【女の子たちのベビー製造】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-07-14
実家に持っていくつもりだったケーキと、貴司から頼まれて旭川市内で買っていたCDを恵香に預ける。
「じゃケーキは千里んちに、CDは貴司君ちに持って行ってあげるよ」
「ごめーん。ありがとう」
「お土産は京都プリンで」
「そんなんあったっけ!?」
それから実家に帰るつもりで男装していたので、トイレで女装に変更する。
「おお、やはり千里は女の子の格好の方が見ていても安心する」
などと恵香に言われる。男物の服もビニール袋に入れて恵香に預かってもらった。京都までも行くなら荷物はできるだけ軽くしておきたい。そもそも男物の服は女物に比べて重い。
それから恵香と別れて、駅構内のATMでお金を取り敢えず10万円降ろし空港連絡バスに飛び乗った。取り敢えずは実家の母と、留萌でデートする予定だった貴司に急用ができて行けなくなったことをメールする。
移動中に雨宮先生からメールが到着する。
「15:10の中部空港行きに乗って」
と書かれている。
中部空港! 京都に行くのにそういう行き方もあったのかと千里は驚いた。あまり飛行機を使った経験が無いので、京都に行くならてっきり関空か伊丹と思ったのだが、後で確認すると、この時刻、ちょうど関空への直行便が出たばかりだったようである。伊丹に行くには羽田乗り継ぎになるので乗換時間のロスで結果的に中部経由と同じくらいの到着になるようである。
旭川空港に着いたのは13時半くらいである。すぐに中部空港行ANA326便の切符を買う。雨宮先生から追加で来たメールでは、セントレア(中部空港)に着いたら名鉄特急で名古屋に出て、新幹線で京都へ、ということであった。順調に行けば19:11に京都駅に到着するはずとのことだったが、正直、セントレアから先は出たとこ勝負になるであろう。
先生のメールでは、京都駅に人を迎えに行かせるから「赤いバラを口に咥え、リカちゃん人形を抱えていて」と書かれていたが、千里は「赤い口紅を塗って理科の問題集を持っておきます」と返信しておいた。
ネタで書いたものの、書いたことは守らないと後が怖いので、千里は空港のショップで赤い口紅を買っておいた。新幹線の中で塗ることにするが、口紅なんてあまり塗り慣れていないので、空港の化粧室で試し塗りしてみたが、うーん・・・・と思ってしまった。多分口紅を塗った自分に慣れてないんだろうな。
なお、理科の問題集は実家でやろうと思って本当に持っていた。
最近練習で疲れているので、機内ではひたすら寝ていた。降下に入る少し前に起きてトイレに行っておく。着替えなどの入っているスポーツバッグは機内に持ち込んでしまったので、手荷物受け取りも経ずに、すぐ到着ロビーに出て、ミュースカイに乗る。名古屋に着いたのが17:48であるが《りくちゃん》の指示で出口に近い車両に移っておいたので、そこから走って17:57の《のぞみ》に間に合ってしまった。京都着は18:33なので、その旨雨宮先生に連絡する。
「その時刻に来るとは偉い!そのまま京都タワーの展望台に登って」
と書かれている。
待ち合わせ場所が変更になったのかな?と思い、千里は京都駅を降りると夕日の中、京都タワーに登る。この日の日没は18:39であった。千里が展望台まで登った時は、太陽が沈んだ直後で西の空が赤い。千里はその美しい景色にしばし見とれていた。
10分近く景色に見とれていた時、携帯に着信する。
「夕日、どうだった?」
「きれいでした」
「感動した?」
「はい」
「じゃ、その感動を曲にしてみよう」
「えーーーー!?」
「曲のタイトルは『古都の夕暮れ』」
「演歌ですか?」
「ううん。アイドル歌謡」
「誰が歌うんです?」
「大西典香」
「済みません。知りません」
「今度デビューするのよ。でもこの子を選んだのはあんただよ」
「へ?」
「去年11月にあんたオーディションの手伝いをしたじゃん」
「えーっと」
それはオーディションに応募してきた大量の女の子の履歴書をテーブルの上に並べられた中から「有望な子を見つけ出して」と言われて、千里は勘で1枚、拾い上げたのである。
「そのオーディションの合格者が大西典香なのよ」
「私が選んだ履歴書の子なんですか?」
「そうそう。だから、この子についてはあんたが責任持ってね」
「そんな〜!?」
もっとも後でこっそり谷津さんから聞いたのでは、実際にはあの時、テーブルの上から拾い上げた履歴書は10枚で、その子たちに音源を提出させて5人に絞り、最終的に生歌を聞き面接をした結果、大西典香が選ばれたらしい。だから彼女の履歴書を誰が拾い上げたかは本当は誰にも分からないということだった。
ただ、大西典香の履歴書は、後で見直してみると、他の子たちの履歴書に比べてアピールポイントが少なく、谷津さんは自分ならこういう履歴書は拾い上げないと言っていた。彼女は2次審査で提出させた音源の出来が素晴らしく、突如有望候補として浮上したのである。それを考えると、彼女の履歴書は千里が拾い上げた可能性が充分あると谷津さんは言っていた。
ともかくも曲を書けと言われるので仕方無く千里はその場で五線紙を取り出す。目を瞑って、さきほど見た夕日を思い浮かべる。すると、どこからともなくひとつのメロディーが浮かんできた。すかさずそれを五線紙に書き留める。
千里はいったんタワー3階まで降りて、スカイラウンジに入り夕闇迫る京都の景色を眺めながら、ケーキセットを頼んで、のんびりと摘まみながら頭をアルファ状態にする。
でも何も浮かばない!
やがてケーキを食べ終わる。コーヒーも終わってしまう。
うーん。更に何か頼むか、あるいは他の店に行くか、などと考えていた時、千里に声を掛ける人が居た。
「ね、ね、君、高校生? 誰かと待ち合わせ?」
うるさいなあ、ナンパ男か。
と思った瞬間!千里の頭の中にメロディが浮かぶ。
すぐに譜面に書き留める。
男が
「何書いてんの? バンドか何かのスコア?」
などと声を掛けるので千里は
「ちょっと静かにしてよ」
と言う。
「おっ、凄い。君、格好いいなあ。ね、ね、僕もギター弾くんだよ」
「もう静かにしないと、チンチン切っちゃうよ」
「ひぇー、可愛い顔して、えげつないこと言うね〜、なんかますます気に入った」
千里はこの男を黙殺することにした。そして譜面に集中して、今思いついたメロディーを8小節まで展開する。これをサビに使う。更に先程上の展望室で思いついたメロディと組合せる。そちらは16小節に展開して、一通りの楽曲の形が整う。この間、20分くらい、男は結局千里の隣に座って、ずっとしゃべっていた。
「じゃ、おじさん、これ払っといてね」
と千里は伝票をその男に押しつけると、店を出た。
雨宮先生に電話する。
「ちょっとメロディー書いたので聞いてもらえますか?」
「うん」
それで千里がラララで歌うと
「結構いいと思う。使える。それに歌詞を付けられる?」
と言われるので、千里は
「ちょっと歌詞担当に訊いてみます」
と言って、いったん電話を切った。
すぐに蓮菜に電話する。
「へー。それで今京都にいるんだ」
「うん。なかなかハードな行程だった」
「じゃ、お土産は、おたべさんで」
「いいよ。で、こんな曲なんだけど」
と言って千里は歌ってみせる。
「録音するからもう1回歌って」
「うん」
それで千里が再度歌うと「30分待って」と言われるので、その間、京都駅に移動して、千里は自販機で烏龍茶を買って飲みながら待った(こういう時に決してお店に入ったりはしないのが千里である)。
蓮菜からメールが来る。歌詞が書かれているのでそれを五線紙に書き写す。歌詞に合せて多少の音符を直す。それで再度雨宮先生に電話して歌ってみせる。
「うんうん。いい感じ。じゃ、それMIDIにして送って」
「パソコン持って来てません!」
「困ったわね。まあいいや。じゃ、今日はそのままホテルに入って」
「今日は先生の所にはお伺いしなくてもいいんですか?」
「上手い具合に日没に間に合ったから予定変更。明日もう1件仕事してもらってから会うことにするわ」
「でもホテルとか予約してないですけど」
「じゃ適当な所を予約してあげるから」
と言われ、10分後にホテルを指定されたので、そちらに移動して、その日はそこに泊まった。
夜中の3時前に電話で起こされる。
「そろそろ天文薄明が始まるのよ。天文薄明って分かる?」
「はい。空が明るくなり始めることですね」
「それで、今からすぐタクシーで伏見稲荷に行って」
「伏見ですか!?」
それで少し冷え込みそうなので、一枚余分に着てホテルをチェックアウト。タクシーで伏見稲荷まで行く。今回の費用、ちゃんと払ってもらえるよな?と少し不安になってくる。
昨日の先生の指示から想像すると、おそらくここでも何かを体験して、それにもとづいて曲を書くことになるのだろうというのを考える。今日は夜明けを体験するのかな、と思っていたら、ほんとに空が明るくなり始めた。
(この日の京都の天文薄明は3:36)
ただ伏見稲荷は東側に伏見の山があるので、日出は山に隠れてしまう。
電話が掛かってくる。
「あんた宗教はキリスト教とかじゃないよね?」
「えっと、ほとんど無宗教に近いですが、一応神社の巫女なので、神道メインです」
「あ、そうか。巫女してたんだ。じゃ、問題無いな。そのまま境内に居て4:35になったら、拝殿でお参りして」
「4:35?」
「夜明けの時刻」
「分かりました」
千里は携帯で少し写真を撮っておこうかとも思ったが、写真に残すより自分の心に刻んだ方がいいと考え、ただその場の空気を感じ続けた。太陽の高度が上がるにつれ、空はどんどん明るくなっていき、境内の空気も刻一刻と変化していく。千里は《こうちゃん》に、どんなものが居ても、こちらが襲われない限りは絶対に手を出すなと命じた。うかつなものに手を出すと、そのバックにいる大物が出てくる危険がある。
さすがに寒いので、トイレに行った後、自販機で暖かいコーヒーを買う。そして千里は自分をできるだけ透明にして、周囲の空気と一体化させていた。
『千里、ちょっと左にずれて』
と《りくちゃん》が注意したので3歩ほどずれると、今千里が居た付近を何か巨大なものが通過して行った。
『色々いるね』
『まあ、そういう所だよ、ここは』
『物凄くエネルギー密度が高い』
『ここではうかつなものを写真に撮ろうとするとカメラ壊れるよ』
『やはりねー』
ぼちぼちと早朝からの参拝客が来始める。やがて4:33になった所で拝殿に行く。ちょうど4:35に拍手を打てるようなタイミングでお参りした。その後、参道から外れて、また待機する。
電話が掛かってくる。
「お参りした?」
「ちょうど4:35に拍手(はくしゅ)しました」
「拍手?柏手(かしわで)じゃないの?」
「柏手は俗称です。正しくは拍手と言います」
「そうだったのか。そしたら、お山を一周してきて」
「は?」
「神社の裏手に千本鳥居があるから、それを登っていって、その先、四ツ辻という所があるのよね。そこから右でも左でもいいから好きな方向にぐるりと一周してきて。迷うような道は無いはず。1時間程度で四ツ辻に戻って来れるから」
「山登りですか・・・」
それで千里は境内の案内なども見ながら、奥社方面へと進む。スポーツバッグどこかに預けておきたかったなと思ったが、早朝でどこにも預けられるような所は無かった。旭川を出る時、男物の服などを外して少しでも軽くしたのが正解だったなと千里は思った。
千本鳥居はすぐ分かったが、少し歩くと左右に分かれている。どっち行けばいいの〜?と思ったが、取り敢えず右側を進んでいく。結局両方とも並んで立っているだけのようだと気付き安心する。
やがて鳥居の列を抜けて奥社がある。やっと千本鳥居が終わったのかと思ったら、更にその先も鳥居が続いている。ひゃーと思いながら登っていく。熊鷹社を経て三ツ辻に居たる。
「えっと、ここからぐるっと回るんだっけ?」
と独り言を言ったら
『違う、違う、ここは三ツ辻。もっと上がった所に四ツ辻がある』
と《りくちゃん》が教えてくれる。
「さんきゅー! でもまだ、登るのか!」
と言って千里はまた鳥居の列を登っていく。やがて三徳社を経て、やっと四ツ辻に居たる。ちょうどこの四ツ辻に到達する少し前に日出となった。
「見晴らしがいい!」
と千里は思わず声をあげた。
周囲に人が居ないのをいいことに
『誰か私の写真を撮ってよ』
と言ったら、《きーちゃん》が千里の携帯で四ツ辻に立つ千里を撮ってくれた。
『右でも左でもいいと言われたけど、この道、どっちに行っても、ここに戻ってくるんだよね?』
『そうそう。ぐるっと一周1時間くらい』
『どちらから回った方がいいの?』
『右からがいいよ』
『ありがとう』
ということで千里は四の辻から右手に歩いて行く。やがて三ノ峰に至る。その瞬間的に霊鎧を身にまとう。
『ひゃー!これは凄い!』
『変なものに目を合わせるなよ』
『ここまでも目は合わせないようにしてたよ』
お参りしていると足下をちょろちょろする子や、視界の端をサササっと走っていく子が、ふだんは視覚的なものを見ない千里にさえ見えてしまうが、注視したり視線を合わせたりしないように気をつけた。
「お姉ちゃん、ひとり?」
と声を掛けられた。
振り向くと小学3−4年生くらいの男の子だ。いや、こんな子がいたらこちらが「坊やひとり?」と声を掛けたくなるぞ、と思ったが、千里が振り返った瞬間後ろで《りくちゃん》が天を仰いでる。
しまったぁ!
「うん、ひとりだけど。君は?」
「僕は地元だから慣れてるんだよ。お姉ちゃん、まだ人が少ない時間に女の子ひとりじゃ、物騒だよ。僕が付いていってあげるよ」
「そう? 君はどちらから来て、どちら回りに歩いてるの?」
「これから一ノ峰を通って四ツ辻に行くよ」
「じゃ、同じ方向だね。一緒に行こうか」
それで千里はこの《男の子》と一緒に、お山巡りをすることになった。
「お姉ちゃん、しっかり歩くね。何か運動とかしてる?」
「うん。バスケットボールしてるよ」
「へー。それどんな運動?」
「えっとね。28m×15mのコートって、メートルって分かる?」
「分かんなーい」
「じゃ縦15間・横8間なら分かるかな?」
「あ、だいたい分かる」
「そういう広さのコートというところで、敵味方5人ずつで直径8寸くらいの球を取り合うんだよ」
「へー」
「コートの両端の高さ10尺のところにバスケットという籠があってね。そこに球を投げ入れたら点数になるの」
「じゃ、玉入れみたいなもの?」
「一種の玉入れだね。ただし球は1個しかないから、それを取り合う。球を持ったまま3歩以上歩いたらいけないから、球を地面に撞きながら走るんだよ」
「なんか面白そう」
それで千里は歩きながらバスケットの色々なルールやテクニックの説明をしてあげると、男の子は随分興味を持っている感じであった。
やがて間ノ峰を通り、二ノ峰に到達する。ここで千里は男の子を見失ったので「あれ?帰ったのかな?」と思っていたら、二ノ峰を出て少し石段を下り鳥居の列に入ったところでまた姿を表す。
「ところで、お姉さん、なんで、おちんちん付いてるの?」
などと男の子は訊く。
「うーん。なんでだろうね。きっと何かの間違いなんだよ」
と千里。
「へー。間違いなら取っちゃってもいいのかな? あ、ダメだって言われた」
「ふふふ」
「でも、もうすぐ無くなるみたいね」
「・・・・そうかもね」
「僕前にも見たことあるよ。小さい頃はおちんちん付いてたのに、おとなになると無くなって、ちゃんとお母さんになった人」
「ふーん」
「へー。お姉さん、子供が4人もできるんだ。 あ、それも言っちゃダメって叱られた」
千里は中学生くらいの頃、誰かに「あんた子供は2人産むね」と言われたことがあった気がした。何だか増えてる!? もしかしたら自分の運命に変化が生じているのかも知れないという気がした。
一ノ峰に到達する。
「ここが頂上かな」
「うん。お山としては。ここまでお姉さんが歩いてきたのが、いわば表参道。まあどこが頂上なのかは鳥居の向きを見れば分かるよね」
「でもここは優しい神社じゃないんだね。つい身構えてしまう」
「山の中にある寺社、断崖とかにある寺社はみんなこんな感じらしい。先輩が言ってたよ」
「君の名前、教えてよ」
「僕、名前まだ無いんだ。お姉さんが付けてよ。あ、お姉さんの名前は?」
「私は千里。村山千里(むらやま・ちさと)。君の名前はそうだなあ。京平(きょうへい)とかどうかな?」
「あ、格好いいかも」
「気に入ったのなら、それで」
「ね、ね。僕、あと8年くらいしたら生まれるんだって。お姉さん、僕の母さんになってくれない?」
「8年後なら、私も大学卒業してるかな。だったら、いいよ」
「わぁい。じゃ、母さんって呼んでいい?」
「いいよ」
「やったー!」
何だかはしゃいでいる京平君を見て、千里は心が緩んだ。
その後、千里と京平は、一ノ峰の向こうへと、また鳥居の列を歩いて行く。春繁社・御剱社(長者社)を経て薬力社まで来ると、道が2つに別れている。
「これ、どちらに行けばいいの?」
「僕はいつも左側を行くよ。でもたくさんお参りしたければ右がいいよ」
「じゃ、右で」
ということで右手に折れて階段を降りていく。すると傘杉社・清明社と通っていく。
「ここは静かだね」
「あまりこちらまで来る人居ないから」
それで千里が橋を渡って左手に行こうとしたら
「ここ右に行くと滝があるよ」
と京平が言うので、そちらに行ってみる。小さな滝だが、これが清滝であった。
既に四ツ辻から1時間半ほど歩いている。千里は滝を見ながら、束の間の休息を取った。
その後は道を戻って御膳谷・眼力社の所で、薬力社からの直通路(春日峠)と合流する。そこから下っていくと大杉社を経て四ツ辻に戻って来た。
「母さん、田中社の方は見た?」
「それどこにあるの?」
「そちらだよ」
と右手を指すので、気を取り直して京平と一緒に歩いて行く。
「わぁ」
そこは四つ辻以上に絶景のポイントであった。
「ここ見に来る人少なかったりして」
「うん、そうみたい」
その後、四ツ辻まで戻って京平とは別れた。
「母さん、またね〜」
「京平も元気でね〜。8年後に会おうね」
三ツ辻からは熊鷹社の方には戻らず、まっすぐ降りて行く道を通る。麓の拝殿近く、食堂などのある所まで戻って来たのはもう7時半であった。
それで雨宮先生に連絡すると
「お疲れ様〜。で、稲荷のお山を一周してきた感動を曲にして」
「そんなことだと思いました。ところで、どこか屋根のある静かな場所で作業がしたいのですが」
と言うと
「そうだね。こちらも徹夜だったから、一緒にどこかで休まない?」
「Hなことしなければ」
「さすがに今日はその気力ない」
それで30分ほど暖かいコーヒーなど飲みながら待っていたら、雨宮先生が車で迎えに来てくれた。修学旅行の時に乗せてもらったフェラーリ612スカリエッティである。
「ほんとに何にもしないからファッションホテルに行こう。この時間帯は普通のホテルにはチェックインできないんだよ」
「先生のことは信頼していますから」
それで本当に伏見区内の妖しげな外装のホテルに入った。
「私は寝てる。あんたは仕事してて」
と言って雨宮先生は本当にベッドに潜り込んで眠ってしまった。
千里も眠かったが、先生が起きるまでに形にしなければと思い、五線紙を出して書き始める。メロディー自体は、こういう展開になることを予想して、お山を歩きながら考えていたので、まずは考えていたメロディーいくつかを書いてみて、それから構成や歌う人のことを考えて、取捨選択する。
いちばん魅力的と思ったモチーフを元に展開して行き、間奏を入れた後サビを入れる。
で、そのサビをまだ考えていないので、これから考えることにする。
窓際に椅子を持って行って座り、レースのカーテンを通して外の景色を見る。予備で買っておいた缶コーヒーを開けて飲む。その内、笛を吹きたくなった。荷物に入れていた篠笛を取り出す。修学旅行の時に嵯峨野で江与子ちゃんという女の子と、千里の練習用龍笛と交換にもらった笛である。
思うままに吹く。
しばらく吹いていたら、何だか素敵なメロディーラインが見つかる。
よし!
それを早速譜面に書き留める。それで楽曲を構成するが、ここから調整を掛ける。自分で一回通して歌ってみる。それでまた調整する。やがてかなり修正の跡が多くなったので、きれいに清書する。清書しながらまた調整していく。
これらの作業は2時間近く掛かった。
ひととおり仕上がった曲を篠笛で吹いていたら、雨宮先生が目を覚ました。
「あ、済みません。起こしてしまいましたか?」
「いや、結構よく寝た。それ変わった笛だね。篠笛?」
「そうです」
「私、横笛系は得意なのよ」
「そうか。先生はそもそもサックスが御専門ですしね」
「ちょっと貸してくれる?」
「どうぞ」
それで千里が雨宮先生に笛を貸すが、雨宮先生が吹いても全く音が出ない。
「そんな馬鹿な」
「あれ、変ですね」
と言って千里が手に取り吹くと、とても美しい音が出る。
「それ、あんたしか吹けない笛だったりして」
「そんなこと、あるんですかね」
「世の中には色々不思議なことがあるものよ」
「そうですね」
と言いながら千里は京平のことを思い出していた。
千里は蓮菜に電話して、また詩を付けてくれと頼む。それで今日書いた曲を電話口で歌ってみせる。
「昨日1曲書いたばかりでよくまた書けるね」
「この後1ヶ月くらいは何も書けないと思う」
蓮菜が詩を考えている間千里は眠らせてもらう。雨宮先生は先生で、別の曲を書いていた。千里が寝たのと入れ替わりに起きて作業をしておられたようであった。
1時間半後に蓮菜からメールがある。千里はそれを譜面に書き込んでいき、音符の拍の調整をして、雨宮先生に渡した。
「ありがとう。これタイトルは?」
「えっと。じゃ『My Little Fox Boy』とかでは」
「ああ、いいかも。でもこの曲、まるでホントにキツネの子供と遊んでいるかのような楽しい曲だね」
「はい。キツネの子供と遊んできました」
「へー。さすが巫女さん」
「私、その子を産むことになるかも」
「ふーん」
と言って雨宮先生は不思議な表情で千里を見た。
「最近は男の娘でも妊娠するのね」
「現実は科学を越えるんです」
「だったら私も一度男の娘を妊娠させてみようかな」
「私以外でよろしく」
雨宮先生と《男の娘》である桜クララとの間の子供、桜幸司が生まれるのはこの2年後である。(本当に産んだのはクララの姉だが、クララの子供として入籍してしまったらしい)
「でも詩を書く人と随分やりとりしてたね」
「ええ。大変なんで、もし今後こういうことがあったら、彼女も一緒に呼んでくれると助かります」
「了解。次からは2人とも呼ぶよ」
やはり、こういうことが今後もあるのか!
「でも先生もずっと書いておられるようですし、今回何曲用意するんですか?」
「ゆまにも2曲課題にした。今、洛北のホテルで頑張って書いているはず。あの子には京都市内のツーデイパス(2日乗車券)を渡した」
「わぁ」
「ゆまのお友だちで、作曲センスのある、キンタマ子ちゃんって子にも1曲書かせている」
「は?」
「ああ。名前はちゃんとあるんだけど、キンタマってアダ名があるのよ」
「えっと、男の娘さんですか?」
「残念ながら、ゆまの同類。男の娘じゃなくて、女の息子さんって感じ。本人は否定してるけどFTXっぽい雰囲気。でも格好良い女子だよ。その子もサックスを吹く。私は指導してないけどね」
「へー」
しかし雨宮先生の周辺には性別の微妙な人が多いんだな、と思ってから自分もそうか!と気付いて千里はつい微笑んだ。
「全部で10曲くらいですか?」
「そうそう。私が3曲、鈴世(雨宮先生の後輩の作曲家)が2曲、ゆまが2曲、キンタマが1曲、千里が2曲。今回全部女性作曲家で固めたかったんで、あんたも引っ張り出したのよ」
「アルバムなんですね」
「大西典香については、シングルではなくアルバムでデビューさせようという方針なんだよ」
「変わったことしますね」
「凄く実力が高いから、高い年齢層にもアピールするはずという考え方でね。20代後半より上の層はシングルは買わない。むしろアルバムを買う」
「実力者シンガーということですか」
「で、ちょうど葵祭のスペシャル番組があるんでね。まあ葵祭りを軸に京都の観光案内をするような番組なんだけど。その音楽をまるごとこの子に歌わせようというので、今回急遽アルバム制作することにしたのよ」
「えっと・・・葵祭って確か5月でしたよね」
「5月15日」
「それを今作るんですか〜?」
「今日から音源製作に入る」
「ひぇー。何て無茶なスケジュール」
「スペシャル番組はその前の12日・土曜日に放送する。その撮影は昨日から今日に掛けて市内あちこち飛び回ってやっている。それで今日の夜から音源製作に入って5月6日までに音源製作を終えて、番組の放送日12日にアルバム発売。実際には配送の関係で金曜日に届くように配送しなければならないから10日木曜日に発送」
「4日間でプレスできるんですか?」
「やらせる」
「なんか3月の富士宮ノエルちゃんの時より更に無茶なスケジュールですね」
「まあ本当は夏頃までに楽曲を準備して秋頃デビューの予定だったんだけど、突発事態が起きてね。松田聖子なんかもそうだけど、そういう突発事態で売り出した子って、結構化けるものなのよ。だから行こうということになった」
「へー」
「実は葵祭スペシャルは別のタレントさんがやることになっていた。そのために別の作曲家さんが書いたアルバムも制作されていた。プレスも5万枚されていた。廃棄しないといけないから凄まじい損害が出る」
「どういうトラブルですか?」
「近い内に大騒動になると思うけど、その作曲家がクスリやってたんだよ。今警察が逮捕に向けて証拠固めしている最中」
「そんな情報が周辺に流れてるんですか?」
「だってその人の周辺、今警察から徹底的に取り調べられてるんだもん。それで本人も実はクスリやっていたことをレコード会社の幹部に告白したんで急遽選手交代になったのさ」
「わあ」
「多分逮捕者は10人以上出る。有名バンドのメンバーもいるよ」
「ぎゃあ」
「だから急遽、こちらに話が回ってきた。結果的にレポーター役も交代。ちょっと可哀想だけどね。その作曲家の愛弟子だもん。その子はクスリはやってないみたいだけど。それで、前の子がやってた役をそのままやらせるから2日で番組の撮影もできたけど、ほとんど生番組に近い作りになったみたい。でも新人を売り出すにはかえって良いかも知れないよ。少々のセリフミスとかはむしろ愛嬌になるし」
「それはありますね」
千里は雨宮先生の作業が一段落した所で、楽曲の修正をしたいから少し寝ててと言われて、シャワーを浴びて、ベッドに入る。襲われたりしないよな?と少し不安ではあったが、襲われたら慰謝料請求しちゃろと考えて、とにかくぐっすりと眠った。目が覚めたらもう15時だった。
「こちらはだいたいまとまった。あんたの楽曲を見ようか」
と言って、一緒に楽曲を検討しながら多少の修正なども入れていく。だいたい赤いボールペンで修正を入れていったが、やや大きな修正点に関しては、新たに五線紙に書き出したりした。
昨日書いた『古都の夕暮れ』と今日書いた『My Little Fox Boy』の2曲の修正が終わったのは、16時頃である。
念のため明日の夕方まで待機しておいてと言われて、雨宮先生が別の(普通の)ホテルの予約を入れ、千里はそちらに移動し、先生は音源製作のスタジオに入ることになる。
「旭川に戻れる最終便は伊丹を18:30に出る新千歳行きに乗ることみたいね。それで23:30に旭川に戻れる」
「ではそれで帰ります」
「うん。じゃ予約入れるね」
連休なので取れるかどうか不安だったが、うまく予約できたようであった。
「私のカードで決済したい所だけど、それだとそのカード持って行かないとチケットが受け取れないから、空港で現金で自分で払って」
「はい」
「あんた、来る時いくらくらい使った?」
「えっと、きちんと計算してないですけど、航空券が37000円くらいと新幹線が5000円くらいでした」
「この帰りのルートは乗換案内では44210円と表示されるね。じゃ概略で少し余裕持って12万渡しておく。後できちんと計算してみて足りなかったら精算。余ったらそのままもらってていいや。その分まで入れて経費で落とすから」
「分かりました」
それで先生は千里に1万円札を12枚渡した。
「でも先生、現金でたくさん持っておられるんですね」
「この業界は現金主義の人が多いからさ。結構な高額を現金で決済する必要がある場合も多い」
「なるほどー」
「いつもだいたい40-50万円は持ち歩いてるよ」
「すごーい」
「女の子何人か誘って飲みに行って一晩で無くなっちゃったこともあるけど」
「どういう飲み方したら40-50万が一晩で無くなるんですか!?」
「さすがに覚えてない」
「ああ」
「朝目が覚めたらホテルに居て、同じベッドに女の子3人裸で寝てて、お金はホテル代を精算する程度しか残ってなかった」
「乱れた生活してますねー」
「あんたともちょっと遊ぼうかと思ったけど、気力が無かったからやめといた」
「・・・・もしかして触ったりしました?」
「パンティの上から触ったけど、女の子みたいなお股だった」
「えっと・・・」
「あんた性転換手術したんだっけ?」
「秘密です」
「まあ、いいや。さすがに今日は私もしんどい」
それで先生が車で千里を今夜泊まる京都駅南側のホテルに送ってくれて、先生はそのままスタジオに入ったようであった。千里はホテル近くのコンビニで食料や飲物を調達してから、とりあえずベッドに入った。
夜21時頃に携帯の着信で起こされる。作業用にパソコンを1台人に持たせたからと言われた。それから30分ほどして、若い男性から雨宮先生に頼まれたのでという連絡が入る。千里は簡単に身支度を調えてロビーに降りた。
「あ」
「あ」
その男性は昨日京都タワーでしつこく千里をナンパしていた男性であった。
「雨宮先生の関係者だったんですか?」
「あんたが醍醐さん?」
「変なナンパ男と思った」
「醍醐さんって、もっとおばちゃんかと思った」
お互いに非友好的な会話をしたが、取り敢えず握手をしておいた。
「いや、あの日は最初、あんたを迎えに行ったものの、予定が変わって迎えなくてもよくなったと言われたんで、誰か可愛い子居ないかなと思って物色してたんだけどね」
「結局ナンパですか?」
「あ、これ僕の名刺」
と言って彼は名刺をくれた。《音楽家・毛利五郎》と書かれている。
「毛利小五郎?」
「いや、五郎」
「あ。《小》の字が無いや。音楽家って楽器なさるんですか?」
「いや、ピアノとかエレクトーンとかギターとか習ったけど何にも物にならなくて、ドラムスやらされたこともあるけどリズム感悪いんで5分でクビになった。今は打ち込み専門。実は音痴なんで、歌もボカロイドばかり」
「それでも音楽家ができるんだ! あれ?昨日ギター弾くって言ってませんでした?」
「弾くけど上手には弾けない」
「なるほどー」
「一応アイドルとかの曲を年間20-30曲書いてるんだけどね。今回は女性作曲家で全部やるということだったから、出番無し、使い走り専門」
毛利さんが持って来てくれたサブノートパソコンにはCubaseとメール環境がインストールされていた。パスワードだけ自分で設定してと言われたので設定しておく。このホテルは有線のLANが導入されていてネットにアクセスすることができる。
そのCubaseのシステムに既に4曲楽曲が入れてあったが、その後メールで次々と楽曲のデータが送られてくる。そして
「『賀茂の少女』をあんたの感覚でチューニングアップして」
などと言われる。
「私の感覚でいいんですか?」
「ここはできるだけ若い感性が欲しいんだよ。必要なら歌詞やメロディーも多少修正していい」
「分かりました」
何度かのやりとりをした時、千里は唐突に雨宮先生に言った。
「作詞作曲のクレジットは先生のお名前ですか?」
「ううん。あんたたちの名前にするよ。作詞:葵、作曲:醍醐で」
「それに下の名前を付けてもいいですか?」
「ふーん。どんな?」
「作詞:葵照子、作曲:醍醐春海。実はあの後、作詞者とふたりで葵とか醍醐だけだと短くて落ち着かないよね、という話をしていたんです」
「ああ、別にいいよ」
ということで、葵照子・醍醐春海という名前がこの時に誕生した。
雨宮先生は、スタジオから離れた場所にいる千里に、敢えて騒然としたスタジオでは得られない感覚での楽曲チューニングを期待したようであった。
「でも雨宮先生、ほとんど寝ておられないでしょう? 大丈夫ですか?」
と千里は本気で先生の体調を心配して言った。
「終わったら3日くらい、ひたすら寝るよ。まあ1人の歌手をデビューさせるというのは、自分の子供を産むようなものだから」
千里は雨宮先生が既に睾丸を1個除去していることを知っている。残りの睾丸1個は精子を生産しているのであろうか?
「確かにそのくらい大変なことなんでしょうね」
「歌手は本当に子供と同じだよ。産んだ子供は育てていかなきゃいけない。楽曲を提供し続けなきゃいけないし、人気が出るようにあれこれ骨を折ってあげないといけない」
「ほんとに子育てですね!」
と言って、千里は京平に「母親になってあげるよ」と約束したのは少し安易だったかなと反省した。
「千里ちゃんさ、特に私たちみたいな種族って、自分の遺伝子は残せない可能性が高いじゃん」
「あ、はい」
「だから、私、こういうのには余計力が入るのかも知れない」
「何となく分かります」
「もっとも私は睾丸取る前に精子を冷凍保存しているから、それで子供を作れる可能性はあるけどね」
「わ、凄い! それってどのくらい持つんですか?」
「半永久的に持つという話。ただし専用の冷凍施設にずっと保管しておかないといけないから、費用は掛かるけどね」
「費用って?」
「冷凍精液1本につき年2万円」
「わっ高い!」
「私はそれを10本作った」
「すごーい」
「女の子10人に双子で産んでもらうと20人子供が作れる」
「そんなに作ってどうするんですか!」
「野球チームを2つ作る。今DHだから1チーム10人必要じゃん」
「なるほど」
「あんたも去勢する前に精子冷凍しておけばよかったかもね」
「私、これまで射精って1度しかしたことないんです。そもそも精子なかったかも」
「これまでって、既に去勢したんだから、もう今後もしないよね」
「去勢してないって言っても誰も信じてくれないだろうなあ」
「それはボクシング選手が今まで人を殴ったことはありませんと言うのに等しいくらい、無意味な嘘だね」
「うーん・・・」
結果的に千里もその晩はほとんど徹夜になり、翌日も短い仮眠を入れながら、午後まで曲作りのお手伝いを続けた。
今回のアルバムでは結局12曲の内、6曲のチューニングアップを行った(残りの6曲はキンタマさん、こと宝珠七星さんがチューニングアップをしたらしい。その12曲を最終的に6人のプロのアレンジャーが2曲ずつ分担して5ピースバンド(Gt.B.Dr.Pf.Sax) 用に編曲して伴奏音源を作ったということであった。
「そのパソコンはさ、あんたにずっと預けておくから、その代わり旅に出る時とかは必ず持ち歩いてくれない?」
「分かりました」
「なんかあんたと旅先でバッタリ会うみたいだし」
「不思議ですね」
5月1日、眠気まなこをこすりながら学校に出て行き、授業を受ける。
0時間目が終わり、朝のSHRを待つ間に隣の席の京子から訊かれる。
「なんか疲れてるみたい。連休はバスケの練習?」
「ううん。バスケの練習は連休後半。28日から30日は個人的な用事で京都に行ってたんだよ」
「へー」
「伏見稲荷のお山をぐるりと巡って、その後、昨日の夕方まで知り合いのお仕事の手伝いをして昨夜0時くらいに帰宅した」
「なんかハードそうだなあ。伏見は修学旅行でも行ったよね」
「うん。あの時、お山も一度巡りたいね、なんて言ってたけど1ヶ月後にぐるりと歩くことになるとは思わなかった。鳥居の数が凄かったよ。あれ多分3000基以上あると思う」
「どのくらい掛かった?」
「ふもとの拝殿を出てから戻ってくるまで3時間くらい」
「ああ、やはりそのくらい掛かるのか」
「元気な男の人の足だと2時間で行けるかも。それに枝道みたいな所にも結構入って行ったから。メインルートだけならもっと短いはず」
「なるほどねぇ。何かいいことあった?」
「そうだなあ。子供ができちゃったことかな」
「・・・・妊娠したの?産むの?」
「産むよ」
「学校は休学して?」
「産むのは大学を卒業してから」
「随分長い妊娠期間だね!」
「だけど妊娠したんで、女としての自覚ができて女子制服を着ることにしたのね?」
と京子が言うので、千里は自分の着ている服を見て
「あれ〜〜〜!?」
と叫んだ。
なんか最近、何度も女子制服で学校に出て来ている気がするぞ、と千里は焦った。
そして連休明けた頃には、千里が妊娠したらしいとか、妊娠しちゃったけどすぐこっそりと中絶したらしいなどという噂が2年生女子全員に伝わっていた。
「この辺の病院で中絶するとバレるから、東京の病院で中絶したんだって」
「あれ?私、京都の病院って聞いたけど」
「でもやはり千里って本当の女の子だったんだ?」
「妊娠したってことは間違い無く子宮も卵巣もあるということだよね」
「千里は生理があるという説があったもん」
「**ちゃんが千里からナプキン借りたことあるって言ってたよ」
「じゃ、何で男の子の格好なんかしてるんだろう?」
「男の子になりたい女の子?」
「その説は最初の内あったけど、否定されている。本人は間違いなく女の子になりたがっている」
「じゃ、女の子になりたい女の子?」
連休明けには、千里が帰省できなかったので、連休中に会えなかった貴司からまで電話が掛かって来た。
「ね、千里、妊娠したってホント?」
なんでこういう話が貴司にまで伝わるんだ!?どういうルートで伝わっているのだろうか。
「うーん。子供ができたのは本当だよ」
「誰の子供?」
「貴司の子供に決まってるじゃん」
「・・・ごめん。ちゃんと付けてたつもりだったけど、避妊失敗した?それでどうするの?」
「産むよ」
「学校辞めて?」
「今、学校は辞められないし、バスケも辞められないから、8年後に産む」
「はぁ!?」
「だからね。8年後に貴司に男の子ができたら『京平』って名前付けてあげてくれない? 京都の京に、平安京の平」
「・・・・」
「それは、その時の貴司の奥さんが産んだ子供であっても、私の子供でもあるの。これ、私と貴司の間だけの秘密ね」
それで千里は伏見の山で不思議な男の子に出会ったこと。その子が千里に自分のお母さんになってと言ったので了承したこと。その子は8年後に生まれてくると言ったことを貴司に話した。
「バスケの話してたら凄く興味持ってたから、きっとあの子、生まれて大きくなったらバスケをするよ。だから多分この子は物理的には貴司の子供として生まれてくるんだと私、思ったんだよね」
「そういうことだったのか。千里らしい話だなあ。千里ってホントに巫女なんだ。分かった。その件は考えておく」
と貴司は言った。
その週の週末に、鮎奈が言った。
「ね、ね、美空ちゃんがね。8月のお盆前に旭川に来るんだって」
「へー」
「それで、そのタイミングで新しいDRKの音源製作しない?」
「ああ、美空ちゃん歌がうまいから、入ってもらうといいよね」
「それで、それに向けて練習したいから、新曲を書いてくれない?」
「お奉行様、2週間ほどのご猶予を」
千里は2月から毎月2曲書いている。その状態で今回連続2曲書いた直後ではとても新曲は書けない。それでまず1曲は麻里愛に書いてもらい、それを練習している間に千里がまた別の曲も書くことになった。最終的にはこの2007年夏に作ったCDでは麻里愛が2曲と千里が1曲書いている。歌詞は3曲とも蓮菜が書いた。
5月中旬、千里が久しぶりに雅楽合奏団の練習に出ていき龍笛を吹くと
「千里さん、龍笛が凄く進化してる!」
と天津子から言われた。
「3月に京都で凄い龍笛の上手い人の演奏を聴いたんだよ。それに刺激された」
「へー。でも聴いただけで進化するって凄いなあ。その人の演奏、録音とかは?」
「録ってない。でもあれは録音できる類いのものではなかったかも」
「ああ」
「その時、彼女が持ってた篠笛と私の練習用の龍笛を交換したんだよ。これがその篠笛」
と言って、千里が江与子からもらった篠笛を見せると、天津子が驚いたように言う。
「これかなりの年季物ですね。多分300-400年は経ってる」
「そんなに!? 古いものだとは思ったけど」
「ちょっと吹いてみていいですか?」
「うん」
それで天津子がその篠笛を吹こうとするのだが鳴らない!
「あれ〜? 千里さんは吹けました?」
「うん」
と言って、千里がその篠笛を吹くと、何ともいえない素敵な音が出て、楽団の他のメンバーがまた寄ってくる。
「これ、実はこないだ東京のプロの管楽器奏者さんが吹こうとしても音が出なかった」
「ちょっと貸してもらえます?」
と言って、普段は篳篥を吹いている綾子ちゃんと弥生ちゃんが代わる代わる吹こうとしたが、やはり音は出なかった。
「これ、千里さんだけが吹けるのかも?」
「やはり? 不思議なこともあるもんだねぇ」
と千里が言うと
「不思議なことってことで済ませていいんだっけ?」
と弥生ちゃん。
「まあ、いいんじゃない? 世の中全て科学で割り切られるものでもないよ」
と千里は答えた。
「でも、どんな人と交換したんですか? いや《人》なのかな?」
と天津子。
「ああ、人ではない気もしたよ。でも悪かったかなあ。年季物の笛を私の安物のプラスチック製の笛と交換して」
と千里。
「精霊の類いだったとしたら、かえって現代の樹脂製を珍しく感じるかも」
と天津子。
「なるほど、そうかな」
5月下旬には、美輪子の所属している市民オーケストラで、また新しいCDの制作を行った。今回の曲目はやはりアイヌ系の音を多数入れた『コロボックル』という何だか可愛い曲、それとブランデンブルク協奏曲4番ということであった。
『コロボックル』で千里は龍笛を吹いたが、ブランデンブルク協奏曲の方でもフルートを吹くことになった。この曲には2本のフルートがフィーチャーされているのだが、それまで2人いたフルート奏者の1人が辞めてしまったので、千里に頼むということになってしまったのであった。(その人は昨年のCD制作の時も「お休み」という話であった)
「そうだ。千里ちゃんにも、うちのオーケストラの会員章あげるね」
と言ってバッヂを渡される。金属製で襟とかに付けるもののようである。
「これ結成10周年の時に張り切ってどーんと100個注文したんだよ」
「まあ注文の最低が100個だったからなんだけどね」
「あ、お金は要らないから心配しないでね」
なんだか、このオーケストラに関しても深みにはまりつつあるなあと千里は思っていた。
演奏は1日で、ホールを借りて午前中に練習し、午後から録音をおこなった。
ちなみに昨年作った『カムイコタン/ソーラン節』のCDは定価1500円で、これまでに120枚売れたらしい。プレスは張り切って1000枚作ったらしいが、そのペースだと完売に10年掛かるなと千里は思った。
「ね、ね、千里ちゃんたちバンドやってるんでしょ?」
と補習でたまたま一緒になった2組のレモンちゃんから声を掛けられた。
「うん」
「私たちのコーラス部、今度大会に出るのに少し人数が足りないのよ。ちょっと顔だけでも貸してくれない?」
「無理だよ〜。今バスケの方が道大会に向けて毎日8時まで練習してるし」
本来部活は6時までの所をバスケ部やソフトテニス部など4つの部のみ特例で7時までになっているのだが、宇田先生が今年は絶対インターハイに行くから8時まで認めてくれと教頭先生と談判し、超特例で8時までの練習が認められていた。ただし、インターハイに行けなかった場合は夏休みの部活を自粛することになっている。
「うん。最悪、ステージに立って、口をぱくぱくしてるだけでもいいから」
「何それ〜?」
「人数が足りないと、参加できないんだよ」
「大会っていつ?」
「7月1日」
「一応こちらの道大会は終わってはいるな」
「助かる」
「まだ私、出るとは言ってないけど」
「そんなこと言わずにお願い」
と手を合わせられる。
うむむ。手を合わせられても私は神様でも仏様でもないぞ。
「あ、花野子ちゃーん、花野子ちゃんもバンドのボーカルだよね」
とレモンは次に花野子にも声を掛けていた。
結局DRKのボーカル、千里・花野子・麻里愛に、蓮菜までコーラス部の大会に「顔だけ出す」ということになってしまった。
「ね、レモンちゃん、いったい何人足りないの?」
「うん。規定では25人いないといけないのよ。これでやっと20人になった。あと5人探し出さなきゃ」
大変ね〜。
「あ、梨乃ちゃん、梨乃ちゃん、歌上手かったよね? 梨乃ちゃん貴重なアルトっぽいし」
とレモンは更に梨乃にまで声を掛けていた。
「私、低い声は出るけど歌は下手だよ。私よりうちの猫たちの方がまだ上手いくらい」
梨乃の家には黒猫のブランと白猫のノワールという少し困った名前の猫がいる。特に黒猫の方はよく可愛い声で鳴くらしい。
「じゃ最悪、口パクでもいいからさ」
「ちょっと、ちょっと、何の話〜?」
「あれ? でもうちのコーラス部って女声合唱じゃなかったっけ?」
と千里はレモンに訊いた。
「そうだよ。だから歌が歌えそうな女子に声を掛けてる」
「私、男子だけど」
「ああ、なんか最初間違って男子と登録されてたんだってね。でもちゃんと女子に訂正してもらったんでしょ?」
「へ?」
「なんかたまに男子制服を着てる時もあったみたいだけど、あれってジョーク?」
「ボクたいてい男子制服だと思うけど」
「また冗談を。私、少なくとも2年生になってから、千里が男子制服を着てるのって見たことないけど。今日も女子制服着てるし」
と言われるので、千里は自分の着ている服を見て
「あれ〜!?」
と声を挙げた。
「千里、2年生になってからは、朝から女子制服を着ている日の方が多い」
と少し離れた所で鮎奈が苦しそうに笑いながら言った。
「それに、千里はそもそもソプラノなんだから、女声合唱に出られるじゃん」
と京子も言う。
「もちろん、ステージに立つ時は、女子制服を着ておかなきゃダメだよ」
と鮎奈。
「女性合唱か女声合唱かって話だよね」
「そそ。男性でも女声が出れば女声合唱に入れる」
「どっちみち千里は女声が出る女性だから何も問題無いね」
レモンは鮎奈と京子の会話にキョトンとしていた。
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【女の子たちのベビー製造】(2)