【娘たちの努力の日々】(下)

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1月5日。
 
V高校の宿舎を借りるのは今日まで(正確には明日の朝まで)になっている。 
「じゃN高校さんは東京合宿は今日までなのね?」
「P高校さんも今日帰るんでしょ?」
「私たちは10日の決勝戦まで残るよ」
 
などとジャブをかわしながら、この日も朝食前に練習試合をした後、N高校は午前中みっちりと練習、P高校は休憩とした。
 
早めのお昼を食べてから代々木に行く。N高校のメンツは第1試合を見ていたが、P高校のメンツは各自軽いシュート練習などをしたり、仮眠したりして時を過ごした。
 
15時からP高校の試合が始まる。今日の相手はWリーグ1位のブリッツ・レインディアである。
 
P高校のメンバーは全力で戦った。
 
純子がどんどん中に進入してゴールを奪い、秋子はスリーを頑張って撃つ。猪瀬も小平も歌枕も、並木も工藤も頑張った。
 
結果は94-48。完敗であった。
 

試合終了後、純子は相手チームのフォワードの人から称賛されるかのように数回背中を叩かれたものの、軽く会釈しただけで、半分意識が飛んでいるかのような顔でベンチに戻り、そのまま倒れたので慌ててみんなで介抱していた。 
それを客席で見ていた絵津子がつぶやいた。
 
「なんで私あそこに居ないんだろう」
 
それで千里は言った。
 
「今年のインターハイでは優勝して、あそこに行きなよ」
 
「はい」
と絵津子は力強く答えた。
 

この日の結果。
 
エレクトロウィッカ○−×ビューティーマジック
ブリッツレインディア○−×札幌P高校
 
この結果9日の準決勝は、サンドベージュvsレッドインパルス、エレクトロウィッカvsブリッツレインディアで行われることになった。
 
P高校はN高校と一緒に今日で帰ることになる。
 
「N高校さんは冬休み後半、どこで合宿するの?」
と十勝さんが宇田さんに尋ねた。
 
「どこも空いてなかったので、結局校内の研修施設を使います。お風呂もあるし、体育館は朱雀をまるごと使えるし」
と宇田先生は答える。
 
「うちに来ません?こちらも研修施設が使えるし、うちの体育館“光”も24時間使えますよ」
「いいですね!」
 
そういうわけで、冬休みの後半の合宿はP高校の施設を使って、またN高校とP高校が合同ですることになった。
 

V高校に戻ってから、N高校・P高校のOGがやってくる。坂本さんが提唱していた「リベンジ」のためのOG対決である。前回とは少し顔ぶれが変わっている。
 
N高校 PG.海原敦子(神奈川J大学) SG.村山千里(Rocutes)白浜夏恋(東京LA大学)SF.麻野春恵(KQ鉄道)宮原和希(1000カラバッシュ)PF.若生暢子(H教育大旭川校)佐々木川南(千葉K大学)歌子薫(Rocutes)山口宏歌(AS製薬)富士涼花(BC運輸)C.花和留実子(H教育大旭川校) 
P高校  PG.田宮寛香(サンドベージュ)森原絵奈(レピス)SG.石川里夏(NF商事)SF.佐藤玲央美(JI信金)片山瑠衣(神奈川J大学)岡田琴音(赤城鐵道)PF.宮野聖子(千葉K大学)長井浩水(BC運輸)坂本加奈(レピス)堀江希優(KL銀行)赤川佐恵(Y大学)C.堀江多恵(MS銀行)本郷充子(C大学) 
N高校側では睦子は年内で北海道に戻っており、田崎舞は卒業準備のため不参加。しかし1996年にN高校がインターハイ・ウィンターカップに出場した時の中心選手であった富士・宮原のコンビが参加した。富士はP高校の長井浩水のチームメイトで「あんたたち何面白いことやってんのさ?」と言って、親友の宮原を誘っての参加である。
 
P高校側では竹内・徳寺・河口の北海道組が札幌に戻っているが、リベンジ宣言をした坂本が同僚の森原絵奈を連れてきて、森原ひとりではガードが足りないので関東周辺に住んでいる田宮寛香に声を掛けた。また堀江希優も妹から話を聞き「出る出る出る」と言って出てきた。彼女はローキューツの創立者だが、現在はKL銀行で熊野サクラの同僚になっている。来春からは銀行合併により佐藤玲央美のチームメイトになる予定だ。
 
「田宮さん、チームの方はいいんですか?」
とみんなが彼女を見てびっくりしている。彼女は昨日のオールジャパン準々決勝で勝ち残ったサンドベージュの選手である。
 
「今日は試合無かったしね。実戦やった方がいい練習になるから許可取って出てきた」
と彼女は言っている。
 
「村中さん、私の作ったチームを盛り上げてくれているみたい」
と言って堀江希優が千里に声を掛けてきた。
 
「どうも。でも関東総合は準決勝で岡田さんたちのチームに負けてオールジャパン出場を逃してしまいました。ついでに村山です」
 
「あ、ごめんごめん。私、固有名詞覚えるのが苦手なのよ。でもあのチームも結果的には今年が結成1年目みたいなものみたいだし。それで関東ベスト4は充分凄いと思うよ」
 
「そうですね。これまでは大会当日5人揃わなくて不戦敗みたいなのが多かったみたいなのが、それだけは無くなったから。でも私は不良部員なんですよ。結構練習サボってるし。一所懸命やってるのはL女子校出身の溝口麻依子で。でも堀江さんがKL銀行に入ったってサクラから聞いた時はびっくりしました」
 
「私も実は練習が嫌いなんだけど、Wリーグは練習自体もお仕事だから、いくら試合で活躍しても練習サボってばかりいて遅刻も多い私は評価低くて、結果的に解雇されたから、マイペースで練習できるようにとローザと2人でローキューツ作ったんだけど、お金は別途稼がないといけないから、チンパンジー並みの知能と言われた私でもできる仕事を探して運送会社に入ったら、そこの仕事が忙しくて忙しくて、今度は練習サボるんじゃなくて物理的に練習にも試合にも出て行けなくなっちゃってさ」
 
センテンスの長い人だなと千里は思った。
 
ローキューツ最古参の浩子から聞いたところでは、堀江希優は運送会社で最初荷下ろしなどの単純作業ということで雇われたものの、
 
「運転免許持ってんの?だったら市街地配達・集荷の2トントラック運転してよ」
と言われ、そのうち
 
「大型免許を取らない?」
と言われて、大型を取ったら即、全国を走り回る仕事に投入されてしまったらしい。
 
ちなみに長距離に投入されてからしばらくして、新人で入って来た女性ドライバーが可愛いフリルのついたブラウスにオーバースカート付きパンツを穿いているので
 
「あ、その制服可愛い。私も着たい」
と言ったら
「男がフリルのついた服とかスカートは穿かんだろ?」
と所長から言われたらしい。
 
それでふと自分の健康保険証を見てみたら性別・男と印刷されていたとか。 
「希優さん、いつの間に性転換したんです?」
と浩子が訊くと
「自分でも手術を受けた覚えは無いんだけど、男の方が給料いいみたいだったから、そのまま男で通していた」
などと希優は言っていたらしい。
 
「女子トイレ使って悲鳴あげられたりは?」
「それはない。どうも男装女子と思い込んでいた人もあるみたいで」
「希優さん、男装いけますよ」
「あまり唆さないで」
 
などといった会話をしたと浩子から千里は聞いていた。
 

「まあ、ふつうの会社に勤めていたらそうなりますよ。日本の会社って24時間365日勤務を要求する所多いし。でも春からはそのローキューツ共同設立者のローザさんとまたチームメイトになるんですね」
と千里。
 
「うん。だから来年春からのうちとローキューツさんは親族チームみたいなもんだね」
と希優は言った。
 
来年春ではなく今年の春なのだが、まあ年明け早々はこの程度の混乱はありがちである。
 
「ええ。社会人選手権で会いましょう」
「うん。山村さんも頑張ってね」
「すみません。村山です」
「ごめーん」
 
しかしこれだけ固有名詞を覚えきれないのに、よく宅配とかの仕事が務まったものである。でも、免許が取れたということは、さすがにチンパンジー並みの知能ということはないであろう。
 
ともかくもそれで千里は希優と力強い握手をしてから、試合を始めた。 

前回は20分で打ち切ったが、今回は40分やることにする。ただし1人の選手を2ピリオドを越えては使わないようにしようということにした。それで千里は2,4ピリオドに出て、1,3ピリオドのSGは夏恋が務めた。ポイントガードも敦子と宮原さんが交代で務めた。
 
敦子は高校時代はスモールフォワードだったのだが、J大学でポイントガードとしての才能が開花したようである。関東一部のJ大学で1年生ながらロースターの末席を占めている。
 
試合は白熱した。聖子からのロングパスを玲央美がアリウープでゴールに叩き込むようなスーパープレイを見せると、千里も暢子とのコンビネーションで鮮やかに得点を奪う。この2人のプレイは暢子のシュートになる場合は近くから、千里のシュートになる場合は遠くからなので、P高校は守りにくい。オールジャパンで純子・秋子が見せたコンビネーションに似ているが、この遠近両用作戦自体については暢子・千里の方が格上で、これを研究していたはずの聖子たちが停めきれない。
 
2時間近い熱戦の末、最後は暢子が残り時間1秒でゴールを決めて70-71でN高校が辛勝した。
 
「あんたたち無茶苦茶強いな」
とサンドベージュの田宮さんが言う。
 
「P高校の合宿は何日まで?」
「1月17日までです。18日から授業再開です」
「じゃ17日に再試合」
と坂本加奈が言うが
 
「入れ替え戦があるから無理」
「こちらカップ戦に出る」
「うちは公式戦開始」
 
などといった声が出て、どうも参加者の確保が難しいようである。
 
「ナカちゃん、無理せず今度は夏に再戦しようよ」
と田宮さんが笑いながら言っている。
 
「じゃ、それまでに各自鍛錬を積んで、今度はダブルスコアでN高校を倒そう」
と坂本は言った。
 

「ところでナカちゃんは女をやめると言っていたけど、いつ性転換手術を受けるの?」
などと山口宏歌が言う。
 
「男になるのは構わないけど、女子の試合に出られなくなるからなあ」
「P高校伝統の『女装』写真を撮るというのは?」
と田宮さん。
 
「いやだ。あの格好は嫌だ」
 
『女装』を知らない、N高校のメンツが顔を見合わせる。N高校で『女装』の真相を知っているのは千里くらいである。
 
「じゃ代わりに金太郎の格好の写真を撮るといいうことで」
「う、負けたし、そのくらいは頑張ろうか」
 
坂本加奈の『金太郎』写真は、プリントしたものを『撮影禁止』ということでN高校のメンツにも閲覧されたが、みんな大笑いしていた。
 
「しかしやばいな。次負けたら、私が金太郎にならんといかん」
と山口宏歌は言っていた。
 

試合後、夕食を取ってから、みんなで一緒にきれいに体育館や宿舎の掃除をした。 
でもその後も純子や希望、絵津子や久美子などが練習していた!
 
「あんたら、もう掃除したんだけど?」
「この練習終わったら、また掃除します」
 
翌朝、各部屋の掃除をして朝御飯を食べた後、最終的な片付けをし終わったのがもう8時半である。みんなでお世話になったV高校の職員室に行き、挨拶をした。
 
そのあと羽田に向かい、取り敢えずN高校は旭川行き、P高校は札幌行きに乗る。N高校のメンバーは学校にウィンターカップの結果を報告してこなければならない。
 

1月6日、千里はひとり早朝V高校を出て、7:50の函館行きに乗った。そして11:25の奥尻島行きに乗り継いだ。
 
30分のフライトで奥尻空港に到着する。
 
奥尻空港はほぼ島の南端にある。千里は空港を出ると3kmほどの道を歩いてそのいちばん南の青苗岬まで歩いて行った。
 
実は北海道南西沖地震の津波被害はこの青苗地区がいちばん酷かったのである。春美さんの家族や親戚は全員この地区に住んでおり、両親と姉、双方の祖父母、伯父夫婦と従兄、叔母夫婦と従妹2人の合計14人が全員津波で死亡したらしい。 
その被害が激しかった地区は現在公園となっていて、不思議な形のモニュメント《時空翔》が置かれている。レンズ型の石の中央に凹みがあるが、ここは地震のあった7月12日にここにちょうど太陽が沈むように設置されているのだという。地震が起きたのは1993年7月12日22:17:12で、奥尻島は推定震度7であった。 
公園にはもうひとつ背の高い石のポールが立っている。
 
これは《洋々美徳》というもので、1880年に有栖川宮威仁親王殿下が乗船なさっていたイギリス海軍シナ海艦隊旗艦「アイアン・デューク」がここで座礁したものの、殿下自身が身の危険を顧みず乗員救出に尽力なさったのを記念するものだということである。
 
それらと「津波館」を見てから千里は、春美さんの家族親族のお骨と位牌があるお寺に向かう。春美さんの経済力ではお墓を作るのは困難ということでお寺がお骨を預かってくれているらしい。桃川家代々の墓も存在したのだが津波で墓地が破壊されて古い遺骨も墓石も行方不明と聞いた。
 
春美さんからは、お寺に「もしかしたら友人がそちらを訪問するかも」とお寺に話をしているということであった。
 

が、お寺の門を見ただけで引き返す。
 
神社体質の千里はお寺に入る場合は自分を「オフ」にする必要がある。霊鎧をまとうのに似た操作なのだが、小学生の頃はこれがうまくできなくてお寺自体に足を踏み入れることができずに困っていたこともあった。通常の状態で入ろうとしても、バリアに跳ね返されてしまう感じなのである。
 
ちなみに教会に入る時はこの操作をする必要が無い。なぜだろうと思い美鳳さんや藍川さんなどに尋ねてみたことはあるものの、
 
「私はふつうにお寺にも教会にもそのまま入るが」
とどちらからも言われた。
 
しかし貴司のお母さんは「私はお寺に入れないから葬式の時に困る」と言っていた。無理に入ると気分が悪くなり、途中退席することになってしまうらしい。貴司のお母さんも教会は平気らしい。
 
ちなみに千里はタイで寺院観光したが、タイの寺院は全然平気だった。また、高校の修学旅行で京都に行った時は多数のお寺に入っているがその時も平気だった。もしかしたら観光客の多いお寺は大丈夫で、純粋に宗教施設として活動しているお寺はダメなのかもと思う。
 

そういう訳で、千里はお寺に入るには自分と外界との関わりを閉じる必要があるのだが、閉じてしまうと、楽曲の復元に必要な「あちらの世界とのチャンネルをつなぐ」作業ができない。
 
それで千里は結局さっきの地震慰霊碑《時空翔》の所に戻った。
 
ここで復元作業をしようと決意する。
 
春美さんのノートの該当ページを開く。
 
心を楽にする。先日も浮かんだ、日が照る中で雪が降っているシーンが思い浮かぶ。千里は「何か」をずっと「探して」いた。
 
あれ?
 
と思う。千里は雨宮先生にメールした。
 
《つかぬことをお聞きしますが、桃川春美さんって性転換してます?》 
するとすぐ返事が来た。
《なぜそれを今更訊く?》
 
今更って教えてくれなかったじゃん、とぶつぶつ文句を言う。
 
しかし春美さんが元男性であるなら、今捉えた「これ」でいいようだ。 

千里はその「端緒」を捕まえたイメージの糸を丁寧にたぐっていった。それに合わせてメロディーが千里の脳内で再生される。
 
それを大急ぎで書き留めた。
 

この作業をした時、千里はあきらかに通常の創作の時のチャネリングとは感覚が違うことを感じていた。食事にたとえると、他人の茶碗と箸で食べているような、妙に心地悪い気分なのである。
 
しかしその違和感を感じながら書いたことで、千里はこれは春美さんが捉えたイメージと近いものではないかという気がした。彼女がこれを書いたのは2007年11月で、今から2年ほど前、千里が高校2年の時らしい。
 
千里は楽曲を書き上げた後で、再度お寺の所に行った。山門の前で本堂のある方角に向かってお辞儀をしてから立ち去ろうとする。
 
その時
 
「もし」
という声を聞いた。
 
振り返ると、お寺のお坊さんのようである。70-80歳に見える。
 
「さきほどもここまでいらっしゃいましたよね。もしかして桃川さんのお友達?」
 
千里は笑顔になる。
 
「はい。そうです。でも私、巫女なので、中には入れないんですよ。この山門が通さんと言ってます」
「だったら、裏口から来ない?」
「裏口ですか!」
 
「裏口入門だな」
 

ご住職に教えられて裏手に回る。そこに小さな木戸があった。住職が戸を開けて待っている。千里はそこなら通れそうな気がした。
 
「どうぞ、入って下さい」
とご住職が言う。
「お邪魔します」
と言って千里はそこを通った。
 
そのままお寺の住居部分に通される。
 
「本堂の方に近づかなければ大丈夫でしょう」
「はい。一時的に『閉じて』しまえば、巫女ではなくなるので、本堂にも行けると思うのですが、今回は閉じることのできない用事でこちらに寄せてもらったんですよ」
 
「もしかして音楽関係のご友人ですか?」
「ご住職鋭いですね。私は桃川さんの姉弟子のようなものです。年齢では向こうがずっと上ですけど」
「なるほど」
 
「実は2007年11月に、桃川さんが自殺未遂をした時に、直前にここのお寺に寄って、そこで美しい曲を書いたということで、その曲の復元作業をしているんですよ」
 
「おお」
「それで桃川さんが使っていたノートを持って、桃川さんの気持ちになって慰霊碑を眺めていたら、なにやら美しいメロディーが流れて来たので、彼女が感じ取ったメロディーの記憶かも知れないと思って書き留めました」
 
と言って、千里は慰霊碑の前で書き留めた五線譜を見せる。
 
「あの子は小さい頃一度死にかけているんですよ。それで霊感のようなものが開いてしまったようで。だから同じように霊感を持っている人が同じ場所に行けば、ひょっとすると似たものがキャッチできるのかも知れませんね」
 
と住職は言った。
 
「ええ。それを期待して五線譜に書き留めてきたんです。でもどのくらい近いものが拾えたかは未知数ですけどね」
 
「あなたは物凄い霊感の持ち主のようだ」
と住職は言う。
 
「時々そう言われます。私自身は、その霊感とかは全然分からないんですけどね」
「ああ、そういう無自覚の霊感人間もけっこういるんですよ。多くは守護霊が物凄く強いんです。自分の霊感を意識しなくてもやっていけるくらい強いと、結果的に無自覚になるんですよね」
 
「なるほどー。じゃ私、守護霊さんに感謝しなくては」
「うんうん」
 

住職は2年前のことを語った。
 
桃川さんが明らかに思い詰めたような顔でお寺を訪れ、親や祖父母などの永代供養料にと100万円渡そうとしたが、わざと半分返したという。
 
「まだ自分のすべきことが残っていると思って欲しかったからね」
「確かに全てを精算してしまえば、心残りが減りますからね」
 
「それでお守りに勢至菩薩の姿が見える房玉をあげたんだよ。こんな感じの」
と言って千里に透明な玉をひとつ渡す。
 
千里は玉を覗き込む。
 
「大日如来ですか?」
「よく見ただけで分かるね!」
「お名前が伝わってきました」
「さすが、さすが。それあげるよ。未年生まれの人の守護本尊だし」
「私が未年生まれって分かりました?」
「うん。そんな気がした」
「ほんとにご住職凄いです」
 

「桃川君はあの時あげた玉を紛失したと言って謝っていた。しかしその玉があの子を守ってくれたんじゃないかって気もするね」
 
「それはありそうですね。それと似たようなことを私も経験したことありますよ。九死に一生を得て、持っていたはずのお守りとか身代り人形が無くなっていたりとか」
 
「うん。その手の話は時々あるんだよ」
 

「しかし、さっき津波館で地震当時の資料とかを見ていたのですが、奥尻島は津波被害も酷かったけど、復興も早かったようですね」
 
「うん。あれは全国から物凄い義援金が集まったので助かったんだよ。あれで船を無くした人も、新しい船を作るのにその費用の9分の8が助成されたし、家を建て直す人にも1250万円の補助が出たんだよ」
 
「それは凄いです!」
「こういうのを今後大きな災害があった時のモデルケースにして欲しいよね」
「全くですね」
「亡くなった人への弔慰金も、5回に分けて支払われたけど、最終的な合計で死者1人あたり300万円くらい出たはずだよ」
 
「手厚いですね」
 
と言いながら、千里は微妙な違和感を感じた。その違和感の正体にすぐ気づく。 
「ご住職、桃川さんもその弔慰金を受け取ったはずですよね?」
「うん。あの子は両親・姉、双方の祖父母で7人亡くなっているから、2100万円は受け取ったはず。伯父・叔母とかのはどういう扱いになったか分からないけど」
 
このお寺で預かっている遺骨は桃川さんの直接の親族である両親・姉・祖父母の7人の分で、他の7人の遺骨は別のお寺で無縁仏に準じて管理されているらしい。確かに伯父叔母・従兄妹まではとても手が回らないだろう。
 
「そのお金はどうしたんでしょう?」
 
「実は僕もそれは疑問に思っていたんだよ。あの子、ずっと貧乏暮らしだったみたいだから。ひとつ考えたのは性別変更に使った可能性だけど、性転換手術っていくらくらい掛かるのかね」
 
「私もよく分かりませんが、手術代自体は100万円くらいみたいですよ。タイで手術する人が多いので、その渡航費とか、手術後の休養期間の生活費とか入れてもせいぜい200万もあれば充分でしょう」
 
「だったら違うな。もうひとつ考えていたのは、あの子、音楽系の大学に行ったから、その教材費とか、授業外のレッスン費とか、あるいは楽器を買うお金とかで使ってしまったのかも。音楽とか美術とかって無茶苦茶お金がかかるから」
 
「確かに。楽器は凄いですね。私の友人(麻里愛)が持ってるヴァイオリンとか5000万円したらしいですよ」
「恐ろしい世界だ」
「私なんて15万円で買ったという友人から譲ってもらったお古のヴァイオリン使っているのに」
 
「それはさすがに安すぎる気がするよ」
と住職は笑っていた。
 
「でもその前は3万円のヴァイオリン使っていたんです。壊れちゃったけど」
「そんな安いヴァイオリンがあるの!?」
 

住職との話はけっこうはずんで、結局千里はこのお寺に泊めてもらうことになった。住職の奥さん、40代くらいの息子夫婦、高校生の孫娘と中学生の孫息子2人と一緒に夕食も頂いた。
 
「嘘〜!U19日本代表の村山千里選手ですよね?」
とその孫娘から言われる。
 
「あらあ、バレたか。って私を知っているということは、バスケット関係者ですか?」
 
「私もバスケット部なんです。いつも地区大会で1回戦負けだけど」
「ああ。私も中学1−2年の頃はそんなものでした」
「へー!1回戦負けのチームから世界へかぁ。凄いなあ。私、去年のインターハイ予選で旭川N高校と札幌P高校の試合見たんですよ」
 
「わあ、あの試合見たんだ?」
 
2008年のインターハイ道予選は札幌近郊の岩見沢市でおこなわれた。
 
「物凄い接戦で最後は村山選手のスリーで逆転勝ち。P高校が負けることあるんだ!って、びっくりしたんで、よけい印象に残ったんですよ」
 
「まあP高校は全国大会に照準合わせているから、道大会ではまだエンジンが掛かってないからね」
と千里は笑いながら言う。
 
「やはり手抜いてたんですか?」
「手抜くというより無理しなかったんだと思うよ。あとの2チームには負けることはないから、どっちみちインターハイには行けると踏んでたんだと思う。まあ90%くらいかな。こちらは必死だったけど」
 
「90%であれか。凄いなあ」
 
彼女が千里のサインをねだったので、スケッチブックに書いてあげたが 
「美し〜い」
と言って、喜んでいた。
 

彼女ともバスケットのことで話がはずんで、結局寝たのは12時近くである。千里はさすがに疲れが出て熟睡していたが朝4時半頃、目が覚める。
 
まだあたりは暗い。
 
千里は部屋の中にある文机が気になった。
 
勝手に開けるのはいけないかなあ、などと思いながら引出しを開ける。そこに1冊のノートがあった。
 
何となく開く。
 
「これは・・・・・」
 
そこには『雪の光』と書かれた詩が書かれていたのである。但しかなりの修正が入っており、大きく線でくくって矢印で移動を指示したり、何種類かの色のペンで何度も書き直したりした後がある。
 
これは桃川さんがこの曲の歌詞を推敲したあとだ!
 
と千里は確信した。
 
ちょうどそこに足音がする。
 
「ご住職ですか?」
「あ、うん。眠れなかった?」
「いえ。寝ていたのですが、ちょっとこれを見ていただけますか?」
「ん?」
 
それで千里が障子を開けるので、住職が入ってくる。
 
「これは桃川君の字だね。あの子悪筆なのをずっと気にしてたよ」
「この字の乱れはある種の病気かも。でもこれ歌詞を推敲した跡みたいです」
「確かにあの時、けっこうな時間、推敲をやっていたよ。これどこにあったの?」
 
「そこの文机の中に。なんか凄くそこが気になったので、勝手に開けてはいけないとは思ったのですが」
 
「この文机は確かに以前本堂に置いてあった。なぜこのノートがここに入っていたのかは僕も分からないけど、村山さんに見つけられるのを待っていたのかも知れないね」
 
「このノートお預かりしていいですか?」
「もちろん」
 

千里は朝御飯まで頂いてからお寺を退出することにする。宿賃にと1万円札の入った封筒を渡そうとしたが、住職は「桃川君の友人からお金は取れないよ」というので、地震・津波で亡くなった人たちの菩提供養にということで、やっと受け取ってもらえた。それで出ようとしたのだが、
 
「あれ?なんか本堂に入れる気がします」
「ああ。なんか御本尊さんがおいでおいでしてるね」
 
それで千里は住職と一緒に本堂に入る。それで千里は御本尊の前で合唱した。そして自然と、般若心経が出てきた。
 
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多・・・・」
と千里は心経を唱えたが、終わった後、ご住職は
 
「こういう心経を聴けるというのは、僕も75年間生きて来た甲斐があったと思った」
と言って喜んで(?)いた。
 
千里は、帰りも裏口から退出させてもらった。青苗地区の慰霊碑を再度見てから空港まで歩いて行き、
 
奥尻1220-1250函館1610-1650新千歳1855-1940女満別
 
という連絡で美幌町のチェリーツインが拠点としている牧場に入った。女満別空港には桃川さんと大宅さんが迎えに来てくれた。
 

牧場で八雲・陽子たちとも一緒に夕食を頂く。秋月さんは今スキーに行っているということで不在だった。
 
「いつも大宅さん・秋月さんって一緒に行動しているのかと思った」
と千里。
「僕たちの関係って結構誤解されている気もする」
と大宅。
「私は恋人同士なのだろうと思ってましたが」
と八雲。
「そこが男性同性愛なのか、女性同性愛なのか、意見が分かれるんだけど」
と陽子。
「うーん・・・・」
 
「ひょっとしてふたりの内の一方は性転換しているのではという説もあったもんね」
「そんな馬鹿な!?」
 
食事が終わった後で、千里がまずはお寺で発見したノートを見せると、桃川さんはびっくりしていた。
 
「私、こんなものを残していたんだ!」
「覚えてないんですか?」
「全然」
 
「でも春美さんの字ですよね?」
と八雲。
 
「うん。間違いなく私の字」
と桃川。
 
「やはり色々記憶が飛んでいるんだろうね」
と大宅が言う。
 
「でもこれがあったら、歌詞を復元できるでしょ?」
「できます!」
 
「それ完全に元の形にすること考えるより、今のハルちゃんの感覚でいちばんいいと思う形にすればいいよ」
と大宅さんは言っている。
 

千里が慰霊碑の所でチャネリングにより獲得したメロディーも見せる。 
「わっ、こんな感じです、こんな感じです」
「ここから復元できる」
 
「ちょっと待って」
と言って桃川さんは譜面を見ている。
 
「そうか!ここはこんなメロディーだったんだ!」
「じゃ復元できそうですか?」
「できると思う。これ凄く助かる」
 

結局桃川さんはその夜、徹夜で楽曲の復元をしたようである。
 
1月8日朝、朝食の席で見た桃川さんは目は真っ赤にしているものの、物凄く充実した顔をしていた。
 
「2008年の春頃に1度復元を試みた時の譜面とも見比べながら、書いてみた」
などと言って千里たちに譜面を見せる。
 
千里は彼女が書いた譜面をじっと見ていた。
 
「推敲していい?」
と千里は訊く。
 
「はい!」
 
それで千里はその譜面のコピーを取ってから、赤いボールペンで推敲していく。千里が手を入れているのは、ひとつは構成の問題。もうひとつは細かい音符の動きの問題である。桃川さんが音楽理論をしっかり叩き込まれている人だけに和音の勘違いのようなものは無いものの、アピール性を高めるために敢えて和音を変更した方がいいと思う所は変えさせてもらった。
 
「わぁ、だいぶ添削されちゃった」
 
「ちょっとそれ清書してみよう」
と大宅さん。
 
千里は一方で復元された歌詞を蓮菜にFAXで送り、添削してくれと言った。それがこちらでメロディーの清書をしている間に届く。
 
「主として文法誤りとか、韻の踏み方、それと表現上の問題で手を加えたと言ってます」
 
「わあ、こちらも真っ赤」
 
しかし清書した譜面に、蓮菜が手を入れた歌詞を乗せてみると、物凄く魅力的な歌になった。
 

「これ凄くいい!」
「CDにしたいね」
「雨宮先生はそのつもりだと思いますよ。私に1月15日までに復元しろと言ったので。もっとも復元作業自体は結局桃川さん本人にしてもらいましたね」
 
「じゃこれすぐCubaseに打ち込んで雨宮先生に送ります」
と桃川さんは言った。
 
千里はこの日(1月8日)の午後の便 女満別1435-1525新千歳 で札幌に移動し、札幌P高校に入って、合宿に復帰した。
 

札幌P高校宿舎でのP高校とN高校の合同合宿はN高校が1月6日に旭川に移動し、7日に学校で校長にウィンターカップの成績を報告した後、8日から再開された。これを17日まで10日間続ける。
 
内容としては朝1番に練習試合をした後、マッチング練習・シュート&リバウンド練習、パス練習、ドリブル&ランニングシュート練習などを小グループに分かれて順次繰り返していく。ひじょうにヘビーな練習である。
 
食事作りは札幌近郊に住む、N高校・P高校のOGの人たちに協力を求めてやったが、
 
「あんたたち、こんなに食べるの?」
と最初の内は予想を遙かに超える食事の消費量に驚いていたようである。 

9日(土)の昼、千里が昼食後少し休憩していたら電話に着信があるが、見ると父である。
 
「明けましておめでとう、お父ちゃん」
「千里、明日は成人式だけど、お前留萌に戻ってこないの?」
「成人式は来年だよ!」
「あれ?そうだったっけ?いや、成人式の衣装はスーツかなあ、紋付き袴かなあとか考えてた」
「成人式の衣装ね〜。やはり振袖かなあ」
「それは女だろ?」
「え?振袖着ちゃだめ?」
「気色悪いこと言うな」
 
でも私、ほんと成人式は何着よう?と千里は考えていた。振袖持ってないしなあ。いくらくらいするんだろう、などと考える。
 
「でも今年の正月、帰って来なかったけど忙しいの?」
「うん。今年は高校の後輩たちと一緒に合宿やってたんだよ」
「それで帰って来られなかったのか」
「うん。ごめんねー」
 
「今どこに居るの?東京?」
「あ、いや札幌なんだけどね。今回は仕事で奥尻島から美幌町から飛び回ったよ」
「大変だな!」
「奥尻から美幌までは移動に丸一日かかった」
「1日で済んだ?2日掛かるかと思った」
「飛行機の乗り継ぎしたからね」
「金かかったろ!」
「交通費は会社から出るからいいんだよ」
「だったらいいか」
 
「でも札幌にいるんだったらさ、明日、俺札幌でスクーリングあるんだけど、授業が終わった後、一緒にラーメンでも食わんか?」
 
「まだ合宿やってる最中だから難しいかも」
「でも4月以来、お前の顔見てないしさ」
 
確かにこの1年は忙しくて全然留萌に戻ってないなというのも考える。たまには親孝行するか。
 
「うーん。じゃ札幌でラーメン食べて、1日合宿から抜けてお父ちゃんを留萌まで送ろうかな」
 
「おお、そうしなさい、そうしなさい」
 

それで翌10日の午後、千里が出かける準備をしていたら暢子から突っ込みが入る。 
「千里、その格好はどういう冗談だ?」
「男に見える?」
「見えん」
 
「うーん・・・・」
「まあ、メンズの服を似合わないのに着ている女くらいには見える」
「やはり女にしか見えない?」
「千里の男装には無理がありすぎる」
「でもお父ちゃんに会うんだよ」
 
「千里まさか、親に女になっていることまだ言ってないの?」
「お母ちゃんは察していると思うけど、お父ちゃんは知らないと思う」
 
「それはさすがに酷い。ちゃんとカムアウトしてきなさい」
 
「それはいつかしないといけないとは思うんだけどねー」
 

暢子にそんなこと言われながらも宇田先生に挨拶して(宇田先生が変な顔をしていた)、宿舎を出て、バスで都心に出る。レンタカー屋さんでラクティス1496cc 4WD 4ATのモデルを借りる。初心者マークも借りて前後に貼り、ETCカードをさす。それで父との待ち合わせ場所に行った。
 
「その車買ったの?」
「レンタカーだよ。車まで買うお金無いよ」
「だよなあ。俺がもう少し稼げたらいいんだけど」
 
取り敢えず父を助手席に乗せて出ようとするが父がシートベルトをしていない。 
「お父ちゃん、シートベルトして」
「こんな面倒なもんできるか」
「してないと捕まって点数1点取られるから」
「そんなの見つからないって」
「お父ちゃん、ちゃんとシートベルトしてくれないのなら降りて」
「そこまで言うことないだろう?」
「だからちゃんとシートベルトしてよ」
 
「もう面倒くさいなあ」
 
と文句言いながらも父はシートベルトをした。
 
ところが少し走った所にあった交差点で停まったら、千里の前にいた車の所に警官が寄ってきて窓をノックしている。やがて警官に誘導されて脇道に移動する。
 
「何だろう?」
「ここの信号は急に変わるんだよね。それで結果的に信号無視になってしまう人がよくあるから、それを捕まえてたんだと思う。でも前の車はきちんと停まったから、シートベルト違反じゃないかな」
 
「え〜?じゃ、俺シートベルトしてて助かったな」
「事故に遭った時、それで生死が分かれるから、ちゃんとつけてないとダメだよ」
 

やがて郊外のすみれ本店に入る。駐車場に車を駐め、中に入り、味噌ラーメンのチャーシュー・煮卵乗せを2杯頼む。
 
「ここ美味いな」
と一口食べて父は言う。
 
「ここ来たこと無かった?」
「初めて」
「けっこう評判で、東京から来た人とかにも人気なんだよ」
「へー。大したもんだな」
 
「しかしお前も結構よく食べるようになったな」
「まあ運動してるからね」
 
父が千里の腕をつかむ。
 
「腕もだいぶ太くなった」
「まあ運動してるからね」
「これなら漁船に乗れるかな」
「無理無理。私、握力20kgしかないから」
「そんなに無いのか!?」
 
父がトイレに行っている間にお勘定をすませた。それで一緒にお店を出ようとするが、出口の所で千里は
 
「あ、私もトイレ行ってくる。お父ちゃん、先に乗ってて」
と言って、車のキーを父に渡す。
「あ、うん」
 
それで父が外に出た後で、千里はお店の女子トイレに入る。
 
「ふう。なんか神経使うなあ」
と千里は思った。
 
トイレ問題で同行者に面倒な疑惑を持たれないコツは相手が行った後で自分が行くことである。
 

それで千里はラクティスを運転して道央自動車道・深川留萌自動車道と走る。なおこの時期には、深川留萌自動車道は留萌幌糠ICまでができている。2時間弱で留萌の実家に到達したが、父はほとんど寝ていたので、千里も気楽であった。実際には千里も1時間ほど運転席で仮眠し、その間は《きーちゃん》に運転してもらった。
 
千里が「男装」で実家に「ただいまあ」と言って入って行くと、その格好を見た母はすごく変な顔をした。玲羅は吹き出した。
 
父がビールを飲んでいる間に、千里はひとりで車で出かける。車内で女装に戻して、貴司の実家に行った。
 
「ただいま、戻りました」
と言って、こちらの家にも入る。
 
「お帰り、千里ちゃん」
と言って笑顔でお母さんが迎えてくれる。
 
「母校の合宿に付き合っている最中を抜け出してきたんですよ。それで何もお土産がなくて済みません」
というが
 
「ううん。来てくれるだけでいいんだよ」
とお母さんは言った。
 
「取り敢えずこれは札幌で買ってきたお菓子です」
と言ってロールケーキを出す。
 
「わあ、それ大好き」
と言って理歌が飛んできた。
 

「そうだ。これを貴司さんに頂きました」
と言って、千里は左手薬指に填めたアクアマリンの指輪を見せる。
 
これは12月13日に貴司からもらったものである。
 
「あらまあ、あの子にしては気が利いてるじゃん。これ誕生石だっけ?」
「はい。誕生石です。ここにこういう文字が」
 
と言って、指輪を外して、内側を見せる。そこには
<< Takashi to Chisato Love Forever >>
という文字が刻印されている。
 
「じゃこれエンゲージリング?」
「一応ファッションリングとして頂きました」
「へー。まあいいんじゃない?」
 
「26歳と24歳になるまで続いていたら結婚しようという約束でしたし。まだ5年あるんですよ」
「お互いの気持ちがしっかりしているなら、待たなくてもいいんだよ」
 
「ええ。でも私も大学卒業した後かなと思っているんです」
「そうだねえ。在学中だと、妊娠したりすると学業が中断するし」
「そうなんですよ」
と千里が答えてから「あっ」とお母さんは小さな声をあげる。
 
「千里ちゃんは妊娠しないんだっけ?」
「赤ちゃん産む気満々です」
「だったら、それ期待してよう」
とお母さんは笑顔で言った。理歌も微笑んでいた。
 
結局、夕飯作りを手伝い、仕事から戻ったお父さん、部活から戻った美姫と一緒に石狩鍋を食べた後で、自分の実家に戻ることにする。夕食の後の片付けまでしてからと思ったのだが「お姉さん、片付けくらい私がしますから」と理歌が言うのでお任せした。美姫も千里がもらった指輪を見て
 
「兄貴にしてはセンスがいい」
などと言っていた。
 
お父さんは
「結婚式、いつ挙げるんだっけ?」
と焦っていたが、
「大学を卒業した後になるから、まだずっと先ですよ」
と千里は答えておいた。
 

実家では母が夕食におでんを作っていた。
 
「向こうでも食べたかなあとは思ったんだけど」
と母は言っていたが
「向こうでも食べたけど、こちらでももらうよ」
と千里は笑顔で言って、父・母・玲羅と一緒におでんを食べた。後片付けを母とふたりでした。
 
こちらでもロールケーキを出す。玲羅が切り分けてくれた。
 
「ここのは生クリームものが絶品だね」
と玲羅が言う。
 
父は日本酒を飲んだら眠くなったと言って奥の部屋に行き眠ってしまう。それでふすまを閉めてから、千里は母と玲羅にアクアマリンの指輪を見せた。 
「あんた、それエンゲージリング?」
「貴司はエンゲージリングにしたいみたいだったんだけどね〜。どっちみち結婚できるのはずっと先だから、その頃になったら、あらためてダイヤのエンゲージリングくれるって。だからこれはそれまでのつなぎかな」
 
「これだって結構なお値段しそうなのに」
「40万円くらいしたみたい」
「きゃー」
「でもエンゲージリングは給料の3ヶ月分って言うね?」
と玲羅。
「それなら200万円くらいのもらわないと」
「貴司さんって60-70万円も給料もらってるの?」
「住宅補助まで入れたらそんなものかな。あいつ月35万のマンションに住んでいるから」
「そんな凄い所に住んでるんだ!」
「その内25万が会社から出ている家賃補助で、実際のあいつの負担は10万円」
「高ーい」
「都会はそんなものだよ。私のアパートの家賃1万円なんてのは極めて異常な部類」
「あそこは色々問題のある物件だったからね」
 
「それに私、結婚する前に戸籍を女に直さないといけないし」
「20歳になったらすぐ申請するの?」
「まあ性転換手術した後でね」
「性転換手術はもう終わってるんでしょ?」
と母が訊くが
「まさか。お金貯めないと無理だよ」
と千里は言う。
 
すると母と玲羅が顔を見合わせる。
 
「今更そういう嘘をつく姉貴が意味不明!」
と玲羅は言った。
 

翌1月11日(祝)。千里はこの日帰ることにした。
 
千里の『男装』に無理がありすぎて、長居すると確実に破綻しそうなので、早々に退散することにしたのである。父から『一緒に温泉に行こう』などと言われたら、無茶苦茶やばい。
 
それで朝10時頃、実家を出る。
 
ラクティスを運転し、留萌自動車道に乗って深川JCT方面に向かって走っていたら《たいちゃん》が言った。
 
『千里、ちょっと寄り道していかない?』
『いいけど、どこに?』
『旭岳』
『旭川の?』
 
それで千里は深川JCTを札幌方面ではなく、旭川方面に分岐した。
 

旭川鷹栖ICで降りて、道道1160号線を走って旭岳山麓駅前まで行った。駐車場に車を駐め、ロープーウェイの往復切符を買う。
 
何となく気分でホットコーヒーを自販機で買った。
 
キャビンに乗り込み、10分ほどで姿見駅に着く。千里が姿見駅を出て左右をキョロキョロしていたら、駅員さんが寄ってきた。
 
「お客さん、観光ですか?」
「実は2年ほど前、2007年の11月なんですが、友人がこの近くで自殺を図りまして」
「え?」
「幸いにも通りかかった人が発見して無事生還したんですが、その場所がどのあたりだろうと思って」
 
「あなたが自殺するんじゃないですよね?」
「自殺するように見えます?」
「見えません!でもスキーとかもお持ちじゃないし、軽装だし、と思って」
 
「ああ。ここに来る予定無かったのを急に寄ってきてと言われたもので」
と千里は言っている。
 
「でもその場所分かります。私がそのお客さんを助けてあげてと山慣れしておられる感じのお客さんに頼んだんですよ」
 
「そうだったんですか!」
 
駅員さんは、千里の格好はあまりにも寒すぎると言って、防寒具を貸してくれた。その上で、この付近の周遊図を示して、桃川さんを発見した場所を教えてくれた。
 
「じゃちょっと行ってみます」
「お気を付けて」
 

千里は遊歩道らしきルートに沿って歩いて行く。実は軽装での山歩きは出羽でさんざんやっているので、そんなに問題は無いものの、貸してもらった防寒具は暖かかった。
 
7-8分歩いた所で夫婦池の所に到達する。
 
桃川さんが来た時は池は凍結していなかったらしいが、今はさすがに凍結している。しかしここからの旭岳の姿は美しい。なるほどここで死にたくなったのも分かるが、こういう所で春になって死体が出てきたという状況は迷惑だよね、というのも考える。
 
その時、バッグの中で何かが反応するのを感じる。
 
何だっけ?と思ってバッグの中を覗いてみると、財布の中のようだ。財布を取り出して開けてみる。
 
「これか」
 
と言って千里は、奥尻島のお寺で御住職から頂いた大日如来の玉が反応しているのを取り上げた。
 
「何が言いたいのかなあ?」
などと独り言を言うが、玉はどこかに行きたいようだと感じる。それでその玉が行きたがっている方角に10mほど歩くと、やがてある場所で停まった。 
『たいちゃん、ここに何かあるの?』
『体力のある子に雪を掘らせてみて』
『じゃ、こうちゃん、お願い』
『へいへい』
 
それで《こうちゃん》が雪を掘ってくれるのを千里はじっと見ていた。 
「あ、何かある」
と言って千里は《こうちゃん》が掘ってくれた穴の中に落ちていた小さな玉を見つけ、拾い上げた。
 
『よくそんな小さな物を見つけるな』
と《こうちゃん》が感心している。
 
「勢至菩薩だ」
 
『桃川さんの守護本尊だよ』
と《たいちゃん》が言った。
 
「これを見つけないといけなかったのか」
『それで本物の『雪の光』が書けると思う』
『マジ?』
 

千里は帰りが遅いと駅員さんが心配するかもと思い、掘った穴を《こうちゃん》に埋めてもらった上で、姿見駅に戻った。
 
「ありがとうございます。どこか座って作業できる所ありませんか?」
「うちの休憩室使っていいよ」
 
そこは桃川さんを運び込んできた秋月・大宅のふたりが彼女を介抱した部屋だということであった。
 
「たぶん最高の場所です」
と千里は言い、五線紙を取り出した。目の前に桃川さんの守護本尊・勢至菩薩の玉と自分の守護本尊・大日如来の玉を置く。
 
千里は自分でもよく分からない力に動かされて、さらさらと五線紙に音符を書きはじめていた。同時に歌詞も浮かんでくるので一緒に書き込んでいく。 
駅員さんが「へー」という感じで見ている。
 
この作業は30分ほどで完了した。
 
「終わりました?」
「書き上げました。ありがとうございます!」
 
千里がその場で歌ってみせると、駅員さんは涙を流してきいていた。
 
「凄く哀しいです。でも凄くいい歌です」
「私もそう思いました!」
 

千里は「先日のとは違う『雪の光』を見つけた」と桃川さんに電話して言った。千里が札幌に移動する予定というと、桃川さんも札幌に出て行くと言った。 
それで千里は山麓駅まで降りて車に戻ると、高速を走って札幌に移動したが、千里が札幌にもうすぐ着くというころ桃川さんから連絡があり、新千歳まで来たという。ちょうどいい連絡があったようである。それで千里はそのまま千歳に向かい、千歳市内のファミレスで落ち合った。
 
「まず、これを。旭岳で見つけました」
といって守護本尊・勢至菩薩の入った玉を渡す。
 
「凄い!これがあったんだ!!」
「きっとこの玉が桃川さんを守ったんですよ」
「これ大事にします」
 
「これが得られた楽譜なんですよ」
 
桃川さんは譜面を見ていたが、涙がぼろぼろ出てきた。
 
「これ、私がまさに歌いたかった歌です」
と彼女は言った。
 
「じゃこれが本当の『雪の光』?」
「いえ、これは立派すぎます!」
「あら!」
 

「これ、まるで木こりの泉の話ですよ」
と桃川さんは涙を拭いてから苦笑いしながら言った。
 
「そなたが落としたのは金の斧か?銀の斧か?って。これは金の斧です。私が落としたのは普通の鉄の斧です」
と桃川さんは言った。
 
「でもこの歌にも記憶があります」
「ほんとに!?」
 
「私が自殺未遂して、大宅さんたちに見つけてもらって名前呼ばれたり、頬を叩かれたりしていた時に、何か天使の歌声のようなものが聞こえていた気がして。でも私自身も忘れていた。この曲はあの時に聴いた歌だと思います」
 
「じゃこれもきっともうひとつの『雪の光』なんですよ」
「そうかも!」
 
千里は桃川さんをファミレスの駐車場に駐めている自分の車に誘い、その中で雨宮先生に電話した。ハンズフリーセットを使って、ふたりで聴けるようにする。雨宮先生は千里の報告を聞いて「面白い話だ」と言った。
 
千里が新たに得られた曲をその場で歌ってみせると、桃川さんは再度涙を流していたが、雨宮先生は
 
「これは名曲だ」
と言った上で
 
「でも売れん」
と言った。
 
「確かにそれは分かります。売れないと思います。でもこの曲を売れるように改造すると、曲の良さが無くなる気がするんですよ」
と千里は言う。
 
「だったら、先日もらった曲とカップリングしてチェリーツインのCDを作ろう」
と雨宮先生は言う。
 
「今アルバムが完成間近なんですが」
「同時発売だな」
「え〜〜〜!?」
 
「その千里が新たに得た曲は『命の光』というタイトルで」
「分かりました」
 
それでチェリーツインの『雪の光/命の光』が制作されることになった。 
『雪の光』はメゾソプラノの少女X(陽子)が、情緒あふれる声でメロディを取り、味のある曲に仕上げた。『命の光』はソプラノの少女Y(八雲)が、本人もあまり使わないというオクターブ上のいわゆるスーパーヘッドボイスでサビ部分を歌唱して美しく仕上げた。
 
「この声は10年後には出なくなってるかも」
と八雲は言っていた。
「高い声が出なくなる前に性転換して女の子になるとかは?」
と陽子。
「性転換かあ。。。いいなあ」
 
クレジットは、『雪の光』を作詞作曲・桜桃/編曲・鴨乃清見、『命の光』を作詞作曲・桜桃&鴨乃清見とした。印税・著作権使用料に関しては、個別のダウンロード・利用の数によらず合計印税を桃川:千里=2:1で分けることを雨宮先生が提案し、双方了承した。
 
この曲は大西典香・津島瑤子以外の歌に鴨乃清見の名前が使われた、ごく少数の例のひとつとなった。
 
そしてこの2曲は後にチェリーツインの代表曲と言われる曲になるのである。 
 
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