【女の子たちの友情と努力】(2)

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X線撮影の後は、レントゲン車内でいったん服を着てから保健室に入る。ここで1人ずつ、また脱いではお医者さんの診察を受ける。
 
こちらではみんなの前で脱ぐのはキャミまでで、ブラはスクリーンの向こうに行き、お医者さんに診てもらう直前で良い。
 
名前を呼ばれて千里がスクリーンの向こうに行くと、鮎奈が診察が終わって、ブラを着けようとしている所だった。軽くお互いに手を振る。千里がブラを外す。お医者さんの前の椅子に座る。
 
「君、バストの発達が遅いとか言われたことない?」
「あ、はい。それでエストロゲンとプロゲステロンを処方されたこともあります」
と千里が答えると、もうスクリーンの向こうの方に行こうとしていた鮎奈がそれを聞いて「なるほどー」という感じの顔をした。
 
「ふーん、婦人科とか受診してみなくていいかな?」
「あ、大丈夫ですよ。私の姉も高校に入る頃までは、ほんとに真っ平らな胸だったのが、高校になってから発達し始めて、今はCカップですから、発達が遅い家系なんだと思います」
などと千里は言う。
 
「ああ、だったら大丈夫かな」
と医者は言い、それから胸や背中に聴診器を当て
 
「はい、OKです」
と言った。
 

後で鮎奈から訊かれる。
 
「千里、お姉さん居たんだっけ?」
「いないよ」
「でもさっき、お姉さんがどうのって」
「てきとー」
「うーん。。。。千里って平然と嘘がつけるんだ?」
「まあ、女の子って割とそうじゃない? 特に男の子の前では」
「確かにお医者さんも男だったね」
 

「でも、千里がなぜ女の子に見えちゃうか、そしてみんな女の子として付き合えるかが今日は分かった気がする」
 
と教室に戻ってから梨乃が言った。
 
「何の話?」
と数人の女子がそちらを見る。
 
「いや、みんな千里を健診に連れていく時は、裸になった時点で咎められて、千里がどんな言い訳をするか見てみたいって少し期待してた面もちょっとあったじゃん」
「うん、まあ少し不純な動機はあったよね」
 
「だけどX線技師さんも、お医者さんも、千里を見て男の子である可能性を全く考えもしなかった雰囲気だった」
「そうそう、女の子と信じ切ってた」
 
「それはさ。千里って、自分自身が女であると信じている。そして自分が女であることに自信を持っている。だから、こんな頭で男子制服着てても、女にしか見えないんだよ」
「ほほぉ」
 
「だから千里って、たぶんオールヌードにして、おちんちん確認したりしない限り、男の子には見えないだろうね」
と梨乃は言った。
 
それでみんな頷いていたのだが、留実子はこんなことを言う。
 
「それが千里のおちんちんを見たことのある男子も女子も存在しないんだよ。それどころか、千里は女湯に何度も入っている疑惑がある。更に、彼氏とHした時も、彼氏にそれを見られてないらしい」
 
「・・・・・」
 
「ね、千里、実は本当に女の子だってことは?」
「うふふ」
 

その週の土曜日、特進クラスのみに行われている午前中の授業が終わった後、数人の女子で市の図書館に行って、ついでにお花見でもしようという話になる。
 
「千里も来るよね?」
「行くよー。あ、でもちょっと待って。街に出るなら着替えてくる」
「ん?」
「着替え??」
 
ということで5分ほどの後、千里が
 
「お待たせー」
と言って教室に戻ってきたのを見て、みんなが沈黙する。
 
「誰?」
という声があがる。
 
「いや、千里だよ」
と京子。
 
「千里なの〜〜〜!?」
「何か変?」
「いや、変じゃない」
「というか可愛い」
「というかむしろ普段の千里の方が変」
「あ、言えてる、言えてる」
 
千里はロングヘアのウィッグを付けて、女子制服を着ていた。
 
「あのさ、千里真剣に訊きたい」
と鮎奈が言う。
 
「こないだ蓮菜たちと一緒に街に行った時も千里、その服を着てたけどさ、もしかして千里、いつもその制服を持ってるの?」
 
「うん。いつもスポーツバッグに入れてるよ。今代わりに男子制服の方をスポーツバッグに入れた」
 
「ウィッグも?」
「うん。いつも持ってる」
 
「持って来てるなら、着ればいい!」
と数人の女子から声が上がった。
 

「千里、肩より下まである髪は、結んでないと校則違反だよ」
「あっそうか。じゃ、結ぶね」
 
「あ、どうせならツインテールにしない?」
「あ、それも面白そう。千里やってあげるよ」
 
と言って、孝子が千里の髪をふたつに振り分け、セーラームーンのようなツインテールにまとめてくれた」
 
「可愛い!!」
という声が上がる。
 
「やはり髪が長いと、どうまとめても可愛くなるのかも」
「千里、この長さまで伸ばすのにどのくらい掛かったの?」
 
「多分5年は掛かってるよね?」
と蓮菜が言う。
「そうかな?」
 
「千里は小学4年生の頃はまだ肩くらいの長さだったんだよ。それが小学校を卒業する頃は胸くらいまでにして、中学の卒業式の頃は腰くらいの長さだった」
 
「蓮菜、よく覚えてるね」
 
「伸びるのにそんなに掛かるんだ?」
「毛先の方はどうしても痛むから、けっこう切ってるんだよね。だからあまり痛んでない髪で伸ばすのには時間が掛かる」
 
「なるほどー」
「それにこのウィッグを作る時に根元側は改めて揃えてるだろうし、毛先もまた切ったろうから、この程度の長さなんだよね」
 
「むしろ腰まであった時は自分で邪魔じゃなかった?」
「うん。トイレも大変だった」
「あ、確かに和式とかは辛いよね」
「昔の平安時代の女の人とか、トイレの時はどうしたんだろ?」
「お付きの人が持ってあげるとか?」
「それも恥ずかしいなあ」
「誰か研究してみて」
 

それでみんなで下校していたら、1年1組の伊勢先生(数学担当)と出会う。
 
「先生さようなら」
と言って、通り過ぎようとした時
 
「あれ?」
と先生が言う。
 
「そのツインテールの子、誰だったっけ?」
 
少し顔を見合わせる。
 
「これ校則違反になりますか?」
「いや、結んでるから問題無いけど。私、1年生の女子生徒の顔はだいたい覚えていたつもりだったんだけど・・・・」
 
「村山千里ですよー」
「えーーーー!?」
 
「あ、済みません。みんなと市立図書館に行くので着替えました」
と千里。
 
「先生、校内では制服か体操服を着ておく規則だけど、千里ちゃんと制服を着てるから違反じゃないですよね」
と孝子が尋ねる。
 
「うん、違反じゃない! ってか、千里ちゃん、女子制服持ってるんだ?」
 
「はい。時々着てます」
「でもその頭は?」
「ウィッグです。私、入学前はこのくらい長い髪だったんですよ。だから、生徒手帳の写真もこんな感じで写ってるんですよね」
 
と言って千里は生徒手帳を見せる。
 
「ほんとだ! あれ、でもこの写真、女子制服で写ってる」
 
「あ、それ、千里の長い髪を見て、先生が女子だと思って、女子の写真撮影場所に誘導しちゃったらしいですよ」
 
「まあ、これ見て、男子とは思わないよね!」
と先生は言ってから、少し考えるようにして
 
「千里ちゃん、普段の授業も女子制服で受けたら?」
などと言う。
 
「賛成!」
という声が多数あがった。
 

市立図書館では各自好きな本を探す。何人か貸出カードを作って借りている子もいた。千里もあちこち見ていて、天文学の本に関心を持ち、借りようと思う。それでカウンターに持って行って
 
「初めてなんですが、これ借りたいんですが」
と言った。
「高校生かな?生徒手帳持ってる?」
「はい」
と言うので見せる。写真と見比べている。それで貸出カードを作ってくれた。
 
《村山千里・15歳・女》
とプリントされていた。
 
「貸出カードの有効期限は1年なので、毎年更新してください。更新時にまた生徒手帳が必要です」
「分かりました。ありがとうございます」
 
それでその貸出カードと本に貼られているタグをスキャンして貸し出してくれた。
 

「千里、今日はその格好で良かったね」
と孝子から言われる。
 
「ああ、坊主頭だったら、この生徒手帳違うと言われてたね」
と梨乃。
 
「千里は、それ学校の図書館で言われたんだよ」
と鮎奈が言う。
 
「へー。それで借りられなかったの?」
「ううん。これ写真が極端に違うけど確かに本人です、と私が証言したから借りられたよ」
 
「ああ」
「ついでに『性転換したんです』と言ったら図書委員の子、納得してた」
「納得するのか!?」
 
「でも性転換って、男から女になったのか?女から男になったのか」
「難しい問題だなあ」
 
「だけどそれなら誰か付いてないと、借りられないね」
「丸刈り頭の子と、このロングヘアの子が同一人物とは思わないだろうからなあ」
 

公園は桜が満開だった。
 
お団子が売ってたのでみんな1本ずつ買って食べながら桜を見る。
 
「私、北海道の春、結構好きだなあ」
と花野子が言う。
 
「花野子、どこの出身だっけ?」
「生まれたのは九州の熊本なんだけど、まだ2歳くらいの頃に東京に引っ越して。それから小6の時に札幌に引っ越してきたんだよ。子供だからたくさん雪があるのが嬉しくて」
 
「ああ、大人は大変だけど、子供は嬉しいよね」
 
「東京の春は3月から5月上旬までゆっくりと過ぎていくけど、北海道の春は5月になってから慌ただしく過ぎていく。時間が凝縮されている感じで、凄い速度で季節が動いて行くのが心地良い」
 
「で6月に猛吹雪になったりする」
「そそ。夏と冬が入り乱れてる感じであれも面白い」
 
「私は北海道から出たことないから分からないや」
 
「あれ?花野子、札幌の中学出たんだっけ?」
「うん」
「なんで旭川の高校に?」
「親元から離れたかったから」
「うむむ!?」
 

「でもまあ、親元から離れたかったのがここに来た理由って子は結構いるんじゃない?」
 
「ああ。私も。私、お母ちゃんと元々折り合いが悪いんだよ。いつも衝突してた。全てにおいて考え方が違うんだ。もう我慢できなくて」
 
「まあ親子で相性がいいとは限らないからね」
 
「私は父ちゃんが飲んだくれでさ。毎晩酒飲んで暴れるんだよ。母ちゃん残して家を出るのは気が咎めたけど、もう私がもたなかった」
 
「私は親というより兄と離れたかったから。親が何かと兄貴優先で。何か買うものがある時も兄貴は買ってもらえるのに、私はお金がないから我慢しろと言われてた。自分はここにいたら、ずっと2番目の子供でしかないと思ったから、家を出たかった」
 
「なんか家庭的な問題かかえてる子多いなあ」
 
「特進に来る子ってそうかもよ。何かコンプレックスやストレス抱えてるから、それを勉強にぶつけるんだよ」
 
「まあ健全なぶつけ方だね」
「不良になるのと紙一重だろうけどね」
 
「いや、みんな凄いな」
と鮎奈。
「私なんてただ単に都会に出て来たかっただけ」
 
「まあ、そういう子も結構いるよ」
と蓮菜が優しく言う。
 
「千里も親から離れたかったタイプだよね」
「うん」
「千里の場合は、女の子になるためでしょ?」
「うん。でもそのために髪を切らないといけなかったのは大きな矛盾点だけどね」
 
「いっそ高校在学中に性転換しちゃいなよ」
「したいけど、手術代を確保できない」
「あれ、高いんでしょ?」
「純粋な手術代で100万円かな」
「高校生のバイトでは稼げそうにないなあ」
「学割無いのかなあ」
「それは聞いたことない」
 
「やはり援交とかでもしない限り無理だよね」
「そんなのバレたら即退学だよ」
「リスクあるなあ」
「私、病気とかのリスクの方が怖い」
「うんうん。遊んでる男の人は病気に感染している確率高そうだしね」
 

そんな少し深刻な話になっていた時、少し向こうの方で騒がしい声がした。
 
最初、酔っぱらいの集団か?とも思ったのだが、テレビの撮影のようであった。
 
「お、そこに女の子たちの集団が居る!」
などと言ってマイクを持って走ってきたのは、お笑いタレントのヨナリンだ。
 
「君たち、女子高生?」
「そーでーす」
 
「君たち、『ヨナリンの愛は身ひとつ世ひとつ生くるに無意味で地球を救う』
見てる?」
 
「見てませーん」
 
ここは「見てません」と答えるのがお約束になっている。そしてこれは生放送のはずである。
 
「何で君たち、見ないのさ? 面白い番組なのに」
 
「だって知らないもーん」
「私、テレビなんか見ない」
「私たちは勉強一筋だよ」
「ゲームもやらないよね」
「うちのテレビ、NHKしか映らない」
 
この辺はみんなノリで答えている。
 
「ああ、何て世間の狭い女子高生なんだろう。そんな女子高生にはこれだ!」
 
と言って、アシスタントのアイドル歌手・春風アルトちゃんが持って来たホワイトボードに、ヨナリンはマーカーで
 
《女子高生にいきなり楽器渡して、バンド演奏になるか?》
 
と書いた。
 
「何ですか? それ」
「おーい。楽器持って来て」
 
という声で番組スタッフが大量の楽器を運んで来る。
 
が・・・何だかバンドになりそうな楽器群ではない。
 
「何か色々ありますねー」
と春風アルトが言っている。
 
「木琴、三味線、竪琴、バイオリン、スターチャイム、大正琴、トライアングル、カスタネット」
 
「君たち8人いるから、楽器8個ね。1分以内に担当決めて」
とヨナリン。
 
「孝子、ピアノ上手いから、大正琴行けない?」
と蓮菜が言う。
 
「やれるかも」
「千里、ヴァイオリン弾けるよね?」
「うん」
「梨乃、ギター弾けたよね。三味線やってみない?」
「やってみる」
「私が木琴やるから、鮎奈は竪琴やって」
「OK。何とかする」
「花野子はスターチャイム、京子がトライアングル、鳴美がカスタネット」
「了解」
 
「君たち凄い! 10秒で決めた!」
とヨナリンがストップウォッチ片手に、本当に驚いたように言う。
 
「さすが蓮菜」
「パンドリーダー」
「ほほぉ、君がバンドリーダー?」
「そうですよ。ついでに作詞担当です。現代のハイネと呼ばれています」
「ハイネというよりルイベだな」
「よく言われます」
 
「じゃ作曲担当は誰?」
「あ、この子です」
と蓮菜は隣に居た千里を指さす。
「君が作曲担当?」
「はい。現代のメンデルスゾーンと言われています」
と千里もノリで答える。
 
「ああ。メンデルスゾーンというよりラーメン食べるぞーんだな」
「よく言われます」
 
「じゃ、演奏する曲はこれだ!」
 
と言って、またヨナリンはホワイトボードに書く。
 
『江戸っ娘回転寿司』
 
とヨナリンは書いた。
 
「みんな知ってる?」
と蓮菜が訊く。
 
千里、梨乃、鮎奈、が頷く。
 
「私、知らない」
と大正琴担当の孝子。孝子はクラシック系は強そうだが、ポップスには弱そうである。
 
「私が木琴でメロディー弾く。千里、ヴァイオリンで和音の根音を弾いて。梨乃は音の高さはあまり気にせずに三味線でリズムを刻んで。鮎奈は千里のヴァイオリンを聴いて5度違いの音を弾いて。孝子は大正琴で装飾音を入れて。鳴美は梨乃の三味線を聴きながら同じタイミングでカスタネット、京子は4拍ごとにトライアングル、花野子は自分で入れたいと思った所にスターチャイムでチャラララリン」
 
と蓮菜はあっという間にアレンジを決める。
 
「よし、それで行こう」
と鮎奈が言う。
 
「音合わせするよ」
と言って、蓮菜が木琴でラの音を連打する。千里はヴァイオリンのG線をそれより2度低いソの音に合わせたが、他の弦は放置。梨乃は三味線の一の糸を蓮菜の叩く音より3度高いドの音に合わせているが他の糸は放置のよう。千里もG線しか弾かないつもりだ(というか弾けない)が、梨乃もはなっから一の糸しか弾かないつもりのようだ。
 
「じゃ、行くよ。ワンツースリー」
と蓮菜が言って、演奏開始する。
 
この曲はドリームボーイズというポップロックバンドが昨年出した曲である。千里は曲は悪くないものの歌詞が軽薄すぎてあまり好みではないのだが、妹の玲羅が気に入って、ラジオで流れていたのを録音し、何度も繰り返し聴いていたおかげで、千里も記憶に残っている。曲全体が記憶に残っていれば、だいたいコード進行も分かる。千里は蓮菜が木琴で打つメロディーを頼りにヴァイオリンを弾いていった。
 
いちばん苦労していたのが竪琴の鮎奈で、どの弦を弾けばどの音が出るのか、最初なかなか感覚がつかめないようで、かなりの探り弾きをしていたが最後の方では結構正確に弾けるようになっていった。孝子は大正琴の1234567が各々ドレミファソラシに相当することはすぐに分かったものの、そもそも曲が分からないので、途中から開き直って、音程無視で適当に装飾を入れる形で演奏していた。
 
結構乗っていたのがスターチャイムの花野子で、かなりご機嫌な感じでチャララ、チャリリーンという感じで鳴らしていた。
 
とにかくもそれで曲は最後まで一度も停めずに演奏できた。
 

「君たちすごーい」
と言ってヨナリンが寄ってくる。春風アルトがパチパチパチと拍手している。
 
「凄い演奏を聴かせてくれた君たちには、僕が使い古した歯ブラシを記念にあげよう」
などと言って、本当に歯ブラシをポケットの中から出して、蓮菜に渡す。
 
「こんなの要らなーい」
と言って、蓮菜が歯ブラシをポイと捨てる。
 
「こら、ゴミは持ち帰らなきゃ駄目」
とヨナリンが言った所でCMに突入したようであった。
 

カメラが停まっている間にヨナリンが
 
「君たちほんとに凄かった」
と言って全員に握手を求め、千里たちも笑顔で握手した。ついでに春風アルトも「私も握手させてー」と言って全員と握手した。
 
「これ見た人が仕込みじゃないかと思うくらい凄かったね」
などと言っている。
 
「バンドリーダーのルイベちゃんは決断力あって漢らしいね」
「ああ。私、実は男なんですよ」と蓮菜。
 
「大正琴弾いてた彼女は、正統派の美人だね」
「愛人契約は月100万で考えていいです」と孝子。
 
「ベルを鳴らしていた子は、童顔でまだ小学生くらいに見えるね」
「13歳未満とHすると刑法犯になりますよ」と花野子。
 
「バイオリン弾いてたラーメン好きのツインテールの子はウルトラの母を思い起こしたね」
「命の母Aを飲んでますから」と千里。
 
(命の母Aを飲んでるという発言は結構この場に居た友人たちに信じられたような雰囲気もあった)
 
お笑いタレントさんには、カメラとかの無い所ではぶすっとしているタイプといつでも楽しいタイプがいるとは言うが、ヨナリンは完璧に後者のようである。
 
その後、ヨナリンは公園の別の場所に向けて走って行ったが、カメラが去った後で、放送局のスタッフさんが、本当の御礼にと、番組のロゴが入ったマウスパッドと、やはり番組ロゴ入りの4720円の図書カードを全員に配ってくれた。
 
「おお、4720円もある!」
「ああ、これ、ヨナリンを数字に直して4720円らしいよ」
「やや無理があるな」
「でももらえるものは嬉しい」
 
「何か参考書か問題集を買おう」
「うん。本屋さん行こうよ」
「嬉しいね、こういうの」
「ここで漫画買おうという話にならないのが特進組だな」
 

結局この後、みんなで本屋に行き、本当に各自問題集とか参考書を買った後、買物公園通り方面に行き、マクドナルドで1時間ほどおしゃべりした。
 
「ところで蓮菜って作詞するんだっけ?」
「詩は結構書くよ」
「『詩とファンタジー』に何度か掲載されたことあったよね?」
と千里が言う。
 
「すごーい」
「でもあの雑誌、去年の年末で廃刊になっちゃったんだよ」
「え?そうだったんだ」
「今の時代、詩を発表したいと思ったら自分のホームページ作ればいいしね。積極的に雑誌に投稿する人は減っているんじゃないかな」
 
「千里は作曲するの?」
「作曲という形ではしてないけど、キーボードを気ままに弾いたり、龍笛を心の赴くままに吹いたりしてるよ。全然譜面に残してないけどね」
「残さないのはもったいない」
「譜面は書けるんだっけ?」
「五線譜も龍笛の譜面も書けるよ」
 
「龍笛の譜面ってどんなの?」
と訊かれるのでレポート用紙に少し書いて見せると
 
「分からん!」
と言われる。
 
「でも私、五線譜のおたまじゃくしも分からないや」
と梨乃が言うと
 
「確かに!」
という声があがっていた。
 

マクドナルドを出て解散した後、千里は別の本屋さんに入って、最近の雑誌を少し立ち読みする。それからまた通りをのんびりと歩いて旭川駅の方に行った。学校からここまでは歩いてきてしまったのだが、帰りはJRで下宿近くまで行こうかと思い、時刻表を確認していたのだが、そこに「あれ?」と声を掛ける女性がいる。
 
振り向くと、細川さん(貴司のお母さん)だった。
 
「こんにちは」
と笑顔で挨拶する。
「留萌から出てこられた所ですか?」
 
「そうそう。今着いた。でも千里ちゃん、髪切らなかったの!?」
と細川さんは驚いたように言う。
 
「今は丸刈りです。この髪はウィッグなんですよ」
「へー! 全然ウィッグに見えない。凄く自然。自毛みたい」
「これ、切った自分の髪で作ってもらったウィッグだから」
「なるほどー。でも、その制服は?」
「えへへ。これも持ってるんです。一応学校には男子制服で通学してますよ」
「わあ。でもその髪でその服だったら、普通に女子高生だわ」
「はい、自分ではそのつもりです」
 
細川さんは、うんうんと頷いている。
 

細川さんは旭川のQ神社に用事があって出て来たらしい。細川さんが勤めている留萌のQ神社と同系列の神社である。今日は旭川で泊まりらしく、良かったら用事が終わった後で少し話さない?と言われたので、美輪子叔母にメールした上で細川さんに付いていった。
 
「時間があったら、市内の神社巡りしてみようかなと思ってたんですけど、まだ全然見てなかったんですよね」
 
「勉強忙しいでしょ?」
「ええ。特進組は朝7時から夕方4時まで鍛えられて土曜日も午前中授業があるし。それで4月はバスケの大会の準備もしてたし」
 
「うちの貴司も少しは勉強してくれるといいんだけどねー。あの子、バスケは頑張るけど、学校の成績は滅茶苦茶だから」
 
そういえば貴司の宿題を随分代わりに書いたなあ、と千里は中学時代のことを思い起こしていた。
 
晋治は学校の勉強もよく出来ていて小学校の頃も成績トップクラスだった。T高校でも上位グループに定着している。貴司は全く勉強しない子で、漫画を読んでる所しか見たことがない。ほんとにこの2人って対照的だよなという気がする。
 

細川さんがQ神社の年配の巫女さんで以前千里も会ったことのある斎藤さんと色々話している時、千里は少し離れた位置に立って待機していた。斎藤さんがチラッとこちらを見た。
 
「そちらは細川さんの娘さん?」
と巫女さん。
 
「あ、娘ではないのですが、それに近いような子です」
と細川さん。
 
「確か以前お伊勢さんに一緒に行ったよね」
と斎藤さん。
 
「はい、その節はお世話になりました」
と千里も挨拶する。
 
「髪が長いね」
「ええ、そうですね」
「それに凄い霊感がある」
「そうなんですよ」
「それ確かN高校の制服だよね。旭川に出て来たの?」
 
「ええ。この子、今年の春から旭川のN高校に通うようになったんですが、中学3年間は、うちの神社で巫女さんをしてもらいました」
「なるほどね」
「お神楽の龍笛が上手いですよ」
「お、それは聴いてみたいな」
 
「済みません。今日は龍笛持って来てないので」
と千里。
「うんうん。今度来た時にぜひ聴かせて」
「あ、はい」
 
などと会話を交わすが、今度来るのって、いつなんだろう?
 
「でも旭川に住んでるんなら、うちの神社の巫女してくれないかしら」
「あら、この子、いい巫女さんになりますよ」
 
などと細川さんとの間で勝手に話が進む。
 
「ごめんなさい。私、特進組で部活もしてるので、平日は朝7時から夕方7時まで学校にいるし、土曜日も午前中授業があるんですよ。そもそも特進組はバイトはめったに許可されないらしいので」
 
「あ。それは大丈夫だと思うな。以前うちの神社の巫女しながら、N高校の特進組に通っていて、東大に合格した子がいたから」
「へーーー!」
 
「それに、神社も平日は割と暇だから、土日の午後だけでもいいよ」
「わあ、どうしよう」
 
「あ、乗り気になってる、乗り気になってる」
 
「じゃ、こちらから学校に打診してみますよ。それで許可取れそうだったらお願いするということでどうかな?」
と斎藤さん。
 
「はい、それなら」
「土曜日は何時に授業終わるの?」
「12:20です。だからこちらに入れるのは13時過ぎでしょうか」
「じゃ、土曜日は13:30-17:30、日曜日は11:30-17:30、くらいの線でどうだろ?」
 
「部活の試合とかの時は休んでいいですか?」
「もちろん、もちろん。経験者だから、時給1600円くらいの線で。だから、土日入れたら1万6千円ね」
 
「わ!留萌で頂いてたのの倍だ」
と千里が言うと
 
「ごめんねー。うち、安くこき使っちゃって」
と細川さんが言った。
 

このバイトの件で、美輪子叔母は
 
「私は反対」
と言った。
 
「だって、千里、毎日睡眠4時間で、朝4時から朝練して、学校を7時から夕方4時までして、それからバスケ2−3時間して。その後、夕食の後12時まで勉強して。全く休む暇が無い。それで土日もそんな予定入れたら、あんた壊れちゃうよ」
 
「体力の方は何とかなるかなあと思うんです。それより、経済的な問題が」
 
「あぁ・・・」
 
「ゴールデンウィークに実家に帰ってみて、やばさがハッキリ感じられました。父の仕事は当面見つからないと思います。私、授業料は免除してもらってるけど、それでも教材費とか参考書代とかで月1万円は掛かるし、バスケは部費は1000円だけど、ここのチーム強いから遠征費とかで月平均5000円から1万円は見ておかないといけない。それに叔母さんに下宿代を食費込み月3万払う約束で。だから一応私のお小遣いと定期代・携帯代含めて月6万送ってくれることにはなってますけどそれ絶対無理です。母が4月から正社員にしてもらったから月15万くらいもらえるみたいですけど、そこから3人分の生活費を確保して、こちらに6万の送金は不可能だもん。そもそもここ数年の父の収入減少で借金が増えてて返済が月5万はあるはず。送金は恐らくゼロになると思う。実際、今月はまだもらってないのよね。今の所、中学時代のバイトで貯めた貯金があるから、それで色々と払ってるんだけど」
 
「下宿代は要らないよ。あんたの御飯代くらい私が出すよ」
 
「それでもこの神社のお仕事で月4-5万もらえたら学費と部活の費用、携帯代・定期代くらいは払えるから」
 
美輪子叔母はしばらく考えていた。そして言った。
 
「分かった。但し条件がある」
「はい」
 
「朝練をやめなさい。バスケの練習は授業が終わってから19時までの学校が認めた時間帯のみ。でなかったら、あんた身体壊して入院して、病院代の方がよほど掛かる。そして多分、将来、性転換手術とかを受けられない身体になっちゃうよ」
 
千里は美輪子の言葉を噛み締めた。そして返事した。
 
「分かりました」
 

細川さんに、ロングヘア女子制服バージョンの姿を見せてしまったので、その件は明日細川さんが留萌に戻ったら貴司にも伝わるかな? と思っていたのだが、細川さんが戻る前、その夜の内に貴司から電話が掛かってきた。
 
「千里、今日のテレビ見たよ」
「わ、ヨナリンのなんちゃら愛は救うとか何とか見たの?」
「見た見た。やはり、あれ千里だよね?」
「うん」
 
「髪切らなかったの?」
「切ったよ。五分刈りだよ。あれはウィッグなんだよ」
「へー! いやツインテール可愛かった」
「えへへ」
「女子制服、着てるんだね」
「あの髪なら着れるね。普段の五分刈りではさすがに着れない」
 
「うん。だから、あの髪にして、女子制服着て学校に行けばいいんだよ」
「あはは」
 
「ヴァイオリン、少しうまくなってた」
「うん。少しだけど。まだ移弦は苦手。もっともあそこでは弦をいくつも調弦してる時間無かったからG線だけ合わせたというのもあるんだけどね」
「ああ、そうだよね」
 

「そうそう。シックスティーンの写真の件、何か言われた?」
と千里は貴司に訊いた。
 
「言われた。それで振られた」
と貴司は明るく答える。
 
「あはは。振られるかもねー。でも貴司って前から彼女作ってはすぐ振られているし」
 
「まあほとんどは千里に壊された気もするが」
「それは当然。知ったら破壊する」
 
「まあいいけどね。本気になったのは千里だけだし。それにとにかくも千里とは3年続いたからね。それに実は千里と付き合ってからなんだよ。他の女の子とも会話ができるようになったのは」
 
「ふふ。私は踏み台でもいいよ。でもまあ、それも終わっちゃったしね」
 
少しの間、無言の時間が流れる。
 
「千里は新しい彼氏は作った?」
「無理ー。バスケと勉強とで手いっぱい」
「そうかもね〜」
「でも貴司と縒り戻したりはしないからね、念のため」
「うん。僕たちは友だちということでいいよね」
 
「あ、でも神社の仕事、またするかも。学校の許可が取れたらだけどね」
「ふーん。千里の龍笛って何か聴いてて心地良いから」
「あれは心の赴くままに吹いてるだけなんだけどね」
「多分、アカシックレコードか何かに感応して吹いてるんだよ」
 
「じゃ、今日はそこいら辺まで含めて交換日記に書いて送るね」
「うん。こちらも練習試合のこととか書くよ」
 

月曜日、学校に出て行くと、蓮菜と鮎奈から呼ばれる。
 
「ね、ね、バンドやらない?」
「へ?」
 
「いや、土曜日に即興でやったバンドが面白かったなと思ってさ」
「うーん、でも私、時間無い」
「うん。特進組はお互いに時間無い。だから昼休み限定。それでも時間無いから週1回練習。今考えているのは毎週火曜日」
「へー」
 
「楽器はこないだは無茶苦茶だったけど、ギター、ベース、ドラムス、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、鉄琴、大正琴、竪琴といった感じ」
「まだ多少の変動可能性はある」
 
「へー。でも大正琴に竪琴が入るんだ!?」
 
「昨日、何人かにメールしてみたら、そのくらいの楽器が確保できそうなんだよ。千里はヴァイオリン持ってたよね。器楽の時間に弾いてる」
 
「あれ、叔母さんからの借り物なんだけど」
「うん。だから借りちゃおう。だいたいみんな借り物だよ。私は弟の鉄琴をぶんどってくるし、梨乃もギターはお姉ちゃんのだし。鮎奈もお父さんが若い頃使ってたギター借りるし。ドラムスは軽音部の備品を貸してと言っておいた。ピアノは学校のを勝手に使っていいし」
 
「大正琴とか竪琴とかは?」
「大正琴は、孝子のお母ちゃんが昔通販で買ってやってみたけど即挫折して放置してるらしいんだよ。電話したら、送ってくれることになったって」
「ほほぉ」
 
「竪琴で、ライア(Leier)というタイプのを智代のお母さんが2年くらい前にドイツ旅行に行った時、現地で見て買ってきたのがあるらしいんだよ。買って来たまま全然触ってなくて飾り物と化していたらしいけど、智代が実家から持って来て練習してもいいと言っている」
 
「高そう」
「うん。2000ユーロというから30万円くらいしたらしい」
「きゃー。それが飾り物ってもったいなさすぎる」
「だよねー」
 
「今の所、参加者は4組・5組の女子を中心に10人から14人くらい」
「ボク、男子だけど」
「そんなこと主張してるのは千里だけ」
「千里が医学的に女子であることは確定済み」
「練習の時は女子制服着てよね」
 
そんな話をしていたら、近くにいた留実子が
「ふーん。バンドかぁ。頑張るなあ」
などと言っている。
 
すると蓮菜が留実子の傍に寄って、その腕に触りながら
「るみちゃん。この腕をボクたちに貸してくれないか?」
と言った。
 
「何?何?」
「ドラムスセットが君のように逞しい腕の女の子に叩かれるのを待っているのだよ」
 

神社のバイトの件は、本当にその神社の巫女さんをしていて東大文1(法学部)に合格した人が過去に居たということで、千里の家庭の経済状態が良くないことも考慮されて許可が降りた。但しその時、担任から言われた。
 
「君、クラスの他の子から聞いたけど、毎日朝練をしているらしいけど、それをやめなさい。でないと、君、身体がもたない。部活は規定通り、授業が終わってから19時まで限定」
 
「はい、それ下宿先の叔母からも言われました。夜12時くらいまで勉強してるから、それから朝6時まで寝ることにします」
 
「うん。睡眠はやはり最低6時間、できたら8時間必要だよ。受験直前になったらどうしても4−5時間になるだろうけど、それはもう最後の追い込みの時だから」
 
「はい」
 

千里がQ神社に出社して龍笛を吹いてみせると、その時、社務所に居た多数の神職や巫女さんが振り向いた。
 
「それ何の曲?」
「分かりません。その時、その場に応じて、自分でもよく分からない所から旋律が降りてくる感じなんです。その感じた通りに吹いています」
 
「君、チャネラーなんだね」
「ああ、そんなこと言われたことはあります。あ、一応留萌のQ神社で習ったお神楽の節も吹けますよ」
 
と言って、千里はそれも吹いてみせる。
 
「そのお神楽の節も美しい」
 
「いや、実は笛を担当していた巫女さんが病気で入院して3月から休職してるんだよ。他の巫女さんであまり上手な人がいなくて困ってたのよね。一応数人にお稽古受けさせてるんだけど、フルート吹ける人でも龍笛はまた勝手が違うみたいで」
 
「ああ、息遣いが全く違いますからね」
 
それでこの神社では主として龍笛の担当になることになった。
 

美輪子にも学校の先生にも言われて朝練をやめた千里ではあったが、何かで身体を鍛える必要を感じた。そこで通学を自転車に切り替えることにした。
 
美輪子の家から学校までは約6kmある。直通するバスが少ないので大抵途中で乗り換えるのだが、朝0時間目に間に合う時間に学校に行くには都合の良い乗り換えも無いので、結構な距離を歩いた上でバスに乗っていた。それで朝6時に出ても学校には0時間目の始まり(7:10)ギリギリに着いていた。
 
ところが最初から自転車で通学すると6kmの距離は千里の貧弱な脚力でも30分あれば着く。それで、この自転車通学に切り替えたことで、朝の時間に余裕ができてしまった。
 
つまり自転車通学は、体力を付けるのにも良く、通学時間も短縮できて、更にバス代も浮く、という一石三鳥になったのである。
 
「私、最初から自転車通学にしとけば良かった」
「でも雨の日はどうするの?」
「上下覆うレインコート着て」
「雪の日は?」
「あ、私、雪道を自転車で走るの得意」
 
「ところで、その自転車、かなり年季が入ってるね」
「これ小学3年の時から使ってるから」
「すると7年くらいか。買い換えてもいいんじゃない?」
「えー? まだ使えるのにもったいない。これ、そもそもお友だちのお姉さんが使ってたの、古くなったから捨てよう、なんて言ってたのをもらってきたんですけどねー」
 
「・・・・・千里、そのお姉さんはこの自転車どのくらい使ってたの?」
「さあ。多分5−6年かなあ」
 
「だったら、この自転車って12-13年経ってる訳!?」
「あ、そうかも」
「走る奇跡だ!」
「日本の製品品質の勝利ですよ」
 

6月に入ると体育の授業で水泳が始まる。千里はその一週間前、
 
「美輪子叔母さん、6月末にバイト代入ったら返すから、水着代貸して。もう貯金が尽きちゃって」
と言ったのだが、美輪子は
 
「水着代くらい私が出してあげるよ。毎朝お弁当作ってもらってるから1ヶ月で水着代分くらい浮いてるもん」
と言ってくれた。
 
「でも中学時代まで使ってた水着は入らないの?」
「中学時代までは、親が男子用水着を用意してくれてたんですよね。でも私は男子用水着は着られないから、小学1年の時以来、水泳の授業は全部見学してたんです」
 
「なるほどねぇ。おっぱいあったら男子用水着にはなれないよね。だったら、あんたカナヅチ?」
 
「水泳というもの、やったことないから」
 
「だったら、少し練習しない?」
 
ということで、その日の内に叔母さんと一緒にイオンに行ってスクール水着、アンダーショーツ、水泳帽(短髪用)、ゴーグル、着替え用のラップタオル、それに水着用のパッドを買った。取り敢えずその日、自宅で試着したが
 
「女の子の水着姿にしか見えん」
と言われる。
 
「男の子に見えたらたいへんです」
「胸はそのパッド凄く自然だね」
「粘着式だから多分少々泳いでも外れないんじゃないかなあ」
「お股も全く破綻してない」
「私、普通のショーツでも破綻しないように穿いてますよ」
 
「あんた、ハイレグとかまで穿いてるもんね。信じられん!」
と言ってから、叔母さんは少し考えるようにして
 
「ね、実はアレ自分で切り落としちゃったりしてないよね?」
「そんなことしたら大出血して大騒ぎになってます」
 

翌日火曜日は叔母さんも付き合ってくれて、学校から帰ってすぐ市内の温水プールに行き、ほんとに基本的な練習をした。叔母さんはビキニの水着をつけている。
 
「美輪子おばさん、プロポーションが凄いです」
「いや、ウェストのくびれは千里の方が凄い」
「でも私、胸は誤魔化してるから、ビキニにはなれないんですよねー」
「まあ学校の体育の時間にビキニ着ていったら叱られるね」
 
まずは水に慣れようというので水中歩行を30分くらいした。その後、プールの端に掴まってバタ足の練習、ビート板を使ってバタ足で進む練習、とする。この時、息継ぎの仕方についても教えてもらった。
 
水曜日はプールには行かずに、自宅の畳の上で、クロールの手足の動きと息継ぎのタイミングを練習する。
 
「こういうのはいきなり水に入ってやっても、悪い形で覚えてしまうんだよ。まずはちゃんと正しい形を覚えて、イメージトレーニングすることが大切なんだ。畳の上の水練を馬鹿にしちゃいけないよ」
 
「多分あの諺は意味を取り違えられてるんですよ。弘法筆を選ばずなんかも、多分『弘法は良い筆を迷わずに取る』という意味だと思う。実際、良い筆と安物の筆では書ける字が段違いです」
 
「あ、私もその意見に賛成。100円の筆ではとてもまともな字にならないし、ママチャリではツール・ド・フランスを走れないよ」
 

木曜日にまたプールに行き、昨日徹底的に畳の上で練習したイメージで水の中に入って泳いでみる。水の抵抗が凄まじいので大変だったが、千里は肺活量はあるので、スローモーション的にではあるが、取り敢えずクロールの形は作動する。スピードは遅いものの、とにかく前へ進む。
 
「千里、頭をしっかり水につける。頭を水面から上げたら身体が曲がって、浮力が得られない。頭は身体とまっすぐに」
 
「息継ぎの時に頭が斜めに回転している。真横に回転させなきゃダメ。水を飲むくらいは怖がらない。ここのプールの水飲んだくらいでお腹壊すほどヤワじゃないでしょ?」
 
手の動きを練習しようと、足でビート板を挟んで腕だけで泳ぐのも練習してみたが、これは腕の力が無さ過ぎるので沈んでしまう。
 
「これはもう少し腕の力を付けないと駄目だなあ。千里、毎日お風呂に入る前に腕立て臥せを30回やろう」
 
「私、それ3回くらいしかできない」
「じゃ、今日は3回、明日は4回、明後日は5回」
「それで1ヶ月後に30回ですか?」
「そうそう。2回、4回、8回、じゃないからいいでしょ?」
「冪乗は無茶です!」
 

木曜日の段階では、10mくらいしか泳げなかったのが、金曜日には15mくらい、土曜日に(神社のバイトから帰ってから)は20mと距離を伸ばした。そして日曜日の午前中に行った時、初めてプールの端から端まで到達した。
 
「よし、これを頑張って練習しよう」
 
というのでこの日はひたすらプールの端から端まで泳ぐというのを練習したのであった。もっともこの日は叔母さんに時間を計ってもらったら25m泳ぐのに170秒も掛かっている。しかし時間は掛かっても、きちんと息継ぎができているので、3回に1回くらいはちゃんと端から端まで泳ぎ切ることができた。
 
1時間半ほど泳いで、そろそろあがろうか、などと言っていた時、プールに入って来た女性と目が合う。
 
「わーい! 友子せんぱーい!」
と言って手を振る。それは中学の女子バスケット部の先輩でシューティング・ガードの友子だった。千里と友子はよくダブルシューターとして荒稼ぎしていたのである。
 
「千里〜!? 髪切ったの?」
「だって、校則があるから」
「中学の時は校則があっても長い髪のままだったのに」
「えへへ」
 
「それ、かなり短く切ったよね」
と言われるので水泳帽を取ってみせる。
 
「ひゃー!凄いインパクトのある髪型だなあ」
「旭川ではそんなでもないけど、留萌に戻るとかなり振り返って見られる」
 
「女子でそこまで短いのはロッカーかプロレスラーか。でもおっぱいあるね」
「パッドですよー」
「千里は女性ホルモンの注射を打ってもらうべきだなあ」
 

「あれ? 友子先輩、旭川M高校でしたよね?」
「そうだよ。千里はどこだったっけ?」
 
「N高校です。先輩は、バスケ部には入らなかったんですか? こないだの大会で見なかった気がして」
 
「入ってるけど、こないだの大会は風邪引いて休んだんだよ」
「あらら。M高校は今回はベスト8だったけど、友子先輩入ってたら道大会行けたんじゃないですか?」
「それ言われた!」
 
「でもこないだの大会でM高校の橘花さんって人と知り合って、今度練習試合やりましょうよ、という話になってるんですよ。顧問を通して日程とかは詰める予定ですけど」
 
「橘花ちゃんは凄いよ。貪欲なポイントゲッター」
「試合見てましたけど、ひとりで30点以上取りましたね」
 
「私たちみたいなシューターは、安全な場所から高確率でゴールにボールを放り込むけど、ゴール下の乱戦からのシュートは身体がお互いぶつかり合いながらだから確率が低い。それで外しても即リバウンド自分で取って放り込むから、貪欲に得点していく」
 
などと友子は言ってから、ふと考える。
 
「ね、ね、千里、今N高校の女子バスケ部?」
「男子バスケ部ですよ」
「練習試合するのは?」
「M高校女子バスケ部と、N高校女子バスケ部」
 
「で・・・千里は何に出るの?」
「もちろんN高校女子バスケ部で」
「ほほぉ」
と言ってから、友子は
 
「敵に不足はないよ。シューター対決だね」
と言った。
 
「はい!」
 

水泳の授業はその週の火曜日、6月6日から始まった。
 
「千里〜、着替えに行くぞ〜」
と言って、鮎奈・京子に連行されるかのように、プール付属の女子更衣室に連れ込まれる。
 
体育の時間はいつも千里は女子更衣室で着替えているのだが、今日はあらためて、みんなの好奇心を含む視線を感じる。
 
「千里、まさか見学します、なんて言わないよね」
「泳ぐよ」
と言って、千里は(男子)制服のブレザーとズボンを脱ぎ、その下に着ているブラウスを脱ぎ、キャミソールを脱ぐ。
 
「水着、着て来てたんだ?」
「えへへ」
 
「それトイレに行く時困らなかった?」
「今日はトイレに行く度に全部脱いでたよ」
「ああ、それが女子水着の問題点だよねー」
「男子は楽そうだけどね」
 
「でも千里、おっぱいかなりある」
「パッドを入れてみましたー」
「そんなの入れてて泳いでたら外れない?」
「粘着式だから大丈夫だよ」
 
「いや、実は千里はパッド無しでも結構胸がある」
と先日レントゲン検診の時に千里の実胸を見ている子たちから声があがる。
 
「お股に膨らみが無い」
「ボクのショーツに膨らみが無いのは、体育の時にいつもみんな見てるじゃん」
「確かにそうだけどね」
「水着は、肌に密着するから、誤魔化しにくそうなのに」
 

普段、体育は4組・5組合同で、女子と男子に別れてやっているのだが、今日の水泳の授業は、男女合同である。
 
同じクラスの男子から
「村山、やはり女だったのか」
などと水着姿を見て言われたが、蓮菜が
 
「何を今更」
と言っている。ちなみに留実子も
 
「花和、ほんとに女だったのか」
と言われていたが、本人は
「女、辞めたいんだけどねー」
と言って
「なるほどー」
 
と男子たちから言われていた。留実子のバストはかなり大きいので、見とれている男子もいたが、なぜか蓮菜から「じろじろ見るな」と言われて蹴りを食らっていた。
 

最初にグループ分けします、と言われて、泳げない人、25m程度泳げる人、ターンができる人、と分類された。先生も4人入っている。男女比では泳げない子は圧倒的に女子が多く、ターンができる子は男子が多い。真ん中のグループは男女数がわりと近かった。
 
千里は25m泳げるのはまだ3回に1回くらいだしと思い、泳げない人の所に行ったが、最初に実際何m泳げるか測られたところ、端まで到達したので
 
「ちゃんと泳げるじゃん」
と言われて、すぐ25m程度泳げる人の所に移動された。
 
プールは温水プールで8コースあり、短水路の競技大会にも使用できるサイズ規格になっている。このコースの内、1コースを泳げない人、2〜4コースを25m程度泳げる人、5〜8コースをターンが出来る人のグループで使った。泳げない人は、ひたすらバタ足の練習と、クロールの形の練習である。千里は先週美輪子叔母と一緒にやった内容だなと思って眺めていた。
 
25m程度泳げる子のグループでは、その日は各々泳がせてみてアドバイスをもらった。千里について先生は
 
「フォームはいいんだけど、パワーが足りない感じ。足腰と腕力と鍛えたらきっとスピードが上がる」
 
と言った。次回の授業ではターンの練習をするということだった。
 

授業が終わってから、シャワーを浴びて女子更衣室に戻る。またまた視線を感じるが、千里がラップタオルを出すと「なーんだ」という雰囲気。
 
「千里、そのタオル無しで着替えない?」
「地球の平和を守るため、このタオル使わせて下せぇ」
 
ここでは他の女子もあまり無茶はしない感じだった。堂々と裸になって着替えている子もいるが(留実子など)、千里と同様にラップタオルを使う子も結構いた(孝子など)。
 
「ねえ、るみちゃん」
と蓮菜が留実子に尋ねる。
 
「ん?」
「鞠古君は今年は水泳するのかな?」
 
留実子の彼氏、鞠古君は中学の時は体育の水泳の授業は見学していた。彼は病気の治療のため女性ホルモンを投与されていたので、女の子のように胸が膨らんでおり、とても男子水着にはなれなかったはずである。
 
「ああ。今年は参加すると言ってた」
「へー。水泳パンツ?」
「それは無理。バストがあるから」
「じゃ、女子水着?」
 
「というか、男子水着でも、上半身まで覆うタイプがあるんだよ。その方が腰の所だけの水着より水の抵抗が少ないらしくて、男子水泳選手でワンピース型を着る選手もいるよ」
「そうなんだ!」
 
(男子選手のワンピース型水着使用は2010年に禁止された)
 
「その水着姿見た?」
 
留実子は微笑んで
「見たよ」
と言う。
 
「どうだった?」
「上半身だけ見たら、女子の水着姿にしか見えない」
「やはり」
 
「でもお股の所を見ると、男であることが一目瞭然」
 
「なるほどねぇ!」
と言ってから蓮菜は
 
「千里の場合は、お股の所を見ると、女であることが一目瞭然だよね」
と付け加えた。
 

プールでの水泳の授業が終わってから、何人かでトイレに行こうとしたのだがプールの所のトイレは工事中になっていた。
 
「あ、そうか。今年はここのトイレを改修するんだ」
 
この学校のトイレは7〜8年を周期に少しずつ改修されて新しくなっている。
 
「本館に戻って食堂のそばのトイレに行けばいいよ」
というので数人でぞろぞろとそちらに行く。千里も空いている個室に入った。ドアをロックして、便器のふたを上げる。
 
もう水着は脱いで、ふつうのブラとショーツを身につけている。ズボンを下げ、ショーツを下げて便器に座る。ちょっと疲れたかなと思って、ふっと息を付く。おしっこをして、ペーパーで拭く。
 
そして流して立ち上がろうとした時だった。女子数人の話し声がして、いきなり個室のドアが開いた。
 
「え?」
と千里はびっくりするが、向こうもびっくりして慌ててドアを閉める。
 
千里は立ち上がり、ショーツを上げ、ズボンを上げ、便器のふたを降ろしてから個室の外に出る。
 
「ごめーん」
と謝っているのは、4組の鳴美である。同じ特進組なので土曜日は一緒に授業を受けているし、先日作ったバンドのメンバーでもある。
 
「ボクもごめん。きちんとロックしてなかったのかなあ」
と千里は言ったのだが、隣にいた同じ4組の花野子が
 
「そこのドアのロック、何だか緩いんだよ。私もこないだロックしていたはずなのに、いきなり開けられて焦った」
などと言う。そこに隣の個室に入っていた蓮菜と鮎奈に京子も出てくる。彼女らも
 
「そうそう。その個室のロックおかしいよね」
「というかドア自体も緩い」
と言う。
 
「そういえば、こないだもそんな話してたね。あのあと、誰も先生に言ってなかったかな?」
「言っておかなくちゃね」
 
などと話をしたのだが、鳴美がこんなことを言う。
 
「でも、私、今、千里のあそこ、見ちゃった」
 
「何、何、千里のおちんちん目撃しちゃったの?」
と鮎奈。
 
「違う。お股には何もなかった。むしろ割れ目ちゃんがあったように見えた」
と鳴美は言う。
 
花野子・鮎奈・蓮菜・京子が顔を見合わせる。
 
「千里、やはり既に性転換手術しちゃってるのね?」
と鮎奈。
「やはりもう女の子の形になってるから、あの水着姿なのね?」
と京子。
 
「えーっと、そんなことないと思うけどなあ」
と千里は答えたが、
 
「私たちにまで隠さなくてもいいじゃん!」
と鮎奈は言った。
 
そしていつもの女子の情報網を通じて「千里は既に女の子の身体になっているらしい」という噂が翌日までに1年生の全女子に広まっていた。
 
 
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【女の子たちの友情と努力】(2)