【女子中学生のバックショット】(4)

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性同一性障害の診断書をもらった後、原田沙苗は毎月1回札幌のS医大で診察を受けていたのだが、12月26日に診察を受けた時
 
「君、ブラジャーの跡がきついね。ブラジャーのサイズ合ってないんじゃない?」
と言われた。
「今、A75を着けているんですが」
 
「君、バストサイズは?」
と言って、検査表を確認する。
「トップ81, アンダー74. あれ?おかしいな。これならAA75でいけるはず」
と言って医師は少し考えていたが気付いた。
 
「君、ブレストフォーム着けてたね」
「あ、はい」
「それもう要らないよ。生の胸にブラジャー着けたほうがいい」
 
「え〜〜!?」
「君の胸はもう女の子のバストだよ。堂々と生の胸で過ごすといいね」
「わあ・・・」
「ブレストフォームはもう卒業だね」
 
沙苗は自分の身体が“女の子”の領域に既に入っていることを認識して嬉しいながら不安も覚えた。
 

冬休み期間中。
 
学校の部活は学校の長期休みの間は原則として週1回しかできないので、沙苗・千里・玖美子の3人は毎日、P神社の社務所中庭で自主的な稽古をしていた。冬ではあってもけっこう汗を掻くので着替えるが、その時、玖美子が気付いた。
 
「あれ〜?沙苗、おっぱい小さくなってない?」
と言って触る!
 
沙苗は顔を赤くして
「ブレストフォームを外したんだよ」
と答えた。
 
「ああ、今までは上げ底してたのか!」
「病院の先生に、もうブレストフォームは卒業と言われた」
「なるほど。もう男の子を卒業して女の子になったんだな」
「胸に関してはね」
「めでたい、めでたい」
 

冬休み中、P神社には千里Rが毎日来ていたのだが、玲羅もそれにくっついてきていた。父が家に居るので、父と話したくない!というのでこちらに退避しているのである。もっぱら漫画を読んでいたが、12/30はかなり神社が忙しくなったので巫女服を着て、物販のお手伝いなどもしていた。
 
沙苗や世那も巫女服を着て、昇殿祈祷で太鼓を叩いたりしていた。世那も沙苗が居ると“仲間”が居る感じで気安かった。もっとも沙苗は女の子っぽい声が出る(千里や玖美子はきっと彼女は5年生頃から女性ホルモンを飲んでいたのだろうと想像している)ので販売とかお客さんの案内の仕事もできるのだが、世那は声が男の子なので、声を出さなくてもいい、太鼓係や巫女舞の係を主としてやっていた。
 
なお世那も巫女服に着替える時は他の女子と同じ部屋で着ていた服を脱いで巫女さんの千早と袴を身につける。でも剣道の稽古をした千里たちのように下着までは交換しないので、大きな問題は無かった。むろん玖美子や千里たちの下半身をできるだけ見ないようにしていた。
 
「あれ、セナ、スリップ着けてる?」
「うん。お母ちゃんが買ってきてくれた」
「スリップの感触、いいでしょ?」
と千里が言うと、セナは恥ずかしそうに俯きながら
「うん」
と言った。結構このスリップの感触に魅せられて女装にはまる人もあるのである。
 

「でもセナ、親御さんに理解されてるみたい。ほんとに3学期からはセーラー服で通学したら?」
「恥ずかしいよぉ」
「好きなくせに」
「取り敢えず先生たちはセナがセーラー服を着てても何も言わないことは確認済み」
「あれなぜ注意されないんだろう」
「女子生徒がセーラー服を着ていて問題になる訳が無い」
 
セナの姉はセナをモデルに描いた絵を市民展に応募するようである。そうするとセナの“女の子姿”が市全体に公開されることになる(今更だけど)。
 

津気子は12月30日まで会社に出て、1月5日(月)が仕事始めだった。12/31-1/04の5日間が休みである。津気子が仕事に出ている間は武矢は1人では面白くないので、友人の福居さんや神崎さんなどの所に行ってビールを飲みながらマージャンや将棋などをしていたようである。
 
12/31は、旭川の天子の所に行き、一緒にお正月を迎えることにしていた。玲羅は毎日P神社に行っていたのだが
 
「旭川に出るなら行こうかな」
と言って、母の運転する車に乗り、一緒に旭川に出た。ここで玲羅は助手席に乗る。父と隣り合わせに乗るのは御免である!
 
なお千里は「神社が忙しいから」と言って今回はパスした。
 
旭川では“下宿人”の朝日瑞江さんと会い
「あなたが天子さんの下宿人になったのか!」
と津気子が驚いていた。
 
「どうもその節はお世話になりました」
と瑞江が挨拶すると、武矢の顔も弛んでいた。
 
たくさんお料理が作ってあるので、
「瑞江さんが作ってくれたの?」
と訊くと
「千里ちゃんが昨日1日かけて、おせち料理作ってくれたんですよ」
と言う。津気子は少し悩んだものの、気にしないことにした!
 
昨日旭川に来て料理を作ったのは、“赤い腕時計をしていた”し、“ピンクの携帯を使っていた”ので、瑞江は千里Rだと思い込んでいるが、実は千里Gである。
 
この日はみんなで旭川市内のスパに行ったが、武矢だけが男湯、母と玲羅、天子と瑞江は女湯に入る。
 
「千里が来てれば一緒に男湯に入れるんだけど」
などと武矢は言っていたが、お姉ちゃんはこれが面倒だから来なかったんだろなと玲羅は思った。姉が男湯に入れるわけがない。
 
なお、弾児の一家は1月10-12日にこちらに来ると言っていた。郵便局は年末年始は全く時間が取れない。
 

12月31日。
 
千里Rはこの日もP神社に行き、この日は勉強会はしなかったものの参拝客の対応をしていた。この日は参拝客が多いので千里はけっこう昇殿祈祷の笛も吹いた(千里・恵香・小町の3人で交替)。
 
一方、12月30日に大阪から帰ってきた千里Bはこの日Q神社に出て行き、大阪市内のユーハイムで買っていたバウムクーヘンをお土産に渡した。そして
 
「助かった。心細かった」
と京子や循子に言われて、昇殿祈祷の笛の半分くらいを吹いた(あとは京子と映子が半々くらい吹く)。循子は今日はもっぱら巫女舞をしていた。
 

年末年始の千里たちの行動:
Y:12/25に千葉県松戸市へ。12/27 三重県河洛邑へ。1/17留萌に戻る
B:12/25に大阪へ 12/28伊勢に移動 12/30留萌に戻る。その後毎日Q神社に行く。1/17バスケ大会
R:P神社で勉強会、玖美子・沙苗と3人で自主的な剣道稽古。1/17剣道大会。
 
1/17にはきっと何か起きる。
 

旭川に行っていた玲羅と両親は、1月2日の夜に帰宅した。千里がカレーを作っておいたので、武矢は「金曜日はこれが楽しみ」と言って喜んで食べていた。
 
なお千里Rも千里Bも毎日神社に出ていたので、このカレーを作ったのも千里Gである!
 
1月3日以降、玲羅はまた千里にくっついてP神社に来るようになり、1/3-4は巫女服を着て、物販や福引き・おみくじの手伝いをしていた。
 

2004年1月5日(月).
 
剣道の級位・段位検定があり、初段を受けた沙苗が合格。現時点でS中剣道部男女を通して唯一の初段となった。
「男子なのか女子なのかが問題だけどね」
 
沙苗は一応男子として受験したのだが、審査官には女子と思われた可能性もある!?(女子にしか見えないし)
 
沙苗の受験では、木刀の型を披露する時に他に適当なパートナーが居なかったので千里が掛かりて/元立ちの相手を務めた。
 
「どちらも初段認定」
とアナウンスがあったので
「すみません。私は受験者じゃありません」
と千里は言った。
 
「あ、ごめん。コーチさんだっけ?」
「彼女とレベルの近い者が居なかったのでパートナーを務めましたが私は1級です」
「なぜ君初段を受けなかったの?」
「まだ13歳になってないので」
「なんと残念!」
 
そういうわけで千里はまだ13歳になっていないので初段の検定を受けられない。
 
玖美子は昨年7月に1級を取ったばかりなので、今年7月の検定までは初段は受けられない。2年生女子の武智部長、2年生男子の古河部長は、いづれも1級の検定に落ちた。1年生の竹田君は1級に、工藤君は2級に合格した。また2年生女子の宮沢さんが2級に合格した。
 
またR中の木里さんが初段認定を受けた。今回の検定で1年生女子で初段になったのは、木里さんと沙苗の2人だけである。
 

高岡と夕香の遺体は検屍の上で、1月7日(水)に、やっと遺族(高岡越春および長野松枝)に引き渡された。上島は高岡の父・越春にふたりを合同で葬儀し、一緒のお墓に入れてあげたいと言ったが、越春は拒否した。
 
「だいたい長野さんが運転してたんじゃないの?未熟な技術で運転してたから事故を起こして息子を死なせてしまった」
「運転者が長野夕香でないことは警察も確かだと言っています」
「信用できん」
 
高岡の父は、事務所やワンティスのメンバーに対しても不信感を持っているようだった。ただ上島と海原が直接会って交渉した結果、各々の密葬を家族で済ませた後、ワンティスとしてのお別れ会で2人を追悼するという形は了承してくれた(*7)(*8).
 
それで上島と雨宮が個人的に費用を出してあげて、高岡の遺体と夕香の遺体は葬儀屋さんの車で、高岡の郷里の愛知県、夕香の実家の仙台まで運び、双方とも1月8日に通夜、9日に葬儀が行われた。
 
そして1月11日(日)、東京都内でワンティス主宰のお別れ会が行われた。葬儀委員長は木ノ下大吉さんが務めてくれた。
 
(*7) 後にポルシェの残ローンの一括返済を求められて越春は上島に泣き付き、上島たちがローンの肩代わりをしてあげたが、そのことから越春は軟化。四十九日、一周忌、三回忌の法要は合同で行われることとなった。
 
(*8) 高岡猛獅と長野夕香の墓がひとつにまとめられるのは2015年12月の十三回忌を待たなければならない。龍虎が高岡越春にあらためてお願いして認められた。長野松枝は最初から容認していた。
 

人気絶頂バンドのメンバーの死ということで、お別れ会には物凄い数の弔問客が訪れた。メンバーは色々な人に声を掛けられて応対に忙殺された。
 
8時頃、赤ちゃんを抱いた女が会場を訪れ、夕香の遺影にケチャップを掛けるという騒動があり、警備員に取り押さえられた。(遺影は雨宮と山根の手できれいに拭かれた)
 
女は
「自分は高岡の愛人だった。この子は自分と高岡の子供である」
と主張し、
「きっと事故は夕香が未熟な腕で運転していて起こしたんだ。私の猛獅を返して」
と泣き叫んだ。
 
メンバー間に当惑した空気が流れるが、左座浪が
「君の妄想は何度も聞いた。警察にやっかいになりたくなかったらすぐ帰りなさい」
と恐い顔(左座浪の恐い顔は本当に恐い)で言うと、
 
「諦めないからね」
と言って、帰った。
 

9時頃、送る会に出席していた高岡の父・越春の所に赤ちゃんを連れて喪服を着た女が来て声を掛けた。
 
「高岡猛獅さんのお父さんですか?」
「はい」
「私、****と申します。猛獅さんにはたくさんお世話になりまして」
「そうだったんですか」
「この子も、一度お父さんに見せに行かなければと言っていたのですが、その前に本人が亡くなってしまって」
「え?まさか、この子、猛獅の子供なんですか?」
「はい、そうです。後先になってしまったけど、結婚式も今年あげようと言っていたのですが」
「それは気の毒なことになってしまった。この子の名前は・・・」
 
などとやっていた所に、左座浪が気がついて寄ってきた。
 
「警察に突き出される前に帰れ」
「またあなた邪魔するの?」
「お父さん欺されないで下さい。この女は猛獅さんとは何の関係も無いです。自分が猛獅さんに愛されて子供を産んだという妄想に取り憑かれているだけなんです」
 
「え〜〜〜!?」
「妄想じゃないわよ。事実なんだから」
「妄想か真実はDNA鑑定すれば分かる。嘘だと判明したら高岡猛獅の名誉を毀損したとして1億円の損害賠償を提訴するから覚悟しておいてもらおうか」
 
「そうやって私を脅すのね?」
「脅してるのは君の方だろう。さっさと帰りなさい」
 
それで女はすごすごと帰って行った。
 
(しかし越春はこの手の話に何度も欺されて合計で200-300万ほどの金品を高岡の愛人を自称する女に与えてしまうことになる:散々欺されたので、後日、龍虎の件が出て来ても、にわかには信用しなかったのである)
 

送る会は9時から始まり11時すぎには終了した。多数の芸能人やファンクラブの代表なども焼香したので、焼香した人は1000人を越える。
 
葬儀が落ち着き始めた時、志水夫妻が水上信次に声を掛けた。
 
「すみません。こんな時に話すことじゃないのは重々分かっているのですが、この子のことで相談したくて」
と言って、照絵が抱いている2歳くらいの女の子を示す。
 
「その子は?」
「高岡猛獅さんと夕香さんの子供なんです。私たちが預かって育ててたんです」
 
水上はふたりの間に子供がいたなどという話は聞いてなかったし、朝から5人!も高岡の愛人を自称する子連れ女を見ていた。それで水上は、言った。
 
「志水、お前までそんな話をするのか!何ふざけたこと言ってるんだ!?頭冷やして出直してこい」
 
思えば、志水夫妻は事前に上島か雨宮にメールして相談すればあるいは龍虎の運命が変わることになっていたかも知れない。しかし上島も雨宮も海原も、また支香も高岡と夕香の死後の様々な処理をしていて多忙で余裕が無かったし、電話も繋がらなかった。それで少しは手が空いている人の中で、比較的話が分かりそうな水上を相談相手に選んだ(三宅は恐そうだし山根や下川は頼りにならなそうだし)のだが、タイミングも悪かった。
 

志水夫妻は信頼していた水上からそんなことを言われてショックだったが、ここはいったん引くことにした。それでどうしようかと言っていた時、ふたりは★★レコードの太荷馬武(たに・たけし)主任を見かけた。彼が60歳くらいの男性に話しかけている。
 
「むらかい社長(と志水たちには聞こえた)」
「何だい?」
「**テレビがワンティスのメンバーにインタビューする番組を作りたいと言っているのですが」
「彼らは忙しい。後日検討すると言っとけ」
「分かりました」
 
それで太荷主任は向こうに行った。それで志水たちはここにいる男性が事務所の村飼社長かと思ったのである。
 
「社長済みません」
「君たちは?」
「私はワンティスのサポートメンバーの志水英世です。この子のことでちょっとご相談があって」
「それは君たちの娘さん?」
「それが高岡猛獅さんと夕香さんの間の子供なんです」
と英世は言った。
 
すると男性は
「馬鹿なこと言うな!」
と怒鳴った。
 
志水夫妻は事務所の村飼社長と思い込んだのだが、実際にはこれは★★レコードの村上次長であった。更に村上も、このお別れ会の間に何人も高岡の愛人・隠し子を名乗る女や母子が来て騒動になっていたの聞いていて、この手の話を全部拒否する態勢にあった。
 
「高岡猛獅と長野夕香の間に子供など居ない。お前たち、いい加減なことを言うと、ヤクザを動かして、その娘もろともコンクリート漬けにして海に沈めるぞ。さっさと帰れ」
 
志水夫妻は顔を見合わせた。そして照絵が
「帰ろうよ」
と言った、それで2人は送る会の会場から退出したのであった。
 

そして志水夫妻は自分たちだけで龍虎を育てていく決意をした。
 
“高岡さんからの”養育費は、彼の死後も毎月振り込まれていた(*9)が、夫妻はこれは「返還を求められるかも」と言って、手を付けないようにした。
 
志水英世は高岡の死に伴うワンティスの活動停止で取り敢えず仕事が無くなってしまったものの、インペグ屋さん(スタジオ・ミュージシャンなどの斡旋業者)に登録すると共に、古い知り合いなどに声を掛けたりして、半年ほどで何とか生活を立て直すことができた。
 
住んでいるマンションが高そうなので出ることも考えたのだが、初期段階では引越の費用もなく、また家賃は毎月払われているようたったのでそのまま松戸のマンションに住み続けた。またここは様々な仕事に出掛けるのに超便利な場所でもあったのである。
 
(*9) 実際には、左座浪が村飼千代の指示で千代の口座から定期振込を設定したものである。高岡自身の口座は死後解約されたが千代の口座は2006年1月まで残高があり振込が継続されていた。その後入出金が無かったため2016年1月にロックされた。
 

佐藤小登愛の遺体も、高岡・夕香の遺体とともに警察が捜査上の必要のため確保していたのだが、1月7日にやっと引き渡された。遺族5人は、その間ずっと義浜が確保した都内のホテルに滞在していた。
 
「でもどっちみち年末年始は北海道への移動手段が無かったよ」
と兄の理武は言っていた。
 
年末年始は空の便もJRも満杯である。
 
結局、母と2人の妹は飛行機で北海道に戻り、小登愛の遺体を車に乗せて、理武と父が2人で交替で運転して北海道に戻った。
 
理武は東京で荼毘に付して遺骨を持ち帰り葬儀をする方法を提案したのだが、母が絶対に嫌だと言ったので、こういう方法になった。母は小登愛の遺体を運ぶ車に同乗したかったようだが、遺体を乗せると他には2人しか乗れないので無理だった(母は自分が運転すると言ったが、父が「葬式の数が増える!」と言って反対した!)。
 
理武たちが小樽に到着したのが1月9日の夕方で、10日通夜・11日にお葬式ということになった。むろん東京までの往復交通費と滞在費は全て義浜が出している。実際には左座浪の指示で事務所から出ている(義浜は高岡から毎月20万の付き人としての給料をもらっていただけで全くお金が無い)のだが、事務所が表に出ると揉めた場合に事務所が紛争に巻き込まれてしまうので、その回避のため表には出ていない。
 
義浜は
 
「補償については後日話し合いたい」
 
と理武に言い、取り敢えず香典に100万円包んだ。左座浪も“自分の名前で”100万円包んだ(義浜が渡した100万も本当は事務所から出している)。
 
香典の金額としては一般常識から大きく外れた金額だが、理武が両親に
 
「芸能界は冠婚葬祭に100万単位のお金を包むのが習慣なんだよ」
と説明すると納得していた。
 

Back to 2003.12.26 19:00
 
女は自分の行動を咎めようとした女(小登愛)が邪魔なので倒した。マンションの部屋の方は部屋番号を押したのに反応が無い。もう一度押したが、やはり反応が無い。再度押そうとした時、女の手を押さえた男の手があった。
 
「お前、何してるんだ?また高岡さんにつきまとおうとしてるのか?帰れ」
と男は言った。
「邪魔するの?」
と女は言うと、こちらをギロッと睨んだ。
 
彼の背後で植木が1本倒れた音がした。
 
しかし男自身は平気なようである。
 
「あんた何者?」
「僕は使いっ走りさ。もっと恐い人(左座浪!)が来る前に帰れ」
「分かったわよ。あんたもただじゃおかないんだから」
と言って女はスッと姿を消した。
 
男は自分で部屋番号のボタンを押した。
 
「はい」
という女性の声がある。
 
「あ、夕香さんですか?私広中です。今マンションの前にいるんですが、中に入れてもらえません?」
 
それでエントランスがアンロックされたので、広中はマンションに入った。
 
この時、“何か”が広中に寄って行き、そこに“巣くった”ことに広中は気付かなかった。ただ広中はそれまでズボンを穿いていたのに、この瞬間スカート姿に変わってしまった。
 
(つまり高岡家を訪れた“広中”には一部この女の生霊が混じっていた。それで龍虎の存在を知り、そんな“他の女が産んだ”子供は殺さなければと思ったのである。女の電撃が効かなかったのは広中は10月に死んでいて幽霊!だから)
 
“広中”は、エレベータに乗り、高岡たちの部屋がある階まで昇った。
 

Back to 2003.12.27 4:50.
 
広中が運転して中央道を大阪に向けて走っていたポルシェの中に唐突に女が出現した。広中が気付く。
 
「あ、こらお前、どこから入ってきた?」
「あんたは運転してて。私は今からこの女を車外に放り出すから」
「馬鹿なことはやめろ」
「この女だけは許さない。私と***ちゃんから猛獅さんを奪ったんだから」
「だからそんな妄想から、いい加減に目を覚ませって」
 
しかし女は後部座席のドア(*10)をアンロックして夕香を車外に出そうとする。
 
「やめろ!」
と広中が叫んで一瞬後部座席に気を取られた時、目の前に急カーブがあった。
 
「あっ!」
と広中が声を挙げる暇も無かった。
 
車は急カーブの側壁に激突し、衝撃で開いたドアから、夕香と高岡の身体が飛び出してしまった。
 
「あぁぁぁ!!!!」
と広中と女が同時に声を挙げた。
 
(*10) この車には後部座席にドアは無いはずである!!
 

車は衝突の衝撃で潰れ、ガソリンに引火して炎上してしまった。
 
「この馬鹿!なんでちゃんと前見て運転しないのよ?」
と女は広中をなじった。
 
「高岡さん、高岡さん」
と広中は高岡の身体を揺するが生命反応は無い。
 
女は燃え上がる車の中から高岡の靴を取り出す(生身じゃないので平気)と、高岡に履かせてやった。夕香は放置である!しかも数回蹴った!
 
そして頭を抱えて座り込んでいる広中をなじった
 
「お前みたいな下手糞は死んじまえ!」
 
「ぼく頑張ってMT車の練習してたのに・・・・」
「ふん。才能の無い奴がいくら練習しても無駄無駄無駄。車なんてね、眠っててもきちんとコントロールできるようでなきゃダメなんだよ」
 
女は激しく広中を非難し続けた。女の非難は20分ほど!続いたが、広中は高岡たちの死のショックで反論もせずに非難され続けた。
 
「分かった。僕、高岡さんと夕香さんを死なせてしまった責任を取って死ぬ」
 
そう言って、広中は自分のマンションの部屋の窓を開けると、そこから飛び降りた。
 
2003.10.23 5:15 広中猪兵、転落死(事故か事件か自殺か不明)(*11)
 

広中が自分のマンションに行って飛び降りたのを見た女は車の火災が落ち着いてきたので火が消えた後でも、高岡の遺体が後続の車に轢かれないよう三角停止板(衝突の際に車外に飛び出していた)を立てた。また高岡の遺体が道路中央にあったのを端に寄せた。(夕香の遺体は放置)そして高岡の遺体に取りすがって10分以上泣いた後、立ち上がると呟いた。
 
「**ちゃんも亡くなって猛獅まで亡くなってしまうなんて、生きる希望が無くなった。でもあの女が産んだ娘がいるなら、その子も殺してから死のう」
 
そう言うと、女は松戸市のマンション前に現れた。玄関の所に女が2人いた。母娘かな?邪魔するなら排除するだけと思い、女は入口に近づいて行った。
 

(*11) 野暮な解説だが、つまり広中は10月に死んでいたので、この夜運転した広中は最初から幽霊だった。そしてこの事故の責任を感じて自殺した(タイムループ)。八王子、中央道、松戸に現れた女は生霊(≒エイリアス)である。
 
千里のエネルギー弾で生霊部分の9割ほどを破壊されて生命エネルギーの多くを失い動けなくなったし、本体への反動と魔法が破れたことで何かに衝突したかのようなダメージを受けた。
 

ワンティスの事務所の専務であり、オーナーであった村飼千代(芸名=出生名:若杉千代)が1月17日(土)に亡くなった。この秋に癌が見付かって以来実際には治療のしようが無かった。最後の方はかなり激しい痛みがあったはずだか、千代はモルヒネを拒否し、痛みに耐えながら、高岡たちの死後の処理について指揮を執っていた。藤四郎社長はショックのあまり指揮能力を喪失していた。
 
千代は入院中もずっと左座浪など数人のマネージャー、またテレビ局やレコード会社の人などと電話で話して、混乱する社内をまとめていた。ワンティスに関しては3月くらいまでは服喪して活動休止させ、4月から活動再開させる線で指示を出していた。上島と本坂を直接病室に呼んで話し合い、本坂を当面はサポートメンバーとして常に帯同させ、高岡の一周忌が済んだ所で正式メンバーに昇格させる案を提示していた。ギタリストは志水君は自分は高岡に雇われていた身だからワンティスからは離れると言っているので(このあたりは千代は10月頃、志水と話し合っていた)、後任ギター奏者として中村将春(21)を推薦すると千代は言った。
 

千代の葬儀は1月19日に行われたが、この葬儀の最中に、村飼藤四郎社長が脳溢血で倒れてしまう。彼は病床で左座浪と話し合い、取り敢えず事務所に所属するワンティス以外の全てのアーティストを∞∞プロに引き受けてもらえないかと打診。これはワンティスと交流の深い高岡亀浩(白河夜船)が間に入って∞∞プロの鈴木社長と交渉。移籍金無しで∞∞プロが引き取ることで合意が得られた。各々のマネージャーも∞∞プロに一緒に移籍する。
 
高岡の個人マネージャーだった義浜は、小登愛を死なせてしまい、高岡夫妻も亡くなってしまったことにショックを受けていたが、警察の捜査が終了した後5月になって
 
「お遍路に行く」
と左座浪に告げた。
 
「だったら退職金を高岡君に代わって払うよ。事務所にはそれを払う義務があると思う」
と左座浪は言った。
 
「でしたら、それはすみません。佐藤小登愛のお兄さんに払ってあげて下さい」
「分かった。じゃ君の退職金はそちらに渡すけど、お遍路に行くなら僕個人から餞別をあげるよ」
 
と言って、彼に現金で100万円を押しつけるように渡した。義浜は左座浪に何度もお礼をしていた。
 
左座浪が義浜配次と話したのはこれが最後である。その後、彼の姿を見た者は誰も居ない。
 
それで左座浪は佐藤理武と連絡を取り、義浜が自分の退職金を全て小登愛さんの遺族に渡したいと言っているとして、1000万円を理武の口座に振り込んだ。義浜を通すのが筋だが、そうすると税金の処理が面倒になる。慰謝料の名目にしたので税金は掛からない。この慰謝料を受け取った理武は左座浪に
 
「補償問題はこれで解決ということにしましょうよ」
と提案。両者同意の文書を作成した。
 

1月23日(金・友引・たつ).
 
その日、雨宮三森が朝から自分のアパートでひとりで酒を飲んでいたら、三宅行来が尋ねて来た。
 
「酒持ってきた」
と言って見せるのは“山崎12年”である。
 
「あんたいいもの持って来たね!飲もう飲もう」
と言って、雨宮は完璧に迎え酒である。
 
三宅がスモークチーズとビーフジャーキーも持って来たのでそれを食べながらふたりともストレートで飲むが
「このウィスキー美味い!」
と雨宮は喜んでいる。
 
途中でウィンナーもボイルしたし、冷凍ピザも焼いた。出前でお寿司・ラーメン・天丼とかまで取った。
 
出前のデリヘル嬢が来たのは「ごめん、電話の掛けまちがい!」と言って料金だけ渡して帰ってもらった。
 
「あんたの普段の生活がよく分かる」
「私は見ず知らずの素人とはセックスしないわよ」
「そのあたりの感覚がやはり女性的だね。男はわりと誰でもいいみたいだし」
「私男だけど」
「はいはい」
 

「しかし色々あったなあ」
「千代さんは4月になったらワンティス活動再開しなよと言ってたけど、どう思う?」
「無理だと思う」
 
「だよね〜」
「アルバム制作の最後の方はほんとにお互いの音楽に対する考え方の違いが噴出して収拾が付かなかった。あれの妥協点を見つけ出して何とかマスターを作った加藤ちゃんはほんと偉いよ。人間ができてる」
と雨宮は言う。
 
「バンドの方向性に関して妥協点を見いだすのが困難な気はしてる」
と三宅も言う。
 
「高岡は死ななくても脱退するつもりだったと思う。志水君も彼と行動を共にするつもりだったんじゃないかな。高岡がベース、志水がギターを弾いて夕香が歌えば一応バンドの形になる。たぶんそういう形で新たな活動を始めるつもりだったんじゃないかと想像している。千代さんが代替のギタリストを用意していたのは、高岡・夕香・志水が脱退の意思を千代さんに伝えていたからだよ」
 
「ああ、そういうことか」
 
「4月に打合せすることになってるけど、水上は来ないかも知れん」
と雨宮は言うが
「俺がとにかく顔だけは出せと言って連れてくるよ」
と三宅は言った。
 
水上と三宅は大学時代同じバンドにいた。長い付き合いである(でも水上は三宅の性別を知らない)。
 

2人はあれこれ3時間くらい酒を飲みながら話していた。やがて三宅が持参した山崎12年を飲んでしまったので、雨宮は台所の棚からフォー・ローゼスを持ってきて開けた。
 
「個人的にはスコッチ系の味が好きだけどバーボンも嫌いではない」
と三宅は言う。
「いつだったかはカティサーク持って来てたな」
「うん。今日もカティサーク持って来ようかと思ったんだけど、ファンからの贈り物で山崎12が届いたから」
「熱心だなあ」
「物凄い数のファンがいるから、中には高岡の愛人だと妄想する女みたいなのも出た。でもあの手の話、出たのは高岡だけだね。雷ちゃんや俺にはその手の話が無かった」
 
「上島はその手の話が出る度にきちんと話付けてたんだと思う。本当に寝た女には充分な補償をして、そうでない女とは、その女の親族呼んで話し合って無縁であったことを確認してもらう。高岡はその手の対策がなってなかった」
 
「なるほどー」
 
「要するに上島はたくさん女とトラブル起こしてるから揉め事に慣れてて対処方法も確立していた。でも高岡は真面目すぎて、清濁併せ呑む対処ができなかった」
 
「真面目すぎるのも問題だなあ」
 
「海原も真面目すぎるけど、彼の場合は見た目恐そうだからその手の話が持ち込まれない」
「なるほどー!」
「水上・下川はあまり女に惚れられるタイプじゃない」
「ちょっとちょっと」
 
「イクの場合は、ホモだという噂が立っていたからだと思う」
「そんな噂立ってた?」
「結構2ch(にちゃん)の書き込みで見たよ。コウさんとヤマちゃんはホモだよね〜とか」
「知らなかった!」
「2chは勝手な噂も立てるけど、けっこう真実を突いてる所もある」
 
「山根君はバイみたいだけど、俺はホモじゃなくてストレートのつもりだけどな」
「イクの言うストレートの意味がよく分からない」
「俺たちのセックスはストレートだよな?」
「それもよく分からない」
 
「取り敢えず確認してみる?」
「ああ。いいよ」
と言って、ふたりは布団を敷くと“正常に結合できる”ことを確認しあった。
 
「PをVに入れたんだからこれストレートだよね」
「そうかもしれない」
 
2人は大学4年の頃から何度もセックスしているが、お互いに性的な快楽のためにセックスするだけであって恋愛ではないというコンセンサスを持っている。
 
「でも俺、2ヶ月ぶりくらいにセックスした」
と三宅は言う。
 
「イクが2ヶ月前に誰とセックスしたか気になる」
「ふーん。妬いてるの?」
「馬鹿ね。妬くわけないでしょ」
「ミモリンさぁ」
「うん?」
 
「もし俺に少しでも恋愛感情があったらさ」
「無いわよ。私とイクの関係はただのセックス友だちだったはず」
「うん。俺もそのつもりだったけどさ。それでも少しでも気持ちがあったら、俺と結婚してくれないかなあ」
「はぁ!?」
 
「俺、ミモリンのこと好きになってしまった」
と三宅は少し、はにかむような顔で言った。
 
可愛いじゃんと雨宮は思った。“彼”のことは通常男としか思ってないのだが、この時、雨宮は彼の表情にわずかな“女”を見た。
 
まあ、こいつとの仲も長いし、結婚してもいいかも知れないという気がした。なにしろ、自分とイクは“合法的に入籍可能”である。こんな相手はめったに居ないだろう。
 
「これも用意したんだよ。填めてみて」
と言って、なんと三宅は水色のジュエリーケースを出してきた。ティファニーの指輪だ。三宅はそのケースを開くと中に入っていたダイヤの指輪を雨宮の左手薬指に着けた。雨宮は抵抗せずに黙って指輪が着けられるのを見ていた。
 
「結婚してもいいけど条件がある」
と雨宮は言った。
 
「どんな?」
「結婚式無し・新婚旅行無し・指輪無し・入籍無し・同居無し・浮気自由なら結婚してもいい」
 
「え〜〜〜!?」
と三宅は声をあげたがすぐ答えた。
 
「それでもいい。結婚して欲しい。俺の奧さんになって欲しい」
「いいよ」
 
それで2人はキスして、再度セックスした!
 

なおさっきしたセックスでは、雨宮が三宅に入れたのだが、今度は三宅が雨宮に入れた。ちなみに三宅は長年の男性ホルモン服用で既に生理は止まっていて、妊娠することは無い。つまり・・・雨宮にとっては避妊具無しでセックスできる貴重な相手でもあった。
 
但し3回に2回は、三宅が男役になって、雨宮が入れられている!ふたりはどちらも男役・女役をするが、三宅が男役になる方が多い。つまり2人の関係は、雨宮が妻で三宅が夫である。
 
2人は今日結婚したことで、避妊具は全く必要無くなった(雨宮は三宅以外の恋人とのセックスでは確実に避妊している)。
 
「今のセックスが2人の初めての共同作業ということで」
「まあそれでいいよ」
 
「でも指輪無しと言われたけど、その指輪はどうする?」
「せっかくだし預かっとく。預かっとくだけ。もらった訳じゃない」
「いいよ!それで。ミモリンに預けとく」
 
「でも記念の食事くらいしようか」
「うん。どこがいい?すぐ予約するよ」
「わりと気に入ってるお店があるのよ」
と言って、2人が出掛けたのは、銀座にあるエオン(aeon)というメイド喫茶!であった(*12).
 
(*12) この店が2005年に神田に移転し名前もあらためエヴォン(aevon)となる。2010年に和実が入店し、2011年にはチーフメイドになる店である。但し更に後2012年にエヴォンは再度銀座のこことは別の場所に銀座店を作り、和実がそこの店長兼チーフメイドになった。
 

可愛いコスチュームのメイドさんたちが来客に
「お帰りなさいませ、旦那様」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と言っているのを見ながら三宅は
 
「ミモリンにお店の選定任せたのは間違いだった」
と頭を抱えて言った。
 
三宅はブラックスーツで決めており、雨宮はプリンセスドレスを着ている。左手薬指にはちゃんと三宅からもらった指輪を填めている。
 
「でもここ、普通のメイド喫茶とは少し違うのよ」
「へー」
「ここは風俗営業ではなく飲食店営業だから、メイドさんは客と3分以上話しては、いけない」
「3分以上話すと接待行為になるからか!」
「そうそう。だから最初はカラータイマー着けてて2分30秒経つと赤の点滅になってたのよね」
 
「おもしろーい」
 
「ウルトラマンカフェと間違われるからというので、カラータイマーはやめたみたいだけど」
「確かに別の客層が来そうだ」
 
「あとお酒は禁止。メニューにも無いし、酔った客の入店も禁止」
 
「ミモリンにはそういう店の方がいいな」
 
「それから風俗営業じゃないからメイドさんへのタッチも禁止。何度もタッチする客は去勢しますと店長さんから警告された」
 
「警告されたって経験者か!」
「去勢は勘弁してもらって出禁くらったけど、出禁期間が過ぎてまた入れるようになった」
「去勢されとけば良かったのに」
 
「そのうち去勢したくなるかもしれないけど、今はまだ男を辞めたくない」
「とっくの昔に男はやめてる気がするけど。おっぱいも大きいし」
 

「そうだなあ。今おっぱいからバストに進化途中かな」
「おっぱいとバストって何か違うの?」
 
「Aカップ以下は“胸”と言う。“胸が全然無いね”とか。Bカップ・Cカップ程度は“可愛いおっぱい”とか言う」
「ほほぉ」
 
「Dカップ・Eカップくらいは“豊かなバスト”とか言う」
「確かにそうかも」
 
「Fカップ以上は“でけぇ乳”と言う」
「言うかも!」
と三宅は面白がっていた。
 
「ミモリンのおっぱいは今Cカップくらいだよ。確かに」
「イクの胸はAカップかな」
「あまり大きくならないように頑張ってたからな。でもこのくらいでも胸があると男と寝る時に便利だから、普通のFTMさんみたいにこれを除去する手術を受けるつもりは無い」
「私もイクの微乳が好きだからそのままにしといて」
「うん。ミモリンの睾丸は取ってもいいよ。無くても俺困らないし」
「睾丸が無くなると立ちにくくなる気がする」
「俺は全然困らない」
 

メイド喫茶という変化球店舗のわりにはコース料理はどれも美味しく、三宅は満足した。雨宮はやはり“品質の悪い”店には入らない人だ。一種の哲学なのだろう。
 
エオンを出てから雨宮と三宅が銀座の町を歩いていたら、バッタリと長野支香に遭遇した。
 
「どうしたの?まるで新婚夫婦みたいな格好してる」
と言ってから、支香はハッとしたように、口を手で押さえた。
 
「もしかして結婚したの?」
「うん。結婚した」
「おめでとう!」
と支香は喜んでくれた。
 
「今日結婚式挙げたの?」
「いや式は挙げないつもり。今日は記念の食事だけした」
「それは後で後悔するよ。式だけでも挙げなよ。そうだ。私の知り合いが巫女さんしてる神社にかけあってあけるよ」
 
「いや別にいいんだけど」
とは言ったものの、支香は友人に電話して、挙式OKを取ってしまう。
 
それで、雨宮と三宅、それに支香はタクシーでその神社に移動した。
 

「ところであんたたち、どちらが花嫁でどちらが花婿なんだっけ?」
「えっと・・・」
「見た目通りで」
 
「じゃミーやん(三宅行来)が花婿で、モーリー(雨宮三森)が花嫁さんね」
「まあどっちでもいいけど、それでいいよ」
 
「でもこんな変則的なカップルの挙式とかしてくれるかなあ」
と三宅が不安そうに言う。
 
「特に性別を言わなきゃ普通のカップルだと思うって」
「そうかもしれない!」
 
それで支香は2人を船橋市内の小さな神社に連れて行った。
 
支香の言った通り、宮司さんは2人の性別には何も疑問を感じなかったようで普通にふたりの結婚式を挙げてくれた。初穂料は3万円以上ということだったのだが、三宅は10万円納めた。
 
「今年はいいことあるかもしれないよ」
と支香は2人に笑顔で言った。
 
「そうだといいね」
と三宅も笑顔で答えた。
 

1月下旬。上島は可愛い男の娘!“タオ”ちゃんをナンパして、アパートに連れ帰った。彼女と激しいセックスをしていた時に、激しすぎてベッド近くにあった電話機の台を倒してしまった。
 
上島はセックスしながら、男の娘でも性転換手術が終わっている子は、普通の女の子とするのとセックスの感触が全然変わらないなあと思っていた。しかも今日は彼女が同意したので避妊具を付けずに生でやった。男の娘なら卵巣と子宮は無いだろうし、妊娠する可能性が無いから安心して膣内射精できる。生の膣内射精は実は上島も初めてで、こんなに気持ちいいのか!と感動していた。
 
タオの方もかなり気持ち良さそうにしていた。やはり性転換手術済みの子って性的な感覚は普通の女の子と同じパターンになるようだと上島は思う。過去にまだ男性器の付いている男の娘ともセックスしたことがあるが、彼女の場合は反応パターンは男のパターンだった。しかしタオは普通の女の子のようにゆっくりと昂揚していき、ゆっくりと鎮まっていくのである。
 
彼女のGスポットを刺激したら潮吹きまでしたが、彼女も潮吹きは初体験だったようで、恥ずかしがっていた。性転換済みだと潮吹きもできるんだなあと、上島は凄い発見をした気分だった。
 
結局朝まで掛けて10回くらいして最後は上島も立たなくなった。女の子(今日は男の娘だけど)とのセックスで立たなくなるまでやったのも上島は初めてだった。
 
彼女とはお互い気持ち良かったので
 
「また会おうよ。今日は遅かったから僕のアパートに連れてきたけど、次はホテルでディナーとか食べよう」
 
などと言って別れた。妊娠の可能性の無い女の子って遊ぶには最高の相手だ!と上島は思っていた。
 

彼女に帰りの電車賃を渡して返してから、部屋を片付けていた時、倒れた電話機の台も起こしたのだが、その時FAXの紙が1枚落ちていることに気付いた。
 
このFAXは普通紙FAXなので、紙が電話機の下に落ちているのにずっと気付いていなかったようである。この件はだから警察にも言ってない。
 
「高岡と夕香さんからのFAXじゃん。なんで今頃」
と思ってタイムスタンプを見ると 2003/12/27 3:15 となっている。
 
「亡くなる直前のFAXか!」
 
しかし3:15にこのFAXをしてから出発し、岐阜県内の中央道で4:51に事故ったとすると、280kmを1:36で走ったことになり、平均速度は175km/hになる。電卓を叩いてみた上島は
 
「高岡、さすがに無茶苦茶だよ。死ぬよ」
と思った。
 

高岡の字で
《上島、いい詩を夕香が書いたから、曲を付けて欲しい。これを俺たちの置き土産にするよ》
と書かれている。夕香の詩を読むと、物凄い昂揚の中で書かれた詩っぽい。
 
「これは夕香さんの詩とは思えない凄い作品だ」
と上島は呟いた。
 
これまでの夕香の作品は、分かりやすいけど平凡な詩だった。しかしこの詩はまるで昔の高岡の詩みたいに凄いのである。上島は一瞬高岡が書いて夕香が清書したのかとも思ったが、そのようなことは過去に無かったから、多分夕香自身の作品なのだろう。そもそも夕香は他人の清書をしてやれるほど字はうまくない。
 
ただ上島は高岡の字で書かれた「これを俺たちの置き土産にするよ」という文が気になった。まさか高岡たちは心中だったのか??
 

当時、色々混乱していたこともあり、上島は後に上島と下川と雨宮の3人で、アパートで酒を飲んでいる時に、このFAXを受信したかのように思い込んでいた。しかし当日3人が酒を飲んでいたのは、大阪のホテルの一室であり、上島のアパートには居なかった。疲れすぎてて眠れなかったので3人で明け方まで飲んでた。そしてテレビ局に行った後、午前中仮眠していた。お昼頃に左座浪に起こされて高岡が怪我していると聞き(だから頭が働いていない)、13時からのライブに出た。
 

ワンティス担当だった加藤銀河は村上制作次長から激しく叱責され、進退伺いを出せと言われた。それで
「私が至らず、申し訳ありせんでした」
と謝り提出した。
 
それで彼が荷物を整理して会社を退出しようとしていた時、偶然、町添制作部長が通り掛かった。
 
「何かあったの?」
と訊かれ、高岡と夕香が疲れ切った身体で車を運転して大阪に向かおうとしたのは、お前がちゃんと考えて、誰か運転手を付けるべきだったと村上次長から指摘され、もっともだと思うし、本当に自分のミスだと思うので進退伺いを出したことを説明した。
 
すると町添部長は言った。
「そこまでレコード会社担当の責任だとは思わないけどね。でも村上君が君を捨てるなら、僕が拾いたい」
 
と言って、村上の携帯に電話し、
 
「加藤君、要らないならぼくに頂戴」
と言って、加藤の身分を引き取ったのである。
 
加藤はこの町添の恩を一生忘れない。
 
そして、町添は加藤に松原珠妃を担当してくれるよう頼んだ。
 

「加藤君、珠妃ちゃんにも関わってたよね?」
「昨年夏に出したミニアルバムの制作ではお手伝いしました。彼女のメイン担当は湯畑さんですが」
「彼は3月いっぱいで退職予定なんだよ。だからそれを引き継いでほしい」
「分かりました。転職ですか?」
「田舎に帰って、お嫁さんに行くと言ってた」
 
加藤は混乱した。
 
「お嫁さんに行くって、彼、女性でしたっけ?」
「僕もよく分からない。ジョークかもしれないけどマジかもしれないから訊けなかった。最近は色々なパターンがあるし、あまり立ち入って訊くのはプライバシー侵害とセクハラになるし」
 
「私もどこまでセーフでどこからセクハラかよく分からないんですが」
「難しいよね」
 

ワンティスの高岡と夕香が死亡した件に付いて、2004年の1月いっぱいくらいずっとテレビのワイドショーなどでの報道が続いた。その中で幾人かの“評論家”が
 
「日本の道路では最高速度100kmと定められているのに、280kmも速度が出るような危険な車を売るのが間違っている、規制すべきだ」
と述べて同調するタレントが何人も居た。
 

これに憤慨したのが自らも高岡が買ったのと同じ 911 40th anniversary editionを買っていた重富音康である。彼は上島雷太に接触してきた。
 
「毎日、毎日、ポルシェが非難されているのを見て腹が立って腹が立ってしょうがない。ポルシェは世界でいちばん安全な車なのに。上島さん、考えたんだけど、僕が持ってる同型車を譲るからさ、ポルシェが安全な車だとアピールするようなテレビ番組か何かでも作って放送してくれないだろうか」
 
「趣旨は理解しますが、それ重富さんご自身が出演されませんか?どこかテレビ局を紹介しましょう。ほんとにポルシェが好きな人がやった方が説得力ありますよ」
 
「僕は3年前の架空売上発覚と株暴落事件で恨んでる人とが多いからさあ。僕がやるより、ワンティスの仲間だった上島さんがやるほうがいいと思うんだよ」
 
「だったら僕より車の扱いがうまい雨宮に」
と言って上島は雨宮に連絡したのだが
「私はフェラーリ派だもん。ポルシェを宣伝する番組とか出ないわ」
という返答であった!
 
ちなみに海原にも連絡したが
「俺は今は金が無くて買えないけど“いつかはランボルギーニ”と思っている」
と言って、やはり断られた!
 
(翌年ランボルギーニ・カウンタック、2019年に全世界800台限定のランボルギーニ・アヴェンタドールSVJ・ロードスターを購入する)
 
水上・下川・山根は
「僕はMTなんて運転する自信無いよぉ」
と言ったし、支香は
「私AT限定免許」
という話であった。
 
更に三宅は
「俺は荒っぽいからきっと事故起こす」
と言った(本当は雨宮が断ったから自分も断った:彼は実際には無事故無違反である)。
 

それで上島自身が『ポルシェのんびり旅』に出演することになったのである。
 
テレビ局は、ワイドショーを持っていないため、この“ポルシェ批判”に参加していなかったΛΛテレビを選んで、香鳥制作部長(当時:後に社長)に相談してみた。すると香鳥さんは自身がA級ライセンス持ちで、年に1〜2回は富士スピードウェイで走っているという人(愛車はスカイラインGT-R)だったこともあり、この企画を受け入れてくれた。
 
出演者は上島雷太とコメディアンの山田犬次郎(山田次郎の弟子で、後のケンネル@ネルネル)と組んで、日本全国をポルシェで旅して回る番組を作ることになった。
 
ただここで問題となったのが、この重富氏のポルシェの譲渡代金である。重富氏はタダでいいと言ったが、それだと贈与税が掛かってしまう。所有者は重富氏のまま借りて使う案もあったが、それだと重富氏所有の車であることが判明した時に、揉め事になる可能性がある。結局重富氏から買い取るのが無難である。しかし上島には販売額1300-1500万円というこのポルシェを買うお金が無かった。加藤銀河が町添制作部長に相談したところ、★★レコードの初代社長・星原博秋(この時点では会長)が
 
「自分が買い取って上島君に貸与しよう」
と言ったので、その線で処理することになった。
 
重富氏はこの車を1350万円で買っていた。1500万で買った高岡のものよりオプションが少なかったようである。これを星原氏と重富氏で直接交渉した結果、1200万円で買い取ることになった。
 
これがシリアルナンバー1988の車体である(高岡のは1978で10番違い)。
 

それで上島と山田の2人はこのポルシェで主として田舎道を40km/hで走り、通りがかりのおばちゃんたちと交流し、農機を牽引してあげたり(750kg以下の車両は牽引免許無しで牽引できる。ただし上島は念のため牽引免許を取得した)、お婆ちゃんが農協に買物に行くのを乗せてあげたりした。
 
「ポルシェで農協に買物かよ」
と嘆く声もあったが、多くの人は面白がっていた。
 
バッテリーをあげてしまった軽トラの救援をしたりしたこともあるし、村の運動会に飛び入り参加して、上島と山田のデュエットで、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』を歌ったりもした(モー娘。とかでは、お爺ちゃんたちが分からない!)
 

この番組は2004年2月から2006年3月まで、約2年続いたが、この上島たちの番組が流れるようになってから、世間のポルシェ批判は影をひそめ、かえってポルシェの売上は伸びたのである。ポルシェ側は感激してお礼に上島に最新型のポルシェを1台プレゼントすると言ったが、それでは賄賂をもらって番組を作ったみたいになると言って、丁寧にお断りしている。
 
番組終了後、このポルシェは星原氏の自宅車庫に置いていたが、ワンティスのメンバーはいつでも好きな時に来て乗って下さいと星原が言ったので、みんな高岡と夕香を偲ぶように年に1度くらいは来て運転していた。
 
この車は後の2014年、星原氏が「自分はもう寿命だと思うから自分の死後に揉めないように」と言うので、龍虎が星原氏から1000万円で買い取った。実際星原氏は2015年に亡くなった(それで★★レコードの大混乱時代が始まる)。
 

3月長野県警は“本人のネットへの投稿”から、東京都内の30代の男性2人(AB)を道路交通法違反で逮捕した。あわせて双方の妻にも事情を聞いた、
 
彼らはAが所有する外国製の白いスポーツカーで12月27日の午前2-4時頃、中央道の甲府付近から岡谷JCTを経て長野道、更埴JCTを経て上信越道藤岡方面と時速200km程度で暴走した疑いである。妻2人はこの車に同乗していた。
 
彼らは12月20日に、上信越道の碓氷軽井沢IC−佐久IC間が4車線化されたのの“記念に”走行してこようと思い立ち、AとBの2人で交替で暴走したというものであった。但し当時は更埴JCT−上田菅平ICはまだ2車線であり、ここは“前がつっかえていたので”80km/hほどで走行したらしい。
 
そういう訳で高岡たちの“事故(?)”の当夜、中央道原付近で目撃された暴走車は、高岡たちの事故(?)とは無関係であることが判明した。
 

更に警視庁は、やはり“ネットの投稿”から、12/27 2:00頃、談合坂SAに駐まっている銀色のポルシェ・カレラを見たという情報を得た。投稿のあったtcup型の掲示板(*13)の管理者と接触し本来は非公開のメールアドレス情報を提供してもらって本人と連絡を取った。すると権利問題で投稿はしなかったが写真を撮っていたということである。その写真を見せてもらった所、ナンバープレートは映っていなかったものの、間違い無く Porsche 911 40th anniversary edition の写真であることが確認された。
 
(*13) tcupは、この頃人気があった、誰でも掲示板を運営できるサイト。2chが流行する少し前(1999-2005年頃)にひじょうに人気があった。niftyと2chの間を埋めるのがtcupやGALAともいえる。tcup型の掲示板は読みやすくプログラミングも容易なので、2chが有名になる以前は、tcup以外のサイトでも、この形式の掲示板を運用するサイトが多数現れた。
 

それでこの車が高岡たちの車である可能性が濃厚となり、高岡たちの出発時刻は1:40頃であることが推定された。またここから事故現場までは220kmほどなので平均速度は 77km/h という計算になり、高岡たちの車は常識的な速度で走っていたことが判明した。
 
でもこのことは公表されていない!
 
結局“超能力殺人”というのを公表できないので、全て非公開になってしまうのである。膨大な捜査資料・調書は“公式には”無かったことにされ、本格的な魔術犯罪が今後起きたような時の対処の参考にするため、警視庁と検察庁に保管された。
 
だからこのあたりの警察の捜査内容を知っていたのは当時捜査に加わった特別捜査本部の刑事さんたち(警視庁の交通捜査部5名・捜査一課3名・岐阜県警交通捜査課2名の合計10名+特別捜査本部長=警視庁の枡底管理官:警視+東京地方検察庁の検事2名)のみである。彼らは守秘義務によりその内容を他には口外しない。
 
ただ度々事情聴取を受けた左座浪は、捜査内容をかなり想像できていた。彼はその内容を社長やワンティスのメンバーには言っていない。単純な事故だと思い込んでいる彼らの間に余計な混乱を招くだけである。
 
 
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