【女の子たちの音楽生活】(下)

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谷津さんがすごく熱心なので、千里たちも「まあ演奏するくらいなら」ということで、タクシーに分乗して市内のスタジオに移動した。
 
スタジオ備品のギター、ピアノ、ドラムスを借りる。千里は曲によりファイフやヴァイオリンを弾くことにする。
 
「あれ?今気付いた。あなたたち、こないだヨナリンの番組に出なかった?」
と谷津さんに訊かれる。
 
「出ましたー」
「あれでバンドも面白いね、という話になって練習し始めたんですよ」
「へー!」
 
「あれ?あの時、凄く髪の長い子がヴァイオリン弾いてたよね?」
と谷津さん。
「はい、私です」
と千里は手を上げた。
 
「あ、髪切っちゃったんだ!」
「あれ、ウィッグなんですよ」
「なんだ、そうだったんだ。いや、貞子役ができるくらい長いなと思って。あ、ごめんなさい。私、自分の名前が貞子なんで、あの映画が公開された頃は随分それでからかわれたのよね」
と谷津さん。
 
「でも千里は4月まではほんとに、あのくらい髪長かったんですよ。千里、生徒手帳の写真を見せてあげなよ」
 
と言われるので、生徒手帳の最後のページに貼られている写真(3月に撮影したもの)を谷津さんに見せる。
 
「わあ、この写真ではどのくらい長さがあるかが分からない」
「腰付近まであったんですけどね。巫女さんをしていたので」
「凄い!」
「でも校則で長く出来ないんで切ったんですよ」
「もったいなーい」
 
「それで切った髪をウィッグにしてもらったんです」
「なるほどー」
 
「でも私も以前テレビに出た時に、貞子やるために伸ばしました、なんてジョークかましましたけど」
「あら?テレビに出たことあるの?」
「『ザッツ・ビッグ・オーディション』という番組で。準優勝でした」
「ああ、蔵田さんの番組だ!」
 
「蔵田さんから、君が男の子だったらデートしたいなんて言われました」
「あはは。あの人、女の子には全然興味無いらしいからね」
と谷津さんは笑っていたが、鮎奈と京子は顔を見合わせていた。
 
「でも今は短く切っちゃいました」
「ちょっと切りすぎたよね」
「今のこの髪もウィッグなんですよ」
「あら、どのくらい切ったの?」
「千里、見せてあげなよ」
 
それで千里はショートヘアのウィッグを外して見せる。
 
「うっそーーー!?」
と谷津さんが絶叫する。
 
「なんで!??」
「バスケット部に入ったんで」
「嘘。あなたたちの学校のバスケット部女子って、みんなこんなに短くするの?」
 
「いや、男子バスケ部に入ったんで」
「この子、女子なのに強引に男子バスケ部に入ったんですよ」
「えーーー!? でも試合に出られないのでは?」
「それは特に禁止されてないみたいですよ」
「インターハイの予選でも大活躍だったもんね」
「あとちょっとでインターハイ行けたのに惜しかったね」
「すごーい!」
 

谷津さんがロングヘアの方が絵になると言うので、千里はロングヘアのウィッグを着けた。そして、みんなで最近練習している曲の中から『残酷な天使のテーゼ』
『WHITE LOVE』『浮舟』を演奏したが、千里は『残酷な天使のテーゼ』ではファイフ、『WHITE LOVE』ではヴァイオリン、『浮舟』では龍笛を吹いた。谷津さんはその演奏をビデオに収めていた。
 
「なんか変わった横笛を吹いてるね」
「こちらは普通のアウロスのファイフです。こちらは龍笛です。これもプラスチック製ですが。本番用は神社に置いていて、これは練習用なので」
と千里は説明する。
 
「あ、巫女さんしてたって言ってたね」
「はい」
 
「でもちょっと気が変わった。超ベリーショート少女、五分刈り頭で何か適当な曲を演奏してみない?」
 
などと谷津さんが言うので、千里がウィッグを外してヴァイオリンでオッフェンバックの『天国と地獄』を演奏した。
 
「長い髪の千里が天国で、五分刈りの千里が地獄だな」
というコメントが入る。
 
「いや、長い髪も美しいけど、この頭もインパクトあるなあ。でも君たち演奏うまいじゃん。何か凄く楽しいものを見せてもらった」
 
と谷津さんが満足そうな顔をしているので、千里は言ってみた。
 
「谷津さん、谷津さんが求めているアーティストが見つかる日を占ってみましょうか?」
 
「へー、占いするの?」
と谷津さん。
 
「この子、巫女さんしてた時、占い百発百中だったんですよ」
と蓮菜が言う。
 
「凄い。じゃ、見てもらおうかな」
 
それで千里はバッグの中から愛用の筮竹を取り出す。
 
「千里、時々思うけど、そのバッグ、実に色々なものが入ってるね」
「魔女の鞄だよ」
「ああ、確かに千里は魔女が似合う」
 
実際には《たいちゃん》がその日必要になるはずのものを教えてくれるのでそれを入れていくようにしているのである。
 
千里は取り出した筮竹を2度左右に分け、それぞれ左手に残った竹の数を数えた。「雷山小過で、応爻が初爻の辰。辰の日ですね。ちょっと待って下さい」
 
と言って千里はバッグの中に入れていた運勢暦を取り出す。
 
「次の辰の日は8月7日です。上越新幹線の沿線」
「へー! よし、行ってみよう」
と谷津さんは楽しそうに言った。
 

谷津さんと別れてから、マクドナルドに行き、またおしゃべりとなる。最初にさっきテレビに出たことがあると言った話を追及される。
 
「ね、『ザッツ・ビッグ・オーディション』って、女の子のオーディション番組だよね?」
「まあ女の子として出たよ」
「そりゃ千里なら女の子で通るだろうけど」
「あの番組、レオタードになるよね?」
「あれ?私は水着だったよ」
「ああ、その時代か」
「中2の時」
「一昨年か。その年がそのシステムの最後の年だよね」
「今はレオタードで飛び箱とか縄跳びとかさせてるもんね」
「女の子が飛び箱するのを前から撮すのがミソだよね」
 
なんか番組の趣旨が迷走してるなと千里は思った。
 
「あれ水しぶきが凄くてさ。水鉄砲で水中に落とされた人から後で聞いたのでは結構あれ痛いらしい」
「それで千里は、女の子水着を着たのかな?男の子水着を着たのかな?」
「男の子水着なんて着られないよー」
「千里おっぱいあるもんね」
「じゃ、やはり女の子水着を着たわけだ」
「うん」
「女の子水着を着て、お股が膨らんだりはしてないよね」
「まさか。そんな恥ずかしい姿は曝せない」
 
「つまり、その頃既に千里は性転換済みだったと」
「性転換なんてしてないよー」
「じゃやはり千里って元々女の子だったのでは?」
 

そんなことを話していた時に、携帯にメール着信があった。見たら、貴司からで、「大阪到着」という短文メールである。「お疲れ様。今日はゆっくり休んでね」と返信した。
 
「そこな少女は誰とメールしたのかな?」
と蓮菜から追求される。
 
「今の表情はどう見ても恋する乙女の顔」
「実際には非処女のようではあるが」
「相手は20万人の前でキスした人だな?」
 
なんかさっきより人数が増えてる!?
 
「まあ、そもそも着メロが宇多田ヒカルの『Addicted to You』(あなたに溺れているという意味)というので彼氏というのが分かる」
「その着メロの相手がお父さんだったりしたら異常だ」
 
「インターハイの開催地に到着したというだけのメールだよ」
と千里は答える。隠しても仕方無い。
 
「ああ、恋している時って、その程度のやりとりの中にも愛があるんだよね」
「恋した経験のある者だけに分かるニュアンスだよね」
と鮎奈と京子も言うが
 
「うーん。そのあたりが私には分からんなあ」
と孝子は言っている。
 
「千里、女の子を好きになったことはないの?」
「私はレズではないよ」
「まあそうだろうな」
 
「女の子から好きになられたことは?」
「ある。でも私は女の子には興味無いと言って断ったよ」
「千里の性癖を知らなかったら、優しい男の子と思っちゃう子もいるだろうね」
「やはり千里が男の格好をしているのが悪い」
 
「千里、レズの女の子から好きになられたらどうする?」
「うーん。。。。悩むな」
 
「私はレズって一度してみたい」
と京子が言うと
 
「男に飽きたの?」
と鮎奈から言われていた。
 

その日、帰宅すると、美輪子叔母が千里に言った。
 
「ねね、千里。うちのオーケストラでちょっとゲスト演奏してくんないかな?」
「何の演奏ですか?」
「ヴァイオリンソロ」
「それは無茶です! 私、移弦もまともにできないのに」
「みたいだよねー。千里って最初は良いけど継続的な練習をしない性格だから、なかなか上達しない」
「えへへへ」
 
「で、龍笛を吹いてくれないかと」
「そんなのオーケストラで使うんですか?」
「横笛協奏曲『カムイコタン』というのを今度やろうという話になっているのよ。この曲、日本の横笛をフィーチャーしてるのよね」
 
「その横笛って、種類は?」
と千里は尋ねた。
 
「横笛って色々種類あるの?」
と美輪子は訊き返した。
 

千里は説明する。
 
「日本の横笛には、比較的知られているものだけでも篠笛(しのぶえ)、龍笛(りゅうてき)、能管(のうかん)、高麗笛(こまぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)などがあります。篠笛には更に囃子(はやし)用・唄(うた)用・ドレミ調律があります」
 
「それってクラリネットのE♭管・B♭管・A管の違いみたいなもの?」
「唄用篠笛にはそれに相当するものがあります。一笨調子から十三笨調子まであって、一笨調子は大雑把に言ってF管、三笨調子はG管という感じです。でもこれは西洋音階じゃなくて日本音階なんですよ」
 
「日本音階って、ヨナ抜き?」
「ヨナ抜きってのは、西洋音階のファとシを外すと、日本音階の音に近い音が出るので、日本音階と西洋音階の折衷を取ったみたいな音階ですね。日本音階は西洋式で言えば純正律に近いんです。指穴を空ける時に整数比になるように空けて行きますから」
 
「ああ、なるほど!」
「篠笛の唄用と龍笛は日本音階で作られています。縦笛の尺八も同じです。尺八も唄用篠笛と同様に調性に合わせて二尺三寸管から一尺一寸管まであります。二尺三寸管がA管、尺八の代表とも言うべき一尺八寸管はD管です。一方、篠笛の囃子用は指穴が等間隔に空いています」
 
「等間隔に穴をあけたら、どういう音階になるのよ!?」
「まあ独特の音階ですね。祭り囃子のあの調子は、その等間隔の指穴から生み出されるんですよ。更に問題なのが能管で、無調音楽っぽい不思議な音の響きが出ます。だから能管はメロディー楽器ではなくてサンバホイッスルなどと同様のパーカッションではと言う人もあるくらいです」
「あぁ」
 
「その横笛協奏曲、実際に演奏されたCDか何かありませんか?」
「ちょっと待って。持ってこさせる」
 
と言って美輪子叔母は彼氏の浅谷さんに電話してCDを持って来てもらった。 
「僕、御飯食べようとしてたんだけど」
などと浅谷さんが言うが
 
「ああ、今から千里が作ってくれるから食べて行くといいよ」
などと言う。
 
「いいですよ」
と千里は笑って答えて、3人で、浅谷さんが持って来た横笛協奏曲『カムイコタン』のCDを聴いてみた。
 
「これは等間隔に穴を空けた篠笛系の笛を使っていますね。横笛の発生過程では、結構等間隔に開けたものは多かったんです。簡単に作れるから」
と千里は言った。
 
「なるほど」
「でも、それだと他の楽器と合わせられないでしょ? それでちゃんと他の楽器と合わせて、穴位置も整数比にしてそれぞれの地域の音階に合わせた笛も生まれていったんです」
 
「つまり等間隔の笛って、原始的な笛なんだ?」
「そういうことでしょうね」
 
ところが浅谷さんが持って来たもう1枚の『カムイコタン』のCDを聴いてみると、横笛の音階が全く違う。千里はちょっと悩む。
 
「横笛の音階がさっきと違うのは僕にも分かった」
と浅谷さん。
 
「これ、日本音階?」
「そうです。日本音階に合わせた笛です。音は金属的な龍笛の音じゃなくて篠笛系のシンプルな音ですから、恐らく唄用篠笛を使っているんだと思います」
 
「要するに、どんな笛を使ってもいいのでは?」
「だったら龍笛でもいいよね?」
 
「龍笛と篠笛って吹き方は違うもの?」
「トランペットとクラリネットくらいに違うと思います」
「そんなに違うのか」
 
「でもいつ演奏会やるんですか?」
「8月13日」
 
「半月もないじゃないですか!?」
「うん。別の交響詩をやるつもりだったのが著作権上のトラブルが発生してね。JASRACが、著作権者が確定するまで許諾を出すのを保留すると言ってきた。それで急遽これをやることにしたんだよ」
 
「笛が特徴的だからフルートじゃなくて日本の横笛でやりたいねと言ったんだけど、うちのオーケストラのフルーティストに日本の横笛を覚えさせるには時間が足りなくてさ」
 
「既に美しく吹けている人が欲しいわけよ」
「ロハで使える人で」
「無報酬なんですか〜?」
「アマチュア・オーケストラだし」
「ってか出演者全員会場代に1人5000円払ってる」
「千里はその分の負担は無しで」
「まあ、ケンタッキーくらいおごってあげるよ」
「うーん・・・」
「覚えてくれれば、練習には2〜3回来てくれるだけでいいから」
「千里は初見に強いから、すぐ覚えるはず」
 
千里は頭を抱えた。
 

翌日。8月2日。午前中学校に補習に出た後、いったん町に出て楽器店でヴァイオリンの弦を買った。貴司からもらったヴァイオリンは、恐らく買った時のままと思われる金属弦が張られていて、それもかなり痛んでいたので、新品のナイロン弦に張り替えようと思ったのである。
 
その後、午後から神社に行き、巫女さんの仕事をする。ちょっと時間が空いたので「ちょっと龍笛の練習をしてます」
 
と言って、奥の方の部屋で越天楽を吹いていたら、見知らぬ女性がトントンと叩いてから障子を開けた。
 
「はい、如何なさいましたか?」
と千里が笑顔で尋ねると、その女性はにこやかな顔で
 
「私、A神社の巫女をしてる木村という者だけど、あなたの龍笛素敵ね」
と言う。
 
「まだまだ未熟者です」
「それは名人クラスに比べたら未熟かも知れないけど、かなりの経験者だよね?」
「3年ほど吹いています」
「それで。でも、息づかいが凄くしっかりしてるから、てっきり男の人かと思ったけど、音の運びがとても柔らかだから、やはり女の人かなと思って興味持っちゃって」
 
龍笛は肺活量を要求する楽器である。ファイフや篠笛を吹くような優しい息の使い方では龍笛はまともに鳴らない。
 
「それで物は相談だけど、あなた雅楽の合奏してみない?」
「え?」
 

それでその手の話は自分の一存では決められないのでと言って、斎藤さんに同席してもらって一緒に話を聞いた所、今旭川周辺の巫女さんを集めた雅楽の楽団を作ろうとしているのだそうである。
 
「雅楽というと何か男の世界でしょ? 実際女性が演奏するどころか学ぶことも許されなかった時代もあったみたいだし。だから、巫女さんや女性神職を集めた楽団を作ってみたいのよ」
と木村さんは言う。
 
「ああ、なるほどですね」
と斎藤さんは応じながら、少し考えている風。まあ性別の基準を見た目に置くのか、戸籍に置くのかの問題かな?
 
「鉦鼓(しょうこ)・鞨鼓(かっこ)・太鼓といった打楽器は何とでもなるのよね。琵琶や箏が弾ける人は多い。特に箏(そう:一般に「お琴」と呼ばれている楽器の正式名)なんて男性より女性の演奏者の方がずっと多い。でもやはり管楽器が吹ける人が少ないのよ」
と木村さんは言う。
 
雅楽の基本は三管・三鼓・両絃である。両絃は琵琶と箏(そう)または和琴(わごん:日本独自の六弦琴)、三鼓は鉦鼓(鐘)・鞨鼓(鼓−つつみ)・楽太鼓、そして三管は龍笛、篳篥(ひちりき−縦笛)・笙(しょう)である。 
笙は17本の竹を縦に密集して並べた楽器でその形が鳳凰に似ているとして鳳笙とも呼ばれる。三管は同じ管楽器とは言っても各々全く違う構造の楽器である。龍笛はフルートと同様のエアリード、篳篥はオーボエと同様のダブルリード、笙はハーモニカと同様のフリーリードで、お互いに演奏要領も全く異なる。 
「ちゃんと吹ける人が少ないわよね」
と斎藤さんも言う。
 
「そうなのよ! 音が鳴ればいいという感じで吹いている神社が多くて、ここだけの話」
「で、下手な人が後輩に教えるから、そもそもまともな吹き方を知らない演奏者が量産されている、ここだけの話」
 
千里は苦笑したい気分だったが、笑ってはいけない気がしたのでポーカーフェイスを保った。千里が龍笛を吹きこなせるようになったのは、留萌Q神社で寛子さんという上手な吹き手から習ったお陰である。
 
木村さんの話では現在、笙1人と篳篥2人のメドを付けているものの、龍笛の上手い人がなかなか見つからずに困っていたらしい。実際には管楽器は2人ずつ欲しいらしい。
 
「やはり三管の中でも龍笛は、パワーが必要でしょ? 一応形だけは音が出ていても、龍笛特有のまるで龍が呼吸しているかのような音をちゃんと出せる巫女さんが、なかなかいなくて」
と木村さん。
 
斎藤さんも頷いている。
 
「うちの神社の巫女でも、きちんとあそこまで音を出せるのはこの子と、もうひとり今病気で入院中の子だけしかいないんですよ」
 
「ああ、やはり少ないですよね」
 
「ただ、この子、高校生で特進組なので、時間があまり取れないんです」
と斎藤さんは言ってくれた。
 
「やはりねー。なんか上手な人ほど時間が取れない傾向があるみたい」
「そういうもんですよねー、物事って」
 
それでどっちみちその楽団が動き出すのは秋以降になるし、本当に忙しい人が多いので、月に1回くらい練習に出れば良いという方向で考えてもらうことになった。
 

木村さんが帰ってから、千里は念のため訊いておく。
 
「女性だけの楽団みたいですけど、私、いいんでしょうか?」
 
「女性だけというより、巫女さんの楽団ってことみたいだし。千里ちゃんはうちの巫女だしね」
「そうですね」
 
「それに千里ちゃん、医学的には女みたいだし」
「そうですね・・・」
 
「あ、ちなみにその練習時間も神社の勤務時間ということにしてお給料出すからね」
「それは嬉しいです!」
 

その日千里が帰宅したのは19時だった。
 
神社でお仕事をしている間は携帯の電源は落としておく。お仕事が終わった所で電源を入れるのだが、その時点ではメール等はまだ来ていなかった。そして帰宅してもまだメールは無かった。貴司の試合はとっくに終わっているはずである。
 
待ちきれない思いから千里はタロットを引いてみた。
 
剣の5.カードに付けられたタイトルは Defeat. 解釈に悩むカードである。Defeatは「打破する」という意味だが、文脈によっては「打破される」の意味にもなる。ただ剣の5自体は概してあまり良くない意味を持つことが多い。 
補助カードを引いてみた。棒の8 Fall。これもまた悩むカードだ。落ちたというのは、チームが沈没したのか。それともボールがゴールに落下したのか。 
更に補助カードを引いてみる。運命の輪。
 
千里は諦めてタロットを放置したまま、ベッドの上に寝転がった。
 
だめだ〜。今自分は「通ってない」。だからタロットがきちんと反応してくれないのだろう。物事に期待しすぎていたり、不安が大きすぎるとタロットはちゃんとした結果を表示してくれない。だから占い師はいつもニュートラルな心を保たなければならない。
 
でも貴司のことで、私、ニュートラルになれないもん!!
 
自分のことは占えないという占い師は多いが、多分恋人のことって自分のこと以上に占うのが難しい。そういえば貴司から行方不明になったCDの場所を占ってと頼まれた時も全然当てきれなかったなというのを思い出していた。私って好きな人のことは占えないのかも?
 
張り替えるつもりだったヴァイオリンの弦も放置したまま、千里はベッドの上で、放心状態になっていた。
 

やがて叔母が帰宅して千里の格好を見て言う。
 
「こらこら、うら若き乙女がするような格好じゃないぞ」
 
「私、男の子みたい?」
「男だったら、大の字に寝転がってるだろうね」
「そっかー!」
 
千里は閉じた貝のような格好で寝ていた。どっちみち無防備である。
 
「千里、あんた男の子にはなれないよ」
「それは分かってるけどねー」
 
突然『ここでキスして。』のメロディが鳴る。千里はパッと飛び起きると携帯を開き、いきなり
 
「初戦突破おめでとう!」
と言った。
 
「ありがとう。誰からか聞いた?」
「ううん。貴司が今日勝つのは信じてたから。でも大変な試合だったでしょう?」
 
実は今電話が鳴った瞬間、貴司が勝利に喜んでいるイメージが見えたのである。 
「どちらが勝ってもおかしくない試合だった。最後相手チームがブザービーターをしたかと思った。向こうがシュートした直後に試合終了のブザーが鳴った。ボールはゴールに入った」
「わぁ」
「ところがそのシュートとほぼ同時に24秒計も鳴っていたんだよ」
「あぁ」
 
バスケットではボールを持ったチームは24秒以内にシュートを撃たなければならない。その時間を計っているのが24秒計である。
 
「審判がTOに照会したら、シュートのボールが手を離れたのより24秒計の方が一瞬早かったとTOが言うのでゴールは無効。時計残り1秒の状態から、うちのスローインで再開。即試合終了で、うちの勝ち」
 
このような場合TOは自分の感覚が勝負を分ける。審判から「どちらが早かったか」と訊かれるのは日常茶飯事なので、微妙なタイミングになる場合、TOをする人はかなり神経を集中してプレイを見ている。
 
「凄い試合だったね」
「うん」
 

その後20分くらい話して電話を切った。
 
「私、お腹空かせて帰って来たんだけど」
と美輪子が言った。
 
「ごめーん。すぐ晩御飯作るね」
「ううん。あんたたちの会話でお腹いっぱいになった」
 
「美輪子さんも彼氏と電話していいよ」
と千里は言う。
 
「心配しなくても電話するよ」
と言って美輪子は千里の額に軽く指パッツンをした。
 
「でもインスタンラーメンくらいは入るかな?」
「うん。確かサッポロ一番塩ラーメンがあったはず」
 
と言って千里は台所に立った。
 

翌日も普通に学校に補習に出て行く。貴司の試合は午前中のはずである。千里は授業を受けていても気がそぞろだった。
 
あまりボーっとしていたせいか当てられる。
 
「村山。今僕が読んだ所を日本語に訳しなさい」
 
えー?どこよ、それ??
 
『21p14行目から』
という声が右後ろ斜めからする。
『サンキュー《りくちゃん》』
と千里は答えてそのページを開き読み出す。
 
「リンダはスミスさんの奥さんと一緒に銀座に出かけ、デパートで一緒に可愛いシャツとスカートを買いました。店員が緑のスカートを勧めましたが、リンダは緑よりピンクが好きと言い、ピンクのスカートを買いました」
 
「ほほぉ、ちゃんと聞いてたんだな」
「はい。スカートを買う話だったので、いいなと思いました」
 
「村山、いつもズボン穿いてるけど、今日はちゃんとスカート穿いてるもんな」
「え?」
 
それで初めて千里は今日は女子制服を普通に着ていることに気付いた。 
「あれ〜〜〜?」
「だいたいうちの女子制服にズボンは無いから。いつもちゃんとスカートを穿いておくように」
 
と言って、先生は授業を続けた。
 

1時間目が終わった後の休み時間、鮎奈からも言われる。
 
「千里がちゃんと朝から女子制服を普通に着てるって珍しい、と思ったんだよね」
「髪もちゃんと女の子の髪だし」
「うーん。不覚だ」
 
「その格好で誰も文句言わないから、千里はいつもそういう格好していればいいんだよ」
「そうだなあ」
 
「彼の試合が気になってたんでしょ?」
と蓮菜から指摘される。
 
「うん」
「何の試合?」
「インターハイ、バスケット。そろそろ終わった頃のはずなんだけど」
「へー」
 
その時、千里の携帯に着信がある。校内でバイブにしているので着メロは鳴らない。携帯を開いて、千里は大きく息を付いた。
 
「だめだった?」
「うん。泣き顔マークのメール」
「残念だったね」
 
千里は「お疲れ様。また頑張ろう」とメール返信した。
 

貴司とは昼休みに直接電話で話した。相手は昨年ベスト4になっているチームだったらしい。
 
「全く歯が立たなかった」
と貴司は言った。
 
「インターハイのレベルの高さを肌で感じたよ。千里見学だけででも来れば良かったのにな」
「お金無いよー」
 
「千里ってしばしばお金が無いということが様々な障害になっているよな。千里の才能持っていて、お金があったら、もっと色々できるのに」
 
「お金あったら、最初に女の子になる手術受けたい」
「そこに疑惑があるんだけどねー」
 
「疑惑?」
「手術なんて受ける必要のない身体ではないかという疑惑ね」
 
「貴司と別れる時はちゃんと見せるよ」
「いや、別れる時は見せないで欲しい」
「そうだね。その方がいいかな」
 

翌日の金曜日、補習が終わった後帰ろうとしていたら、呼び出しがあって職員室に行く。すると、宇田先生と教頭先生から
 
「ちょっと話そう」
と言われて面談室に入った。
 
「実は秋の大会に向けて、メンバー表を協会に提出したんだけど、君が6月の試合で留萌S高校の選手とコート上でキスした問題を再度言われてね」
 
「あれは大変申し訳ありませんでした」
と千里は再度謝る。
 
「あの選手とは恋人関係だったよね?」
と宇田先生が言う。
 
「春にいったん別れたんです。ですからあの時点では元恋人でした。でもその後、仲が復活しました」
と千里は正直に言う。
 
「それでね、一応男子の試合に女子が出るのは構わないということにはしているのだけど、ああいう行為をされては困るというのでね」
 
「はい」
「元々その内規は人数が少なくて女子チームを編成できない学校の女子選手を救済するためのルールなので、こちらの学校には女子チームがあるのだから、女子選手はちゃんと女子チームの方に出て欲しいと言ってきたんだよ」
 
「あのぉ、私男なんですけど」
「それを向こうが信じてくれないんだよ。対戦したチームいくつかから聴取したみたいだけど、身体が接触した時にバストがあったとか、触った感じが女子に触った感触だったとか、声も女の声だったとか、そういう証言が沢山出て来て」
 
まあ自分をホールディングしてファウルを取られた選手がまともにバストを掴んで『ぎゃっ!?』という声をあげたことあったよな、と千里は思った。こちらが『ぎゃっ』と言いたい気分だったのだが。
 
「私、脂肪の付き方が女の子みたいな付き方してるんです。声はまだ声変わり前ですし、バストは気のせいだと思いますが」
 
「高校生になって声変わりしてないというのは珍しいからね」
「ええ。でも時々あるみたいですよ」
 
「まあ、それで男子だというのであれば確かに男子であるという証明を出して欲しいと協会側が言うんだよ」
 
「何を出せばいいんでしょう?」
「戸籍抄本を提出させましょうか?と言ったら、ではそれでお願いします、ということなので、手間掛けるけど、市役所で取ってきてくれないかな。君の戸籍は留萌にあるんだっけ?」
 
「はい。住民票は旭川に移しましたが、戸籍は留萌のままです」
「じゃ、それの謄本じゃなくて抄本でいいから、取ってきてくれない」
「はい。急ぎますよね?」
「うん。週明けできるだけ早い時期に提出したいので」
「では母に電話して頼んでみます」
 

それで千里は母に電話して戸籍抄本が必要になったということを言う。すると母はその日の内に職場を抜け出して市役所に行って抄本を取ってくれた。 
「千里、土日にちょっとこちらに顔を出しなさい。それで渡すから」
と母が言うので
 
「うん。分かった」
と千里も素直に答えた。
 
それで今週末、神社の方はお休みさせてくださいと斎藤さんに連絡し、金曜日夕方のJRで留萌に帰省した。ゴールデンウィーク以来、3ヶ月ぶりの留萌である。一応自粛して、髪は丸刈り頭のまま、服は中性的な服装にした。 
留萌駅まで母が車で迎えに着てくれていた。多分父に見せる前に自分の格好をチェックするためもあるかな、と千里は思った。
 
「スカートじゃないのね?」
「自粛した」
「お化粧はしてないし」
「お化粧品なんて持ってないよ〜」
 
正確にはリップクリームと化粧水だけは蓮菜たちに勧められて買っていつも持っている。
 
「でもやはり女の子にしか見えない」
と母は言う。
 
「でもこれ以上、何をどうすればいいと? 頭は丸刈りだし、ズボン穿いてるし」
「そうだなあ。性転換手術しておちんちん付けて男になるとかは?」
「手術代出してくれたら考えてもいい」
「うち督促状がどんどん増えて行っている状態だからなあ」
 
と母は首を振りながら言った。
 

家に帰ると玲羅ひとりである。
 
「おかえりー」
「ただいまー」
 
などと言葉を交わすが、玲羅は寝転がって漫画を読んでいる。この子もあまり勉強しているところ見ないなと千里は思う。
 
「お父さんは?」
 
「やはり今の時代、パソコンくらいできないと何も仕事が無いってんでパソコン教室に行ってる」
と母。
 
「そういう訓練を受けるという所まで来ただけでも少しは進歩かな」
と千里。
 
「電卓も嫌いって人だからねぇ。電卓で計算すると答えが正しく出ないとか言って」
「電卓って、慣れてないとボタンが2度押しになったり、逆に押されていなかったりするんだよ。でも、そろばんを実務で使っている貴重な生き残りかも」
 
「船員さんのお給料とかも、そろばんで計算してたからねぇ」
 
「こないだ、お父ちゃんからウィンドウズとヤフーってどう違うんだ?と訊かれて、私どう答えていいか悩んだよ」
と玲羅が言う。
 
「そんな質問が出てくるというのは、お父ちゃんの頭の中、混乱の極致っぽいね」
 

「ねえ、お姉ちゃん」
と玲羅は千里に呼び掛けた。ドキっとする。
 
前々から自分のことを姉と呼んでくれないかとは言っていたが、ホントにそう呼んでくれたのはこの時が初めてだった。母もピクッとしたが黙殺している感じだ。
 
「お姉ちゃんの元彼だよね。甲子園に出場する旭川T高校のエース」
「本当のエースは別に居るんだけど、北北海道大会の1回戦で怪我しちゃったんだよ。それで2人の控えピッチャーで交替で投げて何とか勝ち上がった。その本来のエースは今年の夏はもう投げられないんで、甲子園では彼が背番号1を付けるらしい」
 
「甲子園で背番号1を背負って投げるって凄いね」
「うん。身が引き締まると言ってた。明日が初戦だけど今日は無理せず早く寝るって」
「ああ、まだ連絡は取り合ってるんだ?」
「お互いに携帯には登録してるけど、別に何でもないよ。お互い恋人居るし」
「ふーん」
 
「ちょっと、あんた恋人いるの?」
と母が突っ込んできた。
 
「いるけど」
「それって、女の子?」
「まさか。男の子だよ」
 
うーん。。。と母は悩んでいるっぽい。
 
「ってか細川君だよ」
と千里は説明する。
 
「あんたたち別れたんじゃなかったの?」
「春に別れたんだけど、復活しちゃった」
「まあ、彼なら良い子だからいいか」
と母も少し安心したような感じである。
 
「細川君の方はインターハイのバスケに出場して初戦は突破したんだけど2回戦で凄い強豪に当たってあえなく敗退」
 
「あ、そうか!駅前にS高校インターハイ出場って垂れ幕が掛かってた」
「昨日留萌に戻ってきたよ」
 
「・・・あんたたち会うの?」
「うん。明日デートする約束してる」
 
「でも男の子同士でデートしてたら目立たない?」
「大丈夫だよ。デートする時はちゃんと女の子の格好で行くから」
「ちょっとぉ!」
 

疲れてるだろうからお風呂入りなさいと言われたので千里は着替えを持ってお風呂場に行った。この家は台所に直接浴室がつながっている。脱衣場などは無いので、風呂場のドアのそばに着替えとバスタオルを置いた。
 
中に入り、お湯の温度を確認してから身体を洗い、頭を洗う。
 
長い髪を維持していた時は髪を洗うのは大変だった。だいたいそれだけで10分くらい掛かっていた。しかし五分刈り頭はシンプルだ。一応気持ちの問題でシャンプー・コンディショナーと掛けているが、コンディショナーを使用する対象が存在しないような気もしていた。
 
ゆっくりと湯船に浸かる。
 
そういえば最近ちょっと忙しすぎるような気がするなあ。なんでだろう?などと考える。でも考えている内にいつのまにか変な妄想の世界に入っているのに気付いて微笑んだ。
 
さてあがるかな、と思い、湯船からあがってバスタオルで身体を拭き、頭を拭いていた時のことであった。
 
荒っぽく玄関のドアが開く。
「ただいま」
と父の声がする。あ、やばいなと千里は思った。着替えは風呂場の外、台所の端にある。それを取るにはいったん風呂場から台所に出なければならない。自分のヌードを特に父には見られたくない。
 
「ああ、汗掻いた。ちょっと顔を洗おう」
などと父は言っている。え?え?え?
 
「あ、お父さん、ちょっと待って」
と母の声。
 
洗面台は風呂場の《中》にある。やっばーと思い、湯船の中に戻ろうかと思った時、それより早く風呂場のドアが開けられてしまった。
 
「あ」
「あ」
 
千里は髪をバスタオルで拭いている最中で、頭はバスタオルで隠れているものの身体は完全に無防備な状態である。
 
「すまん」
と言って父は慌てて風呂場のドアを閉めた。
 
「玲羅のお友だちか誰か? なんかおっぱいの大きな女の子だった。後で謝っててくれ。俺は**さん所にホタテの養殖の件で話に行ってくる」
 
などと言って父は慌ただしく出かけて行った。
 
居間で母と妹が会話するのが聞こえた。
 
「ね、おっぱいの大きな女の子だって」
と母。
「お母ちゃん、お姉ちゃんの身体のことで悩んだって仕方無いよ。どうせ何年か先には完全な女の子になっちゃうんだから、気にやむだけ無駄」
と妹。
 
「そうだねぇ」
と言って母は溜息をついたようである。
 
「でも、あの子、いつのまにおっぱい大きくしちゃったの?」
 
えーん。何か出て行きづらいよー。私、あがりたいのに。
 

日曜日の夕方のJRで旭川に戻り、月曜日学校に行って宇田先生に戸籍抄本を提出する。
 
「うーん。確かに長男って書いてあるなあ」
と宇田先生は千里の戸籍を眺めながら言った。
 
「男ですけど」
「それが実は大嘘なんじゃないかって、最近思い始めてたんだけど、やはり男なのか」
「済みません」
 
「うちの女子バスケ部は今年もインターハイに行けなかったからさ。3年連続代表から遠ざかっている。それで今年の特待生枠で1人しか女子を入れてないのをOGから突っ込まれてね。その代わり男子に君を含めて3人入れたおかげで男子の方は道大会BEST4まで行ったんだけど。やはりうちは女子チームの伝統が凄いから」
 
N高校は元々が女子高だったこともあり、生徒数も女子が多いし、バスケット・ソフトテニス・スキーで女子チームが何度も全国大会で活躍している。男子では近年野球部が強くなり1度甲子園に行ったのが唯一の例である。
 
「うるさ方も多いんでしょうね」
「まあ、それだけ期待されているってことだけどね。ウィンターカップでは男女ダブル出場ができたらいいな」
「はい、頑張ります」
 

夏休み中なので、午前中補習を受けてから午後は神社に行く。
 
昇殿しての祈祷の客が途絶えたので、御守授与所の方に顔を出して御守りやお札を求める参拝客の対応をしつつ、境内を眺めていたら、思わぬ顔を見る。 
先日野球場で見かけた、虎を連れた少女だった。彼女は千里の姿を認めるとまっすぐこちらにやってきた。
 
「やっと見つけた」
と彼女は言った。
 
「御用、承ります」
と千里は営業スマイルで応じる。
 
「巫女してるって言ってたから市内の神社をかなり回ったよ。あんたにはこの子が効かないみたいだけど、ちょっとこの子をここの境内で暴れさせてやろうかね」
と彼女は言う。
 
千里の斜め後ろで《こうちゃん》が
『任せてください。でも不味そうな虎だなあ』
 
などと言っている。食べちゃうの〜?
 
しかし千里は『待って』と言った。
 
そして次の瞬間、神社の神殿の向こう側から光が飛んでくると、少女の連れている虎にぶつかる。少女が『何!?』と心の声で叫ぶのを、ふつうこの手の声を聞くことのない千里さえも聞いた。そしてその時ハッキリと虎の姿までも見えた。その時授与所に居た5人の巫女の内3人までもがその声を聞き、虎の姿も見ていた。
 
そして虎は物凄い悲鳴をあげて・・・・
 
小さくなってしまった。
 
「チビ!」
と言って少女がその虎を拾い上げる。
 
それはまるで張り子の虎の人形のように小さくなってしまっていた。
 
「ねえ、君名前を教えてよ。私は千里」
「私は天津子。チビが小さくなっちゃったよぉ」
 
「天津子ちゃん。ここの神社のお使いは猿なんだよ」
「それが?」
「十二支の寅(虎)は五行では陽木。申(猿)は陽金。金剋木。虎にとってはこの神社は天敵だね。消滅させられなかったことを感謝すべきだと思う。その子、丈夫そうだから1年も経てば元のサイズに戻るよ」
「戻ると思う?」
 
「うん。でもちょっと教育しなおすべきだなあ。ついでに天津子ちゃん自身も修行し直しなよ」
 
「・・・あんた誰?」
「ふふ。この子が霊媒体質だから、ちょっと借りちゃった。私はいつも出羽にいるから。私を訪ねて来るのはいつでも歓迎だけど、その虎は無事で済まないだろうね、教育しなおしてなかったら」
 
そこまで千里の身体を借りて天津子に告げると、美鳳は『じゃね』と言って、去って行った。
 
千里は我に返ると
「ね?今私変じゃなかった?」
と隣に居る同僚の巫女に尋ねる。
 
「ああ、なんか凄く変だった」
と彼女は言った。
 

その日千里は神社から家には直接帰らず、市内のスタジオに向かった。美輪子が入っている市民オーケストラの練習に参加するためである。ふだんは神社に置いたままにしている、煤竹の龍笛を持っていった。
 
「初めまして。村山千里と申します。奥沼美輪子の姪です」
と言ってオーケストラのメンバーに挨拶する。
 
「可愛い!」
なんて声が上がる。今日はN高の女子制服を着て、髪は神社に居た時と同じロングヘアのウィッグである。
 
「凄い髪が長い」
「巫女さんをしているので」
「それで龍笛が吹けるんだ!」
 
早速まずは合わせてみる。この交響詩は約10分間の演奏で、千里の龍笛の他にムックリ(口琴)とトンコリ(竪琴の一種)、ソプラノ歌手の、古代の巫女が祈りを捧げるかのような歌も入っている。雪と氷に覆われた冬の蝦夷地にアイヌの叫びが響くかのような透明な曲である。
 
「うまく行った、うまく行った」
「龍笛、なんだか格好良い!」
「迫力あるね〜」
 
「これだいぶ練習した?」
「夏休みですけどずっと補習があっていて時間が無いので、1日に4ページずつ練習してました。昨日やっと通して練習した所なんです」
 
「へー。それでここまで吹けるというのは優秀優秀」
「この子、けっこう初見に強いんですよねー」
「ああ。また何か頼みたいな」
 
「演奏できる楽器は?」
「ヴァイオリンは長くやってますけど、いまだに移弦が下手です」
「まあヴァイオリン弾きはたくさんいるしな」
「あとはピアノくらいです」
「ピアノはあまりオーケストラには入らないな」
「フルートは吹くの?」
「吹いたことないです。ファイフはこの春から少し練習してるんですが」
 
「龍笛がここまで吹けるならフルートは楽勝だと思う」
「うちのオーケストラ、フルート吹きが2人しか居なくて、どちらか休んだりした時は辛いもんなあ」
 
「ねぇ、良かったら、私が中学生の頃使ってたフルート、あげようか?それで練習してみない? 白銅製の安物だけど」
 
「わあ、それは嬉しいです」
「じゃ今度持って来てあげるよ」
「ありがとうございます」
 
そういう訳で千里はフルートをもらう話になったのであった。
 
でもこれって、この後もしばしばこのオーケストラに参加することになるのかしら!??
 

その週の土曜日の夕方、神社の仕事が終わって、着替えて帰ろうとしていた時、携帯に着信がある。登録されていない番号だったので名前は名乗らずに「はい」とだけ返事した。
 
「村山さん? 私先日お世話になった∞∞プロの谷津です」
「ああ。先日はこちらこそお世話になりました」
 
「7日にね、村山さんが言ってたように上越新幹線沿線に行ってみたのよ」
「わあ。何か見つかりました?」
 
「うん。高崎でね。すっごく良い子たちを見つけた」
「へー!」
 
「凄くセンスのいいバンドが2つ、コラボして共演してたんだよ。それでその2つのバンドまるごとスカウトしちゃった」
「いい人たち見つかって良かったですね」
 
「Lucky Tripper というバンドと Red Blossom というバンド。特に Red Blossom のリーダーの女の子がスター性があるのよ。話してたら、ドリームボーイズのバックダンサーやってるんだって」
 
「へー!」
 
千里の脳裏に以前自分がテレビの番組に出た時に司会をしていたドリームボーイズのリーダー、蔵田さんの顔が浮かんだ。
 
「でもバックダンサーなんて、もったいない。デビューしちゃおうよ、と今、口説いている所だけど、けっこう前向きっぽい。元々芸能活動したいからバックダンサーとかもしてたんだろうけどね」
「そうでしょうね」
 
「ユニット名はふたつのバンド名を合体させて、Lucky Blossom でどうだ?なんて話もしてるんだけどね」
 
「うまく行くといいですね」
「デビューに漕ぎ着けたら、君たち5人をファーストライブに招待するよ。旭川からの交通費込みで」
 
「わあ、ありがとうございます。でも良かったら11人招待してもらえたら嬉しいです。あの時は5人しか居なかったけど、実は私たち11人なんです」
「いいよ。じゃその時は連絡するね」
「はい!」
 

その翌日、13日(日)が美輪子たちの市民オーケストラの公演日であった。 
千里は予め、いつも貴司と郵便で交換している日記のミニレターにこの公演の切符と6000円分の旅行券を同封し、もし時間の都合がついたら来てと書いておいた。
 
演目は前半は馴染みの深いクラシック曲を演奏した。ヴィヴァルディの『四季』
から『春』、ビゼーの『真珠採り』より『耳に残るは君の歌声』、モーツァルト『魔笛』より『鳥刺しパパゲーノ』、ベートーヴェン『悲愴』第2楽章といったところを各々ダイジェストで演奏する。千里は舞台袖で聴いていたのだが、これなら自分でも眠らなくて済むなと思っていた。
 
後半先頭で千里が龍笛を吹く『カムイコタン』である。拍手の中、ステージ中央に進み客席、指揮者、コンマスに挨拶する。今日は美輪子が用意してくれた目が覚めるような青いドレスである。むろん長い髪を垂らしている。チラっと観客席を見る。後方右手に確かに貴司の姿を認めた。わーい、来てくれたんだ!よし頑張るぞ、と気合いが入る。
 
指揮者の合図で吹き始めた。
 
笛の歌口に強い息を吹き込む。龍笛は優しく吹くのでは鳴らない。物凄く強い息を吹き込む必要がある。その吹き込んだ息と、笛の内部で生じた波動が混ざって《龍の鳴くような音》になる。千里は身体全体が笛と共鳴するかのように吹いていた。
 
来るかな?と思って吹きながら意識の一部を天空に飛ばす。
 
ああ、来てる。小さな龍が2体、天空に現れていた。
 
その龍たちとお話するかのように千里は笛を吹いていた。
 
曲がクライマックスまで進んだとき、その龍の1体が悪戯をして雷を落とす。突然響き渡る雷鳴に観客が驚く。悲鳴をあげた客も居た。あはは、これが晴天のヘキヘキとかいうやつだっけ? などと思いながら千里は龍笛を吹いていた。 
やがて終曲。笛を口から離し、客席に向かってお辞儀をする。割れるような拍手。コンマスさんが立ち上がって握手を求めたので握手し、指揮者にもお辞儀をして、千里は下がった。
 

月が変わって9月最初の水曜日。先日話があった雅楽の合奏団の最初の練習をするというので、千里は市内A神社に行った。
 
そこに千里は意外な顔を見る。
「天津子ちゃんだったっけ?」
「千里さんでしたね?」
「ふーん。敬語も使えるんだ?」
「そうですね。あなたには私かなわないみたいだし」
 
「でも巫女さんだったの?」
「巫女さんにしてもらったんです。親戚で神社の神職さんしている人に頼んで。千里さんが修行した方がいいと言うから」
「中学生だっけ?」
 
「小学6年生。本当は中学生以上らしいんですけどね。ついでに親元から離れて、そこの神職さんちに下宿」
「なんで!?」
 
「うち、神様やってるんですよ。教会長の孫がこんなこと言っちゃいけないけど、ちょっと変なんですよね。あれまともな神様じゃない気がする。それで前々から思ってたんです。むしろ正統派の所で学びたいって」
 
「へー。まあいいんじゃない。虎も元気そうだし」
 
千里にはその虎は見えないのだが、天津子の後ろに隠れてこそこそしているのを感じ取れる。
 
「この子も再教育します。自分自身を鍛え直すのと一緒にね」
「何か目標があるみたい」
「2年前。千里さんと会う直前に会った子が凄い子で」
「その子が目標?」
「違います。その内、叩きのめしてやります。負けるもんか。千里さんには完敗だったけど、あの子に負けたのは悔しい」
 
「ふふふ。まあ、頑張ってね」
「しかも、あいつ女の格好はしてるけど、実はオカマだったんですよねー。そんな奴に負けたのが更に悔しくて」
「へー。女装者だったんだ?」
「私、女装や男装してても、ちゃんと本当の性別は見抜けますよ。いっそ日本中のオカマを撲滅してやりたい気分」
 
まあ、何て過激な!
 
「ふーん。だったら私が男装してても分かっちゃう?」
「そりゃ分かりますよ。千里さんみたいに女らしい人が男装してたら、一発で分かると思いますよ。チャクラが凄くきれいな左回転だもん。それにその長い髪を男性用ウィッグとかで隠したりしても、本来の髪の長さが分かります。オーラで髪とウィッグは区別付きますから」
 
ほほぉ。
 
(注.2年前の遭遇で青葉が千里の性別に気付いたのは玲羅が「お兄ちゃん」と呼んだからである。また2年前の事件の時、天津子は千里を見ていない) 
「で、何演奏するの?」
「これ」
と言って天津子はバッグというよりずだ袋という感じの袋から美しいビロードの笛袋を取り出し、その中から龍笛を出す。
 
「高そう・・・」
「返し竹の龍笛。これ作れる人は日本国内に数人しか居ないらしいです。実はお母ちゃんの従妹で19歳で亡くなった人の遺品なんですよ。だから値段は知らないんです」
 
「どのくらい吹くの?」
 
それで天津子はその龍笛を吹いてみせた。
 
「上手いじゃん」
「千里さんも龍笛? 吹いてみてくださいます?」
 
それで千里が自分の龍笛を吹く。
 
近くで雑談していた人たちが話を辞めてこちらを見るのを感じる。しかし千里はそれを単に景色を見るように感じ取り、心はただ龍笛のみに集中していた。 
天津子が
「負けた〜。笛でもかなわない!」
と言う。
 
「練習すればいいよ」
と千里は微笑んで答えた。
 
 
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