【女の子たちの二次試験】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-09-13
身体を洗ってから、玲央美と一緒に浴槽につかる。
「この旅館に入る時、一瞬思ったけど、もしかして親戚か何か?」
「全然。私、九州には親戚はいなかったはず」
「偶然の一致か。でもどうやってここ見付けたの?」
「勘」
「すごーい! 道内ならまだしも、九州まで来たのに」
「九州、福岡県、八女郡までは実は占いで見当を付けた。その後少し考えてこの矢部村がいちばん怪しいと思った。そして現地まで来て、背の高い女の子見ませんでしたか?と訊いたら、教えてもらった」
「うん。私って背が高いから目立つんだよね」
「おかげで捕獲できた。実は18時までにレオちゃんの居場所が分からなかったら、警察に捜索願いを出すなんて話になってたんだよ。ぎりぎりセーフ」
「わあ、ごめーん」
「一緒に帰ろうよ」
「わざわざこんな所まで呼びに来てくれたんなら帰るしかないかな」
ふたりはしばらくお土産何にしよう?なんて話をしていた。
「私が何で逃げ出したかって、千里訊かないのね」
と唐突に玲央美は言った。
「訊いて欲しい?」
「実は私もよく分からなくて」
「まあそんなこともあるよ」
「何となく昨日学校に行きたくない気がしたんだよねー。それでふらふらと空港に行って、見たら福岡行きがあったから乗っちゃって。そのあと適当にバス乗り継いでいったらここに来ちゃったのよね」
「昨夜はどこに泊まったの?」
「高速の広川SAで一晩あかした」
「女の子がそれやると危ないよ」
「私、背が高いし腕も太いからニューハーフと思われたかも」
「まあでも性別の誤解はよくあることだよね」
「まあ仕方ないね」
お風呂から上がった所で、旅館の人に許可を取って、中庭で花火をした。
「ほんとに花火持って来てくれたんだ?」
「まあそんな話をメールしていたからね」
「こんな時期に花火ができるとは思わなかった」
と玲央美は言っていたが、暗がりでよく分からないものの、玲央美は涙を流しているようであった。
「線香花火ってきれいだね」
「凄くはかないけどね」
「うん。ちょっと揺らしただけで落ちてしまう」
「人間もちょっとしたことで死んじゃうからなあ」
「うん。自分も線香花火なのか知れないと思うことあるよ。人間って本当にあっけない」
千里はもしかして玲央美の知り合いの誰かが亡くなったのでは?ひょっとしてそれが失踪のきっかけか?というのも考えた。
「でもほら、こちらの花火は勢いよく出てる」
「元気だよね。でもすぐ消えちゃう」
「私たちが輝ける時も一瞬なのかもね」
「かもねー」
「玲央美、Wリーグに行ったら? 大学なんかに行っても玲央美の才能を活かせるほどの選手は居ないよ」
「うん。実はそうかも知れないという気がしたんだよ」
「どこか好みのチームないの? いくつかのチームから声掛けられてるんでしょ?」
「実はスカイ・スクイレルもいいなと思っているんだ」
「ほほぉ!」
「今はまだリーグ下位だけど、だからこそこれから伸びていく可能性もある。しかもスモールフォワードのレギュラーさんが今期いっぱいで引退するという話なんだよね。その後釜を狙おうかと」
「そうだよね。レオちゃん、P高校ではセンターの登録だったけど、実際にはU18で登録されていたようにスモールフォワード的だもん」
「ちょっと札幌帰ったら十勝先生と話し合ってみる」
「うん。頑張ってね」
花火をした後はしっかり水を掛けて、袋にまとめてからゴミの処理は旅館の人にお願いした上で部屋に戻った。博多で買って来たお菓子など出して一緒に食べる。それで少し落ち着いたようなので、心配してるからお兄さんと高田コーチにだけは電話しなよと勧めた。
玲央美が電話する姿勢なので、千里は部屋を出て玲央美をひとりにしてあげた。ただし変な事をしないように、《すーちゃん》にガードさせた。
15分ほどしてから、玲央美がロビーに降りてきて2人と電話で話したことを言ったが、玲央美はまた泣いた跡があった。
その後、一緒に夕食を頂いたが、《こうちゃん》には今の内にお風呂入って来なよと唆した。
「男の客は2組入ってるけど、女のお客さんは私たちだけらしいよ。だから誰にも見られないよ」
「そうだなあ。じゃ行ってくるか」
「くれぐれも男湯に入っちゃだめだよ。女湯に入りなさいよ」
と千里が言うと
「覚悟決めて入ってくる」
と言って、《こうちゃん》はお風呂場のある別棟に行った。
「ね、まさかあの人、男?」
と玲央美が訊く。
「ふつうの男の人だよ。なりゆきで女のコスプレしてるだけ」
「コスプレなんだ!」
「そそ。女装趣味があるわけじゃないから」
「でもあの格好で男湯に入ろうとしたらパニックを起こすね」
「そうだね」
「でもちゃんと女の声で話していたね」
と言ってから、玲央美は、あれ?という表情になる。
「自分のことで頭がいっぱいで気づかなかった。千里、声が変」
と玲央美。
「声変わりしちゃったんだよ」
「へー。でも大人っぽい声になってる」
「実はこういう声も出る」
と千里は男声を出してみせる。
「何〜〜〜!?」
「いや、1月13日の朝起きたら、突然声が2オクターブ低くなってて焦ったこと、焦ったこと」
と千里は女声に戻して言う。
「なんでこんな時期に声変わりが。睾丸は無いよね?」
「とっくの昔に取ってるけどね。だからしばらくは」
と言って
「こんな感じの声で話してた」
と《ささやき声》で言う。
「あ、その声は性別が曖昧」
「そうそう。このささやくような声は響きが無いから誤魔化しやすい。男声と女声のいちばんの違いは実はピッチよりも響きや話し方なんだよね」
「でも何とか頑張ってこういう声の出し方を見付けたんだよ」
と千里はちゃんと女声で言う。
「男の声も女の声も出たら、けっこう便利かも知れない」
「いや、この声を見付け出すまでは、どうしようかと思った」
「ああ、本人としてはパニックだったろうね?」
「見た目が女でも声が男だったら、ニューハーフってバレバレだし」
「ああ、でも当事者さんは大変そう」
「ちゃんと女の声が出るニューハーフさんは実はかなり少数派なんだよ」
「やはり練習たいへんなんだろうね」
「もしかしたらそもそもの素質もあるのかも知れない」
「そのあたりは分からないね」
食事が終わった所で旅館から時刻表を借りて帰りの便を調べる。
「福岡1055-1305新千歳、って便があるからそれで帰りなよ」
「うん。そうしようかな。千里は?」
「私、明日東京で入試があるんだよ」
「嘘!?」
「9:30に集合なんだよね。福岡からの第1便 福岡710-835羽田では間に合わないから、北九州530-655羽田、を使うしかないと思う」
「ごめーん。そんな日にわざわざ九州まで来てくれて」
「私の大好きなレオちゃんのためだもん。頑張るよ」
「今、マジで告白された気がした」
「ちんちんは付いてないから多分襲うことはないと思うし心配しないで」
「千里に万一ちんちんが付いてたら世界がひっくり返る騒ぎになるな」
「それみんなから言われる」
「ふふふ」
「ここから北九州空港まで3時間で行けるから、5:30の便に乗るにはこちらを念のため12時すぎに出れば大丈夫だと思う」
「夜中に出るのか」
「レオちゃんは車内で寝てて。うちのお姉様に、私を北九州空港で降ろした後、レオちゃんを福岡空港まで送ってもらって、そのまま札幌まで付き添ってもらう」
「逃亡しないように監視役なのね」
と玲央美は苦笑しながら言う。
「当然。ここで逃げられたら、私責任取って切腹しないといけない」
「大丈夫。逃げないよ。あ。でも千里が北九州空港発の便に乗るんなら、私も一緒にそちらに乗ってもいいかも」
「あ、それでもいいか」
確認すると、羽田945-1120新千歳に連絡できるようである。それで飛行機を予約した上で、旅館には飛行機の便の都合で夜12時すぎに出発する旨を伝え、先に精算してもらうことにした。すると旅館の人は「夜道お気を付けて」と言い、サービスでおにぎりを作ってくれた。
出発までの時間仮眠することにする。ちなみに布団の並びは奥から玲央美・千里・《こうちゃん》である。
やがて11時半になったので千里は自分を覚醒させ、まず荷物を積み込んでから《こうちゃん》を起こそうとしたのだが・・・・
寝てる!?
『こうちゃん、こうちゃん』
と起こそうとするのだが、どうしても起きない。
困った!
『大阪でいろいろ工作してたみたいだからなあ』
『青龍に貴司君からあの子へのメールを改竄させたりとか』
『色々な女の子を貴司君の周囲に出現させてわざと尾行させてとか』
『今日は久留米からここまで山道を運転してるし』
『千里が運転するしかないよ』
と《いんちゃん》が言う。
『しょうがないなあ。じゃ、りくちゃん、この子を取り敢えず車の中に積み込んで』
『荷室でもいい?』
『取り敢えず助手席』
『へいへい』
それで《こうちゃん》を助手席に「積み込む」。
『こいつ何の夢見てるんだ。スカートがテント張ってるぞ』
『男の娘ってたいへんね』
と言ってから千里はふと疑問を感じて
『この子、下着はどうしてんの?』
と訊いた。
『女の子下着を楽しそうに着てたよ』
『あまり想像したくないシーンだ』
シートベルトを掛けてから、玲央美を起こしにいく。
「悪いけど出発の時刻。後部座席で寝てていいから」
「うん。寝てる」
それで玲央美は寝ぼけ半分の状態で車に乗り、後部座席で一応シートベルトはしたまま身体を横にして眠ってしまった。《たいちゃん》に用意してもらった毛布を掛けてあげる。テリオスの狭い室内が、身体の大きな玲央美には少々きつそうだ。
千里は旅館の人に挨拶してから車の運転席に乗り込む。
ほんとにおまわりさんに捕まりませんように!
と祈ってから出発した。
矢部村から北九州空港に行く場合、久留米・博多経由で九州自動車道を北上するルートと、矢部村から鯛尾金山の方に出て九重町から別府市を通り、九州東岸を北上するルートがある。
しかし《いんちゃん》が「夜中に鯛尾金山を越えるのは千里の腕では無理」と言い、また田舎道はカーナビが表示する時間では実際には走れないよと言ったので、来た道を戻り、広川ICから九州自動車道を北上するルートを取った。
高速に乗る前にいったん筑後市内のコンビニで休憩したが、玲央美も《こうちゃん》も熟睡していて全く起きない。自動車道に乗った後、古賀SAで休憩した時にやっと玲央美が起きた。
「トイレ行った後、お土産買おうよ」
「あ、いいね」
それで適当な九州のお菓子を選んで、車に戻ったのだが・・・
「あれ? 千里が運転してるの?」
「うん。お姉様が熟睡していて起きないんだもん」
「ふーん」
と言って玲央美は後部座席に戻って、またうとうとしていたが・・・
「千里、運転免許いつ取ったんだっけ?」
と訊く。
「3月に卒業したあと取るつもり。一応自動車学校の仮予約だけ入れてる。私、誕生日が3月なんだよねー」
と言うと、笑っていた。
千里は九州自動車道を更に走り、北九州JCTで東九州自動車道に入り、苅田北九州空港ICから空港連絡道路に入って21日午前4時前に、北九州空港に到着した。
千里たちは降りなければならないのだが、まだ《こうちゃん》は起きない。それでとうとう《りくちゃん》に「逆鱗」を叩かれて「ぎゃーっ」と凄い声を出してやっと起きた。
「すまん。すまん。じゃ出発しようか」
と《こうちゃん》は地声で言う。
「男になってるけど?」
「あ、しまった。これで女に聞こえる?」
「OKOK。女の声になってるよ。ついでに、もう北九州空港だけど」
「あれ〜?」
「じゃ、ガソリンを満タンにして8時すぎたら車を返却してから帰ってね」
と言って精算用の現金を渡す。
「すまーん! 面目ない」
と《こうちゃん》はマジで謝っていた。
千里はどちらかというと寝ておきたかったのだが、玲央美は一晩ぐっすり寝たことで気力を回復し、むしろしゃべりたいようであったので、おしゃべりに付き合うことになる。
玲央美は最初お母さんとの確執の一端を語った。お母さんとはうまく行ってないんだろうな、というのは以前から感じていたのだが、やはり色々あったようである。虐待されていた訳ではないが、本当にお互い相性が悪かったという感じである。
「兄貴が居なかったら、私は小学生か中学生くらいで自殺していたかも知れない」
と玲央美は涙を浮かべながら言っていた。
きっと玲央美は孤独な人生の中でバスケットというものと遭遇したことで自分の居場所を見付けたのだろう。札幌P高校というもの自体が北海道でバスケをする女子にとっては最高峰の場所。その最高峰の場所でMVPをいくつも取って最高を極めて、その高校でのバスケット生活が終わって、燃え尽き症候群に陥るのも自然かも知れないと千里は思った。
「高田コーチが私も玲央美もU19世界選手権の代表に招集するって言ってたけどどうする?」
「それなんだよねー。U18アジア選手権で初優勝を達成して、何かそこで美しく終わっておきたい気分で」
「世界は強いだろうね」
「強かったよ」
「そうか!2007年のU19世界選手権に出たんだったね」
「千里も世界のレベルは一度経験しておいた方がいいかもよ」
「私、逃げようと思ってたんだけどねー」
「どうやって逃げるの?」
「高田コーチは縄付けて引っ張っていくと言ってた」
「うーん。ほんとにショッカーの戦闘員みたいなのが出てきて連行されたりして」
「高田コーチも得体が知れないな」
「じゃ、今度逃げる時は一緒に逃げようよ」
と玲央美は言う。
「そうだね。でも一緒に捕まったりしてね」
「ふふふ」
その後は、中学高校6年間の色々なバスケットの思い出を玲央美が語るのの聞き役に徹した。やはりバスケのことを語る時は、この子、本当に幸せそうという気がする。このあたりって貴司とも似てるよなと千里は思う。貴司にしても玲央美にしても、バスケットが生活の100%を占めているんだ。
あ、貴司の場合は1%くらいだけ浮気ってのが入っているな。
7時頃、スターフライヤー機は羽田空港に到着する。千里はここで出るが、玲央美はトランジットで新千歳行きに乗り継ぐ。
「じゃ、試験頑張ってね」
「そちらもプロ入り頑張ってね。まあお互い無理せず生きていこうよ」
「そうだね」
それで握手してハグして別れた。
玲央美は千里と別れると、トランジットの経路に従って歩いて行く。後戻りできないようになっているゲートを通過する時、玲央美は一瞬だけ後ろを振り返ってから、そこを通過した。
そして新千歳行きの出発口のそばまで来た。
するとそこに千里の姿があり、手を振ってこちらに寄ってきた。
「なぜここに居る?」
と玲央美は訊く。
「玲央美ちゃんとマッチングしていて抜いても、なぜか玲央美ちゃんは自分の前にいるのが不思議で仕方ないから、その真似をしてみた」
「うーん」
「と言っておいて、と千里から言われました」
「あ、あんた千里じゃないのか?」
「大丈夫とは思うけど、やはり心配だから札幌まで付いていってあげてと千里が言うので。私は千里の影武者です」
「矢部村まで千里と一緒に来たお姉様の同類かな?」
「そうですよ。もっともあのお姉様は変態おじさんのコスプレだけど、私は本物の女です」
「何て呼べばいいんだろ?」
「千里でもいいし、千里と呼びにくかったら、きーちゃんで」
「じゃ、きーちゃん、札幌までよろしく」
「ええ。おしゃべりでもして行きましょう」
それで2人は握手した。
一方本物の千里は空港を出ると京急と東急を乗り継いで神奈川県内の□□大学のキャンパスに行く。着いたのは8時半である。集合時刻は9時半なので、休憩できそうな場所を見付けて30分ほど仮眠してから集合場所に行った。
受験番号を確認して教室に入る。1時間目(10:00-12:00)は理科である。千里は物理と化学を選択している。医学部の場合、大学によっては生物が必須の所もあるのだが、□□大学の場合は生物は取らなくてもいいことになっている。優秀な人材を集めるのが優先で、必要なことは入学してから教えればいいということなのだろう。
それで試験問題が配られ、やかて10時になり「始めてください」と言われる。千里は問題用紙を開いた。
そして・・・
眠ってしまった。
《いんちゃん》がトントンと叩くも起きる気配は無い。
『無理も無いよ。昨日は朝から親友が自殺するかも知れない、という緊張状態の中で北海道から九州まで、JR・飛行機、更にJR・レンタカーと乗り継いで』
『そのあとずっと彼女としゃべっていて、更に夜間に3時間も自動車を運転して』
『更に北九州から東京までの飛行機の中でも眠られずにずっとおしゃべりに付き合ってた』
『緊張の糸が切れちゃったんだろうな』
『これどうする?』
『寝せといてあげようよ。さすがに可哀想だよ』
『でも寝てたら、試験落ちるんじゃない?』
『ここは本命ではないから落ちても構わないはず』
『だけど千里、教頭先生に恩があるから、この大学はちゃんと合格したいと言ってたぞ』
『でも合格しても辞退するんだろ?』
『実際問題として千里の学力じゃ、この大学無理だと思うんだけどね』
『模試はD判定だったのを、私は負けないとか言って頑張ってたし』
『特に理科が悲惨だったんだよ。英語と数学は何とかなるんだけど』
『しょうがない、白虎お前代わりに解答してやれよ』
『そうだなあ。やむを得ないか。どのくらいの点数にすればいいと思う?』
『どうせ辞退するんだから何点でも構わないだろ?午後の試験はさすがに起きてるだろうけど、午後の試験が多少悪くても何とかなる程度にしとけよ』
『うーん。じゃ90点・90点くらい取れる程度に書いとくよ』
それで《びゃくちゃん》は眠っている千里の身体の中に「入り込む」と筆記具を取って、まずは物理の問題を解き始めた。
千里がハッと目覚めた時、教室のチャイムが鳴っていた。
「それでは筆記具を置いて、答案用紙を裏返してください」
と試験官の声がある。
やっばー! 私、寝てたよ!!
千里は頭が空白になる。これじゃ不合格は確実!
理科は500点満点の200点もあるのである。しかもここの□□大学の一次試験はだいたい20人に1人くらいしかパスしない。200点分を白紙で出してしまったら、他の2教科で頑張ってもとても挽回できるとは思えない。
しかし試験官は解答用紙を集めて行ってしまう。
私どうしよう?などと思っている内に退出してくださいと言われるので、そのまま教室の外に出た。
お昼休み、千里がボーっとしていたら、やはりここを受けている蓮菜と遭遇する。蓮菜の場合は、東大の理3を受けて、ここは滑り止めである。
「なんか疲れている感じね」
「うん。疲れた」
「理科、どうだった?」
「私、寝てたみたい。多分ほとんど白紙で出しちゃったみたい」
「あらあ、それは悲惨。でも千里らしくもない。昨夜遅かったの?」
「やむにやまれぬ事情で昨夜は徹夜するはめになったんだよ」
「まあでも理科が0点でも英語と数学で250点ずつ取れば500点行くかもよ」
「むむむ」
英語と数学は各々150点満点である。
「奇跡を信じて最後まで諦めずに頑張りなよ」
「そうだなあ。バスケの試合で前半大差をつけられても後半で挽回する時もあるし」
「そうそう、そのつもりで頑張ろう」
蓮菜にそんなことを言われたので、千里も気を取り直して、午後の数学(13:15-14:55), 英語(15:40-17:10)は頑張って解答した。自分なりには8〜9割は正解できたかなあという感覚であった。
しかし□□大学医学部の合格最低点は300点前後と言われる。英語と数学の配点が合計で300点、理科2科目の合計が200点なので、理科の分がごっそり抜けるとどうにもならない、ただ千里は理科の試験のどの時点で眠ってしまったのか記憶が曖昧だった。なんか少しは解答したような記憶も残っているのである。(実は《びゃくちゃん》が千里の身体を借りて解答した後遺症)
もし少しでも解答していれば、ひょっとしたらギリギリ通してもらえるかもというのもあり、千里はその可能性に賭けることにした。
□□大学の1次試験が21日、国立大学の前期試験が25-26日、□□大学1次の合格発表も26日で、合格していれば28日に2次試験がある。それで蓮菜や鮎奈は1週間東京に滞在するということであった(費用的にもその方が安上がりになる場合が多い)が、千里はいったん帰ることにした。
例によって羽田からの旭川行き最終便(17:50)には間に合わないので新千歳行きを使う。取り敢えず羽田まで辿り着いたのが18:20である。うまい具合に19:15のエアドゥに空席があったのでチケットを購入し、すぐに手荷物検査場を通った。
高田コーチに電話してみる。
「ありがとう。村山、札幌まで付いてきてくれたんだって?」
「学校の門のところまで見送りました。さすがにその先は大丈夫だろうと思ったし」
「今日は一晩お兄さんとお姉さんとゆっくり話すということだった」
「誰かと話すことで気持ちが整理されるんですよ。私もずっと聞き役になっていましたよ。こちらからは特に何も聞かなかったんだけど、色々話したかったみたいで」
「まああいつはどうしても孤高になりがちだからな。理解者ほんとに少ない。お兄さんと、チームメイトでは北見あたりと、後はたぶん村山くらいだよ」
「たぶん高田コーチもだと思いますよ」
「そうかな」
「十勝先生や狩屋コーチよりは話しやすいでしょ」
「まあ、あの人たちもじいさんだから」
「ふふふ」
「でもあいつ九州まで行ってたんだ?博多に居たの?」
まあお土産に「通りもん」を買ってたしな、
「彼女が話したくなったら話すと思います」
「そうだな。別にそこまで詮索しなくてもいいよな」
まあ、まさか九州の山村まで行ったとは思わないよな。自分も占いの結果が出なかったら、そんな所まで行ってないだろう。
新千歳に20:45に到着し、21:16のスーパーカムイ53号(札幌まではエアポート213号)に乗って23:20に旭川に帰着する。千里は飛行機の中でも、その後のスーパーカムイの中でもひたすら寝ていたが、帰宅後も部屋に帰ると、そのまま眠ってしまい、翌朝まで全く目が覚めなかった。
まだ半ばぼーっとした状態で朝御飯を食べていたらメールが着信する。玲央美からで「ほんとにありがとね」と書いてあった。Wリーグ入りの話もすぐに進めようということになり、今週中にもスカイ・スクイレルの関係者と会ってくることになったらしい。
22日は日曜日なので、千里はバスケ部の練習にだけ顔を出し、シューター組の指導だけして帰って来た。23日(月)は朝学校に行ってシューター教室に顔を出すと、その後授業には出ずに!図書館で勉強し、放課後シューター教室をやってから帰宅するというパターンで過ごした。図書館の先生が
「村山、お前図書館登校?」
などと言っていた。
なお、C大学の試験は英語と数学だけなので、22-23日は特に不安のある数学の数列や文章問題の勉強に集中した。
24日は朝からまた飛行機で移動である。先日は旭川空港から羽田に行くつもりが、新千歳から福岡に飛ぶことになってしまったのだが、今回はちゃんと旭川905-1050羽田で移動し、総武線で千葉市内に入った。試験場の下見をした上で千葉市内のホテルに入り、その日もずっと勉強をする。だいたい英語を1時間やったら数学を3時間くらいやる感じで勉強していた。
この日は夜10時に就寝して、25日は朝5時に起きた。身体を動かした方が調子いいので、早朝ジョギングに行こうかと思ったら雨である。うーん、と悩んだが、取り敢えず散歩してくることにして、傘を持ってホテルを出た。
歩いていたら体育館があり、そこにバスケットボールとバッシュを持った小学生が2人歩いて入って行くのを見た。ミニバスの朝練かな? などと思って見ていたら、30代の女性とぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさい」
「あ、ごめん」
とお互いに言い合う。それで向こうの顔を見たのだが、千里は「あっ」と思った。彼女もこちらを認識した雰囲気があった。
「あんた見たことある。えっと山村さんだったっけ?」
「あっと。村山千里と申します」
「ごめーん。私、人の名前覚えるのが苦手で。私のこと分かる?」
「日本代表のシューティングガード、三木エレンさんですよね?」
「うん。スリーポイント競争しない? 今時間ある?」
「えっと、私、大学入試で出てきたんですけど」
「試験は何時から?」
「会場は西千葉駅から歩いて10分ほどの所で、12:30からなので11時にはホテルを出たいです」
「充分時間あるじゃん」
三木さんは所属しているWリーグ・サンドベージュのチームメイト、宮本睦美さんを呼び出した。彼女が来るまでの間、千里と三木さんは単純にスリーを入れる競争をした。
「裸足ですみませーん」
「いつでもバッシュ持ち歩きなさいよ」
「それは無茶です」
取り敢えず10本交代で、宮本さんが来るまでやろうということになる。片方がシュートし、片方はゴール下に居てボールを返す役である。
千里が先にやる。10本全部入れる。
「ふむ」
三木さんが撃つ。10本全部入れる。
千里が撃つ。やはり10本全部入れる。
三木さんが撃つ。やはり10本入れる。
ふたりが全く外さないので、体育館内の向こう側で練習していたミニバスの子たちが「すげー!」という感じの表情をして、練習の手を休め、じっとこちらを注目しているようだ。
お互いに50本ずつ入れた所で言う。
「この競争意味無いね」
「フリーだったら当然入りますよね」
「花園ちゃんも同じこと言ってた」
「試合中に外すのは、無理な体勢から撃ったり、相手のブロックをかいくぐるように撃ったりするからです」
「よし、1on1やろう」
「はい」
それで攻守交代しながらマッチング勝負をしたのだが、相手はさすが日本代表である。この日千里は全く彼女に勝てなかった。
「負けました」
と素直に千里は敗北を認めた。
「いや正直、私負けたらどうしようと思った」
「やはり筋力や瞬発力が私あまりないから、それもあって勝てない気がするんですよね」
「うーん。それは羽良口英子に比べたら筋力無いかもしれないけど、少なくとも瞬発力は私よりずっとあると思うよ」
「そうでしょうか。私、瞬発力が無いのがいちばんの欠点とか言われるのに」
「そりゃたぶん物凄い人と比べているからだと思うな」
「うーん・・・」
「あんたの世代なら佐藤玲央美とかね」
「その玲央美に私、全然勝てないんですよ!」
「ふふふ。どうやったら勝てるか教えてあげようか?」
「ほんとですか?」
「私に勝てたら教えてあげる」
「それ富士山に登る前にチョモランマに登れと言われている感じです」
「ちゃんと分かってるじゃん」
そんなことをしている内に宮本さんが来てくれたので、今度は宮本さんにディフェンスされている状態で5秒以内にスリーを撃つというのをやってみた。公平になるように1回交代である。
さすがにプロだけあって、簡単には撃たせてくれない。三木さんでさえ10回中4回しかシュートできなかった。ただしシュートしたのは全部入った。千里は10回中2回だけシュートできた。千里もシュートした分はちゃんと入った。
「村山さん、結構頑張るじゃん。よし次行こう」
と三木さんは言ったが
「ちょっと待って。10分くらい休ませて」
と宮本さんが言うので、結局15分休んでから2回戦をしたが、2度目はやはり宮本さんが疲れてきただけあって、三木さんは10回内6回、千里も10回内3回シュートすることができた。三木さんは撃った6本の内5本入れた。千里は3本とも入れた。
「やはり修行不足です。負けました」
と千里は言ったのだが
「いや、こちらが負けた気分」
と三木さんは言う。
「ああ、エレンは1本外したからね」
と宮本さん。
「いや、あれはかなり無理な体勢から撃ちましたもん」
と千里は言うが
「シューターは撃つ以上、全部入れるのが責務」
と三木さんは言う。
「まあ確かにチームの期待を背負って撃つからね」
「近くからシュートした方が絶対入る確率は高いはず。それをわざわざ遠くからギャンブルする訳だから、撃つ以上は入れる。入れきれないと思ったら他の子に回さないとね」
「すみません。私何も考えずに撃ってます」
と千里が言うと
「まあ実は私もそうだ」
と三木さんは言っていた。
「村山さん、大学入試と言ってたけど、4月からどこの大学に入るの? この付近に強い所あったっけ?」
と三木さんが訊く。
「この付近ならT市のTS大学とかN市のE大学とか」
と宮本さんが少し考えて言う。
「いえ、千葉市内のC大学で」
と千里が言うと
「なんで?」
とふたりから同時に言われて千里はたじたじとなる。
「いや、私、高校でバスケ辞めるつもりで」
「それは世間が許さん」
「みんなから、それ言われるー」
「当たり前」
「むしろ日本中の国民が許さん」
「どうしてもC大学に入るのなら、大学のバスケ部には入らずに強いクラブチームに入りなよ」
と三木さんは言う。
「ああ、そういう手もあるかもね」
と宮本さん。
「クラブチームにも楽しみでやってる感じの所からプロに近い所まである。そういう所で鍛えるのもひとつの手かも知れないね」
三木さんたちと別れてからホテルに戻り、シャワーを浴び汗を流して高校の女子制服を着る。チェックアウトして試験会場(C大学理学部校舎)に行く。キャンパス近くのコンビニで消化の良さそうなサンドイッチと十六茶を買って校内の食堂で食べ、その付近でトイレに行っておいてから会場に行く。
会場前の廊下で梨乃と会った。
「まさかとは思ってたけど、ちゃんと女子制服を着てきてたから安心した」
「女子制服を着てこなかったら何なのさ?」
「男子制服はもう捨てたんだよね?」
「あれはサーヤにあげたんだよ」
「なるほどー!」
梨乃はこのC大学理学部と、△△△大の理学部の併願である。鮎奈は□□□大学医学部とここのC大学医学部を併願しているが、医学部はキャンパスが別なので、この日は遭遇しなかった。
この日最初の科目は数学である。12:30-15:30という3時間の長丁場だ。千里は理学部を受けるというのに、理科は悲惨に苦手で数学もあまり得意ではないので、問題を考えていて脳が酸欠になりそうな気分であった。
しかし3時間の時間をぎりぎりまで使って何とか全問解答することができた。
そのあと1時間ほど頭をぼーっとさせて何も考えていない状態で過ごした後、16:30-18:00は英語である。英語は文法が怪しい(!)という問題をのぞけば割と得意なので、これは楽しく解答することができた。これは1時間半の時間はあったものの40分ほどで全ての解答をし終え、2度見直してから17:30には先に退出した。
この日は千里は羽田2025-2200新千歳2214-2252札幌2305-025旭川というルートで帰った。これが「上品な方法で」旭川まで帰られるもっとも遅い連絡である。
26日(木)はまた朝からシューター教室をした上で、日中は図書館で古典文学全集の源氏物語の一気読みをして過ごした。一応授業はやっているのだが、もう国立前期試験が過ぎた後は5−6組の進学・特進のクラスでは、むしろ出席している生徒の方が少数である。
食堂に行ってお昼を食べてからまた図書館に行こうとしていたら、京子から声を掛けられる。
「千里、□□大学の1次試験、どうだった?」
と訊かれる。
「あれ?もう結果出たんだっけ?」
「ホームページに合格者が掲載されているよ」
「わっ」
それでいつも持ち歩いているパソコンを開いてホームページを見てみた。
「さすがに私は落ちてると思う」
などと言いながら受験番号のリストを見ていたのだが・・・
「あれ?」
と千里は声をあげた。
「ん?」
「私の受験番号がある!」
「おお!」
念のため受験票を見て番号を再確認するが、千里の番号はちゃんと1次合格者リストに入っていた。
「嘘みたい。理科はほとんど白紙だったはずなのに」
「もしかしたら今年は1次の合格水準が低かったのかもね」
「なるほどー。それで英語と数学で挽回できたのかな。でも数学は易しかったのに」
「私が受けたのとは違う問題とは思うけど、私が受けたのも今年は易しかったよ。私は英語も数学も150点(満点)取ったつもり」
「すごーい!」
「物理と化学もほぼ満点に近いと思うけどね」
「さっすがー! あ、そちらも合格発表は済んだんだっけ?」
「うん。合格。こちらは2次試験は無いからそれで確定」
「わあ、おめでとう!」
「ありがとう。でも□□大学ごときを落とす訳無い」
う・・・・頭のいい人は違うなあ、と千里は思った。
「合格はしても行く気も無いしね」
「やはり東大なのね」
「□□大学とか△△△大学は、最初から行く気のない受験生が多いよ」
「大学側も何人合格させるべきか悩むね!」
「うん。だから毎年、募集定員の6−8割程度の繰上合格者が出る」
「それって正規に合格した人はみんな他に行くってこと?」
「まあ、私立大学ってそんなものよ」
「ところで千里声がなんか変わった」
「うん。実は声変わりしたんだよ」
「へー。なんかおとなっぽい声になってるね」
「いや、一時期は声が不安定でさ」
と言って千里は悪戯っぽく
「実はこんな声になった時期もある」
と男声を出してみせる。
「嘘!?」
「この声は内緒ね〜」
とまた女声に戻して言う。
「凄い秘密を知ってしまった」
「男装する時は便利かもね」
「まあ千里の男装はあり得ないから無意味だけどね」
「そうだなあ・・・」
26日の放課後、27日(金)の朝とシューター教室をして、27日の夕方のエアドゥ旭川1950-2135羽田で、また東京に行った。都内のホテルに1泊してから翌日□□大学の2次試験に行く。この日は小論文と面接である。
この日は8:45に集合し、まずは教室に受験生がみんな入って9:00-9:50の時間割で小論文を書いた。
この大学の小論文はしばしばイデオロギー絡みの問題が出る。千里は過去問を見ていて、なぜこういう議論の対立しやすい問題を出すんだ!?とかなり不愉快だったのだが、予備校の先生の解説では患者と根本的な考え方が対立した場合にどう解決策を見出すかの訓練なのだそうである。
そんな意見の対立する医者にかからずによそに行けよ、と思ってしまう千里はたぶん医者向きではない性格なのだろう。
しかし今年の問題は中国の古典に取材した問題であった。
楊震の所に王密が夜中にやってきて、黄金を渡そうとする。王密はふたりだけの秘密にしましょうと言うのだが、楊震は「天知る、地知る、我知る、汝知る」と述べて、それを断った。
千里は「ふたりだけの秘密」というのはそもそも絶対に守られないものだと小論文の中で主張してみた。少なくとも若い女子のネットワークではむしろ「これ誰にも言わないでね」と言うと情報拡散の速度が高速化する傾向がある。人は好奇心の生き物なので、秘密と言われたことほど人に言いやすい。特に他人との連帯感を求める性格の人は、必ずそれを他人に言う。むしろ秘密をきちんと守る人というのは孤独な性格なのではないか、などと大胆な心理学的?な意見を主張してみた。
そしてそんな小論文を書きながら、私、蓮菜・鮎奈・京子の3人にだけ声変わりのこと話したけど、きっと4月頃までには20-30人に知られてそうだな、ということに思い至り、憂鬱な気分になった。
小論文の後は何だか問診票のようなものが配られ、記入した。名前・生年月日、保護者氏名・志望動機、趣味、得意科目、部活と役職、外国語の選択予定、併願についてなどなどである。
千里は「村山千里・平成3年3月3日生・女」と記入した後、住所、電話番号、なども記入し、医学部を受けた動機には「中学生の時、大きな病気をして死にかけたものの、半月近い入院の結果無事回復したので、自分も人を助ける仕事をしたいと思ったから」と記入した。
併願については「C大学と併願しているが両方合格したら□□大学に入りたいと思っている」と書いた。他に行くとか合格してから考えるなどと書いたら落とされるに決まっているので、たとえ嘘でもこう書くのが受験生の常識である。
得意科目は英語、趣味は読書、読む本はイギリス文学と答える。部活はバスケットボールで副部長を経験と書く。外国語の選択は英語・フランス語と書いた。
その問診票?が回収されたあと少し待ったら受験番号が呼ばれたので中に入る。部屋の中には多数のテーブルがあり、各々に面接官が座っている。千里は案内されたテーブルに座った。
「****番、村山千里です、よろしくお願いします」
と笑顔で挨拶した。
無表情の面接官から、問診票に沿った内容の質問をされる。千里はよどみなく笑顔で答え、面接は10分ほどで終わった。
そのまま同じ部屋の中の別のテーブルに案内された。そしてここでもまた質問をされるが、訊かれる内容はかなりダブっている。しかし千里は笑顔でひとつひとつ丁寧に答えてこちらも10分ほどで終了した。
「もう帰っていいですよ」
ということであったので、千里は一礼して部屋を出た。
終わったのは結局11時すぎである。後から聞いたのでは、ここの面接は時間のかかる人は3回も4回も面接されて17時頃まで掛かる場合もあるらしい。そんなに掛かっていたら、沖縄に間に合わないところであった。
電車を乗り継いで12時半に羽田空港に到着。羽田1320-1610那覇のJALで沖縄に飛んだ。その後タクシーで会場に入ったが、泰華さんから「早かったね!」と言われた。
実際ライブにちゃんと間に合うぎりぎりの便は羽田1530-1815那覇という時刻だったのである。おかげで千里はリハーサルの後半にもちゃんと参加することができて、17時半には休憩、軽食を取った。
蘭子はやはり色々行動に制限が掛かっているようで、この日もリハーサルには出ていなかったが、本番の前にはちゃんと来て、例によって『優視線』以外の歌唱に参加した。
翌日はトラベリング・ベルズと伴奏者・コーラス隊は全員那覇1235-1410福岡の飛行機で福岡市に移動し、今日はリハーサルは音の確認をする程度に留めて夕方のコンサートに備えた。KARIONの4人は午前中の飛行機で移動して福岡で少し休んでいたらしい。
福岡ライブは今回のツアーの他の公演より早い16時開演・18時すぎ終了に設定されている。これはKARIONの4人は明日学校で卒業式があるので(彼女たち自身が卒業生ではなく在校生ではあるものの)、こういう学校行事がある場合、高校生である彼女たちを使用するための契約書で「前日24時までに帰宅させること」という条項があるので、何としても4人を福岡1915-2045の飛行機に乗せる必要があるためである。
トラベリング・ベルズの5人やコーラスの3人は福岡で1泊して明日東京に帰るということだった(この時刻に終わると東京行き最終新幹線(18:54)には微妙に間に合わない)。しかし千里も明日3月2日が卒業式(しかも自身が卒業生)なので、どんなに遅くても明日の午前10時までには旭川N高校まで辿り着く必要がある。
そこでこの日はアンコールは欠席させてもらうことにした。アンコールで歌う曲は『小人たちの祭り』と『Crystal Tunes』である。どちらもピアノパートはそんなに難しくない。ただ蘭子は歌唱に参加するので自分では演奏できない。それで実はこの日のアンコールのピアノは、ヴェネツィアン・マスクで顔を隠していてそもそも誰か分からないのをいいことに、雨宮先生が弾いてくれたのである。
雨宮先生は無茶も言うが、その人にとって大切なものは尊重してくれる人である。もっとも先生は「代理演奏1曲につき100万円」を「千里に」請求するからね、などと言っていた。
そういう訳でこの日はラスト前の曲『サダメ』までを千里が電子キーボードで弾き、そのあと千里はステージから下がって、代わりに蘭子が出てきてグランドピアノの前に座り『優視線』を弾く。そして千里は楽屋に置いているマイクで、着替えながらこの曲の蘭子パートを歌ったのである。
千里はこの曲を歌い終えると、望月さんにマイクを渡して一礼し楽屋を出る。これが17:30であった。急いで福岡空港に向かい、18:45の羽田行きANAに飛び乗る。これが羽田に到着するのは20:15である。すると20:55の新千歳行きADOにぎりぎり乗り継ぐことができる(どちらも第2ターミナル。ひとつ早い1820のJALに乗ってしまうとターミナルが違うので乗継困難)。
こうして千里は新千歳空港に22:30に降り立った。
ここに美輪子の彼氏・浅谷さんが美輪子と一緒に車で迎えに来てくれていたので、千里は浅谷さんの運転する車で、帰宅することができた。
「受験もたいへんだね。ほんとに遠くまで行っていると、実際卒業式に出席できない子もいるんじゃないの?」
「ええ。試験優先で卒業式諦めた子います。実際卒業式に出ないと卒業できないわけではないし」
「でも出られないって寂しいよね」
「ほんとですよね。私は何とか出られるから幸せです」
その時浅谷さんが今気づいたように言う。
「あれ?ちょっと会ってない内に千里ちゃん、声が大人っぽくなってる」
「声変わりしたみたいですー」
「へー。女の子も声変わりするんだね」
「男の子みたいに、いきなり1オクターブとか2オクターブとか低くなったりはしませんけどね」
「ああ男の子の声変わりは劇的だからね」
「あれは男の子を卒業して男になる通過儀礼なのかもね」
と美輪子が言う。
「女の子だと初潮がやはり劇的な通過儀礼かも」
と千里は言う。
「昔は初潮が来たら大人扱いだったみたいよ」
と美輪子。
「逆に男の精通は目立たないからなあ」
と浅谷さん。
「あれって最初の射精は覚えているものなんですか?」
「いや、意識してない奴が多いと思う。女の初潮は母親から祝ってもらえるけど、男の精通はまず無視される」
「そもそも気づかれないかも」
「そうそう。恥ずかしがって適当に処理するから。それに明確に精液が出る以前から、ごく少量の液体が出るのが先行するんだ」
「へー」
「まあ女の子も初潮以前に下りものが多くなり出す時期があるけどね」
「じゃやはり女性の場合は初潮で女の子を卒業して女になるんですかね」
「そして閉経で女を卒業する」
「それ、女を卒業した後は何になるんですか?」
「うーん。仙女かも」
「なるほどー」
「いや、女を捨てて男になったんじゃないかというおばちゃんもいるよ」
「確かに確かに」
「男の場合は年取って立たなくなっても射精は生涯する奴もいるみたい」
「へー」
「でも立たなくなったら男を卒業かも知れん」
「卒業した男は仙人ですか?」
「まあ男の場合は、男を捨てて女になるというおじさんは居ないなあ。10代で男を卒業して女の子になった男の娘は可愛いけど、50-60代で男を卒業されても需要がないかも」
「だけど60代で性転換手術うける人とかも居るんですよ」
「それは凄いな。体力も必要だよね」
「だと思います。健康も維持してないと難しいし」
「だよなー」
「自己満足かも知れないけど、本人にとっては、やはり男の身体のままでは死にたくないって気持ちなんですよね」
「心の問題って難しいよね」
心の問題という言葉を聞いて、千里は自分同様に迷い道に入り込んでいるふうの玲央美が、新しいWリーグのチームで自分の新たな目標を見出してくれることを祈った。
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【女の子たちの二次試験】(2)