【娘たちの1200】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-05-01
それで11時半頃に店主さんに御礼を言って、お店を出た。すると店の前に見知った顔があるのでびっくりする。
「浜路さん!?」
それは美鳳・佳穂など“出羽の八乙女”の1人、浜路さんであった。普段は福島県付近で活動している人である。このあたりまで何か用事があって北上してきていたのだろうか?
「大船渡で声を掛けたんだけど、あんた気付かずに行っちゃうし」
「ごめんなさい!全然気付かなかった」
「まあいいけど。ところであんた近い内に高野山の“★★院あたり”に行く予定無い?」
「“★★院まで”なら行っていいですよ」
「勘がいいな」
「真冬の氷雪を突破して瞬嶽さんの所まで行けといわれたら、お断りさせてもらいます」
「じゃ瞬醒にでいいから、これ渡してよ。実はさっき大船渡沖の海の底で光っているのに気付いて拾ってきた」
と言って浜路さんは千里に古ぼけた水晶の数珠を渡した。まだ濡れている!
「これは誰か徳の高い女性が持っていたものですね。観音経が聞こえるから尼さんかな」
「うん。私にも観音経が聞こえる。たぶん津波で亡くなった尼さんが持っていたものだと思うけど、拾ってみて音を聞いている内に、どうも瞬嶽さんに渡さなければいけないみたいな気がしてきた。それであそこまで持っていってくれる人がいないかなあ、と思っていた所にあんたが通りかかったのよね」
「きっと瞬醒さんに渡しておけば、瞬嶽さんに届きますよ」
「だろうね。高野山まで行くの辛いし、あんたに頼んでいい?」
「いいですよ。もっとも私より青葉の方がお使いとして優秀だと思いますけど。あの子月に1度は大船渡に来ますよ」
「多分、青葉より千里の方がこの場合は良いと思う」
「そうですか?私は霊的な能力とかも全然無いのに」
「どうかした神様のパワーを凌駕する力を持っている癖によく言うよ。だいたい霊的な能力が無い人に私が見える訳無い」
「そうですかね〜」
「じゃ頼むね」
「はい、お預かりします」
それで千里はその数珠をビニール袋に二重に入れてからバイクの収納ボックスの中に入れた。
宮古を出ると、その先も難易度の高い道が続く。幸いにもきちんと除雪されているので走っていくが、積雪していたら、北海道に行く前にこのあたりでリタイアするハメになるところであった。
岩泉町には以前は傾斜10%というとんでもない坂があったのだが、2010年に立派なバイパス(中野バイパス:現在の三陸北縦貫道・岩泉道路)が完成しているので、千里もそちらを走っていく。
結局15時頃に何とか八戸のフェリーターミナルに到着した。
ここまでの走行。
横須賀(国道16/国道15/国道6)広野町 291km
広野IC(常磐道・磐越道・東北道・仙台南/東道・三陸道)石巻河南IC 更に胡桃の家まで 271km
仙台(国道45号)八戸 416km
合計 978km
記念写真を《びゃくちゃん》に撮ってもらってから、バイクは《こうちゃん》に託し、身一つでフェリーに乗り込む。
17:30発の《べにりあ》に乗った。
船内では写真撮影は《びゃくちゃん》と《りくちゃん》に任せて!二等船室で女性がわりと集まっている付近で横になり、毛布をかぶってひたすら寝た。
氷川真由子は年内に無事卒論も完成・提出したし、内定していた★★レコードから正式の採用通知も受け取り、友人から誘われた卒業前旅行にでも行ってこようかな?などと思っていた時に、加藤課長から電話を受けた。
「3月までバイト身分で仕事をお願いできないかと思って」
と言われて、何かイベントのお手伝いか何かかなと思って出かけていくと、ローズ+リリーを担当して欲しいと言われて仰天する。
「やる?」
「やらせてください!」
現在ローズ+リリーは、南頼高係長が担当しているものの、南係長は多数のアーティストを抱えていて、手が回っていないのが現状らしい。それでローズ+リリーと、その関連ユニットのローズクォーツ、ケイがプロデュースをしているスリファーズの3つのユニットを担当して欲しいと言われた。
「仕事のやり方は、悪いけど教えている時間が無いので、南君や北川君がしていることを見て覚えて」
「分かりました!」
それで初日は(南係長が出張中だったので)北川さんに1日付いてまわり、A&Rの仕事の一端を見せてもらった。
5日も北川さんに付いて回らせてもらおうかと思っていたら、鬼柳次長が来てハードディスクを1台渡した。
「これ、ローズ+リリーが高校生時代、デビュー前に自主制作していた音源らしいんだよ」
「そういうものがあったんですか!」
「昨日の挨拶まわりの時にその話が出てね。それで町添取締役はぜひ発売しようとか張り切っているけど、実際問題としてこれを商品として売れるレベルまで調整するのにどのくらいの日数が掛かるか、君の感覚でいいから、見積もってくれない?」
「分かりました。お預かりします」
実際にはデータは何かよく分からない形式になっている。それでたまたま通り掛かった富永純子主任を呼び止めて尋ねたらProtoolsというソフトのデータだと言われた。氷川は音楽制作の経験が無いのでProtoolsというものを知らなかったが、そこから頑張って調べて、その概要を知り、それならきっと社内にインストールされているマシンがあるのでは思った。またたまたま通りかかった八雲礼朗さんに尋ねると教えてくれた。
「君、昨日入ったばかりなのに、大変だね」
「いえ。知らないことはどんどん覚えていきます」
「うん。その姿勢で頑張ろう」
と言い、八雲さんは氷川が持っていたハードディスクのデータをそのマシンの適切な場所にコピーしてくれた。
「これで聴けるし自由に調整できるから」
「ありがとうございました!」
と言ったが、八雲さんが香料の匂いを漂わせていることに気付いた。女性の多い職場だから、誰かから移り香したのかな?とその時は思った。
1月10日。花見啓介は引越直前のUTPを訪れ、4年前の件に関して須藤美智子に謝罪した。
美智子は内心はかなり怒っていたのだが、あなたも病気のお父さんを抱えて大変だろうけど頑張りなさいと諭した。この謝罪の場に冬子は同席したのだが、政子はぷいと席を立ち、お茶を持って来たかと思うと、美智子・冬子の前に普通にお茶を出した後、残る1つのお茶(わざわざ沸騰させたお湯で入れた)を花見の頭に掛けた。
「あちち!」
と花見。これは実際に火傷したと思う。
「政子ちゃん!」
とさすがに美智子が叱る。しかし政子は平然とした表情で
「失礼します」
と言って出ていった。
「ごめんなさいね」
と美智子。
「いや、いいです。政子のああいうのには慣れてますから」
と花見。
しかし結果的にこの事件で美智子は花見を許してやってもいいかという気分になったようであった。
花見の週刊誌記者へのチクりはローズ+リリーの活動を休止に追い込み、その損害額は数十億と町添さんなどは言っていたが、むろんそれを花見に請求する筋合いは無い。
活動停止に追い込まれた主たる原因は冬子・政子と須藤美智子の間で契約がきちんと取り交わされていなかったことである。花見には法的な責任は無い。
それに冬子は考えていた。あのまま活動を続けていたら政子はいづれ再起不能になっていたのではと。(少なくとも当時の)政子は芸能人として生きていくには無垢すぎたのである。
それにしても花見の賠償金まで冬子が肩代わりしてあげたのは
「人が良すぎる」
と美智子から呆れられていた。
1月13日夜中の1:30、千里を乗せたフェリーは苫小牧西港に接岸した。
暗い中での走行は危険なので、天文薄明(5:22)を待つことにする。ターミナル内の待合コーナーで仮眠する。
朝5:00.
《げんちゃん》が千里を起こす。
「これが北海道仕様のバイクかぁ」
「まあ北海道の冬の道を走れるバイクはそうそう無いぜ」
《げんちゃん》は先に北海道に来てくれていて、特製バイクを千里に引き渡したのである。
これは実はホンダの郵便局向け特別仕様車・スーパーカブMD90の払い下げ品を改造したものである。北海道の冬の道を平気で配達してまわっている頼もしいバイクだ。このバイクは一般発売はされてないので払い下げ品を扱っている業者から買うしかない。
スーパーカブMD90(Mail Delivery 90)は、普通のスーパーカブC90を主として安定性・雪の上での走行性や視認性などを強化したものであるが、払い下げ品を入手した所で、まずエンジンをスーパーカブC110のものに換装した!更にこれにターボを取り付けて実質200cc程度のパワーのバイクにしている。ついでに燃料タンクも4Lから6Lのものに交換している。
(本家でも実は2012年から110ccのスーパーカブMD110が稼働しはじめている。むろんこれの払い下げ品が出るのはかなり先であろう)
払い下げ時に車体は黒く塗装され直していた(赤い車体のまま払い下げるのは禁止らしい)が、それを更に蛍光イエロー!に塗り直している。霧の中や吹雪きの中の走行になった場合に後続の自動車から視認してもらうためである。
むろん千里自身も北海道では電熱機能付きの蛍光ピンク!?のライダースーツを着てハイビジのヘルメット(これは蛍光グリーン)を付ける。
MD90自体にグリップヒーターが付いていたが、更にハンドルカバーも付けて手が凍えないにしている。冷たい風が身体を直撃しないように風防も取り付け、エンジンを保護するためのガードも付けている。他にもあちこちカバーが取り付けてあって、バイクの動力システムを守るようになっている。タイヤは幅の広いスパイクタイヤを装着している。このスパイクタイヤはロシアで軍事用に開発された特製の物らしい(どうやって入手したんだ!?)。
なおスパイクタイヤはとっくに禁止になったと思っている人が多いが、実は普通の車でも「雪道・凍結路」では使用してよいのである。アスファルトやコンクリートの道を走れないだけなので、除雪車などは結構使用している。また125cc以下の車は例外規定でアスファルトやコンクリートの上も走ることが可能である。実はそれで原付二種を使うことにしたのである。
エンジンを換装する時にいっそ250ccのエンジンと換装することも検討したのだが、そのスパイクタイヤが125cc以下のバイクにしか許されないという問題があり、同じ系列のスーパーカブ110のエンジンを流用することにした。しかしそれではパワーに不安があるのでターボを取り付けた。むろんターボにしたことでノズルやブレーキなど様々な部品の交換が必要になった。
そんなに改造して検査大丈夫?と千里は聞いたのだが
『原付二種の改造は書類申請だけだから。それに保安基準には違反してないよ』
と《こうちゃん》は言っていた。
(ほんとかなぁと千里は疑問を感じた)
そういう訳で、このバイクは《こうちゃん》《げんちゃん》《せいちゃん》3人の共同作品である。コンピュータのプログラムなどは《せいちゃん》が書き換えている。
実は雨宮先生から二輪免許を取れと言われた8月末の段階で、北海道の冬道を走らされる予感があり、《げんちゃん》に頼んでそういうことのできるバイクを探してもらったのだが、結局市販品では無理なので改造することにしたのであった。《げんちゃん》1人では手に負えず3人の共同開発になった。
ナンバープレートを取るのに旭川市役所で手続きをしようとしたら、念のため実物を見たいというので軽トラに載せて持ち込んだ。それで結果的には保安基準を満たしていることも確認されたのだが、係の人が「このバイク凄いね!」と感心していたらしい。
なお非常用にチェーンも3セット用意している。
《びゃくちゃん》に記念写真を撮ってもらってから出発する。
「これ本当に110ccのバイクにターボ取り付けてるの?実際に250ccくらいのバイクの感覚なんだけど」
「まあ細かいことは気にするな」
ターボというのは、小さいエンジンでも「空間を半分に圧縮すれば結果的に倍の排気量のエンジンと同じパワーになる」という発想で生まれたものである。それで倍の空気を送り込むことで倍の燃焼をさせる。
バイクに単純にターボを取り付けるとブレーキ能力が落ちるはずなのだが、それはちゃんと利くのである。一応それはブレーキシステムを大きなバイクのものに交換したとは聞いた。また普通ターボは倍の燃焼が始まるまでに時間が掛かるので、どうしても立ち上がりが遅いのだが、このバイクはいきなりフルパワーになってくれる。
怪しげなバイクだなぁ、実は110ccの空間の中に本当に250ccのエンジンを5次元か6次元くらい使って閉じ込めたりしてないか?などと思いながら走っていく。
さて、網走まで行くのであれば、高速を使うか、せめて旭川方面から国道39号を走りたかったのだが、110ccでは高速を走れないし、雨宮先生からの依頼で、極めて難易度の高い日勝峠を越えてくれという指定なので、国道235号で日高富川まで行き、国道237号で内陸部に入っていく。案の定、路面は圧雪路である。これは普通のバイクではもう走行不能だ。スパイクタイヤだからこそ走ることができる。
千里は慎重に轍の上を走っていく。
当然後ろから来た車に煽られるが、長めの直線など、安全に譲れる場所で停止して追い越してもらう。それまではどんなにクラクション鳴らされようとも、罵声を浴びせられようともマイペースで走る。
死にたくないからね!
せっかく結婚することになったのにエンゲージリングを指に通さないまま死んでたまるか、という気持ちである。
千里は本州では中性的なライダースーツを着ていたのだが、北海道では電熱部品まで搭載した防寒仕様の蛍光ピンクのライダースーツを着ている。しかもマイメロのシールまで背中に貼ってる!!
“女なら仕方無いか”と思ってもらうために女を主張しておくのである。相手が男なら喧嘩しようとする荒っぽいドライバーは全国的に存在する。
R237/R274が交差する日高交差点まで来たのは7時半である。
『千里、チェーンを付けよう』
と《げんちゃん》から言われるのでバイクをいったん停めて《げんちゃん》に取り付けてもらう。このチェーンも特殊なもので実は郵便局バイク仕様の製品を特殊なルートで入手したものである。
それでここから国道274号を走る。いよいよ日勝峠越えである。
清水町まで約56kmの区間だが、千里はこの区間を慎重に2時間ちょっと掛けて走行した。朝早いので霧が出ていたが、千里には全部線形が見えているので問題無い。いわゆる「超感覚的知覚」に近いのだが、千里はそういう感覚を特別なものとは認識していない。普通の人にはなかなかきつい道である。
実際霧のおかげで慎重走行の車が多く、あまり煽られずに済んだ。これは助かった。
「千マイルブルース」の主人公はここを6月の夜中に越えたようだが、雨が凄くて視界が利かず、偶然通りかかったトラックの後ろを走って何とか通過したと書いてあった(こういうのを「ペースカーになってもらう」というらしい)。確かに普通の人ならバイクの前照灯だけでは、とても道路の線形が分からないだろう。ここは傾斜も急だが、唐突に凄いカーブがあったりする。
今回は基本的に昼間だけ走ることにしているが、冬の夜間にここをバイクで越えようとしたら、簡単に死ねるかもとさすがの千里も思った。
『あ、次の待避帯でゆっくりバイクを停止させて』
と《げんちゃん》が言う。
それでそこに入れて停止させる。待避帯は雪が積もっているので実はこれが結構怖い。
『チェーンが切れかかっている。もう取り外せ』
『分かった』
それでチェーンを取り外し(取り外すのは千里にもできる)、その後はスパイクタイヤだけの力で5-6km走り、清水町の市街地に到達した。
清水町内のセイコーマートに寄って牛丼と唐揚げを食べる。やはり日勝峠越えは無茶苦茶体力を使った。更に給油後、そのまま国道274号を走る。清水町を出たのが10時頃である。鹿追町・士幌町には10kmほど直線を走り、右折してまた10kmほど直線を走るという部分がある。
眠くなる!!
それで途中で駐めてコーヒーを飲んだりする。缶コーヒーはたくさん持って来ている。
国道241号(足寄国道)を走って阿寒湖に抜ける。清水町から140kmを4時間半掛けて走っている。天気が良かったから良いが、天気が悪かったら、この倍くらい掛かってもおかしくない道だった。
夏に来たなら阿寒湖・摩周湖と観光したい所だが、できたら今日中に網走まで辿り着きたいと思っていた。
こういう場所にもセイコーマートがあるので、助かった!と思いトイレを借りて肉まんを食べる。少し休んだだけで出発する。
国道241号の凄いカーブの連続を慎重に走り抜け、弟子屈町(てしかがちょう)まで来たのが既に17時である。もう太陽が沈んでしまった。
『千里、悪いことは言わん。ここで一泊しろ』
『分かった』
それで携帯電話を使って楽天トラベルにアクセスし、空いている宿を見つけて予約を入れた。そこに入って駐車場にSuper Cub MD90/110改を駐め、旅館の建物の中に入る。
この日の行程
苫小牧−日高交差点 91km
日高交差点−清水町 56km
清水町−阿寒湖 140km
阿寒湖−弟子屈町 38km
合計 325km
千里がライダースーツで帳場に姿を現したので、旅館の人がびっくりしている。
「あんた、まさかバイク? 今何かバイクの音がしたような気がしたから」
「そうですけど」
「この道をバイクで走ってきたの?」
「はい。今朝苫小牧に着いて日勝峠を越えて、足寄国道を走ってきました」
「よく死ななかったね!」
「特殊なバイクなんですよ」
と千里が言うので、番頭さん(?)はわざわざ外に出て、バイクを見る。
「これ郵便配達のカブに似てる」
「それを110ccにボアアップして、スパイクタイヤを装備しました。でも日勝峠越えるのにはチェーン使いました」
「凄い!でも蛍光色なんだ!」
「吹雪や霧の中でも後続の車に、はねられないようにするためです」
「確かに追突されたら恐いよな!」
旅館の人は、親切で料理も随分サービスしてもらった感じであった。冬場なので泊まり客は少ない。特にこの日は女子は1人だけだったので、のんびりと女湯を独占して疲れを癒やすことができた。(なお千里があがった後で、女性従業員さんたちが女湯は使ったようである)
『なんか浸かっているだけで疲れが取れていく感じ』
『まあ千里もよくやるよ』
と《いんちゃん》が言っていた。
『そういえば意識したことなかったけど、私が女湯に入ってる時、男の眷属たちはどうしてるんだっけ?』
『そりゃ廊下で待ってるよ。何かあったら駆けつけられるように』
『そうだったのか』
『勾陳なんかは初期の頃、傍に付いてたほうが良くないか?と言って白虎に玉を蹴られていた』
『ああ、あいつは一度去勢すべきかもね』
『千里の命令なら去勢してくるけど』
『取り敢えず100年くらいは執行猶予を』
『今頃、お股を押さえているな』
《こうちゃん》はZZR-1400を本州内で走らせて遊んでいることであろう。彼には千里が大洗に到着する時刻までにバイクをフェリーターミナルまで持って来てくれることだけを命令している。
千里が摩周湖は見ていないというと、旅館の人はぜひ見て行くといいですよと言ったので、翌14日の朝、日出(6:55)直後の摩周湖を、旅館の人の車に乗せてもらって!見に行った。
「美しい!」
と言って千里は見とれている。
「実は摩周湖は冬が一番美しいんです。これは写真に撮っておくべきですよ」
と旅館の人が言うので
「すみません。写真撮ってもらえませんか?私、カメラ音痴なんです」
と正直に告白!?する。
「それは大変ですね!」
それで早朝の摩周湖の写真、摩周湖をバックにして、バイクと千里の写真などを撮ってもらった。
「ありがとうございました!」
それで摩周湖から戻って、お土産に摩周羊羹などを買い、8:00に宿を出発した。
国道391号を降りていき、原生花園(さすがに冬季は休園)で有名な小清水町に向かう。この道もけっこうな道ではあるが昨日走った阿寒湖から弟子屈町方面への国道241号に比べたら、とっても楽な道である。小清水町からは海沿いの国道244号を走って網走に到達する。
網走市内に到着したのは10時頃である。
《たいちゃん》が調べておいてくれた土産物店で網走刑務所製のニポポ人形を買う。この人形を持っている所、またバイクの上に置いている所を、また《びゃくちゃん》に記念写真に撮ってもらう。
基本的に記念写真は千里が写っているバージョンと写っていないバージョンを撮ってもらっている。公開するのは千里が写っていないものだけである。
帰ることにする。
ザンギ丼を食べて一休みした後、道道104号を走り、緋牛内で国道39号に合流した後は、ひたすら39号を走る。途中でコンビニを見たのでトイレを借りてホットコーヒーを飲む。更に39号を西行する。
昨日は1日中晴れていたこともあり、道路自体は除雪されていた。夜中に少し雪が降っているがそれもこの時間帯にはもう除雪されている。時々走っている車が落としたものか雪がある場所もあるが、スパイクタイヤがあれば問題無い。やがて石北峠を登る。
四輪であればひとつ北側の旭川紋別道路(北見峠)を通ると楽なのだが、あいにく110ccのバイク(原付二種)では高速道路を走れないのである。するとこの石北峠を越えるのが「いちばんまとも」な道になる。
石北峠を登り切ったのが14時頃であった。
「よし。降りよう」
スピードが出すぎないように慎重に降りていく。いったんスピードが付いてしまうと、グリップがあまり利かないので、ブレーキも利かず(利かせること自体が危険)、あの世との境界を走ることになりかねない。
何とか層雲峡まで30分ちょっと掛けて降りていく。今回は積雪していなかったのでチェーンも使わなかった。
旭川まで来たのが16時半である。美輪子叔母の家に寄る。
美輪子叔母は昨年、市内に中古の一戸建てを800万円!で買って引っ越している。子供が生まれたことから、アパートが手狭に感じたのである。
叔母は在宅だった。
「ちょっと休ませて」
「あんたまさかバイクに乗ってるの?」
「うん」
「こんな時期にバイクなんかで走ったら死ぬよ」
「死なずに済むような特製バイクなんだよ。少し寝る。お休み」
といって仮眠させてもらった。
起きたらもう19時である。
「きゃー!寝過ごした」
「あんた、もう泊まっていきなさい」
「そうする!」
それで千里は《こうちゃん》に向かって『帰りが1日遅れる』と連絡した。何か喜んでいた!?
この日の行程。
弟子屈(R391/244)網走 80km
網走市内______5km
網走(r104)北見市_ 43km
北見市(R39)石北峠_72km
石北峠(R39)層雲峡_20km
層雲峡(R39)旭川__68km
旭川市内______5km
合計 293km 道内累計 618km
やがて賢二さんも帰って来た。
「何か玄関横にバイクが駐めてあるけど」
「はい、私のです」
「まさかバイクで冬の道を走ったりしてないよね」
「走ってます。取り敢えず生きてます」
「どこ走った?」
「苫小牧から日勝峠を越えて阿寒湖・摩周湖を見て網走まで。そして石北峠を越えて旭川まで来ました」
「よく生きてたね!」
「日勝峠を越えたと聞いて私もたまげた」
「このあと苫小牧まで行きますけど、その後、あのバイクをしばらくここに置かせてもらえませんか?苫小牧で友だちに託して軽トラでここまで運んでもらおうかと思っているんですよ」
「うん。軽トラで運ぶのが無難」
それでその夜は泊めてもらった。
「いよいよ婚約指輪をもらったか!」
「まだ受け取ってない。今加工中なんだよ。受け取ったらおばちゃんにもお母ちゃんにも見せに来るよ」
「うん。楽しみにしてる」
「お父ちゃんとはたぶん一戦交えないといけない」
「頑張れ頑張れ」
結局9時には寝て朝までぐっすりと熟睡していた。翌日の午前中も由紀恵ちゃんと遊びながら、美輪子叔母とおしゃべりしていた。
早めのお昼までごちそうになって12時前に出発する。近くのGSで給油するが顔なじみなので
「千里ちゃん面白そうなバイクに乗ってるね!」
と驚かれて2〜3分おしゃべりするハメになる。
しかしここから先の道は除雪されているので問題無く走れる。スパイクタイヤがアスファルトに音を立てるのが申し訳無い気分になる。国道12号を走り岩見沢を2時頃通過。ここから国道234号を走る。交通量の多い36号よりは随分走りやすい。
結局苫小牧西港に16時頃到着する。
この日の行程。
旭川(R12)岩見沢____96km
岩見沢(R234)苫小牧西港 76km
合計 172km 道内合計 790km
フェリーターミナルに到着した時のトリップメーターは790kmであった。
八戸で見たZZR-1400のトリップメーターが978kmだったので、ここまでの累計は1768km。既に1000マイル(1600km)を越えている!
北海道の冬の厳しい道を網走までの往復790km走ってくれたバイクとお別れである。このバイクは冬の北海道専用仕様なので、関東に持ち帰ることはできない。記念写真を撮ってから《げんちゃん》に託す。彼に旭川まで運んでもらい、美輪子叔母の所に置かせてもらう。
大洗行きのチケットは昨日の内に買っておいたので乗船手続きをしてから待合室で待つ。実際にはほとんど眠っていた。やがて乗船案内があるので乗り込む。
18:45発の《さんふらわあ・さっぽろ》に乗り込んだ。
例によって2等のチケットであるが、この船は左舷・右舷が男女に分離されている。女性用の船室・トイレ・浴室が片側に集まっているので、男性とはあまり顔を合わせないまま旅を楽しむことができて安心である。
でもこういう所では、清紀みたいな子はどうするんだろうなと考えた。彼は男性が恋愛対象だから、男性に取り囲まれた状態では多分安眠できない。となると女装で女性寝室で寝るのかも知れない。取り敢えずあの子、女装していたら充分女の子に見えるし。女性に興味が無いから無害だし。
お風呂は混みそうだなと思いながらも覗いてみると、あまり人が居ない感じだったので、そのまま入る。脱衣場には5人居た。全員女子大生っぽい。
「派手なライダースーツ!まさかツーリングですか?」
といちばん若い感じの女の子(実は最年長だった!)から訊かれる。この子は女子高制服を着せたら充分まだ女子高生で通りそうだ。
「ええ。行きは八戸から苫小牧に渡って、帰りは大洗まで」
「すごーい!冬の北海道でもツーリングするんですね!」
「他人(ひと)にはお勧めできません。冬の北海道の道を走れるように改造した特殊なバイクを使いましたから。普通のバイクなら10分で死ねます」
「きゃー」
「乗用車と違ってタイヤが2つしか無いから、スタッドレスとか履かせても雪の上では無力なんですよ」
「やはり二輪と四輪じゃ違うんですねー!」
結局彼女たちとおしゃべりしながら入浴する。
入浴してて思った。
清紀は女装で乗船したらお風呂に入れない!
だってあの子、おっぱいは無いし、ちんちん付いてるし。
(千里は自分が身体改造前も女湯に入っていたことを忘れている)
5人は元々はお互い知らない同士だったのが、北海道旅行をしている内にあちこちで出会い、親しくなったらしい。
「偶然、全員楽器ができるんですよ」
「高校時代軽音とかしてたんですよね」
「私はギター専門だけどベースも弾けるには弾ける。実は三味線も弾く」
と言っているのが五和真希。
「私はベースが好きなんだけど、ギターも弾ける」
と言っているのが三嶋道代。
「個人的にはギターが好きなんだけど、高校の軽音部ではドラムス打ってた」
と言っているのは二見睦子。
「私はキーボードのある楽器なら何でも弾く。ピアノ、オルガン、電子キーボード、シロフォン、グロッケン、マリンバ、ヴィブラフォン」
と言っているのが四谷恵美。
「私は管楽器なんですよねー。トランペットも好きだけど、サックスが一番好き」
と言っているのが十勝萌子。
「ちょうどバンドができるじゃん!」
と千里は言った。
「それで実は札幌でスタジオに寄って、楽器も借りて2曲吹き込んでみたんですよ」
「おお、凄い!」
「何か5人で結構意気投合したね」
「みんな上手かった」
「よかったら、後で聴かせてよ」
「いいですよ〜」
それでお風呂からあがった後、千里はその5人と一緒に食事にも行く。
食堂はバイキング方式なので、最初に基本セットだけ取って来て、その後は食べながら皿の上のものが無くなったら少し取って来て食べるということを繰り返した。
彼女たちが作ったCDを1枚あげますよということで頂いた。
「何枚作ったの?」
「取り敢えず10枚作ったんですけどね〜」
「それは貴重なものを」
それでパソコンを取り出して聴いてみる。
「バンド名はMCCって言うんだ?何の略?」
「Mintie cut cory, 男の娘がちんちんを切る、かな」
「え〜〜〜!?」
「それ昨日遭遇した性別曖昧なおばちゃんから言われたんですけどね」
誰だ?それは?知り合いじゃないだろうな?
「それ実はローマ数字なんです」
「ああ!」
十勝萌子が全員の名前を紙に書き出した。
五和真希/四谷恵美/三嶋道代/二見睦子/十勝萌子
「偶然にも全員、名前に数字が入っているんですよね」
「ほんとだ!」
「それで5 x 4 x 3 x 2 x 10 で1200になります。これをローマ数字で書くと MCC になるんですよ」
「面白いね!」
「そういえば、ちさとさんはどんな漢字?」
というので《村山千里》と紙に書いてみせる。
「数字が入ってる!」
「ひとりでいきなり1000も稼いでいる」
「知り合いにこういう名前の子がいるよ」
と言って《折口万梨花》と書く。旭川L女子校で現在高校2年生。先日新しいキャプテンに就任したと聞いた。
「もっと上がいた!」
「上には上が居る」
と言って千里は更に《細川京平》と書いた。
「おお!これは大きい!」
「京って千かける千くらいだっけ?」
「それは百万にしかならない」
「あ、そうか!」
「億かける億で京だよ」
「遙かすぎる」
「でもMCCっていい名前だと思うよ」
「MMCと言い間違えたりする」
「それなら2100か」
「数字が入ってるなというのは意識してたんですよね〜」
「1200ってなんかいい数字って気がするし」
CDを聴いてから千里は言った。
「これ地元に戻ってから、もう少しアレンジを練ってそれで再度音源作って売り出すといいよ。売れるよ」
「売れます?」
「この曲はオリジナル?」
「ええ。《女子大生物語》は(四谷)恵美ちゃんの曲、《白い山と吹雪》は(五和)真希ちゃんの曲」
「みんなどこに住んでいるんだっけ?」
「それがバラバラなんですよね〜」
「ありゃりゃ」
「(五和)真希ちゃんは東京、(四谷)恵美ちゃんは金沢、みっちゃん(三嶋道代)は京都」
「むっちゃん(二見睦子)は香川、もえちゃん(十勝萌子)は博多」
「バラバラだね!」
「でも春休みくらいに一度集まってまた音源制作してもいいかもね」
「みんな何歳?」
「18歳から22歳まで」
「全員生れ年も違う」
「生まれ月も全員違う」
「現時点で年齢が5種類」
「学年は4つだけど」
「来週になると年齢も4つになってしまう」
「ほんとにバラバラだね!」
「こんなバラバラな5人が集まったのは奇跡じゃないかって言ってたんですよ」
「うん。奇跡だと思う」
「誰がいちばん若いと思います?」
「睦子ちゃんでしょ?」
「すごーい!どうして分かったんですか?」
「いや、今のは推理で解けた」
と千里は言う。
「そうなんですか?」
「現在年齢が5つあるのに、来週になったら4つになるというのは、18歳の子が19歳になるということ。つまりその子は1月生まれ。睦子というのはたぶん睦月(むつき)から取ったもので1月生まれだと思ったもん」
「すごーい!」
「探偵みたい」
「でも見た目では、萌子ちゃんがすごく若く見えるよ」
「そうそう。昨日会った性別曖昧な人も、もえちゃんが一番年下でしょ?と言ったんですよ」
なんかその性別曖昧な人って知り合いのような気がするなあ。
「もえちゃん童顔だもんね」
「車運転してたら白バイに停められて、何の違反したろう?と思ったら『中学生が運転したらいかん』と言われたって」
「あはは」
そういう訳で5人のプロフィールはこのようであった。
Sx 十勝萌子 福岡大学 22歳4年生 1989.5.17 牡牛 地(風)
Gt 五和真希 青山学院 21歳3年生 1990.6.25 蟹_ 水(火)
KB 四谷恵美 金沢美大 20歳1年(浪) 1991.4.07 牡羊 火(地)
B_ 三嶋道代 同志社女 19歳2年生 1992.2.15 水瓶 風(水)
Dr 二見睦子 香川大学 18歳1年生 1993.1.16 山羊 地(水)
「恵美ちゃん、金沢美大(石川県立金沢美術工芸大学)って凄い!」
と千里が言うと他の子も
「凄いですよね〜! ほんとに絵がうまいですよ」
「あ、このジャケットの絵が恵美ちゃん?」
「そうなんですよ」
「でも入るのに1年浪人しました」
「だってレベル高いもん」
「絵のうまい人ばかりで、気後れしますよ」
「それはお互いにみんなそう思っていると思う」
「千里さん、誕生日聞いていいですか?」
「1991年3月3日。太陽は魚で月は天秤。だからその書き方なら水(風)」
「あ、千里さん入れると1月から6月まで揃う」
「そうそう。3月生まれが欠けてるよねと言ってたんですよ」
「ちなみに千里さん楽器は?」
「キーボードも弾くけどフルートとか龍笛とか横笛に自信がある」
「あ、笛の担当が居なかったんです」
「どのくらい吹くんですか?」
「フルートも龍笛も持って来てるよ。聴く?」
「ぜひ」
それで食事もかなり食べたしということで食堂を出てデッキに行く。龍笛を取り出して吹いてみせた。
「すごーい!」
「物凄い迫力」
ついでにフルートも吹いてみせる。
「きれーい」
「格好いい!」
「ちなみにバンドとかする気は?」
「ごめーん。別のバンドに入っているんだよ。インディーズだけど」
「あらぁ残念」
「でも音源制作するときに時間が空いてたら協力してもいいよ」
「ぜひぜひ」
「ちなみになんて名前のバンドですか?」
「ゴールデンシックスというんだよね。これ去年作ったCD。1枚ずつあげる」
と言って5人に『海の旅路』というアルバムを配った。
「1800円って書いてある」
「仲良くなったからプレゼント」
「ありがとうございます」
「どのくらい売れてます?」
「一昨年作った『赤い情熱』は1200枚売れたんだけどね。これはまだ現時点で800枚くらい」
「インディーズでその数字は、物凄く売れている気がする」
「まあお小遣い程度にはなってるよ。1800円が1200枚売れると216万だけど、インディーズの場合この半額を制作者が取れる。約100万だけど、実際に制作に関わっているのが10人くらいだから、その貢献度によって比例配分している。まあ平均1人10万円ということで」
「美味しい!」
「君たちのバンドはもっと売れると思う」
「よし、春休みに集まろうよ」
「大阪か京都に集まらない?」
「その方が交通費が節約できるね」
その後おやつを調達した上で船室に行き、おしゃべりした。
「なんかバイキングで食べ過ぎた気もする」
などと言いながら、ポテチやクッキーを食べる。
結局消灯時間までずっとおしゃべりしていた。
千里は旅疲れもあり早めに眠ってしまったが、他の子たちは夜中すぎまで小声で話していたようである。
大洗港に到着したのは1/16 14:00である。
《こうちゃん》がZZR-1400を持って来てくれているので受け取る。
「凄いバイクですね!」
と萌子たちが驚いている。
「これで北海道も走りたかったんだけど、雪の上では普通のタイヤは無力だからそちらは別のバイクで走ったんだよ」
「へー!」
「夏ならこのバイクで走れたんだけどね」
ZZR-1400の前に6人で並んで《こうちゃん》に記念写真も撮ってもらった。
それで彼女たちと別れて千里は最後の行程を走った。
大洗(R6/R1/R16)横須賀 186km
横須賀から福島方面に行った時は国道15号(第1京浜)の方を通ったのだが、帰りは国道1号(第2京浜)を通ってみた。この付近は昼間はひたすら混んでいるが、バイクはあまり渋滞とは関係無いので、車線の間をすり抜けて進んでいき、結局18時頃、横須賀のスナックに戻った。
ZZR-1400のトリップメーターは八戸で記録した時978km、大洗で(どこを走りまわっていたのか3000kmを越えていたのを)リセットしてここまで186kmであった。Super Cub MD90/110改のトリップメーターが790kmを示していたので、合計1954km(1214 mile)で、千マイルならぬ1200マイルの旅であった。
1200といったら、萌子たちのMCCだなと千里は思った。それに貴司に買ってもらった婚約指輪の石が1.2ctである(貴司は取り敢えず230万現金でくれて、残り27万は月末まで待ってと言っていた)。12という数字に縁があるなと思う。
お店の前に先日も見たハーレーダビッドソンが駐めてある。その隣にZZR-1400を駐めさせてもらった。
10日の夜に会った人物がカウンターでビールを飲んでいた。
「ただいま戻りました」
「おお、もう帰ってきたか」
「ニポポ人形です。5個買ってきたので、1個は室田さんに、1個はYさんに」
と言って、網走で買ったニポポ人形を2つ渡す。
「ありがとう。さっきまでそのYも居たんだよ」
と彼は言う。
「ちょうど入れ違いになっちゃったね」
とマスターも言っている。
「じゃその内」
「でも大変だったでしょ?」
「これが北海道で使用したバイクですよ」
と言って特製バイクの写真を見せる。
「これが?何かこのバイク凄いね!」
「結局冬の雪道を走るにはスパイクタイヤが必要なんですが、スパイクタイヤは125cc以下のバイクにしか許可されないから、110ccにしたんです。これは雪上走行能力に定評がある、郵便配達のバイクSuper Cub MD90 をエンジンを110ccにボアアップしてターボも取り付け、燃料タンクも6Lのを取り付けて、それでスパイクタイヤを装着したものなんですよ。それでも日勝峠ではチェーンを使いました」
「チェーンが要るだろうね!」
「125cc程度のパワーがあれば日勝峠は越せるというので、何人か経験者の方のお話も聞いたんですが、冬だし不安だなと言ってターボを付けたんですよね〜」
「よくターボのバイクとか使うなあ。俺はそちらが恐い。独特の癖があるでしょ?」
「このバイクはプログラムもいじってあるので、立ち上がりが早いんですけど、普通は立ち上がりが遅いしブレーキも利きにくいと言いますね」
「それそれ」
「普通の人は250cc以上にした方がいいですよ。これはテレビで公開されるから250ccにスパイク付けて走行したと言ったらクレームが押し寄せるので、仕方なく110ccにしたんですけど」
「今は何か嫌な時代だね。みんな心の余裕を無くしていると思う」
と室田さんは言っていた。
「雨宮先生からこの冬に北海道の道を走ってもらうよと夏頃言われたんで、北海道のバイク好きの友人に頼んで1台マシンを改造してもらったんですよね」
「ねぇねぇ、その改造の詳しいこと聞きたい」
「じゃ友人に連絡しておきますよ。北海道以外では使えないバイクだから、こちらには持って来られないので。お時間の取れる時に実際に旭川に行って実物をご覧になった方がよいかも」
「そうしよう」
結局彼は北海道まで行き、《こうちゃん》から実物を見せてもらい、実際に走行してみて感激し、このバイク譲ってくれない?と言ったらしいが、色々“怪しい改造”をしているので、さすがに他の人には渡せない。それでもう一台、同様のスペックのバイクを作って渡すことにした。
その際、エンジンは素直に250ccに換装した。結果的にアスファルトやコンクリートの路面は走れないことになる。タイヤを交換すれば走れるが、交換したタイヤをどこに置く!?という話になる。四輪なら荷室に乗せればいいのだが、バイクではそんなものを収納できる場所は無い。
なお千里が乗ったカブが“砕駆ロン”、室田さんに売ったバイクは“針ケーン”と《こうちゃん》は言っていた。
千里は1月16日夜に室田さんと会った後は、横須賀のホテルに1泊し、17日朝にZZR-1400を運転して千葉に戻った。
この行程が98kmである。その前に大阪から横須賀まで10日の昼間に走った距離が510kmあるので、これも加えると今回の旅は合計2562km(1592mile)ということになった(その内ZZR-1400は1770km=1100 mile)。
この旅に出る前にこのバイクで走っていた距離は日々の練習で800km、房総半島一周が230km、遠刈田温泉と国道459号の旅が900km、千葉→大阪が540kmで合計約2500km程度走っている。今回の旅は単独でこれまでの走行距離に相当する大きな旅となった。
1月17日は午前中は寝ていたが、午後、宝石店から婚約指輪の内側に刻む絵と文字の図案ができているという連絡があったので、見に行った(貴司は任せると言っていた)。実際の18金の指輪に刻印した様子をシミュレーターで見てOKを出した。それで作業を進めてもらう。
1月16日、青葉は母と一緒に射水市に新しくできた病院を訪れた。昨年青葉のGID診断書を書いてくれた鞠村先生、婦人科の増田先生、泌尿器科の前川先生、そして外科の松井先生の診断を受ける(むしろほぼおしゃべり)。それで正式には倫理委員会の決定を経てからになるが、青葉は15歳の誕生日を過ぎたあと、7月くらいにこの病院で性転換手術を受けさせてもらえることになった。その倫理委員会の許可が下りた時点でアメリカのX病院の方はキャンセルすることにする(実際には申し込みも15歳になった後ということだったので、まだ申し込んでいる訳ではないが青葉が電話してそのことを伝え、謝った)。
松井は「男の娘のおちんちんを切って女の子に変えてあげるの大好き」とか「手術でちんちん切り落とす時は興奮して濡れちゃう」などと発言する、ちょっと危ない感じの先生だった。アメリカでは「おちんちんを120本切り落とした」などとも言っていた。自分でちんちんを切断してしまい救急搬送されてきた小学生をちゃんと女の子の形にしてあげたこともあるらしい。
「以前盲腸で入院してきたMTFの高校生がいてね。盲腸のついでにおちんちんまで切ってあげたかったけど、我慢した」
などと言っているし(ちんちんを切るのは我慢したが、本人の懇願によって?タマタマは取っちゃったらしい)、鼠径ヘルニアの20歳のMTFさんの睾丸をその付近を手術するついでに?除去してあげたこともあるらしい。
「本物の睾丸を除去してダミーのシリコンボール入れる手術は数百件した。本人が言わない限りばれないもんね。手術は30分で終わるし料金は学生割引1000ドルにしてたし、男性化を止める確実な手術だよ」
などともいう。どうもニュアンス的に中高生の内緒の去勢手術っぽい。
更には青葉はこんなことまで言われた。
「青葉ちゃん、何なら今すぐちんちん切ってあげようか?書類上、夏休みに手術したことにしておけばいいじゃん」
これはさすがに鞠村先生から注意されていたが、青葉は「今すぐ切ってあげようか」と言われて、かなりドキドキした。
「でも7月に手術ということになると、千里ちゃんと同じような時期になるかもね」
と帰り道、朋子は青葉に言った。
「うん。向こうが1週間くらいでも早いといいんだけどな。そしたら手術後のヒーリングをしてあげられるから」
「無理しちゃダメよ」
「うん」
1月18日。千里は朝からインプレッサに乗ると東名/伊勢湾岸道/東名阪/名阪/R24/R370/R480/R371、更に県道?/林道??/私道???と怪しげな道を走って、高野山★★院まで行った。
到着したのはもう夜22時すぎである。
千里は何も連絡していなかったのだが、千里が到着した時には瞬醒さんが玄関の所に立っていて
「瞬里ちゃん、お疲れさん」
と言ってくれるのはさすがである。
「これを出羽山の守り人から瞬嶽師匠にと預かりました」
と言ってビニール袋に包んだ数珠を渡す。
「なんか凄いものだね、これは」
「春になってからでいいので、渡して頂けますか」
「OKOK」
と言って受け取ってから
「観音経が聞こえるね」
と言う。
「この数珠の持ち主がたぶん亡くなる時にずっと観音経を唱えていたのではないでしょうか」
「もしかして震災で亡くなった?」
「どうもそのようですね。亡くなる時に願を掛けたみたいです」
その時、瞬醒はハッとしたようにして言った。
「俺は・・・・この数珠の珠を全て、然るべき人たちに配り終えるまで死ねない」
「良かったですね。これであと6年くらい生き延びられますよ」
「あんた俺の寿命を・・・」
「少なくとも師匠より先に死んではいけません」
「・・・・・」
「医者から勧められている手術受けた方がいいです」
「分かった・・・・でも君、何者?」
千里は「あれ〜〜?」と思いながら言った。
「今、私、変じゃありませんでした?」
「何か降りてきていたのか!?」
「そうみたいです。私、よくこれがあるんですよ」
と千里は困惑した顔で言った。
「でもひとつだけ」
「うん?」
「手術を終えて退院したら、玉置に一度おいでになってください」
「分かった」
「と言われた気がしたんですが、何の手術を受けられるんですか?」
と千里は訊いた。
瞬醒は苦笑しながら答えた。
「諸悪の根源を取り除くんだな」
「魔羅ですか?」
「あんた凄いこと言うな」
「青葉は今年の夏に魔羅を取り除くようですが」
「ああ、あの子はそれで清浄になるだろうね」
お茶と菓子を持ってきてくれた若い修行僧が不安そうな顔をしていた。
「大丈夫だよ。君たちに魔羅を取れとは言わないから」
と瞬醒は念のため言っておいた。
「でも昔は羅切とかした人もあるんでしょう?」
「まあ希望する人には医者を紹介するが」
「希望しません!」
「現代でもあるんですか?」
「自分で切ったら死ぬから、切りたかったら病院で切ってもらいなさいと指導している、と瞬嶺は言ってたな」
「美容整形の一種ですかね?」
「昔は優生保護法で禁止されてたから陰茎癌の名目で切ってたみたいだよ」
「ああ。私の中学時代の友人が陰茎腫瘍でちんちん切りましたよ」
と千里は言う。
「ちんちん取っちゃったの?」
「最初に掛かった医者は全部取りましょうと言ったのですがセカンドオピニオンで別の医者に診せたら、腫瘍の部分だけ切って、前後をマイクロサージャリーで繋ぎ合わせる手術をしてくれたんですよ」
「良かったね!」
「まだ中学生なのにちんちん失ったら辛いでしょうし」
「いや70過ぎてもちんこ無くすのは辛い」
「あ、そういうものですか?」
「で、結局、瞬醒さん、ちんちん取るんですか?」
「取らねぇよ!俺は胃癌だよ!」
「ああ、そちらでしたか」
千里はこの夜は★★院に泊めてもらい、翌19日には大阪に寄ってから20日に1日掛けて千葉に戻った。
1月23-24日(月火)にはクロスロードのメンツで再度伊豆に行き、また温泉を貸し切って一緒に女湯に入り、そのあと前回は食べることのできなかったキンメダイを食べた。
今回参加したのは11人である。
桃香・千里・美緒・紙屋清紀、和実・淳、冬子・政子、あきら・小夜子・みなみ
胡桃は美容室の開店準備が忙しくて欠席。青葉・春奈は平日で学校があるので欠席である。3人減るので誰か誘う?などと大学で桃香と“千里”が話してたら、
「温泉?行く行く」
と美緒が言い、近くに居た紙屋にも
「清紀も行くよね?」
と言って、本人は何のことか分からないまま参加登録してしまった。
紙屋は温泉で女湯に入ると聞いて仰天したようだが、周囲は女ばかりと聞いて
「だったら問題無いか」
と言ったらしい。
彼はふだん銭湯の男湯に入るが、実は裸の男ばかりの所にいると、誰かに押し倒されないだろうかと妄想してしまい、すごく居心地が悪いらしい。彼は髪はかなり女性的な髪型だし(美容室で「岸本セシルさんみたいな髪型にして」と頼むらしい)、足のむだ毛はきれいに脱毛済みだし、バストは無いものの腰のくびれ具合とかが女性体型なので、男湯にいると結構ギョっとされるらしい。ちなみに女湯に入ったことは(幼稚園の頃を除けば)無いと本人は言っていた。
今回は貸切なので男の身体のまま女湯に入っても問題無いのだが“マナー上の問題”でタックをしてもらった(おっぱいが無いのは勘弁してあげた)。タックは毛を自分で全部剃ってもらった上で、接着剤方式で千里がしてあげたのだが
「凄い!まるでちんちんが無くなったみたい」
と言って嬉しがって?いる感じだった。
あまり嬉しそうなので
「ちんちん無くしたいならお医者さん紹介しようか?費用は分割払いもできるよ」
と聞くと
「無くしたくはない」
と言っていた。
「でもセックスでは使わないんでしょ?」
「使わなくても無いのは困る」
「よく分からないなあ。タマタマだけでも取る?」
「いやだ」
むろん部屋は美緒と同室で一緒の布団に寝たようであるし、美緒が男役、紙屋が女役だったようである。紙屋はその後、一週間くらいタックをしたままだったらしいが、(美緒に強引に連れて行かれた)スーパー銭湯でお股に何も無いのを見られて仰天され「病気で取ったんです」と言い訳したらしい。
ちなみに紙屋は女湯に美緒が連行しようとしたが逃げだし、男湯の脱衣場で従業員さんに見とがめられたものの胸が無いのを確認してもらって男湯に入ったらしい。
「でも次あそこに行けないよお」
と紙屋は言ったが
「次もタックして行けばいい」
と美緒から言われ、悩んでいたらしい。
「ちなみにおっぱい大きくしたら女湯にいつでも入れる」
「ボクはおっぱいの大きな男の娘とするのが理想だから、自分におっぱいがあっても、どうしようもない」
そんなことを言いつつ、美緒が自分の胸に触らせると、羨ましそうにしていたらしい。
「女性ホルモンの注射してくれる病院知ってるけど」
「要らない!」
「既に錠剤で飲んでるんだっけ?」
「飲んでない」
「だって私が触ってもあまり大きくならないよ」
「だからボクはゲイだから、女の子に触られても気持ち良くないんだよ」
「男の子の身体って複雑だね」
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【娘たちの1200】(2)