【女の子たちの塞翁が馬】(1)
1 2
(C)Eriko Kawaguchi 2014-11-28
雪国の学校では、冬の間、体育の授業でスキーやスケートをする。千里も小学生の時から、スキーには親しんできた。
その日は午前中の3−4時間目を体育の時間に振り替え、2年生全員でスキー場にやってきた。他の地域から来た子・数人を除いてはみんな中級者・上級者なので一応、中級者・上級者アルペン(滑り降りるスキー)・上級者ノルディック(歩くスキー。むろん斜面は滑る)とグループ分けして、各々に適したコースに移動して、ひたすら滑って楽しむ。体育の授業ではあってもレクリエーション色の強い時間である。
ごく少人数の初心者グループに薫と川南がいるのに気づいて声を掛ける。
「あんたたち、初心者なんだっけ?」
「私はスキーなんてやったことない。道具も初めて買った」
と薫。
「ああ、あんたは仕方ないか。なんで川南は初心者なの?」
「私が育った町は気温は下がるからスケートやってたけど、雪はそんなに多くはなかったし、学校の近くに適当な初心者向きのスキー場も無かったのよね」
「去年は?」
「去年のシーズンはずっと初心者コースで練習したけど、まだボーゲンから卒業できない」
「パラレルターンとスケートの曲がり方って腰の使い方同じなのに」
「先生からもそう言われたけど、できないんだよ」
「うーん。頑張ってね〜」
千里は上級者アルペンコースに参加したので、蓮菜や京子たちと一緒にかなりの傾斜がある斜面を滑って楽しんでいた。この時間帯は学校で事実上貸し切りになっていてリフトも自由に使用できる。
「勢いが付いた所で角度のある部分に突入すると、結構きゃーって思うよね」
「ジェットコースターやウォータースライダーと同じだよね。止めるすべは無いから覚悟を決めて突入しないといけない」
「止めようとしたら間違いなく大怪我する」
「でも人生ってそんなものかも知れないよね。ある意味みんな勢いで生きてる」
「時々分岐点があるけど、その分岐点で自分の行く道を決めてしまったら、もう突き進むしかない」
「迷っても仕方ない所ってあるよね」
千里はそんな会話を意味深だなと思いながら聴いていた。
「千里は女子として入学したはずが、1年生の間はけっこう男子制服着てたよね」
「迷っても仕方ないのにね」
「だいたいとっくに性転換手術受けていたのに、男子を装うというのが混乱の元」
ああ、私って何だか誤解されてるなと改めて思う。
考えてみると、昨年11月に性別の検査受けてくれと言われて病院に行き、そこで先生は確かに自分の目の前で「心は女だが身体は男」という診断書を書いたはずが、協会に提出された診断書はなぜか「心も身体も女性である」となっていて、結果的に自分はその後、女子チームに移動され、インターハイの道予選前に本当に女の子になってしまった。あれが京子の言うところの自分の分岐点なのかなという気もする。
だけど、分岐点で私、選択の余地が無かったけど!?
後ろで《いんちゃん》がくすくす笑っている。どうもこの子は「全部」は私のことについて話してないよなと思うことがある。出羽の美鳳さんでさえ知らないことを色々知っている雰囲気だ。
上級者にはあまり教えることもないので、先生たちもコースのスタート地点と終点に1人ずつ居て、時々連絡を取り合っているだけのようである。何度か目に下まで降りて行って、リフトの所で待っていた時、先生が寄ってきて
「君たち、前田(鮎奈)さん、見なかったよね?」
私たちは顔を見合わせる。
「前田はノルディックの方に参加してましたよね?」
「あの子、距離用のスキー使ってたもんね」
滑降用(アルペン用)のスキーは靴がスキーに固定されるが、距離用(ノルディック用)のスキーは踵(かかと)が浮くようになっていて、左右のスキー板を交互に滑らせて歩きやすいようになっている。
「それがコースに立っている先生が通過していく生徒にチェック入れてたんだけど30分ほど前から前田だけ通過しないということで、ひとりの先生がぐるっとコースを一周してみたんだけど見当たらないんだ。勝手にこちらに来てはいないかというので連絡があったんだけど」
「こちらでは見てないね」
「私たちも探すのに参加しましょうか?」
「君たち携帯は持ってる?」
「はい」
ということで、千里と蓮菜・京子の3人が鮎奈の捜索に加わることになった。
コースを外れると危険だからということで、あくまでコースの中を歩き回り、コースから外れていくスキー跡が無いかをチェックする。
「しかし鮎奈は携帯は持ってなかったのかな」
「たぶん落としたんだよ」
「あるいは圏外にいるか」
「うん。ノルディックコースの一部とか、アルペン上級者コースのかなりの部分が圏外みたい」
私たち3人は少しずつ距離を開けて、上級者コース、中級者コースをできるだけゆっくりと滑り降りて、外れていくスキー跡を発見したら、停まって次に降りてくる子に連絡し、その子がその跡を確認するという作業をした。私たち以外に、梨乃・花野子・恵果の3人も同じ方式でチェックしてくれて、私たちは梨乃たちともお互いに連絡を取りながら捜索を続ける。
アルペンコースのチェックは私たちや先生たちのグループを含めて4組でやっていたものの、どうもこちらには居ないようだというので、ノルディックコースの方に移動した。授業は4時間目の時間が終わるので捜索隊に加わっている生徒と先生以外は帰ることにする。学校側からも応援の先生が来てくれた。
お昼なのでヒュッテで交代で各自お昼を食べてからまた捜索に戻る。やがて2時を過ぎる。
「警察にも連絡した方がいいかな?」
「前田さんのお母さんには一報を入れて、お母さんがすぐ来るということだった」
ということで次第に大事(おおごと)になってきつつある。
京子が言った。
「やはりさ」
「うん?」
「鮎奈といちばん仲がいい、私たち3人が見つけてあげなければいけないと思う」
と京子。
「いや、それで見つかればいいけど」
と蓮菜が言うが
「うん。私たちが見つけようよ」
と千里は言った。
やり方を変える。
コースに沿って探すのは、他の捜索グループも先生たちもやっている。私たちは鮎奈と精神同調しようと京子は提案した。ノルディックコースのできるだけ中心に近い付近に移動した。
「目をつぶって、鮎奈の心の叫びに耳を澄ませるのよ」
と京子が言う。
取り敢えずやってみる。うーん。私って、その手の超能力の類いが無いからなあ。。。と千里が思っていた時、《りくちゃん》が肩をトントンとした。
『千里、俺たちも探そうか?』
『そうだった。あんたたちに頼む手があった!』
『千里、しっかりしろよ。俺たちはこういう時のために居るんだから』
『みんな、よろしく!』
それで《いんちゃん》以外の眷属全員が山に散って、探し始めてくれた。《いんちゃん》は千里の守りに残ってくれている。
5分ほど経ったところで蓮菜が
「分からん」
と素直に音を上げた。
しかし千里は
「こちらだと思う」
と言って左手をまっすぐ伸ばした。
こんな話を信じてくれそうな先生というので、捜索の応援に来ていた保健室の山本先生を見つけ、話すと、男性の体育の先生4人と一緒に、千里が「鮎奈の波動を感じる」と主張した方角に行ってみることにした。
ここは藁をもつかむ思いだ。この日の日没は15:54だそうである。千里たちが先生たちと一緒に千里の指さす方角に行き始めたのが14:30頃であった。日没までに発見しないと遭難の恐れもあるので(既に遭難している気もするが)、警察・消防の捜索隊も入ってくれている。お母さんも麓のヒュッテで待機している。
千里たちはノルディックのコースに沿って移動していくが、中腹付近で上から滑ってきた後、少し等高線に沿って300mほど歩き、更にまた降りて行くルートのところで、千里はその横歩きのルートを突き抜けた。
「そちらに行ったのか?」
「そちらも**先生が少し入ってみたけど、スキー跡とかが見当たらなかったんで戻って来たんだよね」
千里は無言でスキーを滑らせて歩いて行く。そして白樺の木の小さな切れ目があったところで
「ここを登ってみましょう」
と言った。
「登るのか!?」
「なぜ下に降りない?」
「いや、山で道に迷った時は下に向かうより上に向かった方がルートに戻れる確率は高いんだ」
「あ!靴の跡がある」
とひとりの先生が言う。
「たぶんスキーを脱いで歩いて登ったんだ」
「これ小さいし後から降った雪で覆われていて気づきにくい」
どうもそれらしいということで、ひとりの先生が目印になるため残り、応援の先生を呼ぶべく連絡して、千里たちは一緒にそこを登っていった。
最初は林の切れ目という感じであったものの、その内完璧に森林の中という感じになる。実をいうと麓の方に居た段階では波動まで感じられなかったのだが、ここまで来ると千里も鮎奈の波動をしっかりと感じることができた。それでその波動を頼りに歩いて行く。京子・蓮菜と先生たちがそれに続く。
「鮎奈、元気そうだよ。mp3プレイヤーで音楽聴いてるみたい」
と千里が言うと
「のんきだな」
と蓮菜が言うが
「いや、こういう時は何かで気を紛らわせた方がいい」
と山本先生は言う。
そしてそこは小さな尾根になっている場所であった。鮎奈はスキーの上に座り込んで銀色のシートにくるまっていた。
「鮎奈!」
「千里!」
と呼び合う。千里が駆け寄ってハグした。京子・蓮菜も鮎奈をハグする。
山本先生が近づいて来て
「前田さん、怪我は?」
と訊く。
「転んだひょうしに足首ねじっちゃって。戻り道が分からなくなって上の方にいけばどこかに出るかなと思ったら、ここって凸状になってて、こらあかんと思って。足は痛いし動き回らない方がいいかなと思って。非常用の断熱シート持っていたのでくるまってました」
と鮎奈は元気そうに言った。
鮎奈は濡れた靴と靴下、手袋は凍傷防止のため脱いで、あまり濡れていないマフラーで覆っていた。山本先生が用意していたホットグローブ、ホット靴下をはかせるが、先生が見た所は凍傷の心配は無さそうであった。本人も手足の指を冷やさないように気をつけていたと言っていた。
携帯が圏外なので、とりあえず降りて行く。男の先生が鮎奈を背負ってくれて、みんなで一緒に下に降りて行った。
「鮎奈、携帯持ってなかったんだっけ?」
「バッテリーが切れてた」
「それはまた肝心の時に役立たない」
「現代人の文化の最大の弱点だね」
途中で目印の先生が立っていてくれた所まで行くと、携帯のアンテナが立つのでそこから無事保護の連絡を入れる。お母さんと話して、鮎奈がちょっと涙を浮かべていた。
「でもなんで凍傷って、手や足の指でやりやすいのかな?」
「それは人間の防衛システムでしょ。心臓が真っ先に凍ったらやばいから、最悪失っても何とかなる部分を犠牲にして、身体の本体を守ろうとするんだよ」
「そうか。細い先端部分ってのはそもそも血液が行きにくそうだしね」
「だったら、おちんちんも凍傷になりやすい?」
「どうしたらそこが冷えるの?」
「いや、昔は馬に乗って冬山の峠を越えたりしていたから、あの付近が圧迫されて血流が悪くなって凍傷ってあったらしいよ」
「おちんちんが凍傷になると、おちんちん切断?」
「それわざとやる人もいたりして」
「あんたたち、なぜそういう話になるの?」
と山本先生が呆れている。
「下着を着けずに暴れ馬に乗って睾丸を潰すというのは古くから知られていた手法らしいけど」
と千里が言う。
「塞翁が馬って奴だっけ?」
「全然違うと思うけど」
「塞翁が馬って、塞翁って人の孫が、馬にタマタマ蹴り潰されて男じゃなくなってしまったけど、おかげで徴兵に行かずに済んだって話だよね?作者も女装でよくテレビドラマに出演していた作家で」
「どこから訂正してあげるべきか悩むな」
「原作と二次作品がごっちゃになってる」
「女装といってもおばあちゃん役なんだけど」
「あれれ?違った〜?」
「おまえら、ほんとに学年で成績トップ争いしてる子か?」
とひとりの先生が呆れている。
「でも馬に乗ってて睾丸が潰れたら、その瞬間、気を失って馬から振り落とされたりして」
「それで馬に蹴られて即死したりして」
「多分それ、男になるくらいなら死んだほうがマシと思ってやったんじゃないの?」
と山本先生が言うと千里は物凄く納得した。
しかしおちんちん切断とか、睾丸を潰すなどという話に、鮎奈を背負っている男の先生が嫌そうな顔をしていた。
全道総合選手権の翌週、2007年12月7-9日の週末、新人戦の旭川地区予選が開かれた。
旭川地区には高校が20校あり、男子校であるT高校を除く19の高校に女子バスケ部があるが、人数不足(参加資格のある部員が5人未満)で参加できない所もある。
ウィンターカップの地区予選には12校、秋季大会には14校が参加していたが、今回は10校であった。ウィンターカップも秋季大会も3年生が参加できるが、新人戦は1−2年だけなので人数の少ない所には厳しい。逆にL女子高や千里たちのN高校のように部員が多い所では、新人戦はベンチ枠を争っている部員にとって出られる確率が高い大会であり、特に2年生のボーダー組にとっては、3年生が抜けて、新入生はまだ入って来ていない状態で、最も出られるチャンスのある大会でもある。
宇田先生と南野コーチはこの大会のベンチメンバーを次のようにした。
PG.雪子(7) メグミ(12) SG.千里(4) 夏恋(9) 結理(15)
SF.寿絵(5) 敦子(13) 永子(18)
PF.睦子(6) 蘭(11) 来未(14) 川南(16) 葉月(17)
C.揚羽(8) リリカ(10)
暢子と留実子はまだ出られないが、それ以外の合宿メンバーの2年生は全員ベンチ入りしている。。メンバー的には先週の総合から3年生の2人が抜けた代わりに2年生の川南・葉月が入った形であるが背番号は激しく移動している。
この他にマネージャー登録で志緒、TOで葦帆・司紗・雅美・夜梨子を登録した。TOをさせることにした4人は「補欠5人組」の永子以外の4人である。残りの1年生、瞳美・聖夜・安奈の3人を「接待委員」に任命して他校の案内役をさせ、合宿に参加しなかった部員は連絡係や記録係に任命した。
今回の地区予選はN高校を会場に使用して行われる。
まず7日金曜日の夕方から1回戦が行われた。女子が10校、男子が12校なので、1回戦は女子が2つと男子が4つある。これをN高校の東体育館(青龍)、南体育館(朱雀)、そして朱雀建て替え用の仮設体育館の3つの体育館に2つずつ取った合計6コートで一気に行った。
建て替え予定の朱雀が大会に使われるのはこれが最後である。また仮設体育館を公式戦の会場に使うのは多分これが最初で最後である。
むろんN高校自身は男女とも2回戦からなので金曜日は試合は無く、会場提供校として、様々な雑用をこなした。
8日土曜日は、午前中に2回戦、午後に準決勝が行われる。2回戦は東体育館と仮設体育館に設置した4コートを使い、9:00から女子、10:30から男子、準決勝は東体育館の2コートを使って15:00から女子、16:30から男子という日程になっていた。朱雀は練習用に開放した。
N高校女子の2回戦の相手はE女子高である。旭川の私立高校の中では男子校のT高校と帝大合格者数をいつも競っている学校で頭の良い子ばかりの学校だが、部活は少ない。バスケット、バレー、卓球、剣道、吹奏楽、美術、くらいで、体育館は4つの運動部で共用しているので実際問題として練習ができるのは週に3回、しかも部活の時間は17時までと定められているので実質1時間くらいしかできないらしい。
だいたいいつも1回戦負けだが、今回はくじ運で1回戦不戦勝となったものの2回戦の相手がN高校と聞いて「わぁ」と思ったかも知れない。
ベンチ入りメンバーも今回新人戦に出て来ているのは恐らく全部員なのだろうが、10名しかいない。それでも楽しそうにプレイしているのが好感された。こういうチームと対戦する時に、全力で行くのが礼儀なのか、あまり叩きすぎないようにするのが強豪校のマナーなのかというのは永遠の議論だ。しかし暢子はふだん出場機会の少ない子にチャンスをあげたいと言い、主力は出ないことにして、永子/結理/葉月/蘭/川南というスターティング5で出た。川南にキャプテンマークを付けさせたが、一度これ付けてみたかった!と喜んでいた。
それで川南たちも楽しそうにプレイしていたが、やはり実力差は歴然としていて、78対12というスコアで快勝した。おそらくこの相手には永子率いる(?)「補欠5人組」で出てもダブルスコアくらいで快勝できたのでは千里は思った。
それでも試合後相手チームの面々は笑顔だった。向こうはあるいはインターハイ上位まで行った学校から12点も取れたと喜んでいたのかも知れない。無論主力を出していれば相手は1点も取れなかったはずだ。
準決勝の相手はR高校である。ということは当然、もうひとつの準決勝はM高校とL女子高になっている。
ウィンターカップの地区予選では準決勝はN高校−A商業/M高校−L女子高だった。秋季大会ではN高校−M高校/L女子高−R高校だった。この5校は実力から言えば、L女子高>N高校>M高校>A商業≒R高校という感じなのだが、組合せが結構成績に影響する。やはり準決勝でL女子高に当たってしまうとなかなか辛い。逆に言うと、A商業・R高校にとっては準決勝でN高校かM高校に当たると、L女子高に当たるのに比べると、もしかしたら勝てるかもという気持ちになれる。
そういう訳で準決勝のR高校は滅茶苦茶テンションが高かった。これに勝てば道大会に進出できるというので、最初から物凄い勢いであった。
こちらは雪子/千里/寿絵/リリカ/揚羽、と最強の布陣で始める。相手の主力はフォワードの日枝さんと坂本さんである。夏までは近江さんという卓越したポイントガードが居て、変幻自在の攻撃を繰り出して手強かったのだが、3年生なのでもう出場していない。代わってポイントガードを務めるのは1年生の別所さんで、夏の終わりから秋の初めに掛けてやっていた5校リーグ戦で対戦しているが、未完の大器という感じだ。センスは良いが、まだ経験が足りないので今後の成長に期待というところである。
こちらに隙があったら、即そこから攻めて来るので気が抜けないのだが、そこはまだ実戦不足で、雪子が巧みに「攻めたくなるような場所」を作り出してはそこに誘導して潰すというので、相手の攻撃をかなり潰した。
相手の守備はボックス1で、日枝さんが千里をマークして残り4人でゾーンを作って守っている。しかしゾーン自体の運用はまだまだのようで、こちらが複雑なポジションチェンジを繰り返すと、しばしばゾーンにほころびができて、そこからリリカや揚羽が素早く切り込んでいって得点するというパターンを使った。
一方千里と日枝さんの対決は、やはりたくさん練習試合をしているし、何度も深川の体育館でも会って個人的にマッチアップ練習をしているだけあって、最初の内は、かなり千里の動きを読んで止めていた。
しかし試合も後半になると、豊富な運動量の千里に足が付いてこなくなる。たまらず第3ピリオド後半はいったん下がって、別の人が千里のマークに付いた。その子は結構マークの上手い子だとは思った。しかし日枝さんほどは勘が働かないようで、だいたい8−9割は千里がきれいに突破してスリーを撃つ。
第4ピリオドでは日枝さんが復帰したものの、スタミナ充分の千里に翻弄されて3割程度しか停めることはできず、勝負あった感であった。
最終的には82対56と結構な点差になったが、心理的にはかなりの接戦感覚があった。
そして日曜日。最終日は男女の3位決定戦と決勝がN高校東体育館で1コートだけ取って行われる。最初に行われた女子の3位決定戦では橘花たちのM高校が、日枝さんたちのR高校を下した。(3位は賞状をもらえるだけで、道大会には行けない)
その後行われた男子の3位決定戦では鞠古君たちの旭川B高校がT高校を下して3位になった。
そして新人戦旭川地区大会の女子決勝は、旭川N高校vs旭川L女子高である。この大会は2位までが道大会に行けるので、既にどちらも道大会進出が決まっている。両者の対戦は、6月のインターハイ地区予選決勝、9月のウィンターカップ地区予選決勝、10月の秋季大会決勝に続き、4回連続の決勝での対決となった。
1年前の新人戦の時はN高校がシード権を取れていなかったため両者は2回戦で激突してしまい、その時はN高校がL女子高を破っている。その後6月もN高校が勝ち、9月はL女子高が勝ったものの、10月は引き分けで両者優勝ということになった。
L女子校は3年生の池谷さんや本間さんが抜け、溝口さんが4番の背番号を付ける。ウィンターカップ予選までは溝口さんはパワーフォワードで登録されていたが、今回はセンターで登録したようだ。182cmの池谷さんが抜けて今回のメンツでは最も背が高い。こちらで4番を付ける千里と握手して試合を始める。ティップオフは1年生の鳥嶋さんとこちらの揚羽で争い、鳥嶋さんが勝って、PGの藤崎さんがドリブルで攻め上がってきた。
溝口−千里、鳥嶋−揚羽、登山−リリカ、大波−寿絵、藤崎−雪子、というマッチアップになる。藤崎さんから登山さんにボールが行き、登山さんはリリカを振り切って中に侵入して撃つ。
入って2点。試合はL女子校の先制で始まった。
日常的に練習試合をしている相手なので、お互いの手の内はだいたい知り尽くしている。無理な攻撃はせずに、慎重に攻め合う形になった。両者確実に点を取っていくので、第1ピリオドは26対25という競った点数になる。
第2ピリオド・第3ピリオドでは、メグミ・夏恋・敦子・睦子・結里・永子あたりを出してスターティングメンバーは代わる代わる休むようにする。向こうも適宜メンバーを入れ替えるが、どうしても向こうの方が層が厚い分だけリードを許すことになって、第3ピリオドまで終わって68対58とL女子校との点差が結構広がる。
「今負けてるけど、無理して挽回する必要も無いですよね?」
と寿絵が言う。
「うん。みんな怪我だけはしないようにね。道大会への進出は決まっているし、この試合勝つ必要は無いんだから、みんな絶対に無理しないで」
と南野コーチがインターバルに言う。
「これ以上怪我人が出たら、正直どうしようもないよ」
とメグミも言う。
「その時は薫を性転換させてこちらに」
「それは怪我人が出なくてもやりたい」
それで最後のピリオド、一応雪子/千里/寿絵/リリカ/揚羽とベストメンバーで出て行く。4分ほど過ぎた所で78対70になっていたが、ここでリバウンドを争った時、リリカが足をひねった感じであった。
リリカは何とかボールを確保してそのままプレイを続行しようとしたが、南野コーチが気づいてタイムを要求し交代させる。
「無理しないでと言ってるのに」
とリリカは叱られている。
とりあえず冷却スプレーを掛け湿布薬を貼ったようだ。夏恋が交代で入るが、コートインした時、夏恋は千里に思わせぶりな視線を送った。千里は一瞬考えたが、頷く。雪子に視線を送ると、どうも雪子も同じことを考えていたようで数回頷いていた。
寿絵がスローインして再開する。夏恋がボールを受け取り、更に雪子にパスして攻めていく。雪子がハイポストで後ろ向きになり、夏恋に再度パスし、夏恋がボールを持ったまま、かなり強引に制限エリアに突入する。登山さんが抜かれたので大波さんがフォローに来る。千里も左側(奥側)へ動いてフォローの体勢になるので千里をマークしている溝口さんもそちらに動く。
夏恋が強引にジャンプシュートを放つ。
・・・ように見せて、空中で体勢を変えて千里の右側へボールを投げる。その少し前から千里は右側へ逆ダッシュしている。溝口さんが追いつく前に素早く受け取ってスリーを撃つ。入って78対73。
向こうが攻めてくる。ここで雪子がPGの馬飼さんからボールをスティールに行く。雪子は気配もなく近づくので馬飼さんが危うく盗られそうになるが、溝口さんの「危ない」という声を聴いて、素早く反対側の手にドリブルを移す。
ところがそこに千里が居る。
一瞬でボールを奪い、走り出す。
元々遅く戻ることの多い雪子と千里の2人が同時に死角から忍び寄ったのである。溝口さんは千里の方を警戒して声を掛けたものの、逆効果になって、悔しそうな顔をしていた。
スリーポイントラインの手前でピタリと停止してスリーを撃つ。
78対76と、あっという間に2点差である。
その後、お互いに点を取り合って残り1分の所で82対80になっている。
向こうが攻めてくる。いきなり登山さんがスリーを撃つ。入れて85対80。こちらが攻めていく。雪子がドリブルしながらみんなを見ている。揚羽が中に飛び込んでいく。雪子がそちらに向いて腕を振るがボールは夏恋の所に飛んでいく。揚羽に注意が行った分、登山さんのフォローが遅れる。彼女が戻ってくる前に夏恋はスリーを撃つ。
入れて85対83。残り42秒。
向こうの攻撃。この残り時間になると、自分たちの攻撃機会を点数に結びつけられないと苦しいので向こうは少し慎重になっている。やや時間を使って攻めた上で最後は溝口さんがゴール下からひょいと置いて来る形のシュートを撃つ。
しかしこれを絶妙のタイミングでジャンプした揚羽がブロックする。
溝口さんが一瞬審判を見る。ゴールテンディングでは?と感じたのだろうが、審判は正常なブロックとみなしたようであった。実際今のはかなり微妙な感じもあった。残り20秒!
ルーズボールを夏恋が確保して千里にパスする。高速ドリブルで走るが、足の速い雪子が先行するのでそちらにパスする。向こうは馬飼さんと登山さんが必死に戻って、登山さんが千里をマーク、馬飼さんが雪子の行く手を阻む。すると雪子は斜め右後ろへ向けて、そちらを全く見ずにボールをバウンドさせる。そのボールを後ろから走り込んできた夏恋が確保し、そのままスリーポイントラインの手前で止まる。夏恋は全くフリーである。
きれいにスリーを入れて85対86と、とうとう逆転する。
残り15秒。
L女子校は馬飼さんから登山さん、登山さんから溝口さんへと高速パスで繋ぐ。溝口さんが中に侵入して撃とうとするが寿絵が厳しいガードをしてゴールの近くまで寄れない。反対側に居る大波さんにバウンドパス。大波さんがうまく揚羽のブロックのタイミングを外してシュート。
入って87対86。
またL女子高のリード。
残り5秒。
寿絵が速攻でコート真ん中付近に居る千里めがけてスローインする。
登山さんと激しいキャッチ争い。ボールがはじかれて床に転がる。そこに走り寄った雪子がボールを確保。馬飼さんが寄ってくる前に夏恋にパスする。速攻を警戒して必死で戻っていた鳥嶋さんが、夏恋がパスを受け取る間に彼女の向こう側に廻り込んでいる。
千里が一瞬時計を見ると、残り2秒だ。
夏恋が右に動きかける。それで鳥嶋さんがついそちらに釣られて動いた瞬間、夏恋は鳥嶋さんを左から抜いた。鳥嶋さんが根性で右手を伸ばして停めようとするが夏恋は左手1本でシュートを放った。
シュートを放った次の瞬間試合終了のブザーが鳴る。
しかしボールはバックボートに当たった上で、きれいにネットに吸い込まれた。
審判がゴールを認めるジェスチャーをする。
ボールの行方を追っていて鳥嶋さんが悔しそうな顔をする。千里は夏恋に駆け寄って抱き合った。
整列する。
「88対87でN高校の勝ち」
「ありがとうございました」
試合終了後、千里は溝口さんと握手した上で抱き合う。その他、あちこちで握手したりハグする姿が見られた。
ベンチに戻ると南野コーチが厳しい顔をしている。
「あんたたち無理したでしょう?」
「申し訳ありません」
とみんなで謝る。
「まあ勝ったんだから褒めるべきなんだろうけどね」
と宇田先生。
「すみません。ウィンターカップの地区予選で留実子が骨折した後負けて、道予選では暢子が盲腸で離脱した後負けてと、故障者が出ると負けるパターンが続いたので、ここはリリカが離脱しても絶対勝って、悪いパターンを払拭しておこうと考えました」
と千里は正直に南野コーチに思惑を告げ、謝った。
「済みません。それを提案したのは私です。視線でキャプテンに訴えました。申し訳ありません」
と夏恋も謝る。
「いや、それで同意した私の責任です」
と千里。
「済みません。私も共犯者です。ふたりの視線交換に気づいて意図を理解して私もこれは絶対勝ってやろうと思いました」
と雪子。
「3人の動きで気づいたので私も張り切りました。済みません」
と揚羽。
「私、全然気づかなかった!でも御免なさい」
と寿絵。
「まあ常磐(リリカ)君の怪我も大したことは無さそうだし今回は不問ということで」
と宇田先生は笑顔で言った。
千里たちが旭川で激戦を戦った翌日、12月10日の夜。東京。
綿貫小風は朝風美空の自宅を訪問していた。美空のお姉さんが近くのコンビニに行ってケーキを買ってきてくれたので、ふたりは美空の部屋で、一緒にこたつに入り、紅茶を飲みつつケーキを食べながら話していた。
「私、やはりラムとはうまくやっていけない。だから辞めることにするよ。これお父ちゃんに書いてもらった契約解除申し入れ書。明日朝一番にお父ちゃんと一緒に行って提出してくるつもり」
と言って小風は美空に書類を見せる。
「刺身の食べ方くらいで辞めることないじゃん」
と美空が言う。
「別に刺身にケチャップで辞める訳じゃないよ!」
と小風は怒って言う。
KARIONは先月、和泉・美空・蘭子・小風の4人で音源製作をし、その4人でいくつかの小さなイベントに出演したりもした。ところがその後蘭子が性転換手術を受けたいと言って芸能活動を休止(美空的見解)してしまった。そこで畠山社長が蘭子が復帰するまでのピンチヒッターとしてハーフのラムという子を連れてきた(同じく美空的見解)。
彼女はハーフ(正確には日本人の血が4分の1入ったクォーター)とは言っても日本語はほとんどできない。社長や和泉とは英語で話しているが、小風・美空は会話できるほどの英語力が無いので、何を話しているのかチンプンカンプンであった。
それで先週の月曜から金曜まで掛けて、和泉・美空・ラム・小風という4人で音源製作をやり直し(楽器演奏部分はほぼそのままでボーカル部分のみ差替え)、その後、昨日・今日はラムを入れた4人でPVの撮影をしていたのである。それが片付いたので、今日は学校が終わった後、事務所に再度集まって少しおしゃべりした後、打ち上げで何か食べようというので、ラムがお寿司がいいと言ったので、へー、結構日本に慣れてきているのかなと思ったのだが・・・
お寿司屋さんで
「ケチャップが無い」
とラムが言い出す。するとお寿司屋さんも、たまに外人さんの客からの要求があるのか、ケチャップを出してくれる。そしてラムはタイやマグロのにぎり寿司にケチャップを掛けて美味しそうに食べ始めたのである。
それを見た小風は「食欲無くなったから帰る」と言って、ひとり先に帰ってしまった。そして夜中、美空の家を訪ねてきて辞めると告げたのである。
「私も小さい頃、御飯にジャム付けて食べてたらしいよ、自分では覚えてないけど」
と美空が言うと
「美空の味覚も難解かも」
などと言う。
「でもラムがきちんと響き合う音程を取ってくれない問題がいちばん大きい」
「その問題は、落ち着いた所で英語に堪能な先輩(鈴木聖子さん)と一緒にラムに音の調和の問題を説明して直してもらうと社長が言ってたじゃん」
「音だけじゃないんだ。あの子、拍を正確に歌わないから、他の子とずれちゃう。今回は和泉が私たちにラムの拍に合わせてくれと言うから妥協して合わせたけど、譜面の音符の長さと違う長さで歌うのは凄く気持ち悪い」
「不正確というよりは表現の問題だと思うけど。感情を込める所を長めに歌うのは普通に行われる歌い方だよ」
「いや、それが感情を込める所ではない所が長くなる」
「まあ歌詞の意味が分かってないから」
「でも今小風が抜けちゃったら、また音源の作り直しだよ」
と美空は言う。
それは小風も気が咎めるようである。
「それは悪いと思うけど、このまま無理して続けて行くと、後になって辞める方がもっと迷惑を掛けると思うんだよね。蘭子(=唐本冬子)が抜けた後もラムを入れた音源を5日で作れたんだから、私を抜いた音源もまた5日で作れると思うし。プレスするのは私たちの契約が発効する17日と言ってたから明日辞めれば、来週一週間で作り直せるはず」
「あれ、5日で仕上げるのに蘭子含めた音響スタッフがかなり頑張ったみたいだよ」
「蘭子も音響で頑張るんなら、歌で頑張ってくれればいいのに」
「それは同感だなあ」
と美空も言う。
KARIONの最初の音源(和泉・蘭子・小風・美空で歌ったもの)は7日間の録音作業の後、3日ほど掛けてミクシング・マスタリングを行って完成したと聞いていた(実際にはこの「完成した音源」は結局行方不明になり、ミクシング途中の音源から再調整を行ったものがプレスに回されることになる)。
そういう深刻な話をしていた時、美空の携帯が鳴る。
「おはよう、陽子ちゃん」
と美空は電話を取って言った。
おはようって、陽子って、まさかメテオーナを辞めた桜川陽子か?と小風は美空の電話相手を推察した。
「あ、東京に戻ってきてるの? え?DVD作るの? まさか変なDVDじゃないよね。うん。だったらいいけど。やけになってAVの方に行っちゃったりしないよなと思って」
「うんうん。個人的にはやってみたい気もするよねー。セックスも一度やっちゃえば、後は平気な気もするし」
いったい何の話してるんだ?と小風はいぶかる。
「あ、だったらそれプレゼントじゃなくて、10枚買うから完成したらこちらに送ってくれない?送料と合わせてそちらに送金するよ。うんうん、よろしく」
と言って美空は電話を切る。
「桜川陽子ちゃん?」
「うん。あ、ごめん。小風とも代われば良かったね」
「いや別にいいんだけど、陽子ちゃん、何かDVD作るの?」
「うん。最初にメテオーナ辞めた桜木八雲ちゃんと一緒に新しいユニット作ったらしい」
「へー、あのふたりで?」
「他に5人いて、7人のユニットらしいけど」
「大人数だね」
「陽子ちゃん・八雲ちゃんと同世代の女の子が2人、30代くらいの男性2人と女性1人」
(実際にはこの時点で紅ゆたか・紅さやか・桃川春美の3人は一応まだ全員20代)
「それはまた不思議な構成」
「女の子4人がボーカルで、30代の3人は楽器演奏」
「ああ、そういうことか」
「ピアノ、ギター、ヴィオラ」
「ちょっと待て。その構成はおかしい」
「あれ?違ったかな」
「まあいいけど。でもやはりボーカル4人なのか」
「八雲ちゃんと陽子ちゃんも頑張ってるんなら、小風も私と一緒に頑張らない?」
「うーん・・・・」
「蘭子が性転換手術後の休養が終わって戻って来たら、また雰囲気変わるだろうし」
「蘭子、性転換手術するんだっけ?」
「今週手術を受けるようなこと言ってたよ」
「え!?そうなの?」
この週、蘭子はいったん完成した新音源のラムの声を電気的に音程調整して、ちゃんとメインボーカルの和泉の声に調和するピッチに変更する作業をすることになっていた。それを蘭子は「大手術しなきゃ」と言っていたのだが、それを小耳に挟んだ美空は、蘭子がいよいよ性転換手術をするものと思い込んでしまったのである。
「たぶん2〜3ヶ月したら復帰するんじゃないかなあ」
「それは知らなかった。でも蘭子、たぶん戻ってこないと思う」
「そうかなあ」
「だいたい蘭子が離脱したからラムを入れたんだと思うし」
と小風。
「でも社長、ラムちゃんは遠くない内にソロデビューさせてKARIONから卒業させるって言ってたよ」
と美空。
その話は和泉が畠山社長に提案したものだが、これも美空はちらっと小耳にはさんで、社長がその方針でいると思い込んでいる。
「じゃ、その後また蘭子を復帰させるつもりなのかな」
「多分そうだよ。だから3ヶ月か半年か、小風も我慢しなよ」
「うーん・・・。ほんとに蘭子が戻ってくるなら私も考え直すけど」
その時、小風はふとこたつの上に乗っているケーキの箱にもう1個しかケーキが残っていないことに気づいた。ケーキは普通のショートケーキのサイズである。最初箱には8個もケーキが入っていて、美空のお姉さんと妹さんの分までこっちに持って来てしまったのではなどと思っていた。
しかしよく見ると、美空の前にはケーキの包み紙がたくさん重ねられている。小風はケーキは1個しか食べていない。
「小風、ケーキ無くなっちゃうよ。最後の1個、小風にあげるから」
「ね、美空ケーキ何個食べた?」
「今食べてるのが6個目〜」
「よく入るね!」
「これショートケーキだから。ホールケーキなら2個しか食べきれないけど」
「ホールケーキ2個もまるごと食べちゃうの〜〜〜〜!?」
「え?そのくらい普通食べない?」
「いや、その食欲はあり得ない。私はショートケーキ3個くらいが限度だよ。一度だけ4個食べたことあるけど」
「少食だね」
「美空の食欲が異常だと思う!!」
「そんなことないと思うなあ」
それでこの日、小風は美空の食べっぷりに毒気を抜かれてしまい、いったんKARIONを辞めるつもりになっていたのを、辞表提出を保留することにしたのである。
弁護士は福岡C学園を訪れ、理事長に面会した。C学園は東京・兵庫にもあるが、この福岡が発祥の地で理事長もだいたい福岡に居ることが多い。
「そういう訳で、お電話でもお話ししましたように、取り敢えずの内金としてこれをお預かりいただければと思います」
弁護士が差し出した銀行振出小切手は3800万円の額面である。
理事長はその小切手の桁数を確認した上で少し考えて言う。
「当方が弁護士を通じましてそちらに提示している賠償してもらいたい額はご存じですよね?」
「はい。それは承知しておりますが、今回は取り敢えず5000万円弱の資金が調達できたので比例配分して、C学園様に3800万円、旭川市様に580万円、深川市様に230万円、北海道様に350万円、内金としてお渡しすることにして既に地元自治体3者は受け取ってくださいました」
理事長はしばらくその小切手を見ていた。
「大変失礼ですが、この資金をどうやって調達したか教えて頂けませんでしょうか?」
「実は加害者に妹さんが2人いるのですが、その妹さんたちがこの資金を調達しました。残りの金額も時間は掛かるかも知れないがその2人で必ず支払うから、もし可能だったら姉の情状酌量の上申書に署名してもらえないかと言っているのですが」
「加害者の状況は聞いています。高校の担任がちょっと酷かったようですね」
「ええ。それで精神的に追い詰められたのが遠因なんです。ただ加害者本人はそれは関係ない。自分が悪いと言っています」
その問題は彼女の元同級生の証言から明らかになり、その教師は辞職している。
「でも、このお金は、どうやって調達したんです? 妹さんは確か高校生でしたよね?」
「ふたりとも事情により高校を中退しています。プライバシー上できれば調達方法は非公開にさせて頂きたいのですが、違法なことは決してしておりません」
理事長はまたしばらく考えていた。
「旭川市さん、深川市さん、北海道さんへの残務1840万円をうちが建て替えます。ですから、残る債権者はうちC学園だけということにしてしまいませんか?その方が簡単でしょう?」
「C学園さんがそれでもよければ、こちらも助かります」
12月15日土曜日。美空は姉の月夜、妹の紗織、それに母と4人で早朝から羽田空港まで出てきたが、第1ターミナルのレストラン前でばったりと小風と妹の羽波、及び両親と遭遇した。
「なんて奇遇な」
「まあ、この時間から開いてる店は少ないから」
双方は∴∴ミュージックでも今月初めに一度会っていたので、親同士も挨拶したりする。
「小風たち、どこ行くの?」
「うちのお祖父さんのお姉さんが亡くなったんで、葬式に行くんだよ」
「それは大変でしたね」
「美空は?」
「旭川のお父さんに会いに行く」
「ああ、その話は聞いてた。今日会いに行くんだ?」
「月曜日から契約発効でその後は忙しくなりそうだから」
それでお互いの飛行機の時刻を確認した上で目の前の和食レストランに入り、一緒に食事をした。朝早いこともあり、みんな軽いものを取っているが、美空は掻き揚げそばに天丼と元気である。
「なんかメンバーめまぐるしく変わりましたけど、小風ちゃんとは最初から一緒ですよね?」
と美空の母が言う。
「最初は候補者が10人くらい居たみたい。結局歌唱力とタレント性を考慮して5人まで絞ったものの、そのあとポロポロポロと3人辞めちゃったから」
と小風。
「全員女の子だったんだっけ?」
などと小風の父が言うが
「男女mixのユニットは難しいよね」
「恋愛問題がどうしても発生しちゃうもん」
という話になる。
「戸籍上男の子でも実態が女の子であれば問題ないけどね」
と月夜が言う。
「ニューハーフとかミスターレディーとかいうやつですか?」
と小風のお父さん。
「この業界、結構多いみたいですよ」
と美空。
「すっごい美形の人もいるよね。三笠景織子とか」
「あの人は美人ですね!」
とお父さんも知っていたようである。
「中*中とかも美人だし声も女にしか聞こえないし」
「え?中*中って男なんですか?」
「生まれた時は男だったみたいですけど」
「実態は女性ですよね」
「あの声を出せるようになるのに凄い苦労したみたい」
「一時は自分の声に絶望して歌手の道を諦めてピアニスト目指したんだよね」
「でも中*中さんのおかげで体が男でも女声が出せるってことが随分知られるようになったよね」
「ニューハーフとは全然違うけど『もののけ姫』の米*美一さんみたいな人もいたけどね」
「うん。米*美一さんの歌声は衝撃的だったけど、当時は女声の訓練法が世間には知られていなかったから」
「でもその方面の人によると1990年代の草の根ネットとかで、やり方は少しずつ広まっていってたらしいよ。女が男の声を出すのは難しいけど、男が女の声を出すのは実は原理的には難しくないんだって。ただその出し方を知らないだけで。だからいったん出し方に気づくと、あとはその声を安定して出せるように練習するだけでいいと」
「あれ、訓練法も数種類あるみたいね。ゴールは結局同じみたいだけど」
小風の情報源は主として蘭子(唐本冬子)なのだが、美空の方は実は蘭子以外に村山千里から聞き出した情報も含まれている。発声法の問題でにわかに盛り上がって、バンドをしている月夜も、合唱団に入っている羽波も興味津々な感じであった。紗織はこの手の話題にはあまり興味がない感じだった。
そろそろ手荷物検査通った方がいいかもということでレストランを出る。北海道に行く美空たちは北ウィング、九州に行く小風たちは南ウィングへと別れる。北ウィングは第2ターミナルが出来る前はANAが使用していたエリアである。
北海道に行くのは美空と月夜の2人だけなので、手荷物検査場で母と沙織と別れる。出発ゲート近くの売店で、美空はお茶とおやつを買って食べている。月夜はコーヒーを飲んでいる。
「今更だけどあんたよく入るね。さっきも結構食べてたのに」
と月夜が言う。
「お姉ちゃんも食べる?」
「いや。いい。食糧危機になったら美空生きていけないね」
「うん。きっと真っ先に死にそうだから、その時はお姉ちゃん、私を食べちゃってもいいよ」
「美空、よく食べるのに細いからなあ。食べる所があまり無さそうだよ」
「理科の先生が、私の食べる量とお肉の付き方の関係が説明できないって言ってた」
「ああ、科学上の難問かもしれない」
そんな話もしていた時、美空はふと近くに座っている同世代くらいの感じの男の子に目が留まった。目が留まったものの、なぜその子に自分は注目してしまったのかと疑問を感じながら、姉とおしゃべりしている内に姉が
「どうしたの?」
と言って、姉もそちらを見る。
するとその男の子は、参ったという表情をして
「ごぶさた〜、美空ちゃん」
とソプラノボイスで言う。
「八雲ちゃん!?」
と美空は驚いたように声を挙げた。
それは喫煙で補導されたためメテオーナを事実上解雇された桜木八雲だった。
「えへへ」
「男の子に見える!」
「うん。わりと男装は好き。でも男の子みたいな声出せないから、声出すとバレちゃうんだよねー」
「八雲ちゃんって、男の子になりたい女の子か何か?」
「性転換までするつもりは無いけど、男の子だったらいいなと思ったことは結構ある。近所の年上の男の子のおちんちん見て、自分も大きくなったらおちんちん生えてくるのかなと思ってた記憶があるよ、小さい頃」
「あ、たまにそういうこと言う子はいるよね」
「タバコもさ、実は同級生の男子が教室で堂々と吸ってるの見て、自分も男だったらタバコくらい吸ってもあまり責められないだろうにと思ってカフェで吸ってみたんだけど、目の前のテーブルに居た人が女性警官で、見とがめられちゃって。だから実は火をつけて口に1回当てただけだったのよ。まずーい!と思った次の瞬間『君、高校生だよね?』って」
「ああ、それは運が悪すぎる」
ほどなく機内に案内されるが、八雲は美空の隣の席の人にチケットを交換してもらって美空の隣に座った。
「なんか運の悪いことが1年くらい前からやたらと多かったんだよねー。携帯を海の中に落下させてしまったり、電車で痴漢にあったり、自転車盗まれたり、あちこちのオーディションに出て感触は凄くよかったのに3回続けて「あなたは次点でした。またの健闘を期待します」というお手紙もらって、やっとメテオーナで行けるかと思ったら馬鹿なことして自滅しちゃうし」
「幸福は穴の空いた罠の如しだよ。次はきっとうまく行くって」
と美空は言ったが
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」
と月夜が訂正する。
「でもね、なんか先月頃から急に運気が変わったみたいなのよね。友達が土星が獅子から抜けたからじゃないかとか言ってたけど。星占いって当たるのかなあ?何気に色々なものがうまく行くようになって、あ、陽子から聞いてる?」
「うんうん。デビューすることになったんでしょ?」
「インディーズだけどね。頑張って美空ちゃんや小風ちゃんを追いかけるよ」
「うん、頑張ってね。こちらも失速しないように頑張る」
「取り敢えず契約金ももらっちゃったし。その分は稼がないと」
と八雲。
「わあ、いいなあ。私たちはそんなのもらってないよ」
と美空。
「事務所の規模の差かもね」
と月夜。
「でも私の分の契約金も陽子に預けたんだよ」
「なんで?」
「自分の契約金はお姉さんが起こした事件の賠償に使うというからさ、私の分も貸しておくから使いなよと言った。うちのお父ちゃんも賛成してくれたし」
「偉ーい。でも陽子ちゃんがお姉さんの賠償をする必要はないんでしょ?」
「もちろん。でもお姉さんが大勢の人に迷惑掛けたのを放置できないって」
「優しいなあ」
旭川空港で美空と別れた八雲はいったん旭川駅まで出た後、美幌の牧場に戻るのに特急オホーツクは1時間後だなと思い、どこか本屋さんでも覗こうかなと思いつつ、駅の中に貼られたポスターを眺めていた。
その時のことである。
「ね、君」
という声が左側からする。何気なく顔をそちらに向けると、30歳くらいの少し小太りの男性(?)が居た。八雲がその人物の性別に確信が持てなかったのは身長が165cmくらいで、男性でも女性でもあり得る背丈だったこと、髪が長く、後ろから見たら女性と思ってしまうかも知れないこと、着ている服が中性的で服装だけではどちらとも取れること、そして何よりもその人物の雰囲気が少なくとも男性の雰囲気では無かったからである。
「君さ、男の子?女の子?」
「答える必要無いと思うけど」
と八雲はできるだけ低い声で男言葉で答えた。
「やはり君、女の子だよね?」
「誰さあんた?」
「俺?俺はまあ作曲家かなあ」
「ふーん。僕は歌手だけど」
「へー、歌手なんだ? なんて名前? 俺、可愛い男の子や格好良い女の子の歌手はだいたい把握していたつもりだったんだけど。最近デビューした子?」
「人に名前訊く前にふつう自分が名乗らないか?」
「あ、すまん、すまん。俺ね、・・・」
と彼が言った次の瞬間、八雲は度肝を抜かれることになる。
後ろから走って来た20歳くらいの男の子がいきなりライダーキック(?)を八雲と話していた男性の後頭部にかましたのである。「ぎゃっ」という声をあげて男性は倒れるが、こちらに倒れたので、あおりをくらって八雲も倒れてしまった。
「あ、そっちの彼、ごめんごめん」
などとその男の子は言っている。
「さあ、行くぞ、浮気者。全く油断も隙もない。あまりやってるとチンポ切り落とすからな」
と言って、倒れている男性を引っ張って行こうとするが・・・・
「ね、気を失ってるんじゃ?」
と八雲は言う。
「この程度で死ぬような奴じゃないけどなあ」
と男の子。
10秒くらいして、やっと男性は意識を回復する。
「ジュリー、馬鹿野郎。死にかけたぞ」
「コーが死んだら、日本中の美青年がコーの毒牙から救われるな」
「馬鹿。浮気じゃねーよ。仕事の話をしてたんだ」
「仕事? 男の子を口説く仕事か?」
「だから、この女の子、歌手なんだよ。俺が曲を書いてやろうと言ってたんだよ」
と男性。
「女の子?」
と言って若い子は驚いたようにこちらを見る。それで八雲は
「すみません。戸籍上は女です」
と答える。
「へー。じゃ僕と同じか」
と彼氏。
「え?まさかあなた女ですか?」
「うん。取り敢えずチンコは付いてない。付けたいんだけどねー。こいつのをぶん盗って僕のお股に付けちゃおうかなあ。どうせおしっこする以外には使ってないんだし。無くなってもいいよね?」
と樹梨菜は言った。
「馬鹿、チンコ付いてるから、俺は性欲もあるし、それで仕事に対する意欲も湧くんだよ」
と男性は反論する。
「へー、コーはチンコで作曲してんのか?」
「あのぉ、この人は?」
と八雲は樹梨菜に男性の素性を尋ねる。
「ああ、こいつは美少年の敵、蔵田孝治って奴」
と樹梨菜。
くらたこうじ?? で作曲家?まさかドリームボーイズの??ぎゃー、どうしよう。私、この人にかなり冷たい態度を取っちゃったよ!?
八雲は顔から血の気が引くのを感じた。どうしよう。こんな大物ににらまれたら私、またクビになっちゃう。芸能界永久追放だったりして!?? 私の不運はまだ続いていたのかな。。。。
「どうしたの?顔色悪いけど。こいつに何かされた?」
と樹梨菜は本当に心配そうに八雲に尋ねた。
1 2
【女の子たちの塞翁が馬】(1)