【女の子たちの火の用心】(上)

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やがて《せいちゃん》に起こされて車の外に出てみる。さすが南国である。10月の明け方というのに、そんなに寒い感じはしない。それでも千里は《たいちゃん》のアドバイスで制服の上にウィンドブレーカーを着た。 
『星がきれい』
『もうすぐ天文薄明が始まる。多分その前に起こした方がいいだろうと思ったから起こしたよ』
『うん。ありがとう』
 
この日は結構雲もあったのだが、その雲のまにまに見える星は美しかった。 
やがて空が明るくなり始める。
 

千里が車の傍に立って空を見ていた時、若い男が2人、千里の姿を認めて車の方に近づいて行った。星明かりに照らされた千里の顔とたなびく長い髪が美しい。男たちは思わずごくりと唾を飲み込み、顔を見合わせた。
 
そして声を掛けようと、車の傍まで寄ろうとした時。
 
突然目の前に凄い形相の赤鬼が現れる。
 
ぎょっとして立ち止まるふたり。
 
「な。なんだよ? 鬼のコスプレか?」
「びっくりするじゃねーか」
 
とは言ったものの、赤鬼が手に持っている金棒を高く掲げると、その雰囲気に呑まれ、足がすくんでしまった。
 

「ぎゃー!」
という凄い声を聞いて千里は道路の方角を振り返る。
 
男がふたり向こうの方に走って行っている。
 
『何だろう?』
『さあ。キンタマ掴む妖怪にでも襲われたのでは?』
『こうちゃんって結構下ネタが多いよね』
『好きなくせに』
『うーん・・・』
 
千里は熊本駅で買った無糖の缶コーヒーを開けて飲みながら空と海を見詰めていた。エアコンの吹出口に置いておいたので暖かい。暗い内は良く分からなかった青島の姿も、明るくなってくるにつれ次第にその姿を現していく。 
『ここは明るい聖地なんだね』
『昼間は観光地化しちゃうけどね』
 
千里は腕時計を見て6時少し前に島への橋を渡り始めた。海風が心地良い。島の右手を回り込むようにして青島神社に到達する。神社の人が境内の掃除をしていたので「おはようございます」と挨拶を交わした。
 
拝殿でお参りをした後、当然のように右手の奥宮の方に行く。
 
『千里この奥宮知ってた?』
と《りくちゃん》が言ったのだが
 
『え? 奥宮があるの?』
と千里は答える。
 
《りくちゃん》は悩んでいたが、《いんちゃん》がクスクスクスと笑っていた。千里の行動はだいたいこんなものである。
 
奥宮でお参りした後、神社の外に出て島の向こう側まで歩いて行く。水平線から登ったばかりの太陽が力強く輝いていた。千里はバッグから五線紙とボールペンを出すと、その場に座って、五線紙に音符を綴っていった。
 
30分ほど太陽や海を見つつペンを走らせてから来た道を辿り車に戻った。雨宮先生にメールする。
 
《青島で日の出を見ました》
 
折り返し電話が掛かって来た。
 
「じゃその感動をもとに曲を書いて」
「書きました」
「優秀優秀。言わなくてもちゃんとできるようになったね」
「この後はどうすれば?」
 
「鵜戸神宮(うど・じんぐう)に行って」
「この近くでしたっけ?」
「車で10分くらいよ」
「なるほど40分くらいかかるんですね」
「あんた察しが良すぎるよ」
「先生の弟子ですから」
「毛利は私のことば真に受けるのになあ」
「ああ、あの人素朴ですから」
「まあそれがいい所だけどね」
 

取り敢えず車内で私服に着替えた。夜中はまだいいが、明るい時に女子高生の制服を着て車を運転している図は問題がありすぎる。
 
カーナビに鵜戸神宮をセットする。車中泊したSAから青島まで《きーちゃん》に運転してもらったので今度は《こうちゃん》に運転を頼んで千里は神経を眠らせた。
 
鵜戸神宮の鳥居前の駐車場で起こされて時計を見ると30分しか経ってない。 
『いいけど事故は起こさないようにね』
『俺の運転テクを信用しろよ』
『はいはい。でもありがとね』
 
と言って車を降り、取り敢えずトイレに行った後、参道を歩いて行く。 
『千里、ここ来たことあった?』
『ううん。でもこっちだよね?』
『そうだけど』
 
また悩んでいるふうの《りくちゃん》の肩を《いんちゃん》がトントンと叩いていた。
 

鵜戸神宮は海に面した断崖絶壁の途中にある。よくまあこんな凄い場所にこんなもの建てたものだと千里は感心してお参りをした。
 
拝殿でお参りした後、左手からぐるりと洞窟(というより断崖の窪み)を回る。 
『ここ触っていくとおっぱい大きくなるよ』
と《てんちゃん》が言うので、ホント?と言って、お乳岩に触っておいた。回り終えた所に、運玉投げというのがある。
 
「これどうするんですか?」
「そこに亀の形をした岩がありますが、その甲羅の部分に窪みがありまして、そこにこの玉を投げ入れるんです。女性は右手で、男性は左手で投げ入れることになっています」
 
「へー。やってみます。ありがとうございます」
と言って1セット5個の素焼きの玉を買う。
 
それで亀石の前に行き、女は右と言われたなと思い、右手で握って投げ入れる。 
玉はきれいに亀石の窪みに入る。入ったけど、これでいいのかな?と思い、2個目を投げる。2個目もきれいに入る。3個目・4個目を投げる時、近くにいる観光客が自分を注目していることに気付く。ちょっと面はゆい気持ちのまま5個目を投げる。これも入る。
 
「凄い。5個とも入れるって」
「あんたソフトボールの選手か何か?」
「あ。いえ、バスケットボールのシューターです」
「それでか!」
「さすが!」
 
「ここ来たの3回目だけど、五発五中した人って初めて見た」
「ふつう、1個入ればいいほうだもんね」
 

そんなことを近くの観光客と言っていたら
 
「さすがですね」
と少し離れた所に立っていた女性が言う。
 
「東京T高校の竹宮さんと山岸さん?」
と千里は驚いた顔で言った。
 
「ちゃんとこちらを認識するということはインハイでの私たちの試合、見ておられました?」
「いえ。済みません。ビデオで見ました。実は強い所の試合は全部見ています。控え部員を総動員してインターハイの全試合を記録しましたし」
 
「情報戦もしっかりしてますね!」
「有力校のデータは都道府県大会から偵察してますよ」
「そのあたりも快進撃の一因かな」
 
「そうですね。でもバスケのシューターなら五発五中できるでしょ?」
「いや、なかなかできないよ。月香、やってみてよ」
「うん」
と言って、千里が顔を知らない子が運玉を買ってくる。
 
投げる。
 
1投目。入る。2投目。入る。3投目。入る。
 
「すげー!」
と観光客が驚いている。こんなに命中するのを連続で見られる機会はそうそう無いであろう。
 
月香は4投目を外してしまったが、5投目はまたちゃんと入れた。
 
「負けた〜」
と悔しそうだが
 
「いや、凄いです」
と千里は本気で褒めた。
 
「新戦力ですか? 私に見せて良かったのかな?」
「私たちと村山さんの所ってさ」
と竹宮さんが言う。
 
「今回インハイでどちらも準決勝負けだったから、次回ウィンターカップか来年のインハイで出て行った時、1回戦や2回戦で当たるような組合せにはならないと思うのよね」
 
「シードされるかもね」
「だから、多分そちらとやるのは準々決勝か決勝だよ」
「なるほど」
 
準決勝はJ学園またはF女子高とやる可能性が高い。
 
「私たち2校がJ学院とF女子高をそれぞれ破れば、決勝で戦える」
「いい話ですね。やりましょう」
 
「だからそういう相手には秘密兵器を公開しても問題ないんだ」
「では決勝戦での対決、楽しみにしてます」
「うん」
 
それで千里は3人と握手した。
 

「今日は旅行ですか?」
と千里は尋ねた。
 
「そそ。修学旅行」
「東京の私立なんて修学旅行は海外かと思った」
「うちはそんなにお金持ちの娘・息子は居ないから。村山さんは?」
「バイトでここに呼び出されたんです」
 
「バイトしてるんだ?」
「ええ。うち貧乏だから」
「村山さんほどの選手なら特別待遇でバイトなんかしなくて済むようにしてもらえそうなのに」
「うちは公立よりは少し予算が潤沢かなという程度だから」
 
「でも宮崎まで来るバイトって凄いですね」
「唐突にあちこちに呼び出されます。伊勢に呼び出されたり、京都に呼び出されたり。今回は今まででいちばん遠いですね」
「だったら次は沖縄だね」
 
「ありそうで怖いです。そうだ、森下さんは別行動ですか?」
「来るはずなんだけどねー。どこで引っかかっているのやら」
 

しばらく3人とおしゃべりした後、そのバスケ部3人を含む5人のグループと一緒に鳥居の方まで戻った。すると何やら女性警官?と揉めている森下さんの姿がある。
 
「どうしたの?誠美」
「ああ、良かった。星乃助けて」
と森下さん。
 
「そちらはお連れさんですか?」
と女性警官。
 
「どうしたんですか?」
「女子トイレに入ったらきゃーっと悲鳴あげられて」
と森下さん。
 
千里は頭を抱え込んだ。まあこの身長あれば悲鳴あげられるかも知れん。髪も女の子にしては随分短い。
 
「たまたま近くに居たので女性の悲鳴で駆け付けて確保したのですが、この人は本当に女性ですか?」
と警官が訊く。
 
「合宿で一緒にお風呂とか入ってるから間違いないですよ。バスケットの選手なんです」
「ああ、そうでしたか。失礼しました。私たちとしては性別に確信が持てなかったので」
 
「まあ女子トイレで悲鳴あげられたのは何度目だろうね」
と竹宮さん。
 
「数えたことないよ」
と森下さん。
 
それで開放してもらった所で、女子トイレでまた「キャー!」という悲鳴。 
女性警官がトイレの中に飛んで行く。
 
「違う!私は女です!」
という野太い声がする。
 
千里たちがトイレを覗き込むと、どう見ても男にしか見えない50歳くらいの人物が女性警官に取り押さえられている。
 
「何ならお股を見てください。性転換手術済みですから」
などとその人物は言っている。
 
それで女性警官とその人物が一緒に個室に入り、すぐに出てくる。
 
「確かに女性でした。失礼しました」
と警官。
 
千里はため息を付いてその人物に言った。
 
「お姉さん、性転換手術までしたのなら、確かに女性なのでしょうけど、もう少し女としてパスするように努力しません?」
 
「うん。実はそれが悩みなの。私、どうしても女に見えないみたいで」
「取り敢えずスカート穿きましょうよ」
と千里。
「若い頃は頑張って穿いてたんだけど、最近はなんか穿くのが恥ずかしい気がしてきて」
と彼女(?)。
「まだ女を捨てる年齢じゃないと思いますよ。せっかく性転換手術を受けたんだから、もっと女を演出しましょうよ」
 
「お化粧もした方がいいよね」
と竹宮さん。
 
「私メイクすると化け物みたいになっちゃうの」
「メイク教室とかに通うといいですよ」
 
「眉毛も細く切り揃えた方がいいと思うな」
と森下さん。森下さんの眉毛はきれいに整えられている感じだ。ひょっとしたら元々は結構太いのかも知れない。
 
「ああ、眉毛だけでかなり印象変わるよね」
と山岸さんも言う。
 
「フィニッシングスクールとかに通うのはどうだろう?」
「そのあたりまとめて教えてくれるよね」
「ブライダルスクールでも良かったりして」
 
「私・・・お嫁さんになれるかしら?」
 
千里たちは一瞬返事に窮したが、竹宮さんが笑顔で答える。
 
「男の人にもいろんな趣味の人がいるし、有り得なくもないですよ」
 
フォローしてあげているのかしてないのか良く分からない返事だ。しかし彼女は良い方に取ったようである。
 
「そうかな。少し頑張ってみようかな」
 
「だけど実際問題として女子トイレで、こいつ男じゃねーのかよ?と思うおばちゃんって結構見ると思わない?」
と萩尾(月香)さん。
 
「ああ、いるよね。悲鳴あげる直前で思いとどまったことある」
と森下さん。
 
「誠美は悲鳴を上げたら駆けつけて来た警備員に自分がつかまったりして」
「だから悲鳴あげられないんだよ」
 
女性警官が「うーん」という感じで悩んでいた。
 

騒動が落ち着いた所で、千里は森下さんとも握手した。森下さんは先程の運玉対決のことを聞くと「すごーい。見たかったあ」と悔しそうに言っていた。 
彼女たちとは「次は東京(ウィンターカップ)で」と言って別れた。結局森下さんに付き合って竹宮さんが一緒に再度拝殿まで往復してくるということであった。
 
千里は駐車場に戻り、車の中で曲を書き始めたが、先程の運玉投げや、今起きたトイレ騒動のことが頭にあると、何だか元気な曲が出来てくる。ああ、いい雰囲気、いい雰囲気と思いながらペンを走らせて行った。
 
だいたい書き上げた所で雨宮先生に連絡する。
 
「うん、優秀。優秀。じゃ東京に戻ってきて」
「えっと・・・先生、宮崎におられるんじゃなかったんですか?」
「私はずっと東京に居たけど」
「じゃ私だけ宮崎に来たんですか?」
「うん。新島は広島の、安芸(あき)の宮島に行った。そちらも今東京に戻ってきている最中」
 
千里はため息を付いた。てっきり雨宮先生が宮崎に来ていて、そちらに呼ばれたものと思っていたのである。
 
「でも私、どうやって東京に行けば?」
「車は宮崎空港に駐めて。到着の少し前にレンタカー屋さんに電話すれば取りに来てくれるから。乗り捨てすることも連絡しているはず。それで宮崎空港から羽田まで飛んで。青山のスタジオで待ってるから」
 
結局ドライバーはずっと私なのか!?
 
「分かりました」
と千里はため息を付いて答えた。
 

それで千里はカーナビに宮崎空港をセットして出発しようとしたのだが、ここで《きーちゃん》が『千里、助手席に乗って』と言う。それで千里は助手席に移る。《きーちゃん》は実体化して運転席に座って車を出した。
 
海岸沿いの道(来る時は寝ていたので気付かなかったが結構凄い道だ)を戻って鵜戸神宮入口の所から国道220号に戻り北上するが、少し行った所で検問をやっていた。
 
なるほどー。でも大丈夫かな?
 
警官が
「恐れ入りますが免許証を拝見します」
と言う。
 
《きーちゃん》は落ち着いてバッグから免許証を出すと警官に提示した。 
「ありがとうございます」
と言われて通してもらう。
 
『きーちゃん、免許証があるんだ?』
『これを見せただけだよ』
と言って《きーちゃん》が見せてくれた免許証は、村山千里の運転免許証だ! 
『えーー!?』
『千里が1年半後に取得する免許証だね』
『うーん・・・』
『千里実際問題として、今女子大生だし』
『なんかもうそういうの気にするの面倒になってきた』
 
なお千里はウィンターカップ地区大会の終わった9月17日からまた女子大生の身体になっていた。
 

レンタカー屋さんに到着予定時刻を連絡したら、店舗の方に乗り付けてもらったら、そこから空港までお送りしますということだったのでそうすることにした。 
『田舎の空港とかフェリーターミナルだと無料駐車場があるからそこに乗り捨てておけば勝手に回収してくれる所もあるんだけどね』
などと《こうちゃん》が言う。
 
《きーちゃん》は千里にそのまま寝ておくといいと言い、千里が寝ている間に車を宮崎空港のレンタカー屋さんまで運転していってくれた。返却手続きもやってくれる。返却予定時刻より早かったので追加料金も不要だった。レンタカー屋さんに空港まで送ってもらった後で、千里の中に戻る。
 
千里はそのまま空港のカウンターに行き羽田までの切符を買って乗り込んだ。待合室と機内で今朝作った2曲をDAWでMIDIに打ち込んだ。
 
羽田で降りてから京急・地下鉄などを乗り継いで青山のスタジオに到着したのはもう(10月13日)18時すぎであった。
 

「お早うございます」
と言って中に入っていく。雨宮先生と新島さん、それに∞∞プロの鈴木一郎社長が居る。
 
「このメンツということは、もしかして大西典香ですか?」
「そうそう。大西典香の次のアルバムを作る」
 
「大西典香の次のアルバムどんな感じで作ろうか?と言った時に Blue Island というタイトルがいいですと本人が言ったのよね。それで Blue Island なら青島じゃん。それなら青島で曲を作ろうということで、行ってきてもらったのよ」
 
「私の方はAutumn Island というのもいいね、と言われて《あきのしま》なら安芸の宮島じゃんと言われて、行って来させられた」
と新島さんが言う。
 
秋で安芸って駄洒落か!?
 
「なるほど。鵜戸神宮は?」
「青島の話をしたら、★★レコードの加藤ちゃんが、青島なら鵜戸神宮とセットのはずですと言うから、一緒に行ってもらった」
 
「ええ、確かにセットです。本当は霧島神宮までセットですが」
と千里も答える。
 
「あら。まだ他にもあった? じゃちょっと今から行ってきて」
と雨宮先生が言う。
 
「えーー!?」
と千里は半分驚き、半分抗議の声をあげたが、鈴木社長が
 
「まあ今回はいいでしょう」
と言ったので、千里は東京駅に行って新幹線に飛び乗るハメにはならずに済んだ。 

「じゃ曲を見せてよ」
というので千里はパソコンを開き、MIDIを鳴らして歌ってみる。
 
「これが青島で書いた曲です」
 
もう1曲の方も鳴らす。
 
「こちらが鵜戸神宮で書いた曲です」
 
2曲聴いた所で雨宮先生が鈴木社長と新島さんに訊く。
 
「どちらがいいと思う?」
 
「後のがいいです」
「後のだね」
 
「じゃそれを Blue Island というタイトルにしよう」
と雨宮先生。
 
「えーー!? でも鵜戸神宮で書いたのにいいんですか?」
と千里。
 
「そのふたつ親戚なんでしょ?」
「親子です。青島神社に祭られているのは彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、通称山幸彦(やまさちひこ)と奥様の豊玉姫。鵜戸神宮はその子供の鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)をお祭りしています」
 
「親戚ならOK。霧島神宮は?」
「山幸彦のお父様の邇邇芸命(ににぎのみこと)です」
 
「なるほど。親子孫と3代なわけだ」
「ええ。でも霧島神宮は火山の噴火で度々移転している内に分裂してしまって、現在6つの神社になっているんです」
 
「じゃ後日その6ヶ所巡り」
「高校卒業した後にしてください」
「まあいいや」
 

それで千里が鵜戸神宮で女子トイレ騒動のあとで書いた曲を『Blue Island』というタイトルにし、青島で日の出を見て書いた曲は『恋のモーニングコール』というタイトルにすることになった。歌詞は千里が仮の歌詞を付けていたのだが、蓮菜に電話して添削あるいは独自のものを付けてと言ったら、きれいに添削・修正してくれた。修正された歌詞を見た雨宮先生は「さすが葵ちゃんはセンスがいい」と本気で褒めていた。
 
「今回は何曲入りのアルバムにするんですか?」
「12曲。また例によって全部《鴨乃清見》の名前で出す。私が1曲、新島が2曲、新島の友人で松居って子が1曲、千里も会った高倉が1曲、大西典香自身に1曲、ただしこれは新島が少し補作・調整をした。それから鮎川が1曲、鮎川の知り合いで田船って子が1曲、そして醍醐が4曲」
 
この田船さんというのは2009年にブレイクしたバインディング・スクリューの専属作曲家(リーダーの田船智史のお姉さんである田船美玲)であるが、この当時はバンドともども全く無名であった。田船さんはラッキー・ブロッサムにも「螺旋」のペンネームで幾つかの曲を提供している。
 
千里は荷物を手に持った。
 
「それでは私の用事は済んだようなので帰ります。失礼します」
「待て」
 
と言って雨宮先生が後ろから抱きとめる。ついでにおっぱいに触る!
 
「今の私の話聞かなかった?醍醐の担当は4曲なんだよ。あと2曲書いて」
 
「無理ですよ〜。今日2曲書いたばかりですよ。あと2ヶ月待ってください」
「金曜日まででいいから」
「だいたい何で私だけ4曲なんですか?」
「それは鴨乃清見の中核が醍醐だからだよ。他の人はヘルパー。千里、鴨乃清見の名刺も作っていいからさ」
 
千里は再度ため息をついた。
 
「分かりました。では今月中にあと2曲書きます」
「それじゃ間に合わないよ」
 
「私学校がありますし。今度の週末は親善試合があるからバスケの練習もしないといけないし」
「じゃ最悪譲って来週の月曜日。22日」
「じゃ23日の朝」
「仕方無い。それでいいよ」
 

ということで解放してもらえたので、雨宮先生の助手の橘さんにホテルを手配してもらった。また高倉さんから借りたインバーターも返送をお願いして渡しておいた。
 
「橘さん、こないだは気付かなかったけど、橘さんって、ロマンスガールズのエリカさんですよね?」
 
「覚えててくれてありがと。でも私の現役時代って、あなたがまだ小学生くらいの頃じゃないかしら」
「いえ。そのお声に記憶があったんです。こないだはどこかで聞いたことあると思っていたんですけど、さっき突然思い出しました。ユリカさんもお元気ですか」
 
「うん。元気元気。こないだ赤ちゃん産んだんだよ」
「わぁ、おめでとうございます。結婚なさっていたんですね」
「ううん。結婚はしてない」
「へー。まあ最近はそういうの多いし」
 
この時生まれたのが橘美晴であったことに千里が思い至ったのは20年ほど後に橘美晴がデビューした時であった。
 
「出産費用とかは全部彼氏が出してくれたし、養育費も毎月50万送ってくれるらしい」
「50万ももらえるなら、私もその人の彼女になりたい」
「私も言った!」
 
「でも結婚しないんですか?」
「結婚するつもりだったみたいだったけど、ちょっと関係がこじれて別れたみたいだよ。そもそも彼氏は凄い浮気性でさ」
 
「へー。でも子供についてはちゃんと責任持つんですね。50万も払えるってお金持ちなんだろうし」
 
「毎月100万払うと言ったらしいけど、お金ありすぎると遊びそうだから50万でいいと言ったらしい」
「欲が無い」
「ね? その差額50万円、私にくれよと言った」
「あはは」
 
「実際には20万で生活して30万は子供名義の口座にずっと積み立てていくと言ってた」
「堅実ですね」
 

ホテルに入ったのはもう22時すぎである。とりあえず寝る。夜中に目が覚めると空腹を感じたので、コンビニに行っておにぎりでも買おうと外に出る。 
ホテルの玄関を出たところでバッタリと美空に出会ってしまった。
 
「わっ」
と驚いたあと
 
「おはようございまーす」
と挨拶を交わす。
 
そして
「どうしたの?こんな夜中に」
とお互い言う。
 

深夜に女子高生2人が路上で立ち話してたら補導されそうなので、取り敢えず近くの深夜営業しているファミレスに入った。
 
「コーラスの仕事してたら、終わったのが終電出た後だったのよ。一応帰りのタクシー代はもらったんだけど、お母ちゃんに電話したらタクシーで帰るなんてもったいない、そちらで泊まりなさいなんて言われるから3000円で泊まれるホテルに入って、お腹空いたなと思って出て来た所」
と美空は言う。
 
本当は高校生は22時までに帰さなければならないはずだが、熱が入ってしまったのだろう。というか千里も高校生なのに雨宮先生には全く時間と関係無く作業させられている!?
 
「こちらはちょっと宮崎に行って来て、とりあえず東京までは戻ってきたんだけど、旭川まで戻る便は無いから、泊まっている」
と千里は超簡易な説明をした。
 
何だかお互いにハードだねぇなどと言いながら、話は通常のおしゃべりに突入する。千里はハンバーグセット、美空は最初チキンカツセットを取り、その後追加でいろいろオーダーしていたが、千里は気にしないことにした。
 
「そうだ。メテオーナのデビュー日程は決まったの?」
「それが何だかぽろぽろと辞める人が出てて」
「ありゃりゃりゃ」
「デビュー前後にメンバーが変動するのはよくあることだから気にしないでとは言われたけどね」
「ああ、多いよね」
 
「八雲ちゃんは個人都合で辞退って話だったんだけど、陽子ちゃんの話ではどうもタバコ吸ってたの見つかって退学になったっぽい」
「ああ。私立?」
「そうみたい」
「私立は厳しい所多いよね。うちの高校でもタバコで自主退学になった子が居たよ。公立だと謹慎1週間くらいだろうけど」
 
「ああ。うちの学校でも謹慎くらってる男子が居た。それから笹雨ちゃんは別のプロダクションに引き抜かれてソロデビューすることになっちゃった」
「あれま。仁義なき世界だね」
 
「あそこのプロはこれまでもしばしばよそのプロから人を引き抜いたので揉めたりしてるんだけどね。トリガプスなんかも元々○○プロからデビューする予定だったのをデビュー直前に引き抜いたらしいし」
 
「ああ、あそこのプロか」
「それで今、陽子ちゃん、小風ちゃんと私の3人になったんだけどメインボーカルが居なくなっちゃったんだよ」
 
「ああ、そうか。陽子ちゃんはアルト、小風ちゃんはメゾソプラノって言ってたね」
「千里さん、そういうのよく覚えてるね」
 
「演奏した楽器の品番を覚えてる美空ちゃんほどじゃない」
「うーん。あれは何となく写真的に記憶してるんだよね」
「天才だね」
「うん。私天才だと思う」
 
いい反応だなと千里は思った。自分を天才だと堂々と言える子はそれだけでスターになる条件をひとつ満たしている。
 
「そしたら追加メンバーを誰か入れるの?」
「うん。私たちとは別にデュオでデビューさせようかと思っていた2人をこちらに引き込めないか検討中らしい」
 
「へー」
「そのふたりも物凄くうまいらしい。詳細は聞いてないんだけどね」
「ふーん」
「どちらもソプラノだけど物凄く音域が広いんだって。陽子ちゃんは偶然ふたりが歌っている所を聴いたけど、日本のトップレベルじゃないかと思ったほどだったらしい」
 
「凄いね。でも陽子ちゃんとは結構話すんだ?」
「うん。陽子ちゃん、小さい頃北海道に住んでたから話が合うんだよね。それに母親が違うお姉さんがいるというし。私は父親が違う妹がいるから」
 
「なんか複雑だね。小風ちゃんの方とは話するの?」
「まだ1度しか会ってないけど、とっつきにくい感じなんだよね。同い年とは思えないほど大人びた雰囲気だったし」
「ふむふむ」
 

美空とはあまり遅くなってもいけないしというので2時半頃で切り上げて各々のホテルに戻った(レストランの会計は別精算にした。美空は恐らくもらったタクシー代分くらい食べたと思う)。
 
翌日曜日は、ホテルを朝早くチェックアウトしてから東京駅に行き、東海道新幹線に乗り込んだ。
 
ぼんやりと窓の外の風景を眺めているうちに心は開放状態になっていく。元々千里は受信的な感性が発達しているが、こういうことをしているとますますその感度が上がる。
 
時々ふとモチーフが浮かぶので書き留める。特に浜名湖ではかなり良い雰囲気のメロディーが浮かんだ。
 
もっともこういう時は、バスケの作戦が唐突に浮かんだり、小説の断片のようなものが浮かんだりもする。数式や化学式が突然浮かんでくることもある。歴史の年号の語呂合わせを思いつくこともある。要するに何でも「受信」してしまうのである。
 
その「受信」しているものがどこから来ているのかは、千里には分からない。 

名古屋で降りて地下街で和食の店に入った。
 
「何に致しましょう?」
「何かお勧めのものってありますか?」
「名古屋の名物、ひつまぶしはいかがですか?」
「それ、どんなのですか?」
 
「御飯にウナギを乗っけたものなんですけどね」
「へー」
「1杯目はそのまま食べて、2杯目は薬味を載せて食べて、3杯目は更にお茶漬けにして食べると、1度で3倍美味しいと言われています」
 
「何か面白そう。じゃそれで」
「並にします? 大にします? 特大にします?」
「並でいいです!」
 
それで頼んでみる。うなぎの乗った御飯は、おひつに入って出てくるので、自分で茶碗に盛って食べる。
 
美味しい!
 
千里は言われた通り、1杯目はそのまま、2杯目は薬味を載せて、3杯目はお茶漬けにした。ちょっと庶民的な食べ方だな、いいな、一種のB級グルメかな、などと思ったのだが、ふと伝票を手に取るとギョッとした。
 
うなぎだもんね〜!高いよね!
 
一瞬後悔したが、食費・お茶代も、曲を書いたりまとめるのに使った分は費用で落としていいと雨宮先生言ってたし、請求に乗せちゃおうと思った。 

のんびりと食べていたので、1時間くらい掛かった。その間にもまた思いついたモチーフを書き留めていく。ここで思いついたメロディーが浜名湖で思いついたメロディーとセットな気がした。ひょっとして今食べたうなぎ、浜名湖産だったりして、と思ってお店の人に聞いたら「はい、浜名湖産でございます」と言われた。うなぎが泳いでいる所と、蒲焼きになって食卓に乗っている所でセットのメロディーができたというのはちょっと面白い。
 
お会計して出てから、名古屋駅構内で、おみやげにウイロウを買い、ミュースカイに乗ってセントレア空港に入った。
 
12:50の旭川空港行きに乗る。機内でも千里はひたすら受信モードの状態で時々思いついたものを書き留めていた。空港バスで旭川駅に出てから更に路線バスに乗り継いで帰宅した(空港からタクシーで直接帰宅してもその分の交通費はもらえるのだが貧乏性なのである)。
 
「ただいまぁ、これお土産」
と言って千里がウイロウを出すと
 
「あら?宮崎のウイロウ?」
と美輪子が訊く。
 
「いや、名古屋で買ったウイロウだけど、宮崎にもウイロウがあるんだっけ?」
「うん。あんた宮崎に行くとか言ってなかった?」
「行ったよ。その後、東京で少し作業して、最後名古屋から飛行機で帰ってきた」
「ややこしいね」
 
「なんかJALもANAもマイルが溜まる溜まる」
「交通費は出してもらってるんだよね?」
「もちろん。それでないとやってられないよ。でも宮崎にもウイロウがあるとは知らなかった」
 
「山口とか名古屋とかが有名だけどね。それぞれ材料や製法が違うんだよ」
「面白いね」
 

千里は家で一休みすると、ちょっと汗流してくると言ってジャージを着て近くの公園に行き、軽く6kmほど走った。途中何度かまたモチーフが浮かんだのでウェストポーチに入れた筆記具で書き留めた。
 
その後、SPAに行って入浴し英国式ボディケアのお店に行って全身マッサージをしてもらったが、その最中にも思いついたモチーフをマッサージを中断して書き留めさせてもらった。
 
しかし・・・・
 
取り散らかっているなと我ながら思う。強引に曲として組み立てられないこともないのだが、今ひとつ気分が乗らないのである。
 
悩んでも仕方無いので、その日は遅くならない内に帰宅してぐっすり寝た。 

月曜日出て行くと、鮎奈と京子が何か話している。
 
「どうしたの?」
「この週末も放火が相次いだんだよ」
「えー!?」
「金曜日の晩にはスポーツセンターの旧テニス用具室、実際はゴミ置き場と化していたらしいけど。土曜日はE女子高の守衛室、昨夜は東旭川にあった廃ビル」
 
「学校関係は厳重警戒してたんじゃないの?特に女子高なんて」
「それが守衛室は校門の所のがやられたんだって。敷地の中に入らなくても、発火装置を仕掛けることは可能かも知れないと警察の分析らしい」
 
「犯人、かなり調子に乗ってるな」
「千里の霊感で犯人分からない?」
「え?私、霊感無いし」
「ん?」
 
鮎奈と京子が一瞬顔を見合わせた。
 

「でも道警も、犯人は女じゃないかという線で捜査しているみたい」
「やはり女なの?」
「男の娘かも知れないけど」
 
「スポーツセンターの旧テニス用具室の隣に女子トイレがある。あそこ男子トイレと女子トイレが離れた場所にあるでしょ?」
 
「あぁ・・・」
「L女子高・E女子高と、女子高がやられているのもひとつ。逆に男子校のT高校・B高校は無事。偶然かも知れないけど。それにこないだ放火された旧**デパートの付近でセーラー服の女の子を見たという証言があって、E女子高でも土曜日に見慣れないセーラー服の女の子がいたのを見たという生徒が数人居るらしい。知らないセーラー服だったって。学校見学に来たどこかの中学生かも知れないけど」
 
「じゃ、犯人は女子中生?」
「高校生でセーラー服の所は限られているからね。警察が目撃者に旭川・深川周辺の高校中学のセーラー服の写真見せたらしいけど、その中にはそれっぽいものは無かったらしい」
 
その時、千里はふと薫が着ていたセーラー服のことを思い出した。
 
あんなフォルムのセーラー服は確かに道内では見たことない。
 
でも、まさかね・・・。
 

その日からもう薫はN高校の女子制服を着て来ていた。昨日の夕方、特急で作ってもらったのを受け取ったらしい。
 
着替えは学校からは、個室(物置と化していた地学準備室を大掃除して空けてくれた)で着替えるように言われていたものの、体育の時間にしても部活にしても、他の女子から「薫ちゃんなら女子更衣室に来ても構わないよ」と言われて連れ込まれ、そこで着替えていた。みんなから注目されるので、ちょっと恥ずかしかったようだが、女子更衣室を使うということで、自分のアイディティティを追認できるみたいで嬉しいと本人は千里たちに言っていた。
 
なお昭ちゃんは部活の時は、当然の如く女子更衣室に連れ込まれていた。特にこの時期は昭ちゃんは薫ともども女子と一緒に練習しているので、自然な流れでそちらに行ってしまうのである。
 
「昭ちゃん、女子下着を着てるんだね?」
と薫が言う。
 
「もうハマってしまったみたい。最近女の子下着ばかりです」
「お母さん何か言わない?」
「ふーん。お前こういうの着るの? と言われたけど、やめろとかは言われないです」
「取り敢えず黙認状態か」
 
「でも昭ちゃん、おちんちんが付いてないみたいに見える」
「隠し方があるんです。タックと言って」
 
薫の場合はどうしても膨らんでしまうのを下向きにしてガードルで押さえ込んでいる。それでもガードルに下向きにした反動の微かな膨らみが認められるので、下着姿を見ると(千里のようにこういうのを見慣れている人には)付いているのが分かるが、その上に体操服のハーフパンツやバスケパンツなどを履くと、上から触っても付いているようには感じない。
 
薫は部活の後で汗を掻いたショーツ・ガードルの交換は制服に着替えた後で、スカートを穿いたまましているようである(昭ちゃんは恥ずかしがってトイレで交換しているもよう)。
 
「ああ。タックしてるのか。あれ自分でもやってみたけど、うまくいかなかった。やり方の要領とか教えてくれない?」
「ボクもまだうまくできないんですよー。千里さんから習って下さい」
 
「ああ。千里ちゃんが昭ちゃんに教えてあげたのか?」
「じゃ今度ゆっくり教えてあげるよ」
と千里は言っておいた。
 

水曜日。昼休みに職員室に呼び出されると、父からの電話だった。
 
「お前、今日学校が終わった後、時間があるか?」
「ごめーん。週末にバスケの試合があるから練習で遅くなる」
「練習、何時までやってるの?」
「8時までだけど、その後、片付けて着替えたりしてると8時半になる。ボク副部長だし。部員みんなが帰るまで居ないといけないんだよ」
 
「へー。副部長なんてやってるんだ。頑張ってるな。だったら9時に会わないか?」
「今夜の9時?」
「そうそう」
 
「何の用事?」
「ここしばらく旭川で大工技術の講座受けてたんだけどさ」
「だいく? 家を建てる大工?」
「そうそう」
「お父さん、大工さんになるの?」
「なるつもりはないけど、色々職業訓練は覚えておこうと思ってさ」
「頑張ってるね」
 
「それでさ。今日、講座の修了課題で、受講者全員で小屋を建ててるんだよ。旭川駅近くのA公園内なんだけど」
 
「へー。公園なんだ」
「その方が多くの人に見てもらえるということで。夕方までには完成すると思うけど、1日だけ展示して明日の夕方4時には解体し始めないといけない」
「ああ。何日も置いておけないよね」
「だから、お前に今夜見てもらおうと思ってさ」
 
「うん。いいよ。じゃ9時にA公園に行けばいい?」
「飯でも食おう。A公園のそばに**ってラーメン屋があるから、そこで晩飯食ってから見に行こう。明日までは小屋は逃げないから」
 
「そうだね」
 

それで千里はその日の練習が終わると、いつものように制服には「着替えず」、汗を掻いた下着だけ交換し、体操服のままで鞄とスポーツバッグを持ち、A公園そばのラーメン屋さんに行った。
 
8:45くらいに着いたのだが、もう父が店の前で待っていたので、笑顔で少し斜め気味に会釈して一緒にラーメン屋さんに入る。父が少し変な顔をした。今の会釈女の子っぽすぎたかなと思う。
 
「なんだ。体操服で来たのか。制服は?」
「うん。通学は別に体操服でもいいんだよ。部活やった後は体操服のまま帰る子も多いよ」
「なるほどな。それと髪が随分長いぞ。まるで女みたいだ」
「忙しく切りに行けないんだよ」
「俺がバリカンで刈ってやろうか?」
 
「来月くらいには行くよ。でもお父さん、色々職業訓練受けるって、大工さん以外にもするの?」
 
「うん。8月から9月にかけては電気工事の訓練も受けたぞ。これは留萌で講座があったんだけどな」
「へー!」
 
「そうだ。お前、オームの法則って知ってるか?」
「・・・知ってるけど?」
「電流の大きさって、電圧を抵抗で割ると出てくるんだってな。だから100ボルトの電圧を掛けた所に抵抗が5オームあったら、電流は20アンペアになるんだって」
 
何十年も通信技師をしていた人の言葉とは思えん! 電気で動く通信機器を使いこなしていても、電気そのものに関する知識は全く無かったんだろうな。それで使えてたのが凄いけど。
 
「よく勉強してるじゃん」
と千里は微笑んで言う。
 
「右手の法則、左手の法則というのも習ったぞ。あと巻きネジの法則だっけ?」
「右ネジの法則だと思うけど」
「あ、それそれ。なんか頭の中がごっちゃになる。右手の法則と言われても、どの指が電流で、どの指が磁界だったがすぐ忘れてしまう」
「それは高校生でも忘れちゃうから試験前に復習するよ」
「やはりそういうものか」
 

ラーメンを食べ終えた後、お店を出て公園に入る。入ったところでバッタリと薫に遭遇した。薫も体操服である。
 
「わっ、こんばんは」
「こんばんは」
 
「同級生?」
と父が訊くので千里は紹介する。
 
「こちら、バスケ部で一緒の歌子さん。こちらうちの父です」
「それはお世話になります」
 
などと挨拶してから父が心配したように言う。
「夜の公園はぶっそうですよ。女の子がひとりで大丈夫ですか?」
「ええ。ちょっとジョギングしてたんですけどね。でも私、男だから大丈夫ですよ」
 
「えーーー!?」
と父は絶句。
 
まあ、薫の容貌で男と言われたらたいがい驚くよね。しかし薫が体操服で良かったと思った。女子制服だったらまた説明が面倒な所だ。
 
「まあボクと歌子さんが並んで歩いていたら、女の子が2人並んでいるように人は思うかもね」
と千里は言ったが
 
「うーん・・・」
と父は悩んでいた。
 

「それじゃ気をつけて」
と言って別れる。
 
「しかしこんな時間までジョギングか。頑張るな」
と父。
 
「彼、深川に住んでいるんだよね。22:04が終電と言っていたから、今から駅に向かうと、ちょうど間に合うんじゃないかな」
「なるほどね。だけどあの子もお前みたいに長い髪だった」
「まあうちは運動部の子は自主的に短髪にしてる子が多いけど、校則としては襟に付かなければ違反じゃないからね」
「ふーん」
 
「お父さん、学校の勉強で分からない所とかはない?」
「あの連立方程式というのがよく分からん」
「ああ。あれはパズルみたいなものだから」
 
「二次方程式というのも良く分からん。解の公式って習ったけど、平方根って何だったっけ?」
「自分と掛け合わせてその数になる数だよ。例えば2×2=4だから4の平方根は2,3×3=9だから9の平方根は3」
 
「ふーん。じゃ5とか6は自分と掛けて5や6になる数はないから平方根は無いよな?」
 
「整数だけ考えるんじゃなくて小数点付きの数まで考えないといけないんだよ。2.2×2.2=4.84, 2.3×2.3=5.29 だから、2.2と2.3の間のどこかに自乗したら5になる数がある。実際には5の平方根は 2.2360679 になる」
 
「あ、そうか。小数まで考えないといけないのか。でもよくそんな小さい数字お前覚えてるな」
「暗記法があるんだよ。5の平方根は富士山麓オーム鳴く」
「ほほお」
「2の平方根は一夜一夜に人見頃(ひとよひとよにひとみごろ1.41421356)、3の平方根は人並みにおごれやい(1.73205081)」
「なんか面白いな」
 

そんなことを言いながら父は千里を公園の広場の方へ連れて行く。
 
「これなんだよ」
 
と父が見せてくれたのは小さな物置くらいのサイズの「家」であった。サイズ的には物置だが、形は家の形をしている。これ結構作るの大変だったろうなと千里は思った。
 
公園の街灯で浮かび上がっているので全体の形がしっかり見える。
 
「作りが凄い細かいね」
「そうそう。中には実際に大工の手伝いしたことのある人もいて、その人が頑張ったんだよ」
「凄い凄い」
 
ふたりでしばらく家のあちこちを触ってみていた。その時千里はふと、家の玄関の所に何か黒い物体が置かれているのに気付いた。
 
「あの玄関の所に置いてあるのは何?」
「さあ、何だろう」
 
その時《りくちゃん》が言った。
 
『千里、この家から離れろ。今すぐ』
『え?』
 
と言った次の瞬間、千里はその玄関の所にダッシュして、黒い物体を取りあげた。金属かと思ったが黒く塗られた段ボールだ。表面に貼り付けられたタイマーみたいなのの数字がカウントダウンしている。12,11,10,....
 
どこに投げ捨てる?
 
『池の中に投げて』
と《りくちゃん》が言う。
『どっち?』
『こっち』
と《りくちゃん》が指し示す方角に、千里は思いっきり振りかぶって、その物体を投げた。
 
それは空中で物凄い炎を上げた。そして池の水面に着くと軽い爆発を起こして火が消えた。
 

千里と父はしばらく沈黙していた。
 
「警察!警察呼ばなきゃ!」
 
それで父が110番する。すぐに警察は駆け付けてきてくれた。やはり最近放火が相次いでいるのでパトロールの人数を増やしているのだと警官は言っていた。 
発火装置は池の中から回収された。あまり傷んでいない状態で発火装置を回収できたのは初めてということで、分析に回すという話であった。
 
近くの警察署に行って事情を聞かれる。他に、たまたまその時公園に居た人たちにも警察に来てもらって、怪しい人物を見なかったかというのを聞いたりしたようであった。ついでに数人酔っ払いが保護?されていた。
 
「ああ、それじゃあのミニチュアの家を作られたんですか?」
「そうなんですよ。それで息子に見せようと思って」
「なるほど。その息子さんはどちらへ?」
 
「この息子ですが」
と父は憮然として言う。
 
「こちら、お嬢さんですよね?息子さんと3人で見ておられんですか?」
と警官。
 
「すみません。私、男です」
と仕方ないので千里は言った。
 
「そういう冗談はやめて欲しいんだけど」
「いや。こいつよく間違われるけど男ですから」
 
警官が信用してくれなかったので、結局美輪子に電話して出て来てもらって、それで確かに千里が男であるというのを証言してもらい、やっと納得してもらった。第1発見者なので怪しい所があるとまずいというので大変なことになったようである。
 
でも私、男であるというのを証明できないよね? 身体は女だし、生徒手帳の性別も女だし、図書館のカードとかも女になってるし。
 
「でもお嬢さん、よく発火装置を池に投げ込めましたね。あの地点から池まで20-30mありますよね」
 
警官は千里が男と判明してもまだ「お嬢さん」などと言っている。
 
「私、バスケットボールのシューターなので。28mのコートの端から端まで、あれよりずっと大きなボールを投げますよ」
「へー。それは凄い。さすがですね」
 
千里たちは結局12時近くになって、やっと開放された。
 
「ところで怪しい若い女の子とかをあの公園で見ませんでした?」
 
警察はやはり犯人を完全に女性に絞り込んでいるようである。
 
「変な人は居なかったよね?」
「ああ、こいつの同級生の男には会ったけど、女は見てないよな」
 
薫と言葉を交わして千里がこの子は男と言っていなかったら父は薫のことを言ったかも知れないなと千里は思った。千里は心の中でまた不安が広がるのを感じていた。
 
なお、証拠品として色々調べるため、念のためあの家はしばらく取り壊さないでくれということになったようである。1日で解体するはずが何日か残されることになって父は喜んでいた。
 
 
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