【女の子たちの友情と努力】(1)

前頁次頁目次

1  2 
 
2006年春、千里は故郷の留萌市から出て、旭川市の美輪子叔母の所に下宿し、同市内の私立N高校に通い始めた。
 
元々千里の家はかなり貧乏であった。そこに漁師をしていた父が、船が廃船になって3月で失業することになり、公立高校にも行かせてやれないなんて話になっていた所で、千里のバスケットボール・プレイヤーとしての才能に注目したN高校のバスケ部の監督が、スポーツ特待生(授業料無料)にするからうちに来ないかと勧誘してくれたのである。
 
しかし高校進学に伴って千里には憂鬱な問題があった。
 
これまでの中学3年間では男子は髪を短くしなければならない所を偶然や誤解などもあった上で、神社のバイトで必要なのでという理由で、半ば誤魔化し的に、腰ほどまである長い髪を維持していた。
 
しかし高校に進学すると、そういう誤魔化しは効かない。しかも特待生ともなれば、他の生徒の模範になることを求められる。それで千里は特待生推薦入学に関する打ち合わせの場、N高校の教頭先生と自分の父の前で、高校入学後は髪を五分刈りにしますと約束したのである。
 
ともかくも千里としてはN高校のスポーツ枠特待生の話に乗る以外、高校に進学する道は無かったので、それが確保できるなら何でも我慢しようと心に誓ったのである。
 
それでもこれから3年間の「男子高校生」としての生活は考えただけで憂鬱な気分になった。
 

ところが千里の覚悟は、あっけなくひっくり返されることになる。
 
千里が五分刈りの頭で男子制服を着て登校すると、クラスメイトも担任の先生も
 
「なんで丸刈りなの?」
「なんで男子制服なんか着てるの?」
 
と言う。更に担任は
「君は学籍簿上は女子として登録されてるけど」
などと言った。
 
千里は、そんな頭なのに、男子トイレや男子更衣室からは「お前なんだよ?」
などと言って追い出され、結局女子更衣室や女子トイレを使うことになってしまう。体育の男女分けも女子の方に入れられていたし、身体測定や性教育も女子と一緒に受けることになるし、まだ声変わりの来ていない千里は、音楽の時間もソプラノに入ることになるし、バスケ部に入りに行ったら、副部長さんに「女子なのに男子バスケ部に入りたいの?」などと言われる始末であった。
 
古くからの友人の蓮菜は言った。
「だいたい、千里が中学まで男子トイレの使用を容認されていたのは、みんなが千里のことを小さい頃から知っていたからだよ。知らない人たちから見ると千里は女の子にしか見えないから、男子トイレや男子更衣室から追い出されるのは当然」
 
「だって私、丸刈りで男子制服なのに」
「千里、私がもし丸刈りにして男子制服を着て、学校に出て来たら、男子に見えると思う?」
「見えないと思う」
「それと同じことだよ」
 

そういう訳で、千里は「男として」扱われる状況を3年間我慢するつもりで登校して行ったのに、実際は「女として」しか扱ってもらえなかったのである。千里のクラスメイトの中には、千里は『男の子になりたい女の子』と思い込んでいる子もいる雰囲気であった。
 
また、千里の生徒手帳の写真は、まだ髪を切る前の長髪で、女子制服を着て写っていたし、生徒手帳の性別欄には、女という文字がプリントされていた。写真はまだいいとして性別はまずいのではと思って担任に申告したものの
 
「特に問題無いんじゃない?」
 
などと言われて修正してもらえなかった!
 
そして、入学式の直前に千里の髪を切ってくれた、新米美容師の敏美さん(親友の留実子の兄(姉?))は切った千里の髪でウィッグを作って、持って来てくれたのであった。
 

千里は男子バスケ部で、シューターとしての才能を高く買われ、4月下旬の地区大会に即ベンチ入りさせると言われた。千里は特に3ポイントシュートに天才的な才能を見せていたが、大きな欠点が《体力》であった。
 
「村山、40分間走り回る体力が無いな」
「最後の方は全然足が動いてない」
 
女子バスケ部でやはりベンチ入り確定と言われた留実子が
 
「千里は、中学の時も後半は走らずに相手コート側にずっと居てパスを受けてました」
などと言う。
 
それで体力を付けるのは課題として、取り敢えず今回の大会では第2ピリオドと第4ピリオドに出すと言われた。
 
「村山、課題にしてたジョギングやってる?」
と部長の黒岩さんから訊かれる。
 
「やってます。早朝自転車で公園まで行って、そこのジョギングコースを入学式まで毎日2km。今は毎日5km走っています」
「よしよし」
 
「それやってたら1年後くらいには試合中フル稼働できるくらいの体力が付くかな」
と2年生のポイントガード真駒君に言われた。正PGは3年生の渋谷君だが、真駒君は、そのバックアップメンバーとしてベンチ入りする。
 

この高校は進学校なので、部活の時間帯も制限されている。月曜から金曜までの授業終了後から18時まで(バスケ部・ソフトテニス部・野球部・スキー部のみ特例で19時まで)が練習時間帯で、それ以外の時間や休日の活動は(大会参加などの場合を除き)原則として禁止である。
 
それで部活に入っていて、大会も目前とはいうのに、千里は4月15-16日の週末をのんびりと過ごすことができた。
 
新しいクラスで仲良くなった鮎奈(上川町出身)、千里の小学校の時以来の友人である蓮菜、それに鮎奈と仲良くなった京子(稚内市出身)と4人で参考書の物色を兼ねて町に出た。
 
留実子も誘ったのだが用事があると言っていた。恐らくは同じ市内の旭川B高校に入学した、彼氏の鞠古君と会うのではと千里は想像した。
 
千里は学校外で友だちと会うのなら、こちらでいいかなと考え、N高校の女子制服を身につけ、敏美さんに作ってもらったロングヘアのウィッグを装着して出かける。出かけ際に美輪子叔母さんが
 
「おぉ、その格好が本来の千里ちゃんだ」
などと言われた。
 

待合せ場所の商業ビル入口の所に行くと、自分と同様にN高校女子制服を着た鮎奈が居たので手を振って近づく。
 
ところが向こうはこちらを認識できない感じ。
 
「おはよー」
と声を掛けたが、鮎奈は額に手をやり、目を細めてこちらを見る。
 
「えっと・・・誰だったっけ?」
「え?私、千里だけど」
 
「何〜〜〜〜〜!?」
 
鮎奈はミッフィーのトートバッグからメガネケースを取り出すとそれを掛けてマジマジと千里の顔を見る。
 
「ほんとに千里だ!」
「ほんとじゃなかったら、私偽物?」
 
「いや、この格好だともしかして、千里、生徒手帳の写真とそっくりじゃない?」
「ああ、そうかも」
と言って、千里は生徒手帳を取り出し最後のページを開く。
 
「おお、写真と実物が同じだ」
「本人確認に問題が無いよね」
 
「この髪は?」
「入学前に切った髪で作ってもらったウィッグ」
「じゃ、自分の毛なんだ?」
「うん。ずっとこの髪でやってきたから、自分としてもこのくらい髪がある方が落ち着く」
 
「千里は丸刈りでも女の子にしか見えないけど、まあこういう髪の方が余計な摩擦は生じないかもね」
 

そこに蓮菜がやってくる。
 
「おお!ロングヘア美少女の千里が復活してる!」
と嬉しそうな声をあげる。
 
「どうしたの?毛生え薬でも掛けた?」
「毛生え薬で1日でこんなに伸びたら、それ怖いよ。これは入学前に切った髪で作ってもらったウィッグ」
 
「なるほどー。千里、この髪で学校に出ておいでよ」
「いや、丸刈りで登校するという教頭先生との約束だから」
「そんな約束、教頭ももう忘れているか後悔しているかのどちらかだよ」
 
更に京子がやって来て
「誰だっけ?」
と訊く。
 
「千里だよ」
と言って、千里の生徒手帳の写真を京子に再度見せる。
 
「写真の人物だ!」
と言って京子も嬉しそうな声をあげた。
 
「でもその制服は?」
「実は持ってた」
「ほほぉ」
 
「じゃ、この髪でこの制服で登校してくれば良いよね」
と3人の意見が一致した。
 

取り敢えず、そのビルの中にあるロッテリアに入る。書店で参考書を探すのが目的だったはずであるが、まずはドリンクとみんなでシェアするポテトを頼んで、ひたすらおしゃべりである。やはりこの時期はクラスメイトの噂話が出る。
 
「千里と蓮菜と留実子が学年男女全員の前で赤裸々な体験を告白しちゃったけど、他にもけっこう恋愛している子いるみたいね」
 
「**ちゃんも**高校に彼氏がいるらしい」
「**ちゃんは札幌の公立高校に進学した子と付き合ってるんだって」
「**ちゃんの彼氏は、うちの高校の3年生らしいよ」
 
どれもみんな本人が「内緒でね」などと言って打ち明けた情報っぽいが、女の子たちの情報網では「内緒にしといて」と言うことで拡散速度が上がる仕組みになっている。
 
「でもうちの高校、私立にしては学費が安いから、どうかした私立と違って、お嬢様って感じの子がいないよね」
 
「ああ、私もそれちょっとビビってたんだけど、入ってみて安心した」
「みんな庶民っぽい」
「ブランド物のサブバッグ持ってくるような子居ないし」
「私のこのトートなんて、フジパンの点数集めてもらったやつだし」
 

結局ロッテリアで2時間おしゃべりしてから
 
「お腹空いたね」(!?)
 
などと言って、ミスドに移動し、飲茶のセットを頼んで、それを食べながらまたおしゃべりである。そろそろ参考書を買いに来たことは忘れられつつあった。
 
夢中になっておしゃべりしていた時
「コーヒーのお代わりはいかがですか?」
 
と言ってスタッフの女の子が回ってきた。
 
「あ、お願いしまーす」
と言って、お代わりをもらう。
 
千里はそのスタッフの女の子が凄く若いことに気付いた。
 
「高校生さんですか?」
と訊いてみる。
 
「ええ。E女子高ですよ」
「へー」
「進学校なのにバイトOKなんですね?」
「全体で50位以内に入っていれば2年生まではバイトOKなんですよ」
 
「あれ?うちはどうなんだっけ?」
「進学コース・特進コース・音楽コース以外は、特に変なバイトでない限りは認められるみたいだよ」
「私たちは駄目か〜?」
 
千里たちの5組と両隣の4組・6組はその進学コース・特進コースの生徒が集められたクラスである。音楽コースの子は3組にいるが、特進より忙しいようである。放送委員で一緒になった麻里愛が宿題が凄まじいなどと悲鳴を上げていた。
 
スタッフの女の子は一礼して他のテーブルに行く。
 
「ただ、経済的な困難とか、親の事業の継承者になっているとか、その子の作業が他で代替できないような場合だけは許可されるらしい」
 
「ほほぉ」
「以前、小さい頃から凄腕の占い師として活動していた子はその活動を許可されたらしい。でもアイドルグループのオーディションに合格した子は学校辞めるか、アイドル辞めるかどちらかと言われて、結局退学したらしい」
 
「占い師は良くて、アイドルは駄目なんだ?」
 
「アイドルの代わりなんて、いくらでもいるからね」
「占い師と言っても、多分、そこら辺の占いハウスに居る程度の人なら駄目なんじゃないかな。その人は凄い霊感の人だったらしいから。今は東京の方で活動しているけど、1件10万円くらい取るらしい」
 
「ひゃー」
「いや、そのくらいの料金にしておかないと、依頼者が殺到してさばききれないんだよ。その人、1日に1件しか占わないと言うし」
 
「ああ、10分単位で次から次へと客をこなす人は実際問題として、そのペースでは絶対にまともには占える訳無いもん。ただのお話し相手」
 
と京子が言う。千里は、京子の知り合いに割と本式の占い師さんか霊媒師さんでも居るのかなと思った。占いや降霊というのは作曲や絵を描いたりという作業に近いものなので、10分単位で次々と絵が描けるか?作曲ができるか?と考えると、占い品質と占える量の関係は分かる。もっとも千里はその10分単位の占いを留萌の神社でやっていたのであるが、それができたのは、実は普通の占い師には無い、ある秘密兵器があったお陰である。
 
誰が相談しても似たようなことしか言わない占い師さんと、どの曲を聴いても同じに聞こえる作曲家もまた似たようなものである。千里は若い内にできるだけ色々な経験を積み、色々な本を読んで「自分の引出しを増やせ」と、占いの先生である細川さんに言われていた。
 
「そういえば、千里も占い師だよね?」
と蓮菜。
 
「うん。でも田舎でやってたから、1日にせいぜい3〜4件だったよ。私も10分や15分単位で占えと言われたら自信無い。絶対前の依頼と混線する」
 
「あれ?もっとお客さんいなかった?」
「日によってはね」
 
と千里は言っておいた。蓮菜も深くは追求しなかった。
 

ミスドでのおしゃべりも長時間化し、
「ね?お腹空かない?」
などという声が出始めていた頃、千里は目の端を見知った顔が横切ったのに気付き、ドキっとした。
 
向こうは男子3人のグループである。千里はできるだけそちらに視線をやらないように気をつけていたのだが。。。。
 
その男の子はハッとしたような顔をして、席を立ち、こちらに寄ってきた。
 
「済みません」
と声を掛けてくる。
 
「あ、青沼君!」
と先に蓮菜が反応した。
 
千里は大きく溜息を付いた。
 

「何? 何? 蓮菜の彼氏?」
と鮎奈が訊いたが
 
「千里の彼氏だよ」
と蓮菜は言う。
 
「おぉ!」
という声が上がる。
 
「やっぱり千里だ!」
と晋治が言う。
 
「ご無沙汰ー」
と言って、千里も笑顔で晋治を見た。
 

「千里、髪切ったんじゃなかったの?」
と晋治が訊く。
 
高校入学に伴い、とうとう長い髪を切ることにしたことはお正月頃に晋治と電話で話した時に言ってある。
 
「切ったよぉ。でもこれはウィッグ」
「へー。でもそれ女子制服だよね?」
 
「ああ、男子制服がスカートってことはないよね」
と蓮菜が言う。
 
「じゃ、千里、女子制服で通学してるんだ?」
「ううん。男子制服だよ。でも女子制服も持っているんだよ」
 
その女子制服をくれたのは他ならぬ晋治の姉・静子なのだが、静子はその話を晋治にはしていないようである。
 
「青沼君、千里は確かに丸刈り頭にして、男子制服を着て通学しているけどさ。誰も千里を男子生徒とは思っていない」
と蓮菜が言う。
 
「ああ、男子生徒を主張しているのは千里本人だけだよね」
と京子。
 
「トイレも男子トイレから拒否されて女子トイレ使っているし、更衣室も男子更衣室から追い出されて女子更衣室使っているし、体育はそもそも女子と一緒だし、だいたい生徒手帳で性別は女と印刷されてるし」
と鮎奈。
 
「えーー!? その生徒手帳、見たい」
 
それで千里は制服の内ポケットからそれを出して晋治に見せる。
 
「おぉ!」
と晋治か何だか喜んでいる。
 
「千里、生徒手帳の写真が、長髪・女子制服なんだから、短髪・男子制服で人前に出たら、この手帳違いますって言われるよ」
と晋治。
 
「ああ、それは絶対そういう話が出てくる」
と京子。
 
「既に学校の図書館で言われてた」
と鮎奈。
 
「なるほどねぇ」
と晋治。
 
「やはりそういう問題を起こさないためには、この髪で女子制服で学校に出てくるしか」
と蓮菜。
 
「うん。琴尾の意見に賛成」
と晋治は言った。
 

千里が携帯を持っていることに気付いた晋治が電話番号とメールアドレスを交換しようというので、千里はあまり気は進まなかったのだが交換しておいた。
 
「じゃ、また」
と言って晋治は友人たちの所に戻る。
 
「ね、ね。今のが千里がHした相手?」
と京子が小声で訊く。
 
「ううん。今の子とは3年前に別れたんだよ。今はただのお友だち」
「じゃ、別の彼なんだ?」
「でもそのHした子とも、この春に別れたんだよ。別れの記念に1回だけHした」
 
「あのさ、あの視聴覚教室ではさすがに訊けなかったけど、千里、彼氏とHする時って、どこ使うの?」
と鮎奈が訊く。
 
「内緒」
と言って千里は微笑む。
 
「もしかして、うしろの方?」
「ううん。私、そこ使うのは抵抗ある」
 
「もしかして、やおい穴とか?」
「そんなのあったらいいね」
 
「千里、もしかしてヴァギナがあったりしないよね?」
「内緒」
 

「ね、ね、相手の子は千里のPをいじってくれたりするの?」
「そんなもの絶対に彼氏には見せない」
 
「・・・・・」
「見せずにHできるの?」
 
「だって、私が恋愛する相手って、普通の男の子で、恋愛的にはストレートだから、普通の女の子が好きなんだよ。私にそんなもの付いてるのを見たり偶然にも触ったりしたら、萎えちゃう。私のことをひょっとしたら普通の女の子なのかも、と夢見てくれているから、私を恋人にしている。その夢を壊しちゃいけないもん」
と千里は言う。
 
「要するに、詐欺か」
と蓮菜。
 
「そうかも」
「女の子かも?詐欺だね」
「うんうん」
「あるいは、おちんちん無いかも詐欺」
「そうそう」
 
「だけど、Hする時は千里パンツ脱がないの?」
と京子が疑問を呈する。
 
「お互い真っ裸だよ」
 
「・・・・・」
「ね、もしかして千里、詐欺じゃなくて、マジおちんちん無いとか?」
「内緒」
 

月曜日、学校に出て行くと、留実子が私と蓮菜だけに話したいことがあると言うので、図書館棟の向こうの芝生に行った。昼休みなどにおしゃべりする時は、中庭の噴水のまわりが人気なのだが、この図書館の向こう側は道路に面しているので、噴水の所以上に会話が漏れにくいのである。
 
「土曜日にね。私、しちゃった」
と留実子は、珍しく頬を赤めながら、蓮菜と千里に言った。
 
「鞠古君と?」
と蓮菜が訊くと、留実子は恥ずかしそうに頷く。こんな可愛い留実子はめったに見られない。いつも留実子は漢らしくて、堂々としている。
 
「立ったんだ?」
「うん。立ったんだよ。本人も自信無いって言ってたんだけど、フェラしてあげたら、結構堅くなるからさ、これ、もしかして入れられない?とボクが言って。それで試してみたら、何とか入ったんだよ」
 
「ほほぉ」
「コンちゃんは付けてるよね?」
「うん。付けてあげたよ」
「ほほぉ」
「射精はできたの?」
「そこまではまだ無理みたい。そんなに堅くないから途中3回も外れてまた入れ直したけど、最後は逝く感覚はあったみたい」
「かなり回復してるよ、それ」
 
鞠古君は中1の時に、おちんちんに腫瘍ができる病気で、そこを切って前後をつなぎ合わせる大手術を受けている。その後、再発防止にずっと女性ホルモンの投与を受けていたのを、昨年の春に投与終了した。そして再発する気配が無いので、ホルモンバランスの回復のため秋口から男性ホルモンの投与を開始した。それで2月頃の時点で、けっこう大きく熱くなるとは言っていたのだが、その時点ではまだ堅くはなっていなかったらしい。それが、とうとう入れられるくらいまで堅くなるようになったのだろう。
 
「彼、どうだった?」
「ボクとしたの3年ぶりだからさ。そのことを感動して欲しかったけど、むしろおちんちんの回復に感動していた」
「まあ、いいんじゃない」
「Hより、おちんちんの方がきっと大事」
「男の子って、おちんちんで生きてるみたいなもんだもん」
「男の子は実はおちんちんの付属品ではないかという説もある」
 
「彼、おっぱいはまだあるの?」
「あるよ。でも1年前からすると、縮んでるね。去年の春の時点ではBカップサイズあったんだけど」
と留実子が言うと
「羨ましい!」
と千里が言う。
 
「今はもうAカップサイズより少し小さいくらい」
と留実子。
「ああ、すると千里よりは少し大きいくらいかな」
と蓮菜。
 
「その胸、分けて欲しいなあ」
と千里が率直な感想を言うと
 
「分けてあげようか?」
と留実子が言う。
 
「へ?」
「これあげる」
と言って、留実子が何か小さなバッグを渡す。
 
「このバッグごとあげるよ。これうちのお母ちゃんがパチンコで当てたバッグだし」
「パチンコでバッグも当たるんだ?」
「いろいろあるみたいだよ。よくお菓子取ってきてたけどね」
「ほほぉ」
 
「で、この中身は?」
「その箱に名前が書いてあるでしょ?」
 
千里はバッグの中に入っている箱を出してみた。大きな箱には EQUIN, 小さな箱には DB-10 と書かれている。
 
「これ、もしかして・・・・・」
 
「トモがさあ、中2の頃に、本当は飲まないといけなかったお薬を結構サボってたんだよ。あまり女性化したくないってんで。本来飲めと言われていた分の半分も飲んでなかった」
 
「ああ」
 
「自分のうちに置いてたらサボってるのバレるから、ボクが代わりに隠しておいたんだよ。でもボクにも用事が無い薬だから。これ多分いちばん欲しいのは千里だよなと思って」
と留実子。
 
「でも千里、自分で女性ホルモン調達してるよね?」
と蓮菜が訊く。
 
「してない、してない。そんなルート無いよ」
「でも女性ホルモン飲んでるんでしょ?」
と蓮菜は言う。
 
「だって、千里の胸、多分AAカップくらいあると思う。ちょっと触らせて」
と言ってあらためて蓮菜は千里の服の下に手を入れてバストを触った。
「いや、これAカップ以上あるかな?」
 
「まわりのお肉を集めてブラで支えてるから。ブラはBカップ着けてる。でもホルモンは偶然入手したのを少しずつ飲んでたんだよ。実は元旦に飲んだのが最後でその後は飲んでない」
 
「それだったら、なおさら、あげるよ」
「もらっておこうかな」
「それ飲み方は知ってる?」
「うん、分かるよ。ありがとう」
 

 
その週はやはり、4月29日の大会に向けて、バスケットの練習に熱が入った。特進組は7時間目まで授業があるので、部活は16時すぎからになってしまうのだが、その限られた時間で頑張って練習したし、帰宅してからも晩御飯の後で近くの公園に行ってドリブルの練習などを自主的にしていた。
 
(女の子がひとりで夜の公園に居たら危ないと言われて、美輪子おばさんも付き合ってくれた。ついでにパスの練習相手にもなってくれた)
 
そして大会はやってきた。まずは地区大会である。
 
試合前の練習では、ひとつのコートで、男子先発組vs控組、女子先発組vs控組で入り乱れて試合形式で練習する。千里は男子控組、留実子は女子控組でこの練習に参加していたが、チーム識別のため、控組は鉢巻きをしていた。
 
ところがしばしば、女子の控組から千里にパスが来てしまうことがあり、パスした側も、パスした後で「あっ」などと言っていた(取り敢えず誰か別の女子控組にパスを返した)。
 
「次からは男子と女子は鉢巻きの色を変えた方がいいね」
などと女子部長の蒔枝さんが言ったが
「村山はむしろ女子組でもいいかも」
などと男子副部長渋谷さんは言う。
 
「でもこれ、うちの練習を見ていた他の学校の人は《女子控組に凄いシュートの巧い子がいる》と思ったかもね」
「超ショートヘアの女子は目立つよね」
 
「やはりボク女子に見える?」
「何を今更」
 

それで練習が終わってから、留実子や同じ1年女子の暢子から
「千里、トイレ行くよ〜」
などと言われて結局女子5人で一緒にトイレに行く。この暢子が千里と一緒にバスケ部の女子特待生枠で入った子である。長身で留実子と並ぶとほとんど身長の差が無い上に、ひじょうに器用なプレイをする子だと千里は思った。
 
「でも私ともうひとりの特待生はどんな子かなと思ってたら、実は男の子だというのでびっくりしたよ」
などと暢子は言う。
 
「ごめんねー」
「でもさ、千里、1年生の内は男子の方で揉まれて力を付けてさ。2年生になる前にちょっと手術して本当の女の子になって、今度は女子の試合に出てくれたりしたら、うちのバスケ部全国優勝できるかも」
と同じ1年の寿絵が言う。
 
「うむむ」
 
「おお、それは新しい意見だ。千里、ちょっと検討してみてよ」
と暢子。
 
「心情的には手術したいなあ」
と千里も言う。
 
例によって女子トイレの中は列ができているので並ぶ。並びながらおしゃべりは続く。
 
「だけど特待生って大変だね。勉強も気を抜けないでしょ?」
 
と寿絵は言う。彼女は特待生ではないのだが、成績が優良であることを条件に奨学金を受けている。いわば準特待生のようなものである。留実子も奨学金を受けているが、彼女の場合は経済的な問題で奨学金が支給されている。ただし留実子にしても一定以上の成績キープが求められている。
 
「うん。先輩に聞いたけど、入学時に特待生だった子で、3年間特待生で居続けられるのは2割らしい」
と暢子。
 
「スポーツや芸術の特待生の場合、授業料全免のためには毎学期毎の振り分け試験で20位以内、半免には50位以内に入ってないといけないからね」
 
振り分け試験は本来は特進・進学コースとその他のコースを振り分けるもので特進は50位以内、進学は100位以内に居ることが必要である(外国語コース・音楽コースも100位以内が必要)。つまり特待生はスポーツや芸術で活躍しつつ特進に居られる程度の成績維持が求められる。
 
「2度続けて50位より下だと、特待生の資格自体を失う」
「あと遅刻欠席が多いと、やはり特待生の資格を失う」
「むろんバスケ部なり野球部なりで、それなりの実績を出してないと失格」
「いや、ほんとに厳しいよ」
 
「特にスポーツ特待生で最後まで特待生で居られる子は、むしろ稀らしいね」
「ああ、そもそもスポーツで取った子は、勉強は苦手という子が多い」
「それは私だ!」と暢子。
 
千里の場合、特待生の資格を失うと、退学しか道は無いので、気合い入れて勉強しないといけないよなと改めて思った。
 

先に女子の1回戦が行われたが、圧勝であった。留実子も5回、暢子も10回ほどゴール決めた。その試合を見ていたら
「ね」
と千里に声を掛ける人がいる。
 
「はい?」
と言って振り向くと、市内のM高校のユニフォームを着た女子である。背が高いなと思った。軽く180cmを越えている。
 
「あなたは、なんで出ないの?」
と訊いてきた。
「あなた、試合前の練習で凄い遠くからポンポン、ゴール決めてたのに」
 
ああ、マジであの練習見てたんだ。
 
「ああ、私、男子の試合に出るから」
「えーーーー!?」
と言ってから
 
「それで、頭をそんなに短くしてるの?」
などと尋ねられた。
 
「ああ、これは単なる趣味です」
「ロッカーか何か?」
「私、ギターとかはできないなあ。ヴァイオリンは弾くけど」
「へー。でもロックヴァイオリンとかもかっこいいよね。ボンド知ってる?」
「あ、友だちがCD持ってたから聞いてた」
 
などと話は途中で脱線してしまう。
 
「あ、私、中島橘花(なかじま・きっか)」
「私、村山千里」
 

それで少しして男子の1回戦がある。千里もベンチに入る。すると相手チームのキャプテンが
「そちら、女子が混じってるんですか?」
と訊いてきた。
 
「あ、本人が男だと主張してるので。でも女子が男子の試合に出るのは構いませんよね?」
と黒岩さんが審判に尋ねる。ちょっと、ちょっと。その言い方だと単に男勝りな女の子って感じなんですけどぉ。
 
「登録証は持ってますか?」
と審判が訊くので千里は自分の登録証を見せる。普通は選手の登録証は写真不要なのだが、千里の場合は宇田先生が写真付きでないと絶対疑われると言って写真を付けている。審判も写真と本人を見比べている。
 
「なるほど。ちゃんと男子チームに登録されているんですね。だったら問題無いです」
と審判は答えた。
 
それでも向こうのキャプテンは
「何かやりにくいなあ」
などと文句を言っている。
 

試合が始まる。
 
ポイントガードで副部長の渋谷さんがボールを運び、センターで部長の黒岩さんがフィジカルの強さを使ってゴール近くまで攻め入り、ダンクを決めてくるパターンが攻撃の主軸である。3年生の先発組はみんな背が高いのでリバウンドも拾いまくる。また、渋谷さんはスティールが巧く、相手がボールを盗られたことに一瞬気付かず、ドリブルを続けようとして、あれ? となるシーンもしばしばあった。第1ピリオドを終わって20対14と既に点差が開きつつある。
 
第2ピリオド、ポイントガードは2年の真駒さんに交替。シューティングガードとして千里が出る。オルタネイティング・ポゼッションがこちらの番だったので、第2ピリオドはN高校からの攻撃である。真駒さんが千里に上がれという指示を出すので全力で走る。ボールが飛んできた気配で振り向きキャッチする。
 
ゴールを見る。距離は充分。そのままそこから撃つ。
 
入る。
 
わずか5秒で3点取った。
 

その後も、ロングパスあるいは真駒さんがドリブルで運んでから千里にパスしてのシュートなど、幾つかのパターンで、千里がどんどん点を取る。千里に警戒してこちらにディフェンスが寄ってきたら、それで出来たディフェンスの穴にスモールフォワードの白滝さんがすかさず侵入してシュートを奪う。真駒さん自身がそのままゴール近くまで行ってしまう場合もある。
 
それでどんどん点差は開いていった。
 
しかし・・・・
 
千里は高校生男子のバスケは、やはり中学生女子のバスケとは別物だなと思いつつあった。何が違うって、いちばん違うのがスピードである。中学生女子の試合が自転車なら高校生男子の試合は大型バイクという感じ。まだ敵が遠くにいるなと思っていても、次の瞬間そばまで来ている。
 
それでこの日千里は珍しく2回も3ポイントを失敗した。そのあまりの急接近に動揺したのが原因であった。しかしその後はパスを受ける前に敵プレイヤーの動きを予測して一番撃ちやすそうな場所に移動しておくようにした。そうすることで、真駒さんもこちらにパスしやすくなるようである。
 
そして千里は自分の身体が結構素早く軽快に動くことも感じていた。
 
千里は黒岩さんから毎日2km(入学以降は5km)のジョギングを課されていた。そのジョギングは、体力が無いので、ほんとにゆっくりとしたペースで走っていただけである。しかしそれで瞬発力が出るようになっている気がした。自分が思っている以上の速度で移動できる。
 
またこれは黒岩さんにも、暢子にも言われたことだが、千里は気合いが凄い。1on1になると、結構気合いで相手を圧倒していた。千里が相手をギロッと睨んだ時の気迫は、気迫というより気魄、いやむしろ鬼魄と言っても良い。ふだんがとても優しく柔らかい雰囲気なので、その落差もより大きな効果となっていたようである。
 
少なくともこの試合で対峙した相手は、千里が撃とうとしている所にダッシュしてきても、千里の前で気合い負けして近寄れずに立ちすくむケースがしばしばあった。
 
それで第2ピリオドの10分間で、千里は8本のシュートを撃ち、6本を成功させてひとりで18点取った。
 
第2ピリオドを終了して点差は50対18と大差になっていた。
 

あまりにも大差が付いたので、第3ピリオドは出る予定の無かった子たちが出ることにした。1年生で男子の特待生で入った北岡・氷山のコンビを中心に、これまで出番の無かった子たちを入れて試合を始める。
 
こちらが控え組を出してきたようだというので向こうも燃えるが、北岡君も氷山君も強い。第1・第2ピリオドほど圧倒的ではなかったものの、このピリオドだけでも15対12とリードし、ここまでの点数は65対30となる。
 
第4ピリオドは第2ピリオドのメンツを中心に、スモールフォワードには白滝さんの代わりに本来はパワーフォワードの北岡君が入る形で試合を進めた。このピリオドで、千里は7本のシュートを撃ち、全て成功させた。
 
試合は85対36でN高校の勝利であった。
 
相手は前年道大会に進出した強豪であったが、千里がひとりで39点も取ったので凄い点差になってしまった。
 

試合が終わって相手チームと握手する時に相手キャプテンが千里に
 
「女子なんかとやれるか思ったけど、君凄い。確かに男子チームでやりたい訳だ。今日は完敗だけど、またやろう」
と笑顔で言った。
 
「はい。またやりましょう。私ももっと鍛えますから」
と千里はソプラノボイスで答えた。
 
コートから引き上げてきたら、出入口のところにさきほど千里に声を掛けたM高校の女子・橘花が居た。
 
「凄いですね! あれだったら男子チームでも活躍できますね。フォームも美しかったなあ。でも、女子チームの方ではやらないんですか?」
と千里に声を掛ける。
 
「両方には出られないから。複数チームへの登録はできない規定だし」
「あ、そうか。じゃ今度、練習試合やりましょうよ」
「じゃ、そのあたりは顧問を通して」
と隣に居た黒岩さんが言う。
 
「ええ。言っておきます」
と橘花は言った。
 

1回戦で当たったチームはゾーン系の守りをしていたので、遠くから撃つ千里への防御がほとんど無力で、千里をチェックに来るとゾーンが乱れ、あるいは手薄になって、フォワード陣に攻め込まれるという悪循環を起こしていたが(*1)2回戦で当たったチームはマンツーマン系で、背が高くジャンプ力のある選手が千里をマークした。
 
(*1)4回くらい後で述べるように実は千里のような選手がいるチームにこそゾーンは有効である。但し1人マーカーを出して残りの4人でゾーンを守らなければならないので、それなりの連携練習をこなしていないとゾーンを運用できない。ゾーンは練習量が無いと有効に働かない守りである。マンツーマンはあまり練習していなくても何とか運用できる。
 
千里は(男子としては)背が低いので、シュートの発射位置が低い。それで、撃ったシュートを叩き落とされるケース、叩き落とされまではしなくても指で触って軌道を変えられるケースがあって、最初に出た第2ピリオドでは千里のシュートは6−7割しか入らなかった。
 
そこで第2ピリオド途中から身長190cmの北岡君を入れた。すると千里が外したシュートを北岡君が拾いまくってダンクで叩き込むので、結果的に千里−北岡コンビでのシュート成功率は9割を越えた。千里も北岡君が拾ってくれるという安心感があると傍まで相手選手がチェックしに来ていても気にせず伸び伸びとシュートが撃てた。これで2回戦も圧勝できた。
 
結局この地区大会では、男子チームが優勝、女子チームは準決勝で負けたものの3位決定戦を制して、いづれも道大会(6月)への進出を決めた。鞠古君が在籍している旭川B高校男子チームも3位で道大会進出となった。
 

今年のゴールデンウィークは、4月29(祝),30(日)の後、1-2日が平日で、3-7日が5連休というパターンである。それで千里は30日は旭川で過ごしたものの、3日から7日までは留萌に戻った。服装は中性的なトレーナーにジーンズであるが、途中の駅や列車の中でしばしば自分を振り返って見る人がいることを千里は認識していた。まあ女子の丸刈りは目立つよね〜。
 
普段のゴールデンウィークなら、どこか遊園地とかに出たり、映画を見たりするところだが、今年は父の失業でそれどころではない雰囲気であった。
 
「でも、お前のバスケ部もお金が掛からなくて済んで助かったよ」
などと留萌駅まで迎えに来てくれた母は言っていた。
 
「そうだね。バスケットシューズは中学の時から使っていたものがそのまま使えるし、うちの部はユニフォームは備品で、個人で買う必要無いから」
 
「結局入学で使ったお金は、制服代、体操服代、内履き代、教科書代、くらいかねぇ」
 
「ボクがバイトとかできたらいいんだけど、特進組で特待生だと、バイトはよほどのことがない限り許可されないらしいから」
 
「いや、授業料を免除してもらっているだけで充分だよ!」
 

「お父ちゃんの仕事、見つかりそう?」
 
「今回はスケトウダラの大型漁船がみんな一斉に廃業しちゃったからね。同業の他の船に移るとかもできずに、廃業した船の関係者はみんな苦労しているみたい。神崎さんとかは札幌の電機店に勤めることになって、この連休に引越。他にも30代以下の人では、旭川・札幌に移動しちゃう人多い。お父ちゃんは自分のことより、若い人の就職の世話とかでも走り回ってて、結果的に自分のことは後回しになってるみたい」
 
「まあ、上に立つ人のつらさだよね」
「そうそう」
 
果たして帰宅すると、父は見たことのある20代の男性と何か深刻そうに話をしていた。
 
「お父ちゃん、ただいま。あ、これお土産」
と言って旭川のお菓子、旭豆をテーブルに置く。
 
「あ、それ私好き」
などと言って奥の部屋から玲羅が出て来て、少し取って持って行った。
 
「これ好きだけど、どうせなら男山でも買ってきてくれたら気が利いたのに」
などと父は言うが
「未成年にはお酒は売ってくれないよ」
と言っておく。
 
「今はそういうの厳しいみたいよ。お酒もたばこも子供のお使いというのは認めないんだよ」
と母が言う。
 
「不便な世の中だ」
と父は文句を言っている。
 

台所で母と一緒にお昼御飯の用意をしていると父たちの会話が耳に聞こえてくる。どうも若い人は、職安に行ってみたが、そもそも登録されている仕事が少ない上に、色々資格の必要な仕事とか、専門的な能力の必要な仕事ばかりで、手がかりが見つからないと悩んでいるようだ。
 
「札幌あたり、あるいはいっそ東京に出ないと駄目ですかね」
「だけど東京に出る場合、出るだけで金が掛かる。家賃も高い」
「そうなんですよ!」
 
「旭川か札幌でまずは職業訓練校とかに行ってみるか?」
「それも考えたんですけど、職業訓練校で教えてくれるような技術を身に付けたとして、それで雇ってくれる所があると思います?」
「難しいなあ」
「でしょ?」
「でも多分、取り敢えず自動車の大型免許は取った方がいいと思うぞ」
「まずはそれから始めますかねぇ」
 

《お父ちゃん、毎日のように、この手の相談に乗ってる》
と母が近くにあったメモ用紙にそんなことを書いた。
 
《お父ちゃん自身が職安の係員みたい》
《ほんとほんと》
 

話が少し落ち着いてきたかなという感じの所で、ラーメンを茹でて持って行く。母は野菜サラダを入れた小鉢を5つお盆に載せて持っていく。
 
「**さんもどうぞ」
と言って勧める。
 
「わ、済みません」
 
玲羅も奥の部屋から出てくる。
 
「玲羅、箸を配って」
「了解〜。あ、これお兄ちゃんが作ったチャーシュー?」
「そうそう。30分で作っちゃう簡単レシピ」
「あれ教えてもらったようにやってみたけど、うまく行かない。30分で作れるのはお兄ちゃんだけだよ」
 
などと言っていたら、父に相談していた若い人が
 
「あれ?機関長、息子さん居たんですね?」
などと訊く。
 
「ああ、今旭川の高校に通っているんだよ」
「あ、それで見てなかったのか。てっきりお嬢さんばかりと思ってました。今日はお姉さんの方はお出かけですか?」
 
玲羅が笑いをこらえている。父は何と答えていいか困ってぶすっとしていた。
 

連休が終わると、高校の授業も本来のパターンになってくる。特進組は0時間目(7:10-8:00)から7時間目(15:10-16:00)まで、みっちり鍛えられる。土曜日も0時間目から4時間目まで午前中の授業がある。更に千里は本来情報処理コース向けのLinuxの授業と、音楽コース向けの器楽演奏の授業を受けることにしたので、火曜と木曜は8時間目(16:10-17:00)まで授業があることになった。
 
また千里は、黒岩さんから言われた体力作りのため、毎朝5km走っていた。近くの公園まで走って行き、そこのジョギングコース1.5kmを3周してから、帰り道は歩きながら整理運動をしていた。しかし千里は走るのが遅いので、帰ってからのシャワーまで含めて、この朝練に朝4時から5時半くらいまでの時間を使っていた。(6時には家を出ないと0時間目に間に合わない。しかも千里はジョギングから戻った後、自分のお弁当を作る)
 
「千里さ、夜は12時すぎまで勉強してるじゃん。それで朝4時起きだから4時間も寝てないのでは?」
と美輪子叔母が心配したが
 
「ナポレオンなんて3時間の睡眠でやってたらしいよ」
などと千里は答える。
 
「でもナポレオンって、その睡眠不足のせいで、男性的な能力が弱くなったんじゃないかという説もあるよ」
「ああ、私は男じゃないから大丈夫」
 
「・・・・千里、女の子は生理不順になるよ」
「うーん。そちらは問題かな」
 
「お弁当は私が作るようにしようか?」
「ううん。お母ちゃんから女の子はお弁当くらい自分で作らなきゃと言われているし」
 
「あんたのお母ちゃんって、結構あんたを女の子扱いしてるよね?」
「うん。でも、素材は前夜の内に下調理していて、最終仕上げだけだから5分で作れるんだよ」
 
「確かに凄い手際良いなと思って見てる。でも私のお弁当まで作ってもらっているし。私は昼食代が浮いて助かってるけどね」
 
「お弁当は1個作るのも2個作るのも手間は変わらないから」
「確かにそうかも知れないな」
 
「私、お買い物する時間まで取れないから、おばちゃん、それだけお願い」
「了解、了解」
 

ところで学校には勉強や部活などに使うもの以外を持ってくるのは禁止なのだが、雑誌などを持ち込む子はよくいる。それで昼休みなどにみんなで一緒に見たり、回し読みしたりする。
 
「へー。今月号のシックスティーンは旭川の街角で写真撮ったんだ」
「誰か知ってる子、写ってないかな」
 
などと、一部の女子が騒いでいた時、その騒ぎがピタリと停まる。
 
「どうしたの?」
と近くに居た京子が訊いた。
 
「ね、この子、見たことある気がしない?」
「どれどれ」
と言って覗き込んだ京子が
「あ、千里だ!」
と言う。
 
「あ、やはり、これ千里?」
 
「ちょっと本人、いらっしゃーい」
と言うので、千里も寄っていく。
 
「ほら、生徒手帳の写真見せなよ」
と京子が言うので開いて見せる。みんな見比べている。
 
「おお!同一人物だ」
と喜んだような声。
 
「これいつ撮ったの?」
「入学式の2日前。ボク入学式の午前中に髪を切ったから、長髪で写った最後の姿」
 
「隣に写っているのは彼氏?」
「うん。この日で別れたんだけどね」
「へー。もったいない。何か格好良い雰囲気の彼氏なのに」
「ボクが髪切っちゃうから、その姿は見せたくなかったから」
「ふーん」
 
「でも千里はその切った自分の髪でウィッグを作ったんだよ」
と京子がバラしちゃう。
 
「え?」
「ほら、これ。こないだ一緒に撮ったプリクラ」
 
と言って京子は先日、蓮菜・鮎奈と一緒に撮ったプリクラをみんなに見せる。
 
「おお! 可愛い!」
「長い髪だ」
「あれ? 女子制服着てない?」
「うん。千里は女子制服も持っているんだよ」
 
「だったら、千里、このウィッグ付けて、女子制服着て、学校に出ておいでよ」
「そうそう。その方が千里は問題が少ない」
 

千里が木曜の8時間目に受けることにした器楽の授業は、各自演奏できる楽器を練習して、各学期に1度、みんなの前で演奏しようという趣旨である。ソロ演奏でもいいし、何人か組んでの演奏でも良い。
 
千里は(留萌の神社で吹いていた)自分の龍笛と、美輪子叔母から借りたヴァイオリンを持って行った。
 
この時間は各自音楽室なり、音楽練習室で適当に練習していれば良いのだが、音楽の先生が、みんなの所を回って、聴いてくれたり簡単なアドバイスなどをしてくれる。
 
千里の龍笛を聴いた先生は
「凄く美しい演奏をするね。何だか天女が舞っているかのように聞こえたよ」
と褒めてくれた。
 
「村山さん、ファイフかフルートは吹ける?」
「やったことないです」
「フルートは高いから気軽には買えないけど、ファイフは2000円くらいだから買って練習してみない? 龍笛がこれだけ吹けたらきっとファイフも吹けるし、ファイフが吹けたら、フルートも始めるとすぐ吹けるようになるよ」
 
「わあ、2000円くらいなら、やってみてもいいかな」
 
先生は最初は千里を苗字で「村山さん」と呼んでいたものの、乗ってくると、他の女子生徒と同様に名前で「千里ちゃん」と呼ぶようになった。
 
龍笛の後、ヴァイオリンも聴いてもらう。
 
「完璧に自己流だ!」
と言って先生が笑っている。
 
「ヴァイオリン教室とかには通ってないの?」
「行ったことないです。母が持ってたヴァイオリンを適当に弾いてただけなので」
「でも自己流にしては音程が正確! 千里ちゃん凄く耳が良いんだね」
「でも私、絶対音感無いんですよー。調弦も調子笛無いとできないです」
「私も調子笛とかチューナーとか無いとできないよ!」
 
「私もヴァイオリンは専門じゃないんだけどね。少しは教えてあげられるかな」
 
と言って、先生は千里に演奏させて、その途中で左手に触ったりしながら、千里の演奏の悪い癖を治してくれた。
 
「千里ちゃん、少し移弦の練習もしてみようか」
「私、その移弦が苦手なんです! 隣の弦に行く時に、どこ押さえたらどの高さの音が出るか、一瞬分からなくなるんですよ」
 
「うん。そうみたい。千里ちゃんって音の高さを指の位置、三味線で言えば勘所(かんどころ)で覚えてるんじゃなくて、純粋に音の感覚で選んで押さえてる。絶対音感が無いというのは思い込み。実は自分でも気付かない所でちゃんと絶対音感は動作してる」
 
「そうですか!?」
 
「だって千里ちゃん、無伴奏で演奏しても音の高さが全然ずれないもん。移弦が苦手というのは単純な練習不足だと思う。苦手意識持たずに敢えて挑戦して克服しよう」
「はい」
 
「千里ちゃん、バスケの3ポイントが上手いし、ソフトボールのピッチャーも昔してたと言ってたね」
「はい」
「バスケで遠くからゴールを狙う感覚、ピッチャーでボールをキャッチャーミットに投げる感覚、それとヴァイオリンで正しい音の場所を見つける感覚、これが恐らく脳の同じところを使っているんだよ」
 
「ああ、そうかも!」
「だから、きっとヴァイオリンの練習はバスケの感覚を磨くのにも良い」
「面白い説ですね! でも頑張ります」
「うんうん」
 

その週は新入生の内科検診が行われた。胸部間接X線撮影と、内科医による診察を受ける。1時間目が1組、2時間目が2組、と1クラスずつ健診が行われる。千里たちの5組は、その順だと5時間目になるのだが、お昼を食べてあまり時間の経たない状態ではやりにくいということで、昼休み時間帯に健診を受けて、その後で昼休みという変則時間になった。
 
それで4時間目が終わってから、最初男子、その後女子ということで1階に降りて行く。保健室の先生が来て
「それでは5組男子、1階に降りて、玄関の所に停まっているレントゲン車の所に並んで下さい」
 
と言う。それで男子が席を立ち、ぞろぞろと降りて行こうとしたので千里も一緒に行こうとしたら
 
「村山何やってんの?」
「女子は後」
などと数人の男子から言われる。
 
「千里、そろそろ自分は女だという自覚を持とう」
と前の席の鮎奈に言われて肩を押さえられて椅子に座る。
 

男子が健診を受けている間は、自習なのだが、まじめに勉強している子は少数で大半がおしゃべりである。まだゴールデンウィーク中のネタが尽きてないので、旅行に行って来た子はその話題や、映画の話題、ライブに行ってきた子がいて、その話題まで出ていた。
 
やがて男子たちが戻って来て、保健室の先生も来て
「はい、次は女子の番です」
と言う。
 
それで千里も鮎奈たちと一緒に1階へと降りて行った。
 
男女の間はインターバルが必要なので、今日の健診は1組(女子クラス)→2組女子→2組男子→3組男子→3組女子→4組女子→4組男子→5組男子→5組女子→6組女子→6組男子、という形で組毎に男女の順序が逆転する方式で進められている。
 
結局おしゃべりしながらレントゲン車に並ぶ。
 
「中に入ったら上半身裸になってもらいます。それからエレキバン、絆創膏、などは外してください。髪が胸付近まである子は撮影の時、頭の方に上げておいてください。クリップ持ってない人は貸します」
 
と白衣の女性が説明する。
 
「ああ、女子は裸にならないといけないんだ?」
などと千里が言うので、鮎奈が
「千里、中学の時はまさか男子の方で受けたの?」
と訊く。
「うん」
と千里。
 
「男子はシャツを着ていていいらしいよ。だから千里も実は女の子であることを誤魔化せたんじゃない?」
と留実子が言う。
 
「なるほどー」
 
「ブラジャーのホックとか、キャミソールのビーズとかが写るから、女子はそれを脱がざるを得ないんだよね」
と後ろに並んでいる梨乃が言う。
 
「ということはノーブラでババシャツ着てる子は脱がなくてよかったりして?」
「誰かそういう子いる?」
 
「私、男物のシャツ着てこようかと思ったんだけどなー」
などと留実子が言っているが
 
「るみちゃん、女を捨てるのはまだ早い」
と留実子の性癖を知らない子から声が出ていた。
 

中に入って服を脱いでいると、先程の白衣の女性が
 
「妊娠中の人、妊娠の可能性のある人は、中に入った所に立ててある黄色い札を手に持って掲げてください。それを持っている人は撮影はせずに「はい、OKです」と普通に撮影したような声を掛けます」
 
と言った。女子高生だから、そういうのを恥ずかしがって申告せずにX線に曝される危険を避けようということなのだろう。
 
「千里、4月にHしたんでしょ? 妊娠の可能性は大丈夫?」
などと他の子から聞かれる。
 
「ちゃんと避妊したから大丈夫だよ。生理もその後来てるし」
と千里が平気な顔で答えると
 
「ん?」
と顔を見合わせる子たちがいる。鮎奈はもうこの手の千里の言葉には慣れてしまったので笑っているし、留実子などは黙殺している。
 

下は制服のスカート(千里はズボン)を穿いているのだが、みんな上は全部脱いでしまう。千里がキャミとブラを取ると、やはり視線が集まる。しかし千里自身は平然としている。
 
「千里・・・・」
「ん?」
「胸あるじゃん」
「うん。男みたいな胸かと思ったのに」
「これ女の子の胸だ。確かに小さいけど」
 
「いや、これは胸の無い女子に『男みたいな胸だね』とからかう程度の胸だよ」
「ああ、そうそう」
 
といった声があがる。
すると留実子が
「千里は小学6年生並みの胸なんだよ」
と言った。
 
「確かに、そんなものだ」
と納得の声。
 
「乳輪もけっこう発達してるもんね」
「うん。千里が女の子であることは確かだ」
 
「ちょっとその胸、サイズ測らせてよ」
などという声も出る。
 
メジャーを持っていた子が出して、千里の胸に当てる。
「アンダー73、トップ78・・・いや79かな」
「差が5-6cmといったら何カップ」
「AAAくらい?」
「そんなブラ売ってないから、AAカップでいいと思う」
「あるいはジュニアブラ着けるか」
「なんでこんなに胸が発達してるの?」
 
「そうだなあ。毎日牛乳飲んでるし、朝は納豆御飯食べてるし。イソフラボンが効くんだよ」
「納豆でこんなに胸大きくなるんだっけ?」
「うちの弟に食べさせて実験してみようかな」
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【女の子たちの友情と努力】(1)