【女の子たちの性別疑惑】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-05-16
2006年。千里高校1年の年。
千里たちバスケ部の春の道大会(インターハイ予選)は6月17-18日の土日であったが、その前の週9日(金)の放課後にM高校女子バスケ部との練習試合が組まれた。こちらN高校も女子バスケ部で出るのだが、向こう側からのリクエストで千里がチームに参加することになっていた。
「でも村山は男子なんですけど、いいんですか?」
とN高校女子バスケ部主将の蒔枝が言った。
「彼女の件は、うちの松村(友子)が同じ中学だったということで聞きました。男の子になりたい女の子なんだそうですね。それで男子として高校に入ったとか。でも松村も中嶋(橘花)も対決したがっているから、ぜひやらせて下さい」
とM高校の女子バスケ部主将。
蒔枝は『同じ中学だったという人から、どう聞いたんだ!?』とは思ったものの、向こうが千里の入ったチームとの試合を望んでいるんだから、それでいいか、というので、その構成で行くことにした。それで数日前から千里に女子バスケ部の練習に参加してもらい、コンビネーションなどの確認をしておいた。
「千里ちゃん、シュートだけじゃなくてパスも凄く正確だね。男子バスケ部辞めて女子バスケ部に移らない?」
などと同じ1年の暢子などから言われた。
「えー?でもボク、戸籍上男子だから」
「戸籍は男子でも医学的には女子なんでしょ?」
「うーん。医学的にも男子だと思うけどなあ。精密検査とかされたことはないけどね」
「ああ。じゃ精密検査してみようよ」
「へ?」
それで暢子はその日、練習が終わってから千里を市街地のビルの中にある小さな診療所に連れて行った。
「ここの診療所は夜9時まで開いてるんだよ」
「それは凄いね」
「で、ここで1000円で血液検査してくれるんだよね」
「へー」
「それで妊娠してるかどうかとかも分かるんだよ」
「それは需要があるかも・・・」
受付で血液検査をしたいと言うと、
「ではこの注射器で自分の血液を採って下さい」
と言われた。
「・・・・あのぉ、自分でこの注射針刺して、採るんですか?」
「そうです。やり方は、待合室にビデオが流れているので見て下さい」
さすが1000円! でも自分で注射針刺すのって、怖いよぉ。
待合室でビデオを見る。採血とかは過去に病院で何度もされたことはあるのでだいたいのやり方は分かる。それでビデオを見て、その手順を再確認する感じになった。
腕をゴムで縛って血管を浮かせる。青い色の静脈の所をアルコール綿で消毒。そして・・・・・
「刺さないの?」
と暢子から言われる。
「だって怖いじゃん」
「自分で手術とかしろと言ってる訳でもないし。市販の血液検査キットだと指先からしみ出した血液使うから精度がぶれるらしいね。ここのはちゃんと血管から採るから正確なんだって」
「それを患者がしていいの?」
「法的には微妙かも。そもそもここの診療所も怪しい。先生の腕は確からしいけど。でもインシュリン自己注射してる人たちいるしね」
「のぶちゃん、これしたことあるの?」
「友だちがしてるの見た」
「うーん・・」
千里は覚悟を決めて、その針を静脈に刺した。
あれ?
全然痛くない!
そういえばさっきの受付の人が、針が細いからほとんど痛みは無いですよと言ってたな、というのを思い出す。
線の引いてある所まで採った所で針を抜く。ブラッドバンを刺した所に貼り、採血した注射器を受付に出す。ブラッドバンを貼った所を2分間圧迫する。
待合室で20-30分待つと名前を呼ばれる。検査結果シートをもらい、1000円払う(お金は千里が出した!)。
病院を出て、近くのハンバーガー屋さんに入り、千里は烏龍茶、暢子はハンバーガーセットを頼む。
「練習した後なのに、お腹空かないの?」
と暢子から言われる。
「えー? でも帰ってから晩御飯食べるし」
と千里。
「私は練習の後はパンとかおにぎりとかハンバーガーとかいつも食べてるなぁ。それで帰ってからもご飯6杯は入るよ」
「6杯も? すごーい」
「まあ女子としては多い方かな。でも練習でカロリー消費してるもん。千里はやはり7−8杯食べる?」
「私は1杯しか食べないけど」
「・・・・それ絶対少ない」
「そうかなあ」
「だから、そんなに痩せてるのかな。もっと食べないと、おっぱい大きくならないよ」
「うーん。おっぱいは大きくしたいけど」
検査シートを一緒に見る。検査項目の意味については一緒にもらったパンフレットに記載されている。また各々の数値の横に、正常値の範囲が記され、正常値から逸脱している所には★が印刷されています、と書かれている。
「取り敢えず、Murayama Chisato, Sex:F になっているのはお約束だよね」
「私、性別Fの病院の診察券が3枚もある」
「なるほどねー。私、だいぶ千里の実態が分かってきた気がする」
「そうかな」
「血糖値は正常だけど、HbA1c(過去1ヶ月程度の血糖値の平均が反映された数値)が少し高めだね。千里みんなの前では少食を装っていて、実はこっそりドカ食いしてるってことは?」
「それはないよ」
「じゃ、家系的なものかなあ」
「ああ、お父ちゃん、何度も血糖値が高いって注意されてるみたい」
「でも一応正常値の範囲に入ってるよね。あ、鉄分も赤血球も高い。私たちくらいの年代の女子って、しばしば鉄分の低い子がいるんだよね」
「私、生理が無いからだと思う」
「ほんとに無いんだっけ?」
「あったら大変」
「そのあたり、るみちゃんとかの話聞いてると疑惑を感じるけどなあ」
そして暢子は、ある数値に注目する。
「ね。E2(エストロゲン:卵胞ホルモン)の数値が《正常値》の範囲なんだけど。低めではあるけど」
「正常だから、いいんでしょ?」
「千里が女子であったらね。あ、P4(プロゲステロン:黄体ホルモン)も正常値の範囲じゃん。こちらも低めだけど」
と暢子。
「ふーん。やはりエストロゲンとかプロゲステロンが低めだから、私おっぱいの発達が遅いのかなあ」
と千里。
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「私、時々思うけど、千里って普通に話してる時と自分の性別のことで嘘ついてる時の表情や話し方に全く差異が無いよね」
「へ? 何のこと?」
「まあいいや。あ、テストステロン(男性ホルモン)が《正常値》だよ」
「正常だから問題無いよね」
「まあ、要するに、千里はホルモン的には《正常な》女子であるということだよね」
「ボク男子だけど」
「今更何を言ってる?この検査シートが、医学的に女子であるという証拠。これ蒔枝さんと向こうのキャプテンにも見せちゃおうかな」
「個人情報保護法違反!」
それで練習試合の当日になる。会場はM高校の体育館を使うということで、こちらのチームがバスで移動してM高校まで出かけて行った。お互いに握手して、試合開始。今日の試合は疲れるほどやっても仕方無いということで、10分・10分の2ピリオド制である。
千里はスターティングメンバーで出る。暢子も出る。向こうのチームも橘花と友子が出ている。双方1〜2年生を中心に編成している。ジャンピング・ボールは向こうが取り、2年生PG茉莉奈がドリブルで攻めてくる。そしてSGの友子にパスする。友子がボールをセットして撃つ。
・・・・と思ったら、ボールが手の中に無い!?
そしてこちらのPG久井奈がボールをドリプルして速攻で攻め上がっている。
実は友子はボールを受け取ってから撃つまでの間、瞬間的に無警戒になる癖があるのである。それを千里が事前にチームに周知しておいたので、久井奈が死角から近寄って奪ってしまったのであった。
久井奈がスティールを仕掛ける瞬間から千里はスティールの成功を確信して走って敵陣に走り込んでいる。千里は決して後ろを見ない。そこに向けて久井奈がボールを投げる。ボールが到達する直前千里は振り向いてボールをキャッチ。そこから2歩で足を停めて、即ショット。
入って3点先取。
「でも千里ってロングパス投げた時に受け取る直前まで振り向かないよね。それでちゃんとキャッチできるから不思議」
と千里は随分久井奈から言われた。
「後ろに目があるとしか思えないよね。手許が狂った時でもちゃんと到達地点に走り込んでるんだもん」
と暢子からもよく言われる。
「勘だよー」
向こうも攻めてくる。茉莉奈は友子の近くにこちらの久井奈がいるのを見て、逆サイドに居る橘花にパスする。橘花が強引にゴール下にドリブルで進入し、レイアップシュートを撃つ。こちらの暢子がそれを叩き落とす。しかし橘花は平然とそのボールを自分で再度取り、後ろ向きにレイアップ。
入って2点。3対2。
暢子と橘花が視線をぶつけ合っていた。
千里たちのN高校側は、SG千里の3ポイントを使うパターン、PF暢子やSF穂礼がゴール下から得点するパターンを使い分け、更に長身の留実子がリバウンドから叩き込む。PG久井奈は基本的に運び屋に徹していた。
一方のM高校側は、万能タイプの選手が多いようで、ボールを取った子が自分でフロントコートまでボールを運ぶ(一応PGは茉莉奈)。そしてそのままゴール下まで行くパターン、友子にパスして3ポイントを狙うパターン、SF橘花・PF月乃が攻め入るパターン、C葛美がリバウンドを狙うパターンなどを駆使していた。
リバウンド争いは、葛美(181cm)・橘花(182cm)・留実子(179cm)・暢子(177cm)が主だが、4人とも長身だし、ジャンプ力もあるので、熾烈な争いになっていた。
千里の3ポイントは完全フリーで撃つと高確率で入るので、とにかく撃たせまいと向こうはディフェンスしてくる。まず千里をフリーにしないように努力するのだが、千里は不思議と久井奈がパスする時はフリーになっていることが多い。パスを受け取ったと見ると、長身の葛美がチェックしにくるが、パスを受け取ってからリリースまでが速いので、だいたい間に合わないことが多い。それでも葛美は長身の身体と高いジャンプ力を活かして、千里のシュートを3回も叩き落とした。
メンバーは適宜交替しながら試合を進めたのだが、千里・暢子・友子・橘花の4人は最初から最後まで出ていた。得点もこの4人が大半を稼いだ。千里は友子の体力がかなり付いていることに驚いていた。中学時代は連続して5分程度しかまともにプレイできなかったのである。
結果は54対53で千里たちN高校の勝利だったが、どちらも20分間に完全燃焼して気持ち良い試合であった。
試合終了後、握手だけではなく、あちこちでハグし合う。千里も友子・橘花のほか、さんざん対峙した葛美ともハグした。
「なんか試合前に暢子ちゃんが、千里ちゃんが医学的に女子である証拠とかいう診断シート見せてくれたけど、ハグして分かるよ。間違い無く千里ちゃん女の子だよね」
などと橘花は言っていた。
「あれ見せたんだ!」
「うちのキャプテンは、千里ちゃんは男の子になりたい女の子らしい、と言ってたけど、友子さんから聞いたら逆に女の子になりたい男の子だと言うんだよね。でもハグした感覚からすると、多分女の子になりたい女の子」
と橘花。
「・・・・それは普通の女の子という意味?」と千里。
「うーん。私も分からなくなった」と橘花。
「実は最近、自分でも分からなくなりつつある気がする」と千里。
「ああ」
試合後、M高校の食堂に移動し、N高校顧問宇田先生のおごりでジュースを配って簡単な親睦会をした。なんか個人的にカレーライスやラーメンを注文している子もいる。さすがスポーツ少女たちである。
「シューター対決は、千里ちゃん8本、友子ちゃん5本で千里ちゃんの勝ちかな」
「千里ちゃんが3ポイントを荒稼ぎできるひとつの理由が分かった気がする」
と橘花が言う。
「千里ちゃんって気配が無いんだよ。普通の選手なら、良いプレイヤーほど存在感が凄いから、近づいてくると結構気配で察知できる。でも千里ちゃんって撃つ直前まで透明なんだよね。え?なんでそこに居るの?と思っちゃう」
と橘花。
「それ中学時代にも何度か指摘されていたけど、以前よりそのステルス性能が上がっている気がする。ほんっとに気配が無い」
と友子。
「千里は小学1〜2年生の頃にかくれんぼすると、誰も見つけきれなかったね」
と留実子が言う。
「なるほどー」
「でも、おかげて『ちさとちゃん、きっともう帰ったんだよ』と言われて放置されてしまってたんだよ。暗くなっても帰宅しないんで騒動になったこともあった」
と千里は言う。
「ああ、何か消防団とかまで出て大騒ぎになったね」
と留実子。
「忍者になれるな」
「そうそう。千里は忍者プレイヤー」
「でも撃つ時の気迫は逆に物凄い。私も最初の内、気後れして近寄れなかった。気合い入れ直して頑張ったけどさ」
と葛美が言う。
「葛美さんに3本も叩き落とされたし、2本軌道を変えられた」
と千里。
「まあ特訓したからね。私が《仮想千里》になって、3ポイントじゃんじゃん撃って、葛美がじゃんじゃん撃ち落として」
と友子が舞台裏を明かす。
「でも軌道変わって外れたのは2本とも暢子ちゃんが叩き込んだね。私、取るぞと思ってたのに全然取れなかった」
と橘花。
「外しても暢子が取ってくれることを信じて撃ってるよ」
と千里。
「2点ゴールでは、橘花ちゃん11回・暢子ちゃん8回で、橘花ちゃんの勝利」
「橘花ちゃん、物凄く貪欲にゴール奪う。見習わないといけないと思った」
と暢子。
「暢子ちゃんは凄く巧い。私は型とか何とか無いから。中学の時はコーチにいつも、君のフォームは欠点がありすぎると言われてた」
と橘花。
「いや形よりも得点だよ。私はちょっと温室育ちだったんだろうな」
などと暢子は言っていた。
ひとしきり話が盛り上がったところで、また練習試合やりましょう、ということでその日は終了した。あらためてあちこちで握手したりハグしたりしてから解散した。
その日(M高校から直帰なので体操服のまま)帰宅したら、美輪子叔母の彼氏が来ていた。
「浅谷さん、こんばんはー」
「お帰り〜、千里ちゃん」
「ごめーん、先に食べてた」
「ううん。私が遅くなったから」
「適当に盛って食べてね」
「はーい」
ということで千里はいったん自分の部屋に入って体操服から、普段着のカットソーと膝丈スカートに着替えて居間に戻る。美輪子叔母さんが作ってくれていたカレーを盛って来て「頂きます」と言って食べる。
「でも千里ちゃん、ほんとにインパクトのある頭だなあ」
と浅谷さん。
「あははは」
千里は4月の入学式の直前に五分刈りにしたのだが、少し伸びてきたので、6月初旬に1000円で切ってくれるヘアカットの店に行って再度五分刈りにしてきた。お店の人が切る前に「ほんとにいいんですか?」と念を押した。
「せっかく可愛い美少女なのに。そんなに短い頭にして学校で叱られないの?」
「最初の頃は色々言われましたけど、慣れちゃったかも」
「まあ、賢二が欲情するのを防止する効果はあるかもね」
と美輪子。
「そんな、未成年には手を出したりしないよ」
と浅谷。
「どうだか。さっきも空気入れ換えるのに、千里の部屋の窓を開けてもらったら女の子の香りだ、とか言うしさ」
「なんですか?それ」
「いや、女性が居た場所に行くと、甘酸っぱい香りがするんだよ。特に10代の女の子が集団で居た所なんかに行くと強烈」
と浅谷さんが言う。
「分かる?千里」
「分かりません。そんな匂いするかなあ」
とは言ったが中学時代にも誰かにそんなことを言われたことがある気がした。誰だったかな??
「あれ、男にしか分からないのかも。でも千里ちゃんの部屋に入った時、千里ちゃんが出かけた後数時間経っているからか微かだったんだけどね。甘酸っぱい香りがしたんだよ」
「へー」
「あれって、フェロモンか何かの匂いなのかもね」
と浅谷。
「まあ、思春期の女の子ならフェロモンくらい出てるだろうね」
と美輪子。
「でも千里に手を出したりしたら、おちんちんチョキンとしちゃうからね」
「怖いなあ」
千里は笑いながらも、どうせチョキンするなら私のをして〜と思った。
ところで千里は旭川に出て来てN高校に入ってから、元々留萌で親しかった友人で旭川に出て来た子たちとも交友を続けていたが、このN高校でも新しい友人がたくさん出来た。特に親しくなったのが、鮎奈・京子で、これに千里と蓮菜を加えた4人は、全員特進組で授業の時間割が同じなので、よく一緒に行動していた。(留実子はクラスは同じだが進学組なので時間割が違い、0時間目や土曜の授業が無い。恵香も情報処理コースなのでなかなか遭遇しない)
京子は北海道最北端の町・稚内出身で、寮で暮らしている。N高校の寮は女子寮が2つと男子寮が1つあり(この学校は元々女子の人数が多い)、女子寮は男子禁制(父や兄弟でも不可)、男子寮は女子禁制(姉妹は不可だが母やそれに準じる人は記名して短時間滞在可能)である。
それでこの4人は、街に出たり、市立図書館などにもよく一緒に行っていたが、学校から近いこともあり、京子の寮の部屋にもよく行っていた。最初千里は女子寮の中には自分は入れないのでは?と言ったのだが「千里なら平気、平気」
などと言われて付いていった。
守衛さんが居る所を通る時、ちょっとドキドキしたが、守衛さんは何も言わなかった。
「まあ、千里が咎められる訳無いと思ったけどね」
と京子は言う。
「でも私、丸刈りで男子制服着てるのに」
「人の性別を判断する時の第1基準は《雰囲気》なんだけど、千里は完璧に女の子の雰囲気だもん」
と鮎奈が言う。
そういえば留実子の姉の敏美さんもそんなこと言ってたな、と千里は思った。留実子は最近ようやく敏美のことを「兄ちゃん」ではなく「姉ちゃん」とか「姉貴」と呼んであげるようになったようである。
「でもボーイフレンドを女装させて連れ込もうなんて子は居ないのかな」
「ああ、そういう例はあるらしいけど、だいたい入口で捕まる」
「まあ、そうかもね」
「女子寮の入口には、おちんちんセンサーが付いてるから。おちんちんのある子を連れ込もうとするとブザーが鳴るんだよね」
「ほほぉ」
「じゃ千里はブザーが鳴らなかったということは、やはり付いてないんだ?」
「なるほど、なるほど」
「私、付いてると思うけどなあ」
「取っちゃってること、隠さなくてもいいよ」
「でもそんなセンサー本当にあるの?」
と千里が訊く。
「作れたら結構売れるかもね」
「ところで前から思ってたけど、千里の一人称の使い方って微妙だよね」
と鮎奈が言った。
「ああ、千里は大勢の人がいる前ではボクと言うけど、少人数の親しい友だちの前では私と言うんだよ」
と蓮菜が言う。
「ああ、そういうことか」
「でも《ボク》のイントネーションが男の子たちとは違う」
「そうそう。男の子のイントネーションじゃなくて、ボク少女のイントネーションだよね」
「私も小学校低学年の頃はボクと言ってたけど、矯正されてしまった」
と鮎奈。
「特進組の女子には多分ボク少女、元ボク少女は多いと思う。鳴美もボク少女っぽいよね」
「うんうん、あの子もしばしばボクと言ってる」
「多分、千里もボク少女のひとり」
「ところで、みんな夏服はもう用意した?」
などという話が出たのは、5月の中旬頃であった。
N高校の夏服は、男子はワイシャツ(市販品でよい)・冬服と同じ色のズボン(冬服ズボンをそのまま使ってもよい)に冬服ブレザーと同色のニットベストを着る。女子はペールブルーのブラウス(標準品はあるが、似た色であれば市販品でもよい)・チェックの夏スカートに、やはりブレザーと同色のニットベストを着る。
「男子はベストだけ用意すればいいけど、女子はベストとスカートが必要だもんね」
「私は3月に冬服買う時、一緒に買ったよ」
と京子。
「私はこないだ買った」
と鮎奈。
「そうかぁ。私も買いに行かなくちゃ」
と蓮菜。
「千里は?」
「うん。どうしようかなと思ってるんだけどね」
「どうしよって、もしかして男子制服を着るか、女子制服を着るか?」
「あ、えっと・・・」
「図星っぽい」
「衣替えを機会に女子制服にしちゃったら?」
「えへへ」
「あ、その気になってる?」
「あ、いや。実は実家からの送金が途切れていて今お金があまり無いんだよね。日々の食費は下宿してる叔母ちゃんが出してくれているし、頼めば叔母ちゃんがベストも買ってくれるだろうけど、あまり負担を掛けたくなくてさ」
「ふーん」
「でも、私にここの女子制服をくれた先輩からは、実は女子制服の冬服・夏服の両方をもらってるんだよねー」
「だったら、それ着れば良い」
「それならお金を使わなくて済む」
ここにいるメンツには千里は冬服の女子制服姿を何度も曝している。
「でも男子のベストと女子のベスト、少し形が違うじゃん」
「ネックの形が少し違うね。色は同じだけど」
「着丈も違う。男子のは腰を覆う程度あるけど、女子のはスカートのベルト位置付近まで」
「うん。だから、男子の冬服ズボンの上にワイシャツ着て、女子仕様のベストを着ちゃったら、叱られるかなあ、とか・・・・」
「いや、そもそも千里は女子制服で学校に出て来ても誰も咎めない」
「そうかなあ」
「でもいいんじゃない? N高スクールカラーのブラウスも持ってるの?」
「うん」
「だったら、上半身はそのブラウスの上に女子仕様のベストを着ればよい」
「・・・・・」
「あ、かなりその気になってる」
「まあ、そこまで行ったら、下もスカートにしちゃえばいい」
「・・・・・」
「ああ、もう一押しで落ちるかな?」
結局、衣替えとなる6月中旬から、千里は一見ワイシャツにも見える実は白いブラウス(これまでもしばしばブレザーの下に着ていた)の上に女子仕様のベストを着て通学しはじめた。下は冬服のズボンである。むろん担任の先生も生活指導の先生も何も言わなかったが、女子の友人たちからは
「中途半端な」とか
「意気地が無い」とか
言われた。それどころか、千里のことを知らない先生からは
「君、何で下はスカートじゃないの? 風邪でも引いた?」
などと言われる始末であった。
ある時は、京子が自分の部屋に置いているパソコンで
「ちょっと凄いの見つけた」
と言って、画像を見せてくれた。
「なあに?」
と言って、全員机の傍に寄る。
「ちょっと、ちょっと何Hな画像見てるのよ?」
そこには男性器と女性器の画像が無修正で表示されている。
「これさ。左側がBeforeで、右側がAfterなんだよ」
「えーーーー!?」
「もしかして、これ性転換手術のBefore/After?」
「そうそう」
「すごーーい!」
「劇的Before/Afterだ」
「ほんとにきれいに女の子の形になるんだね」
「元の痕跡が無い」
多数の画像がペアで並んでいるが、左側には陰茎・陰嚢が映っているのに、右側には、陰唇と、いくつかの画像ではそれを開いて中の陰核・尿道口・膣口などが映っている。C,U,Vというの記号が書き込まれている。
「このCとかUとかVとか何?」
「Cはクリトリス(Clitoris), Uは尿道、英語ではユアリースラ(Urethra), Vはヴァギナ(Vagina)」
と説明する京子の英語発音は美しい。京子は英検2級を既に取っている。
「へー、女の子って、こういう形になってるんだっけ?」
などと鮎奈が言う。
「自分ので確認すれば良い」
「えー? そんなのどうやって見るの?」
「鏡とかで見たことない?」
「鏡で見るのか・・・・」
「千里も鏡で自分のを確認するように」
「千里の場合、鏡で左側を確認するわけ?右側を確認するわけ?」
「それはやや疑問だな」
「ね、これ別人ってことないよね?」
「だって、ほらこの人なんて、入れ墨が入ってる。右側の画像でも同じ入れ墨が入っているから、間違い無く同じ人だよ」
千里はその画像を食い入るように見た。凄い!この男の子の形が、この女の子の形になっちゃうなんて・・・・こういう手術受けたいよぉ。
「やはり、千里がいちばん熱心に見てる」
「こういう手術受けたいんだよね?」
「いや、既に千里は右側の状態になっているかも知れない」
「ああ、その疑いはかなり濃厚」
「でもよくこんなサイト見つけたね」
「フィルターに引っかからないの?」
この女子寮には寮内有線LANが入っているのでネットに自由にアクセスできるが18歳未満保護のためのフィルターが入っているはずだ」
「この手のサイトにアクセスする時は、寮のLANは使わずに自分の洋ぽんでやる」
「ようぽん?何それ?」
「味ぽんの親戚?」
「うん。味ぽんの親戚」
「味ぽんでどうやってネットするの?」
「これが洋ぽんだよ」
と言って京子は机の中から、PHSを取り出して見せる。
「京子、携帯2つ持ってるんだ?」
「通話やメールにはだいたい携帯の方を使っているんだけどね。データ通信にはこちらのピッチを使うんだよ」
「へー」
「最初味ぽんと呼ばれるエッヂ端末があったんだよ。Air H゛Phoneを縮めてあぢぽん」
「ほおほお」
「その後継機で京セラから出たのが京ぽん」
「へー」
「その後継機で三洋から出たこの端末が洋ぽん」
「はぁ」
「データ定額制でネット通信ができる端末はこれしか無いんだよ」
「え?でも私の携帯もパケット使い放題だよ」
「うん。それはよく誤解して超高額の請求書見てショック受ける人がいるんだけど、普通の端末のパケット放題は、あくまでその端末自体でネットやメールやゲームした場合。でもパソコンを携帯を通してネットにつないだ場合は、パケット定額の対象外なんだよ」
「そうなんだ!?」
「ところが、京ぽん・洋ぽんだけは、パソコンからの接続も定額の対象になる。私、請求書で確認したら、先月はまともに払うと30万円になる所を定額の6000円で済んでいる」
「30万!?」
「そんな請求書が来たら、ショック死する」
「親がショック死するかもね」
「ああ」
「取り敢えず高校退学させられて田舎に連れ戻されそう」
「そちらが怖いな」
ところで千里は5月の中旬から、旭川市内のQ神社で巫女さんとしてバイトを始めた。基本的には土曜日の授業が終わった後と、日曜のお昼前からということにしている。
学校からいったん自宅に戻って更に神社に向かうだけの時間的余裕が無いので、学校から直行する。この時期から千里は当初のバス通学から自転車通学に切り替えたので、自転車で神社に向かうことができ、便利であった。
ただ、千里は学校には男子制服で通っている。でも神社にはそんな服では行けない(一応千里の性別については、神社の宮司さんと、女性職員を統括している斎藤さんは承知している)。そこで千里は校内で高校の女子制服に着替えて、ロングヘアのウィッグも付けて(じゃまにならないよう制服ブレザーの内側に入れる)、自転車に乗り、神社に向かうということをしていた。
着替えは1階の事務室・校長室の近くにある、あまり人の来ないトイレ(当然女子トイレ)を使用していたが、時々知っている人に遭遇したりする。
「あら、千里ちゃん、今日はそちらの制服で出て来たの?」
などと1年1組の伊勢先生から言われたりする。
「あ、いえ、バイト先に行くので、この服に着替えました」
「ああ。女の子としてバイトしてるのね?」
「男の子としてバイトしたくないですー」
「でも学校の外でその服を着られるのなら校内でも着ればいいのに」
「あはは、そうですね。そのうち」
ある時は、女子トイレを出た所でバッタリと教頭先生に遭遇する。
「あれ?村山君だっけ?」
「はい」
「君、そんなに髪伸びたんだっけ?」
「あ、これウィッグですよ」
「いや、僕は君に髪のこと言ったことちょっと後悔しててね。何なら髪伸ばす?制服もその女子制服持っているんだったら、そちら着てていいよ」
などと教頭先生。
髪を丸刈りにするのは、この教頭先生との約束だったのだ。
「いえ、大丈夫ですよ。丸刈りにも結構慣れたし。友人たちもインパクトのある髪型だとか言って受け入れてくれてるし」
「取り敢えず、君の髪の長さについては、長くしてても問題無いということで生徒指導には話しておこうか?」
「わあ。ありがとうございます。助かるかもです」
留萌の神社では、昇殿祈祷の客なんてお正月とか以外は日に1人いるかどうかという感じであったが、旭川では結構来る。その日も20-30分単位で、千里は参拝客の昇殿前のお祓い、祈祷中のお神楽の龍笛に舞、鈴祓いと大忙しであった。巫女は数人いるのだが、千里は龍笛が巧いので、舞やお祓いを他の巫女さんがする時でも、笛は千里が吹くというパターンが多かった。
「でも千里ちゃんのこの髪、まるで自毛みたいだよね」
とある時、斎藤さんは言った。
「ええ。4月に髪を切った時、その自分の髪の毛でこのウィッグ作ってもらったので」
「うん。それは聞いたけど、ふつうは自分の髪の毛であろうと、いったん切り離してしまえば、それはただの物質になってしまう。でも千里ちゃんの場合、これがいまだに身体とつながっているかのようなんだよね」
「そうですね。こういう長い髪と5年くらい付き合ってたからかなぁ」
「この髪の毛まで、千里ちゃんの霊的な一部になっているんだよ」
「へー」
「ちゃんとオーラがこの部分まで覆っているのね」
「あ、そうかもです」
その日は、夏の七夕祭りを間近に控え、臨時雇いの巫女さんを数人雇うというので、斎藤さんが女子高生・女子大生かなと思う女の子たちの面接をしていた。千里はその時、その面接を受けるのに待っている子のひとりに注目した。
斎藤さんは千里の視線に気付いたようで、ひとりの子の面接が終わった後、ちょっとお茶を飲みに席を立ってから、千里の所に来て訊いた。
「何か面接受ける子の中に知り合いが居た?」
「いえ。全然知らないんですけど、あのライトグリーンのカーディガン着ているメガネの子、凄いと思いません?」
と訊く。
斎藤さんはその子を千里の位置から観察した。
「気付かなかった! 言われてみると凄い!!」
「ですよね?」
「あの子は採用決定だな」
と斎藤さんは楽しそうに言った。
「でも千里ちゃん、霊感強いと思ったけど、霊感のある子を見分ける目も持ってるんだね」
「《霊感のある子》という基準は、留萌の神社でお仕事している間に気付いたんです。それまで《響きの深い子》みたいに思ってました。私、何故かそういう子と親しくなりやすいんですよ。というか、向こうから私の方に寄ってくる感覚があるんですよね」
「なるほど。でも、響きが深い、か。確かに霊感ってそういうものかもね」
と斎藤さんは頷くように言った。
「私の友人って、霊感の強い子と、霊感の全く無い子の、両極端みたいなんです」
「ああ、何となく分かる」
留実子とか蓮菜、京子などは霊感の強い子、佳美や美那、鮎奈などは霊感ゼロのリアリストである。恋人でも、晋治は結構な霊感があったが、貴司はお母さんが凄い占い師なのに、全く霊感がない子であった。
6月のある土曜日、千里がいつものように授業が終わってから女子制服に着替えてロングヘアのウィッグを付け、自転車で神社に向かっていた時。
千里は少し遅くなったかなと思い、普段なら回避している商店街を突っ切ろうと思い、自転車をそちらに向けた。
むろん自転車なので車道を通るのだが、路駐している車がたくさん居て、なかなかまともに進めない。うーん。失敗したかなあ。やはり遠回りでもちゃんといつもの道を通れば良かったかなと後悔しはじめた頃、宅配便の営業所の所に親友の留実子が居るのを見た。
留実子は男装している。
そして・・・どうも揉めているような気がした。
千里は自転車を停め、声を掛ける。
「るみちゃん、どうかした?」
「あ、千里!」
「お友だちですか?」
と営業所のスタッフさんが訊く。
「はい」
と千里は答える。
「いや、ボクの所に母ちゃんから宅配便を送って来たんだけど、ボクは学校に出てたし、おばちゃんも出かけていたから留守で、受け取れなかったんだよね。それで、ついでがあるし、営業所で受け取ろうと思って、電話して出て来たんだけど、生徒手帳の写真と違うと言われちゃって」
と留実子。
「ああ、それは確かに違うように見えるかもね」
と千里は言う。
それで千里は営業所の人に説明する。
「この子、最近よく居る《男の子になりたい女の子》なんですよ。生徒手帳は女の子の格好して撮らないといけないから、そういう写真になってますけど、この子、ふだんはいつもこうやって男の子の格好して出歩いてますから」
「はい、今そちら様からもそう説明されたのですが、ちょっとこちらでは本人確認ができないと判断致しまして」
と係の人。
「私が証言してもダメですか?」
「同級生か何かですか?生徒手帳、お持ちですか?」
「はい」
というので千里は自分の生徒手帳を見せる。写真と実物を見比べている。
「はい、確かにご本人ですね。それで同じ1年5組なんですね」
「ええ。席も隣の隣なんです」
「念のため生年月日を言ってもらえますか?」
「平成3年3月3日生まれ」
「十二支では何年生まれですか?」
「ひつじ年です」
「はい、結構です。では、ご本人様署名に加えて、村山様も欄外に署名して頂けますか?」
「いいですよ」
ということで、留実子が受取人の所に署名し、千里がその欄外に署名して、やっと荷物を受け取ることができた。
営業所を出て歩きながら(千里は自転車を押しながら)少し話す。
「るみちゃん、男の子の服を着たい気持ちは分かるけど、本人確認の必要な場面では、やばいよ」
「うん。身分証明書提示しないといけないこと知らなくて。不在通知だけ持ってくればいいかと思ったんだよねー」
「生徒手帳と極端に違う服装・髪型だと、確かに本人かどうか見ても悩むだろうしね」
留実子は入学手続きをした頃はまだ《女の子としては短い髪》だったのが最近は《女の子に見えないくらい短い髪》になっている。
「千里も、生徒手帳と実態が極端に違うよね」
「あはは」
「だって生徒手帳はロングヘアに女子制服。普段学校にいる時は、丸刈りに男子制服。写真と見比べると、絶対同じ人に見えない」
「うん。割と困ってるんだけどね、それ」
「でも千里は今しているような格好で学校にも出て行くようにすれば問題がなくなる気がするよ」
「るみちゃんは、むしろ生徒手帳の写真を貼り替えてもらった方がいいかもね」
そんなことを言って、千里は留実子と顔を見合わせ、笑った。
「ところで千里、何かで急いでいたんじゃないの?」
「あ、しまった! 神社のバイトに遅刻しゃう。じゃ、また」
と言って慌てて千里は自転車に乗る。
「うん。気をつけてね!」
と言って留実子は見送ってくれた。
6月16日(金)、バスケットの全道大会(インターハイ予選)が函館市で開かれた。千里はこの大会にN高校男子バスケ部のメンバーとして参加する。N高校女子も参加するし、鞠古君のいる旭川B高校男子、田代君のいる札幌B高校男子、そして貴司のいるS高校男子、久子や数子のいるS高校女子も参加する。
S高校にはこの春まで女子バスケ部は無かったのだが、数子と久子が中心になり、中学でバスケットをやっていた経験者や、背の高い女子などを集めてバスケット同好会を結成。そして最初の地区大会で美事に優勝して、道大会に進出してきたのである。その経緯は千里も貴司との交換日記でずっと聞いていた。生徒会側もこの健闘を評価して来年度からは部に昇格できることが内定している。もっとも現在S高の女子バスケット同好会は部員が7名らしい。数子は「私がS中に入った年と似たようなもんだ」と言っていた。
道大会は市内3つの会場8つのコートを使い、金土日3日間掛けて行われる。開会式のためメイン会場のアリーナに入って行くと、近くに数子が居たので声を交わす。
「組合せ表見たよ。当たるとしたら決勝リーグだね」
「うん。思ったけど、とてもそこまで残れないよ」
「でも今日・明日の宿は確保してるんでしょ?」
「確保した。一応明後日まで勝ち残れる皮算用」
みんな今日は1回戦と2回戦の2試合が行われる。今日勝ち残ると明日の午前中にブロック決勝があり、それに勝てば決勝リーグに進出して土曜の午後と日曜で3試合おこない、上位2チームがインターハイに進出できる。決勝リーグに残ることができたら、明日の宿も必要である。むろん1回戦で負けたら今日の宿もキャンセルする羽目になる。宿のキャンセル料は結構高いので弱小校の場合、そもそも今日の宿さえも確保していない所もある。
「お互い頑張ろう」
などと言ってから
「ん?」
と数子が悩んでいる。
「千里、女子チームに出るんだっけ?」
「あ・・・しまった。私、男子チームだった」
「だったら当たらないじゃん」
「そっかー! でもうちの女子チームには留実子がいるから」
「うんうん。でもやはり千里は早々に性転換して女子チームに移籍しよう」
「うーん。手術代があればすぐにも手術したいけどなあ」
「あはは、まあうちもそちらも取り敢えず明日までは残れたらいいね」
1日目、鞠古君たちの旭川B高校は2回戦で負けたものの、N高男子・女子、札幌B高校、そしてS高男子・女子、ともに勝って2日目のブロック決勝に駒を進めた。
千里は自分たちの試合が終わった後も、他の試合を見学していた。ちょっとインターバルがあったのでトイレに行く。ちなみに男女どちらのトイレを使うかについては、男子バスケ部主将の黒岩さんからも、女子バスケ部主将の祐川さんからも
「くれぐれも男子トイレに進入したりしないように」
としっかり言われていた。
私、丸刈りなのにいいのかなぁ、などとも思いながらも女子トイレに入り、女子トイレ名物の行列に並んでから用を達する。手を洗ってから外に出て、自分たちのチームの所に戻ろうとした時、
千里は少し離れた通路のコーナーの所に貴司が居るのを見た。
わっと思う。ちょっと声掛けておこうかなあ。でも貴司にはこの丸刈り頭をあまり見られたくないなあ。でももし試合で当たれば曝すし、既に自分の試合を見られているかも知れないしなあ。。。。などと思っていた時。
貴司が誰かと面と向かっているのに気付く。しかも何だか楽しそう。誰と話してるのかなと思い、少し立つ位置を変えてみた。
貴司の向かい側に居たのは数子だった。
貴司と数子が話すのは別に変でもない。同じ高校のバスケ部同士だから何かの打ち合わせかな、などとも思う。ところがその時、千里はハッキリ見た。
数子が貴司の方に身体を寄せて、ふたりが抱き合うのを。
千里はちょっとショックを受けて踵を返し、反対側から体育館をぐるっと回る形で自分のチームの所に帰った。
それで試合を見ているのだが、何だかうわの空になってしまう。
「千里、千里」
と呼ばれているような気がして、振り向くと2年女子の久井奈さんである。
「あ、はい?」
「どうしたの? 今5〜6回、名前を呼んだよ」
「あ、済みません。ちょっと疲れてるのかなあ」
「それは良くない。今日はもう帰って早めに寝た方がいい」
と男子副主将の渋谷さんが言う。
「うん、それがいい」
と久井奈さん。
「黒岩(主将)には俺が言っておくから、もう帰って休め」
と渋谷さんが言うので
「分かりました。じゃ済みません。帰ります」
と言って千里はホテルに帰った。
ホテルの部屋はだいたいツインをベースに取られているのだが、千里だけはシングルになっていた。少なくとも男子と同室にはできないが女子と同室にしていいものか、と黒岩さんと祐川さんが悩んで、そういう部屋割にしてくれたようである。
自分が預かっているキーで部屋に入る。
あ。。。何か食べ物買ってくるべきだったかな、と思ったものの、再度外に出て買ってくるだけの気力が無かった。寝ればお腹空かないよね。と思い、千里は軽くシャワーだけ浴びて、ベッドに入った。
夜中に目が覚める。時計を見たら2時だ。
ああ。さすがにお腹が空いたかなと思い、部屋を出てホテルの玄関を出る。少し離れた所にコンビニを見たので、行って、おにぎりと烏龍茶を買う。ホテルに戻って食べるが、何だか気分が晴れない。
貴司、数子と付き合っているのだろうか?
いや。自分は貴司とは別れたんだ。貴司が誰と付き合おうと構わないじゃないか。ただその相手がよりによって数子というのが、何だか不愉快だった。数子とは小学校でも何度か同級になったし、中学3年間一緒にバスケをした仲間である。数子は自分と貴司が付き合っていたことも知っている。だったら貴司との交際のこと言ってくれてもいいのに。貴司も、自分との交際を終了はしたものの、その後も交換日記をしている仲だ。その日記の中で数子との交際のことを一言でも書いてくれたらいいのに。
いや。
自分はもう貴司の恋人ではないのだから、そんなことを貴司にしても数子にしても、自分に言う筋合いは無いだろう。
でも何だかスッキリしない!!
千里は《ドーピング》が必要だと認識した。
普段、1日1錠ずつだけ飲んでいるエストロゲンとプロゲステロンの錠剤を6錠ずつ(本来飲むべき量の2日分)出すと、一気に飲んで水で流し込んだ。
よし、このことは気にしないで寝よう。明日も試合があるんだから。
でも何か体調悪いなあ、葛根湯も飲もうかなと思ったものの、今女性ホルモンを飲んだばかりで「飲み合わせ」がよくないかもと思ったので飲まずにそのままベッドに入った。
このことは忘れて明日また頑張ろう。
千里はそう自分に言い聞かせて、眠りに就いた。
翌日。朝1番にブロック決勝がある。
しかしこの試合で千里は精彩を欠いていた。
得意の3ポイントが全く入らない。4本続けて失敗したので、交替させられる。3年生のシューティングガード毛利さんが今日は調子良く決める。千里はそれをじっと見ていたが、何だか気持ちが集中できなかった。第3ピリオドでまた出してもらったが、やはり入らない。3本続けて失敗して退く。結局その試合ではその後、出番は無かった。一応この試合、相手があまり強くない所であったのも幸いして、試合は勝ち、N高男子は決勝リーグに進出した。実はN高男子が決勝リーグに行くのは初めてである。みんな大喜びしていたが、黒岩さんはそれより千里を心配した。
「村山、やはり体調悪いのか?」
と声を掛けてくれる。
「大丈夫とは思うのですが。済みません。ちょっとトイレに行って来ます」
千里は席を立つと、トイレの方に行く。そしてボーっとしていたので、うっかり男子トイレに入ってしまった。
「ちょっと、ちょっと。ここ男子トイレだけど」
「女子トイレが混んでるからって、こっちに来るなよ」
などと言われる。
「あ、済みません。間違えました!」
と言って飛び出す。えーん。だって、私、丸刈りなんだよ。丸刈りの子を見てふつう女子と思う!?
「千里、何やってんの?」
と声を掛けられたので見ると、数子だ。
「うん。うっかり間違って男子トイレに入った」
と答えつつも、数子と何だか普通にしゃべれない気がした。
「珍しいね。まあ千里は中学の時はずっと男子トイレに入ってたけど、高校では、もう女子生徒として通学しているから、女子トイレを使っているんだったよね? 既に睾丸も取って豊胸手術もしてるんでしょ? 佳美から聞いたけど」
へ?何で去勢とか豊胸とかしたなんて話になってんの? どこかで情報伝達にくるいが生じている気がするなあ。だいたい佳美とは春以来会う機会が無かったけど、誰経由で佳美の所まで伝わっているんだ??
「それよりさ。昨日、千里何か誤解したんじゃないかと思って」
と数子が言う。
「え?」
「昨日、私が細川君と話している所を千里が見ていた気がしてさ」
「・・・・・」
「あの時、近くでパスの練習してた子たちがボールを取り損なってさ。それで私の足下に転がってきて、ふいだったんで、私、足をすくわれる形になって、倒れそうになったのよね」
「へ?」
「それを細川君が受け止めてくれて」
「えーー!?」
「それが遠目には私と細川君が抱き合ったように見えたかも知れない気がして」
「ほんとに?」
「千里、それで反対側向いて行っちゃったから、何か誤解させたかも知れないと思って千里探したんだけど、見つけきれなくて」
「じゃ・・・数子、貴司と付き合ってる訳じゃないの?」
「細川君は今、彼女居ないと思うよ。千里と別れた後は、バスケだけに集中してる感じ。時々、アタックしてきた女の子と校内でおしゃべり程度はしてるみたいだけど、デートとかまではしてないと思う。本格的に付き合う気は無いんだと思う」
「・・・・・・」
「千里さ、細川君のこと、まだ好きなんじゃない?」
「ううん。私、いくらなんでもそろそろ声変わり来ちゃう気がするし。声変わりが来たらサヨナラというのは、最初から決めてたことなんだよ」
「でも睾丸取ったんでしょ?声変わりは来なくて済むじゃん」
「いや、それは話がどこかでおかしくなってる。私、まだ睾丸は取ってないよ。その内取りたいけど」
「まあいいや。でも彼のこと好きなんじゃないの?」
「・・・・・」
「それもゆっくり考えなよ。でも誤解だけは解いておきたくてさ」
千里は涙が出てきた。でも自分は何て詰まらないことで心を乱してしまったんだろう。自分って馬鹿だなあと思うと共に数子の友情に感動する。そして数子に嫉妬してしまった自分が情けなかった。そして自分はまさか、数子に指摘されたように、まだ貴司のことが好きなのだろうかということまで考えてしまう。
「ありがとう、数子。ごめんね」
「ううん。頑張りなよ」
「うん」
千里がチームの所に戻って来たのを見て、女子2年の久井奈が言った。
「千里、どうしたの?」
3年男子の渋谷さんも言う。
「復活したな?」
「気合いが全然違う」
と北岡君も言う。
「いつもの千里だね」
と暢子も言った。
「部長。次の試合、30点取りますから出してください」
と千里は黒岩さんに言った。
「よし。全ピリオドに出すぞ」
と黒岩さん。
「はい」
午後の試合は決勝リーグの第1試合である。相手は札幌Y高校。ブロック決勝で田代君のいる札幌B高校を倒して勝ち上がってきた。昨年夏の道大会で優勝したチームでもある。
こちらのスターティングメンバーは、PG.渋谷 SG.毛利に千里 PF.北岡 C.黒岩 である。毛利さんと千里の2人のSGが入るダブルシューター方式で行く。
ティップオフは長身の北岡君がうまくこちら側に弾き、渋谷さんが取ってすぐ攻めていく。千里と毛利さんがスペースに居るが、相手は背が低く、朝の試合で失敗を続けていた千里を無視して、朝の試合で調子の良かった長身の毛利さんの方をマークしている。そこで渋谷さんは千里にパスする。
受け取ったら即撃ってゴール!
3点先取。
相手は恐らく千里が活躍した昨日の試合は見ていないのであろう。基本的に毛利さんの方を警戒しているので、渋谷さんから千里にパスされるパターンが多かった。それで第1ピリオドだけで千里は7本のシュートを撃ち全部入れて21点取った。
さすがに第2ピリオドになると千里の方にもマークが付くが、千里は少々のマークは気にせず撃つ。一度は相手ディフェンスがかなり厳しいチェックをして、千里の腕に触れたものの、きれいにゴールを決め、フリースローまでもらって一気に4点取った。結局第2ピリオドでその分まで含めて5本の3ポイントシュートを撃って全部成功させ、ここまでで千里の得点は37点である。
「凄いな。午前中の試合とは別人だ」
と2年生の真駒さんがハーフタイムに言う。
「いや、3ポイントってさ、入る時はどんどん入るし、外し出すとどんどん外れるもんなんだよ」
と3年生SGの毛利さんは言う。
「ああ、僕の中学生の時のチームメイトのシューターもそんな感じでした」
と北岡君が言う。
「入らない時というのは、ちょっとしたフォームのくるいなんだよね。だからくるったまま撃っても、確実に外れる。シューターって精密機械なんだ。時々3ポイントが入る確率がどうのこうの言う人いるけど、確率では語れないのがスリーだよ。スリーが入る確率ってポアソン分布じゃないから」
と毛利さん。
ポアソン分布って何だろう?と千里は思ったが質問すると話の腰を折りそうなので尋ねなかった。
「でも精神的なものも大きいんでしょう?」
と今日はあまり出番の無い白滝君。
「うん。ちょっとした気分の違いで変わる。だからシューターのお仕事は試合前から始まっている。精神的に安定した状態でプレイできるように努力するんだよ。村山は、その辺りを今後鍛えて行かなきゃな」
と毛利さん。
「はい」
と千里は素直に返事した。
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【女の子たちの性別疑惑】(1)