【娘たちよ胴上げを目指せ】(3)

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「でも握手もしてもらったし。これで絶対優勝できると思う」
と留実子は言った。
 
「おお、それは凄い!」
 
「千里は何かもらったね?」
 
「うん。彼はその人に必要なものを出現させるんだって。師匠に相談しろと言われたから、帰国してから相談してみる」
 
と言って、千里は3つの石英の珠(藤雲石、ローズ・クォーツ、グリーン・アメジスト)をビニール袋に入れ、バッグにしまう。
 
「それ税関で何か言われないかな?」
「下着の中に入れておけば平気」
「ふむふむ」
 

“彼”の正体については、現地日本人会の人たちは大半が把握したようである。炊き出しに並んでいた地元の人たちはほとんど気付かなかったようだ。日本人選手団・スタッフの中では気付いたのは半数くらいのようである。早苗などは「誰だろう?」みたいな顔をしていた。
 
「でも千里、インドの言葉分かるんだ?」
と尋ねられる。
 
「今のは何というか。同時通訳してもらったというか」
「へ!?」
 
「“彼”は基本的にはマラーティー語を話すんだけど、ヒンディー語、ウルドゥ語なども理解はできるらしい。公演などで英語を話す所は何度か目撃されているけどごく簡単な英語しか使っていなかったから、あまり得意ではないのだろうという話だったよ」
 
と千里は言った。
 
「なんか他人事のようだ」
 

「でも、サーヤのこと、可愛いお嬢ちゃんと言ってたね」
と千里は話題を変える。
 
「うん。ちょっと感動した」
と留実子は言っていた。
 
「ちゃんと女の子に見えたんだね」
と星乃が言う。
 
「ああいう人はその人の姿形じゃなくて、その人の本質をズバリ見ちゃうから、女の子と判断したんだよ」
と千里。
 
「サーヤって中身は男の子と思ってた!」
「うーん。。。僕の中身は結構女装男子かも」
「は!?」
 

「サーヤは女物の服を着ることを強制されると反発するけど、女物の服自体が嫌いな訳では無いからね」
と千里は言う。
 
留実子は曖昧に微笑んでいる。
 
「そういえば、サーヤは成人式はどうするんだっけ?」
「母ちゃんが振袖のレンタル予約しようかと言ったけど、どうせ僕に合うサイズのは無いから要らないと言った。まあ、ジャージの上下で出席しようかな」
 
「サーヤなら、それも様になる」
 
「私は特注で注文したよ」
と玲央美が言う。
 
「おお、さすが!」
「私くらいの身長に合わせられる特別に長く作られた生地が存在するんだよ。それを仕立てられる人も実は少ないらしい。先月中旬に頼んだんだけど、今の時期がギリギリと言われた」
 
「いくらした?」
と彰恵が訊く。
 
「70万」
「高ぇ〜〜〜!」
「でもさすがレオちゃんだよ。私の給料じゃそんなの買えない」
などと早苗が言っている。
 
純子なども「わぁ・・」という感じで玲央美を憧れるように見ている。
 
「早苗も高級取りっぽい気がするけど」
「銀行の給料って、一般に考えられているほどは高くないんだよ」
と早苗。
「うん。私も今までの貯金と冬のボーナス全部注ぎ込む」
と玲央美。
 
「僕はボーナスでも70万なんて無理だ」
とサクラが言っている。
 
「レオと同じ銀行なのに?」
「レオと僕とじゃ給料が違いすぎるよ」
「あぁ・・」
 
「サクラは実家に給料の半分を仕送りしているから、なお厳しいんだと思う」
と玲央美が言っている。
 
「私、仕送りとか全然してない親不幸娘だし」
と玲央美。
 
「サクラって偉い」
という声があがる。
 
「ここはお金持ちの千里がサクラとサーヤに彼女たちの背丈に合う特製振袖をプレゼントしてあげなよ」
 
などと江美子が言っている。サクラも厳しいが、留実子は更に経済的に厳しい状態にあることを江美子は知っている。
 
千里は苦笑した。
 
「でも今からでは、お仕立てが間に合わないのでは?」
と心配する声がある。
 
「それなんだけど、千里と話していたんだけど、実はインクジェットでもよければ、20-30万で、しかも帰国してすぐ頼めば何とか間に合うんだよ」
と玲央美が言う。
 
「何それ?」
 
「本来、友禅の振袖は人間が手作業で絵を描く。それだと最低100万円以上する。ただしゴム糸目という簡易製作法ならもう少し安い。私が頼んだのは手作業で描く代りにスタンプ押すみたいにして作る。それで60-70万円で済む。ところが、最初から模様をインクジェットプリンタで白い生地に印刷して作っちゃうものもある。これだと安いのだと15万とか20万で出来ちゃうんだよ」
 
と玲央美は説明した。
 
「それ凄い」
「ただ、印刷だから、絵画とポスターの違いのように、その差が歴然としているんだよね」
 
「いや、安ければ構わん」
 
「レンタルでは無理っぽいのは、百合絵もでは?」
「私は春に頼んだ。実は私も60万掛かった」
と百合絵。
「きゃー!」
「私と一緒に頼んだんだよ。私は50万」
と彰恵。
 
「みんなお金はどうしてんの〜?」
「母ちゃんが積み立てしててくれた」
と百合絵。
「お祖母ちゃんが出してくれた」
と彰恵。
 
「積み立てしてくれるお母ちゃんや、ポンと出してくれるお祖母ちゃんが欲しい」
という声があがる。
 
「ステラはどうすんの?」
「レンタル。背の高い人用のは在庫が少ないから、早い時期に押さえておかないと厳しい。でもレンタルでも15万した」
と星乃は言っている。
 
「借りるだけで15万〜?」
「振袖って流行もあるし、貸すのは成人式の時だけだし、3〜4回貸して元が取れないとまずいらしい」
「いいやつだと、レンタル料30万くらいするよ。私は12万の借りる」
と渚紗。
 
「トモさんは去年どうしたんですか?」
「私はレンタル。5万。私の背丈なら、ふつうにレンタルできる」
「そっかー!」
 
「ツル(早苗)やキラ(江美子)、来年だけどユキ(雪子)も普通の品のレンタルで行けるよ」
と朋美は言う。
 
「キラは普通のサイズで足りる?」
「微妙かも。やはり高身長さん用のでないと難しいかも」
 
「実は私も何も考えてなかった。私もレンタルが難しかったらインクジェットコースかなあ。20万くらいなら何とかなると思う」
と江美子は言っている。
 
「私は特注コースですよね?」
と純子。
「そうなるね」
「純、貯金しときなよ」
 
「すると、レンタルが厳しくて、まだ頼んでないのは?」
「やはりサクラとサーヤだな」
「華香と誠美も絶対無理。あの子たちも何も考えてない気がする」
 
「桂華もレンタルでは厳しいと思うけど、あの子頼んでたかなあ」
「桂華はお母さんがしっかりしてるっぽいから、もう頼んでたかも」
「あとで電話してみよう」
 
「で、結局、サクラとサーヤの振袖は?」
 
「じゃ優勝したら、私がプレゼントしてもいいよ」
と千里は言った。
 
千里としては無条件でそのくらい出してあげてもいいが、何かの報酬という形にしないと、留実子はいいとしてサクラが遠慮するだろう。
 
「じゃ頑張る」
と留実子が言ったので、迷うような顔をしていたサクラも
「じゃ僕も言葉に甘えて」
と言った。
 
「よし。頑張って優勝して、サクラとサーヤが振袖で成人式に出られるようにしよう」
と星乃は言った。
 

お昼が終わった後、ホテルに戻った所で世界選手権の結果が入った。最終戦の9-10位決定戦では、かなり競ったものの最後は84-79でブラジルに敗れた。これで日本は今大会10位で終わった。しかしこれは1998年に9位になって以来の成績である。
 
世界選手権・五輪の成績
1990 12位 1992 × 1994 12位 1996 7位 1998 9位 2000 × 2002 13位 2004 10位 2006 × 2008 × 2010 10位
 
三木エレンは1975年7月生。1992年のU18 ABC選手権(現在のU18アジア選手権。ABC = Asian Basketball Confederation. FIBA-Asiaの旧名)で活躍。翌年のジュニア世界選手権(現在のU19世界選手権)で8位になるのに貢献した。1995年のアジア選手権で初めてフル代表になり、1996年のアトランタ五輪に出場して7位になった。アトランタに出場した人はもうみんな現役引退しており、彼女はアトランタ7位入賞の最後の戦士である。
 
この日、チェンナイではL2の3位決定戦と決勝が行われた。その結果、L2の最終順位は次のようになった。
 
1位タイ 2位ウズベキスタン 3位スリランカ 4位インドネシア
 
この大会はこれが最後なので、入れ替え戦は無しである。
 

ところで今回のU20日本女子代表では直前になって選手の入れ替えが3回も起きたため、背番号の流用も3度起きている。
 
13.高梁王子→渡辺純子
14.中丸華香→花和留実子
9.橋田桂華→竹宮星乃
 
桂華は9番のユニフォームを返却しようとしたが、記念に持ってなさいと言われて、退院したら実家に持ち帰ることにしたようである。王子と華香は急に交替したため、U20のユニフォームを持ったまま、フランスに渡っている。むろんそれとは別にフル代表のユニフォームを支給された(王子は15 華香は6)。U20のユニフォームとフル代表のユニフォームは、どちらも白(ホーム用)・黒(アウェイ用)の胸に JAPAN の文字が入っているが、ロゴその他に微妙な相違がある。
 
10月2日。朝御飯を食べた後、少しミーティングをしてから午前中の練習を中学校の体育館でおこなう。その練習をしている最中に思わぬ来訪者がいる。
 
「プリン!?」
「なぜここへ?」
「と言うより、どうやってここへ?」
 
それは昨日までチェコで世界選手権を戦っていたはずの高梁王子であった。
 
「ユキさん入れると7人対6人で紅白戦の人数が合わないでしょ。私も入れてください」
「歓迎歓迎」
 
それでU20の練習用ユニフォーム背番号13を付けたままの王子が練習に加わり紅白戦をする。つまりこの日は13のU20ユニフォームを付けているのが王子と純子と2人いた。
 
「プリン凄い進化してる!」
「世界の強豪と戦って、毎日自分が進化している気がしました」
「凄い凄い」
 

お昼御飯の時に聞いてみると、王子はこのようにしてチェンナイに来たらしい。
 
世界選手権、最後の9-10位決定戦が現地時刻の午前11時前に終わった。王子はその後の様々な行事はパスさせてもらって必要最低限のものだけ持って(荷物の整理は華香に頼んだらしい)、現地日本人会の女性の車に乗せてもらい、プラハに向かった(高速道路を通って2時間)。
 
そしてプラハ(PRG UT+2)から次の連絡でチェンナイ(MAA)に飛んできたのである。
 
PRG 16:00(EK140 5:59)23:59 DXB(UT+4)
DXB 02:45(EK544 4:05)08:20 MAA(UT+5.5)
 
ドバイ空港(DXB)はトランジットするだけなら入国する必要は無い。乗換通路を通って乗り継ぐことができる。
 
そしてインドの入国ビザであるが、実はインドのビザは世界一取得の手続きが面倒と言われているのだが、王子のビザはU20アジア選手権に参加するため、8月中に取得されていたのである(時間が掛かる恐れがあったので早めに手続きしておいた)。
 
「航空券代とかプラハとの往復ガソリン代とか、チェンナイ空港からここまでのタクシー代とかは。田中コーチ(藍川真璃子)が出してくれたんですよ。それと代表チームとの交渉もしてくれて、私だけこちらに来れるようにして下さったんです」
 
「なるほど!藍川さんのしわざか」
と高田コーチが納得するかのように言った。
 
「でもその場で航空券買ったせいか、こういうことになっていて」
と王子が航空券の半券を見せてくれる
 
「ん?」
「性別が男になってるじゃん」
 
そこには Kimiko Takahashi age:18 sex:M という文字が印刷されている。
 
「そうなんですよ」
「よくそれで乗れたね。プリン、パスポートは?」
「ちゃんと女になってますよ」
 
といってそれも見せてくれる。
 
「航空券とパスポートの性別が違っていたらふつうは乗れない」
「でもプリンは見た目が男の子だから、Mの航空券で乗れちゃったのかもね」
 

「でもよくドバイ空港で迷子にならなかったね」
と彰恵が言う。
 
「田中コーチのお友だちでドイツに住んでいる鈴木さんという方がプラハ空港からチェンナイ空港まで付き添ってくださったんですよ。おかげでドバイでスムーズにトランジットできたし、チェンナイ空港では、その鈴木さんがタクシーに乗せて下さったんです」
 
「それは良かった」
 
ふーん、“お友だち”ね〜と千里は思う。どうも玲央美も同じ事を考えているようだ。おそらくは藍川さんの眷属なのだろう。
 
「実はプラハ空港で航空券買ってくださったのも鈴木さんで。私チェコ語分からないし」
「いや、英語くらい通じると思うぞ」
 

「でもエミレーツ航空(EK)はフライトアテンダントさんが、すっごい美人ばかりでした」
「ほほお。さすがお金持ち航空」
「あれって絶対美しさを基準にして採用してますよ」
「うんうん。そう言われてるよね」
 
「その中に鈴木さんのお知り合いのフライトアテンダントさんがおられて、向こうから『鈴木さん、いつもご利用ありがとうございます』なんて話しかけられてました」
「へー!」
「エミレーツの常連というのは凄い」
「お金持ちなのかなあ」
 
「それで、このフライトアテンダントさん、実はtransgenderなんだよと鈴木さんがおっしゃって」
 
「え〜!?」
 
「エミレーツの常連さんたちの間では割と有名だって言っておられました」
「そうなんだ!」
 
「ついでに鈴木さんが、ジョークで私のことHer,tooと言っちゃって」
「それ、ジョークなのか、それとも鈴木さんは本当にそう思い込んでいたのか」
 
「いや、その鈴木さんがプリンを男の子と思い込んでいたから、性別男で航空券買っちゃったのかも」
「あり得る、あり得る」
 
「それでそのフライトアテンダントさん、私に、まだ去勢してからそんなに経ってないのかな。ちゃんと女性ホルモンしてたら、もっと女らしくなれるから自信持ってねと言ってました」
 
「あははは」
 
「私、女性ホルモン飲んだ方がいいのかなあ」
「やめなさい。生理不順になるから」
 
「でも物凄い美人さんでしたよ。小さい頃から女の子の名前付けられて、女性ホルモン与えられて娘として育てられて、学校とかにも女生徒として通ってたらしいです。それで16歳で性転換手術したんだって」
「すごいなあ」
 
「それって、本人の意志と無関係に女の子にしちゃったんだったりして」
「でも美人に育ったのなら良いのでは」
「しかもエミレーツのフライトアテンダントなんて、凄いエリート」
 
「おっぱい大きいですね、羨ましいと言ったら、彼女は、おっぱいはホルモンだけで育てたと言ってました。あなたもまじめに女性ホルモン飲んでたら、すぐ大きくなるよって」
 
「ああ。きみちゃんは今はまだおっぱいがそんなに大きくないけど、これからバスト発達してくると、それが邪魔になるから、どうしても動きの俊敏さが落ちるよ」
という声も出ている。
 
「それ私も言われた」
と渡辺純子。
 
「じゃ、純ちゃん、おっぱいが大きくなる前に、一緒に性転換しちゃおうか」
「あ、それいいですね」
 
「勘弁して。君たちが性転換しちゃったら、バスケ協会の上の方が真っ青になる」
と高田コーチが笑いながら言った。
 

「ところで、さっき私が入って来た後、しばらく練習を見ていて、驚いたような顔して出て行った観客がいましたね」
と王子は言う。
 
「あの人はたぶん中国の情報収集やってる人だと思う」
と千里が言った。
 
「よく分かるね」
「あの人毎日来てるんですよ。お仲間っぽい人と会話している声が微かに聞こえたけど、北京語だったもん」
「耳もいいな」
 
「北京語なら台湾の可能性もあるけど、服装の雰囲気が中国っぽいんですよね」
と千里。
「ああ、確かに台湾と中国では服装のセンスが違う」
と彰恵。
 
「いや、実は僕も中国っぽいなと思ってた。言葉までは聞き取れなかったけど」
と高田コーチも言っている。
 
「まあ私は出場しないから、私のこと報告しても無意味ですけどね」
と王子。
「うん。でも純粋に日本チームに凄い選手が来たってんで驚いたんだと思うよ」
と高田コーチは言った。
 

この日10月2日は準決勝の2試合が行われる。昨日のように情報制御する必要は無いので、第1体育館で18時から日本対台湾、20時から中国対韓国である。
 
千里たちは午後少し仮眠して15時頃に起き、早め軽めの夕食を食べてから会場に行った。王子も会場までは来て、コートの所まで荷物を運び込むのを手伝ってくれた。その後、客席の方に移動したが、この時、王子は世界選手権用の15番のユニフォームを着ていた。ユニフォームを着た人がコートに入ってきたのにすぐ出て行って戻って来ないようなので、審判から質問された。
 
「さっき出て行ったのは君たちのチームメイトじゃないの?」
「いえ。荷物をコートまで運んでくれただけです。彼女が着ていたのはU20のユニフォームではなく、世界選手権に出たフル代表のユニフォームです。向こうが終わったので応援に来てくれたんですよ」
と朋美が審判に説明した。
 
「びっくりした。U20のでなくても、できたら代表のユニフォームじゃない、普通の服を着てもらった方がいい」
 
「すみませーん。普段着をうっかりチェコに置いて来たらしいので、後で買いに行かせます」
 
王子はU20のユニフォームとフル代表のユニフォームの他は下着数回分しか持って来ていなかったらしい。ついでに財布もチェコに忘れてきた!というので結局千里が2万ルピー(約3万8千円)貸してあげた。
 

やがて台湾との試合が始まる。
 
台湾とは予選リーグの初日に対戦して60-94で日本が勝っている。こちらもあの時は本気では無かったが、向こうも必ずしも100%ではなかった。しかし今度は勝った方のみ世界選手権の切符が得られる大事な試合である。
 
台湾は最初から全力で来た。
 
いきなりPGのほかフォワード4人を並べて猛攻の態勢である。
 
しかしこちらは朋美/星乃/彰恵/江美子/サクラ、という「いなす」のがうまいメンツを使って、向こうの勢いを巧みに空回りさせる戦術で対抗していく。結果的にこのピリオドは相手の猛攻っぽい攻撃があったにも関わらず、18-20と日本のリードで終えた。
 
第2ピリオドで、台湾は15番を付けている武(ウー)さんを出して来た。
 
彼女はメンバー表によると1993年生まれらしい。高校2年生だ。高校生でU20に加えられたということは、かなり優秀な子なのだろう。確かに身長がメンバー表では180cmと書かれているが、もう少しありそうな感じである。この体格だけでも将来有望だ。
 
彼女は予選リーグでもちょくちょく出ていたものの、あまり千里の記憶には残っていなかった。優秀なプレイヤーだが、まだ「次回以降お楽しみ」の範疇かという気がした。
 
「武さんは昨年U16に入っていたんですよね」
と純子が言う。
 
「今年のU18には入ってなかった?」
「ええ。多分両方兼任したら大変だからじゃないですかね」
「確かに」
 

彼女はそんなに目立った感じのプレイはしていなかった。4分ほど経った所で台湾側は交替用の選手がTO席の脇の交代要員席に来たので、彼女と交替かな、と千里は思った。
 
その時である。彼女がサクラのシュートをきれいにブロックすると、そのこぼれ球を自ら確保し、そのままドリブルで走り出した。早苗が先に回り込むが、一瞬早苗の前で停まったものの、絶妙なバックロールターンで早苗を抜く。彰恵が何とか帰り着いてゴール近くで彼女を待ち構えている。
 
すると武さんはスリーポイントラインの所から美しいフォームでシュートを撃った。
 
これがきれいに入る。
 
すると武(ウー)さんが何だか物凄いはしゃぎようである。
 
「何か言ってる」
「何だろう?」
 
と江美子や純子が言っていたら、中国語(北京語)は割と得意っぽい玲央美が言った。
 
「スリーなんて初めて入ったと言っている」
「ああ」
「それは嬉しいよね」
 

台湾は彼女のプレイを見て、交替させるのを中止したようで、交代要員になっていた人がベンチに戻った。
 
そしてこの後「ウー・タイム」が来たのである。
 
続けざまに3つゴールを決め、更にスリーをもう1発決める。
 
彼女の活躍で台湾は日本に6点リードとなる。
 
高田コーチが言った。
 
「純、あの子は君より1つ下の高校2年生だよ。君があの子を停めて来なさい」
「はい」
 
それでボールがアウトオブバウンズになったタイミングで純子は彰恵と交代でコートインした。
 
武(ウー)さんにマッチアップする。
 

武さんが調子に乗っているので最初は抜かれて8点差となる。
 
しかしすぐに渚紗がスリーを入れて5点差に詰める。
 
次の台湾の攻撃でも、武さんは純子をうまいフェイントで抜いて得点を入れ7点差と突き放す。しかし「ウー・タイム」はここまでだった。
 
純子はせっかく出してもらったのに2度続けて抜かれたので、自分でほっぺを叩いて気持ちを引き締めていた。
 
日本がサクラの得点で2点返して5点差に戻した後、台湾が攻めて来る。武さんにボールが渡る。武さんと純子の一瞬の対峙。武さんは純子が左右に身体を揺らしながら対峙しているのを見てシュートに切り替えた。
 
しかしそのドリブルに山を張っているかのような動作が実は純子のフェイントだった。
 
武さんのシュートにきれいに合わせてジャンプし、ブロックする。
 
こぼれ球を渚紗が確保。純子にトスして、純子がドリブルで走り出す。相手ディフェンスをひとり抜く間に武さんが戻り、純子の前に回り込む。純子がドリブルしながら再度武さんと対峙。純子は一瞬左側に進もうとしたものの、そこから高速な切り替えで右側を突破。武さんは完璧にこのフェイントに引っかかって向こう側に行ってしまっていた。台湾・萬(ワン)さんのブロックのタイミングをずらしてきれいにシュートを決める。
 
これで3点差。
 

そしてこの後、武さんと純子はこのピリオドだけで6回対峙したものの、純子が全部勝った。やられたのは最初の2回だけであった。そして純子はその間に連続で得点を決め、日本が逆転する。更に渚紗のスリーもあり、40-45と日本が5点リードの状態で前半を終えた。
 
このピリオドはまさに、武vs渡辺が全てだった。
 
「気持ち良かった」
と純子がベンチに戻って来て笑顔で言った。
 
「勝つと気持ちいいよね」
と江美子が言っている。
 
「凄い子でしょ?」
「はい。マッチアップしてて分かりました。将来、恐い敵になりそうです」
「向こうも今日は純にやられたんで、必死に練習してくると思うよ」
「私もそれ以上に頑張ります」
 

第3ピリオドには星乃を出したが、ここで彼女はアシストに徹して、自分ではシュートしなかった。朋美とダブル司令塔のような感じになり、台湾チームを翻弄する。
 
この星乃の「内助の功」でこのピリオドは14-21と7点差を付け、ここまでで54-66と12点差になる。
 
第4ピリオド、台湾は再び武さんを出してきたので、こちらも純子を出す。2人の対決はこのピリオドで12回発生して、純子の9勝2敗1分という感じになった。武さんが日本に通じないようだというので彼女は後半は別の人に交替した。
 
向こうは最後はPGも入れずにフォワードを5人並べる態勢で攻撃をしてくるが、こちらは、彰恵・百合子・江美子というメンツがそれを受け流す感じでプレイし、最終的には74-89と15点差で勝利した。
 
これで日本は決勝に進出するとともに、来年のU21世界選手権の切符を手にした。
 

試合終了後、双方の選手が相手のベンチに挨拶に行く時、武さんと純子が交錯した。その時、ふたりは何か言葉を交わしたようである。後で聞いてみると
 
「I'll be more strong until next. と言ってました」
と純子。
「純ちゃんは何と言ったの?」
「I'll be most strong in the world. と言ったら、彼女の顔が引き締まってました」
 
「まあお互い頑張るといいね」
 

続く20時からの中国−韓国戦を千里たちは客席から観戦した。韓国はもちろん必死なのだが、中国はハナっから半分くらいの力で戦っている感じであった。第3ピリオド、一時的に韓国が頑張って逆転したが、中国はタイムも取らずにコート上で控えPGの白(パイ)さんが各選手に指示を出すだけで対処していた。
 
最終的には第4ピリオドで突き放して20点差で中国が勝った。
 
これで明日の決勝戦は日本と中国で行われることになった。
 
また、中国も日本とともに来年のU21世界選手権の切符を手にした。
 
(この大会2位以上で世界選手権進出)
 

ところで今日の試合で中国はここまで1度もコートインさせていなかった12番の朱(チュ)さんと13番の胡(フー)さんが、ベンチにも入っていなかった。その件で、夕方、大会事務局から連絡があり、ふたりが急病のため選手の交替を承認しましたということだった。ふたりの代わりに入るのは新12番・田(ティアン)さんと、新13番・潘(ハン)さんである。
 
「こんな大会の途中に選手交代が認められるんですか!?」
と朋美が驚いて言う。
 
「僕もびっくりしたんで確認したら、2人以上の選手が、病気・怪我あるいは死亡でその旨の医師の診断書がある場合は大会中1回だけに限り、交替を認めるらしい。大会要項の何番にありますと言われたんで確認したら確かに書かれていた。2人以上というのがミソみたいだね」
と篠原監督が言った。
 
「仮病なのでは?」
「かも知れないけど、それよりなぜ中国がここに来て、選手を替えてきたのかということが問題だと思う」
 
「多分ですね」
と彰恵が言った。
 
「今日の午前中、U20の13番付けた高梁が練習場に来て、凄いプレイを連発してましたでしょう?それで日本は、その急病条項を利用して中国戦では選手を入れ替えるのではと思ったのではないでしょうか」
 
「ああ・・・」
 
「王子が出ることは春頃から決まっていたので、それなりに情報を集め、対策も取ってきたと思います。多分その新たに登録した、田さんと潘さんというのは、高梁王子対策の特訓を積ませていた人なのではないかと思います」
 
「なるほど」
 
「ところが9月頭に高梁王子が抜けて、代わりに渡辺純子が入った。中国は慌てて彼女の情報を集めた。幸いにも渡辺はU18アジア選手権に出ていたので実際に対峙した選手もいたし、ビデオもあった。それで急いで渡辺対策をして、その専任マーカーとして朱さんか胡さんを入れたんだと思います。あるいは純ちゃんより、やはりレオやサンが恐いというのでその2人はもしかしたら佐藤や村山対策の人だったかも。ところが高梁が13番の背番号のユニフォームつけて練習に参加しているのを見て、日本が決勝戦の直前に選手を入れ替えるのではと思い、渡辺ではなく高梁が出るのであれば、元々高梁のマーカーとして訓練しておいた選手を入れなければ大変なことになる、ということで本来出るはずだった人を復帰させたんですよ」
 
「あり得るなあ」
「プリンはマジで恐いから」
「中国の勇み足か?」
 
「ということは・・・・」
 
「王子とまるで違うタイプの純子が出れば向こうは混乱しますよ」
 
「よし。明日の試合で渡辺君は第1ピリオドから使う」
「はい!」
 

なお、王子の普段着であるが、また日本人会の人にお願いして王子の身体に合うようなクィーンサイズの服を売っている店に連れて行ってもらうことにした。
 
ところが王子が最初連れて行かれたのは、紳士服を売っている店である。
 
「あのぉ、すみません。私、女なんですけど〜」
「うっそー!?」
 
「もしかして、おちんちん切って女になったの?」
「それよく言われますが、おちんちんは生まれた時から付いてなかったようです。母ちゃんのお腹の中に忘れてきたんじゃないか、なんてよく言われました。私、忘れ物よくするし」
 
王子は毎年傘を3本は無くすらしい。
 
それで女性用の服を売っている店に行くが、インドはイギリス系の住民もいてけっこう大きなサイズを扱っているものの、それでもなかなか王子の背丈に合うものがない。日本人会の人があちこち電話して調べ何とか超ビッグサイズの女性用の服を売っている所を探し出してくれた。
 
おかげで、王子はとても女の子らしい可愛い服を着ることができた。
 

 
「そんな可愛い服を着ているのは王子じゃない」
「王子が性転換して王女になっちゃった」
 
と随分言われた。もっとも本人は
 
「アメリカでもこんなビッグサイズの可愛い服を売っている所は無かった。こんな可愛い服を着れたのは小学校の5年生の頃以来」
と言って、かなり満足していたようであった。
 
彼女は小学4−5年生の頃はハイティーンの子向けの可愛い服を買ってもらっていたものの、その後、女物では合う服が無くなり、やむを得ず普段は男物ばかり着ていたらしい(それでまた女子トイレで悲鳴をあげられる)。
 
なお、宿に関しては、留実子を王子と同室にして、サクラは渚紗と同室にすることを決め、サクラがお引っ越ししていた。
 

10月3日。
 
この日は16時から3位決定戦、18時から決勝戦が行われ、20時から表彰式・閉会式である。
 
日本チームは王子も含めて午前中、また例の体育館で練習をしてお昼前に引き上げる。この午前中の練習では、わざと王子が13番のユニフォームを着て更に雪子に予備のユニフォームにレタリングの得意な彰恵が加工して捏造した9.MORITAというユニフォームを着せて練習させ、星乃と純子は背番号の無いユニフォームを着て練習した。幾人かの“観客”がそれを見て頷いているようであった。
 
(雪子にはこの“捏造ユニフォーム”を記念に贈呈した)
 
練習が終わった後、この体育館を一週間貸してくれた学校の校長先生と生徒代表に挨拶に行き、記念品の色紙と、プレゼントとしてバスケットボールを30個に、この学校にバドミントンの好きな子が多いと聞いたので、バドミントンのラケット10本とシャトル50個も贈った。
 
お昼はこの日も日本人会の人たちのふるまいで、ジンギスカン、親子丼、鶏の唐揚げ、いなり寿司、讃岐うどん、ラーメンなどが提供された。王子はラーメンを3杯も食べていた。
 
「すみませーん。員数外なのに」
とは言っているが、遠慮する気は毛頭無い!
 
お昼の後は少し仮眠して、15時頃に起床。軽食を取ってから、玲央美とふたりでホテルの裏手で軽く汗を流す。シャワーを浴びて身体を引き締めてから会場に行った。
 

16時から行われた韓国と台湾による3位決定戦は、当初韓国がリードしていたものの、第2ピリオドから投入された台湾の武(ウー)が、ひとりで30点、スリーも3本入れて気を吐き試合をひっくり返してしまった。韓国の高校生選手ハ(河)が彼女を凄い視線で睨んでいた。ハは6月のU18アジア選手権で得点ランキング3位に入った選手である。
 
(1位純子、2位中国の陸(ルー)、3位韓国のハ(河)、4位絵津子)
 
結局、台湾はこの武の活躍で1点差で勝利して銅メダルを獲得した。
 
「武(ウー)さんは完全に開眼したね」
「今回は私が勝ちましたけど、この子絶対、私やえっちゃんのライバルになりますよ」
「彼女が予選で開眼していたら昨日の準決勝は恐かったかもね」
 
「純」
と玲央美が呼びかける。
「はい?」
 
「ウーさんは30点取ったよ」
 
純子は一瞬考えてから言った。
 
「だったら私は32点取ります」
「よし」
 

決勝戦は中国がホームになるので白いユニフォーム、日本が黒いユニフォームである。
 
コートの清掃が行われる。千里たちは気持ちを高揚させて試合に臨んだ。
 
18時になる。照明が落とされたジャワハルラール・ネルー・第1体育館(Jawaharlal Nehru Gymnasium 1)に、まずディフェンディング・チャンピオンの中国側から、1人ずつ選手の名前が読み上げられるとともに、他の選手とハイタッチしてコートインしていく。
 
向こうのスターターはこのようであった。
 
4.PG.馬(マー)/5.SG.林(リン)/13.PF.潘(ハン)/6.PF.王(ワン)/7.C.劉(リュウ)
 
昨日急遽入れ替え登録された潘さんをいきなり使ってきた。中国選手5人がコート上に並んでいる。その潘さんはひじょうに大きな選手だ。195cm 100kgくらいかなという感じである。王子のパワーに対抗するための選手なのだろう。続いて日本側のスターターが紹介される。
 
「イリノ・トモミ」
と呼ばれてスポットライトが当てられた朋美がみんなとハイタッチしてからコートに出て行く。
 
「ムラヤマ・チサト」
と呼ばれて、千里がみんなとハイタッチしてコートに出る。
 
「サトー・レオミ」
と呼ばれて玲央美が出て行く。
 
「ワタナベ・ジュンコ」
と呼ばれて純子が出て行く。
 
この時、明らかにコート上の中国選手たちが「え!?」という顔をした。最後に
 
「クマノ・サクラ」
と呼ばれてサクラがコート上に出て行った。
 

キャプテン同士、握手してからティップオフとなるが、中国選手はみんな13番を付けた渡辺純子に戸惑うような視線を浴びせていた。
 
その純子がいきなり大活躍する。
 
ティップオフでは劉さんが勝ち、中国側が攻めて来るが、シュート失敗の後、サクラがリバウンドを取って純子にパス。そのままドリブルと玲央美とのワンツーパスで速攻で相手コートに走り込む。そして相手ディフェンダーを交わして、きれいにフックシュートを決める。
 
相手が攻めて来る。王さんがボールを持ち、千里と対峙する。千里を抜こうとしたが、一瞬にして千里がボールを奪い、純子にパスする。千里・純子・玲央美の間で複雑にパスが交わされ、最後はまた純子がゴール近くまで行く。劉さんはさっきは近づきすぎてフックシュートをやられたので少し離れて守っていたら、純子は3mくらいの距離から両手でミドルシュートを撃つ。
 
入って0-4.
 
こうして日本は序盤から純子の連続ゴールを皮切りに0-10まで行く。その間、例の王子対策っぽい潘さんに、中国側は1度もボールをパスしなかった。得点された後のスローインを務めただけである。
 
中国がタイムを取る。
 
潘さんを下げて勝(シェン)さんを入れる。彼女に純子抑えを命じたようである。確かに勝さんはわりと純子と似たタイプの選手かも知れない。
 
しかし勝さんの動きに関しては事前にかなり研究して対策練習もしている。予選リーグの時に玲央美はわざと近接防御したのだが、純子はやはり彼女が苦手な距離を空けた守り方をした。彼女は右に来るか左に来るかが、事前の兆候に全く表れないので停めにくいのだが、距離を開けていると彼女が動き出してからそちらに守りの重点を移すことで停めることができる。そして彼女は遠くからのシュートは苦手なので(その辺りは王子にも近い)ミドルシュートはあまり警戒しなくて済む。
 
それで純子は8割方、勝さんを停めた。
 

向こうがディフェンスする場合、勝さんは相手の癖やパターンを読むのが得意で、相手の動きを見てから防御するのではなく、先読みで防御する傾向があるので、こちらが毎回ロジックを変えて予想しにくいようにすると、防御が一瞬遅れる傾向がある。それで純子もいくつかのパターンをランダムに変えながら攻めていくと、7割以上こちらが突破することができた。
 
結局、勝さんvs純子は75%くらいの比率で純子の勝ちとなる。第1ピリオドはこの純子の活躍で15-25と日本が大きくリードする展開となった。
 
この内半分を超える14点が純子の得点である。
 

第2ピリオド、相手はとうとう“秘密兵器”の呉(ウー)さんを投入してきた。彼女はここまで予選リーグでも1度も登場しなかったし、準決勝の韓国戦で一時リードを許した時でも、使うそぶりを見せなかった。
 
中国が優勝するために、決勝戦のためだけに秘蔵していた隠し球である。
 
中国国内の試合のビデオを収集して調査した結果、彼女は実は優秀なスリーポイント・シューターであることか分かった。しかも8mくらいの遠距離からでも、かなりの確率でゴールに入れる。
 
ただシューターにはそういう人がわりと居るのだが、彼女は入る時はどんどん入るものの、入らない時は10本に1本くらいしか入らない。但しミドルシュートならいつでも7〜8割入れるので、彼女に対する防御はスリーポイントラインより内側で絶対に彼女をフリーにしないことである。
 
当然彼女とマッチアップするのは千里である。千里には向こうの王(ワン)さんがマッチアップしたがっていたが、玲央美が彼女に付く。
 
「我是対手(ウォーシートゥイショウ)」
と玲央美。
「いいよ」
と王さんは日本語で答えて、このピリオドのマッチングは定まった。
 

しかし千里が呉さんにいきなり付いたことから、顔に出やすい劉(リュウ)さんなどは「ああ、ばれてる」といった感じの顔をしていた。
 
そしてここからこのピリオドは、千里vs呉、玲央美vs王の対決が主軸になった。
 

中国は第1ピリオドで大差を付けられたことはいったん忘れて、普通に攻める方針で来たようである。向こうとしては、普通にやれば充分追いつける範囲という考え方であろう。
 
第2ピリオドは日本側のスローインから始まったが、最初の攻撃では百合絵のシュートが外れ、リバウンドを黄さんが確保。中国の攻撃に転じた。馬さんがドリブルで攻め上がってくる。
 
呉さんは馬さんからボールをもらうと、いきなり8mの距離からスリーを撃つ。しかし千里は「来るな」と読んでいたので、彼女にできるだけ近づいて思いっきりジャンプ。指をボールに当てることに成功する。
 
ボールは軌道を逸れてバックボードにも当たらずアウトオブバウンズになる。呉さんがじっと千里を見た。
 
中国のスローインを日本側がカットし、そのまま攻め上がる。千里にパスが来る。受け取った場所は7mほどの所である。呉さんが近寄ってくる。千里はシュートフェイントを入れてから呉さんをドリブルで抜き去る。「あっ」と言って振り向く。そして千里の前に回り込もうとダッシュした瞬間、千里は真後ろにポンとボールを放り投げる。走り込んで来た玲央美が掴むと、そのままスリーを撃つ。
 
当然入る。0-3.
 
中国が攻め上がってくる。馬さんから王さん、劉さんにつなぐ。劉さんは遠い所からのシュートは無いので、留実子は少し距離を置いて守っている。馬さんがスクリーンを仕掛けて呉さんにパスしたものの、玲央美がたくみに中に入ってきて、呉さんはシュートができない。やむを得ず、王さんにパス。王さんが中に飛び込んで行ってシュート。
 
しかし外れる。
 
そのリバウンドが落ちてくる所には劉さんが居たのだが、近くでジャンプした留実子が強引に横からボールを奪い取った。
 
走り出している早苗の背中に向けてボールを投げる。
 
「ツル!」
と千里が声を掛けたタイミングで振り返ってジャンプしながらボールをキャッチ。そのままドリブルでゴールそばまで行く。中国選手はまだ誰も戻ってきていない。そのままレイアップに行き、ゴール。
 
0-5.
 
第2ピリオドの序盤は、日本側がリードを広げる展開となった。
 

しかしそこから中国も建て直してくる。
 
複雑な連携プレイを使って誰かフリーの人を作り出し、その人がシュートする。最終的には王さんか呉さんのシュートに持っていくパターンが多い。もうひとりのSG林さんのシュートになる場合もあった。
 
千里と呉さんの対決は最初は立て続けに千里が勝ったものの、その後呉さんも頑張って何度か千里を抜いたし、スリーも1本決めた。しかし千里は彼女に絶対にスリーポイントラインより内側ではボールを持たせないようにした。
 
玲央美と王さんの対決も玲央美優勢に進んでいた。ただ王さんは自分自身がボールを持たなくても、コート上を動き回ることでチームメイトがお仕事しやすいようにする役割も果たしていた。表面に現れる数字以上に王さんは頑張っている感じであった。
 
最終的には中国側の頑張りでこのピリオドを15-20とした。前半合計で30-45となった。
 
「中国は次のピリオド何か仕掛けてくるよね?」
「当然。このままじゃ終われないでしょ」
 

ハーフタイムショーでは、インド全土で来週、10月8日から始まるナヴラトリ(インド式お盆)で行われる踊りが現地の女子高生たちによって披露された。
 
インドの太陰太陽暦の年初は「インド式春分」(西洋暦で4月中旬頃)を含む朔望月から始まるので、正月は西洋暦の4月頃、お盆は西洋暦の10月頃に来る。ナヴラトリは実は正月にもあるのだが、秋のナヴラトリ、つまりお盆の方が盛大なお祭りになる。このお祭りは現代では秋の収穫祭の性質を帯びている。
 
今回、インドの総選挙はこのナヴラトリが終わった後に告示されることになった。それで結果的に本来のU20選手権の日程とぶつかってしまい、ナヴラトリの前に大会日程が終了するように調整された結果、フル代表の世界選手権と日程が一部重なってしまったのである。
 

(*1)ナヴラトリ(navratri)は正確にはAshwina月「白分」の1-9 tithiに行われることになっている。インドの太陰太陽暦の月名は
 
1=Chaitra 2=Vaishakha 3=Jyeshta 4=Ashada 5=Shraavana 6=Bhadra
7=Ashwina 8=Kartika 9=Margasirsa 10=Pausha 11=Magha 12=Palguna
 
となっており、Chaitraは春分を含む朔望月だが、この「春分」がインドの場合、日本や西洋の「季節に合わせて動く春分」ではなく「季節を無視して天空に固定された春分」であるため、日本などとは現在23日ほどずれており、西洋の暦でいうと4月中旬頃に来てしまう(西洋なら春分は3月20日頃)。
 
ここでティティ(Tithi,朔望日)は太陽と月の角度が12度離れる時間。つまり朔望月を30分割したもの(360=30x12)。平均朔望月が29.53日なので一般的にはティティは1日よりわずかに短くなり、「欠日」が発生するが、季節によっては1日より長くなって「余日」が発生する場合もある。白分は朔(新月)から望(満月)まで月が満ちていく期間、黒分は望(満月)から朔(新月)までの月が欠けていく期間。
 
インドの民間行事は一般に太陽日ではなくティティ基準で行われる。そのためティティの始まりに合わせるため結婚式を真夜中に実施したりすることもある。ただ南インドではわりと太陽日基準を使う場合も多い。なおインドの太陽日は日出に始まるので、朝6時前後が日の境界になる。ナヴラトリがいつ始まるかを計算するのはこれらの事情が絡むためひじょうに難しい計算になる。
 
日本では2033年には太陰太陽暦の「月」が消えてしまうという事態が発生するとして大問題になっているが、実はインドでは「月」が消えてしまう「欠月」は時々発生しており、特に問題にはなっていない!
 
インドでは「ああ。今年は○月が無いのか」で済んでしまう!!
 

ナヴラトリでは、女神が9つの夜に9つの姿(9人の女神)に変化していくとされている。その中心とされるドゥルガ(Durga)は一般に十臂または十八臂の絵姿で表される。このハーフタイムショーで演じられた女子高生たちのダンスでは、リーダーの踊り手の後ろに4人の踊り手が重なるように並び、後ろの4人が違う角度で手を挙げて十臂の女神を表していた。
 
千里たちは「二人羽織ならぬ五人羽織だね」と言い合った。
 
「これは女子高生だから、そこまでやらなかったみたいだけど、ドゥルガは概して下に旦那のシヴァを踏みつけている。だから男性の踊り手が四つん這いの姿勢になり、メインの女性の踊り手はその背中に腰掛けたりするんだよ」
とパリが言う。
 
「おお。かかあ天下か!?」
「男は椅子になるわけね」
 
「インドは女性差別の酷い国ではあるけど、元々の基幹文化には東洋的な女性上位の思想もあるんだと思う」
とパリは少し厳しい顔で言っていた。
 

第3ピリオド。
 
中国はここまで使っていなかった15番の背番号を付けた龍(ロン)さんを入れてきた。白/呉/勝/龍/黄というラインナップである。
 
この起用に日本側は首をひねる。負けている場面で控え選手を出してくるというのは良く分からないが、あるいはずっと出ていた王選手を休ませるためにここで使うのか?そして勝負は第4ピリオドとみたか??
 
ちなみにこちらは朋美/千里/彰恵/百合絵/留実子というラインアップであった。
 
第2ピリオドが日本のスローインから始めたので、第3ピリオドは中国のスローインから試合は再開される。
 
白−朋美、呉−千里、勝−彰恵、龍−百合絵、黄−留実子、というマッチアップになる。
 
ポイントガードの白さんがゆっくりと攻め上がってきて、その龍さんにボールをパスした。
 

この時、百合絵は何が起きたか分からなかったという。
 
龍さんがボールをキャッチしたのまでは認識した。
 
しかし次の瞬間、彼女は目の前から居なくなった。
 
「ハッ」と思い振り返ると、もう彼女は百合絵の後方でレイアップシュートを撃っていた。留実子がフォローに行く間も無かった。
 
物凄い速い動きである。
 

「え〜!?」
などと言いながら百合絵がゴールの向こうに行き、審判からボールを渡されてスローインする。中国はもう大急ぎで戻っている。朋美がドリブルでボールを運ぶ。
 
現在のメンツでは左側奥に百合絵、手前に千里、右側奥に留実子、手前に彰恵と展開している。百合絵に龍さんが付いている。朋美は龍さんに何か底知れぬものを感じた。反対側の彰恵にパスしようとしたが、白さんが絶妙のタイミングで間に割って入った。
 
朋美は投げる直前に手首の動きで向きを変えて千里に送る。しかし急激に向きを変えたので、ボールの速度が遅くなってしまった。そこに百合絵に付いていた龍さんが猛ダッシュして、千里の前に回り込んでボールをカットしてしまった。
 
勝さんが走り出している。そちらに龍さんからパスが行く。彰恵が必死で戻る。しかし勝さんは速い。結局勝さんはフリーに近い状態でゴールを沈めた。
 
4-0.
 

そしてこの後、日本にとって悪夢のような3分間が過ぎる。その間に日本は全く得点を取れないまま16点を失い、一気に逆転されてしまった。
 
 
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【娘たちよ胴上げを目指せ】(3)