【娘たちの衣裳準備】(2)

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千里と貴司は、2013年12月23日の早朝一緒にチェックアウトした。この日は実は大阪実業団リーグの最終戦があるのである。今年もこの最終戦の相手はAL電機である。千里は試合前にMM化学の控室に入り、選手のみんなにチキンを配ったら「よし。やるぞ!」とみんな気合いが入っていた。
 
試合は昨年MM化学に負けて連続優勝が途切れたAL電機が頑張り、最後まで接戦が続いたが、最後の最後で、貴司からパスを受けた石原主将がファウルを受けながらもボールをゴールに放り込み、逆転勝利。
 
それでMM化学が大阪リーグを2連覇した。
 

この日は試合を途中から見に来ていた社長も入って祝勝会が行われたが、千里は遠慮して新幹線で東京に戻った。
 
この日、東京の国士館ではローズ+リリーのライブが行われ、青葉と彪志が見に行った。
 
年末は桃香も短期間のバイトに出ていたので、結局この日は朋子が千葉のアパートにひとりで放置され、散らかっている部屋の片付けなどをしてくれていた。
 

2013年12月23日(祝).
 
龍虎たちのバレエ教室で発表会が行われた。
 
龍虎のこの日の予定は、最初の行進曲に出た後、中国の踊りを踊って、最後は花のワルツに出るということになっている。
 
「先生、和絵ちゃんが階段から落ちて踊れないそうです」
「先生、花丸君が風邪で寝込んでいるそうです」
 
「嘘でしょ!?」
 
なんと主役の金平糖の精およびクララ役の和絵(中2)と、くるみ割り人形役の花丸君(中3)がどちらも休んでいるというのである。
 
「代役、どうする?」
と先生たちが急ぎ話し合っている。
 
「蓮花ちゃん、金平糖踊れない?」
と中1の蓮花に先生が尋ねる。
 
「無理です〜。あんな難しいの」
 
金平糖の精の踊りには、最後に大きな円を描きながらくるくると回転を繰り返していくという難しい動きがある。あれはふだんからレッスンをサボりがちな蓮花には無理だろう。
 
「だったら芳絵ちゃんは踊れない?」
「私の体力では無理です」
 
確かに芳絵は基本的には上手いのだが、筋力が無いのが欠点である。
 

「中1のふたりが踊れないということは・・・・」
と言って先生たちが悩み、チラッと龍虎を見る。
 
ちょっとぉ!!
 
「佐藤君は金平糖踊れない?別にスカート穿かなくてもいいよ」
とひとりの先生が言った。
 
「踊ったことないから無理だと思います」
 
確かに佐藤君なら基本的に上手いし筋力もあるので“練習すれば”できる気がした。しかし今から練習している時間が無い。
 
蓮花が言った。
 
「龍ちゃんなら踊れると思います」
 
うっそー!?
 
先生のひとりも
「うん。実は田代さんなら踊れるんじゃないかという気はした」
と言っている。
 
「でも私、トウシューズも履いたことないですよ」
「ふつうのバレエシューズで踊っていいよ。トウで立たなければいいだけのこと」
 
「ちょっとやってみようよ」
と蓮花は言っている。
 

それで龍虎は普通のレオタードのまま、金平糖の精の踊りを踊ってみせた。最後の大きな円を描いていくところも完璧である。
 
「何て正確に踊るの!?」
「凄いきれいな円を描いた!」
「あんた、もしかしてこの教室でいちばん上手いのでは?」
 
などと先生たちから言われる。
 
(半分は本人をその気にさせるために言っている)
 
「龍がこの教室でいちばん上手いのは間違いないですよ」
などと蓮花まで無責任に言うが、芳絵も
 
「私もそう思ってた!」
などと言っている。
 
白鳥の湖の「黒鳥」などは32回のグランフェッテがあり、高い技術力を要求されるが、くるみ割り人形の「金平糖」は技術も表現力も要求する難しい踊りである。
 
「でもボク男の子なんですけどー」
と龍虎は言うものの
 
「龍はおちんちん無いし、おっぱいあるし、4月からはセーラー服着て中学に通学するらしいから、実質女の子」
などと鈴菜が言っている。
 
「どこからそんな根も葉もない噂が」
「いや、おっぱいがあるのは明らか」
 

それで結局、クララは芳絵が演じ、金平糖の精を龍虎が踊ることにする。つまり和絵のパートを2分する。元々クララと金平糖は別の人が踊る演出もあるのである。またくるみ割り人形は佐藤君が踊ることになった。
 
「つまり龍ちゃんは、行進曲で舞踏会の客を踊り、中国の踊りを踊ってから金平糖ね」
「分かりました」
 
「でも衣裳は?」
「そうか!和絵ちゃん、168cmだもん。あの子の衣裳は145cmの田代さんには無理」
 
「昨年の雪乃さんの衣裳は使えません?」
「ああ。あの子は156cmだったから、田代さんでも行けるかも」
「すぐ持って来ます!」
と言って衣裳係の人が飛び出して行った。
 
「あのぉ、金平糖の精踊る時、下はふつうのレオタードでもいいですか?」
と龍虎がおそるおそる訊くが
「金平糖はこの劇の主役だからね。しっかりスカート穿こうね」
と先生が言うと
「あんたスカート好きだから良かったじゃん」
と付き添いの母に言われてしまった。
 

お昼を食べた後で13時から発表会が始まる。
 
最初に低学年の子を中心とした、単発の踊りが30分ほどにわたって演じられたあとで、いよいよメインの『くるみ割り人形』が始まる。
 
結局龍虎は最初の行進曲は免除になった。ともかくも龍虎は今日のプリマ(*1)になってしまったので、プリマが群舞の中に混じるのはおかしいということになった。
 

(*1)時々混同されるが、プリマドンナPrima donna(直訳するとfirst woman)はオペラの主役を意味し、バレエの主役は、プリマバレリーナ Prima ballerinaである。
 
現在、一般には各劇団のトップの女性踊り手をプリマバレリーナと呼んでいるが元々は卓越した技術力・表現力・品格を持つ踊り手に与えられた称号であった。
 
プリマバレリーナより更に上の称号として、プリマバレリーナ・アソルータ Prima bellerina assoluta という称号もあるが assoluta は英語の absolute で、そう呼ばれたバレリーナは、マイヤ・プリセツカヤなど過去に13人しか居ない。
 
ちなみに・・・龍虎は男の子のはず(?)だが、今日は「今回の公演のトップ女子踊り手」になってしまっている!?
 

そういう訳で龍虎は練習着のまま、みんなが行進曲のために出て行くのを、(女子更衣室で)見送った。
 
「さて、中国の踊りに着換えなきゃ」
と独り言を言って、衣裳を衣裳担当の人からもらう。
 
「中国のB3なんですけど」
「はいはい。B3はこれね」
と言って渡された服に着替えようとして、ボトムがスカートであることに気付く。
 
「すみません。これ下がスカートなんですが、ボクが使うのは下がズボンになっているタイプなんですけど」
 
「あら?ズボンのがあったの?ちょっと待って」
と言って探してくれるが、中国の衣裳は全てスカートのようである。
 
「なぜ〜〜?」
と言っている内に、行進曲が終わって鈴菜と日出美も来る。
 
「龍ちゃんまだ着換えてなかったの?」
「ズボンのが無いみたいなんだけど」
 
ともかくも来ている中国の踊りの衣裳を3つとも出してみると少し大きいのが1つと小さめのが2つだが、新調したっぽい少し大きめの衣裳が鈴菜用、小さめのが龍虎と日出美用のようだが、3つとも下はスカートである。
 
「あれ?採寸の時は確かに1つズボンと言っていたよね」
と鈴菜も言っている。
 
「こないだの衣裳合わせの時は、ちゃんとスカートのが2つとズボンのが1つだったよ」
 
「でもここにあるのは全部スカートですね」
 
鈴菜が少し考えるようにしてから言った。
 
「龍ちゃんスカートでも踊れるよね?」
 
「え〜〜!?」
 
「1.ここにはスカートのしか無いからそれを着るしかない。2.そもそもプリマは女の子のはずだから、男物の衣裳を着けて他の踊りをするのはおかしい」
 
「うーん・・・」
 
「3.悩んでいる時間が無いから、もう着換えよう」
 
「分かった」
 
それで龍虎と日出美が小さめの衣裳をつけ、鈴菜が大きめの衣裳を着けて、舞台袖に行って中国の踊りにスタンバイした。
 

スペインの踊り、アラビアの踊りを経て、中国の踊りになる。
 
中国の踊りは前面に、鈴菜を中心に左右に龍虎と日出美が並んで3人で踊る。後方には3年生以下の子たちが並び群舞をする。
 
実は練習をしていた時、龍虎はずっと疑問だったことがある。
 
主役は中央で踊る鈴菜のはずなのに、男の子である龍虎は左側で踊っていて、やたらとジュテ(跳躍)とかもあり、動きが目立ち過ぎる気がしていたのである。ところが今日、女子の衣裳をつけてこの踊りを踊ると、女子の衣裳なので女子の振り付けで踊るのだが、日出美と龍虎が鈴菜の引き立て役に徹するので、踊りがきれいにまとまってしまうのである。
 
この方がきれいじゃん!と思いながら龍虎は踊っていた。
 
つまりこの中国の踊りは、現在のこのバレエ教室の構成では、女3人で踊る方法が、まとまりが良いようであった。
 

踊りが終わって(女子更衣室に)下がる。龍虎はすぐに金平糖の衣裳に着替える。それで取り敢えず中国の衣裳を脱いで、ステージショーツも脱ぎ、ボディ・ファンデーションとタイツだけの状態(その下にアンダーショーツは着けている)になった時、鈴菜がいきなり龍虎の股間に触った。
 
「わっ」
 
「やはり付いてないよね?」
「小さいから目立たないだけだよー」
「小さいって何cmくらい?」
「うーん。体表には出てないからなぁ」
「ああ、割れ目ちゃんの中に収まっているのね」
「割れ目ちゃんなんて無いけど」
「今更隠さなくてもいいのに。中学は女子として通学するんでしょ?」
「男子だよー」
 
「でもこないだ制服採寸会に居たし」
「ああ、あの時、すずちゃんも居たの?ボクはサイズが小さすぎて男子制服の既製品が使えないからサイズ計ってもらって作ることにしたんだよ」
「やはり男子制服では合わないから女子制服を作るのね?」
「作るのは男子制服だよ〜」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
 

ともかくもクラシック・チュチュ型の金平糖の衣裳を着けた。
 
「今気付いた!金平糖は、鈴菜ちゃんも踊れたはず。踊っているの見たことある」
 
「踊れるけど、私より龍ちゃんの方が絶対うまいもん」
と鈴菜は笑顔で言った。
 
やがて蓮花と芳絵がフランスの踊り(葦笛)を終えて下がる。
 
龍虎が出て行く。チェレスタとバスクラが奏でる静かで美しい調べに合わせて踊る。このバリエーション(ソロ演技のこと)は、白鳥の湖のオディールのような派手さは無いものの、ひたすら表現力を問われる踊りである。本来はトウシューズで踊るものだが、それを普通のバレエシューズで踊っているので、技術的な見せ場がひじょうに少ない。それを更に表現力でカバーする。龍虎はお菓子の国の女王になりきった気持ちになって踊っていった。
 
そして最後の回転しながら立つ位置の軌跡が大きな円になるように踊る所では演技の途中なのに、たくさん拍手が来る。そして最後まで踊りきった所で、物凄い拍手、そして「ブラーヴァ!」という掛け声もたくさん掛かって、龍虎は笑顔で膝を曲げて観客に挨拶し、下がった。
 

続けて舞台はフィナーレとなる、花のワルツの曲が掛かり、全員がステージにあがる。龍虎はフランスの踊りの衣裳からクララの衣裳に替えていた芳絵と手を繋いで舞台に戻り、みんなと一緒に華麗にワルツを踊った。最後はくるみ割り人形の佐藤君を真ん中にはさんで、クララの芳絵、金平糖の龍虎と3人で舞台前面中央に立ち、挨拶をした。
 

発表会が終わってから分かったこと。
 
昨年の中国の踊りは最初女の子2人と男の子1人の予定になっていたので、最初、女の子の衣裳2つと男の子の衣裳1つが作られていた。ところが女の子の1人Aちゃんがお父さんの転勤に伴い、直前に教室を辞めたので、女1男2に変更された。その時、男の子は身体が大きいこともあり、完全に新しく男の子の衣裳が制作された。つまり昨年の段階で衣裳は実は男2女2があった。
 
今年鈴菜と龍虎・日出美が踊ることになり、鈴菜の衣裳は新たに作られた。そして龍虎と日出美の衣裳は昨年の男の子の衣裳と女の子の衣裳を手直しして使用することになった。それでその作業を経て、今月上旬に衣裳合わせをした。この時、龍虎はちゃんとズボンタイプのものを着ている。
 
ところがこの時、龍虎が穿いたズボンはゴムを交換したのに、それでも緩すぎて演技中にずり落ちそうになった。それでもっとゴムを短くして下さいといって調整に出された。その再調整したものは誤って同様に再調整があったアラビアの踊りの衣裳の所に一緒に格納された。
 
発表会の当日、中国の衣裳を持って出ようとして、担当者が2つしかないことに気付いた。それでもう1着はどこだろう?と探していたら近くに《中国B3》と書かれた衣裳があったので「あっこれか」と思い、持って出た。
 
実はそれは本当は昨年Aちゃんが着る予定だった衣装であった。
 
それで女の子の衣裳3つになってしまったのである。
 
「でも先生、結果的に振り付けは今日やったみたいに脇で踊るボクのはジュテとかの入らない、日出美ちゃんと純粋に対称な動きの方がいい気がしました」
と龍虎は言った。
 
「うん。私も思った」
とひとりの先生。
 
「だったら、ドラゴンフェスティバルでは今日の振り付けで踊ってもらおうか」
「はい」
 
「じゃドラゴンフェスティバルの時も龍ちゃんは女の子衣裳で」
「え!?」
 
「あ、それがいいですよ。龍ちゃん本当は女の子だもん。男の子衣裳つけるのは可哀相」
と鈴菜が言った。
 

バレエ発表会の翌日、12月24日、龍虎は宏恵と待ち合わせて一緒に駅まで行った。
 
「クリスマスコンサートって、てっきり市のイベントかと思った」
と龍虎が言うが
「夏のコンテストで県大会に行ったから、その参加校が今回招待されたのよね」
「そんなレベルの高いイベントで、何度かしか合わせてないボクがソロを歌っていいの〜?」
「大丈夫。龍は充分上手い」
 
そして宏恵は言う。
「ソロは他のパートと合わせる必要が無いんだよ。堂々と目立って歌えばいいから、龍向きだよ」
 
駅には既に10人ほどのコーラス部員が集まっていた。お互い挨拶を交わす。龍虎たちの後にもどんどんやってきて、8:30には全員が揃った。それで先生に引率され、先生が団体乗車券を見せ、係の人のいる改札口を通過して電車に乗り込んだ。改札では駅員さんが人数だけ数えていた。
 
「こういう乗り方したの初めて」
「修学旅行の時もこの方式だったじゃん」
「あっそうか!」
 

さいたま新都心駅で降り、少し歩いて辿り着いたのは、大宮アリーナである。
 
「ここでやるの?」
と龍虎は訊く。
 
「凄いでしょ?県大会はサウンドシティだったから、私たちもこの大会場は初体験だよ」
と宏恵。
 
「すごーい。こんな所で歌うなんて気持ち良さそう」
と龍虎が言うと
 
「やはり龍ちゃんにして正解だったみたいね」
と佐和美ちゃんが言っている。
 
「最初実は瑞香ちゃんに声を掛けたんだけど、大宮アリーナと聞いて、そんな凄い所で歌う自信無いといって逃げられたのよね」
 
「あははは」
 
「でも瑞香ちゃん以外の女子であんな高い声が出る子いないよ、と言っていたらさ、女子でなくてもいいのなら、きっと龍ちゃんが出るという話になって」
 
「うーん・・・」
 
「女子の制服着てもらうのは気の毒だけど、それも龍ちゃんなら着てくれるよという意見になって」
と佐和美が言うので
 
「ちょっと待った」
 
「ボク、女子の制服着ないといけないの〜〜?」
と龍虎がしかめっ面で言うので、宏恵が頭を抱えている。
 
「それはもう本番直前になって、それを着るしかないという状況にしてから言うってことにしてたのに」
と宏恵。
 
「え〜〜?そうなの?ごめーん」
と佐和美。
 
「でも龍ちゃん、よくスカート穿いている気がするもん。女子の制服着られるよね?」
 
「あまり女の子の服着たくないんだけど。しょっちゅう着てたら、ボク、女の子になりたい男の子かと誤解されちゃうもん」
 
「それは大丈夫だよ」
と宏恵が言う。
 
「そう?」
 
「既にみんな、龍はそのうち女の子になるつもりだろうと思っているから今更」
「うっ・・・」
 
「実際、龍、女の子の服を着るの嫌いじゃないでしょ?女子の制服着て歌ってよ」
と宏恵は言う。
 
「まあここまで来て断れないからやるよ」
と龍虎は渋々言った。
 
「でも、ヒロ、そういう話は最初にしといてよ」
「ごめーん」
 

そういう訳で龍虎はコーラス部の女子制服を着て、クリスマス・イベントで歌うことになったのである。
 
会場に“男女別の”控室があるので、男子部員は男子控室に行くが、龍虎は宏恵と一緒に女子控室に行く。ここで制服が配られるので龍虎はSサイズの制服を受け取って着た。
 
「全然違和感無いね」
とあまり龍虎の女装を見ていない子から言われる。
 
「女の子の服を着ると女の子にしか見えないよね」
「いやむしろ龍ちゃんは男の子の服を着ていても女の子にしか見えない」
「まあそれが龍のよい所であり、また問題点でもあるね」
 
「龍ちゃん、今日は女子トイレ使ってよね」
「いや龍はふだんから女子トイレを使っている」
「そういえばそうだ」
 
「どっちみち中学ではセーラー服着るんでしょ?」
「学生服を着るよぉ」
「でもこないだ制服の採寸会場に居たよね?」
と花菜ちゃんが言っている。
 
なんかあれ随分多くの人に見られているみたいだなあと龍虎は思う。
 
「採寸はしてもらったけど作るのは男子制服だよ。ボクはサイズが小さすぎて男子の既製服は合わないないんだよ」
「なるほどー」
 
「男子制服が合わないから、女子制服を着るのね」
「違うって」
「女子制服、着たくないの?」
「えーっと・・・」
 
「なるほど迷う訳か」
と花菜ちゃんが納得するように言った。
 

イベントは午前中に埼玉県内の小中学校のコーラス部が20組出演して歌い、午後からは桜野みちる・海浜ひまわり・神田ひとみというアイドル3人のステージがあり、今日の観客の半分くらいはそちら目当てなのではと宏恵は言っていた。
 
「桜野みちるは知ってるけど、海浜ひまわり・神田ひとみは知らない」
と龍虎が言うと
「同じ事務所の後輩なんだよ。いわゆるセット売りなんじゃないかな」
と宏恵は説明する。
「へー」
「その事務所、海浜ひまわりと神田ひとみの間にもうひとり居なかったっけ?」
と佐和美が尋ねる。
「えっとね・・・・千葉りいなちゃん」
「あ、それそれ!」
「あの子、なんか長期入院しているらしいね」
「病気?」
「病名はどうもハッキリしないみたい。親と事務所で揉めているという噂もあるよ」
「ふーん」
 
「アイドルなんてハードワークだろうからなあ。身体の弱い子は務まらないんじゃない?」
「あそこの事務所は以前夏風ロビンも問題起こしているし」
「まあでも報道もされず噂にもならないまま消えて行く子も、あの世界には多い」
「言えてる、言えてる。アイドルなんて毎年数百人デビューするからなあ」
「その内、1年後まで残るのは1割以下というもんね」
「2年後にはそのまた1割以下」
「3年後まで生き残るのは1人か2人」
「3年生き延びたアイドルは、わりとその先まで生き残る」
「石の上にも3年か」
「枕営業とかもあんのかね?」
「怪しい事務所ではあると思う。さすがに大手ではさせないだろうけど」
 
龍虎は“枕営業”って何だろう?と思った。枕の売り歩き??
 

QS小学校のコーラス部は全部で24名だが、ソプラノ14名(龍虎を含む)とアルト10名である。ただしこのアルトの中には男子が5人居て、彼らはスカートではなく同色の布で作られたショートパンツの制服を着ている。
 
「あれ〜。パンツの制服もあるの〜?」
と龍虎は言ったが
「龍ちゃんはスカートの方が可愛いからよい」
とみんなから言われた。
 
「パンツタイプの制服が存在することは男子部員がいることから安易に分かったはず」
「龍はこの手の問題では気付かなかったのか、気付かなかったふりをしているのか、どうも良く分からない」
とまで言われている。
 
「ま、いっか」
「実際スカート穿きたいんでしょ?」
「ボクなんか誤解されている気がするなあ」
「いや。よく理解されている気がする」
 

今日歌う曲は合唱組曲『赤城山』から『夏祭り』と John Frederick Coots & Haven Gillespie 『サンタが街にやってくる』である。どちらにもソプラノソロがフィーチャーされているが、これは卓越した歌唱力を持った鉄田さんあっての選曲だった。
 
最初に歌う『夏祭り』は前半、ソプラノとアルトが掛け合うようにして歌っていく。ピアノ(6年生の梨菜ちゃん)による間奏を挟んで、龍虎のソロが入る。龍虎が歌っている間、他の子たちはハミングで歌っている。
 
このソロが30秒ほどあった後、また全員の合唱に戻りコーダとなる。
 

この演奏を午後から出演する§§プロの紅川勘四郎社長が聴いていた。
 
紅川はマネージャーの田所、今回はアシスタント役として参加していて、来年デビュー予定の歌手・照屋清子(後の明智ヒバリ)と一緒に打合せをしていたのだが、龍虎のソロが始まった時、ピクッとするようにモニターを見た。
 
「ちょっとそのソロ歌っている女の子、ズームできる?」
「はい」
 
「この子、歌もうまいけど、凄く可愛いね」
と紅川。
「ちょっとスター性がありますよね」
と田所。
 
清子は手を口の所に当てて、じっとモニターを見つめていた。
 

『夏祭り』が終わり、続いて『サンタが街にやってくる』を演奏しようとした時、ピアニストの梨菜ちゃんが突然、お腹を押さえて椅子から転げ落ちるようにして座り込んだ。
 
「梨菜ちゃん!?」
 
指揮をしていた先生、部長の宏恵が駆け寄る。
 
「どうしたの?」
「30分くらい前からお腹が痛かったんですけど、何とか頑張らなきゃと思っていたんですけど、もう我慢できなくなって」
 
「そんなの我慢したらダメだよ!」
と先生が言う。
 
「医務室につれていきますか?」
とイベントのスタッフさん。
 
「はい、すみません」
 
イベントのスタッフさんが車椅子を持って来てくれたので、梨菜をそれに乗せる。先生は「宏恵ちゃん、指揮をお願い」と言ってから、車椅子を押して連れ出す。イベントスタッフが医務室まで案内してくれるようである。
 

さて・・・。
 
観客が騒然としているので、進行係さんが
 
「お騒がせしました。1分お待ち下さい」
と観客に案内した。
 
6年生全員で話し合う。
 
「私、先生から指揮頼まれたんだけど」
と宏恵。
「それがいいと思う。ヒロちゃんが指揮するのが、みんなが一番落ち着けると思う」
「それで誰がピアノ弾くかなんだけど」
「って、誰が弾ける?」
 
「一般的な『サンタが街にやってくる』なら、ピアノ弾ける子はたいてい弾けると思う。でもこれ先頭に語りながら歌う部分が入っているし、輪唱になる部分は伴奏が少し難しい」
 
「調も違う。ハ長調で書かれているスコアが多いんだけど、それでは一番下のシの音が出ない人がいるから、2度上げてニ長調にしているんだよね。だからシャープが2つ増えている」
 
「結論。龍が弾いてよ」
と宏恵は言った。
 
「え〜〜〜〜!?」
「龍は初見に無茶苦茶強いんだよ。できるよね?」
「ニ長調なら弾けると思う」
「よし、それで」
 
「ソプラノソロは?」
「佐和美歌ってよ。こちらは声出るよね?」
「あ、うん」
 
「それで行こう」
 

それで宏恵が進行係の人に
「お騒がせしました。演奏します」
と告げて、自分は指揮台の所に行った。龍虎がピアノの所に座る。佐和美が最前列に立つ。
 
それで宏恵が龍虎とアイコンタクトして龍虎が楽譜をまさに初見で弾き始める。そしてソロを取る佐和美が「銀河旅行をしてきたの」と歌い始めた。
 
最初30秒ほど歌った所で、全員の歌唱になる。そこまで辿りついた所で佐和美は脱力したかのように座り込んでしまう。みんなギョッとするが、大丈夫そうではあるので演奏を続ける。きっと極度の緊張の中、何とか頑張ったらそこで力尽きたのだろう。
 
その後、弾むような龍虎のピアノ演奏に乗せて、みんな楽しくこの曲を歌いあげた。輪唱になる部分もうまく行った。
 
大きな拍手をもらう。全員でお辞儀をして上手に退場した。佐和美も他の子に助けられて立ち上がり何とか自力で退場する。下手から次の学校が入ってくる。宏恵はそちらの学校の先頭に立って入ってくる、おそらくは部長さんと思われた子に、
「時間を食ってしまって、大変申し訳ありませんでした」
 
と声を掛けた。向こうは笑顔で
「お大事に」
と言ってくれた。
 

「この子、もし歌手になったら、物凄いスターになると思う」
と清子が言った時、それを聞いていたのは田所だけだった。
 
紅川は演奏中に部屋を出て舞台上手の方に行った。うまい具合にQS小の子たちが降りてくる所をキャッチする。
 
「君たち頑張ったね」
と言って拍手する。
 
龍虎たちは一瞬顔を見合わせたが、きっとイベントの運営の人、それもたぶんお偉いさんだろうと判断した。
 
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
と宏恵が謝る。
 
「いやトラブルが起きた時にそれにどう対処するかで人の価値は決まるんだよ」
と紅川は言う。
 
「君は歌も上手いし、ピアノも上手かったね。普段の練習では倒れちゃった子と交替で伴奏してるの?」
と龍虎に訊く。
 
「あ、いえボクは臨時参加だったもんで」
と龍虎は言う。
 
「この子、本来ソロを歌っていた子が転校してしまったんで、助っ人で歌ってもらったんですよ」
 
「そうだったんだ!」
 
「コーラス部に入って欲しいんですけどね。本人、ピアノとヴァイオリンとバレエのレッスンで忙しいみたいで」
 
「色々やってるね!」
 
「こないだピアノの関東地区コンテストで3位になりましたし」
「凄い」
「昨日はバレエの発表会でプリマが踊る金平糖の精の踊りを踊ったんですよ」
「君、天才みたいだね」
 
「今もピアニストが倒れて誰も弾けないと言っていたんですが、この子初見に無茶苦茶強いから絶対行ける!と言って弾いてもらったんですよ」
 
「あれ初見だったの!?」
とさすがの紅川さんも驚いている。
 
「ね、ね、君、歌手とかになるつもりない?今年の夏にこういうコンテストをやるつもりなんだよ。もし良かったら応募してよ。あ、僕の名刺あげておくね」
と言って紅川はパンフレットと一緒に自分の名刺を龍虎に渡した。
 
それで紅川は「打合せがあるんで、また」と言って去って行った。
 

「何何?」
「第1回ロックギャルコンテスト?」
「要するにオーディションかな?」
 
「ちょっとこの名刺!」
「どうかした?」
「§§プロダクション代表取締役・紅川勘四郎って」
「有名な人?」
 
「桜野みちるとか秋風コスモスとかの事務所の社長だよ」
と言って宏恵は興奮しているが
 
「へー!」
と言って龍虎はよく分からない状態である。
 
「在籍している歌手の数こそ、そう多くないけど、売上げでは業界でもトップクラスの事務所のひとつだよ」
 
「ふーん」
「龍、あんたこんな大事務所の社長に目を付けられたんだから、歌手になっちゃいなよ。龍はアイドルになったら凄く売れるよ」
 
「アイドルか・・・」
と言って、龍虎は男の子アイドルグループ超特急の“バックボーカル”タカシ(*2)が可愛く女装して歌っているのを先日テレビで見たことを思い出していた。
 
ああいう可愛い格好できるならアイドルもいいかなあ、などと考えたりしたが多少?歪んだことを考えていることに気付いていない。また龍虎は“ギャル”という最近の若い世代にはほぼ死語になっている単語が女の子を意味することを知らない。
 
(紅川さんはギャルという単語がほぼ死語になっていることを知らない)
 
なお、倒れたピアニストの梨菜だが、医務室に連れて行くと5分くらいで痛みも取れて起き上がれる状態になった。何かあぶないものを食べたような記憶も無いということで、極度の緊張からきた精神的な腹痛だったのかもということになった。
 

(*2)超特急は「メインボーカルとバックダンサー」ではなく「メインダンサーとバックボーカル」で構成されるおそらく史上初のユニットである。この時点ではメインダンサー5人とバックボーカル2人で構成されていたが、2018年4月にバックボーカルの1人コーイチが脱退してタカシ1人だけの状態になっている。
 
ユーコ(ユーキ)、ユースコ(ユースケ)、タカミ(タカシ)による少女ユニット“コロン”はライブでおなじみだが、特にタカシは女装すると上級の美少女になるので、女装させられる機会も多い。
 

翌日12月25日。龍虎は毎年この時期に受けている入院検査を受けるために渋川市の病院に入院した。ただ今回、主治医の加藤先生は、学会に出ていて30日、入院の最終日に診てくれることになっている。龍虎はその話を秋に聞いていたので、ある問題を放置することにしていた。
 
長野支香と田代幸恵に付き添われて病院に行く。初日は尿と血を採られて検査部門に回される。入院中は尿は全量検査されるし、血液も日に3回採血されて検査される。初日は絶食で点滴で栄養を取る。
 
入院は個室にしてもらっている。尿は全検査なので尿器にしてそれを大きな瓶に入れるのだが、最初男性用の尿器を渡された。それで若い女性看護師さんに言う。
 
「すみません。これはボク使えないんですけど」
 
すると看護師さんはその尿器を見て
「あら、それ男の子用じゃん。ごめんねー。伝票が間違ってたみたい」
と言い、普通の女子用の尿器を持って来てくれた。
 
初日の午後に若い研修医さんが来て、
「田代君、おちんちんの長さ測らせてね」
と言う。
「恥ずかしいから自分で測っていいですか?」
「うん。いいよ。じゃこの用紙に記入して、次に看護師さんが来た時にでも渡してね」
と研修医さんは言って帰った。それで龍虎はその用紙に(測ろうともせずに)、全長56mm 体外露出32mm 外周26mm と記入した。
 
(本当は全長32mm 体外露出-6mm 外周16mmくらいである)
 
しかし念のため川南や千里たちの協力で“男性偽装”していたのを見せずに済んでホッとした。必ず自分で測定しようとするか、患者が自分でしますと言ったら任せてくれるかは、その担当医の性格次第と思っていたのだが、どうもアバウトな性格の人のようで助かった、と龍虎は思った。
 

2日目(木)の朝に直腸内の検査をされた。この時、結果的に偽装している男性器を見られるが、じっと見られたりはしないので誤魔化せたようである。
 
そして午後には全身くまなくMRIで検査された。そこまでの検査が終わった所でやっと御飯を食べられることになり、龍虎は24日の夕食以来2日ぶりに食事を取ることができた。
 
3日目(金)には心電図を取ったり、バリウムを入れての造影検査などもした上で内科医による検診も受けた。心電図も内科医検診も、最初男の技師・医師が居る部屋に案内されたのだが
 
「あれ?君女の子だよね?待って」
と言われて、少し待った上で、女の技師・医師が居る部屋に再度案内された。女性の内科医からは聴診器で心音などを確認された上で
 
「胸はけっこう大きくなっているね。今どのくらいある?」
と訊かれる。
 
「今アンダー63 トップ75でちょうどA65のブラが適合します」
「なるほど。小学6年生では大きい方だね」
「そうなんです。今Aカップつけてる子はクラスに3人しかいません」
と言うと医師は頷いている。
 
「生理は定期的に来てる?」
と訊かれ
「はい。ちゃんと来ています」
と答えた。
 
そういう訳で龍虎は心電図や内科検診は「女子」で通してしまった。
 
龍虎としては女性ホルモンをやめると身長の伸びが止まってしまうので、もう少し身長が伸びる所まで女性ホルモンをやめたくなかったのである。
 

4日目・5日目は土日なので尿と血液の検査を定時にする以外は特に大きな検査はなく、病室でのんびりと過ごしたが、日曜の午後には設備が空いているのを利用して再度MRIの全身検査を3時間掛けておこなった。
 
そして6日目12月30日にやっと学会から戻ってきた加藤先生の診察を受けたが、先生はMRI検査その他でどこにも腫瘍の発生の兆候が無いのを確認して満足げであった。
 
「これはもう完治したと言っていいでしょう」
と言うと、龍虎も支香も
「ありがとうございます。先生のお陰です」
と言った。
 
幼稚園の時に原因不明の痛みで病院に運ばれて以来、7年間にわたる闘病だった。もっとも“治療”を受けていたのは4年生の時までで、その後は経過観察だった。
 
「ちんちんも順調に大きくなっているようだね」
と先生はカルテを見て言う。
 
「そうですね」
 
ここで加藤先生は、龍虎のおちんちんを服の上から触った。
「おお。かなり成長している」
と先生は嬉しそうである。
 
触られた時はギクッとしたが、さすがに服の上から触っただけでは偽装はバレないであろう。
 
「それでもあんた立ってしてないよね?」
と幸恵が言う。
「座ってする方が好きだから」
「まあそれは好みの問題だから良いでしょう」
 
「それではこれ以降は年に一度入院しない簡易な検査で」
「分かりました。よろしくお願いします」
 

ところで龍虎が入院した初日12月25日の夕方、冬子や千里はベージュスカのライブを見に行った。
 
この時見に行ったのは、先日出雲に一緒に行った、冬子・政子・ゆま・千里とζζプロの青嶋さんである。青嶋は松原珠妃の最初のマネージャーで冬子とは旧知である。現在はζζプロの制作部長の肩書きを持っている。ζζプロには他に、谷崎潤子・聡子姉妹、チェリーツイン、などが所属している。
 
ライブに信子は女装で出ていたが、それよりも彼女が女声で歌ったのに、冬子も千里も驚いた。ボイストレーニングを受けて発声法を習得したと言っていたが、わずか1ヶ月半で女声が出るようになったというのは、元々ある程度女の子っぽい声を出してはいたのだろう。
 
ただ彼女はまだ女声で話すのは苦手と言い、この日は男声・女声を混ぜて話していた。しかしこんな短期間の間に女声で歌えるようになったのなら、女声で話せるようになるのも時間の問題では無いかと冬子たちは思った。彼女は
 
「ちょっと西の方へ旅行に行ってきたらいつの間にか女になっていた」
などと言っていた。それは実は出雲へのヒッチハイク旅行のことなのだが、多くの観客は外国に行って性転換手術を受けて来たのではと解釈したようである。
 
青嶋は性転換して女の子になった子をメインボーカルとするバンドが果たして売れるものか悩んでいたが、千里が
 
「CD出してみればいいんですよ。一般の人はその“音”で判断してくれますよ」
と言うと、
「そうかも知れないね」
と言って頷いていた。
 
この時、青嶋は《作曲家・鴨乃清見》からの意見で、積極的な方向に考えてくれたのだが、そのことを冬子はこの時点で知らない。
 
ライブを見て青嶋さんはベージュスカおよび一緒に演奏したホーン女子のことが気に入ったので、ぜひともデビューの方向で考えないかと彼女らに言い、彼女たちも驚きはしたものの、前向きに考えることにして、年明けにも詳しい打合せをする方向で同意した。
 

打合せが終わって駅の方に向かおうとしていたら、千里に声を掛けてくる女性があった、見ると高校時代のチームメイトで親友の若生暢子であった。
 
暢子は千里と少し話がしたくて東京に出てきたものの、千葉方面に行く途中で迷子になって都内付近を何周かぐるぐる回っていたと言った。
 
千里はそういえば今年初めに暢子が「年内に結婚するから。相手は当日発表」などと言っていたのに、その後、音沙汰が無かったことに気付いた。それで冬子たちと別れて暢子と一緒に居酒屋に行ったものの、話の内容が深刻で周囲に聞かれたくないと思った。それで結局コンビニで食糧を調達してから、一緒に近くのホテルのツインの部屋を取り、そこで明け方近くまで話した。
 
暢子は婚約者と破局したのだと言った。それで千里も貴司とのこの1年半のことを語り、ふたりはお互いに涙をぼろぼろ流しながら話した。その上で千里が40 minutesのことを話すと、暢子はぜひ自分もそこに参加したい。入れてくれと言った。
 
「入ってくれるのは歓迎だけど、うちお給料とか出ないから、生活費は別途何かで稼ぐ必要があるよ」
 
「そのくらい何とかするよ」
「だったら、暢子にはマジック・ジョンソンの32番の背番号を進呈しよう」
「おお!それはすばらしい!」
と言ってから暢子は言った。
 
「そうだ。私が仕事先と住まいを確保するまでの間、千里のアパートに泊めてくんない?」
 
「私も友だちと同居してるけど、それで構わなければ」
「OKOK。ついでに最初のお給料が出るまでの生活費を貸してくんない?」
「じゃ出世払いで」
 
そういう訳で暢子は年明けにも札幌のアパートを引き払って、東京に出てくることになったのである。
 
これが12月25日の夜(12月26日早朝)であった。
 

26日の朝は5時頃寝たものの、8時頃目が覚めてしまう。どうもお酒を飲んでいたので眠りが浅くなったようだ。ホテルの朝食バイキングにでも行って来てから、また寝直そうかと言ってラウンジに行ったら、向こうでこちらにお辞儀をする女子がいる。千里も笑顔になって暢子と一緒にそちらに行った。
 
「おはようございます」
「おはよう」
 
と挨拶を交わす。それは旭川N高校の後輩・横田広海であった。千里は2011年12月にN高校がウィンターカップに出てきた時、遠征メンバーの中にこの子がいたのを見ている。他に高校生っぽい女子が3人同席している。横田の後輩かな?と思った。彼女が紹介する。
 
「こちらうちのバスケ部の後輩、2年生の横宮亜寿砂、1年生の志村美月、そして来年の春入部予定の福井英美です」
 
すると暢子はその入部予定という福井英美の手を握った。
 
「君、凄く強いね」
「いえ、若生先輩の足元にも及びません」
「おお、私を知っているか!」
「はい、若生暢子先輩と、村山千里先輩ですよね?」
「よしよし。君はきっと伸びるぞ」
と暢子はご機嫌である。
 
「紹介する前に分かったみたいだけど、2008年ウィンターカップ決勝戦で札幌P高校と延長5回に及ぶ死闘を演じた時の中心選手、若生暢子先輩と村山千里先輩だよ」
とあらためて横田広海が紹介する。
 
「死闘して勝ったんですか?」
と志村美月が訊くので
「いや、負けた」
と暢子が答える。すると志村美月が
「なーんだ」
と言ったので暢子の怒りが爆発する。
 
「貴様、インターハイにもウィンターカップにも出てきてない癖に偉そうに言うな」
と言ってヘッドロックを掛ける。
 
「いたたた、やめてください。暴力反対」
と志村美月は言っているが
「いや、今のは美月ちゃんが悪い。謝りなさい」
と横田広海は言っている。
「申し訳ありませんでした」
「よしよし」
と言って暢子は手を離す。
 
「まあ偉そうなこと言えるのか、私たちが弱いのか、後で手合わせしない?」
と千里は提案した。
 
「手合わせって?」
「君たち4人vs私たち2人ってのでどう?」
「やりたいです!」
と嬉しそうに福井英美が言った。
 

朝食を取りながら話した。
 
「ああ。ウィンターカップ見に来たの?」
「はい、そうなんです。旭川N高校は昨年も今年もインターハイ・ウィンターカップに出られなかったけど、やはり全国レベルを見ておきたいよねと言って。それで英美ちゃんも誘って4人で出てきたんですよ。英美ちゃんの分の費用は私たちがサービス」
 
「おお。後輩を厚遇するのはよいことだ」
 
「いつから見ているの?」
「昨日からです。あまり下の方の試合を見ても仕方ないし。昨日が3回戦だったから、かなりハイレベルな戦いを見ることができました」
「決勝戦まで見る?」
「はい。それでチケット確保してきました」
 
「よし。千里、私たちも見に行こう」
と暢子が言うと
「もう売り切れてますよ」
と志村美月が言う。
 
「貴様はいちいち私を怒らせたいのか」
とまた暢子は美月にヘッドロックを掛けている。
「先輩。こんなことしてたら、新入生がここは暴力部活かと思って逃げちゃいますよ」
などと美月が言うので
「これはマナーの悪い奴への教育だ」
などと暢子は言っている。
 
「暢子、チケットならあるから私たちも見ようよ」
と千里は言った。
 
「あるの?」
「別の人と見に行くつもりでチケット確保していたんだけどさ。その人が行けなくなっちゃったんだよ」
「ほほお」
と暢子は千里の顔を見ながら言った。
 
「じゃそのチケットを有効利用させてもらおう」
 

それで朝御飯を食べた後、千里と暢子はチェックアウトするのだが、見ていたら横田たち4人もチェックアウトしている。
 
「君たち今夜の宿は?」
「ネットカフェかなあ」
「昨夜はたまたま割引券もらったんでここに泊まったんですが」
「へー」
 
それで6人でウィンターカップを見に行った。
 
この日は男子3回戦の一部と、女子の準々決勝4試合が行われる。10:00から2試合と11:30から2試合である。
 
「昨日も凄いと思ったけど、今日はまた凄い」
と横宮亜寿砂が声をあげる。
 
「上位まで来るチームは1〜3回戦では主力を温存するんだよ。ボーダー組のお仕事は、主力を疲労させないまま、上位までチームを進出させること」
と暢子は言う。
 
「それって、とっても大事な役割だという気がする」
と福井英美。
「3回戦までに主力がクタクタになってしまったら、準々決勝、準決勝では体力勝負で負けるよ」
と暢子。
 
この日の結果
大阪E女学×80−84○愛媛Q女子
静岡L学院×67−82○市川A高校
東京U学院×58−69○愛知J学園
愛知A学園×64−67○岐阜F女子
 
愛知A学園は愛知県代表だが、普段の年は圧倒的に強い愛知J学園に勝てず、なかなか全国大会に出て来られない。しかし今年はJ学園がインターハイに優勝してウィンターカップ自動出場になったので出てくることができた。つまり旭川N高校に立場が似ている。但し今年のインターハイに北海道から出場したのは札幌P高校と旭川L女子校で、N高校は出場を逃している。
 

午後から男子の試合もあるのだが、千里たち6人は常総ラボに移動した。
 
千駄ヶ谷13:33-13:47秋葉原14:00-14:32守谷14:48-15:20石下
 
石下駅からはタクシー2台に分乗して常総ラボに入った。
 
「こんな所にこういう真新しい体育館があるとは」
「ここは様々な経緯があって、結果的に私が管理しているんだよ。だから自由に使っていいから」
と千里は説明した。
 
「ここ何時まで?」
「何時まででも。深夜でも使っていいよ。周囲に家が無いから」
「確かに。向こうは運動公園だし、こちらは学校か何かのようだし」
「但し窓はしっかり閉めてね」
「いや、さすがに寒いから閉める」
 
美月が何か考えているようである。
「千里先輩、ここ深夜でも使っていいのなら、この体育館の隅で寝てもいいですか?」
 
「体育館の隅で寝てもいいけど、下に宿泊室があるから、そこで寝た方がいいね。多少の寝具もあるよ」
と千里。
 
「おぉ!」
 
「ここは美月だけ体育館で寝て、他の子は宿泊室で寝るということで」
と暢子。
「なんでそうなるんですか〜?」
 
どうも美月と暢子は“相性が悪い”ようである。
 

準備運動をしてから試合を始める。千里は電子得点板を持って来て、得点を自動カウントモードにした。
 
「スリーを入れた時は得点板の3Pボタンを押すと3点で処理される。フリースローの時は1Pボタンを押しておく」
 
「すごーい」
 
それで試合を始めるが、圧倒的である。暢子と千里の2人だけで攻撃するのを4人でどうやっても停められない。逆に4人で攻めて来るのを千里が巧みにスティールしてしまう。
 
40分間やるつもりだったものの、まるで勝負にならないので10分で打ち切った。
 
「参りました」
と美月が頭を床に付けて言った。
 
「私たちがインターハイに行けなかった訳が分かりました。可能な限り、私たちを鍛えてもらえませんか?」
 
「よしよし。ではウィンターカップ終わりまでここで泊まり込み合宿ね」
と暢子は楽しそうに言った。
 

12月27日(金).
 
台湾のCD制作企業に出向していた太荷馬武は半年ほどの出向を終えてセントレア空港に戻ってきた。この先の自分の身の処し方については色々悩んでいるものの、とりあえず社長に出向の報告をしなければというので、考えながら空港内を歩いていた。彼は考え事をしていたので、空港内の一角が、道路工事用のバリケードで区切られていることに気付かず、バリケードとバリケードの間をうっかり通過してしまった。
 
向こうから走ってくる、ぬいぐるみ?をつけた人物がある。彼はぼーっとしていたので、その人物を見ても避けようとか逃げようといったことを考えなかった。
 
それで衝突してふたりとも倒れてしまう。
 
「あ、すみません」
「こちらこそ、すみません」
と小さな声で交わす。
 
それで起き上がろうとした所、向こうから銃?を持った男が走って来て、こちらに向けて乱射する!?思わず太荷は
 
「危ない!」
と言って、ぬいぐるみを着た人物を突き飛ばした。
 
銃を乱射した人物が
「何だ貴様?」
と言う。
 
「君こそ何者だ?」
と言って太荷は彼をギロリと睨んだ。
 
彼は歌手のコンサート運営などに携わり、ヤクザと揉めたこともある。乱暴な相手には気合いが大事だと知っている。
 
向こうが飛びかかってきたのを、柔道の投げ技で床に叩き付けた。
 
男が「うーん」とうめき声をあげた所で
 
「カッッット!」
という声が掛かる。
 

カメラや集音器?付きのマイクを抱えた人たちが寄ってくる。
 
「すみません。どなたでしょう?」
と30歳くらいの男性から訊かれる。
 
「え?これもしかして何かの撮影?」
と太荷。
「え?この人役者さんじゃないの?」
と銃を乱射し、太荷に投げ技をくらった男性。
 
「えっと・・・これは《特命刑事ダニャン》の撮影だったのですが・・・」
「すみませーん!」
と太荷が言った時、ひとりの撮影スタッフが声をあげた。
 
「あなた、もしかして元★★レコードの、たにさんですか?」
「はい。現在は別の会社に勤務しておりますが」
 
「ああ、あの人か!」
とこの場の責任者っぽい男性が言った。
 
「でも今のシーン凄く良かった」
と別の男性が言う。
「うん。ボツにするにはもったいない」
と更に別の男性。
 
すると責任者っぽい男性は少し考えるようにしてから言った。
 
「たにさん、もし良かったら、ゲスト出演でいいですので、敵組織の大幹部という役をやってもらえません?」
 
「は!?」
 

12月27日のウィンターカップは、岐阜F女子−市川A高校、愛知J学園−愛媛Q女子の試合が行われ、岐阜F女子と愛知J学園が勝った。6人は午後からまた常総ラボに移動したが、やはり4対4にしようということで、川南と夏恋を呼び出した。この2人は福井英美以外の3人には充分対抗した。
 
「英美ちゃん強いね」
と夏恋がマジで言う。
 
「この子が夏までに伸びたら、またインターハイに行けるかも知れません」
と横田広海が言う。
 
「うん。かなり鍵を握るだろうね」
と千里も言った。
 
そういう訳で英美には千里自身がマッチアップして、かなり熱の入った練習をした。
 

「そういえば広海ちゃん。こないだ、お姉さんに会ったよ」
と夏恋が言った。
 
「わあ。堂々としてますでしょ?」
「男だった頃より逞しくなっている」
「そうなんですよね〜。男っぽくなる心配なくなったからといって日々トレーニングに励んでいるみたいです。握力70だそうです。お母ちゃんは頭痛いみたいだけど」
 
「本人は女にはなりたかったけど、OLとか看護婦とかするような気持ちは無かったから、警備員は天職と言っていた」
と夏恋。
 
「女性のお客様のボディチェックする時は、女性の警備員にしかできないんですよね。だから、必ず女性が1人以上いつも詰めてないといけないんです」
と広海。
 
「・・・あの子、ボディチェックするんだっけ?」
と暢子が言う。
 
「毎日20-30人はあるそうですよ」
「姉貴は身長はあるけど、女にしか見えないから」
 
「・・・やめた。考えるまい」
と暢子は言っていた。
 
 
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【娘たちの衣裳準備】(2)