【娘たちの仲介】(1)

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愛菜は両親に連れられて、その私立の小学校を訪れた。
 
「こんにちは。私はそちらのお母さんのファンだったんですよ。若い頃コンサートにもたくさん行きましたよ」
と言って、50歳くらいの若い理事長さんは笑顔で言った。
 
ああ、この人、うちの母ちゃんと同世代っぽいなと峰子は思った。
 
話し合いは、愛菜と両親、理事長・校長・教頭と養護教諭、それに新一年生を担任予定のベテランの女教師の8人で進められた。
 
「そういう訳でこの子は確かに戸籍上は男の子ではありますけど、心は完全な女の子なんです。服装も今日着ているようにスカートを穿いて、赤系統の服を好みますし、髪も短く切るのは嫌といって、このように長くしています。話し方なども女の子の話し方なんですよ」
と峰子は説明する。
 
「念のため、愛菜ちゃんの心理テストをしてもいいですか?」
と養護教諭が言う。
 
「はい。愛菜ちょっと色々質問されるの。いい?」
「うん」
 
それで2人が別室に行った。
 

「それでは戸籍上の名前も愛菜ちゃんに変更申請中なんですね?」
 
「はい。裁判所に行って、裁判官の方と色々お話しましたが、幼稚園の間2年間その名前を使っていて、本人がこれだけ女の子らしければ問題無いでしょうと言われました。正式の決定はたぶん2月中くらいにもらえると思っています」
 
また両親は愛菜の睾丸は外国の病院で除去してあること、ペニスは除去していないものの、お股の形は女の子にしか見えないと思うと言い、その付近の写真を見せた。
 
「これ本当にちんちん付いてるんですか?」
「付いています。それを切るのは大手術になるのでもう少し年齢があがってからの方がいいと言われたんです」
「なるほどですね」
 
「こちらが女の子水着を着せた写真です」
と言って、その写真も見せる。
 
「女の子にしか見えないね」
「これは思っていた以上に問題が少ない気がするね」
 
などと向こうの先生たちは言った。
 

やがて養護教諭に連れられて愛菜も戻って来る。
 
「心理テストの結果ですけど、ごく普通の女の子ですね」
と養護教諭は言い、テストのスコアなども見せる。
 
「過去に何度かMTFの子の心理テスト結果を見たことがありますが、概して女らしさが強すぎる人が多いんですが、この子の場合は、強すぎることもなく普通の女の子の平均に近いです」
 
「本人が女の子であることを確信しているという感じかな」
「そうなんです。心に余裕があるんですよ」
 

この小学校の入試はとっくに終わっていたのだが、峰子の父があちこちにコネを持っており、ある議員さんでGIDに理解のある人の仲介でこの学校を紹介してもらったのである。
 
この学校は実は1年前に当時4年生に在学していた戸籍上女の子である児童を本人と家族の希望により男児として扱うことにして、女子制服から男子制服に変えて通学するようになった。このことは学校名なども伏せて報道されていた。それで学校側に、こちらは逆に戸籍上は男の子で心が女の子というケースなのだがと言って接触した所、一度会いたいということになって、この日の面談となったのであった。
 
話し合いは愛菜同席の中で1時間ほど、更に愛菜本人は外して更に2時間ほど続けられ、愛菜はこの小学校に4月から女児として通学することができることになった。その場で入学許可証を発行してもらえた。
 
「では入学時期が迫っているので、すぐに制服を作って下さい」
「分かりました。この後、その洋服屋さんに連れて行きます」
 
なお改名が今回もし裁判所から認められなかったとしても、通称使用で愛菜の名前が使えることになった。
 
「良かったね。これであんた4月から小学生の女の子だよ」
「嬉しい!」
と愛菜はとても喜んでいた。
 

自宅からこの学校までは距離があるので、自家用車通学ということになるが、両親ともひじょうに多忙なので、誰か通学のお世話をしてくれる人が必要になる。誰か口の堅い、信頼できる人がいないか何人かの知人に聞いていたら、旧知のレコード会社の人(この人は愛菜の性別は知らない)が、運転のうまい女性がいると言って田中淑子さんという人を紹介してくれた。
 
それで直接電話で話してみたら彼女が峰子の昔のマネージャー(当時の名前は佐藤淑子)であることに気付き、双方仰天した。
 
彼女は現在は主婦で子供の手も離れつつあり、やってもよいということだったので、取り敢えず1度会うことにした。
 
峰子が芸能活動をしていたのは2000年から2005年まであるが、佐藤さんはその最初のマネージャーであった。とても優しいマネージャーさんで辛いことがあっても、彼女のお陰で何とか頑張ることができた。
 
しかし彼女は1年ほどで「結婚するので」と言って辞めていった。彼女とはその後の交流なども途絶えていたのだが、その佐藤さんの名前を聞いた時、峰子は「淑子さんなら信頼できる」と思ったのである。
 
彼女は翌日早速来てくれたが、自宅前にNSXが乗り付けられるのでびっくりする!
 
「どこか駐められる?」
「うん。ガレージ開けるね」
 
彼女はマネージャーなどの仕事からは離れているものの、実は作詞者をしていて、主婦をしながら年間3万kmは走って旅先で詩を考えているらしい。国内A級ライセンスも持っていて、サーキットで走っていると言っていた。
 
「すごーい!だったら安心して任せられる」
と峰子は感激して言った。
 
やや“グレード”の高い小学校なので、一応通学には峰子の父が所有しているベンツSクラス(*1)を使いたいのだがと言ったら
「面倒くさそうな学校ね〜。でも旦那がSクラス持ってて、よく私も使ってるから全然問題無い」
ということであった。
 
「NSX持ってて、旦那さんがSクラスって、お金持ち?」
「Sクラスって中古車も多いんだよ。旦那が買ったのは20万」
「20万円〜〜〜!?」
「色々改造してるけどね。改造費がたぶんその20倍掛かってる。カードの明細を絶対に私に見せない」
「あはは」
「ちなみに私のNSXも中古。250万で買った」
「へー!」
 
(*1)メルセデス・ベンツの主な車種ランキングはS>E>C>B>A。元々はS(Special), E(Executive), C(Compact)の3種類で、後にエントリーモデルのA(最初に乗るメルセデスということでアルファベットの先頭)が出来て、AとCの中間にBが設定された。
 
2014年以降はこれらの“前に”GL:SUV(Gelaendewagen) CL:クーペ(Coupe Leicht) SL:ロードスター(Sport Leicht) といったものが付く。例えば CLA というのはクーペのAクラス(先頭にCがあってもCクラスではない)。このルールの結果一部のクラス名が変更になった。 GL->GLS ML->GLE GLK->GLC SLK->SLC.
 
ベンツSクラスは高級車の最高峰であるとして“ベンチマーク”と呼ばれる。
 
元々は運転手付きの車(Chauffeur Driven Car)と考えられていたが、現在は別ブランドの超高級車マイバッハが出来てしまったため、Sクラスはむしろ自分で運転する車(Owner Driven Car)の最高峰と考える人が増えてきた。
 

「でも11年ぶりかな」
「もうそんなになるかな。ついこないだのことみたいなのに」
とお互い言う。
 
「旦那さん、無茶苦茶忙しいでしょ?」
と彼女から訊かれた。
 
「あまりにも忙しくて最近会話が無いんだよ。突然愛人が出来たから離婚しようとか言われたらどうしよう?と思ったりすることもある」
 
と峰子は正直な所を告白する。淑子は峰子と夫の微妙な“事情”も知っているようだ。
 
「峰子ちゃん結局手術したんだっけ?」
 
峰子は首を振る。
 
淑子は厳しい顔のまま言った。
 
「たぶん彼は浮気する暇も無いよ」
「そういう気はする」
 

ふたりはお茶を飲む。淑子が持って来てくれたケーキを摘まむ。
 
「これ美味しい!」
「ここいいのよね〜」
 
「そちらは円満?」
と峰子は訊いた・。
 
「土日には車を何やらいじっているか、あるいは私と子供乗せてどこかにお出かけしてるかだから、たぶん浮気の時間が無い」
「ああ、男の人はそれがいいのかもね〜」
 
「でも結婚前の苗字が佐藤で、結婚相手が田中で、なんて平凡な苗字と言われる」
「ほんとだ!」
「私名前もありふれているしさ。だいたい私と会った人が30分後には名前を忘れてしまう」
「うーん・・・」
「だから凄く適当に名前呼ばれる。鈴木恵子さんでしたっけ?とか、加藤優子さんでしたっけ?とか」
 
「あはは。お子さんは何人?」
「3人。マネージャー辞めて結婚してすぐに産んだ子が4月から5年生なのよ」
と淑子。
「大きくなったね!」
 
「何かどちらの親にも似ずに音楽の才能があって。3歳の時からピアノは習わせていたんだけど、幼稚園の時に唐突にヴァイオリン習いたいと言い出して。それでピアノと2つも大丈夫と言ったんだけど頑張ると言って、教室に通ってる。どうもピアノよりヴァイオリンの方が才能あるみたい」
 
「へー!」
 
「だから最近は私も家に居る時はずっとあの子の練習パートナーしてる」
「ああ。ヴァイオリンはピアノ伴奏者が必要だもんね!」
 
峰子は何気なくその質問をした。
 
「あれ?女の子だっけ?男の子だっけ?」
「うーん。。。どっちなんだろう?」
「へ!?」
 

1月23-24日にクロスロードのメンバーで伊豆の温泉に行ったのだが、この時、初参加となった美緒と紙屋は、最初政子と冬子のことを認識していなかった。
 
小夜子が
「『天使の休息』聞いたけど、アニメのテーマ曲というのは新機軸だね」
と冬子に言った。
 
「いやテーマ曲はAYAが歌って、私たちはエンディングだけどね」
「へー。逆でも良かったと思うのに」
「いや、ああいう元気な曲はAYAの方が似合っているよ。私たちはハーモニーで聞かせるタイプで」
などと冬子が答える。
 
その時、美緒は話が見えていなかったので訊いた。
「カラオケか何かで歌ったの?」
 
それで桃香が言った。
「いや、この人たちは歌手のローズ+リリー」
 
「え〜〜〜〜〜!?」
と美緒も紙屋も驚く。
 
「なぜそんな有名所がこういう場に?」
と美緒。
 
「岩手県の避難所で偶然遭遇して」
と淳。
 
「全員別々のグループのボランティアだったのが、たまたま同じ避難所でかちあった」
と桃香。
 
(桃香と千里は炊き出し、青葉は心のケア、淳と和実は支援物資の搬入、あきらはヘアカット&洗髪、ケイは歌の慰問である)
 
「パス度の高いMTFばかりだったんで、また会いましょうよという話になって」
とあきら。
 
「それで定期的に集まっているんだよ」
と千里。
 
「サインが欲しい〜!」
と美緒が言うが
「そういうのはこの会合では無しで」
と和実。
 
「分かった」
と美緒。
 

「で、結局ローズ+リリーって活動再開したんですか?」
 
「今は音源製作だけをやっているんですよ。契約的に色々面倒な問題があったのがクリアされたんで、これまで制作だけして発売してなかった音源を今年はいくつか公開する予定」
 
「おお、それは楽しみ!」
 
「ローズ+リリーのライブはやらないの?」
と紙屋が尋ねる。
 
「そうだなあ。2〜3年経ったらしてもいいかなあ」
と政子が言うので
 
「ああ、やはり大学卒業後?」
と美緒は訊いたのだが
 
「まあマリちゃんは1年くらい前は100年後とか言ってたね」
と冬子が言う。
 
「えへへ」
 
「1年で98年間短縮したのか」
「だったら、もうこの春くらいには再開?」
「どうしようかなぁ」
などと政子は言っている。
 
どうもあと1押しすれば落ちそうだと、この場にいたみんなが思った。
 

「ケイはローズクォーツの方からは抜けたんだっけ?」
「ううん。しばらくは両方の兼任になると思う」
 
「ローズクォーツもライブツアーとか全然やってないね。やはりケイちゃんが忙しいから?」
と美緒。
「ライブハウスを回るツアーとかはやってるんだけどね」
と冬子。
「それはツアーの内に入らないな。ただの営業」
と千里が言っている。
 
「でも今度ホールツアーやるし」
「いつ?」
「えっと・・・2月3日から19日まで全国10ヶ所」
 
「随分押し迫っているね。それいつ発表するの?」
と和実が訊いた。
 
「えっと・・・・11月くらいに発表して、チケットも12月には発売したんだけど」
と冬子が困ったように言うと
 
「うっそー!?」
「全然聞いてない」
というみんなの声。
 
「それチケットはどこで売ってるんですか?」
「普通に、ぴあで売っていると思うけど」
 
みんな顔を見合わせている。
 
「もしかして発売後瞬殺だったから、広報とかもされてないとか?」
「ファンクラブで全部売り切れて一般発売までできなかったとか?」
 
「ローズクォーツにはファンクラブとか無いんだよね」
「なぜ〜〜〜!?」
 

それでお風呂から上がった後で、いつもパソコンを持ち歩いている千里がネットで調べてみたものの《ローズクォーツ ライブ》とかで検索しても何もヒットしない。
 
一応ぴあで検索したら、全10公演のチケットがまだ売られていることが分かった。
 
「ローズクォーツのライブが12月に発売して、未だに売られているというのは絶対おかしい」
 
「どういう広報してるの?」
 
「さあ。ローズクォーツの件は全部須藤さんに投げてて、私はタッチしてないから。ローズクォーツは須藤さんが管理して、ローズ+リリーは私が管理するということで、棲み分けすることにしたんだよ。お互い口出しもしない」
 
と冬子は言っている。
 
「ローズクォーツのライブツアーなんて、TVスポットも見たことがない」
とあきらが言う。
 
「あきらはテレビはかなり見ている確率高いよね?」
「そうそう。うちの美容室は待合室でテレビつけてるから、結構それがスタッフ全員にも聞こえている。ローズクォーツのツアーのCMが流れていたら、絶対、私気付いたと思う」
 
「もしかして何も宣伝してないとか?」
「あはは。須藤さんなら、あり得る。あの人ケチだから、TVCMの料金払うの、もったいないと思ったかも」
 
「だって売上げが凄まじいから、CM料金1〜2億程度払ったって簡単に元が取れるでしょ?」
「いや、あまり元が取れないかも。ホールとは言っても小さい所ばかりだし」
 
と言って、冬子は須藤さんから渡されていたツアーのリストを見せた。
 

2.03(日)那覇 甘蔗会館
2.05(日)福岡 藤崎ホール
2.08(水)広島 広島文化会館
2.09(木)金沢 金沢セブンホール
2.11(土)名古屋 ドルフィン会館
2.12(日)大阪 梅田パレス
2.15(水)札幌 札幌ファミリーホール
2.16(木)仙台 にれのきホール
2.18(土)東京 恵比寿ホール
2.19(日)横浜 横浜電撃ハウス
 
「これどこも数百人規模のホールだと思う」
と小夜子が言った。
 
「ローズクォーツなら1万人の会場を埋めるでしょう?」
「どうかなあ。ライブハウスには随分出演したけど、お客さんは20-30人ということが多かったよ」
と冬子が言うと
 
「それも全く宣伝してないということは?」
「それは心当たりがある」
「どんな有名アーティストでも宣伝無しで突然来演したら、お客さんはその場に偶然来ていた人だけだし」
「だいたい、ファンクラブが無いというのがあり得ん」
「うん。ローズクォーツならファンクラブだけで簡単に億単位の収入が得られる」
 

「しかしこれだと冬子は2月いっぱいは全国飛び回る感じか」
「でも大学の期末試験直前だから、空いている日程ではすぐ東京に戻らないといけない」
「なぜそんな時期にツアーを計画した?」
「他に音源製作も入るし」
「何か計画に無理がない?」
 
「2月4日とかはAYAの新曲レコーディングにマリと2人で参加するし」
「そのレコーディングってどこでするの?」
「やはり東京」
「ちょっと待って。3日に那覇公演、5日に博多公演なのに、4日に東京でレコーディングなの?」
 
「でも高校生の頃はキャンペーンで1日で札幌と福岡で歌ったことあったし」
「無茶な!」
とみんなが言っていると千里が苦笑している。
 
「千里どうした?」
「いや。ケイは自家用のF15 Eagleを持っていて、それで全国駆け回っているという噂が前からある。イーグルなら札幌から福岡まで30分で移動できる」
などと千里は言っているが、
 
「その速度で飛ぶと燃料がもたない」
 
と桃香が指摘するが、千里は
 
「だったら小松で中継して」
などと言っている。
 
「それでも無理って気がするなあ」
と桃香。
 

札幌と福岡の直線距離は1400kmなので、単純に計算するとM2.5=2680km/hのF15では1400/2580x60=33分で到達できる計算になる(ジェット気流が100km/hの場合)。
 
しかしF15はAB(アフターバーナー)を吹かして最高速で飛んだ場合、1秒につき12.41kgの燃料を消費する。F15の機内タンクが7836L, ミサイルを外して予備タンク2309Lを3つ装備しても合計で 7836 + 2309 x 3 = 14763L = 11810kg(ケロシン=灯油の比重は0.8)となり、 11810 / 12.41 = 951s. つまり951秒=15分50秒で12トンの燃料を使い切ってしまう計算になる。この時間に到達できる距離は(南西方向では) 2580 x 0.2639 = 680km.
 
つまり札幌−福岡間の半分弱しか到達できない。
 
千里の小松中継案だが、札幌−小松は860km, 小松−福岡は630kmなので小松に辿り着けない。
 
空中給油機を使うとどうだろうか?
 
航空自衛隊が所有する空中給油機KC-767は1分間に600gallon=2270Lの給油をすることができる。メインタンクに3.5分、予備タンクに1個あたり1分。給油アームの接続に1分ずつ掛かったとして全給油に掛かる時間は10.5分。待ち合わせて位置を調整するのに3分程度掛かったとして給油に必要な時間は14-15分。この間は750km/hで飛行するので、その間の移動距離は188kmになる。その間に消費する燃料は多分2000kg程度。
 
すると経路の真ん中で空中給油した場合
 
(11810-2000)/12.41 + 11810/12.41 = 1742s
2580 x 1742 / 3600 = 1248km
 
これに給油中の移動距離188kmを加えると 1436km となり、ギリギリ到達できることになる。この場合の所要時間は 1742s + 15min = 44分である。要するに千里が言っていた30分に空中給油時間15分を加えた程度になっている。安全を見て2回空中給油しても1時間で札幌から福岡まで行ける。
 
なお、この飛行に必要な燃料代はKC-767の分を除いても140万円である。
 
もっともその前に30分もM2.5で飛んだらケイが先に死亡しそうである!
 
一方ビジネスジェットを使ったらどうであろうか?
 
Gulfstream G550 の場合、燃費が 1355L/h (=0.3kg/s)で、燃料タンクは 23416L あるので航続時間は17.3時間になる(G550の航続距離は6750nm=12500kmと記載されているので、多分人を乗せたら燃料を満タンにできないのかも)。G550の速度はM 0.8=860km/h(高度1万mの場合)なので札幌→福岡はジェット気流の速度を100km/hとして1400 / 760 = 1.842h = 1:51 で飛ぶことができる。この場合の消費燃料は2500Lで23.5万円。
 
またホンダジェットの場合は燃費は3.3km/kgと書かれているので1400kmを飛ぶのに必要な燃料は424kgでわずか5万円で済む。飛行速度はM0.72=780km/hなので、所要時間は 1400/680 = 2:04 である。
 
なお、航空会社の新千歳→福岡便は2012年1月の時刻表で見ると、JAL B737-800, B767-300 で 2:40, ANA B777-300 で 2:35 の設定になっている。逆向きの福岡→新千歳(ジェット気流と同じ向き)はJAL, ANA ともに 2:10 と設定されているので、両者の時間差から逆算すると、ジェット気流の速度は90km/h程度と見積もられているものと思われる。
 

F15の話に、冬子は一瞬嫌そうな顔をして言った。
 
「オフレコにして欲しいけど、F15に乗せられたことある。二度と乗りたくないと思った」
「それ亜音速?超音速?」
「亜音速と言ってたけど絶対あれ嘘だと思う。超音速だったと思う」
 
「あれって普通の服着て乗ると失神するんでしょ?」
「そうそう。血液が加速度に耐えられないから。体内で血液が偏らないように圧迫する、特殊な搭乗用スーツを着る必要がある」
 
「なんか壮絶だなあ」
「ケイが単座のF15を操縦したという噂も聞いたけど」
と千里。
 
「それはさすがに不可能!」
と冬子は言った。
 

冬子はローズクォーツの全国ツアーに出発するため、2月2日、戸山のマンションを出て羽田に向かおうとした。ところが駅の入口の所に楠本京華がいる。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
 
「ある人からの指示で動いています。今回のスケジュールはきつすぎます。ケイさんはずっと東京に居た方がいいです。身代わりをローズクォーツのツアーには行かせますよ」
 
冬子は“ある人物”という言葉から、○○プロの丸花社長を想像した。あの人の裏工作には過去に散々驚かされている。
 
「・・・・頼んじゃおうかな」
 
それで京華はどこかに電話していた。
 
「彼女が羽田空港に向かいましたから」
「分かりました」
「ケイちゃんはこちらで休んでいるといいですよ」
 
と言って、京華は冬子を大田区内のマンションに案内した。
 
「もし作曲をなさるなら、一応キーボードやCubaseなど、制作活動に必要なものは揃っていると思います。足りない楽器があったら調達してきます。ストラトヴァリウス1丁とか言われたら困りますが」
 
「エレクトーンがあるみたいだから、それでだいたい間に合うと思います」
「良かった。確かグレードをお持ちでしたね?」
「ええ。6級を。ここは誰のマンションですか?」
「ある作曲家の隠れ家なんですが、今本人は九州の方にいるので、自由に使っていいですよ」
 
「だったらお借りします。少しまとめたいものがあったんですよ」
「それは良かった。秘密を守れる人なら恋人を連れ込んでもいいですし」
「いえ、誰にも言いませんよ」
「男性用・女性用・ふたなり用の自動オナニーマシンもありますし」
「いえ結構です」
 
自動オナニーマシンってどういうものなのか、少し興味は感じた。しかしふたなり用って誰が使うんだ!?
 
「もし去勢したければ自動去勢機もありますが」
「必要無いです!」
 
何それ〜〜?と思う。高校時代に言われたら興味持ったかも?
 
「買い出しや食事などはこちらの芙貴子にお申し付け下さい」
「分かりました。芙貴子さん、よろしくお願いします」
 
27-28歳くらいかな?という感じの落ち着いた雰囲気の女性が笑顔で会釈した。
 

そういう訳で2月3日のローズクォーツ那覇公演には、京華が手配した冬子の身代わり(しーちゃん)が行き、冬子の代わりに歌った。
 
《しーちゃん》はとても歌がうまく過去にも多数の歌手の影武者をした経験がある。しかし大観衆の前で歌うのは久しぶりだなあと思い、那覇に赴いた。先日のキャンペーンの時は商店街とか駅前とかばかりだったから大した客はいなかったけど、今度はホールだからきっと満員の客を前に歌うことになるだろう。《しーちゃん》は少し緊張していた。
 
ところが行ってみると500人収容のホールに観客が50人しかいないので
 
「うっそー!?」
と思わず声をあげた。
 

2012年2月4-5日(土日)。
 
栃木県宇都宮市の宇都宮市体育館と、西方町の西方町総合文化体育館で、関東クラブバスケットボール選手権が開催された。この大会の男子の上位5チーム、女子上位6チームは来月大分県で行われる全日本クラブバスケットボール選手権に出場することができる。
 
この大会は選手16名、スタッフ4名登録できるので、ローキューツはこのような登録にした。
 
監督:西原、コーチ:谷地、アシスタントコーチ:菜香子、マネージャー:玉緒
選手:4.浩子ひろこ(PG) 5.麻依子(PF) 8.千里(SG) 15.聡美(SF) 16.凪子(PG) 17.薫(SF) 18.瀬奈(SF) 20.司紗(SF) 22.岬(PF) 23.国香(SF) 24.元代(PF) 25.翠花(PF) 32.夢香(PF) 33.誠美(C) 34.夏美(SF) 35.桃子(C)
 
現時点でのローキューツの登録者全員がベンチに座ることができた。実際にはあと1人、茜も在籍しているのだが、ほとんど顔を出していない。気が向いたら練習に参加するかもということで籍をそのままにしているが、最近仕事が忙しいようである(オールジャパンには来て観客席から声援を送っていた)。
 
この他にOGの沙也加は「ローキューツ応援団長」を自称しており、同じくOGの直花および彼女らの友人を含めて合計6名の“ローキューツ・チア部”を結成している。彼女たちも来てくれるということだったので、交通費・宿泊費をチームで負担している。
 

この大会の出場チームは関東8都県から各2チームの16チームである。それで初日は1回戦・2回戦が行われた。
 
午前中に行われた1回戦では神奈川県のチームとあたり、12点差で快勝した。この試合には千里と誠美は出なかった。
 
午後遅く行われた2回戦では茨城県のサンロード・スタンダーズと当たる。過去に色々な大会で当たっており、強いチームであることは分かっているのでベストメンバーで出て行く。
 
果たして激しい戦いになったものの、ここ1年ほどで大きく成長した千里や誠美を中心に何とか6点差で勝つことが出来た。
 
これでBEST4以上が確定したので、全日本クラブ選手権への出場は確定である。サンロード・スタンダーズも明日の5−8位決定戦で勝てば全日本クラブ選手権に行くことが出来る。
 

「取り敢えず全国クラブ選手権進出を祝って乾杯」
と浩子が音頭を取ってジュースや烏龍茶で乾杯する。
 
まだ大会途中なのでアルコールは禁止である。
 
「私も含めて大量に辞めて申し訳無いと思って、後輩で入ってくれる人いないかなあ、と思って探していたら、水嶋ソフィアが入れてと言っている」
と千里が言った。
 
「ソフィア!?あの子、今どこに居るの?」
「実業団・関東2部の**化学に入ったんだけど」
「ありゃ」
「会社自体が倒産しちゃったんだよね〜。会社更生法を申請中。バスケ部とバレー部は事実上活動停止状態らしい。体育館もロックアウトされてると」
 
「廃部じゃないんだ?」
 
「新しい経営陣が送り込まれてきてから廃部になると思う。現時点では重要な決定は下すことができない。それで個人的にどこかバスケができる所がないか探していたんだって。移籍承認書は発行できるらしい」
 
「それ新しい経営陣が来る前に全員退部しちゃうだろうね」
「とりあえず給与も出てないらしいし」
 
「ここも給料出ないけど」
「うん。だからバイトしながらバスケすると言ってる」
「頑張るなあ」
 
「うちは生活費さえ自分で稼げたらバスケの活動費については全部サポートしているから、どうかした所よりは、やりやすいと思う」
と国香が言う。
 
「体育館でカップ麺とかレトルトカレーとか食べていると晩御飯代を節約できる」
と桃子が言っている。
 
「桃ちゃん、いっそのことあそこの寮に泊まり込む?そしたらアパート代も節約できる」
「それいいな」
 
「ね。あそこの寮に泊まり込んで、事務室で食糧食べていたら、生活費ゼロでバスケ活動ができるよね?」
 
千里が頭を抱えて苦笑している。
 
「洋服代とか、化粧品代、美容室代とかはいるでしょ?」
と浩子。
 
「私、お化粧しないし。髪は自分で切ろうかな。でも洋服は無いと困るか」
「歯磨きとか生理用品とかも自分で買ってね」
「出会い系のサクラでもしようかな」
「そういうのバレたら出場停止くらうよ」
 

“沖縄に行かなかった”冬子は、2月4日は時間を見計らって戸山のマンションに行き、政子を誘ってAYAの音源製作をするスタジオに行った。だいたい夕方までにふたりの作業分が終わり、冬子と政子、AYA、AYAのマネージャー高崎充子の4人で一緒に串焼きのお店で夕食をとった。
 
その後4人でタクシーを拾えそうな所まで行こうと歩いていたら、偶然上島雷太と百瀬みゆきに遭遇する。
 
上島は「ちょっと人と会ってたんだよ」と言ったので、冬子や高崎は、恋人とデートしていたのだろうと解釈した。この人の浮気癖も全然治る気配が無い。それで話を聞くと、どうも上島はその恋人と別れた後、歩いていたら偶然百瀬と遭遇して、やはりタクシーが拾える所まで歩いていこうとしていたらしい。
 
それで6人でしばし立ち止まって話していた時、向こうから走ってきた男性が冬子とAYAに連続してぶつかった。冬子は隣にいた政子に抱き留められたものの、AYAが倒れそうになって寄りかかったのが上島雷太であった。
 
AYAを上島が抱き留めた瞬間、フラッシュが焚かれた。
 
「え!?」
 
高崎が急いで写真を撮ったと思われる人物を追いかけたものの、見つけることはできなかった。
 
「これはやばいことになるかも」
と高崎が悔しそうに言う。
 
「でも今のが完全な事故であることは私たちが証明します」
と冬子も百瀬も言った。
 

果たしてAYAと上島が抱き合っているかのように見える写真がその夜の内に大量にネット上に広まっていったのだが、もっとヤバい写真もあった。
 
それは上島雷太が誰か背の高い女性と熱烈にキスしている写真だった。上島はハッキリ顔が映っているが、背の高い女性は後ろ向きなので顔が分からない。
 
写真では上島の顔と女性の顔はだいたい似たような位置にある。上島雷太は180cmの身長があり、その長身の上島と顔が並ぶ女性というのはそう多くはない。10cmヒールを履いていたとしても170cmくらいはある計算になる。
 
「モデルさんかな?」
「女性でこの身長は珍しいよな」
「男だったりして?」
「上島雷太なら、それもあり得る」
などとネットでは議論されていた。
 
ともかくも上島の妻・春風アルトは152cmなので、この人物は絶対にアルトではあり得ない。
 
つまりこれは上島の明快な浮気証拠写真である。
 
このキス写真は翌朝の複数のスポーツ新聞に載ることを放送局が認識した。
 

深夜に冬子と政子が呼び出された。
 
女の子向けの人気アニメ番組『エンジェル・リリー』シリーズのスポンサーとなっているおもちゃ屋さんの幹部から放送局に電話があったというのである。
 
『まさか、スキャンダル渦中の作曲家の作品を、そのスキャンダル相手の歌手の歌で、子供向けのアニメのテーマとして放映しませんよね?と』
 
「AYAは無関係なんです。それは私たちが証言します」
と冬子は言った。
 
「それを明日の朝10時までに全国に周知できる?」
「うっ・・・」
 
『エンジェル・リリー』シリーズの新しい番組『リリー・マクラーレン』は明日2月5日の朝10時に第1回の放送が行われる。
 
その主題歌は“不倫作曲家”上島雷太が書き、“その不倫相手”として明日の朝刊で報道されるAYAが歌うのである。
 
「どうするんです?」
「新しい曲を誰かが書いて、誰かがそれを歌い、明日朝の放送までに差し替える」
「誰かって・・・」
 
「君たちしかいない。日本中の女の子たちの夢を壊さないためにも、君たちが曲を書いて、君たちが歌うしかない」
 
「いっそエンディングの『天使の休息』を先頭では流せないんですか?」
 
『天使の休息』はローズ+リリーが歌っているのである。しかし
 
「『天使の休息』も上島君の作品なんだよ」
と響原部長が言う。
 
「あぁ」
 
「だから明日朝10時までに2曲用意する必要がある。この速度で曲を書ける作曲家は、日本中探してもケイちゃんくらいしかいない」
と響原部長は言った。
 
「うーん。。。」
 
冬子は、沖縄まで往復してこなくて良かったとマジで思った。さすがに沖縄まで往復していたら、とても深夜にこんな話に応じるだけの体力は残っていなかった。
 

ここで上島雷太が発言して、マリ&ケイの未発表曲を使えないかと言った。上島が思いついたのは、『天使に逢えたら』と『影たちの夜』であった。
 
「どちらも名曲だし、多分うまい発表の機会を狙っていたと思うから、こういうシチュエーションの中で公開するのは、本当に申し訳無いんだけど」
と上島は言った。
 
しかし偶然にも『天使に逢えたら』の“天使”というのが《エンジェル・リリー》の《エンジェル》を連想させるし、『影たちの夜』の“影”が敵組織《シャドー》を連想させるのである。
 
冬子はその2曲を使うことを了承した。実際問題として朝までに曲を書いたとしても、更に音源製作までするにはとても時間が足りない。既存曲ならすぐに制作に取りかかれる。
 
それで朝までに音源を作るということになる。この時期、ローズ+リリーの伴奏は主としてローズクォーツがおこなっていた。ところがローズクォーツはツアーのため、沖縄から福岡に移動して、福岡市内のホテルに泊まっている。
 
彼らを今夜中に東京に移動させる手段は存在しない。
 
そこで、UTPの契約アーティストの中でこの夜、偶然にもメンバーを召集することができたスターキッズが、この2曲の伴奏をすることになったのである。
 
それで取り敢えずマリは仮眠させて、深夜ケイが指揮してスターキッズが伴奏音源を作った。ケイも途中で少し仮眠した。そして6時頃ふたりを起こして歌を吹き込み、放送の1時間半前に何とか音源を完成させたのであった。
 
マリやスターキッズは10時に無事テレビでその曲が流れるのを聞いた上で、いったん解散した。それでマリは戸山のマンションに戻って寝る。ケイは福岡のライブがあるので、それより先に離脱して羽田に向かった・・・ことにして実際には、楠本京華が用意してくれている大田区のマンションに行って眠った。
 
「自分が2人居るっていいなあ」
などと思いながら冬子はベッドですやすや眠っていた。
 

2月5日、宇都宮では関東クラブ選手権の準決勝と決勝が行われる。
BEST4に残ったのは下記のチームであった。
 
江戸娘(東京1)・ローキューツ(千葉1)・ビッグベース(埼玉1)・須賀イライン(神奈川2)
 
ビッグベースとは昨年の関東クラブ選手権の準決勝で当たっている。江戸娘はここしばらくのローキューツの好敵手である。
 
今回の準決勝で当たったのは、須賀イラインである。あとから聞いたらメンバーの大半が横須賀市内にある日産・追浜(おっぱま)工場の従業員やOGであるらしく、高校時代にインターハイやウィンターカップを経験している人もあるという。数人、WリーグのフリューゲルローストのOGも入っているらしいが、どの人かは分からなかった。
 
チーム名は横須賀のチームであることと、日産の人気車種スカイラインに掛けているが、追浜工場ではスカイラインは生産されていない。スカイラインは栃木工場(栃木県上三川町−今回の会場のある宇都宮市の隣)で作られている。追浜工場で作られているのは、シルフィやリーフ・キューブなどである。
 
ともかくもかなり強いチームである。実際昨日のビデオを見たが、特に180cmの稲川さんの存在感が大きい。薫によると横浜市の金沢T高校の出身らしい。
 

むろん最初からベストメンバーで行く。
 
向こうはある程度こちらを研究している雰囲気があった。最初から千里に専任マーカーが付く。
 
が簡単に振り切ってしまう。千里のスピードや切り返しに付いてこられない感じである。
 
また誠美に対抗した稲川さんも誠美の研究をして対策を考えてきたような感じはあったが、誠美はそれをパワーで粉砕する。
 
ということで、相手の研究はこちらのスピードとパワーで簡単に粉砕されてしまった。特に稲川さんが誠美に歯が立たなかったことで、向こうは精神的に動揺した感もあった。
 
第1ピリオドから大きな点差が付いてしまったので、第2ピリオド以降は千里と誠美は温存し、またあまり耐久力の無い凪子・瀬奈なども適宜休ませる。それでも第2ピリオドで点差が開いたので、後半は麻依子・岬・翠花といったあたりも休ませる。
 
それで後半は向こうの攻勢が凄くて、第3ピリオドで少し点差を詰められたが、向こうはこの点差は挽回できないだろうとみて、主力を休ませたまま最後まで行った。
 
最終的には10点差まで追い詰めてきたが、夏美や夢香に司紗などが頑張ってくれたので、こちらの主力の再投入はせずに勝利をおさめることができた。
 
最初に大きな点差が付いてしまったことで、向こうが精神的に削られてしまい、その後挽回できなかった感じであった。
 

そして午後からの決勝戦の相手は3年連続で江戸娘である。
 
2010年の大会決勝では江戸娘が勝った。2011年はローキューツが制した。そしてまた決勝戦で会った。
 
両チームは2009年の9月には各県の3-4位チームが戦う“裏関”の準決勝で当たったのが最初なのだが、そのあと共に関東のトップを争うチームに成長した。
 
「あれ?**さんが来てない?」
と千里は試合前に相手のベンチを見ていて言った。
 
「**さんは辞めたらしい」
と情報分析担当?の薫が言う。
 
「なんで?」
「どうも経済的な理由っぽい。江戸娘はスポンサーが居ないからこういう所に出てくる時は、選手や監督がみんな数万円の負担をしている。強いチームだから遠征も多くて、それで自己負担が凄まじいんだよね」
 
「うーん・・・」
「どこかスポンサーが付けばあそこは物凄く強いチームになると思う」
「今でも凄く強いチームだけど」
 
「初期の頃はお寿司屋さんがスポンサーだったらしいけど、負担が大きくて音を上げて降りたらしいよ」
「ああ」
「今でも年間10万くらいは寄付してくれているって」
「それだと大会参加費程度だなあ」
「それだけでもありがたいと思う」
「でもあのチームの維持費は年間100万以上掛かるよ」
「実際千里もローキューツにそのくらい投資してるよね?」
「うん。体育館の賃料と差し入れ食糧を除いてね」
 
(房総百貨店体育館の賃料は年間250万円である。但し光熱費は別。また体育館の冷蔵庫や棚に置いているアイスや冷凍食品、デザート、飲み物やカップ麺、レトルトカレーにお米!などの類いは月間10万円分くらい消費されている)
 
「そうそう。江戸娘は練習用の体育館の確保でも苦労しているみたいだよ。練習したくても空いてなくてできない日もあるって」
 
「もったいないなあ。強いチームなのに」
 

相手のチーム事情には同情するが、むろん試合は真剣勝負である。
 
お互いの実力は分かっている。相手の選手の能力もお互いかなり知っている。
 
お互い最初から全開で行く。激しい戦いが繰り広げられる。観客が息を呑んで見守っている。女子の試合とは思えないようなスピードとパワーの試合である。
 
前半は43-40と向こうが3点リードで終わった。
 

「秋葉さんが凄いね。千里に激しいマークしてる」
「千里の弱点をよく分かっているよ」
「あの人は最後までスタミナは落ちないだろうね」
「うん。千里に付く多くのマーカーがスタミナで千里に負けてしまう。でもあの人はスタミナも凄い」
 
「どうする?千里」
 
「まあ見ててよ」
と千里は言った。
 
それで後半出て行く。彼女はピタリと千里に付き、決して目をそらさない。千里は激しく動き回るが、彼女はしっかり付いてくる。急激な反転などにも惑わされない。
 
第3ピリオドが始まって3分ほど経った所で千里の複雑な動きに秋葉さんが付いてきたのだが
 
「あっ」
 
という声をあげる。危うく自分のチームの上野万智子と衝突しそうになったのである。すんでのところでお互いに回避して衝突は避けたが、その瞬間秋葉・上野ともに何もできない状態になる。
 
そこで千里はボールを受け取ってスリーを放り込む。
 
秋葉さんがキッとこちらを睨んだが、千里はどこ吹く風である。
 

その後も、しばしば千里はうまく誘導して“千里だけを見て他には一瞬たりとも視線を動かさない”秋葉さんが、チームメイトと衝突しそうになる場面を作り出す。
 
秋葉さんの怒りが爆発した。
 
「村山さん、見損なった!こんなの卑怯だ!」
と言って詰め寄る。
 
審判が飛んでくる。
 
テクニカルファウルを宣告し、あわせて、かなりきつい警告をした。
 
秋葉さんはテクニカルファウルを取られて更に頭に血が上ったところを監督から交代を命じられる。
 

代わって、若い成瀬詩江が入り千里のマークに付くが、むろん簡単に振り切る。それでこのピリオドで大きくバランスが崩れて、点数は58-68と逆転して更に10点差を付けてしまった。
 
第4ピリオド。秋葉夕子が戻ってくる。千里は彼女に言った。
 
「秋葉さんも私に同じようなこと、やってごらんよ」
「よし」
 
それで江戸娘の攻撃の時、千里は秋葉だけを見て、彼女に密着マークをする。秋葉が走り回る。それに千里はピタリと付いてくる。
 
そして秋葉はたくみに誘導して、千里と麻依子を衝突させようとした。
 
千里はヒョイと後ろに1歩下がると、高速に麻依子の後ろを通過して、次の瞬間、また秋葉さんの直前に出てしまった。
 
「うっそー!?私しか見てないのに」
と彼女は叫んでいる。
 
ゲームは大塚アリスが得点をあげて、ローキューツの攻撃に移る。コートを移動しながら、千里は彼女に言った。
 
「自分の首を絞めるようなことを言うけど、私は秋葉さんだけをじっと見ていてもコート全体に響いている音を聴いているんだよ。それで誰がどこにいるか把握している。それで衝突せずに移動できるんだよ」
 
「そうか!目を集中していても、耳は空いているんだ!」
「秋葉さんにもできるよ」
「よし」
 
彼女はそれでも何度か味方と衝突しそうになったが、最後のローキューツの攻撃の時、千里の誘導で目黒奈美絵とぶつかりそうになった所を、サッと走行軸をずらして衝突を回避、0.5秒ほどのブランクで再び千里の直前に復帰した。
 
ぶつかりそうになった目黒さんの方が「きゃっ」と声をあげたが、秋葉さんは全く危うさは無かったのである。
 
「できたじゃん」
と千里が言う。
 
「こういう感覚の使い方ができるというのが自分で信じられない。でも自分でやってみて分かった。これってスクリーンプレイの応用にすぎないじゃん」
 
「そうなんだよ。相手チームの選手を勝手にスクリーナにしちゃうだけ」
 
「でもいいの?今日はもう点差が挽回できないけど、次の試合からは、これで村山さんを封じるよ」
 
「そうだね。全日本クラブ選手権でもし当たったらそれでやってよ。でも私はこのチーム、3月で退団するから」
 
「うっそー!?なんで?」
「どっちみち、今年の前半、8月まではオリンピックの予選と本番で時間が無い。その後は大学の卒業準備と結婚準備で時間が無い。だから今年いっぱいはフリーかな。所属チームが無いと色々面倒だから、籍だけはローキューツに置いておくけど、実質退団。来年の3月まで私は大会には出ない」
 
「・・・来年の4月からはWリーグ?」
「私の実力では無理」
「冗談はよし子さん(死語)。村山さんを欲しがるチームはたくさんある」
「そんなことないと思うけどなあ」
 
そんな会話をしている内にゲームは終了してしまった。
 

「90対73で千葉ローキューツの勝ち」
と主審が告げる。
 
「ありがとうございました!」
と挨拶して、双方握手したりハグしたりした。千里は秋葉さんとしっかりハグし
 
「あんたらいつまで抱き合ってる?」
と神田リリムに呆れられた。
 
こうして千葉ローキューツは関東クラブ選手権で優勝して、全日本クラブ選手権に進出したのである。
 
全日本クラブ選手権に派遣されるのは下記6チームである。
 
1.ローキューツ(千葉) 2.江戸娘(東京) 3.須賀イライン(神奈川) 4.ビッグベース(埼玉) 5.ワインレディ(山梨) 6.サンロード・スタンダーズ(茨城)
 
大会の得点女王とリバウンド女王が誠美、スリーポイント女王は千里、アシスト女王は江戸娘の秋葉さんが取った。前に出て賞状を受け取った時、千里と秋葉さんは、また笑顔でハグした。
 

2月5日、千里たちが優勝の打ち上げをしていた頃、福岡ではローズクォーツの福岡公演が行われていた。実際にこのライブで歌ったのは、ケイではなく、その代役を務めた《しーちゃん》である。
 
この日の観客は800人の定員の所に200人入っていて、沖縄の50/500よりは少しマシだった。実はこの200人の内120人ほどが「那覇は人が少なくて泣けたよぉ」と《しーちゃん》が久保早紀(後の丸山アイ)に泣きついたので、急遽早紀が動員を掛けて行かせた観客であった。
 
日数が無かったのでさすがの早紀にもそのくらいが動員できる限界だった。
 
「早紀、他の日程は〜?」
「九州の外まではさすがに無理」
 
早紀が実質的な支配権を持つ企業グループは熊本県内に本拠地があり、九州一円にはけっこう関連企業があるのだが、本州方面にはあまり進出していない。
 
「観客が少ないのは寂しいよぉ」
「もうローズクォーツは潰すかね?」
「そうなると須藤さんがケイたちに干渉してくるんでしょ?」
「仕方ないなあ。ちょっと別の方法を考えるから今回は我慢して」
「ぐすんぐすん」
 

《しーちゃん》は早紀の眷属の中では最高のパワーを持っているが少し泣き虫なのが玉に瑕である。
 
ちなみに彼女(?)は実は男の子である。4000歳は過ぎていて神様領域に達しているのに「男」ではなく「男の子」と言いたくなるのは“彼女”が幼い雰囲気を漂わせているからである。そして、あまり泣き虫なのでしばしば他の男の眷属から「お前チンコ無いだろ?」などとからかわれて怒る。元々は女装の趣味は無かった(と本人は言っている)のだが、早紀の命令でしばしば女装している内に、最近はハマりつつあるようだ。
 
160cmくらいの美少女に擬態していることも多い。セーラー服を着るのも好きなようだ。他の女の眷属からは「可愛い」「私のお嫁さんになって欲しい」「いっそこのまま女の子になっちゃいなよ」などと言われて、まんざらでもないようである。
 
「擬態じゃなくて自分自身を本当の女の子に変えることもできるんでしょう?」
と《ふーちゃん》は訊いてみたことがある。
 
「自分でも他人でも性別変更はできるよ。但し1度だけね」
と《しーちゃん》は答えた。
 
「ああ。何度でも変えられるなら、とっくに女の子になってるよね?」
「そんな気はしないでもない」
 
「分かった。永久に女の子に擬態してればいいんだ」
「それはそうなりつつある気もする」
 
「女の子に擬態してたら、男の人と寝ることもできるんでしょう?」
「それはできるよ。女の子に擬態してたら、あそこも女の子になってるから。中身が女じゃないから妊娠はしないと思うけどね(自信は無いけど)」
「じゃ、今ちんちん無いの?」
「ノーコメント」
 
「四不は充分女の子らしいと思うけどなあ」
「自分では一応男の子の意識なんだよね」
「なんか早紀と同じようなこと言ってる」
「早紀は自分のことは女の子だと思っている気がする」
「そうだっけ?」
 

「でもなんでローズ+リリーに肩入れするの?」
と京華は東京にまた出てきた早紀に尋ねた。
 
「だって、ケイちゃんが売れたらボクみたいな子もデビューしやすくなるじゃん」
と早紀は答える。
 
「それはあるね」
「それにローズ+リリーの世界観にはボクはけっこう惹かれているんだよ」
「そう?早紀はフォークがやりたいのかと思ってた」
 
「・・・ローズ+リリーはフォークだけど」
「嘘!?」
 
実は、この時期発売準備中であった『Month before Rose+Lily, A Young Maiden』が発売されるまで、ローズ+リリーはポップス系のアイドル歌謡と思っている人が多かったのである。そのアルバムをロック系の音に作り変えず、ケイが高校時代に作った音の雰囲気を活かして、フォーク調のまま発売することを強く主張したのはローズ+リリーの新担当・氷川真友子であった。
 

「ところで早紀はいつになったら私を抱いてくれるの?」
と京華は言ってみた。
 
「ボク女の子だから、女の子の京華を抱いたりできないよ」
と早紀は平然とした顔で言う。
 
「都合のいい時だけ女の子を主張する」
「そもそも女子高生をセックスに誘わないでよ」
 
「たくさん経験があって妊娠もしたことのある子は女子高生扱いではないな。だいたい本当に“女子”高生なのかも怪しい」
「生徒手帳では女子になってるよ。生理もあるよ」
 
「それにレスビアンも好きな癖に」
「そんなことないよ。ボクは男の子とする方が好きだし」
と早紀はとぼけて答える。
 
「早紀はレスビアンでありかつゲイなんだよね?」
「おちんちん無いからゲイはできないよ」
「嘘ついたら、閻魔様にちんちん抜かれるぞ」
 
 
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【娘たちの仲介】(1)