【娘たちの1人歩き】(3)
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(C) Eriki Kawaguchi 2019-09-20
2016年3月下旬、仕事で鹿児島まで行ったアクアは鹿児島市近郊の温泉旅館に泊まった。仕事疲れが一気に出て旅館に辿り着く間もなく、御飯も食べずに眠ってしまった。目を覚ますと夜中の1時で自分の分の御飯がテーブルに置いてある。そして「お刺身は冷蔵庫」と書かれていた。
お腹も空いているが汗を流したい気分だったので、お風呂に行く。
「えっと、どちらに入るんだっけ?」
と一瞬悩んでしまった。
「えっとボク多分男の子だよね?」
などと独り言を言いながら、男湯に行く。何だか《男》と大きく書かれた文字が自分を拒否しているような気がした。実を言うとアクアは男湯に入った経験が無い!
それでドキドキしながら(まるで覗きでもするみたいな気分だった)、脱衣場の戸を開けた。すると裸の男性が3人いて、こちらを見てびっくりしている様子。
「君!こちらは違う!女の子は向こう!」
と言われたので
「御免なさい!間違いました!」
と言って戸を閉めて外に出る。
なんかおちんちん大きかった!びっくりした!
でもボク間違ったっけ??
と考えてみたものの「向こうに入れ」って言われたよなあと思い、だったら仕方ないよね?などと自分に言い訳をして、女湯の暖簾をくぐった。
誰も居ないようである。それで服を脱いで浴室に入るが、やはり誰も居ないようだ。拍子抜けした思いで髪と身体を洗い、湯船に浸かる。
その時初めて湯船に誰かいるのに気付く。嘘!?誰も居ない気がしたのに!
「丸山アイさん!?」
「おはよう。アクアちゃんってやはり女の子だったんだね?」
と丸山アイは優しく言った。
アクアが自分は男の子だけど、男湯に入ろうとしたら、こっち違うと言われたと説明すると、アイは笑った上で、
「そういう時はちゃんと自分は男です、と説明しなきゃ」
「そうですよね〜」
「でもこの身体では説明困難な気もするけどね」
と言ってアイはアクアのおっぱいにも触る。
「ちんちんも無いし」
「あるんですけど、小さくて身体に埋もれているんですよぉ」
「アクアちゃん、自分自身はどう思っているの?自分は男だと思っているの?女だと思っているの?」
「どっちだろう・・・」
アクアはあらたまって訊かれて迷ってしまった。そして5秒くらい考えてから
「ボクやはり自分は男の子だと思います」
アイは「男か女か」と訊いたのにアクアは「男の子」と答えた。アイはその微妙なニュアンスを感じ取ったが、アクア自身は気付いていないようだった。
「じゃ質問を変えるよ。アクアちゃん、男の人と結婚したい?女の人と結婚したい?」
「それよく訊かれるんですけど、結婚とか恋愛とかいうの自体が分からないんです」
アイはそのアクアの答えに頷き、無理にどちらかに決める必要は無いとも言った。
「誰か好きになったら、男でも女でも気にせず結婚すればいいんだよ」
「あ、それでもいいかな」
「だけど、アクアちゃん、一応男の子だと思っているのなら、やはり男湯に入らなきゃ」
「そうですよね!」
「次からは男と書かれた身分証明書とか用意しておいてさ、自分は男ですと主張しよう」
「あ、身分証明書というのはいい手ですね!」
その時はそんなことを話したのだが、アクアが温泉に入る機会は割とすぐにやってきた。
ゴールデンウィークのツアーで初日は札幌だったのだが、宿泊は札幌から車で30分ほど走った所にある小さな温泉宿に泊まった。
この日は車の中で一眠りしたおかげで、晩御飯は食べることができたものの、その後お風呂に行く前に眠ってしまって、またまた起きたのは夜中の2時だった。
「お風呂行ってこよう」
などと独り言を言ってから、お風呂セットを持って温泉に行く。こないだアイさんに言われたので、アクアは「性別:男」と印刷された生徒手帳を持ってきた。疑われたらこれを見せればいいよねと思ったのだが・・・
「これどっちに入ればいいんだっけ?」
と悩む。
左手にニタイノンノの湯、右手にカムイワッカの湯とある。それで必死に思い出すと、旅館に着いた時仲居さんが、「女湯はニタイノンノの湯です」と言った気がした。
ということはニタイノンノの湯に入ればいいのかと思い、左手に行きかけてから
「待って!ボクたぶん男の子だから男湯に入らなきゃ!」
と気が付く(実はライブの疲れで頭がちゃんと回転していない)。
それでニタイノンノの湯の入口の所まで行ってから、名残惜しそうにその戸を見て、カムイワッカの湯に行った。それで身体を洗って浴槽に浸かっていたら
「あれ?アクアって女湯に入るんだっけ?」
と声がする。見ると秋風コスモス社長である。
「え?ここ男湯じゃないんですか?」
「12時までは男湯だったけど、12時過ぎたら女湯になるんだよ。1泊で両方のお風呂に入れるようにそうなっているんだよね」
「そうだったんですか!」
「12時になる瞬間にそのお風呂に入っていた人は性転換される」
「マジですか?」
「ジョークだけど」
「びっくりしたぁ。でも済みません。そんな説明聞き漏らしていました。すぐあがります。ニタイノンノの湯の方に行きます」
とアクアは言ったが
「でも他に客も居ないし、このまま入っていてもいいと思うけど」
などとコスモスは言っている。
「でも痴漢とかと思われたらいけないし」
「アクアはむしろ男湯に入ったら痴漢と思われるね」
「え〜?そうですか?」
「だって小さいけどおっぱいあるし、ちんちんは無いし。普通それを見たら小学4年生くらいの女の子だと思うよ」
「私実際小学4年生くらいの身体なんですよ」
それで結局女湯の中でコスモスと15分くらい話した上で
「やはり向こうに行きます」
と言ってアクアは女湯を出た。
いったん服を着てから、今度はニタイノンノの湯に行く。ドキドキするのを抑えながら中に入る(実は男湯初体験!)。誰も居ない。それで服を脱いで浴室に入り、簡単に掛け湯をする。身体はもう女湯のほうで洗ってきているのだが、気持ち、一通り再度身体を洗う。それで浴槽に入る。
すると声を掛けられた。
「アクアちゃん、おはようございます」
「え?丸山アイさん?おはようございます」
「でもアクアちゃん偉いね、今日はちゃんと男湯に入っているのね?」
「ええ。こないだアイさんから注意されたし。でも何でアイさんは男湯に入っているんですか?」
「だって私男だもん」
「うっそ〜〜!? だって、こないだは女湯にいたじゃないですか?」
「うん。私、女湯に入るのが趣味なのよね〜」
「え〜〜〜!?」
「でも今度は私がアクアちゃんに叱られちゃうね。退散するね。じゃね」
と言って丸山アイはお風呂を出た。胸はうまく手で隠している。股間の付近を見ていたが、特におちんちんのようなものがあるようには見えなかった。
5月中旬、アクアと秋風コスモスはΛΛテレビに呼び出された。時期的に秋からまたアクア主演のドラマを撮りたいという話かと思った。昨年秋からこの春にかけての『ねらわれた学園』は17時代としては異例の高視聴率をあげている。
「映画ですか?」
とアクアは驚いて声をあげた。
「昨年『ねらわれた学園』が大成功だったので、それと並ぶ古典的SFジュブナイルの『時をかける少女』をやろうという話が持ち上がったのですが、この小説は内容が少ないんですよ。あまり事件らしい事件が起きないまま収束してしまう。それで原作の内容を先行して映画でやってしまい、その後はオリジナル脚本で10月から3月まで連続ドラマをやろうという企画なんです」
と逆池プロデューサーは言った。
「10月から連続ドラマを放映し、その前に映画を公開するというのはスケジュールが厳しくないですか?」
と秋風コスモスは尋ねた。
「映画を7月中に撮影して8月上旬に公開し、その後8月中旬からドラマの撮影に入ります」
「1ヶ月で映画を作るんですか!?」
「大丈夫ですよ。映画というより1時間半のドラマと思ってもらえばいいです」
と逆池。
「アクアに無理な負荷を掛けないのでしたら内容によってはお受けします」
とコスモスは答えた。
「それでアクアの役どころは・・・浅倉吾朗ですか?」
「いえ芳山和子をお願いしたいんですが」
「アクアは男性俳優ですので女役はお受けできません」
「と言われると思いましたので、設定を変更して男の子の芳山和夫というのでどうです?」
「それケン・ソゴルの仮名(かめい)深町一男と同音になりますけど」
「そちらは一彦で」
「でも和子ではなく和夫なら『時をかける少女』になりませんよね?」
「はい、それでタイトルも『時のどこかで』とする予定です」
「男役ならお受けできますが、それちゃんと物語が破綻せずに組み立てられます?」
とコスモスは本気で心配して質問した。
芳山和夫とケン・ソゴルでは恋愛要素を出す訳にはいかない!
「大丈夫です。任せて下さい」
と逆池は言ったが、コスモスもアクアも逆池の適当そうな雰囲気に一抹の不安を感じた。
テレビ局からの帰り、コスモスが運転するマツダ・ロードスターの助手席で、アクアはコスモスに尋ねた。
「今年は『ねらわれた学園』の小池プロデューサーじゃなかったんですね?」
「うん。小池さんはどうもキャロル前田主演のドラマを撮るみたいだよ。それでアクアの企画は予算が大きいこともあってベテランの逆池さんが担当することになったんじゃないかな」
小池はまだ20代のプロデューサーだが、逆池は50代のベテラン・プロデューサーである。これまで多数の人気ドラマを世に送り出してきている。特に30年間も続いたホームドラマ『豆腐の角も削れば丸』はオバケ的な視聴率を上げ、特に現在の40-50代以上の人を中心に大量のファンが居る。その成功のおかげで、将来のΛΛテレビ社長という呼び声もある。
「キャロル前田ですか!あの子、可愛いですね!最初会った時、てっきり女の子かと思っちゃった」
とアクアは言った。
「向こうもアクアちゃんって女の子とばかり思ってたと言ってたね」
「そうですか?ボク女の子に見えますかね?」
コスモスはさすがに返事に窮した。
「世間ではアクアのライバルとか言われているみたいだけど」
「ライバル大いに結構です。競い合うの大好きです」
「うん。アクアはそう言うと思った」
と言ってコスモスが笑っているので、アクアはなぜ笑うのだろうと疑問を感じた。
アクア主演の映画が夏に公開され、その続きが秋からのドラマで放送されるという情報が公開され、アクアの相手役の男性俳優オーディションが行われることになった。条件がかなり話題になる。
・年齢15-19歳の日本人男性で事務所との契約関係が無い人
・体重35kgのアクアを抱えて10m以上歩ける人
オーディションではアクアに見立てた35kgの人形を持って実際に10m歩いてもらいますと書かれていた。
このオーディションには力自慢のスポーツマンが多数参加し、元ラクビー部の19歳・広原剛志君が合格した。彼は腕力があるのに比較的細身で、浅倉吾朗のイメージにぴったりであった。彼はオーディションの時「このくらいの重さなら100m走れます」などと言うので、実際にやってもらった。本当に35kgの人形を抱えて100m走ってきたのに、あまり息が乱れていなかったので
「君凄いね!」
と脚本を担当することになった花崎弥生さんが歓声をあげていた。
5月下旬、アクアは「映画のプロモーションビデオを撮りたい」と言われて、都内のスタジオに出て行った。いきなり白いドレスを渡される。
「あのぉ、これ女の子の衣装のような気がするんですけど」
「いいじゃん、いいじゃん。可愛いアクアちゃんを見たいというファンの要望があるからさ。こういうのって若い内しかできないもん」
などと逆池さんに言われてドレス姿で写真・ビデオを5分くらい撮られた。
しかしその後は学生服を着てくださいと言われてホッとする。それで着換えてからスタジオに戻ると、知らない女の子がいた。
「おはようございます。滝蜜子(たきみつこ)と申します。まだ芸名は頂いておりませんが、よろしくお願いします」
と言って丁寧に挨拶する。
「映画の出演者さんですか?」
「そうそう。先週オーディションやって3000人の応募者の中から選ばれた」
「先週は浅倉吾朗役のオーディションしたのかと思ってました!」
「午前中に女子のオーディション、午後から男子のオーディションをしたんだよ」
「慌ただしいですね!」
それでアクアと滝さんの絡みの撮影をおこなう。滝さんはモンペを着て、顔も煤(すす)で汚れた感じのメイクである。どうも戦時中の設定のようだ。アクアは『時をかける少女』にこんな場面あったっけ?と思った。逆池さんは
「もし生き延びたいなら、僕についておいで」
という台詞をアクアに言うようにいった。
「それって、ターミネーターの "Come with me if you want to live" ですか?」
「そうそう。若いのによく知ってるね。ターミネーターもタイムトラベルものじゃん。それにリスペクトしてこの台詞を考えたんだよ」
と逆池さん。
考えたというよりまんまじゃんとは思ったが、アクアは座り込んでいる少女を演じる滝さんを前に
「もし生き延びたいなら、ボクについておいで」
と言った。
監督の田箸さんが
「アクアちゃん、少しイントネーションが違う」
と言ったのだが、逆池さんは
「いや、今のイントネーションのほうがアクアちゃんらしくていい」
と言い、これで1発OKとなった。
『スター発掘し隊』の女性歌手オーディションの方だが、5月7日朝1番に名古尾は合格者を所属させてくれることになっていた(滝口推薦の)卍卍プロに連絡を取った。ところが卍卍プロは「そんな数ヶ月育成してデビューなんてのは話が違う。しかも3人というのも話が違う。うちではソロ歌手で即デビューというのでなければ受けられない」と言ってきたのである。
それで卍卍プロは使えないことになった。名古尾自身、卍卍プロにあまりいい印象を持っていなかったので、これはもうキャンセルでよいことにした。午前中サポートのためにΨΨテレビに来てくれていた★★レコードの加藤次長も
「卍卍プロと関わるとろくなことないです。他のプロダクションを僕が推薦するよ」
と言うので、卍卍プロから要求されたキャンセル料300万円を★★レコードが払い、こことの関わりを消した(滝口がこことの契約を進めていたので★★レコードが責任を取った)。
それで結局、7日午後からの撮影では、プロデュースするミュージシャンも未定、担当してくれる事務所も未定、という状態で撮影をせざるを得なくなった。
「じゃプロデュースしている大先生が3人とも不合格だけど3人まとめてならギリギリ1人分と言っているということにして」
と名古尾。
デンチューの2人は不安そうな顔をしている。それで金墨が言う。
「じゃ私がその大先生からの伝言を伝える係を演じるよ」
「分かった、頼む」
撮影が始まる。ラフなシナリオが完成したのは撮影開始の30分前である。
「え?私男装するの?」
と金墨が焦ったように言う。
「最初は後ろ姿を映して、その大先生かと思わせておくんだよ。金墨さん、かなり低い声が出るじゃん。それでお願い」
「まあいいよ」
「次回は女装させてあげるから」
「その女装って凄く怖い」
ミスると物凄く詰まらなくなるので、デンチューの2人と金墨、それに3人を連れ戻す役の3組のAD・カメラマンとで、綿密に打ち合わせた。
スタッフ間でかなり議論したのだが、3人の内、演技力のある波歌と優羽には演出上いったん落選を伝えたあと呼び戻すというのを予め伝えることにした。これは名古尾が個別に2人と電話してOKをとり、本人たちの希望に添って急遽シナリオが作られた。事実上の合格連絡なので2人とも物凄く喜んでいた。演技力のあまり無い八島はガチで撮影することにしたが、これが思わぬトラブルを起こすことになる!
マイクロバスで12人がホテルからテレビ局に移動し、4番スタジオに入ってもらう。同局で最も広い300坪のスタジオで抽選で選ばれた観客も入っている(サクラを30人混ぜている)。
撮影が始まる。
スタジオに作られたステージに参加者12名を並べて自己紹介の上で1人ずつ歌も歌わせる。審査を待つ間(と称して)中野でのステージオーディションの映像も流す。1人ずつ歌を歌わせデンチューの2人が各々に話しかける時、春都の性別も明らかにされるが、観客席から「うっそー!?」という声が出ていた。
「これは女性歌手オーディションだから、もし優勝したら、即性転換手術を受けてね」
「分かりました。思い切って手術を受けます」
そしてCM明けという設定で、司会役のデンチューは
「合格者はありません。全員落選です」
と言う。
スタジオに集まっている観客から
「え〜〜!?」
という声が出る。
参加者たちはお互い顔を見合わせてから指示に従って退場する。全員に交通費や日当が配られる。そして解散する。
(スタジオにいた観客は、合格者無しということになり、全員退場した所までしか見ていない:それで「合格者無しらしい」「この先は第二回オーディションの企画とかかな?」「○○番の子可愛かったのに」「次は男子オーディションかも」などの書き込みしかネットには流れていなかった)
「春都ちゃん、性転換手術が受けられなくて残念ね」
と紀子が声を掛けた。
「ちょっと残念なようなホッとしたような」
「ああ、やはりまだ性転換する覚悟ができてないんだ」
と優羽。
「迷いがないと言えば嘘になるよ」
と春都。
「後戻りができない手術だもんね」
と紀子。
「既に後戻りできない所まで来ている気がするけど」
と優羽。
春都におっぱいが少しあるのは、合宿参加者には既にバレている。本人は明言しなかったが、多分女性ホルモンをやっている。
「でも女子制服を着て通学していいというのは、お父ちゃんが学校と交渉してOKになってるから、この後は女子制服で通学する」
「良かったね!」
「でも20歳までには性転換手術を受けなよ」
「そうしたいー!」
「だったらこの後、都内の病院で去勢してから福岡に帰るとかは?行けば即去勢してくれる病院知ってるよ」
なんでそんなの知ってんのさ?
「それお父ちゃんに叱られるよ!」
「言わなきゃバレないって」
(島田春都が実際に性転換手術を受けるのは2018年夏で、20歳の誕生日が過ぎてからになった。去勢したのは高校卒業後の2017年・・・と本人は主張している)
テレビ局のスタッフが解散した12名の内、波歌(しれん)、優羽(ことり)、八島(やまと)の3人を追いかけ、スタジオに呼び戻した。この時、八島を追っていたカメラマンが、駅構内で痴漢と誤解され、八島が悲鳴をあげたので周囲の乗客に取り押さえられるというハプニングが起きた。
同行していたADがテレビの撮影だと説明し、八島がその説明に納得したのでカメラマンは解放してもらえたが、彼は
「人生終わったかと一瞬思った」
などと言っていた。
その話を聞いた優羽が
「ヤマトちゃんで良かったですね〜。私は空手初段だから、痴漢だと思っちゃったら二度と使えなくなるくらいの力で蹴り上げていたかも」
などと言うので、優羽担当のカメラマンは
「男を廃業するのを免れたようだね」
と名古尾から言われて冷や汗を掻いていた(この部分台本!)。
3人を小さなスタジオに入れ、椅子に座らせてから、金墨が“大先生のメッセージ”を伝える。実際には加藤次長が作文したものである(そのことを3人は知らない・・・はずだが、実際には優羽はだいたい想像していた)。
“大先生”の見立てでは、全員合格レベルに達していないということだったので不合格にしたが、この3人はまだ少しは見込みがあり、3人合わせれば1人分くらいになるので、3人でユニットを組んでもらうという話をする。それでしばらくレッスンを受けて鍛えて、8月にCDを作り、それを手売りして3万枚売れたらメジャーデビュー、売れなかったら“普通の女の子に戻る”という方針を伝えたのである。
(村上専務は5万枚と言い、会議でも最初はそのくらい行けるだろうと多くの会議出席者が言ったが、金墨は万一のことがあったら大変なので3万枚にしましょうと提案。確かにもし到達しなかったらとんでもないことになるというので名古尾やなぜか会議に出席させられていた蔵田孝治!もそれに賛成してノルマは3万枚に軽減された)
もっともここで金墨が
「普通の男の子に戻ってもいいけど」
と言ったら、八島が
「それもいいですね」
などと言ったので、
「だったら、売れなかったら全員性転換ね」
と言われてしまう。
「それヤマトちゃんだけじゃなくて?」
「連帯責任」
「え〜〜!?」
「おっぱい無くしたくなかったら頑張ろう」
この撮影内容が放送されるのは5月12日(木)である。今から5日以内に、この放送ででっちあげてしまった“大先生”を誰かにお願いし、またできるだけ早く引き受けてくれるプロダクションも見つける必要があった。
それで、名古尾、加藤、明智、ケイ、蔵田孝治、などが走り回ることになる。ケイにしても、蔵田にしても、本来ただの通りすがりである!
NTCで合宿をしていた千里は、金沢K大水泳部の事件で1年前に病院の窓から突き落とされ意識不明になっていた幡山ジャネが意識回復したことを聞いた。彼女を何かサポートしてあげられないかと考えていて、先日の高知県での法事で会った舞耶が義肢製作会社に勤めていたことを思い出し、連絡を取ってみた。
舞耶は日本代表候補にもなっていた水泳選手の足先切断と聞き、ひじょうに興味を持った。そしてスポーツ選手向けに開発中の義足があると言い、製品開発のテストに協力してもらえないだろうかということだったので、取り敢えず本人を連れて行くと言った。
千里の合宿は5月11日に終了したのだが、ここで前田彰恵が、ブラインド・バスケットボールの話をした。以前インターハイにも出たことのある優秀な選手で鱒鷹さんという人が、学校で化学実験をしていた時に事故が起き失明し、バスケットの道を断念したのである。ところがその彼女が今ブラインド・バスケットをしていると彰恵が言ったのである。
「目が見えなくてもバスケットができるの?」
「ちょっと面白いよ。見てみる?」
「見てみたい!」
それで千里を含む数人の選手が合宿終了の翌日・12日、ブラインド・バスケットボールの練習試合を見に行くことになったのである。
ボールからは常に音が出ているので、その音を頼りにボールの位置を判断する。自分の近くを通過すればドップラー効果でそれを認識できる。ゴールからも音が出ているので、それを頼りにシュートする。コートの周囲には目立つ色のマットを敷いていて、その色の違いとマットの感触でコートの範囲が分かるようにする。全盲の人は赤い腕章を付けていて、この人たちはゴールに入らなくても、バックボードに当たっただけで得点が認められる。
千里はこのブラインド・バスケットボールの試合が今週末に神奈川県内で行われると聞き、これをジャネに見せてあげたいと思った。目が見えなくてもバスケットをしている人たちがいるのを目の前で見せれば、足の先を失い、もう水泳選手はできないと思っているジャネを勇気付けられると思ったのである。
それで青葉に連絡した所、青葉、ジャネとお母さん、それに水泳部4年の圭織さんが東京に出てくることになった。
千里は5月13日はクロスリーグの試合に出て、14日はレッドインパルスをこの春退団した餅原さんの結婚式に出、その夜は貴司と横浜でデートした。
2016年5月15日。
この日は物凄い日になった。
15日の朝、眠っている貴司を放置して、千里は予め借りていた福祉車両を運転し、青葉やジャネが泊まっていたホテルまで行く。ジャネは車椅子ごと車に載せ、青葉・圭織・ジャネの母と一緒にブラインド・バスケットの会場に行った。千里が思った通り、目の見えない人たちがバスケットをしているのを見て、ジャネは競技復帰の意欲がかなり高まったようである。
千里は鱒鷹さんの目を青葉にも診せた。青葉は改善の余地があると言い、彼女は定期的に青葉のセッションを受けることになった。
新幹線で岐阜羽島まで移動する。麻耶が迎えにきてくれたので、彼女が運転する福祉車両で一行は義肢製作所に入った。それで開発中の“本人の意志で動く義足”を付けてもらったのだが、運動神経の良いジャネはその場でこの義足を付けたまま走ってみせた。技師が驚いていた。
「普通の人なら走れるようになるには数日かかるのですが」
「さすがジャネさん!」
ジャネはこの義足の使用実験に協力することになり、取り敢えずこの義足は“お持ち帰り”することになった。
この会社の福祉車両を借りてそのまま金沢まで帰ることにする。そして途中のハイウェイオアシスで休憩していた時、一行はステラジオのホシとナミに遭遇した。
それで一緒にしばらく話している内に、青葉はホシの話した内容から衝撃的な事実を知った。それは水泳部の連続怪死事件について、青葉が“解決した”と思っていた内容をひっくり返してしまうものであった。
青葉は20年前の事件について最初に語ってくれた木倒カタリと再度会う必要性を感じた。それで千里に頼む。
「ちー姉、悪いけど、ちょっと付き合ってくれない?」
「うん。これはさすがに青葉をひとりで行かせる訳にはいかない」
カタリはこの件を追及されたら逆上して青葉に危害を加えようとするかも知れないと千里も思ったのである。
それで2人はその日の深夜、木倒家を訪問した。カタリは全て覚悟していたようで、静かに全ての真実を話してくれた。
ところがこの話し合いの途中で、もし聴いてしまえば1分以内に死んでしまう“死の歌”がメーン長浜が使用していたカーナビに残っている可能性があることに気付く。そこで青葉は深夜ではあったが、東京のΘΘプロの春吉社長に電話した。
「分かった。誰かが使ってないか、すぐ調べさせる」
春吉は社員と配下のタレント全員にメールし、その結果立山みるくが自分の車に取り付けていることが分かり、即みるくに電話して電源を落とさせた。そしてそのまま会社に持ってくるように言ったのである。
青葉と千里は木倒カタリ、およびスナックの勤めを終えて帰宅してきたクミコ(木倒サトギの妻)と夜中3時頃まで話し合い、その後、くれぐれも早まったことはしないようにとクミコに言ってから木倒家を出て、金沢市内のホテルに泊まった。そして朝1番の新幹線で東京に出て青葉はΘΘプロに行った(千里は合宿所に行った)。福祉車両の返却は朋子に頼んだ。
5月16日朝、ΘΘプロに入った青葉はカーナビをチェックし、確かに“死の歌”が入っていること、みるくが電源を落としていなかったら2分後に再生されていたことを確認した。みるくが悲鳴をあげて腰を抜かした。
「その再生前に発見できたのだからあんたは運が強い」
と大堀浮見子が言う。
「確かに私って悪運が強いって小さい頃から言われていた」
とみるくも言った。
そしてこの後、青葉は春吉社長から、まだ誰にも言っていなかった事実を聞くことになり、それでピュア大堀と木倒ワサオの死の状況がほぼ解明された。春吉社長はまた、事件の発端を作ってしまい、それで多数の人が死んだことで自責の念にかられているホシの心のヒーリングを依頼した。
千里はこの日5月16日から日本代表の第3次合宿が始まっていた。
5月18日。青葉から緊急連絡が入る。K大水泳部連続怪死事件で最後の犠牲者になるのを青葉と千里のおかげで免れた筒石が“死の歌”を含むSDカードを持っていたというのである。
「何かアプリと一緒に入っているんだよ。ちー姉のお友だちでさ、こういうのを分析できる人いないかな?アプリの動作仕様を知りたい」
「いいよ。だったらそのアプリと、ファイルリストをこちらにメールして」
千里は《せいちゃん》にその分析を依頼した。
「ああ、これはJavaで書いてある。簡単に解読できるよ」
と言って、《せいちゃん》は自作のツールを使ってJavaのバイトコードから、ソースを復元した。
「要するに毎日1曲演奏して、21日目にはこの21番目の曲を演奏するんだな。単純なプログラムだよ」
「その21番目の曲が“死の歌”というわけか」
「つまり21日目が命日になるわけだな」
千里がその内容を青葉に伝えると、青葉は至急このSDカードを持っていたと思われる人から回収する必要があると判断。圭織と一緒に亡くなった水泳部員の遺族宅を回り、怪しげなSDカードがないか、またそれを故人のスマホにコピーされていた可能性があるので、あったらそのスマホも回収させて欲しいと言って回り、幸いにも全てを回収することができた。スマホの中に入っていた写真・スクリーンショットなどの類いはその場でUSBメモリーにコピーして家族に渡し、スマホの回収をさせてもらった御礼として1万円のQUOカード(青葉の自腹)も渡した。
そしてこの回収したSDカードとスマホを高野山に収めてきて、これでやっとこの事件の金沢側の事件は解決したのである。
唯一未解決となったのは木倒マラが性転換手術を受けていたかどうかが分からない!ということだけだった。マラはクミコと普通に性生活を送りながら、多数の男たちと浮気をしていたのである。その男たちは全員ストレートだったと思うとクミコは言っていた。
(木倒クミコが、数虎(スートラ)のチイママ・玉梨乙子(たまなし・おとこ)からプロポーズされ再婚したのは、青葉の予想外だったが、おかげでクミコも、またカタリも立ち直ることができた。青葉は後日、この玉梨乙子と度々関っていくことになる)
この事件の最終的な処理は更に7月まで掛かることになる。今回の事件は極めて複雑怪奇な構造を持つ事件だった。
さて、オーディションの方だが、5月7日に決勝戦の様子、優羽たち3人が呼び戻されて“大先生”の指示でユニットを結成することなどが通告される様子を撮影したのだが、この時点ではその“大先生”を誰にするか!決まっていなかった。
名古尾プロデューサーと★★レコード加藤次長、それに蔵田孝治は会談し、このユニットのお世話を、雨宮三森の弟子で昨年アクアのアルバムの制作を指揮した毛利五郎に依頼すること、毛利は実力はあるが無名なので“大先生”の役として既に引退していた作詞家の馬佳祥にお願いする方針を決めた。
それで5月9日の午前中にまずはケイ!(蔵田に呼び出されて交替した)と町添部長が馬佳祥先生の所に行って売上のマージンを払う方式で引き受けてもらえないかと交渉した。馬佳祥先生は「名前を貸すのは問題無いし、僕は過去にこの業界でたくさん儲けさせてもらったから、マージンも要らない。その若いプロデューサーさんに自由にやってもらって」と言ってくれた。むしろ自分のネームバリューが必要なところには実際に自分が出て行って話をするからとも言って下さった。先生はそういう“影武者”をするのを楽しんでおられるようだった。
午後からはケイがひとりで毛利五郎のアパートを訪問し、事実上のプロデューサーになってくれることを依頼。快諾を得た。夕方にはケイと毛利の2人で馬佳祥先生の自宅を訪問、挨拶をして、これでプロデュースする人は確定した。
3人のユニット名はいったんドライ(ドイツ語の“3”drei)と放送されたのだが(泥縄で制作しているので、充分検討されたとは言えないものを発表してしまう)、英語の dry (乾燥した) と紛らわしいということで、毛利の提案で“三つ葉”と変更された。
このユニットにおける各々の役割について、ケイと毛利の2人ともが
「メインボーカルはヤマト」
と言った。
「歌の上手いシレンじゃなくてですか?」
という質問もあったのだが、
「シレンちゃんの歌は上手いけど花が無い。だからシレンちゃんはこのユニットのリーダーに指名しましょう」
「なるほど」
「でもスター性のあるヤマトと、歌の上手いシレンの2人だけでは絶対衝突してしまう。そこで気配りが凄くて人当たりの柔らかいコトリが必要になるんです。だからコトリはサブリーダーに指名しましょう」
とケイは説明した。
(この時点でケイはまだコトリの秘められた音楽能力に気付いていない)
そこで3人、特にシレンとコトリに、メインボーカルはヤマトにして、君たちはコーラスと通告する必要があったが、これは毛利が
「そういうの慣れてるから、きちんと通告するよ」
と言って引き受けてくれた。彼はこれまで多数のアイドルユニットのプロデュースをしている。こういう役割通告やクビ宣告などもたくさんしてきたと言っていた。
毛利は3人のオーディションでのパフォーマンスのビデオと、前回放送での、落選通告からテレビ局のスタッフに呼び戻されるまでの様子のビデオを見ていてこの話は最初に優羽(ことり)にすべきだと考えた。彼女が見た目のほんわかさに反して強い性格で、最も難関と思われたからである。波歌はわりと従順な性格と見た。
それで5月13日(金)の夕方、毛利は(女性である)金墨円香に付いてきてもらい、優羽が学校を終わった所をキャッチして、近くの飲食店に3人で入った。
毛利は
「君には申し訳ないが、このユニットのメインボーカルはヤマトちゃんとし、君とシレンちゃんはコーラスを歌ってもらいたい」
と通告したが、優羽は
「それが当然だと思います。あの子がアイドル性はいちばん高いです」
と言った。
優羽があまりにもあっさり受け入れ、その理由も理解しているようなので、毛利も金墨も驚いた。
毛利たちが驚いているようなので、優羽は自分が§§プロを辞める時にコスモス社長と話したことを打ち明けた。
「私は組織とかでいえば会長とか理事長とか教祖とかになるタイプじゃなくて、その参謀で影の実力者になるタイプだというんですよね。推古天皇ではなく聖徳太子、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)ではなく藤原鎌足、周の武王ではなく太公望、ビル・ゲイツではなくスティーブ・バルマー、本田宗一郎ではなく藤沢武夫」
「なるほど、影のフィクサーを狙っているんだ?」
と毛利五郎が楽しそうに言う。
「シレンとヤマトは行動パターンも性格も価値観もまるで違うんです。でも私がいる限り、あの2人に喧嘩はさせません。3人で仲良くやっていきますよ」
その後3人は1時間ほど話したが、お互いにとても満足のいく話し合いができた。
「だけどこんなに簡単に君が納得してくれるとテレビの映像としては面白くないんだけど」
「だったら私が自分がメインボーカルをやりたいと3時間くらい頑張ったものの毛利さんの説得で納得した、というシナリオにしませんか?」
「ああ、そういうシナリオを作るといいかもね」
それで急遽シナリオライターさんにそういう筋の台本を書いてもらうことにした。
「私が自分で書いてもいいんですが、自分で書くと書いている内に不愉快になってくる気がするので、どなたか他の方にお願いします」
「さすがにそうだよね。OKOK」
このシナリオは、3時間粘ったということにするが、実際の撮影は1分!で終わるものとなる。
続いて毛利は翌日5月14日(土)の午前中、取り敢えず稚内から数日分の着換えだけ持って出てきた波歌を彼女のマンション前でキャッチし、金墨と一緒にマンションのラウンジで、メインボーカル問題を通告した。
すると波歌はあからさまに嫌そうな顔をしたものの、
「でもヤマトちゃん可愛いからなあ。私、あまり目立たないタイプだし、仕方ないですね」
と5分ほどで納得してくれた。
彼女に関しても、毛利が説得している所というビデオを撮りたいと言い、シナリオを書かせるからと言ったら
「分かりました。そのシナリオで説得されたことにします」
と言った。
「君、高校はどうするんだっけ?」
「私は退学してもいいと思ったんですけど、★★レコードの佐田常務が、芸能馬鹿にならないよう、高校くらいは出ていたほうがいいとおっしゃったらしいので、結局、その佐田常務の口利きもあって品川区のD高校に編入してもらえることになりました。コトリちゃんが通っている学校でもあるんですよ」
「ああ。それは心強いね」
「醍醐春海先生からは、学校まで送迎の車を出す時に、まとめて2人連れてこられるから効率がいいよと言われました」
「ちょっと待って、この案件、醍醐春海君も関わっているんだっけ?」
と毛利が驚いて言う。
実は相次ぐスタッフの離脱(最初から関わっているのは高平ADくらい)の反作用?で随分多くの人間が関わる状態になっていて、毛利や名古尾にも、もはや誰と誰が関わっているのか、よく分からない状態になりつつあった。佐田常務というのも今初めて名前を聞いた所である!
「醍醐先生は私の親戚なんですよ」
「そうだったのか!」
「このオーディションのこと教えて下さったのも醍醐先生で、私、先生から聞いていなかったら番組に気付かない所でした」
「それは色々な意味で運が良かった」
と言いながら、毛利は近い内に千里とも話し合っておこうと思った。
「醍醐先生からも言われたんですよね。私って歌はうまいけど目立たないって。実は学校とかでも『あれ?あんたそこに居たんだっけ?』と言われたりするんです」
「隠形(おんぎょう)の術かな」
と金墨が言う。
「あ、それ言われたことあります」
八島(やまと)は、その翌日・5月15日(日)の午後に都内のマンションに引越して来た。荷物をアルファードの荷室に積んで、お父さんが運転して石川県から東京まで運んで来たのである。
実は3人は(★★レコードの手配により)同じマンションの隣り合う部屋に住むことになった。801号が波歌、802号が優羽、803号が八島である。優羽は昨日の午後に引越を済ませている。
八島も波歌と同じようにマンションのラウンジで、話し合ったが、ここにカメラマンも連れて行き、本人と両親の許可を得て、通告シーンをリアルタイムで撮影させてもらった。
八島は
「私がいちばん歌が下手なのに、いいんですか?」
と戸惑うように言ったものの、メインボーカル頑張りますと言った。
これはほとんどそのまま放送されることになった。
なお、この日はマンションに3人が揃ったので、夕食は“引越祝い”と称して、3人と八島の両親も一緒に、焼き肉を食べに行った(資金は加藤次長が個人的に提供してくれた)。
なお、八島は中学生なのでお母さんも一緒にこのマンションの803号室に住み込むことになっている。(結果的には三つ葉の3人は803号室で一緒に八島のお母さんの手料理を食べることが常態化する)
八島のお兄さんは石川県の実家でお父さんと一緒に暮らすので、家族が男女分離!されることになった。
「デビューができなくなって家に戻る時は長女ではなくて次男になっているな」
などと八島が言うので、お母さんが不安そうに
「それほんとに性転換するつもり?」
と訊く。
「テレビの番組で広報しているのに3万枚が売れないということはないですよ」
と優羽が言うと少し安心していた。
「でもお兄ちゃん、私が実家に戻されたその頃には、お姉ちゃんになってたりしてね。だから兄と妹から姉と弟に転換」
と八島。
「それも私、ちょっと不安!」
とお母さん。
「お兄さんは女の子になりたい人?」
と波歌が訊く。
「周囲から『女の子になる気ない?』とかかなり唆されているけど、本人はその気はたぶん無いと思う」
と八島。
「スカート穿いたりしないの?」
「私の制服こっそり着ていたりしてたね」
「八島ちゃんの制服が入るんだ!」
「細いんだね!」
「ウェスト61だと言ってますよ」
「すごーい」
「だから向こうの学校の制服、『着てもいいよ』と言って渡してきた。ついでにスカートも何着かあげた」
「やはりふらふらとそちらに行ってしまったりして」
「でも、きょうだい揃って性転換ってわりとよくあるよね」
と八島が言うと、お母さんはまた不安そうな顔をしていた。
プロダクションに関しては、加藤次長がいくつかのプロダクションに内々に打診していたのだが、大手プロダクションの多くが、このユニットと競合するアーティストを抱えていて、あまりいい返事がもらえなかった。女性アイドルとしてはいちばん売れる年代なので、どこもその年代の女子(?)をスカウトしている。
∞∞プロ 山森水絵(2000)
○○プロ 森風夕子(2000)
$$アーツ Inviting Cats (2002)
ζζプロ 丸口美紅(1999)
##プロ 星原琥珀(2001)
§§ミュージック アクア(2001)
♪♪ハウス 松梨詩恩(2001)
&&エージェンシー Turquoise(2001)
@@エージェンシー 北野天子(2000)
それで焦っていたところ、5月16日の夕方になって、打診していたプロダクションのひとつ、ΘΘプロの春吉社長から直接加藤次長に電話があり、先日の女の子3人のユニットの件、もしまだ所属先が決まっていなかったら、ぜひ引き受けたいという連絡があった。
実はΘΘプロは“死の歌”の件で、とてもそういう新規の話を考える余裕も無い状態だった。青葉のおかげで、16日のお昼すぎくらいまでに事件が解決したので、春吉がメールチェックしていて加藤からのメールに気付き、連絡したのである。加藤は“まともなプロダクション”から連絡があり、ホッとした。名古尾・蔵田・ケイ・町添・佐田と電話で話して、ここに頼むことにする。
ΘΘプロには中学生歌手がいたのだが、あまり売れていなかったこともあり、昨年12月、高校進学を前に引退している。高校3年生の北野裕子も居るが、年代的には三つ葉(高2・高1・中3)とぎりぎり重ならない。また北野は安定した人気をキープしている上に歌よりドラマが中心でもあり、所属がTKRなので、★★レコードから歌手としてデビューすることになる三つ葉とは競合しないと春吉社長は判断したようである。むしろ裕子と競わせたいようなことを言っていた。それでこの後、北野裕子は久しぶりにCDをリリースすることにもなる。
5月17日(火)の午前中に加藤と町添が事務所を訪問して大筋の合意をした上で、その日の放課後、波歌・優羽・八島を呼び寄せ、3人がΘΘプロを訪問するところを撮影することになる。シナリオを書く時間が無かったので台本無しのぶっつけ本番になったが、3人とも充分な応答能力があることを見込んでの撮影である。
名古尾プロデューサー、毛利五郎、金墨円香が撮影係の人と一緒に事務所に入って行くと、国定忠治のコスプレをしたシアター春吉社長、大きな杯まで持って黒田武士のコスプレをしたターモン舞鶴取締役が入ってくるので3人は呆気にとられていた。特に八島など「この事務所大丈夫か?」という感じの不安げな表情をしている。最初に動いたのが優羽だった。
「お控えなすって、お控えなすって」
と片手を突き出して言う。
それに対して国定忠治の春吉社長は
「手前はしがない旅役者にございます。そちらこそお控えなすって」
と言う。
「こちらはまだデビューも決まっていないアイドルの卵です。どうかお控えなすって」
と優羽。
「そうですか、ではお言葉に甘えて控えます」
と春吉。
「手前たち3名、生まれは蝦夷・加賀・相模の港町にござんす」
「おお、みな港町の女子(をなご)であったか」
というやりとりまであった所で突然事務所の(外との)ドアが開いて大堀浮見子が入ってくるが、その格好に全員度肝を抜かれる。
「あら、あなたたち可愛いわね。全員私の子猫ちゃんにおなり」
と、キャッツの猫のコスプレをした浮見子は言った。
それで水入りになった感じで、完璧に入室するタイミングを逸した所属タレント・北野裕子(高3)が頭を掻きながら奥の部屋から出てくる。裕子は紫色のツインテールのウィッグをつけ『ご注文はうさぎですか?』の天々世理世(リゼ)のコスプレをしている。リゼの愛用銃!? Colt M1911A1(45口径)まで手に持っている。
「まあお茶でも飲みましょう。ケーキも買っておいたよ」
と言うと歓声が上がり、全員会議室に入る。
事務の女性3人が手分けして全員にコーヒーとケーキを配った。
自己紹介する。
3人は一瞬視線のやりとりをしたが、優羽が名刺!を出して配る。
実は§§プロ時代に使用していた名刺で名前とメールアドレスのみが印刷されている。本人手書きの小鳥の絵も入っている。
「月嶋優羽(つじま・ことり)と申します。高校1年生です。歌を歌うのとギターを弾くの、ダンスをするのが好きです。よろしくお願いします」
と挨拶する。
春吉社長が名刺(読み仮名が振ってある)を見て
「苗字も名前も変わった読み方するね」
と言った。
名古尾プロデューサーが一瞬ギョッとしたが、ここで苗字の読み方を知らなかったと発言するほど未熟ではない。
「ええ、そうなんです。名前も読めないですけど、苗字も難しいですね」
などと名古尾は言っているが、金墨が呆れたような目で見ている。
「君、どこかで見たことある。元モデルか何か?」
と大掘浮見子が優羽に言う。
「はい、アクアとか品川ありさとかのバックダンサーをしていました」
「あっ、信濃町ガールズのメンバーだ!」
「12月いっぱいでやめたんですよ。それで夏頃にまたどこかのオーディションを受けるつもりだったんですが、偶然こちらのオーディションに参加することになってしまいまして」
「偶然というと?」
と訊かれるので当日の状況を説明すると、春吉社長や舞鶴取締役、北野裕子は大笑いしていた。優羽は大掘浮見子は頷くだけで笑わなかったので、この人はできるぞと思った。
話が一段落したところで今度は八島(やまと)が、持っていたバッグの中からレポート用紙を1枚取り出すと、サインペンで
《雪丘八島》と書き、その上に《すすぎ・やまと》とふりがなも振った。
「雪丘八島(すすぎ・やまと)と申します。私も読みにくい名前で済みません。ついでに電話で名前を伝えると、まず全国苗字ナンバーワンの鈴木さんと思われてしまいます。私は中学3年生です。石川県の中学に通っていたのですが、都内の中学に転校してきました。私も歌とダンスが大好きです」
名古尾さんがまた一瞬「うっ」という感じの表情をする。金墨は困ったような顔をしている。
そして最後に波歌(しれん)は何も道具立てが無かったが、こう言った。
「すみません。名刺を切らしておりますが、かやま・しれんと申します。高校2年生です。私も読みにくい名前なのですが、漢字は、花時計の花に山口県の山。この苗字は“はなやま”と読む人が多いんですが、うちは“かやま”なんです。名前の方は“電波”の波に“応援歌”の“歌”です。“波の歌”で“しれん”と読みます。実は波打ち際で歌を歌うシレーヌにちなんだ名前なんです」
「なるほど!それでその字で“しれん”か!」
と春吉さんが驚いたように言う。
波歌はたぶん優羽と八島が自分の名前を説明していた間に必死に説明の仕方を考えていたのだろう。
例によってまた名古尾さんが『嘘!?』という表情をした。金墨はとうとう一瞬笑いそうになったのをこらえた。
3人の名刺はその日の内にふりがな付きで作られることになる。三つ葉のエンブレム入りにする。エコっぽい薄緑色の地(実際再生紙を使用している)に三つ葉の模様が描かれ
波歌:上の葉が青
優羽:左の葉が黄
八島:右の葉が白
となっている。また波歌の名刺には(優羽が描いてくれた)人魚の絵、優羽の名刺には小鳥の絵、八島の名刺には本人が描いた戦艦大和!の絵が描かれていた。
八島は本人が男の子になるのもいいなと言っているようにわりと男っぽいものに趣味があるようである。お人形などは持っていなくてプラモを作るのが好きなどと言っていた(おかげで彼女の所にはファンから大量にプラモが贈られてきて「とても全部組み立てる時間がない!」と言っていた)。
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【娘たちの1人歩き】(3)