【女の子たちの事故注意】(2)

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千里はチェックアウト時刻まで休んでからホテルを出た。それで美輪子に頼まれた羊羹を買おうと虎屋の本店方面に向かっていたら、信号待ちの時にトントンと肩を叩かれる。
 
「美空ちゃん!」
「こんにちは〜、千里さん」
 
取り敢えずお茶でもと言って、近くのマクドナルドに入る。
 
「こちらには旅行できたの?」
「ううん。ちょっと頼まれごとでね」
「へー」
 
雨宮先生絡みの仕事の内容に関しては基本的に守秘義務がある。言ってもいいのは相棒の蓮菜くらいである。
 
「そうだ。こないだ言ってた歌唱ユニット。だいたいメンバーが固まったんだって」
「おお、いよいよデビューか」
 
「八雲ちゃん、笹雨(ささめ)ちゃん、陽子ちゃん、小風ちゃん、そして私が美空と5人とも気象現象に関わる名前だから、メテオーナという名前で行こうかという話なんだけどね。まだ名前は変わるかも知れないけど」
 
「へー」
「以前小風ちゃんの歌はビデオで見せてもらったんだけど、すっごいうまいんだよね。でも声質がメゾソプラノなんだ。八雲ちゃん・笹雨ちゃんがソプラノだから。そのどちらかがリードボーカルになる予定。陽子ちゃんは私と同じでアルト」
 
ソプラノとメゾソプラノは音域の差より声質の差である。叙情性のある声はメゾソプラノ、クリアな声がソプラノとされる。マリア・カラスなどは声質的にはメゾソプラノに近い。
 
「その凄く巧い小風ちゃんより、更にうまい子がいるんだ?」
「らしい。残りの3人の歌はまだ聞いてないんだけど」
「世の中凄いね。美空ちゃんだって相当うまいのに。いつ頃から稼働するの?」
「9月中に顔合わせして、10月に音源制作して11月発売くらいの感じかな」
「すっごーい。すぐ稼働じゃん。契約はしたの?」
「まだ。話が固まってからになると思う」
 
「楽曲は?」
「大物に依頼する方向で検討中らしい。誰になるか分からないけどね」
「へー。じゃ結構な予算がついてるんだ?」
「2000万円くらいの予算組んでやってるらしい」
「凄いね」
「その2000万円をもらえるんならいいけど」
「あはは。こちらがもらえるのは多分最初は2万円くらいだよ」
「そんなものだろうね」
 

ふたりの話は芸能活動のことから、しばし歌手やタレントさんの噂話に進み、更に学校の勉強のことや学校生活のことなどに及ぶ。
 
「へー、千里さんバスケットしてるんだ?」
「うん。こないだインターハイに行ったよ」
「すっごーい。インターハイなんて漫画の中の世界って感じだよ」
「いや。歌手デビューなんてのも漫画の中の世界って感じ」
「だよねー。インターハイの成績は?」
「3位。銅メダルもらったよ」
「凄い! 千里さんとこ、そんなに強いんだ? 千里さんポジションは?」
「私はシューティングガード」
「スリーポイントの達人だったりして」
「うん。スリーポイントの達人だよ。今回の大会のスリーポイント女王になったから」
「すっごーい。仲良くさせてもらおう」
「私も歌手デビューする子と仲良くさせてもらおう」
 
そんなことを言っている内に千里はふと美空のトレイの中にあるハンバーガーの包み紙の量に気付いた。美空はおしゃべりしながら何度か席を立って追加注文してきていた。千里は作曲の作業で疲れていたこともあり、あまり注意を払っていなかったのだが、良く見ると、包み紙が5枚もある。更に美空は今ダブルチーズバーガーを食べている。
 
「今気付いたけど、美空ちゃんけっこう食べてるね。お腹空いてた?」
「あ、私、ダブルチーズバーガーなら10個は行ける」
「それは凄い!」
「千里さんはフィレオフィッシュとベーコンレタスバーガーだけ? 少食だね」
 
いや、去年の私を知る人なら、私がバーガーを2個食べたの見たら随分たくさん食べてるねと言っている所なのだが、ダブルバーガーを10個食べるという美空から見たら、とんでもない少食なんだろうな!
 
「なんか久しぶりに少食だねと言われた気がする。私、去年くらいまでは普通のチーズバーガーでも半分くらいしか食べきれなかったんだよ」
「それは有り得ない世界だ」
「でも美空ちゃん、たくさん食べるのに太ってないよね」
 
「あ、私効率の悪い身体みたい」
と美空。
 
「私は効率が良すぎる身体みたいなんだよね〜」
と千里は言った。
 
「万一雪山で一緒に遭難したら私の御飯、美空ちゃんにあげるね」
「よし。遭難する時は千里さんと一緒に遭難しよう」
 

マクドナルドで結局2時間ほどおしゃべりして美空と別れる。虎屋に寄ってから羽田に行き、午後の便で旭川に戻った。
 
「ただいまあ。これ虎屋の羊羹」
「おお、ありがとう。でも大変だったみたいね」
「疲れた疲れた。共同作業していた人のひとりが途中で逮捕されてその分まで作業したんだよ」
 
「何やって逮捕されたの!?」
「飲酒運転。正確には酒気帯び運転らしい」
「びっくりした。なんか警察に捕まるような危ないお仕事でもしてたのかと思った」
「さすがにそんな危ないことはやらないよ。私、まだ寝る〜」
「うん、おやすみ」
 

機内でも寝ていたのだが、家に帰ってからも熟睡していて夕食の時間に美輪子が起こそうとしたものの起きなかったらしい。朝になってから目が覚め、少し多めの朝御飯を食べてから、いつものように女子制服を着て学校に出かける。千里が自分で女子制服を着てくると、美輪子が微笑む。
 
「もう千里はその服を着るのが当たり前という感じになったね」
「うん。私、女の子だから」
「うんうん」
 
昼休みに雨宮先生に連絡を取ってみたら、結局、北原さんの作品は昨日お昼すぎまで完成に掛かり、それからMIDIデータを作って夕方から22時近くまで掛けて録音作業を行ったらしい。しかもその後高校生のボーカル3人を帰してからMIDIデータ自体の修正作業を続けて今日の朝にやっと音源が完成、工場にデータを持ち込んだという話であった。
 
毛利さんは雨宮先生と、関わっている芸能事務所、レコード会社に始末書を提出。6ヶ月間の謹慎と奉仕活動という内容を一応了承してもらったということであった。(実際には7月に起きたばかりの新潟県中越地震の現場に入り、復旧作業に翌年5月まで9ヶ月ボランティアとして従事した。雨宮先生は彼にずっと食費や衣料費を送金してあげていたようである。先生はその分のお金は返却不要ということにした)
 

北原さんが出来上がったプレス前のマスター音源のコピーCDを千里に送ってきてくれた。
 
千里は取り敢えずMP3に落として昼休みに携帯プレイヤーで聴いていたのだが、聴いていてなるほどねぇと思った。
 
「千里何聴いてるの?」
と京子が訊くので
「AYAという女子高生3人の歌唱ユニット」
「うまい?」
「へた」
「珍しいね。千里が下手な歌手の曲聴くなんて」
「うん。ちょっと関わりがあったからね」
 
それで京子と、続けて寄って来た蓮菜にもイヤホンのパッドを片方ずつ渡して聴かせる。
 
「ねぇ、早送りしていい?」
と蓮菜が言う。
 
「うん。各曲1分ずつ聴けば充分だと思う」
 
「2番目の曲と6番目の曲がいい」
と京子。
「あとの4曲は要らない」
と蓮菜。
「かもねー」
「それにこの2曲のメインボーカルが一番うまい」
「でしょ?」
「いちばん可愛いのは1曲目のメインボーカルなんだよ」
「なるほどー」
「可愛さでメインボーカル選ぶんだ?」
「アイドルユニットなんて、そんなものでしょ」
「確かに」
 
「ただ今回は初めてのCDで実験的な意味合いもあるから次回からは変わるかもね」
「ふーん」
 

「これ楽曲は誰の作品?」
「6曲目以外は歌詞はロイヤル高島さん」
「演歌か!」
「でもこれ4曲目と6曲目以外は、歌詞的には演歌だよ。曲調は全部ロックだけど」
「4曲目は私が歌詞を修正した。6曲目は私のオリジナル歌詞」
「おぉ」
「なんだ千里が作ったのか」
「1曲目はナラシノ・エキスプレス・サービスの海野博晃さん、2曲目はこのユニットのメイン作曲者になることになった北原さんという人。3曲目は雨宮三森先生、4曲目と6曲目は私、5曲目は新島さんという人」
 
「ああ。雨宮さんとこでやってるのか」
「北原さんも新島さんも雨宮先生のグループなんで、このユニットは基本的には北原さんが面倒を見ていくんだけど、今回は新島さんも雨宮先生も私もピンチヒッターで今後は特に関わる予定はない」
 
「でも千里は2曲書いたんだ?」
「1曲だけの予定だったんだけどね。もうひとり参加する予定だった人が急に作業できなくなったからそれを代替したんだよ。1日で2曲書いてさすがに私も頭が放電状態になった」
 
「作業できなくなったって、何あったの?」
「突発性男性器巨大化症で緊急手術を受けたんだよ」
「何それ?」
「とつぜん男性のあそこが1mくらいまで巨大化して、放置しておくとそこに血液が全部行って血が足りなくなり失血死するという」
「治療法は?」
「切除しちゃう」
「切っちゃったらますます血が足らなくならないか?」
「切除したあとで血はその巨大化したままのアレから輸血して戻す」
 
「で、その人治った?」
「治ったけど、男性器を無くしたのがショックでしくしく泣いている。タマタマも一緒に取ったからね」
「なんで?」
「タマタマがあって、おちんちんが無かったら性欲はあるのに解消できないから辛すぎるよ」
 
「男の人ってたいへんね」
「可哀想に。スカートを差し入れしてあげなくちゃ」
「女の子ショーツも」
「ああ。ブルセラショップで女子高生のパンティとか買ったことあると言ってた」
「今後はそれをずっと自分が穿くことになるんだな」
「しかし私たちのパンティって高値で売れるのかな」
「一度だけ穿いて売るというバイトしてる子もいるらしい」
「ちょっと興味あるな」
「写真付けるととっても高くなるらしい」
「さすがに写真付けたらやばいな」
「まあどっちみちバレたら退学だね」
 
「でも実は1度だけ売ったことある」
などと言うのは当然京子である。
「うそ!?」
「1000円もらったけど、なんか後ろめたい気がしてその後はその店には近づいてない」
「うん。関わらない方がいいと思うよ」
「その1000円どうしたの?」
「コンビニの募金箱に入れちゃった」
「ああ、小心者だ」
と蓮菜。
「まあ厄払いだよね」
と千里。
 

9月10-11日は1学期の期末試験だったのだが、11日の朝、千里は起きた時の感触が昨日までと違っていた。
 
全裸になって部屋の鏡に自分の身体を映してみる。均整の取れた女体が美しいと自分で自分に酔いそうだ。でもこれはインターハイを戦った時の身体だなと千里は思った。『だよね?』と《いんちゃん》に確認すると『あたり』と言われた。
 
『昨日までより明らかに身体が若い』
『当然。昨日までの千里は女子大生の千里だけど今日の千里は女子高生の千里だから』
『私ってこのあとバスケをしている間は女子高生なんだよね?』
『そうそう。重要な大会に出る時はね。秋季地区大会は女子大生の身体で我慢してねという話』
『うん。別にいいよ。男の身体でなければ問題ないと思う』
『実際問題として千里の男性時代の身体って、貧弱だから。千里って性転換した後で身体を鍛えた部分が大きいんだよ』
『やはり男の子だった時代は筋肉付けたくなーいと思ってたもん』
『だろうね』
 
『今年初めの山駆けも男の身体でやってた頃は贅肉を落とすのと心肺能力を鍛えるだけにして、筋肉が付かないように気をつけてたから』
『あの時期も千里女子バスケ部に移動になった後まじめに女性ホルモン飲むようになって、体内が女性ホルモン優位だったから女性的に筋肉は付き始めていたんだけどね』
『あ、そうかな』
 

その日は試験なので部活は無かったが、翌12日からは再開される。それで練習していて千里はあれ?と思った。
 
試験前までの方が身体自体は作り上げられていた。しかしこの身体もそう悪くない感じなのである。そして何よりも、試験前までの練習で鍛えていたものがちゃんと使える感じなのが不思議な気がした。
 
その日の練習試合はL女子高とであったが、試合後溝口さんから言われた。
 
「村山さん、お姉さんいないよね?」
「私に姉がいるという話は聴いたことない」
「じゃ性転換して女になった元お兄さんとか?」
「そんなのもっと聞いたこと無い」
 
「いや先週対戦した人とは別人の感じでさ」
「私、劣化してた?」
「微妙」
「微妙?」
「先週、先々週の村山さんはまるで4〜5年後の村山さんがタイムスリップしてきていたみたいだった。女子大生と闘(や)ってる感じだったんだよ」
 
溝口さんってやっぱり霊感あるんだなと千里は思った。
 
「先週の方が筋力はあったけど、瞬発力は今日の方が凄い」
 
そういう反射神経的なものは若い方が有利かもね。
 
「それと触った時の感触が先週の方が色っぽかった」
「私って実は12人いるんだよ」
「へー」
「そして毎日その中の誰かが出てくるんだ」
「その話信じたくなるかも」
 

その日の夜、パソコンのDAW上で朝までに提出しなければならない楽曲の調整作業をしていた時、千里はふと思いついて尋ねた。
 
『ねえ、いんちゃん』
『うん』
『要するに、私って身体的には高2の秋に性転換手術を受けて、その後1年近く療養・リハビリして、今はその後の身体を使っているんだよね?』
『そうそう』
 
『つまり高3の秋から卒業までの半年くらいの時間をバスケの大会に参加する時に割り当てて、ふだんの時間は女子大生になった時の時間を使用している』
『そういうこと』
 
『最初そういう話を聞いた時、それなら女子大生の身体である時間に練習しても、それって女子大生になった後でしか使えなくて、女子高生の時間を使って出る大会には役に立たないんじゃないかという気がしたけど、そういう訳ではないんだね』
 
『そりゃそうだよ。こないだ御主人様も言っていたように、女子大生の身体というのはハードウェアにすぎない。千里が女子大生の身体を使って今練習していた分は、ソフトウェア上はハードが女子高生の身体に戻っても引き継がれるんだよ。練習ってハードとソフトの両方を鍛えているから』
 
『だから女子大生の身体になっている時も練習するのは意味のあることなんだね』
『うん。だから頑張ろう』
 

千里は結局ほぼ徹夜して13日朝5時に楽曲を3つ完成させて雨宮先生にメールした。幸いにもその日は試験の直後で朝の補習が無かったので2時間ほど寝てから学校に出かけた。雨宮先生から昼休みに連絡があった。
 
「今回はコードの勘違いのようなものが全く無かった。優秀優秀」
「ありがとうございます。音楽理論に詳しい友人から本を貸してもらってだいぶ読みましたので」
「そういう勉強をするのも偉いよ。あ、そうそう。例のAYAだけど明日14日にデビューイベントやることになったから。連休中は17日までの連休中札幌・仙台・大阪・神戸・福岡・横浜と6ヶ所でミニコンサート」
 
「え?9月1日にデビューしたんじゃなかったんですか?」
「音源を作り直したんだよ」
「えーー!?」
「いったん作って取り敢えず5000枚プレスしたCDを聞いた出版社の社長がこのユニットは、ゆみちゃんをメインボーカルにした方が売れると言い出して、1日のイベントは握手会のみ。CDはその場で予約した人には後日郵送するということにして、先週末録り直したんだよ。プレスしたのは廃棄」
 
「なんと」
「でもメインボーカルを変えるというのに、あすかちゃんが猛反発してね」
「そりゃ反発するでしょうね」
 
「あすかちゃんのお父さんも入れて、出版社の社長とプロデューサーのロイヤル高島さんと4人で会談して、声質の問題もあって、音の調和が、ゆみちゃんの声を中心にした方がまとまりがいいのだということを説明して何とか納得してもらった。実はその納得してもらうのに時間が掛かったんだよ」
 
「ああ」
「やはりこれまで2度もレコード大賞取ってるロイヤル高島さんに言われては向こうも引っ込まざるを得なかった」
「でも良い方向性だと思います」
 
「立ち位置に関してはこないだの最初の音源制作でやったように曲によって交替する。でもメインボーカルは一貫して、ゆみちゃん」
「ああ。立ち位置くらいどうでもいいでしょう」
 
「作り直したCD、週明けにでもそちらに1枚送るように手配しておくから」
「ありがとうございます」
 
という会話はしたものの、そのCDは一向に送られてこなかった。雨宮先生は決断力もあるし、その場ですぐしてくださることは素早いのだが、翌日以降になると忘れてしまうという大きな欠点がある。しかもこちらからは連絡が取れないことが多い!
 
それで千里はこのCDが気になったので北原さんに紹介したところ、北原さんが再度千里に1枚送ってきてくれた。録り直しにあたって歌詞の一部を北原さんが書き直したということで、前回の音源でとっても演歌的だった部分が今回はちゃんとアイドル歌謡の世界に修正されていた。
 

そのAYAが全国イベントをしていた9月中旬の連休。千里はウィンターカップに向けてのまずは地区予選に出場した。
 
久井奈さんたちが抜けて、1〜2年生だけで構成する新チームのデビューである。この地区予選のベンチ入りメンバーは次のようになっていた。
 
2年生
PF.暢子(4) SG.千里(5) C.留実子(6) SF.寿絵(9) SF.夏恋(10) PF.睦子(11) PG.メグミ(12) SF.敦子(13) PF.川南(16) PF.葉月(17)
1年生
PG.雪子(7) C.揚羽(8) C.リリカ(14) PF.蘭(15) SG.結里(18)
 
インターハイのベンチ枠12人の内3年生が5人だった。その5人が抜けて、ウィンターカップは予選も本選も15人枠なので8人新たに追加されたことになる。昨年秋からメンバーに入ったり出たりしていた、敦子・睦子の2人が無事入ったし、インハイ直前で涙を呑んだメグミとリリカも復帰した。そして「ボーダー組」から、川南・葉月・蘭・結里が入ったものの、このあたりは現時点では「暫定的に入れてみた」レベルだ。
 
なおインハイまではパワー・フォワードとして登録していた揚羽とリリカは今回からふたりともセンターとして登録することになった。また1年生の結里は本当はレギュラー枠の水準には全然達していないものの、1年生の中ではもっともスリーが巧いので千里のバックアップシューターとしてシューティングガード登録である。
 
なお、川南と葉月は進学コースに入っているので、10月上旬の振り分け試験あるいは12月の実力試験で学年20位以内に入らない限り、2年生までで部活は終了になる。
 
千里の場合はこれまでずっと20位以内をキープしているのでこのまま成績を落とさなければ来年のインターハイまで活動できる。暢子はビジネスコースなのでこの制約と無関係に来年の夏まで活動できる。一番問題なのが留実子であった。
 

「実弥君の場合は、やはり2年生で部活終了と考えておいた方がいいかな」
 
と南野コーチは、千里と暢子を呼んで3人で話した。
 
「実弥、いっそビジネスコースに変わろうかなとかも言っていたのですが、部活を半年長くできることより自分の将来設計を優先した方がいいと私は言いました」
と千里。
 
「まああいつ試験の要領がいいからわりと上位にはいるけどさすがに20位以内になるのは厳しいと思う」
と暢子。
 
「実弥君が抜けるのは痛いけどやむを得ないね」
と南野コーチも苦渋の表情である。
 
「それより千里、勉強手抜くなよ。成績20位以内から落ちたら、殴るぞ」
と暢子が言う。
 
「うん。私もそれは頑張る。春頃は規定通り2年生で部活終了でもいいかなと思ってたけど、インハイに行って凄い所と対戦して、俄然やる気出た」
 
「千里ちゃんが外れたら辛すぎるよ」
と南野コーチ。
 
「千里ってそのやる気出すのに時間がかかるからなあ」
と暢子は困ったように言った。
 

 
そして地区予選である。旭川地区の男女各12の高校のチームでトーナメントを行って、上位2チームが道予選に進出できる。L女子高やE女子高など女子しかない所もあるが、男子の方もB工業・V農業と男子チームしかない学校があるので、今回どちらも同数になっている。
 
V農業は一応女子バスケ部があって、夏に旭川地区のインハイに出ない学校で行われていた大会には出ていたのだが、今回は2年生以下の正部員が4人しか居ないため不参加ということであった。正規の大会はバスケット協会に登録されている部員しか出られないので臨時の助っ人は使いにくい。
 
12チームでトーナメントなので4チームがシードされている。今回のシード枠はインハイに行ったN高校・M高校、それに常勝校のL女子高ともうひとつはR高校が取った。R高校と実力的には拮抗しているA商業は今回は1回戦からであった。
 
「一時は道大会に行く学校は3校ならL女子高・うち・R高校で、2校の大会なら、L女子高が指定席でもうひとつをうちとR高校で争うという3強時代が結構あったんだけどね」
と南野コーチが言う。
 
「M高校がやはり中嶋さんの加入で強くなったし、A商業も愛沢さんが入ったので強くなったから」
と寿絵が言う。
 
「だけど愛沢さんは3年生で、もうこの大会からは出ないからね」
と暢子。
「3年生は夏の大会までって所は多いよね」
とメグミ。
 
「愛沢さん、専門学校進学か、あるいはそのまま就職のつもりだったけど、バスケ続けたいから大学目指すと言ってた。夏休みもずっと塾通いだったみたいだよ」
と千里。
 
「やはりバスケ都合で進路変える人たちも多いんだろうな」
と暢子は遠くを見るような目で言った。
 
暢子はビジネスコースに入っていて、既に日商簿記3級や英検2級・漢検2級に秘書検定、基本情報技術者試験(昔の二種情報処理技術者試験)などに合格しているし原付免許も持っている(但し免許証は学校に預けている)ものの、どうも内心は旭川市内のバスケが強い某私立大学を狙っているようなことを千里の前ではほのめかしていた。しかし進学コースに変わると部活を2年でやめなければならないので来年のインターハイに行けないというジレンマがある。
 

初日はシードされているので午後からであった。1回戦を勝ち上がってきたJ高校と対戦するが、控え組中心で軽く流して80対49で快勝する。そして翌日午前中の準決勝は愛沢さんの抜けたA商業との対戦であった。A商業は昨日の2回戦でシードされていたR高校を破って勝ち上がってきた。どうも1回戦にE女子高相手に大勝した勢いでR高校にも勝ってしまったようである。
 
A商業とはいつも練習試合でやっているチーム同士なのでお互いの手の内は分かっているものの、やはり愛沢さんが抜けた穴は大きい。2年生の三笠さん中心に頑張るし、こちらも午後の決勝戦を控えているので千里・暢子が無理せず、交替しながらやっていたこともあり途中までは結構な接戦になったのだが、最終的には82対71でN高校が勝ち決勝に進出した。
 

そして決勝戦の相手はL女子高である。準決勝で橘花たちのM高校に激戦の末勝って上がってきた。これで橘花たちはウィンターカップにはいけないことになった。
 
N高校とL女子高は昨年秋の新人戦では地区大会2回戦で当たった。こちらが勝ったので結果的にL女子高は道大会に行くことができなかった。春のインターハイ予選では今回と同様に準決勝でL女子高とM高校が当たり、L女子高が勝って決勝戦でN高校と対戦し、その時はN高校が勝っている。
 
つまりL女子高はN高校に2連敗しているので、どちらも既に道大会進出が決まってはいるものの、L女子高はリベンジに燃えていてテンションが高かった。M高校との激戦をしていてみんな疲れてはいたようだが、それでも凄い勢いで第1ピリオド、26対16と10点差を付けられる。特に登山さんがスリーを2本とツーポイントを2本入れて1人で10点も取ったのが凄かった。溝口さんも8点取っている。
 
宇田先生からは怪我が怖いからあまり無理するなと言われていたのだが、インターバルに暢子が先生に言う。
 
「ちょっとマジで行っていいですか? 向こうが全開だからこちらが手抜きで行くのは失礼にあたると思います」
 
「うん。少し頑張ろうか。でも怪我だけはみんな気をつけて」
「はい!」
 
それで第2ピリオドは、雪子・千里・暢子・揚羽・留実子とインハイ中核組で出て行く。向こうの溝口さんもこちらのメンツを見て頷いている。
 
第2ピリオドはどちらもマジなのでかなりの激戦になった。千里も積極的にスリーを撃つし、暢子も揚羽も強引に敵陣に進入してボールをゴールに叩き込む。リバウンドでは留実子・揚羽が燃えていて7割くらいこちらで取っていた。それで向こうもかなり燃えて、揚羽と向こうの友坂さんがボールのキャッチ争いで偶然身体が当たったことから一瞬エキサイティングしかけて審判から警告を受けたほどであった。しかしこのピリオドではN高校も全開になったので、点差を追い上げ、48対42まで詰め寄った。
 

「みんなほんとに怪我に気をつけてよね」
とあらためて南野コーチからも言われる。
 
「そうそう。あまり無理な体勢でボールに飛びついたりとか、相手選手と激突する可能性のあるようなコースで動いたりしないように」
と千里もみんなに注意する。
 
特にそういう所で頑張りすぎる傾向のある、揚羽と夏恋には敢えて個人名を出して注意しておいた。
 
第3ピリオドは千里は前半を休ませてもらって1年生の結里を出した。さすがにこの強い相手に結里はほとんど何もさせてもらえなかったが、それでも良い経験になったようで、凄く興奮した顔をしていた。
 
試合はこのピリオド後半にこちらが追いつき、そのあと抜きつ抜かれつのシーソーゲームとなった。ボールのスティール合戦も凄く、雪子や千里がどんどん相手からボールを奪ったが、向こうの1年生の馬飼さんもそういうのが巧くて1度は千里がちょっと意識が飛んだ隙にまんまと盗られて天を仰いだ。
 
結局第3ピリオドを終えて70対70の同点である。
 

「凄い熱戦になってるね」
「お互いハイテンションになってるから、何度か一瞬喧嘩しそうになった」
「喧嘩で退場したら道予選でベンチから外すからね」
「うーん。それは辛いから自粛しよう」
 
「みんな男性ホルモン濃度が高くなってたりして」
 
「さて今日は勝って美味しい御飯を食べるぞ」
と暢子がみんなに言って最終ピリオド出て行く。
 
第4ピリオドも激戦が続く。地区予選とはいえ、決勝戦にふさわしい白熱した戦いである。5分経過したところで85対83とL女子高が2点リードしている。
 
N高校が攻めて行く。ドリブルしてボールを運んでいった雪子から夏恋にボールが渡る。相手のディフェンスの隙間から強引に中に飛び込んで行きシュートを撃つが外れる。そのボールを揚羽が確保していったん外の暢子にパスする。暢子が中に入ろうとするが溝口さんに阻まれる。そのまま少し遠い所からだったがシュートする。入って2点。85対85。
 
L女子高が藤崎さんのドリブルで攻めてくる。登山さんにパスして登山さんがいきなりスリーを撃つ。が外れる。
 
そのリバウンドを争った時のことであった。
 
その場に居たのは、こちらの葉月と留実子、向こうの友坂さんと鳥嶋さんであった。いったん鳥嶋さんが取ったかに見えたのだが、それを留実子が強引に横取りしようとした。しかし留実子の体勢がけっこうバランスが悪く、留実子はボールは奪ったものの倒れてしまう。
 
結局ルーズボールになり、それを葉月が飛びつくようにして取ってメグミにパスし攻め上がる。千里も全力で敵陣に走って行ったのだが、その時、留実子がまだ倒れたままでいることに気付いた。
 
立ち止まる。
 
審判が笛を吹いて試合をいったん停めた。
 

みんな駆け寄る。南野コーチもベンチから出て来た。
 
「すみません。ちょっと床で足を打っただけ」
と留実子は言っているが、足を押さえていて、しかも苦しそうだ。
 
「病院に運びます」
と南野コーチが言い、審判も認めたので担架が出て来て、大会の運営スタッフさんが留実子を運び出してくれた。南野コーチは「私が自分の車で病院に連れていきますから後はお願いします」と宇田先生に言って一緒に出て行った。
 
会場が騒然としている。審判が「試合を再開します」と言う。N高校のサイドからのスローインで試合が再開される。トラブルがあったので少し気持ちが浮つきがちであったが、お互いすぐに緊張感が戻る。結局この攻撃では留実子に代わって入った揚羽がきれいにレイアップシュートを決めて85対87とN高が2点のリードとなる。
 

その後お互いに点を取り合って、残り1分の段階で95対97とこちらが2点のリード。L女子高が攻めてくる。登山さんがスリーを撃つが外れる。リバウンドは鳥嶋さんが取ったが、鳥嶋さんも揚羽も、リバウンド争いでさっき怪我人が出たことから、少し遠慮がちなプレイをしているように感じた。
 
鳥嶋さんから溝口さんにパスが行き、そのままシュートしてきれいに入る。97対97の同点。
 
メグミがドリブルで攻め上がる。蘭にパスする。中に進入しようとするがL女子高の強力なディフェンスに阻まれて入れない。暢子がフォローに来たのでそちらにパスし、遠くからシュートするが外れる。
 
しかし揚羽が飛び込んで行ってリバウンドを取り、千里にパス。そのまま撃って入る。97対100とこちらが3点のリード。
 
向こうが攻めあがって来る。ドリブルで運んで来た藤崎さんがポストの位置で後ろを向いて溝口さんにパス。そのまま藤崎さんを壁に使って溝口さんが進入してきてシュート。しかし揚羽がブロックする。こぼれ球を鳥嶋さんが取り自らシュートするも暢子がブロック。こぼれ球を友坂さんが取って外側に居る登山さんにパス。シュート。千里がジャンプしてブロックしようとしたが、指がかすっただけでブロックはならずボールはゴールに飛び込む。100対100の同点。残り28秒!
 

メグミは敢えてゆっくりと攻めあがる。ここで点数を取るのは取らなければならないが、その後できるだけ時間を残したくない。
 
暢子にパスする。暢子は蘭にパスする。蘭が揚羽にパスして揚羽は千里にパスするかに見せて、相手の一瞬の隙に中にドライブインする。が途中で行く手を阻まれる。しかし強引に左手でワンハンドシュート。半分誰かリバウンド取ってという感じのシュートだったが、そのまま入ってしまう。100対102となるが、残り時間は14秒もある。
 
L女子高が攻めあがる。N高ベンチでマネージャー名義で座っている来未が時計を気にしながら声援を送っている。
 
藤崎さんから友坂さん、鳥嶋さんとパスが回される。鳥嶋さんがいったん藤崎さんに戻す。藤崎さんが自らドリブルして中に進入しようとするも、こちらもそう簡単には入(い)れない。残り5秒というところで外側に回り込んできた溝口さんにパスし、溝口さんは登山さんにパスした。登山さんには当然千里が付いている。撃つが千里がジャンプしてブロック。
 
ところがそのこぼれ玉をすばやく友坂さんが取り、登山さんにトスする。そして登山さんは再度スリーを撃った。
 
撃つのとほぼ同時くらいに試合終了のブザーが鳴る。
 
千里は「あぁあ」という顔をした。
 
登山さんは入れたという確信が千里にはあった。
 

審判はゴールを認めるジェスチャーをしている。暢子が天を仰いでいた。
 
整列する。
「103対102で旭川L女子高の勝ち」
「ありがとうございました!」
 
試合後握手をして引き上げる。
 
「サーヤどうなったかなあ」
と千里が最初に言う。
「大したことなければいいけどね」
と暢子も心配そうに言った。
 

控室に戻り、汗を掻いた下着を交換した後で男子の決勝戦を見学していた所に南野コーチから連絡が入った。
 
「どうですか?」
千里は電話を受けた白石コーチに尋ねる。
 
「骨折しているそうだ」
「えーー!?」
 
「じゃ道予選は?」
と暢子が尋ねる。
 
「無理だと思う」
 
ウィンターカップの道予選は11月である。留実子は進学コースで新人戦にはもう出ないのでウィンターカップが最後の公式試合になる予定だった。
 
千里は沈痛な表情になった。
 
「ウィンターカップの本戦には間に合いますよね?」
「微妙だと思う。本人の回復次第」
 
「暢子、ウィンターカップ行くぞ」
と千里は言う。
「うん。絶対行こう」
と暢子も答えた。
 

男子の決勝戦が終わった所でロビーに降りて行ったら、L女子高の瑞穂監督から声を掛けられた。
 
「そちら、花和さんどうでしたか?」
「骨折していました」
と千里が答える。
 
溝口さんや鳥嶋さんが「わぁ」という顔をしている。
 
「それは何と言ったらいいやら」
瑞穂監督はここで下手なことをいうと責任問題になりかねないので言葉を選んでいたが、白石コーチが明解に言う。
 
「いや、あれは花和のプレイ自体が無謀だった。自己責任ですよ。少なくともL女子高さんには責任は無いです」
 
「サーヤはちょっと気合いが足りなかったね」
と暢子が言う。
 
「うん。あの時、一瞬何か他のことを考えていた感じでボールの音に驚いて、我に返って飛んだ気がしたんだよね。ちゃんと気合い入ってたら怪我なんかしてないですよ」
と千里も言う。
 
瑞穂監督は、とにかく後でお見舞いに行きますと白石コーチに伝えていた。
 

なお、男子の方はN高校が優勝して道大会進出を決めた。この大会ではシューターとして初出場した湧見君(昭ちゃん)がスリーをたくさん成功させて鮮烈なデビューを果たした。道大会進出の掛かった準決勝では5つもスリーを放り込んで相手ディフェンスを翻弄したのだが・・・
 
準決勝が終わった所で相手チームから「そちらの18番付けてる選手は女子ではないのか?」というクレームが入ったらしい。
 
昨年の千里の件もあるので運営側も懐疑的な目を向けたが、北岡君が「男か女かは裸にしてみれば分かる」と言って、大会の運営の人と一緒に個室に入って脱がせてみせ、ちゃんと男性器が付いていることを確認してもらったそうであった。
 
「本物かどうか確認するのに引っ張ってみてくださいと北岡さんが言うから、本当に引っ張られました」
などと昭ちゃんは恥ずかしそうに言っていた。
 
「昭ちゃん、タックしてなかったんだ?」
「実はしてたんですけど、プレイ中に外れちゃったんです」
「ああ。テープだと外れるよね」
「接着剤方式覚えたいけど、まだテープでまっすぐならないんですよ」
「まあ頑張ってね」
 
「村山の場合は性別疑惑が出た時に脱がせて見せられなかったんだよなあ」
と北岡君は言う。
「まあ脱いでみたら女であることを確認されちゃったろうね、千里は」
と暢子も言った。
 

試合の後、取り敢えず宇田先生・白石コーチ・暢子・千里の4人で留実子の運び込まれた病院に行ったのだが・・・・
 
札幌の病院に転院したと聞いてびっくりする。
 
「重症だったんですか?」
「それほどではありません。全治1ヶ月と診断しました。実際にはふつうに歩けるようになるまで2ヶ月近くかかると思うのですが、患者本人ができるだけ早く治してバスケットの大会に出なきゃというので、スポーツ選手の骨折治療で定評のある札幌の##病院に転院させることにしたんです」
 
そこって鞠古君のおちんちんの手術した所だ!
 
もっともあの時掛かったのは外科。今回は整形外科である。
 
それで白石コーチは帰って、宇田先生と暢子・千里の3人で札幌まで行くことにした。
 

宇田先生の車に乗って札幌に向かったが、高速を走っていて、ああ、この道をこないだは自分が運転したよなと千里は思っていた。高速走行中に南野コーチから電話が掛かって来たので、運転中の宇田先生に代わって千里が取る。
 
「はい。実はこちらの病院で聞いて、今そちらに向かう所です」
 
南野コーチは付き添っている留実子の叔母からは申し訳ないので札幌までは付き合わなくてもいいとは言われたものの、責任上付いていったのである。
 
留実子は##病院の先生の診察を受けた所で、この骨折を最も早く治す方法はどうすることかと尋ね、先生が1ヶ月入院して、その間この足は動かさないことと言ったので、1ヶ月入院したいと言った。それで10月下旬まで1ヶ月間そこに入院することになったということだった。その後のリハビリに関しては旭川の病院で受けられるように手配してくれるという話である。
 
南野コーチからは
「ところで試合はどうなった?」
と訊かれたので
「すみません。1点差。103対102で負けました」
「ああ、惜しかったね。でも道大会で勝てばいいんだから」
「ええ、そのつもりで頑張ります」
 

「これスポーツ保険降りますよね?」
と電話を切ってから千里は宇田先生に尋ねる。
 
「校長に確認する必要があるけど、この場合は公式試合だから、スポーツ保険ではなくて、学校の災害共済給付制度というのから実際に掛かった医療費の4割が給付されると思う」
と宇田先生は説明する。
 
「4割ですか?じゃ6割は自己負担になるんですか?」
「健康保険から7割が支払われるから、両方合わせて医療費は全部補償された上で1割分はお見舞い金みたいなもんだよ」
 
「ああ、良かった! あの子のうち貧乏だから。うちほどじゃないけど」
 
「それと別にうちの学校が加入している保険からも日額3000円出るはずだよ」
 
「それはおやつ代だな」
と暢子。
 
「おやつで3000円も食べる!?」
「あの子はかなり食うぞ」
「うむむ」
 
「まあとにかく、こういう時は費用のことは考えずに治療に専念した方がいいよ」
と宇田先生は言う。
 
「千里、実際問題として復帰にどのくらいかかると思う?」
と暢子が言う。
 
千里は自分のスポーツバッグからいつも持ち歩いているタロットを取りだし、カードを4枚並べた。
 
カードは 棒の王女・金貨の2・棒の2・棒の6と出た。
 
棒の6は戦いの終わりを象徴するカードだ。千里はそれがリハビリの終了の時と読んだ。
 
「退院は来月予定通りできるけど、やはりリハビリに時間がかかる。完全に戻るのは12月下旬。ちゃんと安静にしていた場合でね」
 
「ウィンターカップ本戦にぎりぎり間に合うところか」
と暢子。
 
「ただしサーヤを抜いたメンバーでP高校に勝たないといけない」
と千里。
 
「それが辛いぜ、正直な話」
「うん」
 

病院に着いて南野コーチから伝えられた病室に行く。留実子はギブスをして足をつってベッドに寝ており、南野コーチと、千里も何度か会ったことのある留実子の叔母が付き添っていた。お母さんも今留萌からこちらに向かっているところだということであった。
 
「宇田先生、申し訳ありません。私の不注意でみんなに迷惑掛けて」
と留実子は最初に謝った。
 
「いや。僕も責任を感じている。最初は怪我とかしないようにと言っていたのだけど途中でそれを変更したから」
と宇田先生。
 
「それ宇田先生に訴えたのは私だから、私が申し訳ない」
と暢子。
 
「とんでもない。私のただの不注意です」
と留実子は言う。
 
「あれ、何に気を取られていたの? なんか他のこと気にしてたよね?」
と千里が訊く。
 
「えっと・・・」
と言って留実子は照れてる!?
 
「もしかして彼氏の姿を見てそちらに注意が行ったとか?」
 
「いや、居たはずは無いんだよね。今日は試合無かったし」
と留実子は言う。
 
鞠古君の旭川B高校は昨日の2回戦で敗れてしまっている。
 
「試合無くても市内だし見に来ていたかもよ」
「実はさっき訊いたら今日は会場に来てないって」
 
なるほど。ちゃんと連絡済みか。
 
「誰か似た人がいたのかもね」
「彼、こちらに来るの?」
「来ると言ってた」
 
「いや、ほんとに私が集中力を途切れさせてしまったせいで本当な申し訳ないです」
と留実子はひた謝るが、宇田先生も部員を怪我させてしまったことを留実子の叔母に謝る。叔母さんはスポーツしてれば怪我くらいすることもありますよと言っていた。
 
「取り敢えず今はちゃんと療養しろよ。治ったら倍、点もリバウンドも取ってもらうから」
と暢子が言う。
 
「うん。頑張る」
 
しかし留実子は原則として12月まで、例外的に1月中旬のJ学園迎撃戦までしか部活ができない。本当に時間との勝負だなと千里は思った。
 

千里たちに遅れて2時間近くして留実子の母が到着した。宇田先生は留実子の母に深々と頭を下げて、お預かりしていたお嬢さんに怪我をさせてしまい申し訳ありませんと謝罪したが、留実子の母は逆に、試合の大事な所で怪我で脱落して、それで試合にも負けたなんて、むしろ御迷惑を掛けたのはこちらです。申し訳ありませんと謝っていた。
 
取り敢えず宇田先生は治療費や入院費は災害共済給付制度で4割が支給されるので、健康保険で7割カバーされるのと合わせて実質全額補償されることを説明する。
 
「例えば治療費・入院費が30万円掛かった場合、健康保険で7割カバーされて本来自己負担分は3割の9万円ですが、災害共済給付から4割の12万円出ますので、あまった3万円はお見舞金のようなものです。またそれ以外に学校が独自に入っている保険で日額3000円が初日から支給されますので30日入院した場合9万円の保険が給付されます」
と宇田先生は言ったのだが、留実子の母は細かい数字が分からないようで
 
「医療費は全部出るんですか。それは助かります」
とだけ言った。
 
「ただ高額医療費の対象になる場合、これは収入によって変わるので一般的な家庭の場合は自己負担額8万円以上なのですが、その場合は高額医療費の支給額を除いた分が計算対象になりますので」
と宇田先生は追加説明する。
 
「ここんちは自己負担額35000円かも」
と留実子の叔母が言う。
 
「では、そのあたりは詳しい者をあとで来させますので」
と宇田先生。
 
「でも保険から出るその日額3000円でお母ちゃんが週に1回くらいでも見舞いに来てくれるなら、その交通費くらいまでは何とか出るかな」
と留実子本人。
 
「むしろ毎日来たいけど、仕事が」
と留実子の母。
 
留萌−札幌は高速バスを使った場合往復4000円程度である。ただし仕事が終わってから出てくると帰りの便がバスもJRも無い。車で往復する手はあるが、仕事が終わった後車で往復300kmを走るのは事故の元だ。
 
北海道の距離感は道外の人以外には分かりにくいが、留萌−札幌の距離は大雑把に言って、東京−甲府、大阪−敦賀、博多−八代くらいある。
 
「私はひとりでも平気だから仕事優先して」
「ごめーん」
 
「私が定期券買って、仕事終わってから毎日顔出すよ」
と留実子が下宿している先の叔母は言う。
 
「ごめんねー、おばちゃん」
 
留実子も多分母に来られるより、おばちゃんの方が堂々と「男の子」できて気楽なのではと千里は思った。
 

翌日の月曜日。宇田先生、南野コーチ、そして暢子・千里の4人で会議をした。
 
「花和君の代役だけど、原口(揚羽)君と常磐(リリカ)君を交互で使うしかないと思うんだけど、どうだろう」
と宇田先生。
 
「まあそれしかないですよね。そのふたりがいちばん長身だから」
「瀬戸(睦子)も実質センターの位置で出しましょう。あの子ガッツがあるから、結構リバウンド取りますよ」
 
「背番号はあまり変わるのも問題だし、来月の秋季大会は瀬戸さんに花和さんの6番を付けてもらって、赤塚(来未)さんあたりに瀬戸さんの付けてた11番を付けてもらおうか」
と南野コーチが言う。
 
それに対して暢子がその件を昨日から考えていたようで発言した。
 
「それなんですけど、花和の6番はそのまま空けておいたらいけませんか?花和の分私も村山も点数取りますから。リバウンドは原口に倍頑張ってもらって」
 
千里も実はその方法を考えていたので言う。
「私もその意見に賛成です。常盤もインハイに出られなかった悔しさで、密かにかなりリバウンドとシュートの練習してたみたいですよ。花和も自分の番号が空けてあって、それで原口や常磐がリバウンド頑張っていると聞いたらリハビリ頑張らなきゃと思うと思うんです」
 
宇田先生は暢子と千里の意見を聞いて目を瞑り3分くらい無言で考えていた。
 
「よし、そうすることにしよう。6番は花和君が復帰するまで空けておく。次の秋季大会にも、ウィンターカップの道予選にも花和君は6番で選手登録する」
 
南野コーチが頷く。
 
暢子と千里が頭を下げて感謝した。
 
 
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【女の子たちの事故注意】(2)