【娘たちの卒業】(1)

前頁次頁目次

1  2 
 
2013年12月FIBA(国際バスケットボール連盟)は、混迷の続く日本バスケットボール協会に対して、一向に解消されない「2リーグ並立状態」の解決、先進国とは思えない成績低迷状態の男子日本代表の強化、そしてこれらの根本的な原因と思われたバスケット協会の「ガバナンスの無さ」を改革するよう強く求めた。
 
これは2016年9月にBリーグが無事開幕するまでの「日本バスケット再生」の長い道のりの始まりであり、また2004年のリーグ分裂以来の日本バスケット界“失われた10年”の「終わりの始まり」でもあった。
 

千里は4月からもスペインでプレイすることになったことから、条件や規約などの面で強化部長の土山さんと話し合っておきたいと思い電話してみたのだが
 
「ごめーん。僕は辞任したんだよ」
ということだった。それで新しい強化部長に連絡しておくからということだったのだが・・・・・一向に連絡が無かった!
 
実は協会からの送金が1月以降、多すぎる(為替レートの計算ミス?)ので、それも確認してもらおうと思ったのだが、連絡がつかない。協会の経理の人にも直接連絡したが、経理では上から言われた通りの金額を送っているだけと言い、強化部に確認するという話だった。
 
しかしやはり連絡が無い! それで再度土山さんに連絡すると
 
「なんか最近協会はどうなっているのかさっぱり分からないんだよね。足りないのなら村山君困るだろうけど、多いのならもうそれでもらっておきなさいよ。どうせ誰もコントロールしてないから」
と土山さんも言う。それで千里も
 
「分かりました。そうします」
と言っておいた。
 
しかし結果的には、現在日本バスケ協会の役員で、千里がスペインに派遣されて来ていることを知る人が居ないようであった!?
 

その日龍虎がいつものヴァイオリン教室に行くと、先生から
「卒業試験、合格してたよ」
と言われる。
 
「高等科、卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
 
龍虎はピアノは3歳の時から習っていたのだが、幼稚園から小学1年生に至る長期入院の間、ほぼ中断していた。それを退院後再開するが、その時、ピアノ以外にヴァイオリンも習いたいと言い、実質2年生の時からヴァイオリン教室に通い始めた。習ってみるとどんどん上達するので「前期初等科」の試験は受ける必要無いと言われ、2年生で初等科、3年生で前期中等科、4年生で中等科、5年生で前期高等科の卒業試験を受け、6年生では高等科レベルのレッスンを受けていた。そして11月に高等科の卒業課題曲を録音して提出。合格してこれで基本的な課程は全部卒業したことになる。
 
(ヤマハのエレクトーンのグレードは試験官の前で生演奏するが、スズキのヴァイオリン・メソードは録音による審査である)
 
「中学生になっても続ける?」
「そうですね。勉強も忙しくなるだろうけどヴァイオリンはピアノ以上に好きだから頑張ります」
「うん。じゃ、来年は才能教育課程、頑張ろうね」
 
しかし龍虎は才能教育課程を卒業することはできなくなるのだが、それは半年少し後の話である。
 

龍虎や彩佳たちは12月中旬に中学校の制服の採寸と注文をし、1月中旬に受け取ったのだが、経済的な事情で注文を遅らせていた宏恵は、結局新しい制服は頼まずにお姉さんがこの3年間着ていた制服のお下がりを着ることにした。
 
「リボンだけ頼むことにしたんだよ」
「ああ。学年ごとに色が違うからね」
 
龍虎たちが進学するQR中学では、制服のデザインは10年くらい前から変わっていないものの、リボンの色は学年ごとに違い、宏恵の姉の学年(現3年生)は赤、現2年生は黄色、現1年生は白、今度の新入生は緑ということになっている。昨年の3年生は青だったらしい。
 
「でもヒロもお姉さんも標準的な体型で良かったね」
「うん。お姉ちゃんも背が低いからウェストのアジャスターを縮めるだけで着れた」
「なるほど、なるほど」
 
宏恵は身長153cmくらいだが、3つ上のお姉さんも157cmくらいなので、服の流用はほとんど問題無い。実際問題として私服はかなり共用している。お互いに貸し借りしている内にどれがどちらの服だったか、本人たちも分からなくなっている。
 
「まあお兄さんとの共用は無理だろうね」
「私や姉貴が着ている服を兄貴が着るのは無理。でも兄貴の服は結構借用している」
「なるほどー!」
 
「その服、可愛い〜!貸して、とか言って借りていく」
「そのま私物化する?」
「洗濯物を整理するのは私や姉貴だからね〜」
「ふむふむ」
 

そういう訳で宏恵も制服を調達できたので、桐絵が「記念写真撮ろうよ」と言い、彩佳・龍虎と3人で宏恵の家まで押し掛けて行った。
 
彩佳と桐絵も自分たちの制服を着て、お姉さんの制服を着た宏恵、更に学生服を着た龍虎と4人並んだところをセルフタイマーで撮影した。ちなみに今日龍虎は学生服の下にはブラウスを着ている。
 
「龍も女子制服を買っていれば4人女子制服で並んで撮れたのに」
「まあ仕方ないよ」
などと龍虎が惜しむような言い方をしているので
「龍、今からでも頼めば入学式には間に合うよ」
と唆す。
 
「うーん・・・」
と龍虎はまだ悩んでいるようである。やはり女子制服が着たいのだろう。
 
「でもヒロの制服、お姉さんが3年着た割にはあまり傷んでないね」
「うん。姉貴は2着持ってて、交互に着ていたから」
「2着?」
「洗い替えに2着持っていたんだよ」
「なるほどー!」
 
「いや確かに2着用意する子はいる」
「3年前はお父ちゃんも景気が良かったんだけど」
と宏恵は言う。
 
「最近、不景気だもんね〜」
「政府の発表では戦後最大の景気拡大期らしいけど」
「それきっとどこか外国の話だよ」
 
「でも佐苗ちゃんは、卒業する先輩2人から制服もらえることになったらしいよ。だから新たには作らないんだって」
 
「2人から?」
 
「ただ、1人は佐苗ちゃんより身体が小さい、もう1人はかなり大きい」
「微妙だ」
「大きい方はひょっとしたらウェストがずり落ちるかもと」
「大きいのは補正できるのでは?」
「大きい方でカットした布を小さい方に流用してそちらも補正するとか?」
「それは提案してみる価値があるな」
 

「でも中学の卒業式っていつだっけ?」
「今年は3月14日。だから佐苗ちゃんにしても、私にしてもそのあと譲ってもらった服で3月24日の小学校卒業式に出られるんだよ」
「うまい具合にできている」
 
「ん?」
と桐絵が声をあげた。
 
「どうしたの?」
 
「小学校の卒業式で、私たちは中学の制服を着る訳だけど、龍は何を着るのさ?」
「え?ボクも中学の制服かな」
「女子制服?」
「そんなの無いから男子制服だよぉ」
 
「そんな服を着たら増田先生が仰天すると思う」
 
「先生にはボクの性別を理解してもらうことにして」
「いや、龍が自分は男ですと言っても、先生は信じないと思う」
「冗談を言っているとしか思われないよね」
 
「それに龍は裸にしても女の子にしか見えないしね」
「そうそう。おちんちんは無いし、おっぱいはあるし」
「性別検査を受けたら間違い無く女子と判定される」
 
「うーん・・・」
 
「やはり龍は女子制服を作るべき」
「そうそう。そして中学も女子制服で通おう」
 
「うーん・・・・・」
と龍虎はひたすら悩んでいた。
 

2014年1月23日(木).
 
この日の40 minutesの練習で渚紗と“千里”は再戦した。
 
マッチングでは千里の全勝。スリー対決でも千里は全部入れた。
 
渚紗は完敗であったものの、物凄く満足そうな顔をしていた。
 
「このくらいはしてもらわないと私の目標にはできないな」
と渚紗は言った。
 
「でも陣容も固まりつつあるみたいだし、クラブ協会に登録する?」
と夕子が言った。
 
「あ、それもいいね。でも会費が掛かるよね」
と麻依子。
 
「登録料、大会の参加料とかは私が出すよ」
と千里が言う。
 
「遠征の交通費とかは?」
「出してもいいよ」
と千里は苦笑しながら言う
 
「よし登録しよう!」
 

2014年1月26日(日).
 
この日放送の『特命刑事ダニャン』で、新たな展開が提示された。
 
これまで単発的に様々な怪人が町を荒らしていたのだが、ダニャンがひとりの怪人を追い詰めて“処分”しようとした所に、その怪人をかばう男が現れたのである。その男は“ハラグーロ”幹部の《タンニ》と名乗った。
 
そしてこの回ではダニャンは怪人を取り逃がし、《タンニ》にやられて入院するハメになった、という所でこの日の放送は終わっていた。
 
その幹部《タンニ》を演じていたのが、昨年春にワンティスの名義書換問題ですっかり悪人扱いされた、元★★レコードの太荷馬武だったので、“おとな”の視聴者が仰天した。
 
その《タンニ》を演じる太荷の演技が、いかにも凶悪であり、またアクションも素晴らしかったので
「こいつ、おもしれー!」
と言う人たちが多く発生する。
 
「いやこの人マジで演技力あるよ」
と好評価する人たちもあった。
 
彼はセリフの言い方も本職の役者並みにうまかったし、元々柔道が得意だったこともあり、本職のアクションスターたちに見劣りしないアクションを演じて、特命刑事や彼らの協力者を圧倒した。
 
この《タンニ》登場回は2月下旬まで4回に及び、最後は特命技術課が開発した新兵器“メイギーカ・キカエン”(明技化・機火炎)により倒されてしまう。
 
しかしこの展開に今度は《タンニ》の助命嘆願がテレビ局に多数押し寄せて制作チームは困惑する。
 
それで春からの新番組『潜行刑事デンドロ』で《スーパー・ハラグーロ》の半機械化された大幹部《スーパー・タンニ》として、再登場することが告知され、《タンニ》のフィギュアまで発売される騒ぎになった。
 

ちなみに、太荷馬武本人は、1月頭から愛知県のCD制作会社に復職して、最初内勤の仕事をしていたのだが、テレビでの《タンニ》人気を背景に4月から営業部長に返り咲いた(それまで1年間、副社長が営業部長を兼務していた)。
 
そして
「私は悪役ですから」
「名義書き換えちゃうぞ」
などと開き直って発言したりしながら、明るく営業の仕事をするようになり、お陰でここにCD制作を頼むセミプロアーティストや、学校などが増えて、会社の営業成績に大きく貢献することになったのである。
 
なお、彼のテレビ出演は会社が休みである土日限定ということになっている。
 
「まあいわゆるひとつの週末ヒロインです」
「ヒロインって、タンニさん女の子なんですか?」
「あ、間違った。男だからヒーロー、アンチヒーローですね」
 
おまけで、これまでお父ちゃんには会いたくないと言っていた娘さんが、会いに来てくれて、太荷が涙を流して「迷惑掛けて御免な」と娘さんに謝るシーンまであった。
 

2014年1月27日(月).
 
貴司たちは第1回目の体外受精を行なった。
 
阿倍子は24日(金)から入院して卵巣の状態をモニターされている。そして月曜の午後に麻酔を掛けて卵巣から卵子を12個採取した。
 
千里は日本時間の26日(日)午前4時頃に試合が終わったので、その後、日本に転送してもらって、阿倍子が入院中なのをいいことに、千里(せんり)のマンションで貴司と会った。
 
但し阿倍子が寝室のベッドは普段使用しているので、そこは使いたくないと言って、隣の客間に布団を敷いて、貴司と丸1日イチャイチャした。
 
できるだけ濃い精液を作るため、丸一日寸止め・生殺し状態で貴司を性的に興奮させ、寝ている間にうっかり射精してしまわないよう、寝る時は貞操帯を取り付けた。
 
「これ触れない」
と貴司が情け無さそうに言う。
「触れないようにするためのものだもん」
 
触れないのでよけい興奮して、安眠できなかったようであるが、千里はスヤスヤと寝た。そして27日(月)の朝、貞操帯を取り外してあげて、そのあと千里が握ってあげたら、手を動かす間もなく射精した。
 
「みこすり半とかいうけど、今のは0こすり半だったね」
「もう限界だったもん」
 
貴司が射精した後、力尽きて眠ってしまったので、仕方なく、《りくちゃん》に貴司の振りをして、精液を病院に届けてもらった。
 

それで午後から採取した卵子に(活性化処理をした)精液を掛ける。
 
12個の内8個が受精した。受精しなかった4個の卵子は品質が悪いようなので、顕微鏡受精はさせずに廃棄することにした。
 
受精した8個の卵子の内、5個が分裂を始めた。残りの3個は分裂しないので廃棄処分にした。
 
その5個の内1個を29日(水)に阿倍子の子宮に投入した。残りの4個は取り敢えず冷凍保存した。
 
着床するかどうかは数日おかないと分からない。
 

なお、貴司は月曜日は午前中いっぱい眠っていて、お昼を食べた後、午後から病院に行き、卵子採取と精液投入を見守った。卵子採取の時は麻酔は掛けているものの、阿倍子がかなり痛がっていたので、ずっと手を握ってあげていた。
 
夕方マンションに帰って千里の手料理を食べて、客間に敷いた布団で千里と一緒に寝た。むろんセックスはしないのだが、“眠っている千里”の手を勝手に借りて、快楽をむさぼった。
 
眠っているのなら、やっちゃってもバレないってことはないだろうか?とチラッと考えたものの、千里を怒らせたら怖い気がして、自粛した。
 
28日(火)は、千里に朝御飯とお弁当を作ってもらい、
「あなたいってらっしゃーい」
 
と千里に送り出してもらって会社に出勤した。この日はいつもの日のように15時で仕事をあがり、夕方まで桃山台の練習場でMM化学のチーム練習をした後、新快速で市川ラボに移動し、市川ドラゴンズの練習に参加する。そして0時頃練習が終わって市川ラボの居室に入り、シャワーを浴びて寝るが、29日朝起きると千里が傍に添い寝してくれているので感動する。
 
(千里はスペインでの練習を終えて朝5時頃日本に戻っている)
 
そして千里と一緒に朝御飯を食べて、バイクで駅まで送ってもらい、6時前に甘地駅で千里に「あなた行ってらっしゃい」と見送られて会社に出勤する。この日は午前中だけで早引きして、病院に行き、胚移植に立ち会った。
 
夕方一緒に退院。阿倍子をA4 Avantに乗せて千里(せんり)のマンションに戻り、その晩は阿倍子と一緒のベッドで添い寝した。
 
この時期貴司は実は、寝室で阿倍子と同衾し、客間で千里と同衾するということをしていた。ただ、この日の同衾については、千里が
 
「阿倍子さんは不安だろうから付いててあげなよ」
と言ったので、貴司としてもあまり罪悪感を感じずに添い寝することができた。
 
「胚移植に付いててくれてありがとう。貴司のおちんちんいじってあげようか?」
と阿倍子は言ったが
「ごめん。僕のは女性にいじられても立たないから、いいよ」
と貴司は答えた。
 
「うん。分かった」
 
と阿倍子は答えたが、やはり貴司さんってゲイなのかなぁ〜?などと思っていた。確かにいじっても全然反応しないのだが、精液が存在するということは射精する方法があるはずで、たぶん男性のヌード写真とかを見るか、あるいは、あそこを使ったオナニーをして射精するのかもと阿倍子は想像していた。それで病院の採精室ではできないのだろう。
 
なお、体外受精のため月曜1日と水曜の午後、会社を休んだ件については正直に体外受精のため、と高倉部長に言ってあるが、高倉部長は貴司と千里の間で体外受精をするのだろうと思っているようであった!
 

一方、29日朝に甘地駅で貴司を見送った後、千里は東京に転送してもらい、秋葉夕子・河合麻依子と待ち合わせ、3人で一緒に東京都クラブバスケットボール連盟の事務局を訪れた。そして40 minutesのクラブ連盟への登録を申請した。
 
東京に登録することにしたのは拠点にしている練習場が東京都江東区にあるからである。
 
そして千里は少し悩んだのだが、自分自身を40 minutesに選手としても登録することにした。
 
スペインで2014年度も活動することが確定したことで、レオパルダとWリーグのチームを兼任するのは困難になった。シーズンがどちらも秋〜冬の土日に集中している。時間帯はズレるが1日に2試合するのはさすがの千里にも辛い。
 
それで日本ではクラブチームに所属しておく道を選んだのである。その場合、クラブ連盟の試合は春から秋にかけてが多いし、そもそも数が少ないから、何とかスペインリーグとも兼任できそうなのである。
 
そういう訳で千里は40 minutesの活動にも正式に参加することにした。それでも日本バスケット協会の籍が1年ぶりに復活する。無所属状態からは卒業である。今回は麻依子にしても桂華にしても、復活組が多い。登録カードは全員一昨年まで使用していたもの(千里の場合は高校2年の時に女子選手として登録された時にもらったもの)がそのまま使用出来るということであった。
 

「だけどチームとして発足するのなら、チームで少し練習用のボールとか買わない?」
と翌1月30日の40 minutesの練習の時、意見が出た。
 
「ああ。今は各自のを持ち寄っているからなあ」
「ゴム製のボールじゃなくて、皮製の、できたら公式球が欲しいよね」
 
「じゃ公式球20個くらいとラックを買おう」
と千里は言った。
 
「千里、常総ラボのゴールに取り付けている自動得点カウント装置、あれこちらに持って来れない?紅白戦する時に、時々点数が分からなくなる」
 
「だったらもう1セット買おうか?連動する24秒計も要るよね?」
「高いんじゃないの?」
「常総で使っているような小型のものなら定価でも1000ユーロくらい。実際にはあれは中古を400ユーロで買った」
 
「ユーロで言われてもよく分からん」
 
「でも千里お金持ちみたいだから、それもお願い」
「OKOK」
 

「でもボールとか得点板とか買って、どこに置いておく?」
「ふだんは体育館に置かせてもらえると思うよ。館長の立川さんに話してみるよ」
「大会とかの時はどけとかないといけないかもね」
「邪魔にはならないかも知れないけど、間違ってどこかに持って行かれたりする危険もあるよな」
 
「その時はうちに置いてもいいよ」
と後藤真知が言った。
 
「真知ちゃん、どこに住んでるんだっけ?」
「江戸川区。(総武本線)小岩駅と(都営新宿線)篠崎駅の中間くらい」
「中間?」
「どちらの駅にも歩いて20分掛かる」
「それ真知ちゃんの足でだよね?」
「そそ。お母ちゃんは30分以上掛かると言う。だからタクシー呼ぶ」
「ああ・・・」
 
「でも一戸建てだから、収納に余裕があるんだよ」
「おぉ!都内で一戸建てって凄い」
 
「昔からそこに住んでんの?」
 
「おじいちゃんが昭和40年代に600万円でボロ家付きの土地を買って、ボロ家を多少の改修をして使っている。窓ガラスはサッシにしたし、トイレは洋式の水洗にしたし、お風呂もタイル貼りの浴槽・石炭焚きだったのをホーローの浴槽でガス風呂・シャワー付きにした。でも廊下は鶯張り」
 
「あはは」
 
「泥棒が入ったら音ですぐバレる」
 
鶯張りというのは二条城など、昔のお城の廊下に設定されていたもので、そこを歩くと大きな音が鳴るようになっているものである。侵入者を検知するために作られた。その制作方法は現在では不明であり《失われた技術》である。
 
むろん真知が言っているのは、廊下の板が傷んでいるために歩くと、きしむということである。
 
「いや、昭和40年代にボロ家だったものをまだ使っているというのは、かなり凄い」
「たぶん築100年くらいという気がする」
「その内、博物館になるかも」
 
「今はS体育館にはどうやって来ているんだっけ?」
「篠崎駅まで歩いて新宿線。電車に乗れば住吉まで15分」
「歩いて20分・電車で15分の合計45分くらいかな」
「うん。そんなもの」
 

「それ車ならS体育館まで30分くらいだよね?」
「混雑してなければね」
「真知ちゃん、車は?」
「免許は持っているけど、車はお父ちゃんが仕事で使っていることが多い」
 
「まあ移動する時は千里のハイゼットか、私のレガシーで運べばいいね」
と麻依子が言う。
 
「千里、ハイゼットも持ってるの?」
「あれはバイクのレースに出る時に、そのバイクを運ぶ用なんだけど、荷物がよく乗るんだよね。だから軽トラ代わりによく使っている。普段は常総ラボに駐めている」
 
「千里、バイクレースに出るんだっけ?」
「ライセンスも持ってるよ〜」
 
「千里は活動範囲が広い」
 
「実は常総ラボの意義の大半がたくさんある車やバイクの駐車場らしい」
と麻依子。
 
「そんなにたくさんあるの!?」
「まさか、あそこの1階に駐まってた車って全部千里の?」
 
「私の先生に当たる人が、気まぐれで車やバイクを買っては飽きたら私にくれるんだよ」
と千里は困ったような顔で言った。
 
「もらえるのは嬉しい」
「でも駐車場代が大変だったんでしょ?」
「そそ。あそこを買うまでは毎月30万くらい払ってた」
「ひぇー!恐ろしい」
 
「駐車場代も高いもんね〜」
 

その日、千里がスペインでの練習(1/30 22:00 - 1/31 5:00)を終えてからふと携帯を見るとその雨宮先生からメールが入っている。
 
《1月31日の天文薄明までにここに来なかったら罰金10億円》
 
うっそー!?
 
添付されている地図はどうも川崎市内のようである。慌てて東京天文台のサイトでこの日の川崎市での天文薄明時刻を調べる。
 
5:15!!
 
千里は緊急事態なので《くうちゃん》にその指定された場所に転送してもらった。大きな庭のある事務所のような所である。何だか車がたくさん駐まっている。千里は事務所の呼び鈴を鳴らした。
 
「誰よ?」
と不機嫌そうな声。
「村山です。天文薄明前に来いということでしたので参りました」
と千里は答える。
 
1分ほどで先生はド派手なネグリジェ姿で起きてきて空を見上げた。
 
「まだ天文薄明前か。良かったね、10億円払わなくて済んで」
「先生も***とのスキャンダルをバラされなくて済んで良かったですね」
「ちょっと、あんた!」
「で、何の御用事ですか?」
「これ見て」
 
と言って先生は事務所の前に駐まっている車の所に千里を連れて行った。
 

「このどれかを運転して欲しいんだけど」
と先生が言うが千里は
 
「何です?これ」
と尋ねる。
 
「見れば分かると思うけど、一番奥のは大型トレーラー。三菱のトラクターに20トンのフルハーフ製ウィングトレーラーが付いている。真ん中のは普通の大型8トン・トラック・アルミバン。手前のはホンダのアクティに2tトレーラーを付けたもの」
 
「軽のトレーラーって初めて見ました!」
「まあ滅多に無いとは思うね」
 
(軽トラなどの普通自動車でトレーラーを牽引する場合、牽引する普通自動車に950登録と呼ばれるものを運輸支局(旧・陸運局)でする必要がある。このためにはメーカーに問い合わせてその車の詳細なスペックを確認し一定の計算をして、「連結検討書」というものを作成提出する必要がある。これを牽引車の車検証に記載してもらわなければならない。なお、普通自動車用のトレーラーは商品としては存在しないのでワンオフでの製作になる)
 
「これに必要な免許は?」
と千里はマジで判断に迷ったので尋ねた。
 
「手前のは普通免許と牽引免許、真ん中のは大型免許、奥のは大型免許と牽引免許」
 
「どれも運転できないですね」
「何でよ?」
「私、牽引免許も大型免許も持ってませんし」
「だったら取りなさい」
 
「はいはい。いつまでに?」
「じゃ来週のイベントでは手前のを運転してもらうから先に牽引取って。大型は6月までに使えるようになっていればいい」
 
来週!?
 
「ではそのスケジュールで」
 

「でも雨宮先生、そのネグリジェ趣味が悪いと思いますけど」
「ふーん。だったら、可愛いのでも買ってくれる?」
「いいですよ。ここに送ればいいですか?」
「うん。それでいい」
 

千里は朝になると、以前使用した自動車学校に牽引免許と大型免許のコースの空きを確認した。すると牽引免許のコースはいつでも入校できるが、大型免許は最近開設している自動車学校が減っている(中型免許で済むケースが多いため)ので希望者が多く、ゴールデンウィーク明けまで待ってと言われた。それで、牽引コースには、すぐ入り、大型免許は5月に取りに行くことにした。ちなみに両方一緒に申し込んだら料金が割引になった!
 
千里は1月31日(金)に自動車学校の牽引免許コースに入校した。そして31,1,2の3日間で第1段階を修了。2月3日(月)の午前中に仮免試験に合格する。そして3日の午後から第2段階の教習を始め3,4,5の3日間で第2段階の教習を終了。2月6日(木)に卒業検定を受けて合格した。それで2月7日に幕張の千葉運転免許センターに行って学科試験を受けて合格。無事牽引免許を取得した。
 
「これまだブルーなんですね」
と言うと
 
「ああ。あなたの場合、2009年3月30日に最初の免許を取っているから、誕生日での更新や、その前後に新しい免許を取った場合、誕生日の40日前の段階で、過去5年間無事故無違反でないといけないんですよ。僅かに足りないですね。誕生日前後の更新期間の後なら単純に、新免許取得時に5年前無事故無違反であればいいので、今年の4月4日以降に普通免許二種か、あるいは中型でも取ればゴールドになりますよ」
 
と係の若い警官が教えてくれた。
 
「4月4日以降ですか!ありがとうございます」
 
だったら5月に大型を取ったらゴールドになるじゃん!と千里は思った。
 
それまでにお巡りさんに捕まらないようにしなきゃ!!!
 

2014年2月1-2日(土日).ALSOKぐんまアリーナで、関東クラブバスケットボール選手権大会が開かれ、ローキューツは優勝して、全日本クラブ選手権・クラブ選抜に進出した。
 
この大会でのローキューツのマネージングや費用の処理については島田司紗がやってくれたので、千里は予め彼女にある程度の現金を渡しておき、残額はローキューツ名義の口座に戻しておいてもらった。
 

千里は2月7日(金)に牽引免許を取得したので免許試験場から雨宮先生に連絡したら、「よかった。毛利に無免許運転させようかと思っていた。今すぐ来て」というので、毛利さんも可哀相に、と思いながら、先日行った川崎市の何かの事務所のような所に向かった。
 
「あんた、紳士物のパジャマ送ってくるって、どういう了見よ?」
と雨宮先生は、いきなり言った。
 
千里は上等のシルクのパジャマを送りつけたのである。
 
「先生は着られませんか?」
「私が男物を着る訳無い」
「でしたら三宅先生へのプレゼントということで」
「ふーん。まあ、いっか」
と先生は言って、少し考えているようであった。
 
「それで、どれが運転出来るようになったんだっけ?」
「その軽トラ・トレーラーです」
 
「じゃ私を乗せて、ここまで行って」
というので、免許取り立てのホヤホヤではあったが、先生を助手席に乗せてトレーラーを付けたアクティを運転し、市川市内まで行った。
 

そこで一軒の民家に付ける。
 
「何か不思議な車を持ってこられましたね」
と家の中から出てきた女性(?)が言っていた。
 
「取り敢えずこれで運べると思うから」
 
民家からは男か女かと聞かれたら女かな?と思う感じの人たちが6人出てきて、荷物をアクティ自体とトレーラーに分けて積み込んだ。
 
「紹介しておく。こちら蓬莱男爵(ほうらいだんしゃく)というガールズバンドの子たち」
「蓬莱男爵です。よろしくお願いします」
とリーダーっぽい25-26歳の女性が挨拶する。この子が他の子に色々指示を出していたが、人の動かし方がうまい子だと思った。全員の動きを常に把握している。
 
「こちら作曲家の鴨乃清見ね」
と雨宮先生が言うと
「うっそー!?」
と驚いていた。
 

「大西典香のラストライブ見に行きました。てっきり鴨乃清見って大西典香本人と思い込んでいたので、覆面つけて出て来られたのにはびっくりしました」
 
と最初に家から出てきた、アルトボイスの子が言う。仕草などがちょっと男の娘っぽいが、本物の女の子なのか男の娘なのか、判断に迷う。女性の体臭なので、男の娘であれば最低ホルモンは飲んでいるのだろう。
 
「まああれはお遊びだから。わりと私あちこちで顔を曝しているんだけどね」
と千里は笑いながら言う。
 
取り敢えず移動することにする。リーダーの晶ちゃんが運転するエスティマに6人が乗って、千里の運転するトレーラーと一緒に千葉市内まで行き、そこで行われるイベントに参加した。
 
「ハードロックですか・・・」
と千里は彼女たちの演奏を見ながら言う。
 
「いいでしょ?」
「先生の好みでしょうね」
「私は下手くそなアイドルとかには興味無いよ」
「男の娘以外ですね」
 
「男の娘がいれば試食用だな」
「あのギターの子は女の子ですか?男の娘ですか?」
「分からん。はぐらかされている」
「ああ。ベッドに誘いましたか?」
「逃げられた」
「先生の魔の手から逃げられるということは恋愛経験はある訳ですか」
 
「多分ね。あ、そうそう。私、来月はちょっとグアムに行ってくるからさ」
「先生が行き先を言ってから出かけるって珍しいですね」
「連絡がつかないとまずいから。それで来月のイベントではこの子たちをサポートしてくれない?」
 
「夜8時か最悪9時頃までならいいですよ」
「なんか夜間道路工事とかのバイトでもしてんの?でもそれは大丈夫。昼間のイベントばかりだから」
「だったらいいですよ」
 
「実はキーボードの子がまだ未成年なのよ」
「へー!」
「だから夜遅いイベントには出せない」
「そういうのをきちんと守っているのはよいことだと思いますよ」
 

イベントは多数のセミプロアーティストが出演していたが、彼女たちのステージは16時から1時間であった。終わったら、すぐに撤収するが、明日は成田市内でイベントがあるということで、車は千葉市内の駐車場に駐めておくことにした。
 
一緒に食事に行く。ここであらためて全員の紹介があるが、アルトボイスのギター担当の子(忍)は「私は性別不詳ということで」などと言っていた。他の子は全員「多分女です」とか「男子更衣室に入ろうとしたら追い出されました」とか「入院した時は女子部屋に放り込まれました」などと言っていた。
 
食事の後はスナックに移動して夜遅くまでという感じだったが、未成年の恵ちゃんは帰す。それで千里も便乗して「私もあがりまーす」と言って離脱した。それでスペインでの練習(日本時間2/7 22:00-2/8 5:00)に参加する。8日は試合があるが、日本時間2/9 2:00-4:00 になるので、こちらでの行動には支障ない。
 
蓬莱男爵は8日夕方から成田市内のイベントに参加。更に9日の日中には都内のイベントに参加した後、彼女たちのホームである市川市の晶の家に戻って荷物を下ろした。
 
「ではこの後は川崎市内のあの事務所の所に戻しておけばいいですか?」
と千里は尋ねたのだが
 
「あそこは今月いっぱいで解約するのよ。悪いけど、あんた適当な所に駐めておいてくれない?来月はそこから持ち出して搬送して」
と言われた。
 
「まあいいですよ」
「駐車場代に1ヶ月分で1万円あげるから」
「あのサイズの車を1ヶ月1万円で駐められる所はないと思いますが、いいですよ。自分の駐車場に駐めておきます」
 
「じゃ、よろしく。その間は壊さない限りは自由に使っていいから」
「分かりました」
 

それで千里は軽トラ・トレーラーは、取り敢えず常総ラボに駐めておこうと思った。ついでに葛西のマンションから少し荷物を移動しておこうと思い、そちらに寄ってから国道294号方面に向かおうとした。すると、ちょうど鹿島信子が歩いているのに遭遇する。
 
クラクションを鳴らすと
「醍醐先生!」
と笑顔である。
 
「お仕事?」
と尋ねると
 
「いえ、私この近くにアパートがあるんですよ」
と信子が言う。
 
「そうだったんだ!」
 
どうも千里の「ご近所さん」だったようである。
 
「築50年くらいのアパートで家賃が2万円だったんですけどね」
「それは凄い」
「でもデビュー前に新小岩駅の近くのオートロックのマンションに引っ越すことになったんです。家賃は当面事務所が出してくれるらしくて」
 
「ああ。女の子はオートロックでないとまずいよ」
「女の子であること自体が危険なんですよね」
「そうそう。男の子に準じて生きて来ていると、女の子に変わった時、そのギャップに驚く」
と千里が言うと信子も頷いている。
 
しかし・・・新小岩なら、後藤真知の家からも近くかな?という気がした。あちらは築100年の家という話だったが、築50年のアパートという話と何か繋がっているような気がした。
 

「でも醍醐先生、なんか不思議な車に乗っておられますね。こういうの初めて見ました」
「私も金曜日に初めて見た」
「へー」
 
「借り物だけど、壊さない限りは自由に使ってと言われているんだよね」
と千里が言うと、信子はハッとしたように言った。
 
「先生、その軽トレーラー、2月12日とか空いてませんよね?」
「空いてるよ〜」
「だったら1日貸してもらえませんか?実は私たちのバンドメンバー8人中5人が引越になるんです」
 
「ああ。いいよ。2〜3日貸そうか?」
「いえ。色々バンドのスケジュールが詰まっていて、その日1日で全員引っ越さないといけないんです」
 
「大変ネ!」
 
それでともかくも、千里はこの軽トラ・トレーラーを信子に2月12日(水)の1日貸してあげることにしたのである。
 
「ちなみに誰か牽引免許持ってる?」
「ホーン女子の詩葉さんが大型免許と牽引免許持っていたはずです」
「凄いね!」
「佐川急便で2年くらい働いていたそうです」
「プロじゃん!でも女の子で大型トラックのドライバーやってたって凄いね」
 
「市内配送のスタッフには結構女性もいますけどね。でも詩葉さんは髪短くしてるし低音ボイスだし、てっきり男子と思われていて、出先の営業所で女子トイレに入ろうとすると『君そちらは違う!』とか言われていたとか」
 
「あはは」
 

「そうだ。忘れる所だった。信子ちゃん、性別修正終わったんだって?おめでとう」
「わっありがとうございます。でも先週裁判所からの通知もらったばかりなのに」
「青嶋さんから聞いたよ」
 
「醍醐先生のおかげです。こんなに早く性別が変えられたことに驚きました」
「半陰陽の場合は、どうかすると裁判で揉めて数年かかる場合もあるからね」
「きゃー」
 
「あとGIDの場合の性別変更との違いがよく分かってない裁判官もいる」
「そのあたりって、裁判官に限らず、分かってない人は全然分かってないみたいですね」
「うん。そもそもオカマと半陰陽の違いが分かってない人もある」
「それ思いました」
 
信子の場合まだ未成年なので、実はGIDということにした場合「性別変更」はまだできない。半陰陽の「性別修正」ということにしたので、年齢とは関係無く、戸籍上女性になることができたのである。
 
「青嶋さんは、デビュー前に信子ちゃんの性別が法的に女性になったので、ホッとしたみたいなこと言ってたよ」
 
「そのあたり微妙ですよね」
「うん。ローズ+リリーのケイもそのあたりが活動の障壁になっていたのもあったみたいだしね」
 
「ケイ先生にもお世話になりました」
 
「デビューの予定とか定まったんだっけ?」
「4月くらいになる予定です。その前に写真集とデビュー曲のPVを撮影するのに3月3日から8日までグアムに行ってくることになりました」
 
「信子ちゃん、パスポートは?」
「戸籍に性別修正が反映されるのを待ってすぐ申請します」
「大変だね!」
 

2月12日の引越は1日で5人の引越をしなければならないというので、リダンリダンの8人総掛かりで1つ1つ作業をしていくのだが、なんといっても戦力になるのは、男子3人なので、その3人はクタクタになったようである。4人で持たなければならないものは、信子が持つようにしたが辛そうにしていた。それで詩葉も手伝おうとしたが「詩葉さんは運転で疲れるから無理しないで」と言って、信子が頑張った。ドライバーが疲れると事故が怖い。
 
「でも信(のぶ)ちゃんホント辛そうだった」
「やはり女の子の身体になってから筋力が極端に落ちた」
「やはりホルモンの関係なのかなあ」
「そうみたい」
 
「しかし1ヶ月分くらい働いた気がする」
「ほんとにお疲れ様」
「ビール飲みたいけど未成年は禁止って言われたし」
 
「そうだね。だから私たちだけ頂く」
と言って、ホーン女子の4人だけ、美味しそうにサッポロ冬物語を飲んでいた。
 

2月12日、ローズ+リリーの新曲“愛のデュエット”のPVを、よみうりランドで撮影したが、ここで男の子役はヒロシ(ハイライトセブンスターズ)、女の子役はフェイ(レインボウ・フルート・バンヅ)がやってくれた。ふたりとも全ての楽器をきれいに弾きこなして、ケイも感心していた。
 
ふたりは撮影終了後
「ね。役割交替してみない?」
と言って、フェイが男の子役、ヒロシが女の子役で演じてみて、念のためこれも撮影するだけは撮影したが、フェイの男装もヒロシの女装も全く違和感が無く、ケイはまた感心していた。
 
「ちなみにヒロシちゃんは女の子になりたい男の子ではないよね?」
と冬子は尋ねる。
「ボクは普通の男ですよ〜」
と女装のヒロシ。
「普通ではないと思うけど」
と男装のフェイ。
 
「ちなみに、フェイちゃんは男の子になりたい女の子ではないよね?」
と冬子が訊くと
「え?ボク、普通の男の子ですよ」
とフェイは答える。
 
「いや、普通のも何も、そもそも男の子ではない気がするけど」
とヒロシが言うのに対して
「確かめてみる?」
とフェイは誘うような視線で言った。
 
しかしマネージャーさんからストップが掛かった!
 

2月22日 群馬県の某温泉で深夜、フェイと早紀が女湯で遭遇し意気投合した。
 
「ボクみたいな子が他にもいたって感激」
などとフェイが言うので、早紀は少し罪悪感を感じながらも
 
「マコちゃんみたいな子がデビューしたので、ボクも凄く勇気付けられた」
と言った。
 
「いい事務所見つかるといいね。でもホントにボクが紹介しなくて大丈夫?」
「うん。いくつか感触のいい事務所はあるから、そこを攻めてみる」
 
ふたりが盛り上がって、お風呂からあがった後も、部屋で少しおしゃべりしようよ、などと言いながら脱衣場に出て服を着ながら話していたら、ちょうどそこに蔵田樹梨菜(蔵田孝治の妻)が入って来た。
 
しかし樹梨菜は男にしか見えないので、フェイたちは悲鳴を上げ、通報しようとした。「待って。俺、女だから」と言って樹梨菜は裸になってみせる。
 
「ちんちん、あるじゃん」
「これは作り物」
と言って、それも取り外した。
 
「いいけど、お兄さん、ちんちん取ってから女湯に来なよ」
「ごめーん。夜中だから誰もいないかと思った」
 
騒動が一段落した所で、樹梨菜はハッとして訊いた。
 
「ね。君たちこそ、男の子ってことは?」
 
「ボクは女湯に入るのが趣味なんだよ」
「ボクは女湯でおどおどしている男の娘を物色するのが趣味」
 
「あんたら通報しようか?」
「通報してもいいけど、確実にお兄さんの方がつかまると思う」
 

2014年2月24日(月).
 
阿倍子は2度目の体外受精を行った。今回は前回冷凍保存していた卵子4個の内の2個を解凍したが、1個は死んでいるようだった。それで生きている方の1個を子宮内に投入した。
 
今回は新たな受精を行う必要はなかったので、射精も不要で、千里と貴司のデートもパスとなった。千里は一応貴司と電話では話したのだが、どうも射精できないのが辛いようであった。
 
「ところで誕生日だけど、何か欲しいもの無い?」
「貴司と阿倍子さんの離婚届け、ダイヤの指輪とプロポーズの言葉」
「ごめーん。それはまた後日話し合うということで」
 

2014年2月25日(火).
 
暢子は東京に出てきてから2度目の給料をもらった。それでこの資金を元に引っ越そうと考えた。不動産屋さんに行き「江東区内で安い所無いですか?」と言い紹介してもらって、一発で決めた。南砂町駅から歩いて15分という所の築68年!(終戦後すぐに建てられたらしい)のアパートで賃料と管理費合わせて2.8万円である。1Kでトイレは付いているが、お風呂は無い。
 
「千里、敷金と礼金を貸してくんない?」
「いいよー」
「ついでに保証人になってくれたりしないよね?」
「それもOK」
 
「それと引っ越すのに、千里のハイゼット借りられる?」
「ハイゼットでもいいけど、今もっと大きな車を借りているんだよ。それ持って行くよ」
「へー。どんな車?」
「2トントレーラー」
「2トンでトレーラー??」
「アクティで2トンのトレーラーを牽引しているんだよ。だからアクティ側にも多少荷物が載るよ」
 
「見てみたーい!!」
「じゃ当日、それ持って千葉のアパートに行くね」
「助かる。引越自体も手伝ってもらえる?」
 
「平日ならOK」
 
ということで、暢子は2月26日(水)に、千里と桃香のアパートから新しい江東区内のボロアパートにお引っ越しをすることにしたのである。
 
それで千里も不動産屋さんに行き、敷金・礼金を“例のカード”で払うと共に、保証人の判子を押してあげた。千里のカードを見て、担当者がギョッとしていた。
 
千里は《たぶん霊的な処理が必要だろう》と思い、自分もその物件を見たいと言って、不動産屋さんの車に同乗して、そこに見に行った。
 

ところが・・・・
 
車から、不動産屋の人、暢子と千里が降りると、その途端、目の前のアパートが物凄い音を立てて崩壊してしまったのである!
 
「嘘〜〜!?」
と声をあげたのは不動産屋さんの人であった。
 
千里はチラッと後ろを見たが《こうちゃん》がニヤニヤしている。
 
ま、いっか。
 
ここはさすがの私でも手に負えないと思ったもんね〜。
 
「ここ他の住人は?」
と暢子が訊く。
 
「いません。若生さんがただひとりの入居者になる予定でした」
「でもこれでは入居できないですね」
 
「待って下さい。事務所に戻って、どこか代わりの物件を探します」
 

それでいったん事務所に戻り、適当な安い物件を探す。アパートが崩壊したというので、そちらの後処理にも数人飛んで行ったようである。
 
「ここはどうでしょう?南砂町からはだいぶ離れてしまいますが、東大島駅から徒歩12分のワンルームなのですが」
とさっきの家に案内してくれた人が言う。
 
「ここはお風呂付きですか!」
と図面を見て暢子が言う。
 
「はい。ユニットバスで、浴槽も狭いですが」
「いいな。家賃は?」
「52,000円です」
「でもさっきの所なら28,000円だったのに」
 
「分かりました。44,000円でいかがです?」
「44は《死死》と読めちゃいますね」
「うっ・・・ちょっと待って下さい」
と言って、担当者は店長を呼んでくる。すると店長は
 
「ご迷惑お掛けしましたし、41,000円で如何でしょう?《良い》と読めますよ」
「借りた!」
 
それであらためて《家賃の2月分(日割り)・3月分、および敷金》の差額を千里が現金で払った。礼金はさっきのアパートの礼金のままでよいですと言われた。
 
客を案内したら目の前で崩壊するという前代未聞のケースだったので配慮してもらったようである。
 

あらためて案内してもらったが、ここは崩壊したりすることは無かった。千里はその場で、そこにたむろしていた妖怪群を全部処理させ、更に結界も張って、変なのが入って来られないようにした!
 
なお暢子のこの新たに借りたアパートから40 minutesの練習場所であるS体育館までは3kmほどの距離があるが、暢子はこれを自転車で通おうかなと言った。
 
「ところで千里、自転車を買うお金、貸してくんない?」
「OKOK」
と千里も苦笑しながら答えた。
 
「何ならスクーター買えるくらいのお金貸そうか?」
「うーん。スクーターは便利だけど、自転車で足腰を鍛えたい」
「なるほどねー」
 
会社への通勤についても、東大島駅の駐輪場を借りて、そこまで自転車で通うと暢子は言った。千葉から通っていたのに比べると随分楽になる。
 
「いっそS体育館の自転車置き場にこっそり駐めておいたらどうかな?」
「S体育館から駅までけっこう距離がある気がするけど」
 
しかしともかくも翌2月26日に千里は軽トレーラーを持って来て、暢子の荷物を千葉から東大島まで運んだのであった。この車を見た暢子は
 
「こんなの初めて見た!」
と喜んでいた。
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【娘たちの卒業】(1)