【女の子たちのお勉強タイム】(下)

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ところで昭ちゃんはウィンターカップ道予選の時に男子制服を従妹の絵津子に取られてしまい、やむを得ず?その後女子制服を着て通学していた。本人は最初かなりドキドキだったようであるが、そのことについて親も何も言わないし、学校の先生やクラスメイトも何も言わないので、昭ちゃんとしては拍子抜けの気分であった。
 
もっとも最初の頃、昭子がうっかり女子制服のまま男子トイレに入っていこうとしたら「こっちは男便所!」と言われて追い出されてしまい、え〜?どうしようと思っている内に夜梨子が来て
 
「昭ちゃん、何してるの?」
と訊く。
 
「トイレに入ろうとしたら追い出されちゃって」
「嘘。どっちに入ろうとしたの?」
 
それで昭子が男子トイレを指さすと
 
「昭ちゃん、女子は女子トイレに入らなくちゃ。さ、行こう」
と言って昭子の腕を取り、女子トイレに連れ込んだ。
 
同様にして、昭子は体育の時間の着替えも女子更衣室ですることになった。(昭ちゃんは部活の時はふつうに女子部員たちと一緒に着替えている)
 

千里の所に新島さんから「醍醐春海」名義で曲を書いて欲しいという依頼があった。今回は歌詞は既に出来ていて、それに曲を付けるだけだと言う。この時期、こちらの歌詞担当の蓮菜は受験勉強で少し殺気立っている感じであったので、正直助かったと思った。
 
新島さんからは「歌詞は素人の作品なんで日本語のおかしい所とかもあるから、多少は改変してもいいから」などと言われた。それで送られて来た詩を見ていたのだがほんっとに素人の詩という感じだ。ホントにこんなのに曲を付けていいのかなと疑問を感じ、新島さんに電話するもなかなかつながらない。それで歌うのはKARIONだというので美空が事情を知らないかなと思い、電話してみた。 
「全国ツアーお疲れさん。あと少しだね」
 
「ありがとう。お客さん来てくれるかなと思って心配してたけど、今の所結構たくさん来てくれていて嬉しい。どこもだいたい7割くらい埋まってるよ」
「それは良かった。だけど蓮菜から聞いたけど、札幌のライブでは蘭子ちゃん、前には立たなかったんだって?」
 
「そうそう。今回は全部そうなのよ。ローズ+リリーの方との権利関係の調整をプロダクション間で交渉中らしくて。だからほとんどの公演に参加はしてるんだけど、楽器演奏だけで歌は歌ってない。今回のツアーが好評なんで、2月に再度ツアーするらしいけど、それまでには調整を終えて、2月には全部歌えるんじゃないかなと社長は言っていたけど」
 
「へー。あ、それでね」
 
と言って千里はこちらに回ってきた歌詞が妙に素人っぽいんだけどというのを訊いてみた。
 
「うん。KARIONに歌わせたい歌詞コンテストというのをやったんだよ。その1位の作品『秋風のサイクリング』は10月のシングルでリリースしたんだけど、その他の上位の作品をアルバムにしようということで、何人かの作曲家さんで手分けして書いてもらおうということになったんだよ」
 
と美空は説明した。
 
「なるほど、それで」
「醍醐春海さんにも1曲頼むと言っていたから、そちらに話が行ったのね」
「じゃ、依頼元からは多少改変してもいいからとは言われたけど、そういう事情なら明かなミス以外は変えずに何とか曲を付けてみるよ」
 
「ありがとう。よろしくー」
 

11月25日。連休明けの昼休み。千里が職員室に呼び出されていくと、ドーピング検査機関の身分証明書を持った女性がいて、千里のドーピング検査をさせてくれということであった。同意すると、まずは尿を取りたいということなので、その人と一緒に玄関近くにある多目的トイレに入る。
 
ドーピング検査の尿検査では係員の目の前でほとんど裸でおしっこをして、尿の採取をするのである。
 
「ユニフォームとかなら、上はめくって下は足まで下げてもらえばいいのですが、制服だからどうしましょうかね・・・」
「全部脱いじゃえばいいですよね?」
「はい、それでも結構です」
 
それで千里は制服の上着とスカートを脱ぎ、ブラウスとキャミソールも脱ぎ、パンティも脱ぎ、その必要は無いのだが、物のついででブラジャーも外して全裸になった。
 
「ブラジャーは着けていても良かったのですが」
「全裸でブラだけ着けているのも変だし」
「確かに」
 
それでおしっこをして、係の人が持つコップに入れる。この検査官はこれにかなり慣れているようで、最初ちょっと外しただけですぐに落下点にコップを持って行った。男子だとこのあたりのコントロールがもっと何とかなるのかも知れないけど女子は難しいよなあと、検査を受けながら千里は思った。 
千里はこの検査を一昨年の6月にも受けている。その時も女性係官に検査してもらったのだが、その時は実はまだ千里は男の身体であった。タックしていたのだが、検査官はそのことに気づかず千里を女性と思って検査した。しかし今回は正真正銘、女の身体である。2年半の間に自分も変わったんだなというのを再認識した。
 

おしっこをした後は、そのコップにふたをして、千里が服を着る間は検査官もそのコップとは距離を置いた場所に立っている。
 
その後は千里と検査官の2人とも目を離さない状態で、一緒に職員室に戻り、そのコップを検体用のケースに収める。ここで血液も採りたいということだったので注射器で静脈から採取した。それも一緒に検体用ケースに収める。そして閉じて鍵を掛けケースに封をした。
 
検査官、千里、そして宇田先生の3人が封印にサインをして、これでこのケースは検査機関に持ち込まれるまで、誰も開けられないことになる。
 
ドーピング検査では、検査を受ける側の不正も、検査官の不正も不可能なような体制が取られているのである。
 
検査官はそれで
「どうもご協力ありがとうございました」
と言って帰って行った。
 
千里は日本代表にラインナップされるレベルの選手としてどうも定期的に検査を受けなければならないようである。
 

この日の夕方、ウィンターカップの組合せが発表された。その件で彰恵から千里に電話が掛かってきた。
 
「バスケ協会の発表見た?」
「うん。見た。私は生理が重いのでとか言って休まずに済むみたい」
「千里が生理が重いって理由が通るの〜?」
「うーん。言ってみないと分からない」
 
千里は絵津子と晴鹿の交換留学を持ちかけた時、万一N高校とF女子高が準々決勝以下で当たったら、体調が悪いなどと言って休むと彰恵に言っていたのである。 
「でも私たちが当たるのは千里の予想通り決勝戦だね」
「うん。お互い決勝まで勝ち残れるように頑張ろう」
 
「こちらは多分札幌P高校に勝たないといけない」
と彰恵。
「こちらは多分愛知J学園に勝たないといけないし、その前にインターハイで負けた静岡L学園と当たる。組合せ表を見て、みんな『リベンジするぞ』と盛り上がっているよ」
と千里。
 
「そうか。去年のインターハイでそちらはJ学園に準決勝で負けたんだったね」
「うん。だから2年分のリベンジ」
 
「今年のインターハイのL学園戦は実質互角の戦いだったと思う。充分勝てると思う」
「ありがとう。でも向こうも進歩しているだろうからね。心して掛からないと」
「晴鹿はどんな感じ?」
「筋はいいと思う。ディフェンダーに囲まれた時にしばしばリリースが遅くなる癖があるのは改善した。それだけでも物凄く手強くなった。そして教える以上に私から色々なものを吸収している。敵に回したくない感じ」
 
「こちらも絵津子ちゃん、凄い。私や百合絵でも本気100%でマッチングしてる。フェイントの入れ方がどんどん巧くなる。この子をこんなに鍛えてるのって自分の首を絞めているのではと思ってしまう」
「まあそれはお互い様だけどね」
 
「だけど絵津子ちゃんがどんどん上手くなるのを見てこちらの1年の鈴木や中尾がかなり刺激されているのよ」
 
わざわざ向こうの要注意人物を教えてくれた感じだが、そのくらいはどうせ絵津子が戻ってきたら分かることだからということだろうか。
 
「こちらも晴鹿ちゃんに刺激されて、シュータークラスの面々はもちろん町田・杉山あたりがかなり闘志を燃やしてるよ」
 
「杉山さんって杉山蘭ちゃん?」
「杉山海音」
「姉妹?」
「無関係」
「へー」
 
しかしさすが蘭のことは少し調査していたような雰囲気だ。さすがである。多分志緒・来未あたりも分析されている。でも海音までは調査していないんだ? 

その週の週末。29日(土)にH教育大旭川校の推薦入試が行われ、暢子と留実子が受験した。合格発表は12日である。もし推薦で落ちた場合は一般入試でリトライすることにしている。30日(日)には、東京のA大学で推薦入試が行われ、薫が受験した。合格発表は12月4日である。
 
この週末、バスケ部の練習もあっていたのだが、土曜日に千里は市民オーケストラの練習に顔を出した。団員さんたちからは本番だけ出てきてくれればいいとは言われていたのだが、今回の演奏曲目では千里のフルートをメインにフィーチャーした「メルカダンテのフルート協奏曲・第三楽章」を演奏するので、さすがにぶっつけ本番はまずかろうということで顔を出したのである。特にこの日は事前にホールで演奏してみる日であった。今回の公演ではL女子高の大波布留子にも、フルートのエキストラ奏者として参加をお願いしたのだが、彼女も来てくれた。
 
「曲自体はちゃんと吹けてるね」
と言ってもらえる。
 
何ヶ所か解釈上の問題で指導してもらった。
 
「バスケの練習の合間にだいぶ吹きました。屋外での練習では金属フルートは冷たいので木製フルートで練習してたんですよ」
 
「へー、どんなの?」
と言われるので、出羽の修行仲間の人からもらった木製フルートを見せる。 
「おお、フラウト・トラヴェルソじゃん」
「面白いものを持ってるね」
「知り合いの人から頂いたんです」
 
「ああ、千里はそういうものが多い」
と美輪子が言う。
 
「本番でもそれを使う?」
「え〜? どうしよう。でも木製フルートは響きが足りなくないですかね?」
「そんなことはないと思うよ」
「試してみればいい」
 
それで千里がふだん使っているヤマハの白銅製普及品のフルートと、木製のフルートとで吹いたのを楽団員の人にホールのあちこちに立って実際に聞いてもらった。
 
「木製の方がよく響く」
というのが全員の意見であった。
 
「木製の方が色っぽく聞こえる」
などと言った人もある。
 
「人にあげておいて言うのも何だけど、そのヤマハのフルートは4万円だから」
と千里にフルートをくれた布浦さんが言う。
 
「どうしても安い楽器の音しか出ないよね」
と言う人もある。
 
「この木製フルートは高いんでしょうか?」
「それ材質がグラナディラだよね。多分20万円くらいだと思う」
「きゃー。そんなのもらっちゃって良かったんでしょうか」
 
グラナディラ(Grenadilla 別名African Blackwood, 現地名Mpingo)は黒檀の代用品とされた時期もあり、かつては「アフリカ黒檀」とも呼ばれたが、現在は黒檀とは別の樹木とされている。しかし黒檀より丈夫で吸水性も低く管楽器として使用するにはむしろ黒檀より良質の素材である。クラリネットもグラナディラ製のものは人気が高い。但しグラナディラは黒檀同様に成長が非常に遅い樹木なので、最近では保護団体による管理のもとでの育成が行われている。 
「まあくれるというのならもらっておけば?」
「木製フルート好きな人には、たくさんコレクションする傾向のある人よくいるから、自分のコレクションの中の1本をくれたのかもね」
「へー」
 

その日の夜、千里は貴司に電話した。
 
「お疲れ様、惜しかったね」
「あ、試合の結果聞いた?」
「うん。大阪実業団リーグのファンの人が発信しているブログで見た」
「そうか」
 
この日、貴司のチームは今年のリーグ最終戦を戦い、惜しくも敗れて2位に終わったのである。
 
「でも2位でも入れ替え戦に出られるんでしょ?」
「そうそう。1位だと無条件に昇格なんだけど、2位は1部7位のチームと入れ替え戦をして、勝てば昇格できる」
「入れ替え戦はいつ?」
「1月11日・日曜日」
「それってオールジャパンやってる最中じゃないの?」
「オールジャパンに出るようなチームは入れ替え戦には出ないし」
「なるほどー」
 

12月4日(木)。東京のA大学推薦入試の結果が発表された。薫は合格していた。これで4人のうちの1人はまずクリアである。
 
翌日。12月5日(金)。
 
2時間目の授業が終わった休み時間、10:22頃、千里が隣の席の鮎奈とおしゃべりしていたら、鮎奈が
「あれ? 千里、携帯が着信してない?」
と言う。
 
サイレントモードにしていたのだが、携帯が発光しているのに鮎奈が気づいてくれたのである。見ると母からである。休み時間なので取る。
 
「もしもし、お母ちゃん、どうしたの?」
「実はうちの父ちゃんなんだけど」
「うん」
「今週は東京でのスクーリングに行っていたのよ」
「ああ、札幌じゃなかったんだ」
「そうそう。どうしても東京でしかやってない授業を受けたいというから」
「へー。熱心だね」
「それで今日の夜の夜行で帰ってくる予定だったんだけど」
「夜行って(寝台特急)北斗星?」
「まさか。(夜行急行)はまなすだよ」
「なるほどねー」
 
寝台特急と夜行急行では値段が倍近く違う。
 
「それが帰りの切符を忘れて行っていることに、私がさっき気付いて」
「行きの切符と一緒にしてなかったの〜?」
 
「現金をたくさん持って行くから用心のためにふたつに分けると言って、分けた片方に行きの切符入れて、片方に帰りの切符入れてたのよ」
「ああ、それで片方忘れていったんだ?」
「今日は玲羅の面談があるから会社休んでて、午前中は部屋の掃除してて、ふと見たら棚に乗ってるからびっくりして」
 
「じゃお金も無いのでは?」
「そうなのよ。さっき連絡したら、手持ちの現金はもう千円しか残ってないって」
「お昼御飯食べたら終わりだね」
「吉野家の牛丼食べるから晩御飯まではあると言ってた」
「お父ちゃん、牛丼1杯くらいで足りるのかな」
「我慢するのでは」
「貧血で倒れなきゃいいけど」
 
「それで学校があってるのに申し訳無いんだけど、あんた切符と財布を届けに行ってくれない?」
 
「ちょっと待って。ここから東京まで往復すると8万掛かるよ。それよりも帰りの切符は諦めて、あらためて買えばいいと思う。はまなすなら片道2万くらいでしょ? それと御飯代合わせて3万もお父ちゃんの口座に振り込めばいいよ」
 
「それがあの人、キャッシュカードを持ってないのよ」
「へ?」
「1度持たせたら、暗証番号というのの意味が分かってなくて、口座番号を入力しようとしたみたいで3回続けて違ったというので無効にしちゃって。それがトラウマになったみたいで、俺はそんなもん使わんと言って」
 
「うーん・・・・なんて現代テクノロジーに疎い人なんだ」
「あの人の頭の中はまだ昭和50年代なのよ」
「昭和50年代にもATMはあったと思うけど」
 
千里の父は昭和36年生まれである。ATM(Automated Teller Machine)に先行するCD(Cash Dispenser)はだいたい昭和50年前後から普及し始めた。当初は現金引出し機能のみだったが、昭和50年代半ば頃から預け入れもできるATMへの置換が進み始める。千里の父が中学を出た頃は確かにATM自体は珍しかったろうがCDは多くの銀行支店にあったはずである。(昭和53-54年頃まではCDが無くて窓口でしか引き出せない支店もあるにはあった) 
「中学出て以来ずっと船に乗ってて、給料も現金渡しだったし。船員さんに渡す給料のお金は銀行の人が現金で持って来てくれていたし」
 
「仕方ない。行ってくるよ。玲羅の面談は何時から?」
「15時からなんだけど」
「車で来る?」
「うん」
「だったら多分今から旭川まで往復しても間に合うね。取り敢えず出て。こちらは今から飛行機の時刻を調べる」
「うん。お願い」
 
それで千里はちょうど3時間目の授業のために入って来た担任に事情を話して早退の許可をもらうと、宇田先生への伝言もあわせてお願いして学校を飛び出した 
教科書などの入った鞄も体操服・ユニフォームなどを入れたスポーツバッグも教室に置きっ放しである。財布とティッシュにパソコンだけ手提げバッグに入れて持ち出した。(MIDIキーボードはスポーツバッグに置き去り)パソコンは持ち歩かないと緊急メールが来た時にまずいし、こんな時に限って雨宮先生から連絡が入ったりしがちなのである。
 
学校近くのバス停まで走る。ちょうど旭川駅方面のバスが来たので飛び乗った。まずは車内で父が乗る予定の帰りの便の連絡を確認する。はまなすに乗られる連絡で最も遅く東京を出るものを乗換案内で調べてメモする。
 
東京17:56(はやて29)20:59八戸21:18(つがる29)22:18青森22:42(はまなす)6:07札幌 
これに間に合うように行けるかを調べる。幸いにも良い連絡がある。
 
旭川空港14:20(AirDO 36)16:05羽田16:37(モノレール)16:53浜松町(山手線)17:06東京 
この連絡なら実際羽田から先が少し遅れても17:56の新幹線に乗る父に切符を渡す時間は充分あるはずだ。但し預け荷物は作らないことは必須だ。やはり身軽にしていて良かったと思う。
 
しかし父は実際には何時の新幹線を予約していたのだろうか? でももっと早い列車に乗る予定であったとしても、チケットを変更してそれまで待っていてもらえばいい。
 
と考えた時に、千里は、その「チケットの変更」っていつ誰がやるのさ?思う。 
私が旭川駅でやるしか無いじゃん!!
 
と思っている内にバスは旭川駅に到着するので、エアドゥの予約センターに電話して座席を確保した上で母に電話する。
 
「お母ちゃん、何とか渡せると思う。東京駅に17:10くらいに着くと思うから銀の鈴の所で落ち合おうと連絡して欲しいんだけど、お父ちゃんの新幹線の切符って何時発のになってた?」
 
「ちょっと待って。。。。。16:56になってる」
「それを17:56発のに変更したいんだよね。旭川駅でできるから、お母ちゃん、旭川駅まで来てくれる?」
「分かった。じゃ、お父ちゃんには、17:56の便にこちらで変更するから、17:10に・・・えっとどこって言った?」
 
「銀の鈴。そういう待ち合わせ場所があるんだよ。分からなかったら駅員さんとかに聞けば教えてくれるから」
「メモする。銀の鈴ね?」
「そうそう。こちら何時頃に着きそう?」
「たぶん12時くらいだと思う」
「了解。安全運転でね」
「うん」
 

母の到着が遅れた場合にそなえて往きの航空券は先にチェックインしておくことにする。
 
『きーちゃん、頼める?』
『座席はどこでもいい?』
『すぐに降りたいから出入口の近くがいい』
『了解〜』
 
それで《きーちゃん》に空港連絡バスに乗って先に空港に行ってもらい、手続きしてもらうことにした。
 
旭川駅で待っている間に帰りの便も確認する。
 
羽田→旭川の最終は17:50なので、これには間に合わない。今日中に帰るには新千歳を使う必要がある。最終は20:55→22:30であるが、これだと新千歳から旭川まで帰る手段が無い。一応連絡を確認しておく。
 
東京1949→1955浜松町2000→2020羽田2055→2230新千歳2250→2329札幌 
旭川に戻る連絡がある最終はこれだ。
 
東京1815→1821浜松町1833→1851羽田1930→2110新千歳2130→2209札幌2305→025旭川 
実際にどれになるかは分からないから、予約はせずにおき、出た所勝負ということにした。
 
1時間ほど待つうちに母が到着する。一緒にみどりの窓口に行ってチケットの変更手続きをした。それから母に空港まで送ってもらう。旭川空港に着いたのは12:50くらいであった。
 
「じゃ悪いけど、玲羅の面談があるから、お見送りせずに帰るね」
「うん。構わないよ」
「それから、ちょっと言いにくいんだけど」
「ん?」
「いや、あんたの東京往復の運賃なんだけど」
 
「ああ。気にしなくていいよ。私が出しておくから」
「ごめーん。今ちょっとお金が無くて」
 
今無いんじゃなくて、いつも無いよなあと思いつつも笑顔で
 
「平気平気。ちょうどバイトのお金が入った所だったから」
と言う。
 
「ごめんね。いつも苦労掛けて」
と母。
 
「あと、それと・・・・」
「うん?」
「あんた、その格好でお父ちゃんと会うんだっけ?」
 
と母は遠慮がちに言う。
 
「ん?」
 
と思って自分の格好を見る。
 
女子制服の上に学校指定のハーフコートを着ている。コートで隠れているので女子制服というのは分からないだろう(但しコートのボタンは女性仕様の左前)が、スカートを穿いているというのは分かるだろう。
 
ありゃ〜。お父ちゃんがこの格好見たらショック受けるかなあ。母としても自分に無理を言っているのは分かっているので服装のことまでは言いにくいのだろう。
 
「ああ、適当に着替えておくよ」
「ごめんねー」
「うん。じゃ、また」
 

それで母は帰っていった。すぐ《きーちゃん》が千里にチェックイン済の航空券を渡してくれる。
 
『ありがとう。これどの付近?』
『入口の本当にそば。最初に降りられるよ』
『へー、ありがとう』
 
チケットを取り敢えずバッグに入れてから千里は《りくちゃん》にお願いごとをする。
 
『ね、りくちゃん。アパートまで行って、私のジーンズとポロシャツにセーター持って来てくれない?』
 
『千里、いいかげん女子高生していること、お父さんにカムアウトした方がいいぞ』
と《りくちゃん》は言う。
 
『うん、それはその内言わないといけないけど、今はまだ揉めたくないから』
『どうせ揉めるなら早く決着つけたほうがいいのに』
『うーん、その内』
 
そんなことを言いつつも《りくちゃん》は15分ほどで着替えをアパートから持って来てくれた。
 
『これも使うかなと思って持って来た』
 
と言って渡されたのはショートヘアのウィッグである。
 
『あ、助かる!サンキュ』
 
急いでトイレで着替える。女子制服とコートは《りくちゃん》にアパートに持って帰ってもらった。りくちゃんはついでに学校に寄って汗を掻いた下着や運動服の入ったバッグもアパートに持ち帰り、着替えを洗濯機に放り込んでくれた(多分叔母が帰宅後洗濯機を回してくれる)が、これに《いんちゃん》から突っ込みが入る。
 
『六合、女物の下着をバッグから取り出したんだ?』
『いいじゃんか。別にそれで欲情はしないぞ』
『でもあんた昔、人間の女をはらませたことあるじゃん?』
『古い話を蒸し返すなよ』
 
へ〜!
 

もう13:30なので手荷物検査場に行く。
 
考えてみるとスカートの女子制服にコートよりジーンズの方が動きやすいから向こうで走らないといけなくなった時も安心だなと思った。
 
《きーちゃん》が入口そばの座席を確保してくれていたので、搭乗するとすぐそばに座ることができた。機内では結構熟睡できた。トイレに行ける時間帯の内にトイレに行き、ついでにウィッグも装着しておく。
 
予定を少し遅れて羽田には16:10頃に到着した。しかし出入口のそばなのでドアが開くと最初に降りることができた。モノレールの駅まで走ったら16:23の快速に間に合ってしまう。浜松町に16:41に到着する。しかしここでの乗換は大変だ。結局16:51の山手線に乗り16:57に東京駅に到着した。
 

早速銀の鈴に行く。
 
父の姿を探すが・・・・居ない!?
 
千里は幾つかのケースを考える。
 
父は遅れていてまだ来ていない。あるいは迷子になっている。父は新幹線に乗っちゃった!父は別の所で待っている。
 
目をつぶって父の波動を探す。
 
ダメだ! 分からない。
 
強い個性を持つ人、たとえば雨宮先生のような人なら、けっこう遠くからでもその波動を確認することができる。しかし・・・父みたいにありふれたタイプの人だと、似た波動を持つ人がたくさん居すぎて、うまく見付けきれないのである。
 
『みんな、うちのお父ちゃんを探して!』
 
それで千里の守りのために残る《いんちゃん》、基本的に些細なことには参加しない《くうちゃん》以外の10人の眷属が飛び出して行く。5分もしない内に 
『居たよ』
という声が届く。見付けてくれたのは《びゃくちゃん》だった。
 
『東北新幹線の中央改札口の所』
 
なるほどー! そこに行きたくなる気持ちは分かる。しっかし話を全く聞いてない人だ!!
 
千里は急いでそちらに移動する。眷属がみんな戻って来る。途中売店を見たので駅弁を3つとお茶のペットボトル3本を買った。
 

「お父ちゃん!」
と千里は声を掛けて改札口のそばにいる父の所に駆け寄った。
 
「おお、千里すまんな」
と父は笑顔だ。
 
「これ帰りのチケットとお財布、それとお弁当買ったから車内で食べて」
「すまん、すまん。お前も一緒にこの汽車で帰るか?」
 
あ!
 
その手は考えなかった。確かにひとつの方法だ。
 
「ちょっと待って。それで旭川に何時に戻れるのかな」
と言って確認すると朝一番のスーパーカムイに乗って8:13に到着することが分かる。
 
「だったらそうしようかな」
「そうしよう、そうしよう」
 
それでみどりの窓口に行くと幸いにも空席がある。
 
「こいつと並びの席にできますかね?」
と父が尋ねる。
 
「確認しますね」
と言って係の人はモニターを見ている。
 
「今のお父さんの座席は変更になりますけど、それで良ければお嬢さんと並びにできますよ」
「じゃ、それでお願いします」
 
千里のチケット代金24,750円は父に渡した財布から父が払った。それであまり時間が無いので、そのまま新幹線ホームに行く。もう列車は停まっていた。ホームの売店で自分の夕食にと鳥飯弁当を買っていたら、父も「それうまそうだなあ」などと言うので、結局それを2個買う。乗り込むと10分ほどでE2系《はやて・こまち29号》は発車した。
 

「しかしさっきの駅員、お前のこと《お嬢さん》なんて言ってたな」
「うーん、別にいいんじゃない?」
 
まあ、私は女に見えるだろうね〜。
 
「お前、声変わりまだしないの?」
「あれって個人差あるんだよ。17-18歳で声変わりする人もあるし」
「ああ、そういうもんかな」
「でもお父さん、何の講義受けたの?」
「航海科の特別講義で、ガレー船からTSL,エコシップまでというので、船舶の構造の詳しい歴史だったんだよ。お前TSLって知ってるか?」
「ううん」
「テラノ・スーパー・ライナーとかいうんだぞ。700人も乗れる大きな船なのに40ノット近く出るらしい」
 
テラノじゃなくてテクノかもね、と千里は思う。
 
「40ノットって時速でどのくらいだっけ?」
「確か100キロくらいじゃないかな」
「それは凄いね!」
 
(本当は40ノットは74km/h。実際の小笠原TSLは38kt=70km/h)
 
「三井造船が作って東京と小笠原の間の航路に就航予定だったらしいけど、掛かる燃料費が高すぎるというので、フェリー会社が受け取り拒否したらしい」
 
「ああ、それはもったいないね。でも佐渡航路とかもジェットフォイルは高いもん。佐渡は観光客が来るからいいけど、小笠原はあまり観光客来ないでしょ」
「そのあたりが問題かなあ。でもせっかく100億円も掛けて造ったのにもったいない」
「需要や採算を考えずに作った方が問題だと思うけど」
 

父はその受けた講義の内容や今年の春から父が主体でやっているホタテ養殖の話、それに週2回地元の高校で担当している授業での高校生とのふれあいなどたくさん話した、千里はそもそもあまり父と話したことが無かったのでこの日はちょっと親孝行ができたかなという気もした。
 
《はやて》は大宮を出た後は八戸に到着するまでに仙台・盛岡・二戸にしか停まらない(盛岡で《こまち》を切り離す)。停車駅が少ないこともあり、父は宇都宮をすぎたあたりで眠ってしまった。父が熟睡しているのをいいことに千里は父の財布をそっと取り出すと中に1万円札を3枚足しておいた。今回の父の旅費も家計にはかなり辛かったはずだ。
 
その後、千里も寝ていたのだが、盛岡を出て少しした頃、廊下を歩いてきた女性(?)が声を掛けてくる。
 
「あら、千里じゃん」
 
千里は寝たふりしていようかと思ったのだが(実際ほとんど寝ていた)返事をしないと後が怖いので目を開けて
 
「おはようございます、雨宮先生」
と挨拶する。
 
「おはよう」などという声を聞いて父がびっくりしたのか目を覚ます。 
「どこ行くの?」
「旭川に戻る所です」
「じゃ静岡に来てたの?」
 
ほんとにこの先生の発想って不思議だと思う。「東京に来てたの?」と訊かれるのなら分かるが、なぜ静岡という発想になるのだろう。
 
「東京に父を迎えに行ったんですよ。夕方到着してとんぼ返りです」
「あ、そちらお父さん?」
 
「千里の学校の先生ですか? 息子がお世話になっております」
と父が言う。
 
「ふーん。息子ねぇ」
と雨宮先生は可笑しそうに言う。
 
「先生はご出張か何かですか」
「毛利に運転させて青森に行く所だったのよ。観光協会の人と打ち合わせでね。それが前沢SAで休んだ後、毛利のやつ、私が乗っているかどうかを確認しないでそのまま出ちゃってさあ」
 
ああ・・・毛利さんらしい。
 
「それでじっと待っている訳にもいかないから、ちょうど通りかかったXANFUSのメンバーのワゴン車に声掛けて、盛岡駅まで乗せてもらった」
 
「ざんふぁす?」
「9月にデビューしたたぶん女の子バンドなのよ。6人編成」
「6人というのは多いですね。でも多分というのは?」
「一応みんな女の子に見えたけど、ちょっと怪しいなあと思った子が1人居たからね」
「へー」
「あんたもその手の勘が働かない?」
「ああ、ふつうの人よりは働くかも。で毛利さんは?」
「放置してたら途中で気づいたらしくて電話掛かってきたから盛岡駅に居ると言ったら、そちらに行くと言ってた」
「そんなこと言って、先生は新幹線に乗っちゃったんですか?」
「罰として無駄足踏ませてやる」
「ああ、可哀想に」
「ついでにあいつには宿題をたくさん出してやる」
「ああ、それも可哀想に」
 
すると会話の内容を半分も理解できないと思えた父が
「宿題ですか? ぜひこいつにも出してください。こいつ□□大学医学部とか受験するらしいんですよ」
などと言い出す。
 
「あら、お父さんが出してというのなら娘としては頑張らなきゃね」
などと雨宮先生は言う。
 
もう。。。わざと『娘』と言ったなと思った。
 
「まあ、やりますよ」
と千里は答える。
「じゃ、これ3つ。火曜日までに」
「来週はコンサートがあるんで、18日までにしてもらえませんか」
「うーん。まあいいよ。じゃ、もう1つ」
と言って更に1つファイルを渡す。
 
「分かりました」
と言って千里はクリアファイルを4つ手提げ鞄にしまった。
 
「パソコンは持ち歩いているよね?」
「もちろんです」
「じゃ途中まで松居が書いたデータを渡すよ」
 
と言って雨宮先生がUSBメモリを渡すので千里はバッグからパソコンを出すとデータをコピーしてUSBメモリは返した。
 
「松居さん、どうかなさったんですか?」
 
「上島がオーバーフローしてたんで、11日までに仕上げないといけないのを20個押しつけた。まああいつはゴースト嫌いだからちゃんと松居の名前で出すけどね。それでこちらまで手が回らないからと言って途中まで書いたのを送ってきたんだよ」
 
「それはまた大変だ」
「途中まで書かれているけど、それを無視して全部最初から書いてもいいから」
「じゃそれは中を見てから判断します」
「うん、よろしくー」
 

それで雨宮先生は八戸まで寝ているからと言って自分の席の方に行った。 
「でも今、あの先生、お前のこと娘と言わなかった?」
「聞き違いでは?息子と言ったと思うよ」
「あ、そうだよな。先生が性別を間違うわけがない」
 
それでその後父とは八戸に着くまで東北の名物の話をした。主として海産物である。三陸のイカとかサバは美味いという話で、八戸で猟師さんからもらって食べたイカの刺身が絶品だったなどと言うので、獲れたては美味しいだろうねなどと千里も答えた。
 
やがて《はやて29号》は八戸に到着。青森行きの特急《つがる29号》に乗り継ぐ。ホームで雨宮先生と一緒になったが、先生は
 
「毛利が盛岡駅で私を見付けきれないと電話してきたから、もうすぐ八戸に着くと返事した」
などと言っている。
 
「それで先生は青森まで行っちゃう訳ですか?」
「あんたは青函フェリーに乗るの?」
「急行はまなすで青函トンネルを抜けますよ」
「ああ、その手もあるのか。それってどこ行き?」
「札幌行きですが」
「そこまで行こうかな」
「先生は青森にご用事があったのでは?」
「向こうも札幌まで来させようかしら」
「相変わらず無茶振りですね」
 
そんなことを言いながらも結局は先生は青森駅で出札口の方に消えていった。どうも青森に居るガールフレンドの所に泊まることにしたようであった。 

父がはまなすの車内ですぐに眠ってしまったのを見て、千里は雨宮先生から頼まれたファイルを開いた。それで眺めている内に「あれ?」と思ったので列車がまだ地上を走っているのを見てデッキに出て雨宮先生に電話してみた。 
「何よ?これから可愛い可愛い男の子と楽しい楽しい時間を過ごそうと思っていたのに」
と雨宮先生。
「今夜泊めてもらう恋人って男の人だったんですか?ガールフレンドと聞いた気がしたのですが」
「うん。男だけどガールフレンド」
「へ?」
「今の所はね。来週タイに行って女に生まれ変わる予定だから、この子が男性機能を使えるのは今夜が最後になるかもね」
「へー!」
「でも青函トンネルって電話通じたのね?」
「いえ通じません。まだトンネルに入っていませんから」
「青森出たらすぐ海底じゃなかったんだっけ?」
「津軽半島の先から海底に入りますよ。今まだ奥内駅を通過した所です」
「地名が分からないや。まあいいか。で何?」
 
「この頂いた3番のファイルはもしかしてKARIONに歌わせたい歌詞コンテストの応募作品ですか?」
「何番か忘れたけど、それが入ってた。言い忘れたけど、それ東郷誠一作曲で出すから」
 
「意味がよく分からないのですが」
「東郷誠一名義の作品の8−9割はゴーストライターだから」
 
「そういえば1年ほど前にも書きましたね。その時は誰の名前で出すかは聞いていなくて後で知って驚いたのですが。今回も私が書いて東郷誠一さんの名前で出すんですか!?」
 
「うん。印税・著作権使用料は7割こちらでもらえる。そこから更に1割引いてあんたに払う、というのでいい?」
「はい。それでいいです。じゃ東郷誠一さん風に書かないといけないんですか?」
「別に適当で良いよ。醍醐春海とは雰囲気を変えてもらえばいい。どうせあの人のゴーストライターはたくさんいるから」
「なるほどー。じゃ、昨年書いた時と似たような路線で書いてみます」
「うん。よろしくー」
 
千里は1年前にも新島さんからの依頼で「恋人たちの祭」という曲を曲先で書いたのである。その曲は東郷誠一さんの名前で、ゆきみすずさんに渡され、ゆきみすずさんがその曲に詩を付けてKARIONのデビューシングルに収録された。ただしどこかで混乱が生じたようで、実際にKARIONのCDに収録された曲のタイトルは「小人たちの祭」になっていた。
 

その後千里は先生の情事を邪魔した罰などと言われて、今夜一緒に夜を過ごしている恋人を電話口に出させて刺激的な言葉をしゃべらせる。千里はそれをずっと聞いていろと言われた。どうも先生が予め用意していた台本を読ませているようだ。
 
「私は今まで男の子でしたが、これからは女の子になります」
「I have been a boy until now, but I will be a girl from now」
「I was male when I was born, but I will be female for the rest of my life」
「I have been sorrowful being a man, but I will be happy being a woman」
「私はこれまで母の息子でしたが、これからは娘になります」
「私はこれまで姉の弟でしたが、これからは妹になります」
「私はこれまで弟の兄でしたが、これからは姉になります」
 
うーん。母はもう私を娘と思ってくれているし、妹も私を姉と思ってくれているけど父はまだ息子と思っているんだよなあ。
 
「来週私はおちんちんとタマタマを取って、割れ目ちゃんとヴァギナを作って女に生まれ変わります」
「私のお股には突起物がありますが、来週には無くなってスッキリしたお股になります」
「私はこれまで立っておしっこをしていましたが、来週からは座ってしかおしっこできなくなります」
 
うん。お股はスッキリしている方がいいよ。あそこにぶらぶらするものが付いているなんて悪夢!
 
「私はこれまで背広を着て会社に行っていましたが、年明けからはスカートを穿いて出社します」
「私はこれまでプールで海水パンツを穿いていましたが、今度からはビキニの水着を着ることになります」
「私はこれまで男湯に入っていましたが、年明けからは女湯に入ります」
 
この人、今男性として生活してるの〜? おっぱいまだ大きくしてなかった訳?しかし男性社員と思われていた人が突然スカート穿いて出社して大丈夫か??? 
「私のおちんちんが大きくなるのはこれが最後です。来週にはもう大きくなるようなものは私の身体からは無くなります」
「私はこれまでセックスで入れる側でしたが、これからは入れられる側になります」
「私はこれまで手で掴んでオナニーしていましたが、これからは指で押さえてオナニーすることになります」
 
こんなのずっと聞いていたら、こちらまで変な気分になってしまう! えーん。貴司、私今貴司としたいよぉ。
 
もっともそんな妖しい通話は列車が青函トンネルに突入して切れてしまった。 
向こうは多分それから、きっとこのあとたくさん言葉責めをして熱い夜を過ごすのだろうが、付き合わされたこちらは精神状態が宙ぶらりんである。ちょっとぉ。この気持ちどうしたらいいのさ?
 
そんなことを思っていたら、呆れたように《いんちゃん》が
『千里もオナニーしちゃったら? 生娘でもあるまいし。トイレに行ってしてきなよ』
 
などと言った。
 

千里は北海道に上陸したあたりから札幌駅に着く直前まで寝ていた。スーパーカムイに父と一緒に乗り継ぐが、父は深川で降りて留萌線に乗り換えた。千里は旭川駅まで乗り、駅からタクシーでアパートに戻る。そして美輪子が洗濯してくれていた体操服を持って練習に出ていった。それで千里が練習を休んだのは金曜日1日だけである。昨日のシューター組の練習は、南野コーチが見てくれていたらしい。
 
千里は土日もたっぷり練習をし、シューター組の指導もした。この時期はフォワード組vsシューター組の試合も毎日20分ほどやった。フォワード組はゴール近くからのシュートしかしない、シューター組はスリーしか撃たないという勝負である。これで結里や昭子にしても、ソフィアや晴鹿にしても、かなり実践的なマッチングを鍛えられた。
 

12月12日(金)。
 
お昼にH教育大旭川校の推薦入学の分の合格発表があり、暢子も留実子も合格していた。これで2人は来春からはまたチームメイトとしてバスケットに情熱を燃やすことになった。
 
そしてこれで教頭先生から課された課題は4人の内3人クリアである。千里が万一□□大学医学部に落ちても、来年も3年生を3人まで限定でウィンターカップに出すことが認められることになった。しかし千里としては、ここまで来たらちゃんと全員合格で教頭先生の課題をクリアしたいと思った。特に千里は入学以来教頭先生には何かと目を掛けてもらい、配慮してもらってきた恩を感じている。
 
そしてこの日は晴鹿と絵津子の交換留学最終日であった。
 
この日はシューター教室の生徒全員に練習用ゴールを1つずつ使わせてスリーを各自150本撃ってもらった。1年生6人(可穂子・一恵・紫苑・鶴代・亮子・安純美)に計数係兼ボールを返す係をしてもらったが、彼女たちはシューター教室の生徒たちがみんなぽんぽんスリーを放り込むのを半分呆れるように見ていた。
 
(計数は予め印刷しておいた150個のマス目のある紙に○か×かを記入していきあとで○を数える方式であるが、実際にはみんな×を数えたほうが早かった) 
結果は、結里105本、昭子114本、ソフィア102本、智加88本といったところで、今回の講座を始めた時のレベルからするとそれぞれ進化しているが、特に結里がかなり進歩し、ソフィアがそれに負けじと頑張った雰囲気の数字になった。 
そして晴鹿は134本と、ほぼ9割入れることができた。
 
「晴鹿ちゃん、だいぶ進歩したね」
と千里は褒める。
 
「おかげさまで。毎日ロードを走ったので、やはり下半身が凄くしっかりした感じがします」
「この感触を忘れないように頑張ってね。ウィンターカップのスリーポイント女王を争おうよ」
と千里は言ったが
 
「来年狙います」
と晴鹿は言った。
 
「いや、千里さんは凄まじすぎます」
とソフィアも言う。
「私、計数する必要が無かったです」
と千里の計数係をしてくれた紫苑も言う。
 
千里は150本中149本入れたのである。わずか1回、127回目のシュートがリングを回ったものの外にこぼれてしまったのみである。
 
「まあフリーで撃ったら本当は全部入れなきゃいけないんだけどね」
と千里は笑って言った。
 

最後に実戦形式で試合をした。
 
A 雪子/千里/薫/暢子/留実子

B 不二子/晴鹿/ソフィア/揚羽/リリカ/

 
という組分けで、志緒が「第1レギュラー対第2レギュラーですね」と言った。どちらもスターターを任せられる強烈なメンバーである。
 
雪子−不二子、千里−晴鹿、薫−ソフィア、暢子−揚羽が各々本気でマッチングして、激しい勝負になった。
 
試合は上級生の貫禄でAチームが勝ったものの、最後はどちらも精根尽き果てた感じであった。晴鹿は千里のシュートをかなり叩き落としたし、何度か美事に千里からスティールも決めた。
 
練習が終わった後、一応参加できる人だけということにして、女子寮の食堂でジンギスカン(晴鹿の希望による)を食べて打ち上げとした。女子寮を使ったのは、疲れて眠くなった人は(寮生以外も)適当な部屋に入って寝ていいという趣旨である。実際空いている部屋いくつかに布団をたくさん置いておいた。 
女子寮で男子禁制ではあるのだが、特例で宇田先生・白石コーチ・教頭先生も入ってこの1ヶ月の晴鹿の頑張りをねぎらった。
 
なお、打ち上げが終わった後、女子寮のお風呂で「打ち上げ第2弾」が行われたらしいが、千里は帰ったので様子は聞いていない。しかし昭子は「まあまあ」と言われて女子寮のお風呂に一緒に入ってから帰宅したようである。
 

晴鹿は土曜日は同学年の不二子・ソフィアに案内されて旭川の観光をした上で(でも土曜日も日曜午前中も自主的に練習していたようである)日曜日15:10のセントレア行き飛行機で帰ることになる。旭川空港とセントレアとの便は1日1往復で、14:35にセントレアからの便が着いて、それが折り返しセントレア行きになる。そのセントレアから来た便で絵津子が1ヶ月間の留学から戻って来た。
 
絵津子が荷物を受け取って出てきたのは14:50すぎで、晴鹿が手荷物検査場に入って行ったのは14:30くらいなので、ふたりは顔を合わせていない。暢子たちも、晴鹿を見送ってから、絵津子を迎える形になった(留学開始の時も絵津子を見送った後で晴鹿を迎えた)。
 
「あれ?髪が少し伸びた?」
とみんなが指摘する。
 
「また丸刈りしようかなとも思ったんですけど、お母さんが可哀想だからやめときなよと言われて放置です。取り敢えずウィンターカップが終わるまでは伸ばそうかな」
と絵津子。
 
「うん。女子の丸刈りは校則違反かもという説があるから」
「ああ、千里も1年生の時、随分生徒指導の先生から注意されていたね」
「へー。千里さんも丸刈りにしてたんですか?」
「この子、自分は男だと主張して丸刈りにしてたけど、みんな君は女だろうと言って伸ばさせた」
「なるほどー」
 

一方千里はこの日の晴鹿の見送り・絵津子のお迎えはパスさせてもらった。午前中に、朱雀で汗を流していた晴鹿と最後の1on1をした後で、ウィンターカップでの健闘を誓い合って別れる。そして、お昼過ぎから市民オーケストラの公演に出て行った。これが千里にとってはこのオーケストラでの最後の活動ということになる。
 
12月なので前半はクリスマスっぽい曲を随分演奏した。アデステ・フィデレス、ホワイトクリスマスで今日多い中高生の客の関心を引いた上で、主よ人の望みよ喜びよ、アルビノーニのアダージョ、ヘンデルのメサイア、くるみ割り人形から行進曲・金平糖の踊り・花のワルツ。
 
後半のトップに千里の木製フルートをフィーチャーしたメルカダンテのフルート協奏曲《ロシア風ロンド》を演奏する。クラシックに疎い人にも割とメロディとしてはなじみのある曲なので、あまり睡眠客を作らずに無事終えることができた。 
そのあと千里は金属フルートに持ち替えて、今回この曲のためだけに特別に出演をお願いしたDRKの仲間・L女子高の布留子と布浦さんと3人でパッヘルベルのカノンのフルート・バージョンを演奏した。本来はヴァイオリンの三重奏で演奏する曲である。
 
最後は友情出演してくれたA大学の混声合唱団の人たちと一緒にベートーヴェンの第九交響曲第四楽章を演奏して公演を終えた。
 

「この拍手はアンコールだよ」
「誰か出ていこう」
「誰が行くの〜?」
 
「そりゃ千里だな。最後の出番」
「え〜?」
 
「千里龍笛吹いてもいいよ」
「じゃ、例の曲を吹きます」
 
それで千里はひとりで出て行き龍笛で『アクア・ウィタエ』を演奏した。例によって落雷付きである。これにはまた凄い拍手が起きる。
 
「再度アンコールのようだ」
「どなたかお願いします」
「ここはフルート三人娘で」
 
「私、娘じゃなくて主婦だけど」
と布浦さん。
「千里も実は結婚している」
などと浅谷さん。もう!!
「一応私は未婚かな」
と布留子。
 
ともかくもその3人で出て行く。布浦さんがアルト・フルートを持つ。千里と布留子でメインメロディーを担当して『グノーのアヴェマリア』を演奏した。 
「グノーのアヴェマリア」とも「バッハのアヴェマリア」とも呼ばれる作品であるが、元々バッハの平均律クラヴィーア曲集の中の曲にグノーが主旋律を加えて作った作品である。これもクリスマスにふさわしい、美しい作品だ。 
演奏は美しく終止し、大きな拍手が沸き起こった。
 

終わった後は、千里の他にも数人今年いっぱいで辞める人がいたので送別会を兼ねた食事会をした。布留子も同行する。
 
「じゃ今回送られる3人とゲストの大波さんの分はタダということで」
とリーダー格の人が言っていた。
 
「千里ちゃん、東京の方の大学に行ってもオーケストラ活動続ける?」
とクラリネットの人から訊かれる。
 
「いやさすがに引退です。そもそも大した腕じゃないし」
「いや、千里ちゃんは充分うまいよ」
 
「千里さん、大学に入ったらバスケットに専念でしょ・}
と布留子が言う。
 
「うーん。そもそもインターハイで引退するつもりだったのを国体、アジア選手権、ウィンターカップと引退延期してきたから、さすがにウィンターカップで私のバスケ人生は終了かな」
と千里は言うが
 
「いや、千里さんの実力で、それは許されない」
などと布留子は言う。
 
「そもそも来年のU19世界選手権に招集されるでしょ?」
「うーん。国外逃亡でもしようかな」
 
「千里ならきっと世界の裏側に行っていても、ちゃんと代表に顔を並べている気がするね」
などと美輪子は言っていた。
 

「そういえばN高校に凄いシューターが成長しつつあるという噂もあるんだけど」
と布留子。
 
おそらく晴鹿のプレイを偶然目撃した誰かが「なんか凄い人居る」と噂を立てたのだろう。彼女はL女子高やM高校との普段の練習試合は見学だけにしてコートには立たせていない。
 
「最近伸びてきたのはシューター組では昭ちゃんかなあ。結里は伸びそうで伸びきれないんだよ。実はウィンターカップの代表枠からも漏れてしまったんだ」
 
「あらら。でも昭ちゃんは出場資格無いんでしょ?」
「まだ身体が男性だから」
「性転換する気は無いの?」
「ご両親からは手術するのは高校を卒業した後にしなさいと言われているらしいんだよ」
「まあ、それが常識的かもね」
「うん。私は非常識」
「じゃ、昭ちゃんが女子選手になるのは高校を卒業して2年経過して3年後くらいになるのかな」
「たぶんそんな感じだろうね。その前に高校出たら多分速攻で去勢するだろうから、地区大会とかには限定的に出してもらえるかも」
 
「え?あの子、去勢は済んでいるよね」
「取り敢えず本人は否定している」
「だってお風呂で見ても付いてないじゃん」
「ね?」
 
と言いつつも、タックのことは説明しなかった。あまり知られると自分もちょっとやばい感じはある。本来はタックしていても男性器がまだ付いている人が女湯に入ってはいけないのだ。
 
「診断書取っておいた方がいいんじゃないの?」
「うん。それは本当にそうだ。ちょっと本人に再度強く言ってみようかな」
 
 
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