゃん、じょうずだね!」
「きょうこちゃんも、たくさんすると、はいるよ」
 
と千里は言って微笑んだ。
 
ふたりは30分くらい輪投げで遊んでいたが、やがて千里の母がやってきた。幼い玲羅をだっこ紐で抱いている。玲羅は寝ているようだ。
 
「お待たせ。ごめんね、長く待たせちゃって」
「ううん。このことあそんでたから」
 
「あら、あなたはお母さんは?」
と津気子は、きょうこに語りかける。何だか影の薄い子だなと津気子は思った。
 
「わたしのおかあさんもおとうさんも、しんじゃったの」
「あら、悪いこと訊いたね。じゃ、おばあちゃんか誰かと来たの?」
 
「えっと・・・」
ときょうこはどう答えていいか分からない様子。
 
その時千里は
「きっと、おかあさんもおとうさんもてんごくでまってるよ」
と言って上を指さした。
 
するときょうこも上を見上げる。
「あ、おかあさん、いた」
「そこにいくといいよ」
 
「うん。そうする。ありがとう」
 
そう言うと、きょうこの姿はすっと消えた。
 
津気子が目をぱちくりする。
 
「今、ここに女の子がいなかった?」
「いたけど、いまかえったんだよ」
 
と言って千里は上を向いてバイバイするように手を振った。
 
ちなみにこの程度のことは千里にとっては「日常」なので、特に何も不思議なこととは感じていなかった。
 

「そうそう。あんたの着替え買ってきたよ。あちらで着替えて、その服は愛子ちゃんに返さないとね」
 
千里たちは札幌に優芽子(津気子の姉)の所に遊びに来ていて、道路を歩いている時に通り掛かったダンプがはねた泥を千里がまともにかぶってしまった。それで愛子(優芽子の娘・千里の従姉)の服を借りていたのである。
 
津気子は千里を連れてショッピングセンター内の多目的トイレに連れて行く。それでとりあえずブラウスとキュロットを脱がせる。その下には女の子シャツと女の子パンティを穿いている。これも愛子からの借り物なのだが、これは取り敢えずそのままでもいいかと思った。
 
そして津気子が買ってきた服を着せたのだが・・・
 
「あ、これスカートだ。わたし、スカートすきー」
と千里が言う。
 
「あれ〜〜!?なんで私、スカート買っちゃったんだろう?」
と津気子はマジで悩む。
 
ショートパンツを選んでいたはずが、たまたま同じ並びにスカートも架かっていたのだろうか?千里は体型的にボーイズの服が入らないので、いつもガールズの服を買っている。ガールズのコーナーなので、パンツとスカートがもしかしたら混在して架かっていたのかもと思う。
 
「交換してもらってこようかな」
「わたし、このスカートすきだから、きていたい」
 
「うーん・・・まあいいか」
と津気子は妥協した。夫に訊かれたら、緊急事態で愛子ちゃんの服を借りて着せてきたといえばいいしと思った。
 

一方の真璃子はショッピングセンターで下着、普段着の上下数枚、それに礼服とパンプス、旅行用バッグを買うといったん予約していたホテルに入り、一息ついていたが、ふとバッシュが欲しいなと思い立った。
 
今回は日本にはピンポイント往復に近いのでどこかで汗を流したりする訳ではないもののバッシュやボールが無いと何だか不安なのである。それでお茶を飲んで一息ついた後で、ホテルのフロントに電話してスポーツ用品店の場所を訊き、地下鉄で出かけていった。
 
どれにしようかなあと思って見ていた時、近くで子供がダダをこねている声を聞く。見ると4〜5歳くらいの男の子である。
 
「ボールほしい〜!」
と言って床に寝そべり手足をバタバタさせている。
 
母親らしき人が起こそうとするものの抵抗が強い。2〜3歳ならどうにかなるだろうが、このくらい大きくなると結構力が強いので子供が本気になっていると親にもどうにもならない。
 
すると父親が言った。
「アツ、だったらこのボールをここからあそこに置いてあるバスケットのゴールに入れることができるか?1発で入れられたら買ってやる」
 
すると「アツ」と呼ばれた男の子は立ち上がった。父親からボールを受け取る。あのボールを買ってと言っているのだろうか。しかしお前ら、それ商品じゃないのか〜〜!?と思ったものの、真璃子はこの子に味方してやりたくなった。
 
私って今霊体だよね?たぶんあの子に憑依できるよね?
 

それで男の子がボールを持った所に、真璃子は「入り込んだ」。男の子が「あれ?」という顔をするが構わず真璃子は彼の身体を勝手に動かしてゴールを狙う。距離は7mくらいある。日本リーグ(*2)レベルのバスケ選手でもなかなか入らない距離である。しかし真璃子は膝を曲げて慎重に狙いを定めると、膝を伸ばしてジャンプし、ボールが最も遠距離まで飛ぶ50度くらいの角度でボールを離した。こうすると力があまり必要ないので、この子の身体にも負担を掛けない。
 
ボールはバックボードにも当たらず、きれいにゴールに飛び込んだ。
 
「うっそー!?」
と母親が声をあげている。
 
真璃子はすっと男の子の身体から離れ、さっきまで自分がいた位置に戻る。今一時的に真璃子が姿を消していたことは、たぶん誰も気づかない。
 
父親も驚いているようだったが言った。
 
「アツ、お前凄いな。今ボールを撃つ時のフォームも凄くきれいだったぞ。お前才能あるかも。だったら、そのボールとあのゴールと両方買ってやるよ」
 
「やったぁ!」
と男の子は喜んでいる。母親の方は「え〜?」という感じで不快そうな顔をしているものの父親はむしろはしゃいでいた。
 
真璃子はひょっとしたらこの子、将来バスケット選手になるかもね、などと思いながら、バッシュ選びに戻った。
 

(*2)日本のバスケットのトップリーグは1997年まで「日本リーグ」の名前であった。最初はバスケ協会が直接運営していたものの1995年に運営団体のJBLが結成された後、1998年から女子は「バスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL)」に移管され「Wリーグ」の愛称になっている。
 
男子は2001年にJBLスーパーリーグが発足するも運営方針の対立から一部のチームが脱退して2005年にbjリーグを結成。残留組は2007年に新JBLを作る。その後2013年に両者を統合するためNBLを作ったがbj側が1チームも参加しないという異常事態となり、結局2014年FIBAから制裁を食らうはめになる。2016年JPBL(愛称Bリーグ)でやっと統合されることになった。
 

真璃子がその夜、ホテルの部屋でくつろいでいると「お電話です」とフロントから連絡があり、外線とつながる。
 
(この時代はまだ携帯電話はほとんど使われていない。携帯電話が広まるのはPHSと普及型の携帯電話端末が発売された1995年の後半頃からである)
 
「あ、真璃子ちゃん?」
と電話の向こうの声は明日結婚式をあげる旧友である。
 
「あ、隆子ちゃん、おめでとう。いよいよ明日だね」
と真璃子は笑顔で答えた。
 
「良かったぁ!生きてたのね」
「え?」
「あ、知らない?今朝飛行機事故があって大勢人が亡くなったのよ。生存者はわずか7名だって」
 
真璃子は驚いた。あの状況で生存者がいたというのが信じられなかった。よほど運の強い人なのだろう。しかし生き残っても恐らく何ヶ月も入院するはめになるんだろうなと真璃子は思った。
 
「へー、知らなかった」
「その死亡者のリストにタナカ・マリコってあったから、まさか真璃子ちゃんじゃないかと思って。真璃子ちゃん生きてるよね?」
 
田中は夫の苗字である。真璃子は現在法的には田中真璃子なのだが、バスケット選手としては藍川真璃子で国際的に名前が通っているのでふだん藍川真璃子の名前で活動している。バスケット協会の登録も藍川真璃子のままである(結婚した時に面倒なので氏名変更の手続きをしなかっただけであるが)。
 
しかしやはり私死んだのか・・・とあらためて思う。
 
「あまり生きてる自信無いかも」
と真璃子は正直に言う。
「死んでたらごめん」
 
「もう!冗談がきついんだから。良かったぁ。私の結婚式に来るのに飛行機に乗って、それで死なれたら私、真璃子ちゃんの家族に顔向けできないし」
 
いや〜、済みません。それで死にました!
 
「それは私、家族とかいないから大丈夫かな。うちの両親も旦那の両親も死んでるし、兄弟とかも居ないし」
 
実際私の遺体って引き取る人居ないよなあ。さすがに「本人です」と言って引き取りに行くこともできないし。
 
「おじさんとかおばさんとかは?」
「いるけど、ほとんど縁が切れてるよ」
「へー。どこかに隠し子とかは?」
「うーん。作ってみたかったなあ」
「今から産めばいいんだよ」
「それは自信無い」
「私も妊娠中なんだよ」
「おぉ、それはダブルでおめでとう」
「真璃子ちゃん、私より2つも若いんだもん。まだまだ行けるよ」
 
あはは、でもさすがに幽霊じゃ子供産めないんじゃないかなあ、と真璃子は冷や汗を掻きながら思った。
 
「あ、そうそう。私、結婚式の招待状、うっかり台湾に忘れてきちゃって」
「うん。それは受付の所で言ってもらえばいいよ。ちゃんと席は用意しておくから。御祝儀を忘れてなければ問題無し」
 
「あ、それも忘れてきたかも」
「え〜!?」
 
実際には招待状も10万円入れていた祝儀袋も飛行機と一緒に燃えてしまっている。あれ直前にお金は入れれば良かったなあなどと思ったりする。今回の事故ではあれこれ大損害だなと真璃子は思う(自分が死んだことは別として!?)
 
「冗談冗談。大した金額じゃないけど、ちゃんと渡すから」
「ありがとう。あとで台湾からの交通費は渡すね」
「うん。ありがとう」
 
隆子との電話を切った後、台湾の代表チームの関係者からも電話が入った。やはり飛行機事故の死亡者リストに「タナカ・マリコ」という名前があったのを見て驚いて電話して来たようであった。彼ともしばらく話したが、どうやら真璃子が生きているようだと分かり(本当は死んでいるのだけど)、安心していたようであった。
 

少し時を戻して、1994年2月下旬。
 
その日、少女は母親に手をつながれて、小さな稲荷神社の境内を横切って家に帰る所であった。そこに最近近所に引っ越して来たアメリカ人の母娘が向こう側からやってきた。こちらの母親が軽く会釈をすると向こうも会釈し
 
「スミマセン、コノアタリで、ウシのニクカウの、ドコイキマスか?」
と片言の日本語で話しかけてきた。
 
それでこちらの母親が
「牛の肉だったら、駅前のスーパーでも売ってるけど、もし自動車をお持ちでしたらジャスコ(*3)まで行った方が安く買えるかも」
 
と言うものの、通じてないようなので英語で言い直す。
「You can buy beef at the supermarket near the Rumoi station, but if you have a automobile, you'd better go to Jusco on the outskirts」
 
すると相手は頷いていたものの
「ジャ・・・?」
と固有名詞が聞き取れなかったようである。それで母親は自分の手帳におおまかな地図を書いて日本語と英語のミックスで説明しはじめた。
 

(*3)ジャスコ留萌店は本当はこの物語の3年半後1997年8月にオープンしていますが、ここでは既にできていることにしています。
 

母親同士が話している間、アメリカ人の女の子とこちらの女の子は見詰め合うと微笑む。彼女が数回ジャンプすると、こちらも同じようにジャンプした。それでふたりは視線で会話して母親たちから離れ、神社の拝殿近くまで小走りに移動する。
 
「I'm Tamara」
と外人の女の子が言うと
「わたし、ちさと」
とこちらの女の子も言った。
 
それでタマラとちさとは鬼ごっこでもするかのように拝殿のそばを走りあう。それで少し遊んでいたら、タマラが何かを見た。
 
「Big dog!」
 
ちさともタマラが指さす方を見たが、(彼女たちにとって)大きな犬がこちらに何かを狙うかのような雰囲気で足音も立てずに寄ってくる。
 
その犬が走り出したのでタマラが思わずちさとに抱きつく。しかし犬はタマラたちのそばを通り抜けると、拝殿の下に向かっていった。
 
見ると拝殿の下に1匹の小さなキツネがうずくまっている。
 
「Oh, dear!」
とタマラが声をあげた時、ちさとはそばに落ちていた石を左手で拾うと、その犬めがけて投げた。
 
すると石が犬に当たり、犬は「キャン」と声をあげると、キツネとは違う方向に逃げて行った。
 

ふたりが近寄る(*4)。
 
キツネは怪我でもしているのだろうか。動けないようだ。ちさとはそのキツネの後ろ足に触ると「ちんちんぷいぷい」と言いながら撫でてあげた。
 
「What magic?」
「いたいときにきく」
「Chin-chin Pui-pui?」
「そうそう」
 
するとちさとのおまじないが聞いたのか、キツネはそっとたちあがると、やや足を引きずりながら、拝殿の奥の方に歩いて行った。
 
「Recovered?」
「なおったかな?」
 
キツネは一度チラッとこちらを見るかのように振り向いた後、拝殿奥の林の中に消えて行った。
 

(*4)野生動物に近寄るのは様々な危険がある。特に北海道ではキツネにエキノコックスが蔓延しているので、ひじょうにまずい。万一触ってしまった場合はよくよく手を洗い、経口感染が起きないようにすることが大事。
 

「Chin-chin, that means boy's?」
「ボーイ?」
とちさとが訊くと、タマラがおまたの付近で指を立ててみせるので、ちさとも
「ああ!」
と言って理解した。
 
「Then pui-pui means girl's ?」
 
タマラは今度は自分のお股を指さす。
 
「わかんなーい」
 
それでタマラはお股の所に指を立てて「Willy」と言い、両手の人差し指を寝せた状態で合わせるようにして「Mary」と言った。それでちさとはWilly, Mary ということばの意味が何となく想像が付いた。
 
これは何とまあ、ちさとが覚えた最初の英語である!
 
「Boys have Willy, Girls have Mary」
とタマラが言うので、ちさとも何となく理解して頷く。
「We have Mary」
と更にタマラが言ったのに、ちさとは曖昧に微笑んだ。
 
そこに母親たちが
「Tamara, we go」
「ちさと、行くよ」
 
と声を掛けたので、タマラとちさとは手を振って別れた。
 

3月3日(木)。
 
村山家では(玲羅がいるので)おばあさん(津気子の母・紀子)が買ってくれた男女1対のひな人形を飾り、菱餅・雛あられ、白酒代わりのカルピス、そして散らし寿司なども用意して、ひな祭りをした。
 
3月3日は千里の誕生日でもあるので、それも兼ねてである。
 
それで母は先日少し親しくなったタマラの一家を招くことにした。もっともお父さんはお仕事で来られないということで、やってきたのはタマラとその母のヤヨイさんである。
 
ヤヨイ・タマラの母娘が来て、津気子と千里が迎えに出る。玄関を開けて、「どうぞどうぞ」といって2人をあげて津気子が2人を部屋に案内する。それで千里がドアを閉めようとした時、こちらをじっと見ている小学生くらいの女の子がいるのに気づいた。
 
「どうぞ」
と千里が言うと、その子は
 
「わたしもいいの?」
と訊く。
 
「うん。おまつりだもん」
と千里は笑顔で言った。それでその子も家の中に入った。
 

千里たちの父・武矢も船が出ていて今日は居ない。それで、居間のテーブルをヤヨイ・タマラ、千里が招き入れた子、千里、津気子と並んで囲った。
 
最初に誕生日の主役である千里のためにラウンドケーキを冷蔵庫から出してきて、ろうそくを3本立て火を付ける。千里が1本ずつ消していく。
 
「おめでとう」
と言って津気子が手を叩くので、それに合わせてヤヨイ・タマラたちも手を叩く。津気子は一応このパーティーは雛祭りと千里の誕生日を兼ねているというのを説明はしたのだが、日本語があやふやなヤヨイたちはそれをあまり認識していない。千里が雛祭りの主役で、日本では雛祭りにラウンドケーキを食べるのだと思い込んでいたふしもある。
 

ケーキを切って取り分け、またジュースもコップに注ぐ。
 
「自己紹介、Introduce oneself」
と津気子が言うので、ひとりひとり名乗る。
 
「わたし、ヤヨイ。ハワイ生まれ」
「わたし、タマラ」
「わたし、小春(こはる)」
「わたし、ちさと」
「私は津気子(つきこ)。旭川生まれ」
 
なお雛祭りのほうの主役である玲羅はベビーベッドで熟睡中である。
 
さてこの時、小春が微妙な位置に座っていたため、ヤヨイは小春を千里の姉か何かだと思ったし、逆に津気子は小春をタマラの姉か何かと思った。それで本来関係無かったはずの子が1人紛れ込んでいることに、ヤヨイも津気子も気づかなかったのである。
 

ヤヨイさんはハワイ生まれで、日系3世らしい。それでお父さんが日本風の名前を付けたという。もっともヤヨイさんは3月生まれではなく7月生まれである!何か日本っぽい名前とは思ったものの意味までは知らなかったのか。今日は来ていないタマラのお父さんは日本・メキシコ・アメリカ・ブラジルの4種ミックスらしい。それでタマラは両親の血筋にどちらも日本が入っているせいか、目鼻立ちは外人っぽいものの、髪は黒髪で瞳も黒い。
 
一家は日本に帰化しており、タマラは両親が帰化した後、根室で生まれたので生まれながらの日本人だ。名前も「珠良」と書くのが正式らしい。ただヤヨイさんはまだ何とか日本語が話せるものの、タマラはこの当時は日本語はほとんど話せなかった。
 
散らし寿司を外人さんは食べられるかな?とも思い、津気子は場合によってはウィンナーか何かボイルするつもりでいたのだが、ヤヨイさんは日本生活がもう6年ということで「お魚大好き」ということ。タマラもお刺身などは食べ慣れているということで、普通に散らし寿司を食べていた。
 

お寿司やおやつなどを食べながら1時間ほどおしゃべりした後、ヤヨイさんが「コノチカク、オンセンアリマスか?」と訊く。
 
「神居岩温泉なら近くですけど」
 
ヤヨイさんが行ってみたいというので出かけることにする。津気子はお隣の杉山さんに声を掛けて、玲羅を見ておいてもらえませんかと頼んだ。杉山家にも1歳の子供がおり、実は両家でお互いに子守を頼んで出かけたりしているのである。
 
それでヤヨイさんが自分の車・ヴィスタを持って来て、小雪の降る中、ヤヨイさんが運転席、津気子が助手席、子供3人が後部座席に乗って出発する。とりあえずチャイルドシートのことは考えないことにした。
 
それで津気子の案内で神居岩温泉まで行き、フロントでチケットを買おうとした時のことである。津気子と知り合いの係の人が
 
「村山さん、旦那さんから連絡入っているよ」
と言う。
「あら」
「船が早く帰って来たんだって。飯食わせろと言っているらしい」
「あぁ・・・食べ物は冷蔵庫にあるもの適当に食べててくれればいいんだけどなあ」
などと津気子は嘆くように言うものの、帰らないと機嫌が悪くなりそうである。本来は明日4日の金曜日に帰港する予定だった。やはり海がかなりしけていたのだろう。
 
「仕方ないな」
と独り言のように言った後
 
「ヤヨイさん、私急用できたので、申し訳ないですが、先に帰ります」
と言う。
 
「アラ、タイヘンデスね」
 
その時、タマラが
「チサトたちは?」
と訊く。
 
すると津気子は、この人たちなら大丈夫かなと思い
 
「じゃ、千里はヤヨイさん、お願いできませんか?」
と訊く。
「ウン。ダイジョウブデスヨ」
と彼女が言うので、津気子は
「じゃ温泉代はわたしがおごりますね」
と言って大人1人子供3人分の料金を受付で払い、また千里にジュース代と言って300円渡し、ひとりでタクシーを呼んで帰った。
 

ところで今日、津気子としては千里はまだ小さいし女湯でもいいよね、と思っていた。
 
一方ヤヨイやタマラは千里が女の子だと思い込んでいる。千里はこの温泉に来たのは1年ぶりくらいであったが、前回来た時は
 
「可愛いお嬢さんですね」
と言われた上で、お股の所に少し変な物が付いているのを見られて
「あ、ごめん。坊やだったね」
「あら、ちんちん付いてたんだ?」
などと言われている。
 
千里は今回もまたあんなこと言われるのかなあというのと、もうひとつはここまでタマラには女の子と思ってもらっている感じなのに、男だということがバレてしまうのが気が重い感じだった。
 
『わたしおんなのこだったらよかったのにな』
と千里が心の中で思った時、小春が
『おちんちん、ちょっとかくしておく?』
と心の中に直接語りかけてきた。
 
千里はこういう会話の仕方をしたのが初めてだったので「わっ」と思ったものの
 
『そんなことできるの?』
と心の中で尋ねる。すると小春は
『わたしをひなまつりによんでくれたおれいに』
と言ってニコッと笑うと千里のお股の所に手で触った。
 

ヤヨイは日本の温泉に何度か入っているものの、タマラは本格的な温泉は初めてらしい。それではしゃいでいる感じで、さっさと服を脱いで裸になっている。ヤヨイは今服を脱いで下着を脱ごうとしている。
 
千里は急いでセーターやズボンを脱ぐとその下に着ている下着も脱ぐ。
 
「Chisato, you wear a boy-like pantie」
などとタマラが言う。
「It's warm」
と千里が言うと
「Ah, that's the way」
などと言って納得していた。
 
ちなみにこの日千里は上半身はドラえもんのTシャツを着ていた。ユニセックスに近いものである。
 
それで千里がトランクスを脱ぐと、タマラには普通に女の子のお股に見える。
 
「Not willy, it's mary」
などとタマラが言うと、ヤヨイが何か英語で叱っている感じだ。そういう言葉を人前で口に出して言ってはいけない、みたいに言われているのかなと千里は思った。
 
小春も服と下着を脱いで裸になっていた。
 

それで浴室の中に入る。タマラが浴槽に突進しようとするのをヤヨイが停める。
 
「After you wash your body」
と言っている。
 
ヤヨイは日本生活が長いので日本の習慣などはよく分かっているようである。それで全員おのおの身体をちゃんと洗ってから浴槽に入る。
 
洗い場から浴槽に移動する時に、千里は小春が足を引きずっていることに気づいた。
 
「小春ちゃん、足どうかしたの?」
「うん。ちょっとこないだ怪我したのがまだ治りきってないのよ」
「だったら温泉に入ると治るかも」
「そうだね」
と言って小春は微笑んだ。
 
そして浴槽の中に入ると、千里が小春の左足のふくらはぎに手を当て
「ちんちん・ぷいぷい」
と唱える。
 
「ソレ、ドーユーイミデスか?」
とヤヨイが訊くので千里は
「痛い所を治すおまじないなんです」
と答える。
 
タマラが
「It means Willy and Mary」
というと
 
「Oh, god」
と言ってヤヨイは首を振っていた。
 

「ソウダ。ミンナ、タンジョウビは、イツ?」
とヤヨイが訊いた。
 
「June 6, 6:00AM」
とタマラが言うと
 
「Like Damian!?」
と小春が驚いたように言う。
 
「Yes, yes. She's often told」
と言ってヤヨイが笑っている。
 
千里が分からないようなので小春が、昔あった「オーメン」という映画の主人公の悪魔の子供が6月6日6時生まれで、666というのは聖書の黙示録に書かれている悪魔の象徴の数字なのだと説明した。
 
「コハル、ヨクシッテルね」
とヤヨイは感心している。
 
「October 10. "Koharu" is another name of October」
と小春が片言っぽい英語で言った。
 
ヤヨイはそれは知らなかったようで、感心したように頷く。
 
「10ガツ、カンナトモ、ユーよね?」
「Yes, Kanna-zuki or Kamiari-zuki is more popular name of October」
と小春はヤヨイの質問に答えた。
 
「Kanna means "No Gods" and Kamiari means "Gods are here". In October,all gods in Japan gathers in Izumo district to have a conference. So there are no gods in all area of Japan except Izumo, and it is called "No gods month". While in Izumo many gods gathers so that it is called "Gods staying month".」
 
と小春が説明すると、ヤヨイはその話を知っているようで頷いているがタマラは知らなかったようで「へー」という感じの顔をしている。
 
「Koharu means "little spring". The climate of October resembles to that of spring, so it is called "Little spring"」
 
と小春が自分の名前の由来を説明すると、ヤヨイは
「That explains it」
と言って納得した様子であった。
 
小春は英語でヤヨイたちに説明しながら、心の声では日本語で(?)千里に内容を伝えてくれたので、千里も「へー」という感じで聞いていた。
 

「ソウダ。チサトのタンジョウビは?」
とヤヨイが尋ねる。
 
千里が
「わたしはへいせいさんねん、さんがつみっか」
と言うと小春が
「March 3 Heisei 3」
と英語に訳してくれる。
 
「アラ、キョウガ、タンジョウビ?」
とヤヨイが今そのことに気づく。
「Yes, yes. Today is Chisato's birthday」
と小春が答える。
「Oh, Happy Birthday!」
とヤヨイとタマラが言い
「サンキュー」
と千里も答えた。
 

「チサト、3ガ、ナランデイル?」
「よくいわれる」
 
「ジャ、 6ガナラブ、タマラト、3ガナラブ、チサトデ、オトモダチ」
とヤヨイ。
「ソレト、コハルモ10ガナラブ」
 
とまで日本語で言った後、英語でもタマラに説明する
 
「We three are friends」
「うん、おともだち」
 
と3人は言い合った。
 

3人が「そろそろ帰ろうか」と言って温泉からあがったのはもう4時頃である。窓の外を見ると、来る時は小雪だったのが、今は結構な吹雪になっている。
 
「かなり降ってるね」
「ユキ、タクサンツモルカナ?」
などと言いながらロビーで少し涼んでいた。
 
お土産物コーナーを覗いていたタマラが興味を持ったものがあった。
 
「Very cute figures!」
と言っている。
「What's this?」
と近寄っていった千里に訊く。
 
「これ十二支のお人形だよ」
と小春が代わって答えた。指先くらいの小さな十二支の陶器の人形が並んでいる。
 
「In Eastern Asia, each year said to be guarded by twelve spirits.Mouse, Cow, Tiger, Rabbit, Dragon, Snake, Horse, Sheep, Monkey, Bird, Dog, and Boar」
と説明する。
 
ちょうどそこにヤヨイも寄ってきた。
「I like tiger」
などとタクラが言うと
「Then I will buy them for you three」
とヤヨイは言って、寅の小さな人形を3つ取る。
 
しかし小春は
「I like dragon better」
と言ったので、ヤヨイは寅をひとつ返して1つは辰の置物を取り、それをレジに持って行ってお金を払った。
 
「Present」
と言って、寅と辰の人形を千里と小春に渡してくれて、ふたりとも
「Thank you」
とお礼を言った。
 
千里はその人形を着てきたコートのポケットに入れた。
 

「あれ、小春、足よくなった?」
と千里が訊く。
 
「うん。千里がおまじないしてくれたから、だいぶ良くなったよ」
と小春は笑顔で答えた。
 

千里が自宅に戻ってみると、父は海が荒れて早めの帰港になった割には機嫌が良かった。海が荒れた時にありがちで漁の成果が良かったようである。
 
「しかし俺たちはもう危ないから帰ろうというので帰って来たけど、まだ漁を続けている船も結構あったよ。確かにこういう時は獲れるからなあ」
などと父は熱燗の日本酒を飲みながら言っていた。
 

夜中、千里は父と母の会話で目を覚ました。
 
「じゃ神崎さんたちの船が連絡取れないの?」
「海上保安庁の船が現場付近に向かっているらしいけど、本格的な捜索は夜が明けてからになるんじゃないかと。俺たちも朝になったら出る」
「じゃ、タケちゃん、寝てなきゃ」
「そうする」
 
と言って父は寝ることにしたようである。母はふだん千里の前では父のことを「お父ちゃん」と呼ぶ。子供が寝ているので「タケちゃん」になったのかなと千里は思った。父も子供が寝ていると思うと母のことを「ツッキー」と呼んでいるようだ。
 
そのあと、どうも母は神崎さんの奥さんと電話で話したようである。
 
「きっとこの嵐の影響で通信機器が故障したのよ。変なこと考えずに無事を祈ってましょう。え?お百度? この大雪の中?。うん。あなた自身が風邪とか引かないように温かくしてね」
 
と言って母は電話を切った。そして父の寝ている布団の隣に潜り込む。母も取り敢えず寝るのだろう。
 
しかしこの夜、千里はなぜか寝付けなかった。
 

30分ほどもしたろうか。父も母も寝息を立てて寝ている。ベビーベッドの玲羅も熟睡しているようだ・・・と思ったのだが、軽くぐずる。
 
千里は起き上がると、ベビーベッドのそばに寄り、おむつの所に手を当ててみる。おしっこしたのかな?と思い、おむつを換えてあげることにする。玲羅は1992年7月23日生まれ、千里と年子だが学年は2つ下になる。現在1歳7ヶ月である。最近は結構しゃべるし、起きているとあちこち動き回るので「目が離せない」状態。母がいる時はいいが、買物などに出ていると千里はかなり玲羅に振り回されている。
 
新しいおむつを出して来て、下に敷き、今つけているおむつを取り外す。おしっこを吸っていて生暖かく重い。
 
そして・・・
 
このおむつを外した時に、いやでも玲羅のお股を見ることになる。自分と形が違うそのお股を見て千里は「いいなあ」と思った。自分もこういうお股だったら良かったのに。
 
すぐ新しいおむつを装着してマジックテープを留める。おしっこを吸ったおむつは丸めてトイレのペタルペールに捨てる。トイレに来たついでに自分もおしっこする。
 
千里は決して立ってはおしっこをしない。必ず便器に座ってする。しかしおしっこをしていて、はぁと思う。なんで私にはこんなものがお股に付いているんだろう。取れないのかなあと思って、おしっこして拭いた後、思いっきり引っ張ってみる。痛いけど取れない。引っ張り方が弱すぎるのかなと思って、かなり強く引っ張ってみたこともあるが、それはちぎれなかった。
 

パンツをあげて手を洗い、トイレを出ようとした時、窓をトントンと叩く音があった。
 
『千里、よかったら力を貸してくれない?』
と小春が《心の声》で呼びかけてきた。
 
『小春ちゃん?こんな夜中にどうしたの?』
と千里は心の中で明確に思考すると、
 
『神崎さんたちを助けたいの』
と小春は千里に言った。
 

パジャマの上にセーターとコートを着て、そっと勝手口から外に出る。小春は昼間見た時よりずっとお姉さんのような雰囲気だった。女子高生か女子大生くらいに見える。
 
「私と一緒に来て」
「うん」
 
それで小春に付いていく。やがて神社のそばまで来る。暗闇の中、神崎さんのお母さんがずっと歩き回っている。「おひゃくど」とかいうのをすると言っていたから、それをしているのかなと千里は思った。
 
「神崎さんがお百度踏んでいるけど、今それをしても無駄」
と小春は言った。
「どうして?」
「神様が居ないから」
「へー。おるすなの?」
「2年ほど前に宮司さんが亡くなってから、ここの神社は放置されていたから神様が居られなくなって出ていってしまい、そのあと、おかしな物たちの住処になっていた。でも最近千里たちがここで遊ぶようになって、少しだけ状況がよくなったんだよ」
 
「ふーん」
「それで私は神様をここに連れ戻しに来たんだけど、私自身が怪我しちゃってまだ十分な力が出せない。それで千里に手伝って欲しい」
 
「まだけががよくなってないの?」
「千里のおかげで随分よくなったよ」
と言って小春は微笑んだ。
 
「今この神社に住み着いているものたちのボスは狼なんだよ。そいつが強くて私にもなかなか手が出せなくて。でも千里なら倒せる」
 
「おおかみってこわそう」
「千里、昼間ヤヨイさんに寅の人形をもらったでしょ?」
「うん」
 
と言って千里は今着ているコートのポケットにそれが入っていることを思い出し取り出し、ビニール袋から出して手に握った。
 
「寅で狼に勝てるんだよ。木剋土と言ってね」
「へー。たしかにトラのほうがつよそうだね」
 
「その人形を持って私と一緒に来て」
「うん」
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【少女たちの基礎教育】(1)