【女の子たちの高校選択】(1)

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千里が中学3年(2005年)の秋。
 
千里は旭川の道立高校の受験を考えていた。
 
千里の進路について、千里と父との間で深刻な対立があった。父としては千里に漁師を継いで欲しいと考えていて、地元の実業系の高校を出て、船舶操縦士や無線技士の資格を取ったら船に乗って欲しいと言っていた。これに対して千里は札幌あたりの普通高校に進学して東京方面の大学に行きたいと言っていた。
 
父としても千里に体力や筋力が無いことは認識していたが、それは身体を鍛えてくれればいいと思っていた。その意味でも千里が中学でバスケット部に入ったことは歓迎していた。但し千里が《男子バスケット部》ではなく《女子バスケット部》に入っているということを父は知らない。
 
進路に関しては、結局母から、将来のことはいったん棚上げする形で、旭川あたりの普通高校に進学し、その後大学の理工学系の学部で学ぶという案が提示され、千里も父も了承したが、ここで父としては道内の大学に入り大学卒業後は留萌に戻ってきてくれることを期待する一方、千里としては東京方面の大学に進学してそのまま向こうに居座り漁師になる話はバックれるつもりで、その問題は時限爆弾のようなものであった。
 
また千里としては自分の生活が男女半々(千里的見解。友人たちの多くは既に100%女だと思っている)になっているのが不快で、実家から離れた所でフルタイム女の子として暮らしたいという気持ちもあった。
 
旭川あるいは札幌あたりの高校に進学するという場合、実はどこに住むかという問題もあった。札幌に適当な親戚がいればいいのだが、あいにく千里を下宿させてもらえそうな親戚が居ない。2DKのアパート暮らしであったり、近い年齢の子供が居たりする。
 
千里の場合、向こうの子供が女の子であれば向こうの親が「男の子」である千里を同じ屋根の下に置くのは不安だし、向こうの子供が男の子であれば、「実質女の子」である千里自身が安心して生活できないという問題がある。
 
そして同じ理由で千里は学校の寮に入ることもできない。男子寮に入るのは問題がある(だいたいお風呂にも入れない)し、女子寮には入れてくれないだろう。
 
それで結局下宿ができそうなのは、旭川に住む独身の美輪子叔母の所だけなのである。それもあって母も旭川の普通高校という線を千里に提示したのであった。
 
最初は旭川の私立N高校を考えていたのだが、やはり家庭の経済事情の問題で、私立は無理と母から言われ、道立高校の中で最もレベルの高いA高校を志望校として進路志望調査票には書いておいた。
 
ただ道立高校の場合、北海道は学区制があるので、学区外からの入学者枠は小さい。入るためには旭川の地元から進学する生徒より、かなり良い成績が必要である。千里はその枠に入る自信が無かったので、できたら私立でと思っていたのである。
 
母から「私立は無理だよ」と言われて以来、千里はかなり頑張って勉強してきた。しかしそれでも中3秋の時点で旭川のA高校はもとより、少し易しいM高校にも学区外枠で合格する自信は無かった。M高校よりもっと易しいW高校なら入る自信はあるのだが、W高校からは上位国立大学への合格者がほとんど出ていない。
 

 
受験の時期が段々迫ってくる中、千里は10月の連休(8-10日)、バスケット部の試合で旭川に出た。
 
千里はS中学《女子バスケット部》の部員である。1年生の春にちょっとした偶然と誤解の重なりで、女子バスケット部の試合に参加してしまって以来、千里は2年半、この部で活動してきた。むろん公式の試合には出場できないものの、練習試合では3ポイントシュートの名手として活躍して大量に点数を取っていたし、公式試合でも《監督》の名目でベンチには座っていたのである。
 
対戦相手の中には、試合前の練習で千里がポンポン調子良く3ポイントを決めるので「凄い選手がいる!」と思い、それを警戒した布陣で来るチームもあったが、彼女たちは最後の最後まで千里がコートに入らないので「なぜ!?」と疑問を持ったまま試合が終わる、などということも、しばしば起きていたようである。
 
千里が入部した時には千里も含めて部員がわずか6名だった女子バスケット部も、その後少しずつ部員が増えて、この時期には12名にもなっていた(それでもベンチ入り可能な15名より少ない)。そして今年の秋の大会では初めて地区予選を突破し、北北海道大会に出るために旭川まで出て来たのである。
 

初日、練習場になっている市の体育館で、やはり北北海道大会に出て来た男子バスケ部と試合形式で練習をした。
 
男子バスケ部の中心はセンターの田代君とパワーフォワードの鞠古君である。ふたりともフィジカルに強いので、乱戦の中からどんどん得点していく。それに1年生ながら3ポイント成功率の高い菱田君が遠くからゴールを奪う。当然男子の方がリードを広げていくのだが、女子の方も、ポイントガードの雪子が、千里と雅代の《ダブルシューター》のどちらか空いている方にパスしてこの2人が高確率で決めるパターンで追撃するし、センターの留実子、パワーフォワードの数子が男子でも押し分けてゴール下まで攻め入るパターンでボールをゴールにねじ込んでいく。それで15分間の試合形式練習は結局40対30という白熱したゲームとなった。
 
自分たちの練習時間が終わって、他の学校にコートを譲り、観覧席で少し休憩しながら他チームの練習を見ていたら、千里たちの所に、中年の男性がやってきた。
 
「留萌のS中学さん・・・かな?」
「はい、そうです」
 
「済みません、その9番の背番号を付けている人」
と声を掛けるので、千里が
「はい? 私ですか?」
と尋ねる。
 
「うんうん。君、3ポイントが凄いね。今見てたけど1本も外さなかったね」
「ええ、まあ」
 
「ああ、この子は凄いですよ。男子のシューターの菱田君と、よく3ポイント競争やってますけど、負けたことないもんね」
とキャプテンの数子が言う。
「そうだね。フリーで撃つ場合は、9割以上は決めるかな」
 
「それは凄い! 君、名前は?」
「村山千里ですが」
 
するとその人は名前をメモしている。
 
「君、3年生?」
「はい、そうです」
「高校はどこか行く所決めてる?」
 
「旭川の公立高校を狙っています」
「おぉ、旭川に来るつもりなんだ。推薦か何か?」
 
「いえ。推薦してもらえるほどの成績無いから、一般入試ですよ。でも学区外からの入学枠は小さいから大変」
 
「じゃ、どこかに誘われたりはしてないんだ?」
「そんな話あったらいいですけどね」
と言って千里は笑った。
 
「なるほどねぇ。あ、また追ってお話聞かせてもらってもいいかな?」
「話って何か分かりませんが、別に構いませんが」
「うんうん。あ、僕はこういうもの」
 
と言って、その男性は千里に名刺を渡して去って行った。
 
《N高校教諭・宇田正臣》
 
と書かれていた。N高校は旭川の私立高校である。
 
「ね、もしかして、千里スカウトされたのでは?」
と留実子。
 
「まさかぁ。だいたい私、医学的に女子じゃないし」
と千里が言うと、数子と雪子が顔を見合わせていた。
 

試合は初日の第1試合1回戦では数子や留実子のフォワード陣にシューター雅代の活躍もあり、81対38で快勝したが、午後からの2回戦では64対62と、僅差で敗れてしまった。
 
「あぁあ。初日敗退か」
「あとちょっとだったのに」
「千里が出ていればね〜」
「やはり千里が性転換してないのが悪い」
「無茶な」
 
それでホテルをキャンセルして留萌に帰ろうかなどと言っていた時、同様に初日敗退した旭川市内の中学から、練習試合の申し込みがあったのである。
 
「男子チームは明日もあるから、女子チームが残留してくれると練習相手にもなるし、受ける?」
と顧問の伊藤先生も言うので、予定通り1泊して明日その練習試合をすることになった。(ホテル代はキャンセルしても8割払わなければならない)
 

ホテルで1泊し、朝から男子チームの練習相手を務めた上で、お昼近くになって、その対戦相手の中学に行く。そこのメインの体育館は今回の試合の会場のひとつになっているのだが、小さめの第2体育館があり、そこで練習試合をするのである。
 
練習試合なので千里も出場する。雪子から千里・雅代の空いている方にパスしてそこから3ポイントを撃つ黄金パターンが作動する。他に、相手がゆっくり戻っていると見たら、千里から超ロングパスが数子・留実子の所に飛んで行き、そこからゴールを狙う。
 
相手チームも結構強いので、どんどん点数も取られるのだが、それ以上にこちらがどんどん取るので、試合は結局78対62で、S中の勝利となった。
 
握手してお互いの健闘を称え合ったが、その時千里は観客席に昨日声を掛けてきたN高校の先生がいたことに気がついた。
 

試合後控室で汗を掻いた下着を交換しながら話していた時に千里がその先生のことを言うと、
 
「え? N高校の先生がいた? 何でだろ?」
と数子も驚いたように言ったが、雪子が
 
「この中学のバスケ部の監督さんが、N高校の監督さんの弟だったりして」
などと言う。
 
「え?そうなの!?」
「いや、知らないですよ。適当に言っただけ」
「なーんだ」
 
「でももし関係があったのなら、今日の練習試合を申し込んで来たこと自体、千里を再度見るためだったのかもね」
などと留実子が言う。
 
「今日も千里さん3ポイントを1本も外しませんでしたね」
と雅代。
 

午後は男子の試合を観戦した。男子は千里たちが練習試合をやっていた頃に3回戦をやって勝っていたのだが、準々決勝で今年の春に優勝した学校と当たり大差で負けてしまった。
 
それで男子女子ともに2日目で帰ることになる。
 
3年生は実質この大会で活動はほぼ終了で、この後は練習も自由参加に近い形になる。練習の中心も2年生のリーダー格の子に移動する。女子チームでは雪子がキャプテンを継承予定である。
 
「田代君も鞠古君も、高校でもバスケやるの?」
「まあ、進学予定の所が入れてくれたらね」
と田代君が言う。
「同じく」
と鞠古君。
 
田代君は札幌のB高校を狙っているが、そこはバスケが結構強い所のようで入部試験に通らないとバスケ部には入ることができないと言う。ただ実際には田代君はそちらの部関係者と何度も接触しているようなので恐らく勧誘されているのだろう。それなら入部試験は免除かも知れない。鞠古君は地元のS高校に進学予定で、そこも男子バスケ部は入部試験があるが、鞠古君の実力があれば充分合格できるはずだ。
 
女子では、数子はS高校を考えているが、S高校には女子のバスケ部が無い。
 
「久子さんがS高校に居るし、C中から行った能美さんも居るし、その辺りを誘って同好会か何かでも作ったら?」
「うん、そういう手もあるよねー」
と数子は言う。
 
「るみちゃんも、やるでしょ?」
「そうだなあ。同好会作るんなら参加してもいいよ」
 
と留実子。留実子は元々はバスケ部ではなかったのだが、助っ人としてしばしば引っ張り出される内に、顧問の先生が「万一試合で怪我したりした場合のためにスポーツ保険に入れたいから」と言い、その都合で籍だけはバスケ部に置いといてもいいよ、ということにしたのである。それで普段の練習にも気が向いた時しか出てきていない。
 
留実子は本当は札幌か旭川に出たいようであるが、私立に行くお金は無いし、札幌や旭川の公立進学校に通る頭は無いしということで(実はそういう状況は千里も大差無い)、消極的選択で地元公立高校に行くつもりのようである。彼氏の鞠古君がS高校志望というのもある。
 
「千里は結局どこ受けるの?」
「本当は東大に毎年何人も入っているA高校に行きたいんだけどねー。やはり無理かなということで、M高校狙い。普通科と理数科を併願できるから、ひょっとすると理数科に滑り込めるかもという気もするんだよね。ただ理数科は学費が高くなりそうなのが問題」
 
「でも千里頑張ったよ。中学に入った頃は、成績は学年80人中40位くらいだったのが、今だいたい10位以内だもん」
「まあ小学校の頃にあまり勉強してなかったからだけどね」
 

そんな話をしながら留萌に戻った千里は、衝撃的な話を聞くことになった。
 
「ただいまー」
と言って帰宅すると、何だか父と母が険悪な顔をしている。ありゃー、また喧嘩したのかな? と思い、奥の部屋で漫画を読んでいる妹の玲羅のそばに言って「やらかしたの?」と小声で訊いたら
 
「お父ちゃん、失業するみたい」
などと言う。
 
結局、父は母と少しとげのある会話をした後で「ちょっと出てくる」と言って外出してしまった。
 
「お母ちゃん、御飯はまだ食べてない? 私が作るね」
と言って千里は台所に行き、御飯がジャーの中にあるのを確認すると、冷凍室から小海老の冷凍パックを出して解凍し、タマネギをみじん切りにしてチャーハンを作り始めた。
 
それをやっていたら母が来て
「ごめんね。お味噌汁でも作るね」
と言って、ワカメの味噌汁を作ってくれた。
 

それで晩御飯にする。
 
「お父ちゃんの船が廃船になるんだよ」
と母は言った。
 
「あらぁ・・・」
 
「それで清算するのに、うちもかなりお金を出さないといけないみたい」
「お金出すって、うちお金無いのでは?」
「だから大変なのよ」
「あぁ」
 
「それでさ、千里」
と母は切り出した。
 
「うん」
「あんたを高校に行かせるお金がどうしても無い」
と母は難しい顔をして言う。
 
「えーーー!?」
「さっきから少し考えていたんだけど、どうしても行きたいならさ、旭川のA高校かM高校あたりの定時制を考えてくれない?」
 
A高校・・・・。それは旭川の公立高校で最もレベルの高い所であるが、ここは実は定時制も持っている。しかし定時制は働きながらの通学になるし、最低4年間通わないといけないのはいいとしても、そこから東京方面の国立を狙うのは水準的にも勉強時間的にも、あまりにも困難すぎる。千里は自分の人生設計が根本から崩れるのを感じた。
 
「うん。少し考えてみる」
と千里は答えた。
 
だいたい働きながらって・・・・、私、男としては働きたくないけど、女として雇ってくれて、それで定時制への通学を認めてくれるような所、果たしてあるだろうか??
 
千里は目の前に巨大な壁が突然現れ、その向こうに行く道が見当たらないような感覚に襲われていた。
 

翌週の土曜、千里がバイトしている神社で少しぼーっとしていたら、上司の細川さんから「こら、魂が抜けてる」と言われてポンと頭を指で弾かれた。
 
「あ、すみません」
「何か悩み?」
「いえ大したことないのですが」
 
「筮竹をやってごらんよ」
「あ、そうですね」
 
それで千里は自分の愛用の筮竹を取り出すと、略筮方式で卦を出した。
 
水山蹇(すいざん・けん)の上爻変である。
 
「あらら、これはまた大変な卦が出たね」
と細川さん。
 
「完璧に行き詰まりですね」
と言って千里は苦笑する。蹇は易の四大難卦のひとつである。
 
「でも上爻変の爻辞は分かるよね?」
「はい。往かば蹇、来たれば碩。吉。大人を見るに利あり」
「碩の意味は分かる?」
「碩学(せきがく)の碩ですよね。その次の大人(たいじん)と同じで大きなものです」
 
「じゃ答えは分かるね」
「誰か手助けしてくれる人が現れるということですか」
「そそ。大物が助けてくれる。この卦は変爻が上爻に出ているから、もう目の前に壁があって、ここから先にはどうにも進めないということ。でも待っていると、物凄い人が助けてくれるってことだよ」
 
「それ期待するしかないです!」
 
「これ裏卦(りか)も面白いね」
「火沢睽(かたく・けい)ですね」(目癸で1字)
「もしかして病気か何か? これ手術を受けると問題が解決するということだよね」
と細川さんは心配そうに尋ねる。
 
手術ねぇ・・・・そうだなあ。性転換手術しちゃうと、事情が相当変わるよなあ、と千里は思った。
 
でもそもそも性転換手術を受けるお金が無い!!
 

神社のバイトが終わってから、買物をして帰ろうとスーパーに寄ったが、悩みが深くて全然買物が進まない。時計を見てやばっと思い、簡単にできるもので焼きそばの麺に、19円のもやし、1玉100円のキャベツ、グラム128円の豚肉800g程度を買う。シイタケも欲しいが高かったのでパスした。どうせ父も妹もお肉しか食べないし。野菜は主として母と自分用だ。
 
それでレジの方に向かおうとしていたら、バッタリと見知った顔に遭遇する。
 
「あら、千里ちゃん、今日はセーラー服じゃないの?」
「土曜ですし。敏さんは里帰りですか?」
 
それは親友・留実子の兄(実質的に姉)の敏数であった。札幌の美容師学校に通っている。
 
「うん。私、去勢しちゃったのがお父ちゃんにバレて、お父ちゃん凄い怒ってるから、叱られに帰って来た」
「去勢したんですか!」
 
「うん。先月ね」
「でもどうしてバレたんです」
「まあ自分で言っちゃったというか」
「なるほどー」
「まあ怒っているとはいっても殺されはしないだろうから、顔見せてたくさん叱られて、最後は一緒にお酒でも飲んであげればいいかな、と」
 
自分は去勢したりしたら父に殺されるかも知れないな、と千里は思う。
 
「敏さん、20歳の誕生日過ぎてましたっけ?」
「まだなんだよねー」
「お酒飲めるんですか?」
「世間的には18になったらお酒飲んでもいいという風習が」
「うーん。それに20歳前に去勢できたんですか?」
「ああ。親の承諾書を偽造してね」
「何かいろいろと問題が」
 
「千里ちゃんも、去勢したいんじゃない?」
「・・・」
「ふふふ。病院紹介してあげようか?」
「えー。でも私、20歳には見えないのでは?」
「童顔の18歳ということにして、私の知り合いを千里ちゃんの両親役に仕立てて同席させて同意書に医者の目の前で署名させれば」
「それはさすがに無茶です!」
 
「うん。さすがに少しやばいかもね」
「それに、私、そういう手術を受けるお金無いです」
「それは難儀だね。でもバイトで結構お金貯めてなかった?」
 
千里はだいたい土日に神社でバイトをしていたのだが、夏休み・春休み・冬休みなどはほぼ毎日出て行っている。そのお金は参考書などを買ったりする以外ではほとんど使っていないので、実は結構な金額のストックがあった。
 
「ちょっと別のことで使わないといけないかも知れないので」
 
この時点で、千里はそのバイトで貯めたお金で取り敢えず高校の入学金や教科書代などを払い、その後授業料は奨学金を受けるとともにバイトしながら払って、何とか全日制の高校に通えないかという方法を少し考えていたのである。
 
「ん?何か悩み事があるみたい」
「少し」
 
「相談に乗ろうか?」
「もしよかったら、後で電話で話せませんか? 私、お父ちゃんたちに御飯食べさせないと」
「あらあら、主婦はたいへんね。じゃさ、21時にうちに電話してくれない?電話が掛かってくると、こちらも叱られるのを水入りにできるから」
「はい」
 

敏数は車で帰省してきていたので、その車で家の近くまで送ってもらった。
 
「遅くなってごめーん」
と言ってホットプレートを出し、キャベツを切って食卓でお肉と野菜を焼き、焼きそばの麺を投入する。母もありあわせの人参とピーマンを切ってくれた。父は主としてお肉を食べている。妹はお肉も食べるし麺もどんどん食べる。千里は主としてもやしやキャベツなどを食べていた。
 
「千里、お前あまり肉食ってないだろ? だからそんなに細いんだぞ。好き嫌いせずに肉食わなきゃだめだぞ」
などと父が言う。
 
「うん。食べてるよ」
と千里は微笑んで父に答える。お肉は実は父と妹が食べる分くらいしか買ってない。自分や母が食べる分まで買うにはお金が足りない。千里はこういう買物の仕方をするようになったのは、いつ頃からだったかな、と古い記憶を辿ってみていた。
 
食事後、後片付けをしながら時計を見る。21時少し前の所でだいたいのキリを付け、寒くないようにダウンのジャケットを着て玄関に行き、21時に敏数の家(留実子の家)に電話した。父は結構な音量でテレビをつけている。玄関と居間の間の襖は閉めているので、大きな声を出したりしない限りは聞こえないだろう。
 
「ん?千里はどこに電話するんだ?」
と父が言ったが、玲羅が
「恋人のところじゃない?」
などと言う。
「なんだ、彼女がいるのか」
などと父は言っている。
 
まあ、今から話す相手は(一応)女性だろうけどね!
 
「はい、花和です」
と言って電話に出たのは留実子である。
「こんばんは−。千里だけど、お姉さんと代わってもらえる?」
「今、親父と凄い剣幕でやりあってるんだけど」
「それを水入りにしたいから電話してって言われたんだよ」
「了解」
 
それで少しして、敏数が出た。
 
「はろー。可愛い女子中学生の千里ちゃん、お悩み事は何かな?」
 

「うん。その考え方でいいと思うよ」
 
千里の話を聞いて、敏数は言った。
 
「定時制に行くにしてもバイトしながら勉強する。でも全日制に通いながらバイトで学資を稼ぐ手はあるよね」
と敏数。
 
「つまり平日の昼間働いて夜間学校に行くのか、平日の昼間学校に行って夜や土日に働くかの違いですよね?」
と千里。
 
「そうそう」
 
「ただ、夜間や土日限定で働いて、どのくらい学資が稼げるか、それが私には分からなくて。都会の事情とか全然知らないから」
 
「ね、千里ちゃん、それ男として働くつもり?女として働くつもり?」
 
「できたら女として働きたいんですけどねー。単価安いかも知れないけど」
「男女の賃金格差がひどいからね。でも女の方が仕事はあるよ」
「そうですか?」
「千里ちゃんなら、充分女で通ると思う。バッくれて女として働いちゃえばいいのよ。バレないから。保証人が必要なら、私サインしてもいいよ」
「それは凄く助かります」
 
「声変わりが来たらやばいけど、それまでに女声の出し方の練習を頑張りなよ。私も少し指導してあげるから」
「あ、それは教えて欲しいと思ってました」
 
「あるいは声変わりが来る前に去勢しちゃうかだな。私は20万円で手術したんだけど、10万円でやってくれる所も知ってるよ。そのくらいのお金は都合付かない?」
「10万円ですか?」
 
千里はびっくりした。その程度のお金で去勢できるなんて・・・・。ほんとにやっちゃいたいかも!?
 
「千里ちゃんの状況なら確実に奨学金は出るから、それとバイト代とで何とかなるかも知れないね。あんた少食だから食費もかからないだろうし。たださ、バイトしてたら勉強する時間無くなるよ」
「やはりそうですかね」
 
「勤労学生はだいたいどちらかになっちゃう。仕事をわりと適当にして学業に力を入れてる人と、学校には籍を置いてるだけで、仕事中心の人。両方ちゃんとできる人は、なかなか居ない。勤労学生やりながら東京方面の国立目指すのは事実上不可能だと思う」
 
と敏数は言う。こういう厳しいことを言ってくれる人はありがたい。
 
「でもそれを何とかする以外、私、道が無いから」
 
「そうだなあ。凄く効率のいいバイトなら知ってるけど。そういうバイトなら週に2回くらい勤めるだけで学費充分稼げる」
 
「どんなのですか?」
「男として働くか、女として働くか、という問題でさ」
「はい」
 
「オカマとして働く気はない?」
「へ?」
「あんたみたいな子が、オカマバーとかで働いたら、凄い人気になって高給もらえるよ。ファンになったお客から色々プレゼントとかももらえるだろうしさ」
 
「オカマバーですか!?」
「それなら、千里ちゃん、声変わりが来ても平気だよ」
「それ18歳以上なのでは?」
「誤魔化せば平気」
 
「だいたい、そんな所に勤めてること知られたら、学校をクビになります!」
 
「ああ、そうかも知れないね」
 

「あと1つ学資をそもそも免除してもらうという道もあるよ」
と敏数は言った。
 
「え?」
「特待生ってのは知らない?」
「あぁ!」
「一部の私立では特待生を取っている。これになることができたら、入学金とか授業料は要らない」
「でもそれ条件が厳しいのでは?」
 
「多くの学校は内申書で中3の2学期の成績が5教科オール5であることが必須」
「きゃー」
「あんたの中学、中間試験はいつ?」
「火曜日からです」
「取り敢えずそれで5教科満点取るつもりで行こう」
「ひぃー」
「でもそれで物凄く有利になるよ」
「確かに」
 
「旭川の私立で特待生があるのは、確かT高校、N高校、E女子高、L女子高あたり。あ、あんたL女子高に行けば? あそこバスケ強いから」
 
「バスケより私、東京方面の大学に行きたいです」
「だったらE女子高の方かな。たしか校内の成績が20位以内くらいであったら特待生で居続けられるはず」
 
「E女子高はちょっと入りたいなと思ったことあるけど、どっちみち女子高は入れてくれません」
 
「入学までに性転換しますと言っておけばいいよ」
「性転換したいけど、手術代が無いです。それに親が同意してくれません」
 
「難儀ね〜。取り敢えず睾丸は取っちゃいなさいよ。さっきは10万円の所言ったけど、逆に30万円するけど、年齢誤魔化してもあまりうるさく言わない病院も知ってるよ」
「うーん・・・」
「睾丸を取ってたら、まだ性転換してなくても入れてくれるかもよ。あんたの外見なら」
「ほんとにこっそり取っちゃおうかな・・・・」
「その気になったらいつでも言って。紹介してあげるから」
 

敏数との話で問題は解決しなかったものの、千里は少しだけ、物凄く細い道が開けたかも知れないという気持ちになれた。それでその晩は数日ぶりにぐっすり寝ることができた。
 
そして千里はその晩、夢を見ていた。
 
セーラー服を着て、E女子高の試験を受けていた。ここは鞠古君のお姉さん・花江さんが通っていた高校である。旭川市内で1・2を争う進学校である。試験は結構いい感じで解けた。
 
そしたら
「あなたは成績が優秀だから特待生にします。授業料は要りませんよ」
と言われた。
 
「嬉しいです。よろしくお願いします」
と答える。すると
「入学前に健康診断を受けてください」
と言われた。
 

それで病院に行くと、お医者さんが「上半身脱いでください」というので、セーラー服の上、ブラウス、キャミを脱ぎ、ブラを外す。お医者さんは聴診器を当てていたが
 
「心音とかは問題無いですね。でも君、胸の発達が遅いね。生理はちゃんと来てる?」
と訊かれるので
「ええ。一応規則的には来てます」
と答える。
 
「ちょっと婦人科検診をしよう。スカートはそのままでいいですから、ショーツだけ脱いで、そこの内診台に乗って」
と言われる。
 
きゃー!これに乗るの?
 
と思ったが素直にショーツを脱ぎ、そこに乗る。看護婦さんがカーテンを閉めてくれた。乗ると身体が沈んで腰が上がる。わっ!と思う。持ち上げられると足が開く! いゃーん。
 
医師は千里の性器をいじっていた。
 
「君、変な物が付いてるね」
「ちょっと邪魔ですけどね」
「これはいけないね。こういうものが付いてると女性ホルモンがきちんと働かないんだよ。おっぱいが最低Aカップあることが女子高入学の条件だから。いっそこれ取っちゃおうか?」
「あ、はい。お願いします」
 
カーテンは開かれてしまった。そして内診台に乗せられたまま、手術用の無影灯であの付近を照らされる。
「麻酔打つから痛くないよ」
と言われる。
 
「この辺、感触ある?」
「いいえ」
「じゃ、手術を始めよう。これ生理が出てくる時も邪魔でしょ?こういう邪魔なものは取っちゃうね」
 
と医師は言い、陰嚢をメスで切開する。そして中にある卵形の物体を外に引き出すと、身体と繋がっている部分をハサミでチョキンと切り離した。更にもう1個の卵形の物体を取り出して切り離す。
 
「こんなのが付いてると男性ホルモンの濃度が高くなって、ドーピングとか疑われることもあるからね。特にスポーツする子は早めに取っちゃった方がいいんだよ」
と医師は言っている。
 
医師は更にそこから細いメスを体内に侵入させていく。
 
「このまるで男の子のおちんちんみたいに見えるやつ、根元からきれいに切らないとね。表面に出ているところだけ切っても体内に根っこが残っていて、それがセックス中に勃起して相手の男性を困惑させることがあるんだよ」
 
へー。それは確かに邪魔だろうな。
 
医師はその根元を切り離した物体をそのまま身体から分離した。残った皮膚を折りたたんで縫い合わせると、割れ目ちゃんみたいになった。
 
「よし。根元から切ったから大丈夫だよ。男の子とのセックスが随分やりやすくなるはずだから。あとこんなのが付いてたら、お風呂に入った時に男と間違われて通報されるからね。ふつう、幼稚園くらいの内に切っておいたほうがいいんだけど」
 
幼稚園の内に切っておきたかったよう、と思う。
 
「これで入学する頃までには、もっとバストが発達するから、女子高生生活をするのにも支障が無くなるね」
 
わあ、良かったぁ!と千里は思った。無影灯の光がまぶしかった。
 

まぶしいなと思ったら、それは月の満ち欠けのように欠け始めた。
 
まるで日食みたい・・・
 
と思ったら、千里はどこか地球の外から、日食の起きている地帯を眺めていた。日食の皆既帯が地表を走る。良く見ると、北海道の自分が住んでいる留萌の少し南東付近から始まり、深川市・十勝岳・帯広市付近を通って、太平洋側に抜ける。
 
日食の中ではまるで夜になったかのよう暗くなり、鳥が騒いでいる。千里はそれを今度は地上で眺めていた。
 
1時間ほどの日食が終わり、ダイヤモンドリングが一瞬光り、明るさが戻る。そして再び明るくなった太陽は、まるでバスケットのボールのように見えた。千里はそれをつかむと、ゴールに放り込んだ。
 
審判がスリーポイントゴールの笛を吹いたので目覚めた。
 
目覚めた時、まだその笛の音が耳に残っていた。
 

千里は今夢の中に現れた軌跡の場所に行ってみたい気がした。
 
日曜日の神社のバイトは午後からである。それで朝8時の留萌本線に飛び乗り9時頃深川に着いた。深川を11時の汽車に乗ると12時に留萌に戻れて神社のバイトには間に合う。その2時間で「何か」を見つけたかった。
 
千里はこの日、中学の女子制服を着ていた。自分が見つけたい「何か」に対峙する時に「正装」でなければならない気がしたからである。千里は本当は学生服が正装かも知れないが、自分自身の気持ちとしては、このセーラー服の方が、むしろ自分の本来の服という意識がある。
 
駅を出てから、少しだけ迷ったが
「こっちかな」
と感じて、駅前からまっすぐ国道の方へ歩いて行く。10分ほど歩くと目の前に石狩川がある。千里はその雄大な流れを、じっと見ていた。
 

そのまま恐らくは30分近く流れを見ていたのではなかろうか。
 
千里は突然の車のクラクションに、そちらを見る。正確にはクラクションは何度か鳴らされたみたいで、千里は《りくちゃん》から「おーい、千里、意識戻せ」という声が掛けられて、やっとそちらを見た。
 
「君、確か村山君だったね?」
と車の窓から乗り出して笑顔で訊いたのは、先日のバスケの試合の時に千里に声を掛けてきた、N高校の宇田先生だった。
 
「もしよかったら、お茶でも飲みながら話さない?」
と言われて、千里は先生の車に乗り、近くの洋食屋さんに入る。
 
「僕はまだ朝御飯食べてなくて、モーニングセット頼んじゃうけど、村山君はどうする?」
「あ、じゃ私もそれで」
 
ということでモーニングセットのハンバーグとスパゲティにサラダ、コーヒーか紅茶というセットを2つ頼む。先生はコーヒーを頼んで砂糖とミルクをたっぷり入れるが、千里は紅茶を頼んで砂糖は入れずに飲む。
 
「いや、中学の有力な子はだいたいマークしていたつもりだったんだけど、君はこれまでノーマークだったんだよ」
と先生は言う。
 
「そうですね。うちは弱小だったから、これまで北北海道大会とか出て行ったことなかったから」
と千里。
「私が入った年は部員が6人しか居なかったんですよ。今年やっと12人です。うち男子の方は強いんですが、女子は人数確保が大変で」
 
「6人だと交替もままならないよね」
「ええ。女子はやはりスタミナの無い子も多くて、前半は良いゲームしてても後半で大差付けられるケースがよくあったんです」
「ああ、そうだよね。32分間走り回るのは凄いハードだもん」
「ええ」
 
しばらくバスケに関して色々話をした所で、先生が言う。
 
「まあ、それで本題なんだけどさ。ズバリ、村山君、うちの高校に来る気ない?」
と先生は言った。
 
きゃー、本当にスカウトされちゃったよ。どうしよう?
 
「N高校は友だちのお姉さんが以前在学していたから、結構親近感はあったんですけどね」
「おお、だったら是非」
 
「私もその頃、N高校に行けたらいいな、なんて言ってたら、そのお姉さんが卒業する時に、制服まで譲って頂いたんですよ」
「それはちょうどいい。ぜひ、うちに来てバスケ部に入ってよ」
と宇田先生はニコニコとした顔で言う。
 

「でもうち貧乏だから、やはり私立にやるお金無いと言われて」
と千里は言う。
 
本当は私立どころか公立にもやれないなんて話になってるんだけどね。
 
「そうだなあ。確かに公立よりは授業料高いけど、うちはOG会がしっかりしてるから、どうかした私立みたいに寄付金だのなんだで生徒から大量にお金巻き上げたりはしないよ」
 
確かにそういう二言目には金、金、と言う私立も結構ある。でもOG会か。N高校は10年ほど前までは女子高だったのでOBよりOGの方が遥かに多い。卒業生の中に割と売れてる女性歌手や女性漫画家、女性実業家などもいる。そういう人たちが母校に寄付してくれているのだろう。
 
「でも最近、お魚の水揚げが減っているみたいで」
「ああ、君、漁師の娘さん?」
「はい。お前が男だったら、跡を継いでもらうんだが、とよく言われてました」
「まあ、さすがに女に漁師を継げとは言わないだろうね」
 
と先生はにこやかである。
 
「君、勉強の方の成績はどのくらい? 夏の模試受けた?」
「はい。8月末の模試は偏差値68でした」
「優秀じゃん!」
 
自分が旭川市内に住んでいればA高校にだって充分通る成績だと千里は思っていた。しかし学区外からの受験者のレベルは高い。正直合格はかなり微妙だと思っていた。
 
「でも旭川の公立に入るには各教科もうあと5点くらいずつ点数を積み上げないときついんですよ」
 
「いや、それだけの成績があるなら、君、うちの特待生になれると思う」
と先生が言った。
 
「特待生?」
「うん。特待生なら授業料は要らないよ」
「え?でも特待生って偏差値72くらいは越えてないといけないのでは?」
「うん。それは学力特待生だね。でもスポーツ特待生というのもあるんだよ」
「あぁ!」
 
「むろんスポーツ特待生でもある程度の成績は求められるし、良い成績を維持してないと在学中に特待生の資格を失うけどね」
「それは頑張ります」
 
「教材費とか生徒会費とかで若干払うことにはなるけど、公立に行くよりずっと安く済む。君、制服をお友だちから譲ってもらっているのなら制服代も要らないしね」
「わぁ・・・」
 
「純粋な学力枠では、東大に行けそうなくらいに優秀な子を入れるんだけど、その他に、芸術枠と言って音楽の才能のある子とか、スポーツ枠と言ってスポーツに優秀な子で、成績もそこそこに良い子とかを入れるんだよ。バスケ部は、この枠を男女2人ずつ持っているんだ」
 
N高バスケ部は男女ともいつも地区大会上位の成績である。男子は道大会まで数回行った程度だが、女子は更に道大会を通過してインターハイやウィンターカップにも出場している。それでそんなに枠を持っているのだろう。
 
「その枠の1つを私にですか?」
「うんうん」
と先生はニコニコ顔で言う。
 
「実際問題としてバスケが出来て成績も優秀な子というのはそうそう居ないけど枠を使わなかったら減らされるから毎年実は苦労している」
「へー」
 
「どうかした学校なら道外とかからもスカウトしてくるんだけど、うちは道内の中学出身者しか特待生にはしないポリシーだから結構大変でね。君の御両親とも一度お話ししたいなあ。僕、今日は深川で用事があるんだけど、明日か明後日の夕方とか時間が取れないかな」
と先生。
 

わぁ、でも私、その男2・女2の、どちらの枠なのかしら? でも明日は父は船が出ていて夕方は居ない。どうせなら母だけと話す方がまだマシだよな、と千里は思った。
 
「私も今日は午後からバイトに行くので時間取れませんが、明日の夕方、18時以降なら大丈夫だと思います。父は船が出ているので母しか居ませんが」
 
「うんうん。最初はそれでもいいよ。お父さんの方にはまた改めて挨拶するということで。でもバイトって何してるの?」
 
「あ、神社の巫女さんです」
「へー!」
「それで髪も長くしてるんですよ」
「なるほど!」
 
「ついでに占いとかもしてます。失せ物とかよく占ってます」
「おお、凄い」
 
と言ってから先生は
「ね、僕、朝から名刺入れが見つからなくて困っていたんだけど、その場所とか見つけられる?」
 
「占ってみます」
と言って千里はバッグの中から愛用のバーバラウォーカーのタロットを取り出す。手の中でシャッフルしてから1枚引いた。聖杯の王女(エレーヌ)が出た。アーサー王伝説でランスロットと一夜を過ごしガラハッドを産んだ女性である。カードの中のエレーヌは赤い杯を手にしている。
 
「何か入れ物の中ですね」
と言って、更に1枚カードを引くとペンタクルの4が出る。絵としては城塞が描かれているのだが、千里には4つのペンタクルが自動車の四輪のように思えた。
 
「車の中です」
と言った時、そのカードの中に描かれている城塞が小物入れか何かのようにも思えてきた。
 
「あれ、何と言いますかね。運転席と助手席の間というか、前座席と後座席の間のふたが開く小物入れ」
「コンソールボックスかな?」
「それの上段トレイ」
 
「あ、探してる時、下段しか開けてない!」
 
それでお店を出て車に戻ってみてから、そこを開けてみると、本当にそこに名刺入れはあった。
 
「凄いね!君」
「偶然です」
と言って千里はニコッとした。
 

「ね、僕気が変わった。今日ならお父さんも居るんだよね?」
「はい」
「深川の用事を早めに切り上げて今日の夕方そちらに行くよ」
「え!?」
 
「君、巫女さんのバイトは何時に終わるの?」
「えっと4時までなので4時半には上がれます」
 
「じゃさ、その時刻に神社に迎えに行くよ」
「あ、私、その後、晩御飯の買物して自宅に戻るので」
「ああ。御飯なら、どこかで一緒に食事でもしながら話さない? むろん僕のおごりで」
「きゃあ、済みません」
 
しかし、いきなり両親に合わせるのは・・・・色々問題があるぞ。
 
「あの、私自身、もう少し色々お話を聞きたいし、良かったらバイトが終わってから、少しお話しして、そのあと両親と会うというのでは」
「うん。それがいいかもね。じゃ、神社のバイトの後、どこかケンタッキーかどこかででも君と話して、その後、適当な料理店で御両親も交えて話すというのはどうだろう?」
 
「あ、はい、それなら」
 

神社でバイトをしていたら、途中でボーイフレンドの貴司がやってきた。彼は千里の上司の細川さんの息子でS高校に通っている。1年生ながらバスケ部のレギュラーである。
 
「あれ? もう練習終わったの?」
と千里が言うと
 
「うん。今日は体育館が電気系統の工事するとかで、使えなくて」
「へー。あと1時間半くらいだから、その辺で適当にしてて」
「うん。適当にしてる」
 
と言って、貴司は千里の机のそばの床に座り込んで持参の漫画を読み始めた。
 
「貴司、勉強している所を見たことない」
「まあ、僕は大学に行くつもりはないから」
「ふーん。将来何になるの?」
「なんだろうなあ。やはり旭川か札幌に出て会社勤めかな」
「へー。貴司はその気になったら集中力あるし、スポーツやってたというと企業とかの人事担当には受けが良いかもね」
 
「千里は高校は旭川に出たいと言ってたよな」
「うん。それなんだけど・・・・」
 
と千里が話しかけた時、祈祷のお客さんが来たので神職さんと一緒に神殿に行く。
 
神殿に上がる前のお客さんに大麻(おおぬさ)を振り、清める。神殿に昇り、神職さんが祝詞をあげる間、別の神職さんが太鼓を叩き、千里は龍笛を吹く。また玉串奉納の時にお客さんに榊を渡す。その後、鈴を振って、鈴祓いをする。最後はお守りや御神酒などの入っている袋を渡す。
 
一連のお仕事が終わって事務室に戻る。
 
「千里、仕事する時に雰囲気変わるよね」
と貴司が言う。
 
「そうかな?」
と千里は言ったが
 
「うん、そうそう。パッと変わる」
と貴司のお母さんも言う。
 
「千里、1on1やる時に、凄い気合いだからさ、しばしば相手は気合い負けして抜かれてしまう。まあ、僕は負けないけどね。でも普段の千里ってむしろ透明なんだ。そこに居ることに気付かないくらいに気配が無い」
と貴司。
 
「うん。だから、私はこの子、巫女の素質があると思うんだよね」
と貴司のお母さん。
 
 
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【女の子たちの高校選択】(1)