【女の子たちの音楽生活】(上)

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2006年夏。
 
千里はこの年N高校に進学するのに伴い、長年伸ばしていた髪を切り五分刈りにした。そしてそれに合わせて3年間恋人として交際していた貴司との関係を解消した。最後に1回だけ記念のセックスをした。
 
しかしふたりは6月、函館で行われたインターハイ予選で本大会への切符を賭けた激しい試合を戦ったことから、お互いの相手への思いを新たにする。そして七夕祭りが終わった夜、千里と貴司は3ヶ月ぶりのセックスをするとともに恋人関係を復活させることにしたのである。
 
「インターハイなんて、漫画か何かの世界の話と思ってたから、貴司がそこに行くと聞いて何か不思議な感じがするよ」
 
と千里は自分の携帯で貴司と話している時に言った。
 
「N高校もインターハイ常連じゃん」
「女子の方はね。もっともこれで3年連続ダメだったけど」
「男子の方も千里がいれば行ける可能性があるよ。来年は一緒に行こうよ」
「一緒に行くためには、来年も今年と同じように違うブロックに割り当てられて、決勝リーグでS高とN高が当たるような組合せでないといけないけどね」
 
「クジ運だな。でも来年か再来年にはまたそういう組合せになる可能性は充分あるでしょ。まあ再来年は僕はもう居ないけど」
 
「特進組は部活は2年までなんだよ」
「あぁ」
「まあ全国大会の実績が凄い、男子野球部と女子バスケット部・女子ソフトテニス部だけは特例で夏の甲子園・インターハイまで活動していいんだけどね。但し勉強の成績が20番以内という条件で」
 
「じゃ千里、女子バスケ部に移籍すればいい」
「それは無理だよー。医学的に男子だから」
「・・・・ねぇ千里、本当は既に性転換してないの?」
「してないよ」
「だって、付いてないじゃん」
 
貴司にはこれまで数回裸体を見せているし、2度のセックスもしている。 
「隠しているんだよ」
「ほんとかなあ」
 
「でも再来年は貴司は卒業してるし、やはり来年一緒に行きたいね」
 
「うん。やはり来年の春の大会でも、S高とN高が決勝リーグで当たる組合せになることを祈るしかないね。僕にとっても千里にとっても最後のインターハイになるんだろうから」
 
「うん。それを祈ろう。貴司練習頑張ってね」
「朝から晩までやってるよ」
 

夏休みに入る前の6月下旬から7月下旬の時期というのは、多くの中学高校では期末テストの時期なのだが、N高校は「2学期制」で1学期は4〜9月、2学期は10〜3月となっており、期末テストは9月上旬に行われる。
 
それでこの時期に体育祭が設定されていた。この高校の体育祭はいわゆる運動会の形式ではなく、むしろ球技大会に近い。3学年18クラス対抗でいくつかの競技が行われて、その総合成績で順位を決める。競技としては、男女バスケット・男女バレー・女子ソフトボール・男子サッカー・陸上リレー(男子1600m,女子800m)、水泳リレー(男子400m,女子200m)というのが設定されていた。多くの生徒はどれかひとつに出れば良いのだが、人数の都合で複数の競技に出る子も何人か出る。女子クラスや男女比の偏ったクラスでは同じ種目に複数チームを編成するケースもある。なお、部活でやっている種目には出ないルールである。 
「千里、背が高いしバレーやる?」
などと孝子から言われる。
 
「バレーはルール分かんない」
などと千里が言っていたら、留実子が
「千里は小学校の時、ソフトのピッチャーだった」
と言うので
 
「よし、ソフトボールのピッチャーやってもらおう」
と言われ、ソフトボールのチームに組み込まれることになった。
 
「え?でもソフトボールって女子だけじゃないの?」
「千里は女子だよね?」
「まさか男子に混じってサッカーとかしようって魂胆じゃ無いよね」
「女の子がサッカーのチームに入ってたら乱戦になった時に男子が困るよ」
ということで、当然のように女子としてカウントされた。
 
「いや。千里は既にバスケの大会でその問題を指摘されている」
「それで秋の大会からはちゃんと女子として出るんでしょ?**ちゃんから聞いたよ」
 
と噂は既に暴走している。
 

2年6組と3年6組は女子が少ないのでソフトボールのチームを編成していない。それで残る16クラスでトーナメントをした。
 
最初当たったのは3年5組である。1年5組の先攻であったが、相手チームのピッチャーは凄く身体が大きい。進学組なので2年生で部活を終了しているが1〜2年の時は女子バレー部に居た人らしい。80kgくらいありそうな巨体から結構な剛速球を投げてくるので、1年5組は1回は三者三振だった。
 
1回裏。千里がマウンドに立つ。ああ、この感覚久しぶりだな、と千里は懐かしいような思いだった。ウィンドミルでボールを投げると、ボールはきれいに内角低めに梨乃が構えるミットに収まる。バッターが「えー!?」という顔をしている。
 
うん!ちゃんと思っている所にボールが行く!
 
1球外角に緩い球を投げて空振りさせた後、再び内角低めの速球で三球三振。この後、千里も相手選手を三者三振に取った。
 
「千里もやってたけど、あのぐるぐる腕を回して投げるの格好いいね」
という声がベンチで出ていた。
 
「ウィンドミルって言うんだよ」
と留実子が解説する。
 
「ウィン?」
「Windmill. 風車だね」
「へー。名前も格好いい」
「あれ5〜6回腕を回したら、もっとスピード出るの?」
「2回以上回すのは禁止」
「そもそも単に疲れるだけだと思う」
 
「でも千里、さすが元ピッチャー。私がミット構えてる所にジャスト来る」
と梨乃が言う。
 
「内角ぎりぎりを要求してたね」
とセカンドに入っているので、そのあたりが見えている鮎奈が言う。
 
「私、デッドボール出したことないから」
と千里もコントロールに関しては自信を持って答える。
 
「小学校の時にしてたの?」
「うん」
 
何人か考え込んでいる子がいる。
 
「念のため確認しておきたいんだけど」
と桐子が言う。
 
「千里、小学校の時に男子ソフト部だったの? 女子ソフト部だったの?」
「え? うちの小学校男子のソフト部なんて無かったよ」
 
「つまり女子ソフト部だったのか!」
 

試合はどちらもランナーが出ないまま最終回5回まで行く。1アウトの後、4番に入っている留実子が強振した当たりはピッチャーのミットに当たって軌道が変わり、ショートの深い所に転がる。ショートが追いついて投げるのと留実子の足とが同時くらいだったが、審判はセーフと判定。初めてのランナーが出た。 
5番京子はバントの構えである。
 
初球結構打ちやすい球が来る。バットに当てるが、球が浮いてしまった。内野フライでアウトかと思ったのだが、そのボールを取りに来た三塁手が落としてしまう。慌てて拾って投げようとしたら、暴投してしまった。
 
アウトと思ってベース近くに居た京子が慌てて走る。ランナーの留実子も全力疾走する。ボールは外野を転々とし、右翼手が頑張って走って追いついてバックするものの1アウト13塁になってしまった。
 
千里は今のプレイは微妙だと思った。審判がインフィールドフライを宣告していればそのまま2アウト1塁になっていたが、審判は宣告しなかった。その場合相手は上手くプレイすると確実に併殺を取れた。
 
しかしインフィールドフライは審判の宣告があって初めて成立するプレイだ。そもそも今の打球は「フライ」と言えるかどうか微妙な気もした。
 
結果的にはこちらの有利な展開になったが、これも時の運だ。ただ今日審判をしている子(対戦してないチームの選手なのでソフトの素人の可能性がある)がインフィールドフライを知らない!という可能性もあるなと思った。
 

6番桐子もバントの構えをする。1球目内角にボールが来るが桐子に当たりそうな球で慌ててバッターボックスを外して避けた。ピッチャーがぺこりとして謝り2球目を投げるがワンバウンドである。
 
それを見て次の出番の鮎奈が千里に
「どう思う?」
と訊いた。
 
「元々あのピッチャー、スピードはあるけど荒れ球なんだよね。それがバントの構えをされると、どうもますます荒れるみたい」
「なるほどねー」
 
結局桐子はフォアボールを選んで1塁に行く。1アウト満塁である。
 
7番鮎奈が出て行くが、最初からバントの構えである。内野はスクイズを警戒して前進守備になる。そして第一球を投げる。と同時に鮎奈は普通のバッティングの体勢に変更した。
 
バスターである。ボールはど真ん中に来ている。思いっきり振り抜く。 
ボールは快音を立てて飛び、前進守備のショートの頭上を越えてセンター前に転がった。留実子が余裕でホームインする。1年5組は貴重な1点を取った。 

その後はピッチャーも気持ちをうまく切り替えたようで、8番バッターも、9番の千里も三振して、ゲームは5回裏になる。
 
千里が対戦する4番バッターはピッチャーも務める元バレー部員である。左バッターボックスに入る。この子は右投げ左打ちである。
 
内角低めに1球決めてストライクを取った後、外角の球を3回ファウルされる。5球目。梨乃は内角低めに構えている。千里が投げる。ボールは一見真ん中高めに来たかに見えた。バッターが思いっきり振る。しかしボールはストンと落ちながらインコース側に寄り、ちゃんと梨乃が構えていた位置に納まった。三振。ワンナウト。
 
この試合で初めて投げたカーブであった。実は久しぶりだったのでカーブがちゃんと決まるかどうか自信が無かったのでここまで使わなかったのである。 
続く5番打者をやはりストレートとカーブの組合せでセカンドゴロに打ち取って、最後のバッターと対峙する。
 
丁寧に内角に2球速球を決めてバッターを追い込む。3球目外角に外す。が、バッターは強引にその球を手を伸ばすようにして打った。ボールが高く上がる。打球はそれほど勢いは無いがレフトとセンターの中間位置くらいに飛ぶ。センターの留実子とレフトの京子が走る。
 
2人とも全力疾走してボールを捕ろうとすると衝突して怪我する危険がある。それで留実子が京子に「オーライ!」と声を掛ける。京子が足を停める。しかし留実子は結構ギリギリで追いついて片手でキャッチした。
 
スリーアウト。
試合終了。
 
1年5組は準々決勝に駒を進めた。
 

「対戦チームから、そちら男子が混ざってませんか?と言われた」
と京子が言う。
 
「ボクのこと?」
と千里が言うが
「まさか」
という声。
 
「ボクのことだよね」
と留実子。留実子は春頃は親しい友人の前でだけ《ボク》と言っていたのだがこの頃になると、いつも《ボク》を使っていた。
 
「うん。でも先日バスケの試合でも疑われて医学的な検査を受けて女子というのが確定してますと言っといたから」
と京子は答える。
 
「ボク、小学校の時の町対抗ソフトでも性別疑われたよ」
と留実子が言うが
「あれは本当はボクが疑われたんだけどね」
と千里は言う。
 
しかし
「千里が性別を疑われる訳が無い」
とみんなから言われた。
 
「もっとも男子の試合に出ようとしたのなら、女では?と疑われたろうけどね」
「それ、こないだのインターハイ予選でも疑われたとか」
「それで検査されて、女と確定したんだっけ?」
 
ということで、また勝手な噂が広まっているようである。
 
なお、この体育祭のソフトボールでは1年5組は準々決勝は4対0で勝ったものの、準決勝でスポーツの得意な子が集まっている2年1組に1対0で敗れてBEST4に終わった。総合成績では女子バスケが準優勝、男子サッカーもBEST4だったので総合3位になり、賞状をもらった。
 

体育祭の閉会式が終わった後、1年生はそのまま各クラス毎に集まっていてくださいと言われた。何だろうと思ったら学級写真を撮るということのようである。
 
校庭の隅にある創立50周年の記念碑の前に集まり、そこで写真を撮る。 
「右側に女子、左側に男子が並んで下さい」
と言われるので千里が左の方に行こうとしたら、孝子から
「こらこら。どこに行く」
と言われる。
 
「話聞いてないの?女子は右側」
と智代。
 
「えー。だって・・・」
「まさか男だとか主張するつもりは無いよね?」
 
ということで、他の子たちに引っ張って行かれるようにして女子の並びに入り、女子の最後列で、留実子の隣に並んで写真撮影した。
 
「この写真、卒業アルバムのDVDにも入れるんだって」
「後で学校のウェブサイトの1年5組専用エリアにもアップするらしいから、欲しい人は各自ダウンロードしてって」
 
今はみんなデジタルなんだなと思う。そしてそれなら、うちのお父ちゃんが見たりする心配は無いなと千里は思った。
 

ところで千里たちのN高校はスポーツが盛んで、バスケット部以外でも野球部・ソフトテニス部・スキー部も強い(この4つの部が特待生枠を持っている)。スキー部は冬だが、野球部は過去に1度甲子園に出場しており、今年も6月の旭川地区予選を順調に突破し、7月中旬の北北海道大会に進出した。これを全校生徒で応援に行く。但し免除されるのが上記4つの部の部員と特進組の生徒で、千里はバスケ部でもあり特進組でもあるので応援しに行く必要は無かった。 
しかし実は気になることもあった。それはこの北北海道大会に元彼の晋治も旭川T高校のメンバーとして参加していることであった。
 
平日でもあったので、7時間目の授業が終わった後、学校を出て最寄り駅のトイレ(当然女子トイレ!)で普段着のトレーナーとスカートに着替えてから球場に行ってみた。頭も普段の五分刈りでは目立ちすぎるので、鮎奈たちからもらったショートヘアのウィッグである。
 
千里が行った時は自分たちのN高校の試合がもう7回まで行った所であった。4対0でリードしている。N高生徒たちの居るエリアに行って知っている人に見られると面倒なのでバックネット付近の、一般の観客がいるエリアで観戦した。やがて試合は8回を両者無得点のまま終え、N高は9回の表を三者凡退に抑えて勝利した。応援していたN高生徒が会場から出る。その後にT高校の生徒たちが入ってくる。T高校は男子校なので、男の子ばかりである。ちょっと近寄りがたい世界だなと思って千里は見ていた。ただ同系列で共学のT中学の女子チアリーダーチームが友情応援をしていた。
 
先発はプロ野球からも注目されているという剛速球を投げる投手であった。この投手が1番の背番号を付けており、晋治は控え投手の番号10番を付けている。晋治の出番、来ないかなと思いながら千里は観戦した。晋治にとっては最後の甲子園への挑戦である。
 
しかし相手チームのピッチャーもひじょうに上手い子であった。スピードは無いが多彩な変化球を持っていて、それでT高校の強力打線を翻弄し0点に抑えている。時々走者は出るのだが、守備も良くてT高校の選手に二塁さえも踏ませない。晋治の方は一応控えピッチャーなので時折ブルペンで12番を付けた控えキャッチャー相手に投球練習をしている。
 
試合は緊迫した雰囲気のまま7回の攻防まで終えた。8回表。相手チームの攻撃。T高校のエースが投げる。先頭打者が鋭い打球を放った。その打球をピッチャーは思わず右手で捕ってしまった。
 
ピッチャーライナーでアウトが宣告される。
 
しかしそのままピッチャーが右手を押さえてうずくまる。
 
タイムが要求され、選手が集まる。アンパイアもそばに行って何か話している。ひとりの選手がベンチに走って行き、本来はベンチから出てはいけない監督もマウンドに行った。
 
数分後、ピッチャーはベンチに下がり(すぐに学校関係者の車で病院に行ったらしい)、選手の交代が告げられた。ブルペンにいた晋治が駆け足でピッチャーズマウンドに上がった。T高校の応援席がざわめいている。相手側の応援席もざわめいていた。
 

試合が再開される。
 
晋治が投げる。1球目は打者も様子を見たようで内角低めのストレートが決まりストライク。2球目はタイミングを外すような外角のカーブに空振りして0-2(*1). そして3球目は内角ギリギリに剛速球が決まりバッターは手が出ず三振。まずは最初のバッターを打ち取った。
 
(*1)日本の高校野球では1997年から球審はボール→ストライクの順にコールするよう変更された。
 
晋治はスピードの違う2種類の速球を持っているのである(投げ方と指の形は同じだが縫い目に対する指の掛け方が違うんだよと晋治は言っていた)。 
次のバッターは打つ気満々であった。1球目外角高めで空振りした後、2球目外角低めの球を強引にバットに当てて外野に運ぶ。しかし上がりすぎてセンターの子が楽々キャッチ。3アウト。
 
8回裏になる。8番からの下位打線であったが先頭打者がフォアボールで出た後、9番打者が更にデッドボールで出塁してノーアウト12塁という絶好のチャンス。1番バッターはバントを成功させて1アウト23塁。しかしここで相手チームは満塁策に出る。2番バッターにフォアボールを与えて1アウト満塁にする。塁が埋まっている場合はランナーに進塁の義務が生じるためタッチが不要となりアウトを取りやすいためである。
 
そして3番バッターが晋治だった。元々のエースは投手としても凄いが打者としても(高校野球レベルでは)凄いので、3番に入っていた。そこと晋治が交替したので打順も3番なのである。
 
千里はこの場面、もし2アウトなら晋治は交替させられていたかも知れないと思った。晋治だって結構いいピッチャーだが、3番手のピッチャーも晋治と背番号の10番・11番のどちらを付けるか争っていた優秀なピッチャーである。 
そして晋治自身も自分がアウトになっても次にこのチームの大黒柱ともいうべき強打者の4番がいるので、気楽に打席に入ったと後から言っていた。監督からは三振してもいいから内野ゴロ(併殺を取られる)だけは打つなと言われていたという。
 
恐らく、その気楽さがそのプレイを呼んだのだろう。
 
相手ピッチャーが投げたボールは初球ど真ん中に来るストレート。それを晋治はきれいに振り抜いた。
 
ボールは高く上がるが飛んで行く方向はレフト線ぎりぎりっぽい方角である。もしフェアであれば、野手が捕っても犠牲フライになって1点取れる。観衆がボールの行方を追った。レフトの選手が必死に追う。
 
そして
 
ボールはレフトポールぎりぎりのスタンドに飛び込んだ。三塁塁審が腕を回す。 
ピッチャーが呆然として立ち尽くしていた。
 
晋治は思わず「やった!」という感じで手に拳を握り、ダイヤモンドを一周した。三塁走者、二塁走者がホームベースを踏み、一塁走者もベースを回りきって本塁に帰ってくる。そして晋治も一塁・二塁・三塁を回ってホームに帰ってきた。
 
先に戻ってきていたランナーとハイタッチする。ベンチに戻るとみんなから頭を叩かれている。そしてすぐ投球練習に行った。
 

4対0となったが、相手ピッチャーは気を取り直してマウンドに立つ。T高校の四番バッターが出て行く。1−2の後の4球目。内角の球を打つがボールは伸びず深めのショートフライとなって2アウト。続く5番バッターもサードゴロに打ち取って8回裏を終了した。
 
打たれた後もほとんど正常心で投球している。この精神力は見習いたいと千里は思った。やはり晋治へのあの1球だけが、失投だったのであろう。野球ではそのたった1回の失敗が大きく勝負を左右する。千里は小学生の時、ソフトボールのピッチャーをしていて、最終回2アウトまで来てから相手に逆転ツーベースを打たれてサヨナラ負けした苦い経験を思い出していた。
 
9回表。相手チームは何だか円陣を組んで頬を叩き合ったりして気合いを入れていた。打席に立っても何か吼えてる!? しかし晋治は冷静だ。元々調子に乗りやすく、浮かれやすい性格ではあるものの、ここは気を引き締めている。打ち気にはやる打者にわざとゆるめのボールを投げてタイミングを外す。まずは最初のバッターを三球三振。
 
次のバッターは先頭打者よりは落ち着いているものの、やはりかなり燃えている。晋治は外角のカーブ、遅い方の速球を使って、じらしておいて、最後は速い方の速球で三振。2者連続三振。
 
ここで代打が出る。13番を付けた子が出て来て打席に立つ。最初は遅い方の速球を内角低めに決める。晋治は千里の先生であるだけあってコントロールが良い。デッドボールを出したことが無いというのを本人も自慢していた。それ故にキャッチャーも安心して内角ギリギリを要求できるようである。
 
2球目外角へのカーブ。それに打者がバットを合わせる。快音が響いてボールが高く上がるが、ファウルで客席に飛び込む。0-2。更に外角への球を打たれてまたファウル。晋治は更にもう1球外角ギリキリっぽい所に投げて更にファウル。 
そして5球目。速い方の速球が内角に来る。バッターは3球続けてのカーブの後なので振り遅れるが何とかバットに当てる。
 
が、さすがに芯を外れたようでゴロになる。サードが捕って1塁へ送りアウト。 
試合終了。T高校が4対0で勝った。
 

千里は晋治の携帯に「お疲れ様。勝ち投手おめでとう」とメールを送っておいた。 
それで帰ろうとしていた時、千里はふと異様な空気に気付き、その方角を見た。小学4−5年生くらいかな?という感じの少女が立っている。しかしその周囲に人がいない。こんなにたくさん球場には人があふれているのに、少女の周り数mには誰も居ないのである。正確には少女の左側は5mくらい、右側も2mくらい空白地帯になっている。
 
千里の斜め後ろで《こうちゃん》が指をポキポキっと折るのを聞いた。 
その時、T高校の野球部のユニフォームを着た男子が走ってきて、彼女に気付かず、まともにぶつかってしまった。ふたりとも倒れる。ベンチ入りできなかった部員さんだろうか?と千里は思った。
 
「あ、ごめん」
とその男の子は謝ったのだが、少女はその男の子をギロっと睨む。そして立ち上がったが、男の子の方は立ち上がれない。そしておびえたような顔をした。千里はふたりのそばに近づいて行った。
 
少女が千里の気配に気付いてこちらを見た。
 
「あんた何?」
と少女は訊いた。
 
「私はただの巫女だけど」
と千里は言う。
 
「巫女か。じゃこれが見えるのね? 怖くない?」
「さあ。私は巫女ではあるけど霊感無いのよねー」
と千里が言うと少女は馬鹿にされたと思ったようで
「チビ、こいつからやっちゃいな」
と言った。
 
ところが、その後、少女は不可解な反応を示す。
 
「え?チビ、どうしたのよ? ちょっとチビ〜! どこ行くの?」
 
どうも少女にチビと呼ばれた《何か》が、逃げて行ってしまった雰囲気である。少女も慌ててその後を追っていった。
 
千里はまだ倒れている男子野球部員に声を掛けた。
 
「大丈夫ですか?」
「こ、こしがぬけて・・・」
 
それで千里は彼の手を取って起こしてあげた。
 
「ありがとうございます。あれ?あなた以前も見たことある」
「ああ。私は青沼君の元カノだから」
「へー! 青沼さんの! いや今日は青沼さん凄かったですね」
「私もびっくり。でも今、何を見たんですか?」
 
「虎が・・・虎がいたんです。こちらに飛びかかってきそうにしてて怖かった」
とその男の子は言った。
 
千里は少女(天津子)が走り去った方角を見詰めていた。そしてふと思い出した。今少女のそばで感じた気配は2年前に旭川に映画を見に来ていてトイレの中で遭遇した怪異であることを。そうか虎だったのか。あの時そばに居た少女(青葉)からも「見えたんですか?」とか訊かれたっけ。
 
でも・・・
 
そういうの私、全然見えないんだけど!?
 
それを思い出していた時、斜め後ろで《こうちゃん》が言った。
 
『あいつ癖の悪そうな虎だったから、叩きのめしてやろうと思ったのに、千里を見た途端、ビクッとして逃げて行ったぜ。前に会ったことあるの?』
 
『そうだなあ。モップで思いっきり叩いたことあったかな』
『なるほどねー』
 

夜になってから晋治から電話が掛かってきた。
 
「メールありがとう。もしかして試合見ててくれた?」
「そうだね。N高の試合の次だったから、ついでだよ」
「いや、自分の出番は無いだろうなと思ってたからびっくりした。地区予選でも1度も出場機会はなかったんだよ」
「投げられて良かったね。ホームランまで打ったし」
「あれはまぐれ」
 
「でもエースさん、大丈夫だった?」
「それが骨折していた」
「えーーー!?」
「この夏はもう投げられない」
「きゃー、どうすんの?」
「監督から、取り敢えず次の試合は僕が先発してくれと言われた」
「でもチャンスじゃん」
「うん。頑張って甲子園を目指すよ」
 
「それ晋治らしくない」
「え?」
「甲子園の優勝旗を旭川に持ち帰る、くらい言おうよ」
「そうだね。そのくらいのつもりで頑張ろう」
「うん。頑張ってね」
 
5分ほどで会話を終えて電話を切ったが、叔母から言われる。
 
「葬送行進曲が流れるから何かと思ったよ」
「彼からのメール着信はオフコースの『さよなら』だよ」
 
「それって、千里、彼のことをまだ好きなんじゃないの? だからわざとそういう曲を聴くようにして自分の心にストッパーを掛けてるんじゃないの?」
 
「そんなことないと思うなあ。もう別れて3年半経つし。私には貴司がいるし」
 
と千里は言ったものの、心が少しだけ温かくなるような思いもあった。 

T高校はこの後、結局晋治と11番のピッチャーが1試合交替で、時には継投で投げて北北海道大会で優勝。甲子園への出場を決めた。決勝戦でも晋治が先発し、二塁打を打って決勝点を叩き出す活躍を見せた。T高校はこれまで何度か甲子園に行っているが、今回は4年ぶりの出場。晋治にとっては最初の(そして最後の)甲子園になる。
 
一方千里たちのN高校は準決勝で(T高校とは別の高校に)敗れた。両者が当たっていたら千里としては少し悩むところだったので少しホッとした気分でもあった。 

学校は夏休みに入ったが、千里たち特進組はお盆前後を除けば夏休み中もずっと補習が行われるので、特に留萌には帰らず、ずっと旭川で学校に出て行っていた。ただ、夏休みの補習は午前中で終わるので(多くの子は午後からは塾に行く)、千里は午後からはQ神社に行き、巫女のバイトをしていた。夏の間は北海道は観光客も増えて神社も結構忙しいので、龍笛の上手い千里が毎日出てきてくれるのは助かる、と巫女長の斎藤さんも言っていた。
 
その日千里が昇殿祈祷で笛を吹いて降りてきたら、斎藤さんが「ちょっとちょっと」
と呼ぶ。
 
「千里ちゃんに特に占いをして欲しいというお客さんが来てるんだけど」
「諸富さんじゃなくてですか?」
 
千里は留萌の神社では、主として中高生の占い相談もしていたのだが、こちらの神社では占いは50代の神職・諸富さんが高名な気学家に若い頃弟子入りして学んだこともあり、ほぼ一手に引き受けている。ただ、千里が占いをすることを知っている人もあって、過去にも数回特に指名されたことがあった。
 
「うん。気学ではなく易で占って欲しいというんだよね。それと留萌に奥さんの実家があって千里ちゃんが向こうで百発百中で占いをしていたというのを聞いてたみたいなんだよ」
「さすがに百発百中じゃないです!」
 
「できる?」
「内容は聞いておられますか?」
「中国の企業に生産委託をしてもいいかどうかの判断だって」
「もしかして大きな取引ですか?」
「どうも数十億レベルっぽい」
 
「きゃー。だったら私、水垢離します」
「うん」
 

斎藤さんが、占いを受諾することと巫女が水垢離をする間待っていて欲しいというのを伝えに表の方へ行く。千里はバスタオルと着替え用の下着を持って神社の裏手の、関係者以外立入禁止の場所に行き、裸になり、そこに流れている小川に入って水垢離を始めた。
 
中学の時、巫女さんのバイトを始めた頃は、水垢離とか滝行なんて、やだよーと思っていた千里であるが、慣れてしまうと苦痛ではない。むしろ自分の感覚が透明になっていく感じが快感である。
 
だいたい良い感覚になってきたなというところで終了する。小川から上がろうとしていた時、神社の戸が開く。
 
「千里ちゃん、そろそろ準備できた? あ、ごめん」
と言って斎藤さんは後ろを向く。
 
「あ、済みません。夏だから水垢離用の服を着なくてもいいかなと思って裸でしてました。今終わった所です。そちらに向かいます」
と千里。
 
「うんうん、よろしく」
 
千里は身体をバスタオルで吹き、洗濯済みの下着を身につける。そしてその上に巫女衣装を身につけ、斎藤さんと一緒に応接室に向かった。
 

「お待たせしました。ご相談事、詳しく教えて頂けますか?」
 
と千里は言った。占いの客は55-56歳くらいの活力あふれる男性である。恐らくはその腕ひとつで自分の会社を20年か30年掛けて大きくしてきたのであろう。話し方もとても熱い。カリスマ性のある経営者だなと千里は思った。
 
この人の会社では5年ほど前から部品のいくつかを中国の企業から買っていたらしい。しかしいっそのこと、向こうで全部生産しませんか?というのを相手から打診されているという。
 
「それでは易卦を立ててみます」
 
と言い、筮竹を操り、十八変筮で卦を出した。
 
「離為火(りいか)の五上爻変です。凶です」
 
「やはり」
 
「これは上卦と下卦に同じ八卦《火》が出ています。こういう純卦というのはひじょうに良くない状況。そして悩みの深い状況を表します。悩むので迷うのですが、迷った末に、お金や地位につられて悪い選択をしてしまいます。この之卦(しか)は沢火革。思い切った改革が必要です」
 
千里は算木を2セット使って、本卦の火卦と之卦の革卦を並べる。
 
「君子は豹変し、大人は虎変す。しがらみに囚われず、必要な改革をしなければなりません」
 
クライアントは大きく頷いていた。
 
「そこと提携しない場合、今ある工場を建て直さなければならないんです。道内のある地方都市から、こちらに工場を移転させませんか?と誘致を受けているのですが、どうでしょう?」
 
今度は略筮で卦を出す。
 
「水火既済の二爻変。大吉ですね。之卦が水天需で大川を渡るに利あり」
 
「あ!大川ですか? 実はその場所が石狩川の川沿いなんですよ」
 
「ぴったりですね」
と言って千里は微笑む。卜占系の占いではしばしば「象意」というより「まんま」
のものが出ることがある。
 

その後もクライアントはいくつかの質問をし、その度に千里は略筮で卦を立てて質問に答えていった。セッションは1時間ほど続いた。
 
クライアントが「本当に参考になりました。ゆっくり考えて決断します」と言って帰って行った。見料は10万円ももらった。
 
「千里ちゃん、凄い金額頂いちゃったから、これ2割バックするよ」
「わあ、そんなに頂いていいんですか! 新しいバッシュ買っちゃおうかなあ」
 
千里が今使っているバスケットシューズは中1の時に占いの御礼に細川さんが買ってくれたものである。かなり痛んできているものの穴の空いたところを糸で縫ったりして千里は使用していた。
 
斎藤さんはそういう千里を微笑ましく見守っていたが、ふと思い出したように言う。
 
「そうだ。さっき、水垢離してる千里ちゃんの裸見ちゃったけど」
「はい?」
「千里ちゃん、おっぱいあるのね」
「そうですね。女子高生として恥ずかしくないギリギリ程度のサイズですけど」
 
「それに、おちんちん無いように見えた」
「あ、それは巫女さんする時は取り外してますから」
 
「取り外せるの〜〜!?」
 

貴司たちのS高校男子バスケ部は大阪で8月2日からインターハイに参加する。それで8月1日に大阪に向けて移動するのだが、その日の朝、旭川空港で会いたいと貴司から連絡があったので、千里はその日の補習を休んで朝から空港に向かった。
 
やがて貴司をはじめとするS高校男子バスケ部のメンバーがやってくる。知っている顔ばかりなので千里は会釈をした。
 
「村山?」
「女子制服を着てる」
「スカート穿いてる」
「なんか髪もふつうの女の子の髪だ」
「五分刈りじゃない」
 
「だって私女子高生ですから」
「女子高生が男子チームに出場してはいけないなあ」
「秋の大会ではちゃんと女子チームの方に出場しろよ」
「柴田(久子)や中谷(数子)も村山が女子で出てくれば対戦できるのにって言ってたぞ」
「そうですね。そのあたりは課題ということで」
 
と千里は微笑んで応じる。
 
「今日は誰かの見送りかお迎え?」
などと佐々木君に訊かれた時、貴司が出てきて千里にヴァイオリンケースを差し出した。
 
「千里、このヴァイオリン、やる」
「え?」
 
「僕もこれ6年くらい弾いてないからさ。楽器が可哀想だから。千里なら弾いてくれるだろうし」
「でも・・・」
「これは僕たちの関係とは別。そのうち僕たちが別れても、この楽器はずっと千里が持っていていいから」
 
「分かった、もらう」
「うん」
「貴司がんばってね」
「もちろん」
 
それで千里は貴司と握手した。
 
「細川、キスしてもいいぞ」
「試合中でなければだけどな」
などという声が上がる。
 
「あ、これS高校のみなさんに」
と言って千里はS高バスケ部の主将の山根さんにチーズケーキの箱を渡した。 
「おお。ありがたくもらうぞ」
「みなさん頑張ってください」
 
「来年はぜひ一緒に行こう」
「はい」
 

お昼過ぎ、千里が(ズボンを穿き五分刈り頭で)いったん学校に戻ってくると「あれ?今日休みじゃなかったの?」
と鮎奈に言われる。
 
「休んだよ。でも今日はバンドの練習の日だからと思って出て来た」
と千里。
 
本当は練習も休むつもりだったのだが、貴司からヴァイオリンをもらってしまったので、ちょっと弾いておきたいなと思って出てきたのである。
 
「ああ。風邪とかじゃなかったのね?」
「うん。ちょっとお友だちの見送りで空港に行ってた」
「ふーん」
と言ったまま、鮎奈は千里を見詰めている。
 
「どうかした?」
「いや、千里今日は上半身はふつうの女子制服だなと思って」
「え?」
と言って千里は自分が着ている服を確認する。
 
「あ、しまった。ブラウス交換するの忘れた」
 
「もしかして千里、そのお友だちのお見送りにはふつうの女子制服で行った?」
「うん」
「下もスカートで」
「うん」
「髪はどうしたの?」
「あ、えっと鮎奈たちにもらったショートウィッグ」
 
「それで、学校に出てくる前に、スカートをズボンに換えてウィッグを外したんだ?」
「うん。その時、ブラウスもいつもの白いブラウスに交換するつもりが忘れてた」
 
「だけどさあ、女子の制服はそのペールブルーのブラウスなんだから、今着ている服が校則通りであって、いつも着ている白いブラウスは本当は校則違反になるんだけど」
 
「えっと女子はそうかも知れないけど、男子はワイシャツにベストだから」
「ワイシャツ着てないじゃん。ブラウスじゃん」
「う・・・」
 
「千里はそろそろ潔く女子生徒として生活するようにした方がいいけどなあ」
と京子も言った。
 

音楽練習室に集まり、いつものメンバーで練習をする。とは言ってもいつも参加するメンバーは微妙に違う。みんな勉強や部活などで忙しいので毎回参加できる人はひとりもおらず、中核メンバーである蓮菜(Glocken)・鮎奈(Rhythm Gt)・孝子(Keyboard)にしても必ずしも毎回は参加していない。
 
今日もリードギターの梨乃・ライアの智代は塾に行くので欠席、ドラムスの留実子はバイト、ベースの鳴美と大正琴の花野子にフルートの恵香も個人的な用事で欠席で5人しか居ない。
 
それでリードギターは本来鉄琴担当の蓮菜が弾き、ドラムスは本来トランペット担当の京子が打つ変則体制である。(Gt1.蓮菜 Gt2.鮎奈 Dr.京子 KB.孝子 Vn.千里) 
千里がヴァイオリンケースを開けようとしていたら
「あれ?いつものケースと違うね」
と言われる。
 
「あ、ちょっと借り物なんだよ」
「いつも借り物だったような」
「うん。いつもは叔母さんのなんだけど、これは友だちの」
と言って、さっき空港で貴司からもらったヴァイオリンケースを開ける。ケースの中に入っている調子笛で調弦するが、この調子笛は貴司が使っていたものだということに思いが及ぶと、間接キスだなと気付き、笑みが出た。 
演奏していたら
「いつもと音が違う」
と言われる。
 
「うん、いつも使っていたのはナイロン弦なんだけど、これは金属弦だから」
と千里は答えたのだが
 
「ああ、音色も違うよね。でも今日の千里のヴァイオリンの音って、何だか凄くセクシーな気がして」
とピアノ担当の孝子が言う。
 
「ああ、きっと午前中千里はデートしてきんだよ」
と蓮菜が言った。
 
「え?なんで分かったの?」
と千里はつい言ってしまったのだが
 
「ほんとにデートだったのか!」
「デートのために補習を休んだんだ?」
と突っ込まれる。
 
「推測するに、そのヴァイオリン自体が彼氏からの借り物だな」
「う・・・」
 
「図星のようだ」
 

その日は『残酷な天使のテーゼ』の練習をしていたのだが、千里たちが使用していたアレンジでは、冒頭の、歌なら無伴奏で歌う部分をフルートソロで弾くようにしていた。しかしその日はフルート担当の恵香が来ていないので代わりに孝子がピアノで弾いていたのだが
 
「どうもそこにフルートの音が無いと変な感じだ」
という話になる。
 
「私がヴァイオリンで弾いてみようか?」
と千里が言うので、それでやってみたのだが、やはりしっくりこない。 
「ここはやはりフルートの音がいちばん良いね」
「恵香も欠席率高いからなあ」
「あの子、2学期は何とか進学組に入れるように、塾に通って頑張ってるみたい」
 
「だいたいひとつのパートを複数の人が担当できるようにはしてるんだけどね」
「ギターは本来梨乃と鮎奈だけど蓮菜も弾ける」
「まあギター弾ける子は多い。私のグロッケンも大抵の子が弾けるはず」
「ベースは本来鳴美だけど智代も弾ける」
「ドラムスは本来留実子だけど京子も打てる」
「腕力無いから疲れてくるとリズムが怪しい」と京子。
「ピアノは孝子だけど、智代・千里・花野子も弾ける」
「私のピアノはてきとー」と千里。
「トランペットは京子だけど鮎奈も吹ける」
「ヴァイオリンは千里の他に孝子も弾ける」
「私は音階があやしい」と孝子。
「私は移弦が苦手」と千里。
「でもフルートは恵香だけなんだよね」
「他に吹ける人いないよね?」
 
「でも千里って龍笛が上手いよね。フルートも練習したら吹けない?」
「いや、楽器が無い」
「フルートって高いんだっけ?」
「ヤマハの安いので5−6万したと思う」
「千里、貧乏そうだしなあ」
「ごめーん」
「千里の持ち物って、もらいもの、借り物が多いもんね」
 
「うん。男子制服は自分で作ったんだけど、女子制服とスクールバッグはもらいものだし、ウィッグもロングの方は出世払いということでまだ料金払ってない、ショートの方は蓮菜たちに買ってもらったし。バッシュも中学時代に知り合いに買ってもらったものだし、自転車もお友だちのお姉さんからもらったものだし、実は龍笛の代金もまだ払ってない」
 
龍笛の代金は何度か払おうとしたのだが、細川さんが、お金は何かの時に必要になるからと言って、受け取ってくれないのである。
 
「それだけ色々もらえてるのなら、誰かフルートをくれる人はいないだろうか?」
 
「うーん。友だちでフルート吹きって恵香くらいだもんなあ。でも音楽の先生にとりあえずファイフ練習してみない?と言われてアウロスのファイフこないだ買ったんだよ」
 
「ほほぉ」
「ファイフでもいいじゃん」
「フルートもファイフも西洋音階の横笛」
 
「今そのファイフ持ってる?」
「うん」
 
「じゃ、ちょっとそれで冒頭のフルートソロを吹いてみよう」
 

それで千里がその部分をファイフで吹いてみると
 
「おお、さすが龍笛吹くだけあって、良く音が出る」
 
「雰囲気はかなりフルートに近いね」
と言われる。
 
「やはり音が樹脂の音だけどね」
と千里。
 
「リコーダーの音に似てるよね」
と鮎奈。
 
「フルートなら木管フルートに近いかも」
と孝子。
 
「ああ、確かに樹脂の音と木の音は似ているかも」
と鮎奈。
 
「じゃ、それでやってみよう」
「今日は千里はフルート吹きながらヴァイオリンも弾いてね」
「それはさすがに無茶!」
 
「でも恵香が吹いている所を見ても思ってたけど、横笛を吹く少女というのは絵になるよね」
「ただ千里のその五分刈り頭が問題だな」
 
「千里、午前中ウィッグ着けてたんなら、今も持ってるんでしょ?」
「うん」
「じゃ着けてみてよ」
「演奏には関係ないじゃん」
「気分に関係する!」
 
それで千里はバッグからショートウィッグを取り出すと頭に装着した。 
「ついでに下もスカートにしようよ」
「えっと・・・」
 
まあいいかということで千里は夏制服のスカートを取り出してズボンと穿き換える。
 
「ああ、これで良い図になった」
「千里、やはりバンド練習の時は毎回その服装にしようよ」
「髪もそれがいいよね」
「うん、五分刈りはインパクトはあるんだけど」
 

練習が終わってから、ちょっとおしゃべりしてから帰ろうよという話になる。 
「千里、今日はバイトは何時から?」
「今日は休みー」
「だったら千里も付き合って」
「女子制服のままね」
「うん。私は校外では基本的に女子制服だから」
「待て」
「もしかして、千里って校内は男子制服で校外では女子制服?」
「ああ、そうかも」
 
「それって変!」
とみんなから言われた。
 
楽器を片付けてから階段を降りて生徒玄関の方に行きかけた所で、伊勢先生と遭遇する。
 
「お、千里ちゃんがスカート穿いてる。髪型も女の子っぽい」
と先生。
 
「今日は千里はちゃんと校則通りです」
と孝子。
 
「うんうん。普段のズボン穿いてるのと五分刈り頭が違反だよね」
と伊勢先生は笑顔で言った。
 

結局近くのイオンまで歩いて、フードコートで話し込む。取り敢えず友人達の噂話・情報交換である。進行中のカップルに関する情報も盛んに出るが、これ私と貴司の話も、私が居ない所ではずいぶん情報交換されてるんだろうな、と千里は思った。
 
「だけど練習してる曲、どれも結構形になってきたし、CDとか作ってみたい気もするね」
 
「CD作ってデビュー?」
「それはさすがに無理だけど、どこかのスタジオ借りて録音して友だちに配るのでもいいしね」
 
「スタジオの借り賃っていくらくらいするの?」
「4-5時間借りた場合で3-4万くらいだと思う。録音やミクシングをスタッフさんにやってもらった場合で」
 
「それ自分たちでやるより、お任せした方がいいよね?」
「そのあたりによほど強い人がいれば別だけどね」
「女子の中には居なさそうだな」
「誰か同級生の男子でそういうの強そうな人とか居ないかな?」
 
「何人か声掛けてみようか。多分スタジオの技術者に任せるにしても、その辺りのことを理解している人がこちらにも居た方がうまくいく」
「ああ、そういう気はする」
 
「何か4トラMTRとか8トラとか、そんな世界?」
と孝子が訊くが
 
「いや、最近はDAWを使うんだよ」
と蓮菜は言う。
 
「それどう違うの?」
「MTRはテープのトラックに録音するもので、それを4トラックだったら4パートまで重ねられるから、よくある4ピースバンドだと1トラックに1パートずつ録音したりとかしてたみたいね。でもこれタイミング合わせが難しいし、録り直す場合は前の録音は消えるのが前提だし、編集も困難。でもDAWはそれを全部パソコンでデジタルでやっちゃうんだよ。編集もMTRに比べればぐっと楽だし、テイクは好きなだけ取って、最終的にいちばん良いのを採用すればいい」
 
「それ音質も全然違うんじゃない?」
「うん。MTRで音質を出すためには高価な機材を使って、ダビング回数をいかに少なくするかというのも課題になるけど、DAWだとそんなの全く気にすることない。高音質で録音できるし、何度ダビングしても音質は劣化しない」
 
と蓮菜は解説したのだが、突っ込まれる。
 
「蓮菜詳しいじゃん」
「思った」
 
「誰か近くに詳しい人いるの?」
「あ、えっと・・・・」
 
珍しく蓮菜が焦っている。
 
「その表情、彼氏から聞いたと見た」
「いや、彼とは別れたんだよ」
 
「あ、千里がその彼氏のこと知っているっぽい表情」
「きっと2ヶ月後にはまた仲が復活してると思うな」
 
とだけ千里はコメントする。蓮菜は少し迷っているような表情だ。
 
「でも誰か男子の同級生で、という話が出たときに千里は分からない? などと訊く子が誰もいなかったね」
「まあ千里は女の子だからね」
 
「私、電気関係はさっぱり分からない。ラジカセで録音したのを携帯に取り込むのとかも全然分からなくて、友だちにやってもらったんだよ」
 
「いや、その作業は実際に難易度高いと思う」
「ってか、その友だちって彼氏のことね?」
 
「あっ・・・」
 
「こないだ函館で10万人の大観衆の前でキスしたんでしょう?」
 
やはり噂は増幅・誇大化されるんだなと千里は思った。
 
「あそこに10万人も入らないよ。せいぜい500-600人だと思うなあ」
「それでも大胆だ」
 
「でもやはり千里は女の子だね」
 

そんなことを話していた時、近くのテーブルに居た、30歳前後の女性が寄ってきた。
 
「ねぇねぇ、君たちCD作りたいの?」
 
千里たちは顔を見合わせる。
 
「あ、ごめんね。私、こういうもの」
と言って、名刺を全員に配る。
 
《∞∞プロ制作部・谷津貞子》
 
と書かれていた。
 
「芸能プロダクションの方ですか?」
と孝子が訊く。
 
「うんうん」
「あれ?ここ、ロングノーズとかマリンシスタの事務所ですよね?」
と鮎奈。
 
「そうそう。どちらも解散しちゃったけどね」
と谷津さん。
 
「あれ?マリンシスタって解散したんだっけ?」
と京子。
 
「ついこないだ、関東ドームでサヨナラ公演したよ」
と鮎奈。
 
「それで今、うちはポスト・マリンシスタになるアーティストを探しているんですよ。実は今日は旭川に有望なバンドがいると聴いてやってきたんだけど、期待外れでね。CDはよくできてたんだけど実際に演奏聴いたらすっごく下手」
と谷津さん。
 
「まあ最近は編集でどうにでもできますからね」
 
「それで折角北海道まで来たのにこのまま帰るのも悔しいなと思ってたんだけど、今君たち見てたら、雰囲気良いなあと思って。バンドしてるんなら、ちょっと聴かせてもらえないかなあ」
 
千里は『雰囲気がいい』じゃなくて『顔がいい』じゃないのかなと思った。マリンシスタも歌唱力は大したことないものの、可愛い子がそろった歌唱ユニットであった。
 
「でも私たち、バイトとか禁止されてるから」
「進学校?」
「はい。私たち特進組なんで特に厳しいんですよ」
「あらぁ、それは残念。でも良かったら、聴くだけでも聴かせてもらえたら嬉しいなあ」
 
「楽器、学校に置いてきちゃったしね」
「だったら、どこかスタジオ借りてそこで楽器も借りよう。費用は私が出すよ」
 
 
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