【娘たちの仲介】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-05-05
5日(日)のライブが終わった後、ケイは6日(月)大学の授業に出るため北九州で1泊して朝5:30のスターフライヤーで羽田に飛んだことになっているが、実際には《しーちゃん》はそのまま北九州市内で休み、6日朝大学に出ていったのは東京にずっといた冬子である。
この日の夕方にはテレビに出演してAYAが上島雷太と抱き合っているように見える写真は、通行人にぶつかって倒れそうになったAYAを上島が抱き留めてあげただけであることを説明。当時の状況を実演してみせた。冬子たちと百瀬の証言でAYAの疑いは晴れ、翌週からAYAが歌う『天使に逢えたら』が放送できることになった。
そしてケイはその夜から、『天使に逢えたら/影たちの夜』のCD発売用音源の制作も進めた。4日深夜の制作はあくまで翌朝の放送に間に合わせるための暫定版であり、特にマリとケイの歌はあまり質が良くなかった。曲のアレンジ自体も練り不足だった。それでケイとスターキッズは5日夜から7日に掛けて再度伴奏を録り直し、8日には朝からAYAのゆみ、ローズ+リリーのケイとマリ、更に成り行きでボーカルに参加することになったスターキッズの七星の歌を録音して伴奏に乗せた。
音源は(ミクシング・マスタリング作業を除いて)8日の13時半にやっと完成した。それで夕方までにマスターを作って工場に持ち込みプレスを開始しようということになる。発売は一週間後の2月15日である。
どうもローズ+リリー絡みのCDは無茶なスケジュールで制作・発売されることが多い。
13時半に演奏が完成したとき、ハッとして七星が言った。
「ケイ、今日のローズクォーツのライブは?」
「今から行く。バイク便を待機させているんだよ。バイクなら東京駅まで10分で行くから、13:50の広島行きに乗れるんだよね。それで17:58に広島駅に到着するんだよ。でもこの後のミクシングは七星さんお願い」
「分かった。こちらは何とかする。でもそちらは体調大丈夫?」
「新幹線の中では寝ていくから平気」
「頑張るね!」
実際にはケイはスタジオを出ると、タクシー!を停めて、大田区のマンションに移動し、ぐっすりと寝ていた。そして広島のライブは《しーちゃん》が務めた。
ところで『天使に逢えたら』の歌い手については、面倒な論争が引き起こされた。
2週目にAYAが歌う主題歌を流すとローズ+リリーのファンが
「ローズ+リリーが歌っていたのに」
と文句を言い、更にAYAが
「本当はマリちゃんたちと一緒に歌いたかったのよね」
などと発言したので(AYAは事務所社長からきつく叱られた)、急遽両者が参加する音源も製作し、4週目には、AYAがメインボーカルを取って、ケイとマリも参加したバージョンを流した。このバージョンはCDの増刷の際に追加された。元のバージョンを持っている人は新しい版と交換可能としたのだが、実際には交換を希望した人はほとんど無かった。大半の人は元のを希少な記念品として持ったまま追加購入したものと思われる。
ところがこの新しいバージョンが流れると、AYAのファンは
「AYAが単独で歌っていたのに」
と文句を言い、ローズ+リリーのファンは
「最初はケイがメインボーカルだったのに」
と文句を言い、どうにも収拾が付かなくなってしまった。
結局この問題は、AYA・ケイ・マリ、ついでに七星さんまで加わったトーク番組を放送し、AYAとローズ+リリーがとても仲良しであることをアピールしたところ
「まあ仲良しならいいか」
と言って多くのファンが喧嘩の矛を収めてくれたのである。
視聴者の声にいちいち反応していたら、どうにもならなくなるという好例(悪例?)である。
2012年2月8日、日本バスケット協会は8月18-26日に台湾で開かれるウィリアム・ジョーンズ・カップに出場する男子日本代表の候補選手32名を発表した。
男子代表は昨年のアジア選手権では7位に終わり、ロンドン五輪代表を決める最終予選(今年7月2-8日)にも進出することができなかった。ロンドン五輪は7.28-8.12に開かれるが、ウィリアム・ジョーンズ・カップはその五輪の後に行われる。
貴司はこの32名に含まれており、貴司にとって初めての日本代表候補活動となった。
「代表候補選出おめでとう。頑張ってね」
と千里は電話を掛けて言った。
「ありがとう。でも千里に煽られたから言う訳じゃないけど、候補になった以上は、ロースターに残れるように頑張るよ」
と貴司は言っている。
「スターターになれるよう頑張りなよ」
「千里はほんとによく煽る!」
「男なら頂点を目指さなきゃ」
「うん。頑張る」
「それとも女になる?」
「それも大変そうだ」
「合宿はいつからだっけ?」
「2月下旬に第1回があるみたい。最初は顔合わせみたいな感じになるらしい」
「まずはそこでアピールだね」
「うん」
2月12日、千葉県冬季クラブ大会が開かれたが、これに重なる日程の2月11-12日と18日には第9回シェルカップが開かれた。ローキューツでは両者の日程が重なることからAチームとBチームを編成した。
Aチーム(冬季クラブ大会に参加)
西原監督。5.麻依子(PF主将) 8.千里(SG) 15.聡美(SF) 16.凪子(PG) 17.薫(SF) 22.岬(PF) 23.国香(SF) 24.元代(PF) 33.誠美(C) 35.桃子(C) 25.翠花(PF)
Bチーム(シェルカップに参加)
谷地コーチ。4.浩子ひろこ(PG主将) 7.茜(PF) 11.玉緒(SF) 14.菜香子(PF) 18.瀬奈(SF) 20.司紗(SF) 32.夢香(PF) 34.夏美(SF) 28.ソフィア(SG)
茜については玉緒が「頭数が足りないからおいでよ」と誘ったところ、年末年始の繁忙期が過ぎたから、この時期なら何とかなるかもというので参加してくれることになった。
また先日ローキューツへの入団が決まったソフィアはクラブバスケット連盟及び実業団バスケット連盟の移籍規定により3月末までは公式戦に出場することができない(*1)。それでオープンな大会であるシェルカップの方に参加してもらうことになったが、司紗が
「ソフィーの参加は頼もしい!」
と喜んでいた(2人は共に旭川N高校出身で、ソフィアが司紗の1学年下である)。
(*1)円満移籍の場合でも出場できるのは翌年度から。非円満の場合(移籍元チームが承諾書を出さない場合)は翌々年度からになる。これは実は、強引な引き抜きから選手を守るための規定である。なお、同じ会社の別支店で結成されているチームへの移籍、在籍していたチームが活動停止した場合は、この限りではない。ソフィアの場合は、チームは現時点では公式に活動停止した訳では無く単に活動していないだけなので、この規定が使えなかった。
2009年度に途中加入の千里・誠美・来夢が出場できたのは、誠美・来夢は協会側の事情による特例移籍だったためで、千里の場合は日本代表だったからである。
まず2月11日に行われたシェルカップ(土浦市・霞ヶ浦文化体育館)の1回戦では水戸市の中学生チームと当たる。
割と手応えのあるチームだったが、前半にだけ出場したソフィアがその前半だけで5本もスリーを放り込む活躍で快勝した。ソフィアも久しぶりの試合で水を得た魚のように気持ち良さそうにプレイしていた。
「ローキューツのシューターさんってあまりにも強すぎるからこういう大会には出ないと聞いていたのに」
「でも美しいフォームだったなあ。さすが日本代表だね」
「うん。それを間近で見られただけでも幸せ」
と敗れた相手チームの中学生が話していたので、ソフィアは困惑した表情。司紗が笑いをこらえきれない感じだった。
「MURAYAMA と MIZUSHIMA だと、最初の M と最後の MA しか合ってないのに」
などと、菜香子が言っていた。
12日の午前中に行われた2回戦では東京から来たという20歳前後の選手が“5人だけ”のチーム《晩餐》と対戦した。
が向こうに原口揚羽がいるのでびっくりする。
取り敢えず手を振り合って試合を始めるが、このチームが強い、強い。第1ピリオドで22-16と6点差も付けられる。
「負けそう〜!」
という声も出るが、司紗は今のピリオドでだいたい相手選手の癖をつかんでいた。各選手に指示を出す。
「あっちゃんはソフィーに任せた」
「うん。頑張る」
それで第2ピリオドは揚羽とソフィアの対決が主軸になった。司紗も相手のキャプテン・後藤さんと対峙する。他の選手の所も司紗の指示に従って相対し、夏美・夢香・瀬奈が真田さん・毛利さん・明石さんを何とか押さえていく。それで第2ピリオドは第1ピリオドより随分マシな20-18で終えることができた。前半は42-34である。
「このゲームでは私たちの出番は無いね」
と浩子が言うが、司紗は
「ごめーん」
と言う。
「体力だけはあるから40分頑張るよ」
と夏美。
「いや最近こんなに出番のある試合が無かったから嬉しい」
と夢香。
それで第3ピリオドに入っていたのだが、相手の明石さんが攻めてきて、ゴールそばで夢香と接触した時、笛が鳴る。明石さんがファウルを取られたのだが、審判をしていた高校生がテーブルオフィシャルに何か確認している。テーブルの所に座っていた同じチームの部員と思われる子が掌を広げている。
「ファイヴ・ファウルで退場」
と審判は宣告した。
「えっと・・・交代要員が居ないんですが、どうしましょうか?」
と向こうのキャプテン・後藤さんが訊いているが、審判の高校生も不確かなよう。
するとこの試合を見ていた社会人のチームの人が出てきて
「バスケットボール規則21.1。プレイできる選手が1人になってしまったら没収試合。それまでは試合は継続できる」
と審判の子に教えた。
「ありがとうございます。それでは白チームはそのまま4人でプレイを続けてください」
それで試合は再開されたが、4人対5人では、絶対的に4人側は不利である。どんどん点差が縮んでいく。あと4点で追いつく所まで行くが、揚羽が頑張ってこちらの制限エリアに飛び込み得点して6点差にする。
司紗とソフィアがアイコンタクトする。
ボールを審判からもらった司紗が密かにセンターライン付近まで移動していたソフィア目掛けてロングパスを出す。ソフィアはかなり足が速い。虚を突かれた向こうの選手の中でいちばん向こうに居たキャプテン後藤さんが必死に追いかけていき、手を伸ばしたら、ソフィアを押す形になった。
「あっ」
ソフィアが転びそうになった所をすんでで持ち堪えたものの、ボールは向こうに飛んで行った。
審判が笛を吹く。手首を握って頭上に掲げている。
いわゆるファストブレイク妨害であり、アンスポーツマンライクファウルを取った。これがアンスポになることは2008年競技規則で明記された。オートマティック・アンスポとも呼ばれる。後藤さんが青い顔をして手を挙げている。
「ファイヴ・ファウルで退場」
と告げられる。彼女もこれが5つ目だった。後藤さんも退場になってしまい、相手チームは3人になる!
キャプテンが退場になったので毛利さんがキャプテンマークを付ける。しかし3人対5人では全く勝負にならない。この後はローキューツ側が一方的に攻める展開になってしまった。
第4ピリオドになると更に1人毛利さんも退場をくらって、揚羽ともう1人真田さんの2人だけで戦う形になった。真田さんがキャプテンマークを付ける。しかし2人だけで頑張る。
バスケットの規則ではとにかく2人いれば試合継続可能だし、勝手に放棄するのは制裁対象になる場合もある。
それで結局55-80で決着した。
たった2人で最後まで頑張った揚羽と真田さんに観客から大きな拍手が送られた。
ゲーム終了後、ロビーで司紗とソフィアが揚羽たちに声を掛けた。
「ほんと最後まで頑張ったね」
と司紗。
「ファウルが多くてごめんねー」
と途中で退場になった向こうのキャプテン後藤さん。
「欠席者とかで5人になっちゃったの?」
「いや元々5人しか居ないチームで」
「あらら」
「その1人が先週辞めて4人になっていた所を、ちょうど知り合いの原口さんと遭遇して、今フリーだと聞いたから、今日は助っ人に入ってもらった」
「あっちゃん、助っ人だったんだ!?」
明らかに揚羽がいちばん強かったのに、最後までキャプテンマークを付けなかったのはそのせいかと司紗は納得した。
「実は今4人だけど、その内2人は3月で卒業で就職内定していて退団するんで私と真田さんの2人だけになっちゃうんだよね」
と後藤さんは言っている。
「ね、ね、いっそのこと、うちに合流しませんか?」
と玉緒が提案した。
「でもそちら日本代表とかが入ってるチームでしょ?出番があるかな?」
「だからこういうオープン大会とかに出る要員が必要なんですよ」
「なるほどー!」
「うちに入れば、お給料とかは無いけど、バスケ協会の会費、ユニフォーム代、遠征の交通費・宿泊費・食費、スポーツ保険は全部チームから出るし、練習場所の体育館に置いてあるおやつや飲み物は食べ放題・飲み放題だよ。体育館は貸切りだし住宅街から離れているから24時間365日利用可能」
「それいいな」
「でも会費が毎月5万とか言わないよね?」
「会費は毎月1000円」
「まあ実質月1度くらい開いている女子会の費用」
「スポンサーとかいるの?」
「そうそう。年間500万くらい支援してくれている」
「すげー!」
「だったら入ってもいいかな」
と後藤さん・真田さんは顔を見合わせている。
「あっちゃんも入るよね?」
と司紗。
「え?え?」
と揚羽が言っている内に、後藤さんと真田さんが
「じゃそちらに入る」
と返事した。
それで司紗は
「じゃ、後藤さん、真田さん、あっちゃんは4月からうちのチームに合流ね」
と言い、揚羽は、なしくずしにローキューツに参加することになってしまったのであった!
「ところで《晩餐》というチーム名の意味は?」
「フランス語のvingt-cinq ans(ヴァンサンカン, 25歳)から」
「創立者が25歳の人3人だったから」
「その人たちは全員辞めて、私たち20歳世代だけが残っていた」
「なるほどー」
同じ2月12日、千葉市内の体育館で千葉県冬季クラブ大会で予選リーグが行われた。現時点で千葉県内の女子クラブチームが6つなので、3チームずつ2つのグループに分かれ、総当たりでリーグ戦をして、1・2位のチームが来月の決勝トーナメントに進出することになる。
こちらは千里や誠美など強烈すぎるメンバーが出場したので2試合とも大勝。グループA1位で予選リーグを通過した。
シェルカップに出たBチームのメンバーの大半はそのまま解散したのだが、浩子と玉緒・司紗・ソフィアの4人、それに揚羽と《晩餐》から加入することになった後藤真知と真田雪枝を加えて合計7人は、夕方、Aチームのメンバー(一部はバイトなどの都合で離脱)と千葉市内のファミレスで会った。
「揚羽、久しぶり〜」
と言って、千里が揚羽とハグする。揚羽は薫とも握手する。
「ハグと握手の違いは?」
と玉緒から質問が出る
「たぶん性別の違い」
と司紗が言うと、薫が苦笑いしている。
「ん?」
「そうだね。私は戸籍上男で、薫は戸籍上女だから」
と千里が言うと
「意味が分からん」
と言われた。
「そうか。2人対5人になったのか」
「2人残っていたら試合続行というルールは知らなかった」
「ゲームを始める時には5人居なかったら没収試合なんだけど、いったん5人で始めた後は2人以上いる限り続行可能」
「あ!最初は5人必要なんですか!」
「まあでも無茶だよね。対抗できる訳が無い」
「でも私2人対5人の試合知ってる」
と千里は言った。
「どういう試合?」
「高梁王子が一昨年の春、留学先から一時帰国してE女子高のバスケ部の子と顔合わせしたんだよね。ほぼ2年前だね」
「うん」
「その時、王子と彼女の親友・平野弓恵の2人vsE女子高のレギュラー5人とで2:5の試合をした」
「へー。高梁さんなら、それでも結構何とかなったかも」
「結果は高梁・平野ペアがダブルスコアでレギュラー5人組に勝った」
「うっそー!?」
「いや、高梁王子なら、そのくらいやるかも」
とソフィアが言う。
「まあ強すぎるよね」
「1人ではパスが出せないから、やはり最低2人なんだよね。平野さんも結構強いし、2年前のE女子高レギュラー相手なら、やむを得ないだろうね。その試合の敗戦のショックから雨地月夢(あまちるな)は覚醒したと言っていた」
「わぁ・・・」
「だから後藤さん、真田さんも覚醒しなよ」
と千里は言う。
「なんかやる気が湧いてきた」
と真田さん。
「待って。今微妙に誤魔化された気がする。覚醒したのは5人の方じゃないですか」
と後藤さんは言った。
「まあ揚羽ちゃんが覚醒するかもね」
と麻依子が笑いながら言った。
2012年2月15日。
日本バスケット協会は、ロンドン五輪に出場する国を最終的に決める世界最終予選に出場する女子日本代表の候補者20名を発表した。
昨年のアジア選手権の代表候補が中心になっている。
PG 羽良口英子(1982) 武藤博美(1983) 富美山史織(1981)
SG 三木エレン(1975) 花園亜津子(1989) 村山千里(1991)
SF 広川妙子(1984) 佐藤玲央美(1990) 早船和子(1982) 佐伯伶美(1986) 千石一美(1986)
PF 横山温美(1983) 高梁王子(1992) 月野英美(1986) 吉野美夢(1984) 宮本睦美(1981)
C 馬田恵子(1985) 黒江咲子(1981) 中丸華香(1990) 石川美樹(1986)
ヘッドコーチはドイツ人のジーモン・ハイネン(74)と発表された。
千里はこのヘッドコーチの人選に物凄い不安を感じた。
そもそも名前を聞いたことが無い!
それにドイツはバスケットがあまり強い国ではない(この当時の世界ランキングで男子18位、女子はランク外)。更に74歳という年齢にもかなりの不安を感じる。大丈夫か?試合の途中で心臓発作とか起こしてくれるなよ?
女子の最初の合宿は3月14日から行われるということであった。
《しーちゃん》が女装して!ケイの代理を務めているローズクォーツのツアーは続いていた。
2.3(金)那覇 5(日)福岡 8(水)広島 9(木)金沢 11(土)名古屋 12(日)大阪 15(水)札幌 16(木)仙台 18(土)東京 19(日)横浜
客の入りが悪いのはもう諦めるしかないと《しーちゃん》も開き直りの気分になってくる。それにしても何か移動がハードすぎないか?などとも思う。
最初の東京→那覇→福岡は飛行機で移動であるが、その後広島へは高速バスでの移動と聞き驚く。金沢へは新幹線+サンダーバードを使っているが、名古屋へはまた高速バス(「時間的にJRと大差無い」と須藤は言っていた)、大阪へは近鉄電車、札幌へは(神戸から!)飛行機を使っているものの、札幌から仙台へは急行はまなすと新幹線の乗継ぎになっている。
大阪で公演があったのにわざわざ神戸に移動してから北海道に飛んだのは安いスカイマークを使うためである。
青森・新青森間は特急・津軽2号の自由席に乗った。ケチの須藤さんにしてはたった1区間によく特急を使うなと思ったら、タカによるとこの区間の自由席は無料で乗れるらしい!
なるほど。無料で特急に乗れるから、特急に乗せてくれたのか!と須藤さんの発想がだいぶ分かった気がした。
なお、高速バスを多用していて機材を持ち歩けないので、楽器やPAは全て現地調達である。須藤は各々の地区で安く(あるいは無料で!)楽器を借りられる所を熟知しており、それについてはもう感心していた。
もっとも“ケイ”は大学の試験直前で、可能な限り東京に戻ることになっていたので、《しーちゃん》はかなり楽をすることができた。
■ツアールート(◎全員 #タカたち ★ケイの建前 ☆しーちゃんの実際)
◎羽田 2/2 6:25(SKY511)9:25 那覇 (2/3 Live)
#那覇 2/4 10:45(SKY502)12:20 福岡 (2/5 Live)
★那覇 2/4 8:00(ANA120)10:10羽田(東京滞在)羽田2/5 11:30(ANA251)13:25福岡
☆那覇 2/4 9:40(ANA482)11:15福岡
ケイは東京と往復して来たことになっているが《しーちゃん》は直行している。
#博多駅BC 2/6 7:30(広福ライナー)11:25広島BC (2/8 Live)
★博多 2/5 22:20-22:41小倉(泊)北九州 2/6 5:30-7:00羽田/東京 2/8 12:30-16:38広島
☆博多 2/5 22:20-22:41小倉(3泊)小倉 2/8 15:47-16:36広島
スペースワールドに行ったりしてのんびりと“休み”を楽しんだ。
◎広島 2/9 6:00-7:25新大阪7:45-10:25金沢 (2/9 Live)
#金沢駅東口 2/10 6:30(北鉄バス)10:28 名鉄BC(名駅) (2/11 Live)
★金沢駅東口 2/9 22:00(JR.ドリーム金沢号)2/10 6:13東京駅/東京 2/11 15:10-16:51広島
☆(金沢2泊)金沢 2/11 13:45(しらさぎ10)16:48名古屋
冬の兼六園を見たり、金沢カレーの食べ歩きなどを楽しんでいる。
◎近鉄名古屋 2/12 5:30-6:42伊勢中川7:03-8:45大阪上本町 (2/12 Live)
#(大阪2泊)神戸 2/14 7:35(SKY171)9:25 新千歳 (2/15 Live)
★新大阪 2/12 22:30-23:20名古屋(泊) 2/13 6:20-8:13東京/羽田 2/15 14:00(ANA67)15:30新千歳
☆(大阪3泊)関空 13:40(ANA1715)15:30新千歳
お好み焼き・たこ焼き・イカ焼き・明石焼きと食べて「ボク食べ過ぎ?」と少し悩んだ。海遊館にも行って来た。そろそろ暇をもてあまし始める。
◎札幌 2/15 22:00- 2/16 5:40青森5:46-5:51新青森6:10-7:47仙台 (2/16 Live)
#仙台駅東口 23:50(ドリームササニシキ) 2/17 5:11 東京駅 (2/18 Live)
★仙台 2/17 21:48-23:44東京(後述)
☆仙台 2/17 21:48-23:44東京(後述)
ローズクォーツと一緒に宿泊したのは、2/2-3の那覇、2/8の広島、2/11の名古屋、2/15のはまなす車内であるが、宿は全部ツインで1泊4000円くらいの格安ホテルであった!(部屋割はタカ・サト/マキ・ヤス/須藤・ケイ)
《しーちゃん》は須藤さんとずっと一緒にいるとさすがに代役がバレそうだったし、心が男の子なので女性と同室になることには心理的抵抗があったので
「曲の構想を練っています」
と言って夕食後出かけ、早紀(丸山アイ)から預かっているクレカを勝手に使って別のホテルに泊まっていた!。
はまなすについては自由席で、空いている席が少なく須藤とは離れた場所に座ったので助かった。タカが何度も来て、お弁当だけでなく、おやつやビールまでくれるので、マメな人だなと思った。
その夜の座席は隣が結構セクシーな雰囲気の女子大生っぽい子であったが、4000歳にもなれば今更女子大生の色香に迷うこともないので普通に熟睡していた。
でも朝目が覚めたら彼女が《しーちゃん》の膝に頭を乗せていたので、さすがにギョッとした!一瞬“立った”感覚もあったが、残念なことに立つ物が存在しなかったので実際には何も起きなかった。
ちなみに《しーちゃん》は女の子になりたい気持ちは(多分)無いのでトイレは立ってすることが多い。女の子に擬態している時はちんちんが無いが(*1)、WhizというSTP(女性用立ちション補助具)を使っているので困らない。Whizはトラベルメイトなどと同様“おちんちん”に“パック”して、あたかもおちんちんからしているように偽装可能だが、《しーちゃん》は別に男の子になりたい訳でも無いので、“おちんちん”は携帯せずに、Whizのみを下着のポケットに入れて持ち歩いている。
(*1)ちんちん付きの女体にもなれるのだが、女の身体でちんちんが付いているのは《しーちゃん》の美意識になじまないらしい。
さて、ローズクォーツがツアーで飛び回っていた時期、ケイ本人は新担当の氷川さんと話し合いながら、ローズ+リリーの2つのアルバム
『Month before Rose+Lily, A Young Maiden』
『Rose+Lily after 1 year, 私の可愛い人』
に関する作業を進めていた。ケイはだいたい大田区のマンションに籠もっていて、電話で氷川さんと話している。この2つのアルバムの伴奏は元々ケイが高校時代に打ち込みで作っているのだが、一部はケイが生ギターや生ヴァイオリンを弾いている。
「正直発売して欲しいと言われている時期までにあまり時間が無いから、これをあらためて生バンドで演奏するとなると、1つのアルバムに3ヶ月、2枚で半年以上掛かると思うんです。マリさんがかなりやる気を出してきているから、この2枚は、畳み掛けるように発売した方がいいと思うんですよね。そして生バンドの伴奏で音作りをするのは、今年のアルバムに集中した方がいいと思います」
と氷川さんは言う。
「そうなんですよ。そちらの企画も進んでいるから。高校時代のアルバムに陽が当たるのはいいんですが、そちらではあまり手を取られたくないと思ったんです」
「するとこの2枚のアルバムは、ケイさんが既に作っている、ナチュラルなサウンドをそのまま活かした方がいいと思うんですよ。アヴリル・ラヴィーンっぽい音作りですよね」
と氷川さんは言い、ケイも
「その方が嬉しいです。ローズクォーツに伴奏してもらうと、ロックになっちゃうという問題もあるんですよ。アヴリル・ラヴィーン、私も好きです」
と言った。
しかしマンションは快適であった。ただ不思議なのが食事などのお世話をしてくれる芙貴子さんである。声を掛けると来てくれるのだが、どこにいるのか存在感が希薄なのである。いわゆる“透明な人”かも知れないと冬子は思った。自分もわりとそういう“透明な人”と子供の頃思われていたが、それがきっと徹底しているのだろう。
冬子は作曲・編曲の作業をしながら唐突に京華が言っていた「自動オナニーマシン」とか「自動去勢機」というのが気になった。
部屋の中を見回すと、棚の上に"Automatic Masturbation Machine(F)"と書かれた赤い箱があるのに気付く。
それか!
その隣には同じく(M)と書かれた青い箱、(F+M)と書かれた黄色い箱があり、その更に横に"Automatic Castration Machine(M)"と書かれた黒い箱が並んでいた。
それを棚の近くで眺めていたら
「そちらの機械、下ろしてみせましょうか?」
と声が掛かり、ギョッとする。
芙貴子である。
近づいて来た気配が全く無かった!
「いえ、単にちょっと箱の文字を読んでいただけなので」
「一見の価値がありますよ」
と言って、芙貴子は脚立を持って来て、それらの箱を下ろした。
「こちらが男性用自動オナニー機です」
と言って、青い箱を開けると中にはビニールに入った卵状のものが入っている。
「これテンガ・エッグに似てる」
「はい。テンガエッグに自動で動くユニットを取り付けたものです」
「なるほどー!」
「物凄くうまい刺激をするので、自分はEDだと思っている人でも結構射精に至ることが多いそうです。使って見られません?」
「いえ、テンガに入れられるものを持ってないので」
「こちらが女性用です」
と言って赤い箱から取り出して見せるのは・・・
「ローター?」
「はい、ローター2個セットです。ケーブルが長いので片方は奥まで入れられますよ。脈拍計付きなのでこちらの興奮状態に合わせて刺激が自動調整されます。普通のローターで逝けない人でもこれなら逝ける確率が高いそうです。試してみられます?」
「いや、大丈夫です」
「そしてこちらがふたなり用」
と言って黄色い箱から取り出したものは・・・・
「テンガとローターが合体したものか」
「そういうことです。双方の震動具合をこちらのバランサーで調整できるので男性器メインの刺激、女性器メインの刺激もできます。ふたなりの人はクリちゃんが無いのでローターは1個でいいんです」
「なるほどね〜」
「ちなみにふたなりでない普通の男性がこれを使ってローターをあそこに入れた場合、あそこはヴァギナほどは湿潤していないため取り出せなくなるのでご注意ください。これはあくまで本物のふたなりの人向けのものです」
「あはは」
「そしてこちらが自動去勢機です」
と言って黒い箱の中身も見せてくれる。
「これは・・・」
「こちらに男性のペニス、ここに陰嚢を押し込み、外れないようベルトで身体に固定します。こちらのボタンとこちらのボタンを同時に押すことによって起動します。最初は性器に強い刺激が与えられとても気持ちいい快楽を感じるそうです。そして射精した次の瞬間切断されます」
「ひぇー!」
その話を男性が聞いたら思わずあそこを手で押さえそうだ。
「快楽の頂点で切断するのが良いのだそうです」
「マジ?」
「麻酔も注射されるから、切断の瞬間以降は痛くないそうです」
「切断してから麻酔するの?」
「そうしないと最高の快楽を感じられないので」
「射精して麻酔してから切断という訳には?」
「タイムラグがあると躊躇してしまうんですよ」
「あぁ・・・」
「男なら思いきって切っちゃいましょう」
「この機械を使いたいと思う人は既に男ではない気がするけど。切断後の傷口は?」
「自動的に縫合されて、大陰唇・小陰唇が形成されます。その際に陰嚢の皮膚が使用されます。30分後には女の子のような股間が獲得できます」
「へー!」
「クリトリスやヴァギナが欲しい人は別途お医者さんに手術してもらうということで」
「ヴァギナは無くてもクリトリスは欲しい気がする」
「そうおっしゃる方が多いですね。今後の課題だそうです」
「あれ?でもこれ片手では操作できないようになってる?」
「はい。覚悟を決めて両手で同時に押さないと動きません。試してみられます?」
「いや、私もう男性器は取っちゃったから」
「それは残念でした」
と芙貴子は本当に残念そうに言った!
16日朝、この日はローズクォーツは札幌から仙台へJRで移動していると聞いたのだが、冬子は自分がまとめたデータを氷川さんに渡したいと思った。アルバム制作の日程はかなり厳しいので、あまり遅らせたくない。そこで誰か音楽業界に疎そうな友人に仲介を頼もうと思った。
楠本京華は最初に考えたが、彼女は、おそらく裏工作が大好きな丸花社長か誰かの指示で、冬子に便宜を図ってくれているだけだと思っていた。自分の代役の歌手というのも、恐らくどこかで顔や声質の似た子を見つけてリザーブしてくれていたものだろう。自分に休養を与えてくれているだけでも助かっているのに、こちらの仕事の補助までしてもらうのは申し訳無い。
(冬子は昨年夏に岐阜から苗場に瞬間移動した問題はもう忘れている。忙しくて精神的に疲れていたし、あまりにもあり得ないことだったので、夢か何かと混線しているのだろうと納得してしまっている)
それで冬子はクロスロードの友人に頼もうと考えた。
しかし誰に頼むか?
まず小夜子を否定する。彼女はローズ+リリーのファンになっているようだ。18日東京公演のチケットも買ったなどと言っていた。自分が今仙台にいることになっていることを知っているだろう。
和実を否定する。あの子は霊感が強すぎる。絶対何か異常な事態が起きていることに気付く。
淳は忙しそうである。あきらも美容室があるから東京には出てこられない。となると、桃香か千里あたりが使えそうな気がする。桃香は洋楽にしか興味が無い。ローズクォーツの動きなんて知る訳が無い。ただ桃香の問題点は必ずしも口が堅くないことだ。16日午前中に自分と東京で会ったことを他人に言いかねない。
それで冬子は千里に電話した。
あの子は口が堅そうだし、音楽にはあまり興味無いようだし、霊感とかも若干はあるようだが、そう鋭い訳ではないように見える。
幸いにも千里は用事があって都内に出てきているということだった。
「今どこに居るの?」
「ここは江戸川区なんだよ。冬は?」
「私は大田区なんだよね」
「だったら、新橋駅あたりで会わない?東京駅でもいいけど広すぎるし」
「新橋なら好都合。実は私が渡したデータを持って青山ヒルズに持って行って欲しいんだよ」
「ああ、だったら新橋から銀座線に乗ればいいね」
千里って千葉に住んでいるのに東京の交通に強いみたいだなと冬子は思った。東京の地下鉄は無秩序に伸びているので、交通網のトポロジーは都内に住んでいる人間でもサッとは思いつかない。
ともかくも、それで冬子は京浜東北線で新橋に出て、銀座線の改札口の所まで行った。するとそこに地下鉄側で既に千里が来て待っていた。冬子は改札越しにハードディスクの入ったバッグと交通費・手間賃に2000円を千里に渡した。
「このくらいの交通費はいいのに。じゃ届けてくるね。ヒカワさんだったね?」
「うん。よろしく」
それで千里は地下鉄の方に戻って行った。
冬子はまた大田区のマンションに戻ろうと、京浜東北線乗り場の方に向かおうとしていた。そこで何とバッタリとその氷川さんに遭遇してしまう。
「おはようございます」
と氷川さんは笑顔で挨拶する。
「おはようございます」
と冬子は挨拶しながら、ここに居ることを何て言い訳しようと焦った。
しかし氷川さんは
「インフルエンザが流行ってますから、あまりこういう人混みには来ない方がいいですよ」
とだけ言い
「では、また」
と言って、銀座線改札の方に行ってしまった。この件に付いて冬子は後から何か訊かれないかと不安だったのだが、彼女は何も訊かなかった。
それで冬子は氷川さんって人は絶対的に信頼できる人だと思った。
なお、音源の入ったデータは千里が★★レコードの受付で氷川さんを呼び出してもらおうとしていた所に当の本人が到着し、受付の所で渡して帰ったらしい。
むろん千里も冬子と都内で会ったことは誰にも言わなかったようである。それで冬子は千里を仲介役に選んで正解だったようだと思ったのであった。
さて新橋駅から京浜東北線に乗り、蒲田駅で降りた冬子は改札を出てマンションに戻ろうとした。ところが改札を出た所で政子と遭遇してしまう。
今日は何て日なんだ!?
政子はケンタッキーの袋を持っていた。
「あれ?冬、秋田かどこかに行ってたんじゃないの?」
「急用があっていったん東京まで来たんだよ。この後仙台に行く」
「あ、だったら私も一緒に仙台に行く。ゲリラライブしようよ」
「でも夕方からローズクォーツのライブがあるんだけど」
「その前までやればいいよ。どっちみちリハーサルとか無いんでしょ?」
須藤さんはリハーサルが嫌いなのである。
「じゃそれでもいいかな。でもマーサは何しに蒲田に来たの?」
「ケンタッキー買いに出て迷っちゃった。でも駅を出た所にケンタッキーがあったからラッキー☆と思って買ってきた」
「マーサ、どこに居たんだっけ?」
「冬のマンションに居たよ」
なぜケンタッキーを買うだけでこんな所に来る?戸山のマンションからなら、大江戸線で2駅乗って新宿西口で降りれば、新宿駅南口の所にお店がある。冬子はどうすれば戸山近辺の駅からここまで流れて来られたのか考えたが分からなかった。
政子の行動を理論的に考えること自体が無意味な気もする!
それで冬子たちは蒲田から京浜東北線で東京駅に移動。大手町駅まで歩き、東西線で早稲田まで行ってマンションに戻り、楽器を取ってから再度東京駅に行って新幹線で仙台に向かった。チキンは8ピースパックが2つだったのだが、福島に到着する前に全て無くなった。冬子も2本もらった。
仙台では、政子が牛タンを食べたいというので、お店に入って牛タン定食を食べる。それから町に出て、ゲリラライブをした。
11:56東京発の新幹線に乗り、13:37に仙台に着き、牛タンを食べてから14:30頃から16:30頃まで仙台市内の3ヶ所でゲリラライブを敢行した。それで政子にはそろそろライブ会場に入らないといけないからと言い、仙台駅で切符を買って政子に渡し、見送る。ちゃんとマンションまで辿り着けるか、若干の不安はあるが、まあ何とかなるだろうと思う。
その後、市内でラブホテル!に入って仮眠した後、ライブが終わるくらいの時間を見計らって、仙台駅に行く。そして新幹線の切符を買って改札を通ろうとしたら、バッタリと長野支香に遭遇した。
今日はなんてたくさん知り合いに会う日なんだ!
「ライブ終わったの?」
「先ほど終わりました」
「東京に帰るんだっけ?」
「はい」
ライブ終了後、他のメンバーは今夜の夜行バスで東京に戻ることになっていたのだが、冬子は17日早朝のラジオ生番組に出演することになっていたので、ライブが終わったらすぐにひとり別行動にして最終新幹線で東京に戻ることにしていたのである。だからこの新幹線に乗って問題無い。ただもしかしたら同じ新幹線に自分の代役さんも乗っているかもという気はした。
「じゃ少し話そうよ」
と支香が言う。
正直、冬子は春風アルトさんに対する義理もあるので、上島雷太先生の愛人とあまり話したくはなかった。
スキャンダル写真の上島先生のキス相手をマスコミは特定しきれなかったようだが、冬子は支香だと知っていた。他に知っているのは恐らくアルトさんや雨宮先生くらいでは?と冬子は思った。
しかしここで断るのも波風立てるしと思い、冬子は結局グリーン車の並びの席に座った。
(《しーちゃん》は実は同じ列車の普通指定席に乗っていたので、両者はかち合わなかった)
支香は、上島先生とは別れたこと、そして響原部長の所に自分の事務所社長と一緒に謝罪に行き、半年間の芸能活動自粛を約束したことを語った。なお今回の直接的な損害額(約2000万円)は既に上島先生が支払ったらしい。
「こちらへはお仕事ですか?」
と冬子は最初、無難な話から始めた。
「ううん。母ちゃんがしばらく入院しないといけないから、その手続きに来た」
「お母さん、ご病気ですか?」
「まあ、あちこちガタが来てるからね〜。そもそもはやはり姉貴が死んだ時にショックで倒れてさ。母ちゃんは、姉貴を凄く可愛がっていて、私は相性があまりよくなくて放置され気味で」
「そういう姉妹って結構ききます」
「まあそんな感じで姉貴を溺愛してたから、そのショックも凄まじくて、最初は葬式の最中に心筋梗塞起こして病院に運び込まれて」
「わぁ」
「その後、糖尿を発症して、目も白内障になってこれは両目とも手術したし、更年期障害が一気に出てきて、ホルモン補充療法とかもやってたけど、これは糖尿を悪化させるんだよね」
「難しいですよね、それは」
女性ホルモンは血糖値を上昇させる。だから女性ホルモンを錠剤や注射などで摂っている人は食事のカロリーコントロールをして適度に運動もして血糖値に注意する必要がある。
自分も女性ホルモンを小学生の頃から摂っていたから、カロリーオーバーしないように、かなり医者から言われていたよな、と冬子はもう10年くらい前のことを思い出していた。
「まあその後は病気の百貨店状態だよ」
「ああ」
「今回は肝機能が低下しているから2〜3ヶ月入院させて様子を見る。だいたいあの人、食生活に問題があるからさ。色々注意するけど、わがままで言うこと聞かないんだよ」
「それは困りますね」
「まあ入院したら、厳しく食事管理されるからね」
「大変でしょうけど、頑張ってほしいですね」
「私が言っても聞かないから、今度孫に注意させに行かせるよ」
「ああ、お孫さんから言われたら聞くかも」
と言いつつ、冬子はお孫さんって、誰の子供だろうと思った。ワンティスのメンバーの中で上島先生・雨宮先生は長い付き合いなので個人的なことも多少把握していたが、夕香・支香の姉妹についてはあまり知らなかった。支香に子供がいるという話は聞いたことないので、ふたりの他にもきょうだいが居たのかな?
「お孫さんって何歳くらいなんですか?」
「まだ小学生だけど、しっかりしてるんだよね」
「へー。男の子ですか?」
「そうだなあ。去年は学習発表会で白雪姫やってたけど格好良い白雪姫だった」
「御免なさい!女の子でしたか」
と冬子が言うと、なぜか支香は笑っていた。何?何?と思う。
「そういえば上島先生とは長かったんですか?」
と冬子は聞いてみた。
支香は苦笑いしたもののこう答えた。
「恋人関係になってからはそう長くない。ただ・・・」
と言って、支香は口ごもる。冬子も無理には聞かない。
「そういえばこんなものが出てきたんだよ」
と言って支香はボールペンを1本出して来た。
「母ちゃん入院させるのに部屋の中のものを整理していたら唐突に出てきた。姉貴がいつも詩を書くのに使っていたボールペン」
と支香は言う。
「夕香さんも詩を書いておられたんですか?」
と冬子は意外に思って訊いた。
「元々は高岡さんが大学生時代に使っていたものなんだけど、姉貴が譲り受けたんだよね」
「へー!」
「でも私はほとんど詩とか書かないからさ。たくさん詩も曲も書いている上島にケイちゃんから渡してやってくれない?その方が姉貴も高岡さんも喜ぶ気がしてさ」
そう言って支香はボールペンをこちらに差し出す。冬子は一瞬考えたものの
「では取り敢えずお預かりします」
と言って受け取り、バッグの中に入れた。
「でも夕香さん、詩を書いていたのなら、それをシングルのB面とかにでも入れたりしても良かったのに」
と冬子は何気なく言った。
すると支香は一瞬何かに怒ったような表情をした。
え?と思っていたら、支香はしばらく沈黙した後で言った。
「これ誰にも言わないでよ」
「はい。私は言わないでといわれたことは、絶対に他人には言いません」
「ワンティスの歌詞は高岡さんが書いていたことになっているけど、実際は姉貴が全部書いていたんだよ」
「え!?」
「例の事故があった夜も、姉貴はこのペンで『疾走』を書いた。その後、高岡さんとドライブに出かけて事故死した」
「・・・・」
「初期の頃は高岡さんが書いていた。ところが彼は作品が売れていくにつれ、自分の書いた作品が多くの人に聴かれているというプレッシャーに耐えられなくなった。それで物凄いスランプに陥ってしまった」
その怖さは自分もある時期感じたなと冬子は思った。自分が作った作品を日本中で自分が会ったこともない何百万もの人が歌っている状況というのは、物凄く恐い。
「それで高岡さんは、全く詩が書けなくなってしまった。でもワンティスの作品を出さなければいけない。それで姉貴が歌詞を書いて高岡の名前でリリースした。元々高岡さんと姉貴は大学の文芸サークルで出会ったんだよ。だから元々ふたりとも詩を書いていた。少し傾向が違うけどね」
「でもでも、なぜそれ夕香さんの名前で公開しなかったんです?わざわざ高岡さんの名前を使う意味が分かりません」
「事務所の社長が、高岡の名前でないと売れないから、高岡の名前にしてくれとレコード会社の担当から言われたと言って。それで姉貴としては高岡と結婚するつもりだったから、どちらの名前でもいいと思って同意した」
「そんな無茶な。だったらワンティスの曲の作詞印税は夕香さんが受け取っていたんですよね?」
「高岡が受け取っていたよ」
「おふたりが亡くなった後は?」
「高岡のお父さんが受け取っている」
「夕香さんのお母さんには?」
「一銭も行ってない」
「非道い」
「その件については私も細かい事情はよく分からないんだけど、こちらに印税が全く払われないのが申し訳無いと言って上島がずっと私たちの生活資金や、母ちゃんの病気の治療費を出してくれていたんだよ」
「そんなことが・・・・」
「だから私と上島は最初からつながりがあった。私は上島には本人のせいではないのにずっと経済的な負担をしてくれていることに感謝していた。それはいつしか愛情に似たものになっていった」
「・・・・」
「でも恋愛はきっちりやめようと上島と話し合った。経済的な支援も断ると言った」
「それでは、支香さんやお母さんの生活が困るのでは?」
「それは何とかするよ。芸能活動禁止だから、どこか工場のパートでも探そうと思っている。私、へたに顔が売れてるから、ファミレスとかコンビニでバイトしたら、騒がれてお店に迷惑掛けるだろうしさ」
「それは大変ですね」
と言って、冬子は少し考えて言った。
「差し出がましいですけど、私に上島先生と話をさせてもらえませんか?」
「話しても仕方ないと思うけど。だって私への経済支援なんて、アルトさんが絶対に許してくれないよ」
「でも話をするだけはいいですか?」
「まあいいけどね」
と言って支香は難しい顔をした。
2月17日“朝4時”。
冬子は自分のフィールダーを運転して行き、上島先生の御自宅を訪ねた。
敢えて何の連絡もせずに、わざわざこんなとんでもない時間に行ったのだが、先生はご在宅で、中に入れてくれた。
「済みません。ちょっと先生に仲介を頼まれたものですから」
「何だろう?」
と上島先生は早朝の来訪に当惑しているようである。しかしアルトさんが紅茶を入れて
「何も無いですけど」
と言ってシュークリームを出してくれた。
「非常識な時間とは思ったのですが、私、この後、放送局に行かないといけないもので。実は昨日は仙台でライブやってて、今東京に戻ってきたんですよ」
「ああ、時間は気にしないで。雨宮さんなんか夜中の2時や3時にふつうに訪ねてくるし」
とアルトさんは笑顔で言っている。
まあ雨宮先生は時間感覚が崩壊しているよなと冬子も思う。蔵田さんとかもだけど。
「もしかして自分で車を運転して戻ってたの?」
と上島先生。
「ええ。ライブが終わった後、少しホテルで仮眠してから走って来ました。それで実は昨日のライブの時に、偶然高岡さんの“ご遺族”と会いまして」
と冬子は言った。
嘘は言ってないよなと思う。支香は高岡さんの奥さんの妹だ。充分遺族である。
「高岡の!?」
「それでこれを言付かったんです」
と言って冬子は青いボールペンを出した。
上島先生はそれを見てギョッとしたようであった。しかし受け取ると触っている。
「高岡が使っていたボールペンだ」
「創作に使われていたものだそうですね」
「うん。あいつこれを使うといい詩が書けるようだったよ」
「それで自分たちの手元にあっても仕方ないから、盟友だった上島先生に渡して欲しいと言われたんです」
上島先生はしばらく考えていたようであった。
「このボールペン、ケイちゃんとマリちゃんで使ってくれない?」
「はい?」
「多分ね、このボールペンは女性が使った方が良い作品を生み出す」
「へー!」
それはそんな気がした。だから高岡さんよりも夕香さんがたくさん使ったんだ。
「『疾走』みたいな良い作品を書いてよ」
「分かりました!」
と言って冬子はそのボールペンを受け取った。
このボールペンを冬子と政子は《青い清流》と呼ぶようになる。
冬子は上島先生がここで『疾走』の名前を出したことで、先生は支香さんを支援する用意があるなと感じた。
上島先生はごくさりげなく言った。
「でもケイちゃん、車を運転して戻ってきたのなら、途中何か食べた?」
「いえ。まだどこもお店がしまっていたんで、食べ損ねたんですよ」
すると上島先生はアルトさんを見て言う。
「茉莉花、この子に野菜炒めか何かでも作ってあげてくれない?」
「うん」
と笑顔で答えて、アルトさんは台所へと向かった。
その背中を見送って先生は小声で冬子に尋ねた。
「支香と会ったの?」
「はい。単刀直入に。支香さんはもう先生と会ったりしないこと、そして騒動の責任を取って半年間、芸能活動を謹慎することになったと言っておられました」
「うん、聞いた」
「でもそうなると支香さんの生活が成り立ちません。支香さんは病気のお母さんも抱えておられます。不倫問題は不倫問題として、本当に私がこんなことを言う筋合いではないし、そんなことを言えるような立場でもないのは分かっていますが、何とか経済的な支援だけでも、続けて頂けないでしょうか?」
と冬子は真剣な顔で言った。
「うん。それはそのつもりでいた」
と上島先生が言ったので、冬子はホッとした。
「ただどういう形で支援しようかと悩んでいたんだよ。今回の件で実は支香への送金に使っていた口座がアレにバレてしまった。新たな口座を今作るのは、今は警戒されていると思うから難しいし」
アレというのはアルトさんのことである。確かに新規の口座を作ればそこから郵便で連絡が入る。その郵便は真っ先にアルトさんが見るだろう。
「先生は隠し子さんがおられますよね」
「いるけど・・・」
「そのお子さんに送金なさってますよね」
「うん」
「そのお子さんのお母さんの誰かに協力してもらって、そちらから送金してもらうことはできませんか?その人への送金額にプラスしてあちらへの送金をするとか。増額がバレそうなら、取り敢えず年間の支援額を、秘密を守ってくれる人、たとえば雨宮先生あたりに仲介をお願いして現金で渡す手もあると思います」
「なるほどそれは使える。いや、そういうのに協力してくれそうな子はいる」
「他に下川先生とかにお願いする手もあると思いますし」
「うん。でもその仲介、ケイちゃんがやってくれない?雨宮は別の意味で信用できん」
「あぁ」
雨宮先生は絶対その女性に、あるいは支香さんにまで手を出すよなと冬子は思った。
「下川は堅物で融通がきかないから、この手の話を嫌がるしね。今回の件でもだいぶあいつに叱られた」
「なるほど」
「支香に言って欲しい。これは僕たちの関係とは無関係に、本来なら夕香さんが受け取るべきお金を渡しているだけなんだからと」
「分かりました。お伝えします」
それで結局、冬子は取り敢えず半年間の支援額として1200万円を上島先生が放送局に顔を出した時にさりげなく現金入りのバッグで受け取り、自分の取引銀行に行って、バッグの中に入っていたメモに書かれていた株式会社・プリゲートというところに振り込んだ。
そのプリゲートというのが、上島先生の隠し子の1人のお母さんが経営している会社らしく、その人に上島先生が話を付けてくれて、そちらから夕香さんのお母さんの口座に毎月200万円ずつ振り込むことにしたらしい。それで支香さんとお母さんの生活費、お母さんの病院代などが出るはずである。
冬子とプリゲートの社長と2つ仲介することでバレにくい送金となった。
アルトさんが野菜炒め、そしてラーメンまで作って持って来てくれたので、冬子は
「わっ、ありがとうございます」
と言って、頂いた。
ラーメンは冬子と上島先生に丼で、アルトさん自身も茶碗サイズの器に盛っている。それを食べながら、冬子はふと訊いた。それは特に意味があってそのことを訊いた訳では無かった。
「そういえば、ワンティスの★★レコードの担当さんって、どなたでしたっけ?」
すると上島先生は考えるようにして言った。
「いちばん売れていた時期は加藤銀河だよ」
「わっ。加藤課長でしたか」
冬子は加藤さんの性格でそのような名義の書き換えは考えにくい気がした。
「でも初期の頃は去年の春まで次長をしていた太荷馬武だったね」
「あの人が・・・・」
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【娘たちの仲介】(2)