【女の子たちの出会いと別れ】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-01-12
千里は山の斜面を随分歩き回っていた。私、道に迷ったのかなと思っている内、屋根の付いた通路があるのに気付く。どうも旅館から温泉に行く通路のようだ。あ、そうか。私旅館に泊まっていて、お風呂に行こうとしていたんだった。と思い、その通路を登っていく。
たどり着いた先はスポーツジムか何かのような感じで、大勢の男の人が腹筋や背筋を鍛えるマシンを使ったり、またルームランナーの上を走ったりしている。みんなトランクス1丁の半裸である。
あれ〜。ここ男の人ばかり。私間違って男湯の通路に来ちゃったかなと考える。そういえばここの旅館って、男湯と女湯が離れた場所にあって、通路も結構離れていたような気がした。誰かスタッフを見付けて女湯の方に行く道を聞こうと思って歩いていると、チェストプレスをしている薫が居る。薫はおっぱい丸出しだ!
「何やってんの?」
「私、おっぱい大きくしたいから大胸筋を鍛えている」
「でもここ男子用エリアみたいだよ」
「え?うそ?」
「だって周囲、男の人ばかりじゃん」
「ほんとだ!でもなんで千里もいるのさ?」
「私、道に迷ったみたい。薫も一緒に女子の方に行こうよ」
「うん。行く行く」
と言って薫はマシンから離れると、上にトレーナーを羽織って、千里と一緒にスタッフを探して奥の方へ行った。
そこで目が覚めた。
2008年3月1日は土曜日ではあったものの、午後からN高校の男女バスケ部員が引退している3年生も含めて全員、学校に集合した。この日の午前中、新しい南体育館《朱雀》が完成し、学校側に引き渡されたのである。
土曜日なので引き渡しやバスケ部員の集合は月曜日でも良さそうな所であるが、月曜日は卒業式なので、卒業して行く3年生にも新しい体育館を見てもらおうということで、この日のセレモニーとなった。
「前より随分広くなりましたね」
「うん。コート3面取れるようにしたし、シュート練習場を8m確保したから」
前の朱雀ではシュート練習場の幅は6.5mしかなかった。昔のスリーポイント・ラインは6.25mだったので良かったのだが、現在は6.75mに改訂されている。そのため前の朱雀ではシュート練習場のスリーポイントラインがコートのサイドラインで少し切れていた。ここを8m確保したのは、現在のルールでスリーポイントの練習がしやすいように宇田先生がこだわって実現してもらったものであるが、やはり千里という優秀なシューターがいるから、学校側も考慮してくれたのだろう。
「これ、幅を規定より少し短くすると4面取れるかも」
「線がテープで貼ってあるのは、その伏線ですか?」
「ペイントしようかと思ったんだけどね。どうも制限エリアの形が近いうちに変わりそうなんでね」
「ああ。今台形なのがNBAと同じように長方形に変更されるっぽいですね」
「うん。時期は分からないけどね。それで当面テープを貼っておこうかと。塗ってしまうと、グラインダーで床を削らないと取れないんだよ。それも完全に消える訳ではない。結局消した跡が残っちゃうんだよね」
「入れ墨みたいなもんですね」
「私たちはお化粧でやっていくと」
「新しい体育館なのにすぐ傷物になるというのは嫌ですよね」
体育館の窓は二重窓で、壁には断熱材を入れてあるし、表面は弾力性のあるラバー仕様になっている。勢い余って飛び出した選手が壁に激突した時の怪我防止である。
「これなら安心してアウトオブバウンズになりそうなボールに飛びつけるな」
「いや、そういう危険なプレイはしないように」
北側(校庭側)の1・2階に、用具室・教員室・給湯室とトイレの他、更衣室が4つ設けられていて大会などで使用しやすいようになっている。更衣室はパーティションを入れて8つに分割することもできる。また、南側(道路側)には椅子席を1階・2階とも設け、練習試合や大会などをする時に座って観戦できるようにしている。これは外界との干渉エリアを作ることで空調の効果を高める目的もあるらしい。
「つまり椅子席の最後の1〜2列は座っていると寒いんですね?」
「人間の壁ということで」
なお通常の空調の他、フロアには床暖房(オンドル)が入れられる。
「仮眠する時にいいな」
「寒くなったら朱雀に来よう」
このオンドルの燃料は基本的には薪なのだが、建築廃材が使えるようになっている。
「今旭川にはある理由で膨大な廃材があるらしいんだよ」
「それって、うちの近くに去年建設していた巨大な建造物ですよね?」
「うん。危険なんで全解体したけど、実際に焼けたのは材木の量で言うと3割くらいらしいし、その焼けて炭になったものも充分燃料になるらしい」
「うちの旧朱雀や仮設体育館も廃材になるんですか?」
「旧朱雀は8割くらいがヒバでできていて、その7割くらいは傷みも少ないというので、この春から建設される近隣の町の小学校の建築材料に利用すると言っていた」
「おお、第二の人生だ」
「痛んでいた物や解体中に破損した木材は製紙会社に引き取らていった」
「じゃティッシュペーパーやトイレットペーパーになったのか」
「この朱雀もヒバですか?」
「耐久性を考えてヒノキを使う案もあったんだけど、材質よりサイズ優先にしてやはりヒバで。江差のヒバだよ」
「やはり地産地消ですね」
ヒノキの北限は福島県付近である。東北から北海道の渡島半島南部にわたっては近隣種のヒバが分布している。
「それにヒバの別名はアスナロでしょ。明日は強い選手になろうという願いを込めようということで」
「いいですねー」
ヒバは「明日はヒノキになろう」と思っているということでアスナロと呼ばれる(「枕草子」が語源)。漢字では翌檜または明檜である。地域によってアスヒ・アテビ・アテ・津軽ヒノキなどの名前もある。
「明日はインターハイ優勝校になろう」
と暢子。
「明日は全日本優勝チームになろう」
と久井奈さん。
「薫と昭ちゃんは明日は女子選手になろう」
と川南。
昭ちゃんは唐突に自分に話が飛んできて恥ずかしそうに俯いたが、薫は緊張した顔をした。北岡君と氷山君もお互いに視線を投げ合う。
「仮設体育館の方はまるごとC学園に移設することになっている」
「へー!」
「3ヶ月使っただけだから廃材はほとんど出ないらしい。元々解体しやすいように多くのパーツはボルトで留めただけだったから」
「でも何年もつのかな」
「たぶん正規のを建てるまでのつなぎなのでは」
「今年再度校舎を建設して来年の春に開校みたいだよ」
「頑張るなあ」
「最近聞いたけど、普通コース・進学コース・特進コース・体育コースの他に福祉コースというのも作るらしいよ」
「へー。何するんだろう?」
「介護福祉士の受験資格が取れるらしい」
「それはユニークだね」
「あ、そのコース、誰かが設備を揃える費用を出してくれたので創設することになったらしいですよ」
「ほほぉ」
一通り、体育館の施設をみんなで見て回った後、記念に練習試合をする。男子の3年・2年・1年、女子の3年・2年・1年でトーナメントをした。ここで薫は2年女子、昭ちゃんは1年男子に入れた。
1回戦の3年男子vs1年男子は貫禄で3年生の勝ち。3年女子と1年女子は雪子や揚羽などの大活躍で1年生が3年生を圧倒した。
「あんたら強ぇ〜。インターハイ行けよ」
と言う久井奈さんに、雪子が
「今年はインハイ優勝します」
と笑顔で言っていた。
2回戦男子2年対3年はやはり試合から遠ざかっている3年が後半力尽きて2年生の勝ち。女子の2年対1年は激しい戦いになった。
2年:メグミ/千里/薫/暢子/留実子
1年:雪子/結里/蘭/リリカ/揚羽
というスターターになったが、やはり千里と暢子が底力を発揮して何とか1年を倒した。20分の試合なのに50対46というかなりのハイスコアゲームになった。
最後は男子2年と女子2年の決勝戦になったが、全く勝負にならなかった。女子対男子は年末に合宿先でも試合をしているが、その時は薫を男子の方に入れていても女子が圧勝した。今日はその薫が女子の方に入っているので試合は一方的になってしまい、60対26というダブルスコアになった。
「今年の男子の地区大会は女子1年で出ようか」
などと南野コーチが言うと
「待って。また頑張って練習するから」
と北岡君は言っていた。
「女子が男子の試合に出るんなら、おちんちんが必要だね」
「男子から取っちゃえばいいじゃん」
「みんなで刈り取りに行こう」
「勘弁してー」
「1人、取られたそうな顔してる子がいるけど」
「やはり年末に一応試合になったのは、歌子が男子の方にいたからだな」
と落合君も参ったという顔で言う。
「歌子さんがいるのといないとでは戦力が全く違いますよ」
と水巻君。
「最近なんか、ほとんど女子の方に行って練習してるけど、4月からは男子チームに合流だし、もっとこちらに来てよ」
と中西君。
北岡君と氷山君が厳しい表情をする。この2人と千里・暢子にだけ話は通してある。
宇田先生が
「その件について、みんなに話がある」
と言い、全員その場に座るように言った。
「実は先日歌子君はオールジャパンのエキシビションでの活躍が注目されて、北海道ブロックエンデバーに招集された。その時、彼女の性別について協会から疑問を提示された。それで昨年の村山君の例などもあったので病院で精密検査を受けてもらった。その結果、病院の診断内容を協会が検討して、歌子君は女子選手として登録してもらいたいということになった」
「えーー!?」
という声があちこちから上がる。
「ただ、彼女の場合、性別の移行からあまり時間が経っていないので、制限が掛かることになる。細かいことは個人情報が絡むので明らかにできないけど、取り敢えず4月以降、彼女は地区大会にはふつうに出場できる」
部員間でざわめきがある。
「それから7月以降は道大会まで出場できる」
と宇田先生は説明を続ける。
「全国大会は?」
「それについては現時点では明らかにできないけど、高校在学中はNG」
「可哀想」
という声があがるが、薫の場合、結局去勢していることを病院の先生に確認してもらったのが今年の2月20日なので、最低その2年後まではどうにもならないようである。
男性ホルモンの影響が消えるには去勢後2年間の女性ホルモン投与が必要というのがIOCの見解である。なお、女性から男性への性転換選手の場合は卵巣さえ除去していれば待機期間が不要であるし、男性ホルモンの量が多少ドーピング検査の基準値を超えても治療のための例外(TUE)として許容される。男性から女性への移行選手の場合はその例外が無く、男性ホルモン量が女子の基準値を超える場合は即ドーピングとみなされる。
「男子の方には出られないんですか?」
と落合君が訊くが
「うん。女子選手は女子の試合に出て下さいということ」
と宇田先生が言う。
「確かに、歌子は女の子だもんなあ」
と室田君が言う。
「俺、実は試合中に歌子に見つめられてドキっとしたことある」
などと中西君。
「ああ、それが更に進行すると誰かさんみたいに試合中にキスするのね」
と寿絵が言う。
かなりのざわめきがあったものの、みんな薫が女子であるという事実は受け止めてくれた感じであった。
「じゃ、薫はインターハイには出場できないんですか?」
と川南が訊く。
「うん。インターハイの場合は、道予選が6月にあるので、彼女は道予選にも出られない」
と宇田先生。
「私、薫の分まで頑張るね」
と川南は何だか嬉しそう!?
「うん。私の分、頑張って。P高校の徳寺さんとかを抜いてよ」
と薫。
「あの人強ーい!」
「徳寺さんに勝てなきゃ、私の代理はつとまらないよ」
「うーん。ちょっと練習頑張ってみよう」
「うん、頑張れ頑張れ」
そういう訳で、薫は結局4月から女子バスケ部で活動することになったのである。
「歌子君の参加できる大会が限られることと、やはり全体的な強化も兼ねて、今年は色々試合を入れるから」
と宇田先生が言う。
「今までやはりうちの学校は練習時間が限られているというのもあって、公式戦以外の参加は不熱心だったんだよね」
と南野コーチも言う。
「取り敢えず今月釧路で阿寒カップがあるのに急遽参加することになったから」
と宇田先生。
「またZ高校と対戦できますよね?」
と寿絵。
「幹事校・釧路Z高校の尾白さんに電話したら、松前君が割り込んできて、歌子君と湧見君入りのチームで出てこいと言ってたよ。まとめて叩きのめすからと」
と宇田先生。
松前乃々羽は先日の北海道エンデバーにも出ているので、薫の性別問題も知っているし、昭ちゃんを女湯の中で見ている。
「湧見もですか?」
と水巻君が嫌そうな顔をする。
「湧見まで女子チームに取られませんよね?」
と大岸君が言うが
「女子チームに公式に登録されるためには既に肉体的に女性になっていることが必要だから」
と宇田先生は答える。
「ボク、女の子になりたいけど、まだ性転換手術受ける勇気がないです」
と昭ちゃんは言っている。
「うんうん。湧見、性転換は高校卒業してからやろうね」
などと中西君。
「それから4月にインターハイの地区予選があるけど、ここからは歌子君は正式に出られる」
薫の転校生制限による出場禁止は4月6日で解ける。
「それから5月のゴールデンウィークに、うちが主宰して嵐山カップというのを開く」
「うちの主宰なんですか!?」
「近隣の学校に呼びかけてみたところ、今のところ20校くらいの学校が参加してくれることになった」
「凄い!」
なお、嵐山というのは旭川市内にある自然公園で学校の遠足や市民のハイキングなどによく利用されている所である。
実は昨日薫の診断結果が明らかになり、薫が女子チームに正式参加することが決まった時点で、前々から宇田先生とL女子高の瑞穂先生が持っていた構想を急遽具体化させることにしたのである。費用はN高校が全部負担するものの、L女子高もいろいろ協力してくれることになっている。昨日の午後、宇田先生、瑞穂先生、そして賛同してくれたM高校の金田先生と3人で電話を掛けまくって、取り敢えず口頭で20校ほどの学校の参加内諾を取ったのである。
競技はN高校の新しい朱雀(3面)と青龍(2面)・白虎(1面)それに隣接するM高校の第二体育館(2面)で一挙に8面取れるのが効いている。これで男女各32チーム以内なら2日間でトーナメントを実施することが可能だ。
「それから6月にはインターハイの道予選があるけど、7月に行われる道民バスケ大会にも参加するから」
「へー!」
「これは高校生だけでなく、大学やクラブチーム、企業チーム、などいろんなところが出てくるから、上位の方に行くとけっこう鍛えられると思う」
と宇田先生は言う。
「毎月何かやるんですね!」
と寿絵が半ば驚いたように言う。
「うん」
と宇田先生もちょっと楽しそうだ。
薫が協会の規定通りだと、インハイの地区予選と国体の道予選くらいにしか出られないということで薫が出られる大会を増やしてくれたのだ。宇田先生は昨日の午後だけで1ヶ月分くらいの仕事をしたのではと千里は思った。
週明けの3月3日。多くの高校で卒業式が行われた。N高校でも3年生の久井奈さんや麻樹さんたち、男子の真駒さん・白滝さんたちが巣立っていった。千里たち在校生は手分けして卒業して行く先輩たちに記念品を渡した。千里は透子さん、留実子は麻樹さん、寿絵は穂礼さん、メグミは久井奈さん、暢子がみどりさん、川南が美々さん、葉月が靖子さんに、記念品のバスケットボール柄コーヒーカップを渡して「今後も頑張って下さい」と言った。この7人は全員大学あるいは専門学校に進学後もバスケを続ける予定である。
そして千里たちは最上級生になる。今年の目標は何と言ってもインターハイで優勝を狙うことだ。但し昨年は他校が無警戒であったゆえに快進撃することができた面が大きい。今年はみんな自分たちを研究してくる。その中で勝ち上がっていくことが今年の課題である。
卒業式が終わり、学校も終わったところで千里は女子制服のまま旭川駅に行き、留萌行きの高速バスに乗る。15時頃留萌に着き、連絡していたので会社を抜け出してきてくれていた母と落ち合う。
「お母ちゃん、これお土産」
といってお菓子をひとつ渡す。
「ありがとう。今日はうちには寄れないんだよね?」
「ごめんねー。期末試験が直前だから明日には旭川に戻らないといけなくて」
「うん。いいよ、あんたお嫁に行ったんだし、仕方ないよね」
それで貴司の家まで送ってくれる。母同士挨拶もして、千里の母は帰るので、千里は貴司の母の「お帰り」ということばに「ただいま」と答えて家の中に入る。
「お母さん、これお土産です」
と言ってこちらにもお菓子を渡す。
「ありがとう。お茶入れるね」
ということで、母・貴司・千里の3人でテーブルを囲む。
「貴司、卒業おめでとう。これお祝いの品」
と言って千里はコーヒーメーカーとコーヒー豆のセットを渡す。
「おお、実用品だ!」
「大阪まで行ってコーヒー入れてあげられたらいいけど、貴司がコーヒー飲みたいと言う度に毎回行くのはさすがに無理だから私の代わり」
「ありがとう。大事にするよ」
このコーヒーメーカーはパイロットランプが故障したり、ふたのヒンジが破損したりはしたものの、10年以上にわたって活躍し、貴司が千里と同居するようになるまで持ちこたえることになる。
「これ千里に誕生日プレゼント」
と言って貴司は千里にミッキーマウスのトートバッグをくれる。
「わぁ、可愛い!」
「これファスナー付きだし、内ポケットもあるから、結構使えるかなと思って」
「うんうん。私も実用的なのが好き」
「でもあんたたちこの後、どういう付き合いかたするの?」
と貴司の母が訊く。
「うーん。特に何も意識せず」
「無理せず。あるがままにだよね」
とふたりは言う。今日でふたりの関係をいったんリセットすることについては貴司の母にも千里の母にも言わずにおこうと、ふたりは話し合っていた。
「交換日記は続けようと言ってたんです」
「へー」
「ミニレターにその日のできごととか書いて、お互いに送る」
「いいんじゃない? メール交換もするんでしょ?」
「メールは用事のある時はいつでも」
「でもお互いの日々を書き綴るのを続けていく」
この交換日記もふたりが夫婦でいる間、つまり3月31日までの限定で続けることにしているのだが、そのことはお母さんには言わない。
一息付いたところでお母さんは「神社に戻るけど、あまり羽目を外しすぎないように」と言って家を出た。
「理歌ちゃん・美姫ちゃんは何時頃戻るの?」
「たぶん18時頃だと思う」
「じゃ、それまで取り敢えず1回」
「OKOK」
ということでふたりは貴司の部屋に入り、お布団の中で熱い愛の交換をした。
「ね、ね、ゴールデンウィークとか夏休みとかに会えないよね?」
と貴司が言うが
「ごめーん。ゴールデンウィークはカップ戦があるし、夏休みはインターハイに国体予選にとあるから」
と千里。
「そっかー。ジュニアはむしろ春から秋に掛けてが忙しいんだね」
「うん。プロはバスケシーズンは冬だけどね」
「でももし会えたらデートできる?」
「約束はできない」
「だめ〜?」
「会えたらデートするってのは、結果的にお互いの恋愛関係をずっと維持していくことを意味するから、たぶんエネルギー切れするよ」
「うーん」
「だからやはり友達に戻るのがいいんだよ」
「僕たちが再度夫婦に戻れるかどうか千里、占ってよ」
「無理だよ。そんな問題について、筮竹にしてもタロットにしても答えは出してくれない。自分がニュートラルになれない問題は占えないんだよ」
「それでもいいから」
貴司がどうしてもというので千里はタロットを引いてみた。
審判のカードが出た。
「これって復活って意味だよね?」
「まあそうだね。でもこういう精神状態で引いたものは無効だよ」
「僕はこのカードを信じる」
「まあいいけどね」
結局もう1回したところで服を着て居間に出る。今夜の晩御飯は千里が作ることにしていた。お母さんが材料だけ買ってくれていたので、それを使って八宝菜を作る。
「八宝菜って好きだな。いろいろな素材が入っていてさ」
「それだけに下ごしらえの段階が大変なんだけどね。酢豚なんかもそうだけど」
「あ、酢豚も好き。今度会えた時に作ってよ」
「まあそのくらいはいいよ。友達同士でも御飯作るくらいいいよね」
「うん」
ちょうど御飯ができた頃、先に中1の美姫ちゃんが帰って来て、30分ほど遅れて中3の理歌ちゃんも帰って来た。
「私、玲羅ちゃんと姉妹の契(ちぎり)をしたんですよ」
と理歌。
「何それ?」
と貴司が訊く。
「ってか、理歌お姉ちゃんも私も玲羅さんと義理の姉妹だよね」
と美姫が言う。
「うん。でも兄貴ったらこんな可愛いお嫁さんがいるのに、すぐ浮気しようとするからさ。兄貴が浮気しようとしても物理的にできないようにする、おまじないをしちゃおうなんて言ってたんですよ」
「おまじない?どんな?」
「秘密」
やがてお父さん、そして少し遅れてお母さんが帰ってきて、6人で食卓を囲んで夕食を頂く。美味しい美味しいと言って、貴司もお父さんも食べてくれるので、千里はとても幸せな気分になった。お父さんも貴司も日本酒を飲んでいたが、千里も今日は未成年飲酒の件は追及しないことにした。
食器の片付けをして21時頃、貴司とふたりで部屋に入る。
「今日は何回くらいできるかな?」
という貴司の問いに対して、千里は
「馬鹿ね。愛は回数じゃなくて中身なんだよ」
と言ってキスする。
ファンヒーターが暖かい空気をはきだしている。ふたりは静かにお布団の中に入った。
ふたりは時間を惜しむように何度も何度も結びつきあった。途中でさすがに貴司のが立たなくなってしまうが、千里はそれを指でもてあそんだり、お口で優しく舐めてあげたりした。ふたりの行為は本当に明け方まで続いた。
5時頃になって少し寝ようかということになり、貴司は疲れ切ったように熟睡する。千里も1時間くらい寝てから起き出して、朝ご飯を作る。鮭の切身を7つロースターで焼く(1つはお父さんのお弁当用)。お味噌汁を作っていたらお母さんが起きてきてお弁当作りを手伝ってくれた。
「千里さん、ここはあなたのおうちだし、貴司が居ない時でも気軽に寄っていいからね」
とお母さんが言う。
「はい。ほんとに寄せて頂くかも」
と千里は笑顔で言った。
7時頃お父さんを送り出し、7時半すぎに理歌と美姫を学校に送り出す。8時過ぎにさすがにそろそろ起きてもらわなきゃというので貴司を起こす。鮭の切身と味噌汁を温め直しで朝ご飯を食べてもらい、貴司は旅行鞄を持って出かける準備をする。貴司は背広上下である。千里もお母さんから借りたウンガロのワンピースを着る。それでお母さんの車に乗って旭川まで出た。
ここで礼文島から出てきた貴司の祖父母(貴司の父の父)と会った。
「ご挨拶に行かなくて申し訳ありませんでした。貴司さんの妻の千里と申します」
と挨拶すると
「おお、めんこい、めんこい」
とお祖父さんは千里を見て喜んでくれた。
「あなたけっこう背が高いけど、貴司が背が高いしちょうどいいかもね」
とお祖母さん。
「千里さんはバスケットをしてるんですよ。だから背が高いんです」
とお母さんが言ってくれる。
「あら、貴司さんもバスケットしてるんでしょ?」
「ええ。ふたりともインターハイと言って全国大会に行ったんですよ」
「それは凄い!」
お祖父さんは多少ボケている感じだし、足腰が弱っている感じではあったが、一応自分で歩ける状態。付き添いで来ている貴司の伯父(父の兄)夫婦と一緒に割烹料理店に入った。
「本当は僕らがそちらに行かないといけないのに済みません」
と貴司は言うが
「いや、ふだんどうしても島に籠もりっきりになっちゃうから、たまには外の空気を吸わせなきゃと思ってね」
とお祖母さんは言う。
「だけど貴司君、まだ18だよね?」
「高校生夫婦なんです。千里はまだ17歳で」
「へー。若いのに。まあ最近の人はそれでもいいのかもね」
「赤ん坊はできたか?」
とお祖父さんが言う。
貴司と母は一瞬顔を見合わせたが、千里はニコリと笑って
「京平というんですよ。今日は遠出になるので連れてきてませんが」
と答えた。
「きょーへーか。いい名前だ」
とお祖父さんは言う。
「お祖父さんだけに写真見せてあげます」
と言って千里は自分の携帯の画面を開くと、それを祖父だけに見えるようにして見せた。
「おお、元気そうな童(わらし)だ」
と言って、祖父は満足そうにしていた。
お祖父さんたちと別れてから、貴司から突っ込まれる。
「千里、京平の写真があるなら僕にも見せてよ」
「ごめんね。あれ、お祖父さんにだけ見せていいと言われたの」
「なんで?」
「深くは追及しないで」
と言って千里は遠くを見る目をした。
「京平って誰?」
とお母さんが訊く。
「私と貴司さんの子供です」
と千里は微笑んで言った。
「あんたたち赤ちゃん作っちゃったの!?」
「京平本人は7年後くらいに生まれてくると言ってました」
「へ?」
「お母さん、千里はある場所で未来の僕たちの子供に会ったらしい」
と貴司が説明する。
「じゃ、やはり千里さん、子供産めるの?」
「どうなんでしょうか。私、自分が子供産める訳ないと思ってたんですけど、最近自信が無くなってきました」
「へ?」
「だって千里って生理あるよね?」
と貴司が訊く。
「男の子には生理のこととか教えられませーん」
と千里は微笑んで言った。
貴司は旭川空港15:10のセントレア行きで旅立って行った。いつか千里が雨宮先生に唐突に京都に来てと言われて呼び出されたときに使用した便だ。セキュリティのそばで物陰に隠れてキスをした。
貴司は「愛してる」と言ったが千里は「さよなら」と言った。再度千里にキスして、貴司はセキュリティのゲートをくぐった。千里の目に大粒の涙が光った。
その晩、千里はどうにも眠られない感じだった。昨夜も徹夜しているのに、どうしても気持ちが定まらない。《びゃくちゃん》が『寝なきゃダメ』と言って、千里を強引に睡眠に導いた。
翌日の朝、千里が学校で少しボーっとしていると、京子が後ろからいきなり千里の両胸をつかみ
「だ〜れだ?」
と言う。
「これ普通、目をふさがない?」
「千里はこのあたりに目があるかと思った」
と京子。
「着ぐるみだと、そのあたりに目があることもあるよね」
と鮎奈。
「私、着ぐるみなの〜?」
「男の娘を装っているけど、実は中の人は純正の女の子ではないかという疑惑がある」
「蓮菜とか恵香の話を聞いていると、千里におちんちんが付いてたのを目撃したことのある人というのが、そもそも存在しないっぽい」
「でもどうしたのさ? 今日から期末テストというのに、ぼんやりしてて」
「うん・・・」
千里が答えあぐねていると、少し離れた席にいた蓮菜が言った。
「彼氏が就職で大阪に行っちゃったんだよ」
「ああ、それで?」
「夜が寂しくて、寝付けないのね?」
「うーんと。。。」
「彼氏のおちんちんの型取りとかしておけば良かったのに」
「何それ?」
「シリコンで型取りするキットとか売っているんだよ」
とこの手の話に異様に詳しい京子が言う。
「それ、どうやるわけ?」
「大きくなったアレを粘土の中に突っ込んで、固まった所で抜くのよね」
「ほほぉ」
「でもそれ固まったら抜けるの?」
「小さくなれば抜けるよ」
「なるほどー」
「男の子の身体って便利だね」
「女の子の胸も伸び縮みするといいのに」
「それ、ブラジャーが大変!」
「それで、そのあと粘土の型にシリコン樹脂を流し込んで固めるんだよ」
「面白い」
「粘土のマトリックスがあれば、何本でもおちんちんを生産できる」
「マトリックスって何だっけ?」
「母型。父型はパトリックス」
「映画のマトリックスもそれ?」
「そうそう。元々はドクターフーというSFで使用された言葉で、この方面では記念碑的な作品『ニューロマンサー』で有名になったんだけどね」
「マトリックスと言ったら、行列と思ってたから、行列がどう関わっているんだろうと、疑問だった」
「行列も要するにベクトル変換の母型ということだよ」
「ああ、そういうことか」
「おちんちんの型取りの場合は、オリジナルのおちんちんがパトリックスになるわけね」
「そうそう」
「パトリックスからマトリックスを作り、そのマトリックスから具体的なオブジェクトが生産される」
「パパからママができるのか」
「ママはパパの裏返し」
「性転換手術でも、おちんちんの皮を裏返して、ヴァギナ作るんでしょ?」
と京子。
「うん、そうだよ」
と千里は苦笑しながら答える。
「えー!? そうやってヴァギナ作るんだ?」
といつの間にか寄ってきている梨乃が驚いたように言う。
「おちんちんの皮をひっくり返してヴァギナを作れば、ちょうどおちんちんが入るサイズのヴァギナができるんだよ」
と京子。
「なるほどー。合理的な気がする」
と梨乃。
「そういえばマトリックスの監督の兄弟の兄の方が、性転換したという噂があるね」
「嘘!?」
「パトリックスをマトリックスに変えちゃったんじゃない?」
「ほほぉ」
そういう訳で千里は何だか訳が分からない内に、友人達の会話のネタにされて少し元気が出た。
昼休みにメールチェックをしていたら、何と毛利さんからメールが入っていた。電話が欲しいということだったので、教室の隅の方に行って電話する。
「お疲れ様です。もう東京に戻ってこられたんですか?」
毛利さんは昨年起きた新潟県中越沖地震の後片付けをするボランティアに行っていたのだが、3月末まで向こうにいると聞いていた。
「うん。それがちょっと大きな作業に組み込まれちゃって。なりゆき上5月くらいまでかかりそう」
「それは大変ですね!」
「それでさ。ちょっと頼まれてくれない?俺の所に、藤吉真澄(木ノ下大吉の弟)さんから連絡があってさ。木ノ下さんに依頼のあった作曲をこちらで頼むと言われたんだけど、俺まだ今月までは謹慎中だから」
毛利さんの謹慎は本来は2月末で明ける予定だったのが、1月に臨時で2週間ほどやむを得ない作業で一時復帰したので3月末まで延長になっていた。
「いつまでですか?」
「明日の午前中までなんだけど」
千里の所に回ってくるのはだいたいそんな話だ。千里はため息をつく。
「それ誰が歌う作品なんですか?」
「聞いてない。ただ詩をゆきみすずさんが書くらしいんで、たぶん女性歌手じゃないかと思うんだけどね」
ゆき先生は概して曲先の仕事が多い。おそらく曲を聴いてそこからイメージを膨らませて歌詞を書くのだろう。
「じゃ、詩は無しで曲だけでいいんですね?」
「そうそう。3−4分程度にまとめて。取り敢えずメロディーとギターコードだけでいいから」
藤吉さんに毛利さんの名前で送ってと言われて、毛利さんのメールアドレスのログインidとパスワードを教えてもらった。
千里はその日(期末テストで)部活がお休みなので、6時間目の試験が終わると、旭川駅に出て、17時の留萌行き快速バスに乗った。車内から貴司の母に「ちょっと寄っていいですか」とメールしたら「歓迎」という返事がある。
19時に留萌駅前に着くと、お母さんが迎えに来てくれていたので、車に乗せてもらって貴司の家に行く。
「別に用事は無いんですけど、朝まで貴司さんの部屋で過ごさせてもらっていいですか?」
「うん、いいよ、いいよ。あの部屋はそのままにしてるし、千里ちゃんの部屋と思って自由に使ってもらっていいし」
「ありがとうございます」
貴司の妹さん2人・お父さんと一緒に晩御飯を頂く。後片付けなどを手伝い、お風呂ももらって22時頃に貴司の部屋に入った。
電話を掛ける。
「ああ、貴司、もう練習終わった?」
と言うと
「今、終わって帰る所」
と言う。
「今どんなところに住んでるんだっけ?」
「取り敢えず社員寮の空きに入れてもらっているんだけどね。適当な物件を探すことにしている」
「マンションでも買うの?」
「そんな金無いよ! でも賃貸マンションにしようかと。今日チームに合流して、監督に僕のプレイ見てもらって、ベンチ入り確約してもらったんで、住宅手当が結構もらえるみたいだから。スターターになれるかどうかは分からないけど、一応スターターやそれに準じるレベルの選手は、セキュリティ付きのマンションに住んで欲しいと言われているんだよね。会社のイメージ戦略もあるみたい」
「それ家賃高いでしょ?」
「15万はすると思う」
「きゃー。さすが大阪だね」
「でも20万円までは全額会社が出してくれると言われた。それ以上は自己負担」
「今、私どこにいるか分かる?」
「え?旭川じゃないの?」
「留萌の貴司んち」
「えーー!?」
「寄っていいですか?とお母さんに言ったら歓迎と言われたから押しかけてきちゃった」
「まあいいけどね」
「ついでに**ちゃんの写真見付けちゃったんだけど、破棄していい?」
「人の机勝手に開けるなよ!」
「大丈夫。呪(のろ)いを掛けたりはしないから」
「千里の呪いは効きそう!」
貴司と結局1時間くらい電話で話したら、けっこう気が晴れた。それで電話の向こうとこちらで『リモートキス』をしてから、おやすみを言って電話を切る。そして千里は貴司と話して高揚した気持ちの中で、五線紙に音符を綴り始めた。
私、貴司とそういえばそんなにたくさんデートしてないよな、などというのも考える。お互い休みの日もずっとバスケの練習をしていたから、あまり浮ついたことをした覚えがない。
そんな中で、留萌の黄金崎でデートした時のことを思い出した。あれ〜?私ってそういえば晋治ともあそこでデートしたよな、などと考えたりする。まあデートスポットなんてそう多くないから、どうしてもダブるもんね〜などと考えていた時、ふたつのメロディーが折り重なるような不思議な旋律が頭の中に聞こえてきた。
それを忘れないうちに書き綴っていく。
お、これ魅力的。これサビにしよう。
それは2つのボーカルがお互い独立に動きながらずっと調和を保つという不思議なメロディーであった。
千里はその日、夜中過ぎまで楽曲の制作を続け、2時頃にcubase上のデータを整備しおえて、藤吉さん宛てメールした。『風の色』というタイトルを付けておいた。
その晩は何だかぐっすり眠ることができた。(テストの勉強は全然してない!)
3月12日。東京∴∴ミュージック。
畠山は、ゆきみすずさんから送られて来た楽曲を聴いて少し悩んでいた。そこに鈴木聖子さんが来て
「あれ〜、社長、なんだか機嫌が悪いっぽい」
と言う。
「いや、例のKARIONの件でさ。今週末から2枚目のCDの制作を始めるんで、その楽曲の仮歌を聴いてたんだけどね」
「あ、私にも聴かせてよ」
と鈴木さんが言うので送られて来た3曲を聴かせる。
「なんか大人っぽいね。こないだのはけっこうアイドル色が強かったのに」
「うん。ゆき先生も最初はアイドルというので簡単な楽曲をそろえてくれたんだけど、あの子たちかなり歌えるというので、本格的な曲を用意してくれたみたい」
「3曲目は作曲者が違うよね?」
「いや、1曲目・2曲目も違う」
「あれ?そう?1曲目と2曲目は同じ人かと思った」
「1曲目は木ノ下大吉先生の『風の色』、2曲目は鴨乃清見さんの『丘の向こう』。どちらも作詞はゆき先生だけどね。3曲目は広田純子作詞・花畑恵三作曲『トライアングル』」
「おお、『See Again』の人か。なんかすげー格好いい曲だと思った。あれで津島瑤子もsinger againという感じになったね」
「春のツアーのチケットは全部ソールドアウトらしい」
「凄い、凄い。私も復活したいなあ」
などと言っていたら、三島さんと打ち合わせをしていた槇原貞子が
「あんた、復活の前にそもそも売れてないじゃん」
などと言う。
「おていちゃんに言われたくないな」
と聖子。
槇原貞子・田上純子・鈴木聖子・立花弓子・香田時子の5人は∴∴ミュージックの「5人娘」と言われているが、3万枚以上売れたことがないのが共通点である!
「だけどこの『丘の向こう』って、これもしかして元の楽曲を途中でぶった切ってません?なんか不完全っぽい気がする」
と聖子が言う。
「鴨乃清見さんの曲なら私にも聴かせて」
と言って槇原貞子が寄ってきて仮歌を聴かせてもらう。
「ああ、これ大西典香のアルバムに収録されていた『カタルシス』という曲の後半だよ」
と貞子が言う。
「へー!」
「前半はね、これ商業作品として売る気あるのか?と思うどろどろした曲。不協和音だらけというか、むしろ無調音楽という感じ。それが後半はすごくきれいな調性音楽に変わるんだよ。凄く意欲的な作品だけど、一般向けではない。その後半だけ使ったね」
「なるほど!」
「でも社長、何を悩んでいたんですか?」
「いや、実は僕、ゆき先生に、蘭子が離脱したことを言ってなかったんだよね。それでアレンジが4声ボーカルなんだよ」
「蘭子ちゃん、辞めたんだっけ?」
「というか実は彼女とは契約がそもそも成立していない」
「嘘」
「ちょっと彼女の家庭の事情があってね。お父さんを説得する以前に、お父さんに会うこと自体が困難なんだよ。お母さんとは何度か話したんだけどね」
「なぜ契約していない人が参加している?」
「ちょっとやむを得ない事情でね」
「でも週末から音源製作なんでしょ?」
「うん」
「だったら、急いで3声に書き変えてもらうか」
と貞子さん。
「いや、この『風の色』は4声、『トライアングル』に至っては5声か6声のボーカルでないと演奏できない。本質的に4声、5声使っているから3声にはアレンジできないよ、これ」
と聖子。
「5声のはどうするんですか?」
「お正月のキャンペーンに参加してくれた、長丸さんっていう短大生に頼んでいる」
「要するに音源製作のスタッフですよね?」
「うん。基本的にはそういう扱い。ただし報酬はKARIONのメンバーと印税山分けにしようかという話にしている」
「ああ、準メンバーという感じですか」
「そうそう。彼女には今後も継続して音源製作やライブに協力して欲しいから」
「だったら蘭子も同じ方式で呼び出しちゃえばいいですよ」
「なるほど、そういう手があるか」
「何度も音源製作に参加させているうちになしくずし的にメンバーということで」
「よし、その手で行くか」
と言って、畠山は携帯を手に取った。
2008年3月13日(木)。千里は5時間目の授業を終えたところで残りを公休にしてもらって17:05の羽田行きで東京に向かった。明日から3日間、U18トップエンデバーという合宿が行われるのである。
一緒に行ったのは、暢子、L女子高の溝口さんの2人。どうも旭川から招集されたのはこの3人のようであった。
羽田空港のターミナル内の1室が集合場所に指定されていたので、招集状を見せて中に入る。
集まっているのは凄いメンツだ。高校1−2年生が対象のようであるが、北海道からは、旭川組の3人の他、札幌P高校の佐藤・宮野・河口という180cmトリオ、札幌D学園の早生。他にもロビーを見ていると、秋田N高校の中折、山形Y実業の鶴田、東京T高校の森下・竹宮・山岸、静岡L学園の赤山・舞田、愛知J学園の入野・中丸・大秋・道下、岐阜F女子高の前田・大野・左石、大阪E女学院の河原、愛媛Q女子高の鞠原・海島・大取、福岡C学園の橋田・熊野・牧原。。。。
全部で40人近く招集されているのだが、半分くらいは顔見知りである。ハグしたり握手したことのある選手も多い。
「あれ?入野さん、3年生じゃなかったんですか?」
と千里は彼女の姿を見て意外に思ったので尋ねた。
「私、早生まれなんだよ。それでU18の招集対象になっちゃったんだよね。(花園)亜津子や(日吉)紀美鹿はU22で招集されているのに、私は留年でもしたような気分」
入野さんによると今回集まっている顔ぶれで高3が5人いるらしい。
「入野さんは進学でしたよね?」
「うん。同じ系列のJ学園大学に行く。もう合格通知ももらってる。でも凄い先輩たちばかりだからベンチ枠に入るのに苦労しそう」
「わあ、頑張って下さい」
「でもJ学園は篠原さんなんかも呼ばれていいと思うのに今回入ってないんですね」
と溝口さんが言う。
「どうもひとつの学校にあまり偏らないように枠をはめたみたい。うちは4人だけど、他は3人以内みたいだよね」
「なるほどー」
「3人呼ばれているのはF女子高、T高校、Q女子高、C学園にP高校かな」
と大秋さんが言う。
「まあトップ校ですね」
と千里。
「J学園もいれてその6校でメンバーの半分を占めている」
と暢子。
「実際、その6校でいつも全国大会の上位を占めているし」
と溝口さん。
その部屋で暢子・溝口さんと3人で用意されているお菓子を摘まみながらお茶を飲んでいたらそれまでL学園の人たちと話していた福岡C学園の3人がこちらに来る。まずは握手。
「競争率は約3倍だね」
と橋田さんが言う。
「競争率?」
「このメンツから今年11月に行われるU18アジア選手権の代表が選ばれる」
「へー!」
「ただしU16に優秀な選手が居るとそちらから1人か2人組み込まれる可能性もあるから、競争率はもう少し高いかも」
「男子のU18代表候補は先週発表されたんだよね。男子のアジア選手権は8月だから」
「日本代表か。ちょっとさすがに縁が無いな」
と千里は言うが
「村山さんは当確だと思うけど」
と橋田さん。
「だって凄い人たくさんいるのに。森下さんとか鞠原さんとか、入野さんとか前田さんとか」
と千里。
「うん。そのあたりも当確」
と橋田さん。
「実際代表12人の内6人くらいは既に事実上内定してると思う。残る6人くらいの枠を私たちボーダー組が争う」
「うーん。そういうの苦手だけど、でもたくさん練習するのは楽しい」
「うん。楽しい。だから頑張ろう」
と言って橋田さんは笑顔で千里たちと握手した。
「あ、そうそう。橋田さん、キャプテン就任おめでとう」
「ありがとう。でも4番の背番号って重いよ」
「ああ、そうだろうなあ」
その後は秋から4番を付けている暢子・溝口さんの3人で「キャプテン談義」が盛り上がっていた。
20時頃、案内の人が来て、全員バスに乗り込み、羽田空港内にある日航関係の施設に移動する。合宿は明日からなのだが、取り敢えず体育館に入り、強化委員さんのお話を聞いた。そのあと今日は解散、明日から頑張ろうということになったのだが・・・・
「せっかく体育館あるし少し練習していいですか?」
「私も身体動かしたいと思ってた。今日は練習を欠席したし」
などという声があがる。それで22時までは練習していいよということになった。
「よし、やろう」
と佐藤さんが声を掛けてボールを取ってきて、旭川組3人と札幌P高校の3人にD学園の早生さんも入れて、3on4で対戦する。確かに練習を休んだ日は何か身体が変なのだが、身体を動かしていくと、どんどん神経が研ぎ澄まされていく。
しばらく練習している内に
「ねぇ、練習試合やろうよ」
という声があがる。倉敷K高校の丸山さんだ。彼女も高3・早生れである。
それで、北海道東北関東組vs九州四国組、静岡愛知北信越組vs岐阜近畿中国組と別れて試合形式の練習をした。この不自然な組分けはJ学園とF女子高を分離しないと話にならないのでできたものだが、秋田N高校の中折さんや東京T高校の森下さんたちと組んで、福岡C学園の橋田さんや愛媛Q女子高の鞠原さんたちと対戦していた千里や佐藤さんは、隣のコートを見て「なんか向こう凄いね」などと話していた。
「いや、きっと向こうもこちら見て凄いと言っている」
と(T高校)竹宮さんが言う。
「いや、そちら破壊力ありすぎ」
と鞠原さんが言う。
「村山さんも中折さんも遠くからポンポン放り込むし、外れたシュートは森下さんが全部取っちゃうし、勝負にならん」
と橋田さんも言っている。
実際、この日の試合は大差で北海道東北関東組が勝った。千里は10本、中折さんも7本スリーを放り込み、お互いに「進化してますね〜」と言い合った。
「え?このChrous 1は私がひとりで歌うんですか?」
と冬子は今回の制作の実質的な指揮をしてくれている鈴木聖子さんに訊いた。
「そうそう。Chorus 2は穂津美ちゃん1人ね」
「了解、了解」
「Chorus3を珠里亜ちゃんと美来子ちゃん」
「分かりました」
「『トライアングル』はそういうパート分けにするけど、『風の色』と『丘の向こう』は、Chorus 2を穂津美ちゃん・珠里亜ちゃん・美来子ちゃんの3人でChrous1は冬子ちゃん、ひとり」
「でもこのChorus1って、何だかメインボーカルの和泉ちゃんといやに絡むんですけど」
と冬子。
「うん。だからChorusだよね」
と聖子は言った。
「そもそもなぜスコア上、S1(Soprano 1)の後にChorus 1 があって、その後にMS(mezzo soprano), A(Alto) という配列になっているんですか?」
「さあ、きっと編曲をした佳乃子(ゆき先生の助手)さんの好みなんじゃない?」
何だか和泉が苦しそうにしていてた。
貴司は15日も16日も専用の体育館でチームメンバーと一緒に練習に汗を流していた。高校時代は30人ほどの部員と一緒に練習していたので、わずか12人ほどでの練習にはなんだか違和感を覚えていた。そもそも貴司のパスをちゃんと取ってくれる選手が、真弓さんと竹田さんくらいしかいない。他の選手は相手に悟られないようにそちらを見ずにパスを出すと、掴みきれないのである。
16日の午後に船越監督がやってきて、紅白戦をする。とりあえず貴司は新入りということでBチームに入って20分間の試合をした。真弓さん・竹田さんも最近加入したばかりということでBチームである。
試合はBチームの圧勝であった。
「よし、Bチームが勝ったから、来週の千里(せんり)カップにはBチームで出よう」
と監督が言う。
「えーー!?」
「まあ、でもBチームだけで出て、あまり恥ずかしい成績になってもいけないから、Aチームから、香田・坂上・荻野、お前らBチームに特に入ってやれ」
「分かりました」
その3人は昨シーズンMM化学・サウザンド・ケミストラーズが近畿リーグ3部で優勝した原動力である。しかし実際には同じ新入りである真弓さんのほうが遙かに実力があると貴司は思っていた。
千里にとって3月14-16日の3日間は、忘れられないほど充実した時間となった。国内トップレベルの高校生が集まり《仲間》として一緒に練習し、指導を受ける。指導内容もハイレベルだったし、本当に巧い選手たちとのコンビネーションプレイ、また逆にそういう選手たちと対決する楽しみは格別だった。
「これ、男の子とセックスするより興奮すると思わない?」
と暢子が言って、周囲数人の凍り付くような表情を引き起こしたが、実は千里も同じようなことをすんでで言いそうだった。
「お疲れ様でした」
「また会いましょう」
と言って解散する。
千里たちは3日間ずっと羽田にいたのであるが、旭川行きの最終便が出た後なので、札幌組の4人と一緒に新千歳行き20:20の便で北海道に戻った。座席が中央の列で、旭川の3人が前、その後ろ1列にP高校の3人、通路を挟んで窓側に早生さんという配置だったので、その7人でひたすらおしゃべりしてそれまであまり話したことのなかった早生さんとも随分仲良くなった。
「凄い。D学園は来週カナダ合宿ですか」
「うん。でもカナダはどうせなら観光旅行で行きたい」
「ああ。合宿じゃ、観光地とは無縁ですよね」
「今回、同じ日程で男子のトップエンデバーも合宿してたんだよね」
「うんうん。NTCでしょ?」
「NTC?」
「1月にできたばっかりの立派なトレーニングセンターがあるんだよ。赤羽方面」
「へー」
「いいなあ」
「しかし今回の合宿はお互い手の内をさらけ出した感もあった」
「それだけにインハイまでお互いまた頑張って進化しないといけない」
「トップバスケガールたちを集めてこういうのをやるってのは、そういう相乗効果も大きいよね」
「この合宿は年に1度なのかなあ」
「エンデバーは年1度だけど、もし日本代表候補に選ばれたら今年は4回くらい合宿に参加することになるはず」
「そんなにやるのは今度は忙しいね」
「U18代表候補の段階で4回合宿やって、それで代表発表。それで代表のみで5回目の合宿をやって、直後にアジア選手権だよ」
と佐藤さんが手帳に挟んだ紙を見ながら言う。
「代表候補になったら、今年はそれで明け暮れそう」
「うん。実際そうだと思う。どうしても代表優先になるしね。通常の活動とできるだけぶつからないようにはなっているけど、アジア選手権はウィンターカップの道予選とまともに日程がぶつかっている」
と佐藤さん。
「でも私たちの場合はどっちみち8月までで引退だね」
と千里は言うが
「その点、こないだ宇田先生に確認したんだけど、過去に代表候補になった3年生を9月以降まで活動を認めたことがあったらしい」
と暢子が言う。
「それって富士さん?」
「そうそう。最終的には富士さんは代表候補までで、代表にはなれなかったんだけどね」
「でも日本代表かあ。今年はみんなのレベル見てて、かなわんと思ったけど、U22で日本代表目指したいな」
と早生さんが言うと
「そういう刺激を与えるのも目的だと思うよ」
と溝口さんは微笑むようにして言った。
「あ、とうとうAYAのメジャーデビュー決まったんですか?」
雨宮先生からの電話で千里はそう答えた。
「うん。4月23日水曜日。楽曲は上島が書いた『三色スミレ』と、アキ北原の『スーパースター』をカップリング。既に音源制作も終わった」
「アキ北原って・・・」
それは1月に亡くなった北原さんのペンネームである。今更考えてみると中性的で男女どちらとも取れるペンネームだ。
「実は北原のマンションを引き払うのに、ご両親が荷物を整理していたら五線紙が見付かってさ。新島に連絡があったんで確認したら、未発表曲だということが分かったんだよ」
「それってもしかして、こないだのCDに入れるつもりで書いていた曲では?」
「だと思う。それで毛利に補作させて完成させて今回のに収録することにした」
「じゃ北原さんの本当のラストピースですか」
「うん。それとインディーズ時代に、ロイヤル高島作詞・アキ北原作曲というソングライトペアで作品を出して、ファンに支持されているから、その北原の名前をデビューCDには入れた方がファンも受け入れやすいと思うんだよ」
「それは絶対そうですよ」
実際にはロイヤル高島さんはAYAの歌詞を1度しか書いていないし、制作には全く関わっていない。最初から名前だけ借りる約束であった。メインボーカルの交代の時に、あすかを説得するのに出てきてくれただけである。
「ファンにはロイヤル高島さんの最後の作品と説明する。だから両A面」
「名目上の作詞者作曲者双方にとって最後の作品になっちゃったんですね」
「うん」
「プロダクションは決まったんですか?」
「ああ。$$アーツになった」
「へー。ドリームボーイズのプロダクションですか」
「麻生まゆりも20歳すぎちゃったし、少し若いアイドルが欲しかったようなんだよ」
「なるほどー」
AYAはこの春休みに関東近辺を中心にデビュー前のキャンペーンをするということであった。
しかし4月23日なら美空たちKARIONのセカンドCDと同じ日の発売だな、と千里は考えていた。
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【女の子たちの出会いと別れ】(1)