【女の子たちの水面下工作】(上)

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出羽三山は羽黒山・月山・湯殿山という3つの山の神社で構成されている。その中で羽黒山は冬季もずっと除雪がされていて一年中参拝が可能であり、ここには三山の神を併せ祭った「三神合祭殿」がある。ここは車ですぐ近くまで行くことができる(麓に駐めて遊歩道を歩いて登っても良い。すると、五重塔を見ることができる)。
 
湯殿山は4月下旬から11月上旬まで参拝可能で、駐車場に車を駐めてから、シャトルバスに乗って「奥の院」への道を登って行く(バスが通る道を歩いて登ってもよい)。
 
いちばん厳しいのが月山であり、参拝は7月上旬から9月中旬までの期間に限られており、8合目までは車で行くことができる(凄い道なので、山道に慣れてないドライバーには辛いと思う)が、その後は3時間ほど歩いて登る必要がある。月山神社には里宮が無いので、月山神社に参拝したい人はこの登山を敢行する必要がある。むろん登山靴や杖・雨具・非常食など軽登山の装備が必要だ。
 
一応開山は7月1日なのだが、しっかりとした装備でそれ以前に登る人たちもいることはいる。その人たちの間で、この年こんな噂が広がった。
 
「ビバークして仮眠してたら、ドンドンドンドンと規則的な音が聞こえた」
「あ、俺も聴いた。何だろうと思ってそちらを見たら、一瞬バスケットボールをドリブルしてる女の子の姿が見えた」
「俺、ドリブルしてる女の子とぶつかりそうになったけど、向こうがスッと横に飛んで俺の左側を通過して行った」
「俺はボールがゴールを揺らすような音を聴いた」
 

「千里、最近皆勤賞だよね」
 
とL女子高との練習試合の後、千里は暢子に言われた。この所千里たちN高校女子バスケ部は、L女子高バスケ部、M高校女子バスケ部、N高校とM高校の男子バスケ部合同チームとの練習試合を毎日やっている。元々N高女子とM高女子はしばしば練習試合をしていた(千里は男子バスケ部時代からこれに参加していた)が、これで千里たちはL女子高の溝口さんや登山さんたちとも随分親しくなった。
 
暢子が言っているのは千里が最近毎日部活に出て来て、結果的に練習試合にも毎日出ていることである。
 
「ああ。1年生の頃は週に1〜2回しか練習に出て来てなかったよね」
と久井奈さんからも言われる。
 
「千里は最初だけ頑張るけど、中だるみが激しいんですよ」
と留実子が言う。
 
「やはり女子バスケ部に移動になってから少し頑張るようになった?」
「うーん。それは少しはあるかも。やはり男の人の中で練習するのって、何かやりにくかった」
 
「いや、それは真駒君たちも言っていた。女子が1人入っていると色々と面倒なことが多かったみたい」
と久井奈さんは言う。
 
真駒さんたち3年生男子は既にバスケ部から実質引退し、専門学校への進学、または就職に向けて資格試験などの勉強に追われているし、職場体験などに行っている人もいる。男子バスケ部は2年の北岡君・氷山君を中心とするチームに移行している。
 
「やはり千里は最初から女子バスケ部に入るべきだった」
「結局そういう話になるのか」
 

「だけど毎日練習に出て来ているからかなあ。千里の最近の進化は凄いよ」
と久井奈さんが言う。
 
「うん。シュートでは負けるけど、瞬発力や運動能力では勝っている自信があったのに、最近ちょっとお尻に火が点いている」
と暢子が言う。
 
「やはりそれでだよね。最近、暢子も気合いが凄いもん」
とみどりさん。
 
「うん。千里に負ける訳にはいかんと思って頑張ってるよ」
と暢子。
 
「千里、部活の時以外でもかなり練習してるでしょ?」
と穂礼さん。
 
「それ学校にバレたら叱られるから内緒にしといてください」
と本人。
 
「何時間くらい練習してるの?」
「そうだなあ。20時間くらいかな」
 
「・・・・・」
 

「今日で百日満行だよ」
と美鳳が千里に言った。
 
「おお、おめでとう」
「ありがとうございます」
 
千里はいつものように湯殿山の温泉につかりながら、他の修行者たちと山駆けの疲れを癒やしていた。
 
「でも頑張ったね」
と姿の見えない他の修行者から言われる。
 
「この百日の間にかなり体力を付けたよね」
「最初はみなさんに全然付いていけなかったんですけど、何とか少し遅れるくらいまでレベルアップしました」
 
「まあ今年は初心者が多かったから易しいルートを多くしたのもあると思う」
「行方不明者が出なかったしね」
 
行方不明者ってどうなるんだろ?と千里は不安を感じた。
 
「来年はもう少し厳しいから」
「私、来年も参加するんですか?」
 
「千里は299年後まで修行の予約が入っているから」
「生きてないと思いますけど」
「別に肉体の寿命とは関係無いよ」
「肉体が無い方が便利なこともあるけど、今すぐ肉体放棄しない?」
「まだこの世に未練があるので」
「まあどっちみちあと84年ほどで肉体は手放すことになるけどね」
「寿命の話はしないように」
 
つまり自分は100歳くらいで死ぬということだろうか。しかしその100歳って、歴史的な100歳なのだろうか?それとも肉体年齢での100歳なのだろうか?と千里は疑問に思った。毎年この修行をしていれば1年につき100日ずつ余分に寿命を消費するから84年間は歴史的には66年くらいに相当するはずだ。まあ82歳まで生きたら充分かなという気もしないではないけど。
 

「だけど最近はなんか歩きながらずっとそのボールを雪面に打ち付けてたね」
とひとりの修行者から言われる。
 
「ドリブルの練習です」
「ああ、籠球とかいうやつだっけ?」
「はい、そうです。インターハイと言って今度全国大会に出るので」
「それに優勝したら世界大会?」
「いえ、インターハイはそこまでです」
 
「だけどそんなことやりながら、ちゃんと私たちに付いてこられたのは偉い」
「凄い人たちが出てくる大会だから」
 
「凄い人たちというと、ボールを4個同時にドリブルするとか?」
「それは曲芸です!」
 
「私、50年ほど前にバスケットやってた。世界選手権に出たよ」
という人がいる。
 
「おぉ、凄い」
「でも当時とはルールが結構変わっているんだろうなあ」
 
「たぶん50年前はスリーポイントのルールが無かったのではないかと」
「あ、そうそう。今は遠くから撃って入ったら3点もらえるんだよね」
「ええ。おかげで私みたいな小さな身体の選手でも点数が取れるようになりました。このルールができるまでは体格のある人絶対有利のスポーツだったんです」
「そういう体格のハンディを埋めるルール作るのは良いことだと思う」
「やはりスポーツはゲームだからね」
 
「私、当時は2点にしかならなかったけど、その遠くから入れるの大得意だったんだよ」
「わぁ、すごい」
 
「何なら千里に憑依してあげようか。シュートの精度上げる自信あるよ」
「いえ。遠慮しておきます。自分の力だけでプレイしなかったらアンフェアです」
 
「千里って、そのアンフェアってのが嫌いみたいね」
「そうですね」
「そのためにわざわざ性転換までしたんだもんね」
「そういうことになるかも知れないですね」
 
「バスケットの試合に出るために、おちんちん取っちゃうというのは、ある意味凄い根性だ」
「私そのネタで18禁漫画書く自信ある」
「あははは」
 
「じゃさ、今年は百日満行はしちゃったけど、毎晩2時間くらい、私と一緒にシュートの練習しない?」
「はい、それならお願いします」
「よし」
 
「場所は?」
「月山山頂で」
「はい」
「美鳳さん、私とこの子を毎晩召喚してよ」
「おっけー」
 
その年の夏、月山神社の裏手にバスケットのゴールが設置されていた。参拝者から尋ねられると、神職さんはお告げがあってここに置いているんですよと答えたらしい。
 
そのバスケのゴールが夜中に音がするという噂があったものの、その周囲で人影を見たものは居ない。しかし月山にお参りするとバスケットが上手くなるという噂が広がり、実際に山形県と秋田県のインターハイ代表・国体代表がお参りに来たらしいというツイートがネットには流れていた。
 

7月1日(日)。千里は午前中にバスケ部の練習に出た後、お弁当を食べてから、女子制服に着換えて旭川A高校に向かった。この日行われる合唱コンクールにコーラス部の助っ人として出るためである。
 
結局、千里・蓮菜・鮎奈・京子・花野子・梨乃・麻里愛とDRKのメンバーが7人参加している。後から考えてみたら、後に《第2期ゴールデンシックス》と呼ばれたメンバーであった。しかし当時京子や梨乃はあまり歌に自信が無くて 
「口パクでもいいんだよね?」
 
と勧誘したレモンに言っていた。何でも最低25人で出なければならないのに、コーラス部のメンツだけでは16人しかいなくて全然メンツが足りなかったらしい。最終的には助っ人を千里たち7人以外にも5人調達して28人にし、1〜2人当日休んでも何とかなるようにしたということだった。バスケ部の夏恋も助っ人で出て来ている。彼女は大会で行った先でカラオケを歌っているのを聞いたことがあるが、結構歌が上手い。しかも貴重なアルトだ。
 
しかし会場に集合した所で困った事実が判明する。
 
「え〜〜〜!?網子ちゃんが休み〜〜〜?」
「風邪で39度の熱出てて無理だって」
 
なんと今日の伴奏者が来てないのである。顧問の先生がすぐに事務局に連絡した所、N高の生徒・教職員あるいは校長が認めた人であれば認めるので14:45までに連絡してくれということであった。現在14:35である。10分以内に伴奏者を決める必要があるが、今ここに来ているメンツの中の誰かが弾くしかない。 
「誰が弾く?」
「ってか誰が弾ける?」
 
「私どうせ口パクのつもりだったし弾こうか?」
と京子が名乗り出たものの、譜面を見てギブアップする。
 
「何これ〜〜〜!? 私には無理」
 
一緒に譜面を見ていた麻里愛が
「これ難しい。私でも2〜3日練習しないと弾く自信がない」
などと言う。
 
「麻里愛が弾けないのなら誰も弾けないよ」
という声が出る。
 
「私が弾くしかないよね。指揮は代わりにレモンちゃんやってよ」
と顧問の先生が唇を噛み締めながら言った。恐らく先生も弾きこなす自信が無いのであろう。
 
その時
「千里、あんたが弾きなよ」
と蓮菜が言った。
 

「麻里愛がギブアップする曲を私が弾けるわけない」
と千里は言ったが
 
「確かに千里なら弾けるかも。無茶苦茶即興・初見に強いもん」
と京子が言い出す。
 
「ちょっと弾いてみてよ」
と言って、譜面と電子キーボードを渡される。
 
「課題曲のは問題無いと思う。それこそ京子が弾いてもいい。でも自由曲の方が超絶難曲」
 
「そんな難しい曲弾ける訳無い」
「だからやってみてよ」
 
千里はやれやれと思ったが、とりあえずキーボードの前に座り譜面を見ながら弾き始める。最初は「わりと単純な伴奏だなあ」と思って弾き出す。調もイ短調だ。多少の変化記号はあるが大したことない。
 
ところが・・・・
 
サビ(?)の部分から突然両手とも三連符の連続になる。「なにこれ〜?」と心の中で思いながら千里はとにかく譜面に書いてある通り弾いていく。そして!突然転調する。#が3つもある!「うっそー」と思いながら必死で譜面を辿る。更に転調する。♭が4つもある!!「ひぇー」と思いながら弾いていく。そして見た瞬間何か訳が分からなかった九連符!心の中で悲鳴。右手と左手が交錯する。もはや自分でもどう弾いているのか把握不能。目は必死に音符を追うが、本当に譜面の通り弾いているかどうか自分でも自信が持てない。
 
そんな凄まじい音符が続いた末に、いったんイ短調に戻る。ちょっとホッとする。 
で安心していたら、右手が三連符を弾きながら左手は八分音符という恐ろしい箇所が到来する。「右脳と左脳が分裂しそう!」と思いながら何とか弾いていく。そして9連符・12連符・7連符の連続!という人間の感覚の限界に挑戦するような音符(さすがに適当に弾いた!!!)。
 
しかし最後の方はまた静かな伴奏になって曲は終始した。
 

「すっごーーーい!!」
「よくこんなの一発で弾けるね!」
「千里、音楽大学のピアノ科に通るよ」
 
などとみんな騒ぐが本人はバタリと死んでいる。蓮菜が千里の背中をツンツンしている。
 
「死んだ。ごめーん。お葬式は一番安いのでいいから」
と30秒くらいたってからやっと本人の声。
 
「先生、課題曲は京子、自由曲は千里で」
とレモン。
 
「うん。それで連絡する」
と言って先生は事務局に電話し
「課題曲は橋口京子、自由曲は村山千里が伴奏します。はい、どちらもうちの生徒です。学年はどちらも2年生です」
と伝えた。
 
「だけど千里なんでこんなの弾けるの?」
「ほんとに弾けてた?」
「弾けてた」
「最後の方は自分でもちゃんと指が正しい鍵盤を打っているかどうか自信が無かった。音符を読むだけで神経の99%使ってた」
 
「少々間違えても大丈夫だから、堂々と弾いて」
「うん。ハッタリだけは私行ける」
「そのハッタリが実は一番大事」
 
「村山さん、譜読みもせずにいきなり弾いたね」
と先生が言うが
「ああ、この子、譜読みしてもしなくても全然変わらないです」
と京子は言う。
 
「千里って天才なのか変人なのかよく分からないんですよ」
「たぶん変人で確定」
「千里って男か女かも良く分からないよね」
「たぶん女で確定」
 

15時などという遅い時間から始まるので、何時まで掛かるのだろうと思ったのだが、そもそも参加校が5校しか無かった。私立では千里たちのN高校とL女子高、それに公立のA高校・M高校・J高校である。L女子高とM高校にはバスケでも知っている顔があった。兼部なのか助っ人なのか。
 
千里たちは3番目に出て行く。最初、千里はソプラノの列の中に入っている。ただし出やすいようにいちばん前の列である。先生の指揮、京子の伴奏で課題曲を歌うが、完璧にぶっつけ本番である。歌詞も曲も頭に入っていないので近くで歌っている子に合わせて歌う。京子はさすがに本番前に5−6回練習していた。千里も練習しないの?と言われたが「それ弾くだけで凄まじいエネルギー消費するからパス」と答えておいた。
 
ステージには27人の歌唱者がいるのだが、実際に歌っているのは部員16人と、千里たちぶっつけ本番で歌っている6人くらいで、残りは実は口パクだ。梨乃などもいかにも歌っているかのように大きく口を開けているが実は声を出していない。
 
千里は隣の声を聞きながらではあったが結構気持ちよく歌うことができた。曲が終わりピアニストを交代する。千里がソプラノの隊列を離れピアノの所に行き、そこに課題曲のピアノを弾いた京子が代わりに入る。
 
先生の合図で伴奏を始める。最初はほんとに簡単な伴奏である。ピアノの初心者でもちょっと練習すれば弾ける程度の演奏である。それでAメロの終わりまで行くのだが、間奏の所から両手三連符の連続という少しピアノが弾ける人でも練習が必要な部分が始まる。やがて曲はBメロ(千里は最初弾いた時はサビと思ったのだが、むしろBメロのようであった)に入るが、忙しい譜面は続く。
 
そしてCメロに突入する所でイ短調(A-minor)から#3つの嬰ヘ短調(F#-minor)に転調する。そして更に♭4つのヘ短調(F-minor)へと半音低くなる。千里がこの30分ほどの間に「発見」した大きなポイントは、#3つの調から♭4つの調への移動は「全体が半音下がるだけ!」ということだった。その発見でこの譜面が凄く易しくなった気さえしたのである。
 
右手3連符・左手8分音符という所は、実はジャズ系の曲では普通にやっている演奏なので、いったん頭の中にそのロジックが確立すると、そんなに難しくは無い。左手はほぼ自動で演奏している感じで、気持ちの90%は右手に集中している。そして12連符や7連符はもう気合い!で弾きこなす。
 
そこまでやってしまうと最後の四分音符や八分音符だけの伴奏部分はここまで弾きこなした自分への御褒美のようにさえ感じられた。
 
美しく終始したら、客席から凄い拍手が湧いた。
 
この曲を選んだ人はこの演奏し終わった時の快感がたまらなかったのではないかと千里は思った。
 

千里たちの後はL女子高が演奏した後、会場を提供しているA高校が演奏して締めくくる。
 
そして短い休憩のあと、結果が発表される。A高校が金賞、L女子高と千里たちのN高校が銀賞、残る2校が銅賞であった。
 
部長のレモンが壇上にあがって銀賞の賞状をもらってきた。
 
「銀賞って何かあるの?」
「いや賞状だけ」
「金賞になると道大会に進出するんだけどね」
「へー」
「実はここ数年、毎年道大会に進出しているのはA高校」
「むむ」
「バスケでのL女子高みたいなものか」
「でもL女子高は去年も今年も決勝リーグに残れなかったからなあ」
「L女子高の監督は進退伺い出したらしいね」
「きびしー」
「慰留されたらしいけど」
「いや監督は悪くないと思う。たまたまの巡り合わせだと思うもん」
「それでも結果を出せないと追及されるのが常勝校の厳しさ」
 

「だけど千里ちゃん凄かったね」
と顧問の先生は言った。
 
「ん?」
「いや、終わるまでは動揺とかさせちゃいけないからと思って言わなかったんだけどね」
「うん?」
 
「実際問題として音符と実際の音が合っているのは7割程度だった」
と先生。
 
「へ?」
「後は全然譜面と違うんだけど、それでもコードはほぼ合ってるし、リズムは合ってるし。歌うのには全く支障が無かったんだよね」
 
「あ、なんか少し違うなとは思った」
とレモンが言う。
 
「本当はドミラの所をラドミで弾いたりとか、本当はEm7の所をG6で代用したりとか(Em7はE-G-B-D, G6はG-B-D-Eで構成音が同じ)、分散和音の途中の音がソの所をソ#にしたりとか、そういう違いなんで、全然気付かなかった人が大半だと思う。気付いた人も、別アレンジだと思ったかも」
「あははは」
 
「譜面と違う弾き方して、それで破綻しないなんて天才なのでは?」
と麻里愛が言うが
「いや、千里は変人なのだよ」
と蓮菜が言い
 
「確かに天才より変人かも」
と何だかみんな納得していた。
 

7月2日(月)。コーラス部の大会があった翌日。千里はN高校の山本先生、バスケ部の南野コーチと一緒に旭川空港から羽田に向かった。
 
実はバスケットボール協会から呼び出されたのである。千里の性別に関して、昨年秋に旭川市内の総合病院の婦人科で検査されて「医学的に女子である」という診断が出ていたのだが「念のため再確認したい」と言われた。
 
協会の医学委員会の委員長Qさんという男性、委員会のメンバーの婦人科担当Lさんという女性から名刺を頂く。ふたりとも医師の資格を持っているようでこの場でも白衣を着ていた。
 
「ご足労頂いてありがとうございます。選手の性別に関しては、報道などには出ていないものの、実は結構微妙なケースがこれまでもあってその都度色々と対処してきていたのですが、村山さんのケースがきっかけになって、昨年秋にかなりの議論をして、一応の内部的な指針が固まったのは大きかったんですよ」
などと言われる。
 
「やはり半陰陽のケースが多かったんでしょう?」
と千里は自ら言う。
 
「そうです。でも千里さんと似たような感じで元々男性であったものの去勢しているというケースも実は数件あったんですよ。女子選手と認めるか男子の方に出てもらうかは、その都度その選手の身体的な状況を確認して判断していたのですけどね。性転換手術まで受けたケースは村山さんが初めてだったのですが。ちなみに性転換手術を受けたのはいつですか? これは協会には上げず、医学委員会内部だけの話にしますので教えて頂けませんか?」
とダイレクトに尋ねられる。
 
「約1年前です」
と千里は明解に答えた。山本先生と南野コーチが少し驚いていた。
 
「これ公式のものではないのですが、手術の明細です。どっちみち性別の変更は20歳まで出来ないしと思ったので正式の診断書とか取ってないのですよ」
と言って千里は病院の書類を見せる。
 
「タイ語かな?」
と委員長のQさんが目を細めたが、婦人科のLさんが
「私、読めますよ」
と言ってその書類を見る。
 
「日付は7月18日と書かれていますね。陰茎と陰嚢の切除。大陰唇・小陰唇・陰核・膣の形成。ああ。睾丸は既に除去済みだったんですね?」
 
この書類は美鳳からもらったものであるが、美鳳は「この書類は本物」と言っていた。どうも騒動の発端は美鳳さんの悪戯っぽいので少し責任を感じているようであった。
 
「そうです。性転換手術の1年前に去勢しています。すみません、そちらは書類がありません」
「いいですよ。だったら去勢から既に2年経っているんですね!」
とL先生は言ったが、千里はそれには直接答えず
 
「女性ホルモンは中1の時から摂取していますから、それ以前に男性機能は死んでいたはずです」
とだけ言った。
 
「なるほど」
 
「だったらオリンピックの基準もクリアしてるよね?」
と委員長さんがLさんを見ながら言う。
 
「この手術の明細、コピー取らせてもらっていいですか?」
「どうぞ」
 

「いや実はね。秋に討議した時は僕もそういうの無知だったんだけど、最近は実際は男性器が付いているにもかかわらず、まるで女性の股間であるかのように偽装するテクニックがあるんですね?」
と委員長さん。
 
「はい。タックと言います。私も手術を受けるまではずっとそうしていました。実は付いていても見た目が女の子であるだけでも、私たちみたいな者にとっては、凄く精神を安定させてくれるんですよ」
と千里は言う。
 
なるほど「タックではなく本物」であることを再確認しておこうということだったのかなと千里は委員長さんの言葉で考えた。
 
「ああ、やはりその精神的な安定を求めてそうするんでしょうね。それで病院で検査されたのなら、さすがにそういう偽装はバレるとは思うのですが、村山さんの道大会での成績が凄かったので、念のためこういう問題に詳しい医師にチェックさせてもらえないかと思いまして」
と委員長さん。
 
千里は道大会でスリーポイント女王として表彰されている。得点女王はM高校の橘花であった。
 
まあ成績が良すぎる女子選手の多くは一度はこんなこと言われて性別チェックをされてるよな、と千里は思った。留実子も昨年検査されていたし、橘花も180cmの長身ということもあり、中学生の時に一度性別の検査を受けさせられたことがあるらしい。
 
「全然構いません。本番に向けての練習に支障が出ない範囲でいくらでも検査してください」
と千里は笑顔で言った。
 

それで婦人科のL先生と一緒に病院に移動する。血液とおしっこを取られた後で、いきなり全裸にされ身体の全体をチェックされる。結果的にはこれが一番重要だったようである。国際大会などで議論の対象にされてしまうような選手はしばしば見た目がかなり男っぽい。
 
「アンダーバストとトップバストの差が18cm。Dカップですね。あれ?これは」
「Sub-qを打ってます。プチ豊胸です」
 
バストにヒアルロン酸の注射をしていることは《いんちゃん》に教えてもらっていた。
 
「なるほど。打つ前でも多分Cカップくらいですよね」
「はい、そんなものだと思います。Sub-qはそんなに大きくできませんから。打った当時はBカップ未満だったんですよ。でも性転換した後、本来の胸のお肉も随分増えた感じがします」
 
「ああ、そう言う人はいますよ。既に去勢が終わっているなら性転換手術自体ではホルモン状態は変わらないはずなんだけど人間の身体って不思議なのよね。身体のお肉の付き方も完璧に女の子の付き方だよね」
 
「私、中学の頃から、そう言われてました」
「だけど美事に贅肉が無い。全身筋肉」
「リハビリを兼ねて、かなり鍛え上げましたから」
 
「内診台に乗ってもらえます?」
「はい」
 

内診台に乗せられるのは(自分の記憶の中では)2度目なのだが「何度乗っても恥ずかしいな」と思ってしまったので、多分5−6回は乗せられているんだろうなと千里は思った。
 
「凄くきれいに作ってあるね。形がごく自然。これ見ただけでは婦人科医でも天然女性と思ってしまうかも。傷はもう完全に治ってるね」
「はい。痛みも全くありません」
 
「ダイレーションはしてます?」
「一応ふだんは留め置き用のダイレーターを入れてますが、週に1度は普通のダイレーターも使ってちゃんとダイレーションします」
「うん。ここまで治癒してたら1週間に1度でいいかもね。膣の中を確認したいんだけど、クスコ入れていい?」
「どうぞ」
 
とは返事するが、これ苦手だぁ、と千里は思ってしまったので、多分過去にも何度か入れられているんだろうなと千里は思った。
 
千里の肉体と記憶は別々に動いていると美鳳から言われてはいるが、実際には身体自体が覚えてる記憶もあるようだと千里は感じていた。
 
「膣の内側は自然に湿度が出ているみたいね」
「尿道の組織を膣壁の一部として利用しているらしいです。それである程度の湿度が出るんだとお医者さんからは言われました。本物の女性ほどではないのですが」
「それは最新の手法だね」
 
と言って医師は千里の膣の内部を観察している。ああ、先生はバルトリン腺には気付かなかったな、と思ってから、千里は自分にバルトリン腺があるんだっけ??と疑問を感じた。
 
「あれ?膣のいちばん奥にその先に通じる穴がある」
「擬似的に子宮口を作ってあるらしいです」
「へー。そういう手法は初めて聞いた」
 

血液検査と尿検査の結果を聞く。
 
「女性ホルモンの量も男性ホルモンの量も通常の女性の範囲内ですね。女子スポーツ選手の中には別にドーピングとかしてなくても、結構男性ホルモンの値が高い人もいるのだけど、あなたの場合、男性ホルモンが凄く低い」
 
「私、去勢する前から、そんなこと言われてました」
「女性ホルモンは注射?飲み薬?」
「飲み薬です」
 
見せて下さいと言われるので、千里は常備薬を見せる。
 
「こちらがプレマリン、こちらがプロベラの、どちらもジェネリックです。どちらも毎日3錠ずつ飲んでいます」
 
「ちょっと2〜3錠ずつもらっていい? 念のため成分検査したい」
「なんでしたら1シートどうぞ」
と言って、千里は両方のお薬を1シートずつ渡した。
 
「これはどうやって入手してるの?」
「個人輸入です。ガイドラインだと20歳になるまでこういうお薬もらえないから」
「処方箋を書いてあげようか? そしたら普通に薬局で買えるよ」
「わあ、それは助かります!」
「既に性転換手術まで終わってるんだったら、もう今更ガイドラインも何も無いよ」
「私の先輩が、性転換なんてやったもの勝ちって言ってました」
「ああ、そういう意見は聞いたことある。それから札幌の医師でも良ければ知り合いの医師を紹介するけど」
「ああ。じゃ、時々診てもらおうかな」
「うん。それがいいよ。調子良くしていても人工の女性器は天然の女性器よりトラブルが起きやすいから」
 

停留睾丸などが存在しないことをチェックしなければならないのでということでMRIにも掛けられた。ところが、一度検査されてから再確認したいと言われて再度装置に入ったのだが、医師は悩んだ末「ごめん。もう1度」と言って、最後はオープンMRIに入り、リアルタイムで体内の様子を撮影しながら医師と対話した。このオープンMRIでの検査は1時間以上に及んだ。しかし医師は更に混乱したようであった。
 
「こんなのって有り得ない」
などと言って医師は本格的に悩んでいる。
 
「あまり悩むと身体に良くないですよ。理屈に合わないことは一番それらしい解釈をしておくことが、研究者として長生きする道だと、私の知ってる、ある大学の教授は言っていました」
 
「そうかも知れない。でも村山さんが間違い無く女性であることだけは、私がしっかり確認させてもらったよ。ごめんね。いろいろ恥ずかしい検査までさせてもらって」
 
「いえ。お医者さんに見られるのは別に気にしません。まあ、こんな所まで見せるのは、お医者さんと彼氏だけですけどね」
 
「まあ確かに彼氏にはある程度見せるかもね」
「私おちんちんがまだ付いていた頃もうまく誤魔化していたから、彼は私がいつ女の身体になったか分からないみたいですけどね」
 
「・・・村山さん、彼にはしっかり避妊してもらってよね」
「はい。大きくなったらすぐに付けてくれています」
 
医師は頷いていた。
 

病院での検査の後、またバスケット協会の方に行き、千里が間違いなく女子であること。去勢から長時間経ち、男性的な筋肉は残っていないので、女子として参加してもらってよいというのを再確認してもらった。
 
「1年前に性転換したというのは正直、私も気付かなかったのですが、村山さんが体力とか筋力とかを付けてきたのは今年のお正月以降なんです。男子チームに入っていた頃ってシュートはうまいけど体力が無いというのが凄い課題だったんですよね。あとスピードが無かったから上手い人にマークされると完全に封じられていたんです。でも1月以降凄い努力してそれを克服してきている。ですから今村山さんに付いている筋肉はまちがいなく、女になって以降のものですよ」
と南野コーチは言ってくれた。
 
「男性と女性では筋肉の付き方も違うのですが、村山さんは間違いなく女性の筋肉の付き方をしています。正直、見た感じでは実質去勢してから3−4年は経っている感じなんですけど。中学1年の時から女性ホルモンの注射とかしてもらっていたというので、その時点でもう男性でなくなっていたのでしょうね」
と診察してくれたL医師も言う。
 
「村山さん、最後に勃起したのっていつだっけ?」
「小学生の時です。実は昨年性転換前に1度夢精したことはあるのですが、射精経験もその一度だけです」
「精子がなくても射精機構は働くからね。女性ホルモンを長年やっている人って、勃起せずに射精しちゃうんですよね。むろん精液に精子は入ってないのですが」
 
「私、性転換の後5ヶ月くらいはほとんど療養していたんですよね。ですから、本格的なリハビリと練習を再開したのは5ヶ月経ってからだったんです」
と千里。
 
「つまり今年初めからだよね?」
「毎日何十kmというロードワークやってましたから。学校にバレると叱られるから黙ってましたが」
と千里。
 
「うちの学校は進学校なので、本当は部活の時間以外の練習とかは禁止なんですよね」
と山本先生が言うと、委員長さんも「なるほどですね」と言って頷いていた。 

バスケ協会を辞してからホテルに入り、部屋の中で3人で少しお話しした。 
「でも7月の中旬に手術を受けるというのはいちばん上手いタイミングだよね。夏休みの間、身体を休めていられるもん」
と山本先生が言う。
 
「ええ。学業とかに影響が出ないように手術を受けるにはそのタイミングしかないんです」
と千里。
 
「さっきの手術明細書だっけ、もう一度見せてくれる?」
「はい」
 
と言って千里はそれを山本先生・南野コーチに見せる。
 
「タイ語は分からないなあ」
「そこ日付が月日しか入ってないんですよね。本来内部的な書類だったのを記念にもらったので」
「7月18日って言ってたね。18は数字で書いてあるけど、その後が読めない」
「カラカダーコムと読むそうです。そこだけ教えてもらいました」
 
「あれ?去年の7月18日ってまだ夏休みに入ってないよね?」
「それ実は2012年7月18日なんですよねー」
「へ?」
 
「私が性転換手術を受けたのは5年後なんです」
「はぁ?」
「意味が分からない」
「私も実はよく分からなくて困っているんです」
 
と千里は本当に困っているような顔で言った。
 
「つまりですね。1年前の私が5年後にタイムスリップして性転換手術を受けてきて、今の私はそれから1年経った状態みたいなんですよね」
 
「えっと・・・」
 
「なんてこと言ったら、今度はきっと精神鑑定受けさせられますよね」
「うん。そういう話は人にはしない方がいい」
「ええ。ですから聞かなかったことにしてください」
 
「そうしよう。何だかよく分からない!」
 

翌7月3日、東京から旭川に千里たちが帰る前に再度バスケ協会から連絡があり、旭川N高校への正式なインターハイへの参加案内の書類が南野コーチに渡された。明日4日に組合せ抽選が行われるので、ギリギリのタイミングである。本来は道大会が終わってすぐ渡されるべきだったもので、遅くなって申し訳なかったと言われた。おそらく千里の性別を再確認することが、N高校を女子代表として認めるために必要なことだったのであろうと千里は思った。南野コーチはその場で予め用意していた参加申込書を提出した。これも実は6月27日が提出期限だったのを、そもそも正式な参加案内をもらっていなかったので提出保留していたのであった。
 
南野コーチと宇田先生は恐らく念のため千里の入ったメンバー表と千里を抜いたメンバー表を用意していたとは思うが、万一自分が男と判定されていたら、N高校の出場自体が取り消されていたかもと千里は冷や汗を掻いた。
 
やはり性転換しておいて良かった!
 

旭川に戻ってから、書類を宇田先生に渡す。そして部活の時間にあらためて教頭先生から披露されて、女子部員たちの歓声と、男子部員たちの「いいなぁ」「頑張ってね」という声が上がっていた。
 
ここで宇田先生からインターハイの登録メンバーが発表される。道大会は15名登録できたのだが、インターハイの本大会は12名である。3人は漏れてしまうことになる。むろん逆にギリギリの付近だった子は道大会に入っていなくても本大会でベンチ枠に入る可能性もある。
 
「ベンチから漏れた選手も含めて部員全員佐賀には連れて行くから。やはり、レベルの高い試合を見て勉強して欲しいというのが第一。それと対戦校の試合を偵察撮影して欲しいんだよね。ただ撮影するだけなら誰でもできるけど、それ以上にバスケをする人の目で見た試合の印象が大事だと思う。それはバスケ部員にしかできないんだ」
と南野コーチは事前に説明した。
 
「4番主将ポイントガード岬久井奈、5番副主将スモールフォワード土田穂礼、6番センター花和留実子、7番パワーフォワード若生暢子、8番シューティングガード村山千里、9番センター高橋麻樹、10番シューティングガード広沢透子、11番センター原口揚羽、12番ポイントガード森田雪子、13番スモールフォワード根岸寿絵、14番スモールフォワード木崎みどり、15番パワーフォワード白浜夏恋。これにマネージャー登録で瀬戸睦子」
と宇田先生がメンバー表を読み上げた。
 
「睦子ちゃんは声援係だね」
と南野コーチ。
 
「分かりました。声援、頑張ります!」
と本人は言っているがさすがに悔しそうだ。
 
「メグミちゃん、敦子ちゃん、リリカちゃん、あたりはボーダーラインで凄く悩んだんだけど、現時点でいちばん力を出してくれそうな所を選択した。ウィンターカップは15人出られるから、また頑張ろう」
「はい!」
 
インターハイ本戦のベンチに入れるのはコーチ兼引率責任者(宇田先生)、アシスタントコーチ(南野コーチ)、選手12名、そしてマネージャー1名である。 
旭川N高校は女子高時代からの伝統で、男子野球部以外では本来マネージャーという制度が無い。掃除や洗濯、スコア付けなどは部員が自分たちでやることになっている。女子高にはこういう所が結構多いのである。
 
睦子は地区大会ではベンチ枠に入っていたものの道大会では敦子と入れ替わりでメンバーから外れた。しかし本戦では睦子・敦子ともに涙を呑むことになった。ただ睦子の頑張りは凄いので、声援係としてマネージャー登録でベンチに入れることにしたのだろう。
 
みどり・夏恋・メグミ・リリカあたりは実力的にはほとんど変わらない。むしろリリカが頭一つ出ている感じさえある。南野コーチも宇田先生もかなり悩んだと思うが、みどりを入れたのは3年生優先、夏恋を入れたのは彼女が地区大会・道大会でラッキーガールになっていたからであろうと千里は思った。
 
夏恋は地区大会決勝の旭川L女子高戦でも最後にダメ押しとなるスリーポイントシュートを入れたし、何と言っても道大会決勝リーグでN高が代表となるのを決めた最後のフリースローを入れている。
 
ベンチ枠から漏れたメグミ・リリカ・睦子・敦子に道大会でマネージャー枠でベンチに座った蘭あたりが秋に向けてベンチ枠を再度競うことになる。 

7月7-8日の週末は朝から晩まで練習をした。インターハイ出場が決まった女子バスケ部だけの特例であったが、この2日間は基礎体力の充実というのに主眼を置いた。校庭30周に始まり、遠泳でプール20往復、シャトルラン!、反復横跳びとやらされて「体力測定を再度やってる感じ」という声も出ていた。 
ベンチ枠に入っている子は(睦子も含めて)フルメニューをこなすことという指示で、入っていない子は自主的に距離を短くしてもいいと言われたのだが、敦子・メグミ・川南・リリカ・蘭・結里などボーダー組はベンチ組と同じメニューをちゃんとこなしていた。
 
2日目になるとシュート300本というのもやった。南体育館(朱雀)には試合用・練習用あわせて20個ものゴールがあるので、インハイに出るメンバーは1人1個を占有し、インハイに出られない1年生メンバーが1人ずつ球拾い係になって付いて、ひたすらシュートを撃った。
 
また平均台の上でドリブルするなどというのもやった。ドリブルの精度を上げるのが目的である。
 
ハードな練習なので3時間やったら1時間休むというサイクルで練習したが、休憩時間には仮眠している子もいた。
 

この土日の練習は学校の設備を使っておこなったもので「合宿」ではなかったのだが「家まで帰る気力無い」「学校に泊まってもいいですか?」という声があったので、校内の研修施設を開けてもらい、そこでかなりの子が寝泊まりした。 
8日の練習が終わってベンチ組(睦子を含む)の16人だけ特に南野コーチから呼ばれて特別な注意を受ける。
 
やはり各々の体調管理をしっかりすることというのが基本であった。風邪を引かないようにむやみな夜更かしをしないこと、当面ゲームなども控えて規則正しい生活を送ること、感染症予防のため、人混みにはあまり近づかないこと、などを言われる。
 
「千里ちゃん、バイトの方は休める?」
「6月30日の夏越の大祓には出ましたが、その後はインターハイが終わるまで1ヶ月休ませてもらっています。夏休みはバイトの巫女さんもいるから何とかなるんですよ」
「なるほどね」
 
「みんな生理のタイミングはどう? インハイの期間に生理が来そうな子は?」
 
手を挙げたのは、みどりと寿絵である。
「でも40分走り回るのは平気ですから」と寿絵。
「私もこれまで何度も生理中に試合が来たことあるけど、何とかなりましたから」
とみどりも言う。
 
南野コーチは念のため特に主力には個人的に確認する。
 
「久井奈ちゃんはいつあった?」
「昨日あたりからちょっとおかしいんです。たぶん週明けに来ます」
「穂礼ちゃんは?」
「私も同じです。多分週明けですから、その次はインハイの決勝戦の後になると思います」
 
「留実子ちゃんは?」
 
どうも南野さんは背番号順に確認しているようだ。
 
「月末に来たので、インハイ直前に次は来ると思います。でも私の周期は結構乱れるからピル使った方がいいかなという気はしてます」
「ピル持ってるんだっけ?」
「持ってるから大丈夫ですよ」
 
「間違って男性ホルモン飲むなよ」
と暢子から言われる。
 
「アロンアルファで蓋を留めてるから大丈夫だよ」
と留実子。
 
アロンアルファで留めてないと、フラフラと飲みたくなることがあるのだろう。自分の意志のコントロールは大変である。
 
「暢子ちゃんは?」
「私もインハイ直前に来ると思います。私のは周期あまり乱れないから大丈夫だと思う」
 
「スターティング5の2人がインハイ後、2人がインハイ前というのは理想的だな」
などと南野さんは言っている。そして
 
「千里ちゃんは?」
とうっかりコーチは訊いてしまった。
 
「私も昨日あたりからお腹が少しおかしいので恐らく火曜日くらいだと思います」
と千里は答えた。
 
「・・・・・」
 
「千里ちゃん、生理あるんだっけ?」
「こないだは中間試験の2日目、6月12日だったんですよね。だから28日後が7月10日、次は8月7日で、うまい具合に道大会にもインハイにもぶつからないタイミングです」
 
「なんで生理があるの〜〜〜!?」
「私、女の子ですから」
 
「へー」という顔をしている部員が多いが、留実子と暢子は苦しそうにしていた。 

7月13日。体育祭が行われる。この学校の体育祭は球技大会に近いもので昨年は男女バスケット・男女バレー・女子ソフトボール・男子サッカー・陸上リレー(男子1600m,女子800m)、水泳リレー(男子400m,女子200m)といった種目だったのだが、今年は女子がソフトではなくサッカー、男子はサッカーではなく野球に変更された。また陸上に男子3000m,女子2000mというのが追加された。 
去年は千里は女子ソフトボールのピッチャーをしたのだが、今年はさて何に出ればいいのかなと考えていた所、男子から言われる。
 
「村山、凄いピッチャーなんだって?」
「バスケットのゴールにあんな遠くから入れられるんだもんなー。ソフトや野球のボールも正確になげられる訳だよな」
「村山がまだ男だったら野球チームに欲しかったところだ」
 
「ボクまだ男だけど」
「あ、戸籍は20歳まで直せないんだってね?」
「手術は去年の夏休みにラトビアのリガでしてきたって聞いたけど」
 
ラトビア!?それは私も初耳だ!リガってどこ?と千里は思った。
 
「取っちゃったチンコまた付ける訳にもいかないだろうし、女子の方で頑張れよ」
などと男子たちは言っていた。
 
「千里、シャトルランで130出したんだって?」
と学級委員の徳子から言われる。
 
「うん、そんなものだったかな」
「じゃ女子2000mに出てよ。そんな長い距離全力疾走できる子はそうそう居ないからさあ」
「私体力無いよぉ」
「シャトルラン130ってオリンピック選手並みの数値なんでしょ? 男子でも100越えたのって、数人しかいないみたいだし」
「だってボク男子だし」
「え?でも既に性転換してるんでしょ? スウェーデンのストックホルムで中3のお正月に手術したって聞いたけど」
 
スウェーデン!?どこからそんな話が!?
 

そういう訳で、うやむやの内に千里は女子2000mに出ることになった。出場者は各クラス1名ずつで18人で走る。
 
メンツを見ると全員運動部の所属だ。陸上部員も3人入っているので、この3人で上位独占かなと思ったら、とっても気楽になった。バスケ部の夏恋と揚羽も入っていたので手を振っておく。
 
号砲でスタートする。この校庭のトラックは1周200mなので10周することになる。長丁場なので無理せず最初は第3グループに入って走って行った。第1グループは陸上部の1年生のSさんと2年生のMさん、それにバレー部の3年生Kさんの3人。第2グループは4人で、千里が入っている第3グループは5人。ここに夏恋も入っている。揚羽はもっと後ろにいるようだ。
 
4周目まで行った所で第1グループの陸上部Sさんが遅れ始める。5周目の所で第2グループに吸収されてしまったが、その第2グループも2人と3人に分裂。第3グループも千里・夏恋と、他の3人に分裂。これが6周目になると結局、第1グループ2人、第2グループ2人、第3グループ5人になり、第3グループには第1グループから落ちてきた陸上部Sさん・千里・夏恋が入っていた。 
そのSさんが7周目でスパートを掛けた。これに千里・夏恋が付いていく。彼女はどんどんスピードを上げるが、千里も夏恋もここまで体力を温存していたので、しっかり付いていく。付いてこられると彼女も走りにくい雰囲気ではあったが、それでも頑張る。やがて3人は第2グループを捉え、一気に抜いてしまった。 
3人は第1グループからは半周離されている。第1グループの先頭争いをしているMさんとKさんもスパートを掛けているのでなかなか追いつけないが、千里たちは結果的に3位争いをしながらスピードを上げていた。
 
その時、猛然と後ろから迫る足音がある。
 
ここまで下の方にいたもうひとりの陸上部員Tさんだ。彼女はやがて千里たちの集団に追いつくと、一気にそれを抜いていく・・・・が、これに千里が付いていった。
 
夏恋とSさんの2人は置き去りである。
 
既に8周半走っていて、残りは1周半である。千里とTさんがデッドヒートをする。その半周前では最初から先頭を走っている陸上部Mさんとバレー部Kさんがデッドヒートをしている。あっという間に残り1周の鐘を聞き、千里は気合いを入れ直し、ピッチを早める。Tさんの前に立つ。すぐ後ろにTさんの足音が聞こえる。ここでスパートを掛ける。
 
千里の力強いステップにTさんの足音が遠くなる。少し前でMさんとKさんが激しい争いをして、やがてMさんがKさんより少し前に立つ。そのままゴール。続いてKさんがゴール。そしてそれにほんの5-6秒遅れて千里はゴールした。最後の方で再びTさんの足音が近づいてくるのは感じたが、千里の逃げ切り勝ちであった。
 

結局優勝は陸上部のMさん、2位がバレー部のKさん、3位が千里、4位が陸上部のTさん、5位には陸上部のSさんをゴール直前で抜いた夏恋が入った。ここまでがポイントをもらった。揚羽も7位だった。
 
「さすがインターハイに行くだけあって今年のバスケ部は凄いな」
などと表彰をしてくれた陸上部顧問から言われた。
 
「3位までに入れなかったTとSは後でロード10km」
「はい!頑張ります」
「でも少し休ませてください」
と疲れ切った表情の2人は言っていた。
 
「でも村山さん、ペース配分間違ったでしょ?」
と3位争いをしたTさんから言われる。
 
「うん。実は余力がかなり残ってた。やはりこういうレースに慣れてないからだよ」
と千里。
「ああ。バスケットは40分間走り回るからな」
と陸上部顧問。
 
「まあ途中に休憩はありますけど」
「2000mは8分くらいの勝負だもんな。村山、ハーフマラソンとかに出てみない?」
「インターハイ終わってから考えます」
 

体育祭の翌日14日(土)から16日(祝)は女子バスケ部のインターハイに向けての第一次合宿が行われた。
 
合宿は女子部員36人全員参加だが、特にこの第一次合宿では基本を押さえることを重視した。遊びに行く場所の無い山中の少年自然の家に泊まり込み、アップダウンのある山道のジョギング3kmのあと、ドリブル練習、シュート練習、リバウンド練習、パス練習、ブロック練習、などをひたすらやる。最後は合宿所の周囲(300m)を20周回って終了(その後整理運動・マッサージ)である。 
ただし、この時期に故障しては意味が無いので「きついと思ったらサボれ」というのを徹底した。3年生の麻樹はそれでかなりサボっていたので(実は南野コーチに頼まれてサボる見本になってあげた)、おかげで下級生も無理せず自分の体力に合わせたトレーニングを積んでいた。
 
メニューをフルにこなしていたのは、久井奈・千里・暢子・夏恋・揚羽の5人だけであった。特に千里・暢子は最後の合宿所の周りのジョギングを自主的に倍の40周、夏恋と揚羽も30周やっていた。睦子と敦子もやろうとしたが、南野コーチにあんたたちはまだ身体ができてないから足腰を痛めるからダメと停められた。ちなみに麻樹は5周しか走っていなかった。
 
食事は14日のお昼はフライドチキン、夕食が焼肉、15日は朝がカレー、昼はハンバーガー、夕食がスキヤキ、16日は朝がシシカバブー、昼がハマチの刺身、と蛋白質たっぷりのメニューで、お代わり自由だったので、みんなたくさん食べていた。ハンバーガーの中身だけお代わり!とかカレーの具だけお代わりなんてやっていた子も結構いた。
 

朝の山道(実は遊歩道)のジョギングでは、千里と揚羽が先頭に立ってみんなを引っ張る形になった。それに留実子・暢子・夏恋あたりが続く構図になることが多かった。むろん最後尾は麻樹である!
 
「揚羽ちゃん、スタミナあるね」
と暢子が言う。
 
「私、小学校が凄い山の中にあったんです。もう廃校になっちゃったけど」
「へー」
「毎日通学が登山でしたから」
「それは鍛えられてるね」
「千里さんは留萌ですよね。網を引いてたとかですか?」
とリリカが尋ねた。
 
「私は山駆けをしてるんだよ」
「へ!?山伏みたいなのですか?」
「ああ、今ホラ貝習っているんだよ。あれ結構難しい」
「へー!」
 

「千里、練習もたくさんこなしているけど、食事もたくさん食べてるね」
 
と食事の時に南野コーチから言われる。
 
「トレーニングと食事は表裏一体ですよ。身体を動かして蛋白質を取ることで使える筋肉が発達するんです」
「なんか1年生の頃のとんでもない少食を知ってると、千里の発言とは思えない発言だ」
「まあ練習サボってましたから」
「なるほどね〜」
 
「千里、男の子の目がある所とない所の差ってわけじゃないよね?」
と寿絵から言われる。
 
「そういう表裏は無い子だったよ」
と古くからの千里を知る留実子が言った。
 
「だけど最近るみちゃん、ますます男っぽくなってきている」
「男性ホルモンとか飲んでたりはしないよね?」
「それ飲むとドーピングになっちゃうから、飲めません」
「そうか。それは難しい問題だね」
「それに彼氏が子供2人くらい産むまでは女やめないでくれと言ってるので」
「それも悩ましいね」
 
「千里は女性ホルモン飲んでるの?」
「飲んでますよ。それでちゃんと女性ホルモンの濃度がふつうの女子と同じ程度になるようにしてるんです」
「そうか! 千里の場合は女性ホルモンを飲まなかったらドーピングになるのか」
「うん。だから最近は真面目に飲んでる」
と千里。
 
「1年の頃はかなりサボってたもんね」
と留実子が言う。
 
「なるほど、何でもサボるのが千里だ」
と南野コーチが納得するように言った。
 

「でも最近、るみちゃん凄く男らしいから『るみちゃん』って女名前で呼ぶのが申し訳ないくらい」
 
「るみちゃん、男名前も使ってるんでしょ? 男名前は何ていうの?」
「あ、えっと・・・実弥(さねや)かな」
「へー!」
 
「じゃ、サネちゃんとか呼ぶ?」
「その呼び方は放送禁止用語っぽい」
「うっ・・・」
 
 
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